欧州魔術戦線~ラブコメ男リンドー新たなる挑戦!
「ふええ、あ、あなたがあのラブコメ男さんなんですね!」
「誰がラブコメ男かね!?」
「だ、だってみんなそう呼んでますよ?」
「誰だねそんな風評を広めたのは! いや、言わずともわかっている、羅紗だな!? 羅紗の連中だな! おのれアマランス・フューリー、許さんぞ!」
岩から削り出したような厳めしい顔つきを真っ赤に染めて怒り散らしているのは、√汎神解剖機関を裏から牛耳る恐るべき暗黒組織の一つ、連邦怪異収容局の重鎮であるラブコメ男だ!
「違うといっているのだがね! この男らしい私の姿を見てどこがラブコメに見えるのかね!」
失礼、リンドー・スミスだ!
そしてリンドーの前には、小柄で可憐で乙女チックな謎の人影が一人。ふわふわのロングヘアとナチュラルメイクも愛らしい、清楚さの中にもコケティッシュな魅力漂うそのものは一体!
「ふええ、い、いいじゃないですか、ラブコメ。僕、男ですけどラブコメ大好きですよ?」
男の娘だった!
「そもそも君は何者かね、この私の存在を知り、この姿を捉えるとは。……ふむ、しかし」
リンドーは鋭い目をわずかに細め、男の娘を凝視する。
「『彼ら』と力の感覚は近いが……まだ彼らが本格的に動き出したという情報は入って来ていないがね。――『聖人蘇生庁』は」
聖人蘇生庁――。
それは名前だけがまだ知られているにすぎぬ謎の組織。リンドーの言うとおり、目に見える動きはまだしていないはずである。男の娘は、手を組んでもじもじと上目遣いにリンドーを見返した。
「え、ええと、それはその、まだないしょでして。で、でもとりあえず、僕のお役目は、……ラブドー・コメスさんの目的のお邪魔をさせていただくことです」
「言い間違えネタにしても強引すぎないかね! だが、面白い、私の邪魔をしようというのかね」
ギラリと瞳を光らせたリンドーに、男の娘は慌てて一歩跳び退るとパタパタと手を振った。
「も、もちろん、僕がまともに戦ったら、あなたにはかないません。でも、今回の「目的」は、力勝負ではなくいわば早い者勝ち。……それに」
「……ちっ、そうだな、ここで時間を食うと彼らが来てしまうか。いつもながら面倒な連中だな……EDENよ」
リンドーは忌々し気に虚空を仰ぐと、コートを翻し足早に立ち去った。ふう、と吐息をつく男の娘を残して。
●「……以上が私が詠んだ星の内容よ」
星詠み、アマランス・フューリーは並みいるEDENたちを眺めまわし、予知の内容を語っていた。
「でも別にリンドーをラブコメ扱いするのは私だけではないわよね。まったく、彼の方が私に対して酷い風評被害だわ、失礼しちゃう」
説明しておく必要があるかもしれぬ。リンドーは同じ連邦怪異収容局の後輩たるメガネっ子、リンゼイ・ガーランドからキュンな感情を向けられているにもかかわらず、その想いに気づいてもいねえラブコメ主人公的鈍感野郎なのだ! 許せねえ、爆発しろ!
「……まあそれはともかく、彼がまた何かを求めて動き出しているようね。普通に考えれば「新物質」関連でしょうけれど、でも少し違うようにも見えるわね。そしてもう一人、リンドーの邪魔をしている謎の少年……? いえ少女……? いえやっぱり少年? もいるようだわ。現場で彼に出会えたら状況を聞いてみるといいかもしれなわいわね。そういえば……」
と、アマランスは細い指を頬に当て、首をかしげて少し考え込む。
「以前私が星を詠んだ事件で出会った「神父」に力の感覚が似ているような気がするわね、その少年……少女……少年は。まあ、以前の事件とは直接関係がないとは思うけれど」
いずれにせよリンドーの動きは座視できぬ。
彼が何を探し、何に利用しようとしているのかを探り、それを阻止してほしい。
だが、アマランスは最後に心配そうに付け足した。
「みんなにも家族、仲間や友達、近所の人や同僚、そしてAnkerなど……親しい人がいると思うわ。その姿をしっかりと心の中で思い出しておいてほしいの。もしかしたらその記憶が必要になるかもしれない……」
第1章 冒険 『新たなる組織の暗躍』
「こ、こんにちは、あなたたちがEDENの皆さんですね。ペトロ神父からお話は聞いていました、ぼ、僕、ヤコブって言います。ヤコ、って呼んでくださってもいいです、はい」
現場に向かったEDENたちに、その場に舞っていた男の娘がぺこりと頭を下げた。
彼が星詠みの予知にあった少年らしい。確かに外見は艶やかにしてゆるふわな、可憐なる美少女だ。外見だけは。
「えっと、この先にリンドーさんがいます。彼の目的を邪魔することが僕のお役目なので……それは皆さんも同じでしょうから、ここで出会ったのも運命でしょうし……」
協力しようというのだろうか。
「み、皆さんを利用させてください」
結構いい性格だった!
「も、もちろん皆さんも僕を利用してくださっていいので……うぃんうぃん、という奴ですよね、えへへ」
EDENたちはヤコブと協力……利用し合ってもいいし、シカトしてもよい。リンドーのこと、あるいは彼自身のことについての情報を取ろうとしてもいいが、彼は意外に口が固く、自分たちのことに関してはそれほど詳しいことは話さないだろう。ヤコブは今回のシナリオでは、少なくとも自分から攻撃はしてこない。
「で、でも、気を付けてください、ほら……あれを!」
ヤコブの声にEDENたちは顔を上げ、そして愕然とした。
なんということか、よく見知った顔がいるではないか!
それは一人一人違った現れ方であった。
あるいは家族の姿、あるいは友人知人の姿、または愛する者、そしてAnkerの姿かもしれぬ。だが、いずれにせよ、こんな場所にいるはずがない!
「も、もちろん偽物です。でも、よく似ていますよね……僕にはあれはペトロさんに見えていますが、皆さんそれぞれ見え方は違うでしょう。まずあれの正体を暴いて本体を見つけ出さないといけません。偽物ですから、きっとどこかに本物と違うところがあるはずなんです」
そう、たとえば目や爪先が尖っていたりとか。マフラーが黄色だったりとか。
EDENたちはそういった「偽物ならでは」の間違った箇所を指摘してほしい。それだけでこの場からは逃げ出すはずだ。まず偽物の化けの皮を剥がすのだ!
「さあ咥えて……このウォーハンマー」
「いきなり何が何でなんだかさっぱり意味が分かりませんが!?」
「黙って咥えればいいんですよ! オラオラ!」
謎の男の娘ヤコブの可憐な瞳が点になる。シナリオ開始の一章一行目からいきなりそんなトンチキなことを言いだすのは、もちろんルナリア・ヴァイスヘイム(白の|魔術師《ウィッチ》/朱に染める者・h01577)を置いて他に誰がいるであろうか。いやいない! むしろ他にいたら困るまである!
それはさておき、ヤコブが周章狼狽したのは無理もない。ルナリアはその清楚にして流麗な外見(だけ)の雰囲気を漂わせたまま、クソでけえウォーハンマーをヤコブの口に押し込もうとし始めたのだから。
「むぐぐ!? やめてくださいなんですかこれ、あなたは怪異ですか!?」
「何を言うのです失礼な。殴りますよ?」
「あれっ失礼かな!? 失礼なの僕の方かなあ!?」
「仕方ありませんね、では説明しましょう」
ルナリアはやれやれ、と言った調子で細い腰に手を当て、胸を逸らして上から目線で口を開いた。
「いいですか、このシナリオはラブコメモチーフです」
「いきなり気軽に第四の壁越えてきますね……」
「そしてラブコメと言えばなんでしょう! 街角でぶつかる出会いです!」
「よく言われる割には多分具体例ってあんまりないですよねそれ」
「その際には何かを咥えているものです。パンとか。ハンマーとか」
「自然な流れでハンマーに持っていくのやめてくれませんか!?」
なんだとー! ぷんぷん! な感じでルナリアはヤコブを睨みつける。コワイ!
「どうせぶつかるんですよ。だったらそれが鈍器であったって同じことでしょう、同じ打撃攻撃なんですから!」
「街角でぶつかる出会いを打撃攻撃っていう人初めて見ました」
「なのでこのウォーハンマーを咥えてもらってですね……さあ!」
と、ルナリアはおもむろに前方を指し示す。その指の先にいたのは、おお!
なんたることか、恐るべき連邦怪異収容局のラブコメ野郎、リンドー・スミスその人ではないか!
『ハーイ、ボーイズ&ガールズ! いっしょにこの冷めたピザと気の抜けたコ-ラでもどうデスカー? HAHAHA! イッツアメリカンジョークネー!!』
……なんかオーバージェスチャーで大袈裟に手をぱちぱち叩きつつ誘い出し笑いを響かせているけれども! しかもカタカナ言葉で!
「いやさすがにアレは偽物ですよね……?」
首を傾げたヤコブに、ルナリアは断言した。
「いえ、きっとあれがホンモノです。アメリカ人ってだいたいああでしょう」
「いやそんなステレオタイプなアメリカ人いませんよ!?」
「普段の澄ましている陰キャのリンドーちゃんのほうが偽物のアメリカ人なんじゃないですかね!」
『その通りデース! ミーが本物のリンドーネー! さあ一緒にバケツ一杯のポップコーンとヘッドサイズのハンバーガーを食べるデース!』
「……こっちはこっちでフレンドリーすぎてムカつきますね」
イラついたように口を尖らせたルナリアはおもむろに口を開く。
「……まあ、あなたが偽物なのは最初から分かっていたのですよ。だって、眼帯が!」
『ええっ、眼帯!? もしかして、右と左が違っていたのですか!?すごい注意力です!』
感心したヤコブに、ルナリアはその鋭敏な知性を持って断言した!
「眼帯が両目に掛かってるじゃないですか!」
なんたることか、リンドーのチャームポイントであるアイパッチが両目に掛かっていたのだ! これはまさに偽物!
「……ほんとだ……僕も最初から気づけよって話ですよね……」
疲れたように吐息をついたヤコブに無理やりウォーハンマーを握らせると、ルナリアは自らも幾多の戦場で血に染まった大杖を取り握る。
「まあリンドーちゃんとは殺したり殺したりした仲良しさんなので、偽物が出てもおかしくないですね。さっき話に出てましたし。……なんとなく、ちょっとタイミングズレてたらアマランスちゃんが出ていた気がしますね?」
『いやあああ!!?? はっ、夢……!?』
どこからともなくトラウマをブッ刺された美女の声が響いた気がするが放っておこう。
「じゃあ叩いてやりましょう! いいですか、叩いて無事だったら偽物リンドーちゃん!無事じゃ済まなかったら本物リンドーちゃんです!」
「うわあ分かりやすいー……」
「どっちにしろ本物にしてやります! ウラアアアアアア!!!!!」
『うわああああ!!?? はっ、夢かね……!?』
どこからともなくトラウマをブッ刺された紳士の声が響いた気もするが放っておこう。
「アメリカで大人しくしていて欲しい物ですね、連邦怪異収容局には……」
セシリア・ナインボール(羅紗のビリヤードプレイヤー・h08849)はその優艶で典雅な表情を微かに歪めて嫌悪感を示す。
それも無理はない、本来ヨーロッパは、旧『羅紗の魔術塔』の勢力下にあった地域。一方連邦怪異収容局はアメリカを主舞台として活動を行い、√汎神解剖機関の裏組織の中でも形式的には棲み分けはされていたのだ。
だが、2025年9月の『魔術塔』崩壊に伴い、裏世界には激しい変動が起きている。残った羅紗魔術士たちの一部を星詠みアマランスが糾合し、またセシリア自身も旧羅紗のものたちを集めた組織を立ち上げたりはしているものの、旧魔術塔の勢力を回復するには遠く及ばぬ。
確かに旧魔術塔は天使狩りなど道を外れたことを行っており、討滅されてもやむを得なかった。だが、いわば裏世界の秩序を維持する一定の機能を果たしてもいたのだ。それが崩壊したことで、一気にこの世界は混沌の状態になだれ込んでいるともいえる。
「噂の聖人蘇生庁も十分に警戒しなければならないのでしょうし、それに……」
と、セシリアは重い吐息を漏らして遠い視線をさまよわせた。
「……はぐれ羅紗が目撃されていると言う噂すらあると言うのに」
魂の拠り所であった塔を失い、何処にも帰属できぬまま哀しき暴威と化してしまっている羅紗魔術士。それはセシリアにとって、いや今は正道に帰しているアマランスたち元羅紗魔術士たちにとっても決して放置はできぬ由々しき問題だ。彼女たちを過去から追いかけてきた業ともいえるかもしれぬ、いずれは真正面から向き合わなければならぬ運命との対峙であり、セピア色の過去に塗り替わることを許されぬ現在の破局そのものなのだから。
次から次へと発生する問題に、セシリアは苦悶を覚えずにはいられない。
「……だ・か・ら! そんな問題山積の状況だというのに……おのれリンドー・スミス! この上さらに面倒な問題など持ち込んでくるとは許せませんね! この私はリンドーだけは絶対邪魔するウーマンだということを今一度叩きこんであげませんと!! それはもうたっぷりととっくりとじっくりと!!」
一瞬前までのシリアスに悩める美女の姿をかなぐり捨てて、頭からムキーと湯気を立てるセシリアだったが、そのとき。
ちょんちょん、と彼女の細い肩を叩くものがあった。
「……何ですか、リトル?」
振り返った彼女の視界の中にふわふわと浮かぶものは、異様ながらも可愛らしいマスコットのような姿かたちの不思議な存在だった。それこそは『|シチリア島の小さくも可愛い怪異達《プリティ・シチリアン・リトル・ファントム》』――セシリアに付き従う怪異たちである。
そのファントムたちのリーダー格でもあるレモン型の怪異が、今、セシリアの注意を想像の中のリンドーから現実へと引き戻した。
いや……。
もうひとつの非現実へと、と言った方が良いかもしれぬ。
「……ハスラーさん!?」
セシリアの声が上ずり、視線が震えながらも一点に集中して外せない。
そこに存在した一人の人影から。
いや、まさか。そのようなことがありうるだろうか、彼がここにいることなどは――!
「……な訳ありませんね、あんなに小奇麗な男ではありません、彼は」
あっさり看破しちゃった! こう、なんか心理的な深い葛藤とか苦悩とかそういう場面では!?
「といいますか、偽物が出るというのは聞かされていましたからね……それは気づくでしょう。だいたい……」
と、セシリアは朱唇に微かに苦笑を浮かべる。眼前の、パリッとしたスーツを着込み、髪も髭も丁寧に整え、洒落たアロマの香りさえ漂わせる肌艶のいい紳士の姿を前にして。
「……本当のあの人は、それはもうバニー着せようとするし普段からお酒臭いしバニー着せようとするし人間としてダメだし服装もだらしないし羅紗魔術士としてもアマランス様とは比較対象になりません。あとバニー着せようとするし」
よっぽどトラウマだったようだ。バニー。
「……ですが、ビリヤードだけは尊敬出来ます。けれど、あれでは」
肩を竦め、セシリアはキューを手並み見事に一颯し、虚ろな幻を鮮やかに吹き消した。脳裏の追憶もろともに。
「……小奇麗過ぎて魅せるプレイも出来ないでしょうね。いえ、私はやって見せますけれど。きちんとした服装でも魅せるプレイをね」
バニーとか?
「着ませんよ!!」
「ふむ。ふむふむふむ……」
まじまじとじっくりとねっとりと。|深見・音夢 《ふかみ・ねむ》(星灯りに手が届かなくても・h00525)の粘りつくような視線が、ぐるぐると周囲を巡りながら、謎の男の娘・ヤコブに張り付く。
「ふええ、な、何でしょうか……?」
「なるほど、ヤコ殿の組織は中々に良い人材を揃えてると見えるっす……!」
深く頷く音夢に、ヤコブは目を丸くする。
「えっ、そんなことが分かるんですか!?」
「わかるっすよ! なにせ、怪しげな神父殿の次はゆるふわ系男の娘! このチョイスの幅の豊富さ引き出しの多さは侮れないっすね! 可愛いといっても同じイメージばかりでは飽和する、そこをあえての多角路線! ヤコ殿の組織のプロデューサーはなかなかの腕利き、箱推しを狙う広い視野をお持ちと見たっす!」
「ぷ、ぷろでゅーさー?」
いけないヤコブ、音夢の推しトークにうっかり乗ろうものなら止まらなくなってしまうぞ!
「あ、ちなみにボクは男の娘でも女の子でも可愛い子は大好物っす! もちろんヤコ殿も放っては置けぬ逸材、良ければ後ほどチェキなどを!」
「よく……わかりませんが……推しというのはそういうことをするものなのですか……?」
おお、推しの詳細などについて尋ねてしまうとはなんということだ。そんなことを言い出せば飢えたサメの口に裸でダイブするようなもの!
案の定、音夢の瞳がギラリと輝きを放つ!
「ではお教えするっすよ。推し! それは! まさにあそこにいる方への、この燃えるバーニングファイヤーでパッションでテンションな魂のヒートのビートを物語る言葉っす! そう、――奏多殿に対するようなね!」
片膝を着いた音夢がビシッと掌をひらめかせ傍らを指し示す。そこにはまさに、清楚にして可憐、この世の恵みを一身に集め人々にそれを振りまく生ける女神にして運命の嚮導者たる絶対不変究極のアイドル――|星見天・奏多 《ほしみそら・かなた》が輝かしい笑顔を見せていたではないか!
「いえ待って下さい、アレは偽物で……」
慌てて音夢を制しようとするヤコブだったが、音夢は聞く耳を持たぬ!
「偽物ではないっす!」
「お、落ち着いてください、だまされてはいけませ……」
「いや、ホンモノでもないことはそりゃわかるっすけどね?」
「え?」
きょとんと首を傾げた音夢に、ヤコブは梯子を外された感でぽかんと口を開けた。
「そりゃあ、あちこちに本物とは違う箇所が多すぎっす。でも『偽物』とは呼ぶべきじゃない、何故なら」
と、音夢は強くこぶしを握り締めた!
「あれは『偽物』じゃなく、コスプレなんすよ!」
「なんて!?」
「コスプレなんす! そう、どんな怪異か知らないっすが、ついに怪異界にも奏多殿の素晴らしさが伝わる時が来たに違いないっす! あの怪異はきっと奏多殿を推すあまりにコスプレをしてしまったんっす。でも初めてだからうまくコスが作れないんっす! くーっ、分かる、わかるっすよその苦悩! 最初に作ったコスにかけた夢と希望と情熱、でも結果に結びつかない哀しさと悔しさ! でもそこを乗り越えてこそ真の推し活と言えるっす! 頑張るっすよ怪異さん!!!」
「もしもし? 帰って来てください?」
「そこで! 奏多殿推しにかけては一日の長を持つ先輩たるこのボクが直接手ほどきをしてあげるっす! なあに大丈夫、ボクは同担OKっすからね!」
明らかにどっか別の世界を見てる音夢の瞳が爛々と燃え上がる! その奥底に輝くものは、憧憬を超え崇拝を超え愛さえも超えた究極の純粋無垢なる感情、その名は『推し』だ!
「行くっすよ、『|熱情語りの独壇場《オシカツオンステージ》』!!!」
音夢のシャウトが響き渡る中、彼女の姿はまさに奏多の姿そのものを模した絶妙霊妙なるコスプレへと変化していくではないか!
「まずここが一番のポイントっすが、リボンの白線が4本になってるっすね! それはダメっす、奏多殿のリボンは五線譜がモチーフ、だから白線の数は5本なんすよ! こういうふうにね! 目ぇ逸らすな! こう!!」
ぐぐいと詰め寄り自分のコスを見せつける音夢に、怪異はなんか凍りついたように、もはや動けぬ! きょろきょろと目だけが泳ぎ、助けを求めるかのようにヤコブを見たが、しかし。
「……すみません無理です」
顔を背けてしまったヤコブに怪異は絶望の表情を浮かべるだけであった!
「いいっすか、さらにっすね、髪飾りの星の角度が3㎜ズレてるっす! あと胸のト音記号が1㎜小さいっすね! それに何より胸! そんな小ささで奏多殿のコスと言えるっすか!………」
以下エンドレス。
怪異より怖いもの。それはドル推しのオタ。
「なるほど……読めましたよ、これはアレですね」
|真心・観千流 《まごころ みちる》(最果てと希望を宿す者・h00289)は思慮深げに細い指を顎に当てた。
「ラブコメ事件だけあって、愛を試す試験的なやつですね! 双子の一人が変装してもう一人が付き合っている相手とのデートにやってくるけれど相手は一発で見抜く! どうしてわかったの友達だって私たちの入れ替わりは見抜けないのに! ふっ、……愛の力さ! そういうアレですね!」
説明しよう、観千流の嗜んでいるゲームやマンガはちょっと古い時代のものが多いのだ!
「ぺ、ペトロさんから聞いていた通りです、とても冷静で的確な判断をする人だ!」
彼女に感心する謎の男の娘、ヤコブの感性も多分同じくらいだ!
「ですがこの真心家長女たるこの私にそんな偽物で挑むとは笑止です。そう、私の――」
すっと息を吸い、観千流はビシッと決める!
「私の家族、真心家の偽物を出してくるとはね!」
その言葉の通りであった! 観千流の視線の先にあったものとは……先ほど元気に「行ってきまーす」と手を振って出てきたその相手、家族の姿だったではないか!
もちろん偽物だ、そんなことは分かり切っている。
おお、だが、どうしたことか。
ずごごごご! とでも表現するしかないような恐るべき揺らぎが突如巻き起こった。そう、観千流の周囲の空気が震え揺れている! 光が軋み音が不協和音を奏でる! 彼女のナノマシンをる力が暴走し環境を作り変えてでもいるかのように!
観千流は静かに、いや極力平静を保とうとしているかのように声を絞り出す。
「アンガーコントロール……わかっていますとも、6秒待つのです。そうすれば怒りは収まりますからね。せーの、ろーく、ごー、……ひゃあ我慢できねえゼロだ!!! そこどきなさい、そこは私のです! 私の場所です!! どけえ!!!」
「え、ええっ、どうしたんですか!? 冷静で的確な判断力を持つはずのあなたが!?」
ヤコブが驚愕し動転するのも無理はない、どうしたというのか、普段冷静沈着な観千流が突如壊れたかのようだ!
ああ、だが、観千流が見たもの、それは……。
偽物の真心家一同の真ん中で、父と母と兄の偽物に甘える――観千流自身の偽物の姿であったのだ!
「偽物とわかっていても許せません! そこは、家族の中のその場所は私のです! 私だけのです! ブチ転がしますよ!!!」
天地鳴動し虚空が揺らめき時空が悲鳴を上げる! 観千流の怒りに呼応し、ナノマシンの嵐がニセモノたちを襲おうとした時――。
僅かに、その勢いが低下した。
量子単位の観測を可能にするものでなければ気づかないほど僅かにではあったが。
「……ほう」
瞬時、観千流は一転したように表情を落ち着かせ、指を鳴らしてナノマシンの嵐を収める。
「今、私のナノマシンをハックしようとしましたね。うまくは行かなかったようですが。……つまり、√能力者の偽物を作り上げる場合、その能力をも一部コピーできると。……かなり制限があり、オリジナルには遠く及ばないようですけどね。ふむ、いいデータが取れました」
「え、ええっ、今怒って見せたのはわざとですか!? 相手の力を見定めるために! やっぱり冷静で的確な判断力を持つ人なんだ!」
感激の表情を浮かべたヤコブに観千流はさらっと返す。
「いや普通にキレてますけどね? ムカついたのはほんとです。それはそれとしてデータの取得には成功しましたが」
「あ、マジなんですね怒ったのは……」
「ま、それはそれとして、この茶番もそろそろ幕引きの頃合いでしょう。間違いを指摘すればその偽物の幻影は破れるのでしたね……」
ふぁさっ、と髪を靡かせ、観千流は凛然たる態度で偽物たちに対峙する。その凛々しい姿はまさに新入生でありながら既にして将来の生徒会長間違いなしと噂される才媛の証!
「あなたたちは偽物です。なぜなら! お母さんが本当にお出かけするのなら、お気にのお高いシャンプーを使っていたはずだからです! でも昨夜シャンプーは減っていませんでした!」
じゃじゃーん! サスペンスドラマのクライマックス的な荘厳なBGMが流れたとご想像いただきたい! あまりにも完全な推理を前に、偽物たちの幻影は消え去っていく!
「ふっ、しょせん幻影ですね」
ドヤる観千流に、ヤコブは首を傾げ、尋ねる。
「……えっと、毎晩お母さんのシャンプーの量を確認していらっしゃるのですか?」
「私もたまにこっそり使うので」
「……えええ……」
「高いんですよ! いいやつなんですよ!!」
マズルフラシュが消えた次の瞬間にショットシェルがチェンバー内に叩き込まれ、放たれた散弾が虚空で乱反射しながら発射音が響く。トリガーを引く前に指先に伝わる振動がその重厚な反動を示す。硝煙の香りをまき散らしながら彼女は狙いを定めようとして、……やめた。
……つまり。
「いやー、因果も時系列もバラッバラじゃん。ま、そうかなあとは思ったけど」
肩を竦め、|林・風音《はやし・かざね》(Extraordinary disaster Masterkey・h12984)はやれやれ、といった様子で笑う。
「えええ、いきなりショットガンを撃って……あれ? 撃たなかった……んですか?」
何が起きたのか右往左往している謎の男の娘、ヤコブの前で、風音はぼやいた。
「通じないだろうなぁとは思ったんだけどね、あの偽物には。だって、あれ多分、|Anchor《自分自身》だからね。案の定、事象デタラメに書き換えやがんの。風音かよ。風音なんだけど」
ふう、と吐息をつきながら、風音は考え込むように、とんとん、と自分の額をつついた。
「どうしよっかなあ。ねぇねぇヤコブっち、アレの倒し方ってわかる?」
「え、アレって……」
と、その時ヤコブは初めて敵の姿を目に捉える。先ほどは現着即ブッパした風音の行動に気を飲まれるあまり、その対象にまで注意が向かなかったのだ。
……そして次の瞬間。
「イアアアアア!? あれは、あれは何ですか!!?? 窓に!! 窓に!!!」
「落ち着きなよここに窓はない」
「そ、そうでした……なんか窓が見えた気がして」
「ぶっちゃけ窓に窓にって言いたかっただけでしょ」
「人生のうち一度は言ってみたい言葉ですからね。……それはともかく、あれは」
ごくり、と生つばを飲み込んで、ヤコブは恐怖の色を浮かべる!
「まるで計り知れざる永劫の元に這い寄る宇宙からの色彩のようじゃありませんか!」
「ええい修飾過多! ま、平たく言えば『絶えず姿を変える虹色の泡』ってやつねえ」
おお、それこそはまさにこの宇宙そのものを内包する超越時空に内接した絶対者が現実と言う名の空虚な遊び場に零した一滴の如し! 人知の及ばぬ宇宙的深淵より来たれる恐怖の具現ともいうべき現象ではないか!
「だから修飾過多! それはともかく、たとえフェイクでも、ずっとアレがあの場にいるのってマズいよねぇ……さっき見たように、外見だけじゃなく風音の力の一部まで模倣してるっぽいし」
「あ、でも、偽物は本物と異なる点を指摘すれば退散しますよ」
「泡だよ?」
「……………」
「泡。あわ」
「………………………」
「泡Aと泡Bを並べてどっちがどう違うか指摘せよ配点100点、って言われても困らない?」
「それはその……泡は……こう……泡ですから……」
「どうなのヤコブっち! そこんとこどうなの!!!」
「う、うわああああん!!」
泣かせるな。
「いやあごめん、ヤコブっちの表情コロコロ変わるの面白くってさ……」
と、そこまで楽しそうに言った風音は、突如、ぽん、と掌を叩いた。
「あー、『変わる』ね! そこがポイントか!」
「えっ?」
きょとんとしたヤコブに、風音は言葉を続けた。
「ほら見て、あの泡! 姿の変わり方がパターン化してる!」
おお、まさに! 偽物の七色の泡は間断なくその色彩を変えていくが、子細に観察してみればそれは決して無軌道無限定なカオスではなく、一定のルーティンによって規則正しく変滅してることが目に見えたではないか! もとより完全な混沌を偽物ごときが模倣できようはずもないのだ!
「なるほどぉ、行動パターンとかクセが違う箇所なこともあるんだねぇ。ってことで、風音の偽物! その変動パターンが間違ってるよ!」
まさに快刀乱麻!
一見相違点が見つけられなかった「泡」の偽物とても、その生成パターンまでも見抜いた風音に軍配が上がったのだ!
偽物は見る間に萎れ矮小化し、おどおどと逃げ出していく!
「や、やりましたね!」
勝利に拳をぐっと握ったヤコブだが、その時、彼の耳元で!
「往生せえやあああ!!!!!」
轟然と爆音と火花が炸裂した! それこそ風音のショットガンファイアである!
「ぐええええ!! って僕が驚いちゃったじゃないですか!!??」
涙目で抗議するヤコブにしれっと風音は笑う。
「いや冒頭で上手く撃てなかったからフラストレーションがね……それに、鍵で障害物破壊するのは|鍵開け《ショットガンぶっぱ》でしょ?」
「当然の常識みたいに言うのやめてもらえますか。古事記にでも書いているっていうんですか」
「いや禁断の魔導書に」
「いやあああ!!! 窓に! 窓に!!」
サラサラ、書き書き。
彼女がおどおどとしながら、可愛い丸文字でメッセージボードに記したのは
『甘いもの好きですか?』
の一文であった。
説明せねばなるまい、|神咲・七十《 しんざき・なと》(本日も迷子?の狂食姫・h00549)は強い人見知りであり、初対面の相手には声を掛けることができないのだ!
「え、あ、はあ、好きですが……」
メッセージボードを突き付けられた謎の男の娘、ヤコブは長い睫をぱちくりと、瞬かせながらとりあえず首肯する。と、その瞬間!
「あ、やっぱりですよね。私と一緒です。……とても可愛らしい人なので……きっと甘いものもお好きなんじゃないかなって。……だって可愛い子から『塩辛好きです』とか言われたらえっちょっと待って解釈不一致なんですけど? とかなりません……? いえ、塩辛も美味しいことは知っていますがイメージの問題というか……」
「アッハイ……」
イケるな! と判断した瞬間、自分の世界を繰り広げ始めた七十に、ヤコブはおもわずたじたじだ! だが一向にかまわず、七十は、√能力で発現している邪神の力の一部、フリヴァくにニコニコと可憐な笑顔を浮かべ浮き浮きと話しかける。
「ねえフリヴァく……、とっても可愛いですよね。……そんな可愛い子があのしんちゃんさんのお知り合いっていうのもなかなかミスマッチですけど……んぅ、そういうギャップも可愛いポイントかしら……」
「え、えっと、それでですね、怪異を……」
「ああ、撫でたい……。なでなでしたい……。ふわふわとぷにぷにと……。でもアイドル業界にも関わっている私にはわかります……とても親しい人でなければ勝手にお触りしてはいけないのです……ですからぐっと自分をこらえて……エアなでなでを……今こそ想いの強さが試される時……」
「カッコいい言葉ですがそこに至るまでの経緯が何かアレじゃないですか!? っていうかですね。その、怪異を……」
「フリヴァくも決してお触りしてはいけませんよ……ただ周辺から私と一緒に包み込むように連携して……エアなでなでフォ-メーションA……」
「BとかCもあるんですか!? あの、あとでなでなでしてもいいですから、今は怪異を」
「おけ」
「切替え早っ!」
と、後のなでなでタイムが約束された七十は改めて前方を見据える。その瞬間、彼女の瞳がきょとんと丸くなった。
「あ、カリアさんだ」
「……え?」
呆然とするヤコブが止める間もあらばこそ、七十はとことこと、惑うこともためらうこともなく――その相手に縋りついたではないか。思わずヤコブは、その場に残されたフリヴァくと点になった目で見つめ合うことしかできぬ!
「わーいかりあさんのもふもふー」
おお、七十が縋りついたその対象とは。
黄金に輝く瞳と白銀に澄んだ艶めく髪を靡かせ、そして純白の豊かな尾を揺らせる絶世の美女! 彼女こそは七十のAnkerでもある|黒鉄《くろがね》・カリ……
「……カリアさんじゃありませんね」
じゃなかった!
むすっとした顔で、七十は両手に抱きしめたカリアっぽいなんかの尻尾をものっそい勢いで引っ張る! 根元からずぼっとブン抜こうとするほどのそのパワーに思わず偽物は甲高い悲鳴を上げざるを得ぬ! それはまさに七十の不機嫌の現われと言えよう!
「最初にこう、問答無用で抱き着くでしょう。そうすると、本物のカリアさんの尻尾は最初ちくちくなんです……私が嫌いらしいので」
「嫌われてるなら、問答無用のところを何とかした方がよくないですか……?」
ヤコブが首を捻るが七十は言葉を継いだ。
「……でも、嫌がるのも無視してしばらくすりすりしていれば、カリアさんのお胸とはまた違う極上のふわふわになるんです。なので貴女は偽物です。ちくちくでもふわふわでもなかったので」
「無視はしない方がよくないですか……? あ、でもふわふわになるんですね」
「はい」
七十はくすりと、甘い蜜が滴るように言葉を紡ぐ。そう、彼女が大好きな、甘いお菓子のような言葉を。
「……カリアさんは私の事好きらしいので……」
「おやそれは……お幸せにといいますか……」
そういえば、さっき自分に触れることを自制していた七十が、カリアの偽物に対しては躊躇なく抱き着きに行ったなあ、とヤコブは想起し納得する。七樹は彼の祝辞にほわほわと微笑んだ。
「ありがとうございます……私、必ずカリアさんをふわふわにしてみせます……」
「頑張ってください! 幸せな人が増えるのはいいことです!」
とスイートトークが繰り広げられている中、怪異はスルーされたまま雲散霧消していく。
なお、その頃。
「くしゅん! ……なんか凄い悪寒が……アイツ、またなんか変なことしてんじゃないでしょうね……!?」
どっかでくしゃみして白い尻尾を震わせている美女が約一名いたのだった。
「偽物だよ、あるまちゃん」
『偽物だね、あくあちゃん』
|星河・あくあ《 ほしかわアクア》(零を上書き歩む【始発点】/ 零で塗り潰し辿る【終着点】・h05769)は、その番たるあくあと、美玉が転がるような玲瓏の声をそろえた。
無論「それ」は偽物である、目の前の「それ」は。
半身たるあくあとあるまは常に共にあり、今も手を取り合い、互いを見つめる瞳を煌めかせ、ときめく心と魂の共鳴を一つにしている。……平たく言えばずっと一緒なのだから、当然、目の前に存在する「あくあとあるまっぽいもの」は偽物以外の何物でもない。
そう、彼女たちの前には、「っぽいもの」が同じように手を取り合って佇み、きょとんと首をかしげていた。「ホンモノ」のあくあとあるまのように。
「このセカイの事は良く知らないけど、秋葉原の件もあるので遊びに来たけど」
『偽物が出て来るって聞いていはいたけど、あれなんだね~』
「うん、たぶんあれだね。あるまちゃんの光がない」
『あー、あれだね~あくあちゃんの光ないし』
二人はとろろと蕩けるように指を絡め合いながら頷く。そう、眼前の偽物には光があるように見えて光がない。それは例えていうならば!
「どろんこをぐるぐるに丸めてころころに転がしていったらつるつるでピカピカになるけど~」
『でもそれはやっぱりどろんこなんだよね~。輝く星にはなれないよ』
「うん、でもそれはそれとして、どろんこをつるつるにしていくのは面白いよね」
『そうそう、いつまでもついつい夢中になっちゃうよね~』
「どのくらいおっきいのができるのかな―とかやってみたりね~。……何の話だっけ?」
『偽物の話~』
「そうそう、偽物。目の前のアレには命もないしね」
そう、眼前の偽物には、揺らめく魂の息吹があるように見えて命はない。それを例えていうならば!
「たべものやさんのショーウィンドーに並んでる見本のごはんみたいな~」
『うん、よくできているけど硬くて冷たくて、それは食べられない作り物』
「でもそれはそれとして、あれよくできてるよね~」
『そうそう、細かいところまでしっかり作られてるし、スパゲッティが立ち上がってたりして面白いよね。……何の話だっけ?』
「偽物の話~」
おお、なんと恐ろしいことか、そんな感じのほわほわ~っとした会話があくあとあるまの間でエンドレスで繰り広げられたとお考えいただきたい! その可憐にして茫洋としてつかみどころのない言葉の流れの中に、偽物たちは為す術もない! いや実際どうやって話に入れというのか!
しかも……!
「「「「例えていうなら写真。ホンモノをそのまんま映したようでもオバケが映ってたりするよね」」」」
『『『『そうそう、でも心霊写真って面白いよね、よーく見ないとわかんないところにあったりして宝さがしみたいで』』』』
「「「「だよね~、ところで何の話だっけ?」」」」
『『『『偽物の話~』』』』
右! 左! 前! 後ろ! 多重に輪唱する荘厳なる歌曲のごとく、いくつもの同じ声が重なり無限に反響を繰り広げ永劫の木霊を残し続ける!
そう、見渡す限りの視野の中、無数無限に空間を埋め尽くすあくあとあるまが同じような会話を展開しつづけていたのだ。そして最も恐ろしいことは……それはすべて『ホンモノ』のあくあとあるまだということだ! これぞ彼女たちの能力、真実の姿そのものを分裂させていく『|幽玄重ねる淡い肉体《インフィニット・リノベーション》』――!
一組につき12体ずつが分裂するが、その12体ずつがさらに同様に分裂を繰り返し、以下エンドレスで指数関数的に増殖! 世界そのものがあくあとあるまで埋まるまで止まりはしない! かもしれない!
かくして無数のあくあとあるまは楽しく仲良く、時の果てまでほんわかお話をした末に、ふいと一斉に『偽物』を見据えた。
『偽物がいるならホンモノがいっぱいいたっておかしくないしね』
「とりあえずね、悪い嘘つく様なのはね」
『これ以上話す事は無いよ』
「下手くそな真似する趣味の子は……」
『指揮も必要なし。みんな気が済むまで囲んで叩こー!』
「……で、偽物どこだっけ?」
そう、その話が出た時には。
……たった一組の偽物は、数え切れないホンモノの群れにうずもれて消えてしまっていました。
なんか、おとぎ話みたいなお話。
「おとぎ話って、作り話だけど」
『でもその中に世の中の本当が込められていたりするよね』
「そうそう、後になって、ああ、これってあの話みたい、って思ったりね」
『うん、だからこれは』
「『ホンモノの話でした』」
瞬時――。
激しく大地を蹴りたて蒙爆たる土埃を上げ、風を切り裂いて轟然な勢いで影が奔った。
時を欺くかのような速さで迫ったそれは、相手に鋭く手を伸ばす。
そう、|椿之原・希 《つばきのはら・のぞみ》(慈雨の娘・h00248)の可憐な顔に対して!
「ああっ、あぶない!?」
未曽有の危機が幼い少女の儚げな姿に迫るかに見え、傍らの男の娘、ヤコブは思わず高い悲鳴を上げた。まさかこんなところで哀れな犠牲者が無慈悲にも出てしまうというのか!
だが次の瞬間。
『ダメ! ダメダヨ!!』
おお、疾風のように走り寄ったそのおそるべき影、すなわち怪異の片手は――。
ぺたりと希の顔を覆い、もう片手は素早く、希が手にしたものをそっと取り上げていたのだった!
「ふ、ふえええ!? 何が起きたのでしょうか…!? このおっきくて暖かい手はお兄ちゃんの手のようですが……あっ、あなたがお兄ちゃんのそっくりさんなのですか!?」
希は傷一つ負わず、けれど急に目の前が見えなくなって、はわわ、と困惑した声を上げる。怪異はそのまま、傍らにいたヤコブにぽいと、たった今希から取り上げたものを放り投げた。
「え!? え!?」
ヤコブもまた何が眼前で展開されているか理解できぬまま、手の中に落ち込んできたものを見つめる。
それは、本であった。
おお、それは大いなる謎と神秘の秘密を書き記した魔導書か。それとも世界に僅かしか残らぬ人類史上に貴重な稀覯書か。いや、違う! それは! それこそは! 大きく! 薄く! そしてある意味で濃い!
「……同人誌?」
同人誌であった!
いやナンデ?
「ふええ、ダメですよ、それは今朝お兄ちゃんが読んでいたご本で、あとで読んでもらおうと思って取っておいたら、ついここに持って来ちゃったのですから……」
目隠しされながらじたばたしつつ希が声を上げる。ヤコブはそれを聞き、手元の同人誌をまじまじと見つめた。
なんかこう。
「……肌色が多いですね?」
多かった。
「なんかこう、表紙の男性二人が陶然とした表情を浮かべていますね?」
浮かべていた。
「手足が……拘束されて?」
拘束されていた。
「………R18って書いてませんか?」
書かれていた。
「――いやダメですよこんなもの持ってきたら!? えっ、お兄さんに読んでもらおうと!?」
なんかこう深いところまで理解してしまって声を上げたヤコブに、怪異に目隠しされたまま、希はふんふんと頷く。
「お兄ちゃんはいつもはなんだか難しいおいしゃさんのご本を読んでいるのですけど、そうじゃないご本のときは一緒に読んでくれるのです。声を出してしっかり読み上げてくれるのです。なのでそのご本もあとで読んでもらうのですよ」
「声を出して!? この内容を!?」
「あと、分からないところは細かいところまで詳しく教えてくれるのです」
「細かいところまで!? この内容を!?」
「なので、返してください―!」
ヤコブは思わず、希を目隠ししている怪異を見つめて、呟く。
「……なんて哀しい目をした怪異なんでしょう……」
怪異は無言のままヤコブと見つめ合い、静かに首を振った。言葉はいらない。二人の間に、ただ視線と表情だけで確かに通じ合うものがあった。――希を、この純真無垢な少女を守護らねばならぬと! イケナイ知識から!
「こうなったら能力を使っちゃうのですよ! てい!」
だが目隠しされてじたばたしたまま、希の体の奥から力の波動が弾ける! それは√能力が繰り出される証!
「|情報収集用√能力「鴉」《クロウ》! ご本を調査して内容を伝えてください! |行動援護用√能力「梟」《オウル》! |緊急救命レギオン「赤いお医者さん」《オタスケレギオンサンジョウ》! みんなでご本を取り戻すのです! さあ掛かるのですー!!」
しかも多種多様なレギオンの同時多発的大盤振る舞いだ! 希の指令の下、一斉にドローンたちが舞い上がり飛翔し、あるいは怒涛の如く波打って生み出される!
「くっ、これはいけません! このままでは彼女に本を取り戻され……イケナイ内容を知られてしまいます!!」
青少年のけんぜんな教育がまさに危機一髪の危険のピンチでデンジャーだ! 焦るヤコブに、だがその時。希を抑えたままだった怪異は小さく寂しげな笑みを向け、静かに頷いたではないか。
「ま、まさか……怪異さん!」
ヤコブの声が響き渡る中。
怪異は希から飛び離れると、無数のレギオンが殺到してくるただなかに飛び込み、両手を大きく広げてそれを受け止めたのだ!
ようやく視界が開けた希は、その相手をまじまじと見つめ、ビシッと指さす。
「やはりお兄ちゃんのそっくりさんでしたね。お兄ちゃんはちゃんとご本を読んでくれる人なので、それを邪魔したりはしないのです。だからあなたは偽物さんなのです!!」
偽物は正体を見破られれば消えるのみ。
希に看破された怪異は、そのまま静かに消え失せていったのだった。
「あっ、本を取り戻してくれたのですね! 確か、ヤコさんでしたか」
ニコニコと駆け寄ってくる希に、ヤコブは今、怪異が稼いでくれた時間の間に手早く包み、表紙を見えなくしておいた同人誌を手渡した。
「しんちゃんさんのお友達なのですよね、えっとペトロしんちゃんさんにはこの間とてもお世話になりましたー」
ぺこりと頭を下げる希に、ヤコブはあはは、と力なく笑い声を漏らす。
「ええと、そのご本はお兄さんのものということで……今ここで見ると汚してしまうかもしれませんし、帰ってからきちんとお兄さんにお返しした方がいいかもですね」
「ああ、確かに! 汚してはいけないのです! じゃあ帰ってからお兄ちゃんに読んでもらうのです! 声を出して!」
「はあ、声を出してね……」
「細かいところまで!」
「はあ、細かいところまでね……」
とりあえずあとは知ったこっちゃないのでそのお兄さんに丸投げにしよう、と思うヤコブであった。
(……それにしても)
と、彼は思う。
(怪異があの本を彼女から守ろうとしたのは、単に「ホンモノならしないはずの読書の邪魔をする」という偽物の特性によるだけだったのでしょうか。それとも……)
本の包みを大事に胸元に抱える希の姿を見つつ、ヤコブは考える。
(彼女の教育的配慮を護るという、……化けた相手と同じような心の動きがあったのでしょうか)
第2章 集団戦 『ナリカワリ』
「み、みなさん、お急ぎを! もうリンドーさんはこの先に進んでいるはずです!」
偽物たちの幻影を打ち消したEDENたちはヤコブに導かれ、猛然と奔る。リンドーが何を目論んでいるのかはまだわからぬが、どちらにせよその意図を挫いておくにしくはないはずだ! だが追いつけるだろうか……とEDENたちが微かな危惧を覚えた、しかしその時!
「グワーッ!!!!」
何者かの恐るべき絶叫が響いたではないか! それは間違いなく断末魔の叫びだ、だが誰の!? EDENたちは一人も欠けず揃っているし、ヤコブも特に怪我などはない。
ああ、だが!
EDENたちの目の前に繰り広げられていたのは信じがたい光景であった!
「り、リンドーさんが!」
ヤコブが絶句した通り、そこにはリンドー・スミスの死体が横たわっていたではないか! 偽物ではない、本物のリンドーだ!
……まあ簒奪者なので、ほっとけばすぐに復活するのだが。
しかしそれはそれとして、一体だれが何故どうやってリンドーを倒したというのか!
そんなEDENたちの前に現れたのは――怪異であった。
まさか怪異がリンドーを? しかしこんな怪異にやられるリンドーであろうか? リンドーがまともに戦えばおそるべき手ごわい相手であることはEDENたちも知っての通りだというのに。
先ほど、偽物の幻影を見せていたのはこの怪異たちだ。今はその幻影が破られたため、本体そのものの姿となっている。
EDENたちはまずこの怪異たちを倒さなければならない。
この怪異は、姿こそもう化けることはできなくなったものの、「ホンモノ」と同種の力を持つ。その能力は劣化しており本物には及ばないが、用心に越したことはない。
なお、傍にはリンドーの死体も転がっている。
もし気になるなら、怪異と戦いつつ、復活する前に彼の死因などを調べてみてもよいし、あるいは今のうちに顔に落書きとかしてもよい。
「リンどーっちが死んだ!! この人でなし!!」
なんということであろうか、恐るべき簒奪者であると同時にEDENたちの強敵と書いてライバルと読む存在でもあったリンドー・スミスが死んだ! |林・風音 《はやし・かざね》(Extraordinary disaster Masterkey・h12984)の喉からは悲痛なる叫びが漏れ出て響き渡る。さもあろう、いかに不倶戴天の敵であろうとも実際に眼前で死なれてみると一種の惜別と寂寥の想いが胸を突き上げ慟哭が抑えきれぬもの! 風音の傍らに立つ謎の男の娘、ヤコブも思わず目頭を押さえ……。
「いやただ言ってみたかっただけだけどね。初対面の知らないオッサンだし」
「どうでもいいんですかー!!」
思わずツッコミを入れるのだった!
「一度は言ってみたい|セリフ《ネタ》でしょ。あと、『死なないでリンドー! あなたが死んだら三章のラスボスはどうなるの! 次回リンドー死す』とかさ」
「どうなるのっていうかまあ生き返るとは思いますが……でも」
と、ヤコブは眼前にうごめく恐るべき敵を指さした。
「……あの怪異たち、別に効いてないみたいですよ?」
「なんですとー!?」
指摘され、風音は目を剥き出して目の前の怪異『ナリカワリ』たちを睨みつける。おお、まさにヤコブの言う通り――怪異たちは痛烈にして容赦なき風音の痛罵に対してもどこ吹く風とばかりに何かふよふよと踊っている様子、平気の平左ではないか!
「まあ、怪異なんですから最初から人じゃないわけですよね……」
「しまったそうだった!」
風音は愕然として悟った。怪異、つまり人間ではないものに対して「人でなし!」と言っても悪口にはならぬことを! なんたる千慮の一失めいた落とし穴か!
「え、じゃあなんて言えばいいんだろ……人に対して『人ではない』って言えば悪口なんだから、怪異に対しては……この……」
と、風音は小首を傾げ、ぽつりと口にする。
「『人』」
「ムガアアアアア!!!!!」
突如! その暴言を聞いた怪異が頭から湯気を噴き出すばかりに激怒し憤然たる形相で風音を睨みつけた……ように見えるではないか! 貌ないけど!
「あ、怪異って、『人』って言われると怒るんだね…‥」
「新しい発見ですねえ」
「風音も人じゃないけども、別に人って言われても怒んないけどな。そこがやっぱり安っぽい偽物なんだよ。悔しかったら……」
くすっと笑んだ風音の瞳が挑発するように妖しい輝きを宿す。敵の根源そのものを見透かしすべてを掌中にする、あらゆる法則から外れた得体のしれぬ運命の根源ででもあるかのように!
「風音と同じように、その「パズル」を解いてみたら? もしそれを解けたなら……きっとすごいことが起きちゃうよ」
彼女の胸に揺れる異様な立方体が、風音の言に応じるかのように、人の耳には聞こえぬ、聞こえてはならぬ音を立てたかのようだった、あたかも夜半に月影ひとつ星影ひとつ見当たらぬ暗鬱たる街並みに響き渡るヴィオラの音のごとき異質なる音楽をだ。
怪異の胸にも同様の立方体が揺れる。それはナリカワリであるがゆえに。怪異たちの手の中にもそれが存在するのだ。そしてナリカワリであるがゆえに、怪異たちは次々と立方体のパズルを組み変えていく。風音自身と同じように。
「あれは……」
「見ない方がいいよん、見ると壊れちゃうかもだし。なんたってアレは――」
ヤコブの視線を柔らかく遮って、風音は人の踏み入れたことのない果て知れぬ山頂に彫り込まれた彫像のような笑顔を浮かべる。
「『正二十一面体』だから」
その単語を聞いた瞬間、ヤコブの可憐な顔が引きつり、即座に必死で目を閉じ、耳をふさぐ。まさに賢明な行為であったろう。なぜならそれは――かの立方体が、この世に存在せぬ、してはならぬ冒涜的なまでに狂い果てた角度を持つことの謂であったのだから!
おお、だがナリカワリたちは次々とパズルを解いてゆく。熊の象形、鷹の形状、魚の意匠。だがそれが齎すものこそは――!
「オオオオアアアア……!!??」
怪異たちが、自らの内側からいずこかに引きずり込まれるかのようにひしゃげた。あるいは目に見えぬ狭間に挟み込まれるように捻じれ折れ曲がった。そこには何もない、ないはずだ。だが奇妙なまでに明滅するように感じられる日光が一瞬落とした影は……まるで何かを求め蠢く「手」のようだったと、ヤコブは後で背筋を凍らせ思い出すだろう。
そう、そのパズルこそは――。
「――解いた人を『門の内側』に連れ込むものなんだよね。風音の劣化コピーの力じゃ、やっぱり自滅は防げなかったか」
小さな肩を竦め、風音は鋼色に輝く凶器を手に取ると、無造作にそれを構えた。常軌を逸した現象とは一見相反する、あくまでも物理に即したその武器――ショットガンを。
「こうやって開ければよかったんだよ」
轟然と爆音が響いた次の瞬間、怪異とその胸に揺れた異形の立方体は、同時に破裂し微塵に砕けて散ったのだった。
「この簡単なやり方を思いつかない時点で……やっぱり偽物は偽物だったね」
「『PSS――Project Systematization of Suicide』……?」
セシリア・ナインボール(羅紗のビリヤードプレイヤー・h08849)は手にしたメモを目にして柳眉を顰めた。
眼前に横たわるのは彼女が蛇蝎のごとく嫌う簒奪者、リンドー・スミス……の死体である。まあ、どうせ簒奪者のことだ、今は確かに死んでいても、いずれ蘇生するのは間違いないのだが。
「勝手に死んでいるのですから放っておきましょう……と思っていたのですけれどね」
ふむ、とセシリアは小首を傾げ、彼女に付き従う愛らしい小存在、『|シチリア島の小さくも可愛い怪異達《プリティ・シチリアン・リトル・ファントム》』を愛情をこめて軽くつつく。
リンドーの死体にいたずらをしていたのはこのリトルたちだ。シャツのボタンを一段ずつずらして止め直したりとか。靴を左右逆に履かせたりとか。眼帯を逆にしたりとか。リンドーの指を自分の両方の鼻の穴に突っ込ませたりとか。そういうほんのちょっとした実に微笑ましい悪戯をしている中で、リトルの一体が、リンドーがジャケットの内ポケットに忍ばせていた一枚の紙片を見つけ出したのである。
「お手柄でしたよ、リトル。とはいっても……書いてあるのはこの一文だけ。これだけではよく意味が分かりませんし、そもそも何らかの形で今回の事件に関わりがあるという確証もないわけですが……まあ、後でリンドーが多少なりとも困るのなら貰っておきましょうか」
紙片をひらひらと翻し懐中に収めると、セシリアは改めて眼前を見つめた。
ゆっくりと揺らめくように、空気が密度を増したようだった。
その向こうに浮かび上がる人影を瞳に移して、セシリアは、ほう、と頷く。
「誰になるのかと思っていましたが、なるほど……」
そこにいるのは、いるべきではない、いるはずのない人物だ。
漆黒の闇のような艶めく髪を靡かせ、影より深い瞳で己を見つめる、人の形を成した美しき深淵。
「……イングリッドでしたか」
その場に幽明の境があるごとく立つのは、彼女の知己たる後輩――イングリッドの姿だった。
だがセシリアは嗤う。冷ややかに、あからさまなイミテーションを相手にして。
そう、その場にあるのは怪異『ナリカワリ』。あくまでも偽造の産物に過ぎぬと、最初から分かってはいたけれど、それにしても、だ。
「あの子の纏う『黒』はそんなに浅くない。もっと深く濃く芳醇な闇です。まあ、形だけでもよく似せたとは思いますが……魔術士相手に表層だけを似せても意味はありませんけれどね。我らは常に本質で語り合うもの」
ゆらり、と「イングリッド」の姿が蠢き、次の瞬間。
暗雲から弾け出す豪雨のように解き放たれた青白い光芒が牙剥くようにセシリアに襲い掛かった!
それは幽鬼、亡霊、怨霊の類! 本物のイングリッドが駆使する能力をナリカワリもまた使ってみせたのだ!
「ああ見えて、あの子は接近戦が得意ですからね……ならば」
だがセシリアの瞳からは決して余裕が消えることはない。そのまなざしが射るものは亡霊達の動きの軌跡――この世の法則に従わぬ怨霊どもであろうとも、唯一従うべき理がある。最終的にはその行動は目標に、すなわちセシリアの元に収束せざるを得ぬということだ!
「マッセ」
低くつぶやいたセシリアの手に鮮やかに閃いたキューが雷電のごとき速度で垂直に落とされる。大地に敷設していた球がその一閃を持って、天空に駆け上がる飛竜のように飛び散った! おお、まさしくセシリア目掛けて食い掛らんとしていた亡霊達をまとめて打ち払うほどの勢いで!
のみならず、宙にあってもセシリアの鋭いまなざしは己の手球を見逃すことはない。鮮烈に突き放たれた撞球は次々と怨霊たちを巻き添えに弾き飛ばしつつ超越的な角度を虚空に刻んで「イングリッド」に襲い掛かる!
餓狼の咆哮のような声を上げ、「イングリッド」は獰猛な腕を薙ぎ払ってこれを辛うじて弾き飛ばした。だが、ゆえにこそ、次の瞬間。
「懐ががら空きです。あの子はそんな隙は作りませんよ」
既に喉元にまで風を裂いて迫り来ていたセシリアのキューが、深々と怪異の肉を貫き通していたのだった。
インクが滲むように空間に消え溶けていく怪異の断末魔の姿をもはや一顧だにせず、セシリアはキューを華麗に血振るいするとリトルたちを手招きする。
「やはり本物には到底及びません。……だからこそ、そこが不可解ではありますね。リンドーはこの怪異をどうするつもりだったのでしょうか」
小首を傾げつつ、セシリアはさらりと一枚の紙片をリトルたちに託す。
「まあ、いくらリンドー相手でも、貰いっぱなしのような真似は気が引けます。頂いたものの代わりにこれをポケットの中に入れておいてください、リトル」
おお、これはポーの「盗まれた手紙」のラストに描写されたあの演出ではないか! 盗んだ手紙の代わりに悲劇の詩句を書いておくという! そこに書かれた一文とは!
『バーカ』
……詩じゃないの?
「リンドーに美しい詩など相応しくありません。羅紗魔術士には相応しいとしてもね」
「みなまで言うなっす! 分かってる、分かってるっすよ!」
いやまだ地の文は何も言ってないのだが。
「つまり言わなくてもちゃーんとわかってるって事っすよ。さては……」
|深見・音夢 《ふかみ・ねむ》(星灯りに手が届かなくても・h00525)は深々と頷くとニヤリと渾身の笑みを浮かべた。
「噂の可愛い後輩さん絡みっすね! そうでもなければ、リンドー殿が並みの怪異に後れを取るような出オチ要員になるとは思えないっすからね! かーっ、やってくれる、やってくれるっすねえこのラブコメ男!!」
一人でテンアゲしつつ音夢はだだっと走り寄るとリンドーの胸蔵を掴み上げる! 念のために確認しておくが現時点では死体であることは言うまでもない!
「まーったく気取った顔してやらかしてくれるじゃないっすかこのむっつり眼帯―!!!」
そして次の瞬間、リンドーの背中を力いっぱいどやしつけた!念のために確認しておくが現時点では死体であることは言うまでもない!
当然その猛然たる勢いを止めるものは何もなく、リンドー(死体)は凄まじい速度でどんがらがっしゃんと弾丸のごとくぶっ飛んでいった! そう、眼前に待ち受ける怪異たちの真っただ中へと!
「ガアアアアア!!!???」
そら怪異も驚くさ! いくらなんでも死体がものすごい勢いでぶっ飛んで来るとは思うまい! 碌な準備態勢も取れぬまま怪異たちはリンドーの死体に巻き込まれストライク! 天空高くに弾け跳び、大地の果てまで吹っ飛ばされる!
なおこれはあくまでも音夢がラブコメ展開にテンションが上がってしまったが故の暴走であり決してリンドー(死体)を武器にしようなどという非道な作為などは思わなかったことを申し添えておかねばなるまい。
「いやーラブコメってのはいいもんっすね! 生の映画を見ているようなもんっすよ!」
そう、音夢に悪意はまったくない、だがそれゆえに止まりもしない! さらに駆け寄っていった音夢はボロボロになったリンドー(死体)をさらに掴み上げ、もう一撃の構えに入った、しかしその時。
「……あ、そこにいるのは先ほどのコスプレ怪異さんっすね」
「ヒイイイ!!!!」
他の怪異たちの背になるべく隠れようとしていた怪異を見つけてしまったのだ! そう、それこそは、先ほどの音夢のオタ語りの犠牲となってしまい徹底的なトラウマを受け付けられた怪異である! 音夢の姿を見た瞬間必死で隠れようとしていたのだが、今、他の怪異たちが蹴散らされたために、その姿が顕わになってしまったのだ。おお、逃れられぬ運命のなんと恐ろしいことか! どっちが怪異だっけ!
「じゃあせっかくだから講義の続きを……」
「ウガアア!ウガアア!!!」
涙目で必死に首を振る怪異に、がっかりした様子ながらも音夢はやれやれとリンドー(死体)を手放し、構えを取った。
「いらないっすか? 講義いらない? ほんとに?……じゃあ仕方ないっすね……ここからは真面目にやるっすよ!」
この上さらにオタ講義されるくらいなら真正面から突っ込んだ方がいい! そんな決死の決意と覚悟を全身から漲らせ、コスプレ怪異は猛然と音夢に対して突っ込んできた! まともに食らえば肉も裂かれ骨も砕かれんとするほどの轟然たるタックルは大地を踏み割り風をつんざいて嵐のように音夢に迫り――。
そして、そこで止まった。
まじまじと凝視する音夢の顔面に迫ったその直前、風が髪を靡かせる距離で。
「――『|擬装限定解除・深夢《シズメフカキニ》』」
痙攣する怪異の前でそっとささやいた音夢の瞳には深く深く底さえ知れぬかのような闇が揺らめく。その漆黒に翳る眼光は、音夢が恐るべき真なる姿の一部を顕わにした証に他ならぬ! 音夢の暗黒のまなざしが見据えるところ、神羅万象ことごとくその動きを奪われるのだ!
「いやあ間近でしっかりじっくりたっぷりとっくり推しの姿を拝見するのはやっぱりいいもんっすねえ……あくまでコスプレということを考えに入れてもっすよ、それでも貫通して伝わってくる尊みが奏多殿には満ちている! 漲っている! 溢れている! 全宇宙規模で! そう言っても過言ではないっすよ……!」
「アア……ア……!」
怪異はもう恐怖と絶望と諦観で完全にイッちゃってる表情だ。さもあろう、音夢は決して触れぬ。手を出さぬ。ただ紙一重の距離から視線を離さず、矯めつ眇めつトロンとした表情で延々と己を眺め尽くしてくるのみなのだ。前から後ろから上から下から斜めからじーっと! コワイ!
「はあ……まあでもね、真面目にやるって約束しちゃったっすからね。コスプレ友達との約束は守らないといけないっす。奏多殿の姿がなくなってしまうのは惜しいっすが」
しばしの後、音夢は心底残念そうにつぶやくと、取り出した鋼の凶銃をもってすべてに決着をつけたのだった。
「ん-、でもなんか……コスプレ怪異さん、凄いほっとした顔で消えていったような? 気のせいっすかね?」
……気のせいじゃないんじゃないかな。多分。
姿は霞み映像は揺らぎ、その影は滲んで空間の狭間に溶け込むように消え失せる。
あとに残るのは愕然と立ち尽くす、内実の伴わぬ空っぽのナニカのみだ。
「コピー能力はいろいろと対策しているんですよ」
舞うように爪先をとんと突き、振り返ってつぶやく少女に、驕った様子も慢心も見られない。彼女はただ当然の事実を事実として客観的に述べたに過ぎぬ。そう、それが|真心・観千流 《まごころ みちる》(最果てと希望を宿す者・h00289)の力である、ただそれだけのことだ。
仮に観千流のその力が、怪異――『ナリカワリ』にとって致命的であったとしても、とりたてて彼女が今回のケースに応じて特別の対策を講じてきたわけではない。その程度のことは当然に可能、それが熟練にして練達のEDENの力なのだ。
それこそが彼女の『|曖昧なのが一番強い!《アンノウン・アーク》』――量子の不確定な揺らぎの中に有と無の定義を織り込んで、模倣そのものを封じる恐るべき能力。嗚呼、歴史にifなきと言えど、かのウィトゲンシュタインが彼女と出会えていたならばなんと語るであろうか!
……だからこそ。
「別に彼を過大評価もしませんが過小評価もしません。このくらいのことは彼もできるでしょう。少なくとも対応は可能なはずです――リンドー・スミスなら」
変化を破られ一瞬立ちすくんだナリカワリの怪異たちを広域面制圧の弾雨であっさりと薙ぎ倒しながら、観千流は小さな肩を竦め、細い首をかしげてやや思索にふける。
「実力的にもさることながら、そもそもリンドーは怪異対策の最前線に立つ人ですからね。果たしてその彼が……この程度の怪異に不覚を取るのでしょうか……?」
怪異たちの散華にはもはや気もとめず、観千流は視線を傍らに移した。そこには、リンドー・スミスが「ある」。「ある」と記述されてしかるべきであろう、今の彼は死体であるがゆえに。そう、何かしらの理由でリンドーは死んだ。いずれ蘇ることは確定的だが、それでも彼を一度は死に追いやった原因を調べる必要はあるはずだ。
「……といっても、死体がとんでもないことになってますが。死体検証が済むまでは触らない方がよかったですけどねえ……」
まあ、これまでに何人かのEDENたちがリンドーをおもちゃにしているので……ちょっとアレな状態になっていることはやむを得まい。何よりも、リンドーにはそうされるだけの理由があるのも事実なのだし!
やれやれ、と首を振りつつ、観千流はリンドーの死体のそばにかがみ込み、デバイスを起動させる。√Gazer、Diffusion:Gazer、そしてFocus:Gazer、可能性の暴露までを駆使する彼女の情報探査能力に比類しうるものはない。秘められた謎を解くのはまさに観千流の自家薬籠中のもの、量子世界を見透かす彼女の眼から逃れられるものは存在し得ぬ。
「さて、何が出てきますかねえ……」
彼女の解析が齎した事実は――。
「……心臓が破壊されています……これが致命傷でしょうね、というかそれしか傷が見当たりません……他のEDENにおもちゃにされたものを除くと」
観千流はリンドーの「綺麗な服」をつんつんと突っつきながらつぶやく。
「で、その傷はどこから付けられたんですかって言うね。……ナノ単位の観測でも服に傷がないじゃないですか。再生修復の痕跡も見えない、ということは」
観千流は眉を顰め、唇を尖らせた。
「……服をそのままに心臓だけが破壊されてるってことになりますが、そんなのもう、シンプルな物理法則以外の要因ですよね。そうなると怪異の√能力……しかし先ほどの怪異たちがそこまでの力を持っているかという最初の疑問に戻ってしまいます。今戦ってなおさらあの怪異たちの力は実測できましたし」
ふむ、と小さく細く吐息をついて、パンパンと手を叩き、観千流は立ち上がった。
「まあ、わかってたことではありますけど。リンドーが死んだのは私たちが現場に到着する前。その時点でリンドー・スミスを物理法則を超える力で殺し得たものなど、一人しかありませんよね」
ちらり、と彼女はリンドーの死に顔を見る。生き返ったらなんと言ってやろうかと考えつつ。
「……それはリンドー・スミス。彼自身だけです」
ですが、と観千流の観測はさらに一歩進む。
「あの怪異たちの模倣は雑で稚拙。リンドーの力を模倣したとしても彼を倒すことはできないはず、ゆえに、ナリカワリと戦ったのではなく、リンドー本人が直接、自分自身に己の能力たる怪異武装を振るったと考えられるわけですが……」
観千流は軽い頭痛を覚えてこめかみを抑えた。
「はいはい、だいたいわかりましたよ。なんですかこのトンチキな頭悪さとガチのヤバさの同居した事件!」
「ああ、なんていうことでしょう、リンドーさんが死んでしまっています……」
|椿之原・希《つばきのはら・のぞみ》(慈雨の娘・h00248)の可憐で優しい瞳は悲しみに曇る。いかにリンドー・スミスが恐るべき連邦怪異収容局の魔人であるといえども、やはり非業の死を迎えてしまった相手には差異なく慈悲の心を抱く、それが希の希たる所以であるといえるだろう。
「これではじょうほうをしらべることができません……」
……ま、まあ、そういう理由であったとしても!
「ですが、ごあんしんです! 私はこれでもお兄ちゃんに付いておいしゃさん見習いをしていますからね!」
「ええっ、そ、そうなんですか! すごいです!」
謎の男の娘、ヤコブが感心の目を向けるのに、希はえへんと小さな胸を張った。
「ではきゅうきゅうきゅうきゅうめいそちをかいしします!」
「……『きゅう』が一個多くなかったですか? 救急救命措置ですよね」
「きゅうきゅうきゅうきゅうきゅうです! 心臓マッサージをするのです!」
希は決意に満ちた眼差しでリンドーの亡骸を見つめる。もしかしたら、今からでも心臓マッサージを行うことで蘇生が可能かもしれない! なにせ相手は簒奪者、しぶといのだから! まあほっといてもいずれ蘇りはするのだが!
しかし、ヤコブは細い指を顎に当て、首をかしげた。
「えっと、心臓マッサージというのはかなりの力が必要となると聞きますが……失礼ながら、大丈夫でしょうか?」
「あう……」
希は自分の小さな手を見比べ。がっくりと肩を落とす。一般的に、心臓マッサージは相手の肋骨を折るくらいの勢いで行わねばならぬという。小さな希では大柄のリンドー相手にそこまでの力を発揮できるとは思えない。
しかし! 希は諦めぬ! 決して希望を捨てぬからこそ、彼女の名前は「希」であるのだ!
「ならばこれです! かもん! げき・つい・おぉー!!!」
希が高らかに声を上げる、それと同時! 地平の彼方より濛々たる土煙を上げ大地を削り取りながら凄絶な勢いで爆走してきた鋼のマシンが現れる! それこそは希の操る重装戦闘装甲バス「撃墜王」だ!
「撃墜王! いいですか! いきますよ!!!」
「あれっ嫌な予感!?」
ヤコブの背筋に戦慄が走った、しかしもう遅い!
「そのままリンドーさんを轢くのです!!!!」
「轢くの―!!??」
希の指令のまま、重装甲爆走戦闘バスは一切のためらいも容赦もなくリンドー・スミスの亡骸の上を激烈爆裂に走り抜けた! ばきぼきぐしゃげしゃと素敵な音が響き渡る!
「肋骨を折るくらいの勢いで心臓マッサージをするのです!」
「肋骨で済みますかねそれ!?」
「一度でダメなら二度三度! 撃墜王、バックでもう一度轢くのです! さらにもう一度轢き直すのです! 丁寧に!」
「あああ……このリプレイが|映像《マンガ》じゃなくてよかった……」
かくて何度となく轢き直されたリンドーであったが、何故かそれでも彼の心臓は動き出すことはなかった。何故だろう。
「何故なのでしょう……?」
「何故っていうかまあ……動き出すべきものがもう何もないからですかね……」
「くすん、しかたがありません。こうなったらせめて、怪異さんたちだけでもやっつけるのです」
悲しみに暮れる瞳を新たな闘志で塗り替えて、希は怪異たちの方へ向き直る。今のこの生産で悲劇的かつ破滅的な光景を目にして震えあがっている怪異たちに!
「さあとっかんです! げきついおー!」
バスの天井にひらりと飛び乗った希はなぜか紅黒く染まったその車体と共に怪異たち目掛けて疾駆した! 同時、彼女の周囲に無数の輝きが浮かびあがる。それこそは閃光砲台レーザー制御衛星「しずく」! 絢爛たる破壊と破滅の光の雨を目標目掛け降り注がせる終末の齎し手だ!
だが怪異たちもむざむざと滅びを待っているほど酔狂ではない! 希の弱点を見事に暴き出したのだ。彼女の弱点、それは最愛の兄たる一彦だ! みよ、無数の怪異が一斉に一彦の姿を取ったではないか。これで攻撃できまいといわんばかりに!
「お兄ちゃんがそんなにたくさんいるわけないのです。そっくりさんですね?」
あっさり見破られた! そりゃそうだ!
「そんな悪いことをする怪異さんたちにはおしおきなのです! ばーにんぐげきついおー!!!」
見よ、レイン砲台の放つ無数のレーザーの閃光を車体に纏い、あたかも青い流星と化した撃墜王は怪異たちのど真ん中にまっしぐらに飛び込み全てをなぎ倒しい撃ち倒し轢き潰し焼き尽くしていく! おそるべき希の怒りの大爆発だ!
灰燼と化した戦場で、希は撃墜王の上にちょこんと座りながら考える。
「あ、そうです。轢くだけじゃなくレーザーの刺激も加えたら、リンドーさんの心臓マッサージになるかもです」
跡形も残らないんじゃないかなって。
「し、死んでる……」
ルナリア・ヴァイスヘイム(白の|魔術師《ウィッチ》/朱に染める者・h01577)は愕然として目の前の死体を見つめた。なんということか、あのリンドー・スミスが死んでいる! 殺されても死なないような奴だったのに! まあ簒奪者なので実際殺されても死なないのだが。
「何勝手に死んでんです殴りますよ! 死なれたら殴り潰せないじゃないですか!!人の楽しみをそんな雑に奪っていいと思っているのですか!」
「え、そこなんですか問題点」
謎の男の娘、ヤコブはまだわかっていないようだが、ルナリアを同じ目線で理解しようと思ってはいけないのだ。彼女の行動は逆立ちして3/4回転しつつ片眼を閉じて観察するくらいでちょうどいいのである。
「しょうがないなあリンドーちゃんは、死にたてならその辺にいるだろうし……呼び出しますか死霊」
「えっ呼んじゃうんですか!?」
「だっていないと叩けないし……」
「叩くためなんですか!?」
「逆に叩かないなら何のために呼び出すと思ってるんですか! ふざけないでください!」
「あれっ僕が悪いのかなあ今の流れ!?」
「ともかく死んでないで復活しなさい! ほいや! えあう゛ぁっへんばいむげざんく♪……『|𝔇𝔦𝔢 𝔗𝔬𝔱𝔢𝔫 𝔢𝔯𝔴𝔞𝔠𝔥𝔢𝔫《メザメノマホウ》』!!」
ででどん! ルナリアが秘法を展開したと同時、白い濛々たる煙がぼふんと吹き上がり、さんざめく星々が弾けるような光と共にそこに立っていたのは、おお、まさしくリンドー・スミス! ……の死霊だ!
『……私が復活するのは三章の予定だったのだが……少し早くないかね?』
「早かったら何か問題あるんですか」
『いや物語の都合とか、こう……』
「うーわつまんねえ人生送ってますねえ、他人の都合ばっかり伺って生きるとか」
『君は自分の都合を他人に押し付け過ぎの人生ではないかな!?』
「うるさいとにかくりんどーちゃんは私の魔法で生き返ったんだから私のいうことを聞くんですよ。設定にそう書いてあるし」
『くっ……已むを得ぬ。私の計画の秘密を暴こうというのだろう?』
「いや別に」
『違うのかね!?』
「それより先にやっておきたいことがあります、いいですね?」
ニヤリと笑んだルナリアに、リンドーの死霊、そしてその光景を手に汗握り見つめているヤコブはごくりと緊張の生唾を飲み込んだ。一体ルナリアは何をさせようというのか!
「まず、そこにリンドーちゃんの死体が転がっていますね」
『……自分の死体を見るのはあまりいい気持ちはせぬがね』
「その死体を抱え上げて」
『抱え上げて』
「かんかんのうを踊るのです」
『はい、かんかんのう、きゅうれんす……♪ いや落語かね! 落語の『らくだ』かね!!』
リンドーくん意外にノリがいい。ってか落語知ってるんだ。
「死体があったらかんかんのうを躍らせるのは日本の伝統文化ですよ?」
『どこから日本の伝統が出てくるのだ! 君はエルフではないか!』
「ナンオラー! エルフが落語好きで何が悪いってんオラー!! いいから怪異たちのど真ん中でかんかんのう踊ってこいやあ!」
てえことで、のんきな奴がいるもんで、自分の死体を抱え上げて怪異たちの真ん中に飛び込んでかんかんのうを踊り始めましたからさあ大変。怪異たちは上を下への大騒ぎでございます。
『地の文も落語っぽい語りになっているのではないよ! 私は召喚者に逆らえぬからやむを得ぬのだ! かんかんのう、きゅうれんす……♪』
「あはははは! バカだ! バカがいますよヤコブちゃん! ほらほらー、自分の死体でかんかんのう踊らせてやんの!」
「……自分がやらせておいて指さして笑ってるの酷くないです?」
「いいんですよどうせリンドーなんですから。ま、それはそれとして、相手陣営がパニックになっている今がチャンスですね」
ジャキッ、とルナリアは巨大なる杖を手に取る。それこそはあらゆる敵を血の海に沈めてきた彼女の相棒だ!
「うらああああ往生せえやああああ!!!!!」
疾風怒濤、鉄叫吶喊! トネリコの大杖を振りかざしたルナリアは生きる災厄がごとき猛然たる勢いで当たるを幸い怪異どもをぶん殴り叩き潰していく! そのターゲットの中にたまたまリンドーがいたとしてもそれは悲しい事故に過ぎぬのだ!
『情報とかいらないのかね!? ぐわああああ!!!』
だが怪異たちも最後の悪あがきとして――恐るべき相手の姿を取る! それはなんと、ルナリアのAnkerたる存在、天空遥かに聳え立つ巨大にして偉大なる雄影、大いなる……ブロッケン山の姿だ! いかにルナリアと言えどさすがに山が相手では
「えい」
一撃! 一撃である! 山巓を崩壊せしめ山岳を爆散させたのはエルフのたった一閃だった! どうなってんのこのエルフ!!
「どうもなにも、トネリコの杖と山のどっちが強いと思ってんですか」
……山じゃないかな普通……?
「つまんない人生送ってますね当たり前の普通がいいとか。……あ、リンドーちゃんの死体にカイゼル髭とか落書きしとくんでした。まあいいや、三章にとっときましょう」
「あ、いたよあるまちゃん!」
『いたね、あくあちゃん!』
|星河・あくあ《 ほしかわアクア》(零を上書き歩む【始発点】/ 零で塗り潰し辿る【終着点】・h05769)とその番たるあるまは、群なす獲物を――怪異の姿をその澄んだ瞳の中に認めた。
『ついでに、こっちもいたよあくあちゃん』
「あー、いたね、あるまちゃん……」
そしてその傍らに、恐るべき連邦怪異収容局の魔人、リンドー・スミスの亡骸も。
「死んでるねえ」
『死んでるねえ』
「ん……なんか面白い顔してるね」
『元からじゃない?』
「あはは、そうだけど。なんかすごいびっくりした顔して死んでない?」
『そうだね、あくあちゃん。うーんと、なんていうのかな』
と、あるまは少し首を捻ると、ぴん、と指を立てて例えた。
『あ、そうそう、まさかこんな死に方するとは思わなかった、みたいな顔』
「だねー。でもそれって変だよね、あるまちゃん。リンドーって、みんなと戦って何度も死んでる経験があるんでしょう。それなのにね」
『そうだね、あくあちゃん。経験してきたような普通の戦いの死に方じゃない死に方、ってことかなあ』
「でも、まあ……」
『ん、そだねー』
「『あんまり考え込む必要もないかな。どうでもいいことだし』」
二人のリンドーへの興味は、そこで、ポイと遊び飽きたおもちゃを放り投げるかのように途切れた。
なぜならば。そんなことよりもはるかに――捨て置けぬ、容認できぬ、度を越して許せぬことが目の前で起きていたのだから。
怪異『ナリカワリ』。
その能力は、名前の通り、他者の姿を取りその存在に成りすまそうとするもの。
人によっては、衝撃を受けるだろう。逡巡し戸惑い悩むだろう。哀しみ慟哭するだろう。敵の姿が己の大切なものと同じであったのなら。
けれど、もうひとつ。
命持つもの、心持つもの、魂持つものには、励起すべき感情がある。それが分からなかったのか、怪異たちには。それとも、知っていてなお……そうならざるを得なかったのか、その特性ゆえに。
そうだ。
偽物を目の間にしたとき、心持つものの抱くべきもう一つの感情とは。
――怒りである。
「|ご主人様《ますたー》の偽物とか」
『ほんとに……ほんッとに嫌な趣味ね』
「でも」
『うん』
「『それは不正解だよ』」
つぶやくあくあとあるまの瞳が猛禽めいて捉えていたのは、彼女たちの深く慕う師にして親ともいうべき大切な存在の姿だった。
「それ」が、いかに優艶に麗雅に銃を構え、いかに流麗に引き金を引こうとも。そう、「ホンモノ」に近しい仕草で殺意を向けようとも。
「芯がない」
『強靭でしかもしなやかな|ご主人様《ますたー》の|勁《つよ》さがない』
「そんなのには」
『手加減しない!』
爆音と共に放たれた地獄の業火のような銃閃、しかしあくあとあるまにとっては春風が緩やかに吹き抜けていくに等しい。速さだけの話ではない、キレも角度も間合いも透徹なる駆け引きも、そして何より冷ややかにしてゆるぎない殺意も。何もかもが足りぬ、主と比しては!
「わたし達が本気でやったのは、――こんな弱いのじゃない」
二人の存在が空気に焼き付く残像となって奔る。怪異の放つ銃弾を道化と化して、ふたりの少女は真正面から間合いを一瞬にして詰め切った! 餓狼が獲物を喰らうがごとく、あくあとあるまは電光のように繊手を伸ばす。その一瞬に相手の体躯を穿ち抜くことは決して難しい話ではなかったはずだった。
だが、……ふたりはそうしなかった。あえて。
「もっとあなたに相応しい最期があるよ」
くるりと身を返したあくあとあるまが残した言葉が、怪異たちに、己の身に起きた異変を感じさせる。
ごそり。
と、何かが消えた。ナニカが消失した。それは笑っている、誰かが何かがどこかで楽しげに笑いさざめいている! 時の流れにそぐわぬところ、空間の在り場所に相応しからぬどこかでそれは笑い果てている。ああ、それは、その場所は!
怪異たちの存在基底そのものの中だ! 心も魂もないはずの怪異の存在を定める根源の場所が、「それ」に喰われて跡形もなく消え果てたのだ!
「一回真似たから残ってるよね」
『わたしたちが、ね』
あくあとあるまが笑う。手に「筆」を舞わせたままに。
それこそは、「ホンモノ」の主から譲り受けた、彼女たちの宝物。
世界と事象そのものを書き換え、あったことをなかったことにし、なかったことをあったこととする超越の力を宿すもの。
この力により、あくあとあるまは敵を「書き換えた」のだ。あくあとあるまを模倣した時に怪異たちの中に宿っていた二人の|自我《エゴ》が肥大化し、|外郭《そとがわ》を食い尽くすと!
「|創鍵・無限色彩之【筆】《クラッチ・ファウンディングクリエイション》――!」
『ね、物真似好きに似合う最期でしょ』
消え散っていく怪異を背後に、くすくすと笑うあくあとあるまの声が風に乗る。それはまるで、遥けき彼方、|花園の楽園《アヴァロン》まで届いていくかのようだった。
「まさかリンドーさんがやられているとは……」
|神咲・七十《 しんざき・なと》(本日も迷子?の狂食姫・h00549)は目の前に転がっているリンドー・スミスの亡骸に慨嘆の色を浮かべる。恐るべき連邦怪異収容局の魔人、幾度となくEDENたちの前に立ちはだかってきた相容れぬ怨敵ともいえるリンドーがここで斃れるとは。例え敵であってもその呆気ない最後には一種の深い感慨が……。
「早くくっつけって言いたかったのに……!」
あ、そっち?
「ラブでコメしてるのもいいですが……あんまり鈍感すぎるのもじれったいですし……」
ひとこと言ってやりたかったのにな、と七十は吐息をついたが、しかし彼女はそこでふと思いつく。
「言いたかったのなら……今言えばよくないです?」
七十は即座にリンドーの死体の耳元にしゃがみ込むと――。
「自分から告りなさい鈍感男……自分から告白しなさいニブチン男……いつまでも女性を待たせてるとかダメにんげんすぎますよ……!」
豊かな声量で囁くように言葉を流し込み始めたではないか! おお、これこそはまさに眠っている人の耳元で延々と語り続ける睡眠学習だ!
「ふふふ、もちろん本来なら死んでる人に睡眠学習しても意味はないですが、リンドーさんは簒奪者。そのうち生き返るわけですから、ワンチャン睡眠学習方式も効果があるかもしれません……! かんぺきなりろんです……!」
そうかなあ。
「あなたは告白したくなーる……彼女に告白したくなーる……あなたは……」
ああ、しかし。
睡眠学習……いや死亡学習が1328回まで吹き込まれたところで、七十の努力は中断させられてしまった。
彼女の前に悍ましき怪異が姿を現したからである。今こそ七十の全身全霊を持って戦うべき時が来たのだ! その怪異こそは『ナリカワリ』、他者の姿と力を模倣する化け物だ! 今、七十の目に映るのは、彼女に対して深く屈折した愛憎半ばする感情を抱く|黒鉄・カリア《 くろがね・かりあ》の姿を模した存在! いかに戦うか七十!
「出ましたね、偽カリアさん。ではお相手をさせていただきましょう。……えへへ、お相手するって何だか意味深ですね、えへへ」
……まじめにやろう?
「もちろん真面目ですとも。カリアさんの戦い方はしっかり覚えていますよ。あの方が得意とするのは……」
七十は素早く脳内でカリアの戦法を反芻する。
「周りの建物や武器を改造してトーチカや要塞にする恐るべき力……!」
うむ、それは確かに恐ろしい力だ! 時間を掛けてしまうと攻防ともに盤石となってしまうぞ!
「そして、直轄の改造戦闘兵の方々を強化・指揮する能力です」
これもまた侮ることはできない! そして前者との相性が最良ではないか。トーチカを築かせないためには速攻が必要だが、巧みに軍勢を操られることにより時間を稼がれてしまうのだ! なんたる相互の長所を伸ばし短所を補う合う技能構成か!
「……でもここには戦闘兵の方々がいないので、戦闘方法が半分だけですね」
そういやそっかあ。
「つまり速攻でいきましょう……フリヴァく、行きますよ!」
戦場に朗々と嫋嫋と歌が流れゆく。それはキュートでポップなアイドルソングでありつつも恐るべき効果を生み出す呪歌だ! かつて女神クヴァリフの一部であったアイドル妖少女フリヴァくとそれに従う隷属者たちを引き連れ、七十は疾風怒涛のように怪異の陣営に攻め込んだ!
トンテンカンとのんびり要塞を建築しようとしていた怪異たちは泡を食って右往左往し、そこをすかさず薙ぎ払い打ちのめし、叩きのめして、七十とフリヴァくたちは敵陣中央の偽カリアへと迫る!
だが偽カリアもただ攻撃を座視してはいない、慌てながらも自らもかなづちを振り上げ七十に逆襲を試みた。危うし七十!
「やーんっ……いつもみたいにまた押し倒されちゃいましたー。えへへ」
……緊張感持とう?
「真面目なんですけどねえ、カリアさん本人の戦闘能力はそんな高くないんですけど、何故かいつも押し倒されちゃって……ああ、ぴんちです」
と言いながら押し倒されている七十の方が嬉しそうな表情なのはなぜだろう。っていうか、押し倒した偽カリアの方が「あれっ動けない!?」みたいな焦った顔をしているのはなぜだろう。フリヴァくたちもなんか「あーあ……」みたいな感じで顔を背けてるし。
「ああこのまま手も足も出ないままいつもみたいにされちゃうんですねえ逃がしませんよさあおとなしくしてくださいえへへへ」
なんということか、このままあたかも食虫植物に囚われた虫のような目を覆いたくなる運命が待っているというのか。どっちがとは言わないけど。哀れ、ほどなくして戦場に息も切れ切れの悲鳴が響き渡ったのだった。どっちのとは言わないけど。
「ごちそうさま、なかなかいいシチュでした……。そうだ、さっきの睡眠学習、今度、本物のカリアさんにも試してみましょう。あなたはだんだん私を襲いたくなーる……って」
第3章 ボス戦 『連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』』
「ふははははは! EDENの諸君、私は復活したぞ! 復活し……いてええええ!? 体中いってええええ!!」
リンドー・スミスは復活早々隻眼に涙を滲ませ七転八倒の羽目と相成った。死んでる間に、いろんなEDENにいろんなことされたからね、仕方ないね。
「君たち私が死んでいるからと言ってずいぶんと好き放題なことしてくれたようだな! 人の心とかないのかね!!」
おまいう。
「り、リンドーさん、あなたの目論見もここまでです。EDENの皆さんによって、『ナリカワリ』たちはすべて駆逐されましたよ!」
ヤコブの言葉に、リンドーは顔を苦々しく歪め、吐き捨てる。
「……ちっ、その上我らの計画まで潰してくれたか。PSS――Project Systematization of Suicide……ふん、量産型自殺計画、とでもいおうかね」
EDENたちの顔色が変わる。まさかそれは……。
「ああ、ここまで来たら隠しはせぬさ。『ヴァージン・スーサイズ』――我が後輩、リンゼイ・ガーランドの能力の量産がこの計画の目的だった」
かつてEDENたちも遭遇した、周囲の人間を無差別に「自殺」に駆り立てる恐るべき能力! それこそ、制御しきれぬがゆえに連邦怪異収容局でさえも封印せざるを得なかった、リンゼイ・ガーランドの凄まじい力だ!
「『ナリカワリ』たちの模倣能力は、諸君も知っての通り劣化コピーに過ぎぬ。だが、それこそが重要なのだ。強力すぎて制御不可能なスーサイド能力を、「劣化した状態」で……すなわち「制御可能な状態」で模倣できる可能性があったからだ。人間兵器として有効な程度にね」
もしそれが実現していたとすれば、なんと恐るべき結果を生み出していただろうか。しかし、微かに首を振ったリンドーの顔が苦笑を浮かべる。
「だがすべて倒されたとあればやむを得まい。リンゼイを模倣させたまでは良かったが、スーサイド能力の効かぬ特異体質のはずの私がなぜか「自殺させられた」時点で、うまくは行かなかったのだしな」
いやそれ特異体質じゃねーから! とEDEN全員が心中でツッコむ。シリアスな流れだったのにそういうとこだぞリンドー。ちなみに説明すると、リンゼイが惚れている相手には効かねえのである、この力。リンドーは気づいてないけど。
「ナリカワリに模倣させ、それを研究することで本物のリンゼイにも光が差すかもしれぬと思っていたが、それも無駄となったか。――あの、私以外は誰も訪れぬ孤独な部屋から解放してやれるかと思ったものを……」
だからそういうとこだぞラブコメ男! さらっと惚気てんじゃねえよ!
「せめて手柄話だけでも土産にしなくてはリンゼイに合わせる顔がない。八つ当たりと承知しているが私の怒りを受けてもらうぞEDEN!」
「さあEDENたちよ私の怒りを受けてもらおうか! この復活したリンドー・スミスの!」
「復活お疲れ様ですリンドーさん。あの今お茶入れますから一休みしましょ?」
「おお、これはご丁寧に。では一服させていただこう……」
|椿之原・希 《つばきのはら・のぞみ》(慈雨の娘・h00248)の、春風に揺れる桜の花のような柔らかな微笑みを、リンドー・スミスは素直に受け取ろうとして……。
「――いや違うだろう!? なぜそうなるのかね! 私は今から君と戦うのだよ!」
危ういところで我に返りツッコんだ。だが、希は大きな瞳をぱちくりとさせ小首を傾げる。
「えっと、でも、リンドーさんはさっきまで死んじゃってたですし、その後もいろいろあったみたいなので大変だと思うのです。敵さんでもとりあえず体を休めた方がいいのですよ?」
「そうだな色々と……いやその色々の中に君が原因となったものがでけえような記憶がうっすらとあるのだがね!?」
詰め寄ろうとしたリンドーだったが、しかしその時!
『ドルドルドル!!!!!』
猛獣の威嚇する唸り声のような音を聞き、リンドーは思わずびくりと身を竦ませた。
おお、それこそは! 希の背後にあたかも忠実な番犬のごとくに控える巨大なる装甲戦闘バス、撃墜王の鋼鉄の雄姿が放つ荘厳なる排気音であった! 一部始終、すなわちリンドーが先ほどどんな『救急救命措置』を受けたか知っている傍らのヤコブだけは、力ない笑みをあははと浮かべている。
「ぐっ、なんだかはっきりとはわからぬがそのバスに逆らうとまずい気がしたりしなかったりする……」
「はい、ということでですね、亀さん、買い込んでいたドーナッツと麦茶を出してくださいー。ヤコさんもお仕事でお疲れでしょうし、ここで休憩ですよー」
希の声に応じ、のっちのっちと巨体を揺るがせてその姿を現したのは一体の巨大なる亀! 希の能力によって召喚された神獣、黒闇玄武である! 天地に通じる神威を備えた玄武がおもむろに! ……お茶とおやつを持ってきた!
「……君らEDENはなんというかこう……大いなる力を好んで無駄なことに使う傾向がないかね?」
『ドルドルドルドルドル!!!!』
つぶやいたリンドーにすかさず撃墜王の排気音が威嚇する! もちろん声は届かぬが、あたかもそれは『なんですかうちの可愛いマスターの宝石のような瞳に逆らう気ですかええーっ??? もし話があるのならこの武装タイヤがお伺いしますがあーん???』と凄んでいるが如しだ!
「べ、別に逆らうなどとは言っておらぬさ! ……いただくとするか……」
へどもどしながらお茶に手を伸ばしたリンドーであったが、そこに運命のいたずらが訪れる。希の柔らかな雰囲気に誘われたのか、一匹の可憐な胡蝶が舞い込んできたのだ。
「わー、可愛らしいモンシロチョウさんです。お兄ちゃんの図鑑で見ましたー!」
そう、その瞬間! 希の視線は蝶を追い、リンドーから離れた!
「今だ! 食らうがいい、我が怪異武装を――」
『ドルウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!』
「ぐわあああああっ!!!???」
おお、希の視線が切れた瞬間に彼女を襲おうとしたリンドーであったが、そんなことを許す撃墜王ではない! すかさず爆裂的に進撃し見事にリンドーをブチ轢いたのだ! うわやべえ……と傍にいたヤコブの顔が引きつっていたが已むを得ぬ!
「あー、可愛かったのです。……あれ? どうしたのですか?」
視線を返した希の純真な目に映ったものは、澄ました姿の撃墜王とズタボロになったリンドーだ。
「……くっ、いや、何でもないさ……わかっている、別に彼女の眼に逆らってはおらぬだろうが! そんなにドルドルするものではないぞ! では改めてお茶を頂き」
「あっ、今度は可愛いムラサキシジミチョウさんです! お兄ちゃんの図鑑で見た子です!」
再び舞い込んできた新たな蝶に希の視線がリンドーから離れた刹那!
『ドルドルドルドル!!!!!!!!!!!!』
「ぐわあああああああああッ!!?? いやまだ何もしておらぬではないかーっ!?」
再び驀進した撃墜王がリンドーをボコ轢いたのだ!
まあ確かにまだリンドーは何も悪いことをしていなかったが、しようとしていたに違いない! そういう顔をした! うわあひでえ……とかヤコブがドン引いていたとしても関係ない!
「あれ、リンドーさん、さっきよりまたボロボロになっている気がするのです? どうしたのですか?」
「き……君のバスにはしっかり首輪でも付けておくことを強くお勧めするのだがね……」
「あっ今度は世界で一番珍しいといわれるブータンシボリアゲハチョウさんです!!!」
「なんでそんな蝶がここにぐえええええええ!!!!!!?????」
三度舞い込んできた蝶に希が気を取られた瞬間、撃墜王はもう言うまでもなくリンドーをバキバキに轢き上げたのだ!
「あれ、なんだか見る見るうちにリンドーさんがまた死にそうになっている気がするのですよ? なぜでしょう?」
「何故であろうな……ははは……」
ボロ雑巾のようになったリンドーを前に、希はニコニコとドーナッツを頬張りながら穏やかに会話を進めるのだった。
「じゃあせっかくですから何かお話をするのです。リンドーさんはリンゼイさんをすっごく大事にしてるのですよね?」
「いや別にそんなことは……」
『ドルドルドルドルドル!!!!』
「待ちたまえ! いかにも大事! 大事だとも!」
泣きそうな顔で同意するリンドーに、満開の桜のような微笑みを浮かべる希なのだった。
「あっ今度はスコルフスキーモルフォチョウさんです!」
「ふむ、あの様子だと……」
|林・風音 《はやし・かざね》(Extraordinary disaster Masterkey・h12984)は興味深げに眼前のリンドー・スミスを観察する。蘇ったばかり、という状態の相手をまじまじと目にすることは、死と再生が当たり前のように日常に組み込まれているEDENといえども比較的珍しい。
「……|おさかなさん《インビジブル》状態で戦闘方法を観察されてたわけじゃないようだねぇ……」
「も、もしくはまあ……見ていたけど思い出せないとか、でしょうか」
「思い出したくないとか。思い出さないとかかあ。ヤコブっちも『見てた』よね?」
「やだなあ、ちゃんと認識抹消してますよ―。……覚えてたら壊れるでしょうアレ」
ヤコブが怖っ、と言った表情を浮かべるのに、風音もケラケラと笑う。
然り、先ほどの『ナリカワリ』との戦いを、仮にリンドーがインビジブルとしてでも『見て』いたとしたならば、彼ほどの王権執行者とても重篤な精神汚染は免れ得まい。
逆に言えば、『見て』いればその時点で壊れているし、『見たという認識を消した』ならば――。
「ねーリンドーっち、お土産探してんの?」
「ああ? いきなり何を言い出すのかね君は。これから戦おうという相手に!」
「まあまあ、ここまでせっかく来たのに手ぶらで帰るんじゃさー、リンドーっちの後輩ちゃんも可哀想じゃん? ならさー」
ぞくり、と、傍らで見ていたヤコブは背筋の奥の神経を鉈でこそぎ落とされるような恐怖を覚える。
「……このパズルがおススメだよ」
そう。リンドーは「それ」を『見た』という認識がないのであるなら。
(……同じ手が使える。いえ、使えてしまう、んですね、永遠に。……この方の能力は戦術規模じゃない、戦略規模です……!)
さらりと差し出されたそのパズルは、この世にあり得ざる、在ってはならぬ立方体。ヤコブが震える、それこそがまさに風音の存在そのものの根源が齎す恐ろしさともいえるだろう! それに対しリンドーは!
「嫌だがね」
一言でバッサリいった!
「なんでだよー! 女の子からのプレゼント突っ返すとかマジ最悪なんですけど! そんな女心のわからないやつだからこの鈍感ニブチンポンコツラブコメ男って呼ばれるんだよ!」
「呼ばれておらぬわ! だいたい敵からプレゼントもらってわーいやったーって喜ぶやつがいるかね! どうせ爆弾かなにか仕込んであるのだろう!」
「誓って爆弾は仕込んでいません」
「じゃあ毒かね!」
「毒も仕込んでいません」
「じゃあ呪いかね!」
「…………」
「目を逸らすな」
「呪い……ではないかな……」
「「では」という程度には近いものなのだろう! いらぬよ!」
「わかった、じゃあ今回は特別にパズルの解き方の解説書も付けちゃう! さらに風音のサイン入りチェキと特製アクリルキーホルダーも付けて驚きの780円!」
「金取るのかね!」
「じゃあ980円!」
「値上げしているではないかね!」
「えーなに連邦怪異収容局って980円も払えないの? どんだけ給料安いんだよー」
「…………」
「……えっなんでそこで目逸らしちゃうの? まさかマジでお金ないの?」
なんという意外な展開か! まさかリンドーは貧乏キャラだったのか!
「そうではない! だがその、今回の作戦は私の無理押しをして裁可された部分が大きく……かなりの費用が私個人の持ち出しになっており……」
「あー。特にリンドーっちはペットいっぱいいるしねえ。その子たちも、ろくにおやつもらえてなかったりするんじゃない?」
と、風音はリンドーの周囲に蠢く怪異たちを見つめて、同情するように深々と頷いた。リンドーは怪異使い、無数の怪異たちをその身に宿しているのだ。だが言われてみれば、怪異たちも心なしか元気がないように見える。
「ペットではないが……む?」
その時、リンドーの隻眼に鋭い光が奔る! だがその光の差す先は風音ではない、その怪異たちの一匹だ!
「待て、お前なにを食っているのだ!?」
「いや、その子おなか空いてそうだったからさー、風音がおやつあげたんだ」
ニッ、と風音は戦慄するような笑みを浮かべた。
「お肉の塊をね。……まあ、その塊の中に味変でパズルを入れておいたけど、気にしないよね?」
おお、怪異たちの一匹はまさに肉の塊を喰らっている! 風音のパズル入りの! 空腹に勝てなかったのだ!
「そぉい!|銀の鍵《マスターキー》で鍵開けだよ!」
パズルが相手の手に渡ってしまえばあとは風音の思うがままだ! 愉快そうに笑いながら風音はショットガンをぶっ放した!
「貴様っ!? 何が鍵開けだ!?」
危うく回避したリンドーであったが、その表情が凍り付く。
着弾地点の空間が歪み軋みひび割れて、すべての物理法則が破壊されていく光景を目にしたために。どす黒く濁り果て、この世の穢れがことごとく凝縮されたような、その「場」は、見る間にのたうちうごめきながら広がってゆく。まるでその「場」そのものが、恐ろしくも悍ましき何らかの意思を有するかのように!
「え、これどう見ても|万能鍵《火災斧》でしょ? 火災時に手早く扉をあける|火災斧《マスターキー》だよ? |そこから転じて障害を排除するのは鍵開けなのさ《M.E.M.E、認識汚染》。……でも、あーあ」
くすりと風音は笑みながら、リンドーがその「場」に飲まれていく光景を見つめた。もし今の一撃でパズルが開いたのならそれで終わりであったし、開かなくても……どちらにせよ末路は決まっていたのだ。風音の能力の前では。
「リンドーっちが避けるから地獄が漏れ出してきちゃったよ。後輩ちゃんへのお土産話は地獄観光について、だね」
「あ、リンドー殿、お早いお戻りで」
|深見・音夢 《ふかみ・ねむ》(星灯りに手が届かなくても・h00525)の眼前にすっくと立ちはだかっていたのはまさしくリンドー・スミス。超大国アメリカの深き闇を統べる組織、連邦怪異収容局の中でもその人ありと知られる油断ならぬ魔人だ。彼は一時、想定外の事象に遭遇し死亡していたが、ここに蘇ったのである! なんと恐るべきことか!
「フッフッフ……今夜はフットボールの見逃せぬ試合があるからな。頑張って蘇ったのだ」
「……え。そんなことで頑張って早めに蘇れるもんなんすか?」
「そんなこととは何かね! アメリカ人にとってフットボールとベースボールとホッケーの重要な試合は何をおいても見逃すことはできぬものなのだ!」
「主語でけえっすよ! まあボクも、仮に死んでもイベント予定があれば頑張って早く蘇る気がしなくもないっすが……。つかそういうふうに言われると、やっぱリンドー殿アメリカ人なんすねえ」
「何をいまさら。我が人生はすべて偉大なるUSAのために奉げられている」
「アメリカ人ならもっと女性慣れしてヘイそこのガール今夜はミーとトゥゲザーでオールナイトフィーバー的な軽いステップキメるのが当たり前じゃないんっすか?」
「主語がでかい上に先入観の塊すぎるぞ! なぜ急に女性問題が出てくるのだ!」
「リンドー殿がヘタレだからっすよ」
「面と向かって風評被害をぶつけて来るのではないよ!?」
「だって、やはり今回の一件は噂の後輩さん絡みだったじゃないっすか……立ち回りが下手すぎるっす」
ふう、と音夢は肩を竦めて吐息を漏らし、リンドーをダメな子でも見るようなまなざしで見つめる。……「ような」って言うか、まあダメな子なんだけど。
「リンド―殿御本人の動機はともかく……今回のプロジェクト、仮に成功していたとしても、お宅の上司は碌な使い方しないでしょうに」
「だから実績が必要なのさ。君たちを処分したという事実があれば私も組織内で動きやすくなる。……加えて……個人的に少々ムカついてもいるからね!」
ギラリとリンドーの隻眼が重い鉈のように鈍くも強い光を放ち、音夢を睨みつけた!
「おや、根に持ってるっすか? やだなあ、死んでる間のことじゃないっすか。少々テンション上がり過ぎてついあれこれやっちゃっただけの可愛いものっすよ」
「自分の死体をボコられるのは可愛くないぞ!」
二人の間に火花が奔る。苛烈にして鮮烈な闘志の滾る視線が絡み合う!
「……となると……こちらも本気でやることになるが」
のんびりとした音夢の口調が一転し、鋭いカミソリのような切れ味を纏う。のほほんとしたオタクではなく、その裏面に隠されていた怪人としての音夢の恐るべき姿の一端だ!
「こちらは最初から本気だとも! 食らうがいい!」
リンドーもその身に宿した無数の怪異を一斉に解き放つ! 地獄の深淵より深き闇がのたうちながら溢れ出し、世界そのものの淀みよりも穢れ厭わしい塊が悍ましき爪牙を剥き出して音夢に襲い掛かった!
まともに食らえば跡形も残るまい、風すら怯えてその顔を背けるような邪悪なる奔流を、けれど音夢は紙一重の差でその身を転じて宙に避けた! 熟練練達の狙撃手たる音夢ならばこそ、相手の攻撃の軌道は読める!
一瞬間合いを取って後方へ飛びのいた音夢だが、しかし無論怪異たちの襲撃がそれで終わるはずもない、新たな怒涛のような怪異の軍団が鎌首をもたげた、けれどその時に。
「――何っ……!?」
息を飲んで漏れ出たのはリンドーのうめき声だった。
その隻眼が驚愕の色に染まって見開かれる。
彼の視界に映っていた者とは。
「……先輩。もう一度私のために……死んでくれますよね?」
楚々として立つ儚げな姿。繊手を誘うように差し伸べて見つめるその女性こそは。
「……リンゼイ! おのれ、奴らの……ナリカワリどもの力を……!!!」
絞り出すようなリンドーの声が示すがごとく、そこにいたのは恐るべき『ヴァージン・スーサイズ』――自殺強要能力の持ち主たるリンゼイ・ガーランドの姿であった。
だがその輪郭はピントがずれたようにぼやけ、ところどころにはノイズさえ走る。模倣、それも不十分な模倣に過ぎぬのだ。そう、まさしく怪異――『ナリカワリ』の力と同じく。
「ああ、先ほどの自殺劇の再演というわけだ。真似事の真似事だがね」
冷ややかにつぶやくその声は音夢。彼女の能力は、24時間以内に周囲で発生した√能力の再現! ナリカワリが模倣したリンゼイの姿と能力を、今またさらに音夢が模倣したのだ!
「ぐおおおっ、またか、何故だ! 私にはその能力は通じぬはずなのに……!!」
必死で抗おうとするリンドーであったが、スーサイド能力の強力な効果は彼といえども阻害はできぬ。ましてや――リンゼイ本人の「想い」の宿らぬ能力であるのなら。
その次の瞬間、彼の身に纏った無数の怪異がまともに――リンドー自身の体に襲い掛かり、食い破っていたのだった。
崩れ落ちるリンドーの姿に、音夢は小さくつぶやく。
「……対策を考えるなら、まずは後輩くんとの時間を増やして相手のことを良く知ることをお勧めしよう。何故かは、言わないでおくけれどね」
「それはそうと、そろそろ靴の左右を履き変えた方がいいのではありませんか?」
セシリア・ナインボール(羅紗のビリヤードプレイヤー・h08849)のぽつんと漏らした言葉に、恐るべき魔人リンドー・スミスははっと足元に視線を落として目を剝いた。
「先ほどからなんだか履き心地が悪いと思っていたのだ! 君かね、人が死んでいる間にわざわざ靴の左右を入れ替えるとか邪悪な真似をしたのは!」
おお、まさにその通り! リンドーの靴は彼が死んでいる間に左右が変わっているという驚天動地天地覆滅なことになっていたのだ!
「やったのは私ではなくリトルたちですが。リトルは可愛くても怪異ですからね、人の心は無いですよ?」
「監督責任というものがあるだろう! あとちゃんと躾けもしておきたまえ! 怪異を飼うものの務めだぞ! トイレの場所とか! 毎年の予防注射とか!」
そう、怪異の飼い主という点ではセシリアのみならずリンドーも同じ! 彼もまた無数の怪異をその身に宿しているのだ!
……トイレトレーニングとかしてる怪異使いって他にいるのかなというのはさておくとして。
それはさておき、よいしょよいしょと靴を履き替えたリンドーは改めて鬼神のような形相でセシリアに向き直る。
「これで良し……よくもやってくれたなEDEN。いくら敵と言ってもやっていいことと悪いことがあると思うがね!」
「あとそろそろシャツのボタン嵌め直した方がよくありませんか?」
「これもかー! これも君か―!! 先ほどから着心地が悪いと思っていたのだ!!!」
慌ててシャツのボタンを架け替え始めるリンドー。そう、恐るべきボタン一段ずらしというテロ行為が行われていたのだ!
「……そして何より、敵の前でボタンかけ直し始めるのやめた方がいいですよ。隙だらけになりますから」
ぽつんと呟いたセシリアの言葉にはっと我に返ったリンドーであったが、しかしもう遅い!
「|時が来れば破裂する球《タイムボム・ボール》――!」
鮮やかな手並みで舞ったセシリアのキューから突き放たれたボールが一閃、風を巻いてリンドーに叩きつけられる!
「ぐああああっ!!」
もんどりうって吹きとばされたリンドーであったが、さすがに連邦怪異収容局にその人ありと知られた魔人! その剛球から、彼は咄嗟に腕をクロスし、急所への直撃だけは回避した形で耐えきっていたではないか。踵で大地を削り土煙を上げて大きく後ずさったとはいえ、息を荒げてリンドーはぎろりと隻眼を光らせセシリアを睨みつける。
「フッ、危ういところだったが……君の先制攻撃は失敗したようだな。今度は私の番だ! 我がきちんと躾けられた怪異たちの群れを喰らって……」
「何も起こらない? ……そう思った瞬間に爆発する可能性は考えませんでしたか?」
「何ッ……!?」
セシリアの攻撃は時をも騙す! 彼女の一撃は物理効果のみならず、命中したことにより派生する効果の方に本命が秘されていたのだ!
「こ、これは!」
のけぞり口を押えるリンドー! これは一体何が! あたかも内部から爆裂しようとする体を必死で押さえつけているかのごとき挙措だ! そんな彼に、セシリアは涼しい顔で言葉を向ける。
「では伺いましょう、あなたはリンゼイさんをどう思っているのです?」
「むが……むがあがああ!!」
「ほらほら、言ってしまいなさい。言うのです。言え。『アイシテル』」
「い、え、る、かああああ!!! そんなこと別に私はああああ!!!!」
決死の形相で口から漏れ出そうな言葉を押さえつけているリンドー! そう、セシリアのその攻撃の効果は――『正直な告白』を強制的に発声させるもの!
「準備はOKです。ではどうぞ。しっかり録画してネットに流しますので」
「人の心―!!!」
「ほら言え。正直に言いなさい」
「言えも何も彼女はただの後輩に過ぎぬ!」
「人の心がないのはお前です……! ブチ転がしますよこの鈍感男……さあ正直な言葉を!」
「そう、ただの後輩なのだ。思い起こせば花の咲くうららかなあの春の日、訓練所の入り口で道に迷っていた彼女を初めて見かけ……田舎から出てきて山のように大きな荷物を背負っていた彼女がコケたところを巻き込まれ下敷きになったのが出会いであった……」
「正直って言ってもそんな細かい過去回想まで聞いていません! っていうか聞けば聞くほどラブコメですねあなた!」
「雨の日に傘を忘れたと言っていたので怪異を呼び出して覆ってやったこともあったな」
「嫌な相合傘ですね!?」
「「メガネの女の子ってどう思いますか」とか聞いてきたことがあったので「好きだぞ」と答えたらなぜか顔を真っ赤にしていたが、その後に「メガネには暗器や小型カメラなど情報機器が仕込めて諜報員としては便利なガジェットだからな」と言ったら泣きそうになっていたこともあったがあれはなぜだろうな」
「ほんとね、この男やめたほうがいいですよリンゼイさんマジで」
「ええい、さっきから私に何を言わせたいのだね!」
「こっちのセリフです! さすがに付き合っていられません!」
うんざりした顔になったセシリアは雑に呪詛を込めたボールをぶん投げて爆裂的にリンドーをブッ飛ばしケリをつけたのだった。
「今回も、リンゼイさんの為の行動だったのは、まあ彼女は喜ぶでしょうが、肝心のリンドーがこれですからね……バカは死ななきゃ治らない、と言いますが、何度死んでもああなのはどうすればいいんでしょう……?」
「なるほどそういうことでしたか……で、なんで話したんです?」
|真心・観千流 《まごころ みちる》(最果てと希望を宿す者・h00289)が真面目な顔で尋ねた言葉に、連邦怪異収容局の恐るべき魔人にして油断ならぬ戦士、リンドー・スミスは鋭い隻眼を光らせた。確かに不思議と言えばいえるかもしれぬ、失敗に終わったとはいえ、計画のすべてを、リンドーが黙秘することなく自供してしまったということは。
だがリンドーは酷薄な唇に角度をつけ、薄い笑みを形作る。
「フッ……君の真なる出自は知らぬが、少なくともニホンで育ったのだろう。ならばわかるはずだ、私の真意が!」
「なんですって!?」
「これこそ、完成された作劇の一つである――ジャパニーズ・2アワーズ・サスペンスドラマ・メソッドである!」
「……リンドーちゃんってバカなんでしたっけ?」
「何を言うのだ! ニホンのサスペンスドラマではラストシーンで崖の上に追いつめられた犯人と探偵との深い会話があり……そこですべての真相がまとめて語られるものであろう。そこに視聴者は哀しくも美しい人間ドラマの粋を見るのだ! 私はそれに倣ったのだよ!」
「やっぱりバカ?」
「……いや軽妙洒脱なアメリカンジョークに決まっているだろう、半分は」
「半分は本気なんですね……」
あきれ顔の観千流を、リンドーは渋い顔で睨みつけた。
「というかだな、君はこれまで何度か私の計画の邪魔をしたことを覚えているのかね星詠み! 私は忘れておらんぞ、幾度か君に苦汁を飲まされたことをな」
「それが仕事ですのでねえ。いやなら悪いコトしなきゃいいんですよ」
「悪いことではない偉大なるUSAのためだ! ……それはさておき、つまり君たちのような優れた星詠みにここまで迫られたのだから、後はいくら隠しても読まれるだけだろう。アメリカ的合理主義精神は無駄なことはしないのだよ」
「じゃあ私と戦うのも無駄なのでもう一回滅んでもらえます?」
「それはアメリカ的開拓精神に反するので断る。勝負だEDEN!」
「めんどくさいですねえあめりかじん!」
うええ、とうんざりしながらも、観千流は即座に跳躍し風に舞う、同時、寸前まで観千流の立っていた場所に寸分たがうことなく怪異たちの濁流が叩きつけられていた。自らの身に纏う怪異を武装とするリンドーの恐るべき能力だ!
大地が抉れクレーターと化し、物質の形質をとどめていることさえできず灰燼と化す。
だがその挙動は観千流の量子を見通す眼に取って、あまりにも粗雑に過ぎた。二度、三度と繰り返す怪異の重爆撃は天から星々が落ちてくるかと思えるほどの猛威であったが、観千流は紙一重ながらも着実な見切りで応じ、その襲撃を無為なものとしていく。
――それだけではない。
リンドーの猛攻撃は、天地をも覆いつくすほどの濛々たる大砂塵を巻き起こしていたのだ。観千流の華奢で可憐な姿がまぎれ消え失せるほどに!
「む、どこに……!?」
リンドーが泡を食った時、既に観千流は第二の行動を起こしている。
「さて。この戦闘、誰か他の人が「見て」るんじゃないですかね――」
光子を操作しステルス状態と化した観千流は、ただリンドーだけを視野に入れるにとどまってはいなかったのだ。
それこそは彼女の能力『|貴方が私を見るのならば逆もまたしかり《ディープ・シー・ユー》』――誰かが観千流を見つめる時、観千流もまたその相手を見つめている! そう、この「サスペンスドラマ」にはもう一組の登場人物がいたはずだ!
「……か、帰ったら報告書を出しますから、直接通話は危険ですよぉ……量子暗号に魔術迷彩を多重に噛ませている? ペテロさんの報告書にもあったでしょう、EDENには凄腕の量子使いのおねーさんがいるんですよぉ」
少し離れた場所で通信機と思しきガジェットに小さな声で囁いているヤコブの姿を観千流が認めたのはすぐのことだった。ヤコブは砂塵の向こうをきょろきょろと気にしつつ、観千流には気づいていないようで話を続けている。確かに多重に暗号化され物理的には聞こえるはずもない声だが、観千流にとっては無意味なことだ。
「ええ、『ナリカワリ』たちはすべてEDENの皆さんに討滅されちゃいました。はい……リンドーさんの手には渡りませんでした。……そうです、ベターな結果だと思います……ベストじゃないですけど」
「へえ」
と、観千流はヤコブのその言葉に細い眉を少し蠢かした。
「――この結果はヤコブちゃんたちには「ベストではない」と?」
一方ヤコブの通話は続く。
「……他の人に取られるよりはよかったでしょう。いえもちろん、それができればもっと良かったんですが……あのナリカワリを……僕たちが手中に収めることができれば。ええ、――あの「模倣」の力は……|聖人の蘇生《・・・・・》の参考になったでしょうけど」
観千流は低く口笛を鳴らす。
「……聖人の蘇生に利用するつもりだった?」
「あるいは」
と、そのとき、静かに通話を切ったヤコブは虚空につぶやいていた。誰にともなく。もちろん独り言だ、彼は観千流が傍にいることを知らないのだから。
「『聖人の蘇生を邪魔するため』かもしれませんよ?」
「……ほう、可愛い顔して」
お互いに聞こえていないはずの会話。だが、何故か絡み合う、それは会話。
観千流は苦笑めいた表情を浮かべ、姿を消したままヤコブを軽く睨む。
「私が『聞く』であろうことを予想して、……途中からわざと『聞かせて』いましたねヤコブちゃん?」
「さ、最低限の情報を得ないと満足しないおねーさんがいるってペテロさんから聞いていましたから……で、でも、ここまでで勘弁してくださいね。リンドーさんも未だ暴れていますし」
「やれやれ、あっちを放っておくわけにもいきませんね。まあ仕方ありません」
観千流は空を舞い、リンドーの始末をつけるため駆け戻りながら独り言ちた。
「……あっちもこっちも面倒な話です。物事はもっとシンプルな方がいいのに。……4つの力をシンプルに統一する理論みたいに」
それ多分一番めんどくさい奴。
「わ、戻って来たね、あるまちゃん」
『うん、あくあちゃん。でも』
|星河・あくあ《 ほしかわ・アクア》(零を上書き歩む【始発点】/ 零で塗り潰し辿る【終着点】・h05769)と、その番たるあるまは、重大な問題に頭を悩ませていた。
目の前には、地獄から蘇った恐るべき魔人がいる。それこそは連邦怪異収容局の中でもその人ありと知られる凄腕の簒奪者、幾度となくEDENの前に立ちはだかってきた宿敵、リンドー・スミスだ!
そのリンドーは思いがけぬ災厄に出逢い頓死してしまい、だが今復活した。そこであくあとあるまが深く悩んでいたこととは!
「朝会ったらおはよう」
『お昼はこんにちは』
「夜はこんばんは」
『じゃあ……死んで蘇った人にはなんて言えばいいのかな?』
「むずかしいねあるまちゃん」
『むずかしいよあくあちゃん』
そう、蘇った人にはなんと挨拶をすればいいのか問題であった! おそらく世界のどんな言語体系にもそんな言葉は用意されていないであろう、大体のひとは多分復活しないので!
「……何を言っているのかわからぬが挨拶などどうでもよくないかね!」
二人が額を突き合わせて相談している姿に、リンドーは鋭く隻眼を光らせ額に青筋を浮かべて怒鳴る。だが、あくあとあるまはその瞬間、意味深げに二人そろって頷いた。
「あー」
『あー』
「やっぱりね」
『そういうことだよね』
思わずリンドーはその二人の強いまなざしにたじたじとなる。何か深い秘密を探り当てたかのような、そのまなざしに!
「あなたがこの計画を失敗した訳が分かった」
『それは』
「それは!」
「『挨拶をしないから!!』」
「いやなんでそうなるのかね!!!」
あくあとあるまのズバッとした決めつけに、リンドーはツッコまざるを得ない! だが無論あくあとあるまにも整然とした理論があるのだ。それは!
「挨拶はコミュケーションの基本」
『挨拶をどうでもいいとかいうようなあなたは、他人とコミュケーションが上手く取れていない証拠』
「つまり」
『つまり』
「『あなたは後輩さんのひとともうまくコミュニケーションが取れていないの! だから失敗したんだよ!』」
おお、それこそはまさにリンドーの失敗の理由そのものを適切かつ簡潔に示したものではないか! リンドーもこれには一言もない!
「で、では……挨拶をすればいいのかね?」
「そう。でもだから、最初に戻る問題。死んで蘇った人にはなんて言うの?」
『あ、でも分かった気がするよあくあちゃん』
「ほんと、あるまちゃん?」
『多分こうだよ……ごにょごにょ』
と、ふたりは耳打ちし、お互いにぱあっと顔を輝かせた。その言葉とは!
「『せーの、「ご愁傷さま」!』」
「いやそれは死んだ人間への挨拶ではないか!?」
「うん。だから合ってるでしょ?」
「……そういえばそうだな! あれっ?」
合っていた! そして挨拶が済めば後は戦いの時!
リンドーが首を捻った一瞬の隙にあくあとあるまは楽し気に間合いを取り、交互に舞うようにリンドーに波状攻撃を仕掛けていく。その様は輝く虹と瞬く光が互いに絡み合い、時には融合し時には弾けつつ、螺旋を描いて寸毫の狂いもなく寸秒の猶予もなく叩きつけられる華麗な猛攻!
「ちっ、厄介な!」
だがリンドーとても恐るべき魔人、その身に宿した無数の怪異を漆黒の津波のごとくに波打たせ、狂える爪牙を剥き出して迎撃する。眩く澄んだ光と深淵より這いずり出てくるような闇の相克ともいえるそれは激突だ!
「がんばってるけど、あの子の能力の本当の意味、あなたはわかってないでしょう」
『その力がどう動くかもわかってないのに無理すると、変な事故起きちゃうよ』
その光と闇の交差の中、あくあとあるまは軽やかに声を掛ける。敵のことはどうでもいいけれど、でも、――大切に思っているにもかかわらず理解して上げられていないのは、少しだけ、少しだけ哀れだから。
「とはいっても悩むよね、あるまちゃん」
『うん、本人同士で伝えあっていないことをこっちでネタバレしちゃうのも……やっぱりどうなのかなって思うしね、あくあちゃん』
「ええい、先ほどから何を訳の分からぬことを!」
苛立たし気にリンドーが放った怪異の猛撃を受け止めて、あくあとあるまはくすっと微笑む。
「うん、さっきからこうやってお話できてる理由を知りたいんだね」
『だいたいみんなが配置に着いた頃だからだよ』
ぞくり、とリンドーの全身の感覚が鋭敏化した。
それは紛れもなく間違いのない、危険の迫る足音、死の迫る羽音。何か決定的にして致命的な機会を相手に与えてしまったと悟った時の、永遠にも似た焦燥の一瞬だ。あくあとあるまの可憐な笑顔の下に隠された破滅の宣告の声だ!
「私たちはね、いっぱいいるんだ。あ、あなたはさっきまで死んでたからわかんないか」
『そだねー、まずそれを知っておけばよかったのに、すぐイライラして、ちゃんとコミュケーション取らないからだよ。ね、さっきも言ったでしょ、それがあなたの欠点』
「だから……この周りに、何人の私達がどこにいるか、わかんないでしょ?」
『ところで私たちは……どーん! ってできる力があるんだけど』
「どどーん!ってね、ふふっ」
『どどどーん!ってね、あははっ』
「『全員ね』」
リンドーの厳めしい顔が蒼白となる。それは既にチェックメイトを受けていたと悟った瞬間の顔だ。何をしてももはや避けられ得ぬ終焉を知った時の表情だ!
「じゃあ」『うん』
そしてあくあとあるま――いや、無数のあくあとあるまたちは一斉に、にこやかに能力を発動する。
|吶喊・蒼碧色の星燈疾走《スターライトアーマー・オーバードライブ》――活性プライマリアーマーでの広範囲光波渦による破滅の光。
物質も音も影さえも飲み込む極彩色の光のメイルストロームの中で、リンドーはあくあとあるまが自分に送る最期の挨拶を聞くのだった。
「『ご愁傷さま♪』」
無惨! リンドーの額から真紅の間欠泉のごとき血潮が盛大に噴き出した!
「ぐわああああ!! ……いやちょっと待ちたまえ! 開始一行どころか攻撃描写さえなくいきなりやられているではないか私!」
酸鼻! リンドーの眼鼻耳口から鮮血が一斉に噴き出した! これぞ七孔噴血だ!
「ぐええええええ!!! いやだから待てというのに! 戦闘!まだ戦闘しておらぬだろう!」
「何を言っているのですか愚かですねこのリンドー野郎」
だがルナリア・ヴァイスヘイム(白の|魔術師《ウィッチ》/朱に染める者・h01577)の痛烈な一言はその打撃よりも強烈に響く。
「ええい、人の名前をナチュラルに罵倒として扱わないでくれたまえ!」
だらだらと赤い血を頭頂から噴出させながらそれでもリンドー・スミスは食い下がる。悪党ながら見事な闘志ではないか。さすが連邦怪異収容局の中でも名うての、こう……アレな人物として知られた男だ!
「アレって何だねアレって!?」
「アレとはナニのことです。というかですね、そもそもこの戦場に私がいる以上そこに殴打と打撃と潰滅が発生しているのは自明のこと。わざわざ描写するまでもなくそれは存在するものなのです」
「そんな馬鹿な!?」
「たとえばSF小説でもなければ「この主人公には心臓がある」とか言及する小説なんかないでしょう、あるのが当たり前だからです。同様に私あるゆえに殴打あり。この世のすべてを疑ってみても私がある以上そこには殴打があるというのがデカルトの教えです」
「デカルトに殴られるぞ君」
「なんだとデカルト! やんのかコラ! かかってこんかいデカルト!」
「……もう面倒だからこのエルフ引き取ってくれないかね」
だらだらと血を流したままで顔を覆い、リンドーはなるべく目立たないように小さく身を隠そうとしていたヤコブに話を振った。ヤコブは慌てて蒼白になり首を振る。
「ふぇぇ、ひ、人にそんな災厄を押し付けようとしないでくださいぃ! 例え敵でもやっていいことと悪いことはあると信じたいですよぉ! ……といいますか」
ヤコブはふとあることに気づき、改めてリンドーを眺めた。
「リンドーさん、さっきからボコスカ殴られているのに今回はまだ生きてますね?」
「生きているというか……死ぬことを許されぬ程度に殴られているというかだが……」
おお、しかしまさにヤコブの言うとおり。
普通であれば恐竜を絶滅せしめたチクシュルーブ大隕石の直撃爆心にさえも比せられるであろうルナリアの打撃を複数回食らって、血ダルマとはいえ、一応生き延びているとは! これがリンドーの実力だというのか!
「まあ手加減していますので」
手加減だった!!
「えっ、あなたがそんな複雑……繊細……面倒な真似を?」
「あ゛? まるで私が複雑で繊細な行動ができないかのような言い方ですねヤコブちゃん?」
「い、いやその……」
「できないのではありません! しようとしたらだいたい加減が効かないだけです!」
「それ『できない』って言うんじゃないですかね?」
「それはさておき、今回は魔法を使ったのです! 私は魔術士としても超越超絶天才的ですからね!」
「魔術を!? しかし一体いつの間にリンドーさんに……?」
「自分にです!」
「自分に!?」
「自分をマヒさせました!」
「自分を!?」
「これによりリンドー野郎をぶん殴ってもギリ死なない程度にできるのです!」
「そこまでしないとダメなんですか!? っていうかなぜそんなことを!?」
「もっと面白いことを考えたからです! そぉい!」
と、ルナリアはヤコブをむずと引っ掴むと、リンドーの元にぶん投げた!
瀕死のリンドーが耐えられるはずもなく、ヤコブと共にすってんころりん!
「はわわっ!? 何するんですか!?」
涙目のヤコブが抗議するのも構わず、ルナリアは二人の――すなわちリンドーとヤコブのもつれあい、絡み合って倒れ込んだ姿をここぞとばかりに接写!激写!特写!スマホで当たるを幸い薙ぎ払うがごとくに撮影しまくったではないか!
おお、息も絶え絶えで上気したナイスミドルの顔と! 涙目で彼に縋りつく美少女の姿! なんかこう、なんかこう……わぁい! って感じだ! わぁい! って!
「ふっふっふ、それだけではありません。さあヤコブちゃん上半身をはだけるのです」
「なんでですか!?」
「面白いからです! 上だけなら別に恥ずかしくないでしょう男の子なんですから! ぬげえ!!」
「うっきゃぁ―――――っ!!??」
すぽぽぽーん! ヤコブの服を上だけ脱がせたルナリアは完全な勝利を収めたかのごとき満足な顔で――その写真をネットにブン流したのだった! 鬼畜か!
「まあヤコブちゃんの顔だけにはモザ入れておきますから」
「な、なぜそんなことを!?」
もう(無駄だから)ルナリアに是非を問うな!という感じだが、それでもルナリアは答える。
「この写真見ればどっかの誰かの脳をぶん殴ったのと同じだからです! これって新しい殴り遊びですよね! 好きな人が別の可愛い子と抱き合っていて、しかもその相手は男の娘! これはいけますよごはん20杯くらい!」
ちゅーかね、とルナリアは唇を尖らせて吐息を付くのだった。
「状況がこうなってるのってだいたいリンドー野郎が悪いですが、相手さんも7:3とか6:4とかくらいで悪いと思うんですよねいつまでもウジウジして。なのでちょっとそっち側も殴っといた方がいいなって」
まったく関係ないが、その日、連邦怪異収容局の某所で。
もの凄い悲鳴とともに、封印領域を遥かに超えて、何故か関係職員が全員ぶっ倒れていたという。みんな生き返れる√能力者でよかったね。
「ついに追い詰めましたよリンドー・スミス……いえ、ポンコツポン太郎」
「誰だねそれは!?」
|神咲・七十 《しんざき・なと》(本日も迷子?の狂食姫・h00549)の刃のごとき切れ味鋭い決め台詞に、恐るべき連邦怪異収容局の魔人リンドーも思わずたじたじだ!
まあ実際、七十をはじめとしたEDENたちの猛攻により、今やポン太郎ことリンドーも満身創痍。その命脈も風前の灯火である。
「この場にポンコツなあなた以外にどんなポンコツがいるというのですかこのポンコツ。今こそこの私がポンコツのポンコツさを終わらせてあげます」
ぴしゃりと雷鳴のように言い捨てた七十はまさに電光のような素早さで懐に手を差し入れた。そこから取り出されるものは抜けば玉散る氷の利刃か、それとも焔と共に非情の弾丸を吐く鋼の凶銃か!
どちらでもなかった!
「サイリウム! 鉢巻き! 痛団扇! さあ受け取るのです!」
「なんだねこのトンチキなアイテムの数々は!?」
「アイドル活動に必須のアイテムです。このくらい派手に華やかにパーッと雰囲気を変えないと、いつまでたってもあなたは煮え切らないままに決まっています。よく聞くじゃないですかコンサートに行って気持ちを盛り上げてそこで告白したとかいう話。なので今度開催される、うちのフリヴァくのライブチケットをおまけに付けましょう」
そう、七十はかつて邪神クヴァリフの一部であった相棒ともいうべき邪神系アイドル。フリヴァくちゃんの推し兼マネージャー兼プロデューサーでもあるのだ! これでムード作りもバッチリというもの! 傍らのフリヴァくもドヤ顔でうんうんと頷いている!
だがリンドーは隻眼を白黒させ、いらだたし気に吐き捨てた。
「ええい訳の分からぬことを……君たちEDENはどいつもこいつも、一体何なのだね。まるで私が――身近に深く慕ってくれる女性がいるにもかかわらずその健気な想いに全く気付かない鈍感な男かなんかのように扱うではないか!」
「……はあ?」
一瞬七十の動きが止まり言葉が停まり表情が止まった。七十のみならずフリヴァくも止まった。そのリンドーの言葉を聞いていたものすべての動きが……世界中が止まったかのようだった。
だがリンドー一人がそれに気づかぬ様子で不満げに言い続ける。
「まったく、この繊細な私がそんな唐変木な朴念仁であるわけがなかろう。もしそんな相手がいたら僅かな表情や口調に込められた気持ちをすぐに察し、決してその相手を傷つけることなく紳士的にダンディにその想いを受け止めているとも。まあ残念ながらそんな相手はいないのだがね、フッ、エージェントとは孤独なものだ」
「……はあ゛????」
七十の体から。フリヴァくの体から揺らめくような幽鬼めいたオーラが立ち昇る! 大気を焼き尽くし大地をひび割れさせ、世界を塗り替えるほどの圧倒的な怒りの炎が燃え盛る! その怒りのオーラと共に、無数の人影が一斉に大地を埋め尽くすほどに立ち上がった。これこそはフリヴァくの隷属者たちだ! しかもみんなキレている!
それも無理はない、一体世界のだれが、宇宙の誰が、先ほどの言葉を聞いて、お前いい加減にしとけよマジで! 的な思いを感じずにいられようか!!
「あなたという人はどこまで……どこまでポンコツポンのすけポンざえもんなのですか!!!!」
「だから誰だねそれは!!??」
「ラブドー・コメスのほうがいですか!? 身分証の表示を全部書き換える呪いがお望みならいくらでも掛けてあげますが!」
「どちらもお断りだ!!」
さしものリンドーもその七十の大いなる怒りの前に思わず身を竦ませ、身に纏った無数の怪異を漆黒の大波濤のように召喚し、七十に襲い掛からせようとした! その怪異たちの群れこそは恐るべきリンドーの力の源泉、まともに食らえば山々をも打ち崩し大地を砕くほどの威力を持つ恐るべき戦力だ!
だが。
「ど、どうしたのだ怪異たち!? あのEDENを襲うのだぞ!?」
一人焦るリンドーと対照的に……なんたることか、怪異たちは完全にやる気をなくしてしまったように顔をも合わせ、首を捻り、肩を竦め、ため息をついているではないか!
『マスター……サスガニ我々モ、サッキノ言葉ハ、ナイト思イマス……チョット付イテイケマセンワ……』
「えっ何!? 何が!?」
なんたることか、ついにリンドーのポンコツぶりは自分の怪異たちにさえ愛想をつかされてしまったのだ! 完全に孤立し周章狼狽するリンドーの周囲を、七十、フリヴァく、そして隷属者たちが十重二十重に取り囲む。恐るべき断罪者たちは一斉に手を振り上げると――!
「いい加減に――しなさーい!!!!!!」
すぱこーん!!!!!
全員で思いっきり――ハリセンでリンドーをシバキ倒したのだ!
「ぐわああああ!!!!!!」
使役する怪異にさえも見放されたリンドーをハリセンの嵐から守るものは何もない!
無数のツッコミ部隊によりボッコボコにフルスイングされたリンドーは天空の彼方へと吹き飛ばされ、キラーンと輝くお星さまになったのだった。
「まあ……孤独なリンゼイさんの事をなんとかしようとしていたのは評価します……それ以外のポンコツな所で評価マイナス行きになっていますけど」
ふう、とため息をついて、七十は遙か空の彼方を眺めやり、そして少しだけ微笑みを浮かべた。
「とはいえ、今回これほど派手に負けたのですから……たぶん、隔離されていてもリンゼイさんの耳にも少しは入るでしょう。あのポンコツポン太郎がこんなに一生懸命戦った、その理由くらいはね。……ふふ、これも一種の甘味です。私、甘いの大好きですから」