シナリオ

⑭『てんさい』

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⚔️王劍戦争:ゾディアック継承戦争

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●バルバラ・アルペンローゼの邁進
 真夏の陽光が、アクロス福岡を囲む街路樹を黄金色へと染め上げていた。
 そらはあおく、硝子のように澄み渡り、入道雲は白亜の城郭のごとく蒼穹へ聳えている。熱気に揺らぐ空気は水面のように景色を歪め、蝉時雨は大地そのものが奏でる交響曲となって街を満たしていた。
 その穏やかな夏景色を台無しにする人物が、ひとり。
「……やっぱり重くないな。皆大袈裟なものだ」
 EU最高議長『バルバラ・アルペンローゼ』。
 身長をゆうに超える巨大な聖遺物を纏いながら、彼女は首を傾げていた。
「はじめにこれらを見付けたときは胸が躍ったものだが……」
 それは一般人にとっては大型トラック一台分にも匹敵する重量である。しかし彼女は軽く肩を一度回しただけで意にも介さない。
「うん。今日は調子がいいな」
 調子の問題ではない。
 通行人がひとり、スマートフォンを取り落とした。観光客らしき外国人が口を開けたまま固まり、プール帰りの小学生たちは『でっけー!』と羨望の眼差しを向け、警備員は誘導棒を振るのを忘れて目を丸く見開いた。
「然し、この聖遺物は些か目立ってしまうのだけが問題だな」
 本当に問題はそれだけだろうか?
 だが、バルバラの中では正しい認識だった。何しろ彼女の背中には、欧州各地から集められた聖遺物が文字通り山のように積み重なっている。槍、剣、盾、冠、十字架、宝珠、鎧、果てはよく分からない祭器まで。さながら神話と歴史を丸ごと背負って歩いているような光景であり、それらが歩くたびに金属とも霊光ともつかぬ輝きを放っては夏の日差しを七色に砕いていく。
「台車を借りた方がよかっただろうか?」
 必要はなかったが、移動の間くらいは外していてもよかったかもしれない。
 日本の夏はなんだかひどく暑いし――だが、そもそも借りられる台車が存在するなら見てみたい。本人だけが真剣に悩んでいた。
「でも、台車だと段差がな……」
 そういう問題でもない。
 通り過ぎた鳩が彼女を見て飛ぶのをやめ、ぴょこぴょことアスファルトの熱の上を跳ねながら逃げていった。その様子を見送りながら、バルバラは困ったように頬を掻く。
「私は本当に向いてないと思うんだがなぁ……」
 最高議長。その肩書きを持ちながら、口調は近所のスポーツジム帰りの女性のような気易さがあった。
「もっと頭のいい人がいるだろうに。私はウェイトリフティングしかできないぞ」
 誰もがそう思っていた。本人もそう思っている。
 だが欧州は彼女を選び――恐らく、他に全部装備出来る人が存在しなかったから――聖遺物を背負わせ、この地へと送り出した。
「まあ……賢い人たちが決めたことだからな」
 彼女は素直だった。故に疑わない。
 自分が資源を奪いに来たことも。悪い奴なら殺していいと言われたことも、世界のためになるのだと説かれたことも。
「私には難しい話は分からない。でも、なるべく悪い奴だけ相手にするよう頑張ろう」
 その決意はあまりにも真っ直ぐで、だからこそ危うい。
 真夏の陽炎の向こう、翡翠の階段を纏うアクロス福岡は静かに佇んでいる。都市と自然が寄り添うその景色は嵐の訪れを知らぬ湖面のように穏やかだった。
「よし、よし。……はて。まずは誰に聞けば『悪い奴』のいる場所が分かるだろうか?」
 最高議長は迷子になった旅行者のような顔で周囲を見回した。世界の命運を左右しかねない人物とは、とても思えない姿のままで。

●『てんさい』は紙一重
「たいへん、たいへん! たいへんよ!」
 夏の陽気もなんのその。太陽よりも賑やかしい声を上げながら、アン・ロワ(彩羽・h00005)は集まったEDENたちにこれまでの戦いに対する労いの言葉をかけながら両腕を広げぐんと背伸びをした。
「ゴールデンウィークにみんなが集まる『アクロス福岡』に、√仙術サイバーからの刺客がやってくるの」
 その名はEU最高議長『バルバラ・アルペンローゼ』。
 バルバラは√仙術サイバーの欧州各地に眠っていた多数の|聖遺物《レリック》で武装しており、聖遺物のもたらす最高級の霊的防護を打ち崩さない限り、いかなる攻撃も彼女に傷を与えることはできない――ということが正しい共通認識ではあるのだが。
「でもね。バルバラは事態を十分には把握できていないみたいなの」
 彼女はEU随一の力自慢であり、武強主義の世界に於いては素晴らしい権力者には違いないのだが。ない、のだが。
「『かしこいひと』たちに唆されて、混乱に乗じてインビジブルを集めようとしているの。誰が敵か、そうでないかさえ彼女は判別できていないわ。だからね……」
 バルバラの生殺与奪の基準は『良い人か、悪い人か』。
 であるならば、『いいひと』として振る舞えば友好的に接してくれるに違いないのだとアンはえへんと胸を張った。
「みんなならだいじょうぶよ! とっておきのヒケツはね……バルバラよりもかしこそうに振る舞うこと!」
 つまりはつまり。彼女を上手いこと『とってもかしこそうに』言いくるめることが叶えば、感銘を受けた彼女はアクロス福岡での蹂躙を諦めて帰ってくれるだろうとアンは自身が視た星の軌跡を描きながら確信を持ってそう語った。
「戦いは激しくなっていく一方だわ。だけど、彼女が『わるいひと』だとひとたびみとめてしまったら、きっと……途方も無い犠牲が出てしまうから」
 だから、おねがい。
 彼女が『天災』へと成ってしまわぬようにと。アンはいのりのことばを紡ぎ、燦々と輝く太陽のもとへとEDENたちを導いた。

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第1章 ボス戦 『EU最高議長『バルバラ・アルペンローゼ』』


藤代・玲慈

●まいご
 軽く頭痛がする。仮にも一国を統べるものが『こう』では、彼らの未来は――いや。だからこそ、簡単に御すことが叶う彼女を最高議長に据えたのか。
「(ですが、純粋な戦闘よりはよほど気が楽です)」
 血を見る必要がないのなら、ないに越した事はない。藤代・玲慈 (桜香の守り手・h12755)は息を吐くと、おそらく迷子になっているであろうバルバラ・アルペンローゼを探すべく夏空の下へ一歩を踏み出した。

「こんなところまで、大変だったでしょう」
 玲慈は苦笑を飲み込み道中で買った博多土産を差し出した。バルバラは目を丸くし、包みを両手で受け取る。とても素直だった。
「これを私に? ……おお、これは……『オマンジュウ』というものだろうか?」
「ええ。僕も仕事で来ていますが、なかなかどうして……正直、屋台街で憩う時間の方が好みです」
 玲慈の穏やかな声音は吹き抜ける川風のようだった。香気を用いるまでもなく、警戒心が少しずつほどけていくのは彼女の表情に如実に表れていた。
「あなたはいかがです? 良い人か悪い人かを急いで決めるより、まずは一息ついてから考える方が賢明でしょう」
「むう。それを言われてしまうと、そんなような気も……しないでも、ない」
 本人ですら結論を見失った返答にも玲慈は微笑みを崩さない。
「疲れたままでは、耳に届く言葉も聞き違えますから。それに、悪い者だけを相手にしたいなら尚更です」
 ――ここで穏やかに話を聞ける人々と敵対するのは、少々勿体ないでしょう?
 そんな言葉に、バルバラは腕を組んで考え込む。彼女の聖遺物の数々は恐るべき脅威に違いないが、それらが振るわれることはない。
「……ううむ。ここに来れば民間人をいじめる悪い奴に出会えると思ったのだが」
 その肩透かしを食らったような呟きは、勢いよく振り上げた網で風だけを捕まえた子どもにも似ていた。
 善悪を一直線に見つめる瞳は曇りなく、それゆえに少し危なっかしい。
「何事もしっかりと熟慮の末、決めることが肝要ですよ」
「じゅくりょ」
 難しい言葉だ。なんて賢く、そして優しい人なのだろう……!
 『この人の言うことは正しい』という確信だけは、夏空に浮かぶ入道雲のように大きく膨らんでいく。少なくとも今この瞬間に、バルバラは戦う意志を見せる事は一度もありはしなかった。

狗狸塚・澄夜

●かみのおぼしめし
「(善良であるが故に危ういか、今までにはいなかった侵略者だな……)」
 敵意を煽るでもなく、ただ真正面から向き合う。狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)の姿勢は、木陰に吹く一陣の風のように穏やかだった。
「私はトウヤ・クリツカ――所謂国家公務員だ」
「なんと。貴方のような幼子を駆り出さればならぬほど、そちらはせっぺ……せっぷく……切迫しているのか?」
 バルバラの真っ直ぐな視線に、澄夜はちいさく肩を竦めた。
「此の見た目だが相応の年だ、決して貴女を侮っているわけではない」
「な、なんと。……そうか。そうか、肉体や精神を鍛えれば、細胞を若返らせることも叶うだろう。なるほど」
 本人なりに完璧な理論が組み上がったらしく、彼女は何度もうんうんと深く頷く。その姿は難解な数式を見事に解いた学者というより、先生に褒められた子どものようだった。
「話が逸れたな。単刀直入に言おうバルバラ。帰還願えぬか、此方も事を荒立てたくない」
「……それは、困る。私も使命を抱いてここにやってきたのだから」
 蝉の声が一層高く響く。
 熱気の中で揺れる空気は、ふたりの間に見えない境界線を描いていた。
「貴女の善良さは疑う余地はない。だが、殺めても構わぬ悪人の線引きは果たして何処にあろうか」
「人は産まれながらにして罪を負う者、赤子とて何の命も啜らずには生きられぬ」
 バルバラはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「……。(むつかしいことばだ)」
 それでも彼女は逃げ出さない。理解できない言葉ほど、きっと深い知恵が詰まっているのだと信じているからだ。
「何より聖遺物は敬虔なる神の信徒が遺した物と聞く、万が一誤った使い方をしたら神罰が降るやも知れぬ。罰は罪人に降るだけとは限らない……伝承の多くもそうであろう」
「…………」
 澄夜の言葉はバルバラには難解な経典そのものだったが、それでも『自分より賢く、きっといいひと』という彼女の単純で真っ直ぐな価値観は揺らぐことがない。
 澄夜は静かに、出来得る限りやわらかな声音で以って問い掛ける。
「其は果たして、貴殿が本当に望む未来か?」
 その瞬間、バルバラの思考回路は限界を迎えた。頭からぷしゅうと湯気が立ちのぼり、その場に静かに膝をつく。

 この人はなんて賢いのだろう。
 そんな尊敬だけを胸いっぱいに抱えながら、簒奪者は戦うことすら忘れ、福岡の灼ける青空の下で目を回していた。

プロキオン・ローゼンハイム

●なつのひざし
「(博多出張中だけど……エッあの人すごい装備だなあ……暑くないのかな)」
 そう胸の内で呟いた青年――医療従事者であるプロキオン・ローゼンハイム(シリウス・ローゼンハイムのAnkerの弟・h03159)は、迷わずバルバラ・アルペンローゼへと歩み寄る。
「あの、すみません。この暑い中、そんな装備は熱中症になりそうですが、大丈夫ですか? 医者として見過ごせません」
 バルバラは額の汗を拭いながら突如として掛けられた声に首を傾げた。
「む? ああ、いや……ううん。確かに日本の夏はとても暑いな、蒸し風呂のようだ」
 よくわからないが、自分を心配してくれていることはわかる。だからこそ、バルバラはプロキオンの言葉を遮らない。
「今日のような高温多湿の状況下に居続けていると、身体に熱がこもって、体温調節がうまくいかずに熱中症の危険があります。めまいや意識障害、筋肉の硬直も起こします。いくら貴方が鍛えていても発症しかねない危険な状態です」
「う、うむ。……うむ?」
 彼は自分のことを医者だと言っている。医者というものは、とんでもなくかしこいひとにしかなれない職業なのだから、ちゃんと話を聞かなくては。
 難しい言葉はバルバラの頭の中で夏空の入道雲のようにもくもく膨らみ、やがて『今はとても自分にとって危ない状況ということだから言うことを聞こう』というひとつの結論へ綺麗にまとまったようだった。
「こちらの水と塩タブレットをお持ちください。大丈夫、先ほど自販機で購入した開けていない新品です」
「ありがとう。だが、それではあなたが大変ではないのか?」
「僕? 予備にもう一本買ったので大丈夫です」
 差し出された冷えたペットボトルはまるで真夏の砂漠に落ちた一粒の氷のようだった。善意とは時に剣よりも容易くひとの心を動かす。バルバラはその齎されたやさしさに表情を僅かに和らげた。
「日本の夏にはくれぐれも気を付けてくださいね。それでは」
「ありがとう、お医者様。あなたから受けた慈悲を、大切にしよう……!」
 深々と礼をするバルバラを残し、プロキオンは苦笑しながら去っていく。その背中を見送りながら、バルバラは新たな決意を胸に歩き出した。

「よし。まずは悪い奴を探そう。そしてお医者様の言う通り、ちゃんと水も飲もう」
 一国を背負う壮大な使命も、日本の夏の前ではまず水分補給から始まるのであった。

イヴォシル・フロイデ
ノイル・リースロス

●まよい
 真夏の陽射しはアクロス福岡の緑の段丘をまるで巨大な翡翠の城壁のように照らしていた。そんな灼熱の広場に、不釣り合いなほど重厚な聖遺物を纏った女性が立っていた。彼女こそがバルバラ・アルペンローゼ、その人なのだろう。
「ノイル、とりあえずまくし立てて煙に巻く方向で問題ないかね?」
「うんうん言い包めるのはイヴに任せるよ。君そういうの得意だろう」
 ノイル・リースロス(闇に揺蕩い影に詠う・h08142)は長い黒髪をさらりと靡かせながら微かに笑う。その傍らで、ひとのかたちに変じたイヴォシル・フロイデ(鷹追い・h06554)は顎に手を当て首を捻った。
「それにしてもあの聖遺物、構造を研究させてくれないだろうか……」
「聖遺物か、どんな効果があるんだろうね……すごく重いみたいだけど」
 興味の向く方向が少しずれているふたりではあったが、志は同じ方向を向いている。バルバラへ真っ直ぐに歩み寄れば、彼女は直ぐにこちらに気付いたようだった。

「ふむ。貴殿は√積層都市のEU議会から、資源調達のために訪れたと」
「そういうことになるな。我々としてもエネルギーのこ……、……コカツ、に関してはたいへん深刻なものとして受け止めている」
 『枯渇』という単語を慎重に発音する姿はなんだか滑稽で、ちゃんと意味を分かっているのか少しばかり怪しいものだった。
「結構。ではなぜその手段を一般人の虐殺に定めたのかね?」
「む? それには誤解があるようだ。私は周辺の『悪い奴』のみを相手取っている」
 彼女は一般人を蹂躙することが目的ではないのだという。あくまで、戦いの混乱に乗じて強いられる悪逆非道と認識できたものを対象に裁きを下していると言うが――イヴォシルはそこで目を細め、殊更に早口で捲し立て始めた。
「なるほど。しかし社会秩序と倫理規範、それに多世界間安全保障条約の観点から俯瞰すると、貴殿の認識には少々構造的な問題があると言わざるを得ない」
 難解な単語が滝のように流れ落ちる。
 バルバラは最初こそ頷こうとしていたが、五秒も経たないうちに目が泳ぎ始めた。
「(……何を言っているのか全然わからないぞ)」
 だが、理解できないことは悪いことではない。
「(このひとはかしこい。きっといいひとなのだろう)」
 その結論だけは妙に早かった。
 ノイルはそんな様子を『活き活きしてるなぁ』と微笑みながら見守り、絶妙な相槌を挟み、ときおり短い補足まで入れる。ふたりの言葉は途切れることなく続き、バルバラは口を挟む隙を完全に見失っていた。
「√EDENは守りが薄い格好の獲物だったのだろうが。ここ一年半ほどで急速に能力者が増えて守りを固めていてね」
「むう。EDENの噂は私の耳にも入っている、だが……そのすべてが『悪い奴』ではないのかも知れない」
「出がけにちょっと調べてみたのだが、√EDENに攻め入った簒奪者が無残に返り討ちにあった報告書の数を知っているかね? 千や二千では済まないのだが」
「他の√から支援に来ている能力者達も多いしね」
 イヴォシルは淡々と事実を積み重ねる。その言葉は積み木ではなく石垣のようで、バルバラの決意を少しずつ囲い込んでいく。
「此処で一般人の虐殺なんて明確な敵対行動に出てしまえば、いっそ√仙術サイバーへ逆侵攻……なんて未来もあるかも知れないし」
「それは……。……そんな事があるとするならば、私は守るための城砦として立ちはだかるだろう」
 その返答には迷いがなかった。
 善人だからこそ、大切なものは守りたい。その一点だけは揺るがない。
「虐殺となれば我々は抵抗するがね。そうなるとその聖遺物とやらも損傷する可能性があるのではないかな?」
 ぴくり。
 バルバラの眉が、そこではじめて感情の機微を表した。
「この聖遺物は大切なものだ。だが、それよりも弱いものいじめはよくないしな……ううむ……」
 難しい顔で唸り始める。
 蝉だけが元気よく鳴いている。
 その憎めなさに、ノイルは思わず口元を押さえた。
「(悩んでる、悩んでる。ふふ、なんだか子どもみたいだね)」
 まるで宿題と遊びの約束を同時に思い出してしまった子どものような表情だった。
 照りつける真夏の太陽の下、交渉は剣戟よりも穏やかに、それでいて思いのほか大きく戦局を動かしていた。知識という名の追い風に乗せられたバルバラは、本人も気づかぬまま『かしこくていいひと』の言葉へ素直に耳を傾け続けるのだった。

神隠祇・境華
シンシア・ウォーカー

●まほうのひみつ
 バルバラ・アルペンローゼは聖遺物を携えながら真剣な面持ちで以って少女たちと向き合っていた。悪い者だけを倒し、インビジブルを回収して持ち帰る。それが彼女の目的だ。できることなら争いは少なく、平和的に済ませたい――そんな善良さを持つ人物でもある。だからこそ目の前のふたりが見るからに知的な雰囲気を漂わせ始めた時点で、彼女の中ではすでに結論が出ていた。
「(この少女たちは……きっと、すごく頭がいい。頭がいいひとは知恵を悪いことに使わない。だから、いいひとに違いない)」
 根拠はほとんどないが、本人は大真面目だった。

「かしこそうに振る舞う、ですか……どうしましょう。ひとしきりお互いの扱う術式の体系でも話しておきます?」
 シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)はそんな彼女を見つめながら顎へ指を添え、ちいさく首を傾げた。その言葉を受け、神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)も静かに頷く。
「わかりました、ではお互いの術式体系についてお話ししましょう」
 バルバラは姿勢を正した。学者同士の会談でも始まるのだろうか。難しい話は半分もわからないだろうが、きっと大切なことなのだ。
「EDENの力の源を教えてくれる? な、なるほど。それは互いにとっていい効果をもたらすかもしれないな」
 境華は穏やかに微笑み、教鞭を執る講師のように朗々とことのはを紡ぎ始めた。
「ええ。それでは、私の扱う御伽能力についてですが――御伽とは、物語に残された記憶や意味を読み取りそれを現実へ一時的に再現する術式体系です」
「???」
 最初の一文でもう霧の中だった。
 だが、そんなバルバラを置き去りに、境華の説明は山道を登るように少しずつ難度を増していく。
「ただ力を借りるのではなく、その構造を読み解き。必要な頁を選び、現在の状況へ繋ぎ直すことで――」
 専門用語がさらさらと流れ、まるで古い川が石を洗うように耳を通り抜けていく。シンシアは興味深そうに聞き入りながらも、議長の横顔をちらりと盗み見る。その顔は、次第に『理解している人』の笑顔ではなく、『理解しているように見せたい人』の引き攣った笑顔へと変わっていた。
「……う、うむ。うむ?」
 額に一粒伝ったのは汗なのか冷や汗なのか本人にも区別がつかない。境華はそれに気付かぬままに説明を締めくくっていく。
「――という形で、原典と現実との整合性を保ちながら、物語の一部を術式として定着させています」
「(ぜんぜんわからないぞ)」
 頭の中では、本棚と童話と歯車がぐるぐると忙しなく回っていた。しかし、ここで『わかりません』と言えば失礼かもしれない。知的な人はきっと正しい。そう信じているからこそ、必死に頷き続ける――すると今度はシンシアが魔導書を軽く掲げた。
「私からはこの魔導書の話でもしましょうか」
 嫌な予感がした。
 本能が警鐘を鳴らしている。
「いや、もう、もう結構だ。いまの話もその……、たいへん勉強になったが、」
 だが、無慈悲にも退路は絶たれることとなる。シンシアは実に楽しそうな笑みを浮かべ、『次の授業』を始めるべくして両の手を広げて見せた。
「さて古代語魔術の講義のお時間です。√ドラゴンファンタジーにおける汎用魔術として名高く――」
「あっ、えっ」
 悲しいかな、議長のちいさな悲鳴は蝉の大合唱に優しく飲み込まれた。
「汎用魔術と言いましたが、体系は恐ろしいほど細分化されており、こと私の扱う系統ではセレスティアルひいては天上界での祈りを源流とする力を魔術に転用することで――」
「う、うむむむむ…………」
 理解は砂浜を素足で掴もうとするようなものだった。掴んだと思えば指の間からさらさら零れ落ちていく。
 その一方で、境華は目を輝かせて聞き入っていた。シンシアもすっかり話に熱が入り、二人の会話は磨き上げられた水晶同士が共鳴するように、次々と専門的な魔術理論を重ね合わせていく。
「ふふん、私も本来魔術談義は結構できるクチなのですよ!」
「なるほど。同じ魔術でも、何を力の根幹とするかによって術式の組み方そのものが変わるのですね」
 知恵熱と夏の熱気に敗北し、石畳の上に大の字となったバルバラの頭上では真夏の陽炎がしろい湯気と見分けがつかないほどゆらゆらと揺れていた。
 シンシアと境華はそんな彼女に気付くことなく、魔術談義という終わりの見えない迷宮を、実に楽しそうに歩き続けていた。

椎宮・紫水

●せいてんのへきれき
「お困りかい? レディ?」
 帽子を軽く取って一礼する 椎宮・紫水(シセキエイ・h12162)の姿は、夏の日差しの中でもどこか涼しげだった。
「私は椎宮・紫水という。通りすがりのEDENだ」
「あなたもEDENなのか。私はバルバラ、『悪い奴』を倒しにやって来た」
 実に分かりやすい。
 バルバラの真っ直ぐな返答に、紫水は微笑みを崩さぬままに口を開いた。
「戦いが避けられないなら剣を抜く事も辞さないけれど……そうでないならまず言葉を交わすべきじゃないかと思ってね」
 その言葉は木陰を渡る風のように穏やかだった。バルバラは腕を組み、真剣な表情で考える。
 彼の言っていることは半分くらいしか分からない。
 しかし、難しいことを難しい言葉で話せるということは、きっと賢い人なのだろう。賢い人はいいひと。いいひとの言うことは、たぶん正しい。そんな思考を一生懸命巡らせながらバルバラは大きく頷いた。
「私達は獣ではないし。スポーツですらルールがあるのだから――戦いにだって話し合いがあっても良い、と思うんだ」
「……うむ。うむ……そうだな。何事もスポーツマンシップに則った在り方でいたい。私もそれには同意見だ」
 どこか誇らしげに胸を張るバルバラに思わず苦笑を漏らしながらも、紫水は本題へ話を移していく。
「っていうかこんな襲撃一回でエネルギー問題は解決するのかい? そうじゃないなら毎回来る事になるのでは?」
 その一言は横切る積乱雲から落ちた稲妻のように真っ直ぐだった。
 バルバラは固まった。
 蝉だけが、何事もないように鳴き続けている。
「……。……あっ!」
 今まさに世界の真理へ到達したような顔だった。
「……毎回来ることになるのか?」
 自分で口にし、自分で驚いている。紫水は額へ手を当て空を仰ぐ。
 壮大な国家規模のエネルギー問題が、たったひとつの素朴な疑問で音を立てて揺らぐ。その様子はまるで、巨大な城が土台の小石でぐらりと傾くような、どこか拍子抜けする光景だった。
「なるほど。……賢い人と話すと、新しい発見があるものだな!」
 満面の笑みでそう言い切る彼女を見て紫水は肩を竦めた。
 戦いはまだ始まってすらいない。
 だが少なくとも、この灼熱の街では剣より先に言葉が交わされ――そしてバルバラは自分の作戦の穴にようやく気付いたに違いなかった。

逆朽・ミロク

●わるものとは
「へぇ、悪人を探してるのか」
 木陰でバルバラへと声を掛けたのは妖怪探偵を名乗る逆朽・ミロク(鵺鳴きの夜・h13500)だった。しろい瞳は昼の空よりも静かで、その飄々とした笑みには猫のような掴みどころのなさがある。
「うむ。だが、ここにはいいひとばかりが集まっている。賢い人たちの話とは少し違うようだ」
 広場では子どもが笑い、ベンチでは老人が将棋を指し、誰も彼も平和そのものだ。悪党を探すには、あまりにも穏やかな景色だった。
「なら、力になれるかもしれないな? おれは探偵をしていてね」
「……なんと!」
 探偵。彼女の中では『頭が良く、正しい人』の代名詞のひとつだった。
 迷う理由などひとつもない。ミロクが歩けばその後ろを歩き、立ち止まれば素直に足を止める。まるで親鳥について歩くひよこのようだった――ひよこにしては、随分大きかったが。
「お国のためのエネルギー回収ね……お前の言っていることにも一理はあるな」
 肯定してくれる言葉を聞けば、バルバラはうん、うんと深く頷き自身の任務の大切さを静かに説いた。
「じゃあ、悪人ってのはどんな奴の事だ?」
「それは勿論、弱きを助けぬものであろう。或いは、弱いものをいじめるものだ」
「けれどバルバラ、悪い奴がどんな時もそうであるとは限らない。悪人だって猫を助けることもあれば、子どもに道を教えることもある」
「……なんと」
 その一言で、彼女の世界は小石を投げ込まれた水面のように波立った。

 悪人にも――いい側面がある――?

「反対に善人だって嘘を吐くし、過ちを犯すこともある。どの角度から見ても同じ見方をする人間はいない。人間は多面体だからな」
「……、……私には、わかりかねる。では、どうしたら『悪い奴』を見つけられると言うのだろうか?」
 ミロクは苦笑しながら硝子張りの建物に映る彼女の姿を顎で示す。ひかりを受けたその姿は、角度を変えるたび違う景色を映す万華鏡のようだった。
「お前の探している『悪い奴』ってのは、お前の中にしかいないのさ」
「……???」
 頭の上に大きな疑問符が浮かんで見えるほど首を傾げるバルバラに、ミロクは肩を竦める。蝉時雨は相変わらず賑やかで、真夏の風は答えを急かさない。
 悪人探しは空振りのまま。それでもふたりは並んで歩き続ける。その時間だけは、少しだけ平和を集めるための短い旅路になっていた。

ハリエット・ボーグナイン
見下・七三子

●しゅくだい
 真夏の陽炎が緑に覆われた段々の外壁をゆらゆらと揺らしていた。照り返しを浴びた石畳はフライパンのように熱く、蝉時雨はまるで街全体を煮立たせる大鍋の蓋を叩く音だ。行き交う人々は日傘や扇子で暑さをいなし、その喧騒の中を、一人の赤髪の女性が真面目な顔で歩いている。
 EU最高議長、バルバラ・アルペンローゼ。
 聖遺物を携え、この地に満ちるインビジブルを回収し、祖国のエネルギー問題を解決する――そんな大義を胸に抱いてはいるものの、本人は『悪い奴だけ倒せればいい』と考える、どこか抜けた女傑であった。
「こんにちは!バルバラさん!」 
 澄んだ声に振り返ると、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)が伊達メガネをきらりと光らせて立っていた。そのレンズは夏の日差しを受け、まるで世界中の知性を凝縮した結晶のように輝いて見える。
「む。こんにちは、お嬢さん。……私に何か?」
 バルバラは警戒する様子もなく応じる。それもそのはず、彼女の目には七三子の眼鏡が、とてつもない知性の象徴として映っていたのだ。
「日本には、急いては事を仕損じる、という諺があります! 近道だと思ったら足元をすくわれますよという意味なんですけど」
「……諺、とは?」
「あ、諺は、(あらかじめ暗記しておいたんですけど)個別具体的な経験知が長期的な口承および共同体的記憶の圧縮過程を経て定型化され、反証可能な事実命題というよりは実践的合理性を担保する規範的言説として機能する短形式の伝承表現、でしてつまり、みんなが過去から学んだこと、なんですね」
「えっ……と、……う、うん。うん?」
 なんてかしこさだ。私には半分も理解することができない……!
 理解は霧の彼方だったが、『理解できないほど賢い』という確信だけは青空のように明快に晴れ渡っていた。
「つまり、急いでインビジブルを集めるよりも、一度議会に戻ってちゃんと手順を検討してから臨んだ方がいいんじゃないかなと思うわけです」
「ううむ……しかしな、こちらの賢い人たち……いや、議会はこの機を逃す手はないと言っていて……」
 悩み始めたその時だった。
「お困りかい、お姉さん」
 響いた声とともに現れたのは、サングラスをかけた少女――ハリエット・ボーグナイン(“悪食”ハリー・h00649)だった。
「むむっ。あなたは?」
 黒いレンズが太陽を映し込み、得体の知れない威厳を醸し出している。七三子が学者であるならば、こちらは裏社会の知将とでも言うべき雰囲気だった。
「(悪いヤツだけ殺して……そこだけ見りゃ、|一般人《パンピー》相手の仕事をやめたおれと大差はねえ。穏便に引き取ってもらいてえな)」
 サングラスで賢さを演出するパフォーマンスで興味を引きおびき寄せる。バルバラは恐らくは容易くそれに引っ掛かってくれるだろう。ダーティな賢さというものも時には必要なことだった。
「最高議長なら偉いんだろ。話し合う余地ねえの?」
「んんん……しかしな、私の肩書は飾りのようなもので……賢い人たちの議決に従うばかりだからな……」
 しゅん、とバルバラの広い肩が落ちる。
 肩書は立派でも、中身はどこまでも誠実なひとりの女性であるらしかった。
「邪悪なインビジブルに手を焼いてんのはこっちも同じだ。手伝ってくれんなら融通する。効率は悪いかもしれねえが後ろめたさはねえだろ」
「……ううん。……その方が、良いような気がして来たぞ。私とて、無闇矢鱈に力を振るう悪者になりたいわけではないのだ」
 夏風が街路樹をさらりと揺らし、葉陰が三人の足元へ木漏れ日の模様を落としていく。その光景は剣を交える寸前だった空気を、氷を浮かべた麦茶のように静かに、穏やかに冷ましていた。
 やがてバルバラは小さな手帳を取り出し、真剣な顔で万年筆を構える。
「今の話を、もうすこし簡単にしてくれないか? メモをするから……」
「……あははっ! 勿論、構いませんよ!」
「ああ。持ち帰り案件って事でお帰りはあちらだ」

 真夏の太陽の下、世界を揺るがしかねない刺客は難解な専門用語と眼鏡たちの威光にすっかり説得されて議会への宿題を抱えて帰路につく。
 戦いではなく『なんだか賢そうな人たち』の勢いに押されて幕を閉じた一幕は、夏空へ溶ける入道雲のようにどこか平和で拍子抜けするような結末となったのだった。

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