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星を見るひと、星の魔法少女に
●ひとりで星を見るひと
「えっと、まず北斗七星を探して……。そこから北極星が……あ、あっち」
東京某所の公園、その草むら。
そこにセーラー服を纏った少女が大の字になって寝転がっていた。
夜に流れる星のような黒髪と、黒いセーラー服はある種の調和を感じさせる。
名を「世良・きらら」。近隣の学校に通う中学生である。
近隣のプラネタリウムの上映を見た後、この公園に移動していたのだ。
きららの|碧《あお》い瞳は、眼前の春の星に劣らぬほど輝いていた。
それは天上の星星が地上に落ちたように美しい。
「そこからこぐま座も見つけて……。おおぐま座がここで、うん、可愛いっ」
学校での彼女を知る者がいれば、口数の多さに驚くだろう。
きららは、その級友と異なる瞳の色に気後れしてクラスに馴染めず、孤立していた。
けれど、大好きな星の前では本来の明るい気質が出てくる。
屈託のない笑みは人好きのするものであった。
きららにとって、この星に触れる時間こそが希望だった。
だが、その希望を喰うものがいた。
「えっ、ちょっと!? 何!?」
突如、きららの視界が、真っ黒い何かに覆われようとしていた。
それはニュース映像ですら見たことのない、おぞましい姿の怪物。
辛うじて人型とも言えるぶよぶよしたそれは、きららの傍らから彼女の顔を覗き込むと、万色に輝く袋を腹に抱え、ゆっくりと手(?)をきららの方に伸ばす。
「あんなのに掴まれたら、私は……!」
状況は何も分からないが、捕まれば死、あるいはそれよりひどいことになる。
それだけははっきりと分かった。
「た、助けてっ……!」
「待っていろ! 今、助けるっ!」
その時、黒い怪物に向けて何かが突撃、それらはあらぬ方へと飛ばされた。
辛うじて怪物の虎口を脱したきららは起き上がると、そちらの方を見る。
そこにいたのは……プラネタリウムの投影機だった。
ダンベルによく似た形を途中から折り曲げ、そこを胴体に見立てているらしい。
そこから細い手足がにょろんと生え、ファイティングポーズを取っている。
明らかに人ではないナニカが2体。
それに対し、きららは。
「あ、あの……あなたは?」
黒い怪物を吹き飛ばしたらしい、プラネタリウム投影機の方に声をかけた。
「ああ、無事か魔法少女! 良かった!
私はプラネ・スター! 君がさっきまで見ていたプラネタリウムを映していた投影機……それに身をやつしていたロボトロンだ! 君を助けにやってきた!」
振り返ったプラネと名乗る者の顔は、丸っこい投影装置についていた。
妙につぶらな瞳だった。
「いえ、それはいいんですけど、魔法少女……?」
「え、君には自覚がなかったのか。なら、自分の姿を見てみるといい」
プラネに言われるまま、きららはスマートフォンのカメラで自分を映し出す。
そこに映るのは、ダーク・ブルーの落ち着いた色合いを主体にしながらも、要所にはフリルなども配された可愛らしいドレスを纏った少女の姿があった。
ドレスの生地のあちこちには、星の意匠も多い。
「あれ、これ……?」
長いストレートの黒髪が、星の光のようなプラチナブロンドに変わっており、髪型がツインテールになっているせいで気づかなかったが、その顔は。
きらら自身のものだった。碧い瞳さえも。
「わ、私っ……!?」
きららのか細い叫びが、誰もいない公園に静かに響いた。
●ブリーフィング
「|魔法少女現象《プエラマギカ・フェノメノン》については、もう知ってる人も多いと思うけど。
私のもとにも、その予知が降りてきたの」
そう言ったのは通称レン、本名ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア。
√ドラゴンファンタジー出身の駆け出し占星術師である。
|魔法少女現象《プエラマギカ・フェノメノン》とは、男女問わず子供たちが魔法少女に覚醒してしまう現象だが、その許には魔法少女の心を狙う怪物が現れるのだ。
「今回覚醒するのは、世良・きらら。
星の好きな中学生なのだけど、隔世遺伝で綺麗な青い目をしているの。
ただ、その瞳へのコンプレックスから学校に馴染めず、距離を取ってるみたい」
現実には彼女が距離を感じているだけなのだが、それに気づくにはきららは幼い。
そういうわけで、きららは学校が終わると近くのプラネタリウムに入り浸り、終了後に公園で星を見る、という生活を送るようになり……。
その最中に、怪物ことデザイアモンスターに襲われる。
「幸い、彼女の行ってたプラネタリウムの投影機の正体がロボトロン「プラネ・スター」で、助けに入ったけれど……正直戦闘力は不十分。このままだとどっちもやられちゃう。
だから、ここに割って入って彼女たちを助けてあげて!」
そう言うと、レンはほんのりと白い頬を赤らめた。
「その……きららは星好きなせいか、衣装にいっぱい星の意匠が反映されてるの。
その『星の魔法少女』っぽい姿が、他人とは思えなくて……。
だから、絶対助けてあげてね!」
そう言うと、レンは深々と頭を下げるのだった。
これまでのお話
第1章 日常 『ヒーローたちの星座』
●市民憩いの星見の場
「はーい、空を見上げたら、まずひしゃく、もしくはスプーンの形を探します。
わかりますか?」
「あ、分かったー!」
「見えましたね、よかった。それが北斗七星です。
そして、この北斗七星の持ち手の部分が、おおぐま座のしっぽになっていて――」
夜の公園の片隅に、子供たちとその親、天文台の学芸員が集まっていた。
ここで行われているのは、『星を見る会』。
子供たちに天文学の面白さを知ってもらうため、地元の天文台が開いている会だ。
彼らは思い思いに星を見上げ、空に向けて指で星座を描いている。
その姿は非常に楽しそうだった。
「楽しそうだけど……私はあそこには入れないな。もう、子供じゃないし」
そこから離れた芝生の上。
世良・きららは寝転びながら、楽しそうな声を尻目に星を見上げていた。
彼女もまた、『星を見る会』で星の楽しさを知った一人だった。
けれど、会の主体は小学生であり、中学生になった今では居づらい。
まして学校に至っては……。
学校からも会からも切り離されたきららは、こうして今日も一人だった。
●封じた瞳で、夜空を見上げる
夜の公園にも、影はできる。
等間隔に並ぶ街灯はもとより、空に浮かぶ星と月も光を投げかけているからだ。
そんな明かりに照らされた木の影。
それよりも更に黒ぐろとしたひとつの少女の影があった。
首筋あたりでふたつに分けられた黒髪に、纏う暗色の外套。
そして、双眸を封じた黒い眼帯。
加えて、夜闇よりも深く静かな気配を纏う彼女の名は、クラーラ・ミュスティアウゲン(閉ざした瞳の武侠剣士・h12663)といった。
「さて、まずはきららさんの気配と位置を把握しておきましょうか」
常人ならば、ここで周囲を見回すような動作をするだろう。
人によっては、視線のみを走らせ、探し人の姿を求めるかもしれない。
しかし、クラーラはそのいずれも行わない。
木に寄り添ったまま、微動だにせず。
ただ感覚のみが冴え渡っていく。
それは周囲の大気を、虫の音を、梢を渡る風の音を捉え……。
「いました。ここから五十歩ほどでしょうか。
穏やかな、そしてひとりの気配……あれがきららさんですね」
クラーラの鋭敏な感覚は、ここから離れ、更には視野にも入っていないであろうきららの気配と位置を正確に捉えていた。
「よし、きららさんの気配は覚えました。
何かあれば、すぐ動けるようにしておきましょう」
こくりと満足気にクラーラは頷く。
これできららに何があっても、即座に駆けつけることができるだろう。
視力に頼らぬ、気配や空気の流れを読む能力の賜物だ。
見ての通り、彼女は平時は視界を封じている。
この世に産まれ落ちたその日から、彼女の眼球は√ドラゴンファンタジーに満ちる竜漿と強い適合を示していた。それは常人ならば見ることのできない数多の「見えざるもの」を明察できた。
……いや、明察できすぎたのだ。
霊視、あるいは妖精眼などと呼ぶには、あまりに過剰に見えすぎる瞳。
クラーラから見えるだけならまだともかく、それらはいつか見られていることに気づき、彼女を害するかもしれない……。
そうした災厄を避けるべく、彼女の視界は封じられたのだ。
だが、クラーラはそうした日常に支障を感じてはいなかった。
きららの気配を把握すると、クラーラはそっとその場を離れた。
「皆さんの邪魔にならないように、少し移動しましょう」
僅かな足音だけを連れて、黒い影は暗い公園を歩いていく。
その歩みには一切の乱れもない。
先にも述べたが、クラーラは気配や空気の流れを読むことに長けている。
それに加え、数多の鍛錬を経て研ぎ澄まされた彼女の感覚は、視界を封じた程度で揺るぐことはないものを与えていた。
その一端こそがこの歩様であった。
そうして歩くことしばし。
辿り着いたのは特に特筆することはない芝生の上。
きららからも、星を見る会の人々からもほぼ等距離のそこは、万が一きららに、あるいは星を見る会に何があっても、一足飛びで駆けつけられる場所だ。
そこに佇みながら、クラーラは夜空へ向けて顔を上げた。
「眼帯越しに、星の形が見えるわけではありませんが……」
それでも、そこに感じるものはクラーラにとって心地よいものだった。
冬のような刺すわけでも、夏のように焦がすわけでもない春の夜気のやわらかさ。
流れる僅かな風に乗って、鼻腔に流れ込む爽やかな草の匂い。
そして、それと同時に流れてくる、遠くも楽しげな人の息づかい。
そうした夜の気配を受け取り過ごすのは、クラーラにとって心地よかった。
そして月が陰り、この時間になっても少数あった人の視線が途切れた瞬間。
クラーラはそっと眼帯に手をかけ、外した。
その下から現れたのは、夜空のように深い藍色の瞳。
唐突に解放された視界の中には、天から降り注ぐ無数の星星が煌めいていた。
強く輝く星もあるし、ぼんやりとした光の星もある。
だが、その全てが調和し、人の計り知れない彼方から光を投げかけているのだ。
視界にはそれ以外のものも蠢いてはいたが、それでも。
「……綺麗ですね」
その光景を前に、クラーラはぽつりと呟いた。
やがて雲が払われ、月が再び現れる。
月光に照らされたクラーラの瞳は、再び眼帯に覆われていた。
再び封じられる視界。
だが、彼女はそれでも変わらず、しばらく静かに星空を見上げ続けていた。
●星の下の主従と、迷走する会話
星を見る会。
地元天文台が企画及び運営を行う、若年層及びその保護者向けの会合である。
この天文台が建造された当初、ここは山林と田畑に囲まれた、夜の暗い地域だった。
故に、天文台としての役割を満たすことができたのだが、戦後の発展に伴って住宅や商店、そして光が増え、それは望めなくなってしまった。
だが、天文台はここで英断を下す。
自らの役割を「人々に天文学の面白さを知らしめること」に変更したのである。
こうして始まったのが星を見る会だ。
幸いなことに会は成功を収め、天文台が地域に溶け込む一助となった。
そして。
「せんせー、はるのだいさんかく、みえたー!」
「おおー、よく勉強してきたね。偉いね」
「えへへー、おとーさんがほしのほんかってくれたから」
笑顔の連鎖は今も続いている。
そんな多幸感あふれる場を、一人の男が歩いていた。
ごくごくありふれた、中肉中背の風貌だ。
「やあ君津さん、今日は息子さんご機嫌ですね」
「ええ、買った天文の本がすごく気に入ったみたいでしてね」
星を見る会に集まった人々は、誰も彼に注意を払おうとはしない。
それは殊更に目を向けなければ、路傍の石が注目されないのと同じだ。
ありふれた風貌の男に、注目する理由などないのである。
その無関心を泳ぎ渡るように、男はスマートフォンを取り出す。
そして、そっと会の中心を離れた。
そうして電話をする者もよくいるので、これも注目されない。
距離にして数メートル程度離れると、男はふうと一声ついた。
「魔法少女現象ね。一体何が原因で発生してるんだか」
一般市民が言うにはあまりに剣呑な単語である。
だが、それも誰にも知られることはないまま、男は電話口に声を発した。
「エレクトラ、そっちはどうだ?」
星を見る会から少し離れた公園の一角。
「ヴォルフガング、こっちは今のところ大丈夫そうよ」
精霊宝冠|『鳴神』《ケラウノス》から聞こえる男の声に、エレクトラ・テスタロッサ(赤雷の精霊・h03015)は頷くと、気の強そうな琥珀色の瞳を公園の奥に向けた。
その視線の先にいるのは、黒髪の少女……世良・きららだ。
その一挙手一投足、そしてその周囲に目を凝らし、監視しているのである。
つまり電話(実際は違うのだが)の相手は……。
そう、彼こそがヴォルフガング・ローゼンクロイツ(螺旋の錬金術師|『万物回天』《オムニア・レヴェルシオー》・h02692)。
赤雷の精霊たるエレクトラの主にして、由緒正しき血筋の錬金術師……きららの身に起こると予知された|魔法少女現象《プエラマギカ・フェノメノン》の事件を解決すべく、√マスクド・ヒーローへとやってきたEDENである。
そう、ヴォルフガングが注目されなかったのも、彼の√能力によるものだった。
その名を【|万象霊核変化《アレス・ガイスト・ヴェクセル》】という。
物質の構成定義を書き換え、再配置することにより、自己錬成を行う……。
通俗的に言えば「変身」を行う能力だ。
これにより、彼は「√マスクド・ヒーローのありふれたごく普通の一般市民」に変身し、星を見る会に紛れ込むことができたのだ。
なお、ヴォルフガングが使っていたスマートフォンも、魔導電脳篭手|『万物流転』《パンタ・レイ》を錬金術や幻影で偽装し、その本質を覆い隠したものである。
「しかし、魔法少女現象ね……男性でも、魔法少女になるわけ?
どういう理屈なのかしら? 魔法少年では駄目なのかしらね?」
立て板に水とばかりに言葉の夕立を浴びせかけるエレクトラ。
対するヴォルフガングはそれに表情を動かさない。
感情的なエレクトラに対し、ただ淡々と答えていく。
「理屈はわからんし、何故名前が魔法少女なのかもわからん。
だが『魔法少女』は定義の名前。実際は少年の魔法少女も発生しているそうだ」
「ふぅん、ややこしいのね。
正直、デザイアモンスターやロボトロンも何が何だかだし」
「確かに。背景を含めればややこしい事件だ。
依頼でなければ、気分転換も兼ねて普通に星を楽しみたいところなんだがな」
ヴォルフガングはさらっと言う。
だが、対するエレクトラは、通信の向こうで大きくため息をついていた。
ヴォルフガングの欠落が『感情表現』なのは分かってはいる。
√能力者なら誰もが持ち、避け得ないのが欠落である以上、何とかしろと言われてもどうにもならないのは、エレクトラは痛いほど分かっている。
だが、それでも。
言いたくなってしまうのが、乙女心なのだ。
「ああもう! 折角なんだから、もう少し、ロマンチックにできないわけ?
折角二人で星空の下に来てるのに!」
エレクトラとしては、たとえ依頼とは言え、二人で来れたことに思うところはある。
にもかかわらず、肝心の主にその気どころか感情の一つも乗っていない言葉を返されては、自分が空回りをしていることを否応なく自覚させられてしまうのだ。
だからこそ、余計に彼女の機嫌は悪くなる。
その心を誤魔化すように。
そんなエレクトラを諭すように、ヴォルフガングの言葉が重ねられる。
「そうは言ってもな。これは依頼だろう。
その声では、魔導クローク|『隠形』《タルン》の光学迷彩機能があっても、きららに気づかれるぞ」
「う、ごめん」
慌てて声を潜めるエレクトラ。
同時にさっときららに視線を走らせるが、今のやり取りが聞かれている様子はない。
どうやら、幸いにも気づかれてはいないようだ。
こんなことで護衛目標に気づかれてしまっては、赤雷の精霊の名折れだ。
だが。
これで引き下がってしまうのもまた、エレクトラにとっては面白くない。
声を潜めつつも、ヴォルフガングに要求を投げかける。
「依頼終わったら、少し付き合いなさいよ? いいわね?」
「分かった。ならば依頼が終わったら、改めて二人で星を楽しもう。
それでいいか?」
相変わらずの、味も素っ気もないヴォルフガングの声。
けれども、ようやく彼がエレクトラに向き合ってくれたように思った。
それが少し、嬉しかった。
「……ふん。もう少し、気を回して欲しいものね」
主に対するエレクトラの返しは、やはり想いとは裏腹のものだった。
デザイアモンスターはまだ現れない。
このやり取りは、もう少しだけ続くようだった。
●翼ある少女は星空を見上げる
春の夜は、優しい暖気を帯びて風に乗り、空を満たす。
弓槻・結希(天空より咲いた花風・h00240)が風に誘われ、視線を頭上に向けると、|天《そら》に輝くは今にも降り出しそうな星空が瞬く。
この公園が、世界有数の大都会の片隅であるにもかかわらずだ。
「星を眺めて、星座に触れて――夜空の瞬きに希望を見つけること。
なんだか最近は長く忘れていた気がします」
結希はそんな星空を見て、表情を綻ばせた。
考えてみれば、昨今は簒奪者との戦いばかり。
悲しい現実と向き合って希望を見つけよう、灯そうと苦闘の日々を送っていた。
その日々には、勿論意味があると断言できる。
けれど、その中で忘れていたささやかな営みがあって。
それが今、結希の手に収まっている。
今の彼女にはそんな気がしていた。
故に。
「でしたら今はひとときであれ。
ゆっくりと星座の美しさを堪能しましょう」
綻びは柔らかい花のような微笑みとなり、結希は星を見る会へと歩を進めた。
結希が立ち止まったのは、星を見る会の人々の端の方だ。
賑々しい人々の中心からは適度に距離があり、でもその温かさは感じられる。
それぐらいの距離感。
殊更に耳を澄まさなくても、人々の声は結希に届く。
「ほしが、ひとつ、ふたつ、みっつ……えっと、あといくつだっけ」
「健人くん。みっつの次はよっつ。それからいつつ、むっつ……ななつだよ」
「そっか、ななつだ! ありがとうせんせー!」
星に触れ、はしゃぐ子供たち。
星に触れようとする子供の手を取り、手助けをする先生たち。
そんな光景を見守り、頷く親たち。
月と星の光の下で、優しい人々の営みが続いている。
その中において、寒さ避けのショールを緩やかに羽織り、暖かいミルクティーの入った保温容器を携える、柔らかく優しい雰囲気の少女の存在は、見る者が見れば絵になると答えただろう。
なお、セレスティアル由来の翼は、一族の魔法で隠している。
そうして、改めて結希は星空をゆっくりと見上げた。
昼の空のように青い瞳に、まるで巨大な球の内側に散りばめられたかのような、星星の無数の輝きが飛び込んでくる。
少し見ていると、それらは均一に分布しているのではなく、ある程度の偏りと、パターンに則って分布しているのが分かってくる。
天頂に輝く北極星、その近くで一連なりになる北斗七星。
それをかすめて広がる春の大三角に、そして彼女も名を知らぬ数多の星座。
先人たちが星のパターンに図形を持ち込み、神話と重ねたのも分かる気がする。
「今指の先にあるのが、おとめ座です。おとめ座は翼の生えた女の人の形をしていて、それはアストライアともデメテルとも、あるいはイシュタルとも言われています。
要するに女の神様をかたどったのがおとめ座というわけです――」
「もしかすると、セレスティアルがこの世界にも来ていたのかもですね」
流れてくる先生の解説を聞きながら、結希はくすりと微笑む。
もとより、異世界への道など無数にあるし、彼女も日常的にそれを使っている。
ならば、過去にそうした者がいて、それが神話として残ったのも頷ける。
そんな想像が許されるのも、この場の空気ゆえかもしれない。
それは不思議なほど、居心地の良さを結希に感じさせた。
そして、それはひとつの確信となる。
「――ああ、なるほど。これは、きららさんが星好きになるわけです」
それは、結希がこの場に来るきっかけ。
|これから襲われる《・・・・・・・・》少女の名だ。
彼女……世良・きららはかつてこの場にいた。
この優しい集まりに通い詰めたなら、星を愛する少女に成長するのは頷ける。
今、星を見る会に身を置いてみて、結希もそれを実感していた。
同時に、この場所から遠ざかっているきららの孤独にも、触れられている気がする。
だからこそ、結希は彼女を助けようという気持ちを新たにした。
同じ場所に触れた者の|誼《よしみ》として。
「でも、それまでは。
夜空から降り注ぐ安らぎの光を眺めましょう」
何かあればすぐに駆け出せるようにしつつも、結希はもう一度星空を見上げた。
●少女人形は、進んだ道を振り返る
星は時に様々なよすがとなる。
それは神話を思い起こすよすがであったり、待ち受ける運命を見定めるためのよすがであったり、人間にとってあまりに遠い宇宙の彼方で起こっている事象のよすがであったりもする。
だが、この娘にとっては。
「星は、この√マスクド・ヒーローでもそう変わらないのですね」
思い出を呼び起こすよすがであるようだった。
御厨・プシュケ(自慢の|娘《さくひん》であるために・h10724)は、公園の芝生の上で星空を見上げていた。
星に詳しいわけではないため、細かい違いは分からない。
だが、彼女の出身√である、未だ知られざる√で見上げたそれと、今この場で見上げているそれに、本質的な違いはないように思われた。
それ故に。
「私一人で√EDENに迷い込んでから、身一つでなんとか……生活基盤を作ってまいりました」
瞼を閉じれば、次から次へと思い出が溢れ出す。
プシュケは、√EDENにおいては知られざる√からの迷い人である。
知らない路地裏で目を覚まし、出会った√能力者と一悶着があり……。
紆余曲折の末、世界難民のひとりとして、√EDENでの生活を開始したのだ。
持ち物は、父の片眼鏡とナイフ、それと家宝の御匣だけ。
どうしていいかわからぬまま、√能力者としての生活が始まり……。
こうして今、依頼を受けて別の√、マスクド・ヒーローの地に立っている。
思えば、随分と遠くに来たものだ。
「料理や掃除などは心得がありましたけれど、元の|世界《√》での……身代わりという形ではありましたが、男爵令嬢という立場においては、本当に与えられるものの多い生活をしていたのだなと」
|プシュケ《魂》は、御厨男爵の娘、サクラを模したレプリカントとして生まれた。
娘を蘇らせたかった男爵はひどく落胆したが、それでも心血を注いだ傑作として彼女を養い、「サクラ」の名を名乗らせて養育した。
つまるところ、プシュケの生活レベルは貴族そのものだったのである。
「私のいた√での生活様式は、判明している大多数の√に於いては過去のものであるらしく。
見た目によらず古風なのですね、と言われる機会が少なからずあります」
そこまで言うと、プシュケは少し苦笑する。
故郷の技術と生活レベルは、√EDENにおける大正時代に相当する。
そのため、自身の余暇を労働力に代替する基本的思想は同じながら、技術的に遥かに進み、一部では貴族のそれすら凌駕した√EDENの住宅環境には、少なからず……いや1ダースまとめて梱包されてくるぐらいの困惑を覚えたものだ。
まさか、沸いたお湯を文字通り湯水のように使うことができ。
ガス灯よりも遥かに明るい電気の灯の下で書を読むこともでき。
部屋にいながらにして買い物をすることもでき。
新聞を購読せずとも世界の物事が分かるようになっているなんて……!
それでも、何とか生活できているのだから、慣れというものは恐ろしい。
そこまで思い返して、プシュケの意識は現実へと浮上した。
もうじき、星詠みの予知したデザイアモンスターがやってくる。
こうした回想をしている暇など、なくなってしまうことだろう。
だからプシュケは、星によって呼び覚まされた回想に、ピリオドを打つことにした。
「……お父様。|娘《プシュケ》はなんとかやっております」
手紙のように、回想に結びの言葉をつけ。
それでも名残り惜しく感じたのか、プシュケはもう一度星空を見上げた。
●精霊の娘は遥かな夜空に飛び立つ
「あれ?夜の公園で何をやっているんだろ?」
エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)がその公園にやってきた時、真っ先に目に入ったのは、空を見上げ和気藹々と過ごす人々の姿であった。
それは星を見る会。
地元天文台が主催し、主に若年層に星と天文学の面白さを伝えるべく始められた集まりだ。
耳を澄ませば、参加する子供たちと、大人たちの会話が聞こえてくる。
「ねー、せんせー。かに座はどうしてかになのー?」
「それはね。大昔のギリシアにいたと言われる大きな化け蟹なんだよ」
「ばけがに、こわーい」
「たしか、ヘラクレスとたたかったんだっけ?」
「そう、ヘラクレスと戦って死んだ化け蟹を称えて、女神ヘラが星座に上げたそうだよ」
「そうなんだー。がんばったんだねー」
彼らの星を、星座を学ぶ姿は、エアリィの目にも楽しそうに見えた。
「へー、こういう課外学習とかあるんだね。
せっかくだから、あたしもちょっと星を眺めて行こうかな」
幸い、予知された襲撃まではまだ時間がある。
それまでの間、星を眺めてもバチは当たらないだろう。
そう合点すると、エアリィは頭上に広がる星空へ視線を向けた。
刹那、大きく見開かれた緑の瞳に、天一面に散りばめられた星星が押し寄せる。
この公園は、一応都会の一角であるはずなのだが、戦後になって発展した街であることもあり、中心部に比べると街の明かりは少なく、広い公園敷地もまた星を見るのに都合が良かった。
そのため、都会にしては非常に多くの星を見ることができたのである。
「ん-、空がきれいー。
青空も好きだけど、こういう夜の星空もとっても綺麗でいいよね」
エアリィはしばし、その美しさを思う存分堪能した。
「折角なら、もっと堪能したいよねー。……そうだっ」
エアリィはこの星を堪能するための、ひとつのやり方を思いつく。
それを実行するため、彼女は人の輪から徐々に離れていった。
やがて辿り着いたのは、公園の中でも相対的にライトの少ない区画。
暗がりの中に、草むらが密やかに息を潜めているような場所だ。
その中心にエアリィが立ち……ふわり、とその爪先が大地を離れる。
魔法による空中浮遊の賜物である。
あっという間に、彼女は公園の上空へと浮き上がっていた。
「精霊達よ、あたしに力を……」
同時に、エアリィは√能力【空中浮遊】を発動する。
空に舞っていたインビジブルが風の精霊に姿を変え、彼女の周囲を飛び回る。
その精霊達を手に伝わせながら、エアリィは微笑んで告げた。
「ね、精霊さん達。
あたしと星空のお散歩に付き合って」
下から観測されないように気をつけつつ、エアリィの空中散歩が始まった。
空中浮遊はその性質上、√能力での飛行のような速度は出ない。
しかし、星空を堪能する目的であれば十分であり、その速度の遅さはのんびり星を楽しむという目的において、かえって好ましいものであった。
「わぁ……」
下から見上げたときと違い、より星空が近くなった気がする。
今、下を見下ろしてみれば、街の明かりもまた星のように煌めいている。
天上の星と地上の明かり。
空の上で、エアリィは全方位からの光を楽しむことができた。
そしてエアリィは、彼女の周りを舞う風の精霊達に問いかける。
更なる楽しみを求めて。
「ね、わかるかな?
この近くでもっときれいに星が見える高い所ってあるかな?
せっかくだから、もっと間近に感じたいからっ!!」
エアリィの呼びかけに、風の精霊達は頷いたように思った。
彼らはエアリィの周りを回遊することをやめ、一直線に飛び出した。
「ついてこいってことだね。よし!」
ほんの少しだけ速度を上げて、エアリィは風の精霊達を追いかける。
しばしの空中散歩の後、辿り着いたのは少し離れた場所にあるタワマンの上だった。
周囲にこの高塔に迫る建築物などなく、屋上にも航空障害灯以外の灯はない。
「なるほど、確かにここなら綺麗に星が見れそう。
よし、ここにしよっか」
そう言って、エアリィは屋上の縁にハンカチを引き、腰掛けた。
虚空に足をブラブラさせながら、星空を見上げる。
「わぁ……」
そこの星は、地上よりも、先程の空中よりも更に近かった。
明かりははるか下にあるため、ここでは地上から見えないかそけき星すら、その目に捉えることができる。
手を伸ばせば、まるで星星が掴めてしまいそう。
風の精霊達が教えたスポットは、確かに星の綺麗に見える場所だった。
「ん-、ほんときれい……」
そうして、エアリィはしばらく星を眺め続けた。
●精霊使いは宇宙に浮かぶ
今にも降り出しそうな星空の下。
小明見・結(もう一度その手を掴むまで・h00177)は夜の公園を歩いていた。
寒気は近頃めっきり緩み、真夜中であっても凍えることはない。
しかし、それでも服装が軽くなる以上、花冷えは堪えるものがある。
なので、結は普段より一枚だけ服を増やし、この場を訪れたのだった。
「さて、世良さんを探さないと。どこかな……?」
そう言うと、結は視線を公園のほうぼうへと向ける。
すでに夜もそこそこ深いが、少ないながらもしっかりある街灯の明かりがうっすらとあるためか、夜目が効くとは言えない結でも、公園の中を見渡すのに不自由はない。
しばしの間、くるくると視線を彷徨わせた後。
「あ、いた。あの子が世良・きららさんね」
事前に星詠みから聞いていた容姿の少女が、芝生の上で仰向けになって寝転んでいるのを確認することができた。
あの少女を護衛することが、今回の依頼内容である。
「さて、どこかに行くようなら気づかれない程度に距離を取って付いていくけど……」
そう言うと、少女……きららの観察を続ける。
だが、きららはその場から動こうとしなかった。
むしろ、仰向けになって夜空を見上げ、星星に視線と指を向け。
空をなぞって、星星を線で結びつけていた。
その姿を見、結はなるほど、と息をついた。
どうやら彼女はこの場を動くつもりはないらしい。
それなら。
「じゃあ私も、芝生に寝転んで星空を見るわ」
結は乾いた芝に腰を掛けるとその身を横たえ、護衛対象と同じように空を見ることに決めた。
「帰り道に夜空を見上げたりとかはするけど、こうやって寝転んでじっくり見るのなんて子供の時以来かしら」
結はそうひとりごちる。
確かに、なんとなく星空を見上げることはある。
都会の空には、星や月が浮かんでいたり、あるいは航空機なども飛んでいるから、それに目を向け、視線で追うことは時々あることだと思う。
けれど、積極的に興味を持って見るとなると違う。
それはもう趣味か学業のための行動で、意識しない限り絶対に行わないだろう。
「しかも、依頼からこんな展開になるなんて。世の中分からないわね」
くすりと笑うと、彼女はぼんやりと星空全体を見ようとする。
一つ一つの星に注目したり、星を繋いで星座を描くのもいいだろう。
けれど、結自身はもっと視野を広く保ち、星空全体を見るのが好きだ。
視界いっぱいに、無数の輝きが落ちてくる。
赤く輝く星も、青く輝く星も、白く輝く星もある。
大きく瞬く星もあれば、今にも消えそうな星もある。
そして。
「瞬きすれば見失うような、小さな輝きたちが織りなす星空が好きだわ」
そう、その全てが揃ってこその星空だ。
結はそう思う。
「こういうのを見ると、空にはいくつもの星があるんだって実感できる。
宇宙を感じられるわ」
ふと口をついて出た言葉に、大げさかなと付け加える。
けれど、その言葉は結の胸にすとんと落ちるものがあった。
輝きも大きさも、浮かぶ位置も様々な星たち。
けれどそれらは全て広大無辺な宇宙の一部。
まるで、自分はその中をぽっかり漂う小舟のよう。
そうして大きなものを感じる瞬間が、おそらく自分は好きなのだ。
そう分かった気がした。
気づけば、結はまた公園の芝生の上。
時計に目を落とせば、時間はほとんど経っていなかった。
それはまるで邯鄲の夢。粟が煮えるまでの一瞬の出来事。
「……なら、もうちょっとだけ、星を見ていきましょうか」
そう言うと、結は再び星空に視線を向けるのだった。
●描き手は北にポラリスを探す
ルクレツィア・サーゲイト(世界の果てを描く風の継承者・h01132)は会の外縁に佇んでいた。
無論、ただ会の中で揺蕩っているわけではない。
その視線は、少し離れた場所で天を見上げている魔法少女となる少女……世良・きららの方に油断なく向けられている。
彼女を見守りつつ、事が起こればいつでも駆けつけられるようになっている。
そう、ルクレツィアは彼女を救うべく駆けつけた√能力者なのだ。
そうした者たちが、この周囲には何人かいるはずだと聞いていた。
そんな一部がどこか緊張感を孕んだ中、星を見る会は賑々しく続いていた。
「えっと……ポラリス、どっち? うえ? みぎ? ひだり?」
「えっとね……ひしゃくの水をすくうところを見てみて」
「……あれ?」
「そうそう。そこから、いちー、にー、さんって伸ばして……。
その先に、おっきな星があるの見える?」
「えっとね……あ、見えた!」
「そう、それがポラリス。ちゃんと探せたね、えらいえらい」
子供たちと、先生と呼ばれる大人たちの間で繰り広げられる営み。
その中の言葉の一つが、ルクレツィアの心の柔らかいところに、そっと滑り込んだ。
「私も見上げてたわ。
北極星を探す方法を覚えてからはずっと夜空を気にして……」
ポラリスを探す子供の姿が、過去の自分の姿に二重写しになる。
それとともに、ルクレツィアの心は過去へと飛んでいた。
「夜空の柄杓・北斗七星の先端から伸ばして五つ。
あるいはカシオペアの弓を引いて五つ」
最初にその言葉を知ったのは、幼い頃にいくつも修めさせられた、学問の書物のどれかだっただろうか。
いつでも北の空に輝いている北極星、ポラリス。
その見つけ方がそれだった。
親からすれば、厳しく娘を育て上げる中の道標の一つに過ぎなかった文句。
けれど、その|軛《くびき》に縛られたルクレツィアにとって、その言葉は学問のそれを越えて、目指すものの象徴のように見えたのだ。
「北天に輝く“ポラリス”は「私はいつでもここにいるよ」って私を呼んでくれているようで、いつかはその下に辿り着きたいって、この鳥籠から抜け出したいって思えたの」
彼女に与えられた僅かな自由時間である、就寝直前の時間。
ベッドに入りながら、覚えたての文句を必死に思い出し。
彼女は春の空にポラリスをよく探した。
いつか、その星を目指して行きたい、そこにあるものを見たい。
そんな密やかな願いを抱いた少女は、やがて家を飛び出すことになるのだが……その時の原体験が現在の彼女を形作る一部になったのだと、今なら言うことができる。
もう見上げるだけの少女ではないけれど。
今でも心の裡には、ポラリスが輝いているのだから。
「……さて、私のことはこれぐらいにして。ちゃんときららを見守りましょ」
気を取り直すと、再びルクレツィアはきららに視線を向けた。
星が大好きで、|碧《あお》い瞳に気後れを感じ、自分で自分の可能性を閉じている少女。
「……何となく、青い瞳の女の子ってだけでも放っておけない気になるしね」
そう言うルクレツィアの瞳もまた碧い。
だからか、護衛対象としてではなく、どこか親近感めいたものを感じる。
きららもまた、自分のポラリスを探しているのだろうか。
「そういうのも含めて、確かにレンの言う通り『星の魔法少女』って感じがする」
そう言えば、ルクレツィアに依頼を持ち込んだ星詠みで、彼女の旅団の団員でもあるレンは、彼女を『星の魔法少女』と呼んでいた。
もしかしたら、レンは好みだけではない、その心の在り方を含めて、そう評していたのかもしれないなとルクレツィアは思ったのだった。
「にしても、星かぁ……。
もし√能力者に覚醒したら、極太の魔力ビームでも撃つのかしらね」
その後、盛大に思考が脱線したのは、ここだけの話。
●少女たちは『好き』の歌を綴る
架間・透空(|天駆翔姫《ハイぺリヨン》・h07138)には、好きなものがある。
それは、青果物と呼ばれる野菜や果物であったり、フィンランドの黒いリコリス菓子「サルミアッキ」であったり、料理だったりもするけれど。
でも、一番好きなのは。
「やっぱり、アイドルです! 子供の頃からずっと憧れて、少しだけ中断して。
それでも! 高校生になっても、怪人になっても、ずっと好きで追い続けたい!」
謎多き「プロデューサー」に操られていた頃を除き、その気持ちに嘘はない。
人生を全力で駆け続ける透空の最大の動力源であり、生きる目的の一つであると断言できる。
パワフルな彼女にとって、なくてはならないものがアイドルの夢なのである。
「でも」
ふと透空は思う。
彼女がこれから守る世良・きららという少女。
好きなものにすがりつつも、距離を作ってしまっている孤独な魂。
彼女は、心から好きなものを楽しめているのだろうか……?
「……多分、辛さとかが混じってしまっていると思います。
きっと、しんどいです」
歳の近い透空は、きららの心に共感と心配を覚えていた。
「そんな状態が続いたら、何かの拍子で、みんな嫌いになってしまうかもしれません。
それは……悲しいですよ」
目を伏せる。その痛みが自分のものであるかのように。
きっと自分ならば耐えられないだろう。
そして、その状態を放置できるような透空ではなかった。
「……うん、行きましょう!
きららさんのこと、守りたいって気持ちも当然ありますけど。
それよりも。
きららさんにも、好きなことを好きなように……楽しんでほしいなって思ったんです」
それは透空の偽らざる気持ち。
夢と好きを抱える者から、抱えきれなくなりつつある者への、エール。
神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)は、語り部である。
幼き頃より、奇妙な古譚に満ち満ちた√妖怪百鬼夜行、そしてその外の世界の物語を読み漁り、時には自ら求めながら、それらを羅紗に折り紡ぐ使命もまた、持っている。
自らの裡にある古譚のコレクションは、彼女の密やかな誇りとも言えるだろう。
そんな境華にとって今回の事件はというと。
透空に付き合いながら、きららも交えて星座の話を一緒にするつもりだった。
そうした話のストックもたくさんあるのだ。
「ですが、それだけなのでしょうか?
透空さんと一緒にここに来ることを決めた、その理由は」
首を傾げながら境華は考える。
世良・きららという少女。
星を愛しながら、そのコミュニティには踏み込めていない娘。
「いえ、それは私にとっての本質ではありません。私にとっては……」
星詠みから聞いた印象を束ね、重ねて。
やがて境華はひとつの答えに辿り着いた。
「おそらく、きららさんは「星星の物語を愛している女の子」なのでしょうね」
星を見る会を離れても、プラネタリウムに行くぐらいだ。
そうした部分は筋金入りであり、つらい状況でも手放せないのだろう。
そんなきららに、物語に触れる者同士の暖かい空気を、何物も案ずることなく聞く物語の面白さを感じてもらえたら……そう、境華は思ったのだ。
そして、それはつまるところ。
「……どうやら、私も透空さんと同じみたいですね」
好きなものを、好きなように。
その幸福さを少しでも取り戻すことができたら……。
その心を少女たちが共有していることに、境華は気づいたのだ。
「なら、私はいっぱいの物語を携えていきましょう。一編一編を、彼女への励ましにして」
そう決意し、境華は顔を上げた。
真心・観千流(最果てと希望を宿す者・h00289)は、生態型情報移民船である。
かつて、微細物質「ナノ・クォーク」によって形作られた加速器の中の小さな宇宙。
生まれてすぐ死を迎えたその宇宙で形作られたのが観千流である。
コミュニケーションを取りやすいように人型の体を与えられ、小宇宙の歴史や風俗、科学技術、その全てをナノ単位の情報として鋳込まれ、鋳造された移民船。
言わば、コミュニケーションを取るために生まれてきたのが彼女なのだ。
その過去は、欠落によって彼方に葬られてしまったけれど。
「どうあっても、私はきららさんを助けたいのです!
そして、本当に助けるというのならば!
魔法少女になる前の彼女が、自分は自分のままで良いと思えなければ!」
自信たっぷりに、観千流はこくりと頷いた。
今のきららは、言わば青い瞳という自己の否定の上に成り立っていると言える。
そして、それは彼女の心を蝕み、孤独に追いやっているものの本質でもある。
それに向き合い、肯定できたならば、本当の意味できららを救えるのかもしれない。
観千流はそう考えていた。
そして、それは彼女の本質に根ざした答えでもあった。
「確か、予知によればきららさんは隔世遺伝の青い目に劣等感を抱いてたはず。
ならば、それを解消できれば、自分を肯定できますね!」
どうやら、作戦は定まったようだ。
ならば、あとはハイテンションに突っ切るだけだ。
観千流はそう決意すると、一直線に駆け出した。
そして、舞台は√マスクド・ヒーローへ戻る。
世良・きららは、夜の公園の草むらに寝転びながら、夜空を見上げていた。
「北斗七星と北極星を見つけたら、次は春の大曲線を辿って……。
アルクトゥールスとスピカを見つけたら、それにデネボラを繋いで。
うん、春の大三角見つけたよ」
きららはそう微笑もうとして……目尻から、僅かに涙の雫がこぼれ出た。
ほんの僅かなものだったけれど、それはきららを慌てさせた。
「あ、あれれ? 今は楽しい星見の時間なのに。泣いちゃいけないのに……」
そう言い聞かせようとすると、次々と涙の雫がぽろぽろと出てくる。
一緒に、蓋をして塞いだ心の奥から、辛い思い出が飛び出てくる。
青い瞳が気持ち悪いと言われたらどうしようと悩んだこと。
クラスメイトに話しかけようとして、できなかったこと。
後悔を胸に、トイレの奥で泣いたこと……。
後から後から、暗い、悲しい気持ちが溢れてくる。
楽しい気持ちを塗りつぶそうとしてくる。
(やだ、暗い気持ちになりたくない、今の時間を嫌いになんてなりたくない!
助けて、誰か……!)
声にならないきららの心の叫び。
けれど、それは彼女の思いもよらない人に届いていた。
「そこのお嬢さん!」
「星好きなんですか?」
ふたつの声が、同時にきららへと投げかけられた。
「えっ」
「えっ」
きららに声を掛けた二人、透空と観千流の顔が思わず見合わされる。
今年の春から高校に上がる同士の少女たちは、きららの前で目をぱちくりしていた。
透空が、慌てて観千流に潜めた声をかける。
(えっと、もしかしてあなたも……?)
(はい、依頼を受けたEDENです! そちらもきららさんを?)
(ええ。お話できたらと思いまして)
さらに、途中から境華も加わる。
なるほどと観千流は得心した。どうやら3人とも目的は同じらしい。
ならば。
(では一緒にお話しませんか? きららちゃん、ほっとけないでしょう?)
(もちろんです! 彼女には好きなものを好きなように楽しんでほしいですし!)
(見たところ、きららさんの心は、もうあまり余裕がないみたいです。
手伝っていただけますか? ええと……私は神隠祇・境華です。あなたは?)
(真心・観千流です!)
(では私も! 架間・透空です!)
(なるほど、境華ちゃんに透空ちゃんですね! 行きましょう!)
ようやくまとまった3人のEDENは、きららへと向き直った。
「えっと、結局……みんな友達?」
あまりの状況にぽかんとしていたきららがようやく立ち直り、EDENたちに話しかけた。
なお、もう涙は浮かんではいない。
とりあえず、手持ちのハンカチで拭き取ったようだった。
「はい! 実は私も彼女も星に興味がありまして!
お友達と一緒に、本日の会に参加してみよう、って思ったんですけど」
「それがものの見事に出遅れちゃいまして!」
「会に参加するには、少し気後れする状況になっていたのですよね。
どうしたものかと思っていたら、あなたが目に入ったので」
「もし良かったら、星のお話とか聞かせてもらえたらなー、なんて……」
流れるようにカバーストーリーを話す透空・観千流・境華。
即席トリオとは思えない息の合い方だった。
一方、きららの方は静かにそれを聞いていた。
だが、目線が若干険しい。信じてもらえているかは怪しいところだ。
「なるほど、私と星の話をしたいってことはわかったわ。
でも、なんで私なの? こんな、気持ち悪い目の私に……」
徐々に俯いてしまうきらら。碧い目が伏せられ、輝きが曇る。
きららに根ざす、瞳へのコンプレックスの強さを感じさせる。
けれど、観千流は全く動じなかった。
微笑んで、彼女は自分の顔を、より正確には瞳と髪を指さした。
「ねえ、私の顔を見てもらってもいいですか?」
きららと観千流の目が合い、彼女ははっと息を呑んだ。
観千流の目もまた、きららと同じ鮮やかな碧だったのである。
更に、その髪は銀髪。目立つなんてものではない。
自分以外の目立つ風貌を初めて目の当たりにし、きららは絶句するしかなかった。
「私も、こんな目と髪ですからねー。
なんだか親近感が湧いたので話しかけちゃいました」
「でも、そんなんじゃ……」
嫌な思いだって、きっとしてるのに。
観千流の見せた屈託ない笑みが、その言葉をきららに飲み込ませた。
「綺麗でしょう? 自慢のものなんですよ」
自信に満ちて笑う観千流に、もうきららは何も言えなかった。
「あ、あのですね。瞳なら私も……ほら」
透空がきららに視線を向け、それを見て頷いた境華もまた、顔を上げる。
ふたりの瞳の色は、銀と金。やはり目立つ色。
それでも、観千流も透空も境華も、陰ることなく笑うことができている。
何故、そうも笑えるのか、今のきららには分からない。
(でも、この3人は……)
信じていいのではないか。話をしてもいいのではないか。
いつしかきららの心はそちらに傾いていた。
「……分かった。それじゃ3人とも、一緒に座って。寝転んでもいいよ。
星の話、一緒にしよう?」
きららがそう言って、3人に向けた視線の険は、もう取れていた。
透空も境華も観千流も芝生の上に寝転んでいた。
そうした方がよく見える、ときららに力説されたのだ。
「本当ですね、まるで星空が落ちてくるみたいです!」
透空がため息交じりに感嘆の声を上げた。
その姿に微笑んで、きららは自信ありげなにんまりとした笑みをこぼす。
「でしょ? 星を見る会の先生が教えてくれたんだけど、私も今の透空みたいな声をあげちゃって。それから、ずっとここで星を見る時はこれなんだ」
「なるほど、星空を「天球」と言うのがよく分かりますね。
巨大なドーム屋根の下にいるみたいです」
境華も微笑み、眼前に広がる星星に目を凝らす。
一方、観千流は傍らのきららへと視線を向けていた。
「いやー、助かります!
私も星を見るのは好きなんですけど見つけるのは苦手でして。
良ければ色々と教えてくれませんか?」
明るい人好きのする笑みに対し、きららはこくりと頷いた。
「いいよ。それじゃ、私も先生の受け売りだけど、春の星座を一緒に見ていこっか。
まず、探すのはひしゃくの形をした星。ほら、あれ」
「あ、ありました!」
「ええ、私にも見えてます!」
歓声を上げる透空と観千流。横目に微笑む境華。
そんな彼女たちを眩しそうに見やりながら、きららは言葉を紡ぎ続けた。
「そう、それが北斗七星。
さっきはひしゃくの形と言ったけど、おおぐま座の胴体と尻尾に当たる星でもあるの。
だから、熊さんでもあるわけね」
へえー、と感嘆する透空と観千流。
星に詳しいわけではない彼女たちにとって、きららのガイドはさながら星の海を渡る水先案内人といったところだろうか。
そして、ここで境華も静かに言葉を発した。
「そう言えば、欧米では北斗七星は荷車にも例えられるそうですね」
「……え、そうなの? 初めて聞いた」
食いついたのはきららだった。
初めて聞く逸話を聞きたい、という欲求が透けて見えている。
頷きながら境華は続ける。
「国によって色々な呼び名があるらしいんですが、有名なのはフランス語ですね。
グランシャリオ、って言うんですよ。多分、聞いたことがあるんじゃないですか?」
「あ、あります! 確か家の近くにあるアパートにその名前がついてました!
そっか、あれって北斗七星って意味だったんだ……」
透空が深い納得感とともにうんうんと頷く。
聞いた知識が身近なものに結びつく、というのは快いものらしい。
一方、きららはちょっとジト目になっていた。
境華に視線を向ける。
「境華、もしかして私より星に詳しくない?」
「いえ、確かに私は逸話を知っていますけど、観千流さんと同じで星を見つけるのは苦手で。
だから、きららさんが星について教えてくれれば、私も勉強になります」
なるほどと、きららは頷いた。
「そっか。じゃあ、このまま続けていこうかな。
私が星を教えて、境華に逸話を語ってもらって、透空と観千流がそれを聞く。
あははっ、なし崩しで始まったけど、いいサイクルね、これ」
そしてきららの言葉通り、これは非常にいい回り方をした。
しばし、4人の少女たちは楽しい時間を過ごすのだった。
「あれ、おこえがするからきてみたら……きららおねえちゃんがいるー」
唐突に、彼女たちに子供の声がかけられた。
見ると、8歳ぐらいだろうか、小さな女の子がこちらに歩いてくる。
「みきちゃん!? どうしたのこんなところで」
きららが女の子に声をかける。どうやら顔見知りのようだ。
「えへー、きららおねえちゃんのこえがしたから、きちゃったー」
きららが上体を上げると、みきと呼ばれた女の子は、彼女に抱きついた。
非常に嬉しそうだ。
「私も会えて嬉しいよ、みきちゃん。でも、大人の人なしで来るのはダメだよ」
「いや、私もいるんだ、きららちゃん」
「神奈先生まで!?」
みきを追うように現れたのは、30代ぐらいの男性だった。
おそらく、星を見る会の「先生」のひとりだろう。
神奈先生は、きららに優しげに微笑んだ。
「ここで星を見ていたんだね。会の方に来てよかったのに」
「私、もう中学生ですから。会だと浮いちゃいますし」
そう言って、瞳を伏せるきらら。
だが、神奈先生は首を横に振った。
「そんなことはないよ。子供たちも喜ぶし、そうして顔を見せる子も結構いるしね」
きららははっとした。ずっと居場所がない、そう思い込んでいた。
けれど、居場所の方は待っていてくれたのだ。それに、気づいた。
「あの、もしかして……これってもしかして?」
「ええ、ちょっとこれで、向こうにきららちゃんの声を」
透空にそう言って観千流が取り出したのは、ひとつの結晶体だった。
これは周辺量子の移動や再編成を行う「量子操作マテリアル」。
この力を密かに使って、きららの声を星を見る会に届けていたのである。
あとは、好奇心旺盛な子が来てくれれば……というのが彼女の目論見だった。
「そうして、なし崩し的に人の輪の中にきららさんを引き込むと。
ふふふ、悪い子です」
観千流に向けて境華が微笑んだ。
「悪い子でもいいですよー。それできららちゃんが寂しくなくなるなら」
観千流の悪びれない言葉に、透空は頷いた。
「分かる気がします! ひとりってきっとつらいから。
私にはこうせ、げふん、幼馴染がいてくれましたけど。
本当に一人だったら今頃は……」
そう言って、少し遠い目をする。今の自分はきっといない、と思いながら。
そして、それを振り払うようにぷるぷると首を振った。
「だから、デザイアモンスターが来るまでのほんの少しの間ですけど、きららさんを寂しくないようにしましょう! それで、きららさんが好きなことを好きなように楽しめるなら、私はすっごい嬉しいです!」
屈託のない透空の言葉に、境華も頷いた。
「透空さんの言う通りです。それに、お話のストックはまだまだありますから。
いっぱい楽しんでいただかないと」
透空、境華、観千流がお互いの顔を見てこくりと頷く。
そして、イレギュラーな星見の会は、その後もしばらく賑やかに続いたのだった。
第2章 集団戦 『デザイアモンスター』