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#√妖怪百鬼夜行 #ゾディアック継承戦争 #ゾディアック継承戦争⑩

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⚔️王劍戦争:ゾディアック継承戦争

これは1章構成の戦争シナリオです。シナリオ毎の「プレイングボーナス」を満たすと、判定が有利になります!
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(毎日16時更新)

●The Usurper
 肺が焼ける。
 喉の奥から漏れる荒い呼吸は吸っているのか吐いているのかさえ判別がつかない。裂けた脇腹から滴る血は黒く砂を濡らし、海へ還ることも出来ぬままに細い川を描いて消えていく。指先は痺れ、握った武器は鉛のように重い。視界は血と汗で滲み、世界そのものが赤黒い膜を一枚隔てたように揺らいでいた。
「はぁ、……はぁ、はあっ……!」
 リンゼイ・ガーランドは最早立っていることが奇跡であった。
 勝利をほぼ確信してもなお、目の前の男は一歩も退くことはない。刃が振るわれるたび、目には見えぬ何かが音もなく断たれていく。
「(この男、私の|ヴァージン・スーサイズ《無差別自殺√能力》を、斬っている……!)」
 理解した瞬間に背筋を這い上がる悪寒は氷河を呑み込む深海よりも冷たかった。
 能力という概念そのものへ刃が届いている。理屈ではない。ただ、魂の根が削られていく感覚だけが、確かな現実として全身を貫いていた。
「吾の崇める禍津日神さまが、ぬしの√能力を求めておられる……さあ、その目に灼きつけるがよい」
 『日神憑き』名張・楓は恍惚とした声音で以って腕を掲げ、天を仰ぐ。
 その瞬間に、大気そのものが悲鳴を上げた。
「これなるはぬしより無差別自殺を奪うもの、大いなる禍津日神さまの姿である……!」
 空間が裂ける。その裂傷から現れるは、太陽を思わせる灼熱の炎を背負いながら闇を放つ漆黒の異形であった。
 燃え盛る焔は生命を育む陽光ではない。
 世界を灰へ変える終焉の恒星。黒い巨躯は山脈のような威容を誇り、その輪郭は見る者の認識を侵しながら存在そのものを歪めていく。
 神話の一頁を切り抜いたような息を呑むほど荘厳な姿。だが同時に、見惚れた瞬間に魂にまで根を張られ、二度とひとへ戻れなくなるであろうことを本能に刻み付ける根源的な恐怖そのものが臓腑の底から湧き上がる。
「……ッ!」
 脳裏に閃く。
 王劍戦争――秋葉原荒覇吐戦。
 あの日見た、神を騙る悍ましき怪物。忘れようとしても忘れられない絶望が、血の匂いと共に蘇る。
「もしお前がアレそのもの、もしくは同種のバケモノというのなら……ッ、」
 震える膝を叩き起こすように一歩を踏み出す。

 私は『封印指定人間災厄』。
 悍ましき自死の呪いを孕んだ災厄。
 私を認識した者は、誰もが皆命を断っていく。
 ひとも、簒奪者も、何もかもが自らの意思に反してその場に崩れ落ちていく。

 近寄らないでください。
 触れないでください。

 ――これは、私に齎されたのろい。私だけの罪科。
 それを、他者に利用されることなどあってはならない。

「お前にヴァージン・スーサイズを渡すわけにはいかない……!」
 声は掠れ、足元は今にも崩れ落ちそうだ。
 全身の傷が悲鳴を上げ、視界は暗く狭まり、指先から感覚が失われていく。それでも、ここで膝をつけば終わってしまう。
「(ぎりぎりまで抵抗して、せめて不完全な状態に留めなくては……!)」
 鼓動が耳を叩く。
 血が失われるたび、思考も削れていく。
「(私に、……私に、何が出来る……!?)
 絶望は黒い海となって押し寄せる。それでも海へ沈みきる寸前のリンゼイの灯火は、決して消えようとはしていなかった。

●The Unwanted Raid
 海へと続く昏い道は夜そのものが細く引き延ばされたように、果てなく前へ伸びていた。湿り気を帯びた潮風が頬を撫で、足元の闇は行く先を隠し続ける。その道の只中、不意にジュード・サリヴァン(彼誰・h06812)が歩みを止めた。
 静かに振り返ったあおい眼差しはEDENたちを等しく見渡していく。まるで胸の奥底まで量るような、張り詰めた沈黙を湛えた真剣な面持ちだった。
「火急の仕事だ。皆、嘗て刃を交えた『リンゼイ・ガーランド』の事は覚えているかい」
 人間災厄『リンゼイ・ガーランド』。
 制御不能の無差別自殺能力を持つ、合衆国管轄の封印指定人間災厄。大統領命令により強制的に戦線に投入された彼女は以前の戦いではEDENたちに少なからず好意を抱き、撤退を促すことに成功した、そのはずだが。
「新たに王権執行者となった『日神憑き』名張・楓。彼の襲撃により、今彼女は窮地に立たされている」
 曰く、彼女が災厄たる所以である|ヴァージン・スーサイズ《乙女たちの自死》の力を奪わんとしているのだと言う――そんな事が、叶うのか?
「名張・楓に取り憑いている『禍津日神』なる存在が彼女の力を奪おうとしている。正体は不明だが……全てに自死衝動を与える能力が悪意ある存在の手に渡ることは防ぎたい」
 リンゼイには理性があった。良心も。
 だからこそ、被害は最低限に抑え込まれていた。それが、本当に無差別に命を奪うことを躊躇わない存在の手に渡ったらどうなってしまうのか――想像に難くない。
「彼女は今、自らを犠牲にしても日神憑きと刺し違えようとしている。皆には急ぎ現地に向かい、リンゼイと共闘してこれを阻止してほしい」
 リンゼイは既に自殺能力の『無差別機能』を失っており、制圧に成功したとしてもそれを取り戻す事は叶わない。それ故に、共闘したEDENたちが自殺衝動に襲われることはもうない。
「思う所はあるだろう。彼女に対する想いも、蟠りもあると思うけれど……今、止めなければより惨い結末を迎えてしまうことは間違いない。だから」
 頼まれてくれるかい、と。ジュードはEDENたちを真っ直ぐに見詰め、たったひとつの信を乗せて戦地へ続く道を指し示した。

 燃えているのは炎というには余りにも静かな黒だった。
 夜のとばりを裂くこともなく、波音だけを映した鏡のような海辺で禍々しい火は闇よりなお深い色を揺らめかせている。まるで世界が零した影に無理矢理に火を放ったかのよう。潮風は熱を運ばず、黒い焔は砂浜へ長い影を編み込みながら星あかりさえ呑み込んでいく。ただ寄せては返す波だけが異形の火を恐れるようにしろい泡を砕き、ひとつも触れようとはしなかった。

 その中心で――血に塗れたリンゼイ・ガーランドが、それでもなお諦めることなく立ち続けていた。

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第1章 ボス戦 『『日神憑き』名張・楓』


馬車屋・イタチ

●狼煙
 それは光を放つ太陽ではない。ひかりという概念を喰らい尽くし、なお燃え続ける災厄だった。灼熱の炎を纏いながら世界へ闇だけを降り積もらせる異形。揺らめく黒炎は夜空を侵食し、月明かりさえ煤けた白へと変えていく。
 その存在を見つめるだけで、胸の奥底から誰かの囁きが湧き上がるかのようだった。

 ――憎め。
 ――奪え。
 ――壊せ。

 禍津日神の神威は毒ではない。人の心という泉へ一滴ずつ墨を垂らし続ける呪いに違いなかった。リンゼイ・ガーランドは拳を固く握る。自らもまた災厄と呼ばれた女の額を汗が伝う。奪われつつある能力が、彼女の魂ごと黒い太陽へ引き寄せられていく。
 剣閃。
 夜そのものを裂いたような斬撃が砂浜を抉り、白砂が血飛沫のように宙を舞った――その瞬間だった。
「にゃはは~。空気を読まずに割り込ませてもらうよ~。イェイイェイ!」
 沖風さえ置き去りにする勢いで、偵察戦闘車両が砂煙を巻き上げながら一直線に突撃する。限界を超えて踏み抜いたアクセルが夜闇を裂く唸り声となって轟く。鋼鉄の塊が『日神憑き』名張・楓とリンゼイの間へ強引に割り込み、凄まじい衝撃音を響かせた。
「呼ばれてないけど飛び出て参上、横槍横取り漁夫の利狙い! 恩を押し売りに来たイタチさんだよ~」
 黒炎が装甲を焼き、鋼板は悲鳴を上げるけれど。緊迫した空気ごと笑い飛ばすかのように、馬車屋・イタチ(偵察戦闘車両の少女人形の素行不良個体・h02674)はからからと楽しげな声を上げた。
「あなたは、EDEN……? どうして、私のことを……」
「……『ヴァージン・スーサイズ』の能力ゆえなんだろうけど、共闘とか協力みたいな発想がなさそうだよね~。マジメに一人でなんとかしようとしてたでしょ~?」
 リンゼイは言葉を詰まらせる。それこそが彼女の声なき肯定に違いない。
 だからこそ、イタチはにんまりと笑みを深めて『な〜んかほっとけないんだよね』とちいさく、リンゼイに聞こえぬように呟いた。
「それは、……私は、ただ……これ以上この力を、誰かの意思で利用させまいと……」
 黒き太陽が膨れ上がる。神威が暴風となって浜辺を薙ぎ払う。
 恐怖が心臓を掴み潰そうとするたび、イタチは飄々と肩を竦めた。
「イタチさんは弱いから他力本願なんだよね~。見よ、このあまりに貧弱な火力を……!」
 プラズマカッターが青白い尾を引き、牽制射撃が夜を切り裂く。眩い閃光は黒炎へ呑まれ、奈落へ落ちるように消えていく。
 火力は足りない。だが、それでいい。
 一秒でも稼げれば、一歩でも敵を止められれば、『その先』を紡いでくれる仲間が居るに違いないのだから。
「まま、イタチさんは偵察要員だからねっ。ちょっと先走っちゃったけど、あとから他の能力者さんたちがすぐたくさん来るでしょう!」
 車体は限界だった。焼け落ちた装甲が砕け、タイヤが弾け飛ぶ。
 イタチはひらりと車両を捨て、そのちいさな身体でリンゼイの前へ立つ。人形の身体へ神威が食い込み、邪心が精神を侵そうとする。

 従え。
 跪け。

 その昏き囁きに染まり切る前に、イタチは静かに安全装置へ指を掛けた。
「待って、あなたは――!」
 リンゼイの叫びよりも早く。イタチはいつも通り、なんてことないような気易さで悪戯っぽく片目を瞑って見せた。
「――それじゃ、アディオス!」
 夜の海岸がしろく染まる。
 爆発は月光すら呑み込む一輪の花となって咲き、衝撃波が黒炎を押し返す。吹き飛ばされたちいさな影は、高く、高く夜空へと流星が如く舞い上がる。その一瞬だけ、黒き太陽は夜空から色を奪うことは叶わなかった。

 希望とは世界を照らす大きな光ではない。
 誰かのために笑って散る、ちいさな星火が闇へと刻む、決して消えない軌跡なのだと――きっと、続く仲間たちが証明してくれる。

エレノール・ムーンレイカー

●迅雷
「――お困りのようですね、リンゼイさん」
「あなたたちは、……本当に……、」
 エレノール・ムーンレイカー(蒼月の守護者・h05517)は恐怖を押し隠すでも誇示するでもなく、湖面のように穏やかな眼差しを向ける。それが自分を助けようと差し伸べられた手であると、リンゼイは理解するまでに僅かな時間を要しているようだった。
「ああ、何も言わずとも結構です。助けを必要としているのは分かりますので」
「どうして……、……私は、少なくない命を奪ったのに……」
「お助けしましょう。貴方の能力を奪われるのは、わたしたちにとっても看過できません」
 リンゼイはちいさく息を呑む。それは建前ではないのであろう言葉の意味を、己の能力がどれ程恐ろしいものであるのかを理解しているからこそのもの。
「……それに、貴方を失えば、|何だかんだ哀しみそうな人《リンドーさん》を一人、知っていますしね」
「……!」
 揺らぐ瞳に僅かな生気が灯る。
 その様子を見詰め、エレノールはふ、と微かな笑みを浮かべた。
「60秒、お願いします。その間は、わたしが必ず守ります」
 頷いたリンゼイは静かに目を閉じ、災厄の権能を振るえずとも己に出来る全霊を以ってして精神を集中させる。
 直後、邪神に魅せられし男が地を蹴った。雷鳴よりも鋭く放たれる太刀。だが、それを迎えたのはひとりではない。
「出し惜しみは無しで、一気に決めます……!」
 月光が砕け、幾重もの銀影が夜へ咲いた。幻影瞬撃――エレノールから分かたれた分身体たちが一斉に魔法弾を放ち、青白い閃光が砕けた星のように降り注ぐ。剣豪の刃はそれらを斬り払うが、隙を縫うように光の鎖が蛇のごとく奔る。絡みつく魔法の光鎖が引き千切られる度に新たな鎖が幾重にも重なり、獣を絡め取る蔦のようにその自由を奪っていく。
「――今です!」
 その刹那をエレノールは逃さない。
 分身体が四方より魔法の刃を閃かせ、夜空へ銀の花弁を咲かせるように連撃を浴びせていく。疾風が如く踏み込んだエレノールは、白銀の一閃で以って黒き闇を真っ二つに切り裂いた。

架間・透空
システィア・エレノイア

●天狼
 男の背後には太陽を裏返したような黒き焔が脈打ち、熱を噴き上げると同時に底知れぬ闇を吐き出し続けている。光と闇が矛盾なく共存するその異形は神話そのものが現世へ落下したかのような禍々しさを放っていた。
 見る者の胸へ静かに忍び寄る神威は恐怖という名の毒を思考へ流し込み理性をすこしずつ侵していく――その威圧を前にしてなお、架間・透空(天駆翔姫・h07138)は真っ直ぐに前だけを見据えていた。
「リンゼイさんが……今大変なことになっている、んですよね?」
 返る答えを待たず、少女はちいさな拳を強く握る。
「そういうことあれば、勿論! 全力を以って、助け出しますとも!」
 隣に立つシスティア・エレノイア(幻月・h10223)も静かに太刀を携えた男を見据えたまま、少女たちを庇うように刃を構えた。
 リンゼイ女史とは初めてお会いするから、どんな方か詳しく存じ上げないけれど。それでも目の前の敵を倒す目的が同じなら手を取るのだと。告げる言葉に、リンゼイは戸惑いの色を隠せぬままふたりの姿を見上げていた。
「私は貴方たちと敵対する関係のはずです、それなのに……、……」
「……あなたは、俺達の背中を刺したりしないだろう?」
 問い掛けられたリンゼイは傷付いた身体を支えながら息を呑む。
「敵対しているかどうかなんて、関係ないです。ねっ! システィアさん?」
「あぁ、敵だろうが今は関係無いよ」
 波音よりも静かな沈黙のあと、リンゼイは目を伏せ、ちいさく頷いた。
「……。……すみません、……今だけは、力をお借りします」
「勿論です! さあ、行きますよっ。──決戦気象兵器、起動!」
 空気が震える。
 夜空へと幾筋もの雷光が奔り、雲は巨大な発電機の如く唸りを上げる。青白い稲妻は海面を真昼のように照らし、砂粒のひとつひとつが星屑になったかのように鮮烈に煌めいた。その閃光を追い風に、システィアは詠唱錬成剣を大太刀へ変えて一気に踏み込む。足元から溢れた影は狼の群れとなり、黒い波のように楓へ襲い掛かっていく。
 黒き太陽が透空やリンゼイへ牙を剥こうとした瞬間に狼たちは一斉に進路を変え、その悉くへ大太刀が閃く。刃に宿る魔法は外装も肉体も脆く崩し、神威の流れさえ断ち切るように夜を深く斬り裂いた。
「システィアさん、後ろはお任せくださいなっ!」
 透空は両手へ電荷を集束させる。稲妻は天と地を繋ぐ白銀の柱となって剣豪を撃ち抜き、同時に味方へと優しく降り注ぐ。リンゼイの傷付いた身体へ流れ込む生体電流が失われた力を呼び覚まし、彼女の呼吸は僅かに穏やかさを取り戻していく。
「ふふ。頼りにしてるよ、でも……透空さんのことも傷付けさせはしない」
 男の背後で黒き焔が膨張する。それはまるで夜空そのものが燃え上がる錯覚。
 世界の終焉を告げるような神威が津波のように押し寄せ、人の心へ邪心を植え付けようと牙を剥く。だが、透空の浮遊砲台は光弾を雨のように降らせ、その変異の悉くを阻害する。雷鳴が連続し、魔光の盾が火花を散らし、大太刀は黒炎を弾き返す。システィアは決して一歩も退かず、透空を庇い、リンゼイへ伸びる刃を受け止めながらも神威に対して己の精神を揺らがせなかった。
「愚かな。……屈服するがいい、これこそが禍津日神さまの神威である!」
 黒き太陽は神を名乗り、夜を喰らい、海さえも焦がそうと脈動する。それでもシスティアは揺るがぬ双眸で以ってその異形を真正面から見据えた。
「それが傲慢であると知るがいい。――望めど、神になどなれやしないから」
 言葉は雷鳴よりも鋭く夜を裂く。
 闇を抱く偽りの太陽と人を守るため振るわれる剣。その激突は海岸へ無数のひかりを散らし、砕ける波飛沫は夜空から零れ落ちた涙のように砂浜を止め処なく濡らしていた。

見下・七三子
ノイル・リースロス

●燦然
 彼女とは前に少し話をしたけれど、普通の――ごく普通の可愛らしい女性だった。
「その能力は確かに脅威だけど、彼女の善性によって保たれていた処が大きいからね。悪神なんかに奪われるのは阻止しないと」
 ノイル・リースロス(闇に揺蕩い影に詠う・h08142)の言葉に応じて、夜風を裂くように見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)が砂を蹴った。
「はいっ。ノイルさん、急がなくちゃ! リンゼイさんがあぶないです!」
「嗚呼、急ごう」
 ノイルは一歩で間合いを詰めて振り下ろされる太刀とリンゼイの間へ滑り込む。まるで夜そのものが盾となったように、その細身がふたりの間へと立ちはだかった。
「リンゼイさん、お久しぶりです。よく持ちこたえてくださいました! もうちょっと、がんばってくださいね」
「あなたは、……あの時、お芋を分けてくれた……」
「あははっ! 覚えていてくださってうれしいですっ。あの時は対峙しましたけど、昨日の敵は今日の味方!」
 その笑顔だけがこの戦場に残された人の温度だった。戸惑いを拭い去れないままのリンゼイに背を向け、七三子は笑う。
「……ちょっとの間引き付けますので、ノイルさん、リンゼイさんのことはよろしくお願いします!」
「ありがとう、七三子嬢も気を付けて」
 返事と同時に七三子は爆ぜた。砂煙が火花を纏うて舞い、闇を孕んだ男の懐へ一直線に飛び込んでいく。身体を捻り、沈み込み、頬を掠める刃を見切った勢いのままナックルナイフを叩き込む。
 火花と金属音。一撃、二撃、三撃。
 剣豪である男もまた鬼神の速度で太刀を振るう。刃と拳が夜空へ無数の流星を描き、攻防は一瞬たりとも途切れない。
 ――互角か、或いは格上か。
 ならば勝負は技量ではない。七三子は息を吐く暇さえ惜しみながら、ただ時間を削り取るように拳を重ね続けた。
 その背後では、ノイルが傷だらけのリンゼイへ歩み寄る。
「御機嫌よう。酷い傷だけど意識はあるね、未だ自分で立ち続けている……強い子だ」
 リンゼイは痛みに溢れそうになる喘鳴を堪えるように唇を噛み締めていた。
「貴方たちは、どうして……どうして、何度でも手を差し伸べようとするんですか」
「ふふ、理由は七三子嬢が教えてくれただろう。君と共に戦う為に来たのだけど良いかな?」
 夜風が止まる。
 波音だけが、ふたりの沈黙を優しく包んだ。
「私は……。……、……お願い、します」
 その一言を待っていたとばかりに、ノイルはそっと手を掲げる。
「――見えずとも其処に『在る』んだよ」
 静かなひかりが夜へと滲む。それは太陽でも月でもない。昼という概念だけが持つ、見えない温もり――『真昼の月』。
 柔らかな輝きはリンゼイを包み、裂けた皮膚を、砕けた筋肉を、蝕まれた身体を静かに繕っていく。傷は時を巻き戻すように閉じ、蒼白だった頬へいのちのいろが戻っていく。
 呼び起こされた黒き闇狼たちが円陣を描き、彼女を護らんと牙を剥く。ノイル自身はリンゼイの無事を確かめた後に漆黒の刃を携え、七三子の元へと駆けていった。

 禍津日神が吼える。
 黒炎が夜空を焦がし、砂浜を昼より眩しく染め上げるが、そのひかりは命を照らさない。すべてを焼き尽くす終焉の輝きを笑い飛ばすかのように、七三子は拳を止めぬまま叫ぶ。
「――私にはノイルさんもリンゼイさんも、他にも頼りになる味方がいっぱい、いますからね!」
 その声は波より強く、ひかりよりも真っ直ぐに夜を貫いた。
「ふふ、そうだね。独りじゃないってとても心強い事だ」

 夜の海はなお黒く、禍津日神の炎は止まらない。それでも月は雲間から静かにふたりを、そしてリンゼイを照らしている。
 闇は深いほど光を際立たせる。ならばこの戦いもまた、人が誰かへ差し伸べる一筋のひかりを証明するための夜に違いなかった。

満塁・一発

●雷斧
「リンゼイ・ガーランドだぁ? ハッキリ言って覚えてねェな!」
 場違いなほど豪放磊落な笑い声が張り詰めた夜気を真っ二つに叩き割る。
「あ? この前戦っただろって? ガハハ!! 細けェ事ァ気にするな!」
「(な、……なんて、豪快なひと……!)」
 禍々しい神威さえも満塁・一発(逆転!一発男・h04601)の豪胆さの前では暖簾に腕押しだった。
「まァとにかく怪我人はスッ込んでな! スーサイズだかスリーサイズだか知らねェが、√能力者に一度見せた技は通用しねェのよ!」
「……、……ありがとう、ございます。今は、ただ……助力に感謝を」
「どうしてもって言うンなら、そこでオレさまの雄姿に熱い声援と甘い歓声でも頼むぜ!」
 リンゼイが後方へ退くのを見届けると、一発は自慢の髪を揺らしながら剣豪たる男へと歩み出る。
「でまァ名張とか言ったっけ? そういうワケなんで、次の相手はこの満塁・一発さまだぜ!」
「なんと野蛮な……神なる焔のもと、消え去るが良い」
 男の背後で黒き太陽が脈動した。
 大気が震え、邪神の囁きが幾重にも重なって脳髄へ侵入する。

 ――殺せ。憎め。従え。

 理性を腐らせる毒が、意識の奥底へ染み込んでくるが、構う事はない。
「あぁ? ――聞こえねェなぁ!!」
 怒号ひとつで、一発は砂浜を爆ぜるように踏み抜いた。
 相手は何やらゴチャゴチャと回りくどい能力を使うようだが、仕込みの最中にとっとと動きを封じ込めてやればいい。丸太の如き逞しい腕が男の胸倉を鷲掴みにする。神威が至近距離から叩き込まれ思考は一瞬だけしろく霞んだが、それでも迷うことはない。
「少しはアタマを使えや!」
 全身全霊を乗せた頭突きが炸裂する。頭蓋へ響く鈍い激痛と引き換えに、禍津日神の囁きは硝子細工のように砕け散る。
「ハハッ、頭突きの衝撃でバッチリ目が覚めたぜ!」
 間髪入れず、骨が軋む音すら無視して二発目を叩き込む。
 岩をも砕く一撃が楓の額へ叩き込まれた瞬間に轟音と共に黒き太陽が大きく揺らぎ、夜の海岸を覆っていた絶望の帳が初めて苦悶の声を上げた。

静寂・恭兵

●月花
 夜の砂浜は世界そのものが敵意を持って牙を剥く異界へと変貌していた。その最中、傷だらけのリンゼイ・ガーランドの姿を認めた静寂・恭兵(花守り・h00274)は僅かに目を伏せる。
「(リンゼイか……彼女の事はよく覚えてるよ)」
 かつて戦場で相対した女。
 彼女が背負わされてきたのは、望みもしない無差別自殺という災厄だった。
 彼女の能力は周りを無差別な自殺に導くこと。ずっと彼女が背負ってきたのろい。それを奪って何をしようと言うのか――少なくとも彼女のように『悪意』なく利用することはないのだろう。
 ――それならば。
「酷い傷だな……先ずはその傷を癒そう」
 差し伸べられた言葉に、リンゼイは信じられないものを見るように睫毛を震わせ恭兵を見上げた。
「あなたは……、……どうして、抗うんですか。どうして、逃げないの。あの時も、……どうして……?」
 答えの代わりに恭兵は一枚の呪符を夜空へ放った。紙片は花弁へ姿を変え、幾千もの花が淡く咲き誇る檻となってリンゼイを優しく包み込む。
「しばしそのなかに居てくれ」
 呪符の花々は月光の代わりに霊力を宿し、傷付いた女を慈しむように癒やしていく。
 それは牢ではない。嵐の中で花を守る籠だった。
「……俺は君の能力は恐れてはいるが、君自身を嫌っては居ない」
「――……!」
「危機だというなら手を貸すくらいはするさ」
 その言葉を嘲笑うように魔に憑かれた男が刀を振るう。
 黒焔を宿した斬撃は夜空を裂き、黒い太陽の欠片が雨のように降り注ぐが恭兵は紙一重で身を翻しては避けきれぬ一撃を刀で受け流す。鋼と黒焔が噛み合うたびに火花は流星の如く砂浜へ散り、波頭を紅く染めては闇へ呑まれていく。
 恭兵の立つ位置は決して変わらない。花駕籠の前、ただ一歩たりとも譲らぬという意思そのものが盾となり、狂える神威を受け止め続ける。

 夜の海はなお静かに波を返す。その穏やかさとは裏腹に、黒き太陽と花籠のひかりが交錯する浜辺だけがこの世と禍の狭間で激しく火花を散らし続けていた。

アリエル・スチュアート

●閃光
 漆黒の異形を背負う男の瞳にはもはや人の温度はなく、神意だけが刃となって揺らめいていた。その圧に膝を折りかけたリンゼイへ、アリエル・スチュアート(片赤翼の若き女公爵・h00868)は迷いなく歩み寄る。
「しっかり立ちなさい、リンゼイ」
「貴女は、……でも、どうして……?」
「ここで貴女が倒れたら、リンドーにすらその力の矛先が向かってしまう事になるわ。……それは貴女の望むところではないでしょう?」
 その名は凍えた心へ落ちる一粒の灯火。
 ひかりを取り戻したその双眸を、アリエルは確かに見た。
「先輩……、……彼は、いえ、私は、ただ……この呪いをこれ以上……!」
「……ふふ。その言葉だけで十分よ」
 優しく微笑んだ直後にアリエルの魔力が夜空を駆ける流星の如く迸る。高速詠唱が紡ぐ祝詞は雷鳴より速く世界へ刻まれ、圧縮されたひかりが黒き焔を背負った男へと奔流となって撃ち放たれた。
「他人の力に頼る神なんて、大した事無いんでしょうね」
「――笑止!!」
 怒号と共に黒き太陽の霊力が溢れ、砂粒から漂流木までが不完全なる眷属へと変貌する。黒焔を纏ったそれらは夜の亡者の群れとなって襲い来るが、アリエルは魔導槍を翻し、蒼く閃くオーラを幾重にも重ねて受け流す。火花は星屑のように舞い、砂浜へ散るたびにちいさな流星群が足元で砕けた。男をリンゼイから引き離し、十分な間合いを築く。その一瞬を逃さず魔力を極限まで収束させ、眷属ごと照準を定めていく。
「我が眼前の敵へと降り注げ、――光よ!」
 幾百もの雷光が夜空を裂き海面を白銀へ染め上げる。黒焔と稲妻がぶつかり合うたび、海そのものが鏡になったかのように激しく明滅した。
「貴女は無理して戦わなくても良いわ。ここは私達EDENに任せなさい」
 簒奪者であっても手助けするのはシチリア島の頃からやって居る事だ。振り返ることなく告げるアリエルの背中は、夜を拒む暁星のように凛としていた。

 優しさは時に剣より鋭い。そのひかりは闇を切り裂き、男の魂へ届くことを信じるように、静かな夜の海へと真っ直ぐに伸びていた。

ハリエット・ボーグナイン

●葬事
「私は少なくない命を奪いました。それなのに、なぜ……?」
「ン? ……別に思うところはねえよ」
 ハリエット・ボーグナイン(“悪食”ハリー・h00649)は肩を竦めるだけだった。少女のかたちをしたもののその言葉は、不器用な優しさだったのかもしれない。
「共闘もイイんじゃねえか。殴る相手は少ない方がめんどくさくねえし、迷わねえ」
 そう言って口元を吊り上げる。少々『引き攣れ』を起こしてしまったが、まあ、多少のぎこちなさも今は宜かろう。
「即席だろうが、存分に見せつけてやろうじゃねえか。友情パワーってやつをよ」
「……、……ふふ、」
 ちいさな笑みが、死臭の満ちた夜の中で不思議なほどに温かかった。
 次の瞬間、黒き焔を背負った男が地を裂く勢いで駆け抜ける。太刀が月光を断ち切り、一閃、二閃、三閃。止まらない連撃は豪雨にも似て、一度捕まれば命ごと細切れにされてしまうだろう。
 ハリエットは転がるようにリンゼイの前へ飛び出した。二挺拳銃が火を噴き、乾いた銃声が夜を叩く。刃は弾丸の隙間を縫う蛇のように迫る。
 まともに受け続ければ長くは持たないだろう。

 だから、捨てた。

 拳銃を砂へ放り右腕を差し出す。肉を裂く音が響くが、構うものか。
 刃は容赦なく腕へと食い込み、熱と激痛が骨までも断ち切らんとする。灼けつくようなその痛みは、ああ、己が『死に損なった』ことをこの上なく思い知らせてくれる。
「――捕まえた」
 右掌から溢れた横紙破りは神の異能を乱暴に握り潰す。軋む刀ごと男の身体を引き寄せ逃げ場を奪う。そのまま胸元へ散弾銃を押し当て――穿つ。
 炎も闇も肉片と砂煙に呑まれて吹き飛んだ。
 膝をつきながら、それでもハリエットは叫ぶ。
「……チャンスは作った。やっちまえリンゼイ!」
「――……はい!」
 砂を蹴る音はひとつ。
 リンゼイは波間を駆ける白鷺のように低く滑り込み、体術で崩した一瞬の隙へ身を潜らせる。そして握り締めたナイフが、夜を裂く稲妻よりも鋭く閃いた。

 女は災厄であり神ではない。
 血を流し、傷付き、それでも誰かを救おうとする者たちの泥だらけの意地だけが、この闇に抗う最後のひかりであった。

久瀬・彰

●崇敬
「(少し、他人事な気がしないな)」

 カミサマと俺の関係が、ほんの少し違ったら。
 俺だって、あんな風に成り果てたのかもしれないんだ。

 黒い神威は恐怖という名の種子を人の心へ植え付ける。
 理性を土へ変え、そこへ邪心を芽吹かせる神の業。故に久瀬・彰 (宵深に浴す禍影・h00869)は静かに息を吐いた。
「(まあ、そういう私情は仕事に持ち込まないけど)」
 よろめいたリンゼイへと視線を向ける。仲間たちの力に依って、彼女は幾分か回復したようだった。
「昨秋ぶりですね、ガーランド女史。今日は味方としてお手伝いしますよ」
「貴方は、私を恨んではいないのですか? どうして――、」
「……今は、味方です。援護はできますか? できるなら、お任せして背を預けます」
 それで十分だろうと微笑めば、リンゼイはかぶりを振って蟠りを振り払う。
「(あの時と同じ。……貴方は、ずっとまっすぐなんですね)」
 宣言通りに彼女を守る。その為に彰は一歩前へと歩み出た。
 喚ばうは濁水で形成した水蜥蜴の群れ。月あかりを映したちいさな群れが砂浜を這い、波間を縫うて黒き神を戴く剣豪の周囲を巡る。敵の視線と攻撃を引き付けるためだけに生まれた、命なき影法師たち。
 ――次の瞬間、黒き太陽が脈動した。
 耳ではなく心へ直接響く神威が夜の海そのものを軋ませる。恐怖は叫び声ではなく胸へと沈む鉛であった。波の音すら遠ざかり、自分の鼓動だけがぞっとするほど鮮明になるが、それでも彰は立ち止まらない。悍ましい黒を前にしても、欠け落としたものはそれに恐怖する機微を与えない。
「何より悪いけど、俺が|心《信仰》を預けるカミサマはもう決まってる」
 言葉は夜へ落ち、波紋のように消えていく。
 刹那、濁水が意思を持った蛇のように奔った。
 黒く濁った水のごとき霊力を束ね、相手が神威を発する前に無効化する。漆黒と濁流がぶつかる音は、不思議なほどにちいさい。ただ、夜の静寂へ墨を一滴落としたように、世界だけがゆっくりと歪んでいった。

 救うべきは神ではない。黒き太陽の奥で今なお声もなく閉じ込められている――名張・楓という名のひとりの人間だった。

ラウアール・グランディエ

●魔睡
 揺れる炎は現実ではなく精神を照らし、見えない燭台が男の心へ幾つも立ち並ぶ。灯火が揺れるたびに影は幻となって増殖し、耳元で囁き続ける。己の足音すら敵意に聞こえるほどの静かな狂気が理性の残骸を少しずつ削り取っていく。その錯覚に導かれるように振るわれた太刀は、誰もいない夜気だけを裂いた。
 男の動揺に可笑しげに肩を揺らしながら、漸く姿を見せたラウアール・グランディエ(人間災厄「グリモリウム・ウェルム」の不思議道具屋店主・h08175)はリンゼイへ穏やかな笑みを向ける。
「お久しぶりです、リンゼイ殿。相変わらずお優しいことで」
「貴方は……、……私は、貴方に願うことは、」
 『一緒に死んでくださいますか』と。あまく囁いたあくまの声を覚えている。それでもリンゼイは恐れずにラウアールを真っ直ぐに見詰めていた。
「ふふ。今回は心中のお誘いではなく、政府機関に命じられて参りました。……人間厄災の扱いなど、こんなものですよ」
「……分かっています。私も……貴方と『同じもの』ですから」
 まるで旧友同士が再会したかのような言葉だった。
 その一言一句の裏側で蝋燭の呪いは燃え続け、恐怖は剣豪の精神へ静かに根を張る。それでもラウアール自身の心に恐怖が届く事はない。
「恐怖も邪心を植え付ける力も恐るるに足りません」
 黒き太陽の霊力が砂浜へ溢れ、砂も流木も砕けた貝殻までもが異形の眷属へ変貌していく。黒焔を纏うそれらは一斉に牙を剥き、夜そのものが獣へ姿を変えたかのようだった。
「私は元より、邪心に満ちた祟り神のようなものですからね」
 ラウアールは僅かに肩を竦めるだけ。
 軽やかな言葉と共に、夜刀神の気配がラウアールの身体へと絡みついていく。
「傲慢な神の鼻っ柱をへし折る為、今回は心中ではなく、協力していただきたいのです」
「望まずとも。……私はその為に、ここに立っています」
 宵の翼は夜空へ黒い軌跡を描き、刃は不吉な月光を舐め尽くしていく。その返答と共に、ふたりは同時に砂を蹴った。

 夜は静かなまま。
 けれど、その静寂だけがこの浜辺で最も恐ろしい災厄に違いなかった。

篭宮・咲或

●禍害
 篭宮・咲或(Butterfly effect・h09298)は琥珀の瞳をあまく細め、禍々しい神威を静かに見据えていた。
 人間災厄がその力を失ったなら、ただのヒトに『成れる』のか。それともただの抜け殻となってしまうのか。
「……どっちなんだろうね」
 波音だけが答えを知るように繰り返される。どちらにせよ、自分の力を強引に奪われるなんて真っ平御免だ。
「きみほどではないにせよ同じ人間災厄として力の|危険性《・・・》は理解してるつもりだし」
「貴方も、……そう……、……そう、なんですね」
 その言葉には自らも災厄を宿す者だからこその重みがあった。
 だからこそ、リンゼイも咲或の言葉を笑わない。
「それを勝手に使われるなんて、ねぇ?」
「……はい。この|災厄《のろい》は私だけのもの。悪意によって振るわれることなど、あってはならないのです」
 リンゼイの決意と同時に、耳飾りの封じと加護を揺らした|使い魔《わたあめ》がふわりと夜風へ舞い上がる。白い毛並みは月明かりを集めた雪雲のように柔らかく、それでいて迷う事なく一直線に黒き焔へと突撃した。男の視線が逸れた一瞬、咲或は波打ち際を滑るように距離を取り、蜃気楼めいた残像を漂わせながら機を窺う。
 邪神の威圧が胸をきつく締め付ける。だがその恐怖に呑まれるより早く影が砂浜を奔った。影業が剣豪の足元へ絡みつき、その意識を咲或へ引き寄せる。凍てつく冬の上に芽吹く春の刃を静かに構えた災厄は振り下ろされる太刀を静かに待ち受けた。
 男が黒炎を曳いて踏み込んだ刹那、咲或は雷光が如き跳躍で間合いを食い破る。
「刀を扱うのはきみだけじゃないからさ。――後ろ、気を付けないと噛まれちゃうよ」
 背後へ回り込んだ一閃が異形を揺るがし、その隙を逃さずリンゼイが海風を裂いて駆ける。
「最後の引導はきみ自身の手でどうぞ?」
「――……行きます!」
 闇を切り裂く鋭いナイフが迷いなく閃き、黒き太陽は砕け散る硝子細工のように夜へ揺らぐ。夜の海は未だ墨を流したように深く、寄せては返す波だけが白銀の糸となって砂浜を縫っていた。

鬼臨坂・弦正

●邂逅
 夜の海岸は世界そのものが息を潜めているようだった。
 寄せては返す波だけが闇に溶けた砂浜へしろい泡を描いては消してゆく。その音は穏やかであるはずなのに、今宵ばかりは弔鐘のように重く耳へと沈み込む。
 空を覆う黒雲の下、ひとつだけ異様な太陽があった。
 それはひかりを与えない。背負う者さえ焼き尽くさんばかりの灼熱を宿しながら世界へ放つは焔と闇。禍津日神に憑かれた男の背後で脈打つ黒き太陽は、生き物の心へ静かに爪を立てて恐怖という名の種を植え付けてゆく。
 その姿を見据えながら、鬼臨坂・弦正(金輪際・h07880)は静かに瞼を伏せた。
「(……まるで、嘗ての己を見ている様だ)」
 鬼神の器として求められ。命じられる儘、盃に血を捧げ続けた嘗ての己の姿が重なる。人ならざる力に呑まれ意思を奪われる苦しみを、自分は誰よりも知っている。
 もしも、などと考えるのは好ましく思わない。
 だが、もしも――この刀を御する事が叶わねば。
「(俺も斯くの如く、悪神の傀儡に成り果てていたのだろう)」
 黒き太陽が脈動する。海風すら澱み、砂粒が浮かび上がる。岩も流木も黒焔を宿しては不完全なる眷属として蠢き始める。神威は夜そのものを書き換え、見る者の理性へ静かに楔を打ち込んでくる。
 内なる心に従えと云う囁きは耳ではなく、心臓の裏側から響いているよう。それでも、弦正は一歩たりとも退くことはなかった。
「己が裡に鬼宿らば神威に屈する謂れ無し」
 妖刀を静かに抜き放ち、印を結ぶ。
「人の身に余る力というものの扱い方。其の一端をお見せ致そう」
 秘文が夜気を震わせ、刀身より溢れた鬼気は漆黒の巨影を現した。

 ――神降し・大骸魑魅童子。月隠秘文。

 それは鬼であり、影であり、弦正自身の罪そのもの。
 殺気は潮風を裂き、浜辺の空気を凍らせる。常人ならば息を詰まらせ、獣ならば尾を巻いて逃げ出す威圧。黒き太陽の放つ神威は容赦なく降り注ぎ続けるが、その悉くを鬼影の巨躯が受け止め黒煙を払うように振り払ってゆく。狂気は届かず、精神を侵す呪も、鬼の咆哮に掻き消されていく。そのまま弦正は闇を裂く一閃と共に斬り込んだ。
 黒焔が噛みつく。肩口を裂き、白い肌へ緋が滲むが、流れた血は敗北の証ではない。傷口の奥から鬼影の新たな腕が軋みながら生え、異形はさらに巨大さを増してゆく。負傷を受ければ鬼影が新たな腕を生やし、一層苛烈さを増すのみ。
 故に止まらぬ。況して恐れや怯みなど。
「(りんぜい殿とは思いの外早い再会と相成った。戦うと言うのなら、強いて止めはしないが)」
 彼女の存在にははじめから気付いていた。
 深手を負いながらなお立つリンゼイ・ガーランドへ、弦正は低く告げる。
「深手を負った貴女がすべきは。此処を我らに任せ、一目散に退散する事ではないのか」
「私は、……貴方が教えてくれた『責』への贖いを、まだ……終わらせていません。だから」
 だから、ここで退くわけにはいかない。自分の代わりに戦ってくれようとする人たちがいるのならば尚のこと。
「そうか。……ならば、他に言うべき事は無い」
 彼女は以前よりも『揺らぎ』が減っているように見え、その言葉に偽りはないのだと信じられた。故に、弦正は僅かに目を細める。
「(此処で退けと、二度も告げる事になろうとはな)」
 胸中でのみ苦く零しながらも、その決意を否定はしない。彼女の憂いも、悔恨も、今は刃へ託されている。ああ、それならば応えよう。

 鬼は唸り、黒き太陽はなお夜を侵す。
 潮騒だけが静かにふたつの異形を見守っていた。――まるで海そのものがこの夜に流れる血の行方を、息を殺して待っているかのように。

二階堂・利家

●奇縁
 疫病ではない。それは信仰という名の腐敗だった。
 男が剣を振るうたび、神威が海岸一帯を塗り潰していく。その追撃から身を引きながら、リンゼイ・ガーランドは僅かに息を乱していた。二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)はその姿を一瞥し僅かに肩を竦めた。
「合同奇縁といったところか」
 苦笑にも似た声音だった。
 それでも視線だけは鋭く、男から決して逸らさない。
「(|√能力《無差別自殺》の喪失という致命的な結果も、作戦立案の段階で予見出来ただろうに)」
 リンゼイが収監されている合衆国上層部は国益の確保にご執心のようだけれど、そのすべての負担を現場のたった一人に背負わせていたのだから全く呆れる。
「或いは確実な|破綻《星詠み》に背く事を許されなかった、貴女の心中は察して余りある」
「……私に自由は、過ぎたる望みです。けれど……こののろいを明け渡すことなど、他者に押し付けようなど、望んだ事はありはしない……!」
 声は情けなくも震えた。
 それでも、リンゼイの瞳は折れていなかった。
「……だろうね。それは、以前貴女と戦って良く分かった」
 望みなどない。彼女は以前そう口にした。
 だが、人は本当に諦めた時にそんな目はしない。火傷だらけの魂であろうとも、まだ手放したくないものを抱えている者だけが真っ直ぐに前を見ることが出来る。
 会話不能・制御不可能の狂信者も、殺戮を望む神の意志とやらも、この戦場は何もかもが碌なものではない。
「どいつもこいつも不自由だ。なら|己《自分》は精々、自由にやらせてもらうぜ」
 その瞬間に古龍が吼えた。
 太古の神霊が利家の肉体へ降り立ち、蒼い霊光が鎧を包む。重装甲とは思えぬ速度で地面を蹴れば、砂浜が爆ぜ、三倍へ跳ね上がった加速が夜風を引き裂いた。
 男の刃がリンゼイへ届く刹那、甲高い衝撃音が夜を割る。利家の霊剣が真正面から受け止めた。それは火花ではない。黒焔と蒼光が噛み合い、互いを喰らおうと牙を剥く。
「下がっていろ!」
 短く告げる。その背を信じ、リンゼイは低く、獣の如き跳躍で後退する。
 迫る眷属はまるで操り糸に吊られた死人だ。峰打ち一閃、骨を折らぬよう力を抑え、それでも意識だけは確実に刈り取っていく。
 だが男は違う。人ではない。神に振るわれる剣だった。黒焔を纏った斬撃と古龍閃が真正面から噛み合う。
「(――重い!)」
 山を押し返すような圧力。腕が軋み、肩が裂け、鎧の内側で肉が悲鳴を上げる。
 傷が、一筋、二筋と増えていく。その度に利家の背から異形の腕が生えていく――主の代わりに泣き叫ぶように蠢くは、クライング・クロー・フェノメノン。
 地獄が肉を食い破って外へ、外へと這い出してくる。常人なら絶叫する痛みを、利家は歯を食い縛って押し潰した。
「……参るね、どうも」
 負傷が増えるほど異形の腕は増殖する。爪が振るわれ、黒焔を裂いていくある腕は竜漿濃縮の副作用を撃ち放ち、不可視の麻痺が男の動きを鈍らせる。力任せに組み付き、押し返し、砂浜へと叩き伏せていく。
 波が砕け散り、黒い飛沫が夜空へ舞い――その一瞬だけ、男の足が止まる。
 十分だ。
 背後からリンゼイが踏み込む。喪われつつある呪い。それでも残された最後の力を一点へ収束させる。百万通りの死が、ぞ、と凡ゆる影から蛆の如く噴き上がる。

 |自殺のための百万の方法《ミリオンデススターズ》。

 無数の死が男を絡め取る。神に捧げた命を自ら絶たんとする衝動を止められない。
「――ぐ、ぁ、あがあぁぁあぁああああッッ!!!!」
 利家は最後まで退かなかった。剣を押し込み、異形の腕で男を拘束し、その進路をほんの僅かにずらす。それだけで事足りた。
 昏き自死衝動からは逃げられない。夜の海岸に轟音が響き渡り、黒き太陽は悲鳴とも咆哮ともつかぬ声を上げながら大きく揺らいだ。

斎川・維月

●友誼
 一度命中すれば終わりのない連撃となって獲物を呑み込むその剣は、寄せる波より執拗に、夜そのものより静かに迫る。
 その前へ。リンゼイへと刃が届く前に、ひとりの少女が軽やかに躍り出た。
「もう、真面目ですねえリンゼイさんは。『ラッキー』って災厄だけパスして上手い事逃げちゃえば良いでーすのに」
 軽い口調。まるで深夜の散歩でも始めるような笑顔。
 けれど、その背中だけは一歩も退かない。
「……貴女は、……そんな、どうして……?」
 リンゼイ・ガーランドの声が震える。友など、親交など持たぬと信じ続けてきた女の瞳へ、理解できないものを見るいろが今一度宿った。
 斎川・維月(幸せなのが義務なんです・h00529)はやれやれとすこしばかり大袈裟な仕草で以って、リンゼイの無謀を咎めるように肩を竦める。
「ま、それが貴女です。ボクの友達です。ボクがに友達っつったら友達なのです」
 気持ちいいほどの断言だった。理屈も資格も要らない。そう決めたから、それだけで十分なのだと言わんばかりに。
「なので守りますし、手伝いますよ。当たり前の話です」
「……。……貴女って、……ふふ、……本当に強引ですね」
「あーっ! 笑った!」
 その笑顔は、夜明けよりは遥かにちいさい。
 それでも確かに、暗闇へ灯ったから。
「リンゼイさん。ボクが前に出るので、攻撃手段があるなら隙を突いて下さい」
 太刀が砂を裂くのと同時、維月は一歩踏み込む。
「無い場合は隙を見て逃げて下さい。あっちの目的が貴女である以上、それはそれで気が逸れて結果的に援護になります」
「分かりました。でも、……貴女も、最後には立っていてください。……友達、を……失うのは、悲しい事ですから」
「! ……えへへ、もっちろんです!」
 次の瞬間、男が消えた。
 否、速すぎて見えなかった。
 太刀が唸り、夜を細切れにして降る。一撃、二撃――止まらない。終わらない。
 死とは案外こういう形をしているのかもしれない。音もなく淡々と、息をするように近付いてくる。維月はその刃へ真正面から踏み込んだ。
「しっかしまあ、死の災厄が欲しいとはまたアホですね禍津日神って神様は。そんなもの『何処にでもある』って言うのに」
 少女の顔が世界から剥がれ落ちる。
 皮膚がひび割れたのではない。世界そのものへ、赤い十字を刻む裂け目が開いた。
 穴だ。顔の奥には何もない。――ただ、死だけが在る。
「死は存在しますよ。此処にも、それから其処にも。勿論ボクにも」
 その言葉と同時に、世界が加速した。
 四倍、否、それ以上。維月の姿が幾重にも揺れ、太刀と拳が夜の狭間で幾百もの火花を咲かせる。刃は肉を裂き鮮血が舞う。痛みが身体を軋ませるが、それでも決して止まらない。
「はい! それじゃー行きまーすよ! ドッカーン!!」
 それは災厄を纏う拳。死へ引き寄せる災厄が砂浜へ滲み、夜の海さえ息を潜める中で、維月は笑ったまま叫ぶ。
「だから何だと言うんです!」
 拳が男の顔面へと叩き込まれる。
「そんな当たり前の事を!」
 一撃。もう一撃。
「わざわざ欲しがるな!」
 ――最後の殴打が、神の闇ごと男を打ち砕いた。
 その衝撃で砂浜が爆ぜ、砕けた波頭がしろい鳥の群れのように夜空へ舞う。リンゼイはその言葉を、ひかりを、確かに見て、聞いていた。

 やがて、静寂だけが戻る。波は何事もなかったように寄せては返す。
 死は最初から誰の隣にも在った。だからこそ生きようとする一歩だけが、この夜の中では何よりも眩しかった。

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