⑤歪な幸せの|輪舞曲《ロンド》が鳴りやまない
#√EDEN
#ゾディアック継承戦争
#ゾディアック継承戦争⑤
#心情中心
#キャラクターの内面や設定を傷つける可能性有
#こういった描写が苦手な場合はプレイングにて指定頂ければ配慮可
#詳しくはシナリオのマスターコメントを閲覧お願いします
#MS追記:簒奪者を倒せば空間は崩壊します
――きっと、これは騙されたという話なのだろう。
幸せの|輪舞曲《ロンド》が鳴り響く。
いいや、騙されたわけではないかもしれない。
「此処にいる人々を幸せにしてくれ」
これが『|死亡遊戯尊《デスゲームのみこと》』との取引内容だった。
だから皆を幸せにする為に|輪舞曲《ロンド》が鳴り響く。皆を幸せにしようと鳴り響く。
だけど此処にいる彼らに辛い事、悲しい事が語り掛けてくる。過去に有った事、そうなったら辛い事、記憶の奥底の有る無しに、現実や妄想に関係なく嫌な事ばかり耳の奥に響いてくる。目の前で語り掛けてくる。
そういう場所に彼が仕上げたから。
幸せの|輪舞曲《ロンド》が鳴り響く。それでも幸せにしようと全ての√能力を使って幸せに導こうとする。
その結果がこれだった。彼らは辛い事や悲しい事が幸せだと感じている。辛いままに悲しいままに幸せだと感じてる。
こんなの心が耐えられない。でも彼らは死ねないのだ。絶対に、絶対に。ただの人である彼らは死ぬことが無い。
だから幸せの|輪舞曲《ロンド》が鳴り響く。歪な幸せの|輪舞曲《ロンド》が鳴り響く。
簒奪者にも自分で止めることができない。これが取引だから止めることができない。
永遠に続くハッピーエンドを求める彼にも、この空間は地獄だけど止められない。
そしてまた、歪な幸せの|輪舞曲《ロンド》が鳴り響く。悲鳴や嗚咽、自分の体をかきむしる音と共に歪な幸せの|輪舞曲《ロンド》が鳴り響く。
……誰か、この|輪舞曲《ロンド》を、終わらせて。
「……契約書はちゃんと読もう。って話でもないかな?」
少しでも場を和まそうとして、それでもシーネ・クガハラ(魑魅魍魎自在の夢幻泡影・h01340)の顔は、しかめっ面を抑える事が出来ずにいた。
「うん、こんな話は手早く終わらせようっか?じゃないと、誰も救われないしね」
簡潔に言えば状況はこうだ。
『|死亡遊戯尊《デスゲームのみこと》』によって八重洲博多ビルの一角が【辛い事、悲しい事が語り掛けてくる】空間に改造されてしまったのだと言う。
そして、その中で永遠に続くハッピーエンドを求める簒奪者が、彼らを幸せにしようと様々な√能力を使っている。
その結果、出来上がったのが【語り掛けてくる辛い事、悲しい事が辛いまま、悲しいままに幸せに感じてしまう】空間になってしまったのだ。
そんな空間に囚われてしまった民間人達の心はズタボロになってして、自ら命を絶とうとしている人までいる。だが、絶対防衛領域によって死ぬことは無く、ずっと囚われたまま、生き地獄を強いられているのだ。
「何がアレって、この状況を簒奪者自身も望んでないって所かな。誰も幸せにならない歪な永遠の幸せ|輪舞曲《ロンド》って訳だね」
そういう事も有り簒奪者自身が積極的に抵抗する事は無いとの事。とはいえ既に簒奪者の√能力は使われていている関係上【語り掛けてくる辛い事、悲しい事が辛いまま、悲しいままに幸せに感じてしまう】空間の影響は受けてしまうのだが。
「そういう訳で心は強く持って挑んでほしい……としか言えないね。簒奪者に少しでも攻撃が届くのなら、何時かは終わる筈だから」
こんな事しか言えなくてゴメンね。と、星詠みの小さな少女が一言だけつぶやいて。
√能力者の歪な幸せの|輪舞曲《ロンド》は幕が上がったのだった。
第1章 ボス戦 『追憶のカルーセル』
――幸せなのに辛い?どういう状況なんだろう?
どうにもしっくりと来ないと首をかしげる蒼肌のドラゴンプロトコルの少女。
シアニ・レンツィ(|不完全な竜人《フォルスドラゴンプロトコル》の見習い羅紗魔術士・h02503)の疑問は、八重洲博多ビルの中に入ると直ぐに解けた。
だってこんなに幸せなんだもん。
人と違う。たったそれだけで、この身体へと向けられる好奇や嫌悪の目。
痛いほどに味わった記憶、これを思い出すのは正直分かってた。
なのに、どうして。どうして、こんなにあたし、幸せなんだろう。
忘れようとする力が働いて「忘れる」までの間、ずっと苦しかったのに。
こんなに人が好きなのに。人と関われば関わるほど自分は、ここにいるべき存在じゃないと突き付けられる感覚が悲しかったのに。
あれもこれも思い出すと苦しいのに、思い出したくなくて悲しいのに、幸せなんだ。とっても。
これ、きっとダメな奴だ。
だって何時もだったら逃げればいいんだもん、目を背ければいいんだ。元々我慢すれば良いだけなんだ。
耐えてれば辛い事って過ぎ去っていくのに、幸せな気持ちが目を背けさせてくれない。
触らなくていいイガグリを、体が勝手にぎゅっと抱きしめる様に、辛くて悲しい気持ちが離れていかなくて、幸せ。
自分の体を、何時もよりもっと嫌いな形にさせてゆく。
両手を力強く人からかけ離れた竜の腕にして。
両足も速く走れるように竜の脚にして。
こんな状況でやりたくないけど、直ぐに終わらせないと、どうにかなっちゃいそうで素敵で幸せなんだ。
訳の分からない考えを振り払うべく一度頭を横に大きく振って。走り出そうとして。
周りが見なくなっていて、半端な足が誰かの体を踏んでしまいそうになってしまう。
慌て足を止めたけど……どうして?
どうして、踏みつけようとした時に、とっても幸せに感じるの?
【だって、そうやって生きてきたものね|あたし《シアニ》?】
あれは、誰だろう。誰かがあたしの声であたしに喋ってる。
いや、知ってる。知りたくない。分かっちゃう。アレはあたしだ。ホントのあたし。完全な竜のあたし。知らない筈の知ってるあたし。
【人間なんてゴミくずで、踏みつければ潰れちゃう虫けらだもん。楽しかったよね?そうやって遊ぶのが】
うんそう、遊ぶのって楽しくて幸せ。違う、楽しくなんてない。人の事は好き、大好き。大好きなんだ。
だから違う。今は違う。でも幸せ。竜の私は人に酷い事をするのが幸せで、幸せで。
……使って、使ってもらわないと。あたしを使ってもらわないと。
だって悪い竜のあたしだから。悪い事をしたら罰を受けないと。
擦り減って傷付いて、潰れたらゴミクズみたいに捨てられるのって幸せだから。
道具の様に扱ってもらえて、人の傍に居られるのって幸せだから。
だから、さあ先に進もう。人の為に働ける!
悪いやつをこの半端な手足で殴り倒しちゃおう。それがとっても幸せだから!
こうやって、こうやってこうやって。蹴って、殴って、叩きつけて!うふふ、幸せだなぁ!だれかのためにたたかうのってしあわせ!
少しでも長いあいだ使ってもらえたらいいなぁ!
……おかしいな。まるで笑顔が張り付いたみたいに表情が変わらない。
幸せなのに。辛いのに、苦しいのに。
気持ち悪い。とっても、幸せで体の中から、何かがこみ上げてきそうで気持ち悪い。
あ、そっか。簒奪者にダメージを与えたから√能力の効力が切れかけて……
【バカだなぁ。そんなになるまで人の為に戦って、一体何の為になるの?】
うるさい。だまって。……聞こえたくない、だまって。嫌い、わたし嫌い、好き。嫌いで好き、しあわせ。
あれ、わらいかたって、これであってる?なみだがずっと、とまらない。
……もう、なにもかんがえたくない。
【お前が、オレを殺したんだ】
――ああ、こう来るだろうな。
目の前に現れた親友の、死んだ筈の親友の口から自分をなじる言葉が何度も飛び出る。
それがクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)には幸せでたまらない。
何時だってそうだった。
どうして自分が生き残り、あいつが死んだのか、ずっと考えていた。
明るくて、強くて、カリスマにあふれている戦いの天才。
学園の中心人物は皆の希望で、太陽だった。
……だから、あいつが俺を庇って死ぬなんて、あってはならなかったんだ。
あの瞬間、俺の中で希望が潰えた。いいや俺達の希望が消えた。太陽が沈んだんだ。
俺は裁かれるべき男だ。あいつはそんな事を望んでないって分かってる。でも罰を受けるべき人間だ。
こんな事、あいつが言うはずがないんだ。 でもこれが有るべき姿なんだ。あいつからこうやって言葉を突きつけられるのが、とても幸せで。
ふと、倒れている人が目に入る。目に入ってしまった。
只の人、此処では死ねない人々が居る。もがいて、苦しみの中で、生きている。生かされている。
咄嗟に体に力が入る。止めろという声と、動けという声が、頭の中でメトロノームの様に揺れ動く。
【今更、|英雄《ヒーロー》ごっこか?】
そうだ、止めてくれ。いいや、あいつの声でそんな幸せな事を言うな。
あいつは確かに失った。それでも新しく自分と一緒にいてくれる人々が居る。
そしてあいつも、仲間も、この状況でやる事は一つしかない。戦う理由は一つしかない。
だから動く、動ける、動いてしまう。この幸せを壊してしまう。
手に掛けたのは、良く知っている物。脳裏に浮かぶのは√ウォーゾーンでの戦いの中、何度もあいつと共に見た景色。
その名前の通り、まるで天が割れたかの様に降り注ぐ光が綺麗だった、星に還ったあいつの|形見《レイン》が涙の代わりに簒奪者へと降り注いでゆく。
【ああ、そうだよな。お前はそういう奴だよ】
そしてまた、見てしまった。
光の雨が、親友の幻影を貫いた所を。
【信じてたぜ相棒。お前はこうするって。先に進んでくれるって】
待て、止めろ。それ以上言うな。
お前は確かにそう言うだろう。でも、言わないでくれ。
【オレの分まで、しっかり頑張れよ】
ダメだ、駄目だ。止めてくれ。
それは俺の幸せじゃないんだ。それは、俺の。
【やっぱり、お前を救えてよかったよ……】
やめろ、お前がそんな事、言わないでくれ。
優しい、全てを許すような、気にしない様な笑顔を見せないでくれ。
……こんな幸せが、有ってたまるか。
感情とは然るべき場所、然るべきタイミングで吐き出さなければならない物だとミユファレナ・ロッシュアルム(ロッシュアルムの赤晶姫・h00346)は言う。
幸せは幸せであるべき時に、悲しみは悲しむべき時に。でなければ淀んでいく物であり、くすんだ心を生み出してゆく。
それはとても残酷で、許されない事だろう。
――けれど、あなたは形はどうあれ、他人に幸せであれと願ったのですね
その願いだけは否定できない。その思いは無碍に出来ない。
何故なら自分もそうだから。人々の幸せを私も願ったのだから。
今は遥か彼方に思いを馳せれば、目に浮かぶは懐かしきロッシュアルムの姿。
詩に聞こえる壮麗な城、平和な街並み、輝かしき技術の粋アーティファクト。
麗しき我が故郷、守るべき民の平穏な日々。
それらが全て、音を立てて崩れてゆく。
崩れ行く天の世界、争いあうセレスティアル達。力無く地上へ落下するアーティファクト。
あの日の光景、失楽園戦争の始まりと共に崩れ行く天の世界。
怒号、悲鳴、嗚咽のオーケストラが高らかに奏でられて。
嗚呼、それがなんて甘美で心地よき天上の音色に聞こえるのでしょうか。
……こんな風景を見ていては、集中できたものではない。
仕方ありませんね、と。こめかみに指を突き付け魔力を流して術を解けば。
突如パチン、と視界が弾けて闇が広がる。良く見知った闇が広がる。
元より光を持たずに生まれた身。視力を補強する為に道具を頼るように、何時も光を得る為に掛けていた術式を今解いたのだ。
これで聞こえるのは雑音だけ。戦火の広がる地獄の音色、その全てを頭の片隅へ。
呼吸を整え魔力を手に集めて。一歩一歩、音色の流れる元へ、簒奪者へと近づいてゆく。
永遠とも流れたに思える60秒により、その手から放たれるは竜がもたらす破壊の奔流。
その濁流が簒奪者を飲み込んだのである。
【姫様、姫様は目が見えないの?】
破壊の音と共にオルゴールが聞こえる。オルゴールの音と共に昔の記憶がよみがえる。
これはそう……とっても、とても昔の話。まだ自分が子供の頃だった話だった様な気がする。
聞こえてきた声に、肯定の言葉を返したはずだ。声色から純粋な疑問をぶつけられていると分かっていたから。
【だったら、私が姫様の目の代わりになるよ。色々お話、聞かせてあげる!】
その時の少女の笑顔を今でも覚えている。見えなくても分かる位に、笑顔から出てきた言葉だと信じている。とても、とても心が暖かくなった事を覚えている。
あの子の笑顔を、もう一度見たい。
……そう、これこそが本当の幸せという物だろう。
――思い当たる事は幾つかあった。
知り合いの真壁・蒼穹 (飛燕空剣流末弟子・h02281)と共に八重洲博多ビルの前に立つ恵宮・アキ(恋愛知らぬ心優しき乙女・h13025)の胸中に渦巻くのは不安の数々。
今までいくつもの悲しい事、辛い事を経験してきた。目を覆いたくなるような物だってある。
だが罠を仕掛けられていると知りながら、心を弄る非道の罠と知りながら。それでも人々を救う為、二人は自動ドアをくぐり中へと入る。
そんな、ありえない。
ビルの中で、まず目に入ったのは簒奪者のカルーセルと倒れ伏す人々の姿。皆、悲しみと苦しみと共に幸せを抱き、死ぬことも出来ず延々と回転木馬の如くこの状況を抜け出せないでいる。
しかしアキの視点は、たった一つの場所を注視していた。居るはずのない者を見つめる目をしていた。
カルーセルの前に一人の女性が立っている。この状況をまるで意に介さず立っている。
その姿に見覚えがあった。忘れるはずがなかった。
【アキ】
忘れるはずがない。その声を忘れている訳がない。
振り返って微笑むその姿は、間違いなく母さんの物で。17年前に、自分のせいで居なくなった筈の母親が元気な姿で、そこにいる。
別離の悲しみが胸を突き、再び会える喜びに思いがあふれ、あふれ出る涙が止まらない。
どうして、何故?そんな事はどうでもいい。もう一度会えたのだから話したいことが、やりたい事が沢山ある。
だから、だから――
「アキさん……アキさん!?」
それはビルに入ってすぐの事だった。
とても綺麗な歌声が響いた瞬間、隣にいたアキの目が虚ろとなって立ち尽くしてしまっていたのだ。
「お母さん……死んでる……一緒に」
うわ言の様に発する言葉に脈絡が有るようには見えず、明らかに正常な状態ではない。
恐らく歌声の所為でこうなった事に間違いはなく、何かしらの幻覚を見ているのだとも推測も出来る。
(そういえばアキさんの欠落については何も聞いてないけど)
だが間違いなく、アキが発する言葉からして関係している事なのだろう。
そして、自分が影響を受けていない理由は間違いなく自分の右手にある。
√能力を無効化する力。これが今自分の身を守っている。
だからこそ、この状態は簒奪者の√能力に関係するのは間違いない。
「あれを何とかすれば!」
決断即決。√能力の触媒となるドローンを宙に浮かべ、簒奪者へと一直線。
歌声は右手で消し去りながら、懐へと。回転するメリーゴーランドの台座の上へと乗り込んだ蒼穹は手に持つ霊験あらたかな刀剣を両手に握る。
「アキさんを、返せ!!」
特に抵抗はない。彼だってこの状況を望んではいないのだ。
剣は真っすぐに、一刀両断。簒奪者の体を縦に切り裂いたのだった。
だから、この話は此処で終わりなのだ。
まるでステンドグラスに拳を突き立てたように、剣で切り裂いたように。
アキの見ていた物にヒビが入る。世界が音を立てて崩れてゆく。
「え……待って」
覚めていく頭と共に、目の前の姿が薄れてゆく。消えてゆく。
「駄目、嫌、嫌!!」
テーマパークの閉園を知らせる音楽が鳴るように、開けない夜は無くいずれ朝が来るように。
愛した母親の姿は、硝子の様に砕け、砂の様に消えてゆく。
「やだ、お母さん、お母さん!!」
「アキさん、しっかりして!アキさん!!」
慌てて手を伸ばして何かを掴もうとするアキ。
その姿を見て、慌てて蒼穹が両手でアキの体を抱きこんで止めようとする。
「離して!お母さんが、お母さんが消えちゃう!!」
「落ち着いてアキさん!最初から……最初から誰もいないんですよ」
蒼穹の言葉に、呆然としたアキが現実へと追いついてゆく。理解してゆく。
あれはただの幻であった事、自分が夢を見ていた事。
生き返った訳ではない事を。
「あ……ああ……」
理解してしまった。簒奪者の√能力はもうなく、彼女の胸の内にあるのは悲しみや苦しみだけで。
「やだ……やだやだやだ!!」
張り裂けそうな程の感情が、涙となって溢れて止まらない。
周りに人がいる事を、今自分の傍に蒼穹がいる事を忘れてしまう程に、どうしようもなく止まらない。
(アキさんのこの様子……明らかにおかしい……。アキさんの過去に一体何が……?)
蒼穹が疑問に思うのも仕方ないだろう。それほどまでに悲しみが、苦しみが深いのだから。
しかし、それを今知るのはアキしかいない。
だって、とても、とても素敵な夢だったのだから。
悪辣で残酷、悲しくも美しい、幸せな夢を見ていただけなのだから。
この惨状を、なんとも醜悪な舞踏会だと冬嗣・涼黎(死灰・h10123)は胸裏に思う。
そもハッピーエンドというものは、総じて限られた者にしか用意されていない物だと。
ましてや永遠に続くなど、もってのほか。他人に与えようなどと考えること自体、烏滸がましい。
何より奪う側の立場がそれをしているのだ。上手くいくはずがないだろうと。
そう思いながら、唾棄しながら。
このふざけた空間は容赦なく記憶の奥底を覗き、暴いてゆく。
脳裏に浮かぶは生誕からの記憶。
かつて、生きることは復讐だった。
祝福されない誕生。望まれない命が、求められる存在よりも長く在り続ける。
嗚呼、何とも言い難い。これほど滑稽なことはないだろう。
くだらない、ただの自己満足。ただ臓器が脈打つからこその生存本能。
それだけのために地を這い、泥水を啜って生きてきた。
その為に天狐に憑かれ、この身を繋いできたのだ。
そして今は、ただ彼らの最期の願いのために生きている。
【生きて】
嗚呼、そうだろう。そうだろうとも。此処で出てくる人物など限られてくる。
柔らかに微笑む優しいその人を名を忘れることは無く、最後に掛けてくれた言葉を忘れる筈がなく。
母の姿は見えずとも、父の姿がそこに見える。
幻とはいえ、その姿を見るだけで、言葉を聞くだけで心を悲しみや苦しみの矢が貫き、その痛みが幸福に変わる。だが自分にとってはどうであったか?
幸せは悲しみや苦しみに塗りたくられていたのではないか。覆水盆に返らず、過去はもう変えられない物なのだ。
だから彼らの願いをかなえよう。生きろと言うのであれば生きようではないか。生を全うしようではないか。
語るは高木大神の遣はわせし八咫烏。古事記に記した天の遣い。
迷い惑うこの場所であろうと、神鳥の導きに違いなし。
烏よ、導きたまえ。導きたまえ。このふざけた円舞曲を終わらせよう。
追いかけるがままにカルーセルへ。簒奪者たる回転木馬の前へと立つ。
ゆらりと呪われし漆羽を手に斜めに一線、幻像映す硝子玉の心の檻ごと切り裂いて。
音を立てて舞い散る煌びやかな欠片達と共に、優しき笑顔をした幻も煙となって消え失せてゆくのであった。
反哺之孝という言葉が有る。
成長した子烏が、親鳥にエサを運んで恩返しをするという言い伝えに由来する物だ。
もう親烏は居なくとも、それでも返せる恩は有るだろう。いいや、あるに違いない。
【ただ、貴方が生きてくれるだけで……】
そうも語ろう。そうも騙ろうとも。
このように信じなくては、あまりにも悲しいではないか。
……きっと彼らも、そう望んでいる。そう思わずにはいられないのだ。
――あれはいったい誰なのだろうか?と、白百合・蓮華 (徒花の|実《じつ》・h12988)は思う。
ワルツが聞こえたかと思えば、いつの間にか現れた人影がいる。
こちらを向いた目の前の人物の顔は、のっぺらぼうという訳ではないのに良く見えない。
アレはいかなる人なのだろうか。それともデュラハンか飛頭蛮の類だろうか。
……いいや、いいや。あれを知っている。僕はあれを知ってる筈だ。
むしろ知っていなくてはならない筈だ。
何も言わず、何も語らずとも。こうして分かっているのだから。
アレは間違いなく、きょうだいの一人のハズだろう?
心臓の鼓動が早くなる。呼吸が浅く、短くなってゆく。
あれだけ研究の為に酷使してきた頭が事実を拒絶する。その度に幸せが、苦しみと共に襲い掛かってくる。
ああ、駄目だ。解析するんじゃない。知ろうとするな。分かろうとするんじゃない。
もうきょうだいの顔すら覚えていないなんて事実、知りたくもなかった。
だったら家族は……かぞくは?駄目だ、駄目だ駄目だ!
何故こんなに頭が働くんだ!!こんな事でどうして……
頼む何かを言ってくれ。語り掛けてくれ……何も思い出せないのだから――?
それは唐突に全てが終わった。暗がりから何かが彼か彼女の体を突き刺したのだ。
貫いた何かに見覚えはある。アレは僕が使う棘の枝だ。
じゃあ、あれは僕がやったのか?……僕が?
棘の枝は僕の悲しみや幸せに応えるように、何も言わない体を切り刻んで、引き裂いて。
なのに彼か彼女は何も言わない。こんな事になっても何も言わないのだ。
分かっている。アレは幻なのだ。簒奪者の√能力による物なのだ。
だから、こうするのは正しい事で。正しいハズで。
でも、分かってしまう。あれが何も言わないのは……言わないのは。
僕が彼、彼女のことについて何も分からないからだ。忘れてしまったからだ。
知らない物、分からない物が声を出す筈がないのだから。
……また分かった。分かってしまった。
乾いた笑いが木霊する。まるで中身のない感情が心に飛来する。
だから辛い、悲しい、苦しい。さっきまでよりも、深く分かってしまった。
だから幸せ、幸せ……幸せ?
こんな物が?こんな物が幸せだと?
……何とも最悪な科学反応だろう。
吐き気がする。頭痛がする。
脳の認知を狂わされてると理解できた。研究者として解を得たことは僥倖なのだろうか?
これを、此処にいる一般人の皆は味わっていたのだ。
こんな物、普通の人間は長く耐えられない。だから彼らは芋虫の如くこうして倒れ伏しているのだ。死ぬことも出来ずに。
僕らが潰れたらこの人達は助からない……助からないのだ。
なんてことだ。能力者としての使命に、救われる日が来るとは思わなかった。
心にプレッシャーを掛ける。悲しみや幸せよりは遥かにマシだ。
先ず√能力を最大出力、百合の香気を拡散する。耐えがたい虚脱感が、今の場では救いだろう。
眠るといい。全てを閉ざして眠るが良い。
苦しみ、幸せ、全ての情動の認識回路を一度閉じてしまおうじゃないか。
苦しむのは、幸せに打ちひしがれるのは僕だけでいい。眠っている間に全てを終わらせるから。
頭の中がすっきりとして来た気がする。それはつまり、香気がカルーセルにも聞いてる証。
今こそ出でよ加護の腕と。言葉にすれば顕れる巨大な一対の白い腕。
それが祈るように、包み込むように。掌を合わせてカルーセルを押しつぶす。
君のことは知っている。いわば君も被害者のハズだ。
だから大人しく、大人しく潰れてくれと希う。
果たしてそれは祈りの所以か。それともただの力学的な現象か。
メキメキと音を立てる回転木馬にヒビが入る。材木が潰れる音が響き、棒で支えられた白馬は倒れる。
……終わったのだ。全てが終わった。
なのに。なのにだ。
どうしてまた現れるんだ。名も知らないきょうだいかぞくよ。
簒奪者の√能力の残り香だと知っている。分かっている。もう悲しみも幸せも無理やり感じることは無い。
だから、胸を突くこの思いは、僕の物だ。本物だ。
だから、せめて、せめてだ。
……お願いだよ。声を、聞かせてほしい。
