⑩|求婚《吸魂》とも言い難き
●シーン1:Seaside Suside
潮風が吹き、夏の日差しが頬を刺す。√EDENの福岡、シーサイドももち海浜公園をリンゼイ・ガーランドは全力で駆けていた。
背後から追う足音は一定の間隔をまるで崩さない。焦りも迷いもない人形じみた足取り。振り返る余裕などなかった。ただ背中に張り付く視線だけが彼女に「止まるな」と告げていた。
傍では自殺少女霊隊が落ち着きなく飛び回り、不安を誤魔化すように軽口を叩き合っている。当然のように|リンゼイ《能力の主》自身を巻き込んで。
(リンゼイ様ー! あの人、完全に私たち狙いですよ!)
(ヘッドハンティング……ってコト?!)
(お前が欲しいなんて熱烈!!)
(ヤダーッ! 返品希望です色んな意味で!)
「へ、返品が効く相手じゃないと思うんですが……!」
息を切らしながらも、リンゼイは思わず言い返してしまう。
こんな状況でもいつも通りにはしゃぐ彼女たちに、呆れ半分、安堵半分。人と滅多に関われない自身にとっては数少ない話し相手だから。
だが、その空気は一瞬で凍りつく。
砂を踏む足音が、ぴたりと止まる。振り返らずとも分かる。距離をすぐ後ろまで詰められた。
「……逃げ足だけは、達者なようだな」
低く感情のない声が響いて、名張・楓が、静かに太刀を構えていた。その背には、まるで質量を持つ闇のような、黒い太陽が揺らめいている。
「吾の神は、ぬしの力を求めておられる」
それが当然であるかのように宣告して、一歩、また一歩。焦る様子もなく楓はゆっくりと距離を詰めてくる。
「ゆえに、逃がしはしない」
リンゼイは奥歯を噛んだ。少女霊隊が、黒衣の少女たちが不安げに彼女の周囲に集まる。だが、かつてのような『無差別の衝動』はもう、この手にはない。頼れるのは、己の体力と彼女等だけ。
(先輩が、いてくれたら……)
場違いな考えが、頭の片隅をよぎる。すぐに、自分でその考えを打ち消した。強がりだと分かっていた。今、ここに、あの人はいない。
●シーン2:Borrowed Will
「……『お前が欲しい』なんて、熱烈なアプローチに聞こえるじゃないっすか?」
星詠みの少女、|三奈木《みなづき》・|二藍《にあ》は肩を竦めた。年相応に恋愛話には興味はあるらしい。
「でもこれ、全然『好き』じゃないんすよね。欲しいのはリンゼイさんじゃなくて、その力っす」
ニア、その辺は詳しいんっすよと得意げに胸を張る。だがそういった知識の出どころは姉が遺した古い恋愛小説の受け売りだったりする。
「名張の兄さんは『神様が欲しがってるから取りに来た』だけのお使い係っす。ニアとしては『人を景品扱いすんなこの野郎』って言いたいところっすね」
軽くため息をついてから、人差し指を立てた。
「――って訳で、さくさくっと状況説明っす。今、リンゼイ・ガーランドさんの√能力『ヴァージン・スーサイズ』が簒奪されようとしてるっす」
「能力を狙ってるのが、あの太刀持った兄さん。『日神憑き』名張・楓っす。禍津日神っていうヤバい神様に取り憑かれて、神様の意思のまま動いてるっす」
「リンゼイさんは能力の一部は既に奪われてるっす。具体的に言えば『近付くだけで周囲を自殺に誘う』無差別の性質は、もう失われたっす」
にっと笑う。
「なので皆さんが近付いた瞬間、『よし海へ飛び込もう!』なんてホラーな事故は今回は起きないっす。安心して共闘できるっすよ」
そして笑みを少しだけ引き締める。
「ただし、このまま全部奪われたら、『ヴァージン・スーサイズ』が禍津日神の手に渡る可能性が高いっす。神様が無差別に死へ誘う能力を持つと……詳しい使い道はわかんねっすけど、やりたい放題な様が浮かぶっすね」
「今回の目的は一つ。リンゼイさんと共闘して、能力の完全な簒奪を阻止してくださいっす」
暑いんで気を付けてくっすよ~、と。二藍は笑って君達を見送った。
第1章 ボス戦 『『日神憑き』名張・楓』
夏の陽射しは容赦がない。場所が海辺であるならば猶更だ。
降り立ったEDENのひとり、アリエル・スチュアート(片赤翼の若き女公爵・h00868)にも陽射しは平等に注ぐ。砂浜の照り返しが肌を焼いて、汗の粒がこめかみを伝う感覚。それが鬱陶しくて無意識に翼を広げて影を作ろうと、した。|片方《・・》だけだと分かっていても。
(こんな中で走り回っていては、√能力者でも目が回りそうね)
視線の先には息を切らすリンゼイ・ガーランド。彼女や|自殺少女霊隊《ヴァージン・スーサイズ》等の焦燥とは裏腹に、相対する和装の男、名張・楓の表情は読めない。読めるだけの思考や感情も今は持てていないのかもしれない。そもそも、このようななことになっている経緯だって確か――。
「全く。人の力を景品扱いなんて」
嗚呼強欲にもほどがある。碌でもない神様だと心の中で吐き捨てる。魔導槍《グリモワール》を握る手に自然と力がこもった。
|欠落《無い》なら仕方ない。翼が無くて困るなら別の手段を作ればいい。けれど、現在進行形で力をろくでもない相手にむしり取られているなら如何だろうか。
「ティターニア。リンゼイの援護をお願い」
アリエルが短く告げると、小型のドローンたちが一斉に羽搏いた。妖精の羽を模した光翼の機体が陽光を弾きながら宙を舞い、楓へ向けて光の筋を放つ。
『了解しました。中々の無茶な指示ですが、やってみせましょう』
辛辣な声が耳元で返る。それでもドローンの動きに迷いはなかった。牽制の光が楓の視界を乱した、その一瞬。リンゼイが跳ぶように後方へ距離を取る。少女霊隊が彼女を庇うように集まった。
「……よし、こっちは私が」
まだ終わってはいない。けれどリンゼイは回避に徹してくれるようだし、彼女を掬う最初の一手は繋がった。アリエルは槍を構え直して、視線を楓の方へと戻した。
(いっそリンゼイの能力が禍津日神に効けばいいのに――と言うのも、贅沢かしら?)
それなら文字通りの神殺しが為される事になるが、かといってそればかりを期待してもいられない。
刃のない穂先が空を裂く。楓の太刀とぶつかるたび、金属の触れ合う音とは違う澄んだ甲高い音が響いた。
機械式巻物からは虚空にその場限りの魔法陣が浮かび、様々な光が弾けては楓の刀と拮抗する。途中ふと回路の端に入った罅を見て、何も起きずに済んだことに、アリエルは表情には出さないまま安堵した。
「……ぬしは、吾の神の邪魔をするのか」
楓の声は淡々としていた。両目を覆い、それなのに如何いう仕組みか目の見えない様子はなく、且つ感情だけは一向に見えない男を見てアリエルはふと違和感を覚えた。ただ神の意のままに動かされているだけの空っぽの器。いっそ哀れだ、と思う。本人の望みなど、どこにもないのだから。
かといって、哀れむわけにも止まるわけにもいかない。槍の柄を握り直して、アリエルは再び踏み込んだ。楓の足元に黒い陽炎のようなものが滲みはじめていることに、まだ気づいていない。
楓の刃が一度地面を叩いて、足元から黒い陽炎のようなものが滲み出す。アリエルが警戒を強めた次の瞬間、遊歩道の敷石の一部が黒く染まり、腕の形に隆起した。
とっさに身をひねる。|下側《視線外》から突き上げてきた眷属の腕を、槍の柄で辛うじて受け止めた。骨に響くような衝撃。同時に視界の端で、リンゼイもまた足元を狙われ、身を捩ってそれを躱すのが見えた。
巻物を掲げようとした刹那、罅を広げるような光に視界が一瞬白く霞む。それでもアリエルは意識を手放しはしない。淡い光がアリエルの身を包んで、刃をぎりぎりのところで弾いた。
崩れかけた敷石の腕を打ち払い、フェアリーズの弾が駄目押しに貫いた。刃を押し返された楓が眉を顰めた……ように見える。それは彼の思考ではなく、順調に事が進まないことを不服に思った禍津日神の意思なのだろう。
(思い通りにならない事、少しは理解した方が良いわよ?神様)
翼を一度大きく羽ばたかせて、静かに構えを解く。半分だけの影が足元に落ちた。それでも尚、アリエルは前を向いたまま。
|空地《そらち》・|海人《かいと》(フィルム・アクセプターポライズ・h00953)の目に飛び込んできたのは、既に幾度も刃がぶつかり合った跡だった。
砂が各所焦げたように黒く抉れて、遊歩道の敷石はほんの少しが罅割れて隆起したまま崩れている。潮風に混じって薄く漂う、焼けた陽炎のような匂いが、仲間が戦っていたことを物語っていた。
肩で息をしながらじりじりと後退を繰り返すリンゼイ・ガーランド。傍らを飛び回る|黒い少女達《ヴァージン・スーサイズ》に庇われながらも、その横顔には安堵と緊張が入り混じっている。誰かに助けられた直後なのだと、悟るには十分すぎる光景だった。
(まだ、全部終わった訳じゃない)
EDENらに阻まれ始めても尚リンゼイを追い詰めようとしているのは太刀を提げた和装の青年、名張・楓。その瞳に宿るのは、人のものではない|何か《神意》。
海人は拳を握った。迷う理由なんて、どこにもなかった。
「ヒーローとしては見過ごせない状況だな」
砂を踏みしめ、一歩前に出る。視線の先、リンゼイが小さく息を呑むのが見えた。
「リンゼイさんは……いや、リンゼイさんの力は渡さないぜ!」
腰のベルトに手をかける。金属の冷たさが指先に伝わり、それが逆に頭を冷静にさせた。
「――現像ッ!!」
掛け声とともに光が弾ける。水の膜が体を包み込んで瞬く間に装甲へと姿を変えていく。潮風が装甲の継ぎ目を撫で、フィルム・アクセプターマリンポライズがそこに立っていた。
装甲越しに聞こえる自分の呼吸が、やけに落ち着いていた。背後で響く羽音と水音の合わさった駆動音は、|相棒《ドローン》の合図だ。
ドローンが楓へ向けて牽制の一撃を放つ。光が視界を掠めた瞬間、楓の動きが僅かに止まった。数瞬でいい。海人はその隙を逃さずリンゼイへと視線を向ける。
「リンゼイさん」
短く呼びかけると、リンゼイが振り向いた。目隠しの少女たちも、彼女を囲むようにこちらを見る。
「一瞬だけでいい。前に出て、あいつの気を引いてくれないか。その隙に何とかしてみせるから」
海人はそこで言葉を切って、周囲に漂い、リンゼイの背に隠れる少女達へも声をかける。
「そこの可愛い子たちも。力を貸してくれよな」
折角居てくれるんだし、リンゼイを守りたいのは一緒だろう? そう問うてみる、と。
その一言に、周囲を漂っていた少女霊隊の空気が一変した。
(可愛い……!?)
(今、可愛い子たちって言った!?言いましたよね!?)
黒衣の少女達が一斉にざわめき、揃いのリボンの影がふわりと揺れる。緊迫した空気の中だというのに、明らかにテンションが上がっているのが伝わってきた。
「もう、みんな」
その様にリンゼイが小さく笑う。強張っていた肩から、僅かに力が抜けたのが分かった。
「ええ、わかりました」
短く頷くと、リンゼイは息を整えるように一拍置いた。少女霊隊もまた、浮かれた軽口を叩き合いながらも、動きに迷いはない。ふわりと隊列を変えると、リンゼイの周囲を漂いながら前へ飛び出した。
楓の意識が完全にリンゼイたちへ向いた、その刹那。海人は姿勢を低く沈めた。
真正面から仕掛ければ、いくら不意打ちでも見切られかねない。だからこそ。
指先から伝わる砂の感触。装甲越しにもそれが分かるほど海人は意識を研ぎ澄ませる。腕から伸びた何かが砂の中を音もなく這っていく。波打ち際の砂が、ほんのわずかに盛り上がりながら弧を描いていく。
狙うのは、楓の視線が届かない足元。意識がリンゼイたちに完全に引き寄せられている、その瞬間を見極める。
そうして、地面が弾けた。水色の光を帯びた何かが一息に足元へ巻きついて、楓の体勢が大きく崩れた。
「……捕らえた!」
思わず声が漏れる。振り解こうと身をよじる気配が伝わってくるが、構わず力を込めた。海人の意識は、既に次の一手へと向かっていた。水色の光の触手がしなり、楓を投げ飛ばす。
海人の胸部でスクリューが唸りを上げた。溜め込まれた力が、一気に解き放たれる。
「オーシャニックタイフーン!!」
激しい水流が渦を巻いて放たれ、宙にある名張の体を飲み込んだ。轟音と共に飛沫が四方へ弾け、装甲を叩く。海人はその勢いに一歩も引かず、むしろ前へ踏み込んだ。
「――オーシャニックタイフーン・リターンズ!!」
一段と激しさを増した水流が、再び名張へ叩き込まれる。渦の中心で、名張の輪郭が水しぶきに霞んでいく。
耳の奥まで届く水音の中、海人はただ前を見据えていた。リンゼイたちを守り抜く。その一心が、腕を、装甲を、力の全てを動かしていた。
砂地にはまだ先の戦いの気配が残っていた。焦げたような匂いが潮風に混じり、抉れた地面の輪郭がゆっくりと崩れていく。他のEDEN達が次々に此処で名張・楓と刃を交え、その猛攻を幾度となく押し返してきたのだろう。
その隙に、リンゼイ・ガーランドもようやく息をつく余裕を得ていた。
(大丈夫、だよね?)
(うん、大丈夫、大丈夫なはず)
(お兄さんしつこすぎ)
それでも楓は執拗に距離を詰め、少女霊隊に庇われながらリンゼイはなお後退を余儀なくされている。
涙壺の付喪神、ルイ・ラクリマトイオ(涙壺の付喪神・h05291)はその変化を見逃さなかった。
(――穏やかではないですね)
彼女の力の恐ろしさより先に、目の前で肩を震わせる一人の少女の姿がルイの視界に映った。
思い人がいて、普通の女の子に憧れる。けれど、その願いは生まれ持った能力によって遠ざけられ続け、寄り添う|少女霊隊《女友達》までも今は奪われようとしている。
涙壺として誰かの涙と願いを受け止め続けてきた心に、静かな漣が広がっていく。
ルイの隣に立つ|眞継《まつぐ》・|正信《まさのぶ》(吸血鬼のゴーストトーカー・h05257)が、潮風に目を拭った。
「……。三奈木君が助けるべしと云うのならば、私にも異論はないとも」
落ち着いたその声には迷いのかけらもない。ルイは頷き、前へと足を踏み出す。
「リンゼイさん」
静かに呼びかけると、彼女がこちらを見返した。
「一人で立ち向かうには、手強い相手のようですね。私達も助太刀しますよ」
ルイは手を伸ばす。指先から解けるように光が伸び、細い紐となってリンゼイへと繋がっていく。この事態を切り抜けて、安心して帰ることができるように。ルイはそう願いながら紐を結ぶ。願いを込めたその|紐《リーシュ》は再帰の祈りが織り込まれている。
「無事に戻り……会いたい方が、いらっしゃるのでしょう?」
リンゼイの肩が、僅かに揺れた。会いたい|先輩《・・》の姿を想像し、口角がほんの少し緩む。ルイはそれ以上を問わず、正信の元にも同じ紐を伸ばした。
「正信さんにも。……どうぞ、力となりますよう」
「ああ、助かるよルイ君」
紐が淡く光り、二人の輪郭を静かに縁取った。
「リンゼイ嬢」
正信の声は落ち着いていた。老いた外見に似合わぬ、揺るがない声音。
「私は借りを課すつもりはない。あちらの誘いを断るのならば――逃げるのではなく、共に撃退しようではないか」
言葉と同時に、彼の周囲へ|小鳥《クロウタドリ》ほどの大きさの死霊が幾つも湧き出し、羽音を立てて散っていく。半径一帯を覆うように広がったその様は黒い羽根が舞い散るようだった。リーシュの糸を受けて、その動きは一段と精密さを増す。
正信の声に応じ、羽搏きの群れがリンゼイと霊隊の動きに寄り添うように旋回を始める。
さらに正信が視線を落とすと、青い瞳をした大型の犬影が霊隊の足元へするりと伏せた。正信が僅かに口の端を緩めたのが、ルイの位置からも見て取れる。
(わんこー!)
(わんこだ!!)
(触っていいですか!)
緊迫した状況の中だというのに、黒衣の少女たちの無数の声がはしゃぐような調子に染まる。リンゼイが小さく肩を震わせて笑ったのが、ルイには何より救いに見えた。
「構わんとも」
正信は穏やかに微笑んだ。
「まあ、護衛も兼ねているが……可愛がってやってほしい」
青い瞳の犬は尻尾こそ振らないものの、嫌がる様子もなく少女霊隊の足元へ寄り添う。その様子を眺めながら、正信は自然と口元を和らげていた。
張り詰めていた霊隊の空気が、僅かにほどける。ルイはその変化に、小さく目を細めた。
「余所見とは、吾も舐められたものだな」
名張・楓の周囲に黒く沈んだ陽のような気配が滲む。それによって揺らぎながら立ち上がった眷属に隠れるようにして、楓が太刀を構え直す様がはっきりと見えた。
「……正信さん!」
ルイの声が響き、彼の手繰る|帯《唐花模様》が向かうと同時に正信が前へ出た。逃げるどころか、むしろ自ら盾となるようにその身を割り込ませる。
「問題ない。……メリル、|Orge《オルジュ》、頼んだ」
主の声に応えた鳥の死霊が刃のように翻り、追撃を叩き込む。
同時に青い瞳の犬が、低く身を沈めたまま一息に踏み込む。楓の注意が逸れた隙を突くように、鋭い牙が閃いた。
砂地に残る|獣《死霊》の足跡は、まだ生々しく戦いの余熱を伝えていた。
焦げた匂いが潮風に混じり、幾つもの足跡が入り乱れる先で|自殺少女霊隊《ヴァージン・スーサイズ》の声だけが辛うじて陽気さを保とうとしている。それでも、その声の端はまだ張り詰めたまま。
クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は焼け跡に一瞥をくれると、小さく息を吐いた。これまで幾人もの仲間がここで刃を交え、押し返してきたのだろう。だが、名張・楓――否、その身を借りた|何か《禍津日神》は尚も退く気配を見せない。
「吾が神が……|禍津日神《マガツヒノカミ》様が力を使ってやろうと言っておるに、何故そうも拒む」
楓の声に重なるように別の声が滲む。心底不思議だという調子で。太刀を構え直しながら、空虚な視線はリンゼイひとりに注がれていた。
「|死へ誘う力《√能力》の器如きが、|禍津日神《マガツヒノカミ》様の御望みを拒めると?」
その声に、|黒衣の少女達《ヴァージン・スーサイズ》の悲鳴がいくえにも重なる。
(リンゼイ様を器呼ばわり!? 能力だけ欲しいから寄越せって何その口説き方!)
(神様ってコンプラとか無いんですか!? ヤダー!!)
……そして。言葉端が耳に届いた|架間《かざま》・|透空《とあ》(|天駆翔姫《ハイぺリヨン》・h07138)の足取りが止まる。
「――ホンッットろくでもないですね……」
抑えていたものが零れるような苦い表情が、次の瞬間はっきりとした怒りに変わる。
「女の子をモノ扱いするだなんて、時代錯誤にもほどがありますよっ!」
透空はそのまま前へ進み出る。リンゼイとは知らない仲ではない。それに|大事《自覚はどうあれ》な存在がいる者同士、彼女の窮地は他人事に思えなかった。
「その熱烈なアプローチ、ここで食い止めさせていただきます!」
「ああ。全く、時代遅れな考え方で参っちゃうね」
クラウスは薄く笑い、焼け跡を踏み越えながら透空の後に続く。穏やかにそう零しつつも、目だけは油断なく楓を捉えていた。
「間男はお断りだ、引っ込んでいてもらおう」
(そーだそーだ! リンゼイ様にはちゃんと好きな人がいるんですー!)
近くで響く少女霊の声にクラウスは静かに頷いた。リンゼイの手を取る存在は、|彼女の先輩《リンドー・スミス》だけでいい。
――変身解除。透空は一度だけ拳を握り直すと、怪人態に変化した足で砂を蹴った。|決戦気象機構《ハイペリヨン》が白亜の光を纏いながら形を変え、渦を巻く砂が唸りを上げて舞い上がる。石つぶてと砂利が刃のように翻り、瞬く間に楓との間合いを縮めていく。
「行きましょう、クラウスさん!」
振り返らずに声だけを投げると、彼女はそのまま踏み込んだ。
「リンゼイさん共々、背中は任せますっ!」
答えを待つでもない、確かめるような響きだった。ぐんと引き上げられた速度に押され、視界の端で波打ち際が僅かに歪む。この|形態《モード》での防御の薄さは分かっている。それでも退かないのは、心強い人たちが後方にいるから。
「攻撃こそ最大の防御ですよっ!」
砂嵐がうねりを増し、楓の太刀筋を乱すように石つぶてが叩きつける。楓は僅かに体勢を崩しながらも、なお太刀を振るい続けた。
その隙間を縫うように、クラウスの手元で光が羽搏いた。
太陽を思わせる淡い輝きを纏った鳥の幻影が舞い上がり、楓へと絡みつく。触れた瞬間、その動きが目に見えて重くなった。亡き|親友《つばさ》の面影をほんの一瞬だけ光の中に見た気がしたが、クラウスはすぐにその感傷を仕舞い込み、狙いを見定める。
(あいつでも放っておけないだろうから、ね)
二丁の得物から放たれた銃弾が正確な軌道を描き、幾筋もの光跡が空気を裂いた。牽制の一撃一撃が、透空の猛攻の隙間を埋めていく。
楓の動きが鈍った、まさにその刹那。力を失いかけた太刀が、それでもなお透空へと降る。
「――させない」
クラウスの指先が僅かに動く。無明から放たれた一撃が正確にその切っ先を弾き、金属音と共に軌道を逸らした。火花が砂埃に覆い隠されていくその隙に透空は体勢を立て直し、大きく後ろへ跳びのいた。
楓の纏っていた陽の翳りが、一段と濃く沈む。だが、それ以上踏み込む力は残っていないようだった。太刀を地面に突き立てて息をつく楓とは裏腹に、少女霊隊の声が徐々に活気を取り戻し始めた。
太刀を支えに片膝をつく名張・楓の周りには、まだ薄く陽の翳りが漂っていた。
その一方で|自殺少女霊隊《ヴァージン・スーサイズ》は口々に楓の様子を見、自分達の生存の目が見えてきたことに陽気さを隠せていないようだ。
(ひょっとしたらあたしら無事に帰れる説?)
(それって全員奪われない……ってコト!?)
(なによりリンゼイ様が無事! ヨシ!)
ぴっ! とレースの手袋に隠れた指を立て大はしゃぎの少女達は、様子だけを見れば仲のいい女子高生集団そのものだ。
その光景を、少し離れた場所からゾーイ・コールドムーン(黄金の災厄・h01339)はただ見つめていた。
(無差別の能力が消えたなら、リンゼイは少しは自由に動けるようになるのかな)
誰にともなく零れた思考だった。リンゼイの能力が対象を選べなかったからこそ、彼女の交友関係は限られていた。近づいた者が勝手に死んでしまう。それだけの理由でリンゼイの世界はずっと狭いままだったのだ。
もし今この場を凌ぎ切れば、彼女を取り巻く檻は少しだけ緩むのかもしれない。自由に歩けるなら良かったね、と言いたい所だけど。
(かといって、完全に誰かへ奪われるのは流石に拙いんだよね)
金色の瞳が楓へと向く。柔らかな笑みの奥で、黄金の人間災厄たる力が静かに定まっていく。
「そういう訳で手を貸すよ」
声は変わらず穏やかに、けれど揺るぎなく。
「災厄の神にはお帰り頂こう」
言葉と同時に、ゾーイの傍らに浮かんだ死霊が金色の光を零して渦を巻く。
「さて、力を貸しておくれ」
|纏霊呪刃《ゴーストドライブ》。踏み出した一歩が、次の瞬間には景色を置き去りにするほどの速さで地を蹴っていた。
同時、楓を中心にじわりと黒い陽炎が滲む。|禍津日神《マガツヒノカミ》の力が空気を焦がし、色濃く沈めていくような感触。それが一点に集約されたかと思うと、砂の上に異形の輪郭が持ち上がった。硬い甲殻を思わせる皮膚と燻るような黒焔を纏う何か。
だが眷属が完全に形を成すよりも早く、ゾーイの姿はその眼前にあった。
振り抜いた一撃に迷いはない。装甲の内側までを裂くように刃が通り抜けると、眷属は崩れ落ちて霧散していく。
黒焔が尾を引いて迫るが、ゾーイの足取りは乱れない。半歩分だけ体を沈め、焔の軌道の外へと滑るように抜けた。躱しきれない分は、傍らに滲む世界の歪みがその身代わりとなって呑み込み、どこか遠くへと弾き飛ばした。
「……この程度なら大丈夫かな」
小さく零れた呟きは、独り言というよりも確認に近い響きだった。焼けた匂いが鼻をかすめる中、金色の瞳はもう次の気配を捉えていた。
再び楓の周囲に霊力が滲み始めているのが分かる。まだ完全に眷属の形を成す前のそれへ、ゾーイは視線だけを向けて小さく頷いた。
「そっちは任せるよ」
(了解ー! お姉さん達に任せなさーい!)
リンゼイが頷き、軽やかな声と共に黒衣の少女達が答えた。ゾーイが従える死霊の一体もまた、示し合わせたようにその場へと滑り込んでいく。
生まれかけの異形を少女達が押し留めたその後ろで、ゾーイはもう片方の手に抱えていた古びた書物を開き直した。
裏表紙に刻まれた紋様が淡く光を帯び、めくれるページの合間から言葉が紡がれていく。ひとつ、またひとつと連なる魔術は、途切れることなく楓へ向けて放たれ続けた。
ほんの一行ぶんの隙間、楓に気付かれぬようにして、ひとつだけ|呪詛の言霊《カタラ》が紛れ込んだ。
「自制を失い、胸衝く情に流されよ」
詠唱の合間に溶け込んだその一節は、他の光条に紛れて楓へと届く。表情に変化はない。だが僅かに、楓の足取りが鈍った。
抵抗力を削がれた楓の輪郭が、ほんの一瞬揺らいだ。太刀を支える手にも、僅かな遅れが生まれる。
その隙を見逃さず、ゾーイはもう一度魔導書へ視線を落とした。詠唱を重ねながら、意識の端では絶えずリンゼイの気配を追っている。
(ナイスタイミングだよお兄さん!)
(こっちもじゅんびかんりょー!)
きっかり六十秒が経ったその時、リンゼイを中心に空気そのものが軋むような重みを帯びた。積み重なっていた気配が一息に解き放たれ、死への誘いにも似た衝動が波紋のように広がっていく。
抵抗を削がれた楓の身体が、抗う間もなくその只中に沈んだ。太刀を支えていた腕が操り糸が切れたようにわずかに落ちる。
魔導書を閉じるより早く、足元の砂が弾けるように蹴り上げられた。一瞬の隙を突くように、ゾーイの呪刃の一閃が楓を切り裂いた。
場違いなほど軽やかな足音が、砂を踏んで駆けてきた。
カラフルなメッシュの髪をなびかせ、道化師じみた出で立ちの少女が、槌を片手に真っ直ぐ戦場へ突っ込んでくる。|斎川《さいかわ》・|維月《いつき》(幸せなのが義務なんです・h00529)。朗らかな笑顔の彼女は笑い髑髏のついた槌を担ぎ、油断なく名張・楓へと視線を向けた。
少し遅れてもう一つ、もの静かで芯のある足取りが続く。|不忍《しのばず》・ちるは(ちるあうと・h01839)。二人とも、迷いの色は欠片もなかった。
「はいはーい、ちょーっとお邪魔しますね!」
「……リンゼイさんに皆さん、お久しぶりです!」
維月の声が、重苦しい空気を裂くように弾ける。|靴《アクセルシューズ》の紐を結び直したちるはもまた、リンゼイと|自殺少女霊体《ヴァージン・スーサイズ》達へ声をかけた。この状況で、二人が来た理由はひとつしかない。
「って訳で、まずはこっちのお兄さんの対処をしましょっか。古霊さん、やーっておしまい!」
(あ~らほらさっさ~)(おじゃましましょ~)
維月が手を振ると、白くて等身の低い影が次々と湧いて出た。色鮮やかな帽子の古霊たちは波のようにどっと押し寄せ、日神憑きの足元にまとわりつく。
のんびりした声とは裏腹に、その群れの力は絡みつくように敵の動きを重く鈍らせていく。維月はその隙に、リンゼイと少女霊隊の元まで駆け寄った。
久しぶりに会うせいか、会っただけで大はしゃぎしだす少女霊隊と維月。その後ろから、ちるはがひょいと顔を出す。
「ふふ、応援に来ちゃいました」
その一言に黒い少女達がわっと沸き立つのが、気配だけで伝わってくる。秋葉原の一件とはまた違う戦況、けれど最悪の事態は避けられる好機。それが目に見えてきて彼女等も嬉しいのかもしれない。
ちるはは少し目を伏せ、柔らかく笑った。
「リンゼイさんリンゼイさん、リンドーさんとはあれから……まあいろいろ話は聞きたいんですけど。後にしたほうがいいですね……?」
「……ふふ、そうですね」
今はまず、目の前のことから。リンゼイとちるはの言い切る声は、すっかり落ち着きを取り戻している。
古霊たちの群れに足を取られ、楓の追撃が一瞬止む。その隙を見て、維月がリンゼイたちへ視線で波打ち際の方を示した。少しだけ、話す時間はありそうだった。
「この力さえなかったらって。仮に……仮にですよ、思ったとして。維月さんは……」
維月とリンゼイ。全く同じものではないにせよ、似たような災厄で、似たような力の持ち主で。ゆえに心配げに視線を向けるちるはに、維月は笑って返す。
「ボクの災厄が暴走して皆やお兄ちゃんを殺すのと、ボクの力を奪った誰かがそれで殺すのって、結局一緒なんですよ。手を下すのが自分か他人かって違うだけで」
軽く弾む口調のまま、けれどその奥には確かな覚悟が透けていた。
「……多分、リンゼイさんも同じなんじゃないですかね。或いは、もっと真面目かも。大好きな人に顔向けできなくなるのが嫌とか」
どこぞの先輩にね、と茶化すように付け加えられた一言に、リンゼイの肩がわずかに揺れた。図星、と言わんばかりに。
ちるははその隣で、静かに口を開く。
「秋葉原で、皆でお菓子を広げてお話ししたじゃないですか。あの時私、後押ししてもらったので。……今度は、私たちの番です」
友の選択を、ここで無責任に明け渡させはしない。その意志だけを、短く言葉に乗せた。
維月は朗らかな笑顔の温度をひとつ低くして、槌を握り直した。ちるはもまた、アクセルシューズの踵をとん、と鳴らして一歩前へ。二人の視線が揃って楓へと戻る。
「っていうかですよ? 楓のお兄さん……いや、その背後にいる神様に、ボクはものすんごく言ってやりたい事があるんです」
維月の顔が、すうっと解けていく。奥の方だけ赤く十字に輝く、世界の裂け目のような穴へと変わる。その姿のまま、維月はぶんと槌を一振りして。
「そんなに『死』が見たきゃ、特等席で好きなだけどーぞ、ってね!」
維月の気合の掛け声と共に、高速の打撃が楓へ降り注ぐ。抗うような楓の太刀が、ぐらりと歪んだ地面によって明確に空ぶった。
「博多の猫ちゃんたち、ありがとうございます」
あとでお礼のおやつをあげませんとね。ちるはがそう零す。博多で会った猫達が仕込んでおいた仕掛けが噛み合う。その隙へ、加速した踏み込みから一撃。踵が空を裂き、鈍い衝撃が響いた。
二人分の攻撃が、間を置かず重なっていく。古霊の群れにに絡め取られていた日神憑きは、その連撃を受けきれず後方へと押し返された。
黒い気配がわずかに薄れる。リンゼイへ尚も伸びていた手が、届かないままくたりと萎れた。
それで十分だった。
日神憑きを退けると、さっきまでの空気の重さが嘘のように潮風が穏やかに頬を撫でる。
「ふう……守り切りましたね」
維月が槌を下ろし、いつもの調子で笑う。リンゼイは詰めていた息をゆっくり吐き、少し照れたように少女霊隊へ目をやった。その空気の中、ちるはが一歩前へ出た。
「改めまして……リンゼイさん、質問があるのですけれど」
悪戯っぽい笑みが、口元にふわりと浮かぶ。
「リンドー先輩とは最近、どんなお話をしたんですか? ふふ、今日の本題ですよ」
リンゼイの頬が、一瞬でかあっと色づいた。慌てる姿に、維月が茶化すように口笛を吹く。秋葉原の続きのような弾む会話の中、波の音だけが変わらずそこに残っていた。
