文言メモ
斎川・維月が己の√能力に付けている名前のうち、元ネタがある単語に関するメモ。(※備忘録の面があるため、内容は完全にメタ情報となる)
尚、これらの名付けは殆どが古霊達からの提案と、そこからの維月との相談の結果採用されている。彼等の持つ曖昧ながらも古く広い知識の中から、維月の持つ災厄の力に近しく関りのある文言を選出し、名称として定義する事で『力の出力と制御を安定させる』事がその目的となる。
「あと、たんじゅんにこったなまえのほうがてんしょんがあがります」
……だそうである。
なので、言語は特に揃えられていない。
なるべくそれぞれの言葉の原点に近い言葉を選ぶか、後は単に語呂や長さで選んでいる事が多いとの事。
・デストルドー(英語: Destrudo)
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=10879
・トーデストリープ(独語:Todestrieb)
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=17297
ジークムント・フロイトの提唱した精神分析学用語で、言語が違うだけで共に同じ言葉。
和訳では『死の欲動』とされる事が多いが、『死の本能』や『死の衝動』等と表記される事もある。
調べれば調べるほど混乱するやっやこしく難しい概念。と言うか事実として弟子の代のその先まで解釈や定義に関してああだこうだ言われまくってるので、本当に難しいのだと思う。
・ザイン・ツム・トーデ(独語:Sein zum Tode)
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=29610
ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの著書『存在と時間』で主要概念として定義された言葉。意味は『死への存在』『死へと向かう存在』。生まれたら何時か必ず死ぬ人間(≒生命)の事。
超雑に纏めると『自分が何時か死ぬ(死に向かっている)事を自覚して初めて真に自立した人間と言える』と言う要旨。死を怖がって遠ざけて流されて生きてるだけなのはあかんぞーと言う、割と前向きな思想だったりする。
勿論、その前提には『命は必ず死ぬ』と言う事実が横たわっている訳だが。
・タナトスエスト(羅語:Thanatos est)
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=30615
この記事を作成する切っ掛けになった言葉。つまり、言葉の記憶が曖昧! しかもネット検索しても詳細出てこない! 本は実家! ……詰んだ。年は取りたくないものですね。だから覚えてる間にできるだけメモを残しとこうと思いまして……はい。なのでうろ覚えの記憶で書くので下記は不正確な可能性があります。
フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズが著書『ザッヘル=マゾッホ紹介』の中で使った表現。ラテン語で大まか『死は存在する』と言う意味だった筈。
フロイトの定義したデストルドーを『死の本能』として先ず置き、そこから程度批判的(と言うか、『私はこう思う』的に)に独自の解釈で掘り下げる理論の中で何か出て来た言葉。の筈。ドゥルーズは唯物論の人なので寧ろ『死は有機体が解体される現象であって、実在はしてない』スタンスなのだけど、それはそれとして現象として出来事として区切りとしては定義しないと理論が組み立てれねーので取り合えず今は『在る』とします(スンッ)
見たいな感じだったと思うんだけどすいません本当思い出せない。去年までは憶えてたはずなんだけどなあ……
・マンゲル・ポー・セルヴ(丁語:Mangel paa Selv)
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=50388
丁語ってなんだよ私も初めて知ったよこんな略語、デンマーク語です。
意味はそのまま自己の喪失。
エヴァンゲリオンによって知名度がガン上がったデンマークの哲学者/思想家セーレン・キェルケゴールの哲学書『死に至る病』の中の記述。
順を追ってザックリ言うとこの本では新約聖書の記述(救世主が病気で死んだ友人を蘇生して「この病は死に至るものではない」と言っている)から理論を組み立て、『死に至る病』とは『絶望』であると定義している。そこからじゃあ絶望とはと言う詳しい説明の中で『自己を喪失すること』と言っている。これ。
まあ、ぶっちゃけ聖書引用してるだけあって宗教色強くて神との繋がりとかそう言うのも含めてって感じの論ですけどその辺は流します(ザザーン)
・コム、ドゥ・アルト・トーデスシュトゥンデ(独語:Komm, du alt Todesstunde)
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=1545
多分ドイツの作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したんじゃないかなあと言われている教会カンタータ『来たれ、汝甘き死の時よ(Komm, du süße Todesstunde)』の『甘き』を弄った言葉。いや、思想の言葉じゃないしなあこれそのまま使うのもなあと思って……
超乱暴に纏めると臨終寸前の人主観の『神の御許に行こう!』見たいな曲の一章目。そんな『そうだ京都に行こう!』見たいな。
これもエヴァンゲリオンで似た題名の曲がありましたが、多分、まあ普通に考えて着想元何だろうなあと思います。
・ダンスマカブル(仏語:La Danse Macabre)
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=1543
好きな肉体ダメージを一つ与える神業……ではありません。
100年戦争と黒死病によって人が滅茶苦茶死にまくってた時期のヨーロッパで、民衆の恐怖とストレスが『突然踊り出してぶっ倒れるまで踊り続ける』と言う形で発露した……まあ、要するに集団ヒステリーですね。葬式中とか説法中とかに起きがちだったらしい所に、本当に、こう『知るかボケー!』見たいなヤケクソ感を感じます。
で、その後にその現象を下敷きにして『人々を死(概ね骸骨)が平等に迎えに来る/連れて行く』と言う絵画の美術様式が生まれました。それの事。
余談ですが、これ以外にも人々が突然踊り狂い始める現象は歴史上にあるとかないとかで、ダンシングマニアって言葉が普通に存在しています。
日本でもええじゃないかがありましたしね。赤福餅の(違う)
・トリオンフォ・デッラ・モルテ(伊語:Il trionfo della morte)
https://tw8.t-walker.jp/garage/gravity/show?gravity_id=50519
ダンスマカブルもそうですけど、単数形であるIlは省いています。
上述のダンスマカブルの派生の美術様式。誘ったり連れて行ったりするなんてまだるっこしい事してられねえぜ殺す! 見たいな感じに死=骸骨がガンガン人々を平等に殺しまくってる内容。ロックですね。……ロックか?
そのものそのまま『死の勝利』と言う題名の絵画が今のオランダらへんの画家の作品であるんですが、時代的には結構後の作品の様なので、初期に多かったっぽいイタリア語の方にしてます。と言うか! オランダ語だと! もっと長いし!!