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|薄氷《うすらい》チョコレイト

#√EDEN #ノベル #バレンタイン2026

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 アトリウムの外壁と天井は、およそ三十メートルにも及ぶらしい。
 躑躅森・花寿姫が連れ出してくれたのは√EDENでもとくに繁華な街の中心部。イングリッシュガーデン風にデザインされた吹き抜けの開放的なフロアが人気のホテルである。
(すいーつびゅっふぇとやら、果たして如何なるものか)
 八百万の神々とひととが共存する古めかしい世に生まれ落ち、何の因果か界を渡って今在る鬼臨坂・弦正には皆目見当もつかない催しは、言葉だけでは実態を掴みかねていた。
「あっちみたいですよ」
 ツイードのワンピースにジャケットを羽織り、普段より幾分と落ち着いた服装の花寿姫が、その名を戴くに相応しいあわい花色の髪をふわりと靡かせてこちらを振り返る。呼ばわれた弦正はひとつ頷くと、着慣れぬ洋装が見苦しく崩れたりしていないだろうかと、襟元をすこし気にしながら彼女を追いかけた。
 真白のテーブルにはバレンタインに合わせてチョコレートを用いたスイーツの数々が煌めいていた。ガナッシュを挟んだガトーバスクショコラ、キルシュが香るフォレ・ノワール、ナッツ入りのブラウニー、ベイクドチーズショコラなど数え切れない誘惑に満ちている。
「あれなる甘味、全て食べ放題か?」
 甘いスイーツだけでなく軽食も揃ったメニューに目を輝かせている花寿姫に問うと、きらきらした瞳の頷きが帰ってくる。
「はい、制限時間内でしたらこちらにあるものぜーんぶ食べ放題です! 好きなものを好きなだけ食べられる夢の様な所なのです!」
 とにもかくにも様々なものを少しずつ自由に食べたいときにはぴったりなのだと、さっそくトレイと皿を手にする彼女の言葉に目を瞠る。
「なんと思い切った商売」
「洋菓子メインですが、あちらに和菓子もございます」
 美味しそうなお菓子を前にるんるん気分の花寿姫が示すほうを見やれば、どうやら馴染みある和菓子もある様子。だが、せっかく花寿姫が連れてきてくれたのだから。
(……この機会だ。本日は洋菓子を試す日と致す)
 勇んだ弦正は近くのテーブルに寄り、スイーツに一つずつ添えられた札に視線を落とした。
『ホワイトショコラティラミス アールグレイ茶葉入り』
『プラリネピスタチオのミルフィーユ』
『オレンジ風味カスタード・フロマージュのプチパフェ』
 慣れぬ横文字のオンパレードに弦正は唇を引き結んだのち「……、……難しい」ぽつり零した。すでに抹茶ティラミス、ストロベリー&チョコタルト、カヌレなど気になるものはどんどん盛っていた花寿姫はちいさく笑うと、疎い弦正にも味が想像しやすいように説明を施してゆく。
「聞いても難しいが、喰えば解るか」
「そうですね、食べれば分かります! 胃袋許す限りチャレンジあるのみです!」
 甘い香りに誘われるがごとくテーブルを巡っていると、一際の異彩を放つものが弦正の視界に飛び込んできた。それはとろとろとなめらかで、光をつやりと照りかえす様は上質な絹のよう。
「ちょこれーとの……滝……?」
 とろけたチョコレートは流れ落ちるばかりでなく、どうやら中央から湧き出ているようであった。首を傾げた弦正は奇妙な置き物を指差して、クロッカンシューをよそっていた花寿姫へ再度問うた。
「花寿殿、あれは何だ。置物に人が集まっておるのか」
「あ、チョコレートファウンテンですね!」
 どれどれと首を伸ばした花寿姫はすぐにパッと表情を明るくさせて「行ってみましょう」歩き出す。大人しく着いて行く道すがら「ファウンテン」は英語で泉や噴水を意味することを説明すると、弦正は得心がいったようだった。
「つまりチョコの噴水です。置物ではなく立派なメニューの一つです」
「……成程、斬新な絡繰だな」
 あらかじめ串の刺さった食材たちを指差し、
「こういうものこそ実践あるのみです」
 瑞々しいいちごを手に取った花寿姫はチョコレートファウンテンにゆっくりくぐらせる。目にも鮮やかな赤色にまとうミルクチョコレートがぽつりとひとしずく、チョコレートに帰っていった。
「お皿にのせる時、垂れたチョコに気を付けてくださいね。弦正さんもやってみて下さい、楽しいですよ!」
 雫が止んだのを見て皿に引き寄せる仕草に「なるほど」「心得た」と弦正は串に刺さったクロワッサンをチョコレートの滝にくぐらせてみた。存外にとろりとした質感をしており、やはり加減が分からず滴る程のチョコレートに全体が包まれてしまう。
「これで良いのか?」
「はい、そんな感じで大丈夫です!」
「……良いのか、然様か」
「然様でございまーす!」
 慣れない手つきで自分の見様見真似をする弦正の姿が微笑ましくて、それがなんだか嬉しくて花寿姫はやさしいきもちになる。
「……童の様に皿を汚してしまうのは考えものだな……」
 真白の皿には小鳥が歩いた足跡みたいにチョコレートの雫模様がぽつぽつと並んでいる。それなのに、花寿姫にはその足跡がひとつもない。
「花寿姫殿は慣れたものだな」
 完成されたプレートのように美しく盛り付けられた皿に視線を落とした言葉に、花寿姫はむふーとすこし胸を張ってドヤ顔を披露。
「こういうのたーくさんやっておりますからね! やって楽しい、食べて美味しいなんて最高ですもの!」
「俺ももう少しやる、どれがいい」
「はい、是非! マシュマロもおススメです」
「果物も揃っているが……柑橘にちょことは、合うのか?」
 手を止めた弦正が、皮を剥いて身だけのものから薄くスライスされたオレンジやみかんが当然のように並べられているのを見て、不思議そうに首を傾いだ。
「爽やかで甘酸っぱい柑橘の風味と、甘く濃厚なチョコって相性も良いんですよ。オランジェットという柑橘の皮の砂糖漬けをチョコで包んだお菓子もあるくらいです」
「ふむ……ましゅまろの様な小さなものは、たっぷりと掛けた方が良いだろうか」
「もうたーっぷりつけちゃってくださいな!」
 ふにふにころころやわらかなマシュマロは何と言ってもチョコレートと相性ばっちり。そうと聞き、まずはひとつだけくぐらせて、今度は足跡もちょっぴり減らしてクロワッサンの隣へ。
 バターたっぷりのクッキーやバウムクーヘンに塩プレッツェル、お腹と相談しながら一口サイズのお菓子をチョコレートにくぐらせていけば、ふたりのお皿はもういっぱい。
 アトリウムから透き通ったあたたかな陽射しが射しこむ陽だまりの一角、二人掛けのテーブル席を選んだふたりは向かい合ってそれぞれがディップしたものに舌鼓を打つことに。
「なるほど……確かに合うな」
「でしょう? キウイやぶどうにも合うんですよ」
「ほう……? もしやちょこれーとと合わぬものを探す方が難しいのか?」
 |珍《めずら》かなる組み合わせと思いきや、なかなかどうして口に合う。コーティングされたチョコレートは噛めばパリパリと食感が楽しく、その奥からじゅわりと溢れる果汁と酸味が口内を巡ってゆくのは新しい発見であった。
「注文したご飯をじっくり食べるのも良いですが、こういった形式も楽しいでしょう?」
 自分の胃の容量さえ見誤らなければ、あれもこれも自由に楽しめるのがビュッフェの良いところ。
「食べ慣れないものにも挑戦しやすいですし、新たな『好き』に出会うこともあるやもしれません」
 ようやくその実態を肌で感じて体験することができた弦正は花寿姫の言葉に深く頷いて、それから。
「飯屋と言えば、近場の定食屋に行くくらいだが」
 ふと、ちいさな子どもから老いた者まで、宝物を手に取るように楽し気な姿を瞳に映し、眩しい物を見るように目を細める。
「ああでもない、こうでもないと言い合いながら選んで取って来るのも面白いものだな」
 わくわくした面持ちを見ていれば、みながどのような思いでこの場に臨んでいるのかよくわかる。美しく整えられたガーデンも、まるでその者たちの心に寄り添うように、あるいは思い出に彩りを添えるように、スイーツたちを一層輝かせるための脇役に徹しているようで。
「貴重な体験をした」
 全ては花寿姫のおかげだと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて感謝の意を示す。その眼差しに眦をやわらげた花寿姫は「どういたしまして」ふわり花が咲くように破顔した。
「斯様な甘味には日本茶ではなく、苦い珈琲や、すっきりとした紅茶が合うのだろう。その辺りも少し解った様に思う」
 ティーカップに注がれたストレートの紅茶をひとくち含み、雑味のないまろやかな口当たりが口の中をさっぱりさせて、またひとくちとスイーツが食べたくなるふしぎに思わず感心してしまう。たっぷりと味わっても、きっとまたいつかこの場が恋しくなるのだろうことが窺えた。
 この世界のことをひとつずつ知っていくたびに、なにかひとつでもすきになれたらいい。そのお手伝いができるのはうれしくて、もっとすてきなものでこの世は溢れているのだと、そのきらきらしたものを花寿姫は教えてあげたい。
「所で、向こうに“ぱふぇ”が御座った。貴女の好物ではなかったか?」
 音を立てずカップを置いた弦正が、あちらのほう、と軽く指差すのを見て、まぁるい瞳がきらり輝く。
「え、パフェですか! 食べまーす!」
 チョコレートはもちろん、いちごに桃にマンゴーにメロン、きっと様々な種類のパフェがあるのだろう。ぺろりと皿の大半を全てに胃におさめてもまだまだ余裕のある花寿姫は「取ってきますね」そっと席を立つ。
 そうして一、二歩あるき出してから、
「ふふ、私の好きなもの覚えて下さっているんですね。嬉しいです!」
 振り返り、手を後ろに組んで笑いかける。
 弦正が何がしか言葉を口にするより頷くのを見て花寿姫は歩き出した。
「それでは、いってきます! すぐ戻りますね」
「ああ、いってらっしゃい。ゆっくりで構わぬよ」
 スイーツはどこへだって行きはしないのだから。そう告げるのは無粋かと、幽かに吐息した弦正はマシュマロを頬張った。
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