シナリオ

ジサクジエンの堕サイクル

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● 
 三学期開始間もない√EDENの市立山根中学。2年B組の生徒2名が、ある事情に絡め取られていた。

●|堀・均《ほり・ひとし》の事情
『あいつ今日も休んでンなぁ。どっかの電車乗ってんだろうなぁ』
『すげえよなぁ。鉄道系動画でめちゃくちゃバズッてんの』
『もう受験も仕事もスルーで生きてけんじゃん、勝ち組羨ましい』

 ――僕よりパッとしないクラスカースト最下位だと思ってた御園くんがクラスイチの有名人になって1ヶ月が経ちました。お元気ですか、僕の気持ちは最悪ですよこの野郎。
 成績も殆どの教科で下の方。親には『どこの高校に行けるんだよ』ってため息をつかれる日々、こんなことならもう一人産んどけば良かったとか知るかバーカ。
 そんな僕ですが、実は御園くんに負けず劣らずの大ネタを掴んでいるのですよ。
 学校七不思議ってあるでしょう? あれ実は全部嘘なんですよ。けれどそこで怪現象なんてないって言うのは素人。8つ目の不思議があるんです、僕は見つけちゃいました。
 8つ目の不思議である『幽霊』を動画に撮ってぶちあげれば、僕の未来もまた御園くんのように薔薇色確定ですよ、フフフ。

●|平本・凜奈《ひらもと・りんな》の事情
 今日も猫の鳴き声がする。
 どんな柄をした仔だろう?
 あの猫を保護したらまたお婆ちゃんやミケと一緒に暮らせる、そんな気がする。ううん、これは確信だ。私に与えられた可能性の中、猫さえ保護すれば鋭利に尖り真っ直ぐに私に突き刺さってくれるに違いない。
 だから猫を、猫を探さなくちゃ。
 ……でもどうしてだろう? 誰も猫の声が聞こえないって言う。おかしいよ。絶対に学校に入り込んでるはず。
 猫を、猫を保護しなくちゃ。
 私がこの間違った選択肢から抜け出るために。
 もういやだよ。両親は喧嘩ばっかでさ、見るに見かねてお婆ちゃんが引き取ってくれたのに、あたしずっと田舎の子で良かったのに。ミケが死んじゃって、あたしより年上だから仕方ないよって言ってたおばあちゃんも後を追うように死んじゃって、仲良しごっこしてる両親を見てるのなんて反吐が出る。
 ――猫、だから猫を探し出して、あたしを幸せな選択肢に戻さないといけないんだ。

●星詠みの話
 紫煙の糸を伸ばす煙草を手に、赫涅沢・秤(私はなぁに?・h02584)は開口一番「ここは喫煙可だよ」と宣った。
 どこぞの廃校舎のボロボロな黒板を薄白く煙らせる中、秤は改めて星が告げた中身を開示する。
「こんな廃墟と違ってちゃあんとやってる市立山根中学に、厄介な男が入り込んだ。おなじみの連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』――アイツ、怪異蒐集の悪癖が極まれりでねぇ、火のないところに無理矢理に種を蒔きやがった」
 曰わく、スミスは学校の廃校舎に手持ちの怪異を投げ込んだ。
「目的は学校で騒動を起こすことじゃァないのだよ。その怪異にアてられた生徒が新たな怪異に変貌するのを狙ってる」
 そんな事が可能かどうか不明だが、暇つぶしの実験に過ぎないから結果はどうでもいいのだろう。
 なんにしても、放置するとスミスが解き放った怪異が暴れ出し学校全体が被害に遭う。死者は膨大な数に膨れあがる。
「だからね、諸君らで止めてくれ給えよ」
 黒板にマグネットで2枚のシートが貼られる。それぞれ男女の生徒の顔写真と情報がつきだ。希望者には、同様の書類が渡される。端末を持ってる者にはデータでの送信も可。
「現在、アてられてる生徒は2人いる。学校に潜入し、この2人のどちらかと接触して仲良くなってくれよ。人生相談してやれるぐらいにね」
 2人とも2年B組の生徒だ。秤は煙草を咥えるとチョークに持ち替え、追記を白で走らせる。
「ひとりめは、堀・均。カーストって言うのかい? あれの最下層だそうだ。本人は仲良くなりたくて笑顔でいるが、ニヤニヤしていて気持ち悪いと避けられる類いの奴だな」
 どうやらオカルトに興味があるらしい、その他の事情も共有し、続けて髪を2つに結わえた女生徒の説明に移る。
「もうひとりは、平本・凜奈。転校したてホヤホヤで友達はいない。10年以上遠縁の老女に育てられていたそうだよ。両親の不仲やら色々あったらしいね」
 わざわざ親元に引っ越してきたということは、老女が育てられなくなった事情があるわけだ。
 スタンド灰皿に吸い殻を投げ入れると垂れ下がった紫髪を指で弾く。露わになった頬には困惑で翳っている。
「老女が雪道で転んじまって入院加療中なんだ。ただ調べたところ命に別状はない。如何せん年寄りだからいつ退院できるかわからんってぐらいだ。だが、何故か凜奈は『お婆ちゃんが死んだ』と思い込んでいる」
 さて、と、チョークを置いてぱんぱんと手を払い秤は向き直る。
「短期の潜入であれば咎められぬ細工はしてある。諸君は、転校生や臨時の教師、カウンセラー、他、それっぽい身分を名乗って行けばいいよ」
 あとはよしなに――そう締めくくり、星詠みは皆を見送るのである。

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第1章 冒険 『学校に突入or潜入せよ!』


二階堂・利家


 2年B組の教室の一番後ろ、出入り口そばでとにかく寒い席に堀均は腰掛けていた。
 痩せて頬の肉が痩けた顔立ちに、銀縁の眼鏡がのっかっている。寒さでまるまる背が余計に貧相さを加速させていた。堀・均とは、そんなどこにでもいそうな少年である。
「動画でバズって一発逆転かぁ。今時はそうやって夢追い人で生計を立てていく方のが前向きにはなれるかもね」
 まだ誰も登校していないひとりの教室なのが功を奏したのだろう。それぐらいの事を言えるぐらいには、二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)と均は打ち解けていた。
 均からすると、動画投稿で稼いで生きるのは好きなことすればすれだけ金が入るイージーモードに見えているようだ。
「二階堂くんはどうです? 何か好きなことってあるんですかね?」
「俺は地に足が付いてた方が好みだけどね」
 均は意外と目を丸くした。
「だってほら、そのー……ダンジョンアタックが生きがいなのでしょう?」
 ゲームかなにかに勝手に変換しているが、利家はそのままにして銀色の後れ毛をつつく。
「生きがいというか、生きる為にそうせざるを得ないというか?」
 学も無ければ運もない、体内巡る竜漿が責め立てるように利家をダンジョンへと駆り立てる。死ぬような目に遭ったのも一度や二度じゃあないが、止められないのだ。
 利家には他に選べる道はない。
 けれど、均には、ある。
(「あると言っても聞き入れないだろうしなぁ」)
 上目線のお説教なんて一番の悪手だ。
「生きる為……まさかっ、ダンジョンアタックは『危険な仕事』の隠語で……や、闇バイト、させられてる、とかっ?!」
 均の認識が真実に近づいた。利家はからりと笑い「まぁね」と嘯く。
「……先生に言いつけてやるーってか? そんなの君のガラでも無いんじゃないの?」
 釘をさせば均はぶんぶんと首をふる。
「いやいやいやいや! 警察に行きましょうよ! きっと助けてくれますよっ」
「おや、心配してくれんだねぇ。均くん、いい人」
 心配で駆けつけてきたってのに逆になっている。世知辛い自分の世界とは違うもんだ。
「まぁ俺はうまくやるよ。それより君だよ……掴んだ幽霊がどうこうだけど、あながち当たらずとも遠からずというか……だからこそ、一人で動くもんじゃあない」
 学校机に腕を置き、つばをのみこみ彼をじぃっと見つめた。
「俺は厄ネタに用がある。君も厄ネタに用がある、ここはギブアンドテイクでどうだろうか? さっきも言ったように、俺は君の動画ネタを横取りなんてする気は毛頭ない」
 均は、自身が“助けを求める程に危ない状態”だと気づいていない。
「だから手伝わせてくれよ。まぁなんだ、人助けが趣味なんだ。そうそう……これからそういう奴らが俺以外にもくるだろうから、気軽に手を取ってみるといい」
 だから、仲間がつながりやすいように種を蒔いておこう――。
「はぁ。僕なんぞに話しかける物好きは君ぐらいかと思いますけどね」
 なぁんて言って眼鏡越しの瞳をしばたかせる均からは、誰かと繋がりたいという気持ちの芽が見えた。

静寂・恭兵
アダン・ベルゼビュート


「昨今の繊細な人間関係に悩む生徒のケアのため、交流実習を積極的に行い実践的な方法を構築する――という建前だな」
 静寂・恭兵(花守り・h00274)は紫煙と共にそう吐いた。
「ねじ込むやり口が|√汎神解剖機関《うち》のようだが√EDENでも通じるらしい」
「……」
 隣を歩くアダン・ベルゼビュート(魔蠅を統べる覇王・h02258)は、珍しくベーシックな制服姿だ。
 恭兵は普段のスーツと然程変わらぬが、咥え煙草は変えねばならぬ。今時は学校に喫煙所すらありゃしない。歩き煙草OKなレアな道を選んだのもそのせいだ。
「あまり表情がすぐれない気がするのだが……」
 煙の向こう側俯く容に目を留めた。
「静寂、問題無い。『依代』の想いに感情が引き摺られただけだ」
 アダンの主人格こと『依代』は、学校についてネガティブな感情を有している。自らのものではないが、無視はできない。
「カーストだの何だの、面倒なものに雁字搦めよ」
「上司だのなんだのに無縁の学生でもしがらみがあるのか。鬱陶しいものだな……」
「学生だからこそ、曖昧な事を切っ掛けに上下関係が作れるのだろうよ。魔界では圧倒する力が必要だからな、生ぬるい」
 そろそろ通学圏に入るので一旦は道を分かつ。あくまで二人は「転校生」と「臨時講師」なのだ。


 朝のホームルームの後、アダンは後ろの席の凜奈に声をかける。
 黒髪を2つに結わえた少女からは「話しかけるな」というオーラが出ているが、魔蠅を統べし覇王にとってはなんら障害とならぬ些事だ。
「随分と冴えぬ顔色だ。なにか悲しいことでもあるのか」
「! ……っ、えっとー」
 通り一遍な挨拶を飛び越して真正面から見つめてくる双眸は慈愛に満ちる。そうやって事情に踏み込むお節介さは、凜奈が先日までいた田舎町を喚起させる。
 ああ、胸にまた「帰りたい」と寂寞の花が咲く。
「ふむ、ならば当ててみせようか。平本、お前は――…………探し物があるのだろう?」
「な、なんで……そんなことを……っ?!」
 警戒で表情を包みながらも、凜奈はアダンから目が外せない。
 アダンは自分の頬をちょんとつつくと、にんまりと口端を持ちあげてみせた。
「頬」
「頬?」
「心配ごとがあるとここが引き攣るのだよ」
 ガバッと頬を押さえる凜奈へアダンは歯を見せ愛嬌一杯に笑った。
「あとは心此処に在らずだな。案ずるな、俺様も一緒にさがしてやろう! なんだ?」
 ザックリと話を進め反応を見る。悪くない、実際に凜奈はぽつりぽつりと事情を漏らし出した。内容は、星詠みで聞いた通りの「猫の鳴き声がする」というものだ。
「……探し物か?」
 予鈴と重なり|静寂先生《・・・・》が後ろのドアから現れる。
「流石に授業を抜けるのは見過ごせないが、休み時間であれば俺も手伝えるぞ」
「静寂! い、否……先生……」
 頬を赤くしてアダンはそっぽを向いた。笑いを堪え、恭兵は柔和な表情で転校生二人に目をくれる。
「二人ともどうかしたか? 転校したてで慣れないこともあるだろう。良かったら話を聞くが? ……まぁ俺も着任したばかりなのだが」
「だったら却って頼みやすい、なぁ平本」
 息ぴったりにそう言われたら、頼ってしまいたくなる。それが彼らの狙いだ。
「猫を探して欲しいの」
「お前は此の学校内で猫を見掛けたか?」
「猫か? 見ていないな。わかった、よく見ておくとしよう」
 ……会話の流れで、凜奈は休み時間に猫探しの約束を結ばされた。
 強引? いいや、誰かの手を借りたかったようで、心のガードを下げることに成功した。これで以降に来る√能力者も接触しやすくなった筈だ。
「お婆ちゃんが……」
「ああ、平本には祖母が居たな。早く退院できるといいな」
 さりげなく生きていると伝えてやる。善意からの言葉だが、凜奈は皿のように瞳を開き頭を抱えてしまった。
「え……? 退院?? …………ううん、お婆ちゃんは、転んで、それで……死……」
 じわりと溢れた涙をゴシゴシこすり取ったら本鈴が鳴り響く。授業だからと気丈に前を向くのに二人は視線を交わす。
 星詠みの通り、凜奈は祖母は亡くなったと思い込んでいるようだ。涙ぐむぐらいには
「そうか……色々あって辛かったな」
 死を肯定せず、然りとて凜奈を否定もせずに、恭兵は信頼関係の構築に勤める。
「俺様のように、新しく来た輩は交友を一から構築する必要がある。つまり、普段より皆お節介ということだよ、平本」
「ああ、俺みたいな新しく来た教師も話してくるだろうが、気負わず頼ると良い。むしろ頼ってもらいたいのだからな」

惟吹・悠疾


 一体本件はどこからどのようにして始まったのだろうか?
 惟吹・悠疾(人間(√EDEN)の妖怪探偵・h00220)は、アウトライン、こと堀均と平本凜奈のおかれた状況をなぞることに的を絞った。
 猫、
 猫、
 猫。
(「……またシュレディンガーのねこ、か……?」)
 猫好きを集めてスナッフ動画の撮影、挙げ句に猫もただの駒。そんな胸糞悪い奴をぶちのめしたが、今回のスミスも大方似たようなものだろう。
 幸い今回はまだ死者は出ていない。無血のクリアと行きたい所だ。
 生徒として紛れる腹であったが、まずはカウンセラーを名乗り教師からの聞き取りにまわる。

 ――堀・均について。
 去年の副担任だった教師が口を滑らせてくれた。
「……ああ、あそこの家はねぇ。中受に失敗して公立のうちに来たんだけど、まぁ親が壊れちゃってて……話が通じないのよ」
 かなり重度なお受験ママで、小学生の均に詰め込み教育を施したがどこの私学にも受からなかった。
 父親は教育にたまに口だけは出すが、ピリピリした家には寄りつかない。
(「成程、これは外に女がいるな……それでますます母親は均のお受験に入れ込んだ、と」)
「堀も既に燃え尽きた状態でねえ。そのくせ『僕は受験を経験したからお前らとは違う』みたいな変なプライドがあって。ホント中学受験ってよくないと思うんだよねえ」
 ぐだぐだとした話をまとめると、だ。
 均は1年の頃からクラスでも浮いていた。いじめがあったとは教師は認めたがらないが、まぁあったのだろう。
 だが、ここ最近になって孤立しはじめたという話はでてこなかった。
 悠疾は『堀・均はスミスのターゲットではない』と結論づける。もしかしたら元々霊が視えやすいタイプなのかもしれない。
 なんにしても不憫な均が今回の件で少しでもいいルートに入ればなぁと思う。能力者達は世話焼きも多いからそんなに分が悪い願いではないはず。

 ――平本・凜奈について。
 カウンセリング室で実習を受けるそぶりで盗み見たカルテにはこうあった。

“小三から中二の二学期まで●●県××村在住。遠縁の老婦人の元で暮らす”
“母親より「複雑な家庭環境にしてしまったので、学校でも気にかけて見て欲しい」とのオーダーあり”
“両親は娘と打ち解けられぬことを苦慮している模様”

(「ふーん、親は凜奈と和解しようと試みてるんだな……」)
 ますますスミスの介入疑惑が深まる。

 ――ラスト、学内に意図的に悪い噂が蔓延していないか?
「わたしを中学にぶち込むなんて無茶が過ぎるわよ」
 制服からメイド服にわざわざ着替えた膨れ面の|お姉様《・・・》がはいっと書類を手渡してくる。
「まぁ確かにそのボリュームじゃあなぁ」
 鼻の下のばして見てるのは胸元じゃあなくて書類だぞー。
 端的に言うと、凜奈と均は明確ないじめを受けてはいないが避けられている。
 意図的な悪い噂の流布とまではいかないが、教師は孤立の解消にやや非消極的だ。
(「事なかれ主義とも見えるが……やはりスミスが微弱な操作をしてそうな気もするな」)
 あと、平本凜奈は長い休み時間はあまり教室にいないらしい。それではどこに入り浸っているのだろう? 引き続き調べるが、仲間にも共有して協力を請おう。

ゾーイ・コールドムーン


 連邦怪異収容局のスミスへ「厄介だ」とネガティブを抱く√能力者の多い中、ゾーイ・コールドムーン(黄金の災厄・h01339)だけは別の見解を有している。
(「連邦の局員か……また不思議なことをするものだね」)
 実験に到るモチベーション自体を否定する気はない。富とはなにもキラキラ輝く金ばかりではない、己を豊かにするのならば実験により得られる知識も含まれる。
 とはいえだ。
(「怪異を野放しにしたくはない。もう影響を受けている人間もいる、早めに対処したいな」)
 ゾーイの友好さは人類全般に向けられる。スミスの実験にて人生を歪められたり、ましてや命を落とす者が続出するのは看過できない。
「さてさて、これぐらいでよさそうか?」
 黄金色に少しの翳りを入れればより人間らしくなる。教師として違和感のないように普段の年齢より5歳ほど積み増した。
 事情により赴任が遅れた外国人講師という触れ込みで潜入成功。
(「ははぁ、短期決戦でいけということだね。我々が長く居座ればそれだけ不審感がでてしまう……」)
 代償の耳飾りを渡し、死霊を事前調査に解き放つ。人々には決して迷惑をかけぬようにと重々言い含めてある、こういう所では強さよりも従順さが大事。
(「スミスにひっかかって消されても辿れるからね。わかりやすい痕跡がありがたいぐらいだよ」)
 もしもスミスがこの学校に潜んでいるのであればの話だが。


「ハァイ、初めまして! ゾーイ・コールドムーンといいマス! この国の特にオカルトに興味がありマース」
 1年生のクラスで開口一番そう告げる。
 テンプレートすぎる外国人の顔で明るく茶目っ気たっぷりに笑うと、メインの教師が授業の説明をしてくれる。
“外国語を気軽に話そう”
 黒板にそう書き教師は続ける。
「ゾーイ先生と、簡単な英語で会話をしてみましょう!」
「日本語まざってOKデスよ! 話せばジョータツしまーす」
「1班10分ずつです。それではゾーイ先生、あの班からお願いします。他の班は自習していてください」
 男女混合6名の班が4つ、その1つに腰を落ち着けて会話をはじめる。
「これ、読んで好きになったんデース」
 ゾーイは『学校七不思議』というドストレーとな児童書を開いて見せた。
 ページごとに大きな絵の描かれた対象年齢低めの本に、半数以上の子が惹きつけられる。
「走るエライオニーチャンの像↑ 音楽室で流れるMozartのSymphony↑ わお、こっちも音楽室のvanBeethovenがギロリ↑ ……」
「ブラバンで夜まで練習してたらベートーベンに睨まれた先輩がいるんだってー」
「OH! 詳しくー教えてくだサーイ」
「えーっと……ロングロングアゴー……」
 辿々しく基本文法に日本語を交えて話し出すのをニコニコと促し、所々褒めるのも忘れない。得意げになる子を見れば競争心に火がついて、他の子もこぞって話し出す。
 すっかりと砕けた所で、ゾーイは「八つ目の七不思議」の話を日本語で持ちかけた。
「大いなる矛盾デース。けれどワタシもうこれがどうしても気になって気になって……」
 ――そんな風に交流すること4回目。ひとりが怖ず怖ずと手をあげた。
「あー、ネット! インターネット、ワカリマスカー」
 日本語を英語風に発言する子ばかりでもう慣れた。
「Yeah! オカルト板なんて専用で話せる場所ガありますネー」
 今のゾーイの喋り方とも言う。まぁこういう喋りは移りやすい。
「デース! I、オカルト板好きで見てて、ルック! しててー……」
 要約すると――。
 インターネットのオカルト掲示板の過去ログで、ある学校の昔話と絡めて語られた話がアップされていた。アップされた日付は20年前、そう書くと随分古い話に思えるが、既にインターネットは余裕で使われていた。
「内容は『20年前(つまり今から40年前)ショーワの時代に首つり自殺をした生徒がいて、自分と良く似た者を誘うから気をつけろ』ってやつデース。それが、書かれてる周辺情報とかからうちの学校だって気がついて…………」
 ええっ、こわ! と悲鳴めいたどよめきがあがる。もはやクラスの八割の生徒が集ってきていて自習とかどこ吹く風だ。
「ソノカキコミ、どこですカー?」
 スマートフォンを取り出したゾーイへ、生徒はヒットする検索ワードをあげた。
 が――。
「……おや? ひっかかりませんネー」
「え? マジすか? ……あれ、本当だ。えーなんでー? 去年見た時はあったのにー」
 首を傾げる女生徒が非難される前に、ゾーイは片目を閉じてこう嘯く。
「ホンモノだから消されたんですヨ! アメイジング!」
 陽気に肩を竦めれば授業終了のチャイムが鳴り響く。
 少女へのフォローもあるが、ゾーイはこの|オカルト《・・・・》をスミスが利用したので、ネットの痕跡を消したと推理する。それがどうやら正しいとは後に判明する。


 先ほどの授業で「猫の鳴き声」も聞いたが、そちらは誰ひとりとして思い当たらないとのこと。平本凜奈にのみ聞こえているとみて間違いなさそうだ。
 校内見取り図の前に佇んでいたら、戻った死霊がある地点に耳飾りをコツンッとあてて消えた。しゃんと鳴り落ちる金飾りをキャッチしてポケットにしまう。籠めた魔力はからっぽのご馳走様。
「……旧館ね。自殺があったのは大凡40年前、まだそいつが縛られてるかねぇ……」
 先ほどの陽気なゾーイ先生をしまい込み、目立たぬように気配を殺し歩き出す。

 旧館の2階にあがると、真っ直ぐな廊下。非常階段につながる先は黒く窄まり、配されている教室も死んだように静まっている。
 3階と4階の特別教室は今もまれに使われているようだが、次年度からは新館の空き教室を転換するため、取り壊しが決まっているとのこと。
「ふーん……確かに3階と4階は無関係だね」
 猫の声は、しない。
 だが、霊はいる。そこかしこにいる世界だが、特に濃密である。
「さて、憑いているのかなぁ? ……シマダタイチくん」
 頭に浮かんだ名を呼べば、喚ばれて現れるのは、今とは違う詰め襟学生服を来た太い黒縁眼鏡の青年幽霊である。
『――』
「……きみは40年前の死者かい」
『――……忘れタ』
 首つり自殺に到る過程を聞いてやっても、彼の乾きは満たされない。もう乾いてカサカサになって砕け散っているから。
「そうか。ならば、ここ3日に見聞きしたことを教えてくれないか?」
『――……………………おれの、部屋。入ってくる、けど、強い。けど、見えなくされてる……』
「ふむふむ……防壁魔法でもかけているのかな……」
『学校に、いるやつ……におい、した』
「そうか、やはりスミスが潜入しているのだね……」
 突如、幽霊は頭を覆って震え上がった。
『つよい、つよいつよいの、もうすぐ、溢れる。おれ……を、おれをつかってる……いやだ、いやだ、消されたくなイッ……』
 ビリッ――! 窓硝子が震え、空間の気配が書換えられる。鈍色に反転し空き教室のそこかしこからガタガタと床が小刻みに叩かれる音がする。
 ラップ音、ポルターガイストの予兆――。
「待ちたまえよ」
 ゾーイは自身のつれる霊にてそれらを押さえ込み説得を口にする。
「きみが暴れたら存在を消さなくてはならなくなる。いままで40年間、なにひとつ悪さをせずにいたきみを祓うのは忍びない」
 霊障が抑え込まれていくのに口元をゆるめる。
「ありがとう、聞き分けてくれて。きみを弄くって別の怪異の起動装置にしているようだね……苦しいだろう。もう少し待ってくれるかな」
 ――シマダタイチの霊は奥から二つ目の教室を指さすと、すうっと姿を消した。
「わかったよ。きみがそこに居続けられるように、闖入者の排除を約束するよ」

逢沢・巡


 2年B組の教室にて、はろはろ、と軽快に手を振って凜奈の隣に腰掛けたのは、逢沢・巡(散歩好きなLandmine・h01926)だ。
「ニャンコ好きなんですか? さっきせんせー達と話してましたよねぇ。あ、盗み聞きじゃあないですよぉ?」
 吸い込まれそうな漆黒の双眸の元にはふにゃりと猫のように解けた唇。女子特有の距離の近さを目一杯利用して屈託なく話し出す。
「はい。真っ白で綺麗な仔を飼ってたから。ミケなのに白いの。逢沢さんはー……」
「巡でいいですよぉ、ワタシも凜奈さんって呼びますねぇ」
「巡さんも猫好きなの?」
「塀から見下ろされるのかと好きですねぇ、あの“ワタシは人間ちゃんよりエライのよー”みたいな目つき堪らないです」
 地雷どっかーんに巻き込みたくないぐらいには猫は可愛いとは口にせず、巡はにぃっと瞳を弓にする。
 たまに発音がなまる凜奈の聞き役にまわり、星詠みで得ていた情報を本人の口からも引き出せた。
「……巡ちゃん、ゲームってやる? あれの“選択肢を間違えた”のが今のあたしなの」
 さんからちゃんづけになった。
「凜奈ちゃんはぁ、親御さんが嫌いなんですかぁ?」
 だからこちらからもあわせる、ミラーリング。
 凜奈はぐっと拳を握って頷いた。だから巡も袖をきゅっと指先で押さえてみる。
「……小3で離れたけど、良い思い出はないよ。ずっと喧嘩してたの、あのヒトたち」
 瞳が窄まり狭い奈落の一点だけを睨み据えているよう。ああ、物理的にも視野狭窄だなぁと妙な所に関心する。
「わぁ、子供の前で喧嘩するのって余裕がなさ過ぎですよねえ。だから|もっと大人《・・・・・》のお婆ちゃんが凜奈ちゃんを引き取ったんでしょうねぇ」
「お婆ちゃん……もういないの……」
 震え出す拳にそっと掌を重ねた。
「娘を引き離される程に駄目だった。だから今は凜奈ちゃんの前で仲良しを意識してるんですかね。だったら、両親はまだマトモな部類じゃないですか?」
 共感ではなく両親の擁護に凜奈の表情が強ばる。
 巡は積極的に地雷を踏む方だ。破壊の先にしか存在しえないものは必ずある。だから凜奈に手を払われても気に病まない。
「……|あのヒトたち《親》さ、ご機嫌伺いばっかりするから気持ち悪いよ」
「じゃあそれを言っちゃうのはどうですかぁ? そういうのキモイーって」
「言えるわけないよー、暴言だしー」
 苦笑いで自我を沈めるのをすかさず引き留める、そうはさせない。
「ご両親は、凜奈さんの前では言い争いをしない|行動《・・》を選んだわけですよねぇ?」
 こくり、と頷き上目使いで言葉を待つ凜奈。
「それを受けた凜奈さんは行動を返す権利があるわけです。それに正解も不正解も無いですよぉ。人生と言う物限定の話にはなってしまいますが」
「……正解も不正解もないの? じゃあどうすれば幸せになれるのかな、お婆ちゃんはいないのに……」
 巡は立ち上がるとぐいっと伸びをした。それは飽きて行動を切り替える猫のようだ。
「究極的に言えば、貴女が選んだ答えが正解です。幸せを感じられないなら、別の行動を取ればいいんですよ。ただそれは選択肢だなんていう|誰かが用意してくれる甘いもの《・・・・・・・・・・・・・・》じゃあないんです」
 なにかに気づいたように凜奈は顔をあげた。
「あたしが選ぶ……」
 チャイムが鳴ったからここまで。巡は来た時のように手を振りにっこり。
「猫探しでもいいじゃないですか、散歩は楽しいですよ。どこに行けるのかわからないのなら、まず顔上げて前を見据えて歩きましょ」

ツェイ・ユン・ルシャーガ


 凜奈は少し長い休み時間で学校を歩き回る事にした。1階の渡り廊下、ここを抜ければ旧館である。
 昨今の生徒数減少で来年度の取り壊しが決まった建物には、第二音楽室などの特別教室が一部入っている。
「なんぞ探しておられるのか」
 振り返る凜奈へ、ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)ゆるゆると首を傾げ穏やかに応じた。
 仲間より「旧館に怪異が仕組まれている」との情報は既にまわってきている。
「先生……でよろしいのでしょうか?」
「斯様にかたくならずともよい。我も近々赴任予定の新米であるよ、むしろそなたに校内の教えを請う立場よ」
「……ごめんなさい。あたしも転校してきたばかりなんです」
「お仲間か。ふふふ」
 木造の古びた旧館へ目配せするツェイへ、凜奈は親しみを感じる。改めて「何を探しているか」問われ「猫」と返すぐらいには。
「ほう、猫。その声はどの様な時に聞こえるかの?」
 旧館のぽかりと開いた入り口に入りこむと、古い廊下がキィと二人の足元を騒がせる。
「そうですね、学校で授業中にぼんやりしていたら聞こえてくるんです、毎日」
「それは心配になるのう」
 凜奈の教室から旧館は離れている。授業中にわざわざ迷い込んでくるのだとしたら、他が気づかぬのもおかしな話。だがツェイは決して否定はせずに耳を傾ける。
「はい。転校してきてすぐに聞こえだしたんですが、未だに保護されていないみたいで……」
 鍵の掛かっていない教室を覗き込むと|頭《かぶり》を振る凜奈。
「……よほど臆病な猫やもしれぬな、それとも好む場所があるのやもしれん」
「3階から上は特別教室で、部活やたまの授業で人の行き来があるんです。だから2階から下ですね」
 ツェイだけでなく他の能力者らも猫探しと称してさりげに護衛している。そうとは知らず凜奈はどんどん歩を進める。
「お主は余程猫が好きと見える、良き縁があったのか」
「……お婆ちゃんが可愛がってたんです。白猫のミケ」
「ほう! 白なのにミケとはこれ如何に?」
 ぷはっと少女が吹きだした。笑うととても屈託なくなる、これが祖母に見せていた表情なのだろう。
「お婆ちゃんがね『猫ならミケだろう、昔からそう決まっとる』って!」
「ようやっと笑ってくれたのう」
「えへへ。お婆ちゃんはねえ、元気ものなんですよ。畑仕事で体が頑丈なんです!」
 9歳で引き取られてからの5年間は宝物。ひとつひとつのキラキラを見せてもらうたびに、ツェイも寿ぎ同じ幸せな気持ちになれた。
 だが転校の話になると、とたんな大粒の涙がぽろりとこぼれ落ちていく。
「もう一生|あのヒトたち《両親》の顔を見なくていいと思ってたのに……」
 嗚咽を恥じ入るように殺す凜奈へ、ツェイは構わぬと首を振り背を撫でた。
「構わぬ……聞いておるのは我だけ、あるいは猫もやもしれぬがな……」
 やはり星詠みの告げた『祖母は生きている』と、凜奈の認識は矛盾する。
「こうも愛情を注いでくれた人から離れるのは口惜しかったであろう。余程深い事情があったのであろう?」
「雪で転んで死んでしまって……死っ、うわぁああん……なんでなんでぇええ」
 問いかけを重ねるのは抉るようで忍びないが、腹を決め口にする。
「――亡くなられたと、どなたから聞いたのだろうか?」
「……お、とうさん」
 だが凜奈はそう口にしてから怪訝そうに首を傾げる。
「おとうさん、のはず?」
 口にすると嘘な気がしてならない。違和感に凜奈は唸り声をあげた。
「男性、か」
 ツェイが脳裏に描くのはスミスという悪辣な男の顔だ。
「……おとなのおとこのひと、だから、おとうさんのはず……だけど……」
 凜奈の胸に「腑に落ちないという」風穴があいた。いまはそれで充分だ。

詩匣屋・無明
玉巳・鏡真


 火のないところに煙は立たぬ――まことしやかな言説は、つまり火種をくべれば勝手に広がると言っている。その火種が嘘か誠かは二の次だ。
 己の有様を賭けてそのように語る詩匣屋・無明(百話目・h02668)へ、玉巳・鏡真(空蝉・h04769)は不機嫌に下唇を尖らせる。
「若者を利用して悪だくみとは、性根の腐ったヤツもいたもんだ」
「火のないところに種を蒔くのは、わしも覚えがあるからなんとも言えんのう、ワハハ!」
 匣は黒々としているが、悪辣なばかりではないと鏡真は知っている。
 むしろ|記憶《中身》がごっそり抜けた感のある己の方が自信を持って『正義』です、とお出しできないまでありそうだ。とはいえ、鏡真と接した者は大抵「誠実」という好感を抱く。自分の視点と他者の視点は斯様に変わる。
「しかし、奴の性根の悪さはやり口から窺える」
 自省を終えたのを見越し、無明は話を再開する。
「その性悪さに誰かの人生が壊されるのは黙って見てられん。となればやることは一つ。行こうぜ|無明くん《義理の弟》。
「……そう急くでない、きょーま」
 匣の漂っていた所には、タートルネックの襟首を引っ張って「おお寒」と震える少年が立ちすくむ。


 ――授業開始のチャイムが響いたが、凜奈は未だ旧校舎の中にいる。
 先だって話し相手をしてくれた教師らが、抜けても大丈夫なようにしておくと請け負ってくれたのだ。

 ……にゃぁ。
 ……みゃあん。

「……聞こえる。ちっちゃい声だけど」
 猫と長年過ごしたので衰弱した声ではないと直感的にわかる。けれど場所が特定できない。
「にゃあ、にゃあん? どこかなぁ? 恐くないよぉ」
「そこにいた? 猫」
 不意打ちの呼びかけに対し凜奈は冷や汗だらだら。猫の鳴き真似で空き教室に侵入する所なんて見られていいものではない。
「いーい? あー……いないねえ……」
 横から進みでた少年は先に教室に入るとザックリと見回し机に腰掛けた。
 彼は、やや細面でこの年代の男の粗暴さからは程遠い見目をしている。性差の目立たぬ子供時代の幼稚さもなく、大人という人生マウントを取ってくる気配もない。そして女子グループの異物排斥の息苦しさからも程遠い。
「あなたも探してるの?」
 だから到って話しかけやすい。
「猫の鳴き声なんて聞こえないって誰もが言うけど、確かに居ると思うから」
 無明はチッチッチッと唇を尖らせて猫を呼び、でてこないのに目を伏せた。
「そう! みんな知らないって言うの! ……まぁみんなって程、友達いないけどね」
 やっと見つけた同類に瞳を輝かせる。都合の良い存在を演じられているとも知らず。
「友達がいないから浮かない顔をしているの? いじめられてるとか?」
 ハンカチで埃を拭いてから座るよう勧めた。紳士的な態度で好感度を稼ぐのと、長話をしやすくする為だ。
「悩み事があるなら言ってごらん。似たもの同士の誼でさ」
「……居場所がないの。大好きだったお婆ちゃんが死んでしまって……だいっきらいなお父さんとお母さんと暮らすのなんてうんざりだよ」
 どうやら|男《・》が彼女に『祖母は死んだ』と吹き込んだ、そこまでは仲間からの情報でわかっている。
「でもね! この旧校舎にいる猫を見つけたら、間違った選択肢……ううん、人生から抜け出せるの」
 選択肢という物言いは先ほどの転校生に他力本願だと言われ避ける。
「つまり今は不幸だけど、猫が人生を変えてくれる、と。不思議だね。学校にある伝説とか? 教えてよ」
 あれだけ噂話が伝播することからもわかるように、人は|知ってること《・・・・・・》を誰かに話したがる。
 だがどうだ、凜奈は「あ」とか「う」と口を開くも言葉が出てこない。
(「精神的操作か……さてさて、怪異の仕業かそれともスミスの暗示なのか……」)
 かたり、と床が鳴った。無明は足音の主に「きょーま」と懐くように呼びかけた。
「ここにいたのか、無明くん。ああ、はじめまして、俺はこいつの|兄《義兄》玉巳鏡真だ。転校の挨拶に来たらはぐれてしまってな。失礼はなかったかい?」
「いえ。あの……猫をはじめて聞いたっていう人がいて、嬉しくて」
 成程そういう路線かと鏡真も話を合わせる。
「そうか、無明くんと同じく君もよっぽど耳がいいんだな。皆が聞き漏らしてしまった声を、君だから聞き届けることが出来たんだ」
 真っ直ぐに言われて凜奈は頬を赤くした。
「猫もきっと見つけて欲しくって、一生懸命に鳴いてるに違いない。俺も一緒に探させてくれないか?」
「もちろんです。無明くん……って言うんだね、探そうよ。2階はまだ見てないよね? 行こう!」
 パァッと顔を明るくさせて駈けだしていく。
 だが、
 それも踊り場までであった。
 2階へと踏入りかけたその時、凜奈の息が荒くなり瞳に鬼気が宿った。
「猫、猫、猫に遭えれば、あたしの人生は書換えられる。間違い、間違い……ううん、違うの。書換えるとかそういうのじゃない、あたしの人生はあたしが選ぶべき……」
 先に接触した|√能力者《友人》の投げかけで、辛うじて正気を保っていられる様子。
 無明と鏡真は目配せ、鏡真が凜奈を抱きかかえて階段をおりる。無明は2階にあがり、暗がりに吸われる廊下の先を見据えた。
 ――いる。
 言葉で人を翻弄する匣だからこそ、その先に潜む怪異の存在がそれはもう明瞭に突き刺さってくる。もしも凜奈がひとりでそこを訪れていたら? スミスの悪趣味な実験が成功していたやもしれぬ……。

 一方、鏡真に抱きかかえられた凜奈は1階に降りた所で正気を取戻した。
「すまない。目眩を起こして倒れかかったので……」
「……いえ。もう大丈夫です」
 腕からおりて蹌踉ける少女に手をかしながら、真っ直ぐ見据える。
「君は先ほど、自分の人生は自分で選ぶべき、そう言っていた」
 ……話の接ぎ穂が強引だろうか、そう迷うのは一瞬で鏡真は構わず唇を動かし続ける。
「……ならば、入院しているお婆さんに逢いに行くのはどうだろうか? とても喜ぶと思うのだが」
「――え?」
 もっとさりげなく伝えたかったのだが、それでは思い込みは崩せない。スミスの怪異に触れた今ならば暗示を覆せるやもしれぬと賭けにでたのだ。
「お婆ちゃん、生きてるの? でも……あの、ひとが、死んだって言ったし……生きてるのが、本当? あたしの中に本当がふたつある……」
 ふっと電源が落ちるように凜奈は気を失った。ヒヤリと焦るも、吐息で胸が上下しているし、精神汚染の兆候もなし。
「一旦ここからは離そう、場が悪い」
 降りてきた無明に頷いて、再び抱きかかえた。
「ああ。保健室に運ぶとしよう」
 強固なる暗示は、√能力者らの働きかけでいまや崩壊寸前。事実の論拠をもって解けば、祖母が生きているという真実に戻れる筈だ。

神谷・浩一


 ――現実を見せるにおあつらえ向きな者とは?
 権威を有し、考える前に事実をつきつける強引さも必要かもしれない。だとすれば、まさに神谷・浩一(人間(√汎神解剖機関)の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h03307)がうってつけだ。

 カーテンの隙間より保険医が顔色を窺うのと凜奈の目が合った。自身が気絶し運び込まれたと自覚するやいなや、浅黒く焼けた大柄な男が入って来た。
「よぉ、ちょいといいかい?」
 身を屈め極力威圧感を消し口端を持ちあげた。
 内心は、テリトリーに踏み込んできた連邦怪異収容局の阿呆への厭気で一杯なのだが、そんな事はおくびにも出さない。それぐらい、あらゆる他人より証言を集めてきた手練れの警視庁異能捜査官《カミガリ》には朝飯前だ。
「はい、あの……おじさんはー……」
 黒い警察手帳を見せて名乗る。その時点で相手が怯えるのもいつものことだ。構わずに砕けた口調で切り出した。
「平本さんに話を聞きたくてね。親戚のお婆ちゃんのことなんだけどー」
 凜奈を引き取っていたのは曾祖父の年の離れた妹なのだが、便宜上今まで通りの『祖母』と記す。
「……ッ、お婆ちゃん」
 混迷に額を押さえる少女に対し、浩一は頭を掻く。
「ちょいきびしい事を聞くが、大事なことなんでな……協力をお願いするよ。なぁ、婆さんが亡くなった時の状況を聞かせてくれ」
「! お、ばあちゃん……」
 思い出したくない! 今朝の自分ならそう突っぱねただろう。だが今は違う。凜奈の中で『祖母が死んだ/いやそれは嘘だ』と2つの真実がせめぎ合っているからだ。
「あれは、冬休みに入ってすぐです。バスに乗って街に買いだし出たんです。雪がすごく積もってて、溶けかけて滑りやすくて……」
「うん、うん」
 手帳を開きメモを取る素振りで先を促す。
「車が雪解けの泥水を跳ねて、お婆ちゃんが避けたらバランスを崩して――…………」
「崩して?」

“アイタタ……リンちゃん、手を貸しとくれよ”
“お婆ちゃん、大丈夫ー?”

「……お婆ちゃん、腰を打って立てなくて。無理に立たせるわけにもいかないし、どうしようってなってたら、通りがかったお兄さんが救急車を呼んでくれたんです」
「うんうん、平本さんと転んだ婆さんは話しをしてたんだな。それで? 救急車が来て、家族のお前さんは一緒に乗ったんだろう?」
 凜奈は虚空を見据えて頷いた。そこにはあの日の情景が蘇っているのだろう。
「……病院の人がうちの親に電話して、お母さんが新幹線で来たの。夜になっていて」

“リンちゃんね、なんにも食べてないんだよ。なんか食べさせてやっとくれ。これがうちの鍵さ”
“わかりました。おばちゃん、大丈夫ですか?”
“腰をやっちまったよ。しばらく入院だって……リンちゃん、お母さんの言うことを聞くんだよ?”

「お婆ちゃんは、鍵をお母さんに渡してた。病院の前にコンビニがあるからそこで色々買ってタクシーでお婆ちゃんちに帰った……」
「成程ぉ、転んだのは災難だったが、頭を打たなかったのは不幸中の幸いだったなぁ」
 わざと間延びした物言いでくるりとボールペンを指でまわした。猫の子のように吸い寄せられる双眸へ、最後の一押し。
「頭は打ち所が悪いとお陀仏だからな」
「お陀仏は、死ぬ」
「婆さんは生きてるからお陀仏じゃねぇよ。転んですぐも色々話したんだろ? 生きてる生きてる」
 そう、なんてことなく断言する。
「だが、新学期が始まるまでに退院は無理だったと。それで、両親の元でこの学校に転入したんだな」
「やだ! あたし、ばあちゃんのとこに戻りたい! 生きてるなら……生きて……あ、あれ?」
 ほろりほろり、鱗のように涙がおちて止らない。
「ばあちゃん、生きてる、生きてるんだ……ばぁちゃああん……ッ」
 ――ここでの仕事は終わりだ。平本凜奈を誤りのない現実に引き戻せた。あとは怪異に触れさせぬよう取りはからえばよい。
 パシッと膝を打ち浩一は立ち上がる。
「春からどうするかは、親や婆さんと話し合うこった。取り急ぎ、今度の休みにでも見舞いに行ってやれ。それが一番の薬にちげぇねえ」

千桜・コノハ


 眉目秀麗なる千桜・コノハ(宵鴉・h00358)は難なくクラスに潜入成功した。
 この年頃は男女交際がどうのとの目覚めがまだの子も多い。お陰でさしたる注目も浴びず、均に接触できた。
「ねえ、はじめまして」
「あ……ええ?」
 なんで自分に話しかける? という驚きが顔に書いてある。
 だが朝方に話しかけてきた奴が「気軽に手を取れ」と言っていた。だから勇気を出して均はコノハの手を取った。
「なに? 距離近めの人?」
「ひぃぃ! ごめんなさい!!」
 物理的接触とは違う意味だったようで。
「いや、いいけどね……」
 背もたれをかき抱き、コノハは均と対話モードに入る。
「……あ、あの」
 ごくんと生唾を呑み込む均は明らかに緊張している。だからまずは他愛もない話から振っていく。
(「……八つ目の不思議ね……その不思議って本当なのかな」)
 コノハからは廃校舎に誘導されているようにしか見えない。
(「だったら行かせないほうがいいよね」)
 行動指針は決まった。
「ねえ、それー……」
「ああ、はい。ぼくのスマホですよ。女子人気のPponではなくですねぇ……」
「動画って見れるの? ……例えば、恐い奴、とか……」
 家庭の事情でスマホを持っていないと告げたなら、オカルト動画を流し出す均。確かにアクセスが爆速である。
「すごいね。オカルト詳しいんだ。僕も実はオカルト好きなんだ……が、学校の七不思議、とか……子供っぽいかな……」
 恥ずかしそうに頬を掻いて、思い切って秘密を打ち明けた風情を醸し出しておいた。同好の士を見つけたならば、このタイプは食いついてくるはずだ。
「ふっふっふー、千桜くんに残念なお知らせと、とっても良いお知らせです! 実はぁ、この学校の七不思議は子供騙しなぜーんぶニセモノなんですよ!!」
「……えっ? 全部嘘なの?」
 莫迦正直リアクション。だがコノハ自身はそろそろこの猫被りに飽きてきている。
「そう! けど良いお知らせがこちらでーす! 実はですねえ、八つ目の不思議があってですねえ。それはー、旧校舎にぃー……」
「あ、八つ目の不思議知ってるよ。実は、父さんがこの学校の出身でね」
 ぽっきんと話の腰を折り、固まった均の肩をぽんっと叩く。マウント取りなんていう悪意はなく、あくまで友情からの打ち明け話だ。控えめに微笑んで耳元にひそひそ。
「堀くんにだけ特別に教えるね? ――化学室」
「……の、動く人体標本は嘘ですよ」
「動く人体標本って生物学室にあるものでしょ? 化学室にあるのはね“喋る骸骨模型”だよ。傍目には生きてる人に見えるけど、実は――……ってやつ」
 雰囲気たっぷりに語ってからぶるりと身震いして、真正面に戻る。
「僕じゃこのネタは身に余るからさ。この学校のオカルトに詳しくて霊感鋭そうな君に任せるよ」
「え、ぼくってば霊感が鋭いんですか?」
「鋭いと思うよ。あと、情報収集力も高いね。尊敬するよ……だからこの八つ目を君に託すんだ」
 そろそろ被った猫がずれ落ちそうなので、曰わくありげに頷いて席を立つ。
「堀くん。八つ目の不思議を頼んだよ」
 新しい餌を与えれば食いつかずには居られないだろう。これで気が逸れる筈だ。

風楽・凩


 風楽・凩(気まぐれな風・h02513)は本館隅っこの化学準備室をまんまとせしめてプランをねりねり。
 汚れた鏡には、小綺麗なスーツに銀縁メガネ、真っ赤な口紅もお留守番の到ってつまらな……真面目な青年が映りこむ。
(「落ち着かない! いや、これも新たな楽しみのためだよ!」)
 調べた七不思議でどう均を釣ろうか考えていたら――。
 がららっ!
 ノックもなしにドアが開けられて、ナギはくるりと回転椅子で振り返る。
「……ッ! ひっ! 喋る骸骨が本当にいた!」
 噂をすればやってきた。
「失礼だなっ、君は! こんなにぴっちぴちの骸骨がいるわけないだろ?!」
 わぁ、思ってたより楽しいスタートだー★
「なぁんて……ヒヒヒ、バレちゃあしょうがない。君を喰っちゃうぞー」
 腕をしゅるりと絡めて招き寄せ、ついでに背後のドアを閉める。
「ぎゃあああ!」
「うそうそ。ようこそ化学準備室へ。今日よりしばしここの主となる臨時講師の風楽だよ。気軽に|凩《こー》ちゃん先生と呼んでよ。それで? 喋る骸骨って何かな?」
 真面目にやろうと思ったんだけどなー、まぁこっちの方がやりやすいから結果オーライ。
「凩ちゃん先生はオカルトに興味がおありで?」
「好きだよー。楽しいと思えることは全部好き」
 嘘0%、ガチの同志と踏んで均は身を乗り出し語り出す。
(「八つ目の七不思議『喋る骸骨模型』って、他の仲間が別の話に誘導したっぽいねー」)
 ――現時点では、まだ仲間の誰1人『旧校舎』が怪しいと辿り着けていない。
 仲間が別方向から手をつくし場所の割り出しが為される公算は高い。
 だが確定ではない。
 ならば凩は己のやり方でベストを尽くすべきと考える……まぁ、騒動がある方が面白そうって気持ちは儘ある。
「……ぼくが知ってる『八つ目の七不思議』はここじゃないんですよねぇ」
「え、どこどこ?!」
 |当然食いつく《ブラックバスする》凩。
「旧校舎……なんですけどー」
「行こう! 大丈夫、多少授業に遅れても僕の案内をしていたで通してあげるから」
 軽々に急き立ててはいるが、有事には身を挺して庇う覚悟は完了。凩の持つ√能力の相殺は逃がすにも打って付けなのだ。


 吹きさらしで冷え込む渡り廊下を渡り、均の先導で歩いて行く。
 その間、彼は声音を下げて自身が夢中に『八つ目の七不思議』を語ってくれる。
「取り壊しの決まった旧校舎で、40年前に成績もなにもかもが最底辺の男子生徒が首を吊って死んでるんですよ。そいつの呪いが掛かってるそうです」
「怨念からの幽霊ね、あるあるだね」
 幽霊の凩からすると、世間話レベル。
「! あるあるってぐらい凩ちゃん先生はオカルトに詳しいんですか?!」
 旧館の階段踊り場で腕をぶんぶんさせる均に、凩はわざと鷹揚に頷いた。
「じゃじゃじゃあー、取り壊し自体は10年前から出てたんですけど、工事担当者がみんな何故か断わってるっていう曰く付きっていうのもー……?!」
「そりゃあ地縛霊なら呪いのひとつやふたつを起こして抵抗するだろうねー……おっとッ!」
 2階にあがりかける均の腕を素早くつかんでひき寄せる。
(「――いるね。そして|本物《・・》だ」)
 おぞましい気配より場所の目星はついた、が、均が行くのはマズいと直感が告げる。スミスは既に仕掛けているようだ。
「凩ちゃん先生、なんて止めるんですかー! ぼくは動画でドッカンドッカン当てて働かなくていいようにしたいって言ったでしょー」
「動画なら僕を撮らせてあげるから、ね?」
「はぁ? 先生を撮って何になるんですかーー!」
「……君の霊感ってば実は節穴だねぇ」
 はっはっはーっと笑って、さてなんと言いくるめようかと思案していたら、下方よりか細い少女の声がした。凩は瞬時に彼女が√能力者と把握する。
「おやおや、誰かが迷いこんだのかな? 放置する訳にはいかないね」
 片目を閉じてしたり顔。均が降りだしたなら、後ろから仲間に向けて、上階指さし小さくバッテン合図を送っておく。

春日・陽菜


 タロットカードの正位置と逆位置は同じ事象の裏表。もしくは、ほんのちょっとした気づきや助けを得てネガティブがポジティブにくるり。
『運命の輪』
 逆位置を正位置に変える一匙の切っ掛けになれればいいな。悲しい人は見たくないもの。


「ひなね、迷子になっちゃったのよ」
 旧校舎の2階から、 春日・陽菜(宙そらの星を見る・h00131)はそおっと囁いた。ちっちゃな声なのにきちんと均と仲間の耳に届く。
「お出口教えてほしいな」
 少女が迷い込んだ疑問が形為す前に、化学教師を名乗る彼が均を陽菜の方へと押しやる。彼は上を見てくると告げてさっさといなくなった。
『玄関まで送ればいいですか? まさか、その見目で超天才飛び級中学生とか?』
 探る視線にはことりと首を傾けて均の腕にそっと指を添える。
「ひなね、七つの不思議を探していたらここにいたの。階段の数が変わるのってここかなって、数えていたのね」
『どうでした? 変わりました?』
 食い入るように眼鏡越しの瞳が見開かれる。
「話しかけたら忘れちゃったの」
 愛らしく頬を掻き、だから手伝ってと階下をゆびさした。
「お兄さんは……」
『堀です、堀均です。手伝いますよー! あ、動画まわしますね』
「ひなは映さないでね、恥ずかしいから」
 均は1階から踊り場、陽菜は2階から踊り場、階段を数え上げて踊り場で入れ替わる。確認するようにそれぞれ数えて、また合流する。
『……残念です、同じでした。あー、やっぱり7つはニセモノなのかなぁ。8つ目は2階にー……』
 2階を見上げる袖を引っ張って大きな眼に疑問を目一杯に浮かべてみせた。
「ひなね、不思議なの。なんで学園の不思議は7つなのかなあ?」
『そうですよね! 実は8つ目があってですねー……』 
「8つでも9つでもいいと思うのよ」
 !
『9つ目があるんですか? ぼくは8つしか知らないですけど!』
「ふふふ、ひながこの話をして笑わなかったのは均さんが初めてなの。嬉しいな。均さんは8つ知ってるの? すごいすごい! 均さんも素敵な感性してるのね」
 今度は二人で1階までの数を数える。その間も、ひなの微笑みと言葉は溢れるままに。
「……でも、逆に言えばどうして9つじゃないの?」
 とんっと1階に降りた少女を均は穴が開くほどに見据えた。
「学校の怪談は、不思議への憧れからでてきたものだとひなは思うの。今だって、一緒に階段を数えて楽しかったあ。けれど……」
 髪をくるりと指に巻き付けて、陽菜は子供ばなれした憂いを容に浮かべる。
「憧れは7つまで。どの学校でも不思議は7つ。だから均さんの知ってる8つ目って……本当の怖いものじゃないのかなあ?」
 ――桜色の双眸に射貫かれたように、均は息を呑み立ち尽くす。
 優しくて、救ってくれそうで――。
(『とても、強大』)
「それって、均さん、まずいのよ。きっとね、食べられちゃう」
「……」
 つながる。
 今朝から声をかけてくれた人達の|理由《わけ》が。
「ひなね、バズらなくてもハズレばっかりでも、生きていくのが一番だって思うのね」
 大きな瞳を縁取る睫がぱちりと弾けて心配そうに覗き込んでくる。
「ひなの2番目の保護者さんが、そう言ってたのね……もう、いないんだけど」
「愛おしめるけれどこの世にいない保護者と、ストレスばかりを与えてくるけど生きてる親――どっちがいいんでしょうね」
 思わず口走ってから「ごめんなさい」と慌てて謝る。少女はふるふると頭をゆらした。
 均は旧校舎の出口側へと一歩踏み出し、陽菜を手招いた。
「……不思議なことが起きたんです。今朝『人助けが趣味な人が関わってくる』と言われてですね……多分、3人来てます。陽菜さんが3人目ですね」
 スマートフォンを翳すと均は動画を消して見せた。
「これは他の人にバラしたくないです。今まで生きてきて初めての“特別”ですよ。いえ、生きていることが特別っていうことなんでしょうかね、あってますか?」
 頷くのを確認してから澱みの渦巻く旧校舎から出た。太陽が心地良く瞳を灼く。
「均さん、ひなとお友達になってなの……ひな、助けるのね」
 友達だからと花唇を綻ばせる少女は、お日様より更に眩しい。
「じゃあいつかぼくも、助けられるといいなぁ。お友達の陽菜さんを」

満戯・夕夜


 20歳というのはあくまで見目と釣り合う便宜上の年齢だ。満戯・夕夜(愛しき桃を護る蜘蛛・h05468)は、数多の年月を封印されてきたので人間の尺度で測るのは難しい。
 愛する人と同じ誕生日で同じ年なのは照れくさいので内緒。
 そんなわけで、中学生と話を合わせる自信はない。だから新入り職員として『用務員室』に向かう。
「おはようございます、力仕事があると聞いてお手伝いに来ました、満戯です」
 振り返ったのは、大柄で頬がぽちゃっと膨れた中年の男性だ。なにかスポーツでもやっていたのか腹も出ていない。
『……校内の事はわかる? 手分けしよう』
 バケツとモップを手渡してくるのを見て、夕夜は首を横にふる。
「一緒に回っていいですか? 仕事の仕方をちゃんと憶えたいんです」
 まず話が聞きたい、だから人好きのする笑顔で自分のバケツとモップを用意すると隣に並んだ。


 用務員は新館へと歩き出す。先ほど逡巡が見えたので、まずそれを問う。
『あー、私も三学期から来たばかりでしてな』
 奥の銀歯をチラ見せしつつ、ついーっとモップで拭き掃除。
『まぁこんな感じでピカピカにしてもろて、満戯くんにはここ全部を頼むね。私は汚れがひどい建物に行くから』
「……わかりました」
 おかしなことは言っていない筈だが、なにか引っかかる。
 旧館側へ向かう背を見送り、夕夜は神速で床掃除を済ます。体力と家事には自信があるのだ。


 新館で、特に目につく落書きはなかった。2年生の教室の一部が騒がしかったのは、仲間が転校生として潜入したからだ。
 文句の付けようもないぐらいに磨きながら、殊更盛り上がる1年生の教室へと向かう。
 夕夜の話運びが上手いことが功を奏し、七不思議の話にあっさりと辿り着けた。『トイレの花子さん』辺りは自分と同じく厄災が元になっていそうだなとは思うものの、今回は関係なさそうだし流す。
「旧校舎でショーワに自殺した人がいてね。そいつが化けてるらしいよ!」
 仲間であるゾーイの授業で盛り上がったクラスの生徒だ。同様の情報を得ると、夕夜は浮かぶ疑問をそのまま口にする。
「ねぇ、おじさんの用務員さんがいますよね、1月から来ている人なんですけれど……話したことありますか? 僕は今日からその人の下で働くことになるんですけれど、どんな人かなぁと知っておきたくて」
 生徒達は顔を見合わし首を振った、1人以外は。
「あ、話しやすいおじさんですよ。用務員室でジュースもらったことあります」
 そう口にしたのはオカルト板から『八つ目の七不思議』を知った女生徒だ。
「うわ、そういうの良くないんじゃないのー?」
「エロ目当てだよ、やっば!」
「えぇ? おもしろいオッチャンだったけどなぁ。ゲームやらせてくれたり、あ全部ホラーゲーム」
 なんだその偏ったチョイスは。
 チャイムが鳴り響き、授業開始と皆が急ぐ中、ごめんなさいと断わって彼女だけに残ってもらった。
「次の担当の先生はどなたでしょう? 僕から謝っておきますから、もう少しだけ」
 クラスメートを見送る少女の目は何処か冷めていた。
「次は担任のHRです。だるいんで、ちょっとと言わず引き留めてくれていいっすよ」
 昇降口まで歩を進め鉄の板に凭れ顎をもちあげる。
「集団は苦手ですか?」
 人は集ると災厄なんぞより怖ろしい事を平気でしでかす。責任の所在が曖昧になるからだろうか――嘗て殺されかけたので身に染みている。
「人と同じ事するのは苦手かなー。用務員のオッチャンもそういうのにリカイあるからーラクだよ」
「あなた以外に用務員室に来ていた人はいますか?」
「いたよー。男と女の先輩を見たことある。私はぶっちゃけふかーい事情なんてないけど、女の先輩は暗い顔でよく来てた。お昼も買って来たパンやお弁当を持ち込んでー……あー、お弁当作ってもらうのに親ムカツクって舐めた口聞くなぁとか思った」
 ピンと来て平本凜奈の外見を連ねたら「そんな感じのヒト」と返事がきた。
(「用務員室に、平本凜奈さんは入り浸っていたんですか……」)


 用務員と合流した後は、放課後まで極力離れずに行動をした。
 何処かやりにくそうにしているのは、居場所のない生徒らをこっそりと迎え入れているからだろうか? ならばその理由を潰す。
「用務員さん、ここでお喋りしたりゲームしたりが拠り所になっている生徒さんもいるんですね。優しい、尊敬しますよ」
「……あ、ああ、内緒だよ。事情を抱えている子もいるからね、昼休みに来たら席を外しとくれよ」
 相変わらず「どっかにいけ」と厭気まみれの瞳をしているが、夕夜はどこ吹く風だ。
(「今日は用務員さんから目を離さないようにしておきましょうか」)
 ちなみに昼休みに凜奈も均も来なかった。√能力者との会話で彼らなりの道を見いだせたからだ。

夏之目・孝則
山野辺・雅


「こうすれば大人っぽくみえるです?」
 手鏡に映る山野辺・雅(夏之目書店 お掃除係 | 夏之目 孝則のAnker・h02476)は、いつものおさげを解きふわふわぁ~とお姫様スタイルである。
「おおきなお姉さんはお化粧しているのです? 雅ちゃん、お化粧道具は持っていないのです……」
 しゅんっと俯くお日様色の髪を編み直すのは夏之目・孝則(夏之目書店 店主・h01404)の指である。
「雅ちゃんは、このおさげがトレードマークです。けれど少しだけお洒落も入れてみましたよ」
「! あ、髪にキラキラ、これはリボンです?」
 編み込まれた淡い緑のリボンはシックなワンピースと同じお色。雅はむふーっと得意げに胸をはった、お気に召したようでなにより。
 学校への潜入捜査、危険もある。が、孝則が√EDENに歩いてきたら、傍らにはいつも通りに雅がいた。
 なので学校にはこう通達済だ――雅はある事情で精神のリハビリ中。学校生活は孝則が近くにいる必要がある、と。


 転校生に小柄な少女が紛れていたのにB組生徒の顔に驚きが浮かぶ。
(「……なんか知ってる学校と雰囲気が違うなのです」)
 画一的な机の並びに目が眩む。
 一緒に紹介されている人たちも「仲間」だと孝則から聞いている。そのひとりがすぐに話に行ったので雅は一旦様子見と教科書を取り出した。
(「雅ちゃん、九九はばっちりなのです みんなとお勉強なのです!」)


 職員室の一角で、孝則は雅と似た感覚を抱く。
 √EDENの学び舎とはどのような場所かと胸躍らせていたのだが……型に嵌めた工場生産品めいた印象が強くなる。
 この世界では、自分で|動画《キネマ》を作り見せて有名になるのが流行らしい。有名になれば襲いかかってくる誹謗中傷は√妖怪百鬼夜行の非ではないとも。
(「石持て打つのに身分はいらず、ですか」)
 いけない、役目を果たさねば。
「雅ちゃん、夏之目先生もご一緒じゃなくてよかったんですか?」
 2年B組でホームルームを済ませた女教師に話しかけられた。
「ええ。次年度からはもう某が一緒でなくても大丈夫そうです」
「夏之目先生ってカウンセラーっぽいですよね」
「某は書に溺れていられればそれで佳い道楽者です。綴られる前の話も好みますけれど……例えば怪談話ですとか」
 会話を流しつつ、合間合間に探りたいことを挟み込む。
 孝則は、スミスは外から眺めるだけではなくて内部に入り込んでいると読んでいる。暇つぶしとは言え経過を観測するのが実験だからだ。
 凜奈の祖母の転倒事故にスミスは関わっていない。だが『祖母死亡』の誤認の不自然さには介入が疑われる。
 職員室で3時間目まで聞き込んだがそれ以上の進展はなかった。
(「雅ちゃんの様子を見に行って、カウンセラーとやらに話を聞きに行きましょうかね」)


「先生のお話が難しすぎたのです……」
「お疲れ様です。無理はしなくても大丈夫ですよ。堀さんと仲良くなっていただければ充分です」
 廊下にて、おめめぐるぐるの雅を励まし最後の方は声を潜める。
 雅はこくりと頷くと教室へと戻った。心強い背中を見送ってから、カウンセリングルームに足を進める。

「そうなんですよねぇ、B組にはお話したい子がいるんですけれど逃げられてしまって……」
 頬に手をあてため息をつくのは柔らかな雰囲気の男性カウンセラーだ。
 雅ちゃんをよろしくお願いしますの流れから、クラスメートの話を振った所、出て来たのが冒頭の台詞だ。
「逃げられる、とは? 某が何かお手伝いできるやもしれません、差し支えなければお聞かせ願えますか?」
 逃げられることへの愚痴、それこそが孝則の欲しい情報である。
「……どうもね、私なんかより生徒の人気者がいるようなんです」
「ほほう、先生……ではなさそうですね。思春期は大人が敵に見えたりもするものですからね。教師は権力側ととられるからなおさらです」
 いつか雅ちゃんもそうなってしまうのだろうか? それは寂しいなぁ、などと、天真爛漫で聡い娘の笑顔がよぎる。
「本来は先生や親御さんに敵愾心を抱く子の心を解くのが私の役目なのですけどね」
 柔らかなソファでクッションを膝に苦笑い。
「用務員のおじさんの方がウマが合う子もいるみたいです。いっそ彼と連携して当たろうかと作戦を練っている所です」
「用務員の方……ですか?」
「ええ、3学期から来てる方なんですけど、昼休みや放課後はレトロゲームが遊べるって、一部生徒のたまり場になってるんです」
 ――3学期から赴任、凜奈をカウンセリングから引き離している。
(「怪しむなと言う方が無理ですね」)
 話をきりあげ廊下に出た所で、貸し出された端末がポケットで震える。とりだせば硝子の板に仲間からの情報が並ぶ。
 その中に『用務員、あやしいです。目を離さずにおきます』とある。これは任せた方がよさそうだ。であれば向かう先は雅の元となる。


 B組の教室で雅はため息をつく。均と話す機会もなく彼は教室から出てしまった。
(「もうひとりの平本さんもいないのです」)
 お役に立てないとしょんぼりしていたら、均が戻ってきた。後ろに雅より更に幼い少女がついていたが「お願い」と言いたげに手を合せて去っていく。
「! 均くん、お話いいです?」
 ててっと駆け寄り、書店から持ち出してきたとっておきの怪談本を差し出す。均はレトロな装丁におやっと目を丸くした。
「すごいですね! ちっちゃいのにこんなに難しい本を読むんですか? わぁ旧仮名遣いですか、これ」
“帝都タワアから墜落案内ガアル、亡霊と化す”
 おどろおどろしいカキモジにぎゅううっと目をつむる雅。
「均くん、お化けに詳しいなのです? 色々話を聞きたいなのです……」
「……無理しなくていいんですよ」
「これより恐くない話を聞きたいのです!」
 均はぷはっと吹きだしてしまう。
「そうですねぇ……怪談話が本物だったかもって話を聞きますか?」
「はい、聞きたいのです!」
 ――垣間見た“真実”を身振り手振りを交えて語る均、愛らしいリアクションが大きな雅。いつしかクラスメート達が興味津々で集ってくる。それは均が夢にみた「自分が中心になること」ではなかろうか。
 群衆の中には平本凜奈の姿もあった。手にしたスマートフォンの中では、週末に祖母に逢いに行く約束が結ばれていた。
(「……ここもお邪魔しない方がよさそうですね」)
 立ち寄った孝則は教室に入ることなく旧校舎の方へと向かう。√能力者として成すべき事を成す時は近い。

第2章 集団戦 『シュレディンガーのねこ』


●|用務員:大輪・道伸《リンドー・スミス》の憂鬱
 彼らのことを便宜上『正義』と括ろう。
 正義の√能力者が学校に現れ数時間、ある生徒のルーチンワークをあっさりと破壊した。その手際は実に見事だと言わざるを得ない。
 女生徒は、孤独であった。少し背中を押せば絶望に向けて全力疾走をする程には視野狭窄に陥っていた。それ程に彼女は弱者である。スペアの彼も同じくだ。
 今回の実験を私の遊びとあげつらうのは愚かだ。何故ならば、多くの民衆を救うため、様々なデータが必要であることは疑う余地もない筈なのだから。
 つまり正義の√能力者は、全人類を破滅に押しやる愚かな手を打ったのだ。ああ、なんと嘆かわしいことか。

 作業着姿の大輪・道伸《リンド―・スミス》は非常に不愉快であった。
 この数週間、毎日毎日、含み綿の不快感に耐え、奥歯に貼った銀を剥がさぬよう、食す時にも気を使い、粗雑に崩す言葉の下品さにも耐えてきた。
 なのにどうだ、その苦労を√能力者達は午前中の短い時間で全ておじゃんにしていったのだ。
 ――やはりアテにできるのは、√汎神解剖機関にて練り上げた『猫』だ。
 平本凜奈を取り込むことは叶わなかったが、不安の生み出すネガティブな可能性は幾ばくかは喰わせてある。
 タネにした亡霊を鎮められたのは誤算ではあったが、猫がいればそれでよい。
 さぁ、上辺の正義に酔った√能力者達を、駆逐せよ!


**************
【マスターより】
 1章目にご参加いただきありがとうございます。
 リンドー・スミスを見事に炙り出すことができたので、凜奈と均が戦場に巻き込まれることはありません。
 存分に、猫と3章目でスミスをぶちのめしてやってください。
 2章目は「シュレディンガーのねこ」との戦いです。


>募集期間、再送のお願い
 4日の8時31分 ~ 8日の23時59分まで

 大変申し訳ないのですが、再送をお願いする可能性が高いです
 体調を崩さぬ限りは一度のお願いで済むようがんばります
 その点、ご了承の上ご参加いただきますようお願いします

>採用人数
 1章目に来て下さった方は全員採用の予定です
 2章目からの方も極力書けるようがんばります(流れたらごめんなさい)

>文字数
 1章目は調査、会話シーンのため長くなっております
 2章目以降の純戦は過去作と同じく800~1000ぐらいが目安になりそうです
(連撃いただいた分は上乗せします)

 以上です
 ご参加お待ちしております!
惟吹・悠疾


(「誰も近付かない旧校舎に怪異とはまたお約束な……まあ余計な邪魔が入らないと思えば好都合ではあるか」)
 調査結果が仲間の手に届き、|なんやかやあって《・・・・・・・・》二人の中学生は死を免れた。だからこういう下調べは手抜かりなくと、惟吹・悠疾(人間(√EDEN)の妖怪探偵・h00220)は心に留めている。俺の|anchor《大事なやつら》もそう考えてくれりゃあいいんだがなぁは希望的観測が過ぎるか。
『うんにぁあ』
『みゃあん』
『ひゃっ!』
 匣詰めの猫どもは次々に溢れては高く低く鳴いている。
「丸腰だから攻撃してこないのは助かるが……反面、どんどん倒しづらくなっている気がする」
 学校に刀や棺桶を持ち込むのは気が引けたので、探偵事務所からの転送オーダーを出してはいるがナシノツブテ。
 舌打ちし悠疾は机を押しやり隅へと逃れる。
『ふしゃあ!』
 焦れた猫、飛び込みからの鉤爪引っ掻きだ!
 ごいんっ!
 鈍い音と共に額にあたる圧と振動に、悠疾は肩の力を抜いた。
「――ッ、と、なんとか間に合ったかぁ」
 爪痕型のモザイクが突如現れた棺桶に刻まれた。此奴の攻撃は存在している可能性を消去するようだ。
【私、|アイテムをもらう側《異世界転移者》なんだけど】
 兄にだけは塩対応の優迦は、兄からの礼を待たずに切断した。
「おいおい、まだ仕事は済んでないんだが……」
 この猫が出て来たということは、√EDENから√汎神解剖機関に推移したとみて間違いない。更に異空間に放り出されるのはたまらない。
 悠疾は白い1匹に標的を絞り風牙の切っ先をアイスブルーの目に突き立てた。同時に身を翻し廊下に出た。
『ふぎゃあああぁ!』
 毛を逆立て喚くのをべろべろと横から舐める黒猫。じわじわと傷が塞がり、追跡も止めぬのは想定内。だから『安全確認頼む』と探偵事務所に新たな信号を飛ばす。
 ころん……っと、スーパーボールが幾つも転がっていく、全て消えない。大丈夫、|地続き《√はいっしょ》だ。
 がんっと棺桶を蹴り開けたなら機関銃が顔を出し白猫だけを火だるまにした。弾が切れたらすかさず別の銃のトリガーを弾く。掃射の隙にまた装填、旧校舎に弾丸の音と猫の悲鳴が響き続けた。
 だが、
 獣の悲鳴だけはやがて途絶え匣から白猫が消える。

風楽・凩


 用務員の朝は早い。花壇の水やりから校門前の掃き掃除エトセトラ。
「その上、昼休みには行き場のない生徒相手に話しのワカルおじさんムーブ、いやぁ、大変だねぇ」
 風楽・凩(気まぐれな風・h02513)は、ポイッとダテ眼鏡を外して放る。キュと指の腹で添えた真っ赤な紅が堪えきれずつりあがる。
「潜入捜査大変だよねー★ 尊敬に値す……ごめん、やっぱりお腹痛い……」
 捩れる腹は銀の鋲で飾られる。もう真面目な|凩《こーちゃん》先生は営業終了、ここからはいつもの凩だ。
 あふりと欠伸、まだお日様が空にいる。モノクル越しに見透かす先に未だスミスの姿はないけれど、わざわざ「聞いてるよねー?」と問う意地悪さは忘れない。
 空気が不機嫌に揺れた所でさてと対峙した先、匣に収りきらない猫の群れ。
「うわあ、悪趣味な猫ちゃんだねぇ……これは、凜奈が見たらショックで倒れちゃうよ」
 均と共に教室で歓談中と聞く。√汎神解剖機関に分岐した旧館に踏み込む前に片付けてしまおう。
 手ぶらで匣に近づく。白猫を失った匣の中、仲間の弾丸が余波でつけた傷はふさがりだしている。
 ――シュッ!
 その傷を穿ち切り開く。血染めのハチェットは凩の指を離れ虚空にて舞い踊る。
 一、
 二、
 凩の姿はない。
 しんっと凍てつく空間には足音も息づかいもなにも、ない。
 三、
 四――ハチェットは床に突き刺さる、と思いきや、引っ掻くようにもぎ取られ消えた。
『ふぎゃぁ!』
 五を数える前に、ギザ歯を見せた黄土の猫の喉笛がハチェットで掻き斬られる、返す刃はついでと言わんばかりに周囲の猫の目を潰した。
「おっと、お気に入りなんだから汚さないでよね」
 返り血を浴びぬよう飛び退き足元の机を蹴飛ばした。けたたましい音に3匹が釣られた、流石猫である。目潰しを逃れた黒猫だけが星空模様を揺らめかせ凩の姿を探すも、見つけられない。
 闇を纏う√能力はそもそも生命を失った凩には打って付けと言えよう。再び、匣猫の真横に潜むが見つかりやしないのだ。
 闇をつれ、ヒットアンドアウェイで遊ぶ。匣の中身が半分以上ぐちゃっとまざった所で眉間に皺が寄った。なんと醜いことか。
「燃えちゃえ」
 ラップ音めいた指鳴らし、不可視の炎で後始末。
(「人相手の方が楽しいんだけどねー。邪魔者排除は大事だよねー」)
 この本音はお口バッテン内緒ごと。

ツェイ・ユン・ルシャーガ
逢沢・巡


 旧館の階段をあがるしゃなりと伸びた背に、制服姿の少女が追いついた。
「……おお、お主が凜奈殿の心を柔らかぁくしてくれたのか。お陰で佳き邂逅となった。礼を言う」
 幾ばくかの会話の後にツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)が折り目正しく頭を垂れるのに、制服少女の逢沢・巡(散歩好きなLandmine・h01926)は、いやいやと手を振る。
「凜奈ちゃんが自分で選んだだけですよぉ。ワタシは単なる切っ掛けです」
「謙遜なさるな。始めよければ全てよしと言うであろう? お陰様で此処で我と話してくれた凜奈殿は、素直に泣いて己の心の澱を受け止められたのよ」
 ツェイからは巡の頬がどことなく赤らんで見えた。種族などを考えると気のせいなのかもしれぬが、それは些事。
「そりゃあ立派なもんですねぇ。誰かが用意した選択肢ではなく、自ら選ぶ事にした彼女を心の底から賞賛しますよぉ」
 拍手喝采の勢いでそう伝えたいなんて密かな願いを感じ取り、ツェイは笑みを深くする。
「……であればこの先に待ち構える猫を片さねばなるまいて」
「そうですね、自分で歩く事を決めた友達の邪魔をする猫は残念ながら跡形もなく消し飛ばすしか無いですよ……ねぇ?」
 がらららっと、わざと巡は勢いよくドアを開けた。その音に反し優雅に教室に踏み込むのは勿論ツェイだ。
(「ここから暫くはツェイさんのターンですよぉ、よろしくお願いしますねぇ」)
 匣詰めニャンコさんは生意気な面構え、だがそれすらまぁ可愛いと言ってしまえる巡は影に身を隠す。
『ぎにゃあ……』
『ぐるるるる、なぁん……』
 花束のようというには禍々しく、星空猫を中心に様々な猫が花開く。
「ふふふ、これは立派な猫だのう。色々な面構えをしておる。どれもこれも予想ほど臆病ではなさそうだが、愛らしいかというと……などとは無粋よの」
 開けたままのドアまで下がり、ツェイはちっちっちっと唇をとがらせ指で招いた。
「企ても半ばで挫かれたとあっては、お主も遊び足りまい」
『にゃあぅおおおおおおお~~~~ぅ!!』
 わぁんっと場がデタラメに反響し猫の花束が散った。長い声で嘶いた黒猫と骸猫がツェイ目掛けて飛び込んでいく。
 するとどうだ! 傍目には逆さま階段に瞬間移動! 空虚を抱いてべちゃりと猫が天上に落ちた。
「鬼さんこちら、ほうれ、猫は素早さが身上であろう?」
 漂う|残滓《・・》と入れ替わりが不思議のタネだ。
 即座に斜めに突き抜ける手摺を蹴ってうさぎのようにふわり。琴爪めいたそれは巻いた霊糸。綺羅のフリしてタチの悪いそれを絡めてすれ違う。
『ふしゃあ!』
 カッチン! と、歯がみの音。
 ――さァて、頃合い。
「ははは、どうした。お主らこそが得意な戯れであろうに」
 上階の蛍光灯を足元に袖で押さえてくつくつ笑う。弓にした瞳で獣を見下ろし悔しさを煽れば、ツェイの足元が夥しい揺れを得た。
「おや、これは……困ったのう」
 動きを止めて確実に喉を噛む、そんな獣の浅知恵ではツェイの仕込みを到底見破れない。
 くん――ッと、身が引き攣った猫2匹、牙が届く筈だった青年はまたまたかき消えて、代わりに調伏の炎が顎から口中を灼き荒らした。
『ギニャアアア!』
『ぎゃあ、ぎゃああぁん……』
「まことの猫であれば、もっと仲良う遊んで参ったのだがの」
 猫の後方にまわった筈が、もう姿形一切おらぬ。

 さて、ツェイが厄介物を惹きつけて教室を出て行った。全ては此方の意図を悟ってのこと、巡からすると非常にありがたい。
(「ニャンコさんはちっちゃくって可愛いですねぇ」)
 だから厄介なのだ。
 体重は人より軽い。故に対戦車地雷は勿論の事、対人地雷にも引っかからないかも知れない。瞳色の|影《闇》に紛れ、巡は糸端を咥える。
 一方の猫達は、キョロキョロしたかと思ったら急に虚空を見据える。鼻をひくひく、おみみはさながらレーダー……仕草自体は普通の猫と変わらないのが罪深い。きっと身軽で危険感知にも長ける筈、ならば全てに対応するまでだ。
「……よしっと」
 ぬらりと身を起こしたならば、白猫と黄土色の悪い顔した猫の瞳が巡に吸い寄せられる。
「おいでおいで~」
 机にもこもこの布を置いたなら、腕ごとべちんと叩く勢いで飛び込んでくる。
 そう、猫は床より高い所が好き――机にのったら、はい起動。
 頭がおかしいぐらいに詰め込まれた火薬が爆発、もこもこ布の中心部に集中攻撃も抜け目なくだ。
『ぎにゃっ!』
『ふみ? ……ぎゃおぉん!』
 仲間の悲鳴にカーテンにひっかかる爪をちゃいっちゃいっと外……せずに連続爆発。
 しゃわしゃわ揺れる布も好き――カーテン引っ掻いたら、はい起動。
 窓の外を眺めるのが好き――こんなこともあろうかと、外からぷらりと動く小鳥?ちゃんも仕掛け済ですとも!
 3秒ごとに耳を劈く爆発音、千切れて飛ぶ四肢や脳漿や他のなにか。それを慣れた素振りで視界に収め、巡は首をことりと傾ける。
「猫は9つの命を持っているって聞きますけど、跡形も無くなったら、どうなるんでしょうねぇ?」
 答え:どうにもならない。
 とうとう千切れる肉体もなくなって、猫は死んでしまいましたとさ。

静寂・恭兵
アダン・ベルゼビュート


 喫煙スペースにてまた一本。静寂・恭兵(花守り・h00274)は咥え煙草に火をつける。安っぽい缶の灰皿は茶色い錆が浮いた年期ものである。
 そんなに煙草とは美味いものなのかと、アダン・ベルゼビュート(魔蠅を統べる覇王・h02258)は手で頬を支え吸う様をマジマジと覗き込む。
「……リンドーが用務員として紛れ込んでいたのは少々意外だったな……そういう事は下っ端に任せて自分は高みの見物かと思ったが」
 次々と仲間が接触を図る中、ただの一秒も凜奈が一人になることはなかった。なにしろ二人は凜奈に接触してからこちらずっと影ながら護衛していた。
「用務員に扮していたとは……擦れ違っていた可能性も無いとは言い切れぬか」
 その瞬間を想像したら、覇王の喉が意地悪く鳴った。
「さぞや口惜しいかろう、凜奈の傍には常に俺様と静寂がいたのだからなぁ」
 ジュン……ッと灰皿の濁り水が恭兵の煙草を喰った。張り付いていた代償は、数時間の強制禁煙だ。体がニコチンを求めている。
「そうだな自ら出向いた結果がコレだとしたら腹も立つか……なぁ、リンドー」
 ああ、そこにいる。
 恨み言は全て耳にしていた。なにしろ|警視庁異能捜査官《カミガリ》は情報収集が肝なのだ。
「ククッ……静寂、我が同盟者よ、リンド―・スミスから見れば俺様達は大を救う為、小を犠牲にする覚悟も無い『上辺の正義に酔った√能力者』らしいぞ?」
 アダンが弄ぶようにトレースした台詞に、湿度の高い感情が溢れますます空気を濁らせた。そのみみっちさがまた覇王にとっちゃあ可笑しい。
「正義に酔うのも、悪だと自覚出来ぬのも、大概だな」
「俺様は後者が特に気に食わん。正義、悪? 如何でも良い」
 用務員に化けたままの男へ、アダンは芝居がかった所作で首を竦め首を振る。
「覇王として無辜の民を巻き込む事は決して許せぬ」
 ハッと空気を食むような笑いは恭兵のヤニ臭い唇からだ。
「リンドー、お前はやはり浅い。安心しろ最後まできちんとお前の作戦とやらを瓦解させてやる」
 黒い双眸が向いた先、うじゅると床をのたうつのは四つ足の獣たちだ。
「お前は上辺だけの正義とやらに負けるんだよ」
 衣擦れの音と共に、黒い手袋が柄を掴み銀色を晒す。跳ね上がる殺意に対し、リンドー・スミスは口端を持ちあげた。
『確かに、未だシュレディンガーの匣は開いてはいない。だからと言って貴様らの“sweets”のように紅茶では飲み下せぬ甘い認識が世界に通るとは努々思うなよ』
「強がりはもういい。ハッ! その獣をとっとと片付けて|謁見《・・》としゃれ込もうではないか。お片付けも出来ぬ輩なのだからな、仕方があるまい。謁見する側の俺様が力を振ってやる」
 ――刹那、匣から黄土色の顔を出し猫が灰燼と化した。
『フシャアァ!』
 だが猫もただやられるわけがない、これは怪異だ。凜奈が決して合閒見てはいけないものだ! アダンが差し向けた片腕目掛けて食らいつく!
「はんっ! これしきかゆいわ!」
 覇王たるもの、ここは畏怖を示す為に全く効いていないと表明すべきである。
「……ああ、本当にかゆい? 否、風が来た程度か?」
 首を傾げるアダンの双眸には銀が映りこんでいる。恭兵が翻す|曼荼羅《家宝》が猫の前足を斬りあげたのだ。
「やはりな、身を盾にするか……」
 嘆息混じりに引き金を弾き所作は投げ捨てるように無造作だ。だが星空猫の出鼻は挫かれた。
 そこにアダンの尖兵たる影が追撃を喰らわせる。猫の頭蓋が割れて内臓まで半分に割かれる。明らかに攻撃にのみ振り分けた無茶な戦い方である。案の定、隣で嗤う猫の牙がアダンの肌を食い破った。
 だらりと白磁の腕を伝う血液、アダンはその熱は感じられても痛みは全くわからない。
「爪でなければ貴様らの傷は治せまい? 憐れなる獣よ、この覇王は全てお見通しよ……」
 杭を振り上げてから勢い付けて突き刺してやる。恐怖を佚した覇王は自らが傷つく意味など知らぬ、ただ敵は屠る、それだけだ。
 一方で恭兵は痛みを知る、故に傷をつけるなどあってはならないとも気を割くのだ。
「……だからと言って噛みつかれて良い訳があるか」
 猛攻の盾となる|アダン《相棒》の頭をガシッと掴み無理矢理下げた。そうして立て続けに弾丸を撃ち込んだ。
 バチンッ! バチンッ!! と猫が弾けて質量を減じていったも、恭兵の気は晴れない。アダンという花を一片であれ取りこぼしてしまったからだ。
「苛ついているのか」
「……そんなにわかりやすいか」
 隣で笑うアダンはやけに無邪気だ。だがスッと容が引き締まる。
「貴様にばかり負担を掛ける訳にはいかぬ」
「その台詞はそのまま返すぞ、アダン」
 焔が場を明滅させるが、その先を見越して恭兵は刃を振り抜く。爪以外であれ、もう二度と血が流されることはあってはならない。
 ――気持ちが重なれば、即座に息が合う。
 アダンの傲慢なる一撃を、恭兵が繊細に刃で縫い止める。解れ目を見つけたと思い込む猫だが、憐れ焔で目を灼かれてしまうのだ。
 最期の1匹はただの的だ。死霊に自由を奪われ吊された所を杭が貫き命果てた。 

神谷・浩一


 神谷・浩一(人間(√汎神解剖機関)の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h03307)は、階段をあがる靴音を確かに聞いた。
 ぬらりと現れた中年の用務員を顎をあげ嘲笑う。
「随分としてやられたって顔だなぁ」
『正義を名乗る|破壊者《テロリスト》めが』
 含み綿でくぐもるが確かにこの声は|伊達な英国男《リンドー・スミス》に違いない。
「ハッ、酔っ払ってんのはどっちだよ」
 吸い尽くした煙草を投げつければ、ぬるりと現れた猫の額に当たって爆ぜた。それが忌々しくて、|新たな一本《精神安定剤》に指を伸ばす。
「……」
 瞳を眇めフッと火を得た所で吹かす。そうしてまた言葉を投げつけるのだ。
「型に嵌めて痛烈に皮肉ってるつもりだろうが、てめぇのやり方が正しいんだ、なんて言う独善じゃねぇか白々しい」
『価値観の相違が著しいな。君とは何一つ噛み合わない。対話は無駄だ』
「御託はいい……気に入らねぇからぶっ飛ばす」
『その点だけは一致をみたね』
 握った拳に対し用務員は口端を持ちあげるも、猫を盾にして存在を散らした。
「ちっ、逃げやがって……猫が邪魔だな」
 ハァと吐き出す紫煙は学校に似つかわしくないニコチン臭。
 ツパッ――古き映画でBGMを消して効果音だけが耳に残るあのシーンだ、いま唇が煙草を食んだ音は。
「邪魔なら消すだけだ」
 か細い焔の穂先を翳せば、まるで手品だ。猫の匣がブレ始める。生半可ではない、巨人が教室を掴み玩具にして揺さぶるが如くだ。猫を凝視していると三半規管をやられて酔う所の話ではない。それでも異能、奴らめは猫という形を辛うじて保つ。
『に゛ゃ?!』
『……ァァニャ゛゛』
 必死に抗い爪で空間をかき乱す。だが浩一は落ち着き払った顔で再び煙草を吹かし肺腑を汚す。一動作、優に5秒。だから猫は躰を破かれた儘だ。
「猫じゃらしってのは、触れさせねぇ場所で揺らすのがいいんだってな」
 灰を叩けばニスの残り香纏う床が焦げついた。
 カンッ、カカカカ……カン! 爪先はまた無残に揺さぶられ意味不明の引っ掻き傷を記すのみ。
 だらりとまろび出た四肢は踏みにじりたくなる無様さを醸し出す。だがこの|警視庁異能捜査官《カミガリ》は嗜虐心に煽られることなく、淡々と空間霊を揺らし始末をつける。
「――そろそろグチャグチャだろう」
 吸い殻を投げた先には猫という可能性を実らせず果てた残骸があるのみ。

二階堂・利家


 端末は旧校舎への召集を告げる。
 教室を横切る二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)は、口元だけの微笑みで耳をサリサリと掻いた。
 中からは、均が心霊スポット行きの旅行計画を鉄道オタクの彼と立てる楽しげな声がするではないか。
(「なんだな。万事解決済みじゃんね?」)
 ぼっちだと卑下しながらも、困っているなら警察を勧めつきそう程に人の良い均だ。ボタンがちゃんと掛かれば人とつながれると楽観していた。
 毒になる親持ちだと聞いても、ダンジョンに潜ってりゃあいつか子供は大人になる。枷のような親なら、踏み台にするぐらいが丁度良い。
 そう、善性を拠り所にしていれば……然るべきところに収まるわけだ。このように。
 階段を昇りきり、古びたドアの前にうっすらと立ち尽くす用務員の肩を、友人にするようにぽんぽんっと叩く。
「だから、人類は黄昏を迎えているとか? 延命の為の犠牲とかはちょっとよくわかんないわけよ」
 いつもいつもいつもダンジョンで人外相手に丁々発止、それだけが命を延ばす術な利家からすると、理想を持ち実現の為に思考するスミスは随分と人間の範疇だ。
「現実感が無いし、手の施しようが無いくらい腐ってるのか?」
『世界の真実から目を逸らす愚か者だな。大した正義の味方だ』
 捨て台詞を残し、スミスはシュレディンガーの猫に実在を譲り消えた。
「……議論尽くされた命題に素人考えで恐縮だけど、何故この√世界はこうなのかって解明の方が大事に思えるけどね」
 スミスの答えを待たず、だが違った想いへの尊重は残して床を蹴る。猫の鼻っ面へ叩き斬る要領で頭を壊した。
『みぐぅ!』
 獣めいた悲鳴の顎を蹴り上げて、着地と同時に刃を九十度返す。直後に猫の爪が襲いかかるも黒檀の刀身に弾かれ憐れ砕けた。
 だが利家は息着かず、そのまま殲術処刑人鏖殺血祭という物騒な大剣に体重をかけた。竜を屠る剣だ、それより小さな猫ならば概ね潰せる。
 反撃成功により回復するのであれば対処方法は二つ――。
 一、攻撃を完璧にガードする。
 二、再生速度を越えるラッシュで攻め立てて結果として傷を残す。
 利家は、難なく双方を同時に遂行している。それぐらいの瞬間判断力がなければ、とっくの昔にダンジョンの石畳に肉塊としてへばりついているだろう。
「どけどけどけーい!」
 台詞が転げ出た時点で猫は絶命している。ぐじゃりと木板と同化する様は、僅かなミスで命を落とした冒険者と似ている。

春日・陽菜
千桜・コノハ


 ――『運命の輪』の次のカードは『正義』だ。
「よかったの。均さんと凜奈さんの|未来《つづき》はとっても頼もしい|皆様《正義》に護られたのよ」
 B組の教室から旧校舎まで急ぎ足で辿り着いた春日・陽菜(|宙《そら》の星を見る・h00131)は、隣の|千桜《ちざくら》・|コノハ 《木 花 》(宵鴉・h00358)が歩く速度を合せてくれているのに気づいている。
「正義ごっこだってアイツは揶揄してるってさ。誰だっけー……用務員さん?」
 √EDEN風の面白みのない制服はいい加減着替えたい。踏む度ギシギシ鳴る古い階段を二人で登りだすと、陽菜は笑顔で数を教える。
「ひなが均さんと数えたから間違いないの。13段なの」
「……と、14あったけど?」
 成程、既に歪んでいる訳だ、状況は√EDENから√汎神解剖機関へ移行している。
「やっぱ、遠ざけたの正解だったね。平本さんは連れ込まれそうだったし、堀くんは勝手に紛れ込みそう」
「うん。お二人を巻き込まなくていいなら、ひなも頑張るの。だって、ひな、均さんを助けるって約束したんだもの!」
「オカルト配信者をするなら都合のいい能力かもね、堀くん」
「……むむ、怖いものに近づき過ぎるの心配なのよ」
 その時はまた縁をつなげて助けに行こう。今はまず、目の前の脅威を払うべし。
 グッと拳を握って頷く陽菜 へ、コノハは「開けるよ」と断わりドアを滑らせる。

 ――猫。
 教卓前の机の上には、赤、黄土色、天使っぽい白? あと星空色してる猫が匣から咲いている。骸骨とガラが悪いのもいる。

「あははっ、随分と可愛くない猫が出てきたね」
 大太刀「墨染」の柄に指をかければ絹のように麗しい黒髪が肩伝い零れた。
「……標的にされてたあの子たちがこいつらと遊ぶことにならなくてよかったよ。引っかかれるどころじゃすまないもんね」
「ねこさんが可愛いくないのはいけないのよ。それはね、罪なの」
 陽菜 は先ほどから拳を握りっぱなしだ。
『ぐるるぅ~……にゃうぅぅ!』
「さて、ねだられたなら仕方ない。おいで、遊んでやるよ」
 煽られた猫が飛翔するのと、小柄な少女の髪がふわりとたなびき果敢に前へ行くのはほぼ同時……と思ったら、確認するように陽菜が振り返る。
「ねこさんが可愛くないなら、やっつけてもいいのよね?」
 えへへっと愛らしく笑う少女には驚く程に隙がない。そう気づけたのはコノハが手練れであればこそ。
(「なら僕は僕で好きにやらせてもらお」)
 ――ッ!
 刹那、風を切り少女の左右を抜けたのが2匹。
「よいしょっと」
 ふんわりと傘のようにワンピースの裾が膨らむも、憐れ少女は心臓刺されて血ダルマに、とはならない。
「ねこさん残念賞! ひなからは止まってるようにしかみえないのよ!」
 えいやっと猫の頭を踏み台にして机に着地おっけー。無傷の少女は戯けて片目を閉じてみせる。
 膨らんだ尻尾をバタバタさせる2匹を越えて、新たな星空色の爪が襲い来る。狙いはコノハ、星空らしく無限に膨張する様はさながら分身。
「残像使いか」
 チリッ……。
 コノハの手元で微かな鋼の擦れる音。同時に掬いあがるように胴体を切られた猫が教卓にぐしゃりとへばりついた。
 ――あたかも教室内を数で支配したように見せ掛けた星空猫は、いない。
 ――同時に、コノハの姿も霧のようにかき消えて、ない。
「! びっくりなのよ! コノハお兄さんが消えたの!」
 教卓にへばりついた星空猫の残骸だが、驚くべき事に血肉を縫い合わせるようにして治癒しはじめているではないか!
(「なるほど、ちまちまやってるとすぐ回復しちゃうんだ」)
 カーテンの作る闇影に潜むコノハは、治癒速度から猶予は10分と冷静に弾き出す。
「もしかして、みんなも治っちゃうの?」
 ことりと首を傾げた陽菜は、アイススケーターのように美しく空中回転、両手を組んで大きな拳を作る。
「ねこさん喰らって、ひなひなパーンチ!」
 爪研ぎ猫をまず叩き下ろし、そのまま隣で不機嫌に尻尾を振るのも横殴りだ。
『ギニャァア!!』
『フシャア!』
 目をカッと見開きイカミミ、全くもって可愛くない! しかも可愛くない猫パンチが陽菜を狙う。
 ――斬。
 前脚が叩き斬られたかと思うと、喉笛がパクリと開いて1匹が絶命する。
「……えへへ、ありがとうなの。やっぱりコノハさんとってもお強いのね!」
 油断を誘う照れ笑いを斜め後ろの席に向ける。半ば再生した星空猫がコノハの場所を察知し飛びかかる!
「おー、星空ねこさん、すごいジャンプ力なのー」
 ちなみに言うとブラフだ。陽菜の眼の先にコノハはいない。隠れる直前までにいたのは反対側の窓際である。
「とんだ間抜けだけどね」
 そう声がした時には星空は頭と胴体にモノワカレ。
「……けっこう増えてたね。ご馳走様」
 ぺろりと舌なめずり、増幅した生命力もコノハの命に混ざって融け込む。
「楽に終わるか、じわじわと追い詰められるか――どっちでもいいよ。かくれんぼを止めろって言うなら聞いてやるよ」
 黒板に背を預け片目を閉じるコノハ。
 真似するようにウインクする陽菜は、未だ匣に残る猫たちの元へと歩み寄る。
「ねこさん、どうするの?」
 教えて、と花のように笑い、少女は組んだ指を解き両手に拳をこしらえて、グンッとクロス。渾身の力でもって骸骨と天使の猫の頭を殴りつけた。
「じわじわは苦しみが長く続くだろうね」
「それは可哀想なの。だから……」
 ひしゃげたのをつかんで押しつける。
「ぎゅぎゅっと丸めてぽいしてくれるのねー」
 粘土遊びの無邪気さで怪異を容易く屠る。
「……あぁ、最期まで責任もって遊んでやるからさ」
 反撃を鼻先でちょん切り、再びコノハは闇へと融ける。
「もう、均さんも凛奈さんもいじめたらだめなのね。けれどいじめないって言ってももう遅いの!」
 ふんすっと腰に手をあて陽菜 は得意げに胸を張った。
 ――能力者二人を前にして、猫たちの生き延びる可能性は既に消失済である。

詩匣屋・無明
玉巳・鏡真


 詩匣屋・無明(百話目・h02668)は、朧気に揺らぐ西洋男が口に指をつっこむのを見咎める。
「おやおや、姿を変えてしまうのかい? それは勿体ないのう」
 師のからかい声を聞きながら、玉巳・鏡真(空蝉・h04769)は口元を手で覆う。内側に炎を揺らめかせてから消して、煙草は箱に仕舞った。
『貴様らは何が言いたいのかね?』
 鏡真のそれはただの手遊びだ。しかし用務員の残滓を未だ被る英国紳士リンドー・スミスからすると、全てが疑わしく映るようだ。
 無明はククッと喉を鳴らす。全く佳い仕事をする弟子だ、疑心というほつれに指をつっこむの師がどうすれば喜ぶかよく心得ている。
「お主、その姿では滅私奉公の心持ちでこの学び舎で勤めたそうよのぅ」
『全てはここに潜むためだ』
 台無しにされた苛つきを隠さずにスミスは指を戻した。片側だけ膨れた頬がますます落ち着かぬことになるというのに。
「ははぁ本意ではないとな。ふふ、そうじゃのう、平本凜奈と堀均を取り込む為に彼らの居場所をこしらえて寄り添ったとも聞くぞ」
『……』
 師の遊び口に付き合うとろくでもないことになる。
 ははぁこいつ漸く気づいたかと、憮然とした顔で黙るスミスへ鏡真は顎を持ちあげた。自然と出たのは嘲りである。
 鏡真という男もまたくせ者で、容に現れる感情は無自覚……という認識を持っている。だがその認識は、本人が一番疑う代物。つまりはマトリョーシカ人形だ、中身のフリして収るのが本物かは甚だ怪しい。
「もう一度言うが勿体ないのう。その姿、折角お主が|人の情けを理解する男《・・・・・・・・・・》になる可能性であるのに、それをむざむざと捨ててしまうとはのう」
『勘違いしてもらっては困るなぁ、√能力者よ。これはただの策略だ。私は|視野狭窄に陥る脆弱なる魂《平本凜奈》がシュレディンガーの猫に添加されて如何に変ずるかを観測したかったに過ぎないのだ』
「その観測を叶える為なら、含み綿に中年腹でこの国のレトロゲヱム機とやらを買い集めて振る舞う好々爺になることも辞さないというわけか」
 改めて鏡真に己の軌跡を語られると辱めを受けているようだ。スミスはぐいっと反対の含み綿も投げ捨て踏みにじる。
 それを無明はニヤニヤとチェシャ猫めいた笑いで観測しているし、鏡真は淡々と続けるのみ。
「助けを求める先が猫の手とは、掲げる目標のわりに随分と可愛らしい反抗だ」
 この場でスミスが戦う気がないのはわかっている。まだ空間は重なっていないのだから。けれど声が届くのならば存分に言わせてもらおう。
「苦に耐えて自分が不幸だとでもお思いかい。違うね。|アンタ《スミス》はそういうのがお似合いなんだよ」
「はっはっはっ、手厳しいのう。なぁスミス、わしの方が優しかろ? お主は既に用務員としての姿と振る舞いを|観測されておる《・・・・・・・》のだよ。それはのう、此奴の言う|お似合い《・・・・》よりは幾分かマシじゃあないかのう?」
『! ……!!!』
 エゲレス言葉の捨て台詞を吐き出してリンドー・スミスはこの場を『猫』に託して消えた。未だ腹に布は詰めてあるし、奥歯の銀紙もそのままだ。
 直後、おぞましい気配が拡散する。鏡真は粛々とナイフを取り出す、刃は鏡面の如くよく磨かれている。
「シュレティンガーの猫。詩匣屋、わかるか? 哲学のことは正直よくわからないんだが……」
「ふむ、程々だの。人並みに知っておるし、人並みに何も知らん」
 して、と見やる猫たちは、まるで花束のように様々な姿を咲かせている。星空、天使のように白い、骸、目が有象無象についている、など。
「これが探していたねこかね。また随分面妖な……観測されない限りは姿も確定し得ぬのか」
「死ぬまで殺し続ければいつかは死ぬよな?」
 無明は首を傾げる。
「わしと似たようなものかのう、誰にでもなれるが、過去を知らぬ限り“己”にはなれん」
 猫ではなく、|自分《鏡真》に向けての語りのようだ。不思議だ、師匠は|自分《無明》について語っている筈なのに。
 今は全てを忘れたフリで、
「死と生が重なる矛盾なんてしゃらくせえ。命だってんなら死んで証明してみせやがれ」
 わざと乱暴な口をきく。
「しかし、まあ、お主の言うようにいつかは消滅するものだ。それまで遊んでやろうぞ」
『ふにゃああああぁぁぁああああおぅぅうううううううう!!!』
 猫のけたたましくも長い声が開幕のベルとなる。
 ゴゴゴゴゴッと巨人が掴んで悪戯に匣を揺さぶるかの如く床が揺れた。浮き足立つ所を狙い飛び込んできたのは骸猫。だが無明はどこ吹く風で、ひょいっと首を前にしたとたんに消え失せた。
「どこをみておる」
 猫の背後に現れて、錆の浮いた年季もののバス停でぶん殴る。
『ギャン!』
 不意を突かれた猫は尻尾をぶわっと膨らませたままで痛々しい声をあげすっ飛んでいく。
「ほれ、お主にパスじゃ。しっかり可愛がってやるがよい」
 2匹目も難なく姿を消して躱した。
 インビジブルは何処にでも居る、特に此処は首つりをした霊が縛られており釣られて様々なものが渦のように集積している。つまり、椅子取りゲームで座る椅子は無数にあるということだ。
「おう任された。さてどうしてくれようか……」
 切っ先を上に向け、飛んでくる方向へ大股で近づき喉元を突いた。無造作に、まるで狙いなんて定めてないよとでも言いたげな所作だ。そんな鏡真の唇から嘆息が溢れた。
「出来れば化け物らしい見た目になって貰えるか? 猫に刃を突き立てるより気分が良い」
 声はすれども姿は見えず。
「ほうれ、きょーま、もう1匹いくぞ。なぁ、化けてやれ禍々しいとやりよいようじゃ」
 苛烈なる打撃音。確かに確かに、弾けた猫はもはや生き物の風体を為していない。更には死という可能性を否定するものだから、傷が塞がりかけてバケモノ具合を増している。
「……結局は、好みじゃないやり方しかできないか」
 しかし殺す方法は躰に染みこんでいる。闇よりナイフだけを閃かせ、瞳を潰す。仰け反ったところを掴み2匹目ごと巻き込んで壁に押しつけると、握り込んだナイフで延髄を貫いた。これぞ息の根を止める最適解。
 ――。
「全く、胸糞が悪い」
「結局は猫であったからのう」
 床に染みついた毛皮を前にして浮かぬ顔の弟子の肩を、師はぽんと叩く。
「さぁて、|あの男《リンドー・スミス》はどのようになっておるかのう」

ゾーイ・コールドムーン


 共に赴いた√能力者の中で“シマダタイチ”という地縛霊に接触できたのは、ゾーイ・コールドムーン(黄金の災厄・h01339)だけである。
 ゾーイは死霊を通じて彼を知っている、恐らくは本人よりずっと。なにゆえ自ら首をくくったか。当時の苦悩、葛藤、エトセトラ。
 もはや本人にとって意味がない欠片だが、ゾーイが憶えておくのもまた自由。その上で彼は先ほど願いを口にした――『いやだ、消されたくなイッ』と。
 リンドーの実験は二通り。
 一つ目は、今から対峙する可能性の宝庫に平本凜奈という視野狭窄に陥らせた少女を喰わせた後の変化。
 二つ目は、シマダタイチに堀均というパーソナリティの類似項目が多い者を取り込ませての騒霊化。こちらが為されていたら“シマダタイチ”は消滅していた。
(「誰にも知られぬことなくきみは消えていた。それは“やるせない”ね」)
 感情に名前をつけて握り込む。そう、これはどこか愛おしいものであるから。

 がららら、と開いた扉の向こう側、幾つもの生存の可能性を潰されてなお形を保とうとする猫たちがいた。
「成程、シュレディンガーの猫。リンドーが用意した怪異はきみか」
 毒ガスより苛烈なる攻撃を既にもたらされている。そう、蓋は他の√能力者により開けられているのだ。それでもなお形を保つ強靱さはまさに怪異と言えよう。
「きみは殆どまだ何もしていない段階だけど、主人に従い動くというなら倒すだけだ……」
 視界を漂うインビジブルを既に把握した。そこに“シマダタイチ”の姿もあるので、ゾーイは軽く手をゆらし離れるよう促す。
「――霊の彼との約束もあるしね」
 此処には居ないと謀る物言い、同時に目の前の猫が顎門をぱくりと開いた。
『に゛ゃぁおぅおぅぉぉおおおおぉぉぉう~』
 巨人が教室を掴みデタラメに揺さぶる、そんな強震にゾーイの踏み出した足が掬われた。
(「背中から転ぶ、頭を打ち付ける。そこに猫が襲いかかる――」)
 簡易な未来予知のように自らの惨状がパラパラとコマ送りで脳裏に閃いた。
 故にゾーイは落ち着いた所作で魔道書を開くに到る。背表紙の魔方陣が明滅し瞬時に力場を作成する。これほどの揺れを中和するには相応の代償が必要だ。しかし問題ない、歪みは常に傍らに。
「……ッと」
 いまこの瞬間だけの安全装置に背中を預け、のし掛かる目玉だらけの猫の爪をナイフの柄で受け止める。斬り返す方が効率が良いとわかってはいる、が。
(「彼に負荷が掛かるのはいただけない」)
 歪みでの干渉は最小限に。
 直後、周囲の窓に罅が走った。街灯が連なり点いていくようにゾーイの正面から順番に砕けて外へと散っていく。世界の狭間に落ちた欠片は瞬時に存在をなくした。
(「少年少女を紛れ込まさずに済んで良かったな」)
 揺れが収るに合わせて歪みも霧散させる。唐突にすんっと叱られた子供めいた静寂が訪れた。猫の魔術が切れたのだ。
『うるるるるぅ~』
 再び鳴こうと百の目がギラついたのに、ゾーイは軽く顎を持ちあげる。双眸はここに射さぬ陽の彩、指示を受けるのは太陽とは相反する性質の|インビジブル《霊体》だ。
 暴力的な揺れの中でも、指示通りに複数で入れ替わり立ち替わりし猫の頭上にあり続けたのには、心の内で礼を囁きねぎらった。
『ふぎゃあああぉぅおおぅぅぅ!』
 雄叫びの刹那、ゾーイはインビジブルに黄金を与えるイメージをする。するとだ、インビジブルは黄金に恋がれ、双方の場所が入れ替わった。
「そろそろ鳴くのはおやめよ」
 指よりすらりと生えるはやはり黄金の輝きだ。鋭い切っ先は、腕輪の制御を今だけ破り猫の頭にズグッと突き刺さる。
 ぎゃ! と短い悲鳴。頭蓋を貫き喉に達した黄金が舌のはみ出す口から綺羅を零す。
 ゾーイの瞳は既に次の猫を見ている。手元で絶命の手応えを感じ取ったその時に更に低い啼き声が場を満たすのだ。
「……ッ」
 ゾーイは黒板近くのインビジブルと入れ替わり、チョーク受けの細い隙間を足場に立つ。押し出させる揺れに押され落ちたと見せ掛け、泣き喚く猫の前へと更に飛ぶ。もはやタネは明かしたのだから隠す必要もない。
「そろそろ黙ってもらえるかな」
 手元で閉じた魔方陣をそのまま猫の顔に押しつける。
「……きみたちは、あの男の手に落ちなければ、ただ生きる可能性に縋る獣だったのだろうね」
 常に浮かぶ穏やかな微笑みに哀が塗される。
「残念だよ」
 魔道書より排出される光には『苦しみなどない』というゾーイの|洗脳《戯れ言》が籠められている。魔道書を取り去った先には、ぽかんと口を半開きにして目を丸くする猫がいた。その辺にいるような平凡な奴だ。
「おれはきみたちの生存を観測するわけにはいかないのだよ……だからね、さようならだよ」
 黄金と共に、逝け。
 先ほどの光よりも煌々と輝くナイフが額を貫く。苦しまぬようにと一瞬で猫の可能性はかき消される。
 ――…………。
 ゾーイの立つ床は、シマダタイチという地縛霊と邂逅した時のように冷たくも穏やかな静寂に包まれる。
「これできみがリンドーにのっとられることはないよ」
 怯えが止んだ、その返事で充分だ。
 だが、この場所が√EDENに完全なる帰還を果たすにはリンドーを葬らねばならない。

第3章 ボス戦 『連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』』


●ジサクジエン壊滅
 金髪をくしゃりとかきあげて、連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』は憂いたっぷりなため息をつく。
「全く、大義を解さぬ者達を相手取ることは人生の無駄だ」
 煙草を床に落として躙り、ちらと背後に目をやる。そこには有名メーカーのドーナツの箱がある。
「この国では食べ物はなんでもかんでも甘さ控えめの筈だが、貴兄らは飛んだ甘さだ。唾棄すべきだよ」
 黒い指先を唇に引っかけて、洋紳士は嘲り嗤う。
「この口ではなく、人生から吐き出されてしまうがいい」
 ――使命はシンプルだ、リンドー・スミスを駆逐せよ。息の根をとりあえず止めてこの学校より弾き出せ。


**************
【マスターより】
大変お待たせして申し訳ありませんでした
これよりプレイングを募集いたします

>受付け期間
本日この時点から4月5日23時59分まで
※受付け期間が長い為、31日中にいただいた方は再送をお願いするかもしれません、申し訳ないです

>採用人数
過去章に来ていただいた方は全て受理の予定です

>凜奈と均のその後
最終で採用した方のリプレイのラストにつける形で書きます
プレイングにて「一言」寄せていただけた分は、名入りか特徴入りでの描写の予定

※NPCとの絡みをしっかり描写希望の方は、二連撃でのご参加をお願いします。プレイングの戦闘と事後の割合はお任せします(偏ってもOKです)

以上です
ご縁がありましたらよろしくお願いします
惟吹・悠疾


 かさりと紙が擦れるような音に、リンドー・スミスの碧眼が瞬いた。
「これでも随分と甘い方だけどなぁ」
 いつの間にか現れて机に腰掛けドーナツを頬張る男がいる。
「貴様ぁ」
 惟吹・悠疾(人間(√EDEN)の妖怪探偵・h00220)は、頬についた欠片を払い棺桶を盾にした。
「人のものを掠め取るとはなんたる下郎!」
「悪いな、腹が減ったもんで……ぐっ、げっ」
 |ファンブル《致命的失敗》――ドーナツが喉に詰まり行動が遅れた。トントンと喉を叩く悠疾を、デス・ホーラーごと刃が刺し貫いく。
(「おい! あれだけ優迦にじゃんけんで負けて負けて負けてこき使われて……不運は使い切ったんじゃなかったのかよ!」)
 恰好つけて『ドーナツ引換券2000円分』を入れる計画もおじゃん。たった今塵に帰った引換券をゲットする為、なんやかんやと10000円ほど払ったのだ、不運なことに。
 ファンブル《致命的失敗》! ファンブル《致命的失敗》!! ファンブル《致命的失敗》!!!
「……ちゃ、んと弁償はする」
 棺桶の影でヤケクソ気味に掴んでつっこんだのは万札だった。食べたのは1個だけなのに。
 直後、棺桶の蓋があき、まるで地獄に手招きするように現われたるは数多の銃口。惜しみない拍手のようにスミスへとぶちかます。
 キキキキキキッ!
 スミスは異形を絡ませた腕で弾丸を止め、重ねられた弾丸をものともせずに一気に距離をつめてきた。
「ああもう! 当たらないってどんだけ運がないんだよ!」
 悠疾は机を蹴飛ばす。その場凌ぎも裏目、一刀両断に巻き込まれふくらはぎが斬られた。
「……ッ、痛ぇ、どれだけご立派な大義を掲げようが、√EDEN側に理解をして貰えるように努力もせずに力で押し通す」
 指で触れると眉が寄る。出血で熱を帯びた呼吸が乱れる先で、金髪紳士は憎らしくももう勝ち誇っている。
「√EDEN側に理解をして貰えるように努力もせずに力で押し通すなら……」
 弾丸は撃った数の倍落ちた。つまり全て斬り落とされているということだ。
「ドーナツの借りは大きいぞ、小僧」
 こつりこつり、悠然と近づいてくる辺りは余裕綽々。
「そらよ、熨斗つけて返してやるよ……うわっ」
 ドーナツ箱を投げる手が滑った。床にぶつけた額が痛い。
「……なっ、あぁあ」
 だが、宙に舞う箱より飛び出たピスタチオドーナツはスミスを魅了するには充分であった。
 ぽろりと煙草が落ちる、ロールダイスはスミスもファンブル《致命的失敗》。
「喰らえ」
 すかさず悠疾はデス・ホーラーで弾丸をばらまいた。断続的な悲鳴に歯を食いしばり、弾幕があけたそこに倒れ伏す男を確認する。
「結局は異なる正義どころかただの簒奪者という扱いにしかならないんだけどな」
 財布に残った千円札をそっと傍らに置く。己は決して簒奪者にはならぬ、その誓いと共に。

玉巳・鏡真
詩匣屋・無明


 凹んだドーナツ箱を黒手袋の指が教卓へ置いたのに、|玉巳・鏡真《たまみ・きょうま》(空蝉・h04769)は、なんだと眉が下がる。
「やっぱり、甘いものが好きじゃねえか」
「食べ物と振る舞いは別の話だよ」
 融け込む闇色のコートが空気を打った刹那、声が至近に来た。だが鏡真の染みついた判断が打ち勝ち、身体は勝手に壁を滑り躱す。
「わざわざ|苦労を買って出るのがお好きなよう《含み綿で中年腹の好々爺なんてやってること》だが?」
「遊戯を取りそろえ行き場のない子供らの居場所になってやったと聞いておるぞ」
 容の半分を黄昏色に明け渡し、|詩匣屋・無明《シカイヤ ・ムミョウ》(百話目・h02668)も会話に加わる。
「実に甘ったるい」
 唇に親指をつけドーナツ箱を見据える双眸は揶揄に満ちる。スミスは応じないが碧眼が怒りで吊り上がる。
 そう、いつだって。生きとし生きる人は感情に炙られている。足をつけず漂う|幽霊《己》は時に楽しと眺めるのが特権だ。
 脇で鏡真は無明がまたぞろ何かややこしいことを考えて悦に入ってるのだろうなぁ、までは察した。
 直後、ワァンとスミスの周囲が拡散する。
「辛酸を舐めたいってんならしょうがない……」
 先ほどの虚仮威しではないなとわかり、鏡真は華奢なナイフの柄に触る。
 スミスから放たれ兇刃を向ける怪異達。翼は鋭さを得て、鎌爪は思考を得て、考えるしか脳のない死骸は殺傷命令を下す。
「……ッ、詩匣屋、こいつに人生の|楽しさ《苦さ》を腹いっぱい喰わせてやろうぜ」
 おぞましい程の狂気にも臆せぬ若い男は、直後に脇腹を削り取られた。くるりと巻いて堕ちた己の肉、遅れ染まるは赤。
 ゴッ!!
 直後、スミスの首が170度ほど単純な暴力でもって後ろに捻れた。それは怪異から10歩は離れた向こう側での出来事である。
「策略がお得意のようだがそれを真っ向から突破されるってのはどんな気持ちだい?」
 怪異の攻撃は敢えて受け進み、裏拳で思う様殴りつけた。鏡真は、手首の骨折を悟らせぬよう下げてナイフで斬りつける。こっちは時間稼ぎの目眩まし。
「ほんにお主はお人好しよ、きょーま」
 鏡真を知る分、何をしでかすかはスミスより予想はついていた。故に準備は万端。
「まーたわし振り回しおって……此奴、どうにも弱者を見捨てることができん」
 骨折でしばらくは店番に不自由しそうだとは口にせずにおく。一矢どころでなく報いたいの気持ちは尊重してやろう。
「! ぐ……ぐぐぅ……ふんっ!」
 スミスは無理矢理に首を掴み頭を捻り戻した。そうして自己のもたらす激痛も含んだ一撃だ。
(「俺か俺じゃねえ俺か、やっぱり俺か。あいつはそんな無茶はしなさそうだ」)
 ひとり問答を繰り返す度に、この身の持ち主がじわりと帰ってくる。繰り言を否定し、からかうように。
「そうか。私と直接やりあいたい、と?」
「きょーまは血の気が多いからのう」
「お前だよ」
 高みの見物としゃれ込んで見えたか、苛つくスミスの足元より触手がぴぃんと張った。
 それは無明の足に絡みつく。揺れた上半身を刃腕が捉えて壁に叩きつけた。
 カラメルめいた繊細さで砕けた壁に沈む男が質量を減じる。それを負傷ととったスミスは更なる追撃を試みるも、立てた人差し指を唇に宛がわれ、あっさりと止められてしまうのだ。
「欲、畏れ、好奇心……人の心無くして、人の弱さ無くして、怪談話は育まれぬ。お前の弱さは、此処に在る」
 怪談話は人が求めて語る娯楽と嘯きながら、無明はスミスの喋りを封じた。ただそれだけ。
 無明は口端を片側だけ持ちあげる。
 おかしなことに、だ。
 スミスは息が掛かる距離にいるのに、この男の容貌がとんとわからぬ。目鼻立ちが目に入るが憶えてられない。
 違う。
「ムジナ……」
 日本の怪談のっぺらぼうの名を口にしたならば、無明はますます笑みの切り込みを深めた。
「さあ、本物の【百話目の怪談】を語ってやろうぞ。嘘も真になり得るのだと知るがよろしい」

 ――お主の前にいるのは『誰』だ?
 ――なにゆえ、異形の力を借りしお主が高々指一本で動けぬのだ?

 身じろぎするスミスの向こう側、闇が僅かに揺れた。怜悧なる殺人鬼に飼われ飼う男が近づいている。
(「完璧なる自己の隠匿、きょーまこそ幽霊のようよのう」)
 言ったら最後おじゃんになるので、無明はスミスが|見出してしまったもの《コワイコワイ》をただ語る。
「嘘、だ」
「嘘だと思うならわしなんぞちり紙と振り払えるであろう?」
「……グッ」
 ガチンと悔しげな歯がみから、夥しい血がはみ出してくる。
「……あ?」
「消費ばかりのお主が支払う時が来たのじゃよ」
 胴体が洞のようにぽっかりと開いた。勢いで抉られた肉がパタパタと床に落ちた。
 洞からは鏡真の迷いない拳が突き出されている。
「顔をぼっこぼこにしてもっとイケメンにしてやろうと思ったが、結局逃げやがるもんだからなぁ」
 鏡真の煽りに無明はハハッと空気を喰む。
「だが安心めされい、お前が連れる異形が綺麗に喰って掃除をしてくれるわい……っと、主役から外れししまったのう」
 スミスに押されがくんと壁に押される無明。
「おいっ! 油断はナシだぞシカイヤ」
 鏡真はスミスを足でなぎ払い、追撃で殴り掛かろうとして腕がぴくりとも動かぬのに気がついた。
「……わしらの幕は落ちた、さぁ、きょーま、気にかけるあの子の元へ行ってやれ」
 その前に腕をなんとかしてやらねばならぬかと無明は嘆息を漏らす。

風楽・凩
千桜・コノハ


 赤い紐の先には、真っ赤なルージュの綺麗め顔写真がバッチリ映った『入館証』
「様々なデータが必要と人を故意に不幸にするのって下策だよねー」
 教卓に腰掛けて口紅とお揃い色のブーツの足をぶーらぶら。へこたれていたスミスの後ろに風楽・凩(気まぐれな風・h02513)がこんばんは。
『……なッ、貴様、いつの間に』
「くくっ、なにその台詞。もう負けるってフラグの立った悪役しか言わないよ。はじめまして、黒幕さん」
 凩の反対側に、やはり気配を出さずに佇む麗しの花は千桜・コノハ(宵鴉・h00358)だ。
「大義の為のきりすて……ふーん? もっともらしいこと言ってるけどさ、思い通りにならなかったのがそんなに悔しかった?」
「言うねえコノハ、いいねぇいいねぇ」
 トッとおりた凩は、ズカズカと無警戒めいた足取りでスミスの前へ。
「一般ぴーぽーなんて簡単にモルモットにできるって高をくくってた? 舐め腐ってるじゃん」
 さりげなくコノハを隠す位置取りは、脳裏に描いた戦いの出だし故だ。
「モルモットになりたくないから必死に抗うよ。で、こうやって僕らみたいなのを招き寄せるのさ」
 モノクル越しに弓に曲がった瞳はたっぷりとからかう。
「あははっ、言い返せないの? 大人のくせにかっこわる~」
 コノハもまた凩の意図を察した。その上で、ひょこっと肩口から顔をだして煽るのだ。
「甘いのは君の計画の建て方じゃない? 結局は自業自得ってことさ」
「言えてるねぇ。大義傲慢振りかざして王様気取りだから足元を掬われるんだよ」
 お喋り烏が2羽。ならばそれを上回る数で押せばよい!
 おぞましき羽音が空間を振動させる。だが凩は冷静に刻一刻と変る場を把握。まず、コノハが桜色の炎を纏った。
(「巻き込まれても大丈夫そうだけどー……手品は最初に使っとくかな」)
 パンッと凩が両手を合せるとスミスの片目が吃驚に染まる。潮が引くように己を囲う怪異が消えたからだ!
「よっと」
 机に手をつき両足キックからの回し蹴り。吹き飛ばされたスミスが戻る前に跳躍し追いついて、ハチェットを目元にお見舞いだ。
『……ッぐっ!』
 スミスは眼帯を千切り無事な瞳を晒した。怪異が払われたならあとは純粋な肉弾戦。
「よっ」
 スミスのワンツーパンチをギリギリまで惹きつけて躱す。そしてハチェットを翻し内臓斬りを狙うが、同じように躱された。
「やるねぇ」
「……ふふ、私の怪異を消せて満足したかい?」
 再びざわりと湧き出る靄は先ほどより強大である。足元の触手は太り、瞳は増えている。
「人を捨てた人って感じー……僕はどっちなんだろね」
 炎を投げ込むも焼け石に水。いいや逆か。まぁいい――これは目眩ましだ。
「キミが間引いてくれて手間が省けたよ、強いのが呼べた」
 うぞり。
 蟲翅と刃腕が増え、スミスという人間の輪郭を潰していく。
「目下の者を先輩として護る様もいじましいね。だが弱肉強食の世界では命取りだ」
 液状に蕩けた足が凩を呑み込まんとする――。

「こういうのは先に手を出したほうが負けなんだよ」

 刹那、粘液と触手が霧散した、蒸発だ。あり得ざる熱をぶつけられたのだ。
 はらりはらりと花弁零し、コノハは己の身の丈と然程変らぬ墨染を翳す。迦楼羅炎の向こう側、ただいま喰らった魂の数だけ墨がついた。
「ホントさ、全部が全部自分のオモチャだって思ってる大人子供なんだね」
 呆れた声は、既にそこにはいない。練った飴の如く伸びて今はアメリカ紳士の耳元。
「鬼さんこちら、捕まえてみなよ」
『……ッ!』
 コノハを刻まんと動いた刃腕同士がカチンと叩き合い、高めた蹂躙の力故に砕け散った。
 生じた隙をコノハは逃さない。素早く突き、ねじって抉り腸を迦楼羅炎で燃やす。
「おっと、大丈夫かなぁ?」
 ざぁっと滝のように血を吐くスミスを後ろから支えるのは凩だ。ただし、クスクス笑いで、ハチェットで肩甲骨の隣を突き刺してだが。
「ザ☆物理な強化なんだね。素早さはあがらないの残念♪」
「うるさい」
 凩を掴もうとしたが既に姿はない。スミスは舌打ちをすると態勢を建て直すべく跳躍する。
「ハッ! しまった……!」
 天井を触ろうと揺らめく指がつながれた。
「全部お見通しだよ」
 残酷なまでに麗しい微笑みに対し、スミスは憤懣やるかたないと奥歯を噛む。
 花まとい瑞々しい青年と、異形まとい朽ち始める青年――小説の表紙に相応しい程に目を惹く構図には先がある。
「さよなら、おじさん」
 破魔の一太刀。何一つ迷いない袈裟斬りに、金髪碧眼の紳士の身体から怪異が剥がれ落ちる。 
 ――ただし、これは救いではない蹂躙だ。リンドー・スミスは深手を刻まれて、憐れ為す術もなく古びた床にたたきつけられた。

二階堂・利家


『大義を通す為に弱きを斬り捨てよ』と言い切る執政者は熱狂的に指示されることも儘ある。信奉者もまた虐げられる側で、自分が踏みつける先を求めているのだ。
 一方の二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)は、竜漿中毒の症状を抑え込むので手一杯、完治の方策も常に探してはいるが芳しくはない。
 だからか、そうした世間と自身の立ち位置を測らずフラットだ。このように。
「そうは言うがな、結局の所。主義主張は好みの問題で語る他無いだろうさ。あんたにとってそれが唾棄すべき、弱さであり甘さでもあるとしても」
『……ははッ、まさにその『甘さ』を今こうして向けられているよ。余裕綽々としゃべくっているキミからねぇ』
 スミスが吐き出した折れた歯が教卓に跳ねた。利家は屠竜大剣の柄を握り込み、髪を掻き上げる彼を出方を待っている。
「大義と合理の取捨選択で切り捨ててきた有象無象の石ころの中にも、磨けば光る金剛石は有ったのかもしれないよ」
『仮定の話は無駄だねぇ』
「そうかもしれないな。俺は、あんたが一廉の立場を得るまでに、どんな修羅場をくぐり抜けてきて。何を得て何を失ってきたかを詮索するつもりも無いからな」
 まだ話の途中だが、スミスは教卓をドンッと掌で打ち駆け上がった。彼が纏う異形は蹴られ悦びの声で嘶く。
 影を受ける利家は身じろぎもせず視線だけを上に向けた。
 怪異はスミスに紐付いている。ならばと、利家は標的をリンドー・スミス一体に定める。
『さぁご飯の時間だ、あのお喋りを食らいつくすがよい!』
 スミスは利家の首を狩り怪異の着地点に投げ込んだ。
 利家は予測済である。故に落ち着いて漆黒の靄めいた獣たちを蒼盾で食い止める。刃、腕からの鈍重な連打には、落ち着いて併せるように押す。だが勢いを殺しなお、炙られた空気が利家の頬や耳を裂く。
「……重いな」
『世辞はいらんよ』
 スミスは壁に足裏をはりつけて煙草に火をつける。もう勝ったと、弱り目を叩けなかった青年の甘さが招いたことだと見せつけるように。
 それこそが、甘い。
 利家は、異形と過去に斬り伏せたモノどもの共通点を洗い出し、的確なる戦略も構築済みだ。
(「流石に苛烈ではあるな……」)
 ぼとり、と腸が落ちた。
(「すまない……」)
 |腸《インビジブル》に呟き竜漿まみれの血は口や体表より溢れる儘で突き進む。刹那、雨雲の中に晴れ間を見出すような感覚、ここだ。
 対標的必殺兵器と化した大剣を掬い上げ、スミスとつながっていた場所を中心に叩き下ろす。何度も、何度も。この継ぎ目こそが奴らの力の供給源、しかしスミスが標的と設定されている今は脆い泣き所でもある。
 ぽとり、と、今度はスミスの口から煙草が落ちた。
 スミスの煩悶の声をBGMに、利家は怪異の群れを粛々と解体していく。
 ズタズタに斬り裂かれた腸を拾い上げ腹に戻す、かわりにコートが弾け飛んだ。血液が減り軽くなったのは好都合、揚力で舞い上がり、握り手にかかる重さが増した大剣を振りかぶった。
「こうやって」
 回り道。
 損傷夥多。
「……俺達は連邦怪異収容局とは相容れない手段で、より良い方策未来を模索していくつもりだよ」
 穏やかな口ぶりに反して強烈な一打を叩きつける。
 必死に後ずさるスミスは一瞬逃げおおせたと高をくくったがそんなことはなかった。風圧で裂けた腹から同じだけの腸を引きちぎられた。
 どさり。
 立っていられずに墜ちた男に対し利家は大きく息を吐き出してからコートを拾う。
「無駄口を叩きすぎたかな? すまないね?」
 ――。

●去り際の一幕
 ――昇降口に佇む均が、仲間のひとりと幾つか言葉を交わして別れた。
「ほら、友達ができたじゃないか。それとも、もの好きが沢山いたーとでも言うのかい?」
 これが利家の自然体なのだけど、片眉を持ち上げて人差し指をたてるなんて仕草が似合うのはずるい。
「二階堂くん」
 すうっと息を吸ってから均はズレかけた眼鏡を持ちあげる。そうかと思うと指を握ったり開いたりと忙しない。それはきっと、なにかの勇気を引き寄せる為のおまじないみたいなもの。
 ダンジョンアタックをする奴の中には、入る前に必ず岩壁を蹴飛ばして気合いを入れてからーとか、入ったらまず右に曲がるーとか、そういうジンクスを大事にする奴もいる。それに近いもんなんだろう。
「あのね、二階堂くん。君は僕を救っちゃいましたかね? わ、やっぱなしで!! くぅ失言」
「ははっ」
 飄々とした利家の顔が笑みで揺れた。
 いつだってダイハード(die-hard)、息つく暇も無い。そんな自分がいつものように通り縋っただけなのだが、均は朝とは大違いの晴れ晴れとした表情をしている。
「二階堂くんの言う通り、沢山の人が手を伸ばしてくれました。僕はその手を取りました」
 別の「手を取る」でミスった相手もいたけれど流してくれた。
「なんだかみんなお別れって寂しいじゃあないですか。僕、ちょっと気づいてますよ、また|転校《・・》するんでしょう?」
 流石、リンドー・スミスに目を付けられるだけはある。なんだかんだと勘が鋭い。
「まあ……誰しも何かしらの分野で自分が一番戦っていける手段で何とかやっていってるんだと思う」
 ぽんっと肩を叩き、そのまま利家はすれ違うようにして歩き出す。
「動画ッ、あげたら見て下さいね! それでコメつけてくださいよー! ネームは決めてます、平均くんです!」
「頑張れよな」
 片手をひらりとさせて背中ごしに応える。この出会いは殺伐とした日々に、欠片の彩りをくれた。充分過ぎる報酬だ。

静寂・恭兵
アダン・ベルゼビュート


 クッと、締めあげたアヒルめいた音を鳴らし、リンドー・スミスは教卓から手を離す。黒手袋を赤く染めるのが自身か怪異かどちらの血かはもはやわからない。
「忌々しいって顔だな。殆どこちらの血はついてないだろうからな」
『知った口をきくな……』
 適当に吐いた台詞がまさかこうも刺さるとは。静寂・恭兵(花守り・h00274)は肩を窄めるが唇は止めない。
「この国が甘さ控えめなんじゃなくてあんたの国が何でも甘すぎるんだよ……それに人に対して甘いじゃない、人情味があると言ってほしいね」
『人情? 利を考えぬ愚かさは全体の不幸を招くだけだ』
 細い金色の眉が寄ったのに、アダン・ベルゼビュート(魔蠅を統べる覇王・h02258)はしかめ面を消した、似た表情に嫌悪が出たのだ。だが笑ってやる気にもならない。
「不愉快極まりない体験を数週間も繰り返した結果は、滑稽な程に無意味に終わった」
 アダンが空中で親指を動かす様がゲーム機の遊戯を喚起する。それがまたスミスの苛つきを煽る。教卓は、ガンッと尖った音で真っ二つだ。
 物に当たる俗物さ。恭兵は笑いを噛み殺し、アダンは鷹揚に口端を持ちあげる。
「態々、用務員に変装をして迄丹念に練り上げた計画が瓦解した八つ当たりか?」
「あんたがわざわざ用務員までやってまででっち上げた今回の事件、俺達√能力者が見事に瓦解させてみせたが気分は……聞かなくてもわかるか」
 ――最悪、だ。
『行き場のない自堕落な子供のひとりやふたりが潰えようが世界にとってさしたる損失ではない、他力本願で他罰思考の将来性のない子供達だった……それが何故わからぬのか』
 これが恭兵やアダンの怒りを煽る為の発言ならばまだしも、リンドー・スミスは心から均や凜奈を犠牲にすべきだったと言っている。
「不満を垂れる様は、まるで駄々を捏ねる子供キッズだな」
「まったくだ」
 真っ向から幼児性を指摘されて、アメリカ紳士は不快露わにスラングの罵声を吐いた。同時に彼が連れる怪異も不協和音の啼き声をたてて口々に同意する。
「化けの皮が剥がれたな」
 恭兵は煙草を1本つまみ出すと火を入れた。双眸と決して噛み合わぬ赤を先端に灯し、ふわりと煙を吐き出した。
「簡単に壊れる様な策を弄するしか出来ぬ貴様の浅慮こそ、何よりも甘過ぎる」
 この香りをアダンは嗅ぎ慣れている。もしも2年して吸いたいと言ったら、相棒はどんな顔をするのだろう……なんて、そんな雑念すら浮かぶ。
「なあ、相棒……恭兵よ、そうは思わぬか?」
 傍らで陽炎のように揺らめく怒りの気をアダンは先ほどから察している。気怠げで涼やかな恭兵としては珍しいことだ。
(「――それ程、か」)
「大義とやらの為に未来ある学生を利用するのがアンタのやり方だってなら……自分の国でやってみな」
 無意識に階級を割り振っている、だからできやしないのだと見越す瑠璃の双眸。
「他の√だからって好き勝手してるんじゃねぇ」
 投げ置かれた声はそれだけで喉を穿つ程に尖る。
「珍しいな。今日はお揃いだ。腸の煮えくり返り具合がな――謁見の時間は終了だ」
『……』
 リンドー・スミスは吼えるだけ己を安くしてしまうと漸く気がついた。故に無言で机に脚を置くと滑るように接敵を試みる。
 げちゃり、げちゃり。
 奔る後から触手に侵され机が崩れ落ちていく、そこに淡い流星がきらりと降った。
「アンタと話してもそれこそ時間の無駄だと思ってたんだ、|戦おう《やろう》ぜ」
 恭兵の指から放物線を描き落ちた煙草は見るからに儚い。それがスミスと怪異の足を止めると誰が予想できようか。
 否、否、否――。
 傍らの相棒たる覇王だけは確信している。
(「影が歓喜の声をあげている」)
 闇にも分け隔て無き祝福を。色ではない、属性でもない、恭兵は性根を見定める。傍らの覇王がどれほどに慈悲深く尊き性根をしているか、そんなことは誰よりも知っている。
『……ッ!』
 粘着状の足が透明なる焔に炙られ消えていく。信じられないと瞠目するスミスは、強大なる移動エネルギーが反転し無様につんのめった。
 しゃん……ッ。その足首に昏い鎖が巻き付く。
「さぁ、俺様の力を宿し群れどもよ、彼奴めに思う存分知らしめてやるがよい」
 アダンの斉唱、伸べられし腕より無数の狼が湧きだし疾走する。
『ぐっ! ケダモノにはケダモノだ!』
 襲い来る黒狼を堰き止めんとスミス背後の眼差しが膨張する。本来は至近で威力を発揮する技だが、魔は去れ魔は去れと燃える|呪い《まじない》の煙草が、足取りを阻むのだ。
 狼と黒煙は怪異と喰らい呑み込みあう、此処で果てても構わぬ所存。
「宴だ。せいぜい踊り狂い、此の覇王に歓楽を提供するがよい」
 防戦一方の男を、黒き炎の追撃が襲う。まるでアダンは悪の側、其れは至極光栄! 我こそ覇王よ。
 バチバチ、バチバチ、と、拍手喝采めいた火の粉の音。それに足音を重ねて消した恭兵の口元には新たな煙草がある。「もらうよ」と相棒を視線をくれるのに、アダンは片目を閉じて応じた――そう、|呪い《まじない》も、|呪い《のろい》も、文字は同一だ。
 覇王の漆黒の業火よりもらい火、其れは先ほどの祝福と同じだけ身体能力を吊り上げる。すぅっと吹かして吐いた紫煙、それだけが場に残った。
 気配を察知しアメリカ紳士は漸く勝機を見出した。
『そこにいるのはわかっているぞ、さぁこやつらのエサとなれ』
 怪異を置いて飛翔する。
 スミスの描く筋書きは、怪異に巻かれ大人が蝕まれ、それを見過ごせず悪を気取る子供が無謀に飛び込んでくる……なのだが。
「……ハッ……吐き出されるのはアンタだろう」
 天井近くまで漂い昇る紫煙が像を結ぶ。突如スミスの傍らに現れたようにしか見えぬ恭兵は間髪を入れず居合い斬りを放つ。
『ぐあっ……ッ』
 ぶちまけられた返り血が恭兵を汚すことすら叶わない、彼はまた煙と消えた。国産煙草の臭いだけを残してだ。
「……隠す役にすら立たぬのならば、人生から吐き出されればいい」
 声はすれども姿は見えず。
 着地し荒々しく首を振るスミスの手元が急速に翳った。視線をあげても全てが漆黒。
「フハハッ! 残る怪異には、怪物を以て応じよう!」
 そこに覇王を名乗るまだあどけなさ宿す青年の容はなかった。かわりに禍々しい双翅目が教室を埋め尽くす勢いで膨張し、今や蟻のように小さき怪異を灼き払っていく。
(「――時間が、ないな」)
 恭兵の心を占めるのは相棒の削れる命への憂いだ。
 姿形は全く厭わず、スミスの全てを抑え込む様には全幅の信頼を寄せる。その信頼こそが、アダンが望みしこと。
“相棒”
 命がけの護りに応えずしてなにが相棒か!
 スーツの肘鉄からのUnder The Gun。銃声が鳴り火薬の臭いが広がる頃には、怪異を粗方剥がされたアメリカ紳士の首を数珠が締めあげている。
「……アダン、終わりだよ、お疲れ。ああ、だるい……」
 教室を埋め尽くす影が急速に萎んだ。目眩を隠し嗤う覇王に寄りかかる素振りで恭兵はその身を支えてやる。
「帰り道、甘いものでも食うとするか」
「ドーナツは嫌だな」
 そんないつもの戯れ言を交わし合う二人の前では、インビジブルにまるで囓るように肉体を消されていくリンドー・スミスの憐れな姿があった。

 ――。

●去り際の一幕
 全てを終えて階段を降りたところで、凜奈の戸惑う声を耳にする。
「えっと……いいのかな、また戻っても……親は、こっちにいて欲しそう、なんだけど……」
 息苦しい程イイコなのだなと恭兵は苦笑い。裏側には、あれほど子供を振り回しておいて所有せんとす事への皮肉笑いだ。戸惑いが横切るのに、アダンは臆せず進み出る。
「探し|者《・》は見つかったのだろう?」
 凜奈は猫を探していた。
 けれどそれは探し当ててはいけないもの。だから√能力者達はそれぞれに手を尽くした。その結果、凜奈と均は得られた筈なのだ。
 アダンはこんっと肘で隣に立ち尽くす|教師《恭兵》をつつく。
「きょうへ……静寂先生。別れの前に伝えたい事があるのだろう?」
「……」
 だが漂う沈黙が、相棒は未だ言葉を探している最中だと物語る、沈黙なのに。ならば覇王たるもの、先に語ってやらねばならぬだろう。
「何を迷うことがある」
 鏡真と無明、そして凜奈を支えた√能力者を見やってから改めてアダンは凜奈と向き合う。
「凜奈がそばに居たいのは誰だ? 自然と心が解けて容に笑顔の花が咲くのは誰と一緒にいる時だ?」
 己には守護してやりたい『依代』がいる。己が己でいる限りでてはこれない存在だ。『依代』はアダンという覇王をどう捉えているのだろう――考えても詮無きこと。
「凜奈」
 恭兵はほくろのある方の瞳を開き、ぼそりと添える。
「産まれた場所や親、それと生きていきたい場所やそばにいたい|誰か《・・》、違うことは儘あるよ」
 ――選んだ刃を後悔はしていない。だから凜奈にも周囲を伺い遠慮しては欲しくない。なんて直接的には語らない。
 だが、名家希代と謳われる青年の深い瑠璃には、渡ってきた相応が揺らめいている。故にこの言葉は重い。
「人はいつか死ぬ」
 ――そういう青臭い真っ直ぐさは、再び唇を開いた10歳下の相棒に任せる。
「故に、其の人生に悔いは少ない方が良い」
 刹那、脇の相棒の息づかいにアダンは某かを感じとる。だが今は凜奈だ。
「お前と祖母にとって後悔の無い選択をする事だ」
「後悔のない……選択」
「ああ。祖母はまだ生きてる、そうわかったのだろう? 大切な人との時間を大切にするといい」
 心安まる時間が訪れることを祈る、その旨を告げて恭兵は唇を閉ざした。
 アダンは凜奈が何処か覚悟を決めた……というか、良い意味で開き直った顔をしたのに、ニカッと歯を見せて笑う。
「そうだ、その顔だ。本当に見つけたかった所へ行くと良い」
「うん。うん! アダンくん、ありがとう。静寂先生も、ありがとうございます。みなさんも……あたし、親の顔色を窺って都合の良い子になるのはやっぱりやめます。お婆ちゃんと居たいってちゃんと言います。譲りません!」
 グッと拳を握ったのに、恭兵は唇に手をやりかけ下げた。
「凛奈にはまた心休まる時間が出来るといいな」
 ほっとリラックスした時は煙草があるものだからつい、だが学校は全面的に禁煙だ――。
 凜奈と別れコンビニの喫煙スペースにて一息つく。
「さっき俺様を見て微妙な顔をしただろう?」
「そうか?」
「この目を誤魔化せると思うなよ」
 煙る視界の向こう側、切れ長の瞳を指さして覇王に対し偽教師は肩を竦める。
「いや。覇王は流石良いことを言うものだ、とね」
“人生に悔いは少ない方が良い”
「……そのまま返していいか」
「フハハ、この覇王に意見を申すと謂うか。良かろう!」

ゾーイ・コールドムーン

●終了の鐘は鳴らずとも
 まるで授業のチャイムと共に入ってくる教師のようだ。ドアをあけたゾーイ・コールドムーン(黄金の災厄・h01339)の容はそれ程に落ち着いていて日常そのものである。
 一歩一歩、教卓に手をつき腸を抑え込むリンドー・スミスへと近づいていく。
(「リンドーは領域の維持ができなくなっているね」)
 使われていると怯えていた『彼』の気配が戻ってきている。気が早いことだと内心苦笑。だが四十年も縛られていた場所が落ち着くのは然もありなん。ならば彼を気取らせず時庇いながら戦えばよい。
「最初は不思議なことをすると思ったものだよ、リンドー」
『あぁ? お前も嗤いに来たのか、心の拠り所となる用務員を演じた私を』
「違うよ。潜入したばかりのおれは君が何処にいるかなぞわからなかった。むしろ、ただの暴力で蹂躙するよりは余程露呈しづらい。それ程に、君は実験を試行する必要があると考えていたわけだ」
 金瞳と瞳に掛かる髪が輝きを増したようにリンドーからは見えた。目を擦り、眼帯をつけ直すのを遮らずゾーイは続ける。
「√汎神解剖機関の窮状を考えれば、きみの行動を全く理解できないわけではないよ。突き詰めようとする姿勢も嫌いじゃない」
 ゾーイから見てリンドーは確かに傲慢だ。だが同時に気高くもある。救世への意志の強さは言動の端々より感じ取れる。
「ただ、きみの大義は|生命《守るべきもの》や、|生命だったもの《インビジブル》を傷付ける。おれはそれを出来る限り無視したくないんだ」
『視野が狭すぎるな。手元だけを見て破綻から目を逸らし貪る刹那の幸せになんの意味がある?』
 リンドーは、奇蹟的に残っていたドーナツを箱を握りつぶし、ため息と共に怪異の顎門に放り込む。
「おや、折角買ったのに食べないのかい?」
『貴兄らの甘ったるい主張でもうお腹いっぱいだよ』
「君曰わくの『甘さ控えめ』じゃあ満足ができないということか。彼らは随分と美味しく召し上がったようだけど?」
 ドーナツだけのせいではなかろうが、蟲翅の振動はうるさくなりは刃腕は数を増やした。減った腸を侵食する液状変異脚は、ますます立派にのたくり床に影を刻む。
『余裕かどうかは知らぬがね、長話はありがたかったよ、√能力者。やはり甘い、私は力を取戻したぞ』
「甘くて結構……おれの最初の大事なひとなら、間違いなく許容しなかった事だから。それだけでも理由としては充分さ」
 黄昏の教室を満たす声は静謐めいている。淡々と一定のリズムでもって紡がれる言の葉は、霊達へ安寧をもたらし、取引きは滞りなく締結される。
 大事なひとへの思いを語り、仮初めであれ無数の|生命だったもの《インビジブル》をこれより大事と定義する――その返礼は、尽力。
『実験は潰えたが、お前だけは殺していくとしよう。掠めるだけで良い! くらえ』
 だがリンドーの宣言は叶わず、あっさり切断された。移動を司る蟲翅も指の形に次々と朽ちては床にて跳ねる。
「……無理はするなよ」
“シマダタイチくん”
 本来の領域支配者たる亡霊へ心で感謝を述べる。今はゾーイの肩口にてシマダタイチは助力する。
「おっと」
 我武者羅に殴りつけてくるリンドー自身の拳は掲げた魔導書で堰き止めた。
「出来ればきみも傷付けず済ませたいけども……」
 魔導書を引いて蹌踉けた所に短刀をねじ込む。シマダタイチの怨念がのった一撃は人ならば致命傷だが、怪異の力を得たリンドーは倒れない。机に手をつき傾いだ儘で、粘液に浸った触手をゾーイに差し向ける。
「やはり、大人しく退いてはくれなさそうだね?」
 タイチをはじめとしたインビジブルに腕を引かれ、ゾーイは素早く距離をとった。
「……」
 怪異を失ったリンドーを前にして、ゾーイは次なる思考を領域に解放する。
「ありがとう。親愛なる君たちに心からの感謝を」
 誠実な呟きと、強引な速度の接敵。
『まだだ、まだッ……私の怪異は尽きてはいないぞ』
 リンドーが最後の力で増やした腕を広げる様は狂気めいた蟹だ。それに臆せず、|ゾーイから吹く風《心霊現象》が対抗する。
「――」
 口元を覆い衝撃を殺す、そんな黄金の男を窓からの丸い光が照らす――黄昏に固定されていた筈の特殊空間はあり得ざる月が、ある。
 千切れた羽根は指先で黄金の輝きを放つ薄い衣に変じた。指から消えるのと同時につまみあげた昆虫の爪は黄金の指輪に。
「これは正当なる報酬だよ、受け取って欲しい……ミダス王も、こうやって分け与える者であれば、力を手放さずに済んだかもしれないな」
“|触れるもの全てを黄金に《ミズタ・タッチ》”
 ゾーイは全てをインビジブルに与え、虚空に融けるのを見送ってから机と椅子に手を触れた。
「リンドー・スミス」
 あんぐりと口を開くリンドー・スミスの手を取ると、黄金の玉座へ押しつけるように座らせた。まるで間抜け面を永久保存するかのように黄金へ。それは彼の生命活動の完全停止を意味していた。
「黄金になっても、√能力者なら比較的すぐに蘇るだろうけど。今回はこれで終わりにしたいねえ」
 ふう、と床にへたり込み、ゾーイは懐を漁る。
「ああ、指輪がなくなっているな。台座の傷がお気に入りだったのだけれども……うむ、こんなものがあると落ち着けないよね」
 玉座ごとリンドー・スミスを担ぎ上げる。
 別れの挨拶はまた後ほどと口端を持ちあげて、ゾーイは窓から飛び降りる。√は既に正常に戻り、無事√EDENへの帰還を果たしていた。

 ――。

●斯くしてジサクジエン魔は去る
 √EDENへと帰還した旧館の階段を能力者達がおりる。
 昇降口では二人の少年少女が所在なげに佇んでいた。黄昏を受けて長く引く影の内、髪が長い方が待ち構えて居たように駆けだしてくる。
「それ……」
 両手を包帯ぐるぐる巻きの鏡真に驚く凜奈へ、
「……凛奈ちゃん。これからは婆さんとゆっくり、暮らせるよな?」
 戸惑い混じりに問いかける、そんなこと聞かれても凜奈は困るだろうにと無名は相変わらずの不器用さに二の腕をつつく。
「痛ェ」
「おう、すまなんだ」
 二人の様子に短く笑った後で、凜奈は俯いた。
「えっと……いいのかな、また戻っても……親は、こっちにいて欲しそう、なんだけど……」
 息苦しい程イイコなのだなと恭兵は苦笑い。裏側には、あれほど子供を振り回しておいて所有せんとす事への皮肉笑いだ。戸惑いが横切るのに、アダンは臆せず進み出る。
「探し|者《・》は見つかったのだろう?」
 凜奈は猫を探していた。
 けれどそれは探し当ててはいけないもの。だから√能力者達はそれぞれに手を尽くした。その結果、凜奈と均は得られた筈なのだ。
 アダンはこんっと肘で隣に立ち尽くす|教師《恭兵》をつつく。
「きょうへ……静寂先生。別れの前に伝えたい事があるのだろう?」
「……」
 だが漂う沈黙が、相棒は未だ言葉を探している最中だと物語る、沈黙なのに。ならば覇王たるもの、先に語ってやらねばならぬだろう。
「何を迷うことがある」
 鏡真と無明、そして凜奈を支えた√能力者を見やってから改めてアダンは凜奈と向き合う。
「凜奈がそばに居たいのは誰だ? 自然と心が解けて容に笑顔の花が咲くのは誰と一緒にいる時だ?」
 己には守護してやりたい『依代』がいる。己が己でいる限りでてはこれない存在だ。『依代』はアダンという覇王をどう捉えているのだろう――考えても詮無きこと。
「凜奈」
 恭兵はほくろのある方の瞳を開き、ぼそりと添える。
「産まれた場所や親、それと生きていきたい場所やそばにいたい|誰か《・・》、違うことは儘あるよ」
 ――選んだ刃を後悔はしていない。だから凜奈にも周囲を伺い遠慮しては欲しくない。なんて直接的には語らない。
 だが、名家希代と謳われる青年の深い瑠璃には、渡ってきた相応が揺らめいている。故にこの言葉は重い。
「人はいつか死ぬ」
 ――そういう青臭い真っ直ぐさは、再び唇を開いた10歳下の相棒に任せる。
「故に、其の人生に悔いは少ない方が良い」
 刹那、脇の相棒の息づかいにアダンは某かを感じとる。だが今は凜奈だ。
「お前と祖母にとって後悔の無い選択をする事だ」
「後悔のない……選択」
「ああ。祖母はまだ生きてる、そうわかったのだろう? 大切な人との時間を大切にするといい」
 心安まる時間が訪れることを祈る、その旨を告げて恭兵は唇を閉ざした。
 アダンは凜奈が何処か覚悟を決めた……というか、良い意味で開き直った顔をしたのに、ニカッと歯を見せて笑う。
「そうだ、その顔だ。本当に見つけたかった所へ行くと良い」
「うん。うん! アダンくん、ありがとう。静寂先生も、ありがとうございます。みなさんも……あたし、親の顔色を窺って都合の良い子になるのはやっぱりやめます。お婆ちゃんと居たいってちゃんと言います。譲りません!」
 グッと拳を握ったのに、キョウヘイは唇に手をやりかけた下げた。
「凛奈にはまた心休まる時間が出来るといいな」
 ほっとリラックスした時は煙草があるものだからつい――。
 凜奈と別れた2人はコンビニの喫煙スペースにて一息つく。
「さっき俺様を見て微妙な顔をしただろう?」
「そうか?」
「この目を誤魔化せると思うなよ」
 煙る視界の向こう側、切れ長の瞳を指さして覇王に対し偽教師は肩を竦める。
「いや。覇王は流石良いことを言うものだ、とね」
“人生に悔いは少ない方が良い”
「そのまま返していいか」
「フハハ、この覇王に意見を申すと謂うか。良かろう!」


「千桜くん千桜くん、聞いて下さい! 『喋る骸骨模型』は実際に行って検証しましたがガセでしたよ~。実はこーちゃん先生って人でー……」
 拳を握って大興奮の均へコノハはツンッと目を逸らし、すぐにくるりと目を合せた。
「こーちゃん先生」
 ゾッとするほどに海の底。暖色なのにそんな目つきをしてみせて、コノハはぽんっと肩を叩く。
「下駄箱」
 ぼそっ。
「僕はここでお別れだけれども、託した謎、どうするのか楽しみにしてるからね」
 呆気なく素っ気なく去っていくコノハに入れ替わり、やってきたのは利家だ。
「ほら、友達ができたじゃないか。それとも、もの好きが沢山いたーとでも言うのかい?」
 これが利家の自然体なのだけど、片眉を持ち上げて人差し指をたてるなんて仕草が似合うのはずるい。
「二階堂くん」
 すうっと息を吸ってから均はズレかけた眼鏡を持ちあげる。そうかと思うと指を握ったり開いたりと忙しない。それはきっと、なにかの勇気を引き寄せる為のおまじないみたいなもの。
 ダンジョンアタックをする奴の中には、入る前に必ず岩壁を蹴飛ばして気合いを入れてからーとか、入ったらまず右に曲がるーとか、そういうジンクスを大事にする奴もいる。それに近いもんなんだろう。
「あのね、二階堂くん。君は僕を救っちゃいましたかね? わ、やっぱなしで!! くぅ失言」
「ははっ」
 飄々とした利家の顔が笑みで揺れた。
 いつだってダイハード(die-hard)、息つく暇も無い。そんな自分がいつものように通り縋っただけなのだが、均は朝とは大違いの晴れ晴れとした表情をしている。
「二階堂くんの言う通り、沢山の人が手を伸ばしてくれました。僕はその手を取りました」
 別の「手を取る」でミスった相手もいたけれど流してくれた。
「なんだかみんなお別れって寂しいじゃあないですか。僕、ちょっと気づいてますよ、また|転校《・・》するんでしょう?」
 流石、リンドー・スミスに目を付けられるだけはある。なんだかんだと勘が鋭い。
「まあ……誰しも何かしらの分野で自分が一番戦っていける手段で何とかやっていってるんだと思う」
 ぽんっと肩を叩き、そのまま利家はすれ違うようにして去っていく。
「動画ッ、あげたら見て下さいね! それでコメつけてくださいよー! ネームは決めてます、平均くんです!」
「頑張れよな」
 片手をひらりとさせて応えてやる。

「帰ろ」
 ――ちょっと涙ぐんだりした目を擦り、均は下駄箱へと向かう。名前の入った蓋をあけたら……。
 コツンッ!
 滑り出て来たのは、先ほどまで臨時教師のこーちゃん先生が下げていた入館証のストラップだ。
「こんな大切なものを落としてー……ん? ひぃやぁああああああっ、死んでるー?!」
“風楽凩 享年21歳”
 なんてこと書きますかこの教育職員免許!! ぺたんとしりもちをつく均を影から見ているこーちゃん先生。ビックリ成功にししっとぴーす★

●“シマダタイチ”
 ――蛇足かと思ったが、やはりちゃんと別れは告げておきたかったのだ。
 リンドー・スミスの像を間違いのないように放逐し、再び舞い戻った旧校舎の階段を昇る。四階の奥から二つ目、少し前まで死闘が繰り広げられた場所は、いまは死んだように静まりかえっている。
「埃っぽさは払われたね。怪我の功名だ、少しは過ごしやすくなっただろうか?」
 訪れた平穏はもう皆わかっているだろう。力を貸してくれまでしたのだから。
『……ありが、とお』
 シマダタイチは姿を見せず、ただはっきりとそう告げた。穏やかに四十年過ごした霊は再び安らかなる存在に戻った。
「それはこちらの台詞だよ、沢山の助力に感謝を。ここの皆にもだ」
 すぃっと開いた窓から風が通り抜けた。ゾーイは応えるように指を翳し瞼をおろす。ここは既に取り壊しが決まっている、それが気がかりだ。
 居場所を失った地縛霊はどうなるのだろう? 成仏という概念が果たしてあるのかどうか。願わくば解き放たれてなお、漂えるインビジブルとして日々を過ごして欲しいと願う。彼らもまた嘗ては生きていた人に変わりない、だから幸いを祈るのだ。
「そろそろ行くよ。ああ、そうだ――」
 開けたドアごしに黄金の災厄は振り返る。
“もしも居場所を失って迷うことがあったなら、黄金を目印にするといい”
 そう、口にはしなかった。
 思考の海に浮いたかどうかもわからない。
 だから、これが“シマダタイチ”に伝わったかどうかも、ゾーイにすら曖昧だ。
 けれどそれでいい。
 幽霊も、厄災も、本来は形なきものであるのだから。

●平本凜奈の後日談
 最後に、三学期が終わった二人のことを記しておこう。

 あの日、サァッと悪夢が晴れていった。
 今となってはどうして「お婆ちゃんが死んだ」なんて思い込んでいたのかわからないぐらいだ。
 病院のベッドで、お婆ちゃんはいつものように目尻を下げてにこにことしていた。
 そろそろ自宅療養に入ると言った後で水を向ける。
「そっちの学校はどうだい? リンちゃん」
「えー、やだー。やっぱりこっちがいいよー。高校卒業まではこっちでって言ってたのにー」
 ぶーっと唇をとがらせて甘えるのに、両親は驚いた顔をする。
「そうかい。で、どうするんだい?」
 老女の問いかけは凜奈ではなくその両親に向けられている。それは子育てに点数をつけるようで、ちなみにこの女史は元教師だ。
 二人は嘗て我欲に耽り、我が子はいらぬと押しつけあった。
 それが今更「田舎は進学に不利だ」とか「将来のことを考えると」なんて、言えた義理か。
(「……責任を持つって言い返せない時点で駄目なんだよ。向き合わずに逃げてんだからさぁ」)
 老女は凜奈の頭を撫でる。
「じゃあ、またこっちに戻るかい? 三年生からー……」
「やだ、すぐがいいー! すーぐー! お婆ちゃんだって、退院したらお家のことするあたしがいた方がいいよね? ね?? ご飯作れるし、買い物だって学校帰りにいけるしー」
 我慢しなくてもいいのだと暗に明に言ってくれた人達がいる。だから、もう自分に嘘をつくのはやめた。
 老女と少女だけの屈託なく笑い声が病室を満たす。
 もはや凜奈の人生の舞台に両親はいない、モブですらない。

●堀均の後日談
 堀均は、鉄道系動画配信者の御園くんに、心霊系の動画を配信してみたいと相談してみた。
 御園くんには承認欲求がほぼない。
 だからクラスのカーストがどうたらには無関心だし、動画も好きだから日記の感覚であげていただけと言い切られて、自分のちんけさにちょっと落ち込んだり。
 動画撮影と編集はお父さんとの協力プレイ。
 そりゃそうか、未成年が遠距離をホイホイ出かけられるわけもない。
 御園父に「春休み、オカルトスポットへの三泊旅行に行こう」と誘われて、トントン拍子に予定が決まった。
 その際に均は御園父からひとつのミッションをもらった――即ち「オカルトスポットのことを調べて、見所などを説明して楽しませて」である。
 ……失敗してもいい。
 ……やってみることが大事。
 そう背中を押された。
 それどころか、均を下げてばかりの親にも御園父は掛け合ってくれた。
 親と相性が合わなくても、こういういいおじさんや友達と縁ができるのっていいなぁとしみじみする。
 これもきっと、ふらりと現れて気負いなく話をしてくれた|彼ら《・・》のお陰だ。
 色々な人がいた。
 転校生や転任してきたって言うのに、すぐに学校で見なくなったのが残念だったけど。
「いつかアップする僕の動画を見つけてくれるといいなぁ。コメントも欲しいー」
 そうだ、だったらまずは動画にしてあげないとなぁ。こんな形の発露なら、承認欲求を悪者にすることもないだろう。
 文字だけの一言のコメントだとしても、かわる切っ掛けをくれた|√能力者《彼ら》とまた縁ができればいいな。


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