熱狂の檻
私が父親からその男を紹介された時、ああ、随分といかついのがやってきたな、とぼんやり思ったものだった。
「これからお前の護衛はこいつが担当する。和紋、この子が俺の娘だ」
「あっそ、まぁよろしく」
静かに頭を下げた男にちらと視線をやって、私はそれっきりスマートフォンに意識が戻っていった。
それなりに身体は鍛えているようだし、幼い頃から父親の仕事を知っている私も、只者ではない雰囲気くらいは読める。けれど、そうやって今までの護衛役も気づけば消えていたし、今回も同じだろうと思っていたから。
私が彼の強さを改めて知ったのは、自分の仕事で出かけていた時だった。家の仕事を継ぐのは兄であって、私は比較的すきなことができていた。当然、学生時代の進路やその後の就職も家柄を隠して自分で決められたものの、うんざりすることと言えば何処へ行くにも護衛がつくことだった。
「職場へはひとりで向かうようにしてるの。なるべく関わらないでちょうだい」
「ほう、難儀なことを言う」
「お父様が気にするほど、私はこの業界の周囲からは重要視されてないわ。実際、お兄様の護衛の数を見たでしょ?」
それじゃ、と言い捨てて、私は愛車に乗り込む。運転して向かう先は、キャラクターデザイン会社への久しぶりの出社。基本的に在宅で行える仕事でも、それなりの挨拶をする必要がある。
取引先から良い返事を貰えて機嫌よく退社をしたのは数時間後、和紋の姿もなく、言いつけを素直に守る男なのだな、と何気なく思った時だった。
車に乗り込もうとした私は、いきなり背後から力強く身体を引っ張られる。意味もわからず暴れると、覆面姿の男が数人居ることは理解できた。
大型のバンに連れ込まれ、強引に後部座席に転がされる。職場を突き止められることなど今までなかったのに、と心臓が早鐘をうつ。
車がエンジンを吹かして走り出したところで、此処からどうすればいいか考える。ふいに、男達がざわついた。
「おい、なんだあれ」
なんとか身を起こして正面を見た時、私の新しい護衛が車の行く先である真正面に立っていた。
「構うな、轢いていけ!」
躊躇なくアクセルが踏み込まれたというのに、和紋は微動だにしない。そうして彼との距離がゼロになったところで、車は止まった。端的に言えば、彼の片腕が強引に車の動きを止めたのだった。
「……は?」
ぽかんと口を開ける私をよそに、フロントガラスが拳で割られる。そうして彼が運転手の男をそのまま殴ったところで、他の仲間達は慌てて車から降りる。
――けれど、逃げ出す彼らを和紋はひとりとて逃がすことなく、その時の惨状は今でもよく覚えている。
「あなた、人間じゃないでしょ」
「と、いうと?」
多少のお礼くらいはしなくてはならないだろうと、父が懇意にしている高級ホテルのレストランで食事をする。ただ紅茶に口をつけるのみの男に、別にいいのよ、と言葉を続けた。
「答えはどっちでもいい。お父様は、そういうおかしな存在とも仕事してるのは昔から知ってるわ。ま、これも夢見る乙女の戯言だと聞き流してちょうだい」
静かに夕食を済ませる私に、和紋が答えることはない。その淡々としたたたずまいが、もはや答えだと思えた。
「その強さに関して認めるし、今後も同じように対応してくれれば私も助かる」
「承知」
それから、彼は私の指示通りの配慮をしてくれた。とはいえ、それ以来私が誰かに襲われるようなこともなかったけれど。
ある日のこと、私は父親に呼びだされる。
「お前にも、俺の仕事を手伝ってもらいたい」
「嫌よ」
即答する私に、父は眉をひそめる。けれどすぐに柔和な表情を取り戻し、笑った。
「なに、お前はあいつにはない度胸がある。本当に俺の跡取りに相応しいのは誰か、あいつにも幼い頃から言い聞かせて育てたからな」
「……最悪」
兄のことを言っているのだろう、彼は今まで影武者だったという訳だ。この業界でも恐ろしい人間であることを知らしめている男に対して、正直に吐き棄てる。そこを気に入っているのだと、父はやはり笑った。
「この日時に、和紋を連れてこい。此処からは親子ではなく大人同士、対等な立場でのやりとりをしようじゃないか」
そうして私は、父の言われた通りに彼を連れてきた。異様なほどの熱狂に満ちた、地下闘技場に。
「この闘技場の管理を、今後は私がやれって話らしいわ」
「汝には随分と空気の合わぬ場だな」
「あら、ありがと。新作のシールなんだけど、要る?」
何気なく渡したのは、私がデザインしたキャラクターのぷっくりとした愛らしいシールのセット。冗談だったのに、彼はそれを受け取った。
「誰かにあげるの? 娘さんとか?」
「――いや。娘ではないが」
その言葉の端に、この男にもそういった情があることが垣間見えて、ふぅん、と少しだけ意外な心地がした。
「お父様が言うには、ここであなたが優勝したら私の勝ち。今まで通り好きにしたらいい。けど、あなたが負けたら私はあの人の正式な跡取りとして業界で発表する」
「責任重大というわけか」
「多分嘘よ。たとえ優勝しても、それだけの強さを持ったあなたを従えている女ってことで、勝手に周囲が特別視する。最初からお父様の掌の上なのよ」
大金を払って強者の闘いを観戦するVIPを遠くから眺めて、私は続ける。
「でも、これまで自由に生きさせてもらったんだもの。仕方ないわ、お兄様のことだって解放してあげなきゃ」
そうして、私は彼に告げた。
「――和紋、やるからには勝ってちょうだい。私はあなたの強さを認めているの。あなたが負けたら、私の今後の人生にも差し支える」
「承知」
男の眼差しは、ぎらりと闘争本能に満ちていた。その眼差しに、ぞくりと興奮を煽られたのだから、私はやはりあの父親の娘なのだろう。
その日、初出場の壮年の男があっという間にすべての対戦相手を捻り潰した。彼の強さは瞬く間に広がり、同時に雇い主である私の存在もこの世界で明らかとなっていく。
私は今後、愛らしいキャラクターを生み出す普通の女に戻ることは難しいだろう。それでも、和紋の強さを知ってしまった以上、元の世界に戻れるとも思えなかった。
今宵もまた、彼は力を示す。その強さが在る限り、私は熱狂の渦を動かす当事者で居続けるのだ。
――その闘争心を、間近で見続けていたいがために。