忌諱に触れる
皆が手を取り合って大いなる脅威に立ち向かうため、人々は固く団結する。では人でないものはどうか。
ヴィントーブカ・ウコロチェナヤ(臨時前線|少女人形《レプリノイド》指揮官・h06520)が見知ったベルセルクマシンの姿を目に留めたのは、ちょうど装備を調達するために露店へ立ち寄ったときであった。何の気なしに目で追った視線の先で、店主があからさまに眉を顰めている。
言い争いに発展する気配はないが、漂う空気は明白に不穏なものだった。店先に立っているのがベルセルクマシンであることも相まってか、周囲を歩く人々も怪訝な表情でそれとなく避けているとあれば、見逃すことは出来まい。
「何かあったのか」
「ウコロチェナヤさん。いいえ、問題と定義するほどのことは――」
横合いに立った青い髪を見遣るフォー・フルード(理由なき友好者・h01293)の声は冷静そのものであった。
事実、彼にしてみれば大した問題ではない。ベルセルクマシンの見目は、これまで人類を蹂躙して来た心なき機械たちと同様だ。裡にあるものも人が真実|心《・》として認めるものとは言い難い。友好AIによって得た演算能力は人間に逆らう式を打ち出さないが、さりとて見目に纏わる恐怖や忌避の視線は常に彼らに付き纏う。
それゆえ取引の場では足許を見られるのが常だった。フォーもそれ自体を厭うているわけではない。正規品が手に入るのであれば、ぼったくり程度で事を荒立てる方がリソースの無駄であると判じている。
しかし――現れた、一見すれば人間に見える少女の姿を目にして、店主は途端に眉間の皺を和らげた。
「お嬢さんの知り合いかい?」
「ああ、同じ駐屯地に所属している」
学徒動員兵だと思ったのだろうか。フォーに向けていたそれとは一転し、同情的で柔らかな声音でヴィントーブカを見詰めている男は、彼女が機械の手に収まった手書きの領収書を見遣るのを咎めはしなかった。
少女人形の眼差しは、覗いた先にある金額と、彼が手にしている弾倉の数を比べる。恐らく三倍は購入出来て然るべきだと判じ、視線はフォーを見上げた。
「かなりの高額だな」
「致し方のないことです。粗悪品や不良品でなければ、使用に問題はありません」
「しかし――」
紅色は店主に向けられる。
気まずそうに身を縮めているあたり、己のやっていることが足許を見た後ろ暗い行為であることは理解しているらしい。まさか知り合いが現れて咎められるとは思っても見なかったのだろう。
ヴィントーブカも、その気持ちは理解している。今でこそ相応に信頼を置いているが、今まで人間を蹂躙し続けた機械群の裡の、自らも敵として破壊して来た存在をすぐに信用しろという方が難しい。
殊に商人らは前線に立っているわけでもないのだ。ベルセルクマシンの貢献を直接的に目にしたわけでなければ、差別的な対応をしてしまうこともあろう。
とはいえ――。
「これでは公平とはいえない。取引は厳正に行われるべきではないか?」
「ああ……」
ヴィントーブカが不正に目を瞑ることは出来ない。同じ駐屯地に滞在する者であれば、猶のことだ。
店主はますます縮こまる。しかしフォーの手にある領収書に掌を向けることはなかった。代わりに悪足掻きのように、すっかり人間の少女だと思い込んでいるらしい相手の方へ懇願めいた声を上げる。
「だけど、お嬢さん、こいつが本当に俺たちの味方かは分からないだろ?」
――フォーに向けて問われていたとすれば、彼は迷いなく首肯しただろう。
金さえ払えば実戦で使えるものが手に入るのは、ベルセルクマシンに対して良心的な方の店だ。法外な値段を吹っ掛けられたり、直截に財布そのものを渡さなければ一発たりとも売れないと突っぱねる者もある。何より使えないものを渡される可能性すらあるのだ。
不良品、或いは廉価な粗悪品――フォーが不服を述べるとすれば、実戦に堪え得ない代物を売りつけられそうになったときだけである。規則すら守らぬ店のある中で、人の決めた規則の中で行われる取引の、最低限の体裁を保っているのならば否やはない。
しかしヴィントーブカにしてみれば、武器の調達は管轄内の見廻りや哨戒の意味合いも大きいのだ。咎めるべきを咎めねば、こうして出歩いている意義がない。秩序を保つこともまた人間を守ることに繋がるのだ。
「仲間である証拠が必要ならば、私が証明となる。足りないか?」
「ううん――」
食い下がるヴィントーブカの言葉に、元より弱々しかった店主の足掻きは|なり《・・》を潜めた。致し方ないとばかりに差し出された指先が、フォーの手にある領収書を指す。
「分かったよ。正規のレートで売る」
「宜しいのですか?」
「そこまで言われちまったら仕方ねえよ、そりゃ」
声音は鋭くも、どこか安堵したような丸みを帯びていた。結局のところは不安感が必要以上の棘を生んでいるにすぎぬのである。
横合いからもう一つの影が現れたのは、機械の手が金額を書き換えてもらわんとしていたときだった。
ヴィントーブカと寸分たがわぬ姿をした少女人形――彼女の部下にあたる存在である。同型機の方を驚きもせず一瞥した隊長と、店主とフォーとを視界に入れて、SHP-2t隊員はきりきりと頭を垂れた。
「隊長。ご報告に上がりました――お取込み中でしたか。失礼いたしました」
「ご苦労。至急か?」
「いえ、定期連絡です。交戦が発生したものの被害は軽微である旨、他は特に問題はないと」
「了解した。仔細は後で聞く」
ヴィントーブカの声を聞いて速やかに身を翻した隊員の姿はすぐにも遠ざかる。見送る二人の耳を打つのは、ひどく震えた男の声だった。
「――あんた、人間じゃないのか?」
振り返った先の店主は、声と同じだけ動揺していた。
フォーに対する忌避や嫌悪の混じったものというよりは、もっと純粋な恐怖が塗り込められている。唇を戦慄かせる彼の表情に、徐々に増していく怒りとも苦しみともつかない色を前に、まず声を上げたのはベルセルクマシンの方だった。
「彼女は少女人形です。自分とは異なり、人間を守るために作られています」
「だからって、兵器に変わりはないだろ! それにあんたがマトモだって証明にもなりやしない!」
「そんなことはない。必要ならば彼の行動ログを提示しよう」
言い募るヴィントーブカの言葉も届きはしない。視線を外して二人と己を遮るように大きく手を動かした店主は、叩きつけるように叫んだ。
「やめだ、やめ、やめ。金が払えないならよそに行ってくれ!」
金を払ったのち、半ば追い出されるに近い形で、品物と皺の刻まれた領収書を握った二人は露店に背を向けた。
周囲には不穏な気配が満ちている。さりとて二人を直截に詰る胆力のある者も、彼らに優しく声を掛ける勇気のある者もいない。ささめきのように広がっていく声と、どこか気まずい緊張だけが満ちる中を、二人は目配せをして歩いた。
「――申し訳ありません。自分のトラブルに巻き込んでしまいました」
「いや。私が首を突っ込んだんだ。こちらこそ、余計な諍いを生んでしまって、申し訳なかった」
緩く首を振るのもお互い様であろうか。
フォーからしてみれば、ヴィントーブカら少女人形と己との間には大きな差異がある。兵士になるべくして生まれ、そのために最適化され、武器の特性すらも受け継ぐ――正しく兵器の如き、人が人の生存のために作り上げた存在だ。バックアップを同型機へ継承することが可能であることも含め、戦闘にあってはあらゆる人類の中で最も頼りになるだろう。
しかし――彼女らは人間だ。
或いは定義の問題か。人の手によって生み出された、代替可能な消耗品を|道具《・・》と呼ぶならば、少女人形は間違いなく道具である。だが彼女らには生身の肉体が存在する。構成物質は人間と何ら変わらない存在を、まるで道具の如く扱う――人が人の世界を守るために内包した矛盾の中核にある。
人間は守られねばならない。しかし、そのために人間を消耗品として生み出し、前線に送り続ける。人ではない己と比べ、何と人の倫理を揺らすものか。
あの店主の反応こそが証左である。兵器と呼ばうものを前にしただけでは、あれほど怯えはすまい。ヴィントーブカ自身は、店主が純粋な人間だと思い込んでいたときと何ら変わりない存在であるというのに、ラベルが|少女人形《・・・・》へと変じただけであのありさまだ。
まるで――人類種が、自らその定義を破壊しているかの如き、危うい存在である。
「自分は兎も角、ウコロチェナヤさんまであのような扱いを受けることになるとは」
「この情勢では仕方のないことだ。自律する兵器は誰しも恐ろしいものだろう」
ヴィントーブカは受け入れている。
といっても、それもまたフォーのいう受容とは些か形が異なった。鹵獲され、内部に搭載されたAIによって人類への友好をはかる存在とは違い、少女人形は最初から人類を守るためだけに生まれたものだ。
減り行く人的リソースを補うために倫理を捨てて生まれた。裏を返せば、この戦いがなければ生まれるはずもなかった道具である。創造主である人間のために身を捧げ、己の役割を果たす――いかに自律して肉を持つ、客観的には人間と呼ばれる生き物と何ら変わりないものであろうとも、少女人形そのものの在り方は限りなく兵器に近しい。
人類を守る。その意志に従う。与えられた存在理由に否やを抱いたことは一度もなかった。ヴィントーブカが生まれた時点で定められた運命とでもいうべき使命に、背こうと思ったことは一度もない。
だが――。
口では諦めて受け入れたようなことを零しながら、内心にはひどく噛み砕き難い思いが蟠るのも、また事実だった。
理解することと情動を制御出来ることとは別だ。護るべきと定められた人間たちが、己に向けて怯えた目を向けて吐き捨てるように遠ざけるとき、彼女の裡には抱え難い思いが渦巻く。少しずつ蓄積していく澱の如きそれは、こうして事実に直面するたびに重く身に絡みつく。
――人類と、いつか真の意味で理解し合える日が来るのだろうか。
荒唐無稽な思いが頭を過ぎるたびに打ち消して来た。斯様に手を取り合える日が来るにせよ、或いは結実せぬ淡い期待によって処分の憂き目を見るにせよ――ヴィントーブカたちが為すべきことが変わることなどありはしないのだ。
吐息一つで打ち払い、彼女の赤い眼差しはフォーを見遣る。
「君も難儀だな」
「いいえ、受け入れております」
男の声に嘘偽りはない。寧ろ扱いとしては妥当であろう。これほどまでに苦しい暮らしと、終わりのない戦争に明け暮れることになっているのも、全ては機械群が元凶であるのだ。
彼自身に記憶はない。しかし少なくとも、己の体がこの世界の敵と同じ姿をしていることくらいは把握している。友好AIなる薄氷によって人類のために戦わされているだけに見える敵を、大手を振って迎え入れる方が到底理不尽だ。
金銭に困っているわけでもない。この√において、仕事とは周囲を見渡せば幾らでも転がっているものだ。物資の輸送、護衛、探索、偵察――人の身には些かならず危険を伴うことであっても、ベルセルクマシンであれば容易に熟せることが多い。
機械群に属していた体は食事も燃料も要しないから、彼自身が消費するリソースは限りなく小さいのだ。それでも正当な報酬は受け取らねば、それこそ金銭を必要とする同業者のやっかみを買って要らぬ軋轢を生む。
であるから、契約不履行が為されない限りは、いかに不平等な契約であれど呑むことにしている。己のためではない。人類が作った規則に人類が従わぬことを許容しえず――その他のことに、何らの忌避も嫌悪もないだけだ。
|緩慢《ゆっくり》と首を横に振って意思表示をするベルセルクマシンを、ヴィントーブカは|凝《じっ》と見上げていた。
人間のことをとやかくは言えないのだ。その姿を――やはり、芯から味方であるとして受け入れることは、未だ難しい。
信用はしている。信頼も、相応に寄せている。彼らはこれまでの戦場で十全すぎる戦果を挙げて来た。店主に堂々と示すことの出来るログには一切改竄を加えていない。だが。
――いざ共に戦場に駆り出されたとき、本当にフォーを仲間と数えて戦術に組み込むことが出来るのか、ヴィントーブカには自信がない。
彼からすればより|同胞《・・》に近しいのは機械群の方ではないのか。その銃口がこちらを狙わない保証がどこにあるのか。彼自身の安全性を、或いは味方であるという証拠を、彼女が示すと言ったが――。
本当に彼を心底|味方である《・・・・・》と証明して欲しいのは、彼女の心の奥底にある懸念も同じだ。
それでも、天秤は信頼に傾いているといえよう。銃後の者ととらえるほどに手放しでは任せられぬが、前線に飛び込み死線を掻い潜り、生死を共にする同志としては、完全とはいえぬまでも背を晒すに問題のある相手だとは思わない。
或いは、信頼とは戦場に出るうえでの最も基本的な前提であって、|ない《・・》ことこそが|あり得ない《・・・・・》――と、言い換えるべきなのかもしれないが。
互いの裡に秘めた思考はおくびにも出さず、爪弾き者たちの足取りは市場を去っていった。重苦しい緊張と、じっとりと湿った刺すような視線は遠ざかり、後には常と変わらぬいっときの平穏な静寂が残るばかりである。
一つ息を零したヴィントーブカがフォーへ水を向ける。この後の行動について、話し合う必要まではなかったが――。
同じ駐屯地に所属している者同士だ。ここで何も言わずに散開するほど、他人行儀な相手でもあるまい。
「私は報告を聞きに駐屯地に戻るが、君は?」
「それでは、ご一緒いたします。目的は達成しましたので」
浅く頷いたフォーと並び立ち、ヴィントーブカは駐屯地へ続く道を歩き出した。
見据えるのはどちらも同じ場所である。言葉を交わし、同じ道を歩いても――残る足跡の大きさも歩幅も、決して揃いはしなくとも。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功