宵牙楼

【触类旁通】

黑・宵主 4月18日18時

 ずいぶん時間がかかったものだ。
末の妹の悪癖がどうしても治らない。何度医者に見せても“気性の問題です”というから、いつも通り弟たちの中から薬に秀でた者に漢方を作らせ、妹たちの中から聞き上手を選んでやっていた。
これを一体何度繰り返せば落ち着いてくれるのか、ずっと悩んでいたせいもある。とうとう、数えるのをやめて尚まだ行われる末妹の所業に、腹を立てて家から追い出してしまった。
 仕置き部屋にある、鏡を外した先にある空洞。そこに、どん、と突き落とすように背中を押したっきり、屋敷は静かになっていた。
 妹たちと弟たちから、またやったのですかと窘められたが、その時は興奮していたから跳ね返せたものの、どんどん罪悪感と、とんでもない狂犬を逃がしてしまったときの絶望に近い情けなさがやってきて、これもまた頭を抱えさせられる。
 手はかかるが稼ぎ頭である商品だ。損失は大きい。そしておそらく、帰ってくるが――管理していない間の「あれ」がどれほど変わってしまうだろうか。
我が伴侶は、「爱子要让他经风雨,见世面」と言っていた。
まったく、肝の据わった妹だ。出来る限り考えないようにしながら、今日も帳簿をめくり、金の動きを眺めていた。
黑・宵主 4月18日18時
(すると、城の門が開いたらしい。庭には家族になれなかった仔犬たちが離されている。)
(我らが母と父から生まれてくるきょうだいの数は、まさに無数だ。二か月の妊娠期間のち、一度の出産で8匹から12匹ほど生まれてくる。いちいち全員のことを教育などできない。今いる“家族”の席が空いたら城の中に入れるようにした。)
(仔犬たちの鳴き声が聞こえる。吠えたて、襲い掛かり、蹴散らされ――あっというまに断末魔が消えた。)

帰ったのか――。
(どこか胸がすくわれるような思いがしたのもこざかしい。)
(ため息に混じって思わず声が出る。どうせ、これも聞こえているのだ。)
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黑・宵刃 4月18日18時
(あっという間にたどり着いた。)
(何度も襲い来る仔犬を狩る。首を捥ぎ、腕を折り、足を砕く。首を貫き、腿をちぎり、目をつぶす。この作業は面倒でないが、腕に提げた土産が汚れないかだけ心配だった。何度目かわからないつぶれた悲鳴を聞いて、ようやく中に入る。仔犬たちは、自分たちが許されている領域を決して間違えない。この犬も知っていた。かつて、そこにいたのだから。)
(それから、玄関――大理石でできた床の上、家を出る前に皆が使う姿見で一度、自分の姿を確認してから、階段を跳ぶ。目的の部屋にたどり着いたとき、ちょうど声が聞こえた。)

哥哥,我回来了!

(扉を強く開け、破顔する。)
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黑・宵主 4月18日18時
遅いッッ!!お前、何日仕事を休む気だッ!!

(帳簿には赤がみっちりとつけられている。この末妹を求める声は多い。)
(また、ほかのきょうだいを買っている顧客はどこも安定していた。良い事であり、悪い事でもある。安定した収入であることは、黒の割合が伸びない。しかし、この末妹だけ、なぜか主人となるものを狂わせる。狂った主人はとんでもなく帳簿を黒くしてくれる。それを頼っているわけではないが、――何かと、この一族を保つには金がいるのだ。)
(たとえば、|死ぬほど《共食いするほど》食うとか。)

……啊,土産を持ってきたのか?

(しかし、今度は驚かされた。)
(この妹が、面倒こそ何度も寄こしても、この俺に、手土産を持ってきたことなど一度もない。)
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黑・宵刃 4月18日19時
哎哟!
(す、ぱぁん――と。)
(風を切る勢いで帳簿が飛んできた。兄の大切なものだ。犬は、とっさに落ちないよう手で受ける。避けることも受け止めることもできたが、兄が「当たれ」というのならばその通りにするしかあるまい。犬にとって、この兄は序列第一位である。逆らうこともなく、求められた反応をするのが常だった。)

し、らない世界に着いてしまったもので……そのあと、“貸し借り”の清算をしていたものですから、――これですか?
(ちかちかと視界が明滅している。衝撃に備えて伏せていた耳がゆっくりと立ち上がった。帳簿に汚れがないか確認してから、兄に返そうと歩いていく。)
(ひりひりと疼く額をよそに、謝罪の意から説明をしようとしたが、兄の問いかけに応えることにした。)

はい!兄さまに手土産を!途中、困っている人を助けたら、この茶菓子を兄さまにと仰っていました!
(シュトレンが包まれた袋を帳簿と並べて、兄の執務机に置く。)
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黑・宵主 4月18日19時
(知らない世界、にたどり着いたのは嘘でないと思った。)
(この犬を『居場所がわかっている』人間に売りつけることに心配はない。結局のところ、所在さえわかっていればいつでも回収はできる。だから、一度も他の世界に送り出したことはなかった。)
(教養として教えたことはあっても、きちんと理解できているかも怪しい末妹である、が――今回、身をもって知ってくれたのは、手間が省けたというべきか。しかし、驚いた。)

……|史多伦面包《shǐ duō lún miàn bāo》? 
(こんな時期に?)
(と、思ったが――なんだ、そんなものが存在するところまで飛んで行っていたとは。予想外の手土産を受け取り、開く。まぎれもなく、良い茶菓子ではないか。)
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黑・宵主 4月18日19時
お前、そんな知恵を……。
(伴侶の言う通りだったかもしれない。この末妹に必要な教育というのは、旅だったのだろうか――)
(指を鳴らせば、伴侶がやってくる。末妹の頭を撫でてやり、それから、俺の音を頼りに土産の箱を手にした。軽く会釈し、「三人分でよろしいのね?」と聞いてくる。手で仰げば、承知したのか、――部屋を出ていった。)
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黑・宵刃 4月18日19時
(やはり、兄さまは博識だ――と、犬は嬉しくなった。)
(犬にとって、この群れの中で彼が序列一位であることは大きい。叛逆をしなくていいし、彼がそれである努力をしているのも知っている。この犬が知っていることを、彼が知らないなんてことはあってはいけない。)
(尻尾を仔犬ほど振らずとも、思わず嬉しくて波打たせてしまう。それから、驚いた顔に犬まで驚いた。)

――いけません、でしたか?
(呆けていたかもしれない。そんな顔をする兄は見たことがなかった。物心ついて、この城に入れるようになったものの、兄と顔を合わせる数は多いほうであったのに、犬は思わず意識を失いそうなほど衝撃を受けたが、ちょうどよく姉が訪れ、犬の頭をなでていった。匂いを追いながら、姉のほうを見る余白がある。思考と感情を整理しながら、続いての発言にも目を見張った。)
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黑・宵刃 4月18日19時
哎,兄さま!?
まさか、私と、茶を、――呑むのですか!?

(あり得ないことが起きていて、思わず身を乗り出す。執務机越しの距離以外で話すことがなかったから、今の兄のにおいは新鮮だった。好んで吸うたばこと、着物のかおりがする。)
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黑・宵主 4月18日19時
ああ。茶を呑む。
(この妹と、こういう場を設けるのは教育以外ではありえないことだった。)
(いつまでたっても人らしい作法を身に着けないことに腹を立て、教育が行き届いていないというのか、と末妹に怒り、狂いそうになりながら次の指導を思案することにも疲れたからだ。)
(煙管で、机に今にも乗りそうな上半身を押し返す。)

いいか、宵刃。俺は、お前に教育をしてきたつもりだ。|姉《俺の伴侶》からも、丁寧に受け継いできただろう。だが、身に着いたのはどれほどだ? ん?
驚いているよ。外に出せば、お前は少しばかり賢くなって帰ってくるじゃないか。

(これは、確実な|成果《・・》だ。)
(この末妹が稼ぐはずだったぶんの赤をあてがっても、相当な払い戻しがある!)

褒美だ。
家族の時間にしよう――唉,しかし、口輪をつけろよ。何かあってはいけないからな。
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黑・宵主 4月18日19時
(この妹の|口輪《・・》を引き出しから出すのも久しい。我々は『家族の時間』で争いを絶対に禁止としている。)
(主に全員で食事をとる時だ。序列に従い、祖を敬い、家族と穏やかな時間を過ごす。これは、一族の結束を高めるとともに、教育以外で長く話す特別な場だ。この末妹に、その機会を今まで与えていなかった。)
(獣頭ばかりの中で、ひとの頭がポツンとひとつあれば、どうやっても浮いてしまう。気性穏やかな家族ばかりではない。この末妹を哀れむものもいれば、毛嫌いする者も顔が浮かぶ。そんな場で、この末妹が『うまくやれる』はずがないのだ。)
(だから、家族の輪に入れることを避けていた。最低限の社会性が身に着くまでは――)
(末妹に口輪を放り投げる。)
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黑・宵刃 4月18日19時
哎呀……。

(犬は、とん、と胸を煙管で押し戻されていた。)
(脱力が近い。あまりの驚きに大きな声も出ない。耳をぴんと立てて、徐々に尻尾は垂れさがっていく。)
(懐かしい口輪だ。顔はあの頃と大きさが大差ないのを、思わず自分の顎を撫でて確認した。何度か唇を舐めて、落ち着こうとする。この犬にとっては、本当に喜ばしい事だった。)
(犬は群れで生きるいきものだ。一匹では立ち行かない。だから、この家は皆が社会的であることを望んでいた。しかし、この犬だけはそれに馴染めていなかった。喧嘩を売られたら何かを言う前に買ってしまうし、群れに招けば必ずひび割れを作った。すでに、姉二人と兄一人を殺している。この犬のいびつさを、もちろん長兄も理解していた。しかし、許容できるかといわれると別問題だったのだ。)
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黑・宵刃 4月18日19時
(輪に入れてもらえず、分離不安はますます悪化して――誰でも使える道具として扱わざるを得ない命になってしまった。たとえ、あの祖から生まれてきた奇跡のような確率の権化であっても。)

は、はい。うまく、やります。
(口輪を受け取る手がもたついた。しかし、装着するのは手間取らない。)
(緊張して思わず自分の尻尾を目で追いそうだった。まばたきをして、あくびをする。それから、かぶりを振った。)
……うまく、やれるでしょうか。
(珍しく自信がない。情けない顔を隠しもせず、大きな兄を見上げた。兄はゆうに三〇〇を超える背丈がある。どれほど深く腰掛けたところで、まったく犬と目線が合わない。)
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黑・宵主 4月18日19時
知らん。だが、尽くせ。
(口輪を己にも嵌める。)
(これで、お互い「攻撃しない」という誓いが出来た。)
(煙管の火種を消し、耳を澄ませる。紅茶を淹れている音が広い屋敷から微かに聞こえた。穏やかに持ってくるだろう。あの伴侶は盲目なのだ。)

お前は一体、何と、誰と出会ったのか話をしているだけでいい。今回の席は、俺と|あれ《姉》だけだ。
(席を立つ。部屋の中央に置かれた机と、ソファーがある。ゆっくりと腰を落ち着けた。)
(お前も座れ、と指先で命じる。今日の俺は、ずいぶん機嫌がよくなった。ようやく、久しぶりに煙草がうまく感じるに違いない。)
(満足だ。たったひとりのイレギュラーを育てるのに、あまりに遠回りをした。)
(俺だって血を分けた妹に、それもとびきり価値があるだろうこの妹に、何度も怒りをぶつけたいわけじゃない。出来るならば、褒めて育ててやりたいくらいだ。頭の出来が悪くなければ、そうしてやっていたのに。)
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黑・宵主 4月18日19時
(何より、)

今のお前からは、金の匂いもするからな――。

(これが、俺を上機嫌にさせる理由だった。俺の|カン《嗅覚》はよく当たるのだ。)
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黑・宵刃 4月18日20時
(兄の動きをそのまま見送った。彼がソファーに腰かけた時、部屋のほとんどが陰で埋め尽くされる。犬は、この暗さが落ち着くのだ。指先の指示通り、兄の真正面に姿勢よく座った。)
(どんどん姉の運ぶ紅茶の香りが近くなるのを感じながら、金の匂いがすると言われ、|不出来な《・・・・》頭を働かせる。そうだ、彼に伝えないといけないことがあった――)

『祖』に近いひとが、兄によろしくと仰っていました。
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黑・宵主 4月18日20時
(牙城から、雷鳴のような吠える声が響きわたる。)
(仔犬たちは思わず空を見上げただろう。血の香りがする竹林の中、雨など降っていないのにと。)
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黑・宵刃 4月18日20時
(翌日、ひとの顔をした犬が城から出て行った。)
(ずいぶんと機嫌がよさそうだった。)
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黑・宵主 4月18日20時
(〆)
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