迷子、何周目?

【K.K】Beginning

戀ヶ仲・くるり 6月6日21時

2024年12月某日。
戀ヶ仲くるりにとっては、いつもの帰り道だった。
12月は日が暮れるのが早い。空は夕焼け色から宵闇へ変わっていた。それでも高校生が出歩くにはそう遅い時間でもなく、なじみのある街灯がいっぱいある通りを歩いていた──はずなのに。
ふと気が付けば、ほとんど街灯もない路地の中に居た。辛うじて光る街灯が、ジジジ…と今にも消えそうな音を立てている。
なんで私、こんなところにいるんだっけ?…いや、いつもの帰り道でしょう?…今、なに考えたっけ?…まぁいいか。帰ろう。

世界は、√汎神解剖機関。
√EDENから来た少女の違和感は溶けるように消えていく。一般人の戀ヶ仲くるりは心を守るために慣れようとして、そのままドボンと認識がその世界に沈む。なまじ、√EDENに文化レベルが近しい世界だったから、違和感も広がらない。
帰る場所なんてこの世界にはどこにもないのに、帰るために歩みは止まらない。

コツ、コツ、コツ。

制服に合わせたローファーがアスファルトの上で足音を立てる。

コツ、コツ、コツ、『ははっ』、コツ、……?

笑い声がして、それがひどく場違いに聞こえたから、振り返って確認する。
なに、今の声。男の人。いや、女の人。子供だったな。お年寄りだったよ。……なに、それ?
違和感。今まで歩いていたことには何も思わなかったのに、その声はひどく違和感があった。誰の声だろう。どこにいるのかな。見たい、…見ちゃダメじゃない?…なんで?
頭の中で疑問と答えの応酬が止まらない。見たい。どうしてこんなに見たいの。見ちゃダメ。なんでこんなに見ちゃダメだって思うの。なんで?どうして?
ぎ、ぎ、ぎ…と軋むように首が動く。見ちゃダメ。抵抗する気持ちがあるのに、動きが止まらない。見ちゃダメ。目を閉じようとしても閉じられない。見ちゃダメ!

──なんで?

路地の境目。街灯の下。街灯が作る影よりよほど大きな、黒。
夜より深い、あの色を、何色と言うのか、知らない。くらがりだけで出来た、かげ。
見ちゃダメなのは、こわいものが居るからだ。……もう、見ちゃったけど。…あれって、やめなよ、…なんだろう、考えない方がいい、…あれって、思い浮かばない方がいい、…もしかして、やめて!

「アクマ…?」

ぽつり、と言葉が口から落ちて、そのことにざぁっと血の気が引いた。…取り返しのつかないことをしてしまった気がする。
くらがりの影が、ゆらりと動く。いや、動いてはいない。動いてないのに、像の形が変わって見える。
学校で、顕微鏡を覗いた時のことを思い出した。
くるくるピントを合わせるレバーを回す。だってぼんやりしてなにも見えないから。回していくうちに、ぼんやりしたものから、そこになにかあると分かる。色が認識出るようになった。形が見えるようになった。輪郭がはっきりした。
そこから更に倍率を上げれば、きっと細部まで見えるんだろう。
見たい?……見たくない!!
ぼんやりした形だけでも怖かったのに、はっきり見えるともっと怖くて、見続ければもっとはっきり見えるだろうと確信してしまったのがなおさら怖い。
なんで私こんなこと分かるの?ねぇ、ねえ私、こんなの、知らない!
走って逃げだしたいのに足が縫い付けられたみたいに動かない。…目を閉じることすら出来ないことに気付いて、は、と絶望に濡れた吐息が漏れた。

ゆらりと、かげが動いた。

『あくま』

変な声だ。男で、女で、老人で、子供で、若年で、壮年で、誰でもない声。…処置しきれない。ガン、と殴られたように頭が痛む。それなのに耳を塞ぐことも出来ない。自分の身体なのに言うことを聞かない。作り物みたいだ。

『…そっか、うん、そうだね、そう!』

声色がはしゃいだみたいに跳ね上がって、こんな変なのに、喜ぶんだ、と他人事みたいに思う。

『|アクマ《・・・》だよ!』
「……っ!」

影がそう宣言すると、ガクッと足の力が抜けた。へたり込みそうになって足を殴りつけるみたいにして立つ。ここでしゃがんだら、多分、もう立てない…頭の中で警鐘が鳴る。それはしちゃダメ!
足、動いた。は、と息を吐く。ドクドク脈打つ音が頭まで響いていた。鼓動が早い。ぎゅっと目をつぶった。目も閉じれる!真っ黒な何かが視界から消えたのにひどく安堵する。目の前にいるのに変わらなくても、見えないだけでほっとした。手で耳を塞ぐ。

『ねぇ、なにがすき?』

──それでも声は頭に届いた。むしろさっきよりもよっぽど深く響いて、ひ、と震える喉と共に手が離れる。ごとん、と肩に掛けていた鞄がアスファルトの上に落ちる。
あ、どうしよ、拾わなきゃ。そんな状況じゃないのに、現実逃避みたいに鞄を目で追う。…追う間に鞄がぶわっと浮き上がって、無遠慮なまでに中身がバラバラとこぼれ落ちる。

「っ、!」

この事象はあの影みたいな変なのがやった、という謎の確証があった。触らないで!と叫びたかった。私のものに、日常に、触らないで!
それなのに喉が震えるだけで声も出ない。それが情けなくてじわ、と涙が浮かぶ。拾い上げる時間はない、と頭の変に冷静なところで思う。鞄より、そんなことより、逃げなきゃ。
……逃げる。
じり、と一歩下がる。足が動く。やっと頭と身体の回路が繋がったような心地がした。逃げる。逃げなきゃ!あの変なのから、逃げなきゃ!
アスファルトを蹴る感覚がひどく遠い。空回りするみたいな感覚で、本当に動いてるのかが自信がない。体育の授業でも、こんな風なら楽なのに。自分の身体なのになんでこんなあやふやなんだろう。
ぐちゃぐちゃの頭で足を動かす。止まるな、動け、止まったら、──考えたくない!!

『……きみ、20歳になるまでに、』

…追いかけてくる圧はなにもないのに、逃げられてる気がしないのはどうして?
声はまるで耳元で囁かれているかのよう。聞きたくなくて、走りながらまた耳を塞いだ。

『“真実の愛”を見つけないと死ぬよ!』

分かっていたけれど当然のように声が続く。場違いなくらい夢見心地な単語。
…はぁ?なに、その、…ふわっふわした定義!

『呪ったから!』

高らかに告げてくる声は、性別も年齢も存在もあやふやなくせに、楽しそうだという感情だけは伝わってきた。
その癖、心臓に打ちつけられるみたいに残る。これ、本当に、呪われたんだ。って、思ってしまった。
怖い。苦しい。怖気がする。悔しい。なにこれ。悲しい。訳が分からない。嫌だ。怖い…!
色んな感情がないまぜになって、心臓も肺も限界だよって言うみたいにぜえぜえ息が切れても、止まりたくなった。
止まりたくなかったのに、スポーツ選手でもない身体と固いローファーじゃすぐ限界が来て、よろよろと街灯に手をつく。
どれだけ走ったんだろう。
そんなにたくさん走れてない気もしたし、なかなかの距離を走ったような気もした。
人混みはまだ遠くて、でも明るい街並み。その光景にじわ、と涙が浮かんだ。安心していいのか分からないけれど、逃げれた気がした。街灯がピカピカと眩しい、|明るい場所《√EDEN》まで辿り着けたからかもしれない。吐き出すようにこぼす。

「…真実の愛って、なに!?具体的に説明しろぉ!」

返事はない。
返事はないけれど、どこかで、あははははははははは!とアクマは嗤っていた。

ゆらり、と半透明の魚が横切る。
今まで戀ヶ仲くるりには見えていなかったもの。見えたとしても、心を守るために|慣れようとす《認識しなくな》るもの。
インビジブル。
世界のエネルギー源。目視したインビジブルをエネルギー源として、万能の力を扱う。インビジブルが見えるようになった戀ヶ仲くるりには、この力を得て扱える力を得た。
また、重なり合う世界を目視し、徒歩で別の√を歩き、死ぬことをができない。
また、得たことの代償として、欠落がひとつ。

「……な、にこれぇ…!」

戀ヶ仲くるりが悲鳴を上げた。
今まで心を守るために|慣れようとして《認識しなくなり》、見えていなかった√侵攻者達や√能力者の異常な姿、そして泳ぐインビジブル達を見て自身の変化を自覚する。
どうしよう、と惑うように歩き出し、けれど帰ろうとは一度も思わない。

戀ヶ仲くるりは√EDENで暮らす、ごく普通の高校生だった。
ただいまを言ったらおかえりを当たり前のように言う家族がいて、学校にはおはようとまた明日ねを言い合うともだちがいて、こんにちはと言えばいらっしゃいと笑み交わす店員がいる馴染みの図書館と本屋があった。
特別な存在じゃないけれど、世の中に絶望して踏み外すこともそうない、ごく普通の高校生。
──異常な状態を察した上で、その居場所に帰ろうとも助けを求めることもしない状態は、確かな欠落だった。



ようこそ!きみは今日から√能力者だ!
欠落と能力を得て、これからどういう道を歩くんだろうね!
見てるよ
きみが観測したんだ
きみがそう呼んだからアクマ!これからよろしくね!l
だから“    ”よ
戀ヶ仲・くるり 6月6日21時
呪…「20歳になるまでに“真実の愛”を見つけないと死ぬ」
真実の愛の定義?それはね、“   ”
√能力者は死なない?そうだね!人間としての死の話をしてるよ!
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戀ヶ仲・くるり 6月6日21時
欠落…「居場所の認識」
自分の座標自体の認識が欠けている。周囲に人がいると埋没するが、単独行動すると顕著。
また、√能力者以前の居場所。自宅、学校、行きつけの場所。その全ての住所、明確な場所が認識できない。その居場所の住人との連絡全般も認識できない。
2024年12月より欠落を得たことの認識もしていない。(記憶はあるので、家族や学校の話は普段通りの様子でする)
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戀ヶ仲・くるり 6月6日21時
欠落の副次効果…迷子になりやすい。
自身の座標自体を見失う為、どれほど対策をとっても迷子になる。迷子になることへの自覚はあるが、欠落の副次効果故に危機感や焦燥感を抱き続けることができない。
この性質であるのに平気で出歩き、どんな時も変わらず、「迷子になっちゃった!」と叫ぶ。
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