資料:顔の無い怪物
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=17334それだけ拘って道化師の衣装を揃えながら、どうして白塗り化粧はしないのか。
そう問われた時、維月はこう答える。
『だってだってこの可愛い可愛い維月ちゃんのプリティーフェイスをお化粧で隠すのは勿体なーいのでーすー!』
何と言う自己肯定感と自信だろう。と、大概の人間は半ば呆れつつも少し笑う。その余りの誇らしげで衒いの無い自信満々の笑顔が余りに強いからだ。
実際、維月の顔立ちはそれなりに整っているし、愛らしいと言って良い。だが……例えば絶世の美女であるとか、妖精の如き美少女であるとか、そう言う域のレベルではない。その造形は寧ろソバカスの印象もあって少し素朴よりの可愛らしさかも知れない位だ。
けれど維月は誇る。堂々と豊かな胸を張り自分は可愛いと断言する。事ある毎にアピールする。
それは何故かと言うに……
縊れ鬼とカテゴリズされる怪異は、その類型個体の内の何割かがそもそも人間災厄の条件を外している。
理由は明白で、それらの個体は『顔を持たない』からだ。異形の顔と言う事ですら無く、顔が無い。……正確には首が無い。首を縊らせる鬼ゆえに、鬼自身に縊るべき首が無い……と、その様な矛盾を孕んだ概念理論と推察される。そしてかつての維月はそうだった。
首が無かったのだ。
顔が無かったのだ。
ただそれがあるべき空間に何も無い闇と死の罅割れと中心に赤い十字の光。そんな、顔の無い怪物。
それがかつての斎川・維月であり。
正確にはその名も未だ持たぬ名無しの怪異であったソレに手を差し伸べ家に連れ帰ったのが斎川・大貴であり。
その危険性と、けれどひとりぼっちの孤独に震える内心の両方を正し良く読み取り、理解して、家族として迎え入れたのが斎川家の者達であり。
そうして人として育てられた怪物は、やがて心を学び、愛を注がれ、人間性を得て……その『虚ろ』を『人の顔』に変えた。
とどの、つまり。
彼女が誇っているのは自分の容姿ではない。自分の顔を、怪物の無から愛らしい娘に迄変えてのけた家族を誇って居るのだ。
その善性を。優しさを。愛情を。絆を。
ねえ、凄いでしょ?
こんなにも可愛くしてくれたんですよ?
誰もが目を逸らす不気味で気持ちの悪い怪物の手を握って、温かい家に連れ帰って、それから、それから……沢山、沢山、数え切れないほどに沢山を……くれて。それで、だから、ボクはこんなにも可愛いのです。
可愛いでしょ? もっともっと褒めて下さい褒めて欲しいです。
それ位に! この通り! ボクの家族は凄いんです!!!
例え、そのせいで。
本来ならただ幾ばくかの命を死なせて討伐される程度の実害の怪異を、災厄の域に至る迄押し上げてしまったのだとしても。
人間の精神性を育む事で、結果的に人の形を与え、人間災厄の頂に辿り着く条件を満たさせてしまったのだとしても。
己が命数が尽きた際に、溜め込んだ呪い次第で人間社会を崩壊させる危険性のある化物にしたのだとしても。
そのせいで無惨に死に。残された娘に贖える筈の無い罪を。もう一人残された息子に、妹が社会を壊す最悪と化すか。或いは幸運にもその力を封じる手段が確立した暁にはAnkerとして己の手で妹を処分するか。の、二択を残したのだとしても。
それでも。
結末がどんなに悲惨でも、結果がどんなに酷くても、それでも、それでも。
この事、だけは、自慢させて下さい。どうか、褒めて下さい。
可愛いでしょ?
ねえ、ボクは可愛いでしょう?
お兄ちゃんが。お母さんが。お父さんが。お爺ちゃんが。お婆ちゃんが。皆が、そうしてくれたんです。
わたしに、くれたんですよ。