焼肉行こうぜ。(食後の運動あり)
●焼肉パーリナイッ!!
「さあ、今日は私の奢りだ。存分に食べて飲んで騒ぎたまえ」
そう言って笑顔で若者にいいお値段の焼肉を振る舞っているのは、アメリカは連邦怪異収容局に所属する能力者の中でも多分強い方であり、例え敵対する√能力者であろうとも『降伏したまえ。人間同士で争うなど愚かなことだ』と話し合いの姿勢を見せるナイスミドルであるリンドー・スミス氏その人である。
「「あっす、あざっす。ご馳走様ですっ!!」」
口々にお礼を述べるのは、性格や容姿、果てはこの場に座る経緯まで様々な、この√EDENにおいては違和感無くよく見られるだろう若者達である。
「いいんだ、君達にはこれから私の手足となってキリキリ働いて貰わないといけないんだからね。部下のモチベーションの管理も、デキる上司の必須スキルだよ。HAHAHA!!」
リンドー氏の前には空のビール瓶が数本……この御仁、出来上がっていらっしゃる。
リンドー氏の酔いに任せた軽妙なトークと、肉に歓喜する若者達。この場はすこぶる盛り上がっていた。
……信じられるだろうか。こいつら全員√能力者なのである。
●飲みュニケーション、皆さんどう思います?
「……リンドー・スミスが若者を集めて焼肉屋でパーティをしていた」
|神谷・浩一《かみや・ひろかず》(人間(√汎神解剖機関)の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h03307)は、眉間に皺を寄せながら星詠みにて見えた事をありのままに伝えた。
「√EDENにある焼肉屋で、リンドー・スミスが『仕事』の決起会をしている。√能力者の若者を集めてだ。
どうやら、事件を起こす前らしい。事件の内容までは見えなかったが、今回はそれを気にする必要はないし、これから俺が『お願い』する事には直接関係無い」
神谷はそう言い切った。
「という訳で、ここにその焼肉屋の割引券がある。なんと3割引きだ。焼肉を思う存分召し上がって、ついでに食後の運動がてら、事件を起こす前に畳んじまってくれっていう話だ。未然に防げるならそれに越した事は無いだろ?
……残念ながら、俺はこの日は別の事件の張り込みに当たる予定になってる。同行は出来ないからきっちり仕事してきてくれ」
第1章 日常 『焼肉の時間だ!』

ひとり焼肉……それは無心で己の欲と向き合うべき神聖な神事。……ああ、仏教徒とか無神論者の方はごめんなさい。とりあえず、それ程に没頭して向き合う時間なのだ。
そんな時間に向き合う女が1人……|七鞘・白鵺《ななさや・びゃくや》(人妖「鵺」・h01752)は網の上で輝く肉と対峙していた。バラとカルビ、豚トロを主軸に己の食欲へと至る焼肉ロードを組み上げていく。脂の乗った満足度の高い攻め方だ。
肉、肉、肉。ロースターの上のそれらを、しっかりと強火でガンガン焼いていく。
多少焦げてもご愛嬌、そいつは香ばしさというものだ。米の盛られた器を片手に、焼き上がった肉を机の上の皿に広げたタレに浸していく。
焼いて、喰らって、タレつけて喰らって、タレをつけた肉を、白く輝く米粒の山へと弾ませ、そのままかっ喰らう。食欲だ、食欲は全てを凌駕する。
焼肉とは己との戦いだ、脳が満腹を覚える前にどれだけ詰め込む事が出来るか。戦いの末、満腹感を覚えた白鵺は、満足げな表情を浮かべる。
この勝負、引き分けという所だろう。
「わあ~、人生初めての焼肉。いや人生は終わっちゃったから正確には幽霊生初めての焼肉なんだけど」
ここにもひとり焼肉を楽しもうとする女が1人、悪しき因習に満ちた田舎で窮屈な暮らしを強いられた末、怪異に命を奪われた結果はっちゃけちゃった系幽霊、|黒葉・黄泉子《くろは・よみこ》(幽霊探偵黄泉子の事件簿・h05732)である。自分を縛った田舎村をテロったついでにありったけ持ち出したのでお金はバッチリだそうだ。火事場泥棒より性質が悪い。
……ともあれ今は過去の事、咎める者は何処にもいない。
「さあ、食べるぞ〜。焼肉パーリナイッ!!」
白く輝く白米を片手に準備万端。網という敷布団の上に、カルビ、ロース、牛タン、ハラミを寝かせていく。
準備が出来るまでにキムチを摘む。初めて味わったすっきりとした辛味とシャキシャキとした歯触りに思わず白米が進む。……食べ切ってしまった。
「あ、ライスもうひとつ下さい」
網から下ろしタレに浸した肉達を、届いたばかりの艶々とした白米に乗せ頂く。
「ん〜、最高♪タレがいい味出してる♪」
傍に添えられたわかめスープも口に運ぶとスッキリと口の中をさらい、いくらでも肉を食べられそうだ。
「それはそれとしてアイスクリームとかも食べちゃおうかな。幽霊だから太らないしね」
たっぷりと肉を味わった後、ドヤ顔をした後デザートまで美味しく頂く。フルコースである。
ご馳走様でした。
(リンドーが部下と焼肉を食べに行くらしい。
……いや、食べちゃいかんと言う事はないが、星詠みに引っかかるってことは高確率で何かやらかすんだろう)
……と、言う事で。
「アダン。焼肉に行くぞ」
|静寂・恭兵《しじま・きょうへい》(花守り・h00274)は件の焼肉屋へと、アダン・ベルゼビュート(魔蠅を統べる覇王・h02258)を誘う事にした。
「俺様達も焼肉に?……静寂、我が同盟者よ。急に如何した?」
突然の誘いに驚いた様子のアダンに、静寂が気怠げに返す。
「お前は少しでも食べて肉をつけろ、肉を」
「……其処まで肉が無い様に見えるのか」
「幸い三割引きの割引券がある。ある程度は好きに食べてもいい」
そうして訪れた焼肉屋の前。
「嗚呼、前もって言っておくが……此の服で肉を焼けると思うか?」
アダンが堂々と言い放つ。
「はぁ?……わかった俺が焼く。お前は食べろ。
……言っておくがにおいはどうしても残るぞ。気をつけろ」
呆れた様に返すも肉奉行を引き受ける静寂。雰囲気に反して面倒見のいい男である。
「察しが良くて助かる。においについては致し方があるまい、今更だ」
アダンがそう笑って返す。
「一先ず二〜三人分はある、おすすめの肉盛り合わせを注文するか。すまない、これを頼む」
アダンの注文した肉を、静寂が丁寧に焼き始める。
(『依代』の記憶で見た事はあるが、実際に来たのは初めてだな)
網の上で色を変えていく肉を眺め、そんな事を思いながら、アダンが口を開く。
「幾度と無く戦場を共にしたが、共に食事をする機会は無かったな。
……信頼に足るお前とであれば、此の様に同じ釜の飯を食うのも悪くない。
……なぁ、静寂。お前はどう思う?」
焼き上がった肉をアダンの皿へと乗せてやりながら、静寂が静かに顔を上げる。
網の上から自分の皿へと肉を乗せ、そこに視線を落とすと静かに口を開いた。
「そうだったか、共に食事をするのは初めてだったな。
こう言うふうに人と食事する機会自体少なかったが……お前と食事をするのは俺も悪くはないと思う」
それだけ告げると、静寂は誤魔化すように皿の上の肉を口へと運んだ。
何も部下を引き連れ焼肉パーティを行うのは、リンドー・スミスのみの特権ではない。
「さぁ、アタシの奢りだ…みんな好きに食いな!」
八曲署『捜査三課』……様々な所轄で問題を起こした捜査員の掃き溜めと言う噂ではあるが、その実は超常現象関連特別対策室に所属する刑事達が、所轄も世界も超越して捜査に挑むと言う『越境特殊捜査室』の一支部である。
その部署を率いる海千山千の修羅場を潜り抜けてきたと言う女傑、|花畔・アケミ《ばんなぐろ・あけみ》(越境特殊捜査室支部長・h00447)。
『ボス』ーーまあ、一部には『ババア』と呼ぶ不届者も存在するがーーと呼ばれ、課員に慕われる彼女が高らかに宣言する。
(ま、奴には後で焼肉弁当でも買っていくとして。
……若いのが沢山食うのは見てて好きなんだアタシは)
「奢り!!いよっ!さっすがボス!太っ腹モグぅ!ゴチになりますモグ!」
「え!ボスもいらっしゃったんですね!しかも奢り…!」
モコ・ブラウン(化けモグラ・h00344)が囃し立て、|日南・カナタ《ひなみかなた》
(新人|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h01454)が一瞬気を失いかける。
「……ハッ。い、いや食べる前に逝けない!ボス!ご馳走になります!」
脳内で焼肉がカナタの頰を叩き、気を取り直して敬礼する。
「普段の慰労も籠めてるんだ、そう畏まるんじゃないよ」
アケミが苦笑で返す。
「焼肉だーー!やったーー!
おごりは兎も角として美味しいお肉食べれるのはうれしいなー!
ボス、ありがとうございます!いっぱい食べます!」
「焼肉……3割引きッ!? しかも奢りッ!? 行くしか……オ、お仕事として!!」
カナタの隣では、彼の幼馴染である|十六夜・宵《いざよい・よい》(思うがままに生きる・h00457)がはしゃいでいる。|八手・真人《ヤツデ・マト》(当代・蛸神の依代・h00758)も、この後の仕事に気が逸れながらも、概ね焼肉を楽しみにしていた。
八曲署『捜査三課』は、怪異絡みの|事件《ヤマ》に立ち向かっていくというその職務の特性上、広く捜査協力者を受け入れている。こういった仕事では、手がいくらあっても足りない。√能力者であるなら、収監者であれ協力を受け入れていたりもする。(無論、課員の監視下に置くという条件付きではあるが)
また、他√出身の√能力者に対しては協力の対価として、√汎神解剖機関においての拠点としても部署の一角を提供しており、非常に大所帯である。
そんな捜査協力者である宵や真人に関しても、課員と同等に扱うあたり、アケミの懐の深さがよく見て取れた。
「焼肉……か」
焼肉屋の看板を見上げ、|叢雲・颯《むらくも・かえで》(チープ・ヒーロー『スケアクロウ』・h01207)が小さく呟く。
(誰かと賑やかに食事をするのは久々だ)
焼肉自体を食べた事はある。だが、少しばかり重めの特撮愛から生じる、普段からの数々の奇行のせいか、これまで食事に誘われる事などほとんど無かった。正直、今回の食事会を楽しみにしている自分がいる。
「焼肉なんて久しぶりですね。しかも、ボスのおごりだなんて助かります」
そう言って、|志藤・遙斗《しどう・はると》(普通の警察官・h01920)の顔が綻ぶ。
早くに両親を亡くし、施設を出た後には、全寮制の学校に通う妹の学費や寮費、生活費は彼の給与から賄っていた。定期的に手紙やメールのやり取りがあり、その度に仕事で溜まった彼の疲れは嘘だったかのように吹き飛ぶが、実際問題、財布の中身が常に厳しい事に変わりはない。心の豊かさは人を生かすが、悲しいかな、それで腹までは膨れてはくれないのだ。
「ボス、アタシまでご馳走になっちゃって本当にいいのかしらぁ〜?」
そう言うのは、イグ・カイオス・累・ヘレティック(BAR『蛇の尻尾』のママ・h04632)である。
「いいんだよ。……それとも何か?お前さんはアタシに格好の一つも付けさせてくれないって言うのかい?」
少しばかり意地の悪い返しをするアケミ。
「あら、ゴメンなさいね。そう言う事なら遠慮無く♪」
このやり取りも様式美である。
元々エリート捜査官であった累は、仕事中に『薄紅に輝くカマペゾヘドロン』に触れてしまった事で、人間災厄「薄紅に輝くカマペゾヘドロン」へと変質し、永い刻を生きてきた。そんな彼は遠慮という物をよく知っているし、目上の人間を立てるという事もよく知っていた。
アケミの方もそうだ。これまでの生き方で培われたそれでもって、累が受け入れやすいように言葉を選んでやる。
案内された席に着き、メニューを手に取ると、デザート欄に記された1行が|煙道・雪次《えんどう ゆきじ》(人間(√汎神解剖機関)の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h01202)の目に、留まる。
(これ……彼女が好きだった物だ)
メニューに並ぶソルベの文字を右手でなぞり、故人を偲ぶ。……無意識に左手が頭の白い花の髪飾りへと伸びた。
こうしてそれぞれの想いが交錯し、八曲署『捜査三課』の新年会が開催されたのである。
「取り合えず生中もらえますか?ああ、未成年はウーロン茶でいいかな?
後はー、ハラミとカルビとタン塩もらえます?」
遙斗が纏めて注文を伝える。
運ばれてきた肉を前に、累の6本の腕のうちの4本が動いた。
「さぁ、焼くわぁ〜。ボスの奢りだから遠慮はしないわよぉ〜」
「モグラも焼肉にはこだわりがあるモグ。肉をひっくり返すタイミング……それだけとっても部位によって微妙な差が……」
類の手にした4本のトングが、優しく、かつ手早く網の上に肉を寝かせていく様子を見て、モグラは悟った。
「……ふ、モグラの出る幕はなさそうモグね。うわ〜い楽できるモグ〜!モグにも焼いて焼いてモグ〜」
一転、完全にだらけ肉待ちの姿勢へと移る。
(人並みに自炊はできる……。
だが、焼肉は簡単に見えて非常に繊細な料理だ。
焼き方1つ、タイミング1つで全てが台無しになる……ここは最も料理の上手い累ママさんに任せるのがベストだろう)
「ママさん すみません。お任せします」
颯も累へと焼きを任せる構えだ。
(たこすけが、他の人のお肉を盗らないように警戒しとかないと……)
真人は自身に宿る怪異『蛸神』であるところの相棒、たこすけの暴挙に対しての警戒の色を見せる……が、
「ほぉら、真人、焼けたわよぉ〜」
「ワァ、累ママお肉ありがとうございます」
先程の緊張はどこへやら、ホクホク顔で取り分けられた肉を口へと運ぶ。
「はい、これ焼けてますよ。……あ、皆さん次は何食べます?」
遙斗はそう言って周りに焼けた肉や野菜を取り分け、様子を見つつ、テーブルの上の皿が途切れない様に注文を入れる。それでいて、自分でもしっかりと会話に加わり、肉や酒を楽しんでいるのだ。一見地味で目立たないポジションではあるが、これを完璧にこなすには広い視野と観察眼が要求される。裏肉奉行と言って差し支えない働きである。20という年齢でこれをこなすあたり、彼の勤勉さが見て取れた。侮れない男である。
「うーん、人の金で食べる肉!酒!これほどいいものも無いモグな!!」
呵呵と笑い、化けた人型の肉体の若さに任せて、肉と酒を思うがままに貪るモコ。このふてぶてしさがいっそ可愛らしい。
「ぷりっぷりのホルモン、美味しぃ〜。コラーゲン感じるわ。馬肉のユッケもクセがなくて美味しい……いいお店ねぇ〜」
6本の腕を巧みに操り、4本は周りの世話、2本は自分の世話に活用していく累。
「……俺も見習って肉奉行を——ヒッ、火柱ッ、燃えてるッッ!!」
真人が累を見習い、トングを手に取り肉を網に乗せたその瞬間、網の上に火柱が上がり肉が黒く炭化する。
「……ほ〜ら、たこすけ。お肉——そ、そっぽ向かれた……」
差し出された焦げた肉に、当然の如くそっぽを向くたこすけ。
「うぅっ……俺が責任持って食べますね……」
自ら焦がした肉をもそもそと食べる真人。……この後、綺麗に焼けた美味しそうな肉は全てたこすけに奪われる事になるという事を、彼はまだ知らない。
別のテーブルでは幼馴染2人が網を挟んで向き合っていた。
「やっぱカル……」
やっぱカルビでしょー!……そう言いかけてカナタは考える。
(ここはボスの奢り。……ということは、少しばかりグレードを上げてもいいのでは?)
「じょ、上ハラミを……」
一応遠慮というものを知っているのか、それとも高い肉にビビっているか……しかして奢りでの焼肉という誘惑に抗えず、おずおずと注文する。
「んーと……そしたら塩タンとヘレお願いしますー!」
脂身のあるお肉も美味しいけどやわらかいのが好きなの、と、向かいの席では宵がご満悦である。
「あとは、卵スープと……ご飯と……」
注文の後、頼んだ品が届き、カナタが網の上へと肉を並べ始める。側から見れば彼女の世話を焼く彼氏の様相である。
信じられるかい、このテーブル、男しかいないんだぜ?
「うっまー!大人の味ーー!」
宵の世話を焼きながらも、しっかりと焼けた上ハラミを口へと運んでいくカナタ。
「カナタンこっちも美味しいよー食べよー!」
網の上の肉をカナタの皿に乗せて笑う宵。
「世話を焼いて焼かれて楽しいね!」
宵のまぶしい笑顔にカナタはふと思う。
(……あれ?今日の本件はなんだったっけ?)
「ボス、お向かい失礼します。」
会も中盤、アケミの向かいの空いた席に、雪次が腰を落ち着ける。
「あんまり食ってないみたいだけど……なんだ、食が細いのかお前さん?」
「自分はあまり多く食べる方ではなく。……この能力が発現してからというもの、食が進まずこればかりで。……せっかくのボスのご厚意なのに、申し訳ない」
よく、見ている。アケミの問いかけに雪次は胸元の煙草の箱を指し、申し訳なさそうに返した。
「そうかい、アタシこそ悪かった。能力と直結してんじゃ禁煙も勧められないのが難儀だね」
苦笑しながら胸元の箱を取り出し軽く掲げる雪次に、アケミが片手のひらを見せて、どうぞ、と促す。
煙草を咥え、ライターで火をつける雪次。
「ま、食えるモン食いな。ほら、|鶏粥《ダッカルビクッパ》なら胃に優しいだろ」
「お気遣い痛み入ります。鶏粥、頂きます」
そう言った後、雪次はアケミの空のグラスに気付き、中身の入ったビール瓶を小さく掲げる。アケミがグラスの口を傾け、雪次の方へと向けると、少し高い位置から注がれた黄金色のそれは、グラスの上部に見事な白い泡を立てた。
叢雲・颯は焦っていた。
前述の通り、経験値の少ない彼女にはいまいち場の空気感が掴めずにいた。
(こういう場ではどんな会話をするのだろうか?……愚痴?コイバナ?)
ぐるぐると頭の中で考えを巡らせながら、モソモソとピーマンを食べる。
……それは天啓と呼べる物だったと、この時の颯は思った。否、思ってしまった。
「男性陣の皆…好きな人とかいるのかい…?」
死んだ魚の様な目をしながら爆弾を投下する。隣の席できゃーきゃーと騒ぐいかにも陽キャギャルが集まりましたという女子会から漏れ聞こえた会話をそのまま振り下ろしたのだ。
言わばそれは諸刃の剣。ハマれば盛り上がる事は必至だが、そうでなければ一瞬で場の空気を地獄に叩き落とす危険な代物だ。
「エッ、好きな人、ですか……? 兄ちゃんが一番ですけど、三課のみなさんのことも……フヘヘ。
アッ、ママにはお世話になってるから、そういう意味では好きな人……?」
ほんわかとした口調で、真人が口を開く。
これには日々激務に身を置くハードボイルドな三課の面々も、彼にはこの素直な心根のまま育ってほしいと思ったとか、思わなかったとか。……ちなみに真人くん、もう成人済みである。
かくして彼のおかげで致命傷は避けられた。
「好きな人なんて記憶にないから、BARのママしているの〜最近は真人の保護者よぉ〜」
蜂蜜酒を飲みながら語る累に場の空気が持ち直す。
「へぇ、好きな人モグねぇ……そういう話題を出すってことは、叢雲ちゃんはどうなんモグ?ん?」
酒をかっくらいながらモコがたずねる。おいやめろ、モグラ。
思わず黙り込む颯。話題を振っておきながら自分が隣の女子会のようにキャーキャー騒げない事に気づくのであった。
「……っと、この後の|二次会《仕事》に参加する奴は食い過ぎて倒れんじゃないよ!」
ボスの鶴の一声に、課員達の纏う空気が変わる。……そう、本番はこの後だ。
第2章 集団戦 『トクリュウ』

「ふむ、|ご同輩《√能力者》か」
店を出たリンドー・スミスがそう呟く。
「楽しい食事の時間は終わりだ。当日チョロチョロと動き回られても面倒極まりないのでね。
予定より早いが仕事だ。ある程度は把握しているが、諸君の力を見せてくれたまえ」
リンドー・スミスが雇った若者達を嗾け、√能力者達へと襲い掛からせた。
「はむはむ、この石焼ビビンバもおいひー。特上カルビももうすぐ焼けるなー♪」
満面の笑みでビビンバを頬張る黄泉子。ごちそうさまと見せかけてのまさかの、2週目である。君、さっき締めのアイス食べてなかったっけ?
アイスが締めと誰が決めた、悪霊ってなんだっけ……などなど様々飛び交いそうな雰囲気ではあるが、怪しいバイトを受けるような若者の集団においても、勤勉なタイプは居るものである。
よせばいいのに、わざわざ店へと戻ると催涙スプレーをシュッシュしようとする訳だ。いいのよ、放っといても。この子焼肉食べてるだけなんだから。
「……?なんですか?楽しい食事の最中なのに?」
ご満悦の様子から一転、黄泉子が若者に底冷えのする声を投げると、それに追随する様に、影絵の怪異『這い寄る黒い手』が彼の身体を絡め取り、影絵の怪異『牙むく猟犬』が喰らいつく。
「……悪霊に手を出せばどうなるか、理解できました?」
哀れ命を刈り取られる若者。……彼にもAnkerはいる筈なのでまた今度頑張って欲しい。
……さあ、これでもう私はまだお店の中にいるよって言い出す子は居ないね。頼むよ?
「力をみせロ?おォ、力こそパワー。よくわかっているじゃないカ」
謎の金属製で身の丈以上の長さの卒塔婆を担ぎ、白鵺が若者達と対峙する。
「私が見たかったのは君の力ではなくてだね……というか、それ、日本人的に我々の十字架あたりと近い者じゃないの?振り回して大丈夫なのかね。それ普通木製じゃなかった?卒塔婆って何だっけ?金属製とか重そうだネ」
その堂々とした白鵺の佇まいに、思わずリンドー・スミスのツッコミが冴え渡る……ツッコミなのだろうか。今日の彼はアルコールが入っている、ご容赦頂きたい。
「力・速力・知力。全部、|力《ちから》ってつくからにはやっぱり|力《パワー》さえあればいいよネ。やはり力こそ全テ。
ちょうどカロリー補給したばっかりだし、全力全壊(誤字にあらず)でイケるゾ。
ボクの|力《パワー》をとくと見ヨ。微塵と散れヤ、蘇婆訶アァッ!!」
そんなスミス氏の言葉もどこ吹く風。有り余る|力《パワー》を手にした卒塔婆を振り回す。
対する若者達の方も腐っても√能力者、知られざる生存本能を覚醒させ、『現在最も必要な能力ひとつ』つまり、攻撃を回避する為の速度を強化し、白鵺の力強い一撃を回避する。
しかし、それがいけなかった。地面に叩きつけられた卒塔婆から、載霊無法地帯が展開され、若者達の行動を阻害する。
「暴力、暴力は全てを解決するのダ」
行動の成功率の下がった相手を攻撃するのは容易い。戦慄する若者達を追い回し、白鵺は怪力乱神・嶽殺棒を存分に振り回してしばき倒していくのだった。
「時に、静寂よ」
敵を前にしても泰然自若と言った様子でアダンが口を開く。
「……どうした?」
言葉少なに返して来た同盟者に向けて、アダンが言葉を続ける。
「リンドーが雇ったらしき若者共だが、見目こそは一般人であれども、戦闘力を持つ敵である事に相違無いな?」
「あぁ、相手も√能力者だ……『一般人ではない』、お前にとっては大事なことだったな。
そうとも……お前が加減してやる理由は、一つもない」
静寂が淡々とそう返すと、アダンが呵った。戦う力を持たぬ者を蹂躙するのは本意ではない。
「念の為に確認した、只其れだけだ。敵であれば問題無い!
静寂よ、先ずは此奴等を蹴散らしてやろうではないか!」
「……期待には応えて見せよう」
気怠げな雰囲気を残しつつ、目の前の敵へと意識を向ける静寂。|彼《アダン》とは何度も共闘している。攻撃範囲等は把握しているつもりだ。
静寂の左手に構えた拳銃から放たれる銃弾が、対峙する若者達の足並みを乱す。
その間にアダンが右手へと万象を灰燼とする黒き炎の幻影を宿し、黒狼のそれを模した闇色の鋭利な爪へと変形させる。
「侮るつもりは無い、故に全力で屠ってくれる。劫火の黒爪を以て引き裂き、焼き滅ぼしてくれよう!!」
アダンの生み出した黒爪の周囲に黒炎が舞う。
「如何なる能力を上げようが、俺様の『魔焔』は全てを引き裂き、焼き尽くすのみ!!」
荒れ狂う獣のように暴れ、鏖殺の限りを尽くす。2倍に増した速度で回避を試みるも、4倍に増したアダンの移動速度の前には敵うことは無かった。
「落ちる花を追うが如く」
アダンが踏み込むと同時に静寂が更に拳銃の引き金を引く。弾丸の放たれた時には既にその右手は腰に下げた霊刀・|曼荼羅《まんだら》へと伸び、神速の居合を以て踏み込み若者を斬り捨てる。返す刀でもう1人切り伏せてやると、近づいて来た1人に左手の拳銃で零距離から銃弾を見舞ってやる。
獣のように暴れ狂うアダンの領域を、静寂は縫う様に進み、阿吽の呼吸と言うのはこのような事を言うのだ、と言わんばかりに若者達を倒していった。
──きっかり、60秒。
「嗚呼──期待以上の動きだ、我が同盟者よ!」
「ん、そりゃどーも」
「え?何々?二次会?やったー!二次会って言ったらやっぱカラオケで……」
店先で見つけたリンドー・スミスに思わず噴き出しそうになるカナタ。そういえば焼肉の割引券をくれた時に今は不在の先輩は何か言っていなかっただろうか。
「あ、あーーー!」
思い出していただけた様だ。よかった、これが本題だよ?
「待て、警察だ」
雪次が懐から取り出した警察手帳を見せながら口を開く。
「確認なんですけど、無駄な抵抗はやめておとなしく捕まる気は無いですか?」
遙斗もそれに倣い警察手帳を見せる。
「君達はまだやり直せる。その手に持ったナイフを収める気はないか?」
雪次の続けた言葉を、同じく警察手帳を翳して見せながらアケミが継ぐ。
「見ての通り、隣で宴会してたアタシ達は|警察《サツ》のモンさ。前科がつきたくなきゃこのままお帰り小僧共」
(ったく、それにしても未来有る若いモンを利用するたぁ大したクソ野郎だね)
ちらりと奥に控える|男《リンドー・スミス》に視線を向ける。その瞳には出来る上司としての対抗心が少しばかり。
「見た感じバアさんがトップか。大丈夫か、警察ってのは?」
明らかに小馬鹿にしたような視線を向け、ナイフの刃を舐める男が1人。いるいる、こういうの。真っ先にやられるやつ。
「だったらどうだって言うんだい?」
言葉を返したアケミへと、男はナイフを振り上げ襲いかかる。
「抵抗の意思を確認っと、仕方ないですね。行きます!」
遙斗が踏み込み、柄当で男の鳩尾を突く。うずくまる男を見てやれやれと首を振り、文字通り煙に巻いて放り投げる雪次。
「まぁ言う事聞くガキ共じゃないだろうね、知ってた。さあ、楽しい|二次会《カチコミ》だ。
悪いね、簒奪者は裁判抜きだよ」
アケミが拳銃を抜き、牽制に若者達の足元へと銃弾を撃ち込んでやる。
それを合図にするかの様に、八曲署『捜査三課』……別名『越境特殊捜査室支部』の面々と、リンドー配下の若者達との乱戦が幕を開けるのだった。
「八手さん、お店の外なのでたこすけさんモードになっても大丈夫です。思いっきりやってください!」
「……た、たこすけ、奢ってもらった分、今日はちゃんと——」
遙斗の言葉に真人が返し切る前に触腕へと飲み込まれていく。
再び姿を見せた|依代《八手・真人》の双眸は金色となり、瞳孔は四角く開いていた。
先程まで|供物《焼肉》を心ゆくまで召し上がっていた『蛸神様』は、上機嫌だった。だが、最後の最後でケチがついた訳だ。例え人間共の中では前もって知らされ話がついていたのだとしても、神である彼には毛ほども関係はないのである。
「どうやら……私はこっちのほうが慣れているようだ」
昭和の大人気ヒーローを模した塩ビ製のペラペラとしたお面を被り、対怪異鎮圧義手『鳴子参式:実戦配備型』へと、身体強化術式と増強物質が組み込まれた特殊弾丸である、対怪異鎮圧弾丸『火食鳥』を装填しながら、颯は今日を振り返る。
(今回の飲み会は正直凄く楽しみだった。前日から『どんな話題を振るか』を箇条書きしてリストにしていたほどだ。……自宅に忘れてきてしまったが。)
同僚達が楽しそうにしている姿は見ているだけでも楽しい気分になった。居場所と言うのは、こういった物なのかも知れない……。
「モコさん……」
颯が隣を見やり、続けようとした言葉を飲み込む。いつもの様子から一転、冷徹な仕事人としての面構えをしたモコがそこに居たからだ。
「多少足に当たっても仕方ないモグよなぁ?
……モグラは目が悪いんモグ」
地を蹴りこちらへと向かってくる若者へと、銃弾による先制攻撃を浴びせてやる。
「それに──お前らも覚悟を持ってここに来てるはずモグ」
にたりと狩猟者の笑みを浮かべたモグラが、直後にフッと姿を消す。
颯は首を振り、靄のかかった内心を誤魔化すように駆け出した。
「もう、二次会へ行こうと盛り上がっていたのに……邪魔ね。いいわ、お店へ来る前に近場は把握済みよ」
どこに停めていたのか、嵐と慈雨の神の名を冠する魔導バイク『|Ba'al Zəbûl《バアル・ゼブル》』へと跨り、現れる累。
間延びした口調は鳴りを潜め、アンニュイな空気を纏うBARのママから、明敏さの滲み出る|警視庁異能捜査官《カミガリ》としての一面を見せる。周囲の障害物へと当たらない様に前進し、牽制とばかりに|Ba'al Zəbûl《バアル・ゼブル》の後輪で薙いでやると、若者達が引き潮のように離れ、距離を取った。
「ぬわーー!バイクーーー!!んひゃーー!八手先輩がーーー!」
周りの状況に叫ぶカナタ、てんやわんやである。
君、別に落ち着けば戦えない訳じゃないでしょう。
「もう家に帰らせてください!」
思わず掲げた右手が敵に触れ、若者の放つ√能力を無効化する。
「カナタン落ち着いてー。ほら、どーどー」
宵がカナタを宥める……が、ここが好機である事は間違いなかった。巨大な刃の付いた精霊銃『月霊刃銃』から雷属性の弾丸を射出、着弾地点を爆発で抉ると共に、味方への帯電による強化を施したのだった。
「無駄な抵抗をしないでください。怪我をするだけですよ?」
遙斗が霊的疑似振動を放ち、震度7相当の震動で密集状態の若者達の動きを止める。
直後、アケミが|バリケード《退魔》テープを投擲し、捕縛。
「催涙スプレーとは面倒な。目が痛いと泣いても自業自得だぞ」
雪次が煙でできたウサギの使い魔を放ち、若者達が腰に下げたスプレー缶へと穴を開けていく。
「あばばばばばっ」
「くそっ、なんだこのテープっ」
「あっ、ちょっ、目がっ、目がああっ」
……一方的な地獄絵図である。
「あっ、ぐあああああっ」
『蛸神様』の触腕がうねり、拘束された若者達の腕を次々と手折っていく。|真人《依代》が『|しどーさん《志藤さん》』と呼ぶ男の方へと振り返り、このやり方なら文句ないだろう、とでも言いたげな顔をしているが、更なる地獄を呼んだだけである。
遙斗の放った√能力の射程は半径23m。身動き出来る程度に散開していたのであれば、取りこぼしも出てくる。
「アラ、何処行くの?」
距離を取ろうとする1人を、累の足下より這い出ずる『蛇神イグの鱗片』が絡め取る。
「クソがっ、黙ってやられるかよっ!!」
若者の知られざる生存本能が覚醒し、腕力が2倍に強化される。
「力任せね。強引過ぎるとモテないわよ?」
振り下ろされる青年の腕を六本の腕で受け、的確に受け流すと、そのまま腕でカウンターの強撃を加えてやる。
「うん、もう少しダケ遊ばせてね」
少しまだ身体が硬いから、と若者の身体を掴み背後に回り込むと強かに回し蹴りを繰り出し吹き飛ばしてやる。
「思ったよりも鈍っていたわね」
「むー、めんどくさい。もう!僕らこれらから二次会行くんだから邪魔しないで!」
「宵ちゃん、二次会ってこの事だったんだよ。ふ、不意をつかれた振りをして油断させようとする作戦だったのさ!まんまと罠にハマ…ハマってなーーい!そりゃそうですよね~~!!」
はい、そうです。待っててあげるだけ有難いと思ってください、という面をする若者達。
「そうだったんだ……でも、倒さなきゃいけないのは変わらないね。全部薙ぎ払ってあげる」
『月霊刃銃』の刃に纏った雷が敵を貫き、横一閃に振るい大きく薙ぎ払う。
「素人か……」
自身の義手・義足へと、漆黒の妖気を纏い、対怪異殲滅形態へと変形させた颯が、高速で拳や蹴りを叩き込んでいく。
「はーい、叢雲ちゃん、次はこっちモグよ」
土中へと潜っていたモコが順々に若者達の脚を掴んでいき、颯の攻撃を確実な物にしていく。野生の勘で掴むべき相手の位置は手に取るようにわかる。
「くっ……」
颯の義手・義足がオーバーヒートを起こし、緊急冷却状態に入る。
「ナイスガッツモグ、叢雲ちゃん。少し休んでおくモグ。じゃ、よろしくモグ」
乱戦の外で休ませるべく、モコが颯の足を掴み投げる。仕方あるまいと言った様子で『蛸神様』がその触腕で颯を受け止めると、うねうねと運び後方へと下がらせた。
「さて、じゃあ仕上げと行こうか」
そう言ったアケミが殉職警察官の英霊達をけしかけ、雪次がその亡霊達の勢いに少々気圧されながらも、若者達を煙で巻いて逃走を阻止しながら煙のウサギをけしかけていく。そこに遙斗が踏み込み、敵を居合で一閃し、寄ってくる敵には逆手の拳銃での銃撃を浴びせてやる。
若者達が反撃に転じようものなら、彼等の位置・動きを把握しているモコの、土中からの牽制射撃にたたらを踏む事になる。
その隙を突き、『蛸神様』が絡め取った若者達を千切っては投げ千切っては投げ、カナタが愛用のハンマーを振るい敵を殴りつけると、宵が背中合わせで『月霊刃銃』を振るい若者達を薙ぎ払い、累の六本の拳の強撃が若者達を次々に倒していった。
それぞれが己の持ち味を活かしながら若者達を殲滅していき、やがてその場に立つ者は、√能力者達とリンドー・スミスだけになる。
「相手が悪かったモグな──我々は捜査三課モグよ」
土中から身体を出したモコがニヤリと笑みそう締めると、遙斗が煙草に火をつけながら本件の黒幕へと視線を向ける。後は奴を倒すだけだ。
第3章 ボス戦 『連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』』

「ふむ……なかなかやるじゃないか、日本の√能力者諸君。あまりの手際の良さに私も酔いが醒めてしまったよ。今回はしてやられたが、せめて君達を倒して終わりよければ全てよしとしようか」
そう言って、連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』は、その身から怪異を解き放った。
「今回の3割引き焼肉屋襲撃事件…その真犯人は貴方です。連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』ッ!」
ビシィッ!と指を指して言い切る黄泉子。
「さあ、真犯人へ断罪タイムです」
うんうん、探偵を語るからにはこういう見せ場は欲しいよね。
「いや、私は別に焼肉屋へと部下を労いに来たホワイトな上司としての立ち位置であって、言ってしまえば今回は君達の方が襲撃者なのだがね?
……まあいい、まずは君から片付けよう」
うんざりしたように首を振り、リンドー・スミスは己の解き放った怪異の群れの上から跳躍する。
さて、ここまで焼肉おかわりなどコミカルな面ばかり強調してきたが、|黒葉・黄泉子《くろは・よみこ》の本質は悪霊である。そして、悪霊の本質は呪いである。『這い寄る黒い手』で跳躍したリンドー・スミスを拘束し、自身の手に呪いを集めていく。
「随分と無防備を晒す物だ。私を拘束した所で、荒れ狂う怪異の群れは止められないのだよ!!」
リンドー・スミスの放った怪異が次々に黄泉子へと襲いかかる。
「……それがどうしたの?呪いを纏う悪霊は無敵なの。……60秒、それがあなたが走馬灯を見ていられる時間です」
押し寄せる怪異の群れにも黄泉子は微動だにしない。
「なん、だとっ!!私の怪異共がまったく傷を与えられないなど……」
まあ、実際のところは受けたダメージを後回しにしているいわゆる前借り状態なのだが。わざわざ今解説してやることもなかろう。
「私は貴方の動きを封じ、的だけ絞ればそれでいい」
黄泉子の呪いを集約した拳が、リンドー・スミスの中心を貫く。
「ぬ、お、お、おぉぉぉっ!!」
鳩尾を貫く黄泉子の拳にリンドー・スミスの身体が宙を舞う。
「……あふんっ」
全ての呪いを叩き込み、前借り状態も限界を迎えた黄泉子は、いい顔で倒れ伏すのだった。
「見て見ぬ振りをしていたが、本当に酒を飲んでおったのか、貴様……!?」
「宴席だ、私が飲まねば皆が遠慮するではないか。飲まない方が上司の立場としておかしい」
どこか恨めしいような口調で問いただすアダンに、こともなげに答えるリンドー・スミス。
「アダン……お前、そんなに酒が飲みたかったのか?」
「静寂よ、『依代』の年齢故に飲みたくても飲めぬ身にもなってみろ!
……嗚呼、そうだ。此れは俺様の個人的な羨望である」
「……依代の事を思うならあと2年待て」
「其れは重々承知している。俺様は『依代』が二十歳を迎えるまでは堪えてみせるぞ」
「……そろそろいいかね?」
アダンと静寂のやりとりに痺れを切らして割って入るリンドー・スミス。
「酔いが覚めたっていうのならまともな戦いが出来そうだな…。
あんたの事だ。何もなく肉を食いに来ただけってわけじゃ無いだろう?……無いんだよな?」
「……君はそれを聞かれて私が素直に答えるとでも?」
「……だろうな。まぁ、いい。あんたが直接前にでてくるなら|戦おう《やろう》じゃないか」
「いいとも……我々にはそもそもそれしか道がない」
言葉の応酬が終えると、静寂が死霊の邪気を身に纏い、右手が|曼荼羅《まんだら》の柄へと伸びる。
「ジャパニーズサームラーイ。……いいだろう。私も相応のもてなしをしよう」
リンドー・スミスの身体が波打ち、異形の部位が増していった。……が、次の瞬間、パリンと音を立ててその部位が崩れていく。
「行くぞ、静寂。我が同盟者よ」
アダンがリンドー・スミスの懐へと潜り込み、その身体へと右掌を突きつけていた。
「ルートブレイカーかっ!!」
苦々しげに吐き捨てるリンドー・スミスを意に介さず、アダンは首から上で振り返り相棒を見やる。
「お前は好きに動け、奴の攻撃は任せろ。我が呪われし右腕で、降り掛かる害意は全て制してやる」
「……ならば好きにさせてもらおう。任せたぞ──相棒」
愛刀に手を掛け駆け出す静寂に、リンドー・スミスは距離を取り、肉体融合武装と化した怪異をけしかけていく。
「其の余裕、操る怪異──全てを否定し、消し去ってくれよう!!」
静寂へと向かう攻撃は、全てアダンの右掌が霧散させていく。
「あの花の傍へ、帰る為に──」
静寂の放つ居合の絶技『|花閃葬《カセンソウ》』がリンドー・スミスの中線を捉え、深々と斬撃を残した。
「うむ、実に素晴らしき一太刀だ──我が愛しき相棒よ!」
「おい、褒めすぎだ……」
「貴方がリンドー・スミス?このままおとなしく捕まってはもらえませんか?」
「……本気で聞いている訳でもあるまい?」
「無駄なのは解ってるんですけど、一応こちらも仕事なのでね。」
遙斗とリンドー・スミスの間でお約束の茶番が繰り広げられる。
「連邦怪異収容局員のリンドー・スミス。現行犯で逮捕する……って、黙って捕まる相手じゃないか」
「今回はオフの私を君達が襲撃したような構図だ。現行犯も無いだろう、私は正当防衛以外何もしていない……まだ、ね?」
雪次のセリフに飄々と返すリンドー・スミス。
「強がりはほどほどにねおじさん。
出来もしない事言う程分かってない人ではないとは思ったけど買い被りだった?」
「無粋を言う物ではないよ、少年。君は何かと対峙をする時に最初から弱腰で事にあたるのかね?」
リンドー・スミスは宵の言葉へ口角を上げ、そう大人の余裕で返す。
「ったく、余所の√に|危険物《怪異》持ち込むんじゃないよクソ爺。
――いや、アレは一体化してるのか?……まぁ貴様は怪異って事で排除で良いね」
「この方が制御するのに効率がいいだろう?」
アケミの言葉に、「わからないだろうか?」……とやれやれと言った風に返す。
「さーて、残りはお前だけモグね。リンドー・スミス?
お前相手ならモグラも気持ちよくぶん殴れるというもんモグ」
咥えたタバコをぷっと吐き捨て、ブーツの裏で火の始末をしながら、モコが続ける。
「逮捕するモグ!」
「やれやれ、押し問答だ。あとは振る舞いで語らないかね、時間は有限だ」
それだけ言うと、リンドー・スミスは怪異を解き放ち、三課の面々へと嗾ける。
──目の前を通る怪異の群れに、蛸足が絡みつく様に伸びる。
不甲斐ない依代に代わって、ひと仕事終えた蛸神様。
おやおや?さっきあれだけ食べたのに、もうお腹が空いたようです。
……目の前に美味しそうな怪異の塊が通れば、やる事は一つ。目の前を通ろうとする怪異の群れを丁寧に小さく引き千切っていく。
──ぐちゅっ、ぷちゅりっ。ごりゅっ、にちゃっ。
|依代《真人》の口に押し込み、ゆっくりと咀嚼させていく。
人間の味覚とは複雑なもので、雑味とやらもハッキリと感じ取れる。これには蛸神様もビミョーなお顔。混ぜればいいってものでもない。
「……八手くん、ぺーっしなさい。お腹壊すモグよ」
「たのもしいが……八手はあれ、大丈夫なのか?」
「前も見たけど、多分大丈夫だと思います。
でも、よくアレを食べようって思いますね。まぁ、たこすけさんなら仕方ないか」
三者三様、様々に反応を返す面々。
──注目の|的《まと》である、|真人《まと》だけに。閑話休題。
「我、である!……小さいのが頑張っておる。我もやらなければならんな」
|善意《ヤツ》とは正に|蛇神《へびがみ》の方ではないか。仕方があるまい、|累《コイツ》には記憶がないが、思う何が残っているのであろう。
「ほれ、ブリの照り焼き弁当だ。蛸よ、依代を自由にしてやれ」
イグがそう言い、蛸へと弁当をさしだしている。
怪異を千切るだけ千切って、その辺にポイッと放った蛸神様は、そのまともな食事を依代の口へと押し込むのだった。
「成程、そちらも正気の沙汰では無い輩が多い様だ。いいだろう。怪異はふんだんに飼い慣らしている。とくと味わうといい」
更なる怪異を放ち跳躍するリンドー。
「良かろう、己が身を使い捨てる覚悟でやろうではないか!」
イグがバイクを駆り跳ね上がり、空中を駆ける。群れの中を突っ切りながら、その腕で掴み、引き寄せ落としてやる。
「呵々、我はお前のそのやり方は好きである。何度でも空間ごと引き寄せて闘いを楽しもうではないか!」
分が悪いと見たのか距離を取り、周囲を見回すリンドー。怪異を放ち、颯へと狙いを定める。
「そっちが仕掛けてくるならこっちもやらせてもらおうか」
慣れた仕草で義手の指を動かしつつ、腰から取り出した魔弾『杜鵑』を装填する。
相手はこちらを狩る姿勢……ならば、カウンター一択。
手首をスナップさせ『杜鵑』に点火。霊力をブーストしリンドーの攻撃に合わせて至近距離での破魔攻撃を叩き込んでやる。
直後、義手より魔弾の薬莢が排出。副次効果で反応速度を向上させる真紅のオーラを纏い隠密状態となった。
「あの黒い雲に大きな仮面は何の怪異なんだ?」
イグと颯がリンドーと対峙する間、少し離れた場所で未知の怪異だらけで一瞬眉間に皺を寄せる雪次。
「何だろ?あの怪異は見たことないタイプですね。油断しないようにしないと」
傍では遙斗がそれに頷き様子を伺う。
颯が隠密状態へと移行し、リンドーが周囲を伺うタイミングで、雪次がコートの袖下に隠していたナイフを投げ、先制の一撃を加える。
「ふぅ……数には数だ。頼むぞ」
煙から生まれたウサギの使い魔を放ち、リンドーに嗾け怪異の動きを封じていく。
(さすがに強いな。アイツがタバコを吸う余裕ぐらいは無くしたいが)
「さて、やるか。悪いが【悪】は斬る!」
こちらも煙草の煙を纏い、神速の踏み込みで距離を詰める遙斗。腰の刀を抜き放ち、霊剣術・|朧《オボロ》の一閃を放つ。
「ぐっ、なかなかやるものだねっ」
怪異を盾にそれを防いだリンドーの口元から、煙草が地面に落ちた。
「さぁ、若者達の未来を守る為にこの老害ジジイをぶちのめそうじゃないか。|老人会強制加入の儀《カタコシヒザ・ペイン》……!」
アケミが近くの老霊達に助力を祈ると、近くの建物からイイ具合に看板やら植木鉢やらが降って来てリンドーの上から襲いかかる。辛くも躱すが、老霊達がリンドーへと纏わりつき、その呪力により|急速老劣化《オールド》による体機能低下を与えていく。
「やってやりな、モグ」
「オーケー、ボス。腹ごなしにはちょうどいいモグ」
モコの右腕が変化し、巨大なモグラの爪がぎらりと光るモグラの腕と化す。左手の拳銃の引き金を引き牽制、右手で器用に手錠を投げて捕縛してやると、その鋭く巨大な爪を振るい、連続の強撃を浴びせてやる。老人会によって衰えたリンドーの足ではそれを躱すことも叶わない。
「俺だってやる時はやるんだ!
……って、八手先輩……いや、たこすけ先輩!?そんなもの食べちゃダメー!
……累せんぱ…?累ママ……いやなんか違うーー!?」
カナタは引き続きてんやわんやである。思考の処理能力を上回ったのか突如気を失う。
「うわー、カナタン起きてー。しっかりーっ」
「なんだなんだうるせぇなぁ……ここどこだぁ?」
宵に揺り起こされ、ぼりぼりと頭を掻いているカナタの纏う雰囲気は先程とは違っていた。
「カナタ!」
宵の目尻に涙が滲む。
「お?よぉ、宵かぁ、元気してっかぁ」
「元気だよ。僕は元気。君もね」
そうして『彼方』が周囲を見回す。
「あぁ?なんだ|警察《サツ》か?…ったくめんどくせぇなぁ。
俺は寝起きで機嫌悪りぃんだ!!」
愛用のロングハンマーを拾い上げると、バットのように構えて振りかぶる。
それを、老人会の呪いによって衰えているリンドー・スミスへときっかり2回撃ち込んでやる。
「ぬっ、おっ、おおっ」
なんとか怪異により防ぐリンドー・スミス。
が、それでもハンマーの連撃は重たい。
「へっ、どんなもんだ……よ……」
意識を失い倒れ込む『彼方』へと宵が駆け寄る。
「あとは僕がやる。ゆっくり休んで。……行くよ、『ツクコヨミ』」
宵が自身の操る後方戦闘系決戦型WZ『ツクコヨミ』を纏い、そのリミッターを解除する。真紅に輝く決戦モードへと変化したそれは、手にした巨大な刃の付いた精霊銃『月霊刃銃』を構え、その銃口から何物をも貫通する無数のレーザーを一斉に発射した。
「最大火力をぶつけてあげる!ちりも残さず消えなさい!」
強力な砲台と化した『ツクコヨミ』から放たれたそれは、リンドー・スミスの身体の大半を吹き飛ばしていった。
「……あ、あれ?戦闘終わってる?」
目を覚ましゆっくりと起き上がるカナタへと、武装を解いた宵が駆け寄る。
「……おはよ、カナタン。終わったよ戦闘。お疲れ様」
いつものカナタだ。そう、『今の』いつものカナタである。少しばかり寂しさをのぞかせるも、笑顔でカナタに語りかける宵。
「……ど、どやぁぁ!!」
訳もわからず事が済んでいた訳だが、とりあえずドヤ顔を決めておくカナタであった。
「真人には後で胃腸薬の準備と……。
おやおや、|日南《カナタ》に累ママと普段とは違う面を見せてくれるとは面白い。
颯は──ありゃ通常営業かね、多分、うん」
そんな事を呟きながら、アケミは半身の持って行かれたリンドー・スミスを不敵に見下ろす。
「──ウチの部署は曲者の猛者揃いだ、覚えときな」
アケミの言葉に、残った唇を動かし、ニヤリとリンドー・スミスが返す。
「そのようだね。今回は私の黒星としておこう。
……それじゃ、|また会おう《・・・・・》、日本の能力者諸君」
そう言って、リンドー・スミスは闇へと溶けていく。
こうして、焼肉の食事会から始まった今回の一件は、三次会までしっかりとこなし、ミッション・コンプリートと相なったのであった。
……颯が帰り道、洋菓子店のショーケースに並べられたチョコをジッと見つめ、何事かを思っていたのは内緒である。