⑩禍日とプロファネーション
夏日が白い肌を灼く。
リンゼイ・ガーランドが青い瞳を窄めたのは、夏の日光の眩しさではではなく――出現した禍津日神に警戒心を抱いたからだ。
「あれが、禍津日神……」
リンゼイは呟く。だが、見惚れてる隙も、混乱する余裕もない。
名張・楓が放つ鋭い剣閃が幾度となくリンゼイを襲う。
それらをなんとか回避しながら、如何にこの状況を切り抜けるべきか思考していた。
「|吾《われ》の崇める|禍津日神《マガツヒノカミ》さまが、ぬしの√能力を求めておられる。さぁ、差し出せ――」
「いや、です!」
荒い息で拒絶しながら、リンゼイは距離を取る。
己の能力――ヴァージン・スーサイズは近づくものに自殺衝動を齎し、死に誘う危険な能力である。
仲間も、敵も、無辜の人々も関係なく、あまねく全てに死神の口吻を与える。
唯一の例外はリンゼイが好意を抱いたものだが――それ以外の存在には平等に死を振りまく危険な能力なのだ。
「私が一番、この能力の危険性を解っています。だから、渡すわけにはいかないんです」
リンゼイは独りでも戦いつづけなければならない。
だって、ヴァージン・スーサイズはリンゼイの身を孤独に堕としたのだから。
頼る者も、背中も預ける者もいない。だけれど、これは自分だけの問題ではないということを理解していた。
「だから、私は負けてはいけないんです……!」
●
「とんでもないことになったようだな」
水縹・雷火(神解・h07707)は、はぁっと溜息を一つ吐いて、集まったEDEN達に視線を向ける。
「去年の秋葉原荒覇吐戦にて現れた人間災厄『リンゼイ・ガーランド』が再び出現したんだ」
彼女の持つ能力は、無差別自殺能力――近付く存在に等しく甘い死をもたらす蜜毒のような能力であり、先の戦争では戦場を混乱させるために投入された。
「特に先の戦いでリンゼイを相手した人らは、リンゼイの能力がいかに危険なものかわかっているが、今回の問題はそこじゃないんだ」
今回、リンゼイが何故戦地に姿を現したのかは今のところは解らないが、今はそれはいい。
そのリンゼイが、新たに王権執行者となった『日神憑き』名張・楓に襲撃される。
目的はリンゼイの『ヴァージン・スーサイズ』。
名張・楓に取り憑く『禍津日神』の正体は不明だ。だが、ただでさえ危険な能力である『ヴァージン・スーサイズ』が危険な悪神の手に渡るのはまずい。
リンゼイは敵対組織の存在ではあるが、此処は一旦そのことは忘れ、リンゼイと共闘し名張・楓による奪取を防いでほしい。
「せめての救いは、リンゼイの能力が『無差別機能』を失っていることか。だから、以前みたいに近づくだけで自殺衝動に襲われるようなことはないと思う。そこれだけは安心してくれ」
雷火はそう言ってから、少し考える。
あと、これは必須ではないんだけれどと前置きしてから、再び雷火は口を開いた。
「リンゼイは能力こそは厄介だが、本人の気質自体は悪いものではない……と思う」
だから、助太刀に入ってきたEDEN達を警戒することはあっても敵愾心を抱くようなことは恐らくはないと思われる。
むしろ、警戒するとしても己の能力から本当に無差別性が失われているかの方を疑うだろう。
実際はもう既に無差別に周囲に自死を振りまく能力は失われてはいるが、長年共にあった呪縛は心からは簡単には消えてくれない。
「だから、安心して戦える相手だって、リンゼイに解らせてやると、戦闘をスムーズに進められるようになるかもしれない」
例えば、死ねない理由。生きなければならない意味。守らなければいけないもの。
どのような過去があっても、歩み続けてきた強さ。
トラウマに立ち向かってきた日々。それでも、此処に立ち続けてきた意思。
「なんでもいい。この人達なら大丈夫と思わせるだけの強さを見せつければいい」
あくまでも俺の予想だけれど――そう、雷火は付け足してから、EDEN達を真っ直ぐに見つめた。
「面倒な状況だが、絶対おまえ達ならなんとかできる! ――いってこい!」
第1章 ボス戦 『『日神憑き』名張・楓』
●
夏の日差しが強く地表を照りつけ、吹き付ける風は潮の香りを含んでいる。
肩で息をするリンゼイの姿を視界に捉えつつ墨・迅(黒衣の迅・h12802)は口を開く。
「あんたがリンゼイか」
「あなたは……」
「俺はEDENの墨・迅。今は名張・楓を倒すため、あんたに手を貸してぇ」
距離を詰めた迅に、リンゼイは咄嗟に後ずさりをした。
「信用できねぇのも無理はねぇ」
リンゼイは迅のことを信じていないわけではないのだ。ただ、リンゼイは己の能力が信じられない。
暫く視線を交わし合うものの、距離を詰めようとしない彼女に。
共闘して戦うのであれば、斯様な距離は支障がある――迅は目を窄めて言葉を続けた。
「自分の能力の危険性をわかっているという証だろうから悪いことでもねぇ。だが……俺には、死ぬなと言った奴がいる」
脳裡に当時の姿を思い浮かべる。
死ぬな――その言葉を迅に渡したのは、兄貴分だ。
兄貴分と称すが、実際に血が繋がっているわけではない。だけれど、自分にとっては本当の兄貴のような存在である。
彼は言う。迅が死んだら、ムカつくのだと。
大切な人達が、まるで指の隙間から溢れる雫のようにいとも容易く死んでいく、そんな世界にいらだっているのだと。
「……だから、俺は死なねぇ。あの人を、また世界にムカつかせるわけにはいかねぇからな」
あの思いを知っている。瞳を。顔を。そう語った声色を――だからこそ、簡単に死んでやるものかと、己の裡で思いの炎は力強く燃えさかっている。
だから、迅は死なない。
無差別自殺能力だろうが、何だろうが――負けてやるわけにはいかないのだ。
眼鏡の奥の、蒼い海色の双眸に柔らかな光が宿る。わかったか?と問うように迅が視線を向けると、リンゼイは頷く。
「ようやくいい表情になってきたじゃねぇか――速攻でカタをつけるぞ、リンゼイ」
「はい」
迅の易経・八卦巡天陣が味方の攻撃力を上げる追い風となる。駆け出す迅を追うように、リンゼイもまた能力を放った。
●
名張・楓の太刀が、負傷したリンゼイへと振り下ろされる。
だが、その刃が彼女へ届くより早く、地を駆けた黒い狼が楓の腕へ食らいついた。
「……っ!」
実体を得た影の牙に引かれ、太刀の切っ先が僅かに逸れる。直後、乾いた銃声が二つ響いた。放たれた弾丸は楓の足元を穿ち、リンゼイとの間へ踏み込もうとした動きを封じる。
その隙に、システィア・エレノイア(幻月・h10223)がリンゼイの前へ降り立った。
「初めまして、にはなるけれど……助けに来たよ、リンゼイさん」
「私を……?」
リンゼイの表情に浮かんだのは、安堵ではなかった。
負傷した身体を引きずるように一歩退き、システィアとの距離を取ろうとする。
「近づいてはいけません。私の能力は――」
「近寄る者に、無差別に自殺をさせてしまう能力だったかな」
言葉の続きを紡ぐように口を開いたシスティア。
彼は静かに頷きながら、視線を傍らにいるクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)へと向けた。
「安心して欲しい。俺は彼にしか殺されないから」
視線を向けられたクラウスは、二丁拳銃を名張に向けたまま静かに頷いた。まるで、それはシスティアの言葉を受け止めるかのようで、確かな信頼が感じ取れた。
「久しぶりだね」
「……はい」
話しかけたクラウスにリンゼイも頷く。以前、何度か戦った関係だ。
だが、クラウスは悪い感情を持っていないし、リンゼイもただ上層部に命じられ戦場に出たのみで、特に悪感情を持っていない。
しかし、同時に過去にクラウスが己の能力で苦しんでいるところも見ているということである。
遠慮がちに、窺うようなリンゼイの視線を感じて、クラウスはもう一度やわらかく笑んだ。
「大丈夫だよ。今手の中にある幸せを手放す気は無いから」
常に影のように付き従うクラウスの希死念慮は今も晴れることはない。でも、もう積極的に死のうだなんて思ってもいない。
(――そんな風に、変われるような出会いと縁があったんだ)
ふと、システィアの方へと視線を向ければ、彼は何かを察したかのように頷いた。
だが、その視線を断ち切るように、名張が踏み込んだ。
システィアは詠唱錬成剣を戦斧へ変じさせ、振り下ろされた太刀を重い刃で受け止める。鋼が激しく噛み合い、火花が散った。
「クラウス!」
「分かってる」
システィアが刃を押し返した瞬間、二丁拳銃がから弾丸が放たれる。弾丸は名張の足元を穿ち、後退しようとする名張の影を縫い止めた。
それでもなお、狂ったように放たれようとする名張の剣閃を、すかさず影狼が左右から躍りかかり、名張の身体を脆くする魔法が込められた斬撃を繰り出し阻む。
その間も、二人はリンゼイを背に庇う位置を決して譲らなかった。
「大丈夫だよ、リンゼイさん。俺達は今、自殺の為じゃなく共通の敵を倒す為に戦っているでしょう?」
「そうだね――今の俺たちは生きるために戦ってる」
システィアの言葉に同意しながら、クラウスは言葉を続ける。
今も蒼天の彼方には夏日が輝いている。暑苦しいほどの太陽は今、クラウスの背を押されているような気がした。
太陽が今も自分を照らしてくれているならば、今度は自分が孤独な夜に沈む旅人を導く月となろう。
「――だから、恐れなくていいよ」
クラウスが安心させるようにリンゼイに微笑みかければ、リンゼイも決意を込めたように能力を放つ。
眩しいほどに燦めく夏の太陽は、|未来《いま》を生きる青年たちの姿を照らしていた。
●
罪過を責め立てるかのように、強く照りつける夏日の下。名張・楓の襲撃を受けたリンゼイは肩で息をしている。
酷暑の中。揺らめく陽炎の中。ひと思いに斬ってやるのが慈悲とばかりに、振りかざされた名張の剣閃を逸らしたのは、暁・蓮月(霧中之蓮・h12991)の影業だった。
「加勢するよ、リンゼイ」
「あなたは――、」
「大丈夫。俺は死なない」
言いかけたリンゼイを制するように、言葉を重ねた蓮月は晴天にも似た蒼空色の双眸でリンゼイの表情を真っ直ぐと眺めた。
そうして続けて語るのは、己の矜持でもある理由だ。
「EDENとして、軍警として、無辜の民を守りたい。その為に悪を倒し続けたい――それは生きていないとできないからね」
裡に沈んだ記憶は、今は拾いあげること叶わずとも願う気持ちも、祈りも変わらない。
ただ、人を守る――その、人々の中に、今はリンゼイもいる。ただ、それだけの話だ。
「さぁ、行くよ。彼が動き出す前に、ケリをつけよう」
「は、はい!」
戦闘態勢をとったリンゼイを背後に、蓮月は駆けだした。
幻華扇は舞うように、|花海棠《ハナカイドウ》の花びらが風に散る中で連続斬撃を与え、名張の太刀を受け流し、捌いてゆく。
「小賢しい……」
「……濁った太刀では、俺を捉えることはできないよ」
低い声で言い放つ名張に、蓮月は蒼空色の双眸を窄めながら告げた。
「元は武人だったの? 今もそう? 武人であるなら、憑きものは余計だよね。それは、お前の力じゃないんだから」
ぴくりと肩を震わせた。僅かな動揺が見て取れて、蓮月は僅かに口角を緩めた。
――狙い通りだ。
神として崇めているものを愚弄でもされれば、本人を嘲り笑うよりも動揺が誘えるのではないかと見込んだのだ。
その予感はどうやら当たったらしい。僅かに剣閃が鈍った。その隙間を縫うように幻華扇で攻撃を受け流し、すかさず影業を食い込ませて、楓の身体を拘束した。
「――今だよ、リンゼイ!」
「は、はい! ありがとうございます!」
リンゼイは暁月に応えると、能力を放つ。
●
皮肉な程に晴れ渡った夏空。浮かぶ太陽は残酷に地表を照りつけて、酷暑の中で陽炎が揺らめき昇っている。
名張・楓と対峙するリンゼイは肩で息をしている。
名張との戦闘と、酷暑の中――ひとりきりで戦うリンゼイは、刻一刻と体力を削られ続けている。
「生きてるわね、リンゼイ。それだけでもわかれば十分よ」
斯様な場面で踏み込み現れたのはアリエル・スチュアート(片赤翼の若き女公爵・h00868)だ。
「……何故、このような場所に、きたのですか?」
「何で助けに来たかって?」
アリエルは一度言葉を句切り、再び口を開く。
「それはEDENがどうしようもないお人好し集団の集まりだからよ」
「お人好し……」
「それに、私は貴女にそれ程、悪感情も持っていないからね」
事もなげにそう言うとアリエルはティターニアを呼び出して、フェアリーズの権限を預ける。
「目標は解っているわね? さ、軽くお掃除して頂戴」
『メイド使いとレギオン使いの荒い公爵ですね、全くー』
「文句は言わないの」
不満を垂れる|戦闘妖精侍女《バトルフェアリーメイド》に慣れた様子で言葉を返したアリエルは改めて視線をリンゼイの方へと向けた。
共闘しながらも、リンゼイの動きは僅かに硬い。その様子はまるでEDENたちの顔色を窺うかのような様子。アリエルはふぅっと息を吐いてから、口を開いた。
「はあ、何、まだ貴女に手を貸すのが不思議?」
「……いえ、助けてくださるのは、とても嬉しいのですが……ですが、私は、かつて皆さんに災厄を振りまいた身でもありますから」
「言ったでしょ。EDENはお人好し集団なんだって」
先程告げた言葉を再び重ねる。
「ま、これでも私は公爵家の当主。言ってみればノブレスオブリュージュ、って奴ね――この答えでは不満?」
「いえ」
気高さとは、きっと、生き様に現れるのだろう。
何処か眩しいものを見るように、リンゼイは青い瞳を窄めて応える。
「あなたは、強いのですね」
僅かに口角を緩めたリンゼイの表情は、ずっと柔らかいものとなっていた。
●
生憎、死ねない理由が出来てしまった。
覚悟を決めるように天使・夜宵(残煙・h06264)が愛刀を握れば、死ねない理由を与えた当人は涼しい顔で先を征く。
「リンゼイ、か。初めて会うけど、話は聞いてるよ——何に怯えているのかも、なんとなく……ね」
白露・花宵(白煙の帳・h06257)の琥珀色の双眸が、肩で息をしながら後退しようとするリンゼイの姿を眺める。
彼女と顔を合わせるのは、初めてだ。だが、彼女の能力やその能力が齎した境遇は花宵も知っている。
死は、親切な隣人のふりをしていつも隣に在った。されど、明日も知れぬ身だとしても、その手を取ることはなかった。
「でも、あたしは死なない。大層な理由なんざないよ」
花宵は懐から蜜煙を取り出すと、白煙をゆっくりと喫んだ。
燻らされた命執の香が甘く戦場へ広がり、リンゼイの身体を包み込んでいく。
「生きたいから、生きるんだ。意地汚くても、悪足掻きでもね」
「生きたいから、生きる……」
花宵の言葉を繰り返すようにリンゼイが呟けば、ああそうさと花宵が頷く。
「祭りに行きたいだとか、喫茶店の珈琲が楽しみだとか——何も、特別なことでなくていい。些細なことでいい。生きているから味わえることが山ほどある。だから、あたしは誰に頼まれたって死なないよ」
当たり前のことを語るかのような口調で花宵は言葉を紡ぎながら、ちらりと琥珀色の双眸を夜宵に向ける。
ふたりの後方で、様子を窺っていたらしき夜宵の肩幅の広い身体が驚いたかのように僅かに跳ねた。
「それに……あたしが死んだら、この男が泣いちまうからねぇ」
「……そうだな」
返したのは、短い言葉。否定はしない。誤魔化しもしない。
せめて、誠実であれ。
さもなくば、投げ捨てるはずだと思っていたこの命を拾い上げた彼女に報いることはできない。
「約束を守る相手が居なくなったら、困るからな」
かつて、花宵と交わした約束を想い出しながら、語る夜宵の言葉は多くない。だけれど、其処には全ての想いを込めた。
投げ捨てるはずの命だった。
己の命など、何処で消えてもどうでもいいと思っていた。
理由を喪い、踏み躙られた存在。宿願を果たせば、後は立ち消えるだけの残炎だった。
されど、すべてが燃え尽きたわけではなかった。
灰の底には、今なお埋火が燻っている。火が遺されているからこそ、残煙は空へと昇る。
燻っていた火に生きる理由という薪を焼べた奴がいたからこそ、夜宵の生命も存在も、再び意味を持った。
「拾われた命。使うなら一番は花宵のために——ここで簡単にくたばるわけにはいかねぇんだよ」
「ああ、そうだよ。あんたはあたしが拾った、あたしだけの男、髪の一筋から命まで、全部あたしのもんだ」
琥珀色の双眸が窄められた。その|回答《こたえ》が気に入ったと言わんばかりに、その口元が満足げに緩んだ。。
「勝手に捨てるなんざ、許さない。使うなんて言わずに、大事に抱えてな」
「ああ」
夜宵は前衛に立ち、愛刀の|──《無名》を抜き放つ。
これ以上、今は言葉は必要ない。伝えるべき想いも、抱く誓いもこの剣に全てを込める。
「さぁさ、背中はあたしたちに任せな。藻掻いて、足掻いて——|勝つ《生きる》んだよ」
ふたりの言葉に、リンゼイは僅かに瞠目した後、静かに頷いた。
「……はい」
「いい顔になってきたね。さぁ、行くよ」
花宵と夜宵とともに、リンゼイは前を向く。
甘い眠りへと誘う死神の手を振り払って、|現在《いま》を生きるために。
●
夏の日射しは罪過を責め立てるように、激しく照りつけている。
頬を撫でる海風は生暖かくて、火照った身体を冷ますには全く足りない。
目を灼く程に眩しい夏の光の中で、肩で荒い息をするリンゼイの姿を視界に捉えた架間・透空(天駆翔姫ハイぺリヨン・h07138)は口を開く。
「リンゼイさん、助けにきました!」
「あなたは……以前……」
リンゼイは透空の姿を眺めて僅かに目を見開いた。
半年前の秋葉原でリンゼイは透空の姿を見ている。希死念慮の衝動を乗り越えた姿も見ている。
だけれど、リンゼイの身に刻みつけられた恐怖心は簡単には消えてはくれないらしい。リンゼイは半歩、後ろへ引いた。
「素直に信用とはいきませんか……仕方ありませんね」
透空に続いて駆けつけたクラーラ・ミュスティアウゲン(閉ざした瞳の武侠剣士・h12663)は彼女の様子を眺め、冷静に告げる。
クラーラの言葉に透空も頷く。
「元は敵同士……素直に信用できないのも、仕方ない、ですよね」
透空は僅かに瞳を窄め、再び口を開く。
「でも、この場に立つ理由なら、私にだってあります。前にお教えしましたよね、リンゼイさん」
その手は、誰かを救うためだけに振るわれてきたものではない。
かつて夢へと伸ばした手のひらで、つかみ取ったものは明るい未来などではなかった。
透空に悪意も害意もなかった。ただ、大好きな歌で夢を叶えたかった。それだけだった
「過程はどうであれ、私は人を殺しました。この手で奪った命があるのなら……その重みを背負っていかないといけない、って」
罪を忘れることでも、許されたことにするのでもない。
奪った命を抱えたまま、次に差し伸べられる手を見過ごさない。それが透空の選んだ道だ。
「だから、困っている人がいるなら、力になりたいんです。この力で苦しんできたあなたが、今それを悪用されんとしているのなら、絶対に助けます! 例え敵対していたとしても、そんなの関係ありません!」
透空の言葉にリンゼイは目を見開いた。
「あなたは、強いんですね」
「私が強いんじゃないです。一緒に戦えるから強くなれるんです。理由は違うかもですが、クラーラさんだって、あなたを助ける為にここに居るんです。お願いします!」
透空はクラーラに視線を向ける。クラーラは静かに頷きながら、一瞬透空と視線を交わしてから口を開く。
「命は、苦しみを背負うためだけの器ではありませんし、誰かの言葉で、簡単に投げ捨てていいものでもありません」
死に近いものは、クラーラも知らないわけではない。
見え過ぎる眼に呑まれ、何度も足を止めかけた。それでも、クラーラは今日まで歩いてきた。
歩き続けてきたからこそ、此処に立っている。透空の隣で、死に近い彼女の言葉を受け止める為に立つことが出来ている。
「戦うことを是とする私はともかく、本当は、そればかりで居たくない方まで貴女を助けるためにここに居るのです――その覚悟を前にしてなお、警戒だけで退けるのは、少し、勿体ないと思いませんか?」
「……そう、ですね。すみません。少し弱気になっていたようです」
「それでは……!」
透空の言葉にリンゼイは頷く。
ふたりの様子を確認した後、クラーラは剣に手をかけた。
「では、参りましょう――前は私が務めます、後ろは任せました。透空さん」
「後ろはお任せください、クラーラさん! そしてリンゼイさんも!」
「は、はい!」
決戦気象兵器を起動する透空の隣で頷くリンゼイの表情に迷いはなかった。
●
静寂・恭兵(花守り・h00274)の心には、常に花が咲いている。
その花は、守らねば直ぐに散り絶やされてしまいそうな儚いものだと思っていた。
「アダン」
「恭兵」
傍らの相棒——アダン・ベルゼビュート(魔焔の竜胆・h02258)に視線を向ければ、アダンもまた恭兵の方を見ており、視線が絡み合う。
恭兵は曼荼羅に手をかける。酷暑の中でも不思議と清涼さを感じさせる愛刀は、恭兵の心に静かな凪を齎してくれる。
吹き荒ぶ風や、降り已まぬ雨に揺らいでいた竜胆は、いつしか深く根を張り、今では花守りの隣で凛と咲いている。
隣を歩む|竜胆《アダン》は眼前で肩を上下させるリンゼイの姿を認めて踏み込むと、朗々と口を開いた。
「リンゼイ・ガーランド! 此処は一時休戦といこう。貴様も己が力を奪われることは望むまい――ならば、俺様達と共に征け。何があろうと、貴様には指一本触れさせぬ!」
その声にリンゼイは視線を向けるが、僅かな恐れがその視線に見て取れた。
(いきなり信じろというのも難しいか……)
恭兵はその様子を眺め、口を開く。
「そうだな。俺の死ねない理由について、勝手に話させてもらうが……俺の死ねない理由は|身代わり傀儡人形《白椿》の存在が一番にある」
恭兵は語る。
ひとつは、真白の椿。
身代わり傀儡人形は、身代わり相手が死ねば壊れる——つまり、恭兵の死は白椿の死と同義だ。それだけは、避けねばならない。
そして、もうひとつは、傍らで今も咲く|相棒《アダン》。
夢の中だとしても、死を選ぶな。生きろ。そう、言われた。
「そんな彼らとの未来の為に……俺は生きる——だから、俺の、帰るべき場所はいつもひとつだ」
愛しい花が咲くあの場所。誓いを交わした相手の隣。
恭兵が守りたいものは、そんなささやかで、けれど何ものにも代えがたい未来だった。
「だから、お前も生きろ、リンゼイ。此処を切り抜けて、自分の帰るべき場所へ帰るために」
「帰るべき、場所……」
恭兵の言葉にリンゼイの脳裡にひとりの姿が思い浮かんだ。
彼は自分のことを、なんとも思っていないかもしれない。けれど、そこを自分の帰るべき場所だと、勝手に思うことは赦されるだろうか。
僅かに見開かれたリンゼイの双眸を眺め、恭兵は言葉を続ける。
「俺たちの帰るべき場所は、異なる。だが、其処に辿り着くために選ぶ道は同じだ——それで、充分な理由だろう」
「帰っても……いいのでしょうか」
零れた問いに、恭兵は何も言わず頷いた。
リンゼイは一度だけ目を伏せ、それから迷いを振り払うように前を向く。
「……ならば私も、帰るために生きます」
「良き表情となったな、リンゼイよ」
凜とした決意を宿した女の双眸を見届け、アダンは満足げに口角を上げた。
恐れも迷いも消えたわけではない。すべてを抱えたまま、それでも己の意志で前を向く――斯様な|瞬間《とき》にこそ、その者の真の在り方は現れるのだ。
「気に入ったぞ、リンゼイ・ガーランド!」
それは覇王が、彼女の覚悟へ送る最大級の賛辞だった。
アダンは覇気に満ちた笑みを浮かべ、堂々と名張へ向き直る。
「ならば、其の覚悟――この覇王たる俺様が最後まで見届けてやろう! 喝采せよ! 俺様が守るべき者たちの――すべての未来のために!」
影より顕れた無数の黒狼の群れが、名張へと襲いかかる。
名張は迫る黒狼を太刀で薙ぎ払い、その勢いのままリンゼイへ刃を振るう。だが、剣閃が届くより早く、アダンがその前へ躍り出た。
「貴様には指一本触れさせぬ――そう宣言しただろう!」
黒き太陽を以て襲い掛かるのならば、それを凌駕する影で塗りつぶしてしまえばよい。
物語は終わらぬ。終わらせぬ。そして、|物語《未来》の続きをともに見届けるのだ。
●
物語の結びを、他者に委ねるつもりはない。
「死ねない理由、ですか」
神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)は静かに呟き、傷ついたリンゼイへと視線を向けた。
名張・楓に追い詰められながらも、リンゼイは未だ膝を折ってはいない。
己の力を奪われれば、さらなる犠牲を生むと分かっているからこそ、傷ついた身体で立ち続けているのだろう。
「私には、物語の蒐集という役目があります」
物語とは、人々が積み重ねてきた歴史の軌跡——そのものである。
誰かが歩んだ人生。語られた願い。遺された想い。結びを迎えた、数多の物語。
だけれど、今の境華が望むものは、それだけではなかった。
「誰かの残した物語を読むだけでなく、この世界で出会った人たちと、これからの頁を綴っていきたいという思いもあります」
境華は隣にいるシンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)に視線を向けると、自然に視線が交差する。
人生とは、ひとつの物語である。境華が歩む日々もまた、いつか文字に綴られ、誰かの手に遺されるのだろう。
けれど、今この瞬間を生きる物語には、文字だけでは掬いきれない感情が息づいている。
「怖いことも、傷つくこともあります。それでも、隣で歩きたい人がいます。その人が笑う景色をこれからも見ていたい」
境華の物語は、境華のもの。この物語に於いては、境華は綴り手なのだ。
ならば、境華が望む最良の結末を得たい——そう願うのは、何も過ぎた望みではない。
「私自身も、ただ終わりを待つだけの頁ではいたくありません。誰かの物語の中でではなく、自分の結びは、自分で決めます」
「境華さんらしい理由ですね。でも、私にも死ねない理由は沢山ありますよ」
傍らのシンシアが口を開く。リンゼイが「沢山、ですか?」と首を傾げれば、シンシアは誇らしげに頷いた。
「欲しい洋服、お酒とスイーツ、見たい景色! それこそ海に来たのですから戦闘なんてさっさと終わらせて二人で水遊びしたいし、花火の勝負だってしたいのです」
指折り数えながら、並べられてゆく|死ねない理由《・・・・・・》に、境華の口元にも思わず笑みが咲く。
斯様な境華の様子を眺めて、シンシアは満足げに笑みを深くする。
「小さいことだと思われそうですけど、案外、そういうものの積み重ねですよ」
食べたいものがある。行きたい場所がある。着たい服がある。飲みたい酒がある。日々には、ちょっとした楽しみが溢れている。
人生が、数多の頁から成る一冊の物語だとしたら、そのひとつひとつもまた、確かな人生の軌跡だ。
「……それとも、夢は大きく地中海クルーズとでも言った方がよいです?」
「いえ」
境華は穏やかに首を振る。
「それも、これから綴る頁のひとつとして素敵だと思います」
「あら? では、予定に加えておきましょう」
境華に言葉を返してから、改めてシンシアはリンゼイを見据える。
「さて、リンゼイ。私は別に貴女が好きではないですが、かといって邪魔するつもりもありません」
「随分と、率直なのですね……はっきり、仰っていただく方がかえって気が楽ですが」
「いるんでしょう? 貴女にも大切な人が。なら、こんな所で負けている暇などありませんよ」
唐突に話を振られたリンゼイが、僅かに目を見開く。脳裏に浮かんだ誰かの面影に、迷いが揺れた。
境華もまた静かに笑んで、金色の双眸でリンゼイの姿を真っ直ぐに見つめる。
「貴女も、負けてはいけないと立っているのでしょう。なら、その強さを信じます。ですから、貴女も私達を信じて――共に戦ってください」
●
強く照りつける夏の日差しに、海面が眩く煌めいている。潮を含んだ風が吹き抜けても、肌を焼くような暑さが和らぐことはなかった。
残酷なほどに晴れた青空の下。名張・楓と向かい合ったリンゼイが肩で息をしていた。
「リンゼイさん、みつけたよっ! はやく助けなきゃ!」
探していたリンゼイを見つけたエアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)が駆け出した——その時だった。
「——さて、エアリィ嬢。仲良しなのを見せるといいんだって」
「えっ、そういう話だったっけ!?」
背後から聞こえた、椎宮・紫水(シセキエイ・h12162)の言葉に、エアリィが思わず振り返った。
軽く小首を傾げた紫水は、穏やかに笑みつつも、足早にリンゼイのもとへ向かう。
「違った? まあ、あまり変わらないよ」
「変わると思うけど……!」
エアリィの言葉に、紫水は紫色の双眸を緩やかに窄める。
「だって私達『やることリスト』がいっぱい残ってるじゃないか」
「そうだね。あたしも紫水さんとやりたいこと、沢山あるよ!」
行ってみたい場所がある。一緒に食べたいものがある。
何か綺麗なものや素敵なものを見て、あったかい飲み物を飲みながら感想を言うのも、きっと楽しい。
まだ見たことのない景色も、これからふたりで見つけたいものも、重ねたい思い出も、数えはじめればきりがない。
死ねない理由を問われれば、今までだったら、きっと大好きなお母さんや友達のところへ帰るためと答えていただろう。
それは、いまも変わらない大切な理由だ。
(でも、今は……)
エアリィは紫水の横顔を見つめる。
何でもない会話を交わして、笑い合って、ときには困難へ手を取り合って立ち向かう。
そんな何気ない日常を、この先も大切な人たちと過ごしていきたい。
「でもね。今のあたしには、もうひとつ大切な理由があるんだ」
エアリィは紫水を真っ直ぐに見つめ、胸の内にある願いを言葉にする。
「紫水さんと、ずっと一緒にいたいから、こんなところでは死ねないんだっ! 紫水さんを守りたい。そして、一緒に生きたいからっ!」
エアリィの言葉に頷いた紫水は、二振りの剣を抜き放つ。
それから隣に立つエアリィへ、穏やかに問いかけた。
「うん。私も楽しみにしているよ、エアリィ嬢。『やることリスト』が残っているのに、死んでもらっては困る。何があっても守るよ——だから、一緒に戦ってくれる?」
「もちろんっ!」
エアリィが迷いなく頷いたのを確認してから、紫水は傷ついた身体で立ち続けるリンゼイへと視線を向ける。
「リンゼイ嬢も、少しは安心してくれたかな。君の力を貸してほしい」
「ですが、私の能力は……」
「こんなところで死ねないのは、君も一緒だろう?」
その問いに、リンゼイは一瞬だけ息を呑み、やがて静かに頷いた。
「……はい。私も、まだ死ぬわけにはいきません」
「なら、決まりだね」
紫水は二振りの剣を構え、名張の前へ躍り出る。振り下ろされた太刀を宝剣で受け流し、退魔刀の一撃で体勢を崩した。
「エアリィ嬢、今だ!」
「任せてっ!」
精霊銃の弾丸が名張の足元を穿つ。
エアリィは風を蹴って空へ舞い、鋭い蹴りを叩き込むと、着地と同時に精霊剣を閃かせた。ふたりの連撃に重ねるように、リンゼイも残された力を解き放つ。
まだ叶えていない予定がある。迎えていない未来がある。
明日も、その先も、隣で笑っていたい人と生きていきたいから――未来を守るために、戦うのだ。
●
「お久しぶりです、リンゼイさん! ご無事ですねっ!」
「あなたは、たしか宝石の……」
「覚えてくださってて嬉しいです! でも、再会を喜んでいる場合ではなさそうです」
名張の姿を見ながら呟くアリス・アイオライト(菫青石の魔法宝石使い・h02511)の言葉に、リンゼイは小さく頷く。
「リンゼイさん、私は以前、魔法宝石が生きる理由だとお話ししましたね」
「ええ、覚えています。良い、理由だなと思いましたから」
「それは、今も変わってはいません。私はこの力を、人のために役立てたい——でも、今はそれよりもっと、強い理由があるんです」
魔法宝石『ダイヤモンド』の欠片をリンゼイに見せるように、夏空に翳した後に砕く。
手の裡で砕けたダイヤモンドが、さらさらと陽光に燦めきながら散ってゆく。
「私には……会わなくちゃいけない人がいて、今は簒奪者なんですけど、だから倒さなければいけないんですけど……」
アリスは一度、言葉を切る。
そして、己の裡に咲く|感情《はな》の名を告げた。
「……でも、それでも、私の好きな人なんです」
「好きな人……」
「ふふ、やっぱり人に言うと照れますね」
アリスの頬が僅かに色づくのは、なにも夏の熱気のせいだけではない。
それでも、もう失わない。胸に抱いた想いごと、未来へ連れてゆく。
「ダイヤモンドよ、冬の花で地を満たし、あまねくものを白く染め上げ給え」
アリスの詠唱とともに真夏の日射しを切り裂いて、|雪華《ダイヤモンドスノウ》が舞い上がる。
陽光を受けた雪片は眩く煌めき、戦場を白く染め上げる。
「——リンゼイさんも、会いたい人はいませんか?」
「それ、は……! いえ、居ます、けど、私が勝手にそう思っているだけで……赦されるかは、また別の話というか」
「誰がなんと言おうと、あなたの心はあなたのものです。心の裡に咲いた花を大切にしてくださいね」
ふたりを見守るように、祈りの雪華は|水宝石《アクアマリン》の夏空で舞う。
別離の日を白く塗りつぶすように咲いた六花が、いつの日か新たな物語を綴る白紙の頁となりますように。
●
「はーい、無事ですかリンゼイさん! この前ぶりですねー!」
戦場を割るような明るい声にリンゼイが顔を上げる。
その視線の先から、斎川・維月(幸せなのが義務なんです・h00529)が大きく手を振りながら駆けてきた。
「あなたは……」
「はいはいはーい、可愛いイツキちゃんでーすよー。覚えてました? 覚えてましたよね?」
「ええ、それは……ですが、何故ここに」
「何しに来たって、助けに来たんですよ」
何を当たり前のことを、とでも言いたげに維月は胸を張る。
「散々、友達呼ばわりしたでしょう?」
「……されました、でしょうか」
「しました! 覚えてないかもしれませんが、覚えてなくてもゴリ押します」
ゴリ押し。その言葉に呆気に取られたようにリンゼイは目をぱちくりと瞬かせた。
動揺する彼女を余所に、維月はますます得意げに笑う。
「友達は、助けるものですから!」
「ですが、私の傍にいては……」
リンゼイが一歩退く。
自らの力が、維月までも死へ誘うのではないか——斯様な恐れを察した維月は、軽く手を振った。
「死にませんーよ、ボクは」
「しかし……」
「それは、リンゼイさんが今、必死に抵抗していたのと、大体同じような理由です」
|笑顔《仮面》の裏に|真実《本音》を隠して、維月はからりと言ってみせた。
死なない。否、死んではならない。だから、幸福という仮面を貼り付けて、維月は笑う。
「……あと、それにね? 死んだら、リンゼイさんを助けられませんし。もっと仲良くなることもできません」
「私と、仲良く……?」
「はい。それも、とーっても困ります。ということで、いいでしょ?」
問いかけながらも、断られることなど少しも考えていないらしい。
維月はにへらと笑い、リンゼイとの距離をひょいと詰めた。
「……随分と、強引なのですね」
「友達になるには、勢いも大事ですからねー」
リンゼイの口元が、ほんの僅かに緩む。
それを了承と受け取ったのか、維月は満足げに頷いた。
「じゃあ友達記念ってことで、リンゼイさん。ボク、アイツを倒したいので――『手伝って』くださいな」
くるりと名張へ向き直った瞬間、維月の顔が消える。
そのまま駆け出す彼女を援護するように、リンゼイも能力を放った。
●
「あなたは……」
「『なんでここに居るんだ』とか、『無差別無くなってよかったね』とか色々言いたいことはあるけど、改造人間の元お兄さんが助けに来たよ!」
リンゼイの傍らへ滑り込んだ祭囃子・桜(百妖を宿し者・h01166)の声が、残酷なほどに晴れた夏空の下に響き渡った。
桜は禍々しい黒い太陽を背負う名張を見据えると、声を張り上げた。
「さあ、さあ、禍津日神何するものぞ! ようやく日の下を大手を振って歩けるようになった子を日陰に引きずり戻そうとするなど言語道断!」
神をも恐れぬ啖呵を切る桜の声は、高らかに戦場の空気を震わせた。
「他人の能力を取り込まなきゃならないほど零落した神なんぞ、怖くも何ともないね! いっそ俺が妖怪として取り込んでくれるわ!」
「妖怪として……?」
「神も妖怪も、語られ続ければ怪談だ。なら、物語の流れには逆らえない」
億の死に方があろうとも、元の身体を取り戻すまでは死んでも死にきれない。そんな桜に、神を恐れる理由などない。
黒い太陽が勢いを増す。だが、桜は怯むどころか、不敵な笑みを深めた。
――そこで、桜はふと名張の頭を眺めた。
「……ところでワンチャン、アイツの頭に塩盛ったら、正気取り戻したりしない?」
「塩、ですか。先輩に食事にかけるとよいと頂いたこだわりの岩塩ならありますが……」
「少し分けてもらえる?」
リンゼイから袋を受け取った桜は、「ちょっと拝借」とその中身を掌に盛る。
そして、おもむろに大きく振りかぶった。
「そーっれ!」
夏空へ放たれた岩塩が陽光を受け、きらきらと白く煌めいた。
名張の頭上へ降り注ぐ岩塩に、リンゼイは思わず目を瞬かせる。
「……効くのでしょうか」
「効けば儲けもの! 効かなかったら、力尽くで祓うまでさ!」
怒りと殺気が膨れ上がり、名張の注意がリンゼイから桜へと移った。
どうやら正気へ戻るより先に、盛大に怒らせることには成功したらしい。
「よし、リンゼイ! 向こうが乗ってきたよ!」
「それは、成功と呼んでよいのでしょうか……?」
「結果よければ全部成功! 細かいことは、生きて帰ってから考えよう!」
迫る刃を躱しながら、桜は口元に余裕の笑みを浮かべた。
神であろうと、物語の流れから逃れることはできない。後は、想いの侭に物語を綴るだけだ。
●
——人生とは、ままならぬ筋書きを与えられた群像劇である。
誰もが自らの|役柄《人生》を演じ、時に望まぬ場面へ立たされる。
逃げ場のない暗幕の中で、甘い死神だけが救いの手を差し伸べる――そんな筋書きを、四之宮・榴(虚ろな繭〈|Frei Kokon《ファリィ ココーン》〉・h01965)はよく知っていた。
「……僕を、僕の心と……向き合った、かつての好敵手。貴女様の助太刀、です」
負傷した身体を引きずりながら名張・楓に抗うリンゼイへ、榴は静かに告げた。
「あなたが……私を?」
「……貴女様が、断っても……嫌がっても。今回は、絶対に退きません」
かつて榴もまた、リンゼイの能力によって死へ誘われた。
元より心に巣食っていた希死念慮へ甘く囁きかけられ、その手を取ってしまいそうになったこともある。
だからこそ、榴は理解していた。
その能力が、どれほど容易く心の傷へ入り込み、本人すら望まぬ結末へ連れ去るものなのか。
「ですが……私の傍にいれば、あなたも再び――」
「……大丈夫、です」
榴は静かに己の胸元へ手を添えた。
そこには今も、死が親切な隣人の顔をして寄り添っている。
けれど、もう榴はその手を取らない――だって。
「……今の僕には、生きる理由が……ありますから」
榴の手のひらにとく、とく、と一定のリズムを刻む鼓動が伝わる。
今も生きている。逃げ場のない暗幕の中で、四之宮・榴を演じ続けている。されど、今はもうそれを苦しみだなんて思わない。
だって、榴の昏冥へ踏み込み、怒り、叱り、伸ばした手を決して離さなかった人がいる。
榴を信じ、傍にいたいと願い、共に歩くことを選んでくれた半身がいる。
「……言った、でしょう?」
榴の脳裡に、きらめく聖夜のイルミネーションが蘇る。
何度も想いを告げてくれた彼の気持ちに応えたあの夜は、ふたりの関係性だけではなく自分の在り方も変えた。
「……恋する乙女は……強いん、ですよ? って」
そうして、榴は視線を傍らへと向けた。其処には、和田・辰巳(ただの人間・h02649)の姿があった。
「……|約束《・・》したから、簡単には死なせないよ」
「……辰巳」
暗幕に閉ざされた榴の世界へ差し込んだ|辰巳《ひかり》。
辰巳は一度だけ目を伏せ、言葉を選ぶようにしてから、リンゼイを真っ直ぐに見据えた。
「僕は『ただの人間』だ」
間違う。迷う。毒を吐き、傷つき、時には立ち止まる。
辰巳ができることなら、他の誰かにもできるのだろう。もっと器用に、もっと上手く誰かを助けられる人だっている。
「だけど、僕が榴を助けたいと思った。誰よりも強く、榴へ手を伸ばした。傍に居たいと願った――だから、榴の隣にいる!」
自分よりも強い人も、自分より器用な人も、いくらでも居る——悔しいけれど、其れが現実なのだ。
でも、榴への思いだけはこの世界にいる誰よりも強い自負がある。
いくら自分よりも強い人がいても、|彼女のため《・・・・・》に強くなれるのは、この世界でたった一人――|自分《辰巳》だけだ。
「何度でも戦うよ。榴が誇りに思う、恰好良い男でいられるように。それが僕の、生きる理由であり戦う理由だ」
そうして辰巳は榴へ歩み寄り、その細い指へ己の指を絡めた。
榴もまた、握られた指に力を籠めた。
「……生を謳歌するためだけに、選んだ訳では……ありません。唯、傍に居たいと僕を欲して……僕の隣を選んでくれた、のです」
辰巳という光があったから、榴は己の暗闇と向き合えた。
だから今度は、その光をリンゼイにも見せたかった。
「……僕の頼りになる|半身《あいかた》を……視て、感じて欲しい、のです」
リンゼイは寄り添うふたりを見つめ、僅かに瞳を揺らす。
「ですが……私の力が、あなた達の心を再び死へ誘うかもしれません」
「貴女が僕達を信じられなくても構わない――それでも、僕達は貴女達を守るために戦うよ」
「……今の僕が護りたいのは、辰巳と……貴女様。勿論、無辜の民も……護りたい、です」
榴は辰巳へ視線を向けた。言葉はなくとも、辰巳にはその意図が伝わったのだろう。繋いでいた手が、静かに解かれる。
榴はリンゼイへ歩み寄り、今度は彼女へ手を差し伸べた。
「……だから、今だけは……信じてください。貴女様を、貴女様足り得る形へ……戻すために」
差し伸べられた手を見つめ、リンゼイは一度だけ目を伏せる。
やがて迷いを振り払うように顔を上げ、その手を取った。
「……分かりました。あなた達を信じます」
「……良い、お返事です」
その瞬間、黒き太陽が激しく脈打った。
名張の太刀が禍々しい光を纏い、リンゼイと榴へ振り下ろされる。
「榴!」
「……はい!」
辰巳が榴の手を引き、その身体を抱き寄せる。それと同時に、名張の太刀が先程まで二人のいた場所で空を切った。
リンゼイも咄嗟に榴の手を離して後退し、刃を逃れる。
結果として、三人は名張を挟撃する位置へ分かれた。辰巳たちとリンゼイは、名張越しに視線を交わして頷き合う。
「……いきましょう」
「はい!」
信じ、信じられた半身と共に紡ぐ物語はこれからも続いてゆく。
かけがえのない|未来《あす》を繋ぐため、榴たちは戦う。
強く照りつける夏の日差しに、海面が眩く煌めいていた。
●
目を灼く程に強い真夏の陽光が、海浜公園へ降り注いでいた。
白く眩しい砂浜。潮騒。遠くで弾ける波飛沫。真夏の日射しを反射して燦めく海面。
「わァ、すごく夏を感じる海浜公園だなぁ」
緇・カナト(hellhound・h02325)は眩い陽光に目を窄める。その視線の先には、肩で息をするリンゼイの姿があった。
「おねーさん、久しぶり! 冬ぶり! 牛くんとわんちゃんだよ」
「お久しぶり~な、マイペース牛君と塩わんちゃんだよ」
野分・時雨(初嵐・h00536)が言葉を紡げば、ほぼ同時にカナトも同じような自己紹介をした。
見事なシンクロナイズド発言。けれど、僅かに重なった声はどうにも不協和音を奏でていた。時雨は金色の瞳をすっと窄め、不満げに口を尖らせる。
「ちょっと、ぼくが先に言ったんですけど」
「言い終わったのはオレの方が早かったんだけど~」
「先にやったもん勝ちって言葉、知らないんですか」
妙に心地良いテンポで言い争いを始めるふたり。
リンゼイは目をぱちくりと瞬かせながら、その応酬を眺めていた。
「えっ……あれ? ふたりとも、仲間割れ……? 喧嘩? 自死じゃなくて……」
いつかとよく似た言葉の応酬に、いつかと同じ困惑が浮かぶ。その声に、カナトと言い合っていた時雨がふとリンゼイへ視線を向けた。
「……お顔を見たら、なんか嫌なことを思い出してきました!」
皮肉なほどに晴れきった夏空には、霖雨を齎す雲影ひとつない。
それでも、リンゼイの容貌は其処に在るだけで、いつかの雨景色を想い起こさせた。
「まあ、おねーさんは悪くないのかもしれませんけど」
「その節は……申し訳ありませんでした」
「謝罪は今度ゆっくり聞こうかァ。共闘した方が良いなら、お手伝いしよっか?」
軽い調子のふたりに、リンゼイは僅かに言葉を詰まらせながら訊ね返す。
ふたりが如何に強いかは、この身を以て知っている。希死念慮を振り切った姿も、多少乱暴ではあったが、この目で見た。
――だけれど。
「ですが……私を信じて戦えるのですか?」
「わかるわかる。安心して背中を預けられる相手か如何かなんて、一目見たくらいじゃ分かりっこないし~。疑う気持ちも分かるよ。でもまぁ、少なくとも今は死ぬつもりはないしねェ。それだけは信じてほしいかなァ」
そうして、カナトは時雨へ視線を向け、唐突に言葉を打ち込む。
「ま、そこの嘗ての悪童クンも、皮肉冗句と斜に構えながら、急にギャン泣きしたりするからねぇ」
「ちょっと! あれは不可抗力なんですけど!」
「程々強いだろうに、自信なさすぎ」
「わんちゃんにだけは言われたくないですね!」
死ねない理由があるというのなら、帰りたい場所があって、日常を続けたいからだ。
逢っておきたい人もいる。見届けたいものもある。
やらなければいけないことも、遣り残したこともある。
「其れは誰でもない自分自身が遂げて、納得できる迄は己を手放す気もない――まぁ、エゴイズムって大事だよねぇ。生きていく上では」
君もそう思うだろうと問わんばかりにカナトが視線を向ければ、時雨も当然とばかりに頷いた。
時雨はそこで口プロレスを切り上げ、リンゼイへと向き直る。
「まー、おひとりで頑張っている理由も、他人を頼れない気持ちも、分からなくはないかもですが。ぼくは超素敵な善意の塊みたいなご主人さまがいる限り、生きていく予定ではあります。ただ生きていくだけでは、孤独ですからね」
「孤独……」
「まぁ、ぼくもバッド入っちゃうことありますし。このひとに迷惑かけまくりですけど、見捨てないで居てくれてるので――頼る先があるのは良いですよ。おねーさんにも、そんな人いません?」
「私には……」
リンゼイの瞳が微かに揺れる。
誰かの手を取れば、また傷つけてしまうかもしれない。そうして遠ざけているうちに、いつしか頼り方さえ分からなくなった。
思い悩むリンゼイを余所に、時雨は明星を担ぎ直し、金眸を細めて笑った。
「居なくとも、今はご一緒させていただきますが!! ぼくたちは、あなたを助けに来たんですから!」
時雨は明星を誇らしげに掲げてみせる。
「夏はメンタル元気なぼく! ボコボコにする用意は万端ですとも! さあ、今から一緒に殴りにいきましょう!」
「三人寄れば何とやら~。数の暴力は心強いよねェ」
「わんちゃん、ぼくも数に入ってます?」
「一応は」
「素直じゃないなあ!」
時雨の抗議をさらりと聞き流し、カナトはリンゼイへ声をかけた。
「さァ、この戦いが終わったら、一緒にご飯でもどう?」
「わー、わんちゃん。その発言は死亡フラグ~。まぁ、もし成立したら弔いは任せてよ! ほら――塩ラーメン!」
「もしかして、アーメンって言おうとしたのですか?」
リンゼイの言葉に、時雨はゆるく笑い、それでも少しだけ誇らしげに胸を張った。
「そうです。でも、ラーメンの方が語感が良いし、美味しそうなので!」
「弔いの言葉を食べようとしないでくれる? 駄牛くん。チャーシューにしてスープへ沈めてあげようか?」
「わー、こんなかわいい子に乱暴しようだなんて、わんちゃんひどーい! あっちに塩対応わんちゃんにぴったりな|場所《海》があるから、浸かってきたら良いと思いまーす!」
「その前に、あの太刀使いくんを沈めようかァ」
カナトは腕を獣爪へと変え、名張へ肉薄する。
――さて、生きて帰った後の塩ラーメンは、三人前だ。
●
灼けつくような真夏の陽射しが、海浜公園へ降り注いでいた。
白砂を浚う波は硝子片のような煌めきを散らし、潮風が青々とした海の匂いを運んでくる。
されど、晴れ渡る蒼穹に似付かわぬ禍津日が、その眩い夏景色へ夜よりも昏い翳を落としていた。
「りんぜい殿」
己の名を呼ぶ低い声に、リンゼイが振り返る。
其処に立っていたのは、腰に妖刀を佩いた鬼臨坂・弦正(金輪際・h07880)だった。
「あなたは……」
「嘗て秋葉原で戦った折、貴女が齎した死の災厄。忘れてはおらぬ」
リンゼイの表情が強張る。
責められると思ったのだろう。あるいは、今もなお死の衝動に苛まれているのではないかと案じたのかもしれない。
「申し訳、ありません。あの時の私は――」
「詫びを求めている訳ではない」
言葉を遮る弦正の声は静かなものだった。
責める響きも、恨みの色もない。ただ、揺るぎない事実を告げるような声音であった。
「貴女が訪れるより以前から、俺は死なねばならぬと誓っている」
リンゼイは驚いたように僅かに目を見開いた。
己の能力は|他人《ひと》の希死念慮を呼び起こすものだ。
死にたい――そう願う声ならば、耳にこびり付いて離れぬほど幾度となく聞いてきた。
されど、死なねばならない――斯様な義務感を伴う言葉は、これまで己の前に提示されてきた死への願望とは、真逆のもののように聞こえた。
弦正もまたリンゼイの戸惑いに気付いたのだろう。
遙か過去を辿るように、静かに双眸を閉じた。
「――この血を絶やさねば、贖い切れぬ罪が有る故に」
衝動によって呼び起こされる迄もなく、罪の記憶は脳裡にこびり付き、決して離れない。
鬼神の器たらんと求められ、一族の命じるまま、妖刀の囁くまま、無辜の血を流し続けた。
斯様な愚かな記憶は、如何なる時も弦正の傍に在る。
「それでもまだ生きているのは、死ぬべき場所は此処ではないから」
「死ぬべき場所は此処では、ない……」
リンゼイが、その言葉を噛み締めるように繰り返す。
弦正は瞼を開き、遠く霞む水平線へ一度だけ目を向けた。
「今は遠き故郷への帰路を見付け出し、帰郷を果たして――この妖刀を在るべき場所へ封じる事。それも又、俺に課された責任であり使命」
故郷への帰路は未だ定かではないが、妖刀を封じるべき場所を見失う訳にはいかなかった。
「俺は死なねばならないが、使命を|御座形《おざなり》にして死に逃げる訳には参らぬ」
死なねばならない。
されど今は、死んではならない。
その為ならば自死の衝動に幾度晒されようとも、何度でも抗ってみせる。
「我が人生に懸けてな」
弦正はリンゼイへ視線を戻す。
傷ついた彼女の身体は今にも崩れ落ちそうに見えた。
「りんぜい殿、其方は如何だ――まだ立てるか」
リンゼイは僅かに目を伏せた。
それでも、弦正の覚悟を聞き届けると、震える脚へもう一度力を込める。
「……はい、まだ、立てます」
帰るべき場所は違う。
明日には、再び刃を交える敵となるかもしれない。
それでも今、立ち向かうべきものは同じだった。
「なればこの一時、この剣、貴女と共に在らん」
斯くして、弦正は妖刀の柄へ手を掛ける。
そして、名張の姿を冷静に見据えた。
眼前の男に、嘗ての己が重なる――決して忘れ得ぬ、唾棄すべき過去の幻影。
「ならば、虚ろな傀儡の刃に、我が剣が劣る由は無い」
一瞬、潮騒が遠のいた。
世界から音が失われたかのような静寂の中、弦正は柄を握る指へ静かに力を籠める。
――次の刹那、その姿は既に名張の懐へと肉薄していた。
音無きまま鞘を走った白刃が、名張を斬り払う一閃を描いた。
●
透羽・花羅(天翔ける唐紅・h00280)にとって、太陽はいつだって心を照らしてくれる存在だった。
春の柔らかな陽射しは、新しい出逢いへ踏み出す勇気をくれる。
夏の眩しい太陽は元気をくれるし、秋の穏やかな夕陽は実りゆく日々の尊さを教えてくれる。
冬の淡い陽光だって、凍えた指先と心をそっと温めてくれるのだ。
朝陽は今日という一日の始まりを告げ、真昼の陽は前へ進む力をくれる。
茜色の夕陽は帰るべき場所を示し、たとえ夜の闇に姿を隠しても、朝になれば必ずまた昇る。
だから花羅は、太陽が好きだった。
「あれは、本当に、太陽なのかな……同じ太陽でも、すごく冷たい感じ。怖い……」
黒い太陽を見据え、花羅は胸の前で両手を重ね、縋るように指先へ力を籠める。
「でも放っておけない――私は、太陽の神様の力を継ぐ者だもん!」
そうして花羅は、肩で息をするリンゼイのもとへ歩み寄った。
「リンゼイおねーさん、だっけ。私は透羽・花羅! その、今だけなのかもしれないけど……よろしくね!」
明るく名乗る花羅に、リンゼイは僅かに身を引いた。
「ですが、この戦いは危険です。私の力を奪われれば、あなたまで――」
「大丈夫! 私も戦うよ!」
怖くないわけではない。
それでも花羅は、怯む心を押し込めるように、重ねた両手へ更に力を籠めた。
「だって……おねーさんの力を奪われたら、ここにいる人たちだけじゃない。たくさんの人の命が奪われてしまうんだよね?」
「……はい」
「だったら、なおさら放っておけないよ!」
花羅の傍らへ、二羽の白烏が舞い降りる。
白日と夕日。太陽神の使いである彼らは、花羅にとってはかけがえのない家族だ。
「私の双子烏はね、太陽の神様の使いなの」
早速花羅の髪の毛を摘まんで悪戯しようとする双子烏を、慣れた様子でいなしながら、花羅は亡き兄の言葉を思い出す。
太陽は、誰かを灼き滅ぼすためにあるのではない。
遍く人々を照らし、希望を与えるためにあるのだと。
「亡くなったお兄ちゃんはずっとね、そう言ってたんだ――だから、この人と戦うよ!」
言い告げる花羅の姿はまるで太陽のように明るく、一点の曇りもないように見えた。
眩しささえ感じさせるその姿に、リンゼイは双眸を窄めて少し思案した後に頷く。
そんなリンゼイの姿を見た花羅も眩しいくらいの笑顔を浮かべて、白日を呼び、その力を纏う。
「刀なんて振るう暇もなく、蹴っ飛ばしちゃうよ!」
白日の霊力を纏った花羅が地を蹴り、名張の太刀が抜かれるよりも早く、その身体へ蹴撃を叩き込む。
蹴撃が名張を捉えた、その刹那――黒き太陽の力が白日と夕日へ伸びてゆく。
二羽はそろりと花羅へ嘴を向けた。
「白日、夕日……!」
名を呼べど、その声は双子烏の心へ響かない。大切な家族の異変に、花羅の表情へ初めて翳が落ちる。
だが、其処で諦めるという選択肢など、最初から持ち合わせてはいなかった。
(もう少し、もう少しだけでもいいから――神様。私に戦える力を、ください!)
花羅の心の叫びに応じるように、裡に潜んでいた太陽の神子としての力が目覚める。
清らかで暖かな太陽の力が、花羅を包み込んだ。
「大丈夫。絶対に戻してあげる!」
花羅が霊力を薙ぎ払えば、清らかな破魔の力が波となって双子烏を包み、纏わりついていた禍々しい力を打ち消してゆく。
二羽を覆っていた禍々しい気配が消え去り、白日と夕日は花羅の肩へ身を寄せた。
「二人だって、私が守るべき存在なんだから! ううん、二人だけじゃない、みんな、私が守ってみせるんだから!」
いつだって心を照らしてくれるあの太陽のように、今度は花羅が誰かの心を照らせるように。
●
雲ひとつない晴天を、水藍・徨(夢現の境界・h01327)は眩しそうに金色の双眸を窄めて眺めていた。
夏の盛りを迎えた青空も、勢いを増してゆく陽射しも、本来ならば清々しさを感じさせるはずなのに、徨の心には翳りが落ちている。
(――なんだろう、この心地は)
徨は古びた自由帳を抱きかかえる腕に力を籠めた。
どうにも胸の奥が落ち着かない。妙に気まずくて、視線の置き場にも困る。
「…………」
徨の存在に気付いているのか、リンゼイもまた気まずそうな表情を浮かべ、無言でいた。
以前に相対したとき、ふたりは敵同士だった。
どうにも|変な心地《気まずい》。
けれど、やることは変わらない。
自分を落ち着けるようにひとつ深く息を吸ってから、口を開いた。
「あなたの力をこの人に渡したら、もっと沢山の人の命が危なくなります――だから、僕は……今は、あなたの味方です」
「今は……」
リンゼイが、徨の言葉を確かめるように繰り返す。
徨は小さく頷きながら、言葉を続ける。
「はい。少なくとも、この戦いが終わるまでは」
その言葉は、己自身へ言い聞かせているようでもあった。
やることは変わらない。迷う余地もない。それなのに、何故か指先が震えている。
それでも、徨は|Φαντασία《ファンタシア》を手に執り、空へと一本の線を描いた。
「始まりは1本の線、進め歩け──ひとつの物語を紡いで……」
|想像の創造《ディミウルグ》より始原の線を伸ばして、リンゼイへと繋ぐ。
「これは……」
「僕の力です……これで、多少は動きやすくはなるかと」
「……ありがとうございます」
言葉のやりとりはどこかぎこちない。
それでもリンゼイは、徨が自らを支えようとしている意思を酌み取っているらしい。青い瞳には、徨を信頼しようとする色が僅かに滲み始めていた。
なのに、徨の心は一向に晴れない。
(……でも、やっぱり、リンゼイは倒さないといけないんじゃ)
次の手を考えながらも、斯様な疑念が脳裡を過る。
手の震えは、止まらない。
(僕は、生きていていいのか? 存在価値があるのだろうか? ――守るべきものなんて、自分から壊してしまうのでは?)
思考が堂々巡りを繰り返す。
巡り、廻って、裡から破壊衝動が湧き上がる。
壊してしまう前に、目の前の敵を壊せばいいのに――。
(僕は……なんで迷ってるの? 早く倒さないといけないのに!)
そのとき、不意に思考の流れが緩やかになった。
「……ぁ。キア……?」
琥珀色をした水のような精霊が、蒼の文字盤を抱え、心配そうな瞳で徨を見ていた。
その姿を目にしただけで、時空精霊の|κυανός《キアノス》が何をしたのか、徨には分かった。
「僕の意識が流れる時間を緩やかにしてくれたの?」
そう問えば、|κυανός《キアノス》はこくりと頷いた。
その様子に、深く沈み込んでいた徨の思考が、ようやく浮上する。
「今、大事なのは、リンゼイと協力、すること…………そう、だね。ありがとう、キア」
徨は|κυανός《キアノス》に礼を告げてから、|Φαντασία《ファンタシア》を握る手に力を籠めた。
「……僕には、思い描く物語があります」
徨は静かに言葉を紡ぐ。
迷いに伏せられていた双眸を上げ、名張を真っ直ぐに見据えながら、はっきりと想いを言葉にした。
リンゼイもまた、名張を警戒しながら徨の言葉へ耳を傾けていた。
「その物語の主人公のように――どんな困難にも堂々と立ち向かえる強さを、そして理想の世界を、ずっと、創っています」
古びた自由帳を抱える片腕へ力が籠もる。
これは、どうにもならない現実の中でも徨が紡いできた、物語の結晶だ。決して離さぬと、今も大切に腕へ抱き続けている。
徨の心には、いつも空白と迷いがある。
生きていていいのか――斯様な疑念も、未だ常に付き纏っている。
それでも、徨は今、死ぬわけにはいかない。
その理由は、考え込む必要もないほどに、至って単純なものなのかもしれなかった。
「そして、この物語は、未完成です――だから、僕は、このまま終わりたくはない!」
徨が語るのは理想――|_ἐλπίς《エルピス》の物語。
現実を塗りつぶすように喚び出すのは、徨がずっと描いてきた名もなき主人公だ。
「僕の物語は、誰にも壊させない」
静かに告げると徨は|Φαντασία《ファンタシア》を名張へと向けて、|_Διχοστασία《ディコスタスィア》を放つ。
主人公に伸びる黒い太陽の力を、|Φαντασία《ファンタシア》から放たれた洋墨が掻き乱した。
「――あなたの物語を、僕は認めません」
そんな現実は、この筆で塗りつぶさせてもらう。
●
――また、|お姉ちゃん《あなた》が居ない夏がきた。
時計の針が廻る度、カレンダーの頁を捲る度、心が悲鳴を上げるように軋む。
「秋葉原でのことは、忘れていないの」
兎沢・深琴(星華夢想・h00008)が静かに告げると、リンゼイはすぐに申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「申し訳、ありません……」
「違う。責めているわけでも、貴女に謝ってほしいわけでもないの――だって、あの時思ったことは、ずっと私の中にあったことだもの」
死んだ方が楽になれるのでは――斯様な|希死念慮《自罰思考》は、元より深琴の中に巣喰っていたものだ。
己の不用意な思いつきが、本来在ったはずの家族の幸せを狂わせ、未来を壊した――深琴は今も、そうとしか思えずにいる。
誰にも言えぬまま抱え続けた罪は、吐き出すあてもなく己の中に澱み、胸の裡を圧迫し続けていた。
「でも、本当は分かっているの――死は償いではなく、新しい喪失を生むだけなのよ」
「新しい、喪失……」
「私が死んだら、両親も姪も悲しませてしまう――何より、姉の想いを裏切ることになってしまうの」
大好きな姉が、遺された人々の苦しみを望むような人ではないことを、深琴はよく知っていた。
知っていたからこそ、いつまでも姉の死に囚われ続ける己を、余計に許せなくなったこともある。
優しさも、温かさも、受け取る度に深琴の裡で罪悪感へと形を変え、その心を絶望という深海へ沈めてゆく。
(お姉ちゃんは絶対、そんなことを望まないのにね)
誰にでも優しく、聡明で、気高い姉――だからこそ深琴は憧れ、彼女のようになりたいと願った。
それなのに、自罰思考を止められない自分は、|憧れ《姉》から遠ざかってゆくように思えてならない。
きっとこれからも、その罪悪感は深琴の裡に澱み続けるのだろう。
けれど、死にたいと願うほどの罪悪感は、同時に、深琴を死なせない理由にもなっていた。
「でも、死んでも誰も救えないし、自分も救われない。ならば、救えないままで居たくはない。遺されたものは、未だ在るのだから――だから、私は死なない」
己のしていることに意味があるのかは分からない。
もしかしたら、偽善や自己満足に過ぎないのかもしれない。
己が少しでも楽になりたいから、守ろうとしているだけなのだとしても――。
「あの子が笑ってくれて、幸せでいてくれる――そんな未来を紡げれば、それでいいの」
「強いの、ですね」
「強くなんかないわ。私は呆れるくらいに弱い人間よ。それでも、私を信じて傍にいてくれる子がいるの」
吐き出すように告げてから、深琴はそっと視線を落とす。
その先で、護霊である星の金色の瞳と目が合った。
満月を思わせるその瞳は、いつだって真っ直ぐに深琴を見つめている。深琴を慕い、寄り添ってくれる星――その信頼を裏切りたくはない。
(生きることは、大好きなお姉ちゃんと、大切な星の想いを継ぐことにもなるのよね)
ゆえに、挫けて、転んで、心が沈んだとしても。
「だから最後には、もう一度立ち上がって歩き出せる。迷いながらでも、進んでいけるの」
僕の赤薔薇は凄いでしょ――そう言わんばかりに、星は金眸を細め、機嫌良さそうにゆるりと尻尾を振った。
そして名張の許へ駆けてゆく星の背を援護するように、深琴は気高き鮮紅の薔薇花片を放つ。
「自分のことを責めてもいい。許せなくてもいい。自分を信じられない気持ちを抱えたままでもいい――それでも、あなたは此処で死んではいけないの」
己を許せぬままでも、未来へ手を伸ばすことはできる――深琴は、そう信じようとしていた。
「未来を紡ぎ、護る――そのために、私は此処にいるの」
死ぬことでは償えない。
逃げることでは、何も変えられない。
喩え苦しくとも、生きてゆく――それが、|大切なもの《みらい》を守ることだから。
肌を灼くほどに強い夏陽を受け、玻璃のような海面が燦然と煌めいていた。
