⑪蠱業
●聖母の饗宴
人々の笑い声と足音が幾重にも響き渡っていた巨大な商業施設は今やその面影を残したまま異形の王城へと変貌を遂げていた。
白亜の壁は生物めいた脈動を帯び、磨き上げられた床には紅く粘る竜漿が血管のように迸っている。吹き抜けを満たしていた陽光は紫紺の靄に濁り、硝子の天窓から差し込むひかりはまるで深海へ沈んだ教会に射す最後の祈りのように弱々しい。色鮮やかな店舗の看板は肉塊と鉱石が癒着した奇怪な紋章へと変質し、夏を彩っていた筈の装飾は骨と鱗を編み込んだ悪趣味な花飾りへと姿を変えていた。
生命はなお息衝いている。――ただし、それは人としてではない。
天井を這う翼持つ獣。通路を群れ成して歩む牙ある従者。
噴水跡から湧き上がるのは澄んだ水ではなく、あまく鉄臭い竜漿だった。その一滴一滴が、新たな魔物を産み落とす揺り籠となっている。
その全てを見渡す玉座に、ひとりの淑女が静かに腰掛けていた。
「王劍『ファルの心髄』……わたくしを呼ぶのは、あなたですね?」
魔物達の聖母、ユリア・クラウディウス。
高潔なる冒険者として名を馳せた過去は今や遠き幻。手にしていたものの全てが魔物へと堕ちゆく光景を見届けた末に、彼女は狂気を真理と信じるに至ってしまった。
「わたくしの作る『竜漿血液』は、体に竜漿を持たぬ者さえモンスターへと導きます。当然ながら、この約束の楽園に住まう方々も……」
穏やかな微笑みは慈母のようでありながら、その瞳に宿るのは万人を等しく怪物へ変えんとする救済の彩。
「あなたの主、ドロッサス・タウラスほどの強者であれば……おそらく無敵の|真竜《トゥルードラゴン》へと進化するでしょう」
万物のモンスター化はわたくしの何よりの喜び。謹んでご協力致しましょう――優雅に一礼した女は、窓の外へと視線を向ける。
「そうと決まれば、彼の者の近くに、新たなダンジョンを築きましょう」
その言葉に応えるように、建物そのものが歓喜の地鳴りを響かせた。梁は骨となり、柱は牙となり、壁は肉となって脈打ち始める。人々を迎え入れるための商業施設は、獲物を呑み込む巨大な生物へと生まれ変わっていく。
この地は最早買い物を楽しむ場所ではない。
万物の生命を怪物へと産み直す、悍ましき聖母の揺籠と化していた。
●竜の苗床
「みなさん、おおきな怪我はありませんか?」
戦いは激化の一途を辿っている。森のいろを宿した瞳に不安げないろを乗せながらトゥバ・コルヌコピア(凱風・h09459)はEDENたちを仰ぎ、案ずるな、と頷く幾つかの声に薄く微笑みを返した。
「『ららぽーと福岡』という、おおきな商業施設をご存知の方はいらっしゃいますか? 休日は人々で溢れ、賑わい……皆の憩いの場になっている、たのしい場所です。そのはず、だったんですが……」
今や華やかな賑わいを見せていた筈の商業施設は見る影もない。悪しき力に侵食され、張り巡らされた血の脈動によってららぽーと福岡は魔物の巣窟と成り果ててしまった。
「魔物達の聖母『ユリア・クラウディウス』。嘗ては高名な冒険者だったと言いますが、今の彼女にその面影はありません。全生物をモンスター化させることを掲げ、彼女はららぽーと福岡のすべてを魔物が蔓延る『モンスター城』へと変じさせてしまったんです」
それは脈動する地獄だった。うつくしいタイルが敷き詰められた床面は巨大な生き物の心臓のように規則正しく鼓動し、そのたび黒く裂けた地割れからは熔けた金にも似た血潮がゆっくりと溢れ出す。そらを覆う雲は腐敗した花弁のように幾重にも重なり、稲妻は神経繊維の如く激しく明滅していた。
悲鳴は鈴の音色のように澄み、絶望は静かに降り積もる。
生命と死はそこで抱擁し合い、腐爛は咲き誇る花へと姿を変えた。この世のあらゆる醜悪は皮肉なほど荘厳な美を纏って永遠に脈打ち続けている。
「皆さんにはこの、城型ダンジョンと化してしまったショッピングパーク内部を探索し、蔓延る魔物を掃討しながら……最奥に君臨するユリアを討ち倒して欲しいんです」
容易い任務ではない。王権執行者の器たる彼女との戦いは困難なものとなるだろう。
けれど、それでも。
人為的に真竜を生み出すことなど、決してあってはならないことだから。
「この勝利を得ずしてゾーク12神『星神ドロッサス・タウラス』の無敵化を避けることは出来ません。ですから、……どうか、お願いします」
胸に宿した信はひとつ。
EDENたちの勝利を確かなものにするために、トゥバは祈るように胸に手を当てると己が視た星の軌跡を示すように脈動する魔物の巣窟を仰ぎ示した。
第1章 ボス戦 『魔物達の聖母『ユリア・クラウディウス』』
●御伽の水槽
そこはもはや人が集う商業施設ではなかった。
「……これは、まさにダンジョンですね」
息を呑む神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)の傍らで、シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)も思わず肩を震わせた。
「うわあ……とんでもない事になってますね。完全に√ドラファンのダンジョンのそれです」
肉壁の奥からは幼体の魔物が泡立つように湧き出していく。四肢の本数すら定まらぬそれらは床を這い、飢えた赤子のような甲高い鳴き声を響かせながらふたりへと押し寄せてくる。
「境華さん、ユリアのところまで急ぎましょう!」
「はい、急ぎましょう、シンシアさん」
シンシアの周囲を漂うように、ちいさなクラゲのかたちをしたインビジブルたちがふわりと浮かび出す。透明な身体は瞬く間に弾力を帯びて空中へ階段のように並んだ。見えない指揮に応え、クラゲたちは盾となり、足場となる。
境華は一切の迷いなくその背へ飛び乗る。弾むたび景色が流れ、腐肉の回廊を一息に駆け抜ける。魔物の爪が届く寸前にクラゲは柔らかく沈み込み、その反動でふたりをさらに高く弾き上げた。
「周囲はお任せください」
羅紗に刻まれた御伽が掲げたてのひらの中で開かれる。
「―― 南天を守りし朱の翼よ、浄き火よ。いま一時だけ我と共に歩みを」
浄火は鳥の形を得て紅き翼となる。燃え盛る翼が一閃するたびに通路を塞ぐ幼体は灰すら残さず浄化され、押し寄せる異形も炎の奔流に呑まれて崩れ落ちた。腐敗した肉壁は焼け爛れ、黒煙を上げながら裂け、その先に最奥への道が開かれていく。
たどり着いた果てにて。玉座のように積み重なった肉塊の頂で、ひとりの女が静かに佇んでいた。竜血に濡れた聖杯を抱くその姿は慈母のようでありながら、背後には受肉した異形の竜が翼を広げ、空気そのものを威圧で軋ませている。
彼女こそが魔物達の聖母、ユリア・クラウディウス。
女が手を掲げた瞬間に黙示竜は咆哮し、凶悪な爪が大気を裂いた。外れた一撃だけで床は竜血に赤黒く染まり、小規模なダンジョンが新たに芽吹きはじめていく。
床材は肉へ、柱は骨へ。世界そのものが怪物へ侵食されていく。境華は朱鳥を一斉に放ち、その灼熱の翼で竜の猛攻を受け止める。
「これ以上この場所をダンジョンにされても困りますからね。――参ります!」
シンシアはレイピアを構え、クラゲたちを盾にしながら真正面へ踏み込んでいく。見えざる守護が竜爪を受け流し、その一瞬の隙へ魔力を極限まで圧縮した刺突を叩き込んだ。境華もまた、羅紗銃を掲げると魔術弾を次々と撃ち放つ。青白い光弾は正確に目指す場所を穿ち、シンシアへ迫る異形を撃ち抜いて進路を確保していく。
「誰も彼もを怪物に変えることを、救いとは認められません」
「まあ……それはなぜ? 力を得れば、なにものをも恐れずにすむと云うのに」
境華の憂いを帯びたことのはに、女は『本当に理解できない』とばかりに首を傾げた。
「……それは、あなたの押し付けにしか過ぎないんです!」
叫びと共にシンシアはさらに前へ出る。境華の言葉に合わせて敵を巧みに誘導し、自らは後方へ跳ぶ。――その、刹那。
飛び交う朱鳥たちが一羽、また一羽とひかりへ還り、物語のすべてが境華の羅紗銃へ収束していく。幾千もの炎の軌跡は一発の弾丸へと凝縮され、銃口は太陽を呑み込んだかのような輝きを帯びた。
「シンシアさん!」
「……さあ、お願いします!」
灼熱の奔流が轟音と共に解き放たれる。シンシアの魔力を纏った刺突がその奔流と交差し、一条の光となってユリアを貫く。
朱の炎は竜血を灼きながら呪われた胎動を鈍らせる。
致命傷には至れずとも、聖母は確かにその『異分子』を己が前に立ちはだかった障害であることをみとめ、にい、とあかい唇の端を持ち上げて微笑んだ。
●毒花
天井を走る配管は黒ずんだ血管へと変じ、脈打つたびに濁った竜漿が滴り落ちる。その姿は生命への冒涜そのもの。血脈に侵食された建造物は、巨大な母胎として無数の怪物を産み続けていた。
「すてきな景色ね」
うつくしい竜胆の瞳は腐敗と狂気を映しながらもどこか退屈そうだった。オピウム・ラ・トラヴィアータ(放浪の魅魔・h06159)は宙空を優雅に滑るように舞い、肉塊へと変貌した床へ触れることなくダンジョンの内部を進んでいた。
「でも、わたしの趣味とはちょっと違うかしら」
襲い来る魔物を軽やかに飛び越えながら、オピウムは自らの異界創造『迷宮租界』を解き放つ。血臭に満ちた空間は煤煙と阿片の香りが漂う租界時代の上海へと塗り替えられていく。石畳には妖しげなネオンが滲み、享楽的な音楽が満ち、頽廃と狂乱が美しく溶け合い渦を描く。魅了に射抜かれた魔物達は恍惚と膝を折り、主を変えた操り人形のように牙を元の同胞へ向けていく。
「狂気が芸術的なセンスを目覚めさせることもあるけど、あなたの場合は逆みたいね」
竜血の泉の中央に佇む聖母はその様を咎めるでもなく悠然とした態度で以って足を組み直し、望まぬ来訪者であるオピウムへと柔らかに微笑んだ。
「あら、どうかしら? 貴女の描き出す情景も『けっこう』なようだけれど」
「……まあ、わたしも人のことは言えないけど」
互いの異界がぶつかり合う。脈打つ肉壁と退廃都市が軋みながら侵食し合い、現実そのものが裂け目を上げて悲鳴を上げる。
「迷宮租界へようこそ。歓迎してあげるわ。特別にね」
「迷い込んだのは貴女のほうです。……いらっしゃい、貴女もわたくしの傀儡にして差し上げます」
竜血聖杯から溢れた呪われた竜漿が濁流となって押し寄せる。触れた瓦礫も街灯も魔物へと変貌し、鋼鉄さえ牙を剥いて襲いかかるが、迷宮障壁が城壁となってその悉くを拒んでいく。接触した竜漿は生命力と魔力ごと吸い尽くされ、末路はオピウムの糧と成り果てた。
「呪いなんて今更よ。――ご馳走様」
あまく目を細めたオピウムは狂気の聖母へ歩み寄っていく。ふたつの歪んだ楽園は互いを喰らい合い、世界は毒々しい悪夢の舞台へと少しずつ沈んでいった。
●蠱毒の杯
「(城そのものが生きた魔物と化しているのか)」
まるで巨大な獣の腹腔へ呑み込まれたかのようだった。鬼臨坂・弦正(金輪際・h07880)の黒い瞳が血肉へ侵食された回廊を静かに見渡す。
「……禍々しい。『だんじょん』とは斯くして成るのだな」
何処を歩いているのかさえ分からない有様ではあったが、『王』と云うものは大抵城の最奥に君臨しているものだろうと歩を進めていく。
裂けた床は奈落のように口を開け、肉塊の橋は脈動するたび形を変えていた。
腰より戒めの黒縄を放てば鉤が露出した鉄骨へ噛み付き、弦正は身体を振り子のように躍らせる。血煙を裂いて地割れを飛び越え、更には壁へ深々と突き立てた鉤を足掛かりに崩れた吹き抜けを一息に登攀した。
その行く手を、魔物の幼体が埋め尽くす。ひとの顔を半ば残した胎児じみた怪物が床や壁から果実のように実り、臍帯にも似た血管を引き千切って這い寄って来る。口と呼ぶには余りにも裂けた裂孔から甲高い産声を撒き散らし、群れとなって雪崩れ込むが――全てに構っていては限りが無いか。
「参る」
妖刀『八咫月』が音も無く鞘を滑る。刹那、黒き斬閃は霧雨のように広がって連なる剣閃が回廊を洗い流す。幼体は悲鳴を上げる間もなく断ち切られ、肉片はなお蠢きながら壁へ吸収され、新たな魔物の苗床へ還ってゆく。
「(……この機を逸せば、えでんの人々が斯くの如く成るという訳だな)」
その光景は未来の墓標に等しい。自然、先を急ぐ足も尚早くなる。
やがて――巨大な心臓を象った玉座の頂で、ひとりの女が静かに微笑んでいた。
魔物達の聖母、ユリア・クラウディウス。
「女王は高みの見物か」
「ふふ。……『おもてなし』は足りませんでしたか?」
「戯言を。――なれば、その高みごと斬る」
踏み込んだ刹那、不可視の竜爪が空間を裂いた。
避ければ背後一帯が新たな小規模ダンジョンへ変貌してしまう。
血肉は瞬く間に繁殖し、更なる魔物を産み落とす温床となるだろう。攻撃を受けるよりも、|敵の領域《ダンジョン》を増やされる方が厄介か。それならばと、弦正は敢えて退かぬことを選んだ。
竜爪が肩口から脇腹まで深く裂き、鮮血が宙へ散る。骨を軋ませる激痛すら妖刀が纏う霊障と、己が狂気にも似た精神力で捩じ伏せる。
「……ッ」
裂けた肌膚は玉鋼へ変じ、銀灰色の金属光沢を帯びて瞬く間に傷口を塞いだ。
返す刀、間髪入れずに八咫月が閃く。受けた一撃を三息と置かず返す清霜吹返しが斬り返し――妖刀は竜血を断ち、霊刃がユリアの身を深々と裂く。それと同時、先程刻まれた傷さえも何事も無かったかのように消え去った。
それら全てが、|冒険者《ひと》の成れの果て――。
「嘗て貴女の身を打ち据えた絶望。如何ばかりか、計り知れぬ」
ユリアは慈母のような笑みを崩さない。
その微笑みこそが彼女が壊れてしまったことの証左に違いなかった。
「……如何様にでも。彼らは皆、『幸福』を享受したのです。より強く、より高みへと! 生命あるものの至高へと至った彼らを、わたくしは祝福するのです!」
その瞳に宿る狂信は、枯れ果てた涙すらも届かぬ深淵だった。
「(……最早言葉は通じぬか)」
竜血聖杯から溢れた呪われた血潮が玉座も壁も床も飲み込み、更なる魔物へ変えようと蠢く。
「故にこそ。更なる惨劇を喚ぶ事罷り成らぬ」
「貴方にも。血湧き肉躍る歓喜を差し上げましょう」
弦正は静かに妖刀を構え直す。
「否。――狂おしき大望、此処で斬る」
黒き刃が一条の夜となって奔り、血肉の城へ終焉の一閃を刻み込んだ。
●きみと、ふたり
壁一面を覆う臓腑じみた肉塊は呼吸するたびに湿った熱気を吐き出し、甘く腐った鉄錆の臭いが肺の奥へ纏わりつく。
植物が根を張るように侵食しているのではない。
血だ。
呪われた血が建物という器を苗床にし、人の文明を食い破って自らの肉体へと作り変えている。ショーウィンドウのマネキンは皮膚を得て呻き、エスカレーターは巨大な舌のように蠢いて――閉ざされた店舗のシャッターは不揃いな歯列となって獲物を待ち構えている。まるで巨大な怪物の胃袋へ自ら歩み入ってしまったかのようだった。
「うぅわ、なにこれ」
「悪趣味ね」
常折・悠久(漂白・h13192)は思わず顔を顰め、その隣では常折・菖蒲(白夢・h13202)は僅かに眉根を寄せていた。その間も、うつくしいきんいろの瞳は周囲の異変をひとつたりとも見逃さぬように鋭く周囲へと向けられていた。
肉壁の裂け目から小型の魔物が次々と産声を上げるように這い出してくる。
骨と肉の境界が曖昧な獣が。顎だけが異様に発達した幼体が、手足の代わりに脊椎を鞭のように振るう。それらは床を流れる竜血を啜るたびに肥大化し、甲殻を纏い、鋭利な牙を伸ばしていた。
魔物は殺せど、倒せど、何時までも終わらない。肉壁が胎盤のように震えるたび、新しい命が際限なく産み落とされていく。
「これ以上になる前に対処しないとだ」
「ある程度痕跡が多いほうがたどり着きやすいとは思うわ。……ただ、ここまで侵食されてると」
悠久は魔物を結いた糸を手繰りながら何とか道を作り出していたが、通路という通路は肉塊で埋め尽くされていた。視界は悪く、敵影は壁の中からも床の中からも湧き続ける。本命がいるところに早く当たりを付けたいが、軽々しくはいかないか。
「(やっぱりモンスターが多いところのほうが本命さんもちかいのかな?)」
そう考えた矢先のことだった。
奥の暗闇から子守歌にも似た歌声が響くと同時、物たちが一斉に頭を垂れる。その様子は信仰にさえ似ていて、思わず菖蒲は息を呑んだ。
「…………ねえ、やっぱり、やめない?」
「菖蒲ちゃん?」
唇を噛む。自分には戦う力がない、悠久が物理的に傷付かないと敵に相対することさえ叶わないと知っているから。
「でも、私は貴方に傷ついてほしくない」
「ふふ、変なこと言うね。逆でしょ」
その言葉に、悠久は困ったように笑いながら優しく菖蒲の手を握った。恐れることなどなにもないのだと、真っ直ぐに見つめる瞳と視線が重なり合う。
「菖蒲ちゃんがいるから、僕は戦うことができる。怪我をしたら痛いけど、菖蒲ちゃんが守ってくれる」
あたたかい。
それは言葉よりも、ずっと雄弁な。
「菖蒲ちゃんがいれば、怖いものなんてないよ」
「――!」
その笑顔だけはこの血塗れの世界でも少しも曇らなかった。
「……ええ、ええ、そうね」
「手をつないでいれば怖くない、って菖蒲ちゃんが教えてくれたんだろ?」
「私が貴方の目で、手で、足で、すべて。手をつないでいれば、何も怖くない。……そうだったわね、らしくなかったわ」
ふたりを結ぶあかいいとが静かに輝き、在るべき意味が生まれていく。
どんなちいさなものでも油断は禁物だ。こうまで想ってくれる彼女の為にもきちんと対処していかなければ。
「ごめんね菖蒲ちゃん! 怪我はしちゃうから――よろしく!」
「ええ。貴方は私が守るから、貴方が私を守ってね」
魔物の爪が悠久の腕を浅く裂く。その瞬間に、しろい腕が背中から一本、また一本と花が咲くように生まれていく。あかい組紐は蛇のように躍り、花びらは吹雪となって魔物を絡め取り、動きを確実に奪っていく。
「(本命さんには先手必勝、というか、死角から攻撃できたら一番いいんだよなー)」
倒したものたちがまだ息をしていないか、進む道や背後に怪しい動きはないか――絶対に見逃さない。菖蒲は全方位へ視線を巡らせる。
壁の中。天井。血溜まり、死骸の下さえも。あらゆる死角が、この城では牙を剥く。最上階の吹き抜けに。巨大な血の噴水の前に、ひとりの女が立っていた。
衣は鮮血にあかく染まり、その両手には竜血を溢れさせ続ける聖杯があった。滴る血潮は一滴ごとに床も柱も、砕けた椅子も照明も、人だったものさえも新たな魔物へ変貌していく。命とは彼女にとって素材でしかない。そう告げているかのようだった。
「さあ、悠久にひとつでも傷をつけてみなさいな。私が許さないってこと、教えてあげる」
菖蒲が一歩前へ出る。すると女は、まるで舞踏会へ招くようにうつくしく微笑んだ。
「まあ、こわい。……許さないなら、どうなってしまうのでしょう?」
直後、無数の魔物が雪崩れ込み、献身の名の下にふたりを拘束せんと襲い掛かる。頭上には極光が幾重にも重なり、昼夜を塗り潰す神罰のような閃光が降り注いだ。
そのひかりは美しい。だからこそ恐ろしい。触れた肉も骨も、生きたまま蒸発し、世界そのものが白く焼き潰されるが、あかいいとは決して切れることはない。
どれほど傷ついても悠久は立ち続ける。生まれ続ける座敷童子の腕が魔物を薙ぎ払い、組紐が血飛沫を裂き、花弁が異形たちを麻痺させる。その一瞬、ほんの一瞬だけユリアの視線が菖蒲へ傾く――この刹那だけが死角に違いなかった。
「――当然、そちらが倒れるのさ!」
悠久は一直線に踏み込み、赤い組紐が血煙を裂いて奔る。『あい』が紡いだ糸は狂気が育てた血脈を断ち切るため、迷うことなく魔物達の聖母を絡め取った。
●不確かなひかり
建物そのものが巨大な魔物のようだと思った。
胎内から這い出る異形達は人とも獣ともつかない姿で牙を鳴らし、骨を軋ませながら迫ってくる。裂けた顔面から覗く眼球だけが、人間だった頃の恐怖を閉じ込めたまま揺れていた。
人がモンスターにされる事件は幾度となく見てきたけれど、シアニ・レンツィ(不完全な竜人の見習い羅紗魔術士・h02503)にとっては何れも悲しく苦い思い出だった。
「モンスターになったらもう戻れないんだよ」
ひとの心も未来も一方的に歪めて。……それは、すごくひどいことなんだから。
胸の奥が締め付けられる。その衝動に取り憑かれぬよう、シアニはふるりとかぶりを振って魔力を解き放った。
「みんな集合ーっ! このダンジョンを攻略するよっ!」
掛け声と共に空間に無数の幼竜の幻影が弾けるように現れた。
最初に飛び出した緑竜ユアを先頭にちいさな竜たちが羽ばたきながらも、次の瞬間には一斉にシアニの道を切り拓くために火球を吐き出した。次の瞬間、紅蓮の雨が魔物を呑み込み、焦げた肉が弾け飛ぶ。シアニ自身もマフラーへ魔力を流し込み、布を蛇のように奔らせる。
魔術が幾重もの光条となって異形を穿ちその身体を砕いていく。だが、崩れ落ちる魔物を見た瞬間――過ぎってしまう。
「(このモンスターたちも無理矢理姿を変えられたのかな……)」
そう思った途端、知らず腕へ爪が食い込んで、あおい肌に血の雫が滲む。
「ごめんなさい……」
誰へ向けた謝罪なのかは自分でも分からない。だけど、言わずには居られなかった。
肉塊と化した床は絶えず形を変え、足場さえも信用できない。シアニはミニドラゴンを先行させ、危険箇所を飛び越えながら座標入換で次々と前進する。幼竜たちは彼女の翼となり、牙となって進路を切り拓いてくれた。
そして――最深に。無数の魔物達が膝を折る玉座の中心に、一人の女が立っていた。
彼女がすこし指を掲げるだけで、魔物の群れが濁流となって押し寄せる。献身という名の捕縛が牙を剥き、さらに天井を貫く極光魔法が天罰のように降り注いだ。
ミニドラゴンたちの火球がひかりを散らし、その僅かな隙へシアニは迷わず飛び込んでいく。肘まで覆う蒼い竜鱗。竜の腕が唸りを上げ、大槌を握り締める。
「――いっけぇぇええ!」
極光を紙一重で見切り、その懐へ踏み込んだ。轟音と共に竜腕がハンマーごと叩き込まれる。衝撃で血肉の床が波打ち、巨大な心臓のように脈動した。
「あたしはこんな風に、身体の一部でしか真竜の力を振るえないんだ」
「……それは、それは。痛ましゅうございますね、『ひとの檻』は、とても心地が悪いでしょう?」
「……違う。違うよ」
竜だった頃の記憶は霞んでいる。
それでも今、たったひとつだけ分かることがある。
「あなたの力を借りればもしかしたらって思わないわけじゃないけど……、でもあたしはひとが好きなの」
「まあ。……どうして? 真竜の力を取り戻したなら、生命を統べるものとして君臨出来ますでしょうに――」
シアニは迷わず首を振った。
「あたしのわがままで誰かが傷付けられるなんて絶対に嫌だから。……だから、あなたの誘いは絶対に受けない!」
全力で振り抜いたハンマーは僅かに狙いを逸らし、大地へ叩きつけられる。不完全なる竜が齎した衝撃が肉の床を砕き、震え上がったインビジブル達は恐怖に駆られて蜘蛛の子を散らすように退いていく。その一瞬の空白にシアニは踏み込み、幼竜たちの歓声にも似た咆哮を背に受けながら聖母ユリアへ渾身の追撃を叩き込んだ。
●義憤
お買い物は疲れてしまうぐらい楽しくて。フードコートはそれぞれみんなの美味しいが叶って。
「(ららぽーとってそういう場所ですよね)」
その当たり前を知るからこそ、不忍・ちるは(ちるあうと・h01839)の胸は締め付けられる。
「これはなんとも……苦しい気持ちになります……」
襲い来る魔物を蹴り伏せながらも、その身体に残る制服や買い物袋の切れ端が、ほんの少し前まで誰かの日常だった事実を突き付けてくる。望みもしないまま血脈に侵され、家族へ牙を剥く怪物へ変えられた命。その絶望を撒き散らした元凶をどうして許すことが出来ようか。
いつもなら無事解放して遊びに来たい気持ちが目的で、それだけで頑張ることができたけれど。
「(私ちょっとオコなんです)」
無差別にモンスター化された敵を見てしまったから。その子は望みもせずに自分たち、EDENと敵対することを強いられたから。
怒りは胸を灼く。それでも憎悪だけで拳を振るえば、自分まで怪物と同じになる気がした。怒って彼女に蹴りかかることを目的にしたくない。それでもただただ『嫌い』と思う敵を知ってしまった。
「はー……なんだかとても困ります」
その吐息と共に、アクセルシューズが火花を散らす。爆ぜるような加速。肉壁を蹴り、柱を駆け、二段跳躍で空間を裂く。
誓忍術・侶之型。
重力さえも味方につけた軌跡は魔物の頭上を奪い、ヘッドシザーズ・ホイップで首を刈り、踵落としが骨も甲殻もまとめて粉砕していく。
血飛沫が雨となって降り注ぐ中、魔物たちの聖母は黙示竜を顕現させる。姿なき竜が空間そのものを引き裂き、外れた一撃は館内をさらに歪めては新たな迷宮を生み出して侵入者の足を絡め取る。まるで建物そのものが巨大な胃袋となり、獲物を消化しようと蠢いていたが――それでもちるはは止まらない。
落ち着いて。
加速はそのままに。振り下ろす渾身の粗砕と共に、ちるはは静かな、けれど確かな別れを告げた。
「――さようなら!」
●祝祭
「ンまあ、モンスターのお城。建物全部生き物のようでございますね」
鉄と腐肉の臭気に甘ったるい血の香りが混ざり合い、まるで空間そのものが巨大な胃袋となって侵入者を消化しようとしているかのようであった。
「(聖母が居るのは最上階、でございましょうか)」
こんなに立派なダンジョンを作れる方のお顔ならば是非とも拝見したいものだと、睡眠寺・静時(移動するフォークロア・h01690)は冗談とも本気ともつかぬ笑みを溢す。
「うちはうちのやれることをして、行ける所まで行ってみましょう」
花煙草へと火を灯す。紫煙は闇へ溶け、静時の輪郭を曖昧に隠していく。夕染めの瞳で暗黒を見通しながら、敵地の中へ静かに歩みを進めた。
「――来れ、愛し子」
呼び寄せられた十二体のお化けたちは壁をすり抜け、血肉の迷宮を音もなく駆け巡る。戻ってきた子らは危険な道を指し示し、多数の魔物が犇く通路を避けさせる。選ばれた細道で遭遇する異形は、不意打ちによる一撃で容易く沈められた。
倒れた魔物の骸は床へ吸い込まれ、肉壁と一体化して再び蠢き始める。その様は腐葉土へ還る命ではなく、巨大な生物へ養分を送り返す血餅そのものだった。
玉座の間は礼拝堂にも似ていた。祭壇を飾るのは聖像ではなく、脈打つ肉柱と溢れ続ける竜漿の血。滴る赤黒い雫が床へ落ちるたび、石材も鉄骨も悲鳴を上げながら牙と爪を備えた怪物へ変貌していく。呪われた血は生命と無機物の境界すら踏み躙り、この世界を怪物へ塗り替える終末の聖餐であった。
その中心に立つものこそ魔物達の聖母。
聖杯から溢れる血は意思ある濁流となって襲い掛かり、触れた床も柱も獣の顎となって噛み付き、血飛沫は空中で翼ある魔物へと姿を変える。世界そのものが敵意を持って牙を剥いていたが、静時は一歩も退くことはなかった。
「ご機嫌よう。さあ、――この宴を楽しみましょうや」
お化けの子らが一斉に舞い、静時は己の持つ術の全てを解き放つ。
魔物の聖母が紡ぐ終焉と人を守るために積み重ねた力。その激突は、生きた城全体を震わせる宴の幕開けとなった。
●ちかい
割れた硝子の向こうでは骨と臓物を継ぎ合わせたような魔物たちが産声にも似た濁声を響かせ、腐臭と鉄錆の匂いを孕んだ空気が肺へ纏わりついていく。
「おそろしい場所だ……」
ランタンを掲げて進み出た瞬間に蠢く床が足首へ絡みつき、体勢を崩して花途・過日(かいがらのゆめ・h09026)はそのままべしゃりと転んでしまった。
「がう……誰にも見られてないよな」
耳を澄ませる。
返ってくるのは肉壁の拍動だけ。
「……誰も……見てないよな?」
続いたことばは確かめるためのもの。
それならばとランタンを咥え四足で駆ける。ひとの姿を得てもなお、森を駆けた頃の身体の使い方は消えていなかった。
孵ったばかりの幼体が血溜まりから粘つく身体を起こすのをみとめ、過日は静かに『ねがい』を紡ぐ。それはこころに応じて浮かび上がり、悪いものだけを祓うともしび。ランタンから離れた淡いひかりは幼体を優しく包み込むように焼き尽くす。
「生まれたことを祝福してやれなくて、ごめん」
灰は赤黒い肉床へ吸い込まれ、何事もなかったように脈動だけが残る。胸の痛みを抱えたまま、さらに、さらに奥へと進む。
「(ひとと戦わなきゃいけないのはかなしいけど、でも)」
魔物たちの聖母が手にする聖杯から溢れた竜漿血液が床へ流れ落ちる。肉も鉄骨も砕けたマネキンも等しく血を飲み、節々を鳴らしながら異形へ変わっていく。その光景は生命の誕生ではなく、世界そのものを腐敗へ導く為の儀式だった。
「うふふ。……『ひと』の身体はとても不自由でしょう? こぐまさん」
「おれは……みんなを守れるくらい強くなるんだ」
決意とともに花弁が満ちる。
「立ち止まらないって、決めたんだ」
景色は暗い桜の森へ塗り替わる。
あの子だけがいない静かな森。その寂しさこそ、前へ進む理由。
炎を裂いて踏み込んだ右脚が聖母の顎へ上段蹴りを叩き込む。反動を逃がさぬまま身体を回転させ、習ったばかりの回し蹴りが竜血の飛沫を淡雪の如く散らしていった。
まだ拙い。それでも退かない。
初めて手にした、人間の体で戦う術を信じて――守れるほどに強くなる、その手応えを掴むまで、何度でも。
●災厄喰らい
「うーーん、迷惑すぎる」
賀茂・和奏(火種喰い・h04310)は血肉の脈動に侵食された大型商業施設を見上げ、隠すことなく息を吐いた。かつて買い物客の笑顔が満ちていた場所は巨大な魔物の胃袋へと変貌し、店々は牙を生やした臓器のように蠢いている。
ショッピングモールのあまりの変容ぶりに頭が痛くなる。まして、あるべき日常を謳歌していたはずの人々を魔物にするなど。
「……これ以上は、させない」
崩れかけた通路は風を纏って飛び越える。四方から這い寄る魔物の幼体は産まれ落ちたばかりの胎児のように泣き声を響かせながら牙を剥いた。それを祓うべくして雷を宿す刃へ破魔の霊力を宿して一閃を放てば、迸る雷は毒々しい肉壁を焼き裂き道を拓いていく。飲み込まれる寸前の人影を見つければ即座に救い出し、安全圏へと導いた。一刻も早く災厄を断つため奥へと駆ける、その間にも和奏はもう一振り――寒鴉へと静かに添う翼の力を蓄え続けた。
最深部。祭壇のように積み重なった肉塊の玉座に、ユリア・クラウディウスは立っていた。その背後では竜血聖杯より受肉した巨竜が空間を歪ませながら咆哮を上げている。爪が振るわれるたび床は裂け、外れた一撃が新たな小規模ダンジョンを産み落とし、現実そのものが腐敗していく。
和奏は風を爆ぜさせ、一気に間合いを詰める。あおい瞳を持つ烏が翼を広げたその瞬間に、蓄えられた我欲は飢えた焔へ変わった。
「青くん、手早くね」
喰らいつくあおい呪炎が竜へ、そしてユリアへと襲い掛かる。魔物たちの聖母と呼ばれた女は、血に濡れながら、微笑みながら高らかにうたった。
「彼らは皆弱かった! だからこそ力を手にしたのです!」
「あるべき姿を勝手に決めるのも……ですが、同意なく変異させてる時点でいけない」
炎の向こうで女は陶酔した瞳を揺らす。
そこにあるべき筈の心など欠片も残ってはいなかった。それならば。
「彼らは解放されるのです、――わたくしが『解き放って差し上げるのです』!」
「生き様も、いまありたい形も、本人のものだ」
和奏は静かに首を振り、雷を握る手へと力を込めていく。
「奪うな」
――疾く、断ち切る。
この歪んだ饗宴も、臓物の檻も、何もかもを。
●契りと結び
血脈に侵食された大型商業施設は、最早買い物客の笑顔が行き交う場所ではなかった。壁という壁は脈打つ肉塊へと変わり、爛れた肉の奥底では胎児にも蛆にも似た魔物の幼体が肉壁を食みながら甲高い産声を響かせていた。
「魔物と化した者らを救う手立てを探すでもなく、己可愛さに堕落を正当化したか」
鮮烈なあおい瞳を細めた狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)の言葉を受けて、真逆の色彩を抱いた女は艶やかに微笑んだ。
「まあ……随分な物言いですね。皆は力なきものたちだった――故に、『力を得た』。それだけのこと!」
「――ならば貴殿は世界の敵、悪しき神秘である」
崩落した床へ飛び込むことなく、澄夜は黒翼を大きく広げた。
不安定な足場など踏む必要はない。空を蹴るように空中を疾駆し、妖達には少しでも安定した通路を進ませる。終夜と阿頼耶老には背後や側面の索敵を託し、幼体を見つければ即座に警告を鳴らさせた。肉壁を突き破って現れる幼体も、血に濡れた怪物にも対処を変えることはない。
両指で掌を裂く。滲んだ鮮血が契約の証となる。
「来たれよ我が身を食む獣、花婿の為に血の路を準備せよ」
堕ちし獣の神々が応じる。ウェンカムイらの獣腕が澄夜の背後より幾重にも生えた。腐死の毒を滴らせる鉤爪が魔物を紙のように引き裂き、澱んだ霊気が奔流となって幼体の四肢を麻痺させ、その蠢きを止めていく。
しかしユリアが掲げた竜血聖杯から溢れた呪われた竜漿血液は砕けた柱も割れた硝子も飲み込んで、次々と新たな魔物へと産み直してゆく。
「うふふ! 翼あるものを堕としたなら。魔物になるでしょうか、それとも――もっともっと悍ましい、『あくま』になるのでしょうか!」
禍々しい血潮が翼を狙って奔流となる。その嘲笑を真正面から見据え、澄夜は獣腕を重ね合わせて聖杯への道を断ち切った。
「――聖杯を遣わせはせぬ、其は貴殿には過ぎた代物だ」
咆哮する獣神の腕が毒を纏って振り下ろされる。腐臭と血煙が吹き荒れる戦場で、その一撃は狂気の聖母へ届かんと、獣の顎のように鋭く空間を引き裂いた。
●種子は弾け
大型商業施設だったはずの建物は既に文明の器としてのかたちを失っていた。
壁という壁には血管めいた赤黒い脈が浮き上がり、天井を這う肉塊は呼吸するたびに収縮を繰り返す。その肉壁の隙間から卵嚢を破って湧き出すように無数の魔物の幼体が這い寄ってきた。節足と触腕を不自然に絡ませ、潰れた眼球を幾つも揺らしながら耳障りな産声を施設中へ響かせていた。
「わあ、すごいモンスターの数……」
「楽しいショッピングモールもこんななってまったら台無しやなぁ」
見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)はちいさく息を呑む。
その傍らでアストラガルス・シニクス・グリーヴァ(戦場駆ける銀蓮華・h09567)は苦々しく呟くと、迷いなく回転式多銃身機関銃を構えた。リコリスの連続する銃声が裂けた肉壁へ反響し、弾丸は幼体を次々と撃ち抜いていく。潰れた肉片は紫黒い体液を撒き散らし、床へ落ちると新たな肉塊へ吸収されていった。
「ユリアさんのところに辿り着くためにも、時間はかけてられないですね。ここは戦闘員さんと連携して数を減らしましょう!」
「おう、頼むわ!」
霊体の戦闘員たちが現れ、視界を共有しながら隊列を組む。それらは幻影とは思えぬ連携で魔物を包囲し、牽制と座標入替を繰り返して群れを分断していく。
「しかし踏み付けるんも気分悪い床やな……七三子チャン、足取られんよう気を付けていこ」
「わ、わ、足元脈打ってる……! わあ、気持ち悪いよう……」
床は鼓動するたびに隆起し、まるで生き物の舌が獲物を絡め取るように足首へ纏わりついて来る。彼女は大丈夫だろうかと声を掛けたなら、ひっくり返ったような七三子の声が響いたものだから、すこしだけ笑ってしまいそうになる。
「大丈夫や、皆のためにもとっとと元通りにしたろ!」
「うう、……はい……!」
肉壁を切り裂きながら、やがてふたりは最深部へ辿り着く。
巨大な繭にも似た玉座の中央。そこに佇む女こそ、魔物達の聖母『ユリア・クラウディウス』だった。
慈母の如き微笑みを浮かべる女の背後では無数の魔物が胎児のように脈動している。彼女の指先が僅かに動くだけで、群れはひとつの生き物と成って襲い掛かってくる。
「さて、と。会話しても無駄なんやったらさっさと初めて終わらせよか」
アストラガルスは静かに息を吐く。
体制はここに来るまでで整えた。七三子もきっと、後に続いてくれると信じている。
「――ちょおっと、大人しして貰えるか?」
弾丸の紅い花が咲く。その銃声を皮切りに、七三子もまた勢いよく地を蹴った。
聖母が手繰るモンスターも戦闘員たちが押さえ込んでくれている。聖母本体はアストラガルスが相手取ってくれているから、恐れることなど何もない。
「えへへ、安心して専念できます!」
七三子は『ミモザ』と銘打たれたスタンビュートを振るい、稲妻を帯びた一撃で魔物を痙攣させる。戦闘員たちは瞬時に座標を入れ替え、献身による捕縛を寸前で崩していく。
「はっは、そんな信じて貰えるんなら気張らなな!」
極光魔法は白銀の奔流となって容赦無く襲い来る。ひかりは床の肉塊を焼き焦がし、焼けた臓物の臭気が辺りへ満ちる。それでもアストラガルスは真正面から踏み込み、魔法の奔流を潜り抜けた。
「さて、相手が竜なら此やな」
抜き放たれた屠竜大剣『芍薬』が禍々しい肉城の鼓動を断ち切るように振り下ろされる。超大型獣を相手取っても叩き斬れる程強靭な銀閃は極光ごとユリアを呑み込み、轟音と共に魔物の軍勢を切り裂いた。
肉壁は断末魔のような脈動を激しく繰り返し――やがて静かに、確かに、崩壊を始めようとしていた。
