シナリオ

ボニンブルーに抱かれて

#√妖怪百鬼夜行 #ノベル #夏休み2026

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ウィズ・ザー
深見・音夢
瀬堀・秋沙
玖老勢・冬瑪
クラウス・イーザリー
見下・七三子
架間・透空
システィア・エレノイア
黄・夜巡
ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア
アレスター・ペクスパンテーラ
夜桜・舞依

 都心部から南へ約1000km、船旅にして実に24時間。
 唯一の定期船に揺られ、ついに|瀬堀《せぼり》・|秋沙《あいさ》に誘われた『異世界√生物部』一行は、彼女の故郷――小笠原父島へと辿り着きつつあった。

 時刻は10時過ぎ、この日は絶好の快晴。
 太古の火山活動で生じ、長い年月の侵食によって刻まれた、切り立った崖のシルエットが、ボニンブルーと呼ばれる鮮やかな青い海によって引き立てられる。
 秋沙の瞳は、日光を浴びて煌めく水面よりも明るく美しく輝いた。
 故郷へ帰ってくる喜び、大好きな家族と故郷を仲間たちに見せてあげられる嬉しさ、期待。
 早くその砂を踏みしめたくて、秋沙はデッキの手すりを掴んだまま地団駄を踏むように両足をパタパタさせたのであった。
「秋沙さん、上陸が待ち遠しいみたいだねぇ……俺も、そろそろ陸が恋しいじゃんね」
 と、|玖老勢《くろぜ》・|冬瑪《とうま》はいつものからっとした笑顔で言うが、その語気はいささか弱々しい。
 初めての船旅ということもあって、どうやら船酔いを起こしてしまったらしい。
「冬瑪部長、水飲む? もう少しだけど、あまり我慢してると着いてから酷くなるかもよ?」
 それを見て取ったアレスター・ペクスパンテーラが気遣いを見せるが、そう言う彼も決して平然としているわけではない。
 もともと海辺に近づくことは少なく、しかも彼は「渡り鳥」である。
 背負った災厄のせいで一つ所に留まらず移り住むのが当たり前の人生とはいえ、じゃあ船旅に慣れているかと言うと話は別。
 実は、アレスターもしっかり食らっていたようだ。
「EDENでも船酔いは人によるっす、無理はしないほうがいいっすよ!」
 一方、ネムリブカの因子を宿す|深見《ふかみ》・|音夢《ねむ》は、むしろ元気で、それどころか秋沙のようにはしゃぎたいのを我慢していることが、そわそわとした様子から丸わかりだ。
 |この姿《・・・》で海に落ちたら泳げないために大惨事だが――今回は違う。本土から遠く離れた父島、そして一緒にやってきたのは気心の知れた仲間たち。
 一念発起して、これまで避けがちだった海にやってきたということもあって、去年の臨海合宿とは真逆に、その瞬間を心待ちにしていた。
「おー! 海きれー! これがあの……ボニンブルー! ってやつだよな!?」
「透明度も|東京側《むこう》とじゃ段違いだぜ……! 近づくほどに変わっていきやがる!」
 |黄《こう》・|夜巡《よじゅん》とウィズ・ザーは「船酔い? なにそれおいしいの?」って感じでテンション爆上げ、海面を見下ろして――ウィズの場合は|感じ下ろして《・・・・・・》――いる。
 特に夜巡は√仙術サイバー、つまり積層都市の生まれであり、純粋な海と親しんでいたわけではない。しかも彼の暮らしていた香港Ⅱから見る海は……こんなに美しく、素晴らしい自然が残されてはいなかった。
「あ、あんまり身を乗り出すと落ちちゃいますよ。気を付けてくださいね……!」
 |見下《みした》・|七三子《なみこ》が控えめな声で注意を促す。
 今回は(彼女の自認では)臨海合宿に混ぜてもらったような立場なので、何かあれば手伝いに回るつもりだったのだが、ウィズはともかくデッキの手すりにしがみついた夜巡は危なっかしくて仕方なかった。
「透空! すごいわ、海よ! 昨日出港した時とは別世界みたい、綺麗で輝くような青い海!」
「レン~、丸一日眺めてたんだからいまさら騒がなくても……いや、ごめんやっぱり私もアガる~! 島に着くの楽しみー!」
 ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリアと|架間《かざま》・|透空《とあ》も、長い船旅の疲れなど微塵も感じさせず、仲良しのふたりできゃあきゃあと騒いでいる。
 船を歓迎するように鳴く海鳥――たとえば代表的なオナガミズナギドリなど――の姿を見つけては、空を指差して盛り上がる。若さは偉大だ。

 その頃、船内でガラス越しに外の風景を見つめる|夜桜《よざくら》・|舞依《まい》の姿があった。
「そろそろ到着するみたいですね。デッキに出ておきましょうか……」
 吸血鬼ゆえに日差しが苦手な舞依は、やってきて早々にダウンしてしまわないよう、みんなと一緒に景色を楽しみたい気持ちを抑えていた。
 だが幸い、今回の臨海合宿は実に一週間にも及ぶ――今慌てずとも、夏の思い出を深めるチャンスはいくらでもあるのだ。

「ティア、船酔いとかは大丈夫?」
「心配ないよクラウス。俺たちも外に出ておこうか」
 日傘を準備する舞依の姿を見ながら、船内でくつろいでいたクラウス・イーザリーとシスティア・エレノイアもデッキへ向かうことにした。
 クラウスと違い、システィアは生物部の部員ではない。参加を快く受け入れてくれた|生物部の面々《かれら》の厚意に報いることも大事だが、なによりも旅を楽しまねば、と考えていた。

 そして、ぴったり午前11時。
 二見港に降り立った一同を、ふたりの人物が出迎えてくれた。
「秋沙ぁ~! こっちにゃー!」
「話には聞いていたけれど、こんな大所帯でよく来てくれたわね。歓迎するわ」
 アビシニアンを思わせる化け猫の瀬堀・ジェフリーと、その妻である瀬堀・百合香――つまり、秋沙の両親である。
「パパ! ママ! ただいまにゃーっ!!」
 船を降りるなりミサイルのように勢いよく飛び出した秋沙は、もふもふとしたジェフリーの胸のなかに飛び込み、ぎゅっと再会の抱擁を交わした。
「ほら、あなた」
「に゛ゃっ!」
 可愛い可愛い愛娘の帰郷に、すっかりふたりの世界にのめり込んでいたジェフリーだが、百合香が笑顔のままベシッとはたくと、毛をぶわりと膨らませながら我に返る。
 そして秋沙もくるりと仲間たちを振り返り、大きく両腕を広げた。
「みんな! ようこそ、小笠原ボニン・アイランドへ! そしてようこそ、セイボリー・ファミリーへ! にゃ!」
「「「はじめまして!」」」
 一同はその歓迎に応えるように、礼儀正しく挨拶した。

 今回の合宿の拠点となるのは、二見港からさらに車で10分ほど移動した境浦にある瀬堀家のペンションだ。
 人数的に待合所からバスで移動するのがもっとも手軽なのだが、この大所帯では事前の相談も必要になるうえ、次の便までは一時間以上ある。かといって15名近い顔ぶれで3km以上歩くのも、それはそれで。
 ということで、両親と島の人々が用意してくれた車での移動となり、一行は早くも島の人々のお世話になることに。
「こうして直接顔を合わせて挨拶できて、よかったです」
 ペンションの前までやってくると、部長である冬瑪が、改めて深く頭を下げた。
「一週間、生物部のみんなとともにお世話になります!」
「気にしなくていいにゃ! 連絡はこまめに貰ってたし、こっちも準備万端だにゃ!」
「そうなのよ。この人ったら、もう何日も前から『秋沙はまだか』『秋沙の友達たちはいつ来る』って騒がしくって……」
「にゃっ!?」
 百合香にあっさりと秘密を暴露され、ジェフリーは赤面した。
 よもや、これがかつて化猫海賊団の一員として海を荒らし回った海賊だとは、誰にも思えない。
「色々ご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
「俺はシスティアと申します。今回は生物部の皆さんに甘える形で参加しました。お世話になります」
 クラウスとシスティアも礼儀正しく改めて挨拶をし、両親から「しっかりした若者だ」との評価を受ける。
 もちろん他の仲間たちも、それぞれに名前を告げたり、きちんとお辞儀していくのだが……。

「あの……ジェフリーさん。実は、会えたら是非お伝えしたいことがありまして」
 と、舞依が控えめに切り出しつつ取り出したのは、どこか黒猫めいた意匠を持つアクセサリー。どうやら鯨骨で出来ているらしく、非常に手が込んでいる。
「これ……秋沙さんに頂いたのですが、お父様の作品とお聞きしました」
「確かに、俺が作った根付だにゃ。それがどうかしたかにゃ?」
「……とても可愛くて、気に入っています」
 舞依は『ねこねつけ🐾』を軽く振って、上品な微笑を浮かべた。
「そのことを直接お礼したかったのです。それと、もしほかの作品がありましたら、ぜひ見せていただけると……」
「……なかなか見る目がある娘だにゃ! そこまで言うなら、見せてやらんこともないにゃ!」
「なあ、ジェフリーさんあれめっちゃ照れてねーか?」
「しっ! 頑張って隠そうとしてるんですから、触れちゃダメですよ夜巡さん!」
「ちょ、透空っ。そんな大きな声で言ったら意味ないわよ……!」
 ラウレンティアが慌てて耳打ちするも、時すでに遅し。
 まんまと自分の内心を言い当てられてしまったジェフリーは、またしても顔を真っ赤にし、大きく口を開けたままカチンコチンに硬直していた。
「あわわわ、ごめんなさい! わ、私そんなつもりじゃなくて、そのえっとあの」
「いいのよ~、気にしないで。あの人ったら|生物部《あなたたち》のことを『海の男として鍛えてやる』だの『秋沙は絶対に嫁にやらない。不埒なことを考えてる奴がいたら諦めさせる』とか、変な力の入りっぷりだったんだから」
「にゃにゃあああ!?」
 まだ会ったばかりだが、夫婦の力関係がどうなっているのかは一目瞭然だった。
「あれが尻に敷かれている、ってやつなんですかね。ジェフリーさん、豪快な人っぽいのに」
「ぼくはそんなつもり全然ないけど、絶対に怒らせないように気を付けたほうがよさそうだね」
 七三子とアレスターはヒソヒソと言葉を交わした。
「しかし、あれは『出来る』ぜェ。相当の使い手だったんじゃねェか?」
 視覚に頼らずに物を"視"ることの出来るウィズには、情けない姿ばかり晒しているジェフリーが、どれほどの腕前を隠しているのか(もっとも本人はそちらを見せつけたいはずだ)が、手に取るように感じられる。
 そしてジェフリーの側も、からかうように微笑む百合香にタジタジだったが、値踏みするようなウィズの目なき視線に気付き、ギラリと眼光を閃かせた。
「おっと、こいつァ失礼。お詫びといっちゃなんだが、こいつをどうぞ」
 お近づきの印にウィズが持ってきたのは、西の肉や野菜などの山の幸、そして甘露醤油などなど。
「こういう島じゃ遠方の品は手に入りづらいだろうと思って、調味料にしてみたぜェ。
 ああ、紀州のはちみつ梅干しなんかも持ってきたんで、よけりゃあ如何だい?」
「これはこれはご丁寧に……ってなんか本当に丁寧だし嬉しいチョイスだにゃ!?」
「助かるわ~、通販すると高いし味付けがワンパターンになりがちなの。ありがとうございます」
 両親は喜んでくれたようだ。
「はっ!? しまったっす! バイト先へのお土産探しで頭が一杯で、ご両親へのお土産持ってくるの忘れてたっす~!!」
 しっかり下調べはしていたはずなのに――と、音夢は頭を抱えた。もっとも、ウィズが非常に丁寧なだけなので、別に失敗というほどのことではない。
「そんなの気にしなくて大丈夫にゃ! 早く|猫《わたし》の遊び場でみんなで遊ぶにゃ~!」
 と、居ても立ってもいられない様子の秋沙が、その場で足踏みしながら急かす。
「こら秋沙、こんなに礼儀正しくしてくれる子たちの前ではしたないにゃ! まずは荷物を運び込んで、きちんと手洗いうがいにゃ!」
「くっ、喋り方が親子で一緒だから一瞬混乱するぜ……! 冷静に聞くと全然声違うんだけど!」
「なあに夜巡さん、それもすぐ気にならなくなるじゃんね。さあ、言われた通り各自で荷物を持っていこうか!」
 部長の号令のもと、一行はガヤガヤとペンションの中へ入っていった。

●
 百合香が準備した豪勢な昼食を摂り、一休みした一行は、腹ごなしも兼ねて秋沙の提案でさっそく海遊びへ。
「ここが猫の遊び場にゃ! おうちから出てすぐにゃ!」
 境浦海岸に座礁した「濱江丸」が見守る、秋沙のとっておきのスポットだ。

「こうして落ち着いて見渡してみると……なるほど、此処が秋沙さんの故郷であり『世界自然遺産』小笠原かぁ!」
 視界いっぱいのボニンブルーと見渡す限りの水平線に、冬瑪は朗らかに笑う。
 爽やかな光景を見ているだけで、船酔いの後遺症も吹っ飛んでしまったようだ。
 彼の格好はボクサーパンツタイプの水着にラッシュガードを羽織っている。
「さて、さて。何に出会えるやら――」
「やっぱ船の上から見るのと砂浜からじゃ全然景色が違うなあ! すっげー!」
 その隣に立つのは夜巡。ラウンドタイプのサングラスをかけ、早くもバカンス気分だ。
「なあなあ、どんな魚がいんのかな? 生物部なんだし、観察とかしないとだよな!
 魚を知るってことは、つまり味も見ないとだめだよな! っていうかそれが一番大事だよな!」
「さっきご飯をご馳走してもらったばっかりなのに、夜巡先輩は食いしん坊だね」
 あはは、と笑うアレスターはサーフパンツに上着を羽織る海兵スタイルの水着で参戦。着替えはバッチリあるので、濡れても大丈夫だ。
「船が沈んでいるなら、人工漁礁になって魚がたくさん集まっているんじゃないかな。
 まあ、漁業権の問題とかもあるし、毒性の魚もいるかもしれないから、捕まえるのは後にしたほうがいいよ」
 と、音夢がクールに諭した。

 ……そして、その場の注目が彼女に集まる。
「おわあっ!? ね、音夢さん、その水着は……っ!」
 ショートパンツタイプの水着の上からTシャツを着た透空は、赤面しながら唇をわななかせた。
 なぜなら音夢の格好は、とんでもなく攻めた大胆過激な水着だったのだ。
 透空はアイドル志望時代から割とそのへんを気にして服を選んできたため、余計にショックが大きい。
「ううっ! あんまり直視しないでほしい……っす! 擬装解除してるとこ見られるの、やっぱり慣れないというか……」
「あれ、そっちなんです!? 水着のほうではなく!?」
 七三子は恥じらう音夢に思わずツッコミを入れてしまった。
 実際、音夢は怪人としての本来の姿――ネムリブカをベースにした異形になった上で、攻め攻めの水着を着用している。
 そのため、本人的には、水着は(相対的に)割と気にしていないらしい。

「こうして陸地から見ると、なおのこと透き通るような海ってのがわかるなァ。
 それに砂も真っ白じゃねェか。こりゃ活きのイイ奴らがたくさん見れそうだ」
 空を泳ぐウィズは、光の反射で雄大な自然を感じてテンションがアガッている。
「これが、海……波も冷たくて心地よいですね……」
 黒一色の水着姿にやはり黒い日傘を差した舞依は、波打ち際を歩きながら水平線を見渡した。
 あまり肌を出さないせいか、その動きは少し気恥ずかしそうでぎこちない。
「うん、本当だ。それに潮風も涼やかで、こうしているだけでも開放感が味わえるよ」
「これが海かぁ……こんなに色鮮やかな自然の世界があるなんて」
 システィアとクラウスはお揃いのラッシュガードに膝丈のサーフトランクス。
 そして、何もかもが人工化された√ウォーゾーンで暮らしてきたクラウスにとっては、目につくもの全てが新鮮だった。
「見てるだけじゃ勿体ないわ! さあ、たっぷり遊ぶわよー!」
 と、純白の水着姿のラウレンティアは、今すぐにでも駆け出しそうな勢いである。

「そこでストーップ、にゃ!」
 と声を上げたのは秋沙だった。
「この中には泳ぎが初めてだったり、まだ初心者な人もいると思うにゃ。
 だからまずは、潜れるようになるまでみんなで練習するのはどうかにゃ?」
「なるほどねぇ。ぼくはこれでも泳ぎはそれなりに得意なつもりだけど……」
 アレスターは翼をパタパタさせた。
「潜るとなると、|翼《これ》が大変なことになりそうだからねぇ。ま、去年練習したから、初心者ってわけではないけどさ!」
「私はだいじょーぶ! もう海に入りたくてたまんないから、れっつごー!」
「って、何言ってるのよ透空! 犬かきぐらいしか出来ないくせにっ」
「あちゃー、レンにはお見通しだったか~」
 親友にあっさりとバラされ、たははと頭を掻いて苦笑いした。
「私も潜るのはやったことがないんですよねえ。だからシュノーケリング、楽しみです!」
「オレは素潜りだって得意だぜ! なんならレクチャーする方に回ってやってもいーけど?」
 七三子は得意げな夜巡を見ると「うーん、実に"らしい"ですね」と感心した。
「もしかして、この道具は泳ぎのために使うのかな?」
 システィアはさっきから気になっていたフィンを持ち上げてみせた。
「そうそう。ほら、僕の尾びれと形が似てるでしょ? これを使うと水をかきやすいんだ」
 音夢がサメのような尾びれをひらひらと振ってみせた。
「私は、このあたりで皆さんの泳ぎを見ていますね」
「何かあっても私がついているから、安心してみんな楽しんで」
 日差しが苦手で観戦組に回る舞依には、万が一に備えて百合香がバックアップにつく。
 もしも熱中症に陥ってしまったとしても、彼女が側にいれば心配はないだろう。
「それと、男の子のなかでレクチャーしてほしい子がいたら、パパがやってくれるわ」
「任せとけにゃ! 今日一日で海の男と呼べるレベルまで鍛え上げてやるにゃ!」
 ジェフリーはたくましい胸板をもふっと叩き、やる気十分だ。
「な、なんだか激しいシゴキを受けそうですけど……もしかして、秋沙もジェフリーさんに鍛えてもらったの?」
「何を隠そうその通りだにゃ! 昔は猫も泳げなかったけど、島の猫としてたーっくさん練習したにゃ! だから心配ないにゃ!」
 他ならぬ実の娘が太鼓判を押すのだから、心配はなさそうだ。クラウスは改めて「よろしくお願いします」とジェフリーに頭を下げた。

 そして一同はいくつかのグループに分かれる。
「いやっほー! 海だぁー!!」
「気持ちいいぜェ~! なんなら競争するかァ?」
「はっはっは! 夜巡さんもウィズさんも元気じゃんね! 俺も負けてられん!」
 練習するまでもなく泳ぐのが大得意な夜巡・ウィズ・冬瑪組。
「いいな~、私も早く泳ぎたいな~」
「だったらきちんと真面目に練習しないとダメよ、透空?」
 マンツーマンで透空をレクチャーするラウレンティアのコンビや、
「まずはフィンの着用からにゃ。自分で出来るようになったら浅瀬で泳ぐにゃ!」
「きちんと履かないとキックしたときにすっぽ抜けるから、しっかり足を奥まで入れるのを忘れずに、にゃ」
 秋沙とジェフリー親子による、水泳用具の講習会組。これを受講(?)しているのはクラウスやシスティアだ。
「なるほど、こう……かな? 不思議な履き心地だ」
「おっと! 歩くのもコツがいるんですね。前に歩こうとするとつんのめっちゃいそうだし……」
 しかし色々な意味で道具の扱いには慣れているだけあり、飲み込みは二人とも早い。
「見てみて! 行くよ、これがぼくの泳ぎさ!」
「……って、それじゃ水鳥が魚を取る時みたいな感じじゃないか。それは泳ぐとは言わないよ?」
 自信満々に飛び込み芸(という名の滑空からの着水および離脱)を披露したアレスターは、音夢の冷静なツッコミに宇宙を背負った猫のような顔になった。
「えっ? じゃあもしかして、ぼくは泳ぐのは得意じゃない……??」
「下手っていうのは少し違うかもしれないけど、その勢いで水中に潜ったら……まあ、浮かんでこれないんじゃないかな?」
 もっともなツッコミである。
 なお、音夢はなにげに空中を泳ぐことも出来るため、アレスターの上位互換のようなものだった。
「もう一度基本から忠実にやってみようか。泳ぐのはけっこう体力を使うから、甘く見ていると危ないよ」
「むむむ、なかなか難しいことを言うね。が、そういうことなら仕方ない。ぼくもご相伴に預かろう!」
 アレスターはフィンの着用を終えたシスティアやクラウスに混ざることにした。

「ああ~、それにしても本っ当に気持ちいいですね、海……」
 シュノーケリング講習が始まるまで自由に泳いでいた七三子は、背泳ぎ状態でうっとりと空を見上げる。
 晴れ渡る空は海に負けじと底抜けの青色で、ちょうど今の七三子のようにゆっくりと小切れの雲がどこかへ流れていく。
 まさに絶景。それは舞依も同じのようで、けれど彼女が一番にこやかに眺めているのは、思い思いにはしゃぎまわる仲間たちの姿である。
「舞依ちゃーん!」
「はい? どうしました、秋沙さん?」
 ぶんぶんと手を振りながらざばざばと近づいてきた秋沙はにんまりと笑みを浮かべ、
「せっかくだし、舞依ちゃんに写真撮ってほしいにゃ! カメラ用意してあるし!」
「あ……」
 言われて舞依は首に提げていたカメラを見下ろし、少し頬を赤らめた。
「その、実は皆さんに確認を取って、もしOKであればと思って持ってきたんです」
「そんなの大歓迎にゃ! みんなはどーかにゃー?」
 秋沙が振り返ると、各々「もちろんだぜ!」だの「可愛く撮ってね!」だの「喜んで!」だの、満場一致の気持ちの良い返事がかえってきた。
「言い出すチャンスを見計らってたら、秋沙さんに助けてもらっちゃいました」
 舞依は百合香をちらりと見た。島の猫の母は優しく微笑み返した。「あの子らしいでしょ?」とでも言いたげな表情に、少女はこくりと頷き、日傘を手に立ち上がる。そこへ百合香がそっと手を伸ばし、代わりに日傘を持ってあげた。
「ありがとうございます」
 瀟洒に礼を言い、まずぱしゃりと一枚。全員が入るように遠くからの撮影には、ピースサインを向けた者もいればそれどころではない者(たとえば翼が濡れて大変なことになっているアレスターなど)もいたが、それが逆に「らしく」感じられた。

「ねーねーどおー? これもうプロ級じゃない!?」
 ぎこちない平泳ぎを披露する透空。
「うん、だいたい分かってきた。水を蹴るってこんな感じなんだ」
 持ち前の運動神経で、あっさりとフィンの扱いをマスターしたクラウス。
「おお、おお、みんな大したもんじゃんね! 俺も負けてられんなぁ!」
「それじゃあ冬瑪部長、今度はぼくが勝負を挑むよ! このずぶ濡れの翼にかけてね!」
 なぜか川遊びで慣れた冬瑪と、無謀な戦いを挑むアレスターの水泳勝負(勝敗は言うまでもない)。
「ちょっくら沖合に様子見に出てみたが、見たことねェ魚がわんさか泳いでて壮観だったぜェ」
「じゃあこのままウィズさんに捕まってぐるっと見てくるのとかどうですか?」
「そうね、勝手に泳いでくれる浮き輪だなんて、願ってもないサービスだわ……」
 大きなウィズの身体を浮き輪ならぬフロート代わりに、ゆらゆら海水浴を楽しむ七三子とラウレンティア。
「ウォオオオオ! 喰らえ水バルカン!!」
「にゃー!? バタ足で水飛沫起こすのは卑怯にゃー!」
 いつの間にか水掛け遊びに興じる夜巡と秋沙。
「ううん、こっちの岩陰にもネムリブカはいないか……っと、うわっ」
「驚かせてしまったな、ごめんよ。ようやく泳ぎのコツが掴めてきたところでね」
 サメ探しモードに入っていた音夢が、クラウス以上に自在な泳ぎを見せるシスティアに度肝を抜かれる様子。

 みんなが好きなように、好きな相手と戯れ、泳ぎ、はしゃぐ姿が、シャッターを切るたびに記録されていく。
「泳ぎのほうはもう十分みたいだにゃ。そろそろシュノーケリングに挑戦する時にゃ!」
 タイミングを見計らい、ジェフリーが号令のように声をかけると、それが事実上の集合の合図のようになって全員が集まった。
「潜るのは地元の川と一緒ってわけにはいかないだろうからなぁ。ご指導、お願いします!」
 冬瑪は体育会系の男子部員のように、勢いよく一礼した。
「え゛っ、も、もう!? ……ねえレン、手握っててくれる……?」
「はいはい、さっきまで自信満々だったくせに」
 おずおずと切り出す透空に呆れたように笑いながら、ラウレンティアが隣に立って手を握りしめる。
 いつの間にか百合香がシュノーケルやマスクの入ったボックスを用意してくれており、一人ずつそれを取り上げると、基本的な装着方法からレクチャーが始まる。
「早くしねェと日が暮れちまうぜェ? なあンてな」
「事故が起きたら大変だしね。念には念を入れるのは大事だよ」
 マスクもシュノーケルも必要ないウィズや音夢は、後方サポート要員だ。
「もし溺れちまっても、オレがじんめーきゅーじょするから安心しろよなっ!」
 胸を張って断言する夜巡だが、その見事な泳ぎぶりはすでに全員が目の当たりにしているため、誰も口を挟むことはない。
「舞依ちゃん、今度は猫が撮影する番にゃ。水中カメラ借りてもいいかにゃ?」
「はい、バトンタッチですね。素敵な写真楽しみにしてます」
 秋沙はにこやかにカメラを受け取り「お任せにゃ!」と尻尾を揺らした。
「うまくお魚を捕まえたり出来たら、夜のご飯で食べられたりするのかな? どうだろう?」
「アレスターさん、お腹空いちゃってるんです? そもそも素手で捕まえられますかね……?」
 などと、七三子は他愛もない世間話を交わす。
「美味しそうな魚……か。そう言われるとやる気が出てくるな」
「ティア、食い意地張りすぎて沖まで流されて行ったりしないようにね?」
 システィアはクラウスの言葉に「大丈夫さ」と軽く言うが、一番の仲良しであるクラウスからこんなツッコミが出るあたり、意外と食いしん坊らしい。

 まずは足が立つ波打ち際で顔だけを水面につけてみたり、音夢やウィズ、あるいは秋沙や夜巡に先導してもらう形で水中遊泳の基本を学び終えると、いよいよさらに沖を目指すことに。
 全員が√能力者であるからには、さほど修練に時間はかからない。あえて特筆するとしたら、犬かきのクセが色濃いせいかフィンでのキックがどうもおぼつかない透空と、翼がウェイトになって動きがギクシャクしているアレスターだが、そこも得意な部員がサポートすることで問題はなさそうだ。
「行ってくるにゃー!」
「怪我のないように、気をつけてくださいね」
 舞依はそっと手を振り、泳ぎだす一行を見送った。

 ――ざぷん。
 水の泡が逆向きの雨のように下から上へと流れゆき、レンズ越しの水中世界が視界いっぱいに広がる。

(「わあ……すごい、きれい……!」)
 七三子のうっとりとしたため息は、ごぼごぼと音を立ててあぶくに変わった。
 あの輝くような陽光は、曇り一つない鏡のような水面を通し、光のカーテンのように水中に差し込む。
 織りなす層がきらきらと閃く様は、まるで天使が羽を広げて思い思いのダンスを楽しんでいるようだった。

(「透空、だいじょうぶ?」)
(「う、うん。レンがいるから――って、あれ見て!」)
 指さした先に魚が一匹。
 白いウロコ模様が鮮やかだが、それ以上に目を引くのは黄色い尾びれ。
 水中へやってきた見慣れぬ来訪者たちなどどこ吹く風で、たゆたうように泳いでいる。

『あれはユウゼン!』

 隣に優雅に泳ぎ来た秋沙が、水中スレートに走り書きし、トントンと指で叩いてみせる。
『ふたり一緒に泳ぐことが多いのにゃ。ほら!』
 ペンを走らせる間も惜しいとばかりに指さすと、なるほど|つがい《・・・》らしきもう一匹のユウゼンが現れ、|二匹《ふたり》寄り添うように泳ぎ去っていく。
 透空とラウレンティアは、繋いだ手をぎゅっと一層強く握りしめ、その去りゆく姿を見つめていた。自然と、ふたりの肩もぴったりと寄り添う。

 秋沙はその微笑ましい様子に目を細め、別のメンバーへと視線を移した。
 すると部長である冬瑪が、目を丸くしながら海底を覗き込んでおり、彼女の視線に気付くとごぼごぼと泡を吐き出した。
 秋沙は素早く泳ぎ寄り、スレートを差し出した。冬瑪は頷きながらそれを受け取り、さらさらとペンを走らせる。
『こいつは驚いた!』
 筆致からも、心の躍りようが伝わってくる。

 海底を覆う岩礁、そのところどころには、色とりどりの珊瑚が根を張っていた。
 うっすらとした日差しを浴びて輝くそのさまは、朝露を纏う森の木々のようにも見える。
 川や山では絶対に見れない光景――そして天然の海の木立を泳ぐのは、何十匹もの小魚の群れ。
 白い身体に黒い縞が走った魚の名は、ロクセンスズメダイという。その群れが、目をぱちくりさせる冬瑪や仲間たちへ、興味津々といった様子で近寄ってくるのだ。
(「恐れたりしないのか……!」)
 川魚は大抵が臆病で、あちらから近寄ってくることはない。その点においても、人懐っこく側を泳ぐという体験が、冬瑪にとっては新鮮だった。
 はたしてこの光景が海底に現出するのに、何年の月日が必要だったのだろう?
 そんな思考が冬瑪の脳裏をよぎり、ふと何処かで手慰みに読んだ海洋研究の本の内容を思い出す――珊瑚の成長は種類にもよって様々。短ければ一年で何センチも伸び上がるというが、希少な宝石珊瑚は50年をゆうに超えるという。
 そして、その寿命は人間などとは比べ物にならない。数百、数千……外部の手で破壊されたり、環境そのものが損なわれない限り、ずっと海の底に根付くのだ。
 果てしない時間。そして、このかけがえのない環境に隣り合いながら、決して自然をおろそかにすることのない島の人々の営み。その全てが、今の一瞬の光景を生んでいる。
(「すごいな……」)
 ただ、唸るしかない。冬瑪は今、連綿と受け継がれた生命の連なりの一瞬を目の当たりにしているのだ。

 その一方、一匹のツノダシ――白と黒と黄色の美しい縞模様に目を奪われる者たち。
(「背びれがまるで糸みたいに細い。あれであんなに優雅に泳げるなんて」)
 さっきまで食欲を見せていたシスティアも、華麗な泳ぎぶりには目を瞠る。
(「ティア、まさか本当に食料と見てたりしないよね? あんなに綺麗なのに」)
 水中で言葉は伝わらないが、クラウスに肘でつつかれると、そのジト目だけで言いたいことは伝わる。システィアはいたずらっぽく目を細め、首を横に振ってみせた。
 もしあれが大変美味だと言われても、クラウスには手を出そうだなんてとても思えなかった。
 彼の覚えている黄色と黒は、危険を告げる色だ。爆発物、あるいは交戦地帯であることを知らせるテープ、破損したウォーゾーンの修復風景。
 色としては同じはずなのに、自然のなかにあるだけでこうも鮮やかな違うものか、と彼は思った。それは紛れもない生の色であり、いま目の前にあるのが信じられないほどに別世界のものだった。
(「すっげーなぁ、ゴミなんて一つもないや。何もかも、オレが知ってる海とは違う」)
 素潜りの得意な夜巡も、明るい体色のキイロハギをぼんやりと眺めながら物思いに耽った。
 √仙術サイバーにおける自然は、また違う危険地帯だ。インビジブルが存在せず、足を踏み入れれば人間では生きて帰れない場所。当然、海そのものに潜って泳いだことなどない。
 ここは違う。ミネラルがあり、生命があり、生態系がある。繁殖された魚ではなく、誰の手も借りずに構築された世界そのものなのだ。
 そして何よりも、水面から見上げる空と同じぐらい、海の中には一面の青が広がる。
 だからいまは何も言わず、ただじっと見つめる――その全てを、余すことなく網膜と心に焼き付けるために。

『オイ、海亀だぜ!』
 まるでテレパシーのように、水の揺れの中をウィズの声なき声が伝わった。
 一同の視線は自然とそちらへ吸い寄せられる――ずんぐりとした大きな甲羅で身体を鎧った海亀が、分厚いヒレで水をかき、信じられないぐらい近くを泳いでいた。
(「こんなに近くを泳いだりするんだねぇ!?」)
(「水族館で見るのとは全然違います!」)
 アレスターと七三子は顔を見合わせた。スレートなしでは言葉は伝わらないはずなのに、とにかくお互い驚いていることは身振りと表情だけでありありとわかる。
 すると、一行の注目に気付いたのか、これといって目指す先もなく泳いでいたふうのウミガメは、さっと身を翻してすいすい泳ぎ去ってしまった。
『カメかわいいよカメ……おい? なんか俺かじられてね? クラゲじゃねェけど?』
 いつの間にかウィズの周りには、鮮やかなナンヨウブダイや小魚の群れが集まっていた。クラゲというより、でっかい岩かなにかと思われているのだろうか。
『あの子、座礁船に棲んでるんだにゃ』
 秋沙が一同に見えるようにスレートを掲げてみせた。
『きっとサメも見れるにゃ。追いかけてみるにゃ!』
『そっか。岩陰にいる魚なら、船を住処にしててもおかしくないね』
 一番に食いついたのは音夢である。その声はやはりウィズと同じように、怪人ゆえか奇妙な音波のように伝わる。
 きょとんとする周りの仲間たちの視線に気付き、きょろきょろとそれを見渡すと、照れたような素振りをして、
『……ほら、自分のモチーフになった生き物に会えるかと思うと、楽しみでさ。行ってみようよ』
 と誤魔化すように急かす姿は、普段の|音夢《ボク》の片鱗を感じさせた。

 そうして泳ぎの得意な面々に促されるまま、一行はそっと座礁船へと近寄る。
 すぐそばにあったはずなのに、寄ってみて初めて分かったこと――それは、船を中心としたもうひとつの生態系、海の小さな世界だった。
 朽ち果てた鉄の船は、アスレチックか、それとも大きな屋敷か。
 小魚の群れが螺旋を描くように船体の隙間を出入りし、時折それを割るようにイトヒキブダイがぬっと姿を表す。
 他方、錆びて割れた窓へと目をやると、こちらの様子を伺うカンモンハタと視線が合う。
(「すっげー!」)
 夜巡が興奮のあまりごぼごぼと泡を吐き出すと、カンモンハタはすっと身を引っ込めてしまった。
 だが、それに落胆する間はない。入れ替わり立ち替わりに現れては去っていく色鮮やかな魚たちは、もしかすると来訪者たちを楽しませようとする海の粋なショーだろうか?
『さっきのカメはあれかねェ?』
 ウィズは顎でしゃくるように、くつろぐ海亀を示した。

『――いた』
 静かな音の波が水を伝わった。
 音夢が見つめる先――燦々とした日差しの届かない鉄骨の下、薄暗い空間。
 そこに、砂地へぴたりと身体を横たえる細長い影。
『ネムリブカにゃ』
 秋沙はスレートをゆっくりと動かし、仲間たちに見えるようにした。
 それはまるで、寝入った子供を起こさないため、物音を立てないようにする時に似ていて、自然と仲間たちの吐き出す泡も小さくなっていく。
 一瞬、水中に完全な静寂が訪れた。それはこの独特な世界に暮らす魚たちにとっては、慣れ親しんだものなのだろう。
『あれが……』
 音夢は近寄ることもなく、ただじっと観察した。
 ネムリブカは昼寝でもしているのか、身動ぎひとつしない。だが生きていることは確かだ。不思議と、それが冷たいはずの海水を通じて全員に確かに伝わっていた。
(「こんな光景、普通じゃ見れないよね」)
(「そうね。どんな√でも滅多に見れない、この島だけの――」)
 透空とラウレンティアは視線で意思を通じ合わせ、音夢の背を、雄大なる自然の営みを見守る。
 秋沙はというと、他の魚類についてあれはこれ、あっちはこんな名前と、指を差してはスレートに書き込む忙しない仕草を続けており……。

(「あ!」)
 水の中に潜って初めて、ごぼごぼと彼女が泡を吐き出した。
『あれ! シロワニさん!』
 音夢も含め、全員が意識を奪われる。船とは別方向、沖合の深場から一瞬だけ姿を表したのは、まさしくサメらしい凶悪な顔つきの大型魚だ。
『こわいおかおだけど、大人しくてめずらしいサメさんにゃ!』
 やや乱れた筆致からして、目撃できたのは間違いなく幸運なのだろう。いそいそと水中カメラを構える。
 そして誰かが泳ぎ寄る間もなく、シロワニは身を翻して再び海の底へと消えていく。
(「世界は、広いな……!」)
 あっという間に闇へと去っていった姿を、冬瑪は目を輝かせながらじっと眺めていた。

●
 ペンションに戻り、潮と砂をシャワーで洗い流して着替えを済ませた頃には、西の空はすっかり茜色に染まっていた。
 夏の昼は長い。まだ茜色が宵へと変わるには十分な時間がある夕暮れ時だ。
「これが海の中の世界……すごいですね。写真だけでも迫力十分です」
 水中カメラで秋沙やウィズらが撮影してくれた写真を眺めながら、舞依はにこにこと笑った。
「実は私も、陸で待ってる間に色々風景を撮影してみたんですよ」
 そう言って披露したのは、きらめく海の景色や流木、あるいは沖合を進む漁船の小さなシルエット。
 はたまた、夕食のための釣りに興じるジェフリーであったり、日傘を持って側についている百合香のおっとりとした姿であったり。
「そうなのよ~、せっかくだから私も撮ってあげたの!」
 と言って百合香が見せたのは、照れながらピースする舞依の写真だ。
「ど、どうしてもと言われたので……私のことはいいんじゃないかと思ったんですが……」
「そんなことないにゃ! 明日はみんなで波打ち際に集まって集合写真撮るにゃー!」
 秋沙も満面の笑顔で喜んでくれたので、舞依は恥ずかしいやら嬉しいやらといった表情だった。

 そんな会話の後ろでは、じゅうじゅうと食欲をそそるいい音、そして香りが漂っていた。
「ニク、ヤク、キル、マカセロ。オレ、リョウリ、スコシ、デキル」
「つまみ食いは絶対ダメよ! みんなの分なんだからっ!」
 飢えた獣のように目をギラつかせながら、しかし手際はしっかりしている(こう見えて喫茶店の厨房を手伝うらしい)夜巡に釘を差しつつ、ラウレンティアもくるくるとあちこちを駆け回る。
 夕食の宴はバーベキューである。食材は先ほど述べたジェフリーの釣果に加え、もちろん肉類もたっぷり。
「おおっと、実はぼくもこっそりお魚を捕まえてきたんだよねえ! ほらこれ!」
「うえっ、アレスターさんいつの間に!? っていうかその立派な銛はどこから!?」
 涎をじゅるりと垂らして焼き上がるのを待っていた透空は、新鮮な魚を目一杯抱えドヤ顔のアレスターに驚いた。
 一緒にシュノーケリングに興じていたはずだが、本当にいったいいつ銛漁など覚えたのだろうか……?
「この魚は三枚おろしというやつでいいのかな? ええと……」
「おっと、その包丁の持ち方は危ないぜェ? 手本見せてやるから見てな」
 率先して調理を手伝うも、やや包丁捌きがおぼつかないシスティアに、人型に変身したウィズが鮮やかな手捌きを披露する。
「正直ボクは食べる係っす! あ、いや、ちゃんと片付けは手伝うっすけど!」
「まあまあ音夢さん、私たちはこれがありますから、これが。ね!」
 満面の笑みの七三子には、栓を開けられる時を待つ酒類がででんと揃っていた。
「実は俺も、今年から飲めるようになったんだ。お付き合いさせてもらってもいいかな」
「見上げた根性だにゃ、大人の酒の飲み方ってのをたっぷり教えてやるにゃ!」
 クラウスはジェフリーに背をバシバシ叩かれ、「どうも……」と穏やかに言った。なお、叩く勢いは強めだが、肉球ぷにぷになので全然痛くない。
「う~~~っ、慣れない泳ぎでお腹すいた~! 早く食べたーい!!」
 紙皿とフォークを手に、透空は地団駄を踏まんばかりである。
「じゃーもう順次かんぱーい! にゃ! 食べたい人からどんどん食べるにゃー!」
 楽しそうに駆けずり回る秋沙が声高に音頭を取っているのであれば、あえて行儀の良い乾杯など求めようはずもなく、
「はっはっは! それが俺たちらしいじゃんね! さあ、食べよう、食べよう!」
 他ならぬ部長の朗らかな許しもあって、なし崩しに宴が始まることとなった。

「はい、貝これ!」
「こっちも魚捌けたぜェ! どんどん網に乗せてけェ!」
 ラウレンティアとウィズがせっせと食材を用意し、並べ、じゅうじゅうと焼き上がっていく。
 山の幸に海の幸、ジューシーな肉に魚介類に野菜類にトウモロコシと、この人数と育ち盛りな若者たちということもあって、メニューの順番やら法則など完全に無視したノリ重視のバーベキューだ。
「そうだ。お酒飲めない子たちには、モクテルの作り方でも教えてあげようかしら」
「おお! それは有り難い!」
 百合香の手ほどきで、パッション・ドライバーといったメニューの作り方を教わり、実践した冬瑪は、それを未成年の部員たちへそそくさと手渡していく。
「さあ、さあ、どんどん飲もう! 本音を言えば、大人組の酒盛りにも混ざりたいところだが!」
「わっかるー! ずりぃよなあ酒ってどんな味すんだろうなー! あっでもこのもくてる? ってのうめー!」
 子供らしい憧れに騒いでいた夜巡も、冬瑪手製のモクテルにすぐに興味を移した。
「こればかりは私たちの役得ですね~。ああ、それにしてもお酒もごはんもおいしい、幸せです……すっごく幸せ……!」
「小笠原の地酒はラムなんだね。これは結構……強いな。クラウスはやめておいたほうがいいね」
 ぷしゅう、と熱の籠もった吐息を漏らしてご満悦の七三子の隣では、システィアがアルコール度数40度の「小笠原ラム」を嗜む。
「ティア、飲みすぎないようにね……うん、お肉もおいしい……」
 そのクラウスはというと、ちびちびもぐもぐと控えめに酒を進めているのに、もう若干出来上がっていた。弱めという自認は間違っていないようだ。
「この『無人酒』っていうの、割ってみるといい感じにスルスル飲めるっすよ! リキュールなんかもあるんすね!」
 一方、音夢は平然とした様子。どうやらかなり酒には強いらしい。

 そして、そんな大騒ぎを、昼と同じようにシャッターを切って撮影する舞依。
「舞依さん、このお魚美味しいですよ! あ、焼いてあげましょうか?」
「ふふ、実は私、少し前にバーベキューを体験してきたのです。任せてください」
 透空の申し出には自信に満ちた笑みを浮かべ、挑戦してみるも、
「……って、焦げてる焦げてる! 煙がー!!」
「あ、あれ……? そうでした、私がやったことがあるのはお肉だけで、お魚は……!」
「わわわ、透空も舞依も大丈夫!? 私に任せて!」
 駆けずり回っていたラウレンティアがカバーに入り、事なきを得た。
「うう、申し訳ありません、任せてと言ったにも関わらず……」
「まあまあ、そんなことはいいから食べて食べて! なにせそれは、ぼくが|銛《これ》でエイッと獲ってきた魚だからねえ!」
「そ、そうなんですか? では……」
 アレスターに目を丸くしつつ、若干焦げ気味の魚をぱくり。
「……!」
「ね、美味しいでしょ? アレスターさんすごいですよ!」
「そりゃあこの通り、翼があるからね!」
 翼が銛とどう関係するのかはさておき、透空と顔を見合わせた舞依は、こくこく頷いて美味をアピールするのだった。

「よーし、ここで自慢のギターを披露してやるにゃ~!」
 すっかり出来上がったジェフリーがどこからともなくアコースティックギターを取り出し、じゃんじゃかと弾き始める。
 酔っ払っているのでかなり大雑把な演奏だが、それなりの腕前だ。
「もう、この人ったらまた……うるさいわよね? ごめんなさいね」
「んなことないぜ! ていうかもう歌おう! これはもうオレが歌うしかない!」
 百合香の謙遜に笑っていた夜巡が、突然謎の使命感に駆られ、ジェフリーの隣に割り込むと、
「Ah~~~! 常夏ダンシングサマ~~~! 南国! ダイビング! すげえウェ~~~ブ~~!」
「はっはっは! 常夏~ダンシングゥ~サマァ~」
 場酔いでもしたのか、はたまた舞手を務めるゆえか、冬瑪が隣にやってきて肩を組み歌い始めた。どちらもかなり調子外れで即興のリズムだが、楽しげなのは確かだ。
「あのね、あのね? パパ、ママ」
「あら、どうしたの秋沙?」
「なんだにゃ?」
 両親は急にぱたぱたやってきた娘にきょとんとした。
「猫、こんなに素敵なお姉ちゃんができたにゃ!」
「ふぇえ? えへへ、どうも~……私、幸せ者ですねえ」
 すっかりお酒を堪能していた七三子は、急に腕を引っ張られ驚きつつも、照れくさそうにはにかむ。
「そして、こーんなに素敵なおともだちが、たっくさんできたにゃ!」
 両手をばっと大きく広げ、踊るように一回転。
「本土や他の√には、もーっとおともだちがいてにゃ? みんなのご縁に支えられて、猫、精一杯楽しく生きてるにゃ! だから、心配しないでにゃ!」
 両親は顔を見合わせ、破顔した。
「快晴! もろこし! めっちゃハピネス~~~!!」
「私も私も! OH~~~熱風ダイビングSEA~~~!」
 気分がノッてきた透空も加わり、トリオ合唱の様相を呈する。
「あーあ、完全にノリノリになっちゃって……でも、こんな騒ぎを楽しみながら夜の海を眺めるのっていいわね」
 呆れつつも、ラウレンティアが静まりゆく海辺へ向ける眼差しは穏やかで温かい。
「そうとも。また来年も、こうして皆で楽しもう!」
「……そのことなんですけど」
「うん? どうしたね、舞依さん?」
 感慨深そうにしていた冬瑪は、控えめな切り出しに首を傾げた。
「私、明日はやっぱりみんなと一緒に潜れたらいいな……と、思っていて……」
「おー、いいじゃないっすか! ボクも海の中で出来ることならなんでもサポートするっすよ!」
「なんなら俺の背に乗って浮いてるだけでもいいぜェ? 浮き輪代わりにな」
 すかさず、音夢とウィズがグラス片手に食いついてくる。
「それによ、この空、都会じゃこうはいかねえ。もっと夜が深まりゃ一面星空で言う事なくなるぜェ」
「夜……そうだ。夜の海なら日差しも気にしなくていいんじゃないでしょうか?」
 舞依は名案とばかりに手を叩いた。
「い、いやいや。それはまずいんじゃないかな?」
「えっ? 何故でしょう、クラウスさん……?」
「どうしてって……そりゃあ、ねえ?」
 クラウスは戸惑いがちにシスティアを見やった。相棒はこくりと頷き、
「いくら海に慣れてない俺たちでも、夜の海が危険なのは分かるよ。海の中は明かりもなくて真っ暗、なんだろう?」
「ま、そのへんも海が初めての舞依さんらしいに! 夜釣りとかするのは楽しそうだで!」
「……! な、なるほど……それはたしかに……」
 舞依は自分が相当常識外れなことを言ったことに気付いて、すっかり赤面してもじもじしてしまった。
「うーん、初々しいですねえ。あと6日間こんな感じで楽しめちゃうの、最高じゃないですか?」
「違いねえなァ。よっしゃ、俺もなンかノッてきたぜ。椅子使ってボンゴでもしてやらァ!」
 若者たちのはしゃぎように、七三子はほっこり。ウィズもだいぶ出来上がっているようだ。
「昼でも夜でもいーから、たっくさん遊ぼー! レンのおかげでもう泳ぎ、完璧だし!」
「泳いでる間、私の手を不安そうに握ってたくせに……ほんとに調子がいいんだから」
「トウモロコシはうめーし、肉もうめーし、サイコーだぜー!」
「これは明日の狩りも気合が入るね! 次は大物を狙ってみようかな!」
 そこかしこで笑い声が上がり、美味を楽しみ、喉を潤し、肩を組んでは冗談をぶつけ合う。
 秋沙はそんな風景をじっと見つめ、やがてくしゃっと笑うと、大きく拳を突き上げた。
「これから一週間、全力で楽しんでくにゃー!」
「「「おー!!」」」
 そうして、南の島の夜は更けていくのであった……。

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