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彩色たまごと春祭り
●春を宿す卵
麗らかな空が織り成すやわらかな風が、やさしく街を撫でていく。
積層都市の中層――『東京V』
空を見上げれば、幾重にも重なる街並みが霞の向こうへと聳え立っていた。
その合間を縫うように、ひらりふわり、淡い桜の花びらが風に乗って流れてゆく。
繁華街の桜並木には色とりどりの布が張られ、霊光を帯びた提灯が連なり、桃の花飾りが鮮やかな彩りを添えている。屋台では霊機炉の炎が揺れ、蒸籠から甘い湯気が立ちのぼる。ふんわり薄紅色の桃まんじゅう、杏を使ったやわらかな甘味、春を彩った様々な食べ物が並び始める通りは既に小さな賑わいを見せていた。
祭り用の艶やかな衣装を仕立てる者、飾りを組み上げる者――普段は血気盛んな積層都市の人々も、祭りの今日ばかりは春の訪れを楽しむように笑い合う。
そう、この街では毎年、春を迎える頃にひとつの祭りが開かれるのだ。
――彩蛋春祭。
彩り豊かな卵に願いを込め、春の訪れを祝う。
人々は卵に色を重ね、思い思いの模様を描き――願いを託すのだ。
それは小さな祈りであり、春を迎えるための儀式でもある。
仙術の彩墨で描かれた模様はただの装飾に留まらず、僅かながら霊力を宿す。そうして再び命を灯した小さな卵は、お守りや小型の仙術具として大切に持ち帰るのが習わしだ。
――けれど、こんな話もある。
丁寧に彩られた卵はときに持ち主の想いを映し、まるで命を宿したかのように“かたち”を成すのだと。それは真に望んだ祈りのかたちか、否か。
真偽はともかく、祭りはもうすぐ始まる。
まずは支度を整えよう。
彩蛋を作り、衣装を選び、春を迎える一日に備えるのだ。
●春祭への誘い
「――お、来たな! こっちこっち!」
繁華街に足を踏み入れたあなたに声をかけてきたのは、通りに面した小さな広場に立つ少女だった。白き一角獣の角をきらりと輝かせた星詠みの少女、ユニ・リリィは落ち着かない様子でそわそわと祭りの様子を気に掛けている。
石畳の広場には簡易の卓や腰掛けが並べられ、地面のあちこちには祭りの準備に使われる道具や資材が置かれている。頭上ではゆらゆらと鮮やかな提灯が揺れ、ときおり桜の花びらが風に乗ってふわりと舞い上がっていった。
いつもは混沌とした繁華街の通りも、普段とは違う春の装いへと彩られていく。
「祭りの準備中らしいんだ。こういうの、ちょっとワクワクするだろ?」
ユニはきらきらと眸を輝かせると、さらに通りの奥を指さした。
「ほら、あそこ。卵と彩墨を並べてる工房があるんだ! あっちは衣装の貸し出しをしているらしい! まずはあそこで、飾り卵とかを作ってみるといいぞ!」
さらにユニは、少しだけ身を乗り出して声を弾ませる。
「飾り卵はな、好きに作っていいらしいぞ! 色も模様も自由だし、きっとその人らしいものになるな!」
作った卵は大切に持ち帰って、お守りなどにするそうだ。なので自分用にはもちろん、誰かのために作ってみるのも良いかもしれない。
祈りを込めた自分だけの飾り卵を作り、春色の衣装を身に纏い、好きなものを食べて歩く――。そんな穏やかな祭りの一日が待っている……はずだったのだが。
「……あ、でもな」
ユニはほんの少しだけ声を落とした。
「この祭りはたまに、卵に宿った霊力が共鳴して変なものが出てくることがあるらしいんだ。妖魔っていうか……まあ、そういう奴らだ!」
こうして自分達が呼び出されたのだから、もちろんただのお祭りには終わらない。
そして今回もその予知が視えたとして、ユニは念のため警戒するようにと一言足した。
「まあでも、せっかくだからお祭りを楽しまないと損だよな! 変なものが出てくるまでは、自由にお祭りを楽しんでほしいぞ!」
そう言いながら、ユニはぶんぶんと手を振ってあなた達を送り出したのだった。
これまでのお話
第1章 冒険 『仙術工房』
通りの一角に並ぶ工房には、既に多くの人々が集まっていた。
卓の上には白い卵と、色とりどりの彩墨が揃えられている。
淡く光りを帯びたそれらはただの絵の具ではなく、霊力を宿す仙術の道具だという。どうやらこの彩墨で卵に模様を描くことで、小さな加護や力を宿すことができるらしい。
そして墨の色によって、宿る力の性質もわずかに変わる。
例えば、朱は炎、碧は水、翠は風――といった具合に、色にも属性がある。
もちろん、その法則に囚われずに自分の好きな色を選んでも構わない。
難しいことを考える必要はない。好きな色で、好きな模様を描けばいい。
花でも、模様でも、誰かへの想いでも。
その卵は、きっと描いた者らしい“かたち”になるのだから。
職人らしき長い髭を蓄えた老翁が、集った人々を前にそんな説明を喜々と語っていた。
ふと見渡せば、通りには工房のほかにも様々な店が並んでいる。
祭り用の衣装を貸し出す布屋では、春色鮮やかな装飾や軽やかな羽織りが風に揺れていた。
薄絹を重ねたゆったりとした漢服や、花や鳥をあしらった刺繍入りの衣装、動くたびに揺れる飾り紐や房飾りなど、どれも春らしい華やかさを纏っている。
仕立てを頼むことも出来るようで、自分なりの装いを整えてみるのも良いだろう。
さらに通りを抜ければ、桜並木が織り成す春の景色が和やかに続いている。
花びらの舞う通りをのんびり歩き、春の空気を味わうのもまた楽しみ方のひとつだ。
卵に彩を描くもよし。
春色を身に纏うのもよし。
ただ春の中を歩くもよし。
さて――
あなたはどんなひとときを過ごすだろうか。
●
春の気配に満ちた繁華街を、藍夜の衣を身にまとった少年は気侭にのんびり歩んでいた。ひらひらと舞い落ちる桜の花びらを指先で受けとめては、興味深げに眺めてみる。そのまま空を仰げば、幾重にも重なる都市の輪郭が霞の向こうに滲んでいた。
「彩蛋春祭、か……」
ぱちりと瞬きひとつ、どこか愉しげな色が滲ませながら、トゥルエノ・トニトルス はぽつりと小さく声音を零す。
彩る卵と春の祭り。春らしく麗らかな、何とも楽しそうな響きではないか。
「春を迎えるための儀式とあらば――見過ごす理由もあるまいな……!」
そうと決まれば早速と、進む足取りも軽やかに。導かれるまま辿り着いたのは人々で賑わう工房の一角だった。卓の上に並ぶ白い卵と、淡く光を帯びた彩墨の燦めきに眸を耀かせ、行き交う人々の合間から聴こえてくる職人の説明に耳を傾ける。
「ほう……自分だけの飾り卵を作る、とな」
朱は炎、碧は水、翠は風――
色に宿る力の違いを聞きながら、トゥルエノはひとつ卵を手に取った。
掌に収まるそれは、宿主が巣立った空っぽの殻だ。とても軽い。けれど、何処か不思議と静かな気配を宿している気もした。
「お守りか……どんな祈りを込めるとするかな」
トゥルエノは暫し思案するように目を細め――やがて、筆を取る。
「やはり、好みの色でいこう」
思い描くのは、青。濃紺。紫。
夜を思わせる色彩を重ね、その上に朝焼けのような淡い光を滲ませていく。
さらに橙と黄色を細やかに散らして。星のように、瞬く光のように燦めきを添える。
「うぅむ……雷の属性も乗せられれば理想だったのだがな」
僅かに肩をすくめて、トゥルエノは口許に静かな笑みを浮かべた。
「まあ、初心者らしく――程々に、というやつだ」
筆を置き、完成した卵を掲げる。
そこにあるのは、夜と暁の狭間を閉じ込めたような色彩。静かに、けれど確かな何かを宿した、ただひとつの“かたち”だ。
「ふむ……悪くないな!」
満足げに頷いたその眸に、微かに雷光の気配が揺らめいた。
「これで、祭りの支度も万端――というところか」
春の風が吹き抜け、花びらが舞い、色とりどりの喧噪が遠くで弾む。
少年は春雷を宿した卵を手の中で転がしながら、次なる楽しみへと視線を巡らせた。
●
彩りに満ちた工房の一角。
卓の上には白い卵と、淡く光を宿す彩墨が整然と並べられている。
その一席に、ふたりの少女が向かい合っていた。
「私は絵を描くのははじめてだけれど……マヨイちゃんはどう?」
用意された道具を確かめながら、フルール・ペタルはぱっと花が咲くように微笑んだ。
「……こういうのは、子どものころ以来ですね」
向かいの席で穏やかな声音でそう零したのは、物部真宵。手に取った卵をそっと撫でながら、少しだけ懐かしむように目を細める。
「マヨイちゃんの子どものころ……! きっと、とてもかわいらしかったのでしょうね」
「ふふ……どうでしょう?」
和やかな会話を弾ませながら、ふたりは早速筆を手に卵と向き合う。
と、そのとき――
「こんにちは。あの……ご一緒してもいいですか?」
遠慮がちに声を掛けてきたのは、もうひとりの少女だった。
席を探していたのだろう、少しだけ困ったように、それでも期待を滲ませた眸でこちらを見ている。真宵とフルールは、ぱちりと瞬きひとつ。
「まあ、ぜひ。どうぞお掛けになって?」
真宵がやさしく席を勧めると、フルールも嬉しそうに頷く。
「みんなで描いたほうが、きっとたのしいもの!」
「ありがとうございます……助かりました」
ほっとしたように腰を下ろし、少女は小さく笑った。
「――私は吉祥わるつです。わるつって呼んでくださいな」
「わたしは物部真宵と申します。よろしくお願いしますね」
「フルール・ペタルよ。ワルツちゃん、なかよくしてちょうだい?」
軽やかに交わされる挨拶の中で、空気がふわりとほどけていく。
そして改めて、三人はそれぞれ卵へと向き直った。
真宵は静かに筆を運ぶ。
淡い青の空を滲ませ、そこに重ねるように描くのは淑やかな雨の筋。
咲き添えるのは、青い紫陽花――控えめで、雨に燦めく小さな花。
フルールは迷いながらも楽しげに。
卵全体を空色に染め上げて、その上に様々な色とちょんちょんと落としていった。
空に舞う花びらのように、軽やかに、弾むように。
わるつも暫し悩みつつ、イメージが固まれば筆の運びは軽やかに。
薄紅の帯をやわらかく巡らせ、淡い緑の水玉をそっと添える。
どこか甘やかで、春らしい彩りだ。
やがて、完成した三つの卵が卓の上に並んだ。
「……こんな感じでしょうか」
真宵は筆を置き、完成した飾り卵をじっと眺めてみる。
「わぁ、マヨイちゃんのすてき! 雨と紫陽花、とてもきれいだわ」
「ええ、本当に……まるで物語みたい」
「……ふふ、ありがとうございます。わるつさんのも、桜餅のようでかわいらしいですね」
「うん! すごくあったかい色合いなの!」
薄紅と淡い緑の組み合わせは、たしかに春を想わせる色彩で。
「そ、そうかしら……?」
わるつは、少し照れくさそうに笑いながら。
「――フルールさんのは、青空の下の花畑みたい」
「ええ、はじめてなのにとってもお上手!」
「ほんとう? うれしいわ!」
三人は互いの作品を見比べながら、自然と和やかな笑みをこぼした。
同じ卵、同じ彩墨でも――出来上がるものは、こんなにも違う。
そのどれもが、そのヒトらしく、やさしい温かさが籠められていた。
「きっと、此処にある卵はみんなの素敵なお守りになるのね」
わるつの言葉に、真宵も小さく頷いた。
「ええ、そう思います」
フルールも、自分の飾り卵を掌でそっと包み込みながら。
「もうすでに、たからものだもの!」
完成した飾り卵を手に取った三人はふと、外の賑わいに気付く。
ずっと集中していた耳が解けたからか、屋台の呼び声、春のざわめきが聴こえてきて。
「そういえば……何か召し上がりました?」
真宵がやわらかく問いかけると、わるつは首を横に振る。
「ううん、まだなの。お祭りが気になってしまって……」
「まぁ、それなら――」
フルールがぱっと立ち上がる。
「このまま、みんなでまわりましょ! きっとたのしいわ」
「えっ……ご一緒してもいいの?」
「もちろん。せっかくこうして出会えたのですから」
真宵も微笑むと、わるつの表情がぱっと明るくなる。
「ありがとう! とってもうれしい……!」
三人はそれぞれの卵を手に取り、立ち上がる。
まだ始まったばかりの祭りへと――
やわらかな笑顔を連れて、歩き出していった。
●
賑わいに満ちた工房の一角。
色とりどりの彩墨と白い卵が並ぶ中、祭りに訪れた三人の姿があった。
「華やかな祭りだと聞いてはいたが……これはまた、随分と賑やかだね」
所謂イースターを体験することが初めてな目・魄は、周囲を見渡しながら感心したように目を細める。
「卵に衣装と、なかなかに盛大だ。色も鮮やかで――目が忙しい」
「ええ、この世界のイースターも華やかで素敵ですね」
ふむ、と顎に軽く手を添えながら、屍累・廻も穏やか頷いて並べられた彩墨へと視線を落とす。
「す、すごい華やかですね……これが唐人街の春祭りなんだ……!」
見渡す繁華街の景色に目移りしつつ、土師・捺は少し緊張した様子で二人の後をついて行く。
「異人さんや異√のお祭りは初めてで……その、浮かれすぎないように気を付けないと……」
「はは、無理に抑えることもないさ。祭りは楽しむためのものだろう?」
そうして軽く笑い合いながら、三人は工房の席に着いた。
卓の上に用意された筆や墨壺を興味深げに眺めながら、魄は卵をひとつ、そっとつまみ上げてみる。指先で軽く転がし、その重さや感触を確かめるようにしてから――静かに作業へと移った。
まずは細く切ったテープを卵へ丁寧に貼り下地を整え、そこへ白、青、黄の彩墨を重ねていく。墨が乾いた頃にテープを剥がせば、単純な横縞の中に白地がふわりと花のように浮かび上がった。
「我ながら、いい出来じゃないか」
魄は満足げに藍色の眸を細め、淡く輝く墨壺をもう一度覗き込んでみた。
「それにしても、珍しいな。この墨……どこで手に入るんだろうね」
思わず覗かせる商いの視線。
一方で――
「私は……こうしてみましょうか」
廻は静かに筆を取り、卵に色を落としていく。
桜色を基調に、淡く黄色を重ねていくことでやわらかなグラデーションを描き出す。その上に小筆で丁寧に描かれるのは、小さな猫と小玉鼠。繊細で、どこか愛らしい気配が宿る。
「墨の色で属性があるのも、面白いですね……」
廻は描きながらも、興味深そうに彩墨を見つめてみる。
そして――
「わ、私は……どうしよう……」
捺は卵を手に、しばし悩む。
「せっかくの春祭りですし……春らしいものを……」
意を決して筆を取り、思い描く模様をかたちにしていく。
紅で梅、桜色で桜、白で橘――
ひとつひとつ、慎重に筆を奔らせて。
「……む、難しい……!」
卵の丸みに苦戦しながらも、なんとか形にしていく。
「うん……なんとか、描けた……はず……」
ほっと息をついたところで――
「皆さん、どんな感じにしました? 私の方は、こんな感じにしてみました」
「……おや、桜色が鮮やかだね。段々と色が移るのも、味が出ていい」
魄が廻の飾り卵を見て、軽く目を細める。
「ありがとうございます。魄さんのその模様も、とても素敵ですね」
「って、わぁ……! お二人とも、とても綺麗です……!」
グラデーションしたりテープ使ったり、そういう業もあるんだぁと感心しつつ、思わず捺の声も弾む。
そうして卓の上に、三つの卵が並んだ。
それぞれ違う色、違う形を描いた卵。
けれど並べれば、どこか愛らしい調和も感じられて。
「こうして並べると、なかなか可愛いものだね」
「ええ……どれも個性があって、素敵です」
「はい! それぞれらしさが出ていて……!」
小さく微笑み合いながら。ふと視線は次の楽しみへと移ってゆく。
工房に並ぶようにあるのは、衣装の貸し出し屋だ。祭り用の華やかで、春らしい色彩の衣装が揃えられている。
「さて……衣装はどうしようか」
「種類も豊富で、見ているだけでも楽しいですね」
「既製品で合わせるのも良いと思います! 一体感も出そうですし……!」
それぞれに気になる品を手に取りながら、ふと魄が通りに行き交う人々に視線を巡らせた。
「……そういえば、さっき兎耳をつけている人を見たよ」
「うさ耳、ですか?」
春の祝祭、イースターといえばウサギが思い浮かぶ。
どうやらこの祭りでも、ウサギは祭りを象徴する動物のようだ。
「白は俺で、屍累さんは黒……土師さんは桃色で、三人兎、なんてどうだい?」
それぞれ指さしつつ、魄は満面の笑顔でにっこりと目を細める。
「えっ……! た、確かに……お二人なら黒兎と白兎って感じで……!」
「ふふ、それは楽しそうですね。捺さんもうさ耳、きっとお似合いになりますよ」
「わ、私もですか……!? で、でも……少し、気になります……」
少し戸惑いながらも、どこか楽しげに。
三人はそれぞれ色違いのぴょこんと立ったうさ耳を装着してみる。
春の賑わいの中、思わず駆け出したくなるような装いを身に着けた三人は足取りも軽やかに、集まりつつある人々の喧噪へと溶けていった。
●
「……お祭り……花も、布も……きらきら……」
密やか赤い眸をきらめかせ、小弓・佐倉は周囲を見回しながらぽつりと呟いた。視界に映るすべてが新しく、少しだけ眩しい。
「イルゼさんは……ああいう綺麗な布のお洋服、似合いそう……」
ひらひらふわふわな春色の色彩を、傍らに立つ氷雪纏う龍女に照らし合わせながら、小弓の眸がぱちりと瞬く。
「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」
イルゼ・ラウィーネ・ローゼンクランツはそんな小弓の言葉に、目を細めてやわらかく微笑んだ。
「一人で来るのは少し寂しかったから……二人が一緒に来てくれて、本当に良かった」
「――せっかく誘ってくれたんだ。楽しまねぇとな?」
ふたりの後ろに立つ木邑・零壱は肩をすくめつつも、どこか楽しげに周囲を見渡す。
「……祭りが始まるたびに妙なことが起きる、なんて話もあるが――」
せっかくの祭りなのだ、不安な気持ちを抱かせるよりも、楽しい思い出として残るほうがずっといい。
兎にも角にも、まずは祭りの準備だ。
三人は工房へと足を運び、道具が用意された卓へと腰を下ろした。
白い卵と、色とりどりの彩墨や絵筆がずらりと並んでいる。
「……卵に、絵……描けるんだっけ……?」
小弓はというと、職人の説明を賢明に聞いたあと、少し戸惑うように卵を見つめた。
「……いっぱい意味、あるんだね……どうしよ……」
色、属性、意味――選択肢の多さに、思考が絡まっていく。
――そのとき。
「……あれ……ヤグロ……なんで、虹色……?」
ふわりと漂う護霊が、彩墨の気配に反応するように七色に揺らめいた。その光を見つめて、小弓は気が付いたようにふっと息を抜く。
「……そっか……選ばなくても、いいんだ」
「お、いい気づきじゃねぇか」
小弓の様子を保護者のように横で見ていた零壱が、軽く頷いた。
「そう気張らず、肩の力抜いて大丈夫だと思うぞ? コキュー」
「……うん」
コクリと頷きながら、小弓はその小さな手で筆を取る。
色を選ぶのではなく、流すように。散らすように。花火のように、自由に。
一方で――
「卵に絵を描く……イースターエッグのようなものね?」
イルゼはどんな模様を描こうかと、白い卵をそっと持ち上げて眺めていた。
「力を入れたら割ってしまいそうだし……魔力操作の練習も兼ねて、こうしましょう」
触れずに、魔力で色を染めていく。そんなやり方があってもいいだろう。
白から青へ、全体をなめらかなグラデーションに染め上げて。その上に、繊細な雪の結晶を咲かせてゆく。冷たくも、美しい雪景色のように。
「……へぇ、使う色で属性が纏われる、か」
零壱も自分の卵を見つめながら、どう彩ろうかと思案していた。
「術師の連中が聞いたら、食いつきそうな話だな」
この仙術を籠めた彩墨そのものに興味を惹かれつつも、まずこの場は卵を着飾ってやるのが先だろうと。少し考え――さらさらと筆を走らせる。
「……色は絞るとして、『巡る』イメージ……季節の移り変わりを描いてみるか」
春、夏、秋、冬。
循環する色と意匠を、ひとつの卵に収めていく。
「……あ」
彩色が進む中、思わず小さな声が零れる。
見れば、小弓の手元でわずかに色が滲んでいた。
「……力加減、間違えた……変に……」
うぅ、と無表情ながら思わず俯いた小弓に、イルゼはそっと助言する。
「大丈夫よ」
やさしい声音と、微笑みを小弓に向けながら。
「失敗してもいいの。だって――失敗したという事実を、なかったことにすればいいのだから」
イルゼが片目で瞬きすれば、静かに今起こった現実が“修正”された。小弓が顔を上げれば、筆を滑らせて滲んだはずの色は最初からなかったかのように整っている。
「……あ」
小さく驚きの声が小弓から零れる。
「……相変わらず、とんでもねぇことするな」
苦笑しつつも、どこか安心したように零壱は肩をすくめてみせた。
やがて三つの卵が卓の上に並ぶ。
花火のように自由な色。静謐な雪の結晶。巡る季節の意匠。
「……こんなもんか」
声音は落ち着きつつも、何処か満足げに零壱はぽつりと呟いた。
「完成すると……妙な達成感あるな」
「……うん……なんか、いい」
「ふふ、どれもとても素敵よ」
それぞれ違う色。違う願い。
けれどどれもが、確かに唯一つの“かたち”を持っていた。
●
春の賑わいの中、工房の一角にて。
並べられた卵と色とりどりの彩墨を前に、ふたりは向かい合っていた。
「たまごに絵を描くのって、はじめてです……!」
廻里・りりは少し緊張しながらも、嬉しそうに真っ白な卵を手にとってみる。そして卵越しに見える向かい側の少年をちらりと覗き込み。
「せっかくですから……レモンさんをイメージして描いてみますっ」
「では僕も、りりさんに似合うたまごにしてみせますね!」
嬉しそうに少し息巻きながら、茶治レモンは意気揚々と絵筆を取る。
(可愛いのをプレゼントしますよ。唸れ、僕の絵心……!)
お互い頷き合い、卵へと意識を集中させる。
それぞれの“相手”を思いながら、色が選ばれていった。
「ええと……あわい黄色で、ぜんたいをぬって……太陽のもようを……」
りりは慎重に、けれど楽しげに筆を奔らせる。
「……はっ! どきどきして、息をとめちゃってました……!」
「ふふ、集中している証ですね」
「たまごって……まるくて、描きにくいですね?」
たまに首を捻ったり、うーんと唸ったり、少し困ったように笑いながら、それでもふたりの手は止まらない。
りりはひだまりのような太陽の下に、さらに二匹のねこを描いていった。
しゅっとした白い細身のねこと、桜色のまんまるなねこ。
隣り合うように、やさしく並べてあげれば――。
「テーマは……ねこさんたちの、ひなたぼっこ、です!」
一方で――
「りりさんは、やはり……やさしい夜のイメージでしょうか?」
レモンも筆を奔らせ、なめらかに色を重ねていく。
深い青から、淡い青へ。
ゆっくりと溶けていくようなグラデーションを描いてみる。
そこに白と黄色の飛沫を散らせば――きらめく星空が小さな卵に広がっていく。
「わぁ、……グラデーション……!」
こっそり見ていたりりの声が、思わず弾む。
「てまをかけてくださってる……! 星空、とってもきれいですっ」
「ありがとうございます。りりさんのも……」
レモンもふと視線を向けて、表情が少しやわらぐ。
「猫を描いてくださっているんですね。嬉しいです」
「ふふ、わかっていただけて、よかった……!」
ぱっと花咲く笑顔をこぼしながら、りりがレモンに見えるようにくるりと卵を回転させる。
「白ねこさんはレモにゃんで……この桜色は、満丸さんです!」
「ええ、ちゃんと分かりますよ。とてもお上手です」
レモンも嬉しそうに頷きながら、自分の卵に視線を移して少し首を傾けた。
「では……りりさんのたまごにも、猫を描きましょうか」
「えっ……!」
「可愛い黒猫を……」
綺麗な星の夜には、黒猫さんが似合うと思ったから。
レモンは改めて、真剣な面持ちで小さな黒い影を描き込んでいく。慎重に、丁寧に。
「……どう、です? 猫に見えますか?」
「わぁ……! かわいい黒ねこさん……!」
グラデーションの優しい夜に、空を見上げる黒猫が一匹ちょこんと現れた。
「ばっちりです!」
「それなら、もう少し仲間を増やしておきましょう」
「一匹だと、少し寂しいかもしれませんから」
二匹、三匹と、星夜の下に増えていく小さな黒猫たち。
「テーマは……猫ちゃんズの夜散歩、ですかね!」
「夜のおさんぽ……」
りりは、自分の卵と見比べながら――
「ふふ、みんなといっしょなら、さみしくないですねっ」
太陽の下で眠る猫たち。
星空の下を歩く猫たち。
ふたつの卵は、どこか繋がるように並び合っていた。
●
「彩蛋春祭、か……」
咲樂・祝光は賑わう繁華街の様子をちらりと見渡した。
桜舞う春の青空と色とりどりに着飾った通りを眺めれば。なるほど確かに、春祭りに相応しい麗らかな雰囲気ではある。
「……美しい祭りだなぁ」
ぽつりと呟いた、その傍らで――
「この世界のイースターは彩蛋春祭! いいよね、すっごく楽しそう!」
ぴょこんと長い兎耳を揺らしながら、エオストレ・イースターはきらきらと眸を輝かせている。待ちに待った春、イースター本番の季節! その勢いのままどこかへ行きかねないのを見て、祝光は無言で幼馴染の首根っこを掴んだ。
「わっ!? なにするのさ!」
「……別に。どっか行かれると面倒なだけだ」
「ふふ、祝光ったら心配性だなぁ。僕は何処にもいかないよ?」
「――心配なんか、してない」
すっぱり即答はしつつも、祝光の手はそのまましばらく離れなかった。
「それより見てよ! 飾り卵作りだって!」
未だ背中を摘まれつつ、エオストレが指さした先には彩墨と卵が並ぶ工房が見える。
「卵に絵を描くんだって。僕、イースターの化身だよ? こういうのは得意なんだ!」
「……彩墨で、色付け、ね」
祝光は少しだけ眉を寄せた。
(……絵なんて、得意じゃないんだが)
けれど。
「一緒にやろうよ!」
くるりと器用に振り返った幼馴染から向けられたまぶしい笑顔に、断る言葉は出てこなくて。
「……分かったよ」
しぶしぶ、といった様子で祝光はは掴んでいた手を離し、ふたり一緒に工房へと足を運んだ。
工房の卓の上には、色とりどりの彩墨や絵筆がずらりと並んでいた。
軽く説明を聞いたのち、ふたりはそれぞれの卵と向き合う。
「何を描こうかな……うーん。やっぱりイースターにしよう!」
エオストレはぱっと思い浮かんだイメージを固め、迷いなく彩墨を選び始めた。
翠を基調に、淡く重ねる春の色。
桜の花びらが舞い、そこに兎が躍る。
薄紫と、春曙のような色合いの兎を描けば――。
「できた! 僕たちのイースターエッグだ!」
一方で――
「……何が描けるかな……」
祝光はいざ筆を持ってみたものの、見事にそのまま固まっていた。
「――祝光、そんなに悩むもの!?」
「う、うるさい! 熟考してるんだよ!」
うぅん、と首を捻りつつ、たまに小さく唸りながら、なんとか描きたいイメージを絞り出してみる。
「……とりあえず」
まずは水色を選んだ。
空の色だ。春のような爽やかで、温かな空の色を淡く塗り広げてみる。
そこへ、薄紅を重ねる。
桜、のつもりで描いたものは、少し形が崩れて――。
いやいや、これは何と言おうと桜なのだ。
薄紅の花びらを慎重に描きながら、ふと、記憶がよぎる。
――満開の昼桜。家族で見上げた、あの春の。
「……」
「おっ、いい感じじゃん!」
エオストレにひょこりと覗き込まれて、祝光はふと我に返った。
「独特な感じだね! 混沌の春みたいで綺麗だよ!」
「……は!? 混沌の春ってどういうことだよ!」
「えー、だってほら、この辺。色が混ざってて綺麗だよ?」
「ぐ……っ」
エオストレはきっと純粋に褒めているつもりなのだろう。
なんとも言い返せず、祝光はむぅっと歯噛みする。
試しにちらりと隣を見れば、彼の卵は美しく整っていて――どこか、悔しい。
「はい、できた!」
最後の仕上げを施し、エオストレは満足げに卵を掲げる。
「どう? 上手でしょ!」
「……ああ、まあ……」
認めたくはないが、確かに芸術的だった。
「祝光のも、独特でいいよ! 混沌の春って感じ!」
「だからそれ何なんだよそれ……」
思わず小さく息を吐く。
それでも――
「……まあ、いいか」
混沌の春を宿した自分の卵に視線を落とす。
(これがお守りになるかは、正直分からないが)
未だ嬉しそうにはしゃぐ幼馴染をちらりと横目で見て。
(……君が、いつまでもこんな調子でいられるように)
そんな祈りをそっと籠めてみる。口には出してやらないけれど。
――そのとき。
「はい、これ!」
目の前に差し出されたのは、エオストレの卵だった。
「……は?」
「祝光のお守り!」
にぱっとエオストレが笑う。
「どこまで行っても、僕らは一緒で――独りじゃない!」
「……」
「たくさん祝福が咲くようにさ!」
まっすぐで純粋な言葉だった。まっすぐすぎて、少しだけ視線を逸らしてしまうくらいに。
「……はぁ。混沌の春でよければ、やるよ」
祝光も自分の卵を、ぶっきらぼうに差し出した。
「やった!」
自分の作ったお守り卵を嬉しそうに受け取るその様子に、祝光の口許がほんの少しだけ緩む。
たとえどこまで行ったとしても、離れる気なんて最初からないけれど。
●
春の賑わいの中、彩墨が並ぶ工房の一角で。
淡く光る色彩の数々に、思わず足を止めるふたりの姿があった。
「すごい……カラフル、ですね……」
セレネ・デルフィはきょろきょろと周囲を見回しながら、小さく息を漏らす。
「白い卵に色をつける、なんて……初めてで、悩んでしまいます」
「わぁ、本当だ……! 淡く光ってて綺麗……!」
夕星・ツィリも同じようにきらきらと眸を輝かせて。
「私も初めてだから、どんな色にしようか迷っちゃうなぁ……」
用意された彩墨や筆などを思い思いに手に取りつつ、早速それぞれの卵へ向き合った。
「あ、この碧……水の属性なんだ。いいな、これ使いたいかも」
「夕星さんは……どんな絵を描くんですか……?」
「私は、この碧で海を描こうかなって!」
迷いなく答えたツィリの手には、海のような碧色の彩墨瓶がちゃぷりと揺れる。
「明るい浅瀬の海岸がイメージかな?」
「海……素敵ですね……」
不思議と彼女に相応しいような気がして、セレネはふわりと笑みを零す。
「私は……うぅん……空をテーマに、しようかな、と」
そっと筆を取って、浮かんだイメージを言葉にしてみる。
「青空に、白い雲……うさぎさんとか、鳥さんの形でも……いいかも」
「わ、絶対かわいい……!」
ツィリもその光景を想像して、ぱっと表情をほころばせた。
「完成したら、見せ合いっこしようね!」
「はい、是非……! 楽しみです、ね」
やわらかく頷き合って。
静かに、それぞれの色彩が真っ白い卵のキャンバスへ広がっていく。
セレネは、深い青から淡い青へと、空の色合いを丁寧に重ねる。
その上に、ふわりと浮かぶ白い雲。
羊のような、うさぎのような――やさしいかたちも足しながら。
「こんな感じ……でしょうか」
一方、ツィリは白い砂浜を描き、そこに碧い海を広げていった。
水面には白を混ぜ、光を宿すように。
波打ち際にきらめく貝殻や、水面を泳ぐ魚の影も添えて――
「うぅん……これで、水面に見えるといいな」
お互い真剣に向き合いつつ、少しの沈黙が続いた。
――やがて。
「……できました」
「――できた!」
ぱっと同時に顔を上げたふたりは、思わず視線を合わせて笑い合い。
「セレネちゃんは、どんな感じにできた?」
「はい……」
そっと差し出された卵を見て、ツィリの眸が輝く。
「わぁ……!」
「この雲、動物みたいでとっても可愛い……!」
「えへへ……そうなんです。動物のかたちをイメージしてみました」
ちゃんと伝わっていることが嬉しくて、セレネは少し照れながら視線を逸らす。
「それに、この色……空の変わり方もすごく綺麗!」
「ありがとうございます。夕星さんのも……?」
今度は、セレネがツィリの手許を覗き込む。
「わぁ、とても綺麗な海……貝殻やお魚さんも……素敵です」
「ほんと? よかったぁ」
ツィリもほっとしたように笑い。
「――セレネちゃんって、空が好きだったりする?」
じっと空色の卵を見つめながら、ふとツィリは問いかける。
「は、はい……好き、です」
セレネは少しだけ間を置いて、自分の卵に視線を落とし静かに答えた。
「……少し、特別で」
「やっぱり」
ふふ、とツィリは嬉しそうに頷く。
「私も海が好きで描いたから、なんとなくそうかなって思ってたんだ」
好きなものに籠めたそのヒトの想いって、なんとなく伝わるものなんだなって。
「……そう、なんですね」
その言葉に、ふたりの距離がほんの少しだけ近付いた気がした。
――空と海。
違うもののようでいて、どこかで繋がっている色彩。
並べられたふたつの卵も、不思議と似た気配を帯びているようだった。
●
春の祭りの喧騒の中、ひときわ落ち着いた足取りで歩く小さな影があった。
「卵を彩り、それが力を宿す……」
レイパスト・サンカバーは、工房に並べられた彩墨を遠巻きに見つめる。
「星に生命が芽生える様に似ておるな……」
静かに思索を巡らせながら、周囲の様子に少し気を配り。
「……故に、気になる話もあるが」
けれどまだ不穏な気配はしない、和やかな空気にわずかに目を細め――
「――今は祭の華やかさに身を委ねるとしよう」
そう結論づけると、視線を別の方向へと向けた。まずは色とりどりの布が揺れる貸衣装の出店だ。
「先ずは、装いを相応しい物にする為……」
足を踏み入れた衣装屋に並ぶ服はどれも色鮮やかで、異国の風を感じさせるものばかり。
「中華と西洋の折衷……そのような服もあるのだな」
感心したように頷きながら、店員に勧められて手に取ったのは、桃色を基調とした衣装だった。
「……」
(な、なんだこの色は……)
試しに袖を通してみた鏡に映る自分の姿に、わずかに視線を逸らす。
(少し……いや、だいぶ……気恥ずかしいのではないか……?)
普段は黒衣を纏うことが多い自分には、些か華やか過ぎる色彩だ。
(だが……)
胸元に、ほんのわずかな高鳴り。
(……不思議と、心が躍るな)
小さく息を整え、軽く頷く。
「たまには……悪くないないだろう」
そう言って桃色のひらふわした衣装を身に纏い、レイパストは店を後にした。
そうして再び工房へと足を運ぶ。
用意された白い卵と彩墨を前に、軽く職人の説明を聞き終えれば静かに腰を下ろす。
「では、卵に彩りを描いてゆこう」
少し覚束ない手つきで、筆を取る。
「この星の如く、様々なものを描いても良いが……」
少しだけ考え――
「いや、ここは一つに絞るとしよう」
選んだ色は、朱。
さらさらと、筆は迷いなく動いていく。
描き出されるのは――焔を纏う、一羽の鳥。
力強く、気高く。
――の、はずだった。
レイパストはやがて手を止め、出来上がったそれを見つめる。
「……って、か、かわいらしい!?」
思わず小さな声が裏返る。
そこにあったのは、どこか丸みを帯びた、愛嬌のある“焔の鳥”だった。
(なぜだ……! 確かに、意のままに描いたはず……!)
改めて、自分の創造したそれをまじまじと見つめる。
(……随分と、丸っこい……)
暫しの沈黙。
(……今の我は、斯様なものを欲している、のであろうか……?)
ぽつりと浮かぶ疑問に、自分でも少し驚いた。
と、そのとき――
「もしもし、キミ。親御さんはどちらにいるのかな――?」
「な、なぬ!?」
はっと顔を上げる。
例のごとく、自分のこの姿を見て子供が迷い込んだと勘違いされたのだろうか。
「お、親御さん……!?」
周囲を見回し、レイパストは慌てて姿勢を正す。
「あ、後で合流する故、心配には及ばぬぞ……!」
やや早口でそう言いながら、にっこりと満面の笑顔を取り繕ってみる。
頬にほんのりと熱が宿るのを感じながら、手許の卵を大事そうに掌の中で包み込む。
繁華街を賑やかす春の喧騒は、変わらず続いていた。
●
春祭りの喧騒の中、人混みの中からひときわ軽やかな声が弾けた。
「せーんぱい、見て見て~!」
くるりと春色の布を翻しながら 曇天・ぱぅるは女物の漢服に身を包み、その場で一回転してみせる。
「……何で女物?」
憂・サディストは漸く見つけた連れのその姿をじっと見てから、短く問い返す。
「えー、可愛くないですか?」
「突然消えたと思ったら、呑気にお着替えか」
はぁ、と溜息混じりに額に掌を添えながら。
「てっきりはぐれたのかと。俺は迷子センターでも探そうかと思ってたトコロだよ」
「えー、そこまで心配してくれたんですか?」
ふふふ、と意味深げに桃色の眸を細め、ぱぅるは口許を歪めて笑う。
「俺がこの世界にいた頃は、こうすれば皆喜んだのになぁ……」
ひらりひらりと裾を揺らしながら、宛ら天女のように踊るぱぅるを見て、サディストは再び小さく息をつく。
「まあ……お前が楽しいならいいんじゃないの」
「ふふ、そうそう。先輩の言う通り。俺が楽しいからいいの~」
そんなこんなで、ふたりは工房へと足を運んだ。
職人から軽く説明を聞いたあと、白い卵と彩墨が並ぶ卓に並んで座る。
「それじゃー、たまごを塗りましょ!」
ぱぅるは既にイメージが固まってたんだ~とでも言うように、迷いなく桃色の彩墨を手に取った。ふわりとした春色を広げ、そこに次々とハートを描いていく。
春らしい桃色に、カラフルなハートがたくさんの可愛らしいイースターな卵だ。
一方で――
「卵が加護や力を宿す、か……」
サディストは彩墨に籠められた力や属性を考えつつ、静かに筆を取った。
「……俺達の仕事柄、怪異に効きそうな加護がいいな」
まず選んだのは黒。
迷いなく、一気に白い卵を暗闇で塗り潰す。
「……手始めに、真っ黒にして」
その上に、淡々とした思考で筆を走らせる。
「般若心経でも写経するか……」
「……先輩のたまご、どす黒~い」
横から覗き込んでいたぱぅるが、くすりと笑う。
「ある意味、先輩らしいですけどね」
集中しているサディストを横目に、ついつい出来心で自分の筆が伸びる。
「えいっ」
「……こら、勝手に何してる」
真っ黒な闇色の卵に、ぽん、とピンクのハートがひとつ浮かんだ。
「おれのハートも、黒で塗り潰していいですよ?」
ふふ、と悪戯っぽく笑いながら、ぱぅるはふわりと桃色の髪を揺らした。
サディストの黒い眸が横目で睨む。
「わぉ、先輩こわーい、ですよ?」
ニコニコと自分へ向けられた笑顔から少し目を逸らし、サディストはまた溜息をひとつ。
「好きに書き足せば良いよ。……どうせ元から、お前にやるつもりだったしな」
ぱぅるは一瞬、眸をぱちくりさせて――
「ホントですか!? やった~!」
桃色に彩られた、柔らかな卵。
黒に覆われ、経が刻まれた卵。
並べて置けば、まるで正反対だけれど。
「やった、ふたつとも俺のたまごだ!」
嬉しそうにニコニコと笑顔をこぼしながら、ぱぅるは無邪気にはしゃいでいる。
「お前って本当に、何でも喜ぶよな……」
呆れたように呟いて。
「でもホントに、どんな願いも叶いそう」
試しにと、ぱぅるはさっそく自分の願いを言葉に出してみる。
「先輩が、これからも俺と遊んでくれますよーに」
「――なんてね」
ちらりと横を見て。
「ね、先輩?」
「……」
一拍の間。
「――今後も、俺の“後釜”は任せたよ、博士」
サディストは視線を逸らしたまま、そう返す。
「これ見よがしの願いで、本人にプレッシャーかけるのやめて貰える?」
「えー?」
春の喧騒の中、軽やかな笑い声が響き渡った。
●
春の風に桜が舞う中、仕立て屋工房「laz berry」の五人はお祭り前の賑わいに足を踏み入れていた。
「――春祭、賑やかで桜もとっても綺麗だね!」
きらきらと海色の眸を耀かせ、鴛海・ラズリは弾む声で皆の方を振り返る。
「気分を盛り上げるには、かたち から!」
お祭りに合わせて中華風の衣装に身を包んだラズリは、くるりと回る。
「というわけで、こんなの着てきたんだけど。どうかな?」
「わぁ、ラズリちゃんすごく似合ってる!」
ふわりとしたラズリの衣装を見て、靜石・鏡子もそわそわと眸を輝かせた。
「私もそういう中華な衣装、着てみたいな……!」
「ふふ、鏡子も一緒に、ぜひ!」
「わあ! ラズリ、雰囲気バッチリだ!」
アンジュ・ペティーユもラズリの仕立てに、ぱあっと笑顔を咲かせ。
「ふふ、ラズリさんは気合十分ね」
その傍らで、兎沢・深琴も穏やかに微笑みを向ける。
「あたしも、何か着てくればよかったなー!」
くぅ~と少し残念がるアンジュを横目に、深琴はすっと指を差して。
「貸衣装もあるみたいだし、後で見に行ってみる?」
「そうだね、せっかくだから皆で着るお揃いコーデとか、してみたいなっ」
「わぁ、そのアイディア素敵……!」
ラズリの提案に皆が賛同する中、クラーラ・ミュスティアウゲンは少しだけ距離を取りながら、楽しげなその雰囲気を眺めていた。
華やかな衣装、明るい声。
近い距離にあるそれらは、自分にとっては少しだけ慣れなくて落ち着かない。
「クラーラは、どんな衣装が着てみたい?」
ラズリがぴょこんと顔を覗き込む。
「えっ……私もですか?」
クラーラはわずかに戸惑う声を小さく零し。
「いいじゃんいいじゃん! クラーラも似合うって!」
アンジュが楽しそうにぽんっと背中を押す。
せっかく皆で来たお祭りなんだから、楽しまなくちゃと後押ししつつ。
「そ、そうでしょうか……?」
それならばと悩み始めたクラーラに、うんうんと皆で頷き合いながら。
「それじゃあ、衣装選びは考えておくとして……まずは飾り卵作りにいってみようー!」
そのまま五人は、工房へと足を運んだ。
用意された卓には、白い卵と色とりどりの彩墨や絵筆がずらりと並んでいる。
「自分用でもいいし……お土産でもいいよね?」
ラズリは筆を取りながら、描くのは好きだけど、絵心はあんまりなんだよなぁと呟きつつ。
「でも卵に何かを描くって、なかなか難しそうだよね……!」
鏡子も丸い卵をくるりと回しながら、軽く首を傾げてみる。
「そうね、私も描くのは苦手ではないけど、得意かと言われると……」
深琴も同じく、ちょっぴり自信がないかも、と零しながら。
「確かにコレは、難しそう……!」
アンジュもいざ道具を目の前にすると、少し気後れしてしまいそうになる。
「……私も、こういったことは初めてですが……」
クラーラも初めての体験に、少し不安げな様子で。
「でもでも……!」
鏡子がぱっと顔を上げて。
「みんなで、一緒に頑張ろう!」
「ふふ、そうね。こういうの、嫌いじゃないもの」
「だね……! まずは挑戦してみなくちゃ!」
「そう、ですね」
「よし! 改めてがんばってみよう……!」
それぞれが筆を持ち、並ぶ彩墨に静かに意識を向けた。
「……ではまず、この色を」
クラーラは澄んだ気配を頼りに、碧の墨を手に取った。
「クラーラの、それすごく綺麗な色!」
隣からアンジュが覗き込みつつ。
「澄んでて、落ち着くね! なんだか流れる水みたいな~……」
「……あ、ありがとう」
手にした気配は確かに合っていたようで、クラーラは少しホッとした様子で小さく頷く。
「あたしは、どうしようかなー……」
春らしい定番のピンク色も可愛いけれど、せっかくだから何か意味も込めたいと思いつつ。
むぅ、と口を尖らせて少し考えてから、ぱっと顔を上げ。
「紫にしよ! 強そうだし!」
きっと雷属性っぽい、紫色の彩墨を手に取った。
「私は、朱色と桜色にしようかな……!」
鏡子は和と春のイメージでその二色を選ぶ。
朱色に塗って、その上に桜を舞わせ、和柄風に模様を描いていく。
「じゃあ私は瑠璃色……それと、星を描こうかな」
ラズリも思い描いたイメージの色彩を選んでいく。
いつもの工房から視える、瑠璃色の星空をめざして。
周りの皆が作業を進める中、深琴は最後まで悩みつつ。
「私は……萌黄色にしようかしら」
描いてみたいものは沢山あるけれど、あまり難しくないものをと。
春の新緑を思わせる、萌黄色を選んでみた。
そうしてそれぞれが色を選び、筆を取る。
やがて、静かな時間が流れ始めた。
ラズリは瑠璃色の中に、きらきらと星を散らし。
鏡子は朱の上に、ひらひらと降る桜を舞わせて。
深琴は萌黄の上に猫の足跡を点々と足す。
クラーラは碧で、静かな水の流れを描き。
アンジュは紫の上で、うさぎと格闘していた。
「うさぎ……むずかしい……!」
「が、がんばって、アンジュさん!」
「大丈夫よ、ちゃんとウサギに見えるし可愛いわ」
「ほ、ほんと!?」
アンジュは思わずぱっと顔を上げ、皆の進捗にも眸を輝かせた。
「クラーラの碧、すごく綺麗……流れるみたい」
「はい、私も頑張ってみてます……」
クラーラの手許が僅かに震える。慣れないのもあるし、人と居る緊張のせいかもしれない。
「ラズリちゃんの星も素敵! 夜みたい!」
鏡子がきらきらと燦めく卵を見つければ、ぱぁっと声音も華やいで。
「えへへ、工房から視える景色を描いてみたの」
瑠璃色の空と星の欠片、素敵なおまもりになりますようにと願いを込めながら。
「深琴さんの猫さんの足跡も、可愛い!」
「迷いなく景色を彩りに浮かべている気配がします……描くのがお好きなのですか?」
「ええ、描くのは好きよ。猫が散歩してるように、見えるかしら?」
「ちゃんと見えるよっ。足跡とか、細かい部分まですごい!」
そうして、五つの卵が卓の上に並んだ。
瑠璃、朱、萌黄、碧、紫――
それぞれ違う色と模様が、春の光を受けてやわらかく輝いている。
「難しかったけど、やっと完成だね……!」
「なんだかとっても達成感!」
「こうして並べると、カラフルね」
(……自分の色も、一緒に並んでいると嬉しいですね)
(やっぱり私のうさぎ、歪かも……!)
「これ、並べてみると……すごく綺麗だね」
「うん、それぞれ違うのに、ちゃんとまとまってる感じ」
「色の相性もいいのかしらね」
「……そう、ですね」
「なんか、ひとつの景色みたい!」
それぞれが静かに頷く。
「――あ」
鏡子の眸が、ふっと輝いた。
「ねえ、この“みんなの色”を使って……もうひとつ、卵を作ってみてもいいかな?」
そうして六つ目の、新しい白い卵を手に取る。
「ひとりひとりの卵も素敵だけど……」
「みんなの色を少しずつ重ねたら、どんな彩りになるのかなって」
鏡子の提案に、五人はそれぞれ顔を見合わせて。
「……それ、いいね!」
「面白そう! やろやろ!」
「少しずつなら、問題ないわね」
「……合作、というやつですね」
それぞれが、自分が使った彩墨をほんの少しずつ差し出す。
瑠璃、朱、萌黄、碧、紫。
鏡子はそれらを受け取りながら、丁寧に色を重ねていった。
「ラズリちゃんの瑠璃は、ここに……」
「クラーラさんの碧は、流れるように……」
「深琴さんの萌黄は、このあたりに……」
「アンジュさんの紫は、アクセントに」
「そして、私の桜は――」
最後に、ふわりと舞わせる。
「みんなで、素敵な春を迎えられますように――なんて願いを込めて!」
そこに生まれたのは、どれとも違う、けれど確かに“全員の色”を持った卵だった。
「わぁ、すごい……!」
「ちゃんと、みんなの色がある……」
「不思議ね、まとまって見える」
「……ええ、とても素敵な気配を感じます」
五つの卵の隣に、そっと置かれる六つ目の卵。
それは、誰か一人のものではなく――
この場にいた全員で生まれた、ひとつの彩だった。
第2章 日常 『積層都市のお祭り!』
春の陽が積層都市の街路をやわらかく照らす頃。
彩蛋春祭は、いよいよ本番の刻を迎えていた。
朝よりもさらに人波の増した通りには色鮮やかな提灯が幾重にも連なり、桜並木には絶えず笑い声が弾んでいる。花びらは風に乗って舞い、祭り衣装のへ肩へ、屋台の軒先へとひらりひらりと舞い降りていた。
道の両脇に並ぶ屋台からは、白い湯気と香ばしい匂いが立ちのぼる。
蒸籠の中には熱々の小籠包や焼売、ふっくらとした肉まん。甘味処には薄紅色の桃饅頭、杏の蜜をかけた団子、胡麻餡を包んだ揚げ菓子など、春を映した品々が所狭しと並んでいた。
他にも、花の香を移した茶、串に刺した肉や野菜を仙火で炙る店、薄く焼いた生地で甘味を包む店、きらめく糖衣で果実を飾った菓子屋台などもあり、どこから巡るべきか迷うほどだ。
広場では仙術灯が花のように開いて淡い光を散らし、軽やかな楽の音が通りへ流れていた。
その賑やかな様子を眺めていれば、やがて通りの奥から銅鑼と笛の賑やかな音色が近づいてくる。
人々が道を開けば、春祭の巡行列が姿を現した。
先頭をゆくのは、幾人もの担ぎ手に操られた大掛かりな龍灯だ。長い身体をうねらせながら宙を泳ぐその姿は、まるで本物の龍が街へ舞い降りたかのよう。鱗めいた灯篭は赤や金へと色を変え、歓声を浴びてきらきらと輝いている。
その後ろには、巨大な彩蛋を据えた花車がゆっくりと続いていた。
卵の表面には鮮やかな紋様が浮かび、花車が進むたび桜の花びらと色紙片がふわりと舞い散っていく。
子どもたちは目を輝かせ、大人たちは杯や茶杯を掲げ、積層都市の人々はそれぞれのやり方で春の訪れを祝っていた。
卵を抱えて歩く者、衣装姿で記念の写真を撮る者、屋台巡りに夢中になる者――そのどれもが、この祭りらしい過ごし方だろう。
――もっとも。
祭りの熱気の裏で彩蛋がかすかに震えた気がした、と囁く者もいる。
胸騒ぎめいた気配はあれど、空はまだ穏やかだ。
ならば今は、この春の一日を楽しむとしよう。
さて――
あなたはどこから巡るだろうか。
●
春の陽がやわらかく降り注ぐ通りは、祭りの熱気に満ちていた。
提灯が揺れ、桜の花びらが舞い、屋台からは絶えず香ばしい匂いが漂ってくる。
「騒がしくなってきたね」
白兎の耳を揺らしながら、目・魄は人混みをゆったりと歩く。
どこか気楽で、どこか楽しげに――まるでこの賑わいを丸ごと味わうようにしながら、茶を振る舞う屋台で差し出された小さな茶杯を彼は迷いなく受け取った。
「商売上手だ。こういうのは断る理由がないね」
ふわりと立ちのぼる香りを楽しむように、眸を細める。
香ばしい焙じの気配に、花を思わせる柔らかな甘い香りが重なった。
「いいね。この世界の茶は、香りが遊んでいる」
その様子を、少し離れた位置から静かに見ていたのは屍累・廻だった。
黒兎の耳をつけた彼は、人波と巡行列、その両方に目を配りながらも――
(……微かに、視えますね)
だがそれはまだ、確かな“兆し”には遠い。
ゆえに彼は、そっと視線を賑わいへと戻した。
「露店も巡行列も、どちらも見応えがありますね。お二人は、見たいものはありますか?」
穏やかな声音でそう問いかける。
「全部、かな」
即答したのは魄だった。
「せっかくなら、食べられるだけ食べたいし、見られるだけ見たい」
「わ、私も……!」
土師・捺が思わず声を上げる。
そしてキョロキョロと、あたりを見回し――
「いい匂いがしてきたし……見慣れない食べ物も沢山ある……!」
視線の先には、蒸籠から湯気を上げる肉まんや焼売、艶やかな飴をまとった果実の串。
「巡行列も見てみたいし……でも、美味しそうな匂いも……」
ほんの一瞬、真剣に悩み――
「……やっぱり、食べます!」
きっぱりと宣言した。
そのまま彼女は、大きな肉まんを蒸している屋台へ走っていき、顔を見合わせた魄と廻は彼女のあとをゆっくりとついて行った。
「あ、これ……糖をかけた果実のお菓子、ですよね?」
無事に抱えるほどの大きな肉まんの袋をゲットした捺は、隣の店の艷やかなきらめきも気になる様子で。
「糖葫芦だね。果実の種類も色々あるみたいだ」
「た、たんふーるー??」
「まあ、見ての通り果物に砂糖飴を纏わせたお菓子だね」
魄は興味深そうに色とりどりの串を見比べる。
「いろんな果実を試してみるのもいいね。皆で別々のものを買うとか」
「わぁ、それはいいですね!」
捺は苺の串を、魄は葡萄の串をそれぞれ購入したところで、いつの間にか二人から離れていた廻も合流する。
「そちらの店で飲み物とつまみも買ってきましたよ。一旦どこかで休憩しません?」
「いいですね! 賛成です!」
廻が調達してきたのは、花の香り溢れるお茶に焼売、それから小振りな杏の団子だ。
「飲み物はこちらを。花の香りの茶です」
「ありがとうございます!」
捺はふわりとした香りに癒されながら、ほっとしたように息をつく。
「こうして、色々と食べ比べるのも楽しいね」
魄も皆との購入品を分け合いながら、満足げに微笑んだ。
と、そのとき。
『……ちゅっ!』
「おや?」
ひょっこりと、廻の肩に小さな影が現れる。
「朧、来ていましたか」
小玉鼠妖怪の《朧》がくんくんと鼻を動かしながら、甘い匂いに惹かれた様子で顔を覗かせたのだ。
「仕方ないですね……これをどうぞ」
廻は糖葫芦をひと粒外し、そっと差し出す。
《朧》は嬉しそうにそれを受け取り、ちゅっちゅっと小さく音を立てて食べ始めた。
「こういうのんびりした時間も、いいですね」
その一方で捺はこっそりと肉まんをちぎり、もそもそと自分の懐を覗き込む。
分けた肉まんは衣の内側――人目につかぬように潜ませた護霊、土蜘蛛「夜丸」へと手渡して。
(……見えないように、ね)
見た目はちょっぴり怖い相棒だから今は隠れてもらっているけれど、せっかくなので一緒にお祭りを楽しんでほしくて。
遠くでは銅鑼と笛が鳴り、龍灯がうねり、巨大な彩蛋の花車がゆっくりと進んでいた。花びらが舞い、歓声が広がり、祭りは今、最も華やかな時を迎えている。
「さて――次はどうする?」
魄が振り返る。
「向こうも行ってみましょうか」
廻が穏やかに指し示し、
「はい! 折角だし、行けそうな所、全部行きましょうっ!」
捺が元気よく頷いた。
春の一日を余すことなく楽しむように。
三人は再び、人の流れの中へと歩みだしていった。
●
春の陽射しはやわらかく、通りには人々の笑顔と賑わいが満ちていた。
提灯の色が風に揺れ、桜の花びらがふわりと舞い降りるたび、まるで光そのものが散っているかのように見える。
「まぁ! 賑わってますねぇ」
物部・真宵は、穏やかな微笑みを浮かべながら周囲を見渡した。
それから、ふわりと温もりを感じさせる声音でそっと隣のふたりへ問いかける。
「おふたりとも、何か気になるものはありますか?」
「わぁ、朝よりずっと綺麗……!」
吉祥・わるつは眸を輝かせ、空を仰ぐように提灯と桜吹雪を見上げていた。
「提灯の色も、桜吹雪もやわらかくって……」
そしてふと、屋台の並ぶ方へ視線を落とす。
「私、あのクレープみたいなものが気になってて……肉まんやお団子もおいしそう。フルーツって、あんなにきらきらして見えるのね」
「ふふっ、みんなたのしそう! とてもすてきね?」
眞白柔らかな髪を揺らしながら、フルール・ペタルもまた、弾むような声で屋台を見渡す。
「おまつりはやっぱり、にぎやかでなくっちゃ。屋台もたくさんあるわ?」
目に映るものすべてが楽しくて仕方ない、といった様子だ。
「わたしは杏の蜜をかけたお団子と、花の香を移したお茶が気になりますね」
真宵はゆるやかにそう言って、ふたりを見守るように微笑む。
「では――」
ほんの少し楽しげに声の調子を変えて、提案した。
「みんなそれぞれ食べたいものを買ってきて、シェアしましょうか」
「はぁい!」
わるつは素直に頷き、ぱたぱたと屋台へ向かう。
「そうね、みんなで“しぇあ”しましょ!」
フルールも楽しげに続いた。
やがて三人は、桜の花びらがやさしく舞う、陽だまりの一角へと集まる。
「さぁ、おふたりとも、どうぞ」
真宵が並べたのは、杏の蜜をかけた団子と、淡く花の香りを湛えた茶。わるつは甘く包まれた果実や軽やかな生地の菓子を、フルールは肉まんや小籠包、そしてきらきらと光る果実飴を持ってきていた。
「まぁ……!」
フルールが目を輝かせる。
「どれもぜんぶ、おいしいわ?」
「もちもちのお団子に、ふかふかの肉まん……」
真宵もゆったりと味わいながら、穏やかに言葉を紡ぐ。
「果物はまるで春の欠片のようにきらきらしていて……気持ちも明るくなりますね」
「ほんとう……すこしずつ分けあうのって素敵」
わるつも頬を緩めながら、もぐもぐと味わう。
「何倍も美味しく感じられるんだもの」
甘いものとしょっぱいものを交互に楽しみながら、自然と笑みがこぼれていく。
「お茶もすてきね」
フルールがそっと茶杯を傾ける。黄金色に耀くお茶は、見た目も香りも華やかだ。
「お花の香りがうれしいの。……お茶って、おみやげにできないかしら」
「あ、お茶の葉が売っていればお土産にできるかも?」
さっき屋台にあったような? とわるつが思い出すように首を傾げて。
「ええ、きっと売っていると思いますよ」
真宵も優しく応じながら、ふと通りの賑わいに視線を向ける。
「――あら。おふたりとも、あちらを」
真宵が静かに指し示す先。
通りの奥から、銅鑼と笛の音が近づいてくるのが聴こえた。
「龍灯がいらっしゃいましたよ」
賑わう繁華街の通りをゆくのは、長い身体をうねらせる龍灯。
その鱗は光を受けて色を変え、まるで生きているかのようにしなやかに舞う。
「まぁ、あれが龍灯……」
わるつは思わず息を呑んだ。
「とっても立派で綺麗……それにかっこいい……! まるであの子が春を連れてきたみたい」
「りゅう? ほんとうに生きているみたい!」
フルールもきらきらと眸を輝かせる。
「色が変わるのもふしぎ! とてもきれいな子」
花びらが舞い、光が流れ、龍は春の中を進んでいく。
「こうして春の訪れを喜ぶのは、どの世界も一緒なのですね」
真宵は静かに眸を細めた。
「ふふ……お二人と逢えたことが、春を迎えてうれしい出来事のひとつになりました」
わるつの言葉に、
「ええ、きっと今年もすてきなものになるわ?」
フルールも花のように柔らかく微笑んだ。
やさしい春の光の中で。
三人はしばし、その美しい巡行を眺め続けていた。
●
春の陽はやわらかく、通りには絶えず人の流れと賑わいが満ちていた。
提灯の灯りと桜の花びらが重なり、どこか夢の中のような光景が広がっている。
屋台の並ぶ通りに足を踏み入れたセレネ・デルフィは、ふわりと漂う香りにそっと眸を細めた。
「準備のときも、気になるものは沢山ありましたが……」
ゆっくりと、空気を吸い込むようにして。
「香りを感じると……より一層、気になりますね」
その隣では、夕星・ツィリがきらきらと海色の眸を輝かせている。
「わぁ、美味しそうな香りがいっぱい……!」
蒸籠の湯気、鉄板料理の焼ける音、甘い香り――すべてが食欲をくすぐる。
「あの桃饅頭と、杏の蜜をかけたお団子が特に気になる……!」
だが視線はすぐに別の屋台へ。
「でも他のも気になる……うーん、欲張りになっちゃうね」
くすっと笑いながら、ふとセレネの方を見やり。
「セレネちゃんは、食べたいものあった?」
「私は……」
セレネは少し考えるように視線を巡らせてから、ゆっくりと。
「花の香を移したお茶と……揚げ菓子と……それから、あのキラキラした果物の……」
糖葫芦を指さしながら、どこか控えめに言葉を続ける。
「それと、夕星さんの挙げていたものも……気になっていて」
そして、ほんの少しだけ勇気を出すように。
「その……もし良ければ、一口、交換しませんか……?」
「あ! それ、いいね!」
ツィリはうんうんと迷いなく頷いて、ぱぁっと笑顔を返す。
「私もそれ気になってたし、誰かと“美味しい”を分け合えるのって素敵なことだもん!」
明るく返された言葉に、セレネはほっと胸を撫で下ろす。
ふたりはそれぞれ甘味処へ向かい、気になっていた品々を手に屋台を巡った。
――合流したふたりは、さっそく卓の上にそれぞれの購入品を並べた。
塩っぱいものから甘いもの、それから良い香りのお茶。キラキラ耀く誘惑を前に、ふたりは思わず視線を合わせて笑顔で頷き合う。
「いただきます!」
ツィリが元気よく声を弾ませた。
セレネも静かに頷き、揚げ菓子をそっと一口。
「……! おいしい……」
祭りの賑わいと一緒に、その空気ごと味わうように。
「なんだか……こういうところで食べると、もっと美味しく感じますね」
「ふふ、だよね!」
ツィリもお団子を頬張りながら、嬉しそうに頷く。
「夕星さんも、こちら、よかったらどうぞ……」
「わーい、ありがとう!」
セレネから差し出された揚げ菓子を一口ぱくり。頬を緩める表情に美味しさは表れていて、ツィリも交換こ、と自分の桃饅頭を差し出す。
「はい、セレネちゃんもどうぞ!」
「わ、ありがとうございます……」
セレネもそっと桃饅頭を受け取り、口に運べば、ふわりとやさしい甘さが広がり、思わず花がほころぶような笑みがこぼれた。
糖葫芦のきらめく飴、杏の蜜のやさしい甘さ、揚げ菓子の香ばしさ。
それぞれの味が、少しずつ混ざり合っていく。
仕上げに花の香りのお茶をひとくち飲めば、気分もすっかり春模様に移り変わる。
「……ほっと、しますね」
「ほんとだね」
ツィリも同じようにお茶を味わいながら、ほっこりと微笑む。
そして、ふとセレネの方を見て。
「まだお腹は大丈夫?」
セレネはぱちりと瞬きひとつ、こくりと頷く。
「ふふ……美味しいものばかりで、なんだか……まだまだ食べられそうな気がします」
「ふふ、良かった!」
そうと決まれば! と、ツィリはぱっと立ち上がり。
「じゃあ、次の美味しいもの探しに行こう!」
春の光と香りに包まれた通りの中へ。
ふたりはまた、新しい“美味しい”を探しに歩き出すのだった。
●
春の光に満ちた通りは、朝よりもいっそう賑やかさを増していた。
提灯が揺れ、桜の花びらが風に乗って舞い、屋台の湯気と香りが絶えず人々を誘っている。
「レモンさん! 屋台がいっぱいありますよっ」
廻里・りりは青い眸を輝かせながら、きょろきょろとあたりを見回した。
「お店がいっぱい。まよっちゃいますね……! 気になるものはありますか?」
「これだけあると、何から行こうか迷いますね……」
茶治・レモンも同じように視線を巡らせ、少し考えるようにしてから、
「ではあちらの……肉まんから、いかがでしょうか!」
「いいですねっ!」
りりは嬉しそうに頷きながらも、つい隣の屋台へも視線を移す。
「肉まんもそうですけど、あげ菓子もおいしそう!」
「あっあっ! あれもいい匂いです!」
ハッと顔を上げたレモンが思わず声を上げた先には、串焼きの屋台があった。
「あっ、お肉をあぶる仙火は……やっぱりここならでは、なんでしょうか……!」
串焼きの屋台から立ちのぼる不思議な色の火を、りりは興味津々に見つめ。
「火が特殊なんでしょうか? “ならでは”な印象はありますね!」
アレもコレもと飛び込んでくる色と香りに目移りしっぱなしのふたりは、一旦しばし落ち着いて。
「りりさんはどれが食べたいですか?」
「わたしは……くだもののお菓子が気になりますっ」
「なるほど、キラキラしているあれですね!」
りりはきらきらと光る糖葫芦の屋台を指さしてみるが、そのあとちょっぴり眉を下げて笑い。
「でも見ていたら、おなかがすいてきちゃいました……」
「気になるもの、ぜんぶいきましょう」
「……ふふ、分けっこは賛成です!」
「ですねっ! わけっこしたら、二倍食べられるはず……っ」
「いいですね、全部食べ尽くしてしまいましょう!」
りりはぐっと拳を握りつつ、レモンも静かな声音ながらも、わくわくとした気配を隠しきれていない。
ふたりはそれぞれ屋台を巡り、肉まん、胡麻餡の菓子、串焼き、そして果実飴を手に戻ってくる。
湯気の立つ肉まんを割れば、ほかほかとした香りが広がり、糖葫芦は陽の光を受けて宝石のようにきらめいていた。
「いただきますっ」
りりはさっそく、キラキラの果実飴をぱくりとひと口。瞬間、甘さと酸味がほわりとやさしく広がる。
「……おいしい……!」
「こちらもどうぞ」
肉まんを頬張っていたレモンが胡麻餡の菓子を差し出せば、りりは嬉しそうに受け取る。
そしてそのまま、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「はっ……杏の蜜をかけたおだんごに、お花の香りをうつしたお茶ですって!」
視線の先には、新たな甘味の屋台が飛び込んできた。
「……レモンさん、さっぱりしたもの食べたくないですか……?」
「えっ、どれですか?」
レモンもそちらを見て、ぱっと表情を和らげる。
「わぁ、あちらも素敵ですね!」
「やったぁ! いきましょうっ」
ふたりは揃って屋台へ向かい、杏の団子と花の香りの茶を手にする。
甘さの後に広がるやさしい香りに、自然と息がほどけていく。
――そのときだった。
遠くから、賑やかな音楽が近づいてくる気配がした。
「……ん? 何やら賑やかな音楽が……」
レモンが耳を澄まし、視線を通りの奥へ向ける。
「りりさんっ、りりさん!」
「見て下さい、春祭の巡行列が来ますよ!」
「巡行列、ですか? わぁ、はじめて見ます!」
りりも眸を輝かせて通りの方へと視線を向けた。
人々が道を開き、その中央を進むのは――色鮮やかな龍灯だ。
長い身体をうねらせながら、まるで空を泳ぐように進むその姿。
鱗は光を受けて色を変え、赤から金へ、また別の色へと移ろっていく。
「とってもきれい……わ! 色もかわる……っ」
花びらが舞い、光が揺れ、春の気配が辺り一帯に満ち溢れるようだった。
「なんだか……春のおとずれを感じますね」
その言葉に、レモンも静かに頷く。
「……ええ、とても」
賑やかな音と光の中で。
「とっても、すてきです!」
りりの弾んだ声が、春の空気に溶けていった。
●
「彩蛋春祭も、いよいよ本番の刻を迎えているようだなぁ」
トゥルエノ・トニトルスは、のんびりとした足取りで通りへと踏み出した。
青い眸に映るのは、きらめく光と人の流れ。
「立ちのぼる香ばしい匂いも沢山で……!」
思わず深く息を吸い込み、うんうんと満足げに頷く。
「どれから眺めに行くとしようか~」
あたりを見回しながら、ふと視線を止めたのは甘味処だった。
「点心というモノは色々種類もあるらしいが――まずは目に付いた甘味処から向かおうか!」
軽やかに足を進めた先には、春を映した品々が所狭しと並んでいた。
薄紅色の桃饅頭、杏の蜜をかけた団子、胡麻餡を包んだ揚げ菓子――どれもやわらかな色と香りを纏っている。何から食べようかと悩みに悩み、結果的に少しずつ気になるものを手にしていく。
それらをひとつずつ口に運べば、やさしい甘さが広がり、思わずもうひと口。
「うむ、どれも美味しい……!」
春の甘味に舌鼓を打ちつつ、視線は別の屋台へと移る。
「あの花の香を移した茶も気になる……」
ふわふわと湯気の立つ茶杯を見つめ、
「薄く焼いた生地で甘味を包む店も良いなぁ」
くるりと振り返っては、また別の屋台へ。
目に入るものすべてが新鮮で、どれも見逃したくない。
「アレも此れも食べてみたいな」
やがて、ひときわきらめく屋台が視界に飛び込んでくる。
「おや……」
そこには糖衣に包まれた果実が、陽の光を受けて宝石のように輝いていた。
「これは……どんな果実があるのだろう~」
糖葫芦と呼ばれるその菓子は、甘酸っぱい果物にパリパリの飴をコーティングしたフルーツ飴だ。
伝統的なサンザシから、イチゴやブドウ、ミカンなど、様々な果実が使われている。
トゥルエノは興味津々に覗き込みながら、イチゴの串を選んでみることにした。
ひとくち齧れば、かり、と軽やかな音。
中からあふれるイチゴの甘酸っぱさに、思わず頬を緩める。
「ふむ~、これは面白い!」
満足げに頷きながら、周囲の様子を改めて見回す。
祭りを取り巻く通りには人々の笑い声が響き、屋台の呼び声が重なり、春の空気が満ちている。遠くでは銅鑼と笛の音が鳴り、巡行列の気配も近づいていた。
「人々で賑わう春の祭りは……やはり良きものだな」
平和なこの時を噛みしめるように、静かに呟きながら。
春の一日を気の向くままに味わうように。
彼はまた、次の屋台へと足を向けるのだった。
●
「賑やかになってきたな……いよいよ祭りも本番ってところか」
木邑・零壱は人々の声が溢れる周囲を見渡しながら、ひとつ息をついた。
「人ごみも出てきたし、はぐれねぇように――手ぇ繋いどくか。コキュー」
そう言って差し出された手に、
「……うん、ありがと」
小弓・佐倉はそっと自分の手を重ねる。
その様子をイルゼ・ラウィーネ・ローゼンクランツは一歩後ろから、どこか微笑ましそうに眺めていた。
「そうねぇ、逸れたら合流は難しそうだし……」
やわらかな声音でそう言いながら、二人の隣へと追いつくように並び歩いて。
「小弓ちゃんは小さいのだから、木邑さんは手を離さないようにね?」
言われなくても、と返すように零壱は小さく頷いた。
「√百鬼と√仙術じゃぁ……予想はしてたが、祭りの雰囲気もだいぶ違うな」
零壱は歩きながら、興味深そうに周囲を眺める。
「こっちじゃ見た事ねぇ屋台が、そこかしこにあらぁ」
串焼き、蒸籠、甘味、果実飴――見慣れぬものばかりが並んでいる。
そんな中、小弓はふと零壱の手元を見上げた。
「さっき買ってたの、なぁに?」
「ああ、これか」
零壱は軽く持ち上げてそれを見せる。半透明の袋に入れられたそれは、道すがら購入した屋台飯だ。まだ温かいのだろう、袋の内側には薄っすらと湯気と水滴が映る。
「気になったやつを適当に、な。あとで分け合って食うか」
「……うん」
こくりと頷いた小弓の視線は、ふと別の屋台へ向かう。
「あっちの……あの屋台のキラキラしたの、なに?」
指差した先には、糖衣に包まれた果実――糖葫芦が売られていた。
「あれは、果物に砂糖飴を纏わせた……フルーツ飴菓子、みたいなものかしら」
「……くだもの、なんだ」
興味を惹かれた小弓は、零壱の手を引きつつ屋台の様子を覗き込む。
「人気なのは……イチゴ?」
屋台に並ぶ、春の赤い実をじっと赤い眸が見つめる。
「……みんなに好かれる、キラキラの赤、なんだね」
思わず小弓は、自分の長い前髪を手で弄りながら少しだけ考えた。
「……じゃあ、それにする……します」
「イチゴでいいのか? よし、じゃあそれ一つもらおうか」
その間に、イルゼは別の屋台を覗いていた。
「あら、これはなぁに? 酸梅湯?」
気前の良い屋台の店主から差し出された飲み物を見て、小さく首を傾げる。
「梅のジュースなのね。じゃぁそれと……」
少し考えてから、イルゼは店主へと微笑みかける。
「おすすめのジュースを頂戴な」
そうして、手にした飲み物を持ってふたりの元へと合流し。
「さ、二人とも。楽しむのはいいけど、水分補給も忘れちゃだめよ?」
「お、ありがとな」
零壱は軽く受け取り、小弓へも渡す。
「……ありがとう」
小弓もそっと受け取り、ひと口。
ひんやりとしたジュースの爽やかさが、ふわりと口の中に広がった。
「こういうのは共有して楽しむのも、オツだしな」
零壱はそう言いながら、屋台飯をふたりに分けていく。
賑やかな空気の中で、三人はゆっくりと食事を楽しんでいた。
そのとき――
遠くから、銅鑼と笛の音が響き渡る。
「……なんの、おと?」
小弓がそちらへ目を向ける。
「……あっち?」
人々がざわめき、通りの道を開く。
奥から現れたのは、祭りの巡行列だった。
うねるように進む龍灯に、その後ろには巨大な彩蛋を載せた花車が行進していく。
「……おっきいたまご、くるね」
小弓は静かに呟く。
「……あれは、飾り?」
彩蛋を模したそれは、確かに作り物のように見えるけれど。
「だけど……あれから何か生まれたら……何が生まれても、大変なんだろうね」
ぽつりと零れた言葉。
零壱はそれを聞きながら、少しだけ目を細めた。
「……何が待ってるか、ってのは星詠みでもねぇからわからんが」
軽く肩をすくめる。
「とりあえず今は、祭りの方を楽しむとしようや」
少なくとも、今はまだ何も起きる気配はない。
「うーん、何か事件が起こったとしても」
イルゼは穏やかに笑う。
「二人がいるのだもの。きっと何とかなるわ」
春の光と賑わいの中でそれぞれの思いを胸に抱きながら、三人は祭りの巡行列を静かに見送ったのだった。
●
「わぁ、おいしそうなものがいーっぱい!」
曇天・ぱぅるは桃色の眸を輝かせ、そのまま憂・サディストの腕をぐいっと引いた。
「おい、引っ張るな……」
呆れたように言いながらも、視線は自然と屋台へ向く。
蒸籠からのぼる湯気、甘味の並ぶ棚。
「桃饅頭に、団子……確かに悩ましいね」
思わずぼそりと零れた呟きに、ぱぅるは顔を見上げて。
「折角なので、甘いのぜーんぶいっちゃいます?」
にやりと笑い、すでに財布を取り出している。
「ふふん、今日は俺が奢りますよ?」
「……いや、奢りはいい」
間髪入れずに返る声。
「俺は人に借りを作らないって知ってるでしょ……って、聞いてる?」
「すみませーん、お饅頭ふたつお願いしま~す」
完全にスルーだった。
あっという間に購入した桃饅頭を、ぱぅるは満足げにひとつ差し出す。
「はい、先輩の分」
「……」
一瞬だけ無言になり――けれど結局受け取ってしまう自分もどうかと思いながら。
「……ほんと、勝手だな」
「ふふ、借りがあれば返してくれるのが“先輩”ですからね」
ふかふかな桃饅頭を片手に、ふたりは桜のよく見える場所へと移動した。
花びらがゆるやかに舞い、陽だまりがやさしく広がっている。
「ここで食べましょ~」
ぱぅるは楽しげに腰を下ろす。
「甘いお菓子とぽかぽかの陽気……幸せですねぇ」
もふりと饅頭をかじりながら、満足げに目を細める。
サディストも同じように一口。
ほんのり甘い味が広がる中、ふと視線を横に向けた。
見れば、――ぱぅるの髪に桜の花びらがひとつ引っ付いている。
「……ぷっ」
「なに、笑ってるんですか?」
「いや……」
サディストは軽く肩をすくめて見せて。
「お前の幸せって、お手軽だなってね」
「む~。じゃあ、先輩はどんな時に幸せ感じるんですか」
「俺? ……今日、世界が滅ぶってなったら幸せかな」
「え?」
「最後に美味いもんも食べられたし」
さらりと続けてから、目を丸くしているぱぅるの様子を見て軽く頭を掻き。
「……ただの冗談だよ。本気にするな」
ぽん、と軽く此方を見つめる額を小突いた。
(先輩の言葉は、どこまで本当かわかんないなぁ……)
「そっか。でも……最後の日に先輩と一緒にいられるなら悪くないや」
何気ないようで、どこかまっすぐな言葉にサディストは少しだけ視線を逸らす。
――それから、
「……最近はどう?」
話題を変えるように問うた。
「俺は、先輩がいなくて寂しいです」
「そうじゃなくて……研究の話」
「ああ、そっちですか」
ぱぅるは少しだけ楽しそうに笑いながら。
「そりゃ、――――、ですよ~」
凡そ今話すべきではなさそうなその話は、軽い口調でさらりと零される。
「……あー、今聞く話じゃなかったな」
「ふふ、先輩の研究、立派に引き継ぎますから?」
サディストは小さく息をつく。
「あの研究室に残してきたの、少し心配してたけど」
ちらりと横目で桃色の青年を見やり。
「お前、本当に才能あるよ」
その言葉に、ぱぅるは少しだけ眸を細めて、笑った。
甘い菓子と、どこか歪な会話と。
それでも確かに、これは春のひとときだったのだ。
●
春の賑わいが満ちるお祭り本番、けれどその前に――
「屋台を見て回る前に、皆のチャイナを選んでいこっかー!」
鴛海・ラズリのひと声で、即席のお着替えタイムが始まった。
「わあ、皆似合うよ……!」
ぱっと花が咲くように笑いながら、ラズリはひとりひとり好みも聞きつつ似合いそうな衣装を提案していく。
「ラズリちゃんにも見てもらいつつ……私はこれかな!」
靜石・鏡子は備え付けの姿見の前で軽やかにくるりと回った。
白と赤に桜柄をあしらったチャイナ風のトップスとショートパンツの組み合わせだ。
普段は和装が多いだけに、なんだか新鮮さとワクワクさを感じてしまう。
「動きやすそうで良いわね」
兎沢・深琴は頷きながら、自身の装いも整えてみる。
選んだのは、黒のロングワンピース風チャイナドレス。
お祭りを見て回ることも考えつつ、落ち着きと機能性を両立した一着だ。
「……この格好で、本当に良かったのでしょうか」
クラーラ・ミュスティアウゲンは少し戸惑いながらも、黒を基調とした華ロリ風の装いに身を包む。
「大丈夫大丈夫、すっごく似合ってるよ!」
ラズリがにこやかに背中を押した。
――そして、いよいよ祭りで賑わう通りへと四人は足を進めた。
「わぁ、屋台がいっぱいで目移りしちゃう!」
鏡子が思わず弾む声を上げる。
「やっぱり、美味しそうな匂いに釣られちゃうよね!」
その隣で、ぴょん、と白いポメラニアンが跳ねた。
ラズリが連れてきた“白玉”も、皆の周りをくるくると回りながら楽しそうに動き回っている。
「ふふ、白玉ちゃんもお祭りが楽しいみたいね」
深琴が穏やかに微笑む。
「皆、はぐれないように気を付けてね?」
そう言いながら皆を見守りつつ、漂ってくる香りにはつい視線が揺れてしまう。
「お腹も空いちゃったし、まずは食事っぽいのがいいかな?」
ラズリもふらりと匂いに引き寄せられる。
「やっぱり点心系は美味しそう……!」
蒸籠の並ぶ屋台を見て、楽しげに指折り数えながら。
「肉まんとー、桃まんとー、胡麻餡揚げ菓子とー……」
「……どんどん甘味になっていってるわね」
深琴が小さく笑えば、ラズリもつられて頬を緩ませる。
「まず、小籠包や焼売は外せないかしら」
きっちりと主食も押さえるあたり、抜かりがない。
一方で、クラーラは別の屋台へと興味を惹かれ。
「……こちらも気になりますね」
仙火で炙られる串焼きの屋台へと歩み寄っていた。
「この香ばしさは……見ずとも食欲を誘います」
よし、と数本購入し、皆の方へと戻ってくる。
「――こちら、買ってきたのですけど。折角ですし、分け合いましょう」
「わ、串焼き!? クラーラちゃん、有難う!」
「みんなでいっぱい買って、たくさんの味を楽しんじゃおー!」
「ええ、分け合いっこしましょう」
「皆と一緒だから出来る楽しみ方よね」
それぞれ気になったものを買って集まっていた所に、一旦離れていたラズリも戻ってきて。
「工芸茶も気になっててさ、買ってきたよー!」
「いいですね、飲み物も揃うとさらに楽しいです」
それぞれが選んだ品が卓の上に並べられ、ちいさな“持ち寄り”が出来上がる。
肉まん、小籠包、焼売。
胡麻餡の揚げ菓子、桃まん、団子。
そして串焼きに、花の工芸茶。
「クラーラの串焼き美味しそうー!」
「餡まんと分けようっ」
「では、こちらもどうぞ」
「深琴がみつけたクレープもいいなぁ!」
「……そういえばさっき、蜜をかけたお団子もあったわね」
気になったんだけど手が一杯で、なんて深琴がぽつりと零せば、鏡子が興味津々と身を乗り出す。
「そのお団子も、とっても気になる……!」
どこで売ってたの~? と聞いて深琴が指さす方向へ視線を向ければ、
「えへへ、考えるよりもってことで――突撃してきちゃうよ!」
鏡子が勢いよく走り出す。
「あっ、白玉も……!?」
それにつられて走り出した白玉に、ラズリが慌てて声を上げる。
「まってまって!」
ぴょんぴょんと、跳ねるように駆け出したと鏡子と白玉の後をラズリが追いかけ、その様子を深琴は微笑みながら、クラーラは静かに見送った。
「二人とも行動が早いわ」
「……ですが、楽しそうです」
「ふふ、そうね」
やがてまた全員が集まり、賑やかな時間が続いていく。
春の味と空気を、ゆっくりと重ねながら。
「ふふ、お土産も勿論買って行こうね!」
「ええ、そうしましょう」
「賛成です」
「いっぱい買おうね!」
春の祭りは、まだまだ続く。
その賑わいの中で、四人はそれぞれの楽しみを胸に次の屋台へと歩き出すのだった。
●
「気がつけば……街の輝きも賑わいも、大きくなっておるな」
レイパスト・サンカバーは足を止め、静かに周囲を見渡した。
金の眸に映るのは、鮮やかな色と光、そして沢山の人の流れ。
「花達も共に祝うかのように散っておる……」
ふわりと舞い落ちる花びらに、そっと指先を伸ばす。
「では――花達の誘いのまま、我も歩を向かわせよう」
そう呟き、ゆるやかに祭りで賑わう通りへと歩き出した。
やがて辿り着いたのは、飴細工の屋台だ。
「まずは、飴屋であるか」
並ぶのは、艶やかな飴で包まれた果実。
そして動物や花などを模した、細やかに形作られた飴細工の数々。
「飴で彩られた果実に、飴細工……」
ひとつひとつをじっと見つめる。
「何れも鮮やかで……故に、迷うな……」
真剣な面持ちで悩むその姿は、見た目相応な少女と変わりない。
『嬢ちゃん、その格好なら――桃なんか似合うんじゃねぇか?』
「ふむ?」
店主の声にレイパストは視線を上げ、少し考えて頷いた。
「今の装いに合わせ、桃がお薦め……とな」
確かにそうかもしれないと、改めて自分の装いをキョロキョロと確かめつつ。
『それと――』
店主はレイパストが大事そうに持っている彩蛋をちらりと見て、口元を緩める。
『その卵の絵、いいな。飴でも作れるぜ。焔の鳥だろ?』
手にする卵に描かれているのは、さきほど自ら描いたかわいらしい鳥の絵だ。店主はそれを指さして言っているのだろう。
「そ、そこは凛々しいものに……」
言いかけて、レイパストはふと迷う。
「……いや」
小さく首を振る。
「やはり、描かれたままのにしてもらおう」
『お、作ってみるかい?』
店主は自信満々ににやりと笑う。
『見た目だけじゃねぇ、気に入った“形”ってのは大事だからな』
そして、手元の飴をすくい上げた。
『任せときな。ちゃんと、その鳥を“生かして”やるよ』
火にかけられた飴が、するりと伸び、鋏で切られていく度に少しずつ形を成していく。レイパストの眸は、その動きを一瞬も逃さない。
「……見事、だ」
『ほらよ、できたぜ』
差し出された飴細工の鳥は、光を受けてきらめいていた。
「……心から礼を、言わねばな」
丁寧に頭を下げる少女に、店主は軽く手を振る。
『いいってことよ。祭りなんだ、楽しんでいきな!』
飴と彩蛋。
両手にふたつを抱えながら、レイパストは再び歩き出す。
ふわふわとした心持ちを抱いていれば、遠くから銅鑼と笛の音が響いてきた。
「あれが、祭りの巡行列か……では――龍と花車が舞う場へ我も行ってみよう」
うねる龍灯、華やかな花車。
その中心には、確かに春があった。