ネズミは死の予兆
ちゅう、とネズミが鳴いた。
死体の上を這って。
「ねえ、田中さんが亡くなったのって、ネズミが原因じゃんじゃないかって」
「え? 老衰だったんでしょ?」
「にしては急だったでしょ? 少し前までの田中さんってすごく元気だったじゃない」
「……確かに。でもなんでネズミ?」
「なんでも、田中さんが亡くなる前、ネズミに噛まれたって大騒ぎしてたみたいよ。それからどんどんやつれていってて」
「そのネズミが病気か何か持ってたってこと?」
「それは分かんないの。家中探したらしいけど、ネズミは誰も見てないそうよ。田中さんの遺体を調べても、病気とかはなかったみたいだし」
「なにそれ……」
「しかもね、隣町でも似たようなことがあったんだって。黒いネズミを見た人が、数日後に亡くなったって」
「……ねえ。黒いネズミって……あれ?」
「え? なに? 何もいないじゃん。って、そっちが驚かせてくるんだ」
指を差す女性は、虚空を見つめている。
そしてそれからすぐ、虚空を差す指から血が流れた。
それはまるで、何かに噛まれたようだった。
●
「人の生命を食らうネズミが、√EDENに発生しているみたいです」
星詠みは√能力者たちに語る。
「それによる死人があちこちに出ていまして、このまま放っておいたらもっと広まってしまいます。なので早急な対処をお願いしたいんですよ」
解決しても解決しても沸いて出てくる厄介ごとに、星詠みも少し疲れているようだった。
「原因は、『朧魔機関』というとある悪の組織によるようなので、ネズミ駆除が終わればそちらに向かってください。どうもそこの首領が戦いたがりらしいので、アジトはむしろ目立っていると思うのですぐ見つかるはずです」
そうして、√能力者たちを送り出す。
「それでは、よろしくお願いしますね」
第1章 集団戦 『病魔・黒死病』
「ネズミ…ネズミねぇ…。確かにお仕事なら頑張るけどね、出来れば服は汚したくないんだけどねぇ…。」
嵯峨野・伊吹はぶつぶつとぼやきながら、周囲の気配に注意を向けた。
病を蓄え、生命を啜るインビジブルが、√能力者に気付いて群れを成す。一見、小さな黒いネズミではあれど、その数はたちまち山のようになった。
「出来れば近づかないでくれるかな」
襲い来るげっ歯類にすかさず√能力【霊震】を行使し、足止めする。振動を食らった小動物の群れは、その場で転倒し互いに絡み合った。
「うわ、やっぱり汚れた」
足下に散らばったネズミを一匹踏んづけてしまうと、その体が黒いしぶきを飛ばす。それによって足元が黒く染まってしまい、またため息が漏れ出た。
「疲れるし、他の人が来て対処してくれるとありがたいんだけどねぇ」
√能力者ならどこからともなくやってくるはずだと期待して、止めは残しておくが、誰もやってこない。
「服も靴も……――汚れたら誰が綺麗にすると思ってるんだか。さっさと終わらせて直帰させてもらうよっと…。」
仕方ないと決心して、数多いる鼠たちを蹴散らしていく。嵯峨野・伊吹にかかれば容易い事だ。
やる気のない言動に反して、その目は確かに事件解決へと向いていた。
星詠みに導かれ事件現場へとやってきた紺混・虚魂は、対峙する敵に向けてはっきりと告げた。
「かわいい動物ですが、害なすのであれば容赦はしません。」
一見、ネズミとしか思えないインビジブルだ。しかしその量は果てしなく、山のように蠢くそれらは、不気味としか思えない。
相手は手数が多く、自分は回避に自信がない。ならばとまず距離を取ってから、非偏光式紺色光銃を取り出して無差別攻撃を繰り出した。
数が多い分、適当に放ってもどこかでは命中する。一体一体の耐久力も低いようで、着実に数は減っていっていた。
しかし、隙をついて背後から押し寄せる群れ。それならばと懐から巻物を取り出す。それを広げて見せればたちまちに正面の敵を吹き飛ばす魔力玉が発射された。
「さあ、根本を絶たせてもらいますよ」
そして、ネズミの召喚者を見つけ出すと、すかさず√能力【瓦落多多き矮小な怨念】
を行使した。
「その足枷でどこまで逃げられますかね?」
瓦落多の足枷を嵌めたインビジブルに、紺混・虚魂は穏やかに微笑むのだった。
藤原・菫は、蠢く群れと対峙する。
「様々な世界の歴史の暗部でネズミは様々な都市の暗いところに潜み、病原菌を振り撒いてきた。黒死病は有名な歴史の悪夢だ。歴史を研究してきたものとしては伝染病の悪夢は広げてはいけない。気を引き締めて臨むよ。」
彼女が戦う構えをとった途端、ネズミたちは一斉に押し寄せた。
「これでも年頃の女の子たちと暮らしてるんで、出来るだけ正気や不潔な爪や牙は受けたくないね」
迫りくる無数の病原体だが、思考は単調だ。回避すれば残像を標的と見間違う。その隙に距離を取って、ファミリアセントリーによるレーザー射撃で敵をけん制した。
それでも取りこぼした攻撃にはエネルギーバリアを這って防御。そうして敵を誘導しつつ、固まったところに√能力【エレメンタルバレット『雷霆万鈞』】を放った。
——!!!
雷の弾丸が、ネズミの群れの中心で爆発する。更には飛び散った電撃を身にまとって、敵の接近を阻害した。
「さて、先に行こうか。こういう悪夢を広げる奴は許さない。」
害獣駆除を遂行した藤原・菫は、事件解決に急ぐのだった。
皮膜が風に翻る、異様な羽音とともに、√の裂け目を通ってその天女は空中に現れる。
「……」
ミーシャ・エン・フォーレヌス。彼女は星詠みに導かれてそこに来たのではない。ただ自分の望みのためにたまたま通りがかっただけだ。
彼女はゆっくりと降下しながら、焦点の合わない虚ろな表情で地上付近を滞空する。
そこはネズミが巣くう路地裏。侵入者にその小動物たちは、顔を上げた。
襲い来る病の代行者。
すると、ミーシャ・エン・フォーレヌスが胸に抱える身の丈ほどの長大な剣に開く眼が、ギョロリと一瞥した。
そしてたちまち、√能力【征天落鴉】によって足元に群がるネズミらは薙ぎ払われる。
「邪魔だ。クソ、鼠ごときに寄って集られるとは……他の魔剣はどこにある……?」
悪態をつきながらもネズミを機にもしない。荒い息を吐き、彼女は探し物を求めて街路を漂った。
あまりにも目立つその姿には誰もが目を奪われたが、すぐに忘れ去られていく。
第2章 集団戦 『戦闘員』
その建物にはデカデカと『朧魔機関』という名前が掲げられていた。
それこそが、病をばら撒くインビジブルの出所らしい。
星詠みの言う通りにその建物へと踏み込めば、まずは戦闘員たちが出迎えるだろう。
その最上階に、ボスはいるらしい。
ミーシャ・エン・フォーレヌスは集まり始めた√能力者の行く先を眺めながら呟く。しかしその口は、握る魔剣によって動かされていた。
「嘆かわしい……これほど陰惨なインビジブルがありながら、天女セレスティアルの肉体では扱えぬわけか」
あからさまに秘密のありそうな『朧魔機関』ビルと、敵対する恐れのある能力者たちを交互に見つめ、打算ながらに地上に降り立つ。
「私はセレスティアルのミーシャと申します。短い連れ立ちにはなりますが、どうか皆様に、主のご加護が御座いますように」
「お、おう。よろしく」
他の√能力者たちに深い礼で敵意のなさを示した直後、空へと戻り、ビルの窓を切り開いた。
「侵入者だっ!?」
そのビルで働く戦闘員たちが集まってくる。しかしそれは全て薙ぎ払った。
その様子を遅れて到着した√能力者たちから、先ほどとの言動の食い違いに訝し気な視線を向けられるも気にしない、
「さて、この妙な構造物……何が隠してある?」
天女の殻を被る魔剣は、悪の巣窟に堂々と踏み込んでいくのだった。
嵯峨野・伊吹はデカデカと掲げられた看板に、恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
「こんな、如何にもな建物を見逃してるなんて……何してんだ、|国家権力《カミガリ》は……」
少し警戒心が薄れつつも、事件の事を思い出し気を取り直してから建物内部へ進む。
ビルに踏み込めば、受付や社員のような人々が行き交っていて、そしてそれらは全て、全身タイツのようないわば戦闘員の格好をしていた。
「…ビルに配置された戦闘員。上に行けと言わんばかりのシステム…――昔、見た少年漫画みたいでワクワクするね―――、まぁ。主人公みたいに熱くとか気合とかはもう出せないけどさ。」
ブツブツ呟きながら、出迎える戦闘員に少しだ楽しそうに目を輝かせる。
といっても手加減などない。√能力【化野流古武術・相式「禍福」】によって敵の攻撃を反撃する、完全後手戦術。
その類まれなる体術は、まるで踊るように相手の動きを誘い、味方が繰り出した攻撃にまんまと飛び込まさせた。
「さあ、先に進もうか」
嵯峨野・伊吹はワクワクしながら、階段を上っていくのだった。
『朧魔機関』と掲げられたビルに踏み込んだ藤原・菫は、待ち構えていた光景に思わず失笑した。
「おお、悪の組織には必ずいる戦闘員がわらわらと。ここまでテンプレートは珍しい。」
奇声を上げながら襲ってくる。それもまた見覚えがあると笑みが続いた。
とはいえ、数に任せた連携は侮れない。戦い慣れているのだろう、屋内であってもそれは隊列を組んで、足並みを乱さなかった。
「黒幕の前に大怪我するわけにはいかないからね」
思わぬ痛手を受けてしまわぬよう、油断せず√能力【玲瓏の魔眼】を発動。敵の攻撃を回避、防御し、時には回復力に任せてそのまま受けて踏みとどまりながら錬江系の隙を見切った。
「そこだね」
そしてレーザー射撃を繰り出せば、連携の要である通信装置を見事に貫く。優位を失った戦闘員は戸惑い、そうなればこちらの物。
しかし、
「本当に数だけ多いね、コイツら。まあ、あれだけの大ごとやらかすんだから、アジトは防備固めてるるか。傍迷惑だが!!」
更にやってくる手勢に、藤原・菫は少し荒々しく悪態をつくのだった。
『朧魔機関』ビルに足を踏み入れた敷石隠・船光はその鉄拳を握った。
「アンタらを倒せばいいんだよね?」
岩を削り鉄を突き通す五指で、押し寄せる戦闘員の群れと対峙する。
しかし敵の数は多く、連携も優れている。ならばと、√能力【秘技・神刃一体】を発動した。
「夜叉よ、我が器貸し与えよう。」
そう呟いた途端、敷石隠・船光に護霊が宿る。覚醒したその肉体は、敵に対応できるよう能力を向上させた。
戦闘員たちは、連携によって命中率と反応速度が強化されている。対するなら身体速度だろう。
「——っ!?」
一歩の踏み込みが、一瞬にして敵の眼前に肉薄させた。驚きで硬直したその隙に、鉄拳を叩きこむ。
元来の怪力は、戦闘員の体を軽々飛ばす。そしてまた一人また一人と、そのチームを崩していった。
だが、ここは敵の城。そうたやすく戦いが途切れる訳もない。
「拙者に通らせてもらうでござる」
内なる夜叉がそう言って、再び戦闘員に拳を振りかざした。
第3章 ボス戦 『朧魔鬼神【怪人態】』
『朧魔機関』ビル最上階にて、それは待っていた。
「よく来たな! √能力者共! 貴様らと戦うのを待ちわびていたぞ!」
たくましい体格に、全身を包むマゼンタ色のスーツ。背中には悪の幹部らしく、黒マントを羽織り、そして大笑するその顔は、鬼の骸骨だ。
「あんなにもデカデカと名前を掲げているのに誰も来ないものだから、適当な事件を起こしてやったのだ! ようやくだ! この力を試せるぞ!」
みなぎる力を奮いたくて仕方ないのだろう。既にその拳を握って、体から異様な気を漂わせていた。
「戦闘員たちで肩慣らしもしてやったのだ! 我を満足させてくれよ?」
そうして朧魔鬼神が、勝負を挑んでくる。
ミーシャ・エン・フォーレヌスはビル最上階に待ち構えていた相手に顔をしかめた。
「なんだお前は? ……あまり頭は良くなさそうだ。ハッ。お前のような薄らバカが魔剣を扱えるわけはあるまい。とんだ無駄足だ」
ここに探していた物はないと判断し、彼女はさっさと立ち去ろうとする。窓辺を破壊して、ビルから飛び立とうとしたその時、
「我の前で逃げるのは許さぬぞ! 朧魔超越ッ!」
朧魔鬼神はそう叫び、その身をたちまち変身させた。身体能力は全てが二倍。そしてその手には身の丈以上の大剣「朧魔覇刃」が握られる。
その禍々しい刀身に、魔剣を追い求める天女は思わず足を止めた。
「――貴様それは……何だ?!」
魔剣であるならば見逃せない。その真偽を確かめるため、即座に√能力【偽擬新生】により相手の力を再現した。
「むっ!? 貴様も同じ刃を扱うか!」
寸分違わない刃同士が鍔迫り合う。それは激しく、ビルを壊しながらも繰り返され、そして敵の体ごとそれは折れた。
「……違ったか」
互いに刃は砕け、天女はそれで落胆した。するともう興味はないとその場から飛び立ってしまう。
「お、おい待てっ!」
刃に吹き飛ばされ体勢を立て直す朧魔鬼神だったが、既に去ったミーシャ・エン・フォーレヌスを呼び止めるのは間に合わなかった。
「おお、まだ√能力者がいたか。我と戦え……!」
既にダメージを負っている様子の敵に藤原・菫は少し呆れていた。
「あれだけ凶悪な奴使うならどんな黒幕かと思ったら自己顕示欲強いだけのボンクラだったと。」
事件の原因が想像とは違って落胆する。しかしむしろこういう奴でよかったと安堵もしていた。
これなら躊躇いもなくボコれる。すぐに戦いの構えをとって、相手の動きを観察した。
相手は一人。ならば持ち前の知識で対応出来る。攻撃にはエネルギーバリアを張って防御し、残像を残して誘導する。
「ええいっ、こいつを食らえッ!」
召喚されたインビジブルが、藤原・菫に迫り、融合を図る。しかしそれよりも早く、容赦のないレーザー射撃が迎撃した。
「この組織もアンタが現場にでてこないことで壊滅する。現状を把握しない奴は組織の長になるんじゃない」
相手の呆れるほど短絡的な言動に説教をしながら、√能力【月神の一撃】を行使する。
「ぐあぁあああああ!?」
絶え間ない三日月型の魔法弾による攻撃が、朧魔鬼神の体を貫いた。
「いいぞぉおおお! もっとだ! もっと我と戦えぇええええ!」
その身を負傷しながら、朧魔鬼神はむしろ笑っていた。
戦闘は激しくなっていて、更に√能力者たちが駆け付けてくる。
「これは、アタシも飛び回った方が良いね」
傷付くほどに増していく敵の勢いに、白帽・燕はその小さな体をはばたかせた。
小さな燕に、戦いを求めている朧魔鬼神は気にも留めない。だからこそ、彼女は他の√能力者の下へと飛び回った。
「しゃんとしな! まだ諦めるには早いよ!」
√能力【生義発破】により、負傷した味方の回復を促す。彼女の凛とした声は、何度も重なり、瞬く間に味方達の勢いを展示させた。
更には歌を歌って、味方を支援。それも十分となれば、自ら敵の眼前に躍り出て、あえて囮となった。
「こんな小鳥も捕まえられないならまだまだね」
荒ぶる朧魔鬼神を鼻で笑うように、白帽・燕は飛び回る。
●
ウィスカ・グレイシアは飛び回り力をくれた燕に礼を言ってから、朧魔鬼神に対峙した。
「軽い気持ちで人を苦しめるあなたを、私は許せないよ!」
幼いながらもその怒りをあらわにして、彼女は武器を構える。
「構わん! 誰でもいい! もっとこぉいッ!」
朧魔鬼神は手当たり次第に敵を求めた。迫りくる攻撃をただひたすらに身体能力に物を言わせて迎え撃つ。
考えていない分、隙は大きい。それならと、ウィスカ・グレイシアは小さな体で敵の懐に入り込んだ。
「ここ!」
√能力【戦闘錬金術】によって対標的必殺兵器に変形させた武器で、朧魔鬼神のわき腹を突き刺す。強化された一撃は通常以上のダメージを与え、更には毒も送り込んだ。
「な、んだ……」
動きが鈍り、朧魔鬼神は動揺する。その隙を歴戦の√能力者たちが見逃すはずもなかった。
戦況は一気に傾く。
●
芥子堂・澪は遅れてその場にやってきた。
「旦那様が いる気がしたけど どうなのかしら でも 目隠しは 外せないから 分からないわね」
喪服に身を包むその人間災厄は、不気味な雰囲気を漂わせながら歩む。
この場に√能力者を招いた朧魔鬼神は毒に体を蝕まれ身動きを遅くしている。その眼前にその者は立った。
夫の形見である|厄刀《やくとう》・|竜骨割澪標《ほねわりみおつくし》を大切に握りながら。
「斬っても いいのよね?」
その刀身があらわになっても朧魔鬼神はその場から動けない。それならばとなけなしの力を振り絞って攻撃を放つが、それがむしろ引き金となってしまう。
√能力【返燕】
「おもどりなさい おかえりなさい」
敵の攻撃に対して刃物をひるがえさせる。それは迫った腕を瞬く間に切り落とし、更に斬撃を重ねた。
「……我は……満足、だ……」
そして、バラバラになった朧魔鬼神は沈黙する。
芥子堂・澪は最後まで状況を理解していない様子だった。
主を失った『朧魔機関』ビルは直ちに崩壊した。戦闘員たちも全て処理され、再びその街には平穏が戻ったのだった。