すべてを篭めた春の味
キッチンの窓辺には、摘み立てのミモザを小さな花瓶に入れて飾って。
春の足音が聞こえ始めたことを咲く花に感じる二月――|降葩・璃緒《ふるひら・りお》(花ひらり・h07233)は食材詰めた棚を開けて、ひとり思い悩んでいた。
「う~ん、何作ろうかなぁ?」
手元の本をぱらぱらと捲り、言葉を零す。少女が眺めている本は、初心者でも扱いやすいお菓子のレシピ本だった。
もうすぐ二月十四日、バレンタインがやってくる。璃緒はその日を、『大切な人へ気持ちを篭めてお菓子を贈る日』と認識していた。
(「ボクも師匠にお菓子を渡したいっ!」)
そう思ってから、璃緒は師匠が不在になる日を待っていた。師匠は璃緒と共に暮らしているが、二、三ヶ月に一度旅に出るのだ。内緒でバレンタインの準備をするなら、その期間しかない。そろそろ出掛けようと思うと告げられた時には思わず飛び上がりそうになって、璃緒はその喜びを必死で隠したのだった。
――そうして、今である。旅立つ師匠を送り出して、朝の温室の手入れを終えて。家へと戻ってきた少女は、持ち帰った花を活けてからさっそくお菓子作りの練習を始めようとしたわけである。
まずは本を広げて、家で用意できる材料で作れるものを考える。
料理は師匠に教えてもらっているから人並みに作れるけれど、此度はお菓子作りである。料理とは違った難しさがあると師匠から聞いているし、あまり凝ったものにはしない方がいい気がした。
そう、作り方はシンプルでもいい。璃緒が求めるのはやりがいよりも、出来上がったお菓子を納得して渡せることだ。例えば完成したお菓子が不格好なものだったとしても、優しい師匠はきっと喜んでくれるだろう。けれど、それでは璃緒が嫌なのだ。妥協なんてしたくない――思えば少女の胸にはむくむくと意欲が湧いてきて、レシピ本見る瞳にも真剣な光が灯る。
そして、やがて彼女はひとつのレシピを見つけ、それを作ることに決めた。
「ぜっっったいに美味しいのを渡したいから、しっかり練習しなくっちゃ」
ぐぐっと拳に力を篭めて意気込むと、璃緒はまず材料を揃える。卵、牛乳、バター、ココア、チョコレート――レシピにはミルクチョコレートとあるけれど、甘さを控えめにしたいからビターを選んで。
それからもうひとつ取り出したのは、ホットケーキミックスの袋だった。通常のお菓子作りであれば、小麦粉と砂糖を両方計量して準備しなければならないけれど、ホットケーキミックスならばこれひとつをスプーンで計量すればいい。残った粉はおやつのホットケーキにしてしまえば無駄もないのだ。
器具と型を準備して、オーブンの余熱を始めたらいよいよ混ぜ始める。まずはバターをボウルに入れてレンジで数十秒加熱して溶かし、そこに砕いたチョコレートを加えて混ぜる。ゴムベラでくるくる混ぜるうちに、とろりと溶けるチョコレートから甘い香りが広がって。花とはまた違う芳しさににっこり笑った璃緒は、さらに溶き卵を加えてよく混ぜた。次はホットケーキミックスとココアを加えて、練らないように混ぜていく。
「切るように混ぜる……って、こういうことかな?」
首を傾げながらも手を動かせば、チョコレート色の生地は先程までより固まってきた。お菓子作りの経験は少なくても、材料を混ぜることに関しては温室の花達へ与える肥料の調合で慣れている。粉がなくなるまで混ぜ終えたら、璃緒は天板の上に並べた型へとその生地を流し入れ始めた。スプーンで掬ったとろりとした生地を、小さな型へ入れていく――これがなかなか難しい。多少零したりしながらなんとか半分の量を入れたら、そこにチョコレートをひと欠片押し込んで、さらに蓋するように生地を被せていく。
「わ、またこぼれちゃった。少し冷蔵庫で冷やして固めた方がいいのかなあ?」
考えるけれど、今日は練習の一回目だ。その辺りは次回試してみようと決めて、最後まで生地を入れる。そうして仕上げたら、そのままオーブンへ入れて焼き始めた。
出来上がりまでの十分前後は、そわそわと落ち着かない時間だ。器具を洗って片付けながらも、ついついオーブンへ近付いて中を覗き込んでしまう。
「上手くできたかなぁ、師匠だったらあそこってどうしてたかな?」
口から零れるひとり言は、やっぱり師匠を想っての言葉。だって記憶を失っていた璃緒は、師匠である老婦人に拾われ彼女から全てを教わったのだ。チョコレートのお菓子作りは教わっていないけれど、今日使ったホットケーキミックスでホットケーキを作る方法を教えてもらったことは覚えている。粉に溶き卵と牛乳を入れて、泡立て器でぐるぐる混ぜるのが師匠流だ。混ぜすぎない方が膨らむのよ、なんて教えてくれた優しい微笑みが脳裏に浮かべば、何だかくすぐったい気持ちになる。
その時、オーブンから電子音が響き焼き上がりを知らせた。ぱっと顔を上げた璃緒は、急いでオーブンを開ける。ふわり、熱気の中から取り出した焼菓子――フォンダンショコラは、ふっくらと焼けていた。多少型から零れた分が不格好だけれど、形は練習して直していけばいい。味は問題ないだろうかと考えるから、璃緒はキッチンミトン嵌めた手でフォンダンショコラをひとつ掴むと、用意しておいた皿にそっと広げた。
丁寧に型から外すと、ころんと飛び出すチョコレート色。完成形をイメージして、少女はそこにスミレの砂糖漬けを飾り始めた。
「最後の仕上げはこれ!」
にっこり笑顔で皿の上に咲かせていく花は、璃緒が作ったものだ。師匠のレシピを教えてもらい、今まで何度も練習してきた。
「やっと納得のいく出来になったから、飾りに使うんだよっ」
菫色の瞳を輝かせながら、せっせと並べる砂糖漬け。チョコレート色に添えられた紫色が近付く春を伝えるようで、嬉しくなった璃緒はフォークを持ってきてそうっとフォンダンショコラを割ってみた。
焼き立ての茶色の生地、中から零れてくるのは中に仕込んだチョコレートの欠片がとろけたもの。わくわくしながら口へ運べば、甘すぎずしっかりカカオを感じられる仕上がりに顔も綻ぶ。
「……うん、美味しい!」
味は上々。後は型に入れる時に零さないよう、もっといい方法を考えればよさそうだ。璃緒は溢れたチョコレートをスミレの砂糖漬けに絡めて食べてみる。チョコレートの味の後から、ふわっと花が香る。上等なトリュフを食べた時みたいな風味に思わずきゅーっと瞳を閉じて、少女は何度も頷いた。
「これなら絶対、師匠も喜んでくれるよね!」
『いつもありがとう』と、『大好きだよ』を伝えたい。たくさんの幸せをくれた、誰よりも大切な|人《師匠》に。
あの人に教えてもらった知識を活かして、たっぷりの想いを中に篭めるように作った、師匠好みの味のフォンダンショコラ。バレンタイン当日に焼き上げて差し出したら、師匠はどんな風に笑ってくれるだろう。
その顔をあれこれ想像したら、それだけで嬉しくって。璃緒は笑顔の花を咲かせながら、試作品をたっぷり味わいながら完食するのだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功