食得是福
「この階層まで来ると、あまり閉塞感は感じませんね」
積層都市東京V──……見上げども相変わらず美しい空は望めず、見えるのは積み上がった上層の足元だ。けれど不思議と日中らしく明るいのは、仙術の成せる御業なのだろうか。
今の時間は大人しく見える沢山の看板は、灯りの消えた飾りを見るに日没からは賑やかな様相で主張を始めるに違いない。
何処かで見たことがあるように見えて、初めて降り立った世界の光景。眼前に広がる飲食店の数々や人の往来、高らかに呼び込む店員の声に胸を躍らせエレノール・ムーンレイカー(蒼月の守護者・h05517)が大きく深呼吸をすると、漂ってくる美味しい香りを胸いっぱいに吸い込み、薄っすらと頬を染めた。
新しい世界があれば、当然新しい出会いがある。そう、それは食についても同様だ。
食文化を知ることで得られる情報だってゼロではない。故に先ずは今にも鳴き出しそうな腹を満たすべく、美味しいものを食べるのが大好きなエルフは早速、道中購入した|成り上がり《新入り》向けの地図が載ったガイドブックを片手に新たな世界で美味しい店を探し歩き出す。
多くの店は武闘派然とした風貌の人々が列を成している一方で、豪奢な外装の店は如何にも富裕層めいた装いの人々がスタッフに出迎えられ、ボディーガードを伴い並ばずに入店していく。
こういった高級店らしき店舗が雑多な繁華街に存在するのも、食の世界で勝ち上がった結果なのだろうか。
「……気になります」
この世界を歩き慣れた頃、自分自身の武を示すか星詠みが視た悲劇を阻止するような形でも立ち入るような機会があればいい。ごくりと喉を鳴らして後ろ髪を引かれながらその場を通り過ぎる。
どの店も外の看板を見るに気になるといえば気になるが、流石お昼時。並んで待つか屋台で食べるか、という時に随分と古びた飲食店を見つけた。
営業中か首を傾げそうになるそこは色褪せて薄くなった暖簾に“食得是福”と書かれていて、硝子の引き戸の向こうに何人か席について食事をしているらしい姿が見える。……昼間から酒を飲んで談笑とは、いい過ごし方だ。
「こういう地元の人に愛されているようなお店って、驚く程美味しかったりするんですよね。……よし」
思い切って戸を引き、暖簾をくぐる。
「ごめんください。一人なんですけど、お席は空いていますか?」
花柄のエプロンをしたふくよかなご年配の女性が、対面キッチンからエレノールへ顔を向けて「いらっしゃい、カウンターしかないけどいいかしら?空いてる席にどうぞ」と促してくれた。
お昼時に店員さんが彼女一人ということは、店主さんだろうか。10人も座れるかどうかの狭い店内で談笑していた先客達の視線が此方へ注がれる中、一番隅の席を選んで座ると暖かく湯気がたつお茶が置かれる。
「お嬢さん店のチョイスが渋いねぇ、美味いよぉここは」
「常連のノリで話しかけるんじゃないよ、びっくりするでしょ。はいメニュー。決まったら声かけて」
「ありがとうございます。常連さんのお気に入りメニューは是非食べておきたいんですが、皆さんのお勧めは何ですか?」
「だったら、スープは欠かせないねぇ。甘いの平気なら、蓮根と落花生と豚肉のスープが俺は好きだなぁ」
受け取ったメニューは年季の入ったファイルだけれど、紙は最近変えたのか新しい。そこに手描きイラスト付きで幾つかのメニューが並んでいて、常連客の言うスープも書かれている。
「素敵です。では、そのスープと……全部美味しそうで悩みますね……。うん、決めました。注文をいいですか?」
幾つかのメニューを注文すると、よく食べるねと目を丸くした店主が提供順を聞いたうえで早速準備を始め、常連客達はエレノールに興味を示しながら再び雑談に花を咲かせた。
●
「はい、お先に雲呑麺。それから点心」
「ありがとうございます、いただきます」
「後の料理はちょっと待ってね」
「はい。お手数おかけします」
透き通ったスープに細麺が沈み雲吞と香草が盛られた麺丼と、形は春巻きのようで色味等は餃子のような点心が乗った平皿が目の前に置かれた。
目を閉じ両手を合わせてから箸を持ち、味が上品そうな雲呑麺から食してみる。
醤油ベースの薄い色味のスープの中に細い縮れ麺と海老が詰まった雲呑が揺らめき、香草が色のアクセントを添えていた。控えめに啜る音を立てて麺を吸い込むと、琥珀色の瞳を輝かせて瞬きを数度繰り返す。柔らかい雲呑も一口、みるみる表情が綻んだ。
(丁度いい麺の硬さ……?弾力というのでしょうか。雲呑がとても柔らかいから、食感の違いがいいですね)
続いて点心を頬張ると、甘じょっぱいタレが絡んだモチモチのライスクレープが蕩けるような雲呑との違いを主張して……内容はそう大きく変わらないのに、食べ比べが楽しい。
夢中になってどちらも食べ終わった頃に、今度は蓮根と落花生と豚肉のスープが盛られたシンプルな陶器の汁椀と、カレー味に煮込まれた揚げボールを串に刺したものが乗った平皿が交代でやってきた。
「お待たせ。空いてるお皿下げちゃうわね」
「ありがとうございます。スパイスのいい香りが食欲をそそりますね」
「この辺歩いてたなら、露店も幾つかあったでしょう?店によってスパイスの調合も違うだろうから、気になったら色々食べてお気に入りを見つけるのも楽しいわよ」
「うちのお店が一番、とは言わないんですね?」
「ええ。この店の名前、先々代が|食得是福《セッダッシーフォッ》って名付けて始めたんだけど、香港の方で“食べることは、幸せにつながる福である”って言葉があるみたいでね、それをそのまま借りたみたい。だから他のお店の美味しさも勧めなきゃ、勿体ないわ」
「食得是福……わたし、その考え方とても好きです。いただきます」
「はい、おあがりなさい。デザートは食べ終わる頃に出すからね」
「楽しみです」
両手を合わせて見下ろす蓮根と落花生と豚肉のスープはキラキラと脂が少し浮いていて、茶色に濁ってとろみがありそうだ。汁物にしては具沢山の蓮根や落花生は随分長時間煮込んであるのか、スープの色に染まってしっとりとして見える。カレー独特の黄色に染まった揚げボールは確かに、露店に並ぶホットスナックとして最適に思う。
木のスプーンで濃厚なスープを掬って飲み、具材を食す。落花生は蕩けるよう。食感を残す為か少し厚めに切られた蓮根は、柔らかいながら小食な人ならばこれだけでも満足しそうな食べ応えを感じる。
シンプルなカレー味の揚げボールは、濃厚なスープの後でも十分にスパイスを感じられて、ピリッとした辛さが心地良い。沢山食べてもまだ苦しくはなく美味しく食べきれる範囲で、〆のデザートを出迎えた。
「気持ちいい食べっぷりね。はい、マンゴープリン」
「わぁ……!ボリュームがありますね。いただきます」
デザートボウルに無糖練乳やホイップで飾られた菊型のプリンが入って、甘いのに不思議と爽やかだ。食べ終えると両手を合わせ、深く頭を下げて感謝する。
「ご馳走様でした。とっても美味しかったです、また来ますね」
「あら嬉しい。いつでもお越しになってね」
お会計を済ませて立ち上がり、店主と常連客の皆に挨拶をしてご機嫌で店を出る。
朗らかな表情で銀髪を揺らして歩き出し、目指すは揚げボールの露店。
エレノールの新たな世界の旅路は、食の幸せから始まった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功