死ぬことと見つけたり
『大丈夫ですよ、先輩。ちゃんと返しますから!』
そう約束した腕時計。それが今、七三子の手の中にある。
その日、戦闘員735番―――|過去の「見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)」《20歳になる前の七三子》は、不機嫌だった。
「先輩、拗ねないでくださいよ~」
「……拗ねてなんかいません」
何度目かの改造手術。今までは何ともなかった手術。
しかし、今回はどういうわけか経過がよろしくなく、七三子は絶対安静を言い渡されていた。
「ただ、博士はもう少し適切な処置を施すべきでしたねって思ってるだけです」
組織が擁する医療機関のベッドの上、七三子は布団を頭まで引っ張り上げた。
自分は拗ねているわけではない。ただ、正論を述べているだけだ。
―――今回の改造手術は上手くいかなかったので、日を改めて再度行う。それまでは、ベッドで休んでいるように。
それが、改造手術担当の博士が|下《くだ》した決定だった。
(「戦闘員なのに、戦場に行けないなんて……」)
自分が置かれた状況に、七三子はただため息を漏らすことしかできなかった。
「だから、それが拗ねてるって言うんですよ」
ベッドサイドに立ち、ほんのりと苦笑を浮かべている少女。赤茶けたショートヘアの彼女は、七三子の後輩だった。
七三子よりも若く、未熟で、経験不足。まだ戦場には立たせて貰えていない。
作戦に必要な道具の手配であったり、帰投した戦闘員のケアだったり、裏方中の裏方しか任されていない―――まだ、「番号」すら貰えていない者。
仮の名として「D」と―――番号を貰える前の者たちが、代々使い回し続けているアルファベットの文字で―――呼ばれている少女。
「先輩も博士も悪くありません。どう頑張っても、うまくいかない時だってありますって」
後輩Dは、七三子を慰めるように語りかけてくる。
「いいじゃないですか、再手術が決定しているんですから。見込まれている証拠ですよ」
失敗作だと捨てられるのではなく、再度手術を行うことが決まっている。
それは良いことだと、組織から認められている証拠だと、後輩Dは微笑んだ。
「あたしなんて、まだ一度も手術してもらえてないんですからね!」
「それは……あなたが痛いの苦手だからでは?」
「うっ、そ、それは言わないでくださいよぉ」
七三子が布団下げて顔を覗かせると、後輩Dはばつが悪そうに口ごもった。
「だ、だって、身体に手を加えるのって、覚悟がいるじゃないですかぁ」
後輩Dは恐ろしそうに身を縮こめる。
「心の準備ってヤツが必要なんですよ、普通は!」
「まるで私が普通じゃないみたいに言ってますけど、あなたの方が変わり者なんですからね?
私たち戦闘員はみんな、子供のうちに改造手術を受けてるんですから」
「それは、そうなんですけど。でもきっと、みんな、直前まで恐怖と戦っていたと思っ……」
「はいはい」
ああ、悔しいな。
誰に言うともなく七三子は呟く。
「今日は出撃予定日だったのに、これじゃあ行けません。
次の作戦の|下見《したみ》なので、結構重要な任務だったというのに」
「ああ……」
それですかと言いながら、後輩Dは七三子の頭を冷やしていた氷枕に手を伸ばした。
「氷枕、もう水になっちゃってますね。代えますよ?」
遠慮がちに頭に触れてきた手はあたたかく、柔らかく、後輩Dの未熟さを―――青さや幼さを体現しているかのようだった。
「任務って、この後の……|1500《ヒトゴーマルマル》からの」
代えてもらった氷枕は固くて少し痛いけれど、その冷たさが七三子に冷静さを取り戻させる。
「ええ。本来なら、パワーアップした状態で合流する予定でした」
|午後三時《ヒトゴーマルマル》予定の出撃に、七三子は出られなくなってしまったのだ。
欠員を出してしまって、出撃仲間には申し訳なく思う。
たったひとり、されどひとり。七三子が担うはずだった|作業《負担》を、他の者たちが担わねばならないのだから。
「ただの下見とはいえ、欠員は欠員。メンバーに迷惑をかけるなぁ、と」
「それなら、あたしが代打で行くことになりました」
七三子の呟きに対し、「えっへん」と後輩Dが胸を張った。
「……あなたが?」
「はい、初陣ってヤツです!
見てください! 仮面ももらえたんですよ?」
嬉しそうな顔をして、後輩Dは七三子と揃いの仮面を見せた。
「この任務が終わったら、あたしもいよいよ|番号《名前》が貰えるんです♪
伏せってる先輩にはほんとーに申し訳ないですが、あたしやっと|ここまでこぎつけた《戦闘員になれるので》、祝ってください!」
「……まあ、うん」
毒気が抜かれたように、七三子は頷く。
後輩Dが今までどれほど頑張ってきたか、七三子は知っている。今もそうであるように、彼女は主に七三子のサポートに回っていたのだから。
だから、素直に祝いの言葉を贈ることにした。
「あなたの努力がようやく実ったのですね。おめでとうございます」
出陣する。それはヒーローと遭遇する可能性もあり、常に危険を伴う仕事だ。
けれど、そのために、自分たちは生まれ落ち、肉体改造を施されていく。日々訓練を積み、出撃を待ち続けている。
何もなせぬまま捨て置かれるより、よっぽどマシである……はず、だ。
「ありがとうございます!
えへへ。迷いなく出撃してく先輩の背中を見て、ずっとこうなりたいなって思ってたんです。
憧れの先輩に祝って貰えるの、すっごく嬉しい……」
七三子に祝われ、後輩Dははにかんだような笑みを浮かべる。
―――|改造手術を受ける《感情抑制装置を取り付ける》前は、自分もこんな表情をしていたのだろうか。
七三子はぼんやりとそんなことを思った。
それはもう遠い昔のことすぎて、憶えてもいないけれど……。
「ところで、そろそろ集合時間なのでは?」
「えっ、もうそんな時間ですか!?」
後輩Dは己の手首に目をやり―――そこで「あああ!」と悲鳴を上げた。
「と、時計……忘れ……っ!」
「……」
「どどど、どうしよう。取りに戻っている余裕は……」
後輩Dは顔を青くしておろおろしている。
戦闘員は集団で行動するのが基本。|腕時計《タイミングを合わせるもの》を忘れてどうするのだ。
七三子は本日二度目のため息をつくと、サイドテーブルの引き出しをまさぐり、腕時計を引っ張り出した
「今回だけですよ?」
そう言い添えて、七三子は自分が愛用している腕時計を差し出した。
「集まった後、みんなで時刻合わせをするの、忘れないように」
「……はい!」
ぱあっと後輩Dの顔が明るくなる。その表情の落差に、七三子は苦笑するしかなかった。
「それ、私がいつも使っている物なんです。だから、なくさないでくださいよ?」
「大丈夫ですよ、先輩。ちゃんと返しますから!
それにほら、今回は下見ですから、危険らしい危険もないし、安心です♪」
後輩Dは「戻ってきたら、一番に先輩のところに来ます。では行ってきますね!」と言って、意気揚々と病室を出て行ったのであった。
―――部隊、全滅。
その一報が七三子の元に届いたのは、今度こそ成功した改造手術の、その麻酔から目が覚めた後のことだった。
「735番さん」
黒いスーツに袖を通し、フロントボタンを止めようとしていた七三子の元に、ひとりの男性が声をかけてきた。
「はい?」
手術を終え、体調も回復した七三子には、再び出撃の命が下っていた。その準備の最中に声をかけてきたということは、急ぎの用事なのだろうか?
(「ええと……」)
男性は七三子と同じように白い仮面をつけているため、その顔はうかがえない。けれど、首筋に浮かぶ皺や、わずかに白髪の交じった短い黒髪から、中年か、それ以上に年齢がいっているだろうことは分かる。
はて、誰だったか。その声を頼りに七三子が記憶をたぐろうとしたところで、相手の方から名乗ってきた。
「見習いDの、父です」
「あ……」
後輩Dの父親。任務で散った彼女の親は、こんな感じの人だったのか……と七三子は思った。
「出撃の直前にお声がけをして申し訳ない。けれど、僕もこれから別件で|出撃な《出る》ので」
用件だけと言って、Dの父親は七三子に箱を渡してきた。
細長い、茶色の段ボール箱。質素な上に軽いそれを受け取り、七三子は首を傾げる。
「……開けても?」
「どうぞ」
箱の中に収められていたのは、一本の腕時計。
少しばかり土と草で汚れているものの、それは間違いなく七三子が後輩Dに貸した腕時計だった。
「これは……」
「娘が汚してしまったようで、申し訳ない」
Dの父親は七三子に頭を下げる。
「最期の瞬間、これだけは遠くに放り投げたようでして」
傷もなく、まだ動くので、あの子に代わってお返しします。
そう言い添えると、Dの父親は顔をあげた。
「遠くに、放り投げた?」
「娘は新必殺技を受けて、爆死したので」
「!」
彼女は死を悟った瞬間、これだけは身体から外したのだろう。
壊すわけにはいかないと。自分は帰れずとも、この時計だけは返さねば、と。
敬愛する先輩との約束を守るために……。
「でも、任務内容は、ただの下見だったはずでは?」
「運が良いのか悪いのか、非番で遊びに出ていたヒーローたちと遭遇してしまったようで」
下見に出た先で、予期せずヒーローたちと遭遇してしまい、戦闘へと発展。
そして部隊は全滅したのだと、彼は話した。
「じゃあ、その、あの子の、遺体、は」
「ありません」
仮面はおろか、服の切れ端すら、血の一滴すら残らなかった。
一瞬ですべてが蒸発した。
Dの父親は淡々と説明する。
「ヒーローの慈悲なのでしょう。例え悪役であろうとも、苦しまぬよう、一瞬で、と」
「……」
「|戦闘員《あの子たち》との戦いの末にようやく完成した新必殺技、だそうです。名誉なことです」
ああ、そうか、と七三子は思う。
苦しみを感じる間もなく斃れたのなら、きっと彼女は幸せだったのだろうと。
あの子は怖がりだった。痛いのが苦手だった。間が抜けていて、優しくて、戦闘員には向いていなかった。
でも、戦闘員の一族に生まれた。戦闘員として生きる以外の道はなかった。
だから。
戦闘員として戦場に立ち、ヒーローから新しい技を引き出し、一瞬で死ねたのなら、きっとそれは幸いだったのだろう。
雑魚だと、犬死にだと、一般人はあざ笑うかもしれない。けれど、彼女の人生に意味はあったのだ。
けっして、無駄死にではないのだ。人の記憶に残らずとも、組織の記録には残る。彼女は偉業を成し遂げたのだ。
(「ヒーローがその技を使う度に、あの子が居たことが、頑張ったことが、証明される」)
そう、彼女の死は、素晴らしいことなのだ。
だから、何となく胸が痛む気がするのは、感情抑制機能が誤作動を起こしているだけのことなのだ。
ああ、彼女のことを、褒めてあげなくては。
―――戦闘員としてのお役目を、立派に勤め上げましたね、と……。
「正直、あの子が前線に立つことは無理だろうと思っていました。
それが、例え貴方の代わりであったとしても、出撃して、新技を引き出してみせたのです。
戦闘員として、立派な|最期《人生》でしょう。
あの子にこんな名誉を与えてくださり、有り難うございました」
もう一度だけ頭を下げると、Dの父親は「出撃の時間なので」と言って去って行った。
『大丈夫ですよ、先輩。ちゃんと返しますから!』
約束の時計。それが今、七三子の手の中にある。
カチコチと微かに音を立て、それは正確に時を刻んでいる。
放り投げられたという割に、傷もついていない。
付着した土埃も、指先で拭えば直ぐに消えてしまう程度の汚れでしかない。
最期の一瞬、彼女がどれほどの痛みを、|疵《ダメージ》を受けたのか。
この頑丈な時計では、その「いたみ」を思い量ることすら、できやしない。
「そういう意味じゃ、なかったんですけどね……」
誰に聞かせるでもなく、七三子はそう呟いたのであった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功