シナリオ

音鳴る黒紫水

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 ところ違えど人々の関心の矛先が変わることはない。
 真偽不明の噂は数多と満ちる。そのうちの一つを拾い上げた目・魄(❄️・h00181)が屍累・廻(全てを見通す眼・h06317)に声を掛けてから、幾らかの時が経っていた。周到に準備を整えていたせいか、想定した時刻からやや遅れた足取りを早めれば、魄の目に常と変わらぬ佇まいの青年の姿が映る。
 廻の方も足音を聞いて|緩慢《ゆっくり》と顔を上げた。浅い会釈に幾分申し訳なさそうに手を振って、雪鬼は彼の眼前に立つ。
「待たせたかい?」
「いえ、私もさっき来たばかりですよ。ですが、魄さんが時間通りとは、珍しいですね。いつも少し早くいらっしゃるのに」
「準備に手間取ってね。一応、封印用の器も用意しておいたよ」
 ――裏を返せば、それだけ周到にならねばならぬ相手であると踏んでいる。とはいえ常とさして変わらぬ笑みを交わす二人に緊張はなかった。
「封印となれば、新たな曰く憑きが増えますね」
 斯様な噂の真実を探るのに、好奇心は疼けど怯みはしない。
 揃った二人の足取りは、どちらともなくアスファルトを踏んだ。ここから目的地まではほど近い。廻の緩慢な足取りでも、そう時間は掛からないだろう。
 情報筋に曰く、此度の物品は既に人の手に渡っているという。
 黒紫水の笛と呼ばれる笛を吹けば、たちどころに黒紫の美しい花が溢れ出す。それだけであれば不思議な道具でありこそすれ曰く付きとは呼ばれまいが、奇妙なことに、同じ花は笛に息を吹き込んだ当人の口からも零れ落ちるのだ。
 花を吐く奇病を呼ぶ笛なぞとは恐ろしい限りだが、何故だか人々はその黒く美しい身に吸い寄せられるように手を伸ばす。幾つもの主の手に渡り、全てを花に溺れさせて葬りながら、なおも争うように人の手中に収まる。その現在の主が未だ存命であることを聞きつけて、魄が伝手を使ってアポイントメントを取り付けたのが、数日前のことだ。
 笛の話を聞きたいという者がいる――と聞いて、持ち主であるという男は喜んで首を縦に振ったという。
 自らの|宝物《・・》を他者に見せびらかしたい欲求は抑えきれるものではないのだろうか。或いは別の思惑があるのかも分からぬが、廻と魄にとっては好都合に変わりはない。
 辿り着いた広大な敷地に一歩を踏み入れる前から、二人の顔には神妙な表情が宿った。
「事前に視ているとはいえ、笛の力が強まっているからか空気が違うようで……」
「これはまた、隠す気も無さそうだね。垂れ流しているんだろう」
 廻の目は全てを視通す。いかなる遠隔地であろうともひとたび覗けば精確に情報を掴むが、なにぶん以前の下視からは時間も経っている。|緩慢《ゆっくり》と顎をなぞる彼の横で、魄もまた目を瞬かせた。
 横合いの彼ほどに正確に把握することが出来るわけではないが、魄もまた妖に連なる者だ。この世ならざる気配や空気に、|普通の人間《・・・・・》ほど鈍感なようには出来ていない。
 とはいえ。
 些かならず気掛かりが増えたところで、此度の目的が変わることもなかった。顔を見合わせて歩き出した石畳の上、聳え立つ屋敷全体を覆う濃密な呪の香りを目指して、二人分の足取りがチャイムを鳴らす。

 ◆

「御主人、突然申し訳ない。音の良い笛があると聞いたら聞かずにいられなくて」
「構いませんよ。これは本当に良い音ですから、噂を聞きつけてしまっては、興味をそそられても仕方がありません」
 かくいう私も最初は噂に乗せられたようなものでしてね――と、顔色の悪い男は照れ臭そうに笑った。
 巨大な山を所有する一族の、傍系ながら当主にあたる身の上であるという。資金力に飽かせて建造されたらしい巨大な邸宅の縁側で、男はしかと黒く艶のある笛を膝の上に置いていた。
 そのさまは廻が下視したものとよく重なる。しかしあのときに視たより指は痩せ、隠すようにストールを巻いた喉元から覗く紫がかった黒の痣は濃く、輪郭を鮮明にしている。
 ――どうやら浸食は随分と進んでいるようだ。
 当の男の方も、己の身が訳の分からぬ病の如く急速に弱っていくことは自覚しているらしい。二人を出迎えた給仕は仔細についてははぐらかした――というよりも聞かされていないのか――が、己の主人が客間へ姿を見せることが叶わぬほどに衰弱していることは告げた。
 ここは療養のために身を寄せている邸宅であって、本宅というわけではないらしい。何が起きて斯様に弱り果てているのかを知られぬためか、家人は連れて来ていないようで、幾人かの給仕らが忙しなく動き回るほかに人の気配はなかった。
「どういう経緯があったのだかは分からないのですが、この笛にはどうにも不思議な魅力がありましてね。私もどうにか見つけたときには喜んだものです。今となっては、もう、体の一部というほど馴染んでおりますから――お恥ずかしい話、薬を飲むより笛を吹く方が元気になるような気もするありさまです」
 言ってうっそりと微笑む主の表情は、落ちくぼんだ目と掛かる影のせいか、廻の視たときよりも狂気じみて見えた。
 彼に悟られぬよう二人は目配せをする。笛の纏う妖気の如きものの気配は既に飽和している。今にも裡側から溢れ出しそうなそれを前に、廻の指先はパンドラの匣にそれとなく触れ、魄もまた人知れず己の能力を行使する準備を整えた。
 手元を|凝《じっ》と見詰める男こそがトリガーだ。準備があらかた整ったことを確認して、穏やかな声で最後の一押しをするのは、廻の方だった。
「噂のある笛となれば、どうしても音色を聴いてみたいものでして。是非、お聞かせ願えませんか?」
「ああ! 勿論です! 実はさっきから吹きたくて吹きたくて仕方なかったんですよ。是非、聞いてください!」
 途端に男の声が張りを増す。奇病に冒され病床に伏した者とは思えぬ活力だった。
 その先の光景は、既に廻が視ている。
 待ちかねたように優しく、艶やかな笛の身を撫でる。まるで恋人に口付けるが如き手つきで持ち上げ、その歌口を唇に寄せた。まるで何か美しく愛おしい香りをいっぱいに嗅ぐように鼻を動かしてから――。
 男はそっと息を吹き込む。
 鳴り響く笛の音は、水の底の如く曖昧にぼやけた。厚い膜に覆われるに似た音は決して甘美であるとは言い難いが、男の眼差しは法悦に焦点を失っていた。
 本来であれば、それで演奏が終わるはずであった。
 しかし二人には理解出来ている。男の息が吹き込まれるたび、笛の中に蟠っていた悍ましい気配が外に溢れ出す。背筋を逆撫でするような感覚が否応なく緊張を高める。取り出した武器に気付く気配もない男は、尚も苦しげな呼吸を携えて、演奏を続けた。
 本来であれば、そう長く続くはずはない。下視の光景によれば、主は笛から口を離して咳き込む。喉の奥から出て来るわけのない、しとどに濡れた花を吐き出して、痩せこけた顔に充足の笑みを浮かべる――。
 しかし演奏は止まない。その間にも、魄と廻の前に立ちはだかる気配はより黒ぐろととぐろを巻く。笛の中にあった全てが零れ落ちる。人間の最も醜い胸中、最も悍ましきものを詰め込み、圧縮したかの如き威圧感がひとところに集まる。
 縁側を照らす暢気な陽光を、漆黒の影が遮っていた。
 重く垂れこめるそれが音もなく|立ち上がる《・・・・・》。声ともならぬ声は、赤子が待ち侘びた誕生を迎えるときの泣き声によく似ていた。
 水の滴る音が響いている。笛の中に眠る|核《・》へ纏わり付いた悍ましき欲望は満願を迎えた。曖昧に霞む漆黒の輪郭は胎児の形を茫漠とかたどり、笑うにも泣くにも似た声で、この世への誕生を喜んでいた。
「これは、でかい得物が釣れてしまった」
 魄の声は言葉ほどの重みを孕みはしない。現れた影が煙か濡れ髪の如く揺らめくのを、寧ろ楽しげにすら見上げている。
 これほどの大きな|獲物《・・》である。確実に対処に苦慮するであろう。屋敷や周辺への被害も免れ得まい。しかし一筋縄ではいかぬ相手にほど、心の奥底に宿す昏い炎が燃えるというものだ。
 しかし我を忘れて飛び掛かるほどに分別のない男ではなかった。いつの間にか止んでいた笛の音の主をちらと見遣る。
「御主人は……嗚呼、仕方ないか」
 ――一目で助かりはせぬと分かった。
 既に立ち上がりパンドラの匣を翳す廻も、また哀れな男の方を見詰めている。
「安全な場所に移す間もなさそうですね。逃がしても、これでは――」
 彼が倒れ伏しているのは、驚きのあまり気を失ったからなどではない。
 虚ろな目は薄らと開くばかりで光を宿さない。開かれた口からは巨大な一輪の黒紫花が咲き誇っていた。僅かに上下する胸が彼の存命を伝えるが、その眠りが死と限りなく近しい場所にあることは、誰の目にも明らかだ。
 僅かに目を細めた廻の眼差しは、しかしすぐに眼前の敵へ向けられた。生まれたばかりのそれは未だ大きな行動を起こす気配はないが、放っておくわけにもいかない以上、準備は整えておく必要がある。
「前を頼んでも良いですか?」
「勿論。視るのは任せるよ」
 端的に交わす言葉と共に魄が前に出る。廻が翳した禁忌の匣より怪異が溢れ出るのと同時、ひときわ大きく吠えた怪物の腕めいた部位が己を捕らえようとするより先に、鬼斧を握った魄の足が強く地を蹴った。

 ◆

 曰く人が笛を見付けるわけではない。
 宿った|核《・》は己に相応しい者を選んでいる。まどろみの中にありながら、己が取り込むに相応しきだけの欲望を秘めたる者を待ち望んでいるのである。
 所有者の遺す花がすぐにも枯れることはない。黒紫に咲き誇る美しき花に惹かれるのは、尽きせぬ欲のために命すらも喪って構わぬと思うような人間だけだ。
 或いは永遠にこの世に留まる美貌。或いは枯れることも老いることもない美声。或いは鮮烈なまま縫い留められるみずみずしくも溌溂とした満開の花の如き感性――花に惹かれ、指先に絡め取る者は、皆最も美しい瞬間を永遠にすることを渇望している。
 さながら悪魔の契約だ。対価として求められるものが何であれ、彼らは皆それに固執する。故にこそ笛の主に見初められ、その欲望を以て報いることを定められるのだ。
 花を持ち帰り活けた日から、夢を見るようになる。
 暗渠の中から幽かに響く笛の音を探し求める夢だ。やがて目の前に現れる黒く美しい花を見て、人はそれを、自分のものだ――と思う。
 遠からず、主と見初められた者は笛と巡り合うだろう。必ずやその歌口に息を吹き込む。己の心の底に眠る荒唐無稽な欲と共に。笛の中でまどろむ核は、人と笛の揺り籠によって少しずつ育ち――。
 やがて肺の奥深くに根を張った|それ《・・》は、人々の欲望をいっぱいに吸い込んで、溺水の息苦しさを糧に真実の姿を晒すのだ。

 ◆

 戦況は膠着しているといって良かった。
 どこからともなく湧き出して来る水は魄の力が凍らせる。足を絡め取ろうとする影を斧で潰し、必然出来た隙を埋めるように廻の放った怪異が彼の盾になる。生まれたばかりの巨大な影の動きそのものは鈍いから、攻撃に対処することそのものは不可能とはいえないが――。
「読欲が付きにくい、なっ!」
 縁側を破壊する影を踏み台にして跳躍する。現れたる氷柱が無数に影を貫くが、煙の如く霧散したそれはたちどころに一つに集まり、傷を負ったようには見えない胎児へ戻るのだ。
 放たれる影も水も、二人だけで対処するには物量が多すぎるところに、加えてこれである。あまり長引かせるべきではないが、決定打を掴むことも出来てはいない。
 恐らく核のようなものがあるはずだ。しかし狙うにしても的が巨大すぎる。揺らぎ、姿を変える影とも煙ともつかない身を前に、精確に狙うことは魄一人では不可能だ。
「屍累さん、何か視えたかい?」
「お陰で少しは――ですが流石に、動きを視るにしても水と影が厄介ですね……魄さん、合わせて頂けますか」
「勿論」
 廻の方も難しげに眉根を寄せた。些かならず厄介な相手だ。義足によって動きが緩慢になっている彼でも、攻撃そのものは魄と怪異たちが対処してくれるお陰で傷は負っていない。しかし視るための目に加え、常時力を行使し続けることは大きな負担をかける。
 このまま時間を掛ければ目の前の影が己の力の振るい方を思い出す以上、そうも言っていられないのも、また事実ではあるのだが。
 廻の様子を見遣った魄が一つ息を吐いた。懐から取り出された清澄なる神玉を翳す。その意図を、青年もまた理解した。
「埒が明かないな。封じる方は得意じゃないんだけど、用意して来ておいて良かった」
「分かりました。間違いなくチャンスは少ないでしょうから……確実に狙いましょう」
「そうだね。屍累さん、良い頃合いに合図をくれるかい?」
 浅く頷く廻が怪異らに指示を出す。専守防衛の命に速やかに従うそれらを横目に、青年は声を紡いだ。
「かのモノの操る水と影は消え、蓄えた欲はゼロとなる……それが、今一時いっときの再定義として書き換えましょう。魄さん」
 ほんの僅かの時間、世の理は廻の声に従う。隙を逃さず翳した魄の要請を聞き遂げて、鎮守神は速やかに事を成す。
「うちの屋敷神の力を借りるとしよう」
 ――弾けるように弱まった闇を、神力が打ち払う。
 ひときわ大きな風が屋敷を駆け抜けた。俄かに給仕たちが騒がしくなるのを聞きながら、二人は暫し息を詰めて神玉を覗いた。
 澄み渡った表面には傷一つない。傍らに転がった笛からも力の残滓ほども感じられない。満ちていた瘴気も凛然とした神の気配に打ち払われていることを確認して、ようやく二人の唇から溜息が漏れた。
「ここが村でしたら、被害は相当でしたね……」
「全く。ここが山の屋敷でよかったと、心底思うよ……」
 酷使しすぎた目を片手で覆い、廻が首を横に振る。長く負荷をかけていたせいか頭痛すらして来るようだ。全身の倦怠感に己が疲労を感じ取り、ますます重苦しい息が漏れる。
 魄の方も惨状に目を眇めた。縁側は殆ど完膚なきまでに破壊され、主も転がり落ちて土まみれになっているありさまだ。屋敷の内部にまで濁水が入り込んでいて、あれでは畳敷きの掃除が大変だろう――なぞと他人事じみて思う。
 やがて二人は立ち上がった。どうあれ言い訳のしようもない。すぐにもこの場を去るのが穏当であろう。
 神玉と、封印によって歌口の割れた笛を持ち上げる。もう二度と吹くことの出来ない笛の中で――。
 欲を喰らう怪物は、永久にまどろみ続けることになるだろう。
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