⚡️Land of Curiosities
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そこには夢がやさしく両の|腕《かいな》を広げ、訪う人々を心から待ち望んでいるのだ。
涼やかに澄み切った青空を背景に、観覧車のカラフルなゴンドラが良く映える。手で庇をつくって見上げれば、床は硝子張りである事に気付けるだろう。好奇が恐怖を上回るならば、勇敢に覗いてみるべきだ。
優美に円を描いて地を滑るコーヒーカップにはふかふかのクッションが据えられ、少しちいさなその席には二人か三人で腰掛けるのが精々だ。然しその分、親しい誰かと感情すら共有の叶うひとときが過ごせるに違いない。
ちいさな子でも楽しめるくらいのゆったりした速度で回るメリー・ゴー・ラウンドには、ユニコーンやペガサス、南瓜の馬車にはたまた空游ぐ魚など、御伽噺から飛び出してきたような乗り物が賑々しく集う。
海賊船を模した振り子の如きスイング・タイプのものに、絶景と自由落下への畏れが一緒に味わえるフリーフォール、途中でスリルたっぷりに一回転するジェットコースター、最後に水飛沫を上げ大きくダイブするライド・アトラクションなど、絶叫系だって勿論。
嗚呼それとも、異界への入口めいた鏡合わせのミラー・ハウスがお好み? 廃病院をモチーフにした、背筋も凍るようなゾンビ・ハウスも今か今かと獲物を待ち構えているに違いない。
ちょっと歩き疲れたなら、園内の各所にはフレーバー違いのポップコーンが売っているからそれを摘まんだっていい。お馴染みのあまーいキャラメルにきりりとした塩、ミルクティーにチョコレート、バーベキューにアップルシナモンに……、おや、制覇してみる気でいらっしゃる?
――ようこそ、魔法に満ちた脅威の楽園、ここはヴンダーカンマー・ランド!
「というわけで、今日はダンジョン内部の遊園地! ヴンダーカンマー・ランド、略してダンドに来てるんだけど~……」
スラハロポーズがカメラの端っこに見切れている。
ひらひらと配信主――スライムハンター子が手を振りながら、カメラはゆっくりと園内の方へと向けられた。
絶叫系から聞こえる心地良い悲鳴、メリー・ゴー・ラウンドから大きく手を振る光景、ポップコーンを頬張りサムズアップも輝かしい笑顔、|スラ友達《みんな》は楽しそうだ。
然し。
「そろそろ帰りたいのに……ここ、出口がないんですけど~!?」
ここは果てない楽園、誰もが楽しい魔法に満ちた脅威の遊園地、ヴンダーカンマー・ランド。
――だってお客様、まだ遊び足りないでしょう?
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「要は、遊園地……ダンジョン側に、『お客様たちをたくさん遊ばせた』と認識してもらう必要があるようでして」
スラ子様方ご一行だけでは結構大変なようなのです、とちょっぴり眉尻を下げ、星詠みの女たる燦爛堂・あまね(絢爛燦然世界・h06890)はそう口にした。
√ドラゴンファンタジーは『ユーカリが丘冒険王国』、そのダンジョン最奥部で発生した一連の出来事は、奇しくも居合わせた|迷宮配信者《ダンジョンストリーマー》に拠って広く周知されることとなった――それはもう皆の知る所だろう、と星詠みは居合わせた√能力者たちを見回す。
功労者たる彼女、スライムハンター子が最深部に在るダンジョン遊園地『ヴンダーカンマー・ランド』に立ち寄ったところ、脱出条件が満たせず難儀しているらしい。
「人海戦術、と言いますと何やら物騒ではございますが、お話は単純! 皆様でわッと遊んで来て頂きたいのです」
ダンジョン内の遊園地ではあるが、騙し討ちめいた物騒なアトラクションは何もない。
故に警戒せず楽しく遊ぶだけで良いのだ、と星詠みは言い添える。
「皆様が遊び疲れるほどに遊園地を楽しんだら、自ずと出口も顕れましょう。閉園時間と云う訳です」
微笑んで、ぱふ、と両手を合わせて頬の横へ添えた。
それから、と両の眸を瞬かせる。
「その後の行動も、如何するか考えておいて下さいまし。幾つか候補は御座いますが、実際どうするかはその時に集った皆様のご意思に委ねられましょうや」
微笑んで、胸元に掌を置く。
星詠みは深々と頭を下げてから、見送るように背筋を張った――どうかお気をつけて、いってらっしゃいませ。
第1章 冒険 『ダンジョン内に遊園地フロア!?』
●ポップコーン・パーク
「もーそんな渋い顔しないで、折角の美人がだいなしよ」
あやすような声色と共に、長い指先に頬を突付かれる。
突付かれるその仕草で頬をへこませながら、藤代・玲慈(|桜香の守り手《Cage de Cerisier》・h12755)はついと双眸を眇め、自身の頬を突付く傍らの彼――篭宮・咲或(Butterfly effect・h09298)を見遣った。
「別に貴方に美人と言われても嬉しくありません」
すげない。
「……救助のための依頼だと聞いていたのですが」
続く玲慈の声に、うんそう、と咲或が笑う儘いらえた。
「でも遊ばないと出口見えないらしいし。働いてばっかりもよくないし、適度に休憩もいれてこ~」
咲或の足取りは軽やかだ。玲慈の傍を離れ、数歩先を歩いてぐるりと園内を蜂蜜酒の水面に映す。ダンジョン内部だというのに秋の高い青空を透かすような天井に、どこからか穏やかに流れてくる風は匂やかでやさしい。
「それに、咲或ちゃんに付き合ってくれるっていったでしょー」
ね、と覗き込むみたいにほんの少し背を屈めて笑う咲或に、玲慈が眼差しを向ける。
彼の笑みと、心地良い行楽の空気に絆されるようにして、玲慈の口端がほんの少し柔和に撓んだ。
「まあ、遊ぶこと自体が脱出条件なのであれば仕方がありませんね。付き合うと言ったのも僕ですし」
玲慈の爪先が、咲或の方へ向けて歩き出す。あっという間に埋まる距離に嬉しげに破顔してから、じゃあさ、と咲或の指先が園内の少し向こうの方を指し示した。
「アトラクション行脚もいいんだけどさ。俺、あれが気になるの」
「あれ? ――ああ、ポップコーンですか」
示される先に見えるのは、カラフルな色合いのフード・ワゴンだ。よくよく見れば既に幾人かが列を為している。肝心のフレーバーは――
「ハラペーニョサワークリーム」
読み上げた玲慈の表情が、思わず真顔のそれになった。
「興味わかない? いやあれじゃなくてもいいんだけど」
ほらこれ、と何処からか案内図をちゃっかり貰ってきていた咲或がいそいそとそれを広げて見せる。
ポップコーン・ワゴンは園内のあちこちに点在している様子だった。律儀にそれぞれ扱っているフレーバーが書き入れられている。これを目当てにこんなダンジョンの奥地まで来る客も居るのだろう、たぶん。
ザ・王道のキャラメルや塩にチーズ、変わり種だとミルクティーやアップルシナモンにバーベキュー、黒胡椒に柚七味。まだまだ端の方には見慣れないフレーバーも散見される。
「黒胡椒は間違いがなさそうですね」
ふたりで案内図を覗き込む。あの建物があっちに見えるから、などと地図を回したりしつつ、ひとまず歩き出そう。お喋りしながら迷うように歩くのだって、遊園地の醍醐味に違いない。
「いいね黒胡椒美味そう~。あ、これは? 柚七味も絶対間違いないヤツでしょ」
「……柚七味まであるのですか。香りも良さそうですし、僕はこちらも試してみましょうか」
そう、フレーバーの食べ比べだってしたって良い。両手にバケットを抱えたところで、咎める無粋なひとなんて遊園地には居ないのだから。
咲或さんは決まりましたか、と玲慈が顔を上げたところで、間近に真剣な眼差しで案内図を見下ろすその横顔が視界に大写しになる。
「こっちチータラ味とかあるんだけど。……ブルーチーズ味は大分攻めてんなぁ、でも絶対他じゃなさそうだし……」
「手伝いませんよ」
即座に口を挟んだ。
「え~半分ことかしよーよぉ。あ、ね~~玲慈~、咲或ちゃんお酒が飲みたぁい」
そこに帰結してしまうのも見え透いていた気がしないでもない。
何せさっきから、お酒と相性の良さそうなフレーバーばかりを列挙していたのだから。
「終わってからにしてください。……気持ちは十分に分かりますが」
その意図は充分に汲み取りつつも、然し任務中はそうもいかない。
心の赴くままに口にしたそれを、けれど無下にはしない玲慈の優しさに口端を緩め、咲或は喜色と共に肯いた。
「終わったらもっかい付き合ってねぇ」
●ここだけの非日常へ
――カシャ! なんて、陽気な思い出の音が青空のもとに響く。
撮れたばかりの写真を覗き込もう。画面に咲くのは制服姿で顔を寄せ合い、笑い合うふたり――夕星・ツィリ(星想・h08667)と架間・透空(|天駆翔姫《ハイペリヨン》・h07138)の、思い出を飾る一葉だ。
画角にぎりぎり収まるくらいに大写しの、ぎゅっとくっついた少女ふたりは晴れやかな笑みを纏っている。
「お友達と制服遊園地、一度してみたくって!」
ふふ、と面映ゆげに愛らしく頬を染めたツィリが、撮れたばかりの写真のデータを透空に送信する。よし、と満足げにちいさく呟いてから、画面から彼女の方へと顔を上げた。
「今日はお付き合いありがとう、透空ちゃん。記念の写真もばっちり撮れて、うれしい」
「へへへっ……今日はめいいっぱい遊んじゃいましょう、ツィリさん!」
照れ臭そうに鼻先をちょんと擦ってから、満面の笑みを返す透空が肯き返す。ぴろん、と軽やかな音と共に自身の端末へと受信した写真を見つめて、その頬が緩んだ。
「写真は思い出の外付けハードですので!」
「外付けハード……! 言われてみれば確かに!」
もう一枚撮りますか、なんてそわそわした透空が提案する。勿論、と笑ったツィリが周囲を見回し、今度はあっちを背景に、と観覧車を指し示した。せえの、と少女たちの声が華やかに重なる。外付けハードにきらきらしたものが積み重なってゆく。
それじゃあ何処へ行こうか、なんて目下の悩みはそれに尽きるのだ。
「――透空ちゃん、」
ツィリの声がふと、真剣味を帯びる。伺うような海色の眼差しに、透空がぱちと瞬いた。
コーヒーカップにメリーゴーランド、折角だからふたりでゆっくり楽しめるアトラクションは当然抑えておきたいし、ポップコーンの人気フレーバーだってマストだ。そんな風に気になるアトラクションはたくさんあれど――遊園地、と言えば。
「透空ちゃん、絶叫系は平気な人?」
「絶叫系……!?」
周囲の景色すら呑んできらきら瞬く銀の眸が、ぱ、と瞠られる。
「大好物です! 是非是非、一緒に乗りましょうっ!」
きゅ! とちいさく両手で拳を作っていらえる透空に、ほっとツィリが胸を撫で下ろす。
そう、遊園地と言えば絶叫系は外せまい。よかった、と安堵するツィリと共に、すっかり気分をそちらへ傾けながらふたりで足早に乗り場の方へ急ぐ。いこういこうと弾む声音と爪先とが、軽やかな足音と為って駆けてゆく。
待ち時間だって苦ではない。何せ話す事はたくさんあるのだ――これが終わったら次はどうしよう、さっき見かけたあっちのフリーフォールも気になるかも、じゃあ間にコーヒーカップを挟んでみようか、そしたら次はお土産も――遊園地と云う土壌に蒔かれた会話の種は、次々に花ひらいて笑顔に為りゆく。
あっという間に順番が来て、ふたりがどうぞと案内されたのは先頭車両だ。
「どうしよう透空ちゃん、いちばん前だよ……!」
「いちばん楽しいとこですよツィリさん、ラッキーですね!」
弾けるソーダのような甘やかな期待に、スリルと云う名のスパイスは驚くほど合うと相場が決まっている。
ふたり並んで乗り込むと、押し込むようにして安全バーが降りて来る。いってらっしゃーい、と係員さんに見送られれば、あとはもう一瞬のことだ。
遊園地に響く十人十色の悲鳴の中に、ツィリと透空のそれも織り混ざる。長く尾を引くような悲鳴だなんて、こんな機会でもなければ上げる事はない――ハイスピードでのアップダウンに、トドメのような大きく円を描く一回転!
しっかりバーを掴んでいた手も思い切って大きく放り上げてしまえば、まるで風にでも成り代わったかの如き心地がした。
「――あのね、実はちょっと小腹がすいてきて……」
ポップコーン休憩しませんか、とはにかみながらツィリが口にするのは、余韻でふわふわと空を踏むような歩き心地でアトラクションを後にする最中のことだ。
返事をしようと透空が口を開くけれど、
「……、」
ぐう、とお腹が先に返事をした。
頬がちょっぴり赤くてあつい。
「どうやら私のお腹もそう言っているみたいですし、行きましょう!」
●はじめてのゆうえんち
「見て、風船!」
はしゃぐようなリリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)の愛らしく上擦る声色に、徒々式・橙(|花緑青《イミテーショングリーン》・h06500)の口許が穏やかに弧を描くのは、至極当然のことだろう。
パステルカラーのハートや星がころり転がるインサイダー・バルーンは、求める人々の手にあっという間に譲り渡され気儘に揺れながら散ってゆく。
わあ、とリリアーニャの碧がきらきら燦めき瞬いて、移りゆく視界のなかにたくさんの『たのしそう』を拾い上げるのだ。
「迷子になりますよ」
あえかに笑う橙の手が、その場で右に左に蹈鞴を踏んで一向に進まないリリアーニャの細い手首を掬い取る。エスコートめいて引かれて漸く、好奇心旺盛な黒兎の爪先は一歩、二歩と歩み出す。
「憧れだったの、遊園地!」
頬にばらいろを透けさせ、はにかむリリアーニャは楽しげに口にした。そう、憧れていた――だからあっちもこっちも、そっちだって勿論気になる。眸がふたつしかないだなんて!
「ええ、今のリリを見ていると、きらきらして眩しいくらいですから。――せっかくなので、遊園地デートと洒落込みましょうか」
仕事で訪うことになった遊園地ではあるが、而してその中身が『目一杯に遊ぶこと』なのだから道理だ。いとしいひとが傍らに居て、その彼女がこうも双眸を星の如くに燦めかせているのなら尚の事。
緩やかにリリアーニャの手を引いて、さて何処へ行こうかと眼鏡越しの眼差しを擡げる。そんな視界にふと得たのは、ずらりと並ぶ何かの列だ。
「そういえば、ジェットコースターもハジメテって言ってましたよねぇ」
その先頭がどこへ続いているのかを見遣ってから、思案の色混じりに橙が呟く。
「これはなあに? ……、なんだかすごい悲鳴が聞こえてくるの」
ハイスピードで駆け抜けるコースターの轟音と共に、どこか弾むような誰かの悲鳴。まだ遠くに在るそれを拾い聞いたリリアーニャの兎耳が、ぴこ、と跳ねた。
あれだけ叫べば爽快ですよねぇ、と穏やかに橙が笑み返す。列の進みは存外早い。いつのまにやら列の最後尾に加わっていたふたりも、あっという間に係員からお二人でのご搭乗ですね、なんて笑顔を向けられている。
背伸びをしながら前の方をわくわく窺っていたリリアーニャが、あ、と何事かに気付いて橙へと向き直った。
「私たち、一番前のお席だわ! 楽しみね、」
丁度、前のグループで途切れたかたちになるらしい。気付いたリリアーニャが破顔して期待を口にすれば、のほほんとした笑顔を浮かべた橙が肯き返す。何が起こるか識っている指先が、|伊達《オシャレ》眼鏡のテンプルを摘まんで胸元に仕舞った。
「ええ、楽しみですねぇ」
――いってらっしゃーい、なんて満面の笑みと晴れやかな声で送り出されれば、後はもうその名の通りに|ジェットコースター《あっという間》だ。
遮るものが何もないパノラマの絶景をふたりじめ、だなんて考えていられたのも走り出して少ししたくらいまでだった。一回転が待ち構えるコースターは瞬きする度に加速して、上へ下へと重力に逆らいながら乗せた人々を容赦なくシェイクする――わッ、と上げた声を自分で拾い聞いたかも定かではない。きっと世界が洗濯機だったなら、スタートボタンを押されたに違いない!
「大丈夫ですか?」
漸く耳に飛び込んできた橙の声に、は、とリリアーニャが自我を取り戻したのはアトラクションから少し離れたベンチの上だ。
どうぞと手渡されたドリンクは、金平糖を砕いたスパークルが撒かれている。ちゅう、とひとくち吸うと喉奥でやさしくぱちぱち弾けて、つめたくってあまい。
「……、楽しかった気がする」
きりりと肯くリリアーニャの横に腰掛けた橙が、ふ、と破顔する。
「よかった、私もですよ。特に隣のリリを見るのが一番楽しかったです、ふふ。……嗚呼そうだ、あとは」
これも、と橙の手がふわふわしたものを掲げて見せた。きょとんとリリアーニャは瞬いて、それからネットで見たことある、と上擦った歓声を零す。
「カチューシャ? あっ定番のやつ! ふふ、お互いの耳を交換こしたみたい」
彼の手に携えられているのは兎と、それから猫の耳を模したカチューシャだ。
心に留めておくだけでは勿体ない。楽しい記憶は、写真にだって残したい。
●たまには一匙|スパイス《恐怖心》を
「ララはどんなアトラクションが好き?」
もふもふと柔らかな猫耳のカチューシャを頭上で揺らし、雨夜・氷月(壊月・h00493)は傍らに視線を落としてそう尋ねる。
返事を待つ間に、手に掲げたチュロスを齧った。王道のプレーン生地は甘さ控えめだけれど、まぶしつけてある砂糖がそれを補って丁度良い。
「俺は絶叫系とかゾンビ・ハウスが気になるんだよね」
「ララは勢いがいいものが好きだわ。そう、あのジェットコースターのようにね」
右手にはココア、左手にはシナモン。
禁断のチュロス二刀流は|遊園地《ここ》でなら赦されるに違いない――会話の合間にひとくちずつ食べ進め、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)はその愛らしい唇についた砂糖をぺろりとちいさな舌先で舐めた。あまくっておいしい。
「でもたまに身長で引っかかるのだわ……」
次ぐ言葉と共に、艶々毛並みのももんが尻尾がちょっぴり萎れる。
へえ、と氷月が瞬いた。
「身長! なるほどそういうコトあるんだ、盲点……、――」
その後ろが不意に途切れたのは、考え込むように視線が揺らいだからだ。
そんな氷月の様子に聡いララが気付かないのは、無論美味しいチュロスに舌鼓を打つのに忙しい所為もあるし、視界を賑やかしてゆく色とりどりのアトラクションたちを見回すのにすら眸が足りない所為でもあった。
「氷月はゾンビハウスが気になるの? 意外ね……お前、怖がりだったのかしら」
ふふ、と幼い頬があえかに笑う。そうしていると随分おとなびているのに、ひとたびチュロスを齧ればふっくら膨れてもぐもぐ咀嚼をするものだからたいへんあどけない。
――ふ、と氷月の呼気が揺れたのは、けれど何もその、可愛らしいギャップに笑った訳ではないのだ。
「廃病院、ララはちっちゃいから怖いかな? ――なあんて、」
にまと口端を擡げる口許を隠すようにして、自身の唇に指先を添えた氷月が囁きかける。
悪魔の如きその響きに、むむ、とララの花眸が瞠られた。頭上の耳がぴんと反り立つ。
「ララは怖くないのよ! そうね、疑うならいってみましょう」
つんと顎を聳やかして澄まし顔だ。丁度チュロスも食べ終えたところ、歩き通しの足を休めがてら、ほんの少し背筋を冷やすような体験と云うのも洒落ている。
然しこれは冷えすぎるかもしれない。
「わお、呻き声すごいね! そこかしこから聞こえてくる」
同じ園内にあるというのに、照明の具合だか周囲の植林の努力だかで、どうにもその『廃病院』のあたりはおどろおどろしい雰囲気が拭えない。音響で誇張されているのか、近付けば内部からゾンビらしき苦しみ呻く声が幾重にも響く。すっかり別世界のようなそのゾンビ・ハウスの有様に、氷月は思わず弾む声でそう零した。
「――ふぅん、ここが……。……、廃病院とは凝っているのね」
どうぞお気をつけて、と心配そうな表情を浮かべる演技派係員に送り出され、ふたりで内部へ踏み入る。
明滅する薄暗い照明、赤茶けた色で壁に幾つも残る手形、時折ガタン、と大きく揺れ響く半開きの荷物入れ、そして――
「……!!」
この世のものとは到底思えないような叫声と共に、物陰から飛び出して来たゾンビがふたりの背後から追い縋る。
「わあ、ゾンビだー! 逃げろ逃げろ……、……お?」
笑い声と共にララを連れて逃げようとしたところで、おや、と氷月が傍らを見て瞬いた。
ララの姿が見えない――否、見えている。いるのだが、その背面でいつも揺れているももんが尻尾が驚くほど膨れ上がっている所為で、ちいさな姿がすっかり隠されてしまっている。
「あー、やっぱり怖かったー?」
思わず口許がにやにや弧を描く。ひとり悠然と樹上で尻尾を揺らす、縞々の猫の如く。
膨らんだ尻尾を手で梳いてやりながら、ララはぷいとそっぽを向いた。
「こ、怖かったわけではないわ。そう、少しだけ……少しだけ、驚いただけなのよ!」
「んふふ、本当に怖くないのー?」
ふわふわのララ尻尾だなんて、早々お目にかかれるものではない。唇の端っこが持ち上がって戻らない氷月は、相変わらず猫のようににんまり笑む儘に尻尾を突付く。
こういう所は案外、こどもっぽい。
「氷月っ、お前……楽しんでいるでしょう?」
唇を尖らせ尻尾を揺らすララに、大正解、と氷月が両手で|◯《マル》を作る。
「だって~ララのこんな姿見るの珍しいし……」
賑やかな応酬は尽きない。
廃病院の順路は、けれどその御蔭でほんの少し楽しくも在ったに違いなかった。
●キャラメル・フレームで彩って
行き交う人々の顔には倖せが溢れている。
「私は我が|樂園《とこしえの春》にも遊園地を作りたくてね」
済んだ青空のもと、柔らかな色彩のなかを眇めるように一瞥するアドニス・ガルダ・インファリリ(プシュケの花檻・h12904)はそう零した。
彼の傍らからぴったりと離れないふたりがそれぞれ、愛らしく瞬いて頭上にあるその顔を見上げよう。
「樂園にも遊園地を? 張り切って市場調査しなきゃですね」
艷やかな黒瑪瑙の如き髪からぴんと猫の耳を立たせ、ラビィナ・クラウディオス(✦Onyx blood✦・h12925)が微笑む。
「やったぁ! 猊下と遊園地デートです!」
もう一方からはケテル・システィーナ(Ain Soph Aur・h12910)が無邪気な声を上げてはしゃぐ――が、はた、と気付いた風にしてちいさく咳払いをした。
「こほん、――調査ですよラビィナ」
浮かれてなんかいません、とでも言いたげなケテルのその佇まいをちらと見遣ってから、呼ばれたラビィナはゆらりと尾を揺らす。
それから、主を再度見上げてその手にそろ、と触れた。
「猊下、手を繋いでも良いですか? ……ほら、デートですから」
ケテルの唇から漏れたデートと云う単語に、思いがけず心が跳ねてしまった所為もある。
それに何より、調査中に主――|アドニス《猊下》と離れてしまってはいけない。ダンジョン内部と云うのに配信者の御蔭か、ここにはそれなりの人混みと混雑が犇めいている。
「手を? 構わないよ」
穏やかにアドニスの双眸が撓み、紫宝珠のそれが笑うように燦めきを揺らした。
うつくしい|使徒人形《Seraph》たちのばらいろの頬に喜色が滲む。ラビィナが右手に、ケテルが左手に、それぞれがきゅっと指先を絡めて手を繋ぐ。
「まずはどんなアトラクションに乗る? ――嗚呼、あれは観覧車だね。高所での閉鎖空間を愉しむそうだ」
踵を上げ、大きくゆったり回るゴンドラを見上げようとしている人形たちの気配に気付いたアドニスが、その様子に口許を綻ばせながら施設の名を示した。
「観覧車! 俺前に乗ったことある!」
「ラビィナは観覧車に乗ったことが!?」
ぱっと眸を輝かせて声を上擦らせるラビィナに、ケテルが反対側から顔を覗かせる。おや、と意外そうに瞬くのはアドニスもそうだ。
「結構狭くてくっつけるんだ、眺めも良い」
「密室、狭くてくっつける!? ――では今回は僕と猊下で乗る感じですね!?」
どうやらこの三名の中では観覧車の経験があるのは己だけらしい、と気付いたラビィナが、ほんの少し自慢げに背筋を伸ばして蘊蓄を述べる。
成る程、と興味深く肯くアドニスの傍らで、きらりとその|蒼金剛《ブルーダイヤモンド》を輝かせるケテルが、ぎゅ! とアドニスと繋ぐ手に力を込めてやや前のめりに口にした。願望だ。ラビィナが経験者なら未経験ふたりで乗るべきだろう。
「ひとり置いておくのも淋しいだろう。あちらは? お化け屋敷が見えるよ」
宥めるようにアドニスが浅く笑って、歩く内に視界の変わった園内に見える新たな建物に視線が向く。
同じ園内に在ると言うのに、そこだけどうにも薄暗く見えて不思議だ。暗闇での恐怖体験を通じ仲を深めるそうだ、と見識深いアドニスの声がそのように言い添える。
「……、恐怖するかは置いといて、入ってみますか……?」
お化け屋敷って仲が深まるんだ……と心中で反芻するほんの一瞬の沈黙を挟んでから、そわ、と身体を揺らしたラビィナが愛らしい黒耳をはためかせてアドニスを見上げた。繋いだ手をいじらしく揺らす。
「ラビィナ! 下心を感じますよ!」
それを見過ごすケテルではない。彼の細い背に在る白い翼が自身の存在を主張するように大きくひらかれ、花めく唇がほんの少し尖らされて言い募る。
「べ、べつに下心なんてないよケテル。調査だから」
そう、調査だからそんな疚しいことは考えてなどいる筈もない。ラビィナの声がちょっぴり上擦ったのは偶然だ。
じいと物言いたげにそんな彼を見つめてから、はたと気付いたようにケテルが瞬く。次いで咲き誇るような笑みを浮かべた。
「恐怖心……、行くなら梔子も連れていきましょう。梔子はそういうのに敏感です」
名案だとでも言いたげに、自身の相棒たる|キーウィ《インビジブル》の名を挙げる。
「毒キーウィが来るなら辞めておこう。別の恐怖が訪れそうだ」
「梔子はだめだろ」
だめらしかった。
折角なのだから王道を、という話になるのはごく自然なことだった。
白と黒の人形ふたりを伴い、アドニスの爪先が最終的に向けられたのはジェットコースターの乗り場だ。トップスピードで駆け抜けるスリリングなライド体験、一回転の恐怖と興奮があなたを襲う……など、刺激的な謳い文句が案内に躍る。
レールの軋む轟音と共に、すべてを擲つかの如き絶叫が幾重にも木霊して響き渡るその有様に惹かれたのか、と問われれば頷かざるを得まい――空を翔ける拷問めいたその乗り物は、アドニスたちに確かな満足を齎すものでもあった。
「勢いや一回転するのもなかなか良い。二人も楽しかったかい?」
「猊下は絶叫系も平気で頼もしいです」
真っ先にいらえたのはラビィナだ。身体を固定されて縦横無尽に空を振り回されるような、拷問器具もかくやという乗り物を楽しんだばかりなのに、その口調や足取りには一切の障りがない。
「楽しかった……靡く猊下の御髪が天の川のようで、美しくて最高でしたよ」
片掌を自身の頬に添え、豪奢に靡く主の銀河めく髪を思い出してケテルがほうと吐息を染めた。
「何よりだ。――へぇ、ポップコーンというのは色んな味があるのだね」
満足げな彼らの様子に笑みの色をひとつ深めて、然しふと擡げられたその眼差しが瞬く。
園内を歩くうち、ポップコーン・ワゴンは幾つか見掛けていたのだ。けれどそのどれもが扱うフレーバーが異なっており、いま眼前に見えているその店も例外ではない。
「流石に|血味《私が好むもの》はないか、」
何気ないアドニスの呟きに、両側から同時にその手が引っ張られる。
「猊下専用ポップコーンは帰ってから、俺達がご用意します」
「そう! とっておきのがあります!」
帰ってから用意します、とラビィナとケテルが代わる代わる主に向けて愛らしく言い募る。
わかったわかった、と笑うアドニスの眼の前に顕れるのは、これも王道たるフレーバー――キャラメル味のポップコーン・ワゴン。遊園地の記憶はこの味わいでも構うまい。
「ね、猊下。僕には猊下のキャラメル味を下さい」
小鳥のように食べさせて、とましろの翼の迦陵頻伽が甘えて囁く。
コーンポタージュ味だって気になるし食べたい。けれど今はと、ラビィナもまた、縋る主の手を引いた。皆でキャラメル味の思い出を作ると云うのなら、勿論それにだって加わりたい。
「食べさせてあげようか?」
ケテルを見、ラビィナを見、穏やかに微笑むアドニスが肩を揺らす。
「食べたいです! あーん!」
仔猫の唇が、傍らでぱかとあどけなくひらいた。
●想い出はふたりで
「さて! うちはポップコーンたくさん食べたいです」
大手を振って遊んで良いとなれば、ちょっぴり羽目を外したって構わない筈だ。
はい、と行儀良く片手を挙げてはきはきとそのように宣う睡眠寺・静時(移動するフォークロア・h01690)に、勿論、と笑い返した嘴爪・織枝(濡羽色で踊る・h13391)は、ぐるりと園内を見回す。
「ポップコーン、いろんなお味があるのね」
入口近くでは王道も王道、塩やキャラメルの味わいのワゴンが長蛇の列を生み出していたし、少し目配せすればバーベキューだのチーズだの、はたまたミルクティーだの多種多様だ。
扱うフレーバーが多い所為か、小さなカップでの販売も行っているらしい。そうと決まれば後は片っ端からミニカップで買い求めるだけだ。両手で漸く持てるほどの数のポップコーン・カップを抱え、ふたりでベンチに腰掛ける。
「――ん! これ美味しいですね。織枝ちゃんもほら、食べてみてください」
静時が抱えるのはフルーツパフェ味にカレー味と、どちらも王道からは一歩離れてちょっと捻った美味しさだ。指先でカレーを一粒摘まんで織枝の口に放り込み、スパイシーなしょっぱ辛さを食べ終えたところでフルーツの香り華やぐパフェ味の方を放り込む。
「美味しい……! 不思議な味だけど、凄く合うわ。静時さんも、さ、どうぞ」
ふふ、と笑ってお返しのように織枝の指先がポップコーンを摘まむ。静時へと向けられるのは、織枝が選んだフレーバーだ。爽やかな甘さとほんの少しのサワーパウダーが、しゅわりと口の中で弾けるラムネ味。
華やかな色合いだってぱっと目を引く。味わいがわからなくならないように、フレーバーからイメージした着色を行っているらしい。
「二人でシェアしていつのに、まだまだフレーバーが沢山……魔法みたいに果てがないわ」
困った風な物言いなのに、けれど声色は弾んでどうしようもなく楽しんでいるのが透けている。その通りと笑い返して、静時はそうだ、と眼差しを彼女へ向けた。
「織枝ちゃんは何味がお好みでした?」
「わたくし、ラムネのお味と蜂蜜レモンのお味が好き!」
華やぐ笑みと共に小首が傾げられ、濡羽色の髪が風に揺らぐ。
お互いの好きなものをまたひとつ、ふたつ、そうやって大事に記憶の頁へ積み重ねよう。
お腹が膨れたなら、アトラクションではしゃいで消化するのが道理に違いない。
「絶叫アトラクションも全制覇の勢いで乗っていきたいのです、が!」
その気概はある。勿論あるのだが、そう呟きながら一歩を踏み出したところで静時の身体がぐらりと揺らいだ。慌てて隣の織枝が支えに入る。
一回転が売りのハイスピード・ジェットコースターは、前評判通りの乗り心地だ。
そう、つまりとっても速い。
「目が回りますね、地面がふわふわしますね……?」
これは本当に、つい数分前まで踏み締めていた地面と同じものなのだろうか。三半規管が酔っ払いでもしたかのような歩き心地は、けれど隣でしっかり支えて歩調を合わせてくれる|織枝《ゆうじん》の御蔭で何とかなっている。
「大丈夫、大丈夫よ静時さん!」
爪先がステップめいて浮つく静時とは対照的に、織枝にはそうやって友人を支える余裕まである。
「うちの身体、どこか取れてないですか……?」
これが酔い、と初めて味わうその感覚を噛み締めながら、静時は堪らずそう訪ねた。ぐ、と視界の端で織枝がちいさく拳を作るのを見遣る。
「お目目もお耳もちゃんと揃っているわ! ……わたくしもなにか落っことしていやしないかしら……」
自信を持って保証したところで、不意にそんな風に口にもする。そんなに確りした足取りなのにと静時が堪え切れず息を吐くよう笑いを零せば、伝播するそれが織枝の肩をもあえかに揺らした。
お腹の底を擽られるようなこそばゆい笑み。
「はいな、織枝ちゃんも全部くっついております。バッチリでございますぞ!」
そうやって息抜きが叶ったからだろうか、少しずつ元の調子を取り戻してゆく――もう大丈夫です、と柔く織枝に礼を告げてから、ううんと静時が伸びをした。
光の溢れる遊園地を、長閑に歩く。
「織枝ちゃんは、速いの大丈夫なんですねえ」
「初めてだけれど、速いのは平気みたい。お空を飛ぶのと一緒ね!」
空へ舞い上がっていく感覚も、そこから一息に滑り落ちるときのどきどきも、普段は到底味わえないものだ。
傍らに大切なともだちが居れば、尚の事。
「新しい物事を知るの、わたくし大好きだもの」
●かがみのむこう
パステルカラーと賑やかな景色に彩られた園内を、その光景もまるごと楽しみながら漫ろ歩く。
「さあ、ココさまにご挨拶をしましょうね」
菫色の目許を穏やかに撓ませたラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)が、伴う三匹のうさぎたちの頭をそっと撫でる。
ふうわり空を滑って愛らしいうさぎたちにはじめましての挨拶をしつつ、ココ・ロロ(よだまり・h09066)は頬を綻ばせた。
「えへへ、ココともなかよくしてくださいね?」
大切な友人同士がそうやって新たな縁を繋ぐありように、幸せそうにラデュレの唇が花ひらくように微笑む。遊ぶみたいにして駆け抜けてゆく薫風に揺れる髪を抑え、ね、と彼女はココへ向けて呼び掛けた。
「ミラー・ハウスにて遊ぶのは如何でしょうか……?」
散歩めかして歩くうち、いつのまにやら眼前にはきらきらとした光が在る。
否、何も光そのものと云う訳ではないのだ――外装にも鏡が使われたその施設は、穏やかな秋色の陽射しをきらきらと燦めき弾いてそこに佇んでいた。
「ミラー・ハウス……?」
不思議そうに音を追いかけるココに、ラデュレが行きましょう、と笑む儘に肯く。いこういこうと誘い掛けるようにして、彼女の足許でうさぎたちだって元気いっぱい跳ねていた。
「鏡合わせの御屋敷――前後左右、わたくしたちがわたくしたち自身に囲まれるのです」
内緒話の如くに声を潜めたラデュレが、まるで魔法の仕掛けでも話すかのようにそっと囁く。
――足を踏み入れれば、万華鏡の如くに自分たちの姿が幾重にも四方へひろがり映る光景が、ふたりと三匹を押し包んだ。
わあ、と興奮を抑えながらも上擦った感嘆を漏らすのはココだ。少しひらけている場所へ滑るように翔んで、くるりとその場で尻尾を踊らせ一回転する。
動きに合わせ、周囲のたくさんのココもそれに倣う。くるくる、くるくる、たくさんのちいさな獣が鏡の向こうで楽しげに踊っていた。
「ココたちがいっぱいいるのです!」
浮かれるココに続けとばかり、ラデュレの連れるうさぎたちもまた、思い思いに部屋の中を跳ね回っては鏡像と追いかけっこに勤しんでいる。
「様々な角度から、このように映るのですね」
そ、と鏡に掌を添えてラデュレが向こうを覗き込む。向こうのラデュレも同じようにはにかんで、鏡合わせに此方を覗き込んでいた。
「はい! せなかだってみえちゃ……、――?」
楽しげに揺れていたココの尻尾が、不意にぴたりと停まる。
ぱちぱち、青い眸が数度瞬く仕草にラデュレもまた、不思議そうにそちらを見遣ろうとして――ふ、と。
――視界の端を、真紅の花弁が過ぎった気がした。
――嗚呼それとも、まっしろなふわふわの尻尾だったかしら。
わたくしのようで、 / ココのようで、
わたくしではないだれかの、 / ココではないだれかの、
――まなざしが、鏡の向こうからこちらをそっと、覗いていたような。
「……いま、」
ちいさく息を呑む。顔を上げて驚いたように淡く双眸を瞠るラデュレが、同じように鏡の向こうで瞠目している。
そうだ。違和感はない、だってこれは鏡だもの――同じものが、映る筈だ。
あの“わたくし”と目が合うだなんて、そんな事が有り得よう筈もないのに。
「いま、ココのことみたです……?」
ラデュレの傍らに、すいとココが空を滑って身を寄せる。
不思議そうに瞠られる青色を見遣って、ラデュレは浅く呼気を零した。
「ココさまも、ですか……?」
似たような違和感を共に懐いていたのだと知れば、ほんの少しの沈黙が天使のとおりみちを渡ってゆく。
ふ、と笑い掛けるのはココの方だ。なんだかとってもふしぎ、と耳の先っぽがぴこぴこ揺れた。
「でもだいじょぶ! ラーレさんはココたちがおまもりするのです!」
ね? と優しい色合いの眼差しを向ける先はうさぎたちだ。まかせてと言いたげにぷうぷう鼻を鳴らし、愛くるしさを振りまくうさぎがラデュレに侍る。
「――そう、ですよね」
安堵のいろが、胸中をあたたかく満たしてゆく。
「きっと気のせい……気のせい、です」
手を繋いで、ぎゅうっとくっついて、ちいさな壜に賑々しく詰め込まれたお菓子のようになりながら鏡の迷宮を進んでゆく。
「出られたら、メリー・ゴー・ラウンドへまいりましょう。それから、ポップコーンも……!」
そう、ここは楽しい遊園地――何を畏れることもない。
鏡の迷宮を勇敢に制覇したのなら、今度は夢見心地で南瓜の馬車に、ユニコーンの背に乗ったっていい。
「いきた~い!」
ふわんと跳ねて一回転するココが、ポップコーンと聞いて双眸をきらきらと煌めかせる。
「あまくて、ちょっぴりおとなのあじ……たべてみた~い!」
あれをしよう、これもしたい、それも気になる、我儘だって遊園地なら唱え放題なのだから。
――光射す出口でよろこびのタッチを交わすまでは、あとちょっと。
●ときめく理由
見晴るかす景色はいつかの記憶に良く似ている。
造り物ではあるけれど青く澄み渡った空、パステルカラーでうつくしく整えられた園内の施設、お喋りを楽しみながら行き交う人々――嘗てのそれを違うのは、あの時と違ってひとりではないということだ。
シルフィカ、と柔く呼ばれて隣を見上げる。
「迷い込んじゃったからにはちゃんと帰れるように、たくさん楽しまなくちゃ! 折角の遊園地デートだからね」
ルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)はその|紫水晶《アメシスト》めいた双眸に喜色を溢れさせ、いとおしげにシルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)を見つめてそう口にした。
指先を恭しく掬い上げられ、繋ぎ留めるように握り込まれる。
誰かの肩越しに見る遊園地の景色は、あの時にはなかったものだ。
「エスコートをしてくれるの? ルミオール」
デート、だなんてさらりと口にされて擽ったささえ感じるのに、当の本人はこどもみたいにはしゃいでいるのだから微笑ましい。繋いだ指先がほんの少しあつくって、だからシルフィカははにかむようにそう尋ねた。
勿論、とルミオールの唇が甘く微笑むみたいに弧を描く。
「シルフィカはどこに行きたい?」
「うーん……気になるのはやっぱり観覧車かしら」
瞬いたシルフィカが、視線を園内に巡らせる。
けれど観覧車、と口にする割に、その深い蒼翠は違う箇所を名残りを混じえて見つめている気がしたのだ。当たり前のように彼女の眼差しを追い掛けてから、それに気付いたルミオールは瞬く。
「ジェットコースターとか、ライド系の方? ……気になってるの?」
う、とちいさな声がシルフィカの唇から漏れた。
「絶叫系……とかは、一人だと乗る勇気が……」
「じゃあ乗ってみようよ!」
悩む色合いの濃いシルフィカの返答を聞いた途端、当然のように明るくルミオールがいらえる。
「大丈夫、怖くないよ。俺もいるし!」
繋ぐ手を柔く引いて先導しだす彼に向け、躊躇する暇もない。
然しこれは強引と言うより、ちいさな子にはやくはやくと急かされ手を引かれる感覚の方が近しい気がして、シルフィカの口許が笑み綻ぶ。
随分背丈が伸びたけれど、未だに中身はあの頃の俤が色濃くあざやかに残るのだ。かわいらしいルミオールのちいさな背の、その過日の残滓を追い掛けるようにシルフィカは眼差しを擡げる。
先を征くおおきな背に追いついて、笑うかたちで肩を揺らした。
「そうね、二人ならきっと大丈夫だわ」
「――俺はめちゃくちゃ楽しかったけど、シルフィカは……、……怖くなかった?」
中々に刺激的なライド体験を終え、休憩がてらに乗り込んだ観覧車は、ゆったりと上空へふたりの身体を運んでゆく。
窓から覗くだけでなく、足許が抜けてしまおうかと云う錯覚すら齎すような硝子張りの床に、不思議な感覚を覚えてシルフィカは瞬いた。ちらとまみえる地上の景色が、少しずつ遠くなってゆく。
「こ、怖くはなかったわよ、本当よ」
当たり前でしょう、と居住まいを正す。
そうやって年上の女性らしく在ろうとするのは、出逢った頃から変わらない。澄まし顔のシルフィカがコースターで思わず零してしまっていた悲鳴を反芻しつつ、ルミオールの口許がふ、と緩む。
このひとの、こういうところが可愛くて堪らない。
「じゃあ、今は?」
ほんの少し低められた声が、窺うようにシルフィカへ向けられた。
――こんなときばかり、急におとなびた雰囲気を滲ませるものだから、不意に胸が高鳴ってしまう。
「……どきどきする?」
思わず心を揺らすようにして、あまく伏せてしまったシルフィカの眼差しが、逃げるように足許へと柔く落ちた。
それを悟って、ルミオールの呼気が優しく撓む気配がある。笑っている風だった。逃げ道を示すようにして、ほら、と爪先が軽く硝子の床を突付く。
――透明な床だから、どきどきするでしょう?
「……そうね、」
衒わずシルフィカは肯いた。擡げた蒼翠が、ほんの少しの恥じらいを得てルミオールを仰ぐ。
誰かと眺める特別な景色は素敵で、――眼の前にはあなたがいて。
「どきどきするわ」
●人には人の遊園地
「ダンジョンなのに遊園地って、多様性がスゴいなぁ」
何でもアリなのかな、と緇・カナト(hellhound・h02325)はぼやく。いや何でもアリなのかもしれない。今まで数多足を運んできたダンジョンを遠くに思う。
「人海戦術だから人手が要るんだ主よ、さっそく遊びに行こうではないか~」
ダンジョン遊園地と云う特異な場所に気分を上げるトゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)は、カナトの手を引っ張りながらぐんぐん進んでゆく。
「遊んでいくだけならまぁイイけど……あ、ポップコーンとかも味わっておきたいなァ」
行き交う来園客の頭には結構な確率でふわふわの耳カチューシャが乗っかっているし、ぐるりと見回す景色は立派に遊園地だ。視覚からも非日常が流れ込んできて、これはこれで愉しいのかもしれない。
そんな折に彼方此方に点在するポップコーン・ワゴンが目について、だから自然とそう口にしていたカナトだった。パークフードと言えばの代表格だし。
「ポップコーンが気になる?」
先導するトゥルエノが肩越しに振り返る。
んや、とカナトは首を左右に振った。
「トールの方から誘ったんだし、気になるアトラクション乗ってけば良いんじゃないの」
休憩がてらに食べたって良い訳だしなぁ、等と考えつつそう返せば、ふむ、とトゥルエノの醒めるような青の眸が瞬いた。
「なら何の乗り物から楽しむとしようか……、……主は絶叫系とかホラーハウスも好きそうだよな」
行き先に迷うような声色だ。
別にオレの方を気にせずとも行きたい所に行けば良いのに、こういう時に不意に律儀な部分が顔を出す。ふ、とカナトの口端に滲むのは、それを好ましく思うがゆえの浅い笑みだ。
「オレは絶叫系でもホラーハウスでも良いけど。トールは?」
「……わたしか?」
水を向けられ、僅かに瞠目してからトゥルエノが瞬いた。
それから園内を見回すように視線を巡らせ、『それ』を遠くに見つけてちら、とカナトの方へと眼差しが帰ってくる。
「そうだなぁ、一番興味を惹かれそうなのは~……」
綺羅びやかな南瓜の馬車に悠然と腰掛け、ゆったりと窓枠の向こうを流れゆく景色を頬杖で見つめながら、カナトは沁み入るように双眸を伏せた。
「メリーゴーランドは流石にオレは選ばないな……」
三拍子のワルツがずんちゃっちゃとご機嫌に鳴り響いている。
トゥルエノがユニコーンだかペガサスだかの背に乗って廻るのを眺めていようと思っていたが、いつのまにか連れ込まれていた。然し自分の中になかった択というのは真新しくもあって、存外、悪くない。
「乗る背が違うからこそ、異なった景色も見えてくるというもの! 愉しいなぁ主~!」
少し前の方では、トゥルエノが跨る空游ぐ魚――鯨と魚を足していい感じで割ったような造形の水棲生物の胴体に、妖精の羽根のようなモチーフが広がっている――に跨って、廻る動きに合わせてゆったり上下に揺られていた。
丁度そのあたりで一周が終わったらしい。停車した馬車から降りるカナトの姿に気付いたトゥルエノが、そちらへ視線を向けた。
「わたしはまだ遊ぶぞ主! 主も共に何周かしないのか~?」
見れば確かに、乗るものを変えたりそのまま居座ったりなどで次週に挑む客もちらほら居るようだ。
トゥルエノも河岸を変えるとばかり、満を持して真っ白のユニコーンに跨り直している。
「ウンいってらっしゃい。オレはポップコーンの乱獲に行くから」
すちゃ、と片手を挙げて見送る姿勢になったカナトに、エー、とトゥルエノの口から笑い混じりの文句が漏れた。
「まったく飽きるのが早いよなぁ……お、はじまる」
今度はメヌエットだ。流れ出す曲に合わせ、再びゆっくり廻り始める。
送り出す姿勢を兼ねておおきく手を振るトゥルエノが、朗らかに声を上げた。
「あ、おすすめのフレーバーがあればあとで我にも分けてくれ給えよ~」
カナトはひらひら手を振り返し背を向ける。
トゥルエノが|回転木馬《メリーゴーランド》を満喫するのと同じくして、自分だってポップコーンを満喫するのだ。王道の塩に変化球のミルクティー、それにチョコとバーベキューは抑えておきたい。そうだ、アップルシナモンだって気になる。
――これだけ人がいるのだから、楽しみ方だって千差万別だ。
●よくばったっていいの
「こうなったらはしゃぎ倒してやりましょう、ツィーリ!」
匂やかな秋風に艷めく緑を散らし、アルティア・パンドルフィーニ(Signora-Dragonea・h00291)の紅々と耀く眸が熱意と意義を以て園内を見回す。
傍らに佇む親友たる彼女――ツェツィーリエ・モーリ(視えぬ淵の者・h00680)もまた、楽しむだけで良いのならば自信があるとばかり、穏やかに笑んでは肯き返した。
「ティア様、今日はたくさん遊んでまいりましょうね」
ダンジョンの奥地だと言うのに、園内は盛況だ。
風船を配るマスコット・キャラクターの足許にはこどもたちが群がり、初々しいカップルは揃いの耳を着け、友人同士らしいグループがジェットコースターとフリーフォールで行き先が割れ、どっちが先かを争っている。
遊園地特有の雰囲気のなかを散歩めかして漫ろ歩けば、視界にはコーヒーカップやメリー・ゴー・ラウンドだって色彩あざやかに飛び込んでくるだろう。
然し。
「わかっているわね、ツィーリ。言わずとも伝わるでしょう?」
「あら、わたくしがティア様の思惑を見抜けないとでもお思いですか?」
乙女たちの目配せは雄弁だ。瞬き震える睫毛の先には、いつだって大事な言葉が乗っかっている。
心を通わせ合う彼女たちが爪先を向けたのは、無論遠くに見え得るコーヒーカップ――では、なく。然しかと言って、スリリングなライド・アトラクションの方へと向かう訳でもない。
ふわりと香気がふたりを押し包む。熱され弾けるポップコーン、その香ばしさに特有のフレーバーの芳しさが加われば、抗う気力など湧こう筈もない。
「挑むからには完全制覇よ! ねえツィーリ、アトラクションをひとつ終えたらお店の食べ物をひとつ頂くの。どうかしら」
ポップコーン・ワゴンに居並ぶ列の最後尾に加わる。順番を待ちながらこうやってお喋りに興じるのだって、遊園地の楽しみ方の一種だ。
「園内のそこかしこで目につきますから、どうしても惹かれてしまいますね。ええ、これは制覇するしかありません。――成る程? ひとつ降りるたび、ひとつの味を……、――」
ぴんと立てられ指揮の如くに振られるアルティアの指先を見つめながら、その提案にツェツィーリエの|色違い《眼差し》もきらと煌めく。
そして、ふと思案するような間があった。
「アトラクションよりもフレーバーの方が多いのでは?」
園内のそこかしこに件のワゴンを見掛けた気がする。そのどれもが異なるフレーバーを扱っていた筈だ。
「……一つじゃ足りないときだってあると思うの」
短い沈黙を挟んだアルティアが、きり、と眦に真剣味を帯びて返した。受け止めたツェツィーリエの双眸もまた、それにいらえるように真摯を帯びる。
「足りなければそれに加えて、また別の味も……という訳ですね」
「ええ、二つでも三つでも食べちゃいましょう。二人でシェアしたらきっと間に合うはずだし――そう、ツィーリはどれが一番好き?」
突如としてアルティアから難題が突き付けられる。
「……む、難しい質問です」
少しお待ちを、とばかりに瞑目するツェツィーリエの横で、丁度会計の順番が回ってきた。いってらっしゃい、と定番の台詞で笑顔と共に送り出されながら受け取るのは、王道のキャラメル・フレーバーだ。
「私はいつだって甘いのが大好き」
列を離れて歩き出しながら、ふふ、とアルティアが頬を淡く綻ばせる。暖かいポップコーンを摘まんで口に放り込めば、くしゃりと軽く砕けて香ばしさと甘さが舌先で絡んだ。
どうぞ、とばかり傾けられたバケットから同じく一粒摘まんで、ツェツィーリエもその出来立ての美味しさを堪能する。
「ええ、確かにキャラメルはやはり、外れない美味しさですが――」
ふ、と双眸が擡げられた。視線の先には塩味を扱うワゴンが見えている。
「シンプルな塩もこういう時には捨てがたく……。交互に食べても美味しいですしね」
確かに、とアルティアがしたり顔で肯いた。甘いものとしょっぱいもの、交互に食べるとどうしたって手が止まらなくなってしまう。
「じゃあ、こうしましょうよ。二人で気に入ったのを最後に買って、一口ずつシェアするのはどう?」
名案でしょうと得意げに笑う彼女の横顔を眩しげに見遣って、ふふ、とツェツィーリエがつられて笑った。
「それは良い考えです。では最後のアトラクションまでには、これという一つを決めておきますわ」
「そう、チュリトスも気になるわよね」
視界に看板が飛び込んで来たのだ。
だから気軽に話題へと|チュリトス《ニューカマー》が馳せ参じた。それだけだ。
「――ティア様。恐れながら」
然し、ツェツィーリエの眼差しに鋭利さが宿る。
「チュリトスにもフレーバーがあるようでして」
「………………」
乙女たちの間に沈黙が降りる。
「全部行きましょう」
躊躇わなかった。
●かさなる時間をほしがって
賑やかな眼前の光景は、まるでおもちゃ箱を引っ繰り返したみたいな様相だ。
一緒に行こうと約束していたところも、こんな風なのだろうか。
「キアラさんが良ければジェットコースター行かない?」
向けられた言葉を辿る風にして、キアラ・ザ・アスフォデルス(|冥花の魔女《The Asphodelos》・h09526)は咲き誇るような緋色の眸を景色から引き上げ、そちらへ向けた。
そう、今日は|予行演習《・・・・》だ。彼の――ヨシュア・ヴァルトシュタイン(「森の石」・h09600)の翼と尾とが邪魔にならないか試すにはちょうど良い、だなんて冗談めかして言葉を交わしていたところだった。
ええ、とキアラは肯く。
「良いわよ。色々乗ってみて確かめましょう」
快諾に、ヨシュアの蜜色が蕩けるように柔く眇められた。いこう、と歩調を揃えて歩き出す。
向かう先、蛇行するコースに大きな一回転の輪っかがくっついている施設はそれなりに目立っていた。あれが、と見遣りながらキアラが瞬く。
「自分で飛ぶのとは勝手が違うわよね。どんな感覚なのかしら……」
「さっきから凄い勢いで悲鳴が聞こえてくるから、それなりに怖いんじゃないかと思うけど」
呟くキアラに、ほら、と空中を示すように指先を立ててヨシュアが示す。耳を澄ませばコースターの駆け抜ける轟音と共に、男性らしき野太いものから甲高い女性のものまで、多種多様な悲鳴が幾重にも折り重なって響き渡る。
「ふうん? スリルたっぷりって感じね」
丁度、円を描く部分をコースターがトップスピードで抜けていくところだ。見送りながら、へえ、と興味深く瞬くキアラの横顔を穏やかに見つめ、ヨシュアは口許を綻ばせた。
「スリルがあるのって結構好きなんだ。小さい頃は、たまに木の上に登ったりとかしてたよ」
「木に?」
思わず真っ直ぐ見つめ返して語尾を上げる。
「――、……あなたって腕白だったのね」
今ここに相対するヨシュアの姿からは、あまり想像がつかない。
意志を持つ沈黙があえかに佇んでから、キアラはそう呟いた。
「そりゃ、健全な男子だし?」
肩を揺らしてヨシュアは浅く笑う。
「キアラさんが大丈夫なら、一番凄いのにしよう。ほら、あれ。一回転したりするようなのさ」
「もちろん、怖いものなんてないもの」
どう、と問いたげに肩を竦めて浅く首を傾ぐ彼の姿に、気後れすることなく口端を艶やかに擡げたキアラが肯定を返した。
ふたりの背には翼が在る。
似ているようで、けれど同じではない。竜種のそれであるという点では同一だが、色合いも大きさも異なるものだ。
「でもね、私の方は仕舞いこそできなくても、縮めるくらいはできるの」
見て、とほんの少し自慢げに促すキアラが背を向ける。震わされた竜種の飛膜が器用に折り畳まれ、細いその背に収まるようにちいさく縮められた。
いいな、とヨシュアの唇から零れ落ちるのは、溢れた感嘆の延長のようなものだ。
「早くしまえるようになりたいな、」
彼の翼はキアラより大きい訳でもない。そのキアラがこのアトラクションに乗れるのならば、彼の背の翼も問題はないだろう。
だと言うのにヨシュアがそう零した理由を手繰るよう瞬いてから、ああ、とキアラが得心する。
「もしかして、窮屈? 大丈夫? 辛かったら言ってね、何か食べて休んだっていいのだし――」
「ああ、いや」
おれは大丈夫、と息を吐くようにしてヨシュアが破顔する。
「キアラさんこそ無理しないでね。……さっきのは、そうだな」
待機列は丁度、建物の日陰に入ったところだ。
明るいところから暗がりに沈んだ所為で、ほんの少しヨシュアの眸が揺れ動いた気がした。見つめるまま、キアラがその先を尋ねたがるようにしてゆっくり瞬く。
「しまえたなら、――そしたらもっと、ふたりで楽しめるだろ」
「――……、」
ほんの少しの面映ゆさを滲ませて、彼の蜜色が甘さを混じえ綻び撓む。
こんなときに咄嗟に返せる気の利いた台詞だなんて、生憎とキアラのなかには無かった。ただ、そんな風にもっと、と欲張るみたいな意識を向けられたことが嬉しくて、思わず息を詰まらせたのだ。
「……ね、じゃあ――私も、いい?」
一匙ばかりの恥ずかしさとこそばゆさが、伝播したに違いない。
目許に血色が透けているのがありありと自覚出来る。ほんの少しあついもの。
「小さい頃のお話、もっと聞きたいわ」
「……おれの?」
意外そうにヨシュアが瞬くのを、可愛らしいと思う。
――このひとはきっと、自身が何気なく口にした過去が、どれほど私にとって価値のあるものかが解っていないのだ。
かの沈黙には我儘な欲が孕んでいた。
もっと聞きたい、なんて。
●それも醍醐味
持ち得る力を行使すれば自由に宙空へ舞い上がれる存在ではあるが、こうしてゴンドラに囲われ緩慢に空へ上がると云うのも風情があって良い。
「あくーにゃん、雪羽殿、見てくれ。床が硝子張りだ」
狭いゴンドラの中、しゃがみこんで熱心にそれを覗き込みながら狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)が促す。
「ほう、これが噂の床かい?」
その傍らで藤色が揺れ、藤春・雪羽(藤紡華雫・h01263)がひょいと一歩を踏み出しては下を覗き込んだ。
各々につられるようにして、夜鷹・芥(stray・h00864)も硝子床を同じく、覗き込む。結局狭いゴンドラのなかで三人が頭を突き合わせ、硝子を通して遥か彼方の地上を見つめている面白い構図に収まった。
刳り貫かれた床の向こうにはゴンドラを揺り運ぶ観覧車の無骨な機構があり、更にその向こう、ほんの小指の先ほどもない豆粒めいた幾人もの人影が見得る。日常ではあまり縁のない光景だ。
促した本人――澄夜はと言えば、ゴンドラが運ばれるごとに刻々と表情を変えるその景色にすっかり執心し、蟻の行列を眺める少年もかくやの勢いで目を凝らしている。
「正に夢の国さながらだ、一体何が見えるだろう……、……」
別のゴンドラの中でやたらと距離が近いカップルが視界を掠めていった。
すん、と立ち上がってかぶりを振る。
「はしゃぎ過ぎたな。済まない、仕事以外で遊園地に来た事がなくてつい童心に返ってしまった」
「童心に返る感覚は解るよ。アガるよな」
わかる、と同意を示した芥が、しゃがむ儘に眼差しを擡げ澄夜を見上げた。
肯きながら立ち上がる。
「俺も同じく、仕事で来ることはあんまり……、……いや、これも仕事なんだが」
更に言葉を続けたところではたと気づく。これもそう言えばそうだ。視聴回数と登録者数稼ぎに行脚する|迷宮配信者《ダンジョンストリーマー》の救出が一応の名目である。
「ふふふ、いいんじゃあないかい?」
機嫌良く笑った雪羽の龍尾がぺしぺしと床を叩いた。
「そういう場所だし、今日はそういう日なのだろう?」
「折角だから、遊びに興じて楽しもうぜ。ほら、」
眼下の何もかもが豆粒であるのはそうだが、この観覧車のゴンドラからであれば園内のすべてが一望出来る。マップ代わりに、あれはコーヒーカップ、あれはフリーフォール、等と芥が指し示す。
「アレ、水中ダイブするやつ乗りてーかも」
二人とも絶叫系平気そうだし、と金の眼差しが順繰りに澄夜と雪羽とを眺める。
へえ、と先に面白そうに双眸を輝かせたのは雪羽の方だ。藤色のそれがわかりやすく好奇心に満ちて煌めきを得る。
「水にダイブするライド? それは面白そうだね」
「ライド系のアトラクションは遊園地の花形だろう。私も行きたい」
仕事で遊園地を堪能せねばならないのだから、これは職務上必要なことだ。開き直った澄夜も幾分か声を明るくし、芥の希望に乗っかって首肯した。
「とーにゃんよ」
辿り着いたアトラクションの乗り場で、真摯な表情を讃えた芥が澄夜をそう呼ばう。
「一番前を堪能して欲しい。此処は年功序列で、是非」
何やら自分たちの前に並ぶグループの人数を数えていたと思ったら、唐突にそう言い出したものだからとーにゃんこと澄夜は瞬いた。
「うん? 私が一番前?」
思わず自分を指差して、それからもう少し先にある乗り場を見遣る。確かによくよく見てみれば、自分たちの直前に並ぶグループまでで次の便が埋まるらしい。成る程、つまり我々三人のうち誰かが先頭を得られるということ。
然し、と澄夜が次いで言い淀む。
「でもこれ、私が前に乗ると二人が後ろに下がらねば……」
「あ、大丈夫。それは私と芥とで下がるから」
驚くほど早い遠慮が雪羽から発せられた。気にするな、と言わんばかりに軽く片掌まで挙げられている。
「そう、俺と雪羽で二列目と三列目に乗るから。先頭の絶景は是非、とーにゃんに」
その隣にすぐ並んだ芥が、同じく倣って片掌を上げる。
「何? 仏? まあ、譲ってくれるというなら堪能させて貰うかあ」
急に示し合わせたように同じことを言い出すふたりを怪訝そうに見遣るものの、何やら特別楽しそうな席を譲って貰えると言うのならば有り難くそれを受け取ろう。
楽しみだなあと破顔した澄夜を見つめ、くすくすと楽しげに咲むのは雪羽だ。わかってるくせに、と肘で芥を突付く。そっちだって速攻察したくせに、と芥も同じく肘で小突き返す。
「雪羽は俺の後ろに隠れ……、……んん、座るといい」
「ふ……、そうだな、うん、三列目を頂こうとも」
不自然に咳払いや震え声が混じっている。
「なんか笑ってないか?」
お足元お気をつけてお乗りくださーい、という明るい係員に促されて乗り込みながら、訝しげに澄夜が肩越しに振り返ってふたりを睨めつける。
「いや全然」
「なんにも」
アルカイック・スマイルで即座に首を振った。
送り出された後はあっという間だ。一回転するほどの方ではないにしろ、こちらも一応はジェットコースターの括りである。
丸太を模したコースターは、急流に流される搭乗者たちが必死にしがみつく命綱……の、ような設定らしい。コミカルなキャラクターたちにしっかり掴まって! だの、流れが早い……この先は滝壺だ! だの、賑やかに声を掛けられながらコースターもとい丸太が流されてゆく。
君たちは――特に澄夜は、見ただろうか。
アトラクションの入口付近に立てられていた、『びしょ濡れ注意!』の立て看板を。
――ばしゃあん! だなんてド派手な水飛沫を上げ、丸太が流された果てに山の天辺から滝壺に落ちるまで、あと数秒。
「……水も滴る美少年にコメントはないかお二方。返答次第では濡れ鼠になるぞう」
絶賛濡れ鼠の美少年が、半眼でふたりを見つめて両手をおどろおどろしく掲げて見せた。水音と共に雫が滴っている。
「とーにゃん、男前が上がってるぞ。……、ぶっ、……くく、――あっ、つめて……!」
我慢できない、とばかりに芥が顔を背けて途中で決壊した。濡れ鼠が盾になってくれた御蔭で、こちらはさほど濡れていない。ならば濡らしてやろうとばかりにびしょびしょの両手が襲いかかった。
見事満喫出来たようで何よりだよ、と雪羽もまた、肩を揺らして笑いつつ口にする。
「それよりもほら、甘味をいただこうじゃあないか。あっ、私はあのキャラメルたっぷりのポップコーンをお願いしよう」
びしょ濡れの澄夜を雪羽と芥のふたりで挟みながら、ほらほら、とポップコーン・ワゴンを示してみせた。
「弄ばれた悲哀はポップコーンで埋めねば。まあ悲嘆に暮れる繊細さはないがな」
ふうわりと仄温かい空気を纏い、甘く香ばしく馨るポップコーンがバケットにもりもり盛られていくのを眺めながら、濡れた髪をかき上げた澄夜が言う。
「俺はスイートポテト味だな。ほらこれ」
「芥のは季節限定? 目敏いなというかいつのまに買ってきたんだいそれ。ね、それも味見させておくれよ」
いつのまにやらちゃっかりポップコーンのバケットを入手していた芥が、ほら、と手に抱えるそれをふたりに向けて傾ける。芋の甘味がふうわり漂う、黄金色にかがやくあまーい秋の味わいだ。
「色んな味を食べられるのはいいねえ。今度はみんなを誘って来るのも面白そうだ」
ふ、と雪羽が微笑んで零す。
キャラメルの方にも指先を伸ばしながら、芥もまた、その金を眇めて浅く笑ってみせた。
「何でも片っ端から揃えりゃあいいさ。ここには口が三つあるんだし、皆で摘んで暫しの休憩といこう」
●とろけるみたいな
晴れ上がった空を映す天井は、然し暮れ泥むことはない。
ダンジョンの内部だからなのだろう。当然、園内に時刻を示すものもない。凡そどれほどの時間をこの空間で過ごしたのか――正確には知れずとも、随分歩いた、という感覚がふたりにそれを何となく齎してくれる。
「たくさん歩き回りましたし、休憩も兼ねてコーヒーカップに行きましょうか」
如何ですか、と尋ねるように小首を傾げ、きらきらと金の髪を光に透かせたシンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)はそう口にした。
「そうですね、随分歩きました。少し、ゆっくりしましょう」
彼女の眼差しを受け、神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)が顎を引いて肯き返す。
幸いにも、コーヒーカップの乗り場はすぐ近くだ。各々の好む速度でゆっくりと、或いは少しだけ緩急をつけて回されている様子は、そのカップの柄がひとつとして同じものがないのと同様だ。
どうぞ、と係員に促されて花模様のカップに通される。ほんの少し狭い座席には柔らかなクッションが敷かれ、足を休めるには丁度良い。
「私、子供の時にこういうの乗ったことないので、結構楽しみです」
スタート前のカップの中身は様々だ。
同じように歩き疲れたから休憩するのだろう二人組、動くのを待ちかねているちいさな子がぎゅっとハンドルを掴んで離さない親子連れに、カップを動かす気もなく肩を寄せ合って見つめ合う恋人たち。
――今の私たちは、どんな風に見えるのだろうか。
「境華さんは経験、ありますか?」
「ぁ、」
ついぼんやり考え込んでしまった所為で、シンシアからそう尋ねられて僅かに肩を揺らしてしまった。
気恥ずかしさに指先を遊ばせ、そうですね、と言葉を探すふりをして視線を逸らす。
「私も、こういった乗り物に乗った経験はありませんね。……どんな感じなのでしょう、」
境華の言葉にいらえた訳でもないのだろうけれど、カップが滑るように動き出したのはそのタイミングだ。
「……、あ。動きました」
瞬いて境華が呟く。
思わずふたりで顔を見合わせ、密やかに笑い合った。
「――わ、動いた! 動いてますよ境華さん!」
優美に流れる音楽は、王道の|三拍子《ワルツ》だ。踊るためのその楽曲に、カップの滑る様が良く似合うと口端が綻ぶ。
「とても優雅ですね。遊園地の中なのに、二人だけの空間といった趣もあって……」
不思議な感じです、とシンシアの声が小さく括る。
柔らかなクッションに身を預け、肩が触れ合うほどにちいさなカップはふたりでいっぱいだ。こういう乗り物なのだろうとは思えども、――近さにほんの少し照れてしまう。
意識、してしまう。
「ええ、そう速くもありませんし、景色もゆっくり変わっていって……、――眺めているだけでも楽しいです」
僅かに火照る気のする頬を、撫でてゆくように風が摺り抜けてゆく。
満足げな呼気を零してから、境華はそっと眼差しを擡げてシンシアを見遣った。あまりじっと見つめていては、なんだかいけない気がしたのだ。だってこうして距離が近いことを自覚するだけで、頬が熱を帯びてしまうのに。
「――ね、境華さん」
呼ばれて、思わず淡く眸を瞠った。
滑るように眼差しを向けた先、シンシアが境華を見て微笑んでいる。
彼女の頬もまた、うっすらとばらいろに咲き染まる。
「楽しいですね」
照れたみたいにしてはにかむ|彼女《シンシア》の、撓む銀の目許が眩むようにまぶしかった。
「……、――はい、……」
彼女の隣で、そっと力を抜く。
カップが動くたびに揺れるから、そっと肩を寄せ合うかたちになる。なんだか堪らなく照れてしまうのは、けれど私だけではないのだ。境華の口許が、あまく綻んだ。
そういう乗り物なのだから、楽しんでも良いのだろう。
「また、来ましょう」
●ミニ・マルサイ第五班の|愉快な任務《遊園地ミッション》
「うっわぁ~! すっごい!」
華やかな感嘆が古出水・蒔生(Flow-ov-er・h00725)から花咲くように上がった。
「ねぇどっから回る!? コーヒーカップ? 観覧車?」
そわそわと背伸びしてあっちを見、それから目移りするようにこっちを見、と行き先の吟味に大忙しだ。
その隣にふわりと着地する|爪先《・・》がある。それを追い掛けるように顕れた全身を素直に伸ばして、ちいさな痛みに|おっと《Ouch!》、と片目を瞑ってからチェスター・ストックウェル(幽明・h07379)も倣うように笑った。
「今回の任務は大当たりだね」
何せ、遊び倒すだけで目的が叶うのだ。大手を振ってはしゃぐべく、|痛み止め《ナイチンゲールの嘘》を飲み干し同僚ふたりを振り返る。
「チェスターも蒔生もわくわくがだだ漏れだぞ」
片眉を押し上げ、けれど雰囲気にやれやれと絆されるものを混じえたリーガル・ハワード(イヴリスの|炁物《きぶつ》・h00539)が、その眼差しを受けていらえた。
――とは言え、かく言うリーガルも似たようなものだ。
ダンジョン内部の遊園地だなんていう特異な場所を、物珍しげに見回しているその背の羽根がそわそわと無意識に膨らんでいる。心地良い悲鳴と共にコースターの駆け抜ける轟音が響き渡れば、思わずそちらに眼差しが向いた。
「だって遊園地とか来たことないんだもん! ダンジョンってことは|錆禍《体質》のことも気にしなくていーんだし!」
ポップコーン・ワゴンからは甘くて香ばしい薫りが風に乗って漂っているし、楽しげに練り歩くグループの頭には揃いの耳カチューシャが揺れている。初めての空間と体験に眸をきらきらさせながら、蒔生は声を上擦らせた。興奮の儘に、その指先がリーガルの衣服を見て見てと引っ張る。
「わかったわかった、今日は蒔生が行きたいとこ全部付き合うから……いいよな? チェスター」
慣れた風に彼女をなだめようとリーガルが肯きかけたところで、チェスターにその視線が向けられる。
「|勿論《of course》!」
にこ、と紳士的に笑みを浮かべて返してから――す、と思考の気配を滲ませ金の双眸が鋭く眇められた。
――先ほど、腕を組んでべったりと歩くカップルにちら、と萌葱の眼差しが逸れたのに気付いたのは恐らく|俺《チェスター》だけだ。|矢印《恋心》がわかりやすくて助かるよ。
(気付いてしまったからには、無粋であってもアシストしたいのが友達心ってヤツなんだけど――)
内なるチェスターが、宛らホームズの如くに顎に指を置いて沈思する。
そういった思惑が透けてしまうのは全く本意ではないし、|スマートではない《あまりにダサい》。これはあくまでアシストであり、ピッチの主役は彼女らなのだから。
そしてふたりに怪しまれてしまうのもナンセンス極まりない話だろう。あくまで自然に――そう、これは極秘のミッションだ。
「そうだ、絶叫系から行かない?」
思考はほんの数秒に過ぎない。
いつもの笑顔を屈託なく浮かべたチェスターが提案すると、蒔生の顔がぱあっと輝いた。
「やっぱジェットコースターかな!? チェスターさんもそう思う!?」
「最初からメインディッシュみたいなアトラクションへ行くのか? とは言えどういう順番がセオリーなのか、僕はわからないんだが」
周囲を観察するに、結構な人数が絶叫系と呼ばれるアトラクションが密集するエリアへ向かっているように見受けられた。
つまりはそれほど人気なのだろうと察して、リーガルが尋ねるように首を傾ぐ。
「え、リーガルさんジェットコースター嫌なの? 苦手? もしかしてああいうの駄目!?」
ガーン、と大きな文字が背面にポップしそうな表情の蒔生が、両手で掴むリーガルの袖をぶんぶん揺らして縋り付いた。
為されるが儘に揺らされつつ、違うそうじゃない、と彼女の表情を曇らせまいとして、リーガルがすかさず口を挟む。
「別にそういうネガティブな理由で遠回しに敬遠した訳じゃな……ああもう、揺らすなってば」
大丈夫だから、一緒に行くから、と暴走している蒔生を宥め賺すリーガルをにこやかに見つめつつ、ひとまず一旦彼女の対応を全部リーガルに投げたチェスターが、ぴ、と指先を立てた。
「ほら、最初にヤバいのを制覇すれば後々楽になるでしょ? 思い切り叫んでスッキリしたところで、ゆっくり系のアトラクションに行ったっていいし、何か食べに行ってもいいよね」
とりあえず行こう、とふたりの背を促すようにして歩き出す。
遊び尽くすまで出られないと言えど、時間が無限にある訳ではない。アトラクションの待ち時間にホット・スナックを齧ったり、お喋りを心ゆくまで楽しむのもひとつの遊び方だが、まどろっこしいのは気分じゃあない。
さっさと動いたのが功を奏したのか、然程並ばずに順番が巡ってくる。
途中で大きく一回転するスリリングなコースがウリの、この遊園地の|メインディッシュ《目玉アトラクション》だ。トップスピードで翔ぶように駆け抜けるうち、心の準備をする間もなくカッ飛ばされるのが中々にイイ、らしい。
(――やっぱり俺は|ツイ《・・》てるな、)
自分たちの前に並ぶ人々と、それから忙しなく戻ってきては人を乗せて出発するコースターを身を乗り出して見遣ること暫く、にやりとチェスターの口端が静かに擡げられた。いやツイてるっていうか、憑いてるっていうか、どっちかって言うと憑く側なんだけれども。
置いといて、だ。
「これ、同じ列に乗れるのは二人までみたいだね。俺はひとつ後ろに座るよ」
ああそう言えば、なんて冠に付きそうな軽い調子でチェスターが言う。ここまで見た中ではどのポップコーンのフレーバーが気になるかを熱心に話していたリーガルと蒔生が、きょとんと瞬いて彼の方を振り返った。
「え、三人並べないの? でもチェスターさん、前に座りたいとかない?」
気遣うように眉尻を下げる蒔生に、ううん、と笑うままチェスターが首を左右に振る。
「俺はいいよ、初めての人に是非堪能してほしいし。せっかく最前列に座れるんだからさ!」
そう――運の良いことに、丁度目の前のグループで一度区切られる様子だった。
ジェットコースターの最前列に隣り合って乗り込むだなんて、それだけでラブ・ロマンスの出だしの一文が書けるシチュエーションじゃあないか!
「…………」
内心で満足気に肯くチェスターに向け、じと、と睨め付けるようなリーガルの眼差しが突き刺さる。
「……何か妙なことを企んでいないか?」
「エッ何がぁ?」
白々しすぎたかもしれない。
「絶対企んでるだろう、おい。――後ろから脅かすのはなしだからな」
白々しすぎて自分でも若干冷や汗をかいたが、リーガルはそれを別方向へ受け取ったらしい。
安堵を気取られないようにしながら、チェスターはとんでもない、と戯けたみたいに肩を竦めた。
「そんな子供みたいなことしないってば! ほらほら、早く乗らないとお姉さんが困っちゃうし」
既に眼の前にはコースターが停車していて、開いたゲートから他の列にも客が乗り込んでいる最中だ。どうぞお足元お気をつけくださーい、と明るく微笑んでくれる係員の案内に従い、最前列にはリーガルと蒔生が、その後ろにチェスターが滑り込む。
「ねえこれストッパーかかってる?」
「かかってる」
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫」
「落ちないよね!?」
「落ちない」
遊園地に入った直後あたりから実はずっと|そう《・・》なのだけれど、蒔生の手はぎゅっとリーガルの腕を掴んだまま離さない。寧ろここに来てその握力は出力が上がる一方だ。
チェスターからの|お膳立て《パス》も華麗に気付かずスルーして、まだ動いてもいないというのにあわあわと前方と隣とを引っ切り無しに順繰りで見つめている。
矢継ぎ早に向けられる不安と怯えをひとつずつばっさり斬り捨てながら、二人分の安全バーやベルトをしっかり確認し終えたリーガルが、ちらと双眸を擡げて蒔生を見た。
――あんまり不安がるようなら、少し向き合って落ち着けてやった方が、
「ねぇ二人とも聞いてる!?」
「こっち向いて大声出すな」
鬼気迫る涙目で言い募られて半眼になった。
「急に怖くなったんだから仕方ないじゃん! リーガルさんとチェスターさんはお空に馴染みあるかもだけどわたしは地に足つけてしか生きてないのっ!」
雛鳥がぴいぴい喚くように、蒔生が早口で更に言い立てる。賑やかな遣り取りに係員のお姉さんの肩はちょっぴり震えていたし、後ろで金髪もふるふると小刻みに揺れていた。
どうせ笑いを堪えているに違いないと察し、文句のひとつも投げてやろうかと後ろへ向けリーガルが口を開きかけたところで、がこんと軽やかにコースターが動く。
「ひっ、動いた!」
「そりゃ出発するんだから……、蒔生、舌噛むぞ」
いってらっしゃーい、と明るく見送られて走り出す。
滑り出しはゆっくりだったが、レールの上を走り出すうちにすぐに加速した。ぐ、と風と重力に座席へと押し付けられ、リーガルの鼓動が僅かに跳ねる。
「――、」
吐息が感嘆のかたちで溢れた。
翼が生えて飛ぶようになったのと、以前は航空機の飛行訓練を受けていたのもあって、リーガルにとって絶叫系は|割と《・・》平気な部類だ。
景色を愉しむ余裕すらありそうなリーガルと同じく、チェスターの恐怖心もそう色濃くはない。このくらいのジェットコースターなら、生きていた頃だって笑って乗りこなしていたのだ。
三人を乗せたコースターはあっという間に加速を果たし、一回転へ向けての準備運動の如く山なりのレールへと差し掛かる。態とらしく減速してからぐ、とその頂点を乗り越えて――
「ヒッ、」
蒔生の息が引き攣った。
「きゃあああああっ!?」
「っぐ、――ああああああ!」
「――うわあああ!?」
結果的には三人分の悲鳴が心地良くユニゾンを為し、他の大多数の悲鳴の一部として園内に彩りを添え、誰かの『おーやってんなぁ』に見事昇華された。
機体から発せられる轟音と共に、幽体の時では感じ得ないとんでもない|G《重力》に内臓を捩じ切らんばかりに押し潰されたチェスターが、思わず安全バーをも無視するほどの全力で以て前の席のリーガルの首元にしがみついたのがまず、ひとつ。
突如として予測していない方向から力が加えられたことに死ぬほど吃驚したリーガルが、ふたつ。
「うそ、こんな垂直とか聞いてな……ぃやあああああッ!!」
「おいチェスター! 不意打ちとはひきょ、――ああぁ耳がアァこらァ! 蒔生!!」
あんまりにも垂直に――というのは蒔生の言い分であって、このあたりはまだ一般的ジェットコースターの範疇をはみ出ないものではあるのだが――落ちるコースターに、大音量大声量ビブラートでかました蒔生の悲鳴が、みっつ。
「だってぇぇまだ早いじゃんンンチェスターさん何してんの!?」
大回転に向けてご機嫌にスピードを上げていく中、その轟音に負けじと喋るものだから最早何が何だかわからない。そんな中でも後ろから、コースターに取り憑いている霊の如くリーガルの首に縋り付く手を見咎めた蒔生が喚く。
「いやマジでごめん! 絞め殺すとか祟り殺すとかそういう訳では決してなくてそういうつもりじゃなくて、何かあってもリーガルなら飛べ――るぁアああ!」
ばふ! と柔らかく膨らんだリーガルの翼に押し潰されて悲鳴がむにゅむにゅになった。背後から突如としてしがみつかれたのだ、防衛本能が働いた翼がこのように大袈裟に膨らんだとて仕方のないことである。
ついでにチェスターの頭から、自身もちゃんと飛べるという事実がすっぽ抜けているのも仕方のないことであろう。
「ぅわ、おい、ッちょ、せっかく頑張って畳んでた翼が開ッ、」
「うわやばリーガルさん翼! 翼!! ねえもう一回転が迫ってるよぉ、あぶなあああああ――ッ、」
立派な翼が骨組みを掠めそうになる様を眼前で見る羽目になり、蒔生が上擦った悲鳴を上げる。
が、問題はそこではない。今思い出さなければいけないのは、このジェットコースターにはぐるりと大きな輪を描く一回転が備わっている、ということで。
――もう目と鼻の先に、その目玉が迫っている、ということだったのだ。
木陰のベンチに、ぐったりとした様相でチェスターとリーガルが腰掛けている。
紳士にあるまじきだらけようのチェスターと、普段は艷やかな翼がすっかり萎れて窶れているリーガルの、その眼前には息を切らしながらもきらきらと輝きを讃えた蒔生が立っていた。
「ぜぇ、はぁ……叫び疲れた……。ね、ね、なんか飲も? ポップコーンも食べよーよ!」
疲れた、と口にはすれどどこか遣り遂げた顔だ。そりゃあんだけ気持ち良く叫べばな、と言いたげにリーガルの視線がちょっぴり擡げられたが、力尽きてまた落ちた。
「ポップコーンはいらない……」
「俺も……」
男性陣ふたりからギブアップめいて返ってくる言葉に、蒔生がえー! と驚いた風に声を上げる。
「二人とも食べないの!? 仕方ないなぁ、じゃあわたしが飲み物買ってきたげる! 水……はこの近くになさそうだし、ソーダでいい?」
きょろきょろと周囲を見回して、フードワゴンを見つけた蒔生が掌で庇を作って様子を伺い、そう告げた。
ぐったりしたチェスターが片手を挙げる。
「俺は水がほしい……」
「だからないんだってば! ほらほら元気だして、まだ乗るものいっぱいあるよ! んじゃちょっと待っててね!」
明るく却下した蒔生は、手を振ってから元気良くワゴンの方へ駆けて行った。
あれだけ叫んでいたと言うのに、すっかり忘れた顔でぴかぴかに楽しげに笑っている。眩しかった。
「――…………、」
はあ、と重たい溜息がリーガルの唇から漏らされると同時、彼の身体がベンチから浮き上がる。
端の方がほんの少しばかり色付き始めた葉の隙間から、秋めく黄金色の陽射しが彼の身体をまだらに転がり落ちていった。
「チェスター。あの調子だと、蒔生は次も絶叫系を選ぶぞ」
「かもね。――リーガルもどこか行くの?」
げんなりした響きで以て呟いたリーガルが、けれどゆっくりと歩き出す姿にチェスターが瞬く。
あれ、とリーガルの指先が蒔生の向かう方を示した。
「ひとりにさせらんないだろ」
――視界の先では、追いついたリーガルに肩を叩かれた蒔生が、飛び上がるほどに驚いてから何事か言葉を交わし、楽しげに口許を緩ませているのが見えた。リーガルの表情は見えない。
ただ、蒔生の顔があんなに幸せそうに蕩けているのだから、きっと似たようなものに違いないのだろう。
あっという間に一人きりになったベンチにぽつんと座って、はーあ、と巨きな溜息がその場に染みる。
少しばかり行儀が悪いが、三人分の場所を確保しておかねばならない。足を高く組み、両腕でベンチの背を抱いて、矢張り紳士らしからぬ仕草でチェスターは天を仰いだ。
「もしかして俺のアシスト、なくても良かったんじゃ?」
唇は笑っている。
柔らかな秋の黄金を懐く澄んだ青空ばかりが、孤軍奮闘を果たした彼を労うように薫風を寄越した。
――遠くで、錠の外れるような音が能力者たちの耳許へ届く。
遊び尽くして心地良く疲れ果て、もう歩けないと笑う儘に囁いたなら――そこがこの『|ヴンダーカンマー・ランド《なんでもある遊園地》』の閉園時刻だ。
第2章 集団戦 『夢守仔・ネムリエル』
●樂しい時間が終わっても
「やー助かった! ありがとねー!」
遊園地で遊び倒すだけで良いとは言え、ダンジョンでの要救助者を発生させた――と言うよりそのひと本人であるところの|迷宮配信者《ダンジョンストリーマー》・スライムハンター子は、同じく漸く出口に辿り着けてほっと安堵しきりの|仲間《スラ友》たちと共にお礼を告げて、意気揚々とダンジョンを後にする。
出口の為に大きな門扉を解放した園内は|そういう《・・・・》仕組みであるのか、すっかり『夜』が訪れライトアップが為されている。
晴れ渡っていた空はあっという間に暮れ泥み、端から浅い墨色が秋めく夜に染め上げた。動きを停めた観覧車はあざやかに金と白のグラデーションで光彩を粧し、無人のメリー・ゴー・ラウンドはそれ自体がまるで冠のようにちかちかと耀いている。
物淋しい、然しどこか明日を想わせ前を向けさせたがるようなメロディ・ラインのオルゴールは、どこからともなく園内に漂う『|閉園のお知らせ《本日はお越し頂きありがとうございました》』だ。
――どうして?
柔い声でなにかが囁く。
あどけない問いかけは、ちいさなこどもがそうするかのような物言いだ。
甘い馨りが鼻腔を擽る。
やわらかな尻尾が視界の端をひらと翻る。
――ずうっとここであそぼうね。
――つかれたなら、いいこでおやすみ。
アンバランスな闇と光の明滅に没む|閉園後の遊園地《ゆめのおわり》に、ちいさな影が幾つも浮かぶ。
優しい夢を振り撒くものは、けれど望まぬ睡りを齎す悪夢と成り果てた。
嗚呼、こもりうたが聴こえる。
●マスターより
第2章では、『作戦3.ダンジョン攻防戦』が選択されました。
大魔王の復活に呼応し、ダンジョン内部であるこの遊園地にも敵の軍団が発生しています。
閉園後の暗がりに沈んだ遊園地内から敵が外へと出ていかないよう、ここで迎え撃ってください。
ダンジョン内ですので、周囲への影響は心配せず、のびのび戦って頂いて大丈夫です。夜の風景になっていますが、園内はライトアップが施されているので視界への悪影響はありません。
尚、スラ子さん達ご一行は無事に退園しています。巻きこまれることはありません。
●例えば同世代の気軽な話
ジェットコースターの足許から、ひとりぶんの影がひょいと離れて歩き出す。
影は途中で、蝋燭の炎を吹き消す如くに掻き消えた。外した銀環を大事にポケットの内側へ滑り込ませながら、つい数時間前とは様変わりした風景を肩越しに振り返る。
見送る側は慣れっこだ。星の輝くように光を得た園内に、柔らかくとも不穏を振り撒く|駄々っ子《敵性存在》たちを認めたチェスター・ストックウェル(幽明・h07379)は双眸を眇めた。
「チェスターか」
どう出ようかとシミュレーションを思考する最中、名を呼ばれて瞬く。
置いてきた|二人《バカップル》がよもや追い付いたのか、だとしたら巧いこと言い包めて撒かないと、と一瞬でそこまで考える――が、視線の先にまみえた男に拍子抜けしたように声を上げた。
「……って、誰かと思えば夜宵じゃん」
金の眼差しを受けた天使・夜宵(|残煙《ざんえん》・h06264)は軽く片手を上げ、周囲への警戒を解かぬ儘でその傍らへと歩み寄る。
|幽体《からだ》を軽やかに操るチェスターが、戯けた風に肩を竦めた。
「任務の一番おいしいところはもう終わっちゃったよ?」
「……別に、オイシイとこは終わってても構わねぇけどよ」
淡く雰囲気が撓み、あざらかな紫が細く眇められる。
「そういえば、リーガルと蒔生と一緒じゃねぇのか?」
確かこの三人で意気揚々と行楽――もとい任務に出掛けた筈だったが、と夜宵は眼差しで周囲を撫ぜてそう語尾を上げた。然し見慣れた人影は近くに見当たらない。
「あの二人なら放っておいてもくっつ――、」
おっと、と態とらしく唇に指先を立てる小粋な仕草が挟まって。
「――まあ大丈夫さ」
「お前がそう言うんなら、そうなんだろうが」
チェスターの口端がにま、と意味有りげに持ち上がったのを見て、相槌の延長のような滑らかさで夜宵の片掌がホルスターに掛かる。喋る口調に揺らぎはなく、然しその|紫色《義眼》は油断なく前方を見据えていた。
「あとは|彼ら《・・》を宥めるだけ」
チェスターが謳う。
夜宵の視線の先に何が在るかは見ずとも解る。
「とりあえず、倒すだけでいいなら簡単な仕事だな」
衒うでもなく当たり前のように呼気と共にそう告げて、夜宵の手が|愛銃《義焔》のグリップを掴み即座に構えた。視界から同期する座標を得たそれは、真芯で捉えた|保育端末擬き《悪夢を招く玩具》を躊躇いなく撃ち抜く。
「夜宵はそういうの得意でしょ?」
笑いながらチェスターが後ろへ飛び退るのと同時、夜宵の片腕が空を薙ぐように大きく振り翳される。
反動を利用した仕掛けが作動する音が響くと共、星めく周囲の光をちかちかと反射しながら細い何かが闇雲に放たれた――否、瞬きの寸前まで何の影もなかったその空間に、仲間の撃墜を感じ取った新たな個体が迫っている。
鋼糸を空で手繰った夜宵が、事もなげに|それ《新手》を絡め取って引き寄せた。
「なんだ、子供の玩具の忘れモンか? どこぞの映画宜しく、閉園後はパークで遊び放題って?」
漏れる溜息と共に呟いて、手の中でくるりと発砲の衝撃をいなした銃をホルスターに引っ掛け序で、流れるように太刀を抜き放つ。鋼糸に捕った個体を一太刀で斬り捨て、視線も遣らぬ儘で夜宵が呼んだ。
「チェスター」
「|わかってる《All right!》」
軽やかにいらえると同時、派手な破壊音と共に電灯が明滅した。美しい装飾を提げたそれはひしゃげ、ばちばちと爆ぜる鋼の塊と為ってチェスターの指揮に合わせ空を舞う。
――くん、と下を示す指先が向けられたのは、夜宵のすぐ斜め後ろだ。
「……なら、この遊びは終わらせてやる」
忍び寄っていた個体が電灯に拠って潰れた御蔭で、夜宵の振る舞いを妨げるものは何もない。
瞠る視界に得意げなチェスターを据えれば、その後ろにはまだ増援が増える一方のようだ。
「遊園地で暮らすのはイカしたアイディアだけど、」
チェスターの視界は開けている。見えぬ己の後方に夜宵の眼差しが向けられている以上、そちらの心配は必要ない。
取り出したスマートフォンが、場違いに浅いシャッター音を響かせる。
撮れたばかりのそれを同僚宛のメッセージに添えながら、たたた、と操り慣れた指先がキーボードをタップした。『ありがとう、パパに会えたよ』――オーケイ。
「遊園地に行くっていう楽しみまで手放しちゃうのは、すごくもったいなくない?」
首を傾ぐその金髪が、背面からの風で揺れる。
鋼糸で絡め取られた個体が薙ぎ払われる、その剣圧はささやかな突風すら生むのだ。
「お前みたいなやつからしたら、勿体ないかもな」
刃を番える音は相槌めいて気軽だった。
「――てか、ここに暮らしたとして落ち着かねぇから遠慮してぇな」
確かに、と笑う声が返る。
●駄々なんて捏ねてないで
ちかちかと弾けるような洋燈の瞬きは、星の謳うそれではなくて単純な光の明滅に過ぎない。
それでもまるで、夜空が奏でるみたいな景色だった。天井を塗り込める藍色と銀の星々は、ダンジョンの投影する偽物であると云うのに。
「昼間とはまた違った彩を見せていて乙なものだなぁ」
すっかり顔付きの変わった園内を見回して、トゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)は感嘆混じりの笑い声を零す。
「光と織りなす遊具の風景も嫌いではないケドねぇ」
緇・カナト(hellhound・h02325)が相槌めいて呟いた。
その双眸がトゥルエノを見遣る。
「トールは回転木馬を満喫したかい?」
「勿論! ……然し、遊び足りないのも居るようだ」
遠くを覗き見るようにして掌で庇をつくるトゥルエノの見遣る先、夜めく闇と光に没む園内には柔らかな尻尾がふわりと舞う。追えば遊びたがるように跳ねる、いつか|保育端末《夢をみせるもの》として生まれたそれらが影を落とした。
「帰る前にお仕事まで出てくるとはなぁ……そろそろ帰ろうか~、なんて言い出すタイミングにはぴったりだったのにね」
やりますかぁ、とカナトは首を鳴らして前を向く。
ポップコーンで膨れた腹ごなしにはお誂向きだろう。
「閉園のお知らせも聞こえていないようだしなぁ」
家路に着くどころかまだ遊ぶのだと駄々を捏ねるそれらを笑い飛ばして、ちかちかとトゥルエノの身体が明滅を纏う。
否、それらは洋燈がそうするような可愛らしいものではない――ちかちか、ばちばち、あっという間に爆ぜるよう烈しさを増した光は即ち雷霆だ。
夜闇にトゥルエノの輪郭が浮き彫りになる。髪の先が雷の圧を受けてぶわりと膨れた。
「暴れ回るのは程々にな~!」
雷撃の音に負けぬ声で主たるカナトにそう声を掛け、トゥルエノに従順な投槍が雷を纏う。
「ひとの事を暴れん坊みたいに言わなくてもなァ……まぁイイか」
ちらと物言いたげな視線をトゥルエノに寄越すが、否定しきれないのもまあ、事実だ。
その片手がつと掲げられ、徐ろに空を啄んだ。
そう、丁度、狗が齧り取るような影が生まれる。
「綴られし記銘を遂行せよ」
号令に違わず大口を開けた足許の影が、闇色に揺らぐ獣の口と牙に拠ってカナトを捕食する。
地中から喚ばれたそれが頭の先まで丸呑みを果たすと同時、変質を得るように輪郭が歪曲してカナトの形に従うのだ。その片手には大鎌が顕れ、首を傾げる夢守仔たちが|そう《・・》と気付く暇すら与えず劣悪に薙いだ。
躊躇いなく刈り取られ、ばぢ、と爆ぜて幾つかの個体が消失する。
「脆いなァ。それじゃあ|ずっと《・・・》は無理だろうよ」
笑うカナトの声にいらえるようにして、新たな個体が悪夢のごとくに湧き出てくる。成る程、辛うじて生き残ったものが呼び寄せたらしい。
「楽しい時間はずっと続くものではないからなぁ」
確かにと呼応するトゥルエノが、征け、と投槍を射つ。壊れかけだった個体はそれで呆気なく沈んだし、喚ばれたばかりの個体も幾つか穿たれ何も出来ずに墜ちてゆく。
「振り返って、また遊びに来たいという想いが良きものであり、次を作るのだと――おっと!」
反撃めいて向かってくる個体を難なくいなし、トゥルエノが飛び退って|スティレット《Levin》を構えた。身構える隙を赦さず粒子状のレーザーが放たれ、またひとつ焦げた夢の残骸が墜落した。
「ゆっくり安心して眠りに着くには、家まで帰るに限るよなぁ」
油断なく大鎌を振るうカナトがしみじみ口にする。
心ゆくまで非日常を楽しんだのなら、それを大事に反芻しながら一日を終えるべきだ。
確かになぁ、とトゥルエノもいらえて肯く。カナトの刃から毀れ、或いは運悪く生き残ってしまったものを、雷槍で穿ち潰えてゆくのが今宵の仕事だ。
「やはり家に帰ってから寝る方が良いと思う……!」
周囲が静けさを取り戻すまで、そう時間は掛からない。だよねぇ、とカナトの呼気が笑う色で揺れた。
「ほら、家に帰るまでが遠足とかって言うじゃない?」
――ならば、ずっとここにはいられない。
夢を背にして、帰らなければ。
●きょうの日をむすんで
眼前の夢守仔たち――いつか|こどもたちの友人《保育端末》として生まれた筈のそれらは、最早悪夢への導き手と成り果てた。
閉園を遂げた園内は闇に没むというのに、絶えぬ灯りが美しくもあり、然しどうしたって淋しいのだ。さあお帰りと促すような、儚いメロディ・ラインの音楽がそれに拍車を掛けていた。
「――帰るまでが遊園地なら、今日は楽しかったねでお終いにしなくちゃ」
覚醒めを前にした夢の末尾の如き光景に、夕星・ツィリ(星想・h08667)が憂う色で囁く。
傍らに並ぶ架間・透空(|天駆翔姫《ハイペリヨン》・h07138)もまた、ええ、と肯きいらえて眼差しを擡げた。
「とっても名残惜しいですけど――楽しい時間というのは、あっという間に過ぎ去ってしまうもので」
居並ぶ少女たちは可愛らしい制服に身を包む。
たくさん写真を撮って、たくさん笑って、想い出のストレージをぱんぱんにして――だから、それが最後まで続きますように。
「貴方達は、此処から外へは行かせられない」
夜闇に一迅、星が燦めき駆けてゆく。
否、それは翻る星色の髪だ。夢守仔たちが取り囲むように待ち構えるその只中へ、臆することなく星が耀く。
「その代わりに、見せてあげる」
くるりと踊るように身を翻すツィリの手に、海底より齎された|神槍《トリアイナ》が祝福めいたひかりを得て掲げられた。
偽りの夜に投影の光は在れど、|真実《ほんとう》の星は耀くまい。それでもツィリがそのちからを揮うなら、空から降る星々のさざめきだって生まれ得るのだ。
「数多の流れ星――流星雨に抱かれて眠りについて」
さんざめく。
喚ばれた流星雨は白熱し、光量をちからに換えて夢守仔たちを灼いてゆく。到底止む気配のないその流れ星の群体に、群れ集まっていた筈の夢守仔は蜘蛛の子を散らすよう逃げ惑う。
――然し、降るものは何も星だけではないのだ。
「もう少しだけ、夢見心地気分を味わわせてくださいね」
透空の愛らしい唇が、つとその両端を擡げて微笑んだ。
「――決戦気象兵器、起動」
ツィリの後方で凛と通る声がそう唱えると同時、|天候操作端末《ハイペリヨン》が透空の背に大きく翼を與える。
天井に作りものの空色を投影し、空調と照明とで完璧な季節感を演出するダンジョンの仕組みだって、空気が在るのならば介入することは造作もない。
大気中に満ちる水分を撚り集めて凝縮し、跳弾めいて乱反射する|驟雨《スコール》の弾丸はウォータージェットだ。星の燦めき降るのに雨が入り乱れ、光を呑んだそれがきらきらと幾重にも耀いている。
間断なく降り注ぐそれらは確実に個体の数を減らしてゆく。
……が、掻い潜って逃れ、増援を招こうとするものだって無論、居た。
「外へ行かせるわけにはいかないって、言ったはず」
綺羅星の如く剣先で光を撥ね返すツィリの|レイピア《綺羅》が、無防備に背を向ける夢守仔を貫いた。
然し、そうやって零れ落ちる如くに逃げようとするのは一体に留まらない。制服の裾を華やかに翻し、ツィリが声を張る。
「透空ちゃん! そっち行きました!」
「おっけーです、ツィリさん!」
テンポ良く声が繋がれ、同時に空間を縦横無尽に乱反射していた雨粒の弾丸が軌道を変え、かたちを作る――この場から出ていく事を禁じるように水は檻を編み上げ、行場を喪い狼狽する個体が星と雨に拠って撃墜された。
「……私は|怪人《バケモノ》だから、綺麗な夢を見せてあげることはできませんけど……」
淡く双眸を眇めた透空が、独りごちるように囁く。
ツィリの喚び招いた星は言わずもがな美しい。
そしてそれが美しいからこそ、この遊園地という場に光が満ちているからこそ、輝きを呑んだ透空の雨もまた、ひかりかがやき燦めくのだ。
「折角のツィリさんとの、制服遊園地ですから。今日は楽しいままで終わらないと!」
ストレージはきらきらで満ち足り、穢れの蔓延る隙間などありはしない。
透空の声に、ツィリの唇が綻ぶように微笑んだ。
「その為に――眠りなさい」
|空を満たす美しいもの《星と雨の導き》が、睡るしじまを夢見るものたちへと齎してゆく。
●花散るような
叶わぬ『|もしも《if》』を光の滲む閉園後の遊園地へと重ねている。
――もしも、自分がもっとこどもで。
――もしも、そこに|彼ら《幼馴染たち》もいたのなら。
いつか|こどもたちの遊び相手《保育端末》として求められた夢守仔たちが誘うように、『ずうっとここで』遊ぶだなどと云う荒唐無稽な夢物語も、魅力的に思えたのだろうか。
「生憎、俺は大人になってしまったし」
停まったメリー・ゴー・ラウンドが耀く冠を頂くさまを一瞥して、篭宮・咲或(Butterfly effect・h09298)は密やかに息を吐いた。溜息の色をしていた。
「此処にはあの子たちもいないから、此処はもう卒業」
柔く琥珀が撓む。こちらを緩慢に振り返り、笑みの滲む咲或のその口許を一瞥した藤代・玲慈(|桜香の守り手《Cage de Cerisier》・h12755)は、然し周囲への警戒を緩めることなく背筋を伸ばす儘にいらえよう。
「卒業したからといって、遊んではいけないわけでもないでしょう」
否定に角はない。どこか自虐的な雰囲気が薫る咲或の言葉を、そうやって穏やかな所作で抑え込む。
ふ、と玲慈の唇が綻んだ。今日の一日を思い出すように、――『楽しかったこと』とラベリングしても違和感のないような記憶をそっと、辿って。
「……もっとも、今日はもう十分遊びましたが」
「確かにね。それに俺の性格上、ずーっと遊んでたら帰りたくなくなっちゃうかもしれないし」
あはは、と咲或が軽く笑う。
その声につられた――という訳でもないのだが、遊園地内を無数にうろつく夢守仔たちの視界にはすぐ捉えられてしまったらしい。音なくふわりと華やかな尾を揺らして翔んでくる幾つかの個体に、咲或の眼差しが擡げられた。
「結構ポップコーンも食べたことだし、腹ごなしには丁度いいくらいじゃないかしら」
ぐ、ぐ、とその場で軽く準備運動らしき動きを行う。
言葉を受け、その様子と集まり来る夢守仔とをちらと見た玲慈が、肯く代わりに浅く肩を竦めてみせた。
「玲慈、しっかり体動かすのとほどほど、どっちがお好み?」
「そうですね、……食後の運動程度に、程々でお願いします」
思考する間がほんの少しあって、視線を投げ上げた玲慈はそう応える。
まっしろい塊がマシュマロの如くに弾みながら駆け抜けていったのは、ほどほど了解、と緩く返答が返ると同時だ。
「何をやるのかくらいは事前に教えてくださいよ、あなた」
「ごめぇん」
視線の先で|使い魔《あめちゃん》が四つ足で駆け回り、夢守仔たちを追い立てる様を見遣る玲慈が、揶揄混じりの軽い声音で咲或を突付く。
ちっとも悪びれず笑う彼を背にして、玲慈が地を蹴った。ああは言ったが、意図するものなど直ぐに察せられるのだ。
牧羊犬の如くに走り回る白狐に負われたそれらは、為すすべもなく戸惑いながらひとところに集まり始めている。群れの中に突っ込むのは自殺行為にも等しい愚行ではある――あるが、それは何も持たない無策ならば、という話だ。
「これだけ集めて頂ければ、充分」
自分たちの群れの中へと飛び込んできた玲慈の姿に、夢守仔たちが色めき立つのが雰囲気で知れた。
――どうしたの、いっしょにあそぼう、ずっと、ずうっと!
喧しい誘い文句も不協和音じみた子守唄も、然しその只中に居る玲慈に向けて襲い掛かることはない。
「どう? いい感じで具合良かった?」
笑う語尾でそう声を掛けるのは咲或だ。
ふわりと薫香が漂うと同時、その傍らにふっ、と瞬きめいて空間の微細な歪みが発生する。ほんの一瞬前まで夢守仔たちの只中にいた玲慈が、背筋を正してそこに在る。
囲っていたものはどこへ、と夢守仔たちが辺りを見回す余裕はない。否、与えられない。
玲慈のいた空間から四方八方へと鋭く射抜くごとくに伸ばされる枯れ枝が、その個体を容赦なく幾重にも貫いたが故に。
「ええ、中々宜しかったです。……さて、油断せずに」
体勢を立て直す暇などくれてやる訳もない。間断なく降り注ぐ二人分の追撃に、ひとつ、またひとつと夢守仔が壊れ、崩れ壊れるように墜ちてゆく。
仕上げの如くに舞い散るのは金を映すあざやかな花弁だ。遊園地を照らす灯りすら飲み干して、苛烈に光って視界じゅうを灼いた。
「食後の運動には、些か絵面が派手かしら」
●明日もあなたと倖せを
「ハジメテの遊園地はいかがでした?」
その表情の片鱗に確かな楽しさの名残りを色濃く残し、徒々式・橙(|花緑青《イミテーショングリーン》・h06500)は傍らの彼女へ向けて優しい声色でそう尋ねた。
「とっても楽しかった!」
そのばらいろの頬に尚健康的な血色を透けさせ、きらきら耀く満面の笑みでリリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)はいらえる。
「でもね、乗りたいアトラクションもまだあったし、遊び足りないくらい。でも、もう閉園の時間なのね」
時間は有限ではないのが惜しいところだ。
あれもこれもと名残り惜しく指折り数えあげるリリアーニャは、けれど園内に流れる閉園時間を告げる音色にほんの少し淋しさを滲ませる。眦を和らげて頷いた橙が、ふわふわのカチューシャが揺れる頭をそっと撫でた。
「後は遊び疲れの睡魔を我慢しながら、胸いっぱいの思い出をお土産に帰るだけ……の、筈なんですが――」
然し、それを阻むものが――いつか|こどもたちの遊び相手《保育端末》として世に送り出される筈だったものたちが、終わらぬ遊びに引き留めようとふたりを取り囲んでいる。
家に帰るまでが遊園地だと云うのなら、これが最後のアトラクションなのだろう。望むものではないにせよ、だ。
「ちょっと貴方がた、うさぎさんとの思い出を邪魔しないでいただけますか?」
心のなかに『たのしい』だけを詰めて持ち帰るには、現状はあまりにも似つかわしくない。声の調子に厳しさを混じえた橙が、|花束《銃剣》に装填するのは“暗黙”だ。
「デートを台無しにされるのはごめんなの」
はしゃいで遊んだ疲労は心地良く全身を淡く食み、然しそれに甘んじてはいられない。傍らの橙が銃を構えるのと同じくして、リリアーニャの足許の影がゆらとその輪郭を波打たせる。夜に黒薔薇が咲き誇るのは道理だ。
「|夜《闇》はわたしの領分だもの」
闇のなかに留めようとする夢守仔たちの願い通り、そこに易々と飲まれてなどやるものか。
足許の影は膨れ、そこから這わされる幾本もの黒薔薇の蔓が無防備な夢守仔たちへと真っ直ぐに向かう。逃げぬようにと絡め取る動きを見て漸く、不思議そうにしていた彼らも慌て始めたように見えた。
「だめ。――どこにも逃さないのよ?」
囁くリリアーニャを背に庇うよう凛と立つ橙が、慣れた所作で銃口を擡げる。
「一緒に迎え撃ちましょうか、リリ」
その所作と相反して、いとしいひとへ向ける声色だけは甘くて柔い。
愛すべき黒薔薇が報われない問い掛けをするたび、橙の裡へと“祈りの澱”が積もりゆく。貴方を確かに害するものが、削り取るものが、転じて貴方を護るものに為り得るのだ。
リリアーニャの黒薔薇に拠って囚われる夢守仔たちを、橙の番える銃から放たれた弾丸が的確に撃ち取ってゆく。
――貴方の悪夢が、貴方のための悪夢になる。
『どうして』
『ずうっとここで、あそぼうよ』
ノイズ混じりの音声は、壊れかけの夢守仔たちから発せられるものだ。
魔導書の頁を繰る指先をほんの僅かに引き攣らせ、リリアーニャは眼差しを伏せた。眉尻が淡く下がり、碧い眸がちらと翳る。
「……ええ、そうね」
ずっと、ここに。
それは誰もが一度は願う事だ。楽しかったあの日に、嬉しかったいつかに、倖せだった過去に――|それ《・・》が終わってしまうことが、酷くこわい。
「聞いて」
沒みかける思考の迷路に、けれど一筋光が差した。橙の声をしていた。
瞬き見上げるリリアーニャの眼差しの先には橙が微笑んでいて、彼の後ろには丁度、冠を被ったようなメリー・ゴー・ラウンドが微睡んでいる。その幾重の光がちかちか、ぴかぴか、彼を象るように燦めいていた。
「私たちの夢は、外に出たって終わりませんから。――ねぇ、うさぎさん?」
「……っ、」
胸の裡、やわらかな部分をそっと宥めるように撫でて貰えた気がした。
おずおずと肯き返したリリアーニャが、橙の導きを頼りに再び夢守仔たちへと視線を向ける。その横顔に、眸に、迷いも憂いも翳りを齎しはしないだろう。
「でも、わたしたちの幸せはここで終わりじゃないの」
夢守仔たちからの縋るような誘いを麗しく一蹴するそのさまを、いちばん近くで橙が見ていた。
笑い返して、続きへと征こう。
「ええ、勿論です」
●迦楼羅と月の|輪舞曲《ロンド》
「ずっとココで遊ぼうだって、ララ」
どうする? とでも問いたげに肩を竦め、雨夜・氷月(壊月・h00493)が彼女の返答を求めるように身体をそちらへ傾がせる。銀の髪が金の光を弾いて揺れた。
「それだとスパイスが足らないのではなくて?」
片頬に指先を添え、氷月の方へと小首を傾いだララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は甘い声でそう呟く。
ずっとずうっと|遊園地《ここ》で。楽しいばかりの時間で満たし、現実へ帰ることなんて考えず、非日常を日常へと置き換えて――なんて、ちいさなこどもなら誰しも考えたことのありそうな。
一日はしゃいで遊び尽くして、暫く名残惜しむくらいが良い塩梅だろうに。
「俺も毎日遊ぶのはムリかなあ、きっと飽きちゃうだろうから」
「そうね、それに――ララは行きたいところも遊びたいものも、たくさんあるのだから」
自分たちの誘いが受け容れられないのだろう、と云うことを理解したと思しき夢守仔たちが、ゆらゆらと空を漂いながらふたりの周囲に集まり始める。
「ララも? んふふ、オソロイだね」
機嫌良く猫の如くに笑った氷月は、周囲の|夢守仔《駄々っ子》たちを見回して眉尻を下げた。笑ったままの唇が、その表情の読み解きにくさに拍車を掛けている。
「うーん、そんなに遊びたいの? ……ああ、でも」
双眸が笑うように弓なりに撓むと、湖面に没むようにして月色が隠れた。宵ばかりの眼差しで周囲を眺める氷月の手に、繊細な音を立てて|得物《銀片》が番えられる。柄の円環に指先を掛けくるりと手遊びに回せば、園内の燦めきを呑んだ刃が灯りのようにちかちか瞬いた。
「|今《・》遊ぶなら、イイよ」
氷月の声に、つとララの花眸が嫣然と眇められる。
|出来損ないの保育端末《夢守仔》を見遣る眼差しが、玩具を品定めでもするかのようなそれに摩り替わった。
「今遊ぶなら、お昼寝なんてしていられないわね」
夜の闇に暮れた遊園地のひかりが迸る。星結びに七曜紋が沿い、花火の如くに迦楼羅焔が顕現する。
ララを護るようにそのちいさな背に浮かぶひかりを受け、輪郭に光彩を滲ませながらいとけなく彼女は微笑んだ。舞い飛ぶ金翅鳥を指揮するみたいに金のカトラリーが回されて、――かちん! と小気味良い音を放つのは、氷月の剣先と微かに触れ合ったからだ。
切っ先を撫でるように揺らせばリィと金属が音色を奏でた。軽やかに氷月の靴裏が石畳を踏み、こちらの様子を窺う夢守仔たちへと肉薄する。たん、と一際高く鳴らされる踵は合図だ。
「遊ぼうって言ったのはそっちでしょ? ならエスコートくらいはしてくれないと」
夜闇の中とて紫陽花色の炎はくすまない。静寂と共に忍び寄り灼く炎に巻かれた個体がノイズの悲鳴を上げる横で、宛ら猫の仕草で忍び寄る|影《夜》がまた別の個体を捕縛する。合間を軽やかなステップが抜けてゆく。
「ララは何がいいと思う? 俺はダンスにでも誘おうかなぁ」
言葉通り、踊るような足運びの氷月の爪先が地を蹴り、その慣性で振るわれた刃の切っ先が夢守仔の胴を切り裂いた。
ぱちぱちぱち、とささやかな拍手が愛らしく響く。
「そうね、ララはまずコーヒーカップごっこ、とか……嗚呼そうそう、観覧車ごっこでもいいかもしれないわ?」
招くような氷月の手を取り、|夢守仔《観衆》たちが待ち構える石畳へとララの華奢な身体が放り出される。
「かごめ、かごめ、」
美しい唄声に合わせ、くるりと衣服の裾を羽根の如くに揺らしてララが舞う。|金と銀のカトラリー《窕と銀災》を神楽儀式の神具の如くにしゃらりと鳴らし、その軌道に迦楼羅焔が眩く爆ぜた。
「籠の中の夢は、いついつでやる? ――なんてね、」
花ひらく双眸が咲う。
眼前でたおやかに繰られる夢まぼろしめく光景に、反撃をひととき忘れていた夢守仔たちもはっと本分を思い出したようだ。ララの舞いを堰き止めるために子守唄を繰り広げようとして、然しそれは叶わない。
ひらりと身を翻すララの呼吸すら読み切って、その焔を隠れ蓑とした氷月が再び、夢守仔たちに銀を振り翳した。
「もうお終い?」
ララが愛らしく頬に手を添える。
「まだまだ遊び足りないわ」
氷月が笑った。まだ敵の気配は絶えない――ステージを変えれば、再演だって望み通りに。
「遊び足りないならもっと踊ろうか!」
●子守唄よりもあまいもの
夜を迎えた遊園地のなか、人工の燦めきが彼方此方から降り注ぐ。
それはメリー・ゴー・ラウンドの冠であり、観覧車のまあるい|プラチナ《白と金》であり、アンティークを模して作られた街灯の暖かな明滅だ。
アドニス・ガルダ・インファリリ(プシュケの花檻・h12904)のうつくしい肢体へ、それらが幾重にも纏わりついて輪郭を顕にしている。
「夜の遊園地というものは、どこか物寂しさを感じるね。――終わりであり、眠りであるのだと、」
頤を上げ、謳うようにアドニスが零す。
その両脇にしっかりと控えるましろの輝きと靭やかな夜闇が、それぞれの思惑に表情を変えた。
「はい。……こんなに煌いた場所なのに、ちょっと寂しく感じます」
黒瑪瑙の髪を夜風に揺らし、ラビィナ・クラウディオス(✦Onyx blood✦・h12925)は主の言葉に同調するように眉尻を下げ、心の裡をざらりと撫でる寂寞に吐息を零す。
「夜の遊園地の猊下もお美しい……うっとりです!」
金彩の髪を震わせ頬に掌を添え、ケテル・システィーナ(Ain Soph Aur・h12910)は侍る主のその横顔の麗しさへと、感嘆を溢れさせている。
視界の先には、嘗て|こどもたちの友人《保育端末》として生み出された夢守仔たちが、たおやかに尾を揺らしてふうわり浮かんでいた。小首を傾げ、ノイズ混じりに囁きかける。
――ねえ、ずうっといっしょにあそぼうよ。
「ずっと此処で?」
ふ、と笑う気配が在る。
失礼、とアドニスは綻んだ口端を隠すような所作を挟んでから、両脇へと従順に侍るラビィナとケテルの頭を柔く撫でた。
「それはできない相談だ。煩わしい事が多いとはいえ、私にはやるべき事がまだある故」
きらきらと愛を讃えた|蒼金剛《ブルーダイヤモンド》と、吸い込まれそうな輝きの|紫水晶《アメシスト》が、撫でて貰ったことにそれぞれ頬に思慕を灯してアドニスを見上げている。
ふたりを慈しむように見つめ返してから、アドニスは穏やかに告げた。
「最後のアトラクションだ。ラビィナ、ケテル」
名を呼ばれ、宝石の眸がおおきく瞠られる。
「――あの悪夢と遊んであげなさい。二度と夢など観たいと思えないほどに」
言い付かった主からの用命に、はい、と声色の違うふたりの返事が重なって響いた。
ケテルの背の純白が、美しく伸びをするように広げられる。
「かしこまりました、猊下! 猊下に悪夢など必要ありませんからね」
ラビィナの背の漆黒が、細かに震えて我が身を護るように添わされる。
「――はい、猊下の御心のままに」
それから唇をにま、と愛らしく撓ませ、悪戯心たっぷりにラビィナは微笑んだ。
「最後ならいーっぱい遊んじゃっていいよね」
主の傍を離れたふたりの|使徒人形《Seraph》が、するりと前へと歩み出る。遊園地に似つかわしい少年たちの、その気取らない足取りからは敵意は一切感じられない。夢守仔たちはふわふわと漂い待つばかりだ。
「ラビィナ、行きますよ。分かっていますね?」
「勿論。行くよ、ケテル」
ちらと交わし合う目配せは一瞬だ。
背の白翼を大きく広げ、高く跳躍したケテルが衣服の裾をそれすら翼の如くに翻しながら夢守仔たちへと距離を詰める。
「協力していきましょう!」
翳す光の大鋏がきらきらと耀くのは、その刃に周囲の光を反射し弾き返しているからに相違ない。それに毒が仕込んである事実さえ識らなければ、いっそ美しい光景の儘で終えられただろう。
ケテルはラビィナに向けてそう声を投げ、舞い踊るように猛毒の刃で夢守仔たちを薙いでゆく。ちょいと指先で突付くのはお供の|キーウィ《梔子》だ。ほらお前もお行き!
「壊れるまで俺達を楽しませてくれなきゃ嫌だよ」
前へ躍り出たラビィナが囁きを零す。
ケテルの毒刃を受けて怯んだ個体を的確に狙い、月光めいて耀く鎌を揮うたびにしゃらりと淡い音がする。金属の擦れ合う心地良い音、時折ケテルの刃と擦れ合う二重奏。
昼間は賑わいとたくさんの人影が彩った園内を、然し今はふたりの天使が駆け巡る。
そのあいなかを、――弾丸が奔った。
「――|Errare humanum est《過つはひとの常》」
アドニスの声音はケテルとラビィナにとって、天鵞絨の如き響きを持って深く響く。嗚呼、と毀れた感嘆はどちらのものだったろうか――否、どちらもだ。
放たれた弾丸に拠って、ひとつ、またひとつと壊れかけの夢守仔たちが沈みゆく。
「猊下に斃されるなんて幸福ですね」
「猊下の弾丸に斃れるならば、悪夢も救いになりましょう」
ケテルが祷る。ラビィナが寿ぐ。使徒人形とはそういうものだ。
視界を万華鏡の如き玻璃の燦めきが通り過ぎてゆく。それは翅であり、或いは幻惑そのものだ。アドニスの使役する|魔蝶《シヴィイティティ》は泰然と空を往き、夢守仔たちは為すすべもなく撒かれる惑いに呑まれゆく。
「悪夢を撃ち壊すのは愉しいな。ふふ、――嗚呼そうか、シューティングというのもありか」
言動こそ高貴の気配を絶やさぬというのに、アドニスの思考はいつか構えるべく遊園地のシミュレーションに余念がない。素敵なアイデア、と使徒人形たちから讃嘆が上がった。
「俺も負けてられません」
番える鍵杖に力を籠めて、再びラビィナが地を蹴る。
「競争ですか? 負けませんよ、ラビィナ!」
負けじとケテルもそれに倣う。彼もまたちかちかと星の如くに瞬いて光を纏い、石畳の上を明滅めいて自在に跳び回りながら夢守仔たちを射抜いてゆく。
周囲がひととき静けさを取り戻せば、また元のようにアドニスの傍らへと侍ろう。
「二人とも、よくできました」
|アドニス《主》から齎される褒め言葉はご褒美と同義だ。更にその掌が伸びてきて、それぞれの金と黒の頭を柔く慈しむように撫でられる。
「猊下、僕の方がたくさん敵を倒しましたよ!」
「猊下に嘘を言うなよ、俺の方が多かった!」
うっとりと双眸を蕩かせ話を盛るケテルに、すかさずラビィナが釘を差す。そんな遣り取りを愛らしいものを見遣る眼差しで肯くアドニスだったが、然しほんの少し目の下に皺を刻んでふと、顔を上げた。
その微細な表情の変化に、彼らの使徒人形たちも気付かぬ訳がない。
未だ壊れ切らぬ個体が、雑音混じりの子守唄を奏でている。
「――お前の歌なんかより、僕の歌の方が猊下に相応しい」
主の気分を害したその子守唄|擬き《・・》に、双眸が爛と耀くように瞠られる。否、あんなものは歌ではない。ただの雑音だ。
「俺には子守歌なんて必要ない。……|優しい夢《ノイズ》なんかじゃ、もう眠れないから」
ラビィナの眼差しはいちど伏せられ、然し相対すべく再び持ち上がる。何であろうと主の耳障りと為るのなら、それは止めるべき|雑音《ノイズ》なのだから。
彼らが再び裾を、羽根を翻し掃討に向かうのを送り出しながら、扠、とアドニスは口端を浅く引き上げた。
「|子守唄《・・・》、ね。――私を寝かしつけるには、些か|物足りない《・・・・・》かな」
●楽しかったね、また明日
遊園地で一日遊び回ったあとの疲労は、全身をこそばゆく苛んでどこか軽やかだ。
そういえばあのアトラクションからあそこまで歩き通しだったし、その後はあれを食べに反対側へ行って――なんて、思い出せばきりがない。
名残り惜しくない、と言えば、勿論嘘だ。
「――確かに名残惜しいのも事実ではあるのですが!」
眉尻を下げてシンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)は清々しく声にする。そう思っている。掛け替えのない時間だったからこそ、尚更だ。
「けれどこういうのは、名残惜しさだとか次の機会を期待する気持ちだとか、それ含めての大切な思い出ですから」
ね、とシンシアが眼差しを傍らへと向ける。
ええ、と微笑み肯き返す神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)もまた、倣うように同じ気持ちを懐いていた。
「楽しい時間は確かに名残惜しいですが、仰る通り、次の機会への弾みになりますから」
穏やかな口調の返答が、けれど一瞬ふと途切れる。指先がさらりと撫ぜたのは、本を結わえる|革紐《ベルト》だ。
「まずはこの場を修めましょう、シンシアさん」
「ええ、勿論! ここで敵の言う通りに眠る気は更々ありませんよっ!」
ゆらゆらと視界の向こうで漂い、此方の様子を窺うばかりだった夢守仔たちの帯びる気配が剣呑さを増す。
思惑通りにここに留まる気はないらしい――と、恐らくそれが気迫から伝わったのだろう。
先手を打ったのはシンシアの方だ。
「目覚まし代わりの爆音を響かせましょう!」
明るく告げると同時、指先に挟み番えるのは遊園地の彼方此方で配布されている案内図だ。パレードやショウの時間からポップコーン・ワゴンの場所まで事細かに記載されたカラフルなそれに、瞬時に霊気が充填される。
「悪夢からも一発で引き摺り出せますよ! あ、境華さんは耳、塞いでてくださいね」
放つ寸前、そっとシンシアの唇が境華の耳許に寄る。
あちらに拾い聞かれないよう配慮された仕草だったが、ほんの少し境華の肩が跳ねた。それから少しばかり慌てて、言われた通りに両掌で耳を塞ぐ。
ぴっ、と狙いを定めて真っ直ぐ飛んだ|案内図《護符》は、夢守仔たちの群れへと突っ込み、夜すら昼に塗り替えるほどの晴れやかな閃光と共に、宣言通りの爆音で弾け飛ぶ。
「なるほど、少し騒がしい位が丁度良いかもしれませんね」
耳を塞いで尚、びりびりと身体が震えるほどの音量だ。
手を下ろして納得しつつ、境華はその身に嘗ての旧い記憶を喚び降ろす。常とは感覚の違う身体も難なく扱い熟す境華の手には、先程目の当たりにしたばかりの|護符《爆音の元》が番えられていた。
尤もあの賑やかな案内図ではなく、懐に忍ばせていた白紙の頁を使い|能力《御伽骸装》に拠って複製されたものだけれど。
「――確かに。この爆音なら子守唄も掻き消せますし、閃光での撹乱も叶いますね」
躊躇わずその護符を放ち、爆音と閃光とに為す術なく逃げ惑う夢守仔たちの姿に境華が双眸を眇めた。
わあ、と楽しげにシンシアが傍らで笑う。
「いつもの二倍の音量ですねっ! ダンジョンだからご近所迷惑とか考えなくていいですし!」
「ええ、誰にも迷惑を掛けませんから。遠慮なくいきましょう」
然し爆発自体に威力はない。
強烈な音と光にくらくらと目眩でも起こしたかの如き夢守仔たちの姿を見遣って、シンシアがレイピアを構える。好機をみすみす逃す手はない。
鮮やかな剣捌きで怯んだ個体を斬り裂く彼女の姿に、境華も重心を落として刀の柄に指先を掛けた。
「シンシアさん、合わせます」
「はい、いつでもどうぞ!」
斬り結ぶシンシアが明るく招く。浅く口端に笑みを刻んで、境華の爪先が地を蹴った。間合いを読んでぴったりの場所に位置取り、集団を薙ぎ払う如くに一閃を放つ。
「閉園もド派手ですね!」
歓声めいて喝采をくれるシンシアへ向け、境華が笑うように目許を絆した。
「二人分となれば、随分賑やかな閉園時間になりそうですね」
●悪夢に背を向けて
「……綺麗ね」
夜の裡、滲む光がプリズムめいて端からきらきら燦めいている。観覧車を飾るイルミネーションの金環も、メリー・ゴー・ラウンドの頂く輝きの冠も、何もかもがさんざめく。
シルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)はほうと息を吐いた。まるで夢の只中に迷い込んだかのような光景だ。
「そうだね、綺麗だ」
肩を並べるルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)も同調する。
「帰る前にもう一度ゆっくり見て回りたいくらい。――けど、」
声色はいつもと変わらず柔い儘だ。
だと言うのに、剣呑さを警戒を孕んだ眼差しが、油断なく擡げられて前方を見遣る。
「その前に、あの子達を還してあげなくちゃ」
「――誘われてきてしまったのね、……」
シルフィカは痛ましく目蓋を伏せる。
その細い肩を励ますようにルミオールが手を添えた。導かれるみたいにして顔を上げる彼女の、その横顔に園内を彩る光が差す。
「幾ら明るくとも、もう夜よ。生き物は眠りにつくべきだわ」
諭すような口調でそう声にして、シルフィカの指先が|菫の羽根持つ銃《精霊銃》を番えた。
光を背に闇から浮かび、ふたりを取り囲むようにゆらゆらと空を漂う夢守仔たちには警戒の色が見当たらない。そういう造りなのかもしれない、とルミオールは考える。元は|こどもたちの友人《保育端末》として用意されたらしいから。
「そして、夢は穏やかであるべきもの。眠りは安寧でなければ――そうね、醒めるのが惜しいと思ってしまうくらい」
こんな風に脅かされ、悪夢紛いのものであって良い筈がない。
ふ、と目許が和らぐように微笑んで、傍らのルミオールを仰いだ。そうでしょう、と問いたげにして。
「怖い夢なんて、何度見たかわからない」
覗き込んで、ふ、と彼が笑み返す。内緒話のように人差し指を唇の前に立て、声色をそっと落とした。
「――君を失う夢だって、たくさん見たよ」
ぱち、とシルフィカが瞬く。意外そうなその表情に口端を擡げ、ルミオールはその片掌を腰に佩く、|幾つもの力を帯びる剣《詠唱錬成剣》の柄頭へと置いた。
「目が覚めて、はっきりと感覚として残るそれに、悲しくて悔しくて泣いたことだってある。怖くて眠れない夜だってあった」
「――――……、」
シルフィカの眉尻が下がりかけるのに、おっと、とルミオールの眉が持ち上がる。
大事なひとの愛らしいかんばせを、曇らせたい訳ではないのだ。
「今は、平気。だから、……内緒だよ」
ね、と甘い角度で小首を傾ぐ。こうやっておねだりをすると、大概のことは通ってしまう。昔からそうだ。
彼女の口許が、ふふ、と堪えきれない風に笑みを零す。
「内緒?」
「そう、内緒。だから、聞かなかったことにして」
共に前を向く。
夢守仔たちが奏でるノイズ混じりの子守唄は、仲間を呼び寄せここで群体を為そうとしている――必要なのは、残らず掃討することだ。
悪夢に苛まれる新たな誰かを、生み出さない為に。
「どんなに怖い夢を見せられても、シルフィカがちゃんとここにいるってわかってるから。――だから、今は大丈夫」
「……、一番知られたくないのはわたしじゃないの?」
今は怖くないのなら、とその顔に安堵の色を滲ませたシルフィカが、然しちらとルミオールを見遣って囁いた。
けれど彼が何事か反論する前に、微笑む彼女の輪郭が光に呑まれる。柔らかなそれは、シルフィカの使役する精霊に拠るものだと知っている。
闇に慣れた視界に輝かんばかりの光は目隠しにも成ろう。その眩しさの最中から放たれる弾丸が、揺り籠を編もうとする夢守仔を撃ち抜いた。
「言い逃げはちょっとずるくない?」
少しばかり唇を尖らせ、シルフィカへの文句を零すルミオールがそのまま祷りを詠唱へと変じさせる。力ある祝詞は星の心を揺らし、その神秘を僅かばかり借り受けて纏った。
「ほら、君達もおうちに帰る時間だよ」
言葉ばかりが相変わらず優しいのだ。
揮われる剣先は、躊躇いなく夢守仔たちを斬り裂いてゆく。務めを果たせなくなったいつかの保育端末たちは、それで漸く安寧の眠りを得るに違いない。
「ごめんなさいね、わたし達には帰る家があるから――」
断末魔めいた途切れ途切れの子守唄に、シルフィカがそっと双眸を伏せた。
番えた銃口から、弾丸が奔る。
「ずっとここにはいられないの」
●|幕引き《カーテン・コール》
「いいえ」
踵を鳴らし、アルティア・パンドルフィーニ(Signora-Dragonea・h00291)は麗しく傲慢にその常緑を夜風に揺らした。
「私たちは帰らせて頂きますわ」
閉園を迎えた園内の、彼方此方から光が這い寄り滲んでいる。寄り集まったそれらに輪郭を任せ、アルティアは凛と佇まいを崩さぬ儘で言い切った。
「残念ですが道を塞ぐこと罷りなりません」
ツェツィーリエ・モーリ(視えぬ淵の者・h00680)が高貴の傍らで、たおやかにスカートを擡げ膝を折る。
衣擦れの音ひとつなく背筋を伸ばし、ふわふわと楽しげに漂うばかりの夢守仔たち――元は|こどもたちの隣人たりえるもの《保育端末》だったそれらを見遣った。
「無論、外の世界に悪夢を振り撒くことも」
刀を鞘に納め、その柄に手を掛けてツェツィーリエは瞑目する。
武器を仕舞い込み、微動だにしない様子に夢守仔たちは顔を見合わせた。意思の疎通があるのかないのか、然し彼らはそれを好機と見做したらしい。
花咲く尾を振り揺らし、ノイズで歪んだ子守唄が輪唱の如くに広がってゆく。喚んでいるのだ、とは能力者たちであれば即座に気付ける事実だ。
「ツィーリの準備が整うまでは私が既に請け負っているの。無様を曝す筈がないでしょう? お生憎様!」
けれど苛烈に燃えた眸が瞠り、夢守仔たちの挙動を赦しはしない。
華やかに笑う気配と共に、空を真っ直ぐ斬り裂く|刺突剣《レイピア》がひとつの個体の額を穿つ。而してそれで終わりではない、無論だ。
アルティアの掌がいとおしく|何か《・・》を撫でるたび、そこに剣が顕れ出て夢守仔たちの方へと明確な殺意と共に翔んでくる。ならば増やせ集えと招来の周波数が跳ね上がる、が、それだって詮無いことだ。
ポップコーンのバケットを撫でる。“あれをこわして”だなんてそれらが喋る訳はない。だから代わりにアルティアへ剣を託すのだ。
「自動追尾って楽よね! ――さあ、そろそろかしら?」
視界の端にそれを一瞥し、アルティアが彼女を振り返る――否、その必要はない。
「有難う御座います、ティア様」
涼やかに|ツェツィーリエ《彼女》がいらえ、アルティアの横を風と共に摺り抜けてゆくからに他ならない。
酷く軽やかな所作で一歩を踏み出しただけであるのに、瞬く間に加速しツェツィーリエの肢体が靭やかに躍り出る。夢守仔たちは群れを為し、然しその所為で唐突に齎されるその一撃に耐えられはしない。
一閃。
「わたくしは強いメイドさんですから」
軌跡は焔のいろをしていた。
地獄の底より燃え盛る、冥府のそれが悪夢諸共すべてを平等に灼き尽くす。
「切りがありませんね。お掃除のしがいがあると言うものです」
――どうして?
――どうしてここにいてくれないの!
――ずっとずっと、ゆめをみていてくれないの?
錆び付いた不快な声がふたりの鼓膜を苛むだろう。劣勢へと追いやられた夢守仔たちの悲嘆は酷く我儘だ。それこそ、こどもが駄々を捏ねでもするかのように。
「……現実はそれはそれは残酷で、取り返しのつかない悲劇ばかり」
謳うようにアルティアが囁き、その掌が労りを持って街灯に引っ掛かる風船の紐に触れた。誰かが気に入って連れ回し、けれど連れ帰って貰えなかったもの。ぱちんと弾けて剣が生まれ、夢守仔がひとつ砕ける。
「思い出したくない昔のことなんか思い出さずに、人間に近付けた夢を抱いていられたら幸福でしょう――だけど残念!」
朗々と声を張り上げ石畳を|踵《ヒール》が叩く。
触れるものを剣に換えて片っ端から撃ちながら、アルティアが淑女然として微笑んだ。
「ここじゃあ駄目よ。世界の果てまで見に行く約束に、こんな狭い遊園地じゃ及びもつかないの」
そうでしょう、と水を向ける先にはツェツィーリエが居る。
焔踴る刀を抜けば、自身もまたそれに巻かれた。然し何を畏れることもない、この身こそがその境界なのだから。
「……そうですね」
口端が淡く綻んだ。
夢守仔の頸が墜ちる。
「わたくしにとって、このように人らしい形で生きられていること自体が夢のよう」
刀捌きに迷いは一切ない。そんなものはこの刃紋の曇りと同義だ。鍛えた焔で灼いた斬撃が、仲間を呼び付けようとする別の個体の喉笛を潰す。
「終わって欲しくないと思うこととてありますわ。――けれど、ええ、勿論」
万火が須く灼き尽くすべしと、揮われた軌跡を全て灰燼に変えてゆく。
「ここに留まりたいとは思いません」
いつのまにか、周囲は静まり返っていた。
嗚呼そうだ、終わりの直前とはきっとこんな風だ。誰もが喝采を堪え、フィナーレを今か今かと待ち望むあの時間めいている。
「世界の果てに手を取り合って辿り着くときに、こんな景色であろう筈がありませんもの」
だから、夢は悪夢はここで|終演《おわり》だ。
カーテンコールは私が、わたくしが行いましょう。どうかお休みなさい、どうぞお眠りなさい。
●ここでは叶わぬものを
赫灼たる眸を憂うように伏せ、キアラ・ザ・アスフォデルス(|冥花の魔女《The Asphodelos》・h09526)は囁いた。
「だめよ、夢はちゃんと終わらせないと」
ずっとずうっとたのしいゆめを。
おわらない『|いつまでも《・・・・・》』を。
いつか|ちいさき隣人のため《保育端末》として生まれたとされる夢守仔たちは、不安定な音声で優しくいざなう。
「おれは生憎と幸せな夢だけじゃ生きていけない悪魔なんで」
キアラから一歩前へ出るようにして踏み出し、ヨシュア・ヴァルトシュタイン(「森の石」・h09600)が揺らぐことなく芯持つ声でいらえる。
何らかの意図を持って震え、拡げられるヨシュアの翼に、キアラが瞬いた。
「今回はちゃんと守る手段があるよ、」
先んじて口を開いたのはヨシュアの方だ。肩越しに振り返ってそう告げてから、ほんの少し視線が泳いだ。
「……まあ、守るより補助に使った方が良いかもだけど」
キアラの眸が淡く瞠られる。
それからふ、と堪え切れない風体で笑い声を零した。ごめんなさいこんな時に、とまだ揺れる声音で置いてから、両の口端を擡げた彼女がヨシュアを仰ぐ。
「守ってくれることを疑ったりしてないわ? いつだって貴方はそうしてくれるもの」
細い指先がヨシュアに触れる。その腕を数度柔く叩いて、するりと離れた。
傍らを擦り抜けるようにして、キアラの爪先が前方に構える夢守仔たちの方へ向く。
「背中は任せるわね」
「勿論。キアラさんに傷なんか付けさせない」
夜風に嬲られた金の髪が、そうでなく揺れた気がした。笑ったのかもしれない。
キアラの足取りは一歩、二歩、貞淑な淑女の如く歩んでゆく。然し三歩目は大きく、四歩目を飛ばして五歩目はもう駆けていた。金の糸を割って|黒い薔薇《マヴロ・ローゾ》が咲き誇る如く、その腕が漆黒の鱗で鎧われる。
夢守仔たちが色めき立つ。無害だと思っていた何かが悍ましいものへ変ずるのを目の当たりにして、悲鳴のように唄っている。
「――そんなに見るなよ、|お嬢さん《レディ》相手だぞ」
低く地を這うような声はヨシュアの唇から齎されるものだ。粘つく憤怒が漏れている。
夜に没む石畳の隙間から、若しくは周囲のちかちか瞬く光を受けたヨシュアの足許から、ずるりと影が這い出て無数の腕と化した。或いは幾つかは|羽毛持つ爬虫類《友たる眷属》の姿を取りもするだろう。
懐かしい姿を象るそれはヨシュアの意志に違わず、鞭のように撓る黒腕と共にキアラの為に夢守仔たちへ組み付き、逃げを打つ姿勢を許さない。
「ごめんなさいね」
ひとつ枷の外れたような明るい声音でキアラが謳う。
華奢な人間のおんなの身体に、それを歪に作り変えて竜の一部が顕現していた。黒曜石の如き鋭さと硬さを持つ爪が、劣悪なかたちに開かれ夢守仔のひとつへと揮われる。ヨシュアの影が捉えているから酷く容易だ。
悲鳴のようなノイズが無数にキアラへと非難を浴びせ掛ける。
「あら、手荒? 相手が悪いと思って頂戴」
然し幾ら半分を竜と化したキアラとて、背面に目が付いている訳ではない。
死角から忍び寄る別の個体が、何らかを彼女へ仕掛けようとした――が、それは全く別の方から飛び込んできた横槍に潰えさせられる。
横槍――槍ではなく弓なのだが――はヨシュアの手に拠るものだ。
悪魔の放つ火矢が、不信と疑心だなんて|その身《保育端末》には似つかわしくないもので夢守仔を燃してゆく。
「悪いけど、容赦するの止めたんだ。……おれがそうしたいと思ったから、」
ヨシュアが独りごちるのを、キアラの耳が拾い聞く。
その赫く煌めく眸を伏せる瞑目は一瞬だ。
(――自分の全部を見せるのは、まだ怖いけど)
身を翻す。棘の如き外装に覆われた尾が、序でに幾体か刎ね散らかすように薙いだ。
ヨシュアと相対し、夢守仔の群れをふたりの間に追い詰めるようにして立ち回る。彼の視界にこの悍ましい悪性が曝されようとも、もう躊躇うまい。
それは純然たるキアラの持ち得る力であり、|彼《ヨシュア》を守るための力にも為り得るのだと識っている。
(ずっと夢に浸って足を止めていたら、そう思える日だってきっと来なかった)
「キアラさん!」
鋭く呼ばれた意味は直ぐに理解した。ヨシュアの遣わす影の眷属が、仲間を喚ぼうとしていた個体を捉えている。
――どうして?
怯えるようにも見える震える尾が、藻掻く様が、ふたりの視界に引っ掛かった。
「生温い白昼夢は醒めるべきだ。悪魔の契約がそうであるように」
逃さぬよう力を籠めたヨシュアが、そう呟いて双眸を眇めた。幸福であればあるほど、代償は重くなる。それが|道理《セオリー》だろう。
一拍の後、キアラの爪がその怯懦ごと個体を薙ぎ払った。
「最後に欲しいのは、夢の中にない未来なの。……だから、ずっとはごめんだわ。――、ね?」
語尾が上がる。尋ねる彼女の目許は、ほんの少しだけ色を得る。
咲き初めの薔薇はたぶん、こんな風な薄紅色なのだろうとヨシュアは思った。
「――おれだって、現実で幸せになるつもりだし。帰ろう、キアラさん」
●だって思い出は家まで持って帰らなきゃ!
「はーっ、遊んだぁ~!」
ぐぐ、と猫のように大きく伸びをした古出水・蒔生(Flow-ov-er・h00725)は、満足げな吐息と共にそう声にする。
「蒔生は絶叫系に乗り過ぎ」
すっかり味を占めた彼女に|律儀に付き合い《連れ回され》、その背の翼を若干くったり萎びさせながらリーガル・ハワード(イヴリスの|炁物《きぶつ》・h00539)が呟いた。
ほぼ一日、大した休憩も取らずにあれもこれもと欲張る蒔生に引っ張られ、結局全制覇の勢いだ。普段には叶わないことだから、と甘やかすとすぐこうなる。
すっかり空は暗く果て夜を迎え、閉園を告げる穏やかな音楽が響いている。夜闇に没む園内には、然しその御蔭でイルミネーションが燦めき輝き華やかだ。
「あれだけ騒いでよく喉を傷めないな。……、もしかしてまだ元気なのか?」
見遣る蒔生はずっと自分の袖を掴んで離さない。今もだ。機嫌良く腕を揺らされながら、リーガルはそう語尾を上げた。
「え? そうに決まってるじゃん!」
蒔生がリーガルへ向けて顔を上げる。
観覧車からきらきらと降る金のひかりが、蒔生の笑顔の輪郭をパーティクルめいて縁取っていた。
「て言うか、絶叫系は絶叫しないとじゃん? これで人助けにもなったって、最高!」
件の|要救助者《迷宮配信者》は、既に仲間たちと無事に園内を出たらしい。つまり、無事に任務を終えたのだ。
やったね、と浮かれた蒔生が腕を上げる。無論、リーガルの腕も一緒に持ち上がる。ばんざーい、と笑う彼女に何事かを言おうとしてリーガルは口を開きかけた――が、結局閉じた。
代わりに蒔生の腕を巻き込み片手を擡げ、彼女の額を前髪越しにつん、と突付く。
何何何、と蒔生が慌てて片手で額を覆い、誤魔化すようにぱぱっと前髪を払った。それを見たリーガルが面白そうに浅く笑う。
「そんなぐしゃぐしゃにしてないだろ。――ほんとによくやったよ、蒔生は」
感嘆半分、呆れ半分だ。
遊び疲れてどこかで音を上げるだろうと思っていた。否、絶叫系だって一度乗ったら満足して、他の観覧車だとかコーヒーカップだとか、そういうものに行きたがるかと考えていたのに、どちらも見事に見当外れだ。こういう変に頑固なところが彼女らしくて、結局いつも放っておけなくなる。
リーガルの方はそんな風にすっかり振り回されて、心地良い疲労が『とっとと帰って寝たい』とばかりに全身を苛んでいた。なんだか草臥れてしまった翼を軽く震わせ、毛羽立って乱れてしまった部分だけでも整えておこう。
「あ、あれ? チェスターさんは?」
そのリーガルの横顔をじいっと見つめていた――が、彼が此方を向きそうになったので蒔生は慌てて顔を逸らす。逸らし序でにきょろきょろと忙しなく周囲を見回し、ちょっぴり上擦った声でそう口にした。
頬があついの、バレてませんように!
「そう言えば、さっきから居ないな。土産物でもふらふら覗きに行ったかと思ったけど」
確かに、と蒔生のやや早口な語調にも疑問を抱くことなく、リーガルもそれに倣うようにして周囲を見回した。でもそうしていたって、遠くに見えている土産物屋から片手を挙げつつ走ってくる姿だなんて見える訳もない。
「閉園時間だし帰っちゃったのかなぁ? もう、自由すぎ!」
「…………」
心配するじゃんね、と唇を尖らせる蒔生の隣で、リーガルはふと考え込む。
――|あの《・・》チェスターが、何の連絡も寄越さず姿を消すことがあるだろうか?
「……ひとまず、メッセージを送っとく。迷子になってるかもしれないし」
そう言いながら、リーガルの指先がスマートフォンの画面を叩く。アトラクションを回る最中に撮っておいた遊園地の見取り図に、『迷子の時はこの赤文字のところへ』とメッセージを添えて彼に送っておいた。
とは言え、恐らく|意図的《気遣い》だろうなとは感じ取れるものがある。
三人で遊園地内を回っていたときだって、何故だか少し距離を空けて後ろを歩く場面が多かったのだ。全く要らぬ気遣いをする。溜息が漏れた。
――ふ、と。
空気が変わるのは、そんな頃合いだ。
ひかり耀く観覧車も、燦めく冠を頂いたようなメリー・ゴー・ラウンドも、流れる柔らかな閉園のメロディも――何も変わりはしないのに、一匙の不穏と不安が澱の如くに齎される。
「ん? なんかいま声が……、」
――ずっとここで。
――ずうっと、いっしょに。
――あそぼう、あそぼうよ。
いざなうようないとけない声には、不愉快なノイズが入り混じる。
周囲の雰囲気に溶け込みたがるようでいて、けれど決して迎合し得ない不気味な声だった。蒔生の両手が、慌ててリーガルの袖をぎゅっと掴む。
「おい、あんまりくっつくな。すぐ動けないだろ」
「だってぇ」
リーガルの眼差しが蒔生の顔と、彼女にがっちり掴まれた自身の腕とを順繰りに見る。どう考えても掃討すべき敵性存在なのだから、すぐに排除に動きたい――が、蒔生の手は離れない。
ちいさく鳴るのは蒔生の喉だ。
「……ね、リーガルさん」
ずっとここで。
ずっといっしょに。
――だって、夢みたいな一日だったから。
「ここだったらわたし達、普通に暮らせるかもしんないよ?」
ちょっといいかも、なんて思ってしまった。思ってしまったから、つい縋るような眼差しを向けてそう溢れさせてしまったのだ。
「どーする? 住んじゃう?」
言葉に帯びるほんの少しの熱量が、蒔生の踵を押し上げる。
語尾を上げて問うている筈なのに、リーガルへ求める言葉はとっくにもう決めてしまっているような。
「普通に? なわけないだろ」
然し、彼の返答にばっさりと斬り捨てられた。睨め付けるような半眼が蒔生を見遣り、宥めるみたいにして軽く何度か肩を叩かれる。
掌は暖かい。それはたぶん、励ましと同義だ。どれほどこのひとの言葉が厳しいものであったとしても。
「あんたの絶叫を隣で聴き続けるのは遠慮したい」
「んな、……」
すかさず文句を言い募ろうとして、でも蒔生は一旦ぱくんと口を閉じた。
隣には居てくれるんだ、ふーん。……ふーんそうなんだ。へー!
「それに、こういう場所はたまに訪れる方がいい。その方が、ずっと『楽しい』が続くんだ」
唇をむぎゅ、として押し黙る蒔生に向けて、なんだその顔、とほんの少しだけ笑ったリーガルはそう続けた。
そうだ、衒いなくここでの経験は楽しかった。初めての遊園地、初めてのアトラクション、初めてのジェットコースター。あんなに空が近くなるだなんて考えたことがなかった。三人で飲んだソーダは甘くて美味しかったし、ポップコーンだって驚くくらい美味しくて。
「だから、ずっとは要らない」
結論を確かな意志と共に括ったリーガルが、その双眸をいつのまにか自分たちを取り囲むように居並んでいた敵性存在――いつか|こどもたちの隣人《保育端末》として生み出された夢守仔たちへと迎え撃つよう向けた。
それをすぐ近くで見上げた蒔生が、眩しげに笑った。
彼の腕をぎゅっと掴んでいた手を離して、自身も夢守仔の方へと身体を向ける。
「だってさ、交渉決裂ってことで!」
蒔生が明るく告げると同時、その指先に番えるのは幾本もの釘だ。
禍は既にその存在を食み、腐食し錆が回っている。|それ《錆禍》ごとネイルガンに装填し、ギャリ、と金属の噛み合う音を響かせ構えた。グリップが手に馴染む。|わたし《蒔生》を拒絶しない武器。
制圧射撃めいて撃ち出す弾丸が、幾体かの夢守仔たちを捉えて腐した。早回しの風化の如くに錆が周り、朽ち墜ちる様から視線を剥がし、次は、と蒔生の双眸が戦場と化した園内を舐めた。
「蒔生、巧く使え」
響いたのはリーガルの声だ。
横に大きく広げた翼を操り、滑空めいて戦場を駆けながら夢守仔たちへと肉薄する。彼の纏う空気が凍て付くように冷え、眇められる紫の眸さえ冴え冴えと煌めいた。
紡ぐ呼気すら氷のそれだ。|星骸状災厄《イヴリス》が胃の腑に触れでもしているかのような。
彼の軌道を追うようにして、地中から石畳を突き破り氷塊が現出する。純度の高い氷の結晶は蒔生の近くにも幾つか顕れ、夢守仔たちはその衝撃で何体か吹き飛ばされ沈黙し、だと言うのに|遊具《アトラクション》には一切干渉していない。
……まあ、地面は多少割れたが仕方があるまい。
「身を隠す場所には丁度いいだろ。当たるなよ」
「わ、リーガルさんナイス! 最高っ!」
一日遊び回った園内だ、思い入れはそれなりにある。その迷いを汲み取ってくれたかのようなリーガルの振る舞いに、蒔生の声が自然と跳ねた。
氷塊の影から影へと走り込みながら、番えた釘に禍を灯して放ち、或いはネイルガンに装填して撃ち抜いてゆく。
夢守仔たちの追撃から逃れるべく、リーガルも遅れて蒔生が身を隠す氷塊の影に転がり込んだ。背中合わせのようにして、その両手に|馴染みの銃《PDW-MP7A2》を構えて躊躇わず引き鉄を引く。
「ふふん、なんだか調子良いかも! いっぱい遊んだからかな」
息のぴったり合う連携攻撃に拠って、ふたりを取り囲んでいた夢守仔たちは随分数を減らしたようだ。
この分ならそう時間も掛からず制圧が出来るんじゃないか、なんて皮算用をし始める気配の蒔生に、警戒を緩めない儘のリーガルがほんの少し眉間を寄せた。
「調子に乗ってると痛い目見るぞ」
「えー大丈夫……、……っ、? なに、急にねむく、……」
さっきまでクリアに晴れていた筈の視界に、急に靄が掛かったように感じて頭を振るった。然しそれが振り払えるどころか、抗いがたい眠気にまで忍び寄られ、ぐらりと蒔生の身体が傾ぐ。
劣勢を感じ取った夢守仔たちが、増援を呼び寄せるべく不協和音めいた子守唄を奏でている――それは、彼ら以外には悪夢を招く呼び水と為ろう。
「ほら、言わんこっちゃない。――蒔生、起きろ」
|半眼《ジト目》になったリーガルが、溜息とともに銃を置いてガッ、とその掌を蒔生の頭に被せた。|ぎぎ、と指先がめり込んでいる《アイアンクローだ》。ここでこのまま心地良く寝かせてやる訳にはいかない。
「いったぁ!? り、リーガルさん! 寝てないってばぁ!」
万力の如きアイアンクローに、うとうと頭を揺らしていた蒔生は飛び上がりそうな勢いで悲鳴を上げた。
「寝てたろ。――僕だって眠くならないわけじゃない、……だが!」
起きたので頭はちゃんと解放してやった。
無論、リーガルだって敵の技に耐性を持っている訳ではない。眠たくないかと言われれば嘘になる、が。
「夜勤や深夜の急な呼び出しで、眠気に対する耐性はだいぶついたからな!」
「あー……」
蒔生の脳裏に生産者スマイルを浮かべる|誰か《兄》が浮かんだ。いやいや、幻影幻影。
今度こそしっかり頭を振るって、き、とその双眸が夢守仔たちへと据えられた。
「無理矢理居させようってわけ? おねんねすんのはあんたらの方だから!」
明けない夜はない。
陳腐で使い古された、手垢のついた表現だ。
然し、けれども、この場においては――状況を表すものとして、的確な言い回しだと思った。
夜空の端に朝が迫り始めている。勿論それはこの|遊園地《ダンジョン》が魅せるイミテーションで、実際の時間経過ともまったく異なっているだろう。恐らくは、夜を留めたがる異物が消えたことの示唆だった。
「……さ、迷子と合流して帰るか」
動けるか、とリーガルの眼差しが蒔生を見る。
動けない、と蒔生はリーガルの腕に飛びついた。
「うん、帰ろ!」
迷子がパパととっくに合流していたメッセージに気付くのは、もう少し後でいい。
――能力者たちの尽力により、明けぬ夜を謳う保育端末たちは、ここに集ったその全てが沈黙を得た。
歪な子守唄はもう聞こえまい。
終わらぬ夢へと誘う甘きはもう潰えた。
|脅威の遊園地《ヴンダーカンマー・ランド》は漸く本日の営業を終え、その門扉をかたく鎖した。
――ではお客様方、またのお越しを!