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夏色あいすくりん

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●√妖怪百鬼夜行:町外れの“あいすくりん屋”
 夏の日差しに焼かれた往来を、風鈴の涼やかな音が渡っていく。
 硝子戸の向こうには三種の“あいすくりん”。
 やさしい甘さのバニラ、ちょっぴりビターなチョコ、まろやかな味わいのあずき。
 安価で食べきりサイズ。涼を取るのにぴったりの一品。
 けれども、客の姿はまばら。
 若い店主は溶けかけの氷菓よりも頼りなく肩を落としていた。
「このままじゃ……お店、なくなっちゃうかな……」
 祖母から受け継いだ小さな店。
 昔のように賑やかにしたい。もっと沢山の客に来てほしい。
 しかし努力は実を結ばず、募るばかりの想いは“情念”となって――。

 店の奥。
 もう長らく使われていない氷室の、さらに奥から声がした。
 店主はふらりふらりと吸い寄せられるように近づき、神棚めいた祠の封を剥がす。
「……結構。貴女の望みは、私が叶えて差し上げましょう」
 現れた古妖は慇懃というほど恭しく一礼すると、穏やかな声で囁いた。
「ご安心ください。すぐにやってきますよ……大勢ね」

 かくして、店主の願い通り、店は往年を凌ぐ勢いで賑わうのだが――。

●星詠みの語るところによれば
「それは同時に、古妖の望みを叶えることでもありまして」
 |獺越《おそごえ》・|雨瀬《あませ》(行雲流水・h05081)は、渋い顔で語った。
「|古妖《やつら》は人や妖怪の強い情念に付け込み、その願いを叶える代わりに封印を解かせることがあります。正体と企みの深いところまでは星も報せてくれませんでしたが、今回もその類で間違いありません」
 封印を解いてしまった店主も、事の重大さに気付いて狼狽え、自責の念を抱いているが――しかし、後悔先に立たず。一介の店主に古妖をどうこうできるはずがない。
「ここは皆様の力で古妖を撃破し、その目論見が果たされる前に再び封印すべきでありますが……とはいえ、それを為すだけでは片手落ちというところでございまして」
 そもそもの発端は、あいすくりんの店を守りたいという店主の情念。
 古妖を封じても、その悩みが消え去るわけではない。
 根本的解決に至らなければ、いずれまた同じことを繰り返すかもしれない。
「ならばひとつ、古妖なんぞに頼らずとも繁盛させてやろうじゃありませんか」

 老舗のあいすくりん屋。
 聞こえはいいかもしれないが、裏を返せば古臭い。代わり映えしない。
「まずは店主に新商品を提案しましょう。あいすくりん……アイスクリームのフレーバーといえば、それこそ星の数ほどあるでしょう。√EDENの最新流行を持ち込んだり、或いは妖怪ならではの珍味めいたものでもいいかもしれません。材料、盛り付け方、商品名に至るまで、皆様で知恵を出し合い、新しいあいすくりんを作るのです」
 開発を終えたら、今度は売り出しだ。
 EDENたちも店に立ち、調理から給仕、会計などを手伝うことになる。
「古妖の力で集められた賑わいを、皆様自身の力で生まれた賑わいへと塗り替えていくのです。それが再封印の儀式と同義になるようですので」
 そうして、店が大いに賑わった頃。
「古妖は己の望みを叶えるべく姿を現すでしょう。どうぞ皆様、アイスクリームディッシャーを得物に持ち替え、古妖を全力で叩きのめして、再封印してくださいませ」

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第1章 日常 『季節の彩りを形に』


●√妖怪百鬼夜行・町外れの“あいすくりん屋”
 ――まだ準備中の札が下げられたままの入口。
 硝子戸の向こう、店内は使い込まれた飴色の木材を基調に小さくまとまっている。
 壁際には丸い卓と椅子が並ぶ数席分のイートインスペースが設けられており、カウンターと一体になったショーケースには三つのあいすくりんが並んでいた。
 滑らかで甘く香るバニラ。艶やかな褐色にほろ苦さを秘めたチョコ。
 柔らかな小豆の粒が覗く、素朴で優しいあずき。
 銀のディッシャーで掬えば、冷たい球形がころりと、ガラスの器やサクサクのコーンに収まる。
 見ているだけでも涼しさを感じられる一品。

 もっとも、それを用意する店主には涼む暇など無かったらしい。
「ええと、今日の分の材料が……ああっ、器も洗い終わってない……」
 店主、宮下・すずは眠たげな目の下に薄く隈を作り、バックヤードとカウンターを忙しなく往復していた。
 古妖の影響で激増した客に備えるため、仕込みも発注も開店準備も一人で抱え込んでいたのであろう。
 だからこそ。
「――あっ……あの、すみません。まだ開店前で……」
 戸口の気配に振り返ったすずは、揃って現れたEDENたちを見るや、目を丸くした。
「……え、皆さん、いったい何を……?」

 事情を聞いて、さらに驚く。
 新しいあいすくりんを考え、この店が古妖などに頼らずとも客を呼べるよう手伝いに来た――そう告げられれば、すずは暫し戸惑うように三つの氷菓を見つめた。

「この三つは、お婆ちゃんの頃からずっと出している味なんです。だから、無くしたくはなくて……」

 けれども、新しいものを加えてはいけない理由などない。
 新たなフレーバーは勿論のこと、果物や菓子を添えるもよし、ソースやトッピングに凝るもよし。盛り付け方を工夫したり、あいすくりんと一緒に楽しめる飲み物を考えたり――試せることはいくらでもある。

「……わたしが、|古妖《あんなもの》に頼ったせいで……皆さんにまでご迷惑をおかけして……」
 瞳にうっすらと涙を滲ませ、すずは頭を下げた。
「お願いします。皆さんの力を、貸していただけませんか」

 昔ながらの味は、そのままに。
 新しい夏の彩りを、ひと匙ずつ。

 さあ、新商品開発の始まりだ。
シャルファ・ペンタス・ダオ
月島・珊瑚
天國・巽

 俄かに降り出した雨が、焼けた往来の熱を撫でてゆく。
 軒先から落ちる雫。忙しさを増した風鈴の音。
 けれど、それらに気付く余裕もないのだろう。
 慌ただしく動き回るあいすくりん屋の主、すずを見やって、シャルファ・ペンタス・ダオ(雪星花・h12427)は眉尻を下げた。
「とてもお疲れのようです……ちゃんと、休めていますか?」
 若い店主の左肩へと、そっと触れるような声に、責める響きは欠片もない。
 それでも金と氷青、色違いの眼差しに見つめられたすずは、大丈夫ですと言いかけたまま俯いた。
 目の下の隈も、潤んだ瞳も、軽い強がりでは隠せそうにない。
「泣いてる暇はないぜ、すず」
 声を掛けたのは、|天國《あまくに》・|巽《たつみ》(同族殺し・h02437)。
 雨を連れて現れた龍は、しかし晴れ間のように微笑みかける。
「安心しな。古妖退治にゃ一家言あるんだ。しかと新しい客を掴んで、古妖に三行半を突き付けてやろうじゃねェか。な、シャロ。珊瑚」
「もちろん! 皆でお店を盛り上げて、古妖にはお帰り頂こう!」
 |月島《つきしま》・|珊瑚《さんご》(憧れは水平線の彼方まで・h01461)が力強く頷く。
 一生懸命な者の弱みに付け込む古妖など、許してはおけない。
 それは珊瑚のみならず、此処に集った皆の想いでもある。
「たつみさん、さんごさん、頑張りましょう。えいえいおー、なのです!」
「おう!」
「おー!」
「すずさんも! えいえいおー、ですよ!」
「……おー」
 シャルファが小さな拳を掲げれば、すずもおずおずと後に続いた。
 重苦しい店内の空気も少しだけ軽くなって、気づけば硝子戸の向こうには、夏の日差しが戻っていた。

 ――さて、“まよひが”の面々が心を合わせたところで、まずは新商品開発である。
「こういうものは、季節や流行を取り入れると良いって、お兄様たちが言ってました」
 シャルファが提案したのは夏のみかん。果汁を混ぜ込んだ試作品は、夕空を淡く溶かしたような橙色。口に含めば、あいすくりんの柔らかな甘さを、柑橘の瑞々しい酸味がすうっと攫ってゆく。
 さらにもう一案のミントは、白いあいすくりんを涼しげな薄荷色に染めた。舌先から喉へと抜ける爽やかな香りは、厳しい夏の日差しをひと時、忘れさせてくれそうだ。
「どちらの味も、今のあいすくりんに少し工程を足すだけで出せそうですね」
 すずの声が、心なしか明るく弾む。
 しかし、幾ら“少し”と言っても、新しい味を増やせば増やした分だけ、仕込みの手間は増えてしまう。
 そこに目を向けたのは珊瑚だった。今日を凌ぐだけであれば気にすることもないが、明日も明後日も一年後も、末永くこの店を愛してもらおうとするなら、新商品を一日限りの限定品として終わらせるわけにはいかない。
 そうして先を見据えた時、仕入れや製造など、様々な面において店主の負担を無視する提案をしても仕方がないだろう。
 |自分の世界《√EDEN》の人気や流行を取り入れるとしても、同じことだ。この店の雰囲気に合わないもの、すずが残したい“古き良き”を塗り潰してしまうようなもの。そういったもので一過性の賑わいを得ても、本末転倒である。
 ならば、如何にすべきか。シャルファや巽が試作品の製作に勤しむ傍ら、腕を組んで唸るように思案していれば――。
「……あ」
 ふと、天啓閃く。
 きっかけはシャルファが握っていた、あいすくりんに欠かせない円錐形の“あれ”。
「コーンの代わりに、最中の皮を使うのはどうかな?」
 薄い皮を割れば、餅米の香ばしさと共に、昔ながらのバニラやあずきが姿を覗かせるのだ。和の店構えにもよく馴染み、既存の三つの味をそのまま活かせるはず。
「後はソースで変化を付けるとか。季節のフルーツソースに黒蜜、抹茶に練乳……変わったところだと、みたらしソース!」
 ものは試しと、艶のあるみたらしを、最中で挟んだあずきにひと筋。
 甘辛い醤油の香りが、小豆の丸い甘さをきゅっと引き締める。
「さんごさんのみたらしあいす最中、お店の雰囲気にもぴったりです!」
「こいつぁ良い。きなこや生クリームのトッピングなんかもアリだな」
 巽がきなこを薄く散らせば、黄土色の粉雪がみたらしの艶へと降り積もった。
 手を加えれば当然、味も確かめる必要がある。ひと匙ずつを分け合う三人の、真剣でありながらも楽しげな横顔を、すずも期待に満ちた眼差しで見つめている。
「あずきだったら、バターの香りを合わせる手もあるぜ」
「……でも、巽さんの本命は別にありそうだね?」
 ちらり、と横目で調理台を見やれば、それは珊瑚が問うまでもなく明らか。
 巡る龍氣を舌と指先に宿した巽が、古妖を斬り捨てるかの如く険しい視線で向き合い続けていたのは――抹茶だった。
「今ある三つは甘みが主役だ。なら、さっぱりした苦みをひとつ置けば、食べ合わせにも幅が出る」
 あいすくりんに鮮やかな緑をひとつまみ加えて味見。香りを確かめて、僅かに配合を変え、また味見。
 地道な作業の繰り返し。
 その何度目だったか。誰も数えなくなった頃合いのひと匙で、巽の手が止まった。
「……出来たな。この味だ」
 白磁の器に盛られた緑は、雨に濡れた夏山の葉にも似て鮮やか。
 そして、口当たりはどこまでも滑らか。初めに柔らかな甘み、その後から抹茶の青い香りと心地よい渋みが追いつき、喉を過ぎる頃には涼しい余韻だけを残して消えてゆく。
「わぁ……たつみさんの抹茶、とっても美味しいのです!」
「最中とも合うね!」
「すずさん、どれが良さそうですか?」
 シャルファに促されると、すずは試作品の並ぶ台を見つめて言った。
「……選べません」
 ぽつりと零してから、すずは慌てて首を振る。
「ち、違いますっ……ダメとかじゃなくて、どれも出してみたいなって」
「だったら、今日は全部出してみたらいいじゃん? その中から特に好評なものを残したり、季節によって入れ替えたり、無理なく続けられるようにまた考えればいいよね」
 いま此処で全てを決める必要はないのだと、珊瑚の言葉にシャルファと巽も頷く。

 みかんとミントが並び、その隣には抹茶。トッピングの受け皿にもなる最中があって、傍らの黒蜜やきなこ、みたらしが彩りを添えている。
 一気に賑やかさを増したが、しかし、その土台となるのは昔ながらのあいすくりん。
「おばあちゃんの味を残したまま、こんなに新しいことが出来るなんて……」
 呟きを飾るように、軒先の風鈴が鳴った。
 今度はすずもその音に気づき、三人の前で柔らかく笑った。

葵・慈雨
トゥルエノ・トニトルス

 まずは知らねば始まらないと、|葵《あおい》・|慈雨《じう》(掃晴娘・h01028)はあいすくりんをひと匙、口に運んだ。
 舌の上でたちまちほどける冷たさ。
 その後から、牛乳と卵の素朴な甘みが、ゆっくり追いかけてくる。
 飾り気のない味わい。だからこそ、夏の日に何度でも恋しくなるような味である。
「こんなに美味しいのに……!」
 思わず零れた声に、すずが微笑んだ。
 美辞麗句など並び立てなくとも、ただ一言「おいしい」と言ってもらえる。
 それがどれほど嬉しいことかは想像に難くない。
 店主の素直な反応に、慈雨も人の好い笑みで応える。
 そして、つくづく勿体ないと思う。手頃で美味しい冷菓と、人当たりのいい店主。良いものと善い人が其処に在って――しかし、だから売れるとは限らないのが、商いの難しいところだ。
「でもでも、私も正直、ここにアイス屋さんがあるなんて知らなかったんだよう」
「それは……わたしも反省しないといけないところですね」
 すずも集客や宣伝を軽んじていたわけではない。しかし“昔ながらのあいすくりん”を保とうとするあまり、心のどこかで“変化”というものを遠ざけていたのは事実だった。
「新商品と一緒に、宣伝もしっかりしたいよねぇ」
 慈雨の言葉に、匙と器を手にしたトゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)も頷いて言う。
「古き良き老舗の美味しいものが、多くの皆に知られるのは良きことだ」
「トールくんは、どんなお味が好き?」
「わたしは見ての通りチョコ味だな! 慈雨殿はいかがだろうか?」
「私はミントとか、さっぱりしたものが好き~!」
 なるほど、とすずがメモを取る。
 まずは知らねば始まらない。それは客の好みという部分でも同じ。
 あとは集めた情報を、どうやって商品に落とし込むかだが――本格的な新商品開発へと移る前に、溜まっている器を洗うところから始めるべきか。
「お手伝いしながら考えよっか!」
 袖を濡らさぬようにとたすき掛けにして、慈雨が蛇口を捻る。
 ところがどっこい、思案と発声と行動をひとまとめに進めたせいか、不慣れな余所様の調理場であるがゆえか、水は予想以上の勢いで迸った。
 跳ね返った飛沫が陽を受けて、硝子の粒のように飛び散る。
「ひゃっ」
「わぷっ」
 悲鳴とは呼べないすずの小さな声。
 チョコ味を閉じ込めたままの口から漏れたトゥルエノの呻き。
 俄かに訪れた静寂を、慌てふためく慈雨が破った。
「ちょっと、お水を出しすぎちゃったみたい! ごめんね、ごめんね……!」
「なに、誰か流されたわけでもないのだから、問題ないだろう」
 大真面目かつ豪快な慰めに、すずの口元から小さな笑いが零れる。
 慈雨も照れ笑いを浮かべつつ、三人で水滴を拭き取れば、店内には先ほどまでなかった朗らかな空気が満ちた。

 そうして洗い物を終えてから、トゥルエノが思案の末に取り出したのは三つのあいすくりん。
 バニラ、チョコ、あずき。既存の三種である。
「古きよきを守るのであれば、トッピングを凝るのは如何だろう」
 丸く盛られたあいすくりんに、丸や三角の焼き菓子を耳として添え、チョコや小豆で目鼻を描いていく。
 細長い耳、先の丸い垂れ耳、ぴんと尖った三角の耳。
 それぞれを味に合わせて飾れば――。
「じゃーん。完成だ」
 雪のようなバニラは、長い耳を立てた白兎。
 艶やかなチョコは、柔らかな垂れ耳の仔犬。
 あずきには斑模様を描いて、澄ました三毛猫に。
「可愛い、可愛い! 見た目もお味も素敵になるねぇ!」
 慈雨が手を叩けば、すずも目を輝かせる。
 飴色の卓上に並べた三匹は、冷たい夢から生まれた小さな夏の獣たち。
 今にも器の縁から抜け出して、店先まで客を迎えに行きそうだった。
「耳を取り替えれば、動物と味の組み合わせも無限大だな」
「好きなお味と好きな動物を選べるんだねぇ。それなら、何度も来たくなっちゃうかも!」
「うむ。ただし、かわいい顔は食べづらいのが難点だが……」
 トゥルエノは垂れ耳の仔犬と暫し見つめ合った末、意を決してひと匙。
「溶けてしまう方が悲しいからな」
 ほろ苦いチョコと香ばしい焼き菓子が口の中で混ざり合い、その青い瞳が満足そうに細められた。

 一方で、慈雨が提案したのは香り高い大人の味。
「期間限定で、バニラにラムレーズンを入れるのも良いよねぇ」
 酒好きの双角が喜ぶ様を思い浮かべながら、ラム酒とレーズンを混ぜ込む。即席レシピで作ったそれをあいすくりんと合わせれば、優しい甘さにラム酒の豊潤な香りとレーズンの甘酸っぱさが重なった。
「慈雨殿の提案も美味しそうだな。早速、味見するとしよう~」
 待ちきれない様子のトゥルエノに、慈雨が笑いながら匙を手渡す。
 ひと口含んだ彼が力強く頷くと、すずの顔にもまた安堵と喜びが綻んだ。

 昔ながらの三つの味を、愛らしい姿で新しく。
 そこに季節限定のラムレーズンやミントも加えて、まずは近隣の人々に店の存在を知らしめる。
「これなら、おばあちゃんの味を失くさずに、新しいお客さんを迎えられます」
 すずは心底大切そうにあいすくりんの器を見つめた。
 守ることと変わることは、きっと相反するものではない。
 受け継いだ甘さはそのままに、新たな彩りを加える。
 そうして生まれた風味や、小さな夏の獣たちは、寂しかった店に真の賑わいを呼ぶ、確かな兆しとなった。

白銀・雅

「少し、火を使わせてもらいますね」
 調理場に立った|白銀《しろがね》・|雅《みやび》(あやかし妓楼の女主人・h01079)は、店主のすずに断りを入れると、私物だというブランデーをひと匙取った。
 傍らには丸く掬ったバニラのあいすくりん。
 一体、何が始まるのだろうか。興味と不安と疲労を綯い交ぜにしたすずの視線に、雅は悪戯っぽい笑みと声音で答える。
「実演して見せた方が良いでしょうから。これは必要経費ということで」
 琥珀色の雫をあいすくりんに纏わせて、火を近づける。
 瞬間、淡い青炎が花弁のように開き、白い球を透かして揺らめいた。
 溶けた縁には艶が宿って、店内を満たした芳醇な香りに、すずが眠たげな目を大きくする。
「綺麗……それに、とっても……」
「良い香りでしょう? これは高級店向けの演出ですから、無理に真似をしろとは言いません。重要なのは、今かけたもの……洋酒です。実はアイスと洋酒は相性が良いんですよ」
 炎を消して口に運べば、冷たく優しい甘さの後から、熟れた果実と樽香がふわりと昇る。
 ほんの一匙で、昔ながらの素朴な味が艶やかな横顔を覗かせた。
 これならば、酒を嗜む客の舌にも、そっと残るだろう。

 とはいえ、雅が自ら指摘した通り、高価な酒を惜しみなく使うのは無理がある。
 そこで妖狐の佳人が次に示したのは、ラム酒を吸ってふっくらと膨らんだレーズンだった。
 いわゆるラムレーズンである。これを混ぜ込めば、薄い象牙色のあいすくりんには黒紫の粒が散り、噛むたび濃密な甘みと芳香がほどけてゆく。
「ラムレーズンなら手軽ですし、いざとなれば店でも仕込めます。私も含め、妖怪には酒好きが多いですから。洋酒の香りがする大人の味は、きっと受けますよ」
「なるほど……」
 何度も頷きながら味を確かめるすず。
 際立つ洋酒の芳香は、明るい未来へと捧げる祝杯のように、いつまでも甘く漂っていた。

アダルヘルム・エーレンライヒ
ナギ・オルファンジア

「あいすくりん! なんと愛らしい響きでしょう」
 ナギ・オルファンジア(宙からの|堕慧仔《オトシゴ》・h05496)の声が、硝子の器と触れた銀匙の音に重なる。
 その表情こそ常のままなれど、桃色の瞳は磨いた飴玉の如く艶やかに、三色の冷菓を忙しなく行き来していた。
「ナギはたくさん盛りたいのです。こう、山盛りに二十個くらいにね」
「ふふ、あいすくりん積み積みとは――」
 細身でありつつも頑健な長躯を屈めるようにしながら、アダルヘルム・エーレンライヒ(夜に徒華・h05820)が銀のディッシャーを握ったままで笑う。
「なっちゃんらしい発想だな」
「山盛りは浪漫で御座いましょう!」
 語気は盛んでありながら、面持ちには感情の影もない。
 そんなナギの様子も慣れたものか、アダルヘルムは頷きながら丁寧に手を動かす。
 戦場では捨て身の刃を振るう腕が、此処では白や褐色の冷たい球を幾つも幾つも右から左へ。
 そうして硝子の器へ収めたバニラ味は、マーブルチョコでつぶらな目を作り、チョコペンで鼻を描いてアザラシさんに。
 ほろ苦いチョコと柔らかなバニラを並べて、クッキーを尾びれに見立てれば小さなシャチさん。
 あずきの優しい薄紫は、丸いクッキーを二つ差し込んで耳を作り、愛嬌たっぷりのクマさんへと生まれ変わらせる。
 そこにスイカやぶどう、メロン、早熟れの梨など、彩り溢れる旬のフルーツを添えてやれば、あっという間に小さな動物園の出来上がり。
 力作である。苦境に喘ぐ店を立て直すのだという、アダルヘルムの気合が窺える――が、しかし。
「アダル君は……何ですか?」
 あっちからこっちから、ぴょこぴょこと手元を覗き込んでいたナギが「解せぬ」とばかりに呻く。
「何をどうしたら、こんなに可愛らしい様相になるのです?」
「写真映え、というものを意識してな」
「映え……成る程、器用ですねぇ君」
「慣れたら簡単なのだぞ。味見してみるか?」
 差し出された手の先には、アザラシの頬から掬ったバニラがひと匙。
 ナギは迷いなく口を開けた。
「食べるのは勿体なくありますが、食べますとも!」
「ふふ、宣言してこそなっちゃんだなぁ」
 アダルヘルムが雛鳥に給餌するように匙を運べば、ナギの舌の上では冷菓がほどけて、まろやかな甘みが淡雪のように消えていく。
 ゆっくりと瞬いた両眼は、美味しさの証明。
 とても一口では足りない。やはり山盛り、てんこ盛りで欲しい。
 そして、どうせ盛るのならばと、ナギもらぶりーかつぷりてぃーな動物園の開園に挑む。
 二十余のあいすくりんを積み上げ、見様見真似で目や耳や鰭を添えて――程なく、爆誕してしまったのは、今にも歩き出しそうな謎生物の群れ。高々と聳える影はブレーメンの音楽隊の如く。危うく揺れながら、しかし崩れない。
「バランス感覚は素晴らしいが、何やら可愛い謎生物が大量発生しているな」
「おかしいなぁ。何故……」
「いや、これはこれで可愛いと思うのだぞ!」
 慰めとも励ましともつかぬ言葉の端が|震える《笑う》。
 瞬間、ナギはずいっと詰め寄り、真顔のまま問いかけた。
「アダル君も、私の“可愛い”あいすくりんを味見したいですよね? そうですよね?? ね???」
「……え?」
「さあさどうぞ遠慮なさらず。ご安心を其方は私が引き取りますから」
 ナギの手が山盛りの怪生物を押し出し、代わりに愛らしい動物たちの器をじりじりと引き寄せていく。
 明らかな不平等貿易だが、しかしアダルヘルムが拒否権を発動する前に取引は終わってしまった。アザラシさんらしき何かと、シャチさんであろうとした何かと、愛嬌たっぷりのクマさんを遠戚に持つかもしれない何かを前にして、剣でなくディッシャーを握るエルフの冒険者は、まるで強大なモンスターと相対したかのように立ち尽くす。
 そしてその傍ら、ナギはアダルヘルム園長から掻っ攫ったあいすくりん動物園を目で楽しみ、舌で楽しみ、己の内へと取り込んで、至極満足げに頷くのだった。

不忍・ちるは
六合・真理

 まずは、ひと匙。
 銀のディッシャーで丸く掬われたバニラ味を、|不忍《shinobazu》・|ちるは《chiruha》(ちるあうと・h01839)が口へ運ぶ。
 舌に触れた冷たさは夏の熱をさらりと拭ってからほどけて、卵と牛乳の柔らかな甘みに変わっていく。
 ほんのりと黄みがかった白い半球は、綺麗だけれど、華やかなものではない。
 けれど、もう一口を求めたくなる味だ。
「んんー……優しい甘さで、おいしいです」
「……沁みるねぇ」
 ちるはと肩を並べて、|六合《りくごう》・|真理《まり》(ゆるふわ系森ガール仙人・h02163)も、しみじみと頷く。
 店の主、すずがどうしても残したいと願う理由は、もう充分に理解った。
「ばにら、ちょこ、あずき。この三つは不動だね。変えるにしたって、別の品として出すのが良さそうだ」
「ですね。王道は王道のままで」
 店主の祖母の代から長く愛されてきたものには、長く愛されるだけの理由がある。
 明治モダンの面影を残すその良さを芯に据えたまま、今の時代に似合う彩りを探したいところ。
「愛される店ってのは、残って然るべきだよ。御祖母様から続いてるっていうなら、なおさらねぇ」
 真理の言葉に、ちるははゆるりと頷いてから、口の中で何度か「あいすくりん」と転がしてみた。
 あいすくりん。あいすくりん。あいすくりーん。
「かわいいですよね。あいすくりん」
「確かに、何だか可愛らしい響きだよねぇ。わしにも随分と言いやすい。片仮名の中じゃ随一かもだねぇ」
 あいすくりん。
 真理が呟けば、ちるはもまた囁く。
 何やら妙なところでまったりと意気投合したふたりは、茶飲み友達のような雰囲気を漂わせながら話を続ける。
「バニラもチョコもあずきもぜんぶおいしいですが、増やすとすれば……真理さんは何味がお好きです?」
「わしは抹茶だねぇ」
「ああ~」
 わかります~、と言わんばかりに唸るちるは。
「私も抹茶すきです。おいしいですもんね、抹茶味。なんというか、安定感もありますし」
「そうなんだよぉ。今日はちょっと違うのに行ってみようかな、なぁんて思ってもねぇ、悩んだ末についつい……って、選んじまうんだよ」
「おいしいから仕方ありませんね」
 へへ、と笑うちるはは空の器にバニラ味を掬って、また一口。
 緩んだ頬はぽとりと落ちてしまいそうで、それを微笑ましく見つめた真理は、ふと店の外に目を向けながら言った。
「近頃の暑さなら、塩味なんかも良いんじゃないかい?」
「ああ~」
 わかります~、と言わんばかりにまた唸るちるは。
 間断なくあいすくりんを頬張っているのも原因のひとつであるが、しかし唸るほど同意しているのも事実。
「塩味、よいですね。しょっぱさが甘さの輪郭を際立たせるかんじで……」
「美味しいだけじゃなくて、熱中症対策にもなるんじゃないかってねぇ」
「なるほど、健康面まで配慮……さすが真理さんですね」
「褒めたってなにもでないよぉ」
 ふわふわとした笑みで答えながら、真理は空になったちるはの器にあずき味を盛ってやる。
 試食が捗って仕方がないのだ。抹茶だの塩バニラだの、想像するだけで喉が鳴る。
「……あ」
「どうしたんだい?」
「このあずき味は、いわゆるつぶあんタイプですよね」
「そうだねぇ」
「じゃあ、別枠でこしあんはどうでしょうか。あとはバニラでなくミルクとか……そうすると、抹茶とミルクのダブル、塩バニラとこしあんのダブル、みたいに頼んでも相性がよいかなと」
「ああ~」
 真理も得心したように手を打って唸る。
「だぶるはだめだよぉ。それこそ、抹茶とこしあんとか……」
「絶対おいしいですよね」
 断言するちるは。
 しかし、そんなに想像通りうまくいくだろうか?
 やってみなければ判らない。ベースとなる三種のあいすくりんを堪能した二人は、調理場に立っていよいよ新商品の開発に臨む。
 ……そう、あくまでも新商品開発のためだ。断じて、断じて抹茶味などを食べたくなったわけではなく……いや、嘘は良くない。食べたいか食べたくないかと聞かれたら、食べたい。けれども味の確かでないものを客に提供するわけにはいかない。よって納得のいく品質になっているかどうかは、作り手がきちんと確かめておかねばならない。はい、正当性の証明完了。
「出来ました」
「おぉ……」
 言い訳が――ではなく、抹茶味のあいすくりんが。
 鮮やかな緑の半球をふたつに割って、いざ実食。
 はい美味い。
「でもここで終わらないのが抹茶味なんですよ、真理さん」
「……ちるは、それは……っ」
「はい。黒蜜ときな粉です。さらにミルク味もどーんと重ねて」
 抹茶ミルクスペシャル(仮)である。
 濃い緑に乳白色を混ぜれば、渋みの角も丸くなり、青々とした香りの向こうからまろやかな甘さが顔を出す。そこに黒蜜を細く垂らして、香ばしいきな粉をふわり。
「どうでしょう?」
「どうもこうも……」
 おいしくないはずがない。
 蕩けた顔で味わう真理。それを見て、ちるは料理長の創作意欲はさらに膨れ上がっていく。
「チョコには、オレンジジャムも合いますね」
 艶やかな褐色に橙色をひと匙添えれば、ほろ苦さの中を柑橘の酸味が爽やかに走り抜ける。
 さらには遊び心を表出させて、薄焼きの猫耳ウエハースをふたつ、添えてみれば。
「じゃーん、ねこちゃんあいすくりん、です!」
「ねこちゃんあいすくりん……」
「我ながらかわいくできたとおもいますが」
「かわいいねぇ……ああ、でも猫なら、粒ちょこでこう……肉球なんてどうだろう?」
「にくきゅう――!!」
 画竜点睛を欠く。
 ちるはは天を仰ぎ、額を押さえた。
「これは真理さんに一本取られてしまいました」
 さすがは最小の労力で最大の威力を生み出す達人。武の道は料理の道にも通じるというのか。
 ……いや、しかし料理とは見た目だけがよければよいものではない。味や食感が伴わなければならない。滑らかな食感のあいすくりんに粒チョコを添えるのが本当に正しいのか。きちんと確かめておかねばならない。はい、試食。
「おいしくないはずがありませんでした……!」
 分かり切った結果と共に左腕を挙げて、ちるはは招き猫のポーズを取る。
「ばっちりおいしいです。これはもう、繁盛間違いなしですね」
「おぉ……」
 何故か感心してしまった真理も真似をする。
 そして二匹のふわふわ系招き猫は、愛すべき老舗にちょいちょいと福を招くため、新商品の改良を続けるのだった。

第2章 冒険 『「はい、よろこんでー!」』


 開店を待つショーケースは、昨日までとは見違えるほど賑やかになっていた。
 すずの祖母の代から変わらぬ、バニラ、チョコ、あずき。その三つを中心に、夏色のみかん、涼やかなミント、鮮やかな抹茶が並び、さらには少し大人びた味のラムレーズンや、こしあん、ミルク、塩バニラなど、あいすくりんの種類は倍以上に。
 それらはコーンとカップのほか、香ばしい最中の皮に挟んで楽しむこともできる。また、傍らには黒蜜、きなこ、みたらし、生クリーム、フルーツソースなどのトッピング類、スイカやメロンなど旬の果物、猫耳や肉球を模ったクッキーやチョコなども用意され、簡単な味変からどうぶつを模した一皿まで様々な注文に対応可能となっている。
「……すごい」
 すずが、ぽつりと零す。
 その顔に浮かんでいるのは、今朝までの不安ではない。昔ながらの味をベースにしながら作られた新たな彩りの数々。それらへの期待と、頼もしいEDENたちへの信頼――そして、僅かな緊張。

 硝子戸の向こうには、既に人影が見えている。
 一人、二人――いや、そんなものではない。
 今にも戸を破ってきそうな程に押し掛けた人々は、まるで亡者の如く呻く。
「あいすくりん……あいすくりん……!」
 苦しげに見えるのは、古妖の力で集められたせいだろう。
 しかし、それも今日までである。新商品を振る舞い、客を心から満足させ、賑わいを偽りから本物へと変えるのだ。

「皆さん……新しいあいすくりんを考えてくださって、本当にありがとうございます」
 EDENたちへ向き直り、すずは深々と頭を下げる。
「それで、その……もう少しだけ、力を貸していただけませんか」
 やるべきことは山ほどある。
 調理。給仕。皿洗い。掃除。会計や帳簿付け。
 商品を増やした今、すずひとりではとても回らない。
「大変だと思いますけど――皆さんと一緒に、お店を盛り上げていきたいんです」
 せっかく店に立つのならばと、着物風の上衣、袴風のスカートやパンツ、白いフリルエプロンなど、小洒落た制服も用意されている。すずのように着物とエプロンで女給風に装うもよし、書生のようなスタイルで立つもよし。もちろん、いつもの格好で働くのもよし。
「よろしくお願いします!」
 幾分か元気を取り戻した声で言うと、すずは入口に歩み寄った。

 ――準備中。

 その札を、くるりと裏返して。
「お待たせしました。開店です!」
 次の瞬間、硝子戸が開く。

 さあ、ここからが本番だ。
白銀・雅

 硝子戸が開くや否や、押し寄せる人々。
 あいすくりんを求めてのものだとは到底信じ難い熱気の中に、仄かな邪悪の気配が含まれているのは、この狂騒が古妖の力によって齎されたものであるからだろう。
 それでも雅は動じることなく、雪崩れ込んできた奔流を涼やかな微笑で受け止める。
「いらっしゃいませ。順にご案内いたしますね」
 “妓楼”という己の城を持つ女主人にとって、客の顔を見て望みを汲み、心地よい一時を整えるなど日々の営み。
 嫋やかな仕草で列を揃え、空いた席へ導きながら注文を聞き、幾つもの器を危なげなく運んで、持ち帰りで迷う客には一言二言尋ねた後、これぞという味の取り合わせをそっと勧めていく。
「お酒がお好きでしたら、こちらを。冷たい甘さとラムの香りを楽しめますよ」
 象牙色のあいすくりんには、ふっくらとした黒紫のレーズン。舌の熱で柔らかく解ければ、ミルクの優しさを追って芳香が鼻へ抜ける。
 次の客には、歯を入れれば香ばしく砕ける最中で挟んだ、あずきのあいすくりん。合わせて封じられた艶のある黒蜜と淡いきなこの香りが、昔ながらの素朴な甘さを引き立てている。
「おいしい……!」
 あちこちで笑みが咲くたび、すずの頬にも明るい色が戻ってくる。
 それを流し見た雅は、客から寄せられた賛辞を、さりげなく彼女へと譲った。
「こちらは店主のすずさんがおばあ様から引き継ぎ、大切に守ってきた味なんですよ」
「なんと! それは素晴らしい!」
「えっ……あ、ありがとうございます」
 戸惑いながらも客と言葉を交わし始めたすずを見て、雅は満足げに目を細める。
(「あくまでも、ここはすずさんのお店ですからね。やりすぎも良くありません」)
 妖狐の美貌と艶を帯びた声音。
 その気になれば、客を魅せて酔わせて、甘い気分へ誘うこともできる。
 けれど雅は、そうした術をあえて用いなかった。むしろ反対に、己へと集まりかけた視線を軽くあしらい、すずの手元やお品書きへと返していく。
 雅が去った途端に醒める熱では、今日の賑わいを明日へ繋げられない。
 まして、古妖のまやかしを別のまやかしで塗り替えるのも違う。
 用いるのは礼節と経験、客ひとりひとりへ向ける真摯で細やかな心配りだけ。
 再びこの店を訪れる理由は、雅ではなく、すずの人柄と、彼女が作るあいすくりんでなければならないのだ。
 そう思えばこそ、客の流れを整えた雅は一旦、奥へと退がった。
 洗い終えた器の水気を拭い、調理場を清め、次の給仕が動きやすいよう品を揃える。
 幸いにして狙い通り、華やかな妖狐が表から退いても、客足は少しも衰えない。
 風鈴の音に重なるのは、誰かに強いられた呻きではなく、次の一匙を心から望む楽しげな声。
 受け継がれたこだわりの味と、新しい彩りが織り成す活気は、妖狐の助けを得て、古妖の狂騒を本物の賑わいへと塗り替えつつあった。

トゥルエノ・トニトルス
葵・慈雨

 開店を知らせる札が、まだ『準備中』の面を向けていた頃。
 店の奥で、慈雨は用意された制服をあれこれと胸元に当てていた。
「可愛い~! お洋服、どれも素敵だねぇ」
 着物や袴など和風に寄せたものばかりかと思えば、合間には生成りのブラウスと臙脂のロングスカートを合わせた洋風の女学生めいた装いや、淡色のセーラーカラーワンピースに濃色のスカーフを添えたものなども窺えた。
 どちらも普段の慈雨とは趣の違う格好になるが、なればこそ鏡の前で代わる代わる身体に当てては、燥ぐように声を上げてしまう。
 それでも迷った末、選んだのはいつもの装いに重ねる白いフリルエプロンと、小さな頭巾。商いの手伝いに立つなら着慣れた服装で充分とは思うが、さりとて何の代わり映えもないままでは面白みに欠ける、といったところか。
「せっかくだものね!」
「折角だからなぁ……!」
 衝立の向こうから同調する声。
 いそいそと着替えるトゥルエノは、立襟の綿シャツに紬の着物を重ね、濃紺の袴に穿き変えていた。
 慈雨が「書生さんの格好も似合いそう~!」と見繕ったものだ。いつもの洋装とは大きく異なるからか、はたまた一人の期待を一身に浴びたが故か、袖口を確かめる仕草にも何処か浮き立つものがある。
「店番は初めてだが、この格好で働けるというのも新鮮でよいなぁ」
「うんうん、そうだねぇ」
 などと言葉を交わしているうちに、トゥルエノが衣擦れの音を連れて戻ってくる。
 慈雨は頭から爪先までをじっくり往復して眺めると、思い描いていた以上の仕上がりに胸元で両の掌を合わせ、ぱぁっと表情を輝かせた。
「わぁ~! やっぱり! トールくん似合ってるよ~!」
「慈雨殿もとても似合っているぞ! 店の雰囲気にもぴったりだな」
 互いを褒め合い、笑いあう二人。
 それも束の間、持ち場を決めて器や匙を揃え、最後にショーケースの中身を確認すると、トゥルエノはカウンターの内側へ。慈雨は注文用の伝票束を手に、店主・すずの後を追った。

「それでは――開店します!」
 くるりと札が裏返り、硝子戸が開く。
 瞬間、真夏の熱気と「あいすくりん……」という切実な声が、一斉に店内へ押し寄せた。
 人も妖怪も区別なく、何かに急き立てられるような顔で席を埋め、或いはカウンターに列を成す。
 その数に慈雨は一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに朗らかな笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ~! 順番に伺うから、少しだけ待っていてねぇ」
 そうして愛想よく振舞うのが一番の貢献になる。
 何しろ、些か粗忽の気がある慈雨のこと。配膳は万一にも器を落としてしまえば大事件。皿洗いも先ほどのように水を暴れさせては大惨事。釣銭の計算くらいは当然できるが、わんこそばくらいのペースで行われるだろう受け渡しの最中、誤りを起こさないとは言い切れない。
 となれば、安牌は注文取りや、些事とひとまとめに出来るくらいのちょっとした手伝い。
 行列の一人ずつから先んじて注文を受け、それをカウンターに届けた後は空いた手で匙やコーンを補充して、仕上がった品を間違いのないように手渡してから、笑顔で見送る。
「ええと……白兎さんが二つ、仔犬さんが一つ! 三毛猫さんには黒蜜をつけてほしいんだって!」
「うむ、どんと任せたまえよ~」
 悠然と構えたトゥルエノの手元、銀のディッシャーが滑らかに弧を描く。
 ミルクと卵の優しい香りを閉じ込めた白い球には、さくりと香ばしい長耳を。艶やかなチョコには垂れ耳を添え、あずきを絡めた三色の猫には愛らしい斑模様を足していく。
「昔ながらのバニラ、チョコ、あずきは、どれもヒンヤリ美味しいぞぅ。新しい味もトッピングも、気になるものがあればご遠慮なく~」
 器の中に生みだした小さな獣たちを満足げに眺めてから呼びかけ、トゥルエノは席で待つ客のもとへと自ら配膳も行った。 
 白兎の耳を匙にして、バニラのあいすくりんを掬った妖怪が目を細める。
 チョコの仔犬もあずきの三毛猫も瞬く間に形を失くしていくが、それが笑顔を咲かせるのであれば、盛夏のひと時にだけ現れた冷菓の動物たちも本望であろう。
「アニマルさん、またたくさん注文入ったよ~!」
「幾らでも作ろう。慈雨殿、どんどん請けてくれたまえ」
「は~い。ええっと次は、くまさんが三つと……ゴリラさんが三十!」
「承っ……ゴリラが三十!?」
 何それ聞いてない。
 然しものトゥルエノも一瞬固まり、すぐにレシピ帳を捲った。あった。チョコアイスに大小二種のチョコチップとバナナチップを添えて顔を作るらしい。かなり後ろの方に記載されていたということは、誰かが思い付きで捻じ込んだのか。
 さておき、頼まれたものは作らねばならない。せっせこせっせこアイスを盛り付けるトゥルエノを見ていると慈雨も「働かねば!」という気持ちになって、新たな伝票束を掴むと店外にまで伸びる行列へと向かっていく。
 それほどの賑わいであっても、大きな混乱は生まれなかった。
 慈雨の明るい声が客と店とを繋ぎ、トゥルエノの作る小さな獣たちは、それを待ちわびる者たちのもとへ、つつがなく送り出されていく。
 やがて、あいすくりんを求めて呻くばかりだった声は、次はどれにしようか、今度は猫がいいかも、などという楽しげな相談へと変わり始めた。
 古妖によって植え付けられた偽りの渇望が、ひと匙ごとに本物の期待や喜びに塗り替えられているのだ。食べ終えた後も名残惜しそうに品書きを眺めている人々を、すずは喜びに満ちた顔で眺め、そんな店主の姿を見た慈雨とトゥルエノもまた、無言のままに頷き合う。

 そうしてどれほどの客数を捌いた頃か。
 僅かに流れが緩んだ頃、トゥルエノは自前の小さな帳面に筆を走らせていた。
 日替わりや週替わりでの商品の入れ替え。常連客は如何にして得るか。客層と注文の傾向。その他諸々、とにかく自身の目についたこと。少しでも気になったこと等々。
「メモを取ってるの?」
 慈雨が傍らからひょこっと覗き込み、感心したように目を細める。
「えらいこだ……!」
「初めての経験で得たことは、今後、何かの役に立つことかもしれないからな」
「はじめて……あっ! そういえば私も、ちゃんとお店で働いたのは初めてかも……!」
 口元に手を添えて驚きを露わにする慈雨が、一応は“店主”の肩書を持つことは一旦、脇に置いておくべきか。
「労働は貴重な経験ね……!」
「うむ。自ずからやってみて、初めてわかることも多いのだなぁ」
 空になった器や、嬉しそうに帰っていく人々の背を眺めながら、二人は労働が残した心地よい疲れと充足を、静かに噛み締めるのだった。

月島・珊瑚
シャルファ・ペンタス・ダオ
天國・巽

 準備中の札へ手を掛けたすずの横顔には、隠しきれない緊張が滲んでいた。
「大丈夫。まずは、ここを乗り越えよう!」
 珊瑚が明るく声をかける。
 確かに、今の賑わいの多くは古妖が齎した偽りであろうが、すずがこの店の味を今日まで守り続けてきた努力は本物。その頑張りは必ずや客に伝わるはず――珊瑚の言葉には、そんな確信が込められていた。
 力強い励ましに、すずも頷き、札を裏返す。
 そして硝子戸が開いた瞬間、押し寄せる客の熱気に、店内の冷えた空気が大きく揺らいだ。
「あいすくりん……あいすくりんを……!」
 我先にと雪崩れ込もうとする、まるで亡者の群れの如き人々。
 その前に、書生姿の巽が静かに立つ。
「いらっしゃいませ」
 ごく自然な仕草で片腕を差し出し、押し合う肩と肩の間へ滑らかに割って入る。
 力任せに押し返しているようには見えない。けれど武術で磨かれた体捌きによって、乱れていた人の流れは当人たちすら気づかぬうちに三つの列へと整えられていく。
 無論、それは人々の自発的な統制によって生まれたものではないから、小癪にも脇を抜けたり横入りを試みる者も少なからずいるのだが――。
「申し訳ありません、少々お待ち下さい」
 無法の輩さえ笑顔で釘付けにする巽は、さながら門柱の如く揺るがない。
 穏やかなれども精強な立ち姿で、底知れぬ金の瞳に見据えられると、秩序を乱そうとする客も何故だかしおらしくなって、素直に列へと戻っていく。

 その間にも、店内では二人の給仕が忙しなく動き始めていた。
 シャルファと珊瑚は、店主とほぼ同じ出で立ちでカウンターや調理場、客席を行き来する。揃いの着物風上衣と、袴風のスカート。真っ白なフリルのエプロンは、飴色の店内に在ってよく映える。
「これは“はいから”というものですね。とってもかわいいのです!」
 そう言って燥いでいたシャルファも、食品を扱うとあってふわふわの白い髪はきちんとひとつに束ね、尻尾を服の中に収めて衛生面にも万全を期すと、今は注文票を手に真剣な顔である。
 何しろ、忙しい。忙しいったらありゃしない。僅かでも気を緩めれば、ギラついた眼差しであいすくりんを求める人波に、シャルファ自身が攫われていってしまうだろう。
「わ、お客様、落ち着いてくださいね……! 順番に伺いますから!」
「五番のお客様の商品はもうすぐです! こっちはアタシが持っていきまーす!」
 騒々しい店内に声を通す珊瑚が受け取った盆には、涼やかな薄荷色のあいすくりんと、夕暮れをひと掬いしたようなみかん色。さらには、あずきとバニラを挟んだ最中が並んでいた。
 付け合わせの艶めく黒蜜の上には淡いきなこの粉雪が降り、傍らには宝石めいた赤い西瓜にメロンや桃まで添えられている。あれやこれやと皆で練った新商品が様々な組み合わせで振る舞われていくのを見れば、人や椅子の僅かな隙間を縫って盆を運ぶ珊瑚の顔も、自然と綻ぶ。
「お待たせしました。ミントとみかん、それから、あずきバニラのダブル最中トッピングマシマシ・フルーツ盛り合わせです!」
 最中を割れば、香ばしい皮の間から滑らかなあいすくりんが覗く。
 黒蜜きなこの深く香ばしい味わいや、果実の瑞々しさも素晴らしい魅力ではあったが、厳めしく吊り上がっていた客の眉を解いたのは、より一層引き立てられた小豆の素朴な甘みとバニラの香り。
「……うまい!」
 亡者の呻きにも似ていた声が、確かな感嘆へと変わる。
 けれど、それに和んでいる暇もない。
 帳場では、シャルファが注文と代金を手早く帳面に記していた。家で手伝っていたというだけあって、数字を追う指先に迷いはない。釣り銭を渡し終えればすぐさま次の注文を聞き、合間には空いた器を下げる手際の良さ。
「抹茶の最中をひとつと、みかんをふたつですね。黒蜜もお付けするのです?」
 小首を傾げて尋ねる様は売り上げにも一役買う。そも、シャルファの姿そのものが柔らかくも涼しげな気配であるところにも、涼を求める人々を惹きつける何かが在る気がしないでもない。
 とはいえ、シャルファにばかり客が殺到しても困りもの。そこは出入口に立つ巽が店内の様子を窺いながら通す客の数を調節して、珊瑚とシャルファの目配せを受ければ次を入れ、少しでも流れが詰まりそうなら内外の境界に立って門扉の役目を果たす。
 三人の間には言葉を交わす暇もないが、それでも不思議と呼吸はひとつに重なっていた。
(「焦りは失敗の元。忙しいながらも、少しの余裕が大事よ」)
 視線でそう語る巽自身も、客足が緩んだ一瞬を逃さず卓を拭き、器を下げ、会計を手伝う。僅かに足りないところを的確に補う様は、さすが年長者というべきか。彼のようなものが居ればこそ、珊瑚もシャルファも、自身の主戦場に集中できるというものだ。

 そうして、巽が抜け目のなさと隙のなさを見せた直後だった。
 あいすくりんへ伸びたはずの客の手が、何故だか珊瑚の腰へと向きを変えた。
「だー!? お触りは禁止! 禁止ですよ、お客様!」
 盆を抱えて声を上げ、珊瑚は勢いよく身を退く。
 そして、それよりも早く、巽の手が客の手首を柔らかく掴み取っていた。痛めつけることなく、けれど決して逆らわせぬまま、行儀よく卓の上へ戻して一言。
「お客様? どうぞお静かにお待ちを」
 笑みは崩れていないにもかかわらず、周囲の空気だけがあいすくりんを固め直すほどにひやりと冷える。ぞくりとする寒気に襲われた客は血の気の引いた顔に冷や汗を浮かべながら、何度もこくこくと頷くと、届けられた冷菓に大人しく向き合った。
「……巽さん、助かったー!」
「礼は後だ。珊瑚、次が待ってるぜ」
「おっけー。よーし、ラストスパート!」
 突拍子のない出来事も引きずらず、気合を入れ直した珊瑚に、シャルファも「おー、なのです!」と声を合わせる。

 それからも、ひとつ、ふたつと注文が通るたびに、三人は視線で互いの意思を汲み合った。
 珊瑚があいすくりんを山と乗せた盆を「おりゃー!」とばかりに運んでいけば、シャルファは帳場に入って手早く会計処理を進めながら客席の様子にも気を配り、その二色の瞳に促されれば、淀みかけた流れを解した巽が一瞬ばかり店内のフォローに入って、またすぐさま出入口の持ち場に戻っていく。
 忙しさが頂へ達しても、重なった三人の呼吸は乱れない。
 そうして振る舞われるひと匙ごとに、店を満たしていた異様な飢えも解けていった。舌の上で涼しく溶ける甘さに目を細め、次はどの味にしようかと笑い合う姿。家族にも食べさせたいと、最中を包んでもらう客の声。
 珊瑚の信じた通り、その顔に浮かぶものは、もはや古妖に植え付けられた渇望ではない。目の前の一皿を確りと味わい、あいすくりんに魅了され、また食べに来たいと願う人々が見せる、心からの喜びだった。

 かくして、偽りは本物へと塗り替えられ、古妖の気配が薄れるにつれて、人波も徐々に穏やかになっていく。
 怒濤の忙しさもようやく一段落し、三人にも言葉を交わす余裕が生まれた。
 そんな折、巽はふたりを呼び寄せて言った。
「せっかくだ。記念に撮ってやろう」
 こうした誘いには燥ぐか逃げるかの二択だが、珊瑚とシャルファは前者であった。
「可愛く撮って下さいね!」
「ふふ、では、ぴーすでぽーずですっ」
 激務を乗り越えたふたりは肩を寄せ、揃って指を掲げる。
 その笑顔が一番綺麗に収まるところを見極めて、巽は静かにシャッターを切った。
 鮮やかに焼き付けられた一枚は、あいすくりんのように涼しく爽やかな、夏の思い出となるだろう。

アダルヘルム・エーレンライヒ
ナギ・オルファンジア

 迫る忙しさを予見するように、厳しい夏の陽が開店前の店内へと差し込んでいる。
 アダルヘルムとナギは揃いの装いで並んでいた。着物風の上衣に袴風のパンツ、白いフリルエプロン。佇んでいるだけで何処か妖しげな魅力を放つナギが、すらりと無駄なく引き締まった長躯のアダルヘルムと合わせて立てば、古風な店も華やいで見える。
「良いですねぇ。うんうん」
 乳白色の髪に縁取られたナギの表情は全く動かないが、声と瞳には輝きが宿っていた。
 なにせ、お揃いをとゴリ押ししたのは彼女の方。どうにも物々しい雰囲気を醸しがちなアダルヘルムに、お堅い着物と袴を纏わせたところで、フリルエプロンという甘さをトッピング。あいすくりんならいざ知らず、理由がなければ彼にこのような恰好はさせられない。いや、別に給仕や調理の手伝いをするだけならば絶対に着なければならないこともないのだが、そこはそれ、アダルヘルムもナギに乞われては断れないのが半分、意外や本人のノリの良さが半分。
「ふふ、なっちゃんも凄く似合っているぞ」
「いやいや、アダル君も素晴らしいですよ!」
「そうか? では――」
 アダルヘルムは満足げに頷き、悪戯心の赴くまま、胸元に手を添えて言う。
「いらっしゃいませ、ご主人様☆ ……なぁんてな!」

 瞬間、おびただしいほどのフラッシュがアダルヘルムを襲った!!

「……待て、待て! 冗談に決まっているのだ!! だから写真は――」
 時すでに遅し。
 すかさず取り出された写真機が、最速連射モードで長身の給仕姿を次々と切り取った。
 こんな好機を逃すナギではない。その身に秘める凶暴さを炸裂させたかの如き早業は、アダルヘルムとて抗えるものではない。
「何故、俺までフリルエプロンなのかとは思ったが……」
 うっかり乗せられてしまった己の負け。じっとりとした赤い眼差しを向けながらも、アダルヘルムは漆黒の長髪を手早く纏め、自前の簪で留める。その仕草にナギの桃色の瞳がまた艶めき、写真機を構える指が忙しなく動いた。
「おや、簪まで? 用意がよろしいことで」
「待て待て待て、完全に撮影会になっているぞ……!」
「良いではないですか」
「いや、うむ……」
 これでもかと撮られた後では良いも何もないのだが――と、アダルヘルムが二の句に詰まったところで、店主の声が響いた。
 準備中の札がひっくり返され、二人もそれまでの巫山戯っこが嘘のように整然と持ち場に着く。
 いよいよ開店。お給仕の時間。

「いらっしゃいませ、ご主人様」
 硝子戸の向こうから押し寄せた客を、ナギは澄ました声で出迎え、ひとつ瞬く。
「……違いました」
「ふ、俺に釣られてしまったか!」
 アダルヘルムは喉の奥で笑いを噛み殺したものの、震える声までは隠せない。
「……ええ。はい。そうです。アダル君につられました。アダル君のせいですね」
「ふふ」
 ナギが無表情のまま送った言葉も突き刺すような視線も、アダルヘルムにはどこ吹く風。彼が感じたのは、愛らしさばかり。
 とはいえ、戯れていられたのもそこまで。
 あっという間に注文が幾つも重なり、硝子の器と銀匙の触れ合う涼やかな音が絶え間なく響き出す。
 焦げ茶の盆には、乳白色のバニラ、艶深いチョコ、柔らかな粒を抱いたあずき。さらに鮮やかな抹茶や、夏日のようなみかんが盛られ、黒蜜は艶めく一筋となって冷菓の白い肌を伝い、きなこは香ばしい霞となって降り積もる。
「バニラ最中を二つ、抹茶に黒蜜きなこを一つ。承知した。少々待たれよ」
 アダルヘルムは長躯を持て余すどころか、店内を縫うように動いては幾つもの器を載せた盆を危なげなく運び、幼子へ渡す時だけはゆっくりと背を屈める。戦場とは異なる慌ただしさであっても、人の流れを読み、次に採るべきを見極める眼は鈍らない。
 一方のナギも、注文を取り、空いた器を下げ、再び山盛りの盆を抱えて戻ってくる。
 まかり間違っても調理場には立てない。立たせておけない。ディッシャーを握らせたが最後、店内は冷やかな謎生物の群れに侵食されてしまうだろう。何事も適材適所とは言ったもので、今日のナギには給仕役こそ相応しい。
 ――だが、しかし。
 季節外れの雪崩の如き忙しさは、ナギにも盛り付けを要求した。してしまった。偶然にも他に手の空いている者がおらず、アダルヘルムのサポートすら叶わない、まさに間隙というべき一瞬。それもバニラひとつくらいなら穏便に済んだであろうに、よりにもよって|トリプルのトリプルのトリプル《3×3×3》すなわち二十七個盛りの注文。
 これは無理だとナギが白旗を揚げたならそこで終いだが、彼女も山と盛る技術にだけは自信が在ったものだから、特大の器に産み落とされてしまったのは何処の妖怪図鑑にも載っていない姿のナニカ。
 ミントの耳、チョコの鼻、果実の瞳、最中の翼、滴る赤色はイチゴのソース。
 もはや一周回って不気味さより面白さが勝る。客席にあいすくりんの動物園を届けて戻る最中のアダルヘルムも思わず「ふは!」と噴き出して、着実に注文者のもとへと迫っていく“シェフの気まぐれ謎生物パフェ”に人気商品となる素養さえ見出した。
 事実、異様としか言えない偉容は居合わせた客の視線を攫った。アダルヘルムの冗談めいた名づけを耳聡くも拾い上げた客がカウンターに声をかけ、注文を通したことで店主がお品書きにその名を刻み込む。一目見ただけで眩暈を覚えそうな冷菓の山塊がナギの手によって二つ、三つと解き放たれるうちに、気づけば店内の一角は“大食い挑戦コーナー”へと変貌していた。
 しかしながら、そこには古妖に呼び寄せられたがゆえの亡者めいた気配はない。冷たい甘味に頬を緩め、隣の客の器を覗き込み、次は何を頼もうかと語り合う客の姿は、あいすくりんの確かな美味しさが引き出した本物の賑わい。店主のすずも思わず潤んだ目で店中を見渡し、ナギやアダルヘルムに感謝の弁を述べた。
 もっとも、それを丁寧に受け取っている暇すら惜しいほどに注文は殺到する。
「とても忙しいですねぇ」
 ようやっと一区切りというところで、空いた盆を抱えたナギはアダルヘルムの隣へ寄った。
「お仕事の後にもパフェをいただきませんと。これでは釣り合いません……」
「パフェなら仕事の後に俺が作ってやろう。だからもうひと踏ん張り、頑張れ」
 そう告げるアダルヘルムに、ナギの眼差しが吸い寄せられる。
「む、ご褒美とな」
「ああ」
「絶対ですよ?」
「絶対だとも」
 アダルヘルムの力強い宣言。
 その甘い約束を糧に、ナギはまた軽やかに次の給仕へと向かった。

不忍・ちるは
六合・真理

「あいすくりん……あいすくりんをくれ……!」
 砂漠のように乾き切った声。照りつける陽の如くぎらついた眼差し。
 古妖の力に引き寄せられた客たちは、今にも狭い店内を呑み込んでしまいそうであったが――。
「さぁ、仕事だよ、わし達」
 真理が穏やかに声掛ければ、その毛髪に仙気を吹き込んで生み出された十二の分身体が、一斉に動き出す。
 店主のすずと同じ和の装いで立つ者が、本体たる“六合”。そこから五つ下れば“一合”、七つ上れば“十三合”。区別の印は名前だけではなく、例えば一合はお団子頭、二合は三つ編み、三合はひとつ結びといった具合に髪型が異なり、また七合は書生風、八合は割烹着、九合は詰襟のブラウスに箱襞のスカートと、服装も種々様々。見た目でも確りと判別がつくようになっていた。
「おおー……」
 ファッション・ショウのような光景に、ちるはも思わず感嘆の吐息を溢す。
「一合から十三合まで、どの真理さんの髪型も制服も素敵ですね!」
「だからねぇ~、褒めたってねぇ~、なんにもでないよぉ~」
 先般、新商品を考えていた時にも同じように称賛と謙遜の行き交うところはあったが、幾分か真理の反応が緩やかになっているのは、十二の分身体を喚び出しているから。
 もっとも、合わせて十三人分の手数は、それを補って余りある。
「塩ばにらは二番の卓だよぉ、一合のわし」
「ほいほいほい、と。小豆の猫ちゃんは六番だねぇ」
「八合のわしは食器を下げておくれ~」
「よし来た、任せておくれ、わし達」
 器を選び、あいすくりんを掬い、彩りを添えて、客席へ。空になった器は洗い場へ。
 店内を横切る真理から真理へ、硝子の器が水面を渡る木の葉の如く滑らかに手渡されていく。
(「真理さんコンベア……!!」)
 さすがに口には出さなかったが、ちるはの見たそれはまさしく人力運搬装置。
 けれど、物言わぬ機械のように冷たくはない。急かさず、慌てず、丁寧にあいすくりんを運ぶ真理は一合から十三合まで、どれも柔和な表情。迷う客には優しく寄り添い、舌鼓を打つ者には我が事のような喜びを示す。
 分身という能力を除いても、学ぶところの多い働きぶりだ。ちるはは真剣な眼差しを送って、何人もの真理がにっこりと笑い返してくる様に、また頬を緩めた。
 無論、その最中にも配膳はつつがなく進む。
 真理が運んだ淡い乳白色の塩ばにらには、夏の海風を思わせる微かな塩気。抹茶とミルクを重ねた器には黒蜜の細い艶と、ふわり香るきなこを纏わせ、橙色のソースを垂らした艶やかなチョコは、濃厚な甘さの中に柑橘の涼やかな酸味を弾けさせる。
 程なく、呻くばかりだった客の口からは、柔らかく潤った声が零れ落ちた。
 古妖に植え付けられた偽りの渇望はひと匙ごとに薄れて、自ら選び、自ら味わう幸福へと塗り替えられていく。
 そうして満足げな顔で席を立つ姿を見送る真理ーズは、にこやかに声を合わせた。
「「「ちるはのお嬢ちゃ~ん、五番卓のお客さんのお会計お願いねぇ」」」
「は~い。おまかせくださ~い」
 迫力満点、13chサラウンド真理ボイスのゆったりとした呼びかけにつられてか、ちるはもまたのんびりとした返事で帳場に立つ。
 店主や真理と同じ和装に白エプロン。ほわほわにこにこと微笑む顔には“まったり”以外に感じるものなどないが、仕事ぶりの方はまったりどころか“きっちり”と“てきぱき”。差し出された伝票を受け取って、黒い瞳で品名と金額をなぞれば、答えは殆ど間を置かずに返る。
 真理が運搬装置なら、ちるはは高精度計算機だ。釣銭を渡す指先も、次の客を招く声も淀みない。さらには店内の人の流れも見渡して、少々混み合ったと感じれば、注文に悩む客を敢えて緩やかに導き、それぞれに適した会心の一皿へと誘う。
「トッピングで、ねこちゃんはいかがですか?」
「猫」
「はい、ねこです。ウエハースと粒チョコを添えて、にゃーんと……このお値段」
「あ、じゃあそれで」
「は~い。ありがとうございます~」
 会計係と並行して制作中の料金表を用いれば、案内そのものは実にスムーズ。
 十一合によって席へと案内された客の前には、小豆のあいすくりんに薄焼きの耳を立て、粒ちょこの肉球を添えた猫の一皿が届く。
「……かわいい」
 柔らかく綻んだ口へ、まずはひと匙。ほろりとほどける小豆の粒と素朴な甘みを味わい、ウエハースを割れば香ばしい歯触りが加わる。そして粒チョコを一緒に頬張れば、カカオの僅かな苦みが後味を引き締めた。
「いいなぁ、可愛いだけじゃなくて美味しそう」
「そっちの抹茶もね」
「ぼく、つぎはしおばにらにする! ぜったいする! だからあしたもくる!」
 古妖の術が連れてきたはずの客は、いつしか自らの意志で明日の来店を約束していた。

 そんな微笑ましい光景の片隅、帳場では勘定と共にもう一つの仕事が着々と進んでいる。
 どの味と添え物がよく選ばれたか。注文から給仕まで、どこで流れが滞りやすかったか。迷う客にはどの組み合わせを勧めれば喜ばれたか。ちるはは客足の切れ間ごとに記録を積み重ね、人気の組み合わせ例と料金表に整えていく。
「抹茶ミルク、黒蜜きなこ。塩ばにらあずき。動物は、やはりねこちゃんが人気ですね」
「わぁ……これなら、皆さんにおすすめしやすいですね」
 記録を見せてもらったすずが、ひとつひとつ確かめるように頷いた。
 今日の賑わいを今日だけで終わらせないための工夫。
 真理たちの作った緩やかな流れを、ちるはが最後にきゅっと結んだ形である。
「今日満足していただけたら、明日はきっとリピーターさんで千客万来です。えいえいおー、ですよ」
「なぁに、古妖の手から逃れさえすればねぇ、お嬢ちゃんひとりでも回せるようになるよぉ」
 すっと傍にやってきた六合の真理が頷けば、一合から十三合までが店のそこかしこで頷いた。
 少々遅れて揃う動きに、すずの口元から小さな笑みと、ほんのひと匙の不安が零れる。

 古妖。
 |星の輝き《ゾディアック・サイン》でさえ正体を暴けなかったそれは、店に生じた異変を察して、遠からず姿を現すだろう。
 一介の店主たるすずには、未だ恐ろしい存在に違いないが――。
「古妖さんは後ほど、私たちがきちんともてなしますので。ご安心ください」
「……はい」
 ちるはの穏やかな言葉を受けて、すずは無意識のうちにきつく組み合わせていた両手を解く。

 硝子戸の向こうには、まだまだ新たな客が列を成していた。
 誰かが笑顔で店を出れば、入れ違いにまた誰かが風鈴を鳴らしてやってくる。
 匙と器の触れ合う涼やかな音、あいすくりんを求める弾んだ声。
 客を招く邪な妖力など――もはや、必要ない。

第3章 ボス戦 『『花巻喰道楽』花巻・九朗』


「――いやはや、お見事」

 静かな拍手が、店内の音を切り分けた。
 いつから其処にいたのだろう。
 店の一角に立っていたのは、仕立てのよい洋装に身を包んだ、猫の貌の男。
 端正に結ばれた蝶ネクタイ。白い手袋を嵌めた指先。
 長く太い縞の尾を、ゆるりと揺らす立ち姿には、晩餐会へ招かれた紳士の如き優雅さがある。
 けれども、その背後に浮かぶものは禍々しい。
 妖術によって具現化されたと思しき、銀色の巨大なナイフとフォーク。
 殺気を漂わせて揺らめくそれは、触れてもいない硝子の器を細かく震わせていた。

「ご挨拶が遅れました。私は、花巻・九朗と申します」

 九朗は胸元に手を添え、恭しく一礼する。
「さて、店主殿。お約束どおり、大勢のお客様をお招きいたしました」
 細められた瞳が、店内に集う人々を一人ずつ吟味するように撫でていく。
「これだけ賑わえば充分でしょう。そろそろ代償の方をお支払いいただかなければ」
「代償……」
 青ざめたすずが、あいすくりんのショーケースに身体を預けながら呟く。
「何を……払えというのですか……?」
「簡単な話です。貴女は店を満たしたかった。そして私は――腹を満たしたかった」
 九朗の双眸が邪悪な光を宿す。

「人の肉は、手間を掛けるほど味わい深くなるもの。喜びに弾む心、甘味に満たされた身体……ええ、実に素晴らしい仕上がりです。それを幾ばくか頂ければ、と」

 一瞬の静寂。
 次いで、椅子の脚が床を擦る音と、取り落とされた匙の硬い響きが重なった。
 我先にと硝子戸へ殺到する客。卓上の器が揺れ、戸が大きく開け放たれ、悲鳴と足音が夏の往来へ流れ出していく。
 その逃げ惑う姿を前にしても、九朗はまったく慌てない。
 まるで獲物を追うことすら、晩餐を彩る余興とでも言うように。
「……あ……あぁ……」
「嘆くことはないでしょう。貴女は立派に給仕役を務められました。ならば、私も客として礼を尽くさねばなりません。存分に味わい、平らげてみせましょう。……なぁに、今更何処へ逃げようと、丹念に仕込んだ|彼等《にく》の匂いは隠せませんよ」
 すずに向いた九朗の視線が、再び人々の背を見据え、そしてEDENへと渡る。
「どうぞお構いなく……とは、いかないのでしょうね。仕方ありません、人であればオードブルということにしましょうか。勿論、それ以外はコンポスト行きですが」
 巨大なナイフとフォークが交差する。
 優雅なる古妖の晩餐。
 その皿に盛られるものは、あいすくりんではない。
 九朗は微笑むと、白手袋に巨大なカトラリーを掴んだ。
「では、皆様――いただきます」
白銀・雅

「随分と偏食家の猫ですこと」
 雅は、化生の殺気に慄く店内でひとり、可笑しそうに目を細めた。
 人を喰らう。
 その行い自体を、永い時を生きる妖狐は殊更に否定しない。
 飢饉の果て、傍らの屍に縋って命を繋ごうとする人間も見てきた。
 けれど、甘く滑らかなバニラも、舌にほろ苦さを残すチョコも、あずきの素朴で優しい風味も選べる豊かなこの夏、この時代において、わざわざ人肉を所望するとなれば――話は別だ。
「それに、営業妨害の悪いお客様には、お帰りいただきませんと」
 微笑みと同時、対峙する古妖が巨大なナイフとフォークを薙ぎ払う。
 銀の軌跡が卓上の器を砕き、散った硝子が陽光を細かく跳ね返す。
 続く一撃が雅へ迫るが――その身は妖狐らしい軽やかさで刃の間をすり抜け、相手の懐へ。
 流れるように打つ牽制の当て身が九朗の体勢を崩し、間髪入れず霊帯が白手袋の腕から胴へと絡みつく。
 優雅な晩餐客が、微かに覗かせた狼狽。
 その一瞬を逃さず、銀髪を夏風に踊らせた雅の回し蹴りが胸元へ深々と突き刺さった。
 重い衝撃が床板まで震わせ、九朗の身体が大きく弾かれる。

 ……もっとも、それでお開きになるほど古妖は甘くない。
 苦悶の代わりに舌なめずりを一度。傾いだ蝶ネクタイにも構わず、じろりと雅を見やった九朗の眼には、未だ獣じみた強欲が溢れている。
 もう少し付き合ってやるしかないようだ。煩わしいことだが――さて、見目ばかり優雅に整えた、この浅ましい古妖を退けた後には、持ち込んだブランデーで皆の労をねぎらうのも良いだろう。
 まだ酒を口に出来ぬ年頃の者には、あいすくりんの傍らで琥珀色の酒に火を灯してやればよい。
 青い炎に照らされる冷菓。
 鼻先をくすぐる芳醇な香りと、舌の上で溶ける冷たい甘さは、現の疲れをふわりと解いてくれるはずだ。
「ふふ。勝利の美酒は、もう少し後のお楽しみですね」
 冷たい甘さも、芳醇な香りも。
 心ゆくまで味わうためにはまず、この招かれざる客を叩き出さねばならない。

トゥルエノ・トニトルス
葵・慈雨

「猫さん!」
 反射的に声を上げた慈雨の顔は俄かに傾いでいく。
 疑問符を浮かべたのはトゥルエノも同じだ。
 人の肉を、丹念に仕込んだ料理のように語る古妖――花巻・九朗を前にして、それは程なく言葉にも成る。
「……ん? ということは、此の古妖はアイスではなく、いのちを喰らいに来ていたという訳か」
「……え、え! ひとの、お肉は美味しくないんじゃないかな!?」
 一拍遅れた驚きを露わにしたところ、慈雨はさらにはっとした表情で継いだ。
「あ、でも猫さんは味の感じ方が違うのかも……!」
「ええ、仰る通りで。蓼食う虫も、と言いますでしょう?」
「たしかにお好みは人それぞれだよねぇ」
「はい。ご理解いただけたようで何より――」
「それでも、いただいちゃだめじゃないかな!?」
 丸め込んだとばかり思った九朗が、微笑みを浮かべたまま固まる。
「……然様でございますか」
「うん! だから食べるならお肉じゃなくてアイスにしようよう。ほら、まだいっぱいあるから!」
「ご提案には感謝しますが、|甘味《それ》は別腹というものでして」
「別腹……たし、かに……そういうのもあるよ、ね……」
「……慈雨殿」
 逆に言い包められてどうするのだと、トゥルエノはひとつ息を吐いて進み出た。
 元より、止めろと言って止めるようなモノで無いのは分かり切っていたこと。
 なればこその古妖。その口が聞き捨てならぬ企てを吐いた以上、力ずくで退席願うほかあるまい。
「では、腹が満たされる前に、さっさとお帰り願うとしようか」
 トゥルエノの手元で紫電が迸る。握り込んだ竜漿兵器は眩い雷光色を帯びながら形を変え、鋭い帯電武装となって再び掌に収まった。
 ぴり、と微かに肌を撫でた感触に、慈雨も我に返る。
「……トールくん」
「うむ」
 言わずとも、とでも言いたげに頷く黒髪を見て、慈雨はじりっと後ずさる。
 市井の聞かん坊くらいならさておき、人肉喰いの猫妖はその手に余る。出来ることと言えば竦んで動けぬ店主・すずの周囲や、脱兎の如く逃げ出した人々の方向へと、無事を願う“タニグク様”の護霊符を放つくらいのもの。
「トールくんにも、お守りになりますように! そォい!」
「おおっ」
 背中にぺたり、でなく、ばちん。
 闘魂注入と言わんばかりの、なかなかに景気よい貼り方だったが、宿る霊験は確か。
「慈雨殿の援護とは有難い。ならば――存分に行くとしよう」
 刹那、空気が震えた。
 雷音が鳴り響くや、トゥルエノの姿は疾風に紛れる。戦場としては小さな店内を右へ、左へ。卓の間を縫い、壁際を蹴り、黒髪と紫電の残像ばかりを幾筋も置き去りにして、九朗の周囲を目まぐるしく駆け巡る。
「これはこれは。随分と落ち着きのないことで」
 呟く九朗も、巨大なナイフとフォークを翻す。
 銀の刃で大きく薙いで、続けざまにもう一閃。まだあいすくりんを抱えていた器が砕け、鋭く残忍な風が店内を走り抜けた。
「ひゃあっ!」
 慈雨が身を煽る冷たさに声を上げて縮こまれば、周囲を包む護霊符が淡く輝き、その余波を受け止める。
 トゥルエノもまた一撃を躱し、二撃目には敢えて踏み込んだ。
 銀の刃と、紫電を纏う障壁が衝突する。
 床や天井を軋ませるほどの重圧。雷光の膜が悲鳴を上げるように大きく撓む。
 それでも幾重もの守りと、背に貼られた一枚の護霊符が、邪な刃を先には通さない。
「デザートのアイスを食べるのに、そんな巨大なナイフとフォークは不要だからなぁ」
 受け止めた刃を弾き返して、尚も宣う。
「マナーのなってない迷惑古妖には――出禁の雷もお見舞いしてしまうぞ!」
 直後、九朗の脇腹へと雷光が突き刺さった。
「ぐ……ッ!」
 一撃。
 よろめいたところへ、さらに一撃。
 巨大なカトラリーの反攻が追いつくよりも早く、トゥルエノは死角へ回り込み、肩口、横腹と紫電を重ねていく。
 焦げた洋装から細い煙が立ち、整っていた蝶ネクタイも形を乱す。
「トールくん、がんばれ~!」
 守りの内側から慈雨が声援を飛ばした。
「猫さんも、お肉食べるよりアイス食べた方が美味しいよ~!」
「……まだ勧めるのですか」
 九朗の微笑みが、今度こそ露骨に引き攣った。
 いっそ其方から先に黙らせてしまおうとでもいうように、巨大なフォークが慈雨へと向く。
「えっ、こっち!?」
 認識するや否や襲い来る刃先。
 慈雨は身を捩り、咄嗟に振るった呪詛の刃が幸運にも銀の穂先と噛み合った。
 腕の芯まで痺れるような衝撃に身体ごと押し退けられ、それでも護霊符の光に支えられながら辛うじて踏み止まる。
 やはり古妖の相手など荷が重い――が、しかし。
 その一瞬が、トゥルエノに絶好機を齎した。
 九朗の意識が慈雨へと逸れた刹那、雷光が懐へと潜り込む。
「これで、退店願おうか!」
 振り抜かれた一撃が九朗の胴を捉えた。
 轟く雷鳴と共に紫電が弾ける。
 古妖の身体は大きく宙へ浮いて――そのまま店の出入口へと叩き飛ばされた。

不忍・ちるは
六合・真理

「ご注文はお決まりですか?」
 人を喰らうと宣言した古妖を前にしてなお、ちるはは白いエプロン姿のまま、にこやかに小首を傾げた。
 恐れを知らぬその姿勢に、花巻・九朗も上辺だけは丁寧に声を返す。
「ええ。甘味で程よく仕込まれた人の肉を、是非とも」
「おにく……ですか? そこに無ければ無いですね」
「……おや」
「それに、|お客様のような方《カスハラ古妖》はお呼びではございませんので」
 |祠へ帰れ《ごー、ほーむ》。
 古妖を封じていた氷室があるという、店の奥を示して告げる慇懃無礼な退店勧告。
 ちるはの強腰に、真理もまた隣でゆるりと頷いた。
「残念だけど化け猫の坊ちゃん。ここはあいすくりんのお店でね、食肉は売ってないのさ。それにお前さん、願いの対価を最初から伝えてなかったろう?」
「はて。そうでしたか?」
「故意に隠しておいて、その態度は通らないねぇ。契約不履行。お帰り願おうか」
 もはや議論の余地なしと、真理が軽く手を払う。
 九朗の笑みが、ほんの僅かに薄くなった。
「では……力ずくで頂くしかありませんね」
 白手袋が持ち上がり、銀のナイフとフォークが夏の光を冷たく返す。
 刹那、振るわれた刃は帳場を薙いだ。
 伝票や小銭が木片と共に宙を舞い、傍らの器から溶けた抹茶あいすくりんと黒蜜が飛び散る。
 それらから逃れるようにしてちるはが側方へと滑れば、真理は半歩退って身を沈め、頭上を抜けた風圧に灰色の髪を躍らせた。
「要求が通らなければ乱暴狼藉ですか。まるでお子様ですね」
「食器を振り回すのもお行儀が悪いねぇ。親の顔が見てみたいよ」
「ふふ。其方も口ばかりは達者なようですが、さて」
 次なる一閃。
 斜めに振り下ろされたナイフを、ちるはは狭い店内で器用に身を捻って躱す。
 刃先がエプロンの端を掠めて床へ沈み、年季の入った木板が紙のように裂けた。
 触れれば、ただ傷を負うだけでは済まない。まして純然たる人のちるはが傷を負えば――人喰らいの猫妖が何を目論むかなど、言うまでもなく。
 それでも、ちるはは淡々と囁いた。
「この空間を伝送路とします。……真理さん」
「はいよ」
 無線を開き、結ぶ双方向伝送。
 真理が長い年月で積み重ねてきた武錬と、ちるはの早業や身軽さ。互いの得手が互いの手足に馴染み、刃の動きを捉える目も、それに応じる身体も一段と冴えていく。
 その奇妙な気配を感じたか、九朗が間合いを詰めてフォークを突き込んだ。
 真理は正面から受け止めず、掌を柄へ軽く添える。
 力の流れを横へ逃がされ、銀の穂先が空を穿った。
「なに――」
 体勢を崩して呻く九朗。
 その時にはもう、ちるはが反対側へ回り込んでいる。
「真理さん。お箸作戦でいきましょう」
「お箸……なるほどねぇ。それじゃあ、迷い箸も舐り箸も無しでいこうか」
 簡潔極まりない作戦説明にも、一拍で返る楽しげな声。
 細かく打ち合わせるまでもない。一緒に店を回していた先ほどまでと同じように、相方の動く余地を残しつつ、自分の仕事を果たすだけだ。
 右にちるは、左に真理。一膳の箸の如く、二人は九朗を中央に挟み込む。
 獣妖の眼がちるはを追えば真理が踏み込み、真理へと向き直ればちるはが死角へ潜る。迫る刃を躱しながらも、どちらも相方を置き去りにはしない。正しく箸のように絶妙な距離感を保ちながら、一人が作った隙を、もう一人が過たず突く。
 ならば、と。九朗がすずに目を向ければ、その視界を真理が塞ぐ。それが邪魔だと得物を引き戻せば、肘の下を抜けながらちるはが一発浴びせていく。
 ほんの僅か、踵を返す暇さえも貰えない。
「随分と仲のよろしいことで」
「はい。おかげさまで」
 店員としてのひと時を思い返して、ちるははにこり。
 当てつけの小言も、これでは意味がない。些かくたびれてきたかのように古妖が息を吐けば、それすらも遮るようにして真理が宣う。
「どうだい? 止めとくなら今のうちだよ?」
「ご冗談を。此処まで来て、一口とて腹に収めず帰れるわけが」
「そうかい。帰らないなら、仕方ないねぇ」
 真理はゆるりと腰を落として継ぐ。
「お前さんも捕食される側を味わっておいき。どちらが食うか、食われるか……そういうのは覚えがあるだろう?」
 変わらぬ柔和な声音に、九朗の耳が動く。
 その微かな動きも目敏く捉えながら、ちるはもまた穏やかな顔のまま膝を緩めた。
 適者生存、弱肉強食の論理で競り合うつもりはない。それは真理に任せるとして、己は箸の一本としての務めを果たすのみ。
 猫の双眸が細まる。真理を牽制するフォークの陰から、ちるはの足を断とうとナイフが走る。
 刃が迫るより僅かに早く、白いエプロンの裾が翻った。
 敵意を跳び越えたちるはは九朗の反対側へ降り立ち、低く沈むと軸足を蹴り上げる。踏ん張る足場を失った古妖の肩が泳ぎ、追撃を阻もうと差し出されたフォークは、真理が身を開くだけで脇を抜けた。
 その柄を押さえた手とは逆の手が、九朗の肩口へと走る。
「お前さん如き、その気になれば――」
 素手で三枚におろしてやることだって出来る。
 言外を証明するように深く刺さる手刀。肩から指先までを貫く痛みに九朗が呻く。
 ナイフを操る右腕は持ち上がらず、銀の切っ先が床を擦った。
 これでは人肉に喰らいつくどころか、自らが獲物として箸に摘まれる側。左手のフォークを振り直しても、真理は柄を押さえたまま内へ踏み込み、ちるはは逆側から距離を詰める。
 九朗は痛みと旗色の悪さに貌を歪めながらも、口元に笑みを繕った。
「不毛な争いをするくらいなら、あなた方も一度味わってみれば良いのです。甘味を堪能し、幸福に満ちた人の肉。一口で虜になること間違いなしだというのに」
「残念ですが、全く共感できませんね」
 なおも食欲を滲ませる眼差しに、ちるはは無念さなど欠片も滲ませずに言う。
「すずさんのあいすくりん、おいしいですよ?」
 冷たさの解けた後に残るバニラの優しい甘み。濃い緑の抹茶に乳白色のミルクを重ね、さらに黒蜜の艶ときなこの香ばしさを添えた一皿。新商品開発の最中に頬張った真理の、あの蕩けた顔を思い出せば、ちるはもまた頬が緩みそうになる。
 けれども、此方が人喰いを理解できないように、彼方もまた甘味の幸福になど魅力を感じないのだろう。
 ならば、この甘さは理解る者同士だけで分け合えばよい。
 九朗を挟んだ向こうで、真理が小さく頷いた。ちるはもそれに応じて足元に力を込め、古妖へと視線を戻す。
 ただ、お帰り願う前に、ひとつだけ。この店を訪れるきっかけを作ってくれたことには、きちんと礼を伝えておきたい。
「あなたのおかげで、よいお店を知ることができました」
「そうだね。そこはわしも感謝するよ、化け猫の坊ちゃん」
 お礼の言葉と共に、二人は踏み込んだ。
 一膳の箸が閉じるように、真理の掌底とちるはの蹴りが、左右から九朗の胴を捉える。逃げ場のない衝撃に猫の貌が歪み、苦鳴と共に膝が折れた。

アダルヘルム・エーレンライヒ
ナギ・オルファンジア

 硝子戸の向こうへ逃れた客たちの足音が遠ざかるにつれ、店内には冷たい甘味の香りと、張り詰めた殺気ばかりが残される。
 その只中にて、巨大なナイフとフォークを携えた猫の古妖は、なおも午餐会の主賓めいて優雅に佇んでいた。
 対して――アダルヘルムは、何処か愉快そうに言う。
「おや。どうやらニャギ以上の食いしん坊のお出ましだな?」
「ふむ、中々の紳士……と言いたいところでしたが、お見掛けだけで御座いますね」
 軽く流したナギは、やはり変わらず無表情。
 店主・すずを店の奥へ誘導しながら、九朗をじっと見据えて宣う。
「人間はあまり食いでが無いと思うのですけれども」
「あれじゃないか? 悲鳴や恐怖心が極上のスパイスになる、とかな」
「極上のスパイス?? ……なんですか、そのお腹が膨れなさそうな物は」
 胡乱げな眼差しを向けるナギに、アダルヘルムは堪えきれぬように喉を震わせる。
「ふふ、なっちゃんは平常運転で何よりなのだ!」
 こんな時でさえ変わらぬ遣り取り。
 しかし、その背後にはナギのもとから流れた煙が、ショコラの香りを漂わせながらひらりと舞い、優美な琉金の如く店主の方へと広がっていく。
「……そうでした、パフェ」
 自ら漂わせた香りに鼻腔を擽られ、桃色の眼差しが僅かに鋭くなる。
「ナギのご褒美パフェの方が重要なのです!」
「ああ。まだ約束を果たしていないからな」
 ならば、こんなところで店を壊されている場合ではない。
「――営業妨害は即時退去、及び殲滅ですよ」
 冷やかな呟きが落ち、ナギの影が足元からぬるりと伸びた。
 広がる黒は厚みを帯び、まず姿を取ったのは鈍色の蜥蜴――兜御門守宮。主の意を汲むよりも早く獲物へ飛び掛かりそうな荒々しさで四肢を沈め、九朗を睨み据える。
 続いて床板を這う微かな振動。ゆらりと現れた無数の手足を持つ地這い獣・和邇は、その名に違わぬ威容で古妖を威圧する。
 そうして二匹を従えたところで、ナギの白い肌が仄かな光を帯びた。
 姿は変わらない。ただ其処に在る輪郭だけが、現世の光とは異なる色を孕んで揺らぐ。
 ともすれば震え上がりそうなところ――しかし、古妖はナギと二体の徒を見比べると、未だ悠々と微笑みを浮かべて言う。
「何やら、私よりも食欲旺盛な方が揃っておられるようで」
「くいしんぼう対決なら負けませんとも」
「……おい、どういう意地の張り合いをしているんだ」
 呆れた声とは裏腹に、アダルヘルムは漆黒の大盾を前へ。
 進路を塞ぎ、竜すら断つ大剣の切先を九朗へと突き付ける。
 その構えには、古妖を店から叩き出そうとする明確な意思が滲んで――刹那、紅色の燐光が舞った。
 一羽、二羽――否、幾十羽。
 空中に光の軌跡を刻む蝶々が次々と顕れ、九朗を包み込むように群れ集う。
 ひらひらと揺れる紅の翅は古妖の視界を掠め、意識をただ一人――アダルヘルムへと縫い付けていく。
 そこに道を示すように、アダルヘルムは盾を構えたまま一歩退いた。
 さらに一歩。内ではなく、外へと退がる。
 退却ではない。古妖の眼差しを一身に引き受けたまま、硝子戸の向こうへと誘うための歩み。
 九朗もまた、獲物を追う猫の如く静かに間合いを詰めていく。
 やがて両者の足は敷居を越え、肌を焼く夏の日差しが降り注いだ。
 店先から人影のない方角を一瞥すると、アダルヘルムは大剣を構え直す。
 揺れる紅の翅越しに、鋭い赤眼が古妖を射抜いた。
「こっちだ、クソ猫! 喰いたければ俺を狙え。他の奴には指一本触れさせんぞ!」
「――結構。では、その腕から頂戴いたしましょう」
 猫の瞳が細まり、巨大なナイフが奔る。
 優雅な所作とは裏腹に、刃は人体を料理の肉塊と等しく扱う無慈悲なもの。触れれば腕一本、容易く役目を失うだろう。
 しかし。
 蝶に導かれた刃は、まずアダルヘルムの腕でなく大剣と火花を散らす。
 正面から噛み合う刃と刃。柄を握る腕に重い衝撃が走るが、それしきで揺らぐアダルヘルムではない。
 間髪入れず突き出された巨大なフォークも、今度は大盾が受け止め、その軌道を逸らした。
「給仕にしては随分と頑健ですね」
「ふは、あれはあれで意外と体力仕事だからな」
「ではお疲れでしょう。私などと張り合わずとも良いのでは?」
「抜かせ、クソ猫!」
 言葉を交わしながらも、アダルヘルムは店から遠ざけるように間合いをずらす。
 九朗がそれを追って踏み込んだ――その横合い。
 店先へ伸びる影を伝うようにして、兜御門守宮が躍り掛かった。
 爪牙が九朗の足運びを乱す。同時、和邇が無数の手足を踏み鳴らし、戻る道を塞ぐように巨躯を滑り込ませる。
 肌に圧し掛かるほどの威圧が、古妖の動きを僅かに鈍らせた。
 そこへ重なる、ナギの異能。
 距離も、向きも、もはや九朗の意思だけでは決まらない。
 見えざる力が空間そのものを引き絞り、古妖の身体を店から離れた方へと強引に攫っていく。
「これは――」
 初めて、九朗の余裕が僅かに崩れた。
 敵に回せば、さぞ恐ろしいであろうナギの力。
 しかし味方につければ、これほど頼もしいものもない。
「勿論、御門君のサポートもな!」
 吼えるアダルヘルムの大剣が、巨大なカトラリーを真正面から弾き上げた。
 そうして生まれる、一瞬の隙。
 ナギがさらに引く。体勢を崩した九朗に兜御門守宮が喰らいつき、和邇が逃げ道ごと古妖を潰さんと脚を振り上げる。
 そしてアダルヘルムは――もはや退かず、前に出る。
「サクッと退治してやろう!」
 腰を落とす。
 無数の古傷を抱えた身体が、それでもなお力強く一歩を踏み込み――大剣を横薙ぎに叩き込んだ。
 凄烈な一撃に仕立てのよい洋装が裂け、九朗の身体が大きく弾かれる。
 土煙を引いて十数歩、ようやく踏み止まった猫の古妖は、白手袋で傷を押さえた。
 その貌に浮かぶのは、もはや午餐を前にした美食家のものではない。
「……これはこれは」
 九朗の視線が、ゆっくりと巡る。
 正面には、大剣と大盾を携えたアダルヘルム。
 背後には、無数の手足で地を這う和邇。
 傍らでは兜御門守宮が鈍色の身体を低く伏せ、喰らいつく機を窺っている。
 そして――ナギ。
 白い肌には、未だ淡い光が宿っていた。
 何かしら干渉されたのだろうとは、九朗にも分かる。
 しかし、それが何で、何処まで、何を出来るのかは分からない。
 見た目には先程から大して変わらぬというのに、九朗が僅かに重心を動かしただけで、周囲の空間がそれを咎めるように歪み、見えざる力がその身体を絡め取る。
 まるで得体の知れないそれは、古妖の食欲を削ぐに充分。
「どうぞ、お覚悟召されませ」
 ナギは常と変わらぬ顔で告げる。
 しかし、喰らう者と喰らわれる者の席は、既に間違いなく入れ替わっていた。

天國・巽
月島・珊瑚
シャルファ・ペンタス・ダオ

 床に落ちる匙が鳴らした、小さな絶望の響き。
 それを掻き消すように、幾つもの足音が硝子戸へと殺到する。
 椅子も卓も倒れて、食べかけのあいすくりんが年季の入った床板を汚す。
 その只中で若い店主だけは逃げることも出来ず、青褪めたまま立ち尽くしていた。
「……遂に来たね」
 動けぬ店主を庇い立ちながら、珊瑚が事の元凶を睨み据える。
 その傍ら、シャルファもまた白い猫耳を僅かに伏せ、敵をじっと見つめた。
 眼前の古妖は、奇しくも同じ猫の貌を持つ。
「……貴方が、すずさんを誑したのですか?」
「誑かすなどと、そんな人聞きの悪い」
 嘲笑めいた言葉に、シャルファの金と氷青の瞳が細まる。
 種こそ違えど獣の血を引く者として、古妖の所業は到底見過ごせるものではない。
「すずさん、ここは私たちにおまかせください」
「そんな……っ」
「大丈夫、こう見えても戦うのは得意なのですよ」
 憂いを帯びたすずの声を宥めるように言って、シャルファは荒れた店内を見回すと、唇を引き結ぶ。
「……皆で一生懸命整えたお店です。これ以上は傷ひとつ、付けさせたくないのです」
「だな」
 シャルファの呟きに短く応じた巽が、傍らの珊瑚へと顔を寄せる。
(「珊瑚、少しだけ任せる。合図したら入口を全開だ。いいか?」)
(「了解。任せて、巽さん」)
 打てば響く頼もしい返答。
 巽の意図を汲み取った珊瑚は、すずを背に庇ったまま一歩前へ出る。
「古妖、花巻・九朗! すずさんの心の弱みに付け込むなんて……これ以上、お前の好きにはさせない!」
「これはまた、随分と|威勢《活き》のよいお嬢さんだ」
 真っ向から叩きつけた声に、九朗の猫の瞳がゆるりと珊瑚へ向いた。
 その隙に、巽は未だ逃れきれぬ客の流れへと踏み込む。
 幼子を抱き上げ、転びかけた女の肩を支え、隘路の如き出入口で押し合う人波をするりと解いて外へ送る。
 つい先ほどまで客を捌いていた動きと同じようなものだ。違うのは、その背後に銀の刃が煌めいていることだけ。
「――おやおや。食前の運動にしては、些か忙しないですねえ」
 九朗が白手袋の指を払えば、巨大なナイフとフォークが床すれすれを薙いだ。
 しかし、巽は振り向かない。
 殺気から庇った最後の子供を戸外へ押し出すと、自らもその流れに乗りながら草履を脱ぎ、制服の襟元を寛げる。
 実直な店主が誂えてくれたものだ。卑しい古妖の相手などで、わざわざ破くことはない。
 そして――次の瞬間、空気の密度が変わった。
 二角五爪。額から伸びる黄金の角と、四肢を覆う緑青の鱗。高次元の√に眠る巽の本体、その力の欠片を人の身へと重ねる――“|帰神法 応龍-纏-《キシンホウ・オウリュウ・マトイ》”。
「珊瑚! シャロ! 今だ!」
「はい!」
「開けるよ!」
 硝子戸が限界まで左右に走り、夏の光が店内に注ぎ込む。
 同時に巽が片腕を引いた。
 掴んだものは九朗の身体ではない。彼を包む空間そのもの。間合いという概念すらも握り潰すような牽引に、古妖の身体が大きく傾ぐ。
「……っ、これは……!?」
 ナイフを床へ突き立てた九朗の抵抗も一瞬。
 板を深く抉るより早く、珊瑚が盾で刃を跳ね上げる。
「お店を壊す訳にはいかないんだって!」
 支えを失った九朗は、カトラリーごと真昼の往来へ引きずり出された。

 裸足で土を踏み、巽が言葉を継ぐ。
「条件の提示もなくさせた契約で、取り立てってのはねェぞ、古妖」
「……これは異なことを。願いには代価が付き物、言わずとも知れた話でしょう?」
「手前にばかり都合の良いこと言ってんじゃねェよ」
 咎める巽。対して九朗は微笑みを浮かべ、その両脇で銀が閃いた。
 妖術によって生み出された巨大なナイフとフォーク。左右から間を置かず繰り出される斬撃は、巽一人を狙うものではない。
 往来をまとめて食卓へ変えるような広い軌道で、珊瑚やシャルファまで呑み込もうとする。
 その強襲の狭間に、珊瑚は自ら飛び込んだ。
 地を蹴った次の瞬間には宙を滑り、第一撃を鞄に偽装されていた盾の面で受ける。
 腕まで痺れる重さ。それでも返す刃を斜めに流し、九朗の視線が自分へ向いたぶんだけ、仲間から――特に、背後にいるシャルファから危険を引き剥がす。
「好きにはさせないって……言ってるでしょ!!」
「勇ましい。では、まず貴女から切り分けて喰らうとしましょう」
 銀の切っ先が一転して細く、鋭く、珊瑚の腕を狙う。
 触れさせてはならない――そう悟るより早く、またしても盾が軌道へ滑り込んだ。
 古妖の得物と擦れ合う衝撃。耳の奥を刺す雑音と、不快な振動が走る。

 その隙に、シャルファは後方へ駆けた。
 近すぎず、遠すぎず。九朗の肩、尾、カトラリーの向きまで見渡せる距離で足を止めると、腰のホルスターへ手を伸ばす。
 抜き放つのは、雪のように真白い精霊銃『ブランフルール』。
 白妙の片手銃型竜漿兵器を九朗へ向け、ぴたりと照準を据える。
 威嚇ではない。たとえ己が身を裂かれるようなことになっても、必ずや古妖を撃ち抜く。それだけの覚悟があればこそ“任せて”と宣ったのだ。
 撃つ。ひとつ。もうひとつ。
 牽制の弾丸は九朗の足元と側面を穿ち、狙いを絞らせない。
「……ちょろちょろとまあ、鬱陶しいことを……」
 苛立ちを礼儀正しい笑みに押し込め、九朗のフォークがシャルファへ向く。
 巨大であれど緩慢ではない。放たれた鋭い突き、その刃先が届く――寸前。
「させない!」
 珊瑚が横合いから盾を差し入れた。
 鋭い衝撃に身体ごと押されながら、それでも後衛への道は譲らない。
 なればこそ、シャルファは狙える。
 じっと定めていた照準の先へ、今こそ渾身の一射を見舞う。
 引き金を絞り、放たれた一条は、白昼に尾を引く“|彗星のきらめき《コメットバレット》”。
 九朗の胸元で光が弾け、衝突の力が慇懃無礼な体躯を仰け反らせる。
 同時に零れた星の加護は、巽と珊瑚へ降り注ぎ、疲労を押し流すように身体を軽くした。

「今だね!」
 珊瑚は身を守る装備をすべて外し、放り捨てる。
 九朗が立て直しざまに振り抜いたナイフを唯一残した盾で弾き、腕を伝う衝撃すら前進の勢いに変えて、真正面から叩き込むのは水流を纏った一撃。
「吹き飛べ!」
 水を裂いて跳ねる“|イルカの跳撃《ドルフィン・バッシュ》”。
 九朗の身体が路上から浮き、大きく弾き飛ばされる。

 けれど、古妖はまだ倒れない。
「まったく、次から次へと無作法な……」
 吐き捨てながらの着地と同時、奔るナイフの狙いは珊瑚――でなく、間近に立っていた巽の首筋。
 速い。命中すれば、ただの傷では済まぬ一閃。
 しかし、百年を生き、数多の古妖と刃を交えてきた龍の眼は、その斬撃が起こす僅かな肩の沈みを既に|視《しっ》ている。
 緑青の鱗が銀を弾いた。火花ほどの幽かな光が散った時には、巽は刃の内側へと潜り込んで、手首を取り、肘を制し、九朗の体勢を崩す。
 逃れようと獣の尾がしなり、フォークが翻った。
 だが、その悉くを巽は見切り、絡め、封じていく。
「猫が龍に勝てるかよ」
 金の瞳が笑い、五爪が唸る。
 洋装ごと妖気を深く裂かれた九朗は――ついに、膝を折った。

 巨大なナイフとフォークが、陽炎のように輪郭を失っていく。
「……なるほど。口惜しいですが、此度は負けを認めざるを得ませんか」
 最後まで慇懃な声を残し、九朗の姿もまた淡い妖気となって崩れた。
 その気配を縛るのは、力だけではない。
 店の中にぼんやりと残る、誰かの「美味しかった」という声。次は別の味を食べようと笑う声。古妖に作られた飢えではなく、皆で生み出した本物の賑わい。
 それらが目に見えぬ封となって妖気を押し包み、やがて古い氷室の奥へと、静かに引き戻していった。

 ◇

 片付けを終える頃には、傾いた陽が往来を淡い橙に染めていた。
 卓も椅子も元通り。硝子戸も無事。
 店先では風鈴が、過ぎた戦いなど知らぬ顔で鳴っている。
「んー!! やっぱりすずさんのあいすくりん最高!」
 珊瑚が頬を押さえ、満面の笑みを浮かべた。
「戦った後だと、もっと美味しい気がするのです」
 シャルファもひと匙を口へ運び、ふわりと耳を揺らした。
 すずはそんな二人を見つめていたが、やがて堪えきれないように笑う。
 そこで巽が、ふと思い出したように写真機を取り出した。
「そうだ。もう一枚撮っておこうぜ? すずも一緒によ」
「わ、わたしもですか?」
「もちろん!」
「一緒がいいのです!」

 ――夏の終わり。
 昔ながらの三つの味と、新しく増えた色とりどりのあいすくりんを並べ、四人は肩を寄せる。
 そしてシャッターが切られる、その刹那。
 風鈴の音と、最高の笑顔が、ひと夏の記憶として涼やかに焼き付くのだった。

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