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『花街花唄・恋賛歌』花街連続殺人未遂事件

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●『花街花唄・恋賛歌』
 それはしんしんと雪の降る、寒い寒い日で御座りました。
 わっちの名は『————(何故か文字が歪んでおり、解読不能)』、花街ではちょいと名の知れた、しがない花魁でありんす。
 花街は花の街、その名の通り、朝も昼も夜も無く、花の咲き乱れる街で御座りんす。女盛りの娘達が、着物や簪、紅に白粉、花が華と花開いて、煌びやかに着飾って。道行く殿方の赤い糸を少々乱暴に引っ張り申しては、甘い甘い嘘と睦言と体温を混じり合わせては、大人の|御飯事《おまんまごと》で遊ぶ。この街で、女というものは棚に並べられた和菓子と同じでありんす。夢を売り、愛を売り、恋も青い春も、なにもかもを売り捌いて飯を食う。女盛りの娘達は、そうして日銭と御飯を稼いでは、日々をただただ懸命に生きるので御座ります。
 生きるだけ、そう、ただただ生きるだけの日々。
 わっちも同じ。ただ生きるだけ、ただ生きるだけが人生であり、生きる意味などありんせん。そんな日々を|一夜《ひとよ》、一夜、また一夜と通り過ぎ、細い細い月の形の移り変わりをわっちはゆるりと眺めておりました。ふくりふくりとふくれる月が、それはそれは綺麗なお月様になった或る夜、その人は現れたのです。

 しんしんと雪の降る、寒い寒い日で御座りました。
 わっちの|遊郭《おうち》の門をドンと叩く、乱暴なお方がおりました。
 真っ白な雪に良く映える、赤い赤い血化粧を全身に施したその方は、息も絶え絶えで、既に意識もないご様子でありんした。辻斬りか、物乞いか、けれどもよくよく見れば立派な身なりに大層な|武器《エモノ》を携えたそのお方は、とてもそうは見えしません。巷を騒がす物の怪の、その退治をしてくれたお方なのでしょうと、道行く方々がお噂しております声が耳に入ります。けれどもそのお声には、決して良い|感情《おイロ》はありんせんした。憐れみと、蔑みと、それはそれは、人々を困らせる物の怪を退治してくださったお方に掛けるものではありんせんものでした。
 もう、助からないだろうと揶揄するお声も聞こえ、その刹那、わっちは目の前が燃えるような赤に染まったのを覚えております。何故でしょうか。多分、その瞬間に、わっちの脳裏に、幼少期の思い出が蘇ったからに他なりんせん。

 わっちの家は、どこそこにもある普通の家。
 父がおり母がおり、兄が一人と妹が二人、極々平凡な慎まし暮らしをしてありました。良く申せば優しい、悪く申せば人の良い両親でありんした。故に友人の借金の保証人にさせられてしまったのでありんす。わっちが今、|花街《ここ》にいる理由もそれで御座りんす。こんな話、戯言よりもお耳触りの悪いもので御座りましょう。故に語る程の物語はありしません。
 兎にも角にも、わっちはその時にそのお方に投げ掛けられた罵詈雑言の数々が、わっちの両親へ投げ掛けられた言葉と重なって聞こえたのでありました。
 衝動のまま、そのお方を部屋へと招き入れ、三日と三晩と世話をしました。有難い事に、わっちには蓄えもありんしたので、それを使って医者を呼び、更に三日と三晩と世話をして、そうして一週間と日が経ったある時に、そのお方は目覚めたのです。
 彼は名を『————(何故か文字が歪んでおり、解読不能)』と申しました。とても、とても美しいお方でした。容姿、ではありんせん。その御心が、人としてのその在り方が、とてもとても美しいお方でした。
 わっちを花魁と知っても、彼は偏見の目を持たず、女ではなくひとりの人間として向き合ってくださったので御座います。花として、女として、夜を遊ぶ蝶として扱われてきたわっちには、それがいたく新鮮で、そして大層嬉しいものでありんした。
 彼との日々は、それまでただただ生きるだけだったわっちの日々に、ほのかな彩を、やわらかなぬくもりを、確かな華を添えてくださったのです。

 『(何かが書かれていた跡があるが解読不能)』

 けれどもそれも束の間、わずか、泡沫の夢。
 すっかりと回復した彼は、お国へ帰るとわっちにそう告げたのでありんす。
 わっりはその想いを理解してありました。時折彼が、とてもとても寂しそうな目をしては、夜、細い細い月の形を指でなぞっていたのを知ってありましたから……。
 ついにこの日が来てしまったのかと、わっちは思いました。
 覚悟はしてありんした。けれども、その覚悟を大いに揺さぶり、この胸の内を凍える程の寒さが、侘しさが覆っては、目の奥をじんわりと熱くさせるのでありんす。どんな仕打ちをされたとて、この|涙《ブキ》だけは使うまい。わっちのその硬い決意さえも、いとも容易く瓦解させ、この頬を静かに濡らす程には、わっちの胸は深い深い感情に満たされていたのです。
 わっちは彼に乞いました。
 わっちの最初で最後の我儘であり、わっちの今生での最後の願いです。

『花街の花は、夢を売り、愛を売り、恋も青い春も、なにもかもを売り捌いて参りました。
 けれども今宵一夜だけは、この花に夢を、愛を、主様の何もかもを頂きとう御座います。
 わっちは花魁。されとて女。一人の男を愛してしまった、浅ましくも醜い女でありんす。
 どうか、どうか、その御心にお情けがあるのならば、どうぞこの、憐れな女の願いを聞き入れておくんなまし』

 旅立ちの朝に、結んだ小指。いつかまた、逢えますように。
 指切りげんまん、嘘吐いたら、嘘を吐いたら、どう、いたしんしょう?
 嗚呼、そうでありんすね。わっちは、わっちは(————何故か文字が歪んでおり、解読不能)。

●案内人:クルス・ホワイトラビット
「———と、まあ、これがとある花街で流行している悲恋小説の一説さ」

 分厚い文庫本がぱたんと閉じられる。
 ありきたりな物語だろう、と、小首を傾げながらそれを机の上に置く小柄な少年は、そのままゆっくりと腕を組むと、こほん、と、ひとつ咳を払う。

「この本に興味があるなら貸してあげるから、任務が終わった後にでもゆっくりと読んでおくれ。
 さてさて、僕が君達を呼んだのは、この本を紹介する為なんかじゃない。

 実はね、この本が流行している√妖怪百鬼夜行のとある街で、奇怪な事件が起こっているのさ。なんでも、この本を読んだ女性達が次々と逮捕されているんだよ。罪状は殺人未遂。とある人は自分の恋人の首を、女性とは思わぬ力で締め上げ。とある人は料理をしていた包丁で家族を刺し殺そうとしたらしい。その後も似たような被害が、続々と各地で上がっているんだよ。幸いにも未遂で終わっているから、今のところは軽い怪我人程度で被害は済んでいるし、事を犯した女性達も落ち着いているみたいだ。少しばかり話を聞いたところ、どうやら自分がどうしてあんな事をしたのかすら分かってないみたいだ。なんでも、『読めないかった筈の場所が急に読めるようになった』と思ったら、その日、突然意識を失った。らしい。より詳しい事は、現地に赴いて直接調査しないとわからないというのが現状だよ。

 兎にも角にもこの事件、これ以上大きな被害が出ないよう、早急な解決が求められている。急いでおくれ、女王様の定めた時間は絶対だ。遅くなればなるほど、命と肉体はその手を分かたれてしまうよ」

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第1章 日常 『妖怪新聞!』


九段坂・いずも
柏手・清音
敷石隠・船光
荒野・ハイエナ
シアニ・レンツィ
葵・慈雨
野分・時雨
月居・朔
久世・八雲
リリンドラ・ガルガレルドヴァリス

●文字と物語で溢れた街。
 しゃんしゃんしゃらりと銀が揺れる。道行く乙女の簪飾り。
 風と歩みに揺られては、しゃんしゃんしゃらりと街を賑わす。
 どこかの世界の遠い昔のその時代、大正浪漫という言葉があった。それを良く知る人間ならば、その時代の花街、所謂夜の歓楽街のような光景が目の前に広がっていると感じる事だろう。赤を基調とした木造造りの建物が立ち並び、花飾りや暖簾、派手な立ち看板が、店店の特色を色濃く表している。色とりどりのネオンの代りにはトンボ玉のような提灯が、まるでクリスマス飾りのイルミネーションのよう煌めいては、ゆらりゆらりと風に揺られ、街中を照らしている。落ち着いた色合いの瓦屋根に、看板代わりの大きな提灯。ぽつぽつと植えられた街路樹さえもどこか艶を帯び、その枝を何とも色っぽくしな垂れさせながら葉っぱの着物で着飾っている。何とも古風、何とも雅やか、いっそ時代錯誤とも思える街並みの中、道行く人々の恰好も着物を主としたハイカラなものばかりだ。
 ふと、鼻腔を擽るはインクと紙、独特のあの匂い。スマホではなく新聞を片手に、ネットではなく雑誌で情報収集する彼らに、目を丸くする人もあるだろう。不思議な古本屋や出版社が多く立ち並んでいる事にも気が付いているのかもしれない。そう、この街は『文字と物語』を愛する人々によって作られた街。決して文明が劣っている訳ではない。ただ、電子書籍ではなく紙媒体を愛するが故に、この街の特色がそうであるだけだ。

「わぁ……すっごぉい! あのお話みたいな街だね!!」
「ええ、初めてきたけど、綺羅びやかな世界ね、何処か哀愁があるというか、不思議な感じ」

 きらきらと目を輝かせながら街を見渡すシアニ・レンツィとリリンドラ・ガルガレルドヴァリスのドラゴン娘二人組だ。彼女らに微笑ましそうな笑みを零しながら、葵・慈雨が彼女に声を掛ける。

「シアニさん、と、リリンドラさん、だっけ? 二人共こういう場所に来るのは初めてなの?」
「ええ、まあ、お恥ずかしながらそうなの……」
「うんっ! あたしもあたしもー! こういう世界ははじめてだよ! なんて言うか、凄く独特な感じ? とっても綺麗だね!!」
「確かに結構独特だね! わたしはこの世界の出身だからあんまり新鮮味がないと言えば無いんだけど、それでも気に入って貰えたなら嬉しいな! ねっ、しぐちゃん!」
「は、はい?」

 まさか話を振られる等、露程にも思っていなかったのだろう野分・時雨は思わず目を丸める。同意を求めるようにえへへっと無邪気な笑顔を浮かべる葵と、あなたもこの世界の出身なの?と目を輝かせているドラゴン娘二人組に、ほんの一瞬、本当に一瞬だけの困惑を浮かべて、時雨は「そうですね」とだけの、どこか曖昧な返事を贈る。

「とはいえ、ぼくも久しぶりに此処に帰って来たので、目新しいと言えば目新しいですよ」
「ふふっ、確かにそうだね? わたしも……ここまで本が多い街は珍しいかな」
「そうでしょうね。化け物や怪異だらけの場所にはまあよく行きますけど」
「だねー? こういうのもいいなあ」
「えっと、葵さんに野分さん、だっけ? 二人はお友達なの?」
「うん?うーん、お友達かあ、そうとも言うしそうでもない?」
「ぼくに聞かないでください」
「ふふふ、ごめんね? えっとね、しぐちゃんは同居人だよ。一緒に暮らしてるんだ」
「へぇ、それじゃあ家族なのかしら?」
「んー、似たようなものだよ! ね、しぐちゃん?」
「はいはい、まあそうですね」

 そんな風に楽し気な会話繰り広げる四人を微笑ましく見守りつつも、柏手・清音はやわらかな釘を穿つ。「ほらほら、お喋りも、いいけど、遊びに、来た、わけじゃ、ない、でしょう?」と優しさの中に凛とした強さを孕んだ言葉で窘められれば、四人は四者四様の表情を浮かべて、他の面々と向き直った。

「まあ、はしゃぎたくなる気持ちもわかりますけどね。あんな事件のお話は勿論、恋の小説にいかにも恋の街って感じの場所ですし、私も割と気分は高揚してたりしますよ?」
「うん、それは小生も同意かな。まあ小説の好みで言えば、冒険活劇の方が好みだが……、それはさておき、これから何が起きるか興味深いというものだよ」
「うーん、とんでもない事じゃないのを祈りたいところではありますけどね?」

 朗らかにそう言いつつも、どこかわくわくした様子の九段坂・いずもに、それにも同意だと言わんばかりに久世・八雲が頷く。「どいつもこいつも遠足気分かぁ~?」なんて、思わずボヤキにも似た小言を零した荒野・ハイエナに、月居・朔がまあまあと苦笑しながら宥めている。そんな、どこか自由奔放な空気に清音が小さく息を吐き出した。

「あなた達ねぇ……気持ちは、わからなくない、けれども、ここで、こうしていたって、仕方がないわよ? 行動しなくちゃ、調査も、お喋りも、遠足だって、出来やしないわ」
「その通り。あの星詠みも『早急な解決を』と言っていた事だしね、さっさと調査をはじめようじゃないか」

 敷石隠・船光の言葉に、全員が静かに頷いた。
 街の入り口で話すのもどうかという事で、一同は揃って街の中にある公園のような場所へと移動する。その傍ら、道行く人々に目を向ければ、しゃんしゃんしゃらりと銀の音がした。どうやら流行りものらしく、若い女性が簪を付けているのが目に留まるだろう。

「わぁ……不思議な髪飾りね。きらきらしてるわ、綺麗……」
「ねー可愛いー! 葵さん、あれなに?」
「簪だよ。髪の毛に付ける、でっかいヘアピンみたいな感じ」
「言い得て妙ですけど、ヘアピンとは用途が少し違うんじゃ」
「へぇー!! いいなぁ! 竜の簪とかもあるかな?!」
「あ、それは私も欲しいわ。あるのかしら」
「ふふふ、あるかもしれませんよ? 簪って結構いろんなデザインがありますから」

 きゃっきゃと楽しそうに簪トークを続ける五人を横目に、荒野が静かに口を開く。

「簪ねぇ……若い女が挙って身に着けてるな。いやにあちこちから音が聞こえるなとは思ったわ。もしかしたらあれもなんか事件と関係あんのかもな」
「ああ、確かに気にはなるかな。事件を起こしているのは女性ばかり、つまり、狂うのは女だけって言うのがちょっと引っかかってた部分であるからね。確かに女性が好みそうなジャンルの小説とは言え、男性の読者だっているはずだろ?なのに、被害報告ばかりで加害報告がない」
「そうね、精神操作系の術?、のようなものが、あれば分かりやすい、のに」
「だなぁ……大方、御伽使い系列の能力者か不思議道具絡みとは踏んではいるが、かといってそれと決め打ち出来る程の証拠はねぇ。読めなかった部分が女性の大切な人で、読んでた女性は主人公になりきっちまうとかの、そういう証言が取れりゃあもう少しマシなヤマが張れそうではあるんだが……」

 その男の娘、いや、見方によっては女性かくもやといった風貌からは想像もつかぬ荒野の口調に少々の驚きを見せつつも、いや、それは傍から見た際の自分も同じ事かと朔はその違和感を丸々と飲み込む。それよりも、自分達の話を聞きつつ、うんうんと頷いている山羊頭蓋骨の仮面の男、久世の胡散臭さの方が異様に感じるのは何故だろうか。うーんと、朔が小さく眉を寄せれば、その胡散臭い男が口を開く。

「それならば小生は、新聞や雑誌の情報を元に、事件現場付近に赴こうかと思う。証拠という証拠はないかもしれないが、無いものが無いと分かるだけでも儲けものだ。それに、可能であれば事件の加害者とも話が出来ればと思うよ」
「そうだな。俺も似たような事を考えていたよ」
「というと?」
「気になる記事があれば、その記者のいる出版社で聞き込みがしたい。下衆の勘繰り休むに似たりとは言うけれど、カストリ記者が考察だとかまとめ記事だとか名前をつけて変に奥深くまで物事に手を突っ込むものだよ……特に話題の事件に悲恋、場所は花街とくればそれはもう……ね?」
「ああ、違いないな」

 久世と船光が顔を合わせて頷く。
 そんな彼らの様子を見て、はいはーいっ!と、手を上げたのはシアニだった。

「それなら、目的地が同じ場所の人達で固まって行動すればいいんじゃないかな? あたしは本屋さんでお買い物、じゃなかった! 聞き込みをしようと思ってたし、それぞれでなにか情報を得たら、またここに集合って感じにしない?」
「あ、いいですね、それ! 今回、かなりの大所帯ですし、手分けしての情報収集は賛成です。大人数でぞろぞろって言うのも目立ちますしね」
「ええ、いい、と思うわ」
「ん、俺様も賛成っ」
「自分も」「俺も」「小生も」「わたしも」「ぼくも」

「それじゃあ、あたしと一緒に本屋さんに行きたい人―!」
「はーいっ!!」

 再び手を上げたシアニに、元気いっぱいに同調したのは葵だった。
 この指止まれ、のように、シアニの掌をポン、と叩いてそのままきゅっと手を繋ぐ。その少し後ろでは、微笑ましそうに二人を見つめながら、控え目に手を上げるリリンドラの姿もある。どうやらすっかり仲良くなったらしい三人は、お互いに顔を見合わせて笑った。

「わたしがお手伝い出来る事は少ないけど、シアニさんとリリンドラさんと一緒に頑張るね!」
「うん!よろしくね葵さん!リリンドラさん!」
「ええ、こちらこそよろしく。流行りの小説なら、流行りの本が多い場所に情報がありそうね。店員さんにおススメも聞いてみたいわ」
「いいね、じゃあ大きい本屋さんに行こう! わたしも店員さんやお客さんにもお話聞いてみたいし。しぐちゃんは……」
「なんですか?」
「ふふっ、照れ屋さんだから女の人のお話はわたしが聞くね?」
「はぁ?!」

 その瞬間、仄かに顔を赤くした時雨がぐっと眉を吊り上げる。
 照れ屋って何ですか?!と声を上げた彼に、くすくすとおかしそうに肩を揺らしたのはなにも葵だけではない。恋に患いにゴシップも噂話も大好きないずもが、なにやらにまにまと口元を緩めている。

「へぇー?へぇー?そうなんですか?ふぅーんっ?」
「……なんですかっ?!」
「なーんにもっ? それよりも、ガセネタやゴシップなんかが集まりそうな場所ってどこか知りません?ガセはガセ、ゴシップはゴシップだと思うんですけど、火のないところに煙は立たないと言いますし、案外馬鹿にならないかもと思いまして。もしかすると日の元に近付けるかもしれないなって」
「……はぁ、そういう本を置いているという意味では、本屋よりもアテになる場所ならありますよ」
「おおー?それはどちらでしょう?」
「噂話が大好きな場所といえば……井戸端や世間話の定番、酒場、ですね」
「うんうんっ、確かにそうですね。野分さん、でしたっけ?良かったら一緒に行きません?あ、それとも、わたくしみたいな女の子と一緒だと緊張しちゃいますか?」
「それ、揶揄ってるんです?馬鹿にしてるんです? まあ、いいですけどね……どうやら慈雨さんは女の子のグループでお話に行くみたいなので、ぼくは野郎から話聞こうと思っていましたし」
「ふふふ、それじゃあよろしくお願いします!」

 にっこりと微笑むいずもに、どこか不機嫌そうにそっぽを向く時雨。
 そんじゃあ俺様は、と、声を零したのは荒野だった。

「そっちのお嬢さんがたとは別の本屋で立ち読みでもしようかね。この街なら不思議古本屋とかあんだろ。ついでにそこの店主や付喪神にでも聞き込みするとするわ」
「それなら自分が同行しよう。自分もそういう本屋に行きたいと思っていたからな、丁度いい」
「私も、その手の、本屋で、情報収集したかったの。胡散臭い、雑誌でも、読んでみるわ」
「利害の一致って奴か。えーっと、月居と柏手だっけ?まあ宜しく」
「ああ、よろしくハイエナ、柏手」
「こちらこそ、よろしく」

「それでは小生と」
「ああ、俺で組むことにしよう。目的も似てるしな」
「そうだね、よろしく頼むよ敷石隠さん」
「こちらこそよろしくな、久世」

「それでは、また、後で」
「みんな頑張ろうね!!」
「んま、金にもならなそうだし、それなりにテキトーにな」

 清音の静かな声に一同は頷くと、それぞれの目的地へと足を進めた。

●白い白い意識の中で

『白昼の悲劇か、一家殺人未遂事件!!
 ○月○日未明、○○町に住む仲の良い家族に、突然の悲劇が舞い込んだ。
 その家の母親が、突如、人殺す鬼と化したのだ。家族や目撃者の証言によると、その日、いつも通り家族に昼食を作っていたという彼女は、ふとした瞬間、まるで意識の無い人形のようになってしまったらしい。最初の被害者は彼女の夫だった。突然包丁を床に落とした妻を心配して声を掛けたところ、腹部を一突き。その叫び声を聞きつけた2人の子ども達が、次なる被害者となった。不幸中の幸いか、子ども達を刺したところで正気を取り戻した母親は自ら通報し、殺人未遂の犯人として逮捕となる。家族もその後、病院に運ばれ一命をとりとめたそうだ。
 凶器は、現場に落ちていた血塗れ簪と見られており……』

「ふむ、なるほどね。概ね星詠みの言った通りというところか」
「確かに、目新しい情報と呼べるものは無いな。せいぜい凶器が簪っていうのが、ちょっと意外だってことぐらいだろうな」
「それは小生も同感だ。料理中に刺した、と言っていたから、てっきり凶器は包丁やカトラリーの類と思っていたんだがね。意外や意外、という訳でもなさそうだね」
「ああ。あの小柄な女っぽいおっさん、荒野だっけ?アイツが言っていた通り、簪も事件となんか関係あるのかもしれないな」
「うむ、その辺りも詳しく調べてみたいところではあるね」

 ふう、とひとつ息を吐き出して、船光は新聞を、久世は本を閉じる。
 本は言わずもがな。あの『悲恋小説』である。読めない文字がどのようなものか、もしかしたら読めるのやも、と開いては見たものの、そこに在るのは相変わらず、判別不能の文字とも文章とも呼べないものの羅列が続いているのみである。船光も覗き込むようにして中を伺ってみるも結果は同じ。珍紛漢紛なそれらに、思わず眉が寄る。
 ふぅ、と、ひとつ、どちらともなく息を吐き出した。船光の手にした新聞の見出しは『盗難事件発生か? 有名観光スポットからご神体が消える!!』という、いかにもな内容だ。

「今この世の中を知るために雑誌や時事の速報を見て知ったことが一つあるんだよ」
「ん?それは何かな敷石隠さん」
「……一見平和そうな街であっても、どこの世界であっても、犯罪は無くならない。人の営みの中には、必ず綺麗なものと汚いものが両方存在しているって事」
「違いない。善意と悪意、光と闇の相対性理論とでも言おうか。どちらかがあればどちらも存在する、皮肉な事だね」
「だな」

 そんな事を話しながら、二人が足を運んだのは、出版社でも被害者宅でもなく、刑務所だった。そこを訪れる前、船光の手にしていた新聞の出版社で話を聞いたところ、なんでも、その記者が、今日ここで加害者との面会をするらしいのだ。出来れば自分達も、と、無理を承知でアポを取ったところ「連絡はしとくから、後はご自由にどうぞ」と、快く、いや、体のいい厄介者払いをされて現在に至る。
 厄介払いとはいえ、まさかの渡りに船であるのは違いない。出版社で教えてもらった通りの人物に声を掛ければ、驚きつつも、渋々といった感じで応じてくれたのである。名刺を差し出しながら、記者は訝しげに二人を見る。

「船光さんに、久世さん……あの、失礼ですがご職業は」
「……あっ、医師です怪しくないです」
「「え?医者??」」

 久世は何食わぬ顔で携帯用の簡易医師免許を取り出す。勿論、本物だ。
 それが余りにも意外だったのか、記者のみならず船光まで目を丸めたのだった。

 ——————

「突然だったわ……そう、突然、」

 刑務所の面会室は、街の華やかさとは打って変わって、静かな現代風の造りになっていた。
 薄い硝子の向こう側で語り出す女性は、酷くやつれた顔をしている。彼女は件の、一家殺人未遂事件の犯人としてここに投獄されている人だ。新聞の記事同様、彼女は自分の子供を刺した後ですぐさま救急車を呼び、警察に通報したそうだ。愛する家族をこの手に掛けようとしてしまった、と、事件当時の女性は、それはそれは憔悴した様子であったらしい。
 事件の当初、彼女は突然に意識を失った事、昼食を作るその直前にあの『悲恋物語』を読んでいた事を話してくれた。勿論、その時にあの、読めない筈の文章が読めた事も、だ。
 ふむ、と言葉を濁し、久世が口を開く。

「なるほど、単刀直入に伺いますが、それは何が書いてあったかは覚えていますでしょうか?」
「いいえ。ごめんなさい、覚えてないの……逮捕された時の取り調べで刑事さんにも再三聞かれたから、今も頑張って思い出そうとしているんだけども、どうしても思い出せないの……」
「ただ読めたという事実は覚えているんですね」
「ええ……」
「そうですか、それならそれで構いません。覚えていない事は勿論、貴女が起こした事を責める気だって毛頭に無い。我々は事実が知りたいだけだけです」

 久世に同意するように頷きながら、船光がそっと小説を取り出し、徐にページを開く。
 それは言わずもがな、あの『悲恋小説』の読めない文章が連なった頁だった。
 一瞬、女性は酷く驚き、怖がるように目を瞑る。

「すまない。些か不躾かとは思うのだが、どうしてもなにが書いてあるか知りたくて。今はもう、その、なにが書いてあるかはわからないかな?」
「……ええ、ごめんなさい。今もう、なにが書いてあるかわからないみたい」

 ゆっくりと目を開けて、申し訳なさそうに、けれどもどこか安堵したように女性が首を振る。無理もない事だろう。見えない筈の文字が見えたと思ったら、その次の瞬間には家族を刺し殺そうとしていたというのだ。また同じ事が起きるかもしれないという想像が過った刹那、蘇るであろう女性の恐怖は想像に余りある。「すまない」と、船光が眉を下げる。女性は静かに微笑みながら首を振る。

「いいんですよ。結果的に、夫も子供たちも無事でしたから……逢えないのは寂しいけど、また同じ事を起こすかもしれないと思うと、ここに居た方が安心できますし……」

 寂しそうに笑う女性。
 事件の真相が明らかになればここから出られるのだと何ともやるせない表情をしつつも記者が話す。そういう女性は彼女だけでなく、その他にも大勢いるそうだ。

「必ず、俺達が事件を解決します……もう少しだけ、待っててください」
「ああ。小生達が貴女と、貴女と同じ境遇にある女性達も、必ず大切な人の元へ返します」
「ありがとうございます」

「あ、そういえば……」

 はっと、女性が言葉を零した。
 思い出したことがあると告げる彼女に、久世、船光、記者の三人揃って耳を傾けた。彼女は意識を失う直前、つまり、事件を起こす直前に、このような女性の姿を見たのだという。

「綺麗な女の人が見えた気がするの。雪のように白い肌をした、とても綺麗な人よ。花魁みたいな恰好をしてたわ。その人と目があって、それで、えっと、何かを言われたの」
「何かとは?」
「……んー、記憶が曖昧なのもあって、よく覚えてはいないんだけど、確か……『雪之丞様を……簪を……』って、とても悲しそうな顔で悲しそうな声だったかしら」
「雪之丞様?」
「簪?」

 揃って首を傾げる久世と船光。然してそんな二人を他所に、記者と女性はそれが一般常識であるかのように会話を続ける。

「うーん、雪之丞様と簪って、多分、|雪月洞《せつげつどう》のアレですよね」
「ええ、そうだと思います。もしかしたらあの女の人は……」
「話をしている最中すまないが、我々はその雪之丞様とやらも簪とやらにも詳しくないんだ、出来ればご教授いただきたいのだが……」
「ああそっか、お二人共、別の世界の人でしたね。えっと、この街の成り立ちにも少し関係するお話なので、少し長くなりますが宜しいですか?」
「ああ、構わん。頼んだ」
「わかりました、それでは……」

 記者が静かに口を開く。
 そうして二人は、雪之丞と簪、そして雪月洞に纏わる話を聞く事となる。

 入手キーワード:
 盗難されたご神体、悲しそうな花魁風の女、雪之丞

●最後にして孤高の花魁

 その昔、この街は正真正銘の花街だったのさ。
 今も大いにその名残を残す街並みに、ああ、なんて、納得する連中も少なくないね。
 その昔はそれはそれは栄えていたそうだけど、幾重も幾重も時が流れていく内に、花街って存在は廃退の一途を辿る一方だったらしいよ。次第に|御飯《まんま》もろくに食えなくなって、花街から次々と花屋が消えて、行き場を失くして郎党に迷う|女《ハナ》や街から逃げ出す|女《ハナ》が後を絶たなかったそうだ。

 ぷかぁーっと、煙管を吹かしながら、気怠げな古本屋の店主がそう話す。
 独特の匂いに顔を顰めたくなるものもあるかもしれないが、朔も、荒野も、清音も、三人はそれぞれ平然とした様子で彼女の様子を伺い、話に耳を傾けている。

「いきなりそこそこ当たりかもしれねぇな……」
「ええ、博打の成果は、上場、というところ、かしら」
「まあ、有力と言えば有力な情報っぽいがな」

 ふむ、と、片手を口元に当て、朔が静かに店内を見回す。
 付喪神の家とでも言えばいいのだろうか。薄暗くて埃っぽい、本だけが鎮座する忘れられた隠れ家のようなこの古本屋には、この世界だけでなく様々な世界を旅したであろう書物や骨董品の類が所々に置かれている。先程から店主の吹かしている煙管も、随分と洒落た骨董品の類だ。それをなんとなしに告げて褒めたところ、見る目がある、と上機嫌に彼女は街の事を話し出してくれたのだ。燻らせた煙を遊ばせながら、彼女は続ける。

「そうしてどんどんと廃れていく街は、行き場のない花や禿達で溢れた。見目麗しい子達はあっという間に拾われたか買い手が付いたか、それとも人攫いにあったのかは知らないけれども、あっという間に姿は消したがね。どの時代であっても、見目とは宝であり罪だ。最後に残った下品なブスと学も常識も無い馬鹿なガキなんて、運でも良く鳴きゃ拾われない。廃れに廃れたこの街は、いつしか姥捨て山みたいな扱いを受けてね。
 下品なブスと憐れなガキ共の中に、家族から厄介者扱いされた老人や戦えなくなった兵士、逃げ伸びた犯罪者やら行き場のない連中が集まったのさ。地獄だったよ。アタシはまだ一介の煙管だったけれども、生きている人間達は皆辛そうだったね」
「一介の煙管、と、言う事は、貴方はやはり」
「ああ、|煙管《コイツ》の付喪神だよ。人に褒められるなんて随分と久しぶりだったからね。ついつい嬉しくなっちまったのさ。見る目がある人間は好きだよ」
「はあ……」

 軽く片目を瞑られ、朔は軽い苦笑いを浮かべる。
 アンティークショップの店員として、いいものいいと褒めただけなのだが。と、小さな声で呟けば、清音が「飾らない、心の声程、嬉しいもの、は、無いのよ」と、悪戯っぽく笑った。

「んで、上機嫌なとこ悪ぃんだが、その後の街はどうしたんだ?」
「んもう、あんたはちょっといけずだねぇ。もっと女の喜ばせ方を覚えた方がいいかもよ?」
「へいへい、肝に銘じますよっと」

 やれやれと肩を竦めた荒野に、ふうっと煙を吐き出し店主が続ける。

 その後の街は、無法地帯と化していた。
 当然だろう。行く当てのない人々で溢れた街を統治する者は無い。飢えに苦しみ、食べ物を奪い合い、寝床を奪い合い、時には非道な殺人、殺し合いすらも起こっていたのである。
 地獄だった、と、店主は言う。このままこの街は死ぬのだと絶望もしたらしい。
けれども、そんな中で立ち上がる、一人の女性の姿があった。

「それがこの街の創設者にして、この街最後の|花魁《ハナ》、その名を|月花《げっか》。
 私財を投げ打って、自分の生涯全てを懸けてこの街を再興したのさ。詳しくは割愛するけどね、この街の人間がねっとや電子媒体をよりも文字や本を愛する一端を担っているのが彼女の存在だよ。その辺のいざこざや功績なんかを知りたけりゃ、そこの本棚でも漁るといい。月花の本なんて腐るほどあるからね。この街で、あの人を知らない人間はモグリか他所も乗って相場が決まってるのさ」
「ふーん、なるほどな。とりあえずすげぇ女だって言うのは理解したわ」
「ええ、とても立派な方、なのね。そういえば、あの『悲恋小説』の、主人公も『花魁』、だったわね。なにか関係、あるのかしら」
「『悲恋小説』……ああ、巷で流行りのアレか。あんた達が何をどうしたいかは知らないし興味もないけどね、強ち的外れって訳ではないと思うよ」
「それは、どういうこと?」
「アレはね、月花の半生を綴ったものでもあるのさ。月花の書いた日記を元に、月花自身が著書を起こしたものなのさ。月花が病で死ぬ年に販売されたって事で、ちょいと昔に流行ったものではあるけれども、どうしてまた今更流行り出したかはわからないね」
「そうか……つまりもう彼女は……」
「ああ、死んだよ。2,3年位前か。月花について知りたけりゃ、その辺の本でも読むといいさ、それより見る目のあるお兄さん?アタシにはご興味はあるかしら」
「え?」
「お、いいねー。んじゃあ話のお題代わりにそいつとちょっとの間逢引きでもしててくれや」
「え?おい、ハイエナ……」
「恋も賭博も、一瞬の駆け引き、燃え上がるは必然ね。件の物語のように、素敵な人に、出会えるなんて、現実は、なかなか、そうは、ならないの……ごゆっくり」
「柏手まで……! あ、おい、店主、ちょっと!!」

 背後で騒ぐ朔の声をBGMに、荒野と清音は素知らぬ顔で本棚を漁る。
 店主の言った通り、月花についての書籍はかなりの数が存在しているようで。徐に目を引いたものを一冊、また一冊と手に取るようにして、二人は書物に目を通していった。
 得られた情報を要約しよう。

 花魁『月花』 享年67歳。
 この街が花街であった頃から街で暮らしていた美しい女性。
 強く気高く優しく厳しい。誰かに寄り添うその姿は、母のようであり姉のようでもあり、恋人のようでもあったという。この街が無法地帯となる中で、ただ一人、人が人であることを信じ抜き、人の強さを信じ、救いの手を伸ばし続けた。
 彼女の功績は多々あれど、中でも一番とされるのは月の館と呼ばれる、今でいう大型病院と孤児院を合算させたような場所を作り、そこで身寄りのない人々を雇い、主に子ども達に文字の読み書きを教え、学ぶことの素晴らしさや文学の魅力を伝えたという。この街が今も尚、紙媒体での文学を主として取り扱っているのは、当時の人々による、彼女への感謝のしるしとされているらしい。
 彼女は言う。「わっちは街を守りたかった訳ではありんせん。ただ、愛する人の帰る場所を守りとう思っただけでありんす」と。
 また、月花の日記を元に、彼女自身が半生を綴った『花街花唄・恋賛歌』は、後に『悲恋小説』の代表作となっている。
 10年前の大地震による地殻変動の影響で月の館のあった場所は現在、小さな洞窟となっており、没した彼女の亡骸が、彼女の思い出の品々と共に埋葬されている。

「なるほど、洞窟があるのね」
「ふむ……とすると、だ。遺品になんかが宿ったか、病の原因が何かしらの恨み辛みを覚えるものであった為に作者の怨念かなんかが悪さをしている可能性はあるな」
「確かに、その可能性は、大いにあるわ。でも、こんな、功績を遺す人が、そんな怨念、抱くのかしら」

 とてもそうは思えない。清音がそう告げた瞬間、「わかったわかった!また会いに来てやる!!それでいいだろ?!」という朔の声が聞こえてくる。どうやら漸くと店主に解放されたらしい彼の頬には、魅惑的な唇の跡が残されている。

「随分とお楽しみだったな」
「……お楽しみなもんか、それで?何かわかったのか」
「まあ、手掛かりと言えば手掛かりかぁ?」
「そうね、気になる場所は、見付けた、そんな、感じよ」
「そうか……それならそれでいい、早く出よう、一刻も早く」

 まるで化け物に食われる寸前だったと言わんばかりの朔に、二人は思わず肩を揺らす。
 すると背後から店主の「いけずだねぇ。でも、また来るのを待っているよ?」という熱烈な言葉に、朔ががっくりと肩を落とした。

「……自分は先に出でている」
「おう。んじゃ、世話になったな、姉ちゃん」
「ふふふ、良いんだよ。アタシも人と話せて楽しかったさ。またおいで」
「ええ、また……あら?そういえば、あなたは、簪を付けていないのね」
「簪?ああ、街で流行ってるアレのことかい?あんなもん、アタシは到底付けれないね。なんてったって付ける資格がありゃしない」
「資格?どういう事だ?」

 朔の問い掛けに、店主はゆるりと口の端を吊り上げる。
 そして煙管に口を付け、大きく吸い込むと、一層大きな大きな煙を吐き出した。

「アレはね、愛しい人からの贈り物。贈られた女だけが付けられる代物なのさ」

 入手キーワード:
 花魁『月花』、道行く女性たちの簪、月の館跡地に出来た洞窟

●恋の花咲く乙女達

「えー!なにそれロマンチックー!!いいなぁ!あたしも好きな人に貰いたい!」
「あの素敵な髪飾り、簪?に、そんな意味があったなんて……」

 ほぅ……、と、悩まし気な吐息を吐き出すドラゴン娘二人に、大型書店の店員と葵が揃って肩を揺らす。『悲恋小説』について調査を進めていた彼女たちは、その傍らで街行く乙女達の髪を艶やかに飾る簪の話を聞いたのだ。
 小説の終盤、愛する人からの贈り物と言って受け取った簪を、花魁が生涯身に着け、愛する人を思い続けた事から、影響を受けた若者達がこれに便乗したらしい。今ではすっかり流行となって、家族、恋人は勿論の事、大事な友達同士でも簪を贈り合って身に着けているという。

「いいなぁ、あ、ねぇねぇ葵さんはこの事知ってた?」
「ううん、初めて聞いたよ。多分、この街ならではの贈り物じゃないかな?」
「そうですね。この街発祥の流行ですね。あの『悲恋小説』の流行がこの街からなのも勿論なんですが、なんと言っても、作者さんの住んでいる街ですからね!他ではちょっと類を見ない個性的な文化と言ってもいいでしょう!」

 ふふんと得意げに鼻を鳴らす店員に、目を輝かせたのはシアニだ。
 作者さんがこの街にいるの?!と、目を輝かせたまま尋ねる彼女に、店員はあら?という感じで微笑みながら頷く。けれども「それなら会いたい!会って感想を言いたい!」というシアニの声には、申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「街の人間として、それはとってもとっても嬉しいんですけど……すみません。作者さん、2,3年程前にお亡くなりになりまして……」
「ええ、そうなの!?」
「はい。あ、でも、お墓ならあるので、お墓参りくらいは出来ると思いますよ? 雪月洞って言って、この街ではとっても有名な洞窟があるんです。洞窟って言っても、それほど深いものじゃないんですけどね。道も整備されてますし、子どもが入っても大丈夫な場所なんですよ。この街の観光名所の一つにもなってるので、良かったら覗いてみてください!」

 ガイドマップはこちらになります!なんて、素敵な笑顔の下に逞しい商魂を見せてくれた店員さんに、三人はくすくすと肩を揺らした。そのガイドマップと、シアニがあの『悲恋小説』を購入して、三人は書店にあるカフェスペースでそれに目を通す。

 雪月洞
 縁結びの付喪神が住まうとされている不思議な洞窟。
 今大人気の小説『花街花唄・恋賛歌』の作者である『|雪月《ゆきづき》はな』さんのお墓としても有名です。最奥には小さなお社があり、そこで祀られている簪に祈りを捧げると、運命の人と出逢えるとも言われています。また、愛する人や大好きな人がいる人は、縁結びの付喪神様の声が聞こえるかも?声が聞こえた人には、大切な人をより大切に思う気持ちが強くなり、より仲良しになるとも言われています。喧嘩をしたカップルが仲直りをしたいときに行くデートスポットとしても有名ですね。
 恋をしたい人、大切な人ともっと親密な関係になりた人はぜひ訪れてみてください。

「あ、ねぇねぇ! ここ、占いの頁になってるよ! あたしはぁ……恋は焦ることなかれ!今月は自分磨きをしよう!!だって!」
「私は……運命の出会いはすぐそこかも、気になる人には積極的に!だって」
「えー!いいなぁ!リリンドラさん、気になってる人いるの?!」
「うーん、心当たりはないんだけど……」
「ふふー、良いわねぇ。わたしもこういうの気になっちゃう!わたしはー、えっとなになに……『恋愛運が急上昇!突然意外なアプローチがあるかも?』だって!」
「ふふふ、それってもしかして野分さんからじゃないかしら?」
「えー? んー、どうかなぁ? ん-、ないかも? しぐちゃん照れ屋出汁おくてだしちょっとヘタレだし屁理屈さんだしなぁ……」

 うーんと頭を悩ませる葵に、目を輝かせるドラゴン娘二人組。
 悩ましい乙女たちは楽しそうに笑い合い、事件の合間の束の間の休息を得ていた。

 入手キーワード:
 『悲恋小説』の作者『雪月はな』、縁結びの付喪神、運命の出会いが訪れる洞窟

●いずも、時雨

「ふえっくしゅん!!!!」
「おわぁ!? ちょっと野分さん、大丈夫ですか?」

 大衆酒場も目前、時雨から放たれた突然の大きなくしゃみに、いずもがびくりと大袈裟に身を竦める。ずびりと鼻を鳴らしながら、「すみません」と零しながらも、時雨の眉間には深い皺が寄せられていた。多分、絶対間違いなく、慈雨さんが自分の話をしていたに違いない。それ以外にくしゃみをする理由が当て嵌まらないのだが、それもそれでなんだか癪な気がする。はあっとひとつ息を吐き出して、

「九段坂さん、行きましょう。なぜだか早急に片付けて慈雨さんを迎えに行かなきゃいけない気がします」

 そう大真面目で告げながら酒場に足を踏み入れる時雨を、いずもはどこかおかしそうに見つめながら軽い足取りで続いた。
 酒とつまみと煙草の香りが、豪快に鼻腔へと飛び込んでくる。大衆酒場という名にふさわしく、中はシンプル且つ親しみのある内装でもって、大勢の人で賑わっていた。現代であれば、仕事終わりのサラリーマンが、ビールを片手に色々な語らいをしているであろう。狭い店内にゆっくりと歩いていれば、「いらっしゃいませ!お好きな席にどうぞ!!」という威勢の良い声に、二人はカウンター席へと移動する。

「これは想像以上に、いろんなお話が聞けそうですね」
「ですね、もう少し落ち着いた場所でも良かったとも思いますが……」
「あ、わたくし枝豆とウーロンハイで。」
「九段坂さん?」

 じとりと目を細める時雨に、いずもはなんですか?と笑顔を返す。
 虎穴に入らずんば虎子を得ず。郷に入っては郷に従え。という事らしい。酒を片手に隣の人へと乾杯を求めれば、隣の男性が笑顔でジョッキを差し出した。可愛い女の子が笑顔で乾杯を求めるのに、応じない男は男ではない。しばらく談笑をする二人の横で、時雨もやれやれと彼女に習う。因みに、彼の場合はウーロンハイではなく、普通の烏龍茶である。

「にーさん、ひとり酒はつまんないので宜しければご一緒させてくださいな。ぼく久しぶりに此方に帰ってきたらすっかり浦島で。最近は何が流行ってるんです?」
「流行りねぇ、やっぱ『悲恋物語』ってやつか?うちの娘もすっかりはまっちまってな。ああ云うのの何処がいいのか、俺にはさっぱりなんだがよ」
「それはぼくも同意しますね。変な事件も起きてますしね」
「事件ねぇ。俺もいつか女房に刺されちまうかも知れねぇから、今からひやひやしてるよ」

 そんな話を笑いながら行いつつも、情報に関してはさっぱりと言ってよかった。
 一人、また一人、談笑しては大した成果も得られず、二人は内心で肩を落とす。

「駄目だなぁ、さっぱりだ。お店にある雑誌にも、大したことは載ってないですね……」
「ですねぇ。ゴシップどころかハズレもハズレの大外れしかないっぽいです」
「「うーん……」」

 そうして二人が揃って頭を悩ませていると、不意に、隣に腰掛けて来た男がいた。
 齢60を超えた男性だ。既に少々酔いが回っているのか赤い顔に立派なひげを蓄えた彼は、少しの間二人の話に耳を傾け、興味深そうにその様子を眺めると、徐に口を開く。

「お二人さん、先程から何やらいろんなお方に話を聞いておるのぉ。見たところ旅人さんのようじゃ、どうなされた?何かお探しかい?」
「あ、ええ、少々探し物をしておりまして……えっと、」
「何か面白い噂話とか、ゴシップみたいなものって知りませんか?」

 きょとんと眼を丸めたのは、なにも老人だけではない。
 いずもの隣で、なにを言っているんだこの人はと言わんばかりに時雨も目を丸めている。

「九段坂さん???」
「まあまあ、いきなり事件の事から話を聞くより、ちょっと遠回りした方が得られる情報もあるじゃないですか」
「それはそうですけど、」
「はて?ゴシップや噂話とな?お前さん方、記者か何かかね?」
「うーん、ま、まあ、そんなところですよ……はぁ」

 そうしておいた方が都合の良い事だってあるだろう。ここはいずもの意見に乗る事にして、時雨も「何か知りませんか?」と、老人に問いかける。すると彼は、少々考え込んだのちに、静かに空のグラスを差し出した。なるほど、対価を寄越せという事だろうか。

「まあ老いぼれの昔話のようなもので良ければ聞かせようかのう。興味がなければ無視してもらっても構わんぞ?」
「うーん、そうですねぇ。どんな小さな情報でも何かの手掛かりになるかもしれませんし……わたくしは是非にという感じなんですが、野分さんはどうします?」
「……聞きましょう。外れて元々、駄目で元々ですからね」

 そうこなくては、と、いずもが店員に老人が望んだオーダーを出す。
 運ばれてきたそれを嬉しそうに飲み干しながら、彼はゆっくりと口を開いた。

 それはもう20年以上も前になるのだろうか。
 ある時、『雪之丞』と名乗る男が、ふらりとこの街に立ち寄った。
 当時のこの街は、今ほど治安も良くなく、街に捨てられに来た以外の目的で、立ち入る人間も多くなかったらしい。そんな最中、なかなか立派な身形をして、なかなか立派な|武器《エモノ》を持ったその男は、街の人間からすれば酷く異端な存在に映ったそうだ。年の頃は40近いか。精悍な体と顔付きをしたそんな男だったという。
 普段であれば、よそ者はみぐるみを剥がれて放り出されるところではあったが、然しながら、街の人間が彼を邪険にしなかったのには理由があった。男は、その全身を血で真っ赤に染め上げていたのである。死にに来た者か、居場所を追われたものが逃げ込んで来たのだろうか、と、思ったらしい。
 けれども、男の目的はそのどれとも違った。
 彼は一言『月花に之を』とだけ言い残すと、街の人間に託すようにひとつの箱を手渡したのだ。そしてそのまま、まるで何かから逃げるようにその場を立ち去っていってしまったそうだ。
 後にその男が、街の中心人物であった花魁の想い人であった事が知られており、男が手渡した箱には、それはそれは見事な細工の施された金の簪と銀の櫛の二つが納められていた。

「へぇ……その雪之丞という方はその後どうされたのですか?」
「わからん。噂では、花魁との縁切りの為に訪れただけとも言われておるが……わしはどうもな、そうは思えなくてな」
「それはどうしてです?」

 老人がグラスを差し出す。もう一杯寄越せ、というところだろうか。
 やれやれと肩を竦めつつも、いずもは追加オーダーを店員に告げた。上機嫌でジョッキを飲み干す老人に、二人の顔には苦い笑みが浮かぶ。これでなんでもない情報だったらどうしてくれようか、そんな考えさえ頭に過ったかもしれない。

「ぷはぁー、すまんねぇ。老い先短い老人の頼みを聞いてもらえる程、嬉しい事はないわい」
「ふふふ、それは良かったです。それでおじいさん、続きのお話をお願いできますか?」
「おお、そうじゃったそうじゃった! 酒の恩は何よりも重いからのぉ!!」

 豪快な笑い声を上げて、老人が続きを話す。
 血塗れの男『雪之丞』が残した簪と櫛には、不自然な点があったという。
 それは、簪にも櫛にも、肝心の仕上げが施されていなかったというのである。それは、簪の花の模様と櫛の花の模様に施されたであろう宝石がなかったというのだ。不自然に空になった台座、もしかしたら止むに終えない事情で完成前に渡さざるを得なかったのかもしれないと老人は続ける。

「当時は人食い鬼の噂もまことしやかに囁かれておったからのう。もしや餌食になったのかもしれんわい……なんにせよ、男は二度と街に戻ってこなんだ……それでも健気に待ち続けておったあの方のお顔は、わしは生涯忘れることが出来んよ……」
「そうだったんですか……」
「なんというか、昔のお話とは言え、愛する方を残してだなんて、そんな悲しい話はわたくし、好みではないのです……店員さん、ウーロンハイのお代わりを」
「え?!ちょっと九段坂さん、流石にもう駄目ですよ?!」
「ええ?! なんでですか?いいじゃないですかー!楽しく飲みましょう?」
「あのですねぇ!!」

 ワイワイと騒ぐ二人に、老人は優しく目を細め、酒を煽る。

「賑やかな酒は良いのう。お前さん方、もしも簪が見たければ、雪月洞へ行くといい。あそこのご神体として祀られておるよ」


 入手キーワード:
 血塗れの男、不自然な簪、人食い鬼

第2章 冒険 『祠の調査』


●雪月洞

 あちらからは人の声、こちらからは噂話。
 同気相求めれば、類を以て類が集う。 目の寄る所へは玉も寄る。多種多様、玉石混合の情報達に連れられて、訪れたるは『|雪月洞《セツゲツドウ》』。
 その昔、街を救った花魁が建てたという月の館のその跡地。
 一歩足を踏み込めば、雪のように白い白い石灰の岩肌が、訪れた人を出迎える。やわらかく雪化粧を施されたその空間を少し進めば、天井にぽっかりと穴の開いた、不思議な不思議な空間が広がっている。
 中心には厳かな雰囲気の小さな祠が一つ。
 近くの立て看板を読み解けば、それは件の花魁の墓であり、ご神体を祀る小さな小さな矢代の代りを担っているらしい。

 観光名所になっているだけあり、そこには大勢の人間が、ご利益を願って訪れていた。
九段坂・いずも
敷石隠・船光
久世・八雲
月居・朔
リリンドラ・ガルガレルドヴァリス
荒野・ハイエナ
シアニ・レンツィ
柏手・清音
野分・時雨
葵・慈雨

●一年中雪色の場所
 しゃんしゃんしゃらりと簪の音が。ざわざわざわりと人々の賑わいが。狭くて短い街の観光地、雪月洞内に響き渡る。どこか雅やかなその名から、広大で巨大な迷路の場所を連想する者もあったのかもしれない。然してその内部は小さな公民館の多目的ホール程しか無く、50人も入ればいっぱいになってしまうだろう。

「えっとね、チカクヘンドーで、出来た洞窟、なんだって! 7年ぐらい前に大きな地震があって、その時に地面が盛り上がって出来たって書いてあるよー!! 天井にぽっかり穴が開いてるのは、チカクヘンドーが治まって空洞になった部分が、上にあったお屋敷の重みに負けて開いちゃったんだって!!」
「ふぅん、なるほどね。物知りなのね、シアニさん」
「えへへー! このガイドブックに書いてあったんだー!!」

 じゃーんと得意げにガイドブックを広げたシアニ・レンツィに柏手・清音はやわらかく微笑みながら褒めてやる。「あ、列が進んだよー!」なんて、遊園地に来た子供のように洞窟へと突撃しようとするシアニを「はぐれるから、ゆっくり、いきましょう」と、やんわりと手を繋ぐことで清音が制した。まるで母と子にも、先生と生徒のようにも見えるそのやりとりに、ふふふと笑みを零したのは九段坂・いずもだった。先の大衆酒場で多少多量のお酒を楽しんだのもあって、彼女自身もご機嫌だ。ふらふらふらりと危なっかしい足取りで人波に流されそうになる彼女の側では、敷石隠・船光がやれやれと時折手を貸してやっている。

「……ったく、大衆酒場で情報収集をしたとは聞いたが、流石に少々飲み過ぎじゃないか?」
「う~ん?ふふー、そんな事ないですよぉ~?大丈夫大丈夫ぅ。ちゃんと情報収集もしましたしねぇ~、自分へのご褒美って奴ですよぉ!」
「……まあ、それに関しては何も言わんよ。ただ、雪之丞という血塗れの男の話がこの事件の何処に関係しているのか……だが強ち無関係とも思えん部分がある分、謎が深まるばかりだ」
「うぅーん、そうですねぇ」
「ええ、でも謎ばかりじゃない。私達が集めた情報の中には共通して出て来たものもあった」
「……簪、だな」

 船光の言葉に、リリンドラ・ガルガレルドヴァリスが静かに頷く。これ以上の事はわからないけども、付け加えつつ、列に流れに合わせて彼らも足を進める。多目的ホール程の広さ、とはいえ、縁結びのご利益がある有名観光地である。祠は参拝客で満員御礼、ぎゅうぎゅうぱんぱんの大賑わいだ。とはいえ、些か警備が厳重過ぎる、と、船光は目を光らせた。リリンドラもそれに気が付いていたのだろう。

「いやにガードマンが多いわね……」
「う~ん?そういえばそうですねぇ~?何か物騒な事でもあったんでしょうか?」
「そのような事件は聞いてな……いや、待て、もしかしたらだが、俺の新聞の見出しにあった『有名観光名所でご神体が盗まれる』という事件があった。それと関係があるかもしれない。もしそうだとするのなら、この洞窟でも何かが起きているという事だ」
「なるほど。それなら用心していかないとね……って、九段坂さん?!」

 突如しゃがみ込み、真っ青な顔で震えるいずも。
 どうしたの?!と心配そうに声を掛けるリリンドラの傍らで、船光はとてつもなく嫌な予感が頭を掠めていた。まさかこいつ、と、その予感を具体的に想像して、いや、そんなことあってたまるかとすぐさま否定する。けれども無情かな。嫌な予感ほどよく当たるとはよく言ったものである。

「ぎ、ぎぼぢわるいぃぃぃぃぃぃ~……」
「え?え?九段坂さん?!」
「だあぁぁぁぁぁっ!クソっ!こんな事だろうと思った!!」

 顔面蒼白でカエルのように頬を膨らませ、今にも吐きそうないずも。「まだ我慢しろ!」、「が、頑張って!頑張って!」と声を掛けつつ、三人は素早く列から抜け出すと、洞窟外のお手洗いへと急ぐのだった。
 然しながら、その騒動は人並みに紛れて他のメンバーには見付からなかったらしい。
右を見ても左を見ても、寒々しい程に青白い、いっそ凍える吹雪の吹き荒れる雪原のような岩肌は、けれども何故だか不思議とまろくやわいぬくもりに包まれているように見える。縁結びの神様がいるという事もあって、幸せそうに笑い合う恋人達の姿を微笑ましくも心成しか羨ましそうに見めつつ、シアニに負けないくらいはしゃいでいるのは葵・慈雨だ。

「しぐちゃんしぐちゃん!ほら急いで!列に置いて行かれちゃうよ?」
「へぇへぇちゃんと着いていってますよ。慈雨さんこそ落ち着いてください、誰かとぶつかっても知りませんよ」
「えー? 大丈夫だよしぐちゃん! わたしそんなにドジじゃ……わわわっ?!」

 これをフラグの回収とでも言おうか。くるりと葵が野分・時雨の方を向いた瞬間、足がもつれた。ほら言わんこっちゃない。そう思いつつも、時雨の体は彼女を抱き留めるように素早く動く。ぽふんと倒れ込んでくるやわいぬくもりに、時雨はやれやれと息を吐き出す。

「ほら、気を付けてください……祠に行く前に怪我したら縁起が悪いにも程がありますって」
「う、うん、そうだね。ごめん、ありがとう」

 自分の腕の中、顔を上げてにこりと微笑む葵に、時雨は己が何をしたかを今、理解した。
 一瞬、ほんの一瞬目を丸め、

「あ、えっと……」
「怪我したら祠の神様もびっくりしちゃうよね! 気を付けるよ、ほんとにありがとしぐちゃん!」

 そう言ってぱっと身を離した葵が、えへへ、照れたように、そして、心なしか嬉しそうに笑った。そんな彼女に、時雨が何かを言いかける。けれども無情に列が進む。言葉より先に出たのは足だった。なんだか気まずいようで、なんだかくすぐったいような空気の中、触れそうで触れない互いの手が、お互いの間で揺れている。

「いやぁ、若いとはいいね!!」
「久世さん、その死ぬ程親父臭い感想を止めてくれ」

 つやつやの良い笑顔でそんな二人を眺めていたのは久世・八雲と月居・朔だ。
 人ごみに身を隠すようにしてにやにやしている山羊頭蓋骨の仮面の男を、不審者ここに極まれりと言わんばかりに朔がげんなりとした顔で見つめている。

「いいじゃないか、青い春のきらめきはいつ見ても胸が躍るじゃないか。それに月居さん、あなたも随分とお楽しみだったようだが?」
「ウルサイ、やめてくれ、思い出させないでくれ……」

 ますますげんなりした顔で、朔が自らの頬を強く擦った。
 いやはや女性の口紅というのは、なんと頑固な事か。いっそ呪いでも掛けられたかと思うほどに一向に落ちる気配がない。変な虫除けには丁度いいかもしれないが、こうして揶揄われる材料になるのは勘弁して欲しい。はぁっと小さく息を吐き出せば、頬にぺたりと何かが張られる。

「?」
「絆創膏だよ。そうしておけば目立つまい。口裂け女に求愛されなくてよかったね」
「全くだ……ありがとう」
「礼には及ばんよ。それよりも、あの、荒野さんだったか。彼の姿が見えないようだが」
「ああ、あの人はちょっと行くところがあるって」
「ふぅん、刑事の勘が働いたのかも知れないが、なんにせよ食えないお人だね」
「……胡散臭さではあんたの方が上だよ」

 そんなに褒めるなと声を上げて笑う久世に、やはり朔はげんなりとしたひゅお所を浮かべた。彼らがそんな風にして雪月洞を歩いている一方では———

「よう! 煙管の姉ちゃん、さっきぶり」
「おや?あんたはさっきの……またおいでとは言ったけど、早過ぎやしないかい?」
「おいおい、月居じゃないからって冷たすぎやしねぇか? まあいいけどよ、今から雪月洞に参拝でな、ちょいと美人のお姉様に聞きたい事がな~」

 そう言って口元をにやつかせる荒野・ハイエナに、女店主はまた煙を吹かしながら小首を傾げる。訝しげな顔で「なんだい?」と告げる彼女に、荒野はその顔のまま、静かに口を開いた。


●純粋無垢な想い
 一人、また一人と、参拝を終えた人々が脇を通り過ぎていく。
 皆が幸せそうに歩いていく姿をわくわくと眺めながら、シアニは自分の番を今か今かと待っていた。勿論、ただ待っているだけではない。手にしたガイドマップの案内に従って、洞窟内を細かく細かく観察するのも忘れてはいないのだ。彼女と手を繋いだまま、清音も静かに周囲を注意深く観察している。

「別段、変わったところは、なさそうね」
「そうだね、あたしも特に気になる所は無いなぁ……」
「ええ。共有された、情報に、よれば、ご神体が、盗まれた、らしいから、それらしい、痕跡があっても、良さそう、なのだけども」
「無いよねー……|祠《ここ》を管理してる人がいるなら詳しくお話を聞いてみたいんだけども、それっぽい人はここにいなさそう」
「そうね。もしかしたら、町全体で、管理、しているのかも、しれないわ。ここに、なにもなかったら、市役所、みたいな場所で、話を、聞いて、みましょうか」
「そうだね! あたし、百鬼夜行のことは詳しくないけど、その簪によくないものが憑いていて悪さしてるとかも有り得るのかな」
「あると、思うわ。ご神体の、行方を、探した方が、いいのかも、しれないわね」

 そうして二人は足を進める。
 やがて自分たちの番になった瞬間に、ふと、清音がシニアに訪ねた。

「そういえば、あなたは、なにを、祈るのかしら?」
「え?えっとね、御祈りって言うよりも、感想って言うか……」
「感想?」
「うんっ!本当はね、作者さんに感想を伝えるつもりだったけれど話を聞いて本当に素敵な人だと思ったの。会ってみたかったけど、無理だから。あたしも強くて気高くて優しくて厳し…はあたしにはちょっと難しいかもだけど。あなたみたいな人になれるよう頑張りたいですって、お祈りして伝えたいなって」
「ふふふ、そう、きっと、届くわ」

 人間を騙して惑わす為の作り話かも知れない、なんて、あの『悲恋小説』に対してそんな感想を抱いた自分とは違う、純粋なシアニの祈り。どうかそれが届きますようにと、清音は祈った。


●青い宝石
「うおぇぇぇぇぇ……!!」
「うわぁ……大丈夫?背中さするね?」
「ありが、うっぷ、うえぇぇぇぇぇぇ……」
「ほら、水を持ってきた……飲め」
「うぅ、すみません……ありがとうございます~……」
「全く、だから飲み過ぎだと言ったんだ」

 ペットボトルを手渡しながら、ふんっと鼻を鳴らす船光。
 いずもはただただ面目ないと眉を寄せて反省の色を表すことしか出来ない。それでも出せるものは大いに吐き出して、多少なりとも気分は良くなったらしい。顔色が少しばかり戻ってきた彼女に、二人がやれやれと、それでも安堵したように息を吐き出した時だった。

「あれ?お前ら、先に洞窟内に行ってたんじゃあ……」
「あ、荒野さん!」

 リリンドラの声に、よぉ。と軽い調子で荒野が手を上げる。
 雪月洞の入り口付近、休憩用のベンチに腰掛けていた三人に、彼は首を傾げつつ眉を寄せる。けれども、何してんだ?と、聞く前に、いずもの様子を見て察したのだろう。荒野は一言、「ご苦労さん」とだけ告げると、何とも言えない表情でリリンドラと船光を見た。彼らは揃って苦い笑みを返す他ない。

「っと、他の連中は中か。にしてもすげぇ人だな」
「ええ。中も沢山の人で賑わっているわ。みんな幸せそうだった」
「はい、とっても素敵な空間というか、うっ?!」
「九段坂、お前は喋るな。ところで荒野、そのポケット、なにを隠している?」
「ん?ああ、コイツか」

 目指いとなアンタ、と、小さく笑いながら、荒野がポケットの中身を取り出す。
 日の光を浴びてきらきらと輝くのは、大きな飴玉サイズの宝石だった。深く澄んだ湖のような蒼さを持つそれに、女性陣は小さく感嘆の溜息を吐き、船光は小首を傾げる。

「それは?」
「情報を仕入れた古本屋の店主にちょっと頼んでもらってきたもんだ。
いやね、何かを伝えようとする『悲しそうな花魁風の女』ってのが気になってな。これまで集めた情報から、俺様は十中八九、月花と踏んでる。んで、悲しそうにする理由ってのが、知りたくてよ。話があるなら聞いてみりゃいいって結論に達したわけだ。あわよくば祠に出る付喪神ってのにも話を聞こうかとも思ってな」
「なるほど、つまりそれは」
「ああ、これは会話までのコンタクトを取れる……かもしれない月花と付喪神の好みそうな特別なお供え不思議道具、と思いきや、残念ながらそんな便利なもんはねぇってバッサリ断られた末に持たされたよくわかんねぇもんだ」
「はぁ?」
「ただのお土産って事?」
「かもしれねぇし、そうでもねぇかもしれねぇ……よくわかんねぇがよ、持ってけって持たされたんだわ」

 その時の店主の様子を思い出したように、荒野は目を細める。
 彼女のあの目は、何かを知っている目だった。けれども、それを敢えて言わないのか、言えないのか、兎にも角にも、この宝石が何か知りたいなら自分の目で確かめて見ろと言われて渡されたものなのだ。どこか、悲しそうな顔をしていた。寂しそうな顔をしていた。そして、人に何かを託すような、そんな決意に満ちたような輝きを宿していた。

「……荒野?」
「ん、いや、なんでもねぇよ?兎にも角にも、これが何か知りたきゃ自分の目で確かめて見ろとよ。大いにそうさせてもらおうとするか」

 ふうっと息を吐き出して、荒野は雪月洞へと足を進め出す。

「あ、お前らは無理せず休んでていいぞ?」
「誰が休むか。俺も行く、休むのはそこの酔っぱらいだけでいいだろう?」
「うわぁん、置いてかないでくださいよ、わたくしも行きます、行きます~……うっぷ、」
「九段坂さん、無理はしないでね」

 リリンドラに肩を支えられながら、いずもも再び雪月洞へと足を運ぶ。
 もうしばらくお酒はこりごり、と、思いつつも、楽しかったしまた飲みたいという気持ちが沸いていたのは内緒である。


 アイテム入手:瑠璃水晶 
 とても深く澄んだ湖のような色をした美しい水晶。底が加工されており、何かのパーツであったことが伺える。加工部は随分と年季が入っており、これが古いものである事を伺わせるだろう。
 使用出来る人:荒野 ハイエナ
 もしも次回シナリオに参加される際、使用する旨をプレイングに記載いただけると使用できます。宜しければ使ってみてください。(強制ではありません)


●違和感を追う者たち

「久世、後ろ」
「うん?……おや?いつの間に外へ?」
「ハイエナもいるな」
「そうだね」

 遠くの方で豆粒のような見知った人影を見つめながら、不思議そうに小首を傾げる二人。
 彼らからすれば無理もないだろう。先を歩いていた筈の三人が洞窟入り口の最後尾について、しかも遅れてやって来た人物と合流しているのだから。
 なぜだろうか?という疑問が彼らの頭を過った瞬間、

「うげぇぇぇぇぇ~……やっぱりまだ気持ち悪いです……」
「おんぶしようか?」
「甘やかすなリリンドラ」
「んじゃあ俺様が?」
「下心が見え見えだぞ荒野」

 という彼らのやりとりに、久世も朔も大いに納得する。

「なるほど、二日酔いのレディを介抱していたわけだ」
「ハイエナと会ったのは偶然って事か……やれやれだな」

 そう言って朔の吐いた息に、満月色の花束が揺れた。
 名所とはいえ墓だから、と、行きすがら花屋によって朔が購入したものである。
 雪月洞に行くと告げた際、花屋の店主がそれはそれは喜んで、大張り切りで花束を作ってくれたのだ。おかげで、予算内で想定外に豪華な花束を手に入れられたのは嬉しい誤算だっただろう。

「街を愛し復興した花魁、か……」
「うむ。小生が聞いた話の中に出て来た女性も花魁の恰好をしていた。普通に考えればその女性の怨念なんかで街の女性たちが狂っていると推測するが」
「ああ。だが、その花魁の怨念では狂ってしまう方がおかしいという矛盾が生じる。祠に祀られてる遺品に何か憑いてるのか?それとも花魁に未練でもあるのか?何を思ってここで眠ってるんだろうな……」
「そればっかりは直接本人に聞かねばわからんね。無理な話だが」
「そうだな。せめて早く事件を解決しよう、遺品の盗難?も起こっているんだろう?」
「うむ、それに関してなんだが」
「なんだ?」

 ゆっくりと、久世が周囲を見回す。
 その仮面の下で、彼が一体どうんな表情を浮かべているかは想像するしかないが。
 けれども、どこか飄々と食えないような普段の久世とは少し違う、重たい声が吐き出される。

「いやなに、遺品の盗難が起こった場所にしては、あまりにも痕跡がなさすぎる。そう思っただけさ」
「……それって、もしかして」
「ああ」

 ———犯人は、まだ、ここに居るのかもしれない。


●嘲笑われし預言者
「なむなむ。あれ?なんか違う気がする。なんまいだ?」
「それ、全て念仏ですよ……付喪神を成仏させる気ですか?」

 聞き覚えのある声が聞こえる。
 ああ、今、祠の前にいるのは葵と時雨だろう。あの二人の事だ、きっと互いの幸せや周囲の幸せを願うのだろう。何とも微笑ましい様が目に浮かび、いずもがそっと目を細めた時だった。
 不意に、がしゃんと、音無き音がいずもの耳に届く。

「え———」

 刹那、いずもの目の前が明滅する。
 ちかちかと、まるで、今の映像に別の映像が被さるようにして様々な光景が現れたのだ。

 ———あなたがワタシを呼んだから、
    『|くだんの件ですが《コール・オール・ユー》』。

 開かれる祠、姿の無い簪。
 寂しそうに佇む櫛。そこが開いたのを合図のようにして、洞窟内に響く甲高い声。
 切り刻まれたこの体は、一体誰のものだ……?

 それはほんの少し先の未来の姿。
 ほんの少し、たった数秒後の世界の姿。

「触ったりして壊れたら怖いので、観察するに留めましょうか」
「何か手がかりないかしら……?」
「慈雨さん?!」

 ぺたぺたと祠を触る葵に、目を丸める時雨。
 不用意に触るなと時雨にたしなめられた瞬間、葵がびくりと肩を揺らす。

「わ、しぐちゃん!違うのよ違うのよ、まだ壊してないもの!」

 けれども驚いた拍子に、声を荒げた拍子に、葵の手には確かに力が籠っていたようだ。
 ぐらりと揺れる祠の入り口。落下する石。
 がしゃんと、今度ははっきりとした音がいずもの、その場にいた全員の耳に届く。

「———っ、いけない!!!」

 突然の大声に、リリンドラと船光が目を丸める。
 どうした?と声を掛ける二人を無視し、駆け出すいずも。
 行列を作る人々をがむしゃらに掻き分けて、けれども酔いの回ったその体は、僅か、数秒後の世界に手が届かない。ふらつく足が、その身を勢いよく地面へと引き倒した。駆け寄ってくるリリンドラ、船光。久世と朔も三人の様子に気が付いたらしい。列を掻き分けるようにしてこちらへと向かって来る。
 けれどもいずもは血相を変えたまま、そんな彼らに見向きもせず、見開いた眼を祠の方へと向けている。

「九段坂さん?!」
「突然どうした?!一体何が、」
「は、はやく……!」

 目の前が真っ赤になる。洞窟内が鮮血に染まる。
 目の前に現れたのは、残酷なまでに美しく、毒々しい程の艶を帯びた花魁姿の女。
 その姿形は人であれど、その本質は全く似て非なるもの。

「皆さん、ここから逃げて!!!!!!!!!!!」

 刹那に木霊すは、甲高い笑い声——————。

第3章 ボス戦 『壮麗なる扇の蒐集者・桐花・玉兎』


●悪鬼羅刹
 がしゃん、と、石が砕け散る。
 あっ、と、誰かが声を上げる。
 人々のざわめきがその場を支配したのは、けれどもほんの僅か、束の間の時。
 刹那、洞窟内を吹き抜ける突風。ぐるりぐるりと渦巻いて、あっという間に竜巻となったその中で、響き渡るは女の声。耳を劈く様な下品で甲高い笑い声。

 ——— アーッハッハッハッハッハッハッハ!!!!!

 しゃんしゃんしゃらりと銀が揺れる。しゃんしゃんしゃらりと激しく揺れる。
 荒れ狂う竜巻が人々を飲み込んで、鋭い刃と化したその風に力無き彼らが切り刻まれていく。悲鳴が、鮮血が、生まれては巻き上がる。真っ白な岩肌を染め上げる、赤、赤、赤い血の雨。そんな恐怖と混乱に陥った人間が逃げ惑う様を、さも可笑しそうに眺めている女がいた。

 吹き荒ぶ竜巻に、美しい藍色の着物と満月色の帯をはためかせ。周囲を軽やかに舞うは、色も鮮やかとりどりの扇達。
 銀の髪を高々と、花魁然と雅に結わえたその|顔《かんばせ》は、背筋が凍る程に美しい。修羅を宿した赤い双眼。長い長い獣の耳は、その美しき花魁、それが人ならざる存在であることを確かに告げる。
 巻き上げた人間の一部だろうか。それを、まるで酒の肴の様にばりぼりと食らいながら、さも可笑しそうにこの狂乱の宴を楽しんでいる。
 壮麗なる扇の蒐集者・桐花・玉兎と、彼女は呼ばれていた。

「嗚呼、最初からこうすればよかったでありんす。『人の思いを思い出させる力』に、なんて頼らずとも、ここには飯がより取り見取り、食い放題なのでありんすから」

 がじり、と、肉を齧りながら、玉兎は自分の片腕を、どこか忌々し気に見つめる。
 そこには、やわらかく明るい満月のような光を放つ金の簪が突き刺さっていた。
 その精巧な細工にどこか時代を感じさせるデザインは、一目見て高価な|骨董品《アンティーク》である事が理解出来るだろう。そして情報を得ている人間であれば、それが、奪われたご神体である事も、だ。
 掌を何度か開閉させた後、玉兎はにやりと口元に笑みを浮かべると、徐にそれを引き抜き、地面へと叩き付けた。

「まあ、それを使わざるを得なかったのも事実……全く、忌々しい女でありんすなぁ……。自分の依り代を媒体にしてあちきをここにぶち込むなんて、正気の沙汰じゃありしません。付喪神になってまで男の帰る場所を守ろうとするなんて、未練がましいにも程がある」

 そうして一歩、玉兎が足を進めた瞬間に「ひっ!」という小さな悲鳴が聞こえた。
 逃げ遅れた女性だろうか。それが洞窟の隅で震えていたのだ。口元を歪めたまま、玉兎が彼女を見た。その笑みは、邪悪の化身そのもので。蛇に睨まれた蛙が如く、女性は動けない。玉兎が腕を振った。扇が鋭い刃物のような鈍い光を放ちながら、女性目掛けて放たれる。

「次の|御飯《おまんま》、見っけ!!!」
「ひぃぃぃぃっ!!」

 あわや、女性がばらばらに切り刻まれるその瞬間、

 ———しゃらん、と、簪が鳴った。

 直後、ばちんと音を立てて扇が弾かれる。
 やわらかい金色の光が、壁のようにして立ちはだかったのである。
 その光は徐々に徐々に、一人の花魁へと姿を変えていく。
 白い肌に凛と美しい花の|顔《かんばせ》、艶やかな黄金色の髪を遊女然と結い上げて、身に纏うも金色の、優しい麦畑を思わせる着物だ。
 月花様、と、誰かが言った。その声に、人々が次々と声を上げ、彼女の名を呼ぶ。

『はようお逃げなんし』

 凛とした声だった。
 けれどもどこか、陽だまりのような優しさとあたたかさを持った声だ。
 頷き、駆け出す女性に玉兎が隠さず舌を打ち鳴らす。

「死に掛けの付喪神が。しぶといにも程がありんす、とっととくたばってしまえば宜しいのに……そんなにこの街が大事でありんすか?それとも、あちきの腹に囚われた、男の魂が心配だとでも?」
『……その、どちらもで御座ります。わっちは卑しい女、欲張りな女でありんす。どちらも諦める事等出来やしません。けれどもわっちには、貴方様を倒せる力は御座りんせん。だから……!!』

 刹那、月花が地を駆けた。
 その手には、あのご神体をしかと握り締めている。それを力一杯、玉兎に突き立てんばかりに振りかぶる。が、次の瞬間、ばしりと月花の体が吹き飛ばされた。取り取りに舞う扇が、罪人を打つ木槌のようにして彼女の体を次々と殴り付け始めたのだ。

「なめるなよ一介の付喪神風情が。人を喰うておらんあちきならまだしも、多少なりとも腹を満たしたあちきは力を取り戻したも同然。同じ手が通用するなんて笑止千万でありんす」
『ぐっ!? あぁっ?!! っ!』
「全く。あんたもあんたの男も禄でもありんせんなぁ。あちきと相打ち覚悟で大怪我を負わせてくれて……長い長い年月をかけてようやっと傷が治ったと思うたら、今度はあんたが、あちきの邪魔をしてくれて……!!!」
『っ?! ——————!!!!!』

 声にならない叫びが雪月洞を震わせる。
 嗚呼忌々しい、忌々しいと容赦なく打ち付けられる扇の舞に、彼女の体には痣が、傷が、次々と生まれていく。苦悶の表情で血を吐き出した彼女に、人々が騒めいた。月花様、と、呼ぶ声に、ああ、と、玉兎がまた邪悪に口元を歪める。

「そうだ、良いことを思い付いたでありんす。この街の住人共を、残らずあちきの腹に収めてしまいましょう。お前の目の前で、一人一人、顔から全身の皮を剥いで、足の指先から鳥のささ身のように丁寧に丁寧裂いて、顔は殴りに殴ってひき肉にでもしてしまいましょう。それはそれは素敵な料理を施して、食ろうてやるでありんす。お前の男と同じようにな」
『!!』

 直後、再び竜巻が巻き起こる。
 先程よりもずっと強く、強大な風の塊が、洞窟内を吹き荒んでいく。
 再度混乱に包まれる洞窟内。逃げ惑う人々は、けれども、先の様に竜巻に飲み込まれたりはしなかった。

 ———しゃらん、しゃらん、と、簪が鳴る。

『はようお逃げなんし』
「月花様……!しかし……」
『わっちの守りたいものは貴方方の命でありんす。どうぞ、この欲張りな女の願いで御座ります。貴方方を守らせてくださりませ』

 傷だらけで、それでもやわらかく微笑む月花に、街の人々も観光客も、何も言えなかった。
 ただ、彼女の意思を、気持ちを汲んで、彼らは出口に向かってひた走る。
 玉兎がまた、大きく舌を打ち鳴らした。ますますと勢いが強くなる竜巻。月花を狙って、鋭い刃物と化した扇も襲い掛かって来る。

『皆々様方、』

 それは、静かな声だった。
 彼女はゆっくりと貴方達の方を向く。

『わっちと皆々様方には、縁も所縁も御座りんせん。けれども、それでも、この愚かな付喪神の願いをお聞き願い頂けるというので御座いましたら、後生です。どうか、この街を……っ!』

 刹那、彼女の顔に小さなヒビが入った。
 そこからさらさらと零れ落ちていく光の粒は、彼女の生命力そのものだろう。
 命を削って、彼女は、ここを、彼らを、貴方達を守っているのだ。

『ど、うか……っ、あの人の、帰る場所を……』

 びしりと大きなヒビが、亀裂が、顔から体中に広がっていく。
 それでも凛とした表情を湛えながら、月花は毅然として力を振るい続けていた。
 不意に、ぽりと、彼女の目から一粒の雫が零れる。

『……嗚呼、雪之丞様、最後に一目、お逢、』
「黙れ阿婆擦れ。うるさいんだよ」

 ぱりんと小さな音がした。
 玉兎の高下駄、その下で、粉々になった簪が無残な姿を晒している。
 付喪神の依り代が粉々に打ち砕かれるその意味がどういう意味なのか。存ずるものならば絶望し、存じ上げぬものであっても、簪と共に光の粒子となって消えてしまった月花の姿に意味を察する事は容易いだろう。

「卑しい卑しい遊女の身で、なにが純愛だ、なにが愛した人を待つだ。
 どこのどいつとも知れない男の上で腰振って飯食ってた便所にも等しい存在が、そんな綺麗事抜かしてんじゃねぇよ。何が雪之丞様だ。何が愛を誓い合った仲だ。結局その男も、帰ってくるどころか化物の腹の中に、未来永劫囚われてんじゃねぇかよばーか!!」

 ばきり、ばきりと、既に光の消えた簪が砕けていく。
 幾度も幾度も最早そこに原型は無かった。
 嗚呼、胸に閊えたものが取れたと言わんばかりに、微笑む玉兎。
 ざまあみろと言わんばかりに今一度、月花の全てを否定し、踏み躙るように簪を踏み付けると、彼女は貴方達に向き直る。

「ふぅ……さてさて、気分も爽快になったところで、
 久方振りの食事でありんすなぁ。———さあ、どいつから食われたい?」

 耳を劈く高笑いが、洞窟内に響き渡った。
東雲・華紅夜
橘・明留
パトリシア・ドラゴン・ルーラー
柏手・清音
久世・八雲
シアニ・レンツィ
荒野・ハイエナ
桜三八式・リ七八号
九段坂・いずも
リリンドラ・ガルガレルドヴァリス
月居・朔
葵・慈雨
野分・時雨
敷石隠・船光

●激戦、開幕———。
 ぱりんと、ひとつの命が終わりを迎えた。
 それはなんと呆気なく、何とも理不尽で、何とも胸糞の悪いものだ。
 真っ白な雪月洞に木霊するのは、黒い黒い腹をした女の高笑い。
 いい気味だね、と、簪の破片を蹴飛ばす女・『壮麗なる扇の蒐集者・桐花・玉兎』に、怒りを覚えなかったものはいないだろう。誰かが声を発する前に、眩いばかりの光が一陣の閃光となって駆け抜ける。がきんッ、と、金属同士がぶつかり合う固い音がした。

「おやおや、怖いお人でありんすねぇ。女に刃物を向けるなど、紳士のやる事ではありんせんよ?」
「残念ながら小生は医者でね。女子供であろうとも、手術の際には刃物を揮うのだよ!」
「それはまあ、何とも恐ろしいでありんすねぇ!!」

 拮抗した力と力が反発し合い弾き飛ぶ。
 鳴り響く金属の同士の鈍い音が、奇しくも開戦の合図となった。
 弾き飛ばされた衝撃で霊剣が消失した久世・八雲は、素早く白衣の下からMG42を取り出す。狙いを定めようとした刹那、まるで舞でも舞うかのようにくるりと身を翻した玉兎が、そのまま扇を次々と生み出し、暴風のような花嵐に乗せて雪月洞中に舞い散らした。あまりの風圧に、久世は防御の姿勢を取らざるをえない。切り刻まれる人々の声が、次々と生まれていく。

「ッ!すまねぇリナハチ緊急だ来てくれッ!!」

 荒野・ハイエナが声を荒げ、その場で高々と片手を掲げる。
 刹那、空中に展開された数字や幾何学模様の術式が見る見るうちに魔法陣となり、そこからデジタル映像のようなメタリックな光を放つ桜の花弁が舞い散っていく。それは暴風に呑まれることなく一枚、また一枚と空中で折り重なると少女の姿を形作っていく。

 ———|少女人形『桜三八式・リ七八号』《ショウカンサクラサンハチシキ・リナハチ》

 光が弾けた。主の名により馳せ参じたその可憐な少女は、それが1人、また一人と現れては、この状況下にあって、相応しくない程に恭しく礼儀正しいお辞儀を贈る。

「緊急指令だ!被害者達の生存確認と救助の協力を要請!この洞窟内に生存する街の住人の非難に加え、|要救助者2名追加《月花と雪之丞を助ける》!!サポート頼むぜ!」
「桜三八式・リ七八号 及び桜三八歩兵隊員12名の招集を確認。緊急指令を承知いたしました。濃厚な血の匂いですね……お任せください。私達の力の及ぶ限り全力を尽くさせていただきます」

 そう言うと、それまでの礼儀正しく冷静な態度が一変する。
 可憐な少女達は、軍人かくもやと言わんばかりの態度と表情でもって、

「隊員9名は敵の動向に注意し被害者の方々の安全の確保!救助と治療に当たれ!私と隊員3名は、ハイエナ様の護衛に付き月花殿と雪之丞殿の救助のサポートに当たる!!
各員着剣!敵を囲み銃撃と銃剣による連携で絶え間なく攻撃!!厄介な範囲攻撃を撃たせる隙を与えるな!!」
「サー・イエッサー!!!」
「全軍進めぇ!!!これ以上あの胸糞女の好きにはさせんな!!!」

 荒野・ハイエナが声を上げた。
 同時に、ばっと手を振りかざせば、怒声を上げた少女たちが一斉に玉兎へと突撃する。

「多勢に無勢とは酷いじゃないか。あちきみたいなか弱い遊女に、これはこれはあんまりな仕打ちでありんすなぁ」
「黙れ胸糞女ァ!!」

 荒野が一歩踏み込み、御用警棒を振りかざす。
 彼の後ろには、3体の少女が剣を構えて続く。
 ふんっ、と、鼻で笑う声が聞こえた。刹那、パチンと玉兎が指を打ち鳴らす。
 暴風の中、突如として出現したのは無数の光弾だ。

「ぶんぶんぶんぶんと、蠅よりも五月蠅いゴミムシどもめが」

 玉兎が手を振り下ろす。
 縦横無尽に駆け回る光弾が、扇の隙間を縫うようにして人々へと襲い掛かる。
 それでも構わず突っ込もうとする荒野の肩を引いたのは、敷石隠・船光だった。彼に、いや、彼らに変わって光弾受けたのは、あの可憐な少女達だ。

「リナハチ!!」
「駄目だ、距離を取れ!」
「っ、畜生!」

 船光の刀が光弾を切り裂く。
 今すぐにでも飛び掛からんばかりの勢いの荒野を押さえ付け、抱え込み、壁際へと走りながら船光は光弾と扇を切り飛ばす。そうして扇の一つを同じく叩き切ったところで、その中から橘・明留が姿を現した。ぜぇはぁと呼吸を整える彼が、「助かった……」と、静かに零す。

「大丈夫か?」
「う、うん、ありがとう。はぁ、これで、傷を負うと、この中に閉じ込められちゃうんだね……びっくりしたよ……」
「無事で何よりだわ。くそ、あの胸糞女め、マジで厄介な攻撃ばっかしやがって」

 思わず、舌を打つ。一人、二人、扇に呑まれた少女は何人だろうか。
 暴風が隊列を搔き乱し、扇が、光弾が、容赦なく人々を飲み込んでいく。
 ぱしり、と、ひとつ、玉兎の手に扇が収まった。
 開かれたそこから、首から上だけを現世に出されたのは、あの、可憐な少女のひとりだ。
 絶望に見開かれるその少女の目の先で、開かれるは人食いの口———。

「遅い遅い、欠伸が出るでありんすなぁ。のろまな|お嬢《まんま》ちゃん?」
「っ!!きゃあああああああああああああっっ!!!!!」
「リナハチぃぃぃぃぃぃ!!!」

 伸ばした手は、届かない。目の前で、証書が食われていく。
 ばりぼりと、頭から、まるでそれが人ではないもののように、無残に、食われていく。
 可憐な少女が泣き叫ぶ。最早彼女には、成す術も無かった。
 ばきん、と、決定的な音がした。ごきり、と、捻じれて砕けて、命が終わる。

「なぁんだ、本体ではありんせんか。残念でありんすなぁ。なかなかの|無様な死に際《お味》でありんしたのに」

「……っ、駄目だわ、堪忍袋の、緒が切れた……!」
「ああ。奇遇だな荒野、俺もだよ……」

 荒野が、船光が、静かな怒りを湛えて武器を構える。
 その横で、橘も静かに立ち上がった。折角整えた呼吸が、また荒いでいく。
 凄惨な光景に、恐怖で震えあがったっておかしくはなかった。けれども、恐怖以上の怒りが、命を暴虐するあの悪鬼羅刹を撃ち倒さんとする己が心が、奮い立つ。

「待って、俺も、戦わせて」
「「?」」
「ごめん。たまたま通りかかっただけの部外者かも知れないけど……、それでも、ごめん、一緒に戦わせて欲しい!!俺は橘、橘・明留。こう見えても√能力者だ。足手まといにはならない、だから!!」
「……いいぞ、ただし、条件がある」
「条件?」
「ああ。これ以上、誰も死なすな」
「んで、お前も死ぬな」
「「以上だ!!」」

 駆け出す背中に、続く小さな勇気があった——————。

 混乱の続く洞窟内に、残っている人々はまだまだ多い。
 流石は人気観光地、と言ったところだろうか。今となってはそれも皮肉にしか聞こえないのが悲しい所だろう。人が多い、というのは、それが弱者であればある程に、第三者が見ている以上にデメリットが多い。守らねばならぬ対象が増えるのは勿論の事、こちらの攻撃にも巻き込まぬよう留意しなければならないのだ。それは拳銃などの飛び道具然り、火炎放射などの範囲攻撃然り、そして、特大の威力を誇る必殺技然りだ。

「くっ、状況が悪すぎるな」
「ええ、下手に攻撃が、出来ない……!」

 口惜しいと言わんばかりに柏手・清音がクイックドロウで光弾や扇を撃ち落とす。
 久世も同じく、手にしたMG42で牽制しつつ、自分達に向かって来る攻撃を撃ち落とすことで精一杯だった。風の中、悲鳴が上がる。扇に囚われたのだろう。壊れた扇から飛び出した人が、空中に投げ出されたのだ。「あたしに任せて!」と、竜化した足でシアニ・レンツィが駆ける。彼女の側では、リリンドラ・ガルガレルドヴァリスがまさに護衛と言わんばかりにその武器を振るう。
 彼女たちの目に宿るのは、確かな激情という感情だ。けれども、シアニはそれを願いという名の誓いで抑え、リリンドラはその感情に自身の状態が追い付いていない。故に、冷静だった。そうして虎視眈々と、二人は決定打を叩き込む為のチャンスを待っているのだ。

「みんな!あたしに着いて来て!早くこっちへ!!」
「慌てないでください!落ち着いてください!!」
「背中はぼくらが守ってます、だから」

「うわあああああああ!!」

 突如として聞こえた悲鳴に、誰もが振り返る。
 何かを守るようにして光弾に打たれた男性が、その場に倒れ伏したのだ。
 すぐさま迫るはあの扇。久世の、清音の銃口が火を噴くも、それは僅か、風に流され当たらない。最早男性が囚われるのは必然かと思われた次の瞬間、然してそれは、一閃に閃く、ひとつの炎が焼き尽くした。

「ふむ、戦場の匂いがしたと思えば、これはなかなかの強者と見える」

 煌々と輝きを放つのは炎の剣。その向こうでは、美しい女性が不敵な笑みを浮かべる。
 大丈夫か?と、男性にやわらかく問いかければ、彼は身を挺して守っていた娘と共にお礼を言って出口へと駆けて行く。ゆったりとした仕草で、けれどもそこに纏うは絶対的な経者の貫録を持って、女性は剣を構えると、

「余はパトリシア・ドラゴン・ルーラー! 助太刀するぞ|√能力者諸君《強き者達》よ!!!」

 勇ましい名乗り口上の後、玉兎に向かって一直線に切り込んで来た。
 一度彼女が剣を振れば、炎が風を巻き込んでますます強く燃え上がる。
 好機、と、共に足を進めたのはリリンドラだ。

「助かったわ!でも、何の策も無しに突っ込んで大丈夫」
「愚問である!如何なる敵が相手となろうとも、小細工は無用!!余は絶対的な強者であり王者たる器、ならば、正正堂堂、正面から打ち破るのみ!!!」
「いいわね、そういうのわかりやすくて好きよ!」
「貴殿とは話が合いそうだな!!」

 閃く剣と剣。
交差する刃は、けれども扇にの壁に阻まれて届かない。

「くつ!鬱陶しいトカゲ風情が、壁にでも這いつくばってな!!」

 巻き起こる風。けれども強固な肉体を誇るドラゴンプロトコルの二人がそんなもので動じるはずもない。「今のはそよ風か?」「扇風機にも及ばないわね」と、余裕綽々の笑みを見せる彼女らに、玉兎が憎々しそうに歯を食いしばる。

「よし!二人が親玉を抑えている間に、俺達は住民を!!」
「言われなくともいくぞリナハチ!! 住民の避難を最優先!!徹底的に逃がせ!!!」
「承知致しました!!」
「怪我をしている人がいたら教えてください!多少の治療は出来ます!!」

 船光が、荒野が、リ七八が、橘が声を上げる。
 敵が抑え込まれた事で、その攻撃範囲が急速に狭まったのだ。
 久世と清音の援護を受けながら、シアニが、野分・時雨が風の中へと飛び込む。
 未だ扇に囚われたままの人々や、逃げ遅れた人々を救うべく、二人は全力で彼らに向かって手を伸ばす。

「しぐちゃん!シアニさん!こっち!」

 葵・慈雨が手を上げる。
 彼女の側では、大怪我をして動けない人々が固まっていた。
 リ七八部隊の力を借りながら、彼女は懸命に手当てを手伝い、励ましの言葉を掛け続ける。包帯がないのなら、と、葵は自らの着物を裂いては止血の為にと人々へ巻き付ける。あまりきれいな布じゃなくてごめんなさい、と、困ったように笑う彼女を、一体誰が攻められようか。

「あたし、大丈夫そうな人を出口まで送るね!」
「うん、お願い!折れてる部分とかはなるべく触らないようにね」
「シアニさんも十分、気を付けてくださいよ?」
「うん! 葵さんと野分さんもね!!」

「ふぅー、結構みんな逃げた?もう大丈夫かな?」
「多分、良い感じだと思いますよ」

 ただ、このまま消耗戦になったら、少々分が悪いかもしれない。
 相手は人を喰って力を得る古妖だ。少なくとも二人、あの化け物に食われている。敵だって馬鹿じゃない、力の配分ぐらいは考えているだろう。今はまだ、リリンドラとあのパトリシア、だったか。彼女たちのスタミナが持っているからいいものの、もしあれが古妖のそれよりも先に尽きてしまったら……。

「しぐちゃん」
「ん、はい、なんですか?」
「難しいこと考えてたでしょ?」

 ちょんっと、白い人差し指が時雨の額を突く。
 目を丸める彼に向って、葵は笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ、しぐちゃん。わたしたち、絶対負けない。あんな酷い人に負けるもんですか!今にうさぎ鍋にしちゃうんだから!……皆さんがね!」
「……ふっ、そうですね」

 嗚呼、この人はいつだって、真っ直ぐに未来を信じているんだ。
 だったらそれを信じてあげましょうか。それが、ぼくに出来る事でもありますから———。

「どけよ!」
「きゃ……っ!」

 我先にと逃げ惑う人々に、はじき出される人間も少なくはない。
今回も例にも漏れず、突き飛ばされてしまった東雲・華紅夜は、あわや地面と激突寸前のところで、その体が誰かに支えられた事に気が付いた。

「大丈夫か?」
「は、はい、ありがとうございます」

 思わず見惚れる程の美男子に、極々一般的な乙女ならばぽっと頬が染まるかもしれない。
 けれども戦場でそんな場合ではないのは、どちらも100も承知だった。東雲を静かに立たせてやると、月居・朔は、自らの獲物を構え、きつい眼差しで前を見据える。
 視線の先には、戦う仲間たちの姿があった。本当ならば自分もそこに加わるべき、いや、加わりたい気持ちではち切れそうなのだ。それでも今、彼がここに居るのは、仲間達の思い故。倒れて、重傷で動けない者達を、守って欲しい。朔の武器が盾にも併用できると踏んでの頼みだった。それがどんなに重要な事か、月花のあの願いを聞いていた者であれば、理解出来ぬ方がおかしいだろう。

「早く逃げろ」

 静かに言い放つ朔に、東雲は首を振る。

「……いいえ、私は、戦う為に足を止めました」
「?」

 彼女はゆっくりと周囲を見た。
 葵が、リ七八部隊が、懸命に治療を施しているとはいえ、次々と運ばれてくる重傷者に、人手が足りていないのは明白だった。
 少しだけ、瞼を伏せる。ゆっくりと開いた彼女の眼には、強い光が宿っていた。

「私の名は東雲・華紅夜。√能力者です。微弱ですが、どうぞ、お力にならせてください。この惨状、決して、捨て置くことは出来ません」
「……お人好しの馬鹿だな。好きにしろよ」

 吐き捨てるように告げて、朔は葵に声を掛ける。
 手伝いたいんだとよ、と、ぶっきらぼうに告げる彼に、東雲は小さく微笑みながら礼を言った———。

 ぎちぎちと獲物同士が火花を散らす。
 炎を纏いし大剣と竜の名を持つ大剣の威力も然る事ながら、彼女たちの頑丈さに、玉兎はぎりぎりと神経をすり減らす。本当に、鬱陶しいトカゲ共だ。と、彼女が内心で舌を打ち鳴らした時だった。つ、———っと頬を伝う一線の赤。リリンドラの剣の切っ先が、玉兎の頬を掠めたのである。
 ぶちり、と、緒の切れる音がした。玉兎の目に血が走る。

「調子に、乗るんじゃないよ!!!!」
「「!?」」

 玉兎が扇を地面へと叩き付ける。
 刹那、空気と地面が同時に大爆発するかのような衝撃が巻き起こる。
 吹き飛ばされる体。雪月洞の岩肌に、リリンドラとパトリシアが打ち付けられる。

「フッ、やるではない、か……っ!!」
「流石に、あのまま優勢って訳には……いかないわね、っ!?」

 ごぼりと二人の口から同時に血液が吐き出され、力を失った彼女たちの体が、そのまま地面に落下する。二人の名を呼びながら、朔が、時雨が、彼女達を受け止めんと駆け寄った。
 けれども僅かな休息の隙さえ与えぬのか、ふうふうと息を荒げた玉兎が、荒々しい舞を舞い、全てを飲み込まんばかりの爆風を巻き起こす。
 けれどもそれを待ってましたと言わんばかりに、駆け出す獣がいた。

「隙ありってやつですよぉ!!」

 九段坂・いずもだ。
 彼女は予見していた、この荒々しい攻撃を。
 大きな大きな技を揮うには、それ相応の隙が生じるのである。
 駆け出すいずもの手には、愛刀である探偵刀・山丹正宗。一陣の風が、刹那の隙をつくかのごとく、その刀身を煌めかせる。

「——————え?」

 いずもが目を見開いた瞬間、彼女の両手がその体から切り離された。
 肩から鮮血を吹き出し、いずもが絶叫を上げる。そのまま膝を付き、崩れ落ちるようにして地に伏せた彼女を可笑しそうに眺めながら、玉兎が鼻で笑う。

「正気を失っているとでも思うたか。とんだ大うつけでありんすなぁ」
「嘘……確かに、わたくし、見えた、のに……?!」
「数秒先の未来など、どうとでも変化するのでありんす。力を取り戻したあちきに、下手な小細工は通用しりんせん。獣は獣らしく、地を這っているのがお似合いでありんす」
「うっ、あ、あぁ……!!」

 辛うじて意識は保っているのだろうか、けれども立ち上がることもままならないいずもの顔面が、玉兎の高下駄によって踏み付けられる。響くは耳障りな高笑い。飯を見付けたと言わんばかりに玉兎がいずもの腕に手を伸ばす。———が、鋭い銃声がそれを遮った。寸前のところで飛び退く玉兎、その銃口の先を見つめれば、久世と清音が構える拳銃が見える。

「全く、本当に憤懣遣る方無いお人だね」
「ええ、申し訳ないけれども、貴女に食わせる肉は、もう、なくってよ」
「ふんっ、イカレた医者と便所臭い女が喚くな」
「あら、奇遇ね。私もあなたの事、同じように、思っていたの……それじゃあ、同じ、「便所同士」、仲良く、しましょうか」

 ぱあんと薬莢が弾けた。
 再び巻き起こる花吹雪を迎え撃つは無数の銃声。
 飛び交う弾を避けながら、シアニと時雨が、葵が駆ける。

「九段坂さん!」

 目の中の光が薄い。かひゅーかひゅーというか細い息遣いが聞こえる。
 ずきりと、シアニの胸が痛んだ。否が応でも蘇る、玉兎が復活した直後の血の嵐。喰われてしまった小さな少女、誰かの命がまた、目の前で消えてしまった。あたしがもっとうまくやれてたら、誰も死なずに済んだのかな……。

「シアニさん」
「ぁ」

 ぎゅっと、手を握られた。
 葵の優しくて強い瞳が、まっすぐに見つめて来る。

「大丈夫、もう、誰も死なせないよ!みんなで帰ろう?ね?」
「……うんっ!」
「っと、そんな場合じゃあねぇですよ!兎にも角にもここから離脱しましょう!!」
「うん!わかってる!止血だけ済ますから、しぐちゃん、その間だけわたしを守って!!」
「合点です、シアニさん、走れる準備しといてくださいよ!」
「任せて!!」

 洞窟内の攻防は激しさを増した。
 あらかたの人々は逃し終わったものの、自分では歩けぬ程の怪我を負った者、瀕死の重傷であるものも少なくない。全戦力を今すぐにでも投入出来れば、と、口惜しさを感じるのは一人二人ではないだろう。玉兎も消費してはいるものの、未だ倒れる兆しはない。人を喰い、蓄えた力というのは、これほどまでに狂暴で凶悪なのだろうか。懸命に迎え撃つ前線部隊の消耗は激しい。かといって、後方部隊が疲弊していないと言えば嘘だ。
 一刻も早く人々を逃さなければ———東雲が、意識の無い女性を出口付近まで運ぶ。

「後、少し……!!」
「逃さないよ!!」

 あと一歩で、出口。その一歩は届かない。
 雪月洞の天井が、激しい音を立てて打ち崩される。
 いくら真ん中は空洞とはいえ、壁沿いに広がる天井が、瓦礫の山となって崩れ落ちて来る。

「危ない!!」

 橘が叫んだ。
 踏み出しかけた足を引っ込めることが出来ない東雲を、彼が体を張って突き飛ばす。

「大丈夫?!」
「は、はい……でも、出口が……!!」

 そこには、瓦礫の山が鎮座していた。
 そして、

「そんな———」

 逃げ道を塞がれ、途方に暮れる子どもの声がする。
 恐怖と混乱に立ち竦むしか選択肢のなくなったその子に、玉兎の花吹雪が、細長い砲弾のようにして放たれる。

「いけない……!!」

 気付いたら、体は勝手に飛び出していた。
 防御の姿勢も忘れて子どもを突き飛ばし、清音の体が花咲き乱れる暴風へと飲み込まれていく。刹那、暴れ狂う風の中で清音の悲鳴が木霊する。鋭い裂傷が彼女の体に幾つも刻まれ、そして、

「っ!!あああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
「柏手さん!!!!!!!!」

 叫んだのは橘だった。
 彼の目の前で、清音の全身を蜂の巣にせんばかりに次々と光弾が弾ける。
 辺りを眩い閃光が包み込む。あまりの眩さに誰もが目を閉じたその一瞬、「離して!」という懇願染みた悲鳴が洞窟内の誰もの耳に届いた。
 光が止む。目を開ける。そこにいたのは、子どもを片手で掴み上げた玉兎と、彼女の手の中、おどろおどろしい扇に閉じ込められていた清音だ。

「この……っ!!」
「おっと、あちきを撃ったらこの|子《ガキ》に当たるでありんすよ?」
「あ、ああ……っ!」

 震える子どもの喉に、玉兎の指が掛かる。
 恐怖に全身を戦慄かせる子供に、その場にいた全員が踏み出す足を躊躇した。
 卑怯者め、という罵声を涼しそうに聞き流しながら、玉兎はまた腕を揮う。暴風にも似た巨大な花吹雪が、再度全員に襲い来る。

『皆さん!!』
「さてさて……あちきを便所と言ったかいクソアマ」
『うっ?!ぐっ……ああっ?!』

 扇の中で、清音が苦悶の表情を浮かべる。
 扇の中、清音の背後では、地獄の針山のような光景が描かれていた。
 それがぐにゃりと乱れて混ざり合う度に、清音からは悲鳴が上がる。扇越しに見える彼女には、ひとつ、またひとつと傷が増え、その度に夥しい量の血液が流れていく。

「そういやあんたも同じ便所なんだって?だったら同族の情けだ。あんたは特等席で死ぬがいいさ。お仲間が傷付けられている様をありありと眺めて、あんた自身も苦痛と苦悶塗れの|地獄《クソ溜め》で死にな———!!!」

 玉兎が片手を振りかざす。
 清音の背後がまた、ぐにゃりぐにゃりと乱れ混ざり合う。
 木霊する悲鳴。現世にて乱舞する扇は尚、玉兎の盾となり矛となり、力無き人々を襲わんとその狂乱を舞い続けている。幼い子供が盾にされているせいで、他の面々も満足に攻撃が出来ず、人々を守り続ける事だけで精一杯だった。疲労し、消耗していくメンバーを嘲笑う玉兎。扇の中、限界を訴えるように清音の口から大量の血液が噴出される。

「おやおや|いい顔《ぶっさいく》でありんすねぇ。そろそろ、とどめかしら?便所女」
「っ!!やめろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 声を上げたのは、橘だった。
 震える声を怒声に変え、渾身の力を込めて投げ出されたのは、小さな小さな、石———

「——————このっ、クソガキ!!!」

 然してそれは玉兎の頭を、こめかみを強かに捉え、一筋、小さな傷を生む。
 地獄の鬼のような形相で、ゆっくりと玉兎が振り返る。一瞬、花吹雪のただの一瞬の静寂を、見逃さずに駆けるは一体の獣———その口に咥えた探偵刀が、銀色の残像を残して閃く。

「っ?!ぎゃああああああああああああああああああ!!?」

 玉兎の片目に穿たれるは、山丹正宗。
 腕が解放された瞬間、子どもが橘の方へと駆けた。
 呼吸を荒げながら、それでもいずもは大胆不敵に笑みを浮かべる。

「知ってます?獣って、前足が無くても牙はあるんです」

 ——————|九段坂下り《コール・オール・ゼム》!!

 ぶちり、と、神経を、肉を断ち切る音がした。
 玉兎の片目が切り落とされ、地を転がる。
 刀を咥えたまま、いずもはそれに向かって駆け、そして、

「んー……お味は最悪ですね。性悪さによるエグ味と癖と臭みが強い強いっ!煮ても焼いても食えないとは、まさにこういう味を言うんでしょうね」

 目玉をぺろりと平らげ、自らの両の腕を再生したのだ。
 息を荒げつつも不敵な笑みを崩さぬ彼女に、玉兎が片目を抑えて激昂する。

「おのれ!おのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!!」
「さあさあ!もうあなたの盾はありませんよっ!」

●反撃開始———そして、決着。
 物事に、一石を投じるという言葉がある。
 橘のその行動は、まさに、この戦況においてのそれだった。
 あの一瞬、ほんの一瞬の僅かな隙が、起死回生の一歩となったのだ。
 いずもが再生した両手で探偵刀を翻す。そのはるか後方で、橘が子供を抱き締めている。

「うえ、うえええんっ!」
「よしよし、怖かったね……最後まで諦めないで、ちゃんと逃げる事が出来たね、偉いよ、とってもえらい……!!」

 未だ小さく震えるその背をぽんぽんと優しく撫でながら「後は全部俺達に任せて」———そう言って、橘も玉兎を見据えた。背後にいる人達は、絶対に守り切る。このチャンスはモノにする、絶対に、勝利を、諦めてなるもんか!!

「気合い入れろリ七八ぃぃぃぃぃぃ!!! 絶対に誰一人として死なせんじゃねぇぞ!!!」
「承知!しかと胸に刻みました!!!」

 荒野荒れ狂う花吹雪の中、荒野はひたすらに救助活動を開始する。
 守るべき対象をなるべく一か所に集めた方が守る効率がいいからだ。花吹雪をもろともせずに駆ける荒野の背中を、橘が追った。腹が、腕が、切り刻まれては血飛沫を上げる。けれども足は止まらない。リ七八が彼らの傷を癒す。総勢12名にまで膨れ上がったリ七八部隊は、懸命に主のサポートしながら人々を守り抜く。
 集められた輪の中に、葵が、時雨が、東雲が、そして扇から救出された清音がいた。

「大丈夫、柏手さん?意識はある?しっかりして?」
「うっ、だ、大丈夫……です、っ……!!」

 顔を歪める清音を心配そうに見つめ返しながら、東雲が治療を開始した。
 清音の状態は、よく五体満足であったと、生きていたと不思議になるばかりの大怪我だ。深く、深く、叱咤するかの如く東雲が自らの呼吸を整える。
 その傍らで葵も、怪我を負った人々の為に手当てをしながら、あちらこちらへと忙しなく動いている。けれどもふとした瞬間にあの砕け散った簪の破片を見付けては、それを拾い上げる彼女を、時雨は静かに見守っていた。

「慈雨さん」
「わかってるよ、そんな場合じゃないって。でも、わたしが、祠、開けっちゃったから……月花さんに、ごめんなさいじゃすまないよね」
「……過ぎたこと言っても仕方ありませんよ。それを言うなら、止められなかった僕にだって、多少責任はありますからねぃ」
「しぐちゃん……」

 葵が何かを言わんと口を開いた時だった。
 がらり、がらがらがら、がらり———花吹雪に煽られて、天井の一部が崩壊する。
 それは等しく礫と瓦礫の雨となって降り注ぐ。簪を守らなきゃ、そうして破片を庇うように覆いかぶさった葵、

「っ!!」

 かっと、目を見開いたのは時雨だった。
 嗚呼ほんと、なにやってんですかあなたは。コレで死んだら、御免じゃすまないどころじゃないですよ。血が燃える。力が沸き立つ。馬鹿だなぁ。いや、馬鹿はお互い様なのかな。今この場で|慈雨《大事なご主人様》を守れるのは、他でもない自分だ。自分しかいない。そう思ったら、全て賭けたくなるじゃないですか。

 ——————|牛鬼力業《ウシオニチカラワザ》!

 顕現せしは牛の角、牛鬼蛇神の様相の、醜い醜いこの体。けれどもこの身を、この力を、今ほど誇りに思う事は無い。人知を超えた力が、礫の雨を、瓦礫を打ち壊す。いっそ岩盤のような大岩を粉々に打ち砕いた瞬間、ぼきりと拳から嫌な音がした。然して時雨は、目を見開いたまま攻撃を続ける。
 ———こんなもの、痛くなんてない!!!
 時雨は気が付いていた。この事件にかかわってから、月花の事を知ってから、彼女に何かしらの思いを重ねていた葵の事を。自分は未だに彼女の思いを語る口を持たないけれども。けれども、だからこそ、葵が後悔せぬようにと、出来る限りで見守っているのだ。失いたくない。彼女の為ならばいっそ、こんな腕の一本や二本、喜んでくれてやる。
 目にも止まらぬ連撃が、降り注ぐ凶器の雨をただの砂へと変えていく。ぱらぱらと、すっかりそれが収まった時、ほっと、胸を撫で下ろした刹那、葵は、時雨の腕が不自然な方向に曲がっている事に気が付いた。

「しぐちゃん!腕が!!」
「これしき、へでもねぇですよ。ぼくは大丈夫。それより簪を集めましょう。きっと、それが、っ、何かに繋がるってぼくもなんとなくそう思いますからね。拾い終えたら皆さんの手当てを手伝いに行きますよ。ほら、ぐずぐずしないで」
「しぐちゃん、っ、……うんっ!!」

 本当は、でも、だって、と、言いたかった。無理をしてまでわたしを守らないでと。
 けれども葵は知っている。言ったところで、このちょっぴり頑固な同居人が大変な無理を止めてくれるはずがないのだ。だから、ありがとう。時雨の気持ちを思えば、自分のこの苦しい胸の内なんて、簡単に飲み込める。わたしはしぐちゃんが倒れないように、わたしの出来る事をする。それが、わたしの戦い方。貴方と同じ歩幅で歩く方法、なのだから——————。

「貴殿、リリンドラと言ったな。余と共に体を張る覚悟はあるか?」
「パトリシア、だったかしら?何か考えでも?」
「……ああ、まあな」

 そう言ってちらりと天井を見つめる彼女に、リリンドラも同じ場所へと視線を寄越す。
 よく見なければ気が付かなかった。そこには、この混乱に乗じて天井へと駆け抜けるシアニの姿がある。彼女の大金槌がステルスマントの端からちらりちらりと覗いているのだ。

「あの、小さき|青竜《せんし》の一撃にかける。我々はその為の礎だ。全力で奴にしがみ付き、動きを封じる」
「なるほど、悪くないわね」

 シアニのあの大金槌とパトリシアの炎。
 原理云々はよくわからないけれども、高い所から大きくて重いもので叩かれれば痛い。気絶する程痛いのはなんとなくわかる。例えトドメをさせなくとも、ただでは済まないだろう。彼女達の中に流れる戦いの血が燃える、飽くなき勝利の為の闘争本能が大輪の花を開かせる。了承の意を示した瞬間から、二人は全力で駆け出していた。
 けれども、そんな二人に気が付かぬ玉兎ではない。目敏くも憎々しく、彼女は片手を振りかざす。吹き乱れる花吹雪、扇という扇が、まるでギロチンの刃のようにして次々と飛び掛かって来る。リリンドラが大剣を構える。パトリシアが炎を吐き出さんと息を吸い込む。

「無駄な力を使うな!!」
「ここは俺達に任せな!!」
「「!!」」

 直後、一方からは、ぶおんと豪快に空を切る、巨大な棺桶。
 そしてもう一方からは、轟雷のような刃を放つ刀の残像。

「話は聞いていた!任せろ!道ぐらい作ってやる!!」
「ああ!俺は護国の象徴でこの身は刃だ、四肢が捥げてでもこれ以上あいつの好きにはさせないよ!!」

 朔が棺桶を盾代わりにして構え、二人の前に躍り出る。
 船光が夜叉を率いて、真っ向から扇と打ち合う。
 チャンスの女神が、振り返る気配がした。もう少し、もう少しでその前髪に手が届く。

「小賢しいねぇ!!!」

 玉兎の怒気と共に、ますますと吹き荒れる花吹雪、光弾がその間を縫うようにして、4人へと襲い掛かる。一瞬遅れた防御、然して刹那、それは電動ノコギリかくもやと言わんばかりの轟音が、光弾を弾き飛ばした。

「援護は任せたまえ!!」
「わたし、も、倒れてばかり、では、いられないわ……!」
「柏手さん、無理は……いや、博打を張るのがあなただったね。ならば小生も、この命を全ベットさせていただこうか!もちろん、我々の勝利にな!!」
「フッ、良いわね、その賭け方、嫌いじゃないわ。ええ、ここしかない。これを、逃しては、駄目よ!!!」

 投げられた賽の運命を自らの手で掴み取らんと、傷も癒えぬ体で、清音は銃を揮う。
 突き進め!と、久世が声を上げた。彼らの拳銃は休む事無く、扇を、光弾を打ち抜いていく。
 足を進める四人、そのずっと後ろでは、逃げ遅れた人々を守る、ハイエナとリ七八に橘、そこにいずもが応戦に加わる。彼らの手当てを引き受ける慈雨と東雲、そんな彼女達を守る時雨。誰一人として、逃げ出す者はいなかった。自分の出来る事に死力を尽くす事、それ即ち勝利への一歩となる事を信じて、全員が全力で戦い続けている。

「遠からん者は音にも聞け!近からん者は目に物を見よ!!拙者の渾身にして最大の一撃、貴様にくれてやるでござる!!!!」
「いくぞパトリシア!リリンドラ!」
「ああっ!!」「ええっ!!」

 どぉりゃああああああああああああああああ—————!!!!

 朔と船光、二人の怒声が重なる。
 船光の渾身の力を込めた上段打ち下ろしが、凄まじい衝撃波となって花吹雪を切り裂き道を作り出す。すかさずそこを通過するのは、朔がぶん投げた己が武器・棺桶だ。それをまさに渡り船のようにして乗り込んだパトリシアとリリンドラが、一直線に玉兎に突っ込む。

「捕まえた……!!」
「なっ?!離せ!!離せこの不細工なトカゲ風情が!!!!」
「その申し出は却下だ!離さんぞ!!如何なる衝撃が降りかかろうとも、絶対に離さん!!」
「ええ!罪なき者の正義を踏みにじったあなたには、正義の鉄槌を下してあげる!!」
「正義の鉄槌ぃ?!そんなもの……っ?!」

 上空からの眩い光に、玉兎が目を見開く。
 二人が玉兎にしがみ付いたのを合図に、シアニが洞窟の穴から飛び上がり、更なる上空へと飛んだのだ。その手にはもちろん、煌々と輝く大金槌。空中で縦回転をしながら勢いを増す彼女は、ただ愚直に、一直線に、玉兎、目掛けて飛来する。

「くそ!離せ!!離すでありんす!!! 貴様らも死ぬ気か?!!」
「残念、死ぬつもりなんてないわ」
「ああ、余は端っからの負け戦などせん」

 二人が不敵な笑みを浮かべる。
 同時に、葵が両手を広げた。東雲が陰に祈った。
 展開された防御術式が、強い光の鎧となってパトリシアとリリンドラを包み込む。
 影より生まれし|妖《いのち》が、盾となるべく彼女達へと折り重なる。
 ああそうさ。ここには、どんな城壁よりも心強い、仲間がいる————!

「いっけぇぇぇぇっっ!!シアニぃぃぃぃぃぃっ!!!!!」

 ハイエナが、月居が、船光が、その場にいた誰もが咆哮のような声を上げた。

「はあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 振り下ろされるは、想いを乗せた究極の一撃、
 ——————|不完全な竜はご近所迷惑《フォルス・ドラグスタンプバースト》!!!

 それは、落雷のような一閃。一瞬、眩いばかりの光が周囲を包み込む。
 轟くは、轟音のような炸裂音と、空を切り裂く遊女の、憐れな断末魔。
 そのまま、玉兎はぼろぼろと、炭とも灰とも付かない存在となって姿を消す。
 後にはころり、小さな翡翠の珠が残されていた———。

●一日千秋に捧ぐ雪月花

「っと、これで全部か……?」
「うん、多分そう、ですね」

 粉々になった簪の欠片を、その場に会した一同が静かに見守る。
 最早ただの金の破片と言ってもいいそれは、あの見事な細工は見る影もなく、ただの残骸として転がっているだけだ。ふと、あの台座部分が目に留まり、荒野がそっと瑠璃水晶を取り出した。そのまま台座に静かに押し当てれば、それはぴったりとはまり込む。
 やっぱりな、と、呟いた瞬間に、東雲が横から翡翠の珠を差し出した。

「これ、あの人食いさんの消えた後に残されていたものなんですけど。その石に、似てますよね」
「……確かにな。これもなんかの飾りか?」

 なんとなしに簪の台座へと当ててみる。
 すると驚くことに、それもぴったりとそこに納まったのだ。

「どういう……いや、待てよ。あの胸糞女の腹の中に、雪之丞が囚われてるって言ってたな。もしかすると、これは……」

 そっと意識を集中する。感じるのは、生命の息吹。
 未だ眠りに就いているだけの付喪神の波動。
 もう間もなくもすれば、これはきっと目を覚ますだろう。
 荒野は大きく舌を打ち鳴らす。

「だったら、ますます治さなきゃいけねえじゃねぇか」

 誰かが泣く顔は、もうまっぴら御免だ。

「治せるんですか?」
「ん?ああ、任せてくれ。こちとら不思議なジャンク屋だ。壊れたもん直して|お宝に変える《輝きを取り戻す》のが商売よ。ちょちょいのちょいっとな、やってやるさ」

 そう言って荒野は深く息を吐き出し、自らの呼吸を落ち着けていく。
 簪の側に、瑠璃水晶を置いた。その傍らに翡翠の珠もそっと置くと、その場で静かに立ち上がり、ゆっくりと片手を翳す。
 |瑠璃水晶《コレ》が簪を直す呼び水になるかもしれない、なんて、それは半ば荒野の独断となんの根拠もない勘のようなものだった。然して、あの古本屋の店主が何故これを託したか、その問い掛けに応えるように、瑠璃水晶から|想い《光》が溢れ出す。
 金色の麦畑を、優しい満月を、美しい日の光を思わせるそれはまさしく、月花の想い。
 ビンゴ、と、口元を緩ませる。後はこれを、自らの√能力と応用して元に戻してやればいい。元の簪としての形を成してやればいい。それだけだ、それだけなのに———。

「っ、畜生、力が足りねぇ……!!」

 玉兎との戦いで消耗しきった体が悲鳴を上げる。瑠璃水晶から溢れた想いが消えていく。
 いくら歯を食いしばって、この命すら焼いても構わないと力を振るおうとも、それは掌から零れ落ちる水のようにして、静かに簪の表面を滑るだけだ。折角想いを包んでも、その想いごと弾けて消えてしまう。もっと、もっと力がいる。この簪、いや、この洞窟を丸ごと包み込むような、でっかい力が。畜生、と、荒野がまた声を零す。すると、彼の翳した手の上に、もう一つ、二つ、静かに手が重なった。

「お前ら……」
「どうも、|どこぞの付喪神《アンティークなお人》から、見る目があるって褒められたからな。伊達にアンティークを見てきたわけじゃない。俺の力も使わせてくれ」
「私も……古書とはいえ、沢山の物達を見てきました。少しでもお役に立てるのならば、この力、喜んで振るいましょう。」

 朔が、東雲が、静かに目を閉じる。
 それをきっかけに、あたしも!俺も!小生も!と、次々と仲間たちが彼らの手に自らの手を重ね始めた。「どうすればいい?」と訪ねられ、荒野は言う「難しい事を考えずに、この付喪神の事を考えろ」と。皆、次々に目を閉じて、ただ、祈る。

 ———あたしね、いつかきっと貴女みたいになりたいって、心の底からそう思ったの。あんなに一生懸命頑張った人が、報われないなんてあんまりだよ!お願い、どうか、月花先輩!!

 ———私はただこの場に居合わせたにすぎません。けれども貴女の雄姿をこの目で見て、そして感じました。月花さん、貴女は強い人です。強く、優しく、美しい。どうぞその魂が納得できる道をお選びください。朽ちる事が本意でないのならば、ええ、ここへ御戻りを。

 ———依り代を媒体にするなんてさ、同じ付喪神として、それがどれだけ恐ろしい事かはわかるんだ。そんな危険を冒してまで、ただ愛する人の為に街を、人々を守ろうとしたあんたを尊敬するよ。でもな、同じ付喪神として、俺の我儘も聞いてくれ。ここであんたに消えて欲しくないんだ。

 祈る。

 ———貴女は……良い人に、出逢えたの、ね。私は、貴女の選択に、なんの文句も、願いも、無いわ。ただ、貴女の魂が、救われますように。それだけを、祈るわ。

 ———あなたの正義、私は確かに感じたわ。強かった、美しかった、でも、『かった』で終わらせるにはまだ、あまりに早過ぎる。帰ってきて。街にはまだ、貴女が必要よ。

 ———わかるよ、貴女の気持ち。わたしの待つ人はまだ帰ってこないけれど。わたしが月花さんの立場なら、彼が大切にしていた場所や人々を守りたいと思うもの。だからどうか、これが最後になってしまうかもしれないけども、それでも、月花さんの思いを叶えてあげて。

 ———ぼくがあれこれ思う立場にはねぇですよ。でもね、とてつもなく厄介な事に、ぼくの大事なご主人様がね、必死になって祈ってるんです。馬鹿だなぁ。ぼくは貴方に何かを思う資格なんてありませんけど、ぼくのご主人様の祈りは、どうか聞いてやってください。

 祈る。

 ———列に並びながら見てたよ。誰かを守ろうとする素敵なあなたを。怖くて震えて仕方なかったけど、それでもあなたの背中が、俺に一歩を踏み出す勇気をくれたんだ。

 ———主様を思う気持ちは、私共に通ずるところが御座います。私共はハイエナ様により使役される身、故に私は、私共は願います。主様の悲願を叶え下さいませ。

 ———小生は医者だ。だが、真実の愛を知っていると言えば、嘘になるかもしれない。どんなに人と接していても、どんなに誰かの傷を治しても、塞がり切らない心の傷を幾度となく見て来たからね。月花さん、貴方の心の傷は、隙間は、塞がっているのかな。そうでないのならば……。

 祈る。

 ———全く、強い女性というのは本当にカッコよくて素敵、ですね。わたくしね、こんな感じの者ですけど、そういう人になりたいなぁなんて気持ちもちょっぴりあったりするんですよ。恋って人を強くするじゃないですか。愛って、無限の力を出せる最強の思いじゃないですか。わたくしもね、いつかね、そんな人に出逢ってみたいんですよ?なんてね。

 ———戦場の匂いに釣られてきた身とはいえ、信念の御旗の元に戦った強き者よ、貴殿には素直に尊敬の念を示す。然して強き者よ、ここで眠りに就くのは貴殿の本位なのか。答えを、教えてくれ。

 ———悪いが女心なんてわかんねぇよ。でも、これだけは言える。付喪神になってまで待ってたんだろ?待ち続けていたんだろ?だったらまだ待ってろよ。決して諦めなかったんだろ?どんな苦行も乗り越えて来たみたいじゃねぇか?だったら、これも、乗り越えてくれよ!!

 ———頼む、蘇ってくれ!!!

 祈る、祈る、ただひたすらに、一途に、祈る。
 次第に思いが重なった。思いがひとつに紡がれる。

 ああ知っているさ。
 奇跡なんてもんは、起きるものじゃねぇ。起こすもんだ。
 |不思議骨董品《壊れた時計よ、今再びの時を刻め》———!!

 刹那に淡い光が舞う。紡がれて重なった願いが確かな輝きとなる。
 命を燃やして相手を希う蛍のような儚い光が、雪月洞を包み込む。
 簪の欠片が、瑠璃水晶が、そしてあの、翡翠の珠が静かに光り輝いた。

 きれい、と、呟いたのは誰だっただろうか。
 簪の欠片が舞を舞うようにふわりふわりと巻き上がり、二つの宝石を巻き込みながら空中へと浮き上がっていく。やがて簪が空中で元の形に戻っていった。そして見る見る内に、二つの宝石が二人の人間へと姿を変えた。

 青い青い澄んだ瑠璃水晶は、息を飲むほど美しい花魁に。
 やわらかく輝く翡翠の珠は、精悍で凛々しい一人の青年に。
 花魁の髪に簪が静かに刺さった。その直後、二人が静かに目を開ける。

『月花……!』
『雪之丞様……!』

 一瞬、ほんの僅か、瞬きの間に、二人が息を飲むのがわかった。
 夢か、幻か、それとも今際の幻想か。然してその手と手が触れ合った瞬間のぬくもりが、ただこれを現実として伝えて来る。しあわせが、喜びが、やわらかくも温かい雫となって二人の頬を濡らす。感情が溢れて止まないのだろうか、言葉よりも先に体が動いた。なにもかもを忘れたかのように、二人は互い抱き締め合う。二人の切実な様子は、長年焦がれに焦がれ、逢いたくて逢いたくて仕方がないと、言葉ならぬもので伝えあっているようだった。

『月花、月花、すみませんでした……っ!!』
『良いのです、良いのです雪之丞様……!!』

 言葉が詰まる。溢れ出す感情に飲み込まれて、何も言えなくなる。

『わっちは待っておりました。この日を信じてずっと、ずっと……』
『月花、私もです。私もずっとずっと待っていました。貴女が私を忘れていようと、一目逢いたいと願い続けて……』
『そのような事、決してありんせん。誓ったではありませんか、あの日、あの時、あの夜に——————』

 不意に、久世とシアニの荷物から光が放たれる。
 小説だ。あの『悲恋小説』が、月花の髪にも似たやわらかな光を放っている。
 そっとそれを開いた。文字が、浮かび上がってくる。
 優しい光と共に、読めなかった最後の文章、夜の誓いの部分が、蘇ってくる。

『例え死が二人を分かとうとも、わっちのこの愛は永遠に消える事は無いでしょう。
 貴方様を想います。例え雨の日も、風の日も、どんな日であろうとも、わっちの心に住まう貴方様が、わっちに陽だまりをくれる限り、この思いを忘るる事はありんせん。
 誓いの証にわっちの、この翡翠の珠を差し上げます。遠い昔、まだ少女であったあの頃、身売りされるわっちに、両親が持たせてくれた唯一のお守りに御座います。騙しに騙して持ってきた、唯一の宝を貴方に捧げさせてくださいませ。この片割れの、瑠璃水晶と対を成すそれが、わっちと貴方様であるという唯一にして無二の証明になりましょう。どんなに月日が経とうとも、年老いてこの身が醜くなろうとも、これがわっちを、貴方様を証明してくれるでしょう。
 ええ、寂しくは御座ります。けれどもそれ以上に、貴方様を思うだけで、この満開の月よりも尚美しい思いが、わっちの胸を満たすのです。愛しています。心の底から溢れ出るこの想いは、嘘に塗り固められた遊女のそれではありません。わっちの、一人の女としての真実の言葉として、貴方様に贈ります—————』

『お逢いしとうございました……本当に、本当に……っ!』
『私もです月花。然して随分と長い間、貴女を待たせてしまった……』
『良いのです。どんなに月日が経とうとも、褪せぬ想いを抱けた事が、その相手に巡り合えた事が、どれほど幸福な事であるか、わっちは存じております』
『月花、いえ、もう言葉は不要でしょう……ただいま、月花』
『おかえりなさいませ、雪之丞様』

 微笑み合う二人が、静かに見つめ合い、そっと唇を重ねる。
 その姿は、どんな絵画よりも美しく、この場にあるどんな存在よりも儚く尊い。
 空には満月が、それはそれは美しく輝いていた——————。

●エピローグ
 雪月洞の一件は、瞬く間に街の人間に知れ渡った。
 そして騒ぎが一段落ついた頃に、付喪神となった月花と、彼女の傍らで同じく付喪神となった雪之丞が、事の真相を静かに語り出す。

 昔、愛を誓い合った遊女と男がいた。
 男は√の力を持たぬ、所謂非能力者というもので。けれどもその強い正義感と真っ直ぐな心から、村や町の怪異退治を引き受けては、その確かな腕で救って回っていた。
 ある時男は、人食い鬼の噂を聞き付け、とある花街を訪れる。そこは後に愛を誓う遊女のいる花街と程近い場所だった。そこで遊女に扮した鬼が、夜な夜な男を喰い漁っていると噂を聞き付け、彼は鬼退治へと乗り込んだのである。
 結果は、ほぼ相打ちだった。互いに瀕死の重傷を負った男と鬼には、その花街から逃げるように抜け出し、男はあの遊女の花街へ。鬼は、その傷を癒すべく眠りに就いたのだ。
 その後、死の瀬戸際を遊女に救われた男は、遊女と愛を誓い合う。そのまま街に留まり続けることも出来たのだが、男の胸にはとある未練が存在していた。
 そう、人食い鬼の存在だ。けれども鬼退治に出ると告げてしまえば、この心優しい遊女は自分を引き留めてしまうだろう。故に男は嘘を吐いた。遊女に吐く、最初で最後の優しい嘘「国に帰って無事な姿を見せてやりたい」と。
 その後、遊女と別れた男は、自分が帰る理由を作る為、彼女を迎えに行く為の嫁入り道具として、金の簪と銀の櫛を拵え、鬼退治へと向かったのだ。再開したあかつきには、互いの宝石を、この未完の台座にはめ込もうと心に決めて———。
 然して、二度目に邂逅した鬼は強かった。恨みと辛みで人を喰い、邪悪で丸々と力を肥え太らせた鬼に、男は成す術も無く、逃げるようにして簪と櫛を街の者に託すと、そのすぐ数日後、相打ち覚悟で鬼に致命傷を与えるも、彼は無残も殺され、腹へと収まってしまったのだ。その時一緒に食われた翡翠の珠が、奇しくも依り代となり、実態を持たぬ付喪神として、男は鬼の腹に閉じ込められる事となる。
 一方で遊女は街を守り、再興し、寿命を終えて付喪神へとなり、男を待っていた。
 そして何の因果か、いや、もしかしたら、男と遊女の思いが鬼に足を運ばせたのかもしれない。真相は誰にも分らぬまま、けれども鬼は遊女のいる花街へと訪れたのだ。
 雪月洞の掃除をしようとしていた女性が襲われそうになった際、付喪神となった遊女が身を挺して彼女を守ると、自らの依り代を媒体にして鬼の腕に突き刺すと、そのまま強力な封印を施し、あの社の石へと封じたのである。
 然して鬼の内部に触れた事で、遊女は鬼の中に愛しい人が存在するのを知ってしまう。
 そこで動揺した遊女の力が幾分か弱ってしまった。隙を見計らい、鬼は、更に遊女の力を消費させるべく、彼女の付喪神としての力を強かに利用する事にしたのである。付喪神の力、それは『思いを増幅させる力』。愛や友情、優しさや思いやり、綺麗な感情に使えばそれはひと思い守るものとなる。けれども鬼が使ったのは、殺意や増悪、嫉妬などと言った醜い感情だ。それに支配された人々は、身近な人、特に、強い思いを抱く恋人や家族に牙を向いたのである。
 鬼は狡猾だった。自分の力を悟られぬよう、その力を行使する際に簪を媒体に使ったのだ。
 何故女性だけが被害に遭ったのか、それは、簪を付けていたのが女性であったから。
 思いを増幅させる力がより強く働く為に、思いの籠った簪を利用したのだ。
 何故文章の一部が読めなかったのか。あれは遊女の最後の抵抗だ。
 自らの思いを込めた文章を媒体にし、街の人々を守ろうと、呪いがいつ発動しても良いように懸命に目を光らせていたのである。愛する者を思う気持ちを思い出して欲しいと、わざわざ愛の言葉に想いを込めた結果、その力が文章を見えなくする作用として働いてしまったのである。
 然しながら、あの悲恋小説を読んだ人間だけがおかしくなるのは何故か。
 思いの込められた文章を呼んだ瞬間、人の心が大きく揺れる、つまるところ、感動するからである。簪を媒体にしながらも、鬼は狡猾に、どんな瞬間に人の思いが増幅するかを見ていたのだ。より自然に、より悟られぬように、そうして人々があれを読み、感動する事を知った鬼は、簪と悲恋小説を持つ女性、を、標的にしたのである。
 それが遊女のねらいであったかどうかは定かではない。けれども、それが不幸中の幸いとなり、読み手が完全に殺意に憑かれてしまうその前に、遊女が力を使いそれを取り払ったのだ。
 どうか自分の力が完全に尽きてしまう前に、この鬼を成敗してくれ。愛しい人を助けてくれ、どうぞ自分を守る為に簪を外して欲しい。そう懇願しながら……。

『わっちがもう少し心強くあれたのなら、このような事件は起こりもせんでした。心の動揺に、心の隙に、あの鬼に入り込まれてしまった……全てはわっちの不徳が致すところでありんす』

 そう言って静かに頭を下げる付喪神を誰も攻める事はしなかった。
 鬼の脅威は去った。それでいいじゃないかと誰もが口を揃えて言う。
 戸惑う遊女の肩をそっと支えたのは、もう一人の付喪神だ。もう二度とこんなことがないように、今度は二人でこの街を守っていこう。そう告げられた瞬間の、月花の少女のような笑顔は、その日の新聞の一面記事を飾り、人々の心に深く刻み込まれていくのだった。

「事件解決して良かったねー!月花先輩も幸せそうだったし!!」

 そんな風にして満足そうな笑顔を浮かべるシアニに、その場にいた全員がうんうんと頷く。然しながら月花を先輩とは。素敵なレディに憧れる彼女の、その目標となる人物として心に刻み込まれてという事だろうか。ふふふ、と、微笑ましそうな笑みを零す清音は、「それなら、記念に、簪、でも、作りましょうか?」と提案する。刹那にぱあっと目を輝かせたのは、もう言うまでもないだろうか。

「それ素敵!いいね!リリンドラさんも作ろうよ!!」
「ええ、いいわよ。竜の簪、私も欲しかったし」
「やったぁ!!あ、東雲さんもぜひぜひ!すっごく可愛いんだよー!!」
「え?私もいいのですか?」

 まさかの申し出だったのだろう。
 大きく目を見開き、驚きとそれ以上の喜びを示す東雲に、シアニとリリンドラが力強く頷く。得意げにガイドマップを広げたシアニを中心に、何処の簪屋さんがいいかな?なんて談笑する3人に、小首を傾げたのはパトリシアだった。

「簪、とは?」
「ふふふ、そうね、髪に飾る、女性の……勲章、みたいなもの、かしら。月花さんが、頭に付けていた、あの、しゃらしゃら鳴る、髪飾りよ」
「ほうなるほど、あの美しい飾りか……勲章というのであれば興味深いな。この街を救った功績として、余も一つ頂こうか」
「ええ、そうしましょう。皆さん、私達も、ご一緒して、宜しい?」
「「「勿論!!」」」

 きゃっきゃと声を弾ませる5人に、わたしもわたしもー!と、葵が駆け寄ろうとした時だ。
 彼女の着物の裾をくんっと引いて、それを制した時雨の姿がある。

「しぐちゃん?」
「……ちょっと、そのですね、作りに行く前にこれ、見てください」
「?なに……あ、これ、」

 どこかぶっきらぼうに時雨が何かを差し出す。彼の手に乗せられていたのは、一本の簪だった。
 品の良い銀をベースに、紫陽花の花と、その葉の上には可愛らしい蛙がさりげなくあしらわれている。しゃらしゃらと揺れる飾りの部分は、雨をイメージした小さな雫だ。
 きょとりと目を丸める葵から、時雨はそっと視線を外す。

「まあ、ここに来た記念って奴ですよ。深い意味は無ぇです」
「しぐちゃん……」
「ああ、でも、あの人達と簪作る方が良ければそれでも、」
「ううん!すっごく嬉しい!!ありがとうしぐちゃん!!早速着けちゃうね?どんな髪型がいいかな?」
「えぇ?ぼくに聞かないでくださいよ」
「えー?」

 大事そうに簪を抱えた葵が微笑む。
 その隣では時雨が、やっぱりこんなことするんじゃなかった、なんて、ひねくれた台詞を吐きながら、ぶっきらぼうに受け答えをしている。

「いやぁ、若いっていいねぇ!」
「久世さん、その台詞、死ぬ程おじさん臭いですよ~?」
「そう言ってくれるな!やはり青い春のきらめきというのは……うん?このセリフ、つい最近も発した気がするね」

 はて?と、軽いデジャブに首を傾げる久世と同調するように、船光と橘も小首を傾げる。そんな彼らの様子に、いずもはくすくすと肩を揺らすと、さてさて!と、ご機嫌な調子で両手を打ち鳴らした。

「折角事件も無事解決出来た事ですし、ここは皆さんでぱ~っと一杯やりません?」
「はぁ?!戦闘前まで死ぬ程酔ってたやつが何言ってんだ!」
「うーん、もうそんなの忘れましたねぇ~?」
「はぁ?!」

 真っ青な顔で蛙のように頬を膨らましていたいずもを間近に見て介抱までしている船光は、彼女の言動が信じられないようで。おいふざけるな元・酔っぱらいめが、と、軽い暴言を吐く。まあまあまあと、そんな彼を宥めたのは久世と橘だ。

「いいじゃないか、小生も丁度一杯飲もうと思っていたところだったしね。夜勤の後のカップラーメンもとい、激戦の後の一杯は格別な勝利の美酒だ」
「そうそう、折角おめでたいんだし、カリカリするのはやめようよ。とりあえず、飲み過ぎないように見張ってればいいと思うな」
「むぅ……」

 へのへのもへじの如く、口をへの字に曲げる船光。
 周囲の圧に負けたのか、いずものお願いお願いという、きらきらウルウルの瞳に絆されたのかは謎だが、しばらくその表情で考え込んだ末に、彼は分かった、と、渋々吐き出した。途端に「やったー!」と大声と全身で喜びを表すいずも。

「調子に乗るなよ、今度酔っぱらったら路地裏に捨て置くからな」
「うえぇ?!冷たすぎません、それ?!」
「うるさい、あの時どれだけ迷惑かけられたと思ってるんだ!少しは懲りろ!!」
「まあまあまあまあ……二人とも落ち着いてってば」
「そうだとも。というより、その辺の心配はご無用だ!任せたまえ、小生は医者、酔っぱらいの介抱など朝飯前だよ!そういう困ったさんの為に編み出した医療的必殺技もある!」
「おおー!心強いですねー!!」
「ねえ、その必殺技って何?俺ちょっと気になる」
「奇遇だな、橘。俺もだ……」

 そう言いつつ、どこか訝し気な視線を送る船光に、久世がにやりと口元を緩める。
 そして彼は、人差し指と親指を手遊びで言う銃の形にすると、素敵な声でこう答える。

「名付けて——————|強制嘔吐の一撃《グロッキー・ゴットフィンガー》だ!」

 なんだそれとそれぞれがそれぞれの反応を返しつつ、足は酒場へと向かっていく。
 一方では皆で仲良く簪作りを。もう一方では二人の時間を。さらに一方では飲み会を。
 各々が各々の時を過ごす中、その一方で、荒野と朔はあの古本屋へと足を進めていた。
 目的は勿論、あの店主に逢う事、そして事の顛末を話す事、だ。
因みにリ七八部隊は、ちゃっかりとお土産を要求して元の場所へと帰っている。
 突然の訪問にも拘らず、けれども彼女は、二人がここに来ることを予期していたかのように出迎えてくれた。荒野が、雪月洞での一連の出来事を語り出さす。時折それに朔が補足をして、そうして語られたあの出来事を、店主は静かな表情で耳を傾けていた。
 やがて物語が終わる。店主が一つ、煙を吐き出す。

「……そうかい、本当に月花はあの人に逢えたんだね。どうりで、そうか……」
「やっぱりあんた、なんか知ってやがったな?俺様にあの瑠璃水晶を託した時と今、同じ顔をしてんだよ。あの宝石は何なんだ?あんた一体何者なんだ?ただの付喪神じゃねぇだろう?」
「俺もそう思っている……あんたの|煙管《本体》、そこに施されてる細工と、月花の簪に施されていた細工、同じようにも見えるんだが」
「おや、流石刑事さんと見る目があるイイ男だね。御名答、だけどもただの付喪神なのは変わらないさ。あたしはね、月花の煙管の付喪神なんだよ」
「「月花の?!」」
「ああ、そうだとも」

 ふっと、店主が笑みを零す。
 そこに二人は、どこか月花の面影を感じた。

「あの宝石はね、月花に託されたんだよ」

 それは月花が亡くなる数日ほど前だった。
 年老いた彼女は、自分の死を予見していたのだろう。もしも自分が死んでしまった後であの方がこの街を訪れるようなことがあれば、これをそっと渡して欲しいと頼まれていたのだ。その時の彼女は、その想いの強さ故に付喪神になる事等考えていなかったのだろう。
あくまでも人として生き、人として死ぬ。そうして最後まで人である月花は生き続けていたのだ。付喪神になっても滅多に人前に姿を現さなかったのは、自分をこれ以上神格化して欲しくなかったそうだ。自分はただの花魁で、一人の人間で、一人の女である、と。

「これから先も、多分それは変わらないよ。ま、今は雪之丞様と仲良くするのに忙しいだろうからね、当分は出てこないと思うよ」
「はぁー、聞けば聞くほどすげぇ女だな……」
「ああ。結果的にこの街を二度も守る事になったしな」
「そうだねぇ、凄い女だよ。あたしもああなりたかったもんだ」
「何言ってんだ、あんたも十分イイ女じゃねぇか!」
「ふぅん、そうかいありがとう?でも御免よ、あんたじゃなくてそこの見る目のあるお兄さんに伺いたいんだけども?」

 ふふふと色を込めた笑い声を零す店主に、朔は一瞬だけ眉を顰める。
 けれどもすぐに深い深い溜息を吐き出して、静かに頭を掻いた。

「俺に感想を求めるな。ま、今回の礼くらいはしてやってもいい」
「……礼か、それならそうだね」

 店主はいつもの調子で煙を吹かす。
 いつもと違うのは、その煙が古書店全体を覆い尽くす程のものだったという事だろうか。
 煙の中で、声がする。

「あんた達も知っての通り、付喪神ってのはね、人の思いが作る神様さ……あたしはどうやって生まれたと思う?」
「どうやってって……」
「未練だよ。月花の未練。あの人に逢いたいって一途な未練が、あたしを作っていたのさ。でもね、もうそれが微塵も無くなっちまったみたいだ。あーあ、残念だねぇ……せっかくいい男が、ちょいとばかりでもあたしを見てくれたのに……」

 やわらかな金木犀の匂いがした。
 濃くなる煙。息苦しくはない、嫌な感じもしない。
 けれどもどこか寂しさの欠片をひとつ、胸の内に覚えていれば、

 ———もしもまた巡り合えたのなら、お礼にさ、簪の一つでも贈っておくれよ。

 その声は、陽だまりの中で聞く音楽のようだった。
 煙の晴れた古書店のカウンターには、穏やかな光を放つ煙管がひとつ、微笑むように佇む。

『花街花唄・恋賛歌』花街連続殺人未遂事件、これにて終幕。
 皆様ご参加ありがとうございました!お疲れ様でした!

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挿絵イラスト