レストランFBPCへようこそ
●レストラン|FBPC《連邦怪異収容局》・サイト1025へようこそ
「いらっしゃいませ、レストランFBPC・サイト1025へようこそ。こちらでは皆さんには怪異を収容し管理する職員として、変わった食事や趣向をお楽しみいただけます」
黒スーツにサングラスのウェイター、ウェイトレスが待つのはまるでラボのような店内だ。培養槽めいた飾りや何に使っているのかわからない機械、数列や英語がずらずら並ぶモニターにどこかを映すモニターが並んでまさしく秘密の研究所、という風情。
メニューに載った料理の見た目もどこか不気味で、なんの肉か魚かわからないようなものも多い。
「母神の母体より得た至高の旨味(マダコとホタテの煮凝り煮、大葉を添えて)」やら「窓の隙間から取り出した頭(頭部風に象った魚のすり身のスープ)」やら、「増える怪異の目玉(目玉っぽく作った豆腐と野菜の揚げ物)」やら「局員も愛するドーナツ(おいしいドーナツ)」やら。
黄昏の世界にはちょっと刺激的で相応しいのかもしれない、と一般人は思うだろう。
ちょっと変わった雰囲気の店で、ちょっと見た目が変わった料理を食べて、出し物を楽しむだけだから、と。
「本日よりバレンタインフェアを行っております。チョコレートのメニューがおすすめです。「生まれたる仔らの盛り合わせ」はいかがでしょうか。後ほど怪異担当職員であるパティシエのライブ作成もございます」
うねうねぶよぶよした触手の塊の形のチョコムースをおすすめして、黒スーツのエージェントは口元は朗らかにニッコリ笑ってみせた。
連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』はコンセプトレストランを隠れ蓑にする、という計画の詳細を聞いたとき、こう言った。
「君ら、隠す気があるのか?」
堂々と秘匿すべき怪異を押し出して、それっぽい施設の存在を示唆するような施設を作り出して人をわざわざ集めるなど、見てくれと言っているようではないか。
この計画を練った局員はこう返した。
「これほど大々的にやっておけば、まさか本当にこんな機関があるなんて思わないでしょう」
ありえない怪異を隠すなら、荒唐無稽な話の中に。ついでに儀式のエネルギーも頂戴出来て万々歳だ、と。
●『クヴァリフの仔』回収依頼
「√汎神解剖機関で、怪異の狂信者になった人々に対して、仔産みの女神『クヴァリフ』が自分の『仔』を召喚する手法を伝えているんだ」
猫宮・弥月(骨董品屋「猫ちぐら」店主・h01187)は集まった√能力者達に、星読みでわかった、これから起こる事件のことを話し始める。
「狂信者……というか連邦怪異収容局のサイト1025って支部の局員なんだけどね、彼らはレストランに人を集めて、美味しく食事したり盛り上がったりしたエネルギーを集めて『クヴァリフの仔』を召喚する」
『コンセプトレストラン|FBPC《連邦怪異収容局》』はそれこそ都市伝説やミームで語られるような不思議な研究所や機関を模したコンセプトレストランだ。ただしこれはあくまでも隠れ蓑、実際の召喚現場はここではない。
「ないけど、多分近くにあるんじゃないかな。皆にはレストランで食事したり、店員に扮した職員と話したり、店内で写真を撮ったりなんかして、レストランを探ってもらいたい。スタッフは皆、連邦怪異収容局の局員だ。結構怪しい動きをしても怪しまれない。彼らもそういう存在だからね」
きっとそこから召喚現場に行く方法があるはずだから、と。召喚自体は阻止できないが、『クヴァリフの仔』の回収は可能なはずだから、向かってほしいのだ。
「星読みで怪しそうだったのは、パティシエの話と目玉の揚げ物かな。どっちかが鍵になりそうだ。どうしても取っ掛かりが思いつかなければ、この2つから選ぶのもいいかも」
回収してほしい『クヴァリフの仔』はぶよぶよした触手状の怪物で、それ自体はさしたる戦闘力を持たない。他の怪異や√能力者と融合することで宿主の戦闘能力を大きく増幅させる存在だ。
「人類社会に危険を齎す狂信者達も、彼らが手に入れてしまった『クヴァリフの仔』も放置する訳にはいかない。何より、この『クヴァリフの仔』からも|新物質《ニューパワー》を得られる可能性は大きいよ」
人類の存続のためにも、力を貸してほしい。弥月はよろしくお願いします、と頭を下げるのだった。
●本当に隠す気があったんだろうか
「いらっしゃいませ、レストラン|FBPC《連邦怪異収容局》・サイト1025へようこそ。こちらでは皆さんには怪異を収容し管理する職員として、変わった食事や趣向をお楽しみいただけます」
黒スーツにサングラスのいかにも怪しい機関の職員です、という風体のウェイターがにっこり笑う。
このレストランのスタッフはすべてFBPC《連邦怪異収容局》・サイト1025の職員だ。料理も接客も訓練を受け、本職と遜色ない仕上がりにしてきてある。
ただ悲しいかな、彼らは怪異のプロである。聞かれれば怪異についてすらすらと語っちゃうのだ。それはもう、口がめっちゃくちゃ軽い。
第1章 日常 『個性的な飲食店』

●
この依頼を聞いたとき、ノーバディ・ノウズ(WHO AM I?・h00867)は無い頭を傾げて、一つの問で思考を満たしたものだ。
「リンドーのおっさんどういうノリでこのカフェ? レストラン? 経営させてんの?????」
彼らは一応アメリカの秘匿戦力のはずである。良く色んな許可が下りたものだ。
当人が聞けば「好きで許可したわけではない。止まらないものを止めても無駄だろう」など返ってくるかもしれない。怪異の回収に√能力者との戦いにと忙しいリンドー。それらの疲労蓄積を心配するくらいに、突拍子もない話だった。
(いやまぁ何だっていいけどよ……やる事やるだけだしなこちとら)
頭にすちゃっとカメラを乗せれば、手にもカメラ、腰にはバッテリーやタブレットのはいったポーチが現れた。カメラの頭部のカメラ男マン、爆誕である。
いかにもコスプレでございという雰囲気で、ノーバディはレストランに突入した。
「いらっしゃいませ、レストランFBPC・サイト1025へようこそ。おや、素敵な頭部でいらっしゃいますね」
「いやぁ〜ウケ狙いでこういうコスなんスよぉ〜! ウケてもらえました?」
「たいそう驚きましたとも。取材をお申し込みですか?」
「そうそう、なんでもおしゃれなチョコスイーツがあるって聞きましたよぉ! 超映えが期待できるとか!」
出迎えた黒スーツはノーバディににこりと笑い、ご案内します、とパティシエの元へと先導していく。
案内された肌寒い調理場には、一心不乱にチョコムースを作り続けるパティシエがいた。
「どーもー! わぁお、独特な造形っすね!」
手元で作り出されるうねうねぶよぶよの塊に見えるムースをカシャリ、と撮ればパティシエもにっこり笑う。
「ふふ、ふふふ。素敵ですよね、このうねり。この柔らかさを出すのに苦労しました。あの方に喜んでいただきたくって」
「うん、ああ〜いいっスよぉ最高フォトジェニック! これは映えますわ! パティシエさんも一緒に撮らせていただいても?」
「どうぞ、どうぞ。ふふふ」
「はいチーズ〜〜!!」
カシャリ、カシャリとノーバディは写真を撮る。
「ふふふ、あの方が喜んでくださいますように」
「はーーいい笑顔〜うんうんよく撮れてますよぉ〜〜!!」
熱に浮かされ、正気ではないパティシエの顔と、愛しげに生み出されるチョコムースを、何枚も。
●
コンセプトレストランFBPCという施設の話を聞いたとき、北條・春幸(人間(√汎神解剖機関)の怪異解剖士・h01096)は思わず叫んでいた。
「怪異を使ったレストランなんて僕がやりたかった事じゃないか羨ましい!!」
怪異を使った料理を有用に使えないか開発を続ける春幸は、その美味しさに魅了された一人である。猫用怪異食にもその情熱は及ぶほどに毎日頭を悩ませる彼としては、本当に怪異肉を使ったレストランならば自分がやりたいくらいだった。毎日美味しく怪異肉を食べたいものだ、と。
敵情視察というわけではないにしろ、本当に食べれるならば儲けもの。春幸はわっくわくでメニューを広げる。
同席した眞継・正信(吸血鬼のゴーストトーカー・h05257)も、興味深くメニューを眺めていた。
「ふむ、この店ではなかなか珍しい料理が楽しめるようだね」
メニューにはありきたりな食材が添えられているが、それが真実という確証はない。食べられる怪異肉もあるし、加工された品かもしれない。正信の種族上、食の楽しみは制限されるけれども新しい食材、未知の料理を試す機会はいつだって楽しいものだ。自身が楽しめる範囲で、楽しく食事するべく品を選びたい。
「そうだ折角だしコース料理を頼んで楽しもうか! 食べるのが難しければぼくが食べるよ」
「良いな。スープも前菜も欲しかったところだ。ちょうど件の目玉の料理も入っているし、助けてもらえるならばありがたい」
「ワインも……ワインなのかな? まあいい、頼んでみよう」
「確定しない猫の鳴き声のエキス(赤ワイン)」、「窓の隙間より翼を得て(白ワイン)」、「母なる女神の恵み(タラの山椒焼き)」などなども入ったコース料理を頼めば、きれいに盛り付けられた料理が順を追って運ばれてくる。
スパイスと素材をうまく合わせたものや、あえてケミカルな風味を入れて特殊感を演出した素材など、本当に怪異肉を食べているようだ。
「というかいくつか怪異肉だよこれ。エキスとかも使ってる」
「なるほど、害はあるのかな?」
「安全な部分だけで、普通の人が食べても害はないね。独特だから少量だけ混ぜてる感じだ」
怪異料理の専門家である春幸にはわかる。死ぬほどの絶品とは言わないが、一般受けするように仕立てあげたレシピを知りたいくらいだ。そして自身の研究にも活かしたい。正信も赤い血のようなワインを飲んで、満たされる舌に悪くない、と目を細めた。
最後のデザート、「局員おすすめスイーツ(小さなドーナツやその他スイーツの盛り合わせ)」まで食べ終え、「怪異の影から抽出した液体(コーヒーもしくは紅茶)」まで楽しんだ二人は、スタッフに声をかけシェフを呼んでもらう。
「大変おいしかった。ここの食事はどれも珍しいものばかりだが、まるで本物のように作られていた」
「前菜の母神の母体より得た至高の旨味……想像以上にジューシーで本当にタコやホタテかわからなくなるくらいだった! どれも素材の処理が絶妙だねえ。変わった素材が多いし大変だったでしょう」
「目玉の揚げ物は不思議な味わいだったとも。 豆腐と言うには複雑な風味だった。スープは窓の隙間から取り出した頭、だったか。あれも面白い味わいだったね」
「スパイスの使い方も絶妙だった。特に山椒の利いたメインの焼き物なんか最高だったなあ。レシピをお伺いしても?」
「お褒めいただきありがとうございます。レシピは全て教えるわけには参りませんが、後ほどコツをお教えします」
二人でコース料理を褒めちぎり、シェフがうれしそうな顔をしたのに目配せ交わし、一転して表情や態度を少し秘密話をする雰囲気へと変える。
「それにしてもこれだけの難しそうな素材を扱うなんてすごいね! 調達も難しいでしょう? 鮮度とかね?」
「ふむ、もしかして……本当に怪異にまつわるようなものも、あるんじゃないかな?」
春幸は勢いがありながらも内緒話をするように、正信も少々声を潜め、シェフに問いかけた。いかにも怪異に興味津々、その味も気になっていると言わんばかりである。無論、その態度も心意気も二人とも嘘ではない。
問われたシェフはにっこり笑いつつ周りから見えないように「関係者以外立入禁止」の扉を示した。
「大変鋭いお客様で嬉しく思います。一部食材は生きたままご用意しております。あちらの扉奥より繋がる専用の調理場で解体し、提供させていただいております」
なるほど、あちらから召喚場や怪異のいる場所へと行けるようだ。
正信と春幸は、確信を得た。
●
「コンセプトレストラン……うん、テーマが実に俺好みだね」
偽蒼・紡(『都市伝説の語り手』・h04684)は微笑んだ。
(まあ、√能力者をやってる俺達からすれば|連邦怪異収容局《FBPC》や怪異そのものが実在する事は分かって居るんだけど……)
それを知らない友人なんかは喜びそうだ、とたった一人を思い浮かべ、いっそう愛しそうな、柔らかな笑みを浮かべたあと、自身の感情に疑問を抱く。
(…………?? それは別にいい)
今は関係ないことだ。気分を切り替え、紡はメニューに向き直る。
(こんな面白い事をやるなら思いっきり楽しまなくちゃね)
「確定しない猫の鳴き声のエキス(赤ワイン)」やら、「目玉と牙のスープ(豆腐の豆乳鍋)」やらメニューには実際の写真ともとになっただろう怪異をデフォルメしたイラストが並ぶ。どれもこれも美味しそうに見せるように角度や見栄えも工夫され、イラストも忌避感を与えず、けれど非日常の怪異をイメージできるようにデザインされていた。
(うん、どれもこれもそれなりのこだわりがあるんだろう……ならそこを突こうか)
話を振ればきっと喜んで喋ってくれるだろう。紡は面白そうに目を細め、近くのスタッフに声をかけた。
「素晴らしいメニューばかりですね。怪異という食材を美味しく、かつ拒否感を抱かせず。それでいて見た目もきちんと想起させるように工夫し、処理や調理をするのは大変だったのでは?」
「わかっていただけますか? いくつかは代替食品を使っておりますが、実際に怪異肉を使ってもおります」
紡が柔らかな態度で褒めれば、スタッフも嬉しげに言葉を返してくる。
料理について問い掛ければ、怪異を使っているといかにも本当らしく語っていくスタッフに話を振り続け、紡は本命の質問を投げかける。
「特に「生まれたる仔らの盛り合わせ」、触手の形のチョコムース。これはあれかいやはりバレンタインとやらを意識したのかな?」
「ええ、そうなんです。愛しのあの方に捧げる、すてきなすてきな『仔』をモチーフにして、とパティシエが力を入れておりまして。捧げるにふさわしい、甘くて苦い愛情を表しています。バレンタインにもぴったりでしょう?」
「ええ、ぜひ手にしたいものです」
●
都市伝説や怪異を調べる施設というコンセプトに一風変わった料理と内装、設定で楽しませる、レストランFBPC。
「うへへ……ちょっと面白そうなお店ですねぇ……」
イノリ・ウァヴネイア(幽玄の霊嬢ゴーストループ・h01144)の鼓動を打たない胸も弾んだような気がする。しかし浮かれてばかりではいられない。
(うん、お仕事ですしね……ちゃんと調査します……)
だが悲しいかな、イノリは幽霊である。ただの人には見ることのできない存在だ。
ここに詰めている連邦怪異収容局員全員が√能力者ならイノリ本人が調査に行くこともできるが、流石にそうではない。実際、専用の出入り口から出てきたスタッフはイノリが目の前で手を振ってもなんの反応も返さなかった。
「うん……質問を伝えてくれる「代役」をお願いしましょうか……」
ちょうどここにも見えない友人がいるのだから。
そっと祈って願ってみれば、イノリと同じくらいの年頃の、のんびりした雰囲気の少女が現れた。
「ちょっとお願いしたいのですが、このレストランに入ってですね……色々聞いてみていただきたいのです……」
「いいですよ、聞くくらいなら〜」
「よろしくお願いしますね……あ、このレストランに、何か怪しいお肉とか、運び込まれませんでした……?」
「うーん、いいえ〜? 普通の、お野菜やお肉などしか、見たことないですね〜」
「そうですか、ありがとうございます……」
スタッフ専用の出入り口から運び込まれる食材は普通のようだ。イノリは少女の後ろについて、ポルターガイストで自動ドアのセンサーを動かしてレストランへと入っていく。
「いらっしゃいませ、レストランFBPC・サイト1025へようこそ」
迎え入れた黒スーツのスタッフに案内され、少女とイノリは席につく。かくかくしかじか、と説明やコンセプトを受けてイノリはそっと話しかける。少女が喋っているように合わせてだ。
「それじゃあ……コンセプトですし……この目玉を食することで、どのような力を取り入れることができるのでしょうか……」
「こちらの目玉は無数に眼球と牙、肉が集まった怪異の目玉でございます。食べれば丈夫な肉体が手に入るとか」
「なるほど……」
他の料理もモチーフになった怪異をなぞるような効果があるらしい。うんうん、と頷いたイノリは、ふっと普通に気になった事まで聞いてみる。
「あの、こちらのドーナツは、普通のドーナツのようですが……何か怪異と関連のある点は……」
「こちらは我が連邦怪異収容局の局員が好む普通のドーナツです。特に有名な局員が好んでいるという噂もありまして」
さっと示された写真は若干顔を隠されて特定できないよう加工されていたが、金髪の壮年の男性・S氏がドーナツを食べる姿だった。
●
都市伝説や怪異を調べる施設というコンセプトに一風変わった料理と内装、設定で楽しませる、レストランFBPC。
「うへへ……ちょっと面白そうなお店ですねぇ……」
イノリ・ウァヴネイア(幽玄の霊嬢ゴーストループ・h01144)の鼓動を打たない胸も弾んだような気がする。しかし浮かれてばかりではいられない。
(うん、お仕事ですしね……ちゃんと調査します……)
だが悲しいかな、イノリは幽霊である。ただの人には見ることのできない存在だ。
ここに詰めている連邦怪異収容局員全員が√能力者ならイノリ本人が調査に行くこともできるが、流石にそうではない。実際、専用の出入り口から出てきたスタッフはイノリが目の前で手を振ってもなんの反応も返さなかった。
「うん……質問を伝えてくれる「代役」をお願いしましょうか……」
ちょうどここにも見えない友人がいるのだから。
そっと祈って願ってみれば、イノリと同じくらいの年頃の、のんびりした雰囲気の少女が現れた。
「ちょっとお願いしたいのですが、このレストランに入ってですね……色々聞いてみていただきたいのです……」
「いいですよ、聞くくらいなら〜」
「よろしくお願いしますね……あ、このレストランに、何か怪しいお肉とか、運び込まれませんでした……?」
「うーん、いいえ〜? 普通の、お野菜やお肉などしか、見たことないですね〜」
「そうですか、ありがとうございます……」
スタッフ専用の出入り口から運び込まれる食材は普通のようだ。イノリは少女の後ろについて、ポルターガイストで自動ドアのセンサーを動かしてレストランへと入っていく。
「いらっしゃいませ、レストランFBPC・サイト1025へようこそ」
迎え入れた黒スーツのスタッフに案内され、少女とイノリは席につく。かくかくしかじか、と説明やコンセプトを受けてイノリはそっと話しかける。少女が喋っているように合わせてだ。
「それじゃあ……コンセプトですし……この目玉を食することで、どのような力を取り入れることができるのでしょうか……」
「こちらの目玉は無数に眼球と牙、肉が集まった怪異の目玉でございます。食べれば丈夫な肉体が手に入るとか」
「なるほど……」
他の料理もモチーフになった怪異をなぞるような効果があるらしい。うんうん、と頷いたイノリは、ふっと普通に気になった事まで聞いてみる。
「あの、こちらのドーナツは、普通のドーナツのようですが……何か怪異と関連のある点は……」
「こちらは我が連邦怪異収容局の局員が好む普通のドーナツです。特に有名な局員が好んでいるという噂もありまして」
さっと示された写真は若干顔を隠されて特定できないよう加工されていたが、金髪の壮年の男性・S氏がドーナツを食べる姿だった。
●
真上・モニカ(ハラペコ博士・h05524)は「増える怪異の目玉」なる料理を口に運ぶ。
白い柔らかい素材に焼き色や着色料で色づけられた目玉は緑の衣で周囲を包まれ揚げられていた。噛めば中からじゅわっと豆腐のようなものが溢れだす。淡白でほのかに甘みのあるそれは、豆腐と言われるとそうかもしれない。スパイスなのか、隠し味なのか、変わった風味も感じられる。
「うん」
ざくりさくり、もにっとした二つの食感に、豆の甘み、香辛料の香り。見た目は変わっているが十二分に美味しい味付けだった。怪異肉を使っているのかもしれないし、本当に普通の食材かもしれない、という曖昧なラインだが満足感はある。
皿をある程度食べすすめてから、モニカは近くのスタッフを呼んでみた。
「大変こちらの料理は美味しいな。これはどんな怪異をモチーフにしたものか、聞いてもいいだろうか」
「ありがとうございます。こちらは『さまよう眼球』の目玉を使用した料理です。目玉と牙、肉が無数に集まった怪異で、なんでも食べては目玉を増やしていくのです。その目玉を取り出し、肉を乾燥させた粉末を練り混んだ衣と揚げてみました」
「なるほど、ありがとう」
もっともらしく語られる料理の説明に、モニカはさらに期待する。本物の目玉の怪異は“まだ”食べたことがないのだ。いつか是非とも味わってみたいと思っている。
それから他の料理も頼んでみる。魚介っぽい煮物や焼き物、スープに肉、色々と頼んで、デザートにも進んでいった。
「このドーナツは普通に見えるのだけれど、これも怪異に関わりが?」
「いいえ、こちらは我々FBPCの局員が皆好んで食べるドーナツですね。特に有名なS氏も良く食べているとか」
日本では女性の好む甘味のイメージがあるが、アメリカでは男性も仕事の合間にコーヒーと一緒に楽しむイメージを裏付けるように、顔を隠された金髪の中年男性S氏がドーナツを楽しむ写真がそっと提示された。
(うん、これも異文化交流というやつだ。どう見てもリンドーっぽいが、特定はできないが)
モニカはとにかく食べ進める。『クヴァリフの仔』についての情報収集は他の仲間に任せ、不審に思われないように料理をひたすら食べるのだ。
(……もちろん、陽動のためだぞ? 決して欲望を満たすためじゃない)
●
「おおお、面白そうなレストランやってるんだね!」
雪月・らぴか(えええっ!私が√能力者!?・h00312)は瞳を輝かせ、連邦怪異収容局の用意したメニューを眺める。
ラボのような内装、怪異をモチーフにした料理、怪しい雰囲気のスタッフ。ちょっと怪しく危険な雰囲気の漂うコンセプトは、らぴかの好奇心をくすぐっていた。
(うん、コンセプトだけならプライベートで行ってみたいやつだね! 召喚儀式が絡んでなければいいのにねー)
残念なことに、ここは平和なコンセプトレストランではない。裏ではまさに怪しい儀式が行われており、『クヴァリフの仔』を呼び出している真っ最中なのだ。らぴかも情報収集をするべく、メニューと向き合う。
(たくさん注文すれば店員の印象もよくなって話を聞きやすいかな? いっぱい食べよう!)
海鮮にスープに野菜、肉にスイーツ。事前に聞いた目玉の揚げ物もある。横に添えられた普通の材料は本当なのか、フェイクなのか。見た目からは想像できない量を頼みつつ、らぴかは料理と対面する。
「うわー。なんとなくわかっていたけど見た目はあんまり食欲そそられないもの多いよねー」
タコの足っぽいものはまだいい。人の頭部っぽい形のすり身とか、目玉を模した揚げ物とか、抵抗感ある見た目の料理が多いのはいかがなものか。
しかし食べてみたらいけるかも、とらぴかは白い柔らかい素材を焼き色や着色料で色づけ、緑の衣をまとった目玉の揚げ物を食べてみる。
すると中からじゅわっと豆腐のようなものが溢れだした。淡白でほのかに甘みのあるそれは、豆腐と言われるとそうかもしれない。スパイスなのか、隠し味なのか、変わった風味も感じられる。見た目に反して悪くない味だった。
「うん、これならいける!」
頭をもしたすり身はふわふわで、スープの旨味をよく吸っていた。タコとホタテの煮物も中華っぽい味付けが箸を進める。
そうしてらぴかは頼んだ食事を完食して満足気に笑顔を浮かべ、皿を下げに来たスタッフに声をかけてみる。
「おいしかったです! この目玉の揚げ物もすっごく味が良くて!」
「ありがとうございます」
「ねね、やっぱり特別な材料なんですか?」
「ええ。内緒なんですが」
関係者以外立入禁止、と書かれたドアをスタッフは指差して。
「あちらに専用の調理室がありまして、そこで新鮮な怪異を捌いているんですよ」
●
「怪異とその研究施設をモチーフにした、コンセプトレストランねぇ」
「うん。怪しげなメニューがいっぱいだ」
相馬・和夫(小さいバーのおっさん店主・h01386)と久遠寺・悟志(見通すもの・h00366)はメニューを広げる中には妙に長い料理名に怪しげな写真、時折イラストが混じってなんとも不思議な雰囲気だ。モチーフにした怪異の特徴が捉えられている分、余計に怪しさを増している。
「うーん……とりあえず、これ頼んでみようか」
「そうだねぇ。じゃあ同じものを頼もうかな」
フェアのページにある一押しメニュー、「生まれたる仔らの盛り合わせ」を悟志が指差せば、和夫も頷いた。席に備えられた呼び出しボタンを押せば、すぐにスタッフが近づいてくる。
「お決まりでしょうか」
「『生まれたる仔らの盛り合わせ』を一つもらおうかな」
「うん、おじさんもこの子と同じものをお願いするよ」」
そう注文したならば、スタッフは明るく頷いてレストラン中央のテーブルを示してくる。
「かしこまりました。あと5分ほどでパティシエによるライブ作成も行われますので、ぜひ召し上がりながらご覧ください」
「へぇ。楽しみだね」
「うん。ありがとうございます」
二人で頷いて見せれば、スタッフは失礼しますと席を離れていった。誰も聞いてないのを確認して、和夫はふっと息をついて水を飲む。
「戦場に出るのは好きじゃないけど……まあ潜入ミッションなら、マシかな」
「うん。まずは情報を探らないとね」
くるりと周囲を見れば、いかにも怪しげな機材やモニターが飾られ、時折うめき声や奇妙な音がBGMとして流れてくる。座席のテーブルはまるで実験を行う机のようだった。
少し周囲を観察していれば、注文したチョコムースが運ばれてくる。
「お待たせしました。注文は以上でおそろいでしょうか」
「うん、大丈夫だよ」
「ごゆっくお過ごしください」
スタッフが去ったあと、うねうねぶよぶよしてそうな触手が絡み合ったような、けれど香りはチョコと不思議なスパイスのような物体に、悟志は口を少し歪めた。
「クヴァリフの仔の召喚現場はこのレストランではない……って話だったね」
「そうだねぇ」
「つまり、このチョコムースはクヴァリフの仔じゃないんだよね。なら食べて大丈夫だろうと僕は思うけど、和夫さんはどう思う?」
悟志がそっとスプーンで突くと、表面のチョコが少し砕けて、中のムースが柔らかにぶよんと揺れ動く。ムースというよりゼリーじゃないかと思えるような弾力を見せる物体に、和夫は喉の奥で笑った。
「ふふふ、どうだろうねぇ?」
「……えー……? 否定されないと不安になっちゃうよ」
「こんな怪しい雰囲気なレストランだし、もしかするかもしれないねぇ……。こんな場所でそんなことがあったら大騒ぎがおきそうだ」
「ここが怪しいのは同意するけどね。いっそ怪しすぎて逆に怪しくないけど、それが連中の狙いなんだろうし」
それに実際に召喚された『クヴァリフの仔』、そのものを食べたとしたら何が起こるのかわからない。すでに動かないその肉を食べただけでも力は増えるのか、そもそも食べて大丈夫なものなのか。なんとも不明な物体に、その不安を増すような和夫の言葉に、悟志も躊躇してしまう。
「一応、食べるのはパティシエのライブ作成とやらを見てからにしようかな」
「それもいいんじゃないかな」
ちょうど始まるところのようで、レストラン中央に妙に熱に浮かされたような顔のパティシエが現れた。彼女はうやうやしく手にした箱にかかった布を取り払い、中からチョコ色の触手の塊のようなものを取り出す。
「しまった、すでに完成形が出てきちゃった」
「おやまあ、当てが外れたね」
パティシエは悟志と和夫の目の前で、触手の塊のようなものを切り分けていく。よく見ていれば、切られた断面も表面と同じ色で、きちんとチョコムースだと判断はつけられた。
1皿分に切り分けた触手を網に乗せ、チョコ色のゼリーを各所に添えてから、とろりとチョコを回しかけ。さらさらとココアパウダーをふりかけたなら、悟志や和夫の目の前の皿と同じような物ができあがる。
「大丈夫そう、かな」
「まあFBPCも入手に躍起になっているだろうから、入っていないと思うよ」
「だよね」
悟志は安心して、スプーンを入れる。切った断面もちゃんとチョコ色で、怪しげな肉などは入っていない。和夫の皿も同じで、怪しいものはなさそうだ。一口口に入れれば、シナモンやカルダモンといったスパイスとチョコの風味、甘みと滑らかな舌触りが広がっていく。ゼリーはもっとスパイシーで、食感の違いが面白い。
案外美味しいスイーツを完食し、二人は皿を下げに来たスタッフに話しかける。
「ごちそうさま。おいしかったよ。随分と独特な形のチョコムースだったけど、一体何からインスピレーションを得たんだい?」
「確かに不思議な見た目だったねぇ。何かモチーフになった生き物とかいるのかな?」
「ありがとうございます。こちらは『クヴァリフの仔』という触手の怪異をモチーフに作られたオリジナルスイーツです。まだ実物は見たことがないのですけれど、きっとこんな姿だという想像で作られました」
「そうなんだぁ。その子ってどういう場所で会えるんだい?」
「ふふ、秘密なんですけど、あちらのスタッフ専用のドア、その先の通路からいける秘密の召喚場で召喚の儀式をしてます。内緒ですよ?」
一般人が聞けばそういう設定なのだ、と思っただろう。
けれど、悟志も和夫もこのレストランの裏を知っている。実際にあのドアの向こうに、儀式の場がありそうだ。
●
ネルネ・ルネルネ(ねっておいしい・h04443)は足取りも軽くレストランに入ってくる。
(ふふ、ここの√もコンカフェも初めてなんだ〜、楽しみだなぁ〜!)
素は内向的なネルネでも、心を励ます薬を飲めば初めての経験に足を踏み出すことに躊躇はない。
「さーて注文は……」
などと呟き選ぶ素振りを見せるけれど、ネルネの心は来る前から決まっていた。
(まあ全部頼むよね! だってこの事件解決しちゃったら、ここの料理もう食べられないじゃん! 僕知ってるもん! 敵の飯屋って集客ガチってるからやたら美味しいんだ!)
昨今、飲食店も見た目だけで人を集めるには限界がある。絶対においしいに決まってる。
(ヨクタベレールも飲んだし! 軍資金も多めに持ってきたし! いけるいける!)
多く食べるならば誰かとシェアすればいいと言うなかれ、それは相手がいる者のみの特権だ。
(そういう相手がいないから一人で来てんじゃ〜ん、ハハッ!!!!!!)
乾いた笑いで一人架空の相手につっこみつつ、ネルネは目玉の揚げ物や頭を模したすり身のスープ等々、不気味なメニューをすべて注文する。
「……以上でお間違いないでしょうか」
「うん。お願いしま〜す♪ あ、店員さん。頼んだもの全部並べて貰っていいですか?」
「多少前後すると思いますが、それでもよろしいでしょうか?」
「構わないです」
かしこまりました、と店員が下がってしばらくすれば、次々とできるだけタイミングを合わせた料理が運ばれてくる。テーブルに所狭しと不気味な雰囲気の料理達が並んでネルネを見ていた。
「うぅ〜ん壮観! やっぱ絵面が最悪!! でも写真撮っちゃお」
中心に置かれた目玉と目線を合わせてはいチーズ、何とも不気味な怪異料理の写真が出来上がる。ネルネはついでに店員に頼み、目玉の揚げ物を齧るところを撮影してもらった。
「いぇーい目ん玉モグモグ〜。うん!お味は最高〜!!」
目玉は噛めば衣のさくり、とした食感のあとにとろりとした豆腐のような目玉が崩れ、豆の甘みとスパイスの香りが広がった。二つの食感とバランスを取った香りと豆腐めいた風味が何とも美味である。
(あ、そうだ情報収集……)
写真を撮ってくれたスタッフに、ネルネは話しかけた。
「え〜っと……店員さんの推し怪異ちゃんはどの子ですか? 僕はこの目玉がいいな〜って」
「そうですね、窓の隙間の怪異も好きですが、今一番はそのチョコムースのモデルです」
『生まれたる仔らの盛り合わせ』を手で示し、スタッフはニッコリ笑う。
「伝え聞いたのみで未だこの目で見たことはありませんが、近いうちに見られるかと」
「な〜るほど」
●
神楽・更紗(深淵の獄・h04673)とガザミ・ロクモン(葬河の渡し・h02950)はコンセプトレストランの内装とメニューを興味深そうに頭を近づけ眺める。
「ほほう、何とも面白そうな事をやってる店だな」
「珍しいお店ですね。店内やお料理を写真に撮ってもいいでしょうか」
「どうぞ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます!」
スタッフに許可をもらい、ガザミはまずは怪しい培養液の詰まったケースっぽい飾りや色んな文字や数式、怪しい何かが映るモニター、奇妙な機械等をデジカメで写真に撮っていく。更紗は微笑ましげにその光景を見ながら、メニューを確認していた。
「バレンタインフェア……ハロウィンの間違いでは?」
うねうねぶよぶよした触手の塊めいたチョコムース、チョコドーナツ、目玉と牙のパフェ等々おどろおどろしいチョコメニューが並んでいる。
チョコで甘いイベントに全く関係なさそうな造形になんだろなぁと更紗は首を傾げたあと、興味赴くままカメラを向けたガザミにメニューを示した。
「ガザミ、どれにしようか?」
「そうですね、気になるのは……目玉の料理ですね」
写真の中からぎょろりとこちらを覗いてくる目玉の揚げ物を選んでガザミはきりっと凛々しく言い切った。
「お魚は目玉から食べる派です。あ、更紗さんは大丈夫ですか?」
名前からしてアレな料理なので更紗は抵抗があるのでは、と今更に思い至り、ガザミは更紗へと改めて問いかける。
「うん、まぁ、形がへんてこりんなのは愛嬌だ。良し。頼んでみようか」
更紗はせっかくの友人の誘いだし、断る理由はないと頷く。心の中では「いやいやいやマテマテマテ、コレ、本当に食べて大丈夫なヤツか? 本当に怪異の目玉だったりしない? 腹壊さん?」と突っ込んでいてもガザミは食べたそうだし、と年上の余裕の笑顔も見せながら。
さて、届けられた目玉の揚げ物は白いまあるい物体に焼き色や食紅で色がつけられて、とろりとしたソースが生々しい艶を添えていた。くるりと緑の衣に包まれて、白い目玉との対比も鮮やかだ。あまりにも精巧すぎて、本当の目玉に見えてくる。
仄かに青みがかった緑の瞳の目玉を、ガザミはじっくり観察した。
「これはなんの目玉なのでしょう。キレイですね。更紗さんの瞳に似ています。つやつやしたところとか、大きな瞳とか」
「それ、褒めているつもりか?」
「はい!」
怪異の目玉に似ていると言いながら他意のない笑顔で頷くガザミに更紗はちょっと難しい顔をした。自分も半分妖だけれど、完全な妖とやっぱり感覚が違うのか、それともこの友人がちょっと変わっているのか悩ましい。
似ていると言われた目玉をスプーンですくい上げ、目線を合わせて観察してみる。じーぃっと目玉と見つめ合う姿をガザミは首を傾げて眺めていた。
「ふむ。ガザミ、口を開けろ。妾が食べさせてやろう。ほれ、あーん」
更紗は見つめ合った目玉の揚げ物を、ガザミの方へと差し出した。素直に口を大きく開けて、ガザミは目玉の揚げ物を口にぱっくんと入れて噛みしめる。
サクリとした衣の食感のあと、とろりと目玉が潰れて溢れてくる。正体は豆腐に味をつけたもののようで、豆の甘さと香辛料の香りがよいバランスで広がった。本物の目玉でなかったのは、良かったのか残念なのか。ともかく味は良いのは間違いない。
「うんまっ!! もう一個食べたいです」
今度はガザミの方から口を開けて更紗におねだりする。その様が雛のように見え、更紗はつい笑ってしまった。まるで餌付けしているかのようだ。
「ほれ、あーん」
「うんまっ!」
さくり、とろり、じゅわり。おいしい怪異料理を餌付けされ、ガザミは大変幸せそうに頬張っている。
ちょうど近くを通りがかり、目があったスタッフに、ガザミは頷いて呼び寄せた。
「このお料理美味しいですね、ネーミングも素敵すぎます!」
「ありがとうございます。こちらは無数の目玉と牙、肉が集まった怪異、その目玉を揚げたものです。無限に増える彼らの目玉を提供させていただいております」
「ほう。このチョコムース……『生まれたる仔らの盛り合わせ』にもモデルがおるのか?」
「はい。まだ直接目にしたことはありませんので伝え聞いた姿形ではありますが、近いうちにきっと実物を見ることができると信じております」
ガザミは素直に話しかけ、更紗は話術と魅了を合わせてスタッフから話を聴き取っていく。追加でスープや煮物、焼き物も頼んでから、ガザミは先程撮影した店内の写真をデジカメの画面へと表示した。
「怪異料理の材料は、この関係者以外立入禁止の奥の調理場で用意している、ということでしたね」
更紗は届いたスープの、人の頭を模したすり身をスプーンで一口大にしてからすくって、ガザミに差し出す。
「あーん。本当に調理場があるかはわからんが、そこから召喚に絡む場所にいけるのは間違いないようだ」
「うんまっ! はい、怪しいのはやっぱりここですね」
第2章 集団戦 『さまよう眼球』

●無数の目玉が、そこにいた
レストランFBPC・サイト1025閉店後、√能力者達はこっそりと忍び込み、「関係者以外立入禁止」と書かれたドアの向こうへと足を踏み入れる。
薄暗い通路と続く階段を進めば、その先には重いドアがあった。それを開けると、地下ながらも広い部屋がある。
「|おいでませ、おいでませ、偉大なる母の仔、超常の力持ちたる可愛くてうねうねな愛し子よ《Come, come, come, great mother's child, supernatural power, cute and swelling beloved child》」
「|今ここに来たりてそのお姿をお見せください、超かわいい仕草を見たいのです《Come here now and show me your appearance, I want to see you super cute gestures》」
どんつくどんつく太鼓を叩き、熱の入った詠唱で召喚を行う一段が奥に見える。輪になって踊る彼らの中央には、何か力が集まっているのも感じられた。おそらくもうじき『クヴァリフの仔』の召喚が成るだろうと直感的にわかる。
しかしまっすぐ彼らのところに行くのは無理だろう。
「うんうん、いいよ! 目玉ちゃんサイコー! その角度でよろしく!」
「ぎょ?」
「きゃー、かわいい! そのままそのまま!」
多くの『さまよう目玉』をモデルに、豆腐を丸くくり抜いたり、食紅で色を入れたりしている一団がドアの前にいたのだ。
「ぎゃー、ぎょ!」
「ぎゅ!」
ドアを開けた侵入者に気づいたさまよう目玉達はモデル業を一旦やめて護衛の任に戻る。その間に豆腐をこねていた職員はそっと退避をしていた。
●
訪れた部屋の情報量はあまりにも多かった。
「ふむ……」
正信は顎に手を添え、目に入った光景を咀嚼する。
奥では欲望のままに呪文を唱え、どんつく太鼓を叩いて輪になって踊る集団。フォークダンスじゃないかな、という振り付けで楽しげに踊っている。その中心では何かが現れそうだった。
手前では、目玉と牙と肉の怪異が愛でられ褒められ、FBPCの局員が彼らを模して豆腐をこねている。なるほどあれが目玉の揚げ物の材料だったのだろう。さまよう目玉が可愛いかは置いておいて、モデルがいたのは納得出来た。
「ぎゃー」
沈黙しながら整理していく正信に気づいた目玉はかぱっと牙のついた口を開けた。局員達が下がる一方で、目玉達はここは通さないぞ、と正信の前にも立ち塞がる。
「……ん。ああ、護衛役だったのか。なるほど。目が多いゆえ、しっかりと見張れたろうね」
彼らに死角はあまりないだろう。ぱっちりした目玉は体中どこにでもある。どこぞの神話の百の目を持つ怪物とは行かないまでも、きっちりしっかり見張れるだろう。
「しかし申し訳ないが、その職務は中断してもらおう。今よりここは夜の領域だ」
「ぎゃっ」
びちびちぶるぶる震えてやる気満々の目玉達。やるならやるぞ、と大きな目を正信の真上の一点に集中し、そこにインビジブルと入れ替わろうと試みる。そこから落ちて正信にがっぷりかみつければよし、だめでも新しい目玉が生まれて手数が増えると本能的に理解して。
「さて、行こうか」
「ぎょーっ?」
けれどその視線は黒い霧に遮られる。正信のような、静かに深い夜の気配を帯びた霧は怪異の視界を遮って、その入れ替わりを防いでみせた。目玉をうろつかせるさまよう目玉達の間を素早く縫って移動して、正信は彼らのおそらく背後に回り込む。
「終いだ」
「ぎゅっ」
黒を纏った正信は畏怖を帯びていた。静かに終わりを告げて、鋭い爪が、目玉を、肉を切り裂いた。ざくり、ざくりと手が動くたび、目玉も牙も肉もバラバラに床へと落ちていく。肉片になっても、跳ねて活きの良さを見せていた。
「ふむ。しかしこれで復活はできないだろう」
脇に避けた局員達があーとかううっとか泣いてはいても、目玉が復活する様子はない。
正信はちょっとだけ憐れみを抱いたが、すっと視線を部屋の奥へと逸らすのだった。
●
ワチャワチャと避けていく局員に、何やら怪音を発しながら侵入者に向かってくるさまよう目玉達。
紡はまじまじとさまよう目玉を観察していた。
「あぁ、これが例の目玉の料理のモデルの怪異かな?」
緑の肉に包まれた目玉は確かにあの揚げ物のモデルと言われてもおかしくはない。写真にあった目玉っぽい豆腐の加工物も局員の手元に見えていた。
「出してはいなかったみたいだけど、ちゃんと本体も準備してるんだね。チョコレートの方はまだ召喚中みたいだけれど」
どんつくと太鼓を鳴らしつつ、手と手を取って踊っている奥の方をもう一度見る。確かに何かが呼び出されようとしているけれど、音楽があればフォークダンスでも踊っているようだった。
「まあでも、まずはこちらを対処しようか」
「ぎゃー」
がちがちと歯を噛み合わせ、さまよう目玉はじりっ、じりっと紡に迫っている。かっぷり噛み付く隙を窺っているようだ。
「がんばれ、目玉ちゃん!」
「気をつけて齧るんだぞ!」
脇の方に避けた局員達からは応援の声。
「うん、聴衆もいるしまずは感想から伝えようか」
紡は局員達へと視線を向ける。
「コンセプト料理はどれも美味しかったし見栄えも完璧だったんだけれど……」
紡はそこで言葉を切って、ゆっくり局員を見渡した。じわりと局員達の背中に冷たい何かが伝っていく。
「ほら、言ってただろう『代わりの食材』を使ってるって。だから…………ホンモノを食べさせてもらおうかなって」
one、two、three……紡は局員を指差し目をゆっくり細めた。
「一個や二個、なくなってもいいよね?」
「Noooo!」
ガタガタ震えて絶叫する彼らはこれで静かにしているだろう。奥の一団はまたあとだ。
(……俺が食べたいのは怪異だから、まずは、ね?)
紡はじりじり近づいてきていたさまよう目玉に向き直る。
「うん、活きもよさそうだ。じゃあ、手早く|解体しよう《バラそう》」
「ぎょっ」
紡はすいっとメスを素早く振るう。がぶっと目玉が噛み付くより早く、紡のメスがすっと表面を滑っていった。途端、目と牙、肉が捌かれてぼとぼと床に落ち、ぴちぴち跳ねている。
「うん、やっぱり活きがいいね」
「Noooo!」
「めだまちゃーーん!」
安全性を確認できれば、食べることもできるだろう。紡はにっこり笑って目玉を拾い上げるのだった。
●
無数の目玉に牙、肉の集まった怪異に春幸は興味津々だ。
「ふふ、目玉って美味しんだよねえ。かぶと煮でも一番好きな部位だ」
さまよう目玉の表面には魚と違って鱗もない、ギザギザの歯はあっても全身にあるわけではない。これは簡単に捌けそうだ。
「骨やモツはあるのかな? 魚より楽に調理できるんじゃないかな。見た目、全身ぷるっぷるのコラーゲンみたいだし。その口の中に舌もあるのかな?」
「ぎゅっ」
食欲に満たされた春幸はまじまじとさまよう目玉を見つめ、眺め、あらゆる角度から見聞する。
目玉の方がむしろ居心地が悪そうだ。モデルとして可愛いと言われて見つめられるのは慣れていても、食材として見られるのは初めてである。可愛すぎて食べちゃいたい、という視線とも全然違うのだ。
「うん、楽しみだなぁ。お持ち帰りしたいねえ」
奥で呼び出されようとしているクヴァリフの仔と一緒に持ち帰りたい。新物質にならなくても食材研究には使えるし、肉も一緒に持ち帰れないだろうか。舌があったらそれも欲しい。
(職員の皆さんの愛情をたっぷり受けて美味しく育ってそうだしね)
|愛された《管理された》家畜は美味しく育つというものだ。期待に目を輝かせつつ、春幸はメスを取り出した。
「大丈夫、痛みは一瞬だ」
「ぎゃー!」
がぱっと大きく口開けて噛み付こうとする目玉に臆さず手を伸ばし、春幸はすぱっとメスを振るう。銀の軌跡が目玉を避けて肉の上を奔っていた。途端、目や牙、肉がきれいに切り分けられ、床に落ちてぴちぴち跳ねている。
「うん、切り口もきれいだね。目玉も弾力が結構ある。煮ても美味しいかもしれない」
切り刻んだ肉目玉を拾い上げ、見つめて春幸は質をチェックする。
まださまよう目玉は残っているし、サンプルは多いにこしたことはない。個体ごとに質や大きさの違いもあるかもしれない。じりじり近づいてきていた彼らがが、じりじり後ずさっていくようだが気にすることもない。
すべて捌いて持ち帰れる分を持ち帰る、それから奥も対処するだけだ。
(いっそあの大口で噛み付いてきてくれたら、隙もできそうなものだけど)
そうしたら切り刻み放題だ。勿論、この場で味見したいわけではない、純粋に持ち帰って調査したいのだ。
美味しく安全に食べられるかどうかを。
●
ずんどこ太鼓が一定のリズムで打ち鳴らされ、手と手を取り合い輪になって踊る。唱えるのはクヴァリフの仔の招来を願う文言。
「おおお、いかにも怪しい儀式って感じでいいね!」
地下の部屋で広がる光景に、らぴかのテンションはぐぐっと上がり、雪月魔杖スノームーンをぐっと握っていた。奥も気になるが、手前のさまよう目玉と局員の姿もちゃんと見えている。
「一応護衛もいるんだ。にしては通路は何もなかったし、ドアも分かりやすかったし」
唸ったらぴかは、脇に避難した局員達へびしっと杖の先端を突きつけた。
「っていうかすんなりいき過ぎじゃない!? こここんなに簡単に入れちゃダメでしょ! 警備もガバガバじゃん! さまよう眼球だけで私達追い返せると思ってるわけないよね!?」
「いやー日本って治安いいから今まで押し入られたことなかったし」
「銃もないし、お行儀いいからスタッフ用ドアに入ろうとしないし」
「目玉ちゃん達ならきっとなんとかしてくれる」
割とのんきな局員達の言葉に、らぴかは首を振る。甘い、甘すぎる。
「もう、そんなこと言ってられない状況だって教えてあげる! お姉ーさん! よろしくお願いしまーす!」
らぴかの願いの後、近づいてきていたさまよう目玉の周りがきんと冷えた。白い肌に際どく着崩した浴衣、唇だけがとろりと赤い艶やかな雪女の幽霊が、白い繊手を目玉に伸ばしそっと抱きしめる。途端、目玉はまるで凍ったように硬直し、その活動のすべてを止めていた。
「艶女招霊スノービューティー! お姉さん、どんどんやっちゃって!」
雪女に指示を出すらぴか自身もじっとはしない。手にした魔杖で目玉を殴り、どんどんと蹴散らしていく。ササッと済ませ、目標の仔を持ち帰らなくては。
さまよう目玉だってただやられてはいない、爛々と赤く目玉を、牙を光らせて、がぶっとしてやるっとらぴかに飛びかかってきた。
「なるほど速い……でも負けないよ!」
らぴかは杖をバッドのように持ち直す。突っ込んできた目玉めがけてフルスイングすれば、狙ったとおりに打ち返せる。
凍る目玉に飛ぶ目玉、怯える局員達を見ながら処理を続けるらぴかは、ふと気になった。
「儀式場がすぐそばにある調理場ってどうなのかな?」
どんつく太鼓を響かせ、召喚の儀式をする横で調理をするともなれば、気が散りそうだけれども、と。
●
さまよう目玉がぐねぐね動いて侵入者に迫る中、FBPCの局員達は邪魔しないように脇に退け応援している。更に奥では手と手を取り合い、フォークダンスのように踊りながら、クヴァリフの仔よ来てちょうだいと願う局員。
「……FBPCというのは、ユーモア溢れる職場なんだね」
コンセプトレストランといい、この場の光景といい、随分と怪異への愛が溢れているようだ。一応、ここにいる局員だけがこうなのかもしれない可能性は残っている。
「まあ方向性はどうあれ、熱意だけは認めてやらんこともない。料理も美味かったしな」
ただ、とモニカは鬼切包丁を手に握る。
「怪異は倒させてもらおう。放っておくことはできないからな」
包丁を構えてさまよう目玉達へとモニカは向き直る。じっくりと見つめ、そういえば揚げ物のモデルだったなと改めて思い、少しだけ首を傾げて問いかける。
「……ところで、君は食べることで目玉が増殖するらしいね」
「ぎゅっ」
研究者であり、捕食者でもあるモニカの瞳に、さまよう目玉はびくびく体を震わせた。
「食事がそのまま成長に繋がるとは、興味深い。解剖してその生態を明らかにしたいな。……もちろん味もね。やっぱり豆腐に近い淡白な味なのかな?」
やはり気になる。本物を食べたらどんな味なのか、無限にその肉や目玉が手に入るのだろうか。尽きることなく味わえたり、生育環境で味が変わったりするのだろうか。興味深い。
殲滅できたなら死体を回収しようと決めて、モニカは鬼切包丁を構えた。赤く目と牙を光らせ、やってやるっと飛び込んでくる目玉に振りかぶる。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」
ぶんっと奮った身の丈ほどもある巨大な中華包丁より、内部に宿ったインビジブルが解放される。切れ味を増した包丁を振り上げ振り下ろし、目玉を傷つけないよう切断しては、吹き飛ばす。
「口が残っていなければ増えないのかな? それも含めて研究すればいいか」
ひたすらに鬼切包丁を振るい続け、目玉達を切り刻み。残ったのは床にて未だぴちぴちしている肉片や目玉そのものばかりだった。
持ち帰るために回収しつつ、比較的大きなかけらをモニカはまじまじと見つめる。
「……キモかわいいというやつなんだろうか。私にはセンスがないから分からんなぁ」
ぜひ安心してほしい、大体のヒトはわからないと思われる。ここにいる局員達が変わっているだけだ。
●
局員達が脇に抜けた隙間を埋めるように、さまよう眼球達はもちもちしながら悟志と和夫にも迫ってくる。
(やっぱり戦わないとかぁ……)
潜入調査だけで済めばよかったのに、と和夫は肩を落とし嘆息した。もう一生分戦ったのだから、ひたすらに穏やかに暮らしたかったのにままならないものである。
(おじさんは戦闘苦手だから他の人のサポートをしようかな……)
そう考え酒瓶を手に戦場を観察する和夫の横で、悟志は素早くボーチャードピストルを抜き、構えた。近づく眼球に狙いを定め、周囲を薙ぎ払うつもりでいる。
すると悟志に近づいてきていたさまよう眼球の目が虚空を見つめ、その姿が一瞬、ブレる。ブレた後には新たなさまよう目玉が出現し、悟志ににじり寄ってきた。元の個体は別の場所から迫ってくる。その場のインビジブルはさまよう眼球と位置が入れ替わり、次なるさまよう眼球となったのだ。
「|彼ら《インビジブル》は敵じゃない。だから入れ替わった個体は撃ちたくないけど……」
けれどぱっと見ただけでは違いなどわからない。目の数や牙、口や肉は多少違っても、動かれれば見分けもつきにくくなる。悩んでいる間にもさまよう眼球達は入れ替えを行い、予測できないルートで悟志に迫るだろう。
「でも、僕の眼なら見分けられる」
ピストルは構えたまま、悟志は自身の目を覆う包帯の封印を解いた。赤く光る瞳で見つめれば、人妖「さとり」の第六感が怪異の心を見通していく。
言葉も持たず、ただ本能で動くような怪異の心の中に、戸惑いめいた心を持つものがいる。かじる、倒す、食べる、そんな心の中に、なに、なに、と迷う個体がいるのがわかるのだ。
「君達は撃たない。けど、あなたたちには、逃げ場なんてないんだ」
悟志は√能力を発動し、まごまごしている個体を避けて、ポーチャードピストルでさまよう眼球を撃ち抜いた。周囲を取り巻く眼球が選別され、放たれた銃弾にニ発撃ち抜かれた個体は活動を止めていく。
銃弾の雨から残されて十秒経過し、インビジブルに戻る眼球を見ながら、和夫は小さく呟いた。
「お優しいねぇ……」
戦場を駆け抜け生き抜いた、かつての兵士はその優しさに苦笑する。そんな余裕が持てるのはいいことだが、今の和夫にもそれができるかと言われると難しい。
「残念だけどおじさんは大雑把にまとめてやっちゃうけど勘弁しとくれよぉ?」
「……えっ」
周囲を攻撃し終えた悟志が、戦闘は苦手だと言った和夫を慮って見ているその目の前で、和夫は酒瓶を離れたさまよう眼球の群れ、その中心に投げ込んだ。
「……酒瓶の投擲だって!?」
「ぎゃ〜」
「ぎゅ〜」
「ぎょ〜?」
ばりんと音を立て割れた酒瓶から溢れた酒の香りが、眼球の酩酊耐性を低下させる。和夫は更に追加で周囲にアルコール度数の高い火酒をばらまいた。悟志にも届くほどに酒精の香りが立ち込める。
経験したことのない酔いの気配に、ふらふらもちもちと眼球達は思い思いに彷徨い出す。
「ぎゃっぎゃ〜」
「おっと」
目を赤くして素早く、けれど酔っ払っているからかふらふらと近づいてきたさまよう眼球に、和夫は咄嗟に空いた瓶を振り上げプレゼントした。くるくる回った眼球は、その場でお休み、とばかりに床に倒れて動かなくなる。
「酒瓶の投擲からの空き瓶での格闘……さすがだね」
「そうでもないよ〜……あ、悟志くん危ない!」
「えっ、あっ」
酔っ払ったさまよう眼球が、思い切って悟志の真横と入れ替わる。真横に急に来られたら、悟志でもすぐには対応できない。
「ぎゃ〜」
ふらふらしながらいただきまーすと悟志にかじりつこうとした個体を、和夫はその体で庇った。うまく齧ろうとしてた口の位置がずれ、和夫の体にむちゃりと生暖かい肉がくっつく。円な瞳と和夫の目が合った。
「ぎょ……?」
うにょんと体を揺らし、どーしよっかなーかじろうかなーと酔っ払った思考のまま止まったさまよう眼球。その間に悟志は体勢を立て直し、探偵刀を引き抜いた。
隣をするりと移動する悟志に合わせ、和夫はうにょうにょ悩む眼球を押しのける。そのタイミングで刀が一閃、銀の軌道を描いて振るわれた。銀閃に合わせて眼球はすぱり、一刀のもとに両断される。
「ありがとう、和夫さん。怪我は大丈夫かな?」
「どういたしまして。運が良かったのかな、どこも怪我してないよ」
残ったぎゃ〜ぎゅ〜と酔っ払ったさまよう眼球を処理すれば、儀式の場までは道が開ける。あと少し、頑張ろうと悟志はピストルを構え直し、和夫はフォローのために酒瓶を構えるのだった。
●
「不謹慎とは思うが、太鼓の音色は心躍るな」
「はい、お祭りみたいでウズウズします」
部屋の奥、局員が輪になって踊る様に合わせ、どんつくどんつく鳴り響く太鼓のリズムはどこか祭りのお囃子を思い起こさせて、更紗とガザミは心が浮き立つようだ。
けれどもそこに行くためには、出迎えてくれたさまよう眼球をまずは相手しなくては行けない。ぎょろぎょろとガザミと更紗にも視線をよこし、無数の肉と牙といっしょになった目玉が侵入者に向かってやってくる。
きらきらの目玉を見て、ガザミは思わず声を上げた。
「はわ、立派な目玉怪異です。お料理の再現度の高さからも狂信者たちの愛情を感じます!」
モデルへの愛情を感じ取り感動しているかのようなガザミに、更紗は手を差し出した。
「ガザミ、デジカメ貸しておくれ」
「撮影ですか? ぜひ、どうぞ!」
ガザミは更紗の手にデジカメを乗せる。バッテリーも容量もまだまだ十分にある、何枚でも取れるだろう。
「ありがとう」
借りたデジカメを手に、更紗は艶やかな笑みを浮かべた。やってくるさまよう眼球へと柔らかに声をかける。
「目玉ちゃん、わざわざ出迎えをありがとう。さあ始めようか、撮影会を」
「ぎゅ?」
デジカメを構えた更紗に、さまよう眼球はうにょんと揺れた。ふわりと漂う、えもしれぬ香りが周囲に満ちていく。デジカメを連射モードに切り替えて、更紗は穏やかに声をかけていった。
「目力プリーズ」
「ぎゃ」
「にっこりプリーズ」
「ぎゅ」
「素敵だよ、そうそうイイ感じ」
ふわふわとどこか気分良く、更紗の声かけに、撮影に応じる目玉。後ろでは可愛いねぇ可愛いなぁと局員達がほんわか見守っていた。
ガザミは注目が更紗に集まっている間に、牛鬼のニライとカナイ、それと死霊を呼び出しておく。
「もう一度、目力か~ら~の、ウインク」
「ぎょ」
さまよう眼球にはまぶたが無いのでウィンクはできないがうにょんと体を傾げ、肉でいくつかの目玉を覆ってみせた。
その瞬間、更紗の手には美しい扇子、桜狩が現れる。
「さあ、妾に蹴られて地獄に堕ちろ」
「ぎょ〜!」
途端、大きくなった扇子で扇いだ風がさまよう眼球を吹き飛ばし、影より生じた茨が吹き飛んだ眼球を捕縛する。往復で返って来た扇子は、眼球をしたたかに打ち据えた。
更に更紗はしなやかな手足を存分に振るい、打ち据えた眼球や、揺らいだ眼球、慌てる極員にまで迫って扇子で殴り、大胆に割られた着物の裾から脚で蹴り飛ばし、手当り次第に叩きのめした。その度銀の髪がふわりと揺れて、尻尾ももふりと揺れ動く。花筏と春宵とともに暴れる様は、どこか踊ってすらいるようでもあった。
「ニライ、カナイ。死霊よ、彼らを外に」
「あーれー」
扇子の風を受け、体勢を崩した目玉作成係の局員達は、ガザミの死霊が脅かして気を引いた隙にニライカナイがくるくる糸で巻いて部屋の外へと運び出す。ただの人が√能力者に、彼らの使役する存在に叶うはずもなく、目玉作成係の局員達は成す術なく、文字通り手足も出せずに運ばれていった。
ガザミ自身は龍王之護にて防御を固めた後、獣妖の姿に戻って暴れ回る。蟹爪と足を増やして鋭さと勢いを増し、さまよう眼球を追い詰める。
「美味しそうだけど食べません」
鋭い蟹爪をさまよう眼球へと突き刺して、その生命力を吸い取って。弱ったところでずっしりした脚の一撃で牙を砕いてからハサミでバラバラにしていった。床にぼとぼと落ちてもぴちぴちしている活きのいい肉片や目玉達、更紗が打ち据え活動をやめた眼球達は、呼び出した八咫烏「カムロ」の獄炎で焼き尽くしておく。
大きなハサミを振るい、ぞろぞろと足を動かしてさまよう眼球を蹂躙し終えた黒い甲羅のガザミに、一通り掃討して一息ついた更紗はデジカメを向ける。それから穏やかに声をかけた。
「ガザミ。ウインクプリーズ」
「ウインク? はい!」
更紗の声に、ぽんと人の姿に化けたガザミはぎゅっと両目をつぶった。
「ウインクって、慣れてないと両目をつぶるよな」
更紗はころころと軽やかな笑い声を上げ、さもできています、とぎゅっと両目をつぶっているガザミをデジカメでパシャリ、撮影しちゃうのだった。
●
「なんだ、イノリもこの仕事斡旋されてたのか」
「あ、ノビィさん……」
偶然出会った友人に、ノーバディはひらりと手を振った。イノリも手を振り返し、二人は合流する。
「そっちは一般人に見えねえのに、調査とか大変じゃねーか?」
「えへへ……まぁ、そこはそれ……私の近くには色んな|協力者《幽霊》がいますので……」
「なるほどなぁ」
先程も現れたインビジブルに協力してもらった話をすれば、ノーバディのヘルメットが頷くように上下に揺れた。手を貸す友人と工夫次第でなんとかなるものだ、と感心したものだ。
なんてほのぼの話してはいるけれど、ここは奥ではうねうね可愛い子を喚んでいて、手前ではぎょろぎょろ目玉のさまよう眼球が近づいてきている部屋の中である。
聞こえてくる詠唱に、壁際に避けてさまよう眼球を応援する局員の様子に、イノリは首を傾げてノーバディに問いかけた。
「うねうね可愛い子に……こちらのぎょろぎょろさん達が可愛いって言ってる方もいますけど……。人の好みって色々ですよね……|幽霊《私たち》が好きな方も、どこかにいるんでしょうか……」
見えないものを恐れる心理は、誰であっても存在しうる。それ故に幽霊を恐ろしいものと捉え、怯えるものも少なくない。けれど少数派でも怪異を好きというものがいるなら、幽霊を好きというものもいるかもしれない。怖がられず、イノリが見えなくても意思疎通ができて、友達になれるかもしれない。そうだったらいいのにな、と少しイノリは思うのだ。
ノーバディはヘルメットの頭を傾げて答える。
「さて、どーだろな」
それはいるかもしれないし、いないかもしれないという曖昧な答えだ。それこそ好みは各々違うから、なんとも言えないものである。ただ、ノーバディが自信を持って断言できることもある。
「でも俺はイノリの事気に入ってるぜ?」
胸を張り、イノリ・ウァヴネイアという個人を気に入っている、と言うノーバディの声は明るく、バイザーには笑顔のマークが浮かんでいた。イノリはその言葉にふんわりと微笑み、嬉しげに頷く。
「ありがとうございます……」
「ところでついでに聞くけど、頭がねえ奴好きになってくれる人っていると思う?」
クエスチョンマークをバイザーに浮かべたノーバディに、イノリはまた首を傾げてみせた。
「えっと……どうでしょう……私はノビィさんの事は好きですけど……」
なかなか頭が、顔がないというのは、好きになる要素としては難しいところかもしれない。そこを問題にしない人ならばともかく。
むぅんと悩んでからイノリは己の言葉を振り返り、ちょっと慌てて言葉を続けた。
「あっ、いえ……好きってそういう意味ではなくてですね……あのその、ですね……」
「お、どう言う意味でもありがてーな!」
ぱたぱた手を振り、少し焦って頬を染めたイノリに、ほんのり甘酸っぱいようなそうでもないような、楽しい会話にノーバディはからりと笑い、バイザーの笑顔も明るいものだ。
「さておき仕事のお時間だ!」
「はい、そうですね……」
うにょんうにょんぎゃーと近づいてくるさまよう目玉がいなければ、青春劇か、友情以上恋愛未満の雰囲気が漂ったかもしれない。近づいてくる以上、お仕事はしなくてはいけない。
「こちとら噂の可愛いうねうねな子に用があるんでな、お目目ギョロギョロな子には悪ぃが退いて貰うとしようか!」
「すみません、通してもらいますね……」
イノリは近づいてくる目玉達に呼びかける。
「あの……『手越さん』から伝言がありまして……」
ふわりと彼女の友人、『手越さん』の気配が濃くなる。
「「人と異形の間を越えた君達の愛は素晴らしい、称賛を送らせてほしい」だそうです……」
「お、良かったな目ん玉ちゃん、Ms.テゴシにたんと褒めてもらえよ!」
「ぎゃ?」
目玉をぎょろりと向けて、奇妙な声音で鳴く怪異に、イノリはそっと目を伏せた。
「それでは……えっと……すみません……|幽霊大喝采《全力の拍手》、いきます……」
言い終えた途端、盛大な拍手の音が部屋に響き渡る。万雷を超える大音量と振動が、指定されたさまよう眼球達を震わせた。
「ぎょ〜〜!?」
揺らされ爆音に晒され震えるさまよう眼球達に、イノリに憑いている『手越さん』から不満げな雰囲気が伝わってきた。
「今日もMs.テゴシの拍手は凄まじいねぇ」
「『手越さん』的には、拍手が攻撃……というか足止めになるのは不服らしいんですけど……私的には、使えるものは使いたいというか……えへ……あっ、称賛の気持ちは本物ですよ……どうもすいません……」
くらくらりと揺れて足止めされた眼球達に、ノーバディはイノリと『手越さん』へと賞賛を送ってからオイルライターを頭につけた。
途端、ノーバディの頭がライターに置き換わる。カチリと火打を鳴らしたら、ぼうっと炎を吹き上げるMr. Torchへと変わったノーバディは舞台上に上がるマジシャンのように手を広げ、炎を自在に操りだす。
「今日は爆発力1、延焼性1、残り21の割合で速度・熱量に全ツッパで────あとは|こんがり目《ウェルダン》で焼くだけ!」
ノーバディのフィンガースナップに合わせ、吹き上がる炎がびゅうっと飛び出して、揺れる目玉を包み込む。じゅっと音を立ててさまよう眼球の目玉が、肉が焼けていった。目玉と牙を赤く染め、素早く動いて避けようとしても、揺れは確実に動きを止めてくるし、炎は決して逃してはくれない。
「これぞ正しく"目玉焼き"──なんてな!」
「ノビィさん、すごいですね……」
飛び出す炎を見送ったイノリに、ノーバディは軽く手を叩いて気を引いた。
「ヘイイノリ! 折角だしこっちにも拍手貰っていいか?」
「えっ、拍手ですか……どうします……?『手越さん』……」
イノリは『手越さん』に問いかける。帰ってきた答えに、イノリはそっと手を上げて。
「では、私達から賞賛の拍手を……ノビィさん、素敵です……」
ぱちぱちと、先程よりもずっと小さなけれど熱のこもった『手越さん』の拍手と、音は鳴らなくてもイノリの気持ちを込めた拍手が、ノーバディの炎を一層燃え上がらせるのだった。
●
「あっ、FBPCってそういう感じなんだ……」
楽しそうに召喚儀式を行っていたり、怪異を愛でて、褒めて、モチーフの料理の素材を作っていたり。入った秘密の部屋の光景はネルネにもしっかり楽しそうに見えた。
「うんうん、楽しそうで何より!」
多分ここにいる局員だけが愉快なだけだと思うが、それならそれでよしだ。
「でも被害とか出すの良くないし! 散財分回収のためにも邪魔させて貰う!!」
『クヴァリフの仔』を持ち帰れば、機関から何か礼が出るかもしれない。そうすれば少々寂しくなったネルネの懐もまた暖かくなるだろう。
決意しつつうにょんうにょんぎゃーと迫ってくるさまよう眼球へを改めて観察すると、確かに若干可愛い気がしなくもなくなってきた。
「うーん、確かに警備を頑張ってる目玉ちゃんは愛嬌があるような気も……?」
ネルネはなるほど、と見出して頷く。局員達が推すのもわかる気がした。
「じゃあ僕の推しの子も紹介するねぇ」
にっこり笑顔でネルネの伸ばしたた指先に炎が灯る。
「この子はウィザード・フレイムのフレミーちゃん! キラキラ綺麗で、こうやって反射や目潰しや、色々できちゃうすごい子なんだ!」
揺らぐ炎は色や形を変え、唱えれば一つ増える。ネルネの周りにふわふわ浮かび、キラキラと輝きこんにちは、ご機嫌いかがとゆらめくよう。大変かわいいネルネの推しキャラだ。
「ところで目玉に炎とくればどうなるか、おわかりだよね?」
「ぎょ」
「そうだね、目玉焼きだね! やっちゃえフレミーちゃん!!」
「ぎゅ〜!」
ぽんぽんぽんっとフレミーちゃんが走り出す。さまよう眼球がインビジブルと入れ替えを行う前にその目玉に飛び込んで、じゅっと音を立てて丸焼きに。たくさんある目玉を全部焼いちゃえと、ネルネはいくつもいくつもフレミーちゃんを送り出した。
「負けるな目玉ちゃん!」
「そこ、避けて!」
壁際に避難した局員の応援が始まった。けれどネルネも負けじとフレミーちゃんを応援し始める。|応援《えいしょう》して、手を振り上げ励ますのだ。
「がんばれ! がんばれ! 右、左、上上!」
「ああっ、また焼かれた!」
「フレミーちゃん輝いてる! もう一個どーん!」
応援合戦を続けていれば、いつの間にかさまよう眼球もすべて焼けていた。
「ああ、目玉ちゃーん!」
「やったぁ〜! 上手に焼けましたぁ〜!!」
喜ぶネルネの足元に、焼けたお肉に守られた目玉があった。白身には程よく炙った色味がついて、瞳はきょとんとネルネを見上げていた。
それに気づいたネルネはふと目の高さまで拾い上げてみる。
「…………」
ネルネは目玉を取り出して、モグ、とかじりついた。
口の中にとろっと不思議な風味の、どこか甘い味が広がっていく。案外美味しいかもしれない。
第3章 集団戦 『シュレディンガーのねこ』

●ねこです
素早くさまよう眼球を、無数の目玉を超えた√能力者達の耳に、こんな声が飛び込んできた。
「にゃーん」
「あーだめですお猫さん! クヴァリフの仔はおもちゃじゃありません! たしっちゃだめです!」
見ればクヴァリフの仔の気配に引き寄せられた怪異、『シュレディンガーのねこ』が召喚されたばかりの『クヴァリフの仔』を咥えたり、手でたしたし弄んでいたのだ。
「んにゃ」
「おやつでもないんですー! ぺっして、ぺっ!」
もにゅっと咥えて見てくるねこに、ここに出して、と手を差し出す局員もいた。けれどシュレディンガーのねこはぷいっとくわえたままそっぽ向く。
『クヴァリフの仔』は生きたまま回収したい。融合する前に『シュレディンガーのねこ』達の気を引いて、なんとか取り返さなくては。
====
※まっとうに戦うもよし、遊んで満足してもらい、『クヴァリフの仔』をもらうでもよし。シュレディンガーのねこはあなたの望んだねこになるでしょう。
※『クヴァリフの仔』と遊んでいる『シュレディンガーのねこ』は妙に強いです。でも融合度合いは軽いので、ねこを倒す、もしくは満足させればすぐに回収できそうです。
※局員は邪魔してきません。がやがやしているだけです。対処もしなくても大丈夫です。
●
若干不確定なねこ達を見やり、正信は少々かんがえこむ。
「ふむ……。猫カフェ……ではないな」
もにゅっとクヴァリフの仔を咥えるねこ、ぺちぺちたしたしとうねる触手を叩くねこ、うにょんと動く仔をじりじり追いかけているねこ。大変ねこらしいねこ達である。お茶もお菓子も出ないけれど、場合によってはねこまみれにはなれそうだった。
局員を襲ったり、√能力者に牙も爪も向けないねこ達に、正信は|Orge《オルジュ》と|クロウタドリ《メリル》を呼び出した。
(ひとまず、あまり凶暴なねこではないようだ。怪異はこの√において、必ず倒すべき敵とは限らない)
新物質は必要だが、倒さずにいられるならばそれも悪くはない。ゆったりと頷いて、正信は小さな小鳥達をねこ達へと向かわせた。
「ぴぴ」
「なーう」
「ちちち」
「んにゃ」
一羽ずつ尾羽をふりふり、ちらちら。ねこ達の目に、小さな小鳥が揺れる姿が目に入る。それはねこが手を伸ばせば届くか届かない距離。若干動きの鈍いクヴァリフの仔よりも惹かれる獲物にねこがじりじりやってきた。小鳥を狙って集中し、じっくり狙いを定めている。
(彼らも我が友だ。無為にねこの餌食にはしたくないが……獲物が捕まらないことも、ねこにとってはストレスだと聞く)
ならば多少は致し方ないだろう。捕まった個体には、きちんとあとで労ってやらねばなるまい。そっと目を伏せ折り合いをつけた正信は、柔らかにそばに控えたオルジュの頭を撫でた。
「オルジュ」
主の声に、忠実な犬の死霊はねこの手や口から逃れてうねうね這いずる仔を掴み、正信の元へと運んでくる。
その間もねこは小鳥に気を引かれて尻尾を揺らし、じぃっと揺れる尾羽を見つめていた。ぐっとその手に力がこもる。
「カカカカッ」
「ちゅちゅんっ」
攻防は一瞬。飛びかかったねこを躱し、小鳥はバサッと飛び立った。
「うむ。よくやった」
「ちちっ」
正信の褒め言葉に、まあもう一回遊んでもいいですよ、と小鳥はねこの前に降り立つ。ゆらゆら尾羽を揺らし、挑発するスタイルだ。
「ふしゃー!」
「ぴちちっ!」
じったんばったん、ねこは小鳥を追いかけて跳ねたり駆けたりし始めた。
その合間を悠々とオルジュが仔を咥えて主のもとに届けていく。
「うむ」
正信は優雅に頷いて、オルジュを褒めるのだった。
●
クヴァリフの仔は召喚された。その気配は怪異も敵の√能力者も引き寄せてくるものだ。それらに完全に奪われる前に、仔は回収されなくてはいけないものだ。
紡は油断無く、部屋の奥へと向き直る。そこには確かにクヴァリフの仔もいた。引き寄せられた怪異もいた。
「……おや、猫。かい?」
その怪異は若干姿形は不確定だし、何とも怪しい存在ではあるが、どうもねこっぽい。
(うん、FBPCの職員の怪異の扱いも完全に猫だね。とて怪異に対するものとは思えない)
そういう偽装であったら大変高度なものだ。紡はじっとシュレディンガーのねこを見つめる。
「これを可愛いと思う感覚を残念ながら俺は持っていないのだけど……」
ちいさな耳や顔、しなやかな尻尾、柔らかくも筋肉のある体、個々に違う毛並み、気ままな姿、そういう姿を好む存在を紡は知っている。
「祈月は猫が好きだったな……。写真や動画をよく見せてくれるし。」
観測されたねこは紡の連想に合わせて、姿を変えていく。紡のかけがえのない存在、|祈月《Anker》の好む可愛らしい猫の姿へと収束したのだ。
「そう、こういう姿。見かける度に触ろうとしたり写真を撮ろうとしたり………俺としてはそういう祈月の方が——?」
紡の思考が、今まで思い至らなかった概念に戸惑うように一瞬止まる。
(祈月の方が『カワイイ』)
紡には、どうしても手に入れたい|おもちゃ《片思いの相手》、面白い存在と思っている祈月が猫よりも可愛いのだ。
その可愛い相手が好む小動物が目の前にいる。この存在の写真を見せたら、祈月は喜んでくれるかもしれない。
紡は無言で猫の前に座り、都市伝説を紡ぐためのネタ帳を取り出した。くっついている栞紐を猫の前に垂らし、不規則に揺らせば、猫は栞紐に手を伸ばす。跳ねて揺れる細い紐に夢中になって飛びかかって、引っ張りじゃれてきた。先程まで押さえていたクヴァリフの仔など見向きもしない。
しばらくじゃらせば、猫はくあっと口を大きく開けてあくびして丸くなる。疲れたのか、飽きたのか。気ままなものである。
紡はスマートフォンを取り出し、猫を撮影した。ついでにクヴァリフの仔も回収しておく。
(……うん、今度、祈月を猫カフェに誘おう)
きっと祈月は喜んでくれるだろうから。
●
「むむむ、いつの間にか別の怪異がいる! どこか別の入り口があったのかな?」
らぴかは『クヴァリフの仔』に惹かれ、引き寄せられた存在を前に、一瞬戸惑ったあとこの施設の警備の甘さに憤った。
「っていうかやっぱり警備ガバガバじゃん! そんなんで怪異を収容できると思ってるの!?」
召喚されたクヴァリフの仔に引き寄せられてどこからかにじみ出したのかもしれないし、隙間や角から入り込んだのかもしれない。いずれににせよ、物理面だけでなく、怪異に対する防御も薄いという事実には変わりない。
そして、この凶悪なねこも排除しなくてはいけないのだ。らぴかは特に猫も好きではなく、気の惹き方も知らないので、さっさと倒してしまおうと杖を握りしめる。
「2つの刃をクルクル回せば、私自身が猛吹雪ー!」
らぴかが魔杖がくるくる回せば、両端よりピンクに輝く氷の刃が現れた。一気に加速した世界の中で、魔杖両鎌を振り抜いて四連撃をシュレディンガーのねこへと振り下ろす。
「両鎌氷刃ブリザードスラッシャー! 突然やってきて獲物の横取りしようとするのが悪いんだよ!」
四つの軌跡で八つに分割されたシュレディンガーのねこが抱えたクヴァリフの仔を拾い上げ、らぴかは次のねこに向かう。
中にはらぴかの氷の鎌で倒しきれない個体もいた。即座に恐ろしい獣の面を強く出し、鋼よりも硬く、鋭い爪先がらぴかを狙うが、それは強化されたらぴかの移動速度に追いつけず空を切る。再び爪を振り上げたそのときには再び切り刻まれるだけであった。
仔に惹き付けられ、こちらを見ていない個体を優先的に狙い、らぴかは戦場を駆けていく。彼女の移動とともにピンクの光が残像を残し、切り裂く音とともにシュレディンガーのねこは刻まれ、クヴァリフの仔を残すのみ。
「いるだけで怪異を引き寄せちゃうのは、人の多いところとかだとやばいね!」
今回は比較的弱い怪異が引き寄せられたが、調査や先ほどの目玉との戦闘でもっと時間がかかっていたら、さらに強い怪異や敵が現れていたかもしれない。弱い怪異でも、一般人のいる場所でクヴァリフの仔が召喚されたら、それを野放図にされたら大惨事だ。
そうならないよう、らぴかはこの場に残るシュレディンガーのねこを切り裂いて回ったのだった。
●
不確定なシュレディンガーのねこを春幸が観測すれば、人怖じせず、|クヴァリフの仔《餌やおもちゃになり得るもの》に群がる可愛らしい小動物の一面に収束していった。
「よーし猫ちゃん達。僕と遊ぼうね~」
春幸はネクタイに指をかけ、シュッと解く。シワがつくのも気にせずに、先の方に結び目を作ってから猫に見えぬよう物陰に隠れた。そのままクヴァリフの仔に戯れる猫達の気を引くように、トンと床を打って大きめの音を立てる。
ぴぴっと耳を震わせて、春幸のいる方に視線と意識を向けた猫に、結んだネクタイをチラと見せた。
猫は遊んでいた動きの鈍い仔を離し、くっと頭を下ろしていく。ぴんと尻尾を立てながら、お尻をフリフリ揺らしてネクタイを獲物と定めていった。
春幸は狩りの姿勢に変わった猫へ、ネクタイを動かしてみせる。ゆっくり、いかにも狙いやすい獲物だというように。
じりじり狙いを定めた猫がここだ、と飛びかかった瞬間、春幸はネクタイを素早く引っ込めた。まるで動物が猫の突撃を躱したかのように。
「にゃーーーん!」
「んにゃーーー!」
猫達が妙に長い声で鳴けば、ネクタイがしたたたと震えだす。それすらも猫の気を引く材料に変え、春幸はネクタイを左右に振り回したり、急に大きく上に振り回したりして翻弄する。
「ふにゃにゃ」
「にゃふにゃふ」
「にゃしゃー!」
興奮しきった猫達がネクタイの動きに揺れては飛びかかり、走っては跳び、と興奮が最高潮に達したところで、春幸はネクタイをポンと放つ。
急に動きを止めた猫達が「?」とした顔で鼻を寄せ、様子を窺ったところでまた素早く引き戻した。
しゅばっと手を出し捕らえようとする猫のぎりぎりを避け、春幸はネクタイを操る。
「はは、毎日猫ちゃんと戯れている僕の実力を思い知るがいいよ可愛いねえ。こっちだよほらー」
「うにゃん!」
床を踊るネクタイを捕まえようとぺしっと床を叩き、宙を舞うネクタイに飛びかかってはすちゃっと降りる。そんな猫達を思いのままにじゃらしながら、春幸は合間にクヴァリフの仔がうにょんとしているのを回収した。
さて、たくさんの猫と戯れその匂いと毛を体中にひっつけた春幸が、自宅に帰ってから飼い猫に嫉妬されたかどうかは、本人と飼い猫のみぞ知る。
●
「ふぅむ、猫か」
うねるクヴァリフの仔を押さえたり咥えたりしているのは、シュレディンガーのねこだ。モニカが観測する前で、うにゃんと収束しつつある。
「猫に人気なペーストを持ってくるべきだったかな」
事前に猫が出ると知っていたなら用意したのだが、とモニカは悩み、クーラーボックスの中を探し始めた。先ほど回収した目玉と肉片がまずは目につく。目玉と見つめ合ってから、モニカは肉片を少々取り出した。
「……さきほどの、目玉の肉片は食べるだろうか。ほら」
「にゅぐ」
かぷりと好奇心旺盛なねこが差し出された肉片にかぷっと飛びつく。なんだろうこれ、不思議な味ーと、うにんとした顔でガジガジと噛み締め、引きちぎり、ちゃしちゃしと舌で舐めて削ぐ。
「そっちは興味がないか。干し肉は食べるか?」
「にゃー」
肉片に興味を示さなかったねこには、サバイバル用に用意していた干し肉が入っていた。モニカが小さく割いたそれにねこは鼻を近づけ、ふんすふんすと匂いをかぎ、おもむろに齧り付く。気に入ったようでしゃぐしゃぐと細かに裂いて齧っていた。
ねこ達が美味しいものに夢中になっている間に、モニカはクヴァリフの仔を回収する。うにょんとうねるぶよぶよした触手めいた存在は、掴めば見た目通りの感触がした。
シュレディンガーのねことしっかりがっちり融合しているようなら、大人しくさせたあとで鬼切包丁で切断するところだったが、今回は大丈夫そうだ。
回収したクヴァリフの仔をクーラーボックスの目玉の隣に収容しながら、モニカもクヴァリフの仔を、猫が獲物を見定めるようにまじまじと見た。
ぶよぶよでうねる触手に見えるが、これからどんな新物質が取れるのか。これは食用可能だろうか。どんな味がするんだろうか。
「いろいろ楽しみではあるが……とりあえず、味見しても怒られないかな?」
モニカの手に乗ったクヴァリフの仔がうにうにのたうちを激しくした。明確な意思があるかどうかわからない存在ではあるが、純粋な食欲の対象になったことに何かを感じたのかもしれない。ただ偶然にうねりを激しくしただけかもしれない。
だがしかし、モニカは少しでも多くのクヴァリフの仔を生きて届けなくてはいけないのだ。つまり齧ってはいけない。
大変残念そうにしながら、手にしたクヴァリフの仔をモニカはクーラーボックスにしまうのだった。
●
召喚されたクヴァリフの仔に引きつけられたか、その場には何とも不確定なねこの怪異が現れていた。
「リンドーのおっさん最終的には猫カフェでも開く気だったりした??」
リンドー氏がノーバディの言を聞いていたら、大変遺憾そうな顔で「そんなつもりは毛頭ないし、これは意図した結果ではない」などと言ったかもしれない。この場に彼はいないので、真実は不明のままである。
ノーバディの言葉を聞いていたのはイノリはどこか嬉しげな雰囲気でうんうん、と頷いている。
「コンセプトカフェに併設された不思議な猫カフェ……それはそれで……いいですね」
現在はお茶もお菓子も出ないけれど、十二分に多種多様な猫達と遊べそうで何よりである。それだけで心が踊るというものだ。
ノーバディとイノリの前で可愛らしい姿に収束しつつあるシュレディンガーのねこ達を見ながら、ノーバディはほんわかとしたイノリに話しかけた。
「ところでイノリぁ猫好きかよ? 俺ぁ割と好き」
「もちろん大好きですよ……問題は、猫さんたちは|大体幽霊《わたしたち》の事は好きじゃなさそうってことなんですけど……」
「あれま、そうなの? ひんやりするから苦手とかかね?」
「どうなんでしょう……」
生きていないものに対し、動物は敏感であるという。もしかしたら普通の猫は生きていない幽霊達に怯え、攻撃的になるか逃げ出すかしてしまうのかもしれない。
しかしここにいるのはただの猫ではない。怪異の一種だ。
「でも、今回は普通の猫さんとは違うなら……うへへ……遊んでくれるんでしょうか……」
「そうだな、今日のは色んな意味で変わったニャンコ共だし仲良くなれるチャンスかもだぜ!」
「それなら……|猫好きな幽霊達《みんな》も呼ばないと……ですよね……」
「おう、いいな! パーッと賑やかに行こうぜ!」
同意し、バイザーに笑顔のマークを浮かべるノーバディに、イノリもふわっと微笑み返した。
仲間を呼んでから、イノリは早速近くにいたねこの側にしゃがみこむ。うにょうにょしたクヴァリフの仔を弄んでいたねこは、近くに来たイノリに手を止めて見上げても逃げる素振りはない。
「先日の猫カフェでは、誰も触らせてもらえませんでしたからね……今日こそは……えへ……」
そうっとイノリが指を伸ばせば、ねこはふんふんと鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。そのまま指先にちょんと鼻を押し当てた。逃げないねこにイノリはほんわかと感動すら覚える。
「はわ」
「んにー」
「あ、はい……撫でます……」
いつもつれなく逃げられてしまうのに、今日だけはねこっぽいものだが逃げずに触れる。ふわふわの毛並みを、ちいさな体温を、柔らかい存在を指や手で撫でてみる。心地よさそうにごろごろ鳴らす喉を感じつつ、あとは満足させるまで遊べばいい、と考えてイノリはどうしようか悩み始めた。
「ここは猫カフェじゃないですし……おもちゃも何も……」
と、言いながらノーバディをふと見たとき、イノリの目は少し丸くなった。
イノリが奮闘している間、ノーバディはすっと懐より一つの玩具を取り出していた。
「【|FUNNY FACE《おかしなツラ》】の面目躍如といこうか!」
すこんとそれに頭をすげ変えれば、いつものヘルメットの代わりにみょいーんと発条仕掛けで跳ねる鼠頭の玩具がノーバディの肩の上に鎮座した。
「ハァイネコチャーン、お顔に注目~! |いないいない~ばぁ《Peek-a-boo》ってな!!」
「にゃー」
「うにゃ?」
なんだなんだと注目したねこ達に、ノーバディはねずみ頭をみょいんみょいんと揺らしてみせた。不規則に予測できない動きをするおもちゃに、本能で獲物と判断する存在に似ている頭部に、ねこ達も猫の可能性を刺激される。
「にゅしゃー!」
「しゃしゃしゃー!」
「はっはぁ! 元気だなぁ!」
容赦なく風を切るねこパンチをされ、ばりっと何でも切り裂けそうな爪で引っかかれてもノーバディには痛くも痒くもない。むしろ負った傷が回復している気すらする。みょいんみょいん元気よくねずみ頭も揺れ続けた。
「仲間認定なのか|獲物《敵じゃない》認定なのかはわかんねェがまぁとにかくヨシ!」
猫が獲物を長くいたぶる残虐性が現れているのかもしれないが、何ら問題はなく。長く楽しめるなら良いことだとみょいんみょいん頭を揺らし続けるノーバディだった。
そんな光景を見たイノリの目は丸くなり、羨ましそうに言葉を零す、というわけだった。
「えっ、何ですかそれ……便利ですね……」
「いいだろ〜」
「いいですね……私はどうしま……」
「友達から一本借りたらいいんじゃないか?」
「えっ……」
ノーバディの言葉にイノリが|友人《幽霊》達を見渡せば、皆猫じゃらしを持ってきていたようで、ふわふわと揺らしているのが見える。
「えっ、みんなはおもちゃ持ってきてるんですか? 猫じゃらし、一本もらっていいですか?」
どうぞ、と差し出された一本を借りて、イノリも撫でていたねこをじゃらし始めた。
「えへへ……それじゃあ、こちらでぜひ遊んでください……」
「にゃっ」
イノリがゆらゆら揺らす猫じゃらしに、ねこは勢い良く飛びついた。
「あっ、ちょっと待ってください……揺らして落とそうとしないでください……もっと平和的に遊んでくれませんか……?」
「うにゃにゃなー」
猫じゃらしとは猫の狩猟欲を満たすように遊ぶ道具でもある。よってねこは正しくイノリの猫じゃらしにじゃれているのだが、じゃらし初心者のイノリにはなかなか勢いが良すぎるものだった。
あわあわしながらイノリの頭も揺れ始め、長い髪がゆらゆら揺らめき出す。
「にゃっ」
「にゃー」
「あぁー……私の髪は猫じゃらしじゃないんですけどぉ……ちょうどよく揺れるかもしれませんけど……」
「ワオ、イノリも大人気じゃねーの!」
不規則に揺れるそれに刺激され、ねこ達はイノリの髪に向かってじゃれ始めた。慌てて髪を揺らせば、その動きにねこが反応する。
ゆらゆら無限ループに陥ったイノリが慌てるさまをノーバディは少し観察し、ちょっと可愛そうだけどかわいい光景にぐっとサムズアップする。
「…………こう…………ガンバ!!😉」
「助けてください〜……」
ゆらゆら揺れる髪に、はねまわるねずみ頭に、満足したねこ達は動きをやめて丸くなり始める。最後までイノリの髪をおもちゃにするねこもいたし、ノーバディのねずみ頭にかぷかぷかじりつくねこもいた。
おとなしくなった個体のもとから、ノーバディはクヴァリフの仔を回収していく。
「はいはい~そのキモいの食べるとお腹壊しちゃうからね~~、ないないしようねぇ~~~~」
「なーん」
うねうぶよぶよの触手を取り上げられて不満げに鳴いたねこは、髪を弄ばれ、とうとう疲れきって座るイノリの膝へとノーバディによって運ばれる。
「はい、ねこちゃんだぞ」
「はい……」
にゃーと鳴くねこは、大人しければかわいいな、と思えたが、遊ばれているときは案外危険なんだな、とイノリは思ったかもしれない。
ノーバディはそんな彼女の状態に、ちょっとだけかわいいなぁとにこっと笑ったマークを浮かべたあと、おつかれさん、と労うのだった。
「シュレディンガーの猫……観測者によって生死が決まる、箱の中の猫だね」
有名な量子力学分野の思考実験の一つである。観測するまでは事象は確定せず、あらゆる可能性が重ね合わさった状態にあるだろうか、という問いかけだ。その名を冠した怪異達も似たような性質を持っているようだった。
今も何かに収束しようとするねこを前に、悟志は和夫に告げた。
「この怪異は、僕らの観測によって性質が決まるってことか」
「なるほど? つまり、えーと……?」
「そう、つまり……このねこたちは、僕らと遊びたいってことだよね、和夫さん?」
「いや、僕に聞かれてもね? こういうのはドックブリーダーならぬキャットブリーダーとかにお任せしたいんだけどね?」
和夫への問いかけの形を持った悟志の言葉に、二人の前のねこが可愛らしい猫の姿に収束する。たしたしクヴァリフの仔をもみながら、新しい遊び相手ににゃあんと鳴いて期待の目を向けていた。
「これ、遊べばいいのかい?」
和夫は戸惑いながら周囲を見渡した。局員は現れたねこちゃんにわたわたし、クヴァリフの仔を取られてはあわあわしている。対応できていない彼らは何もできることはなさそうだ。
(いや、戦闘がないならありがたいけど局員さんはこれでいいのかねぇ……?)
多分良くはない。彼らとしてもクヴァリフの仔を召喚して確保しようとしていたのだから。
良くはないが、和夫には彼らに協力できそうなことは何もできなそうだ。和夫達もクヴァリフの仔を持ち帰るべくここに来たのだから。今は悟志の言うように、ねこと遊んでクヴァリフの仔を回収できるように努めたほうがいいのだろう。和夫は切り替えることにした。
「……まぁ、言動がまるっきし猫だから遊んであげて満足してもらえたらいいんじゃない?」
「だよね。今、猫のおもちゃは持ってきていないけど……事務所には結構置いてあるんだよね」
赤い目を晒し、悟志は笑って手の中に、助手の結那に送ってもらった猫じゃらしを構える。
「ほら、猫探しを依頼されることも多いから。おもちゃやおやつはいくつか用意してあるんだ」
手にしたじゃらしを左右に振れば、ねこが気を引かれて走ってきた。しゅぱっと飛びかかってくるねこの手をさっと躱し、猫じゃらしは床の上をジグザグに動き出す。
「ちゅー、ちゅー、なんてね」
揺れ動く手頃な大きさの獲物、まるでネズミめいた動きの猫じゃらしにねこ達はふしゃふしゃ声を上げて追いかけだした。予測つかない動きのもふもふに、ねこは尻尾を立てて追いかけていく。
「おー、例の助手ちゃんか。いい仕事するねぇ。こっちは何かいいものあったかなぁ?」
和夫も自身の荷物を探し始める。何かねこを楽しませられるような道具を自身は持っていただろうかと頭を悩ませ、既製服のあらゆるポケットも探って探してみて。
「あ〜……」
ようやく出てきたのは、猫も飲めるまたたび酒(ノンアルコール)と牛肉ジャーキー。他はどうもねこを喜ばせるにも難しい品しかない。
「うーん…… これで勘弁してもらえないかなぁ?」
まずはまたたび酒をちょこっと蓋に注ぎ、怪異のねこに差し出した。ふんふんと匂いを嗅いだねこは、ちたちたと酒を舐め始める。ご機嫌に喉を鳴らし、もっとというように鳴いてみせた。
「お気に召したみたいだね。はい、どうぞ」
もう少しだけ注げば、ねこはまた舐めてふにゃふにゃ鳴いている。
「こっちも食べるかい?」
和夫が牛肉ジャーキーをちぎって差し出せば、はぐっと噛み付いてきた。あぐあぐ噛みちぎり、ざりざり舌で舐め取って、かけらも残さず食べてしまう。削がれた手のひらはちょっとひりひりするかもしれない。
和夫が酒と肉でねこを満足させる間に、悟志の猫じゃらしは踊る。ねこの目の前でさっとかわし、十分に焦らしたところでゆらっと揺らいで見せて、その牙に猫じゃらしの身を委ねた。あぐあぐと満足そうにねこはかぶりつき、ぱたぱたと足で持ち手を蹴っている。
「満足できた?」
返事はないが、満足げに幸せそうにしているその姿が答えだろう。クヴァリフの仔はうねうねぶよぶよしたまま放置されているし。
「これでよかったみたいだねぇ」
うねんとした触手めいた存在を和夫も拾い上げる。またたび酒を飲んだねこはにゃんにゃかご機嫌に踊っているようにごろごろ床を転がっていた。怪異だから放っておいても大丈夫だ。
「和夫さんもお疲れ様。あとはこれを持っていくだけだね」
「悟志くんもお疲れ様だね」
今回の事件も和夫のBar『百物語』えお彩る物語の、一つになるのかもしれない。そう思って、二人は和やかに笑いあうのだった。
●
(おいしい……目玉ちゃんおいしい……)
ネルネはモグ……モグ……とかじりついた目玉の不思議な味に、とろりとした食感に無心に食べていた。手にした塊が無くなったときにようやく正気が帰ってくる。
「ハッ!?」
クリアな視界に映るのは、あまりにも魅力的な存在だった。
「ネネネネネ、ネコチャ〜〜〜〜ン!!?」
耳も尻尾も小さな頭も、しなやかな体も全てかわいい。ちょっと硬質だったり鋭かったりする形も見えたけれど、問題ない。
(かわいい〜! 若干見た目が怪しいけど猫という概念そのものがかわいい〜!!)
ありとあらゆる猫の可能性の塊、シュレディンガーのねこに、ネルネは箒の先を差し出した。
観測されたねこは可愛らしい猫の姿に収束し、ネルネの心を撃ち抜いていく。
「なーん」
「ほーらおいでおいで!!」
ネルネは寄ってきたねこをじゃらしつつ、うねるクヴァリフの仔を確認する。
(えーっと、クヴァリフの子を回収するんだっけ?)
置き去りにされてはいるが、ねこの意識は箒とクヴァリフの仔に半々のようで、手を抜けばすぐ戻っていってしまうだろう。ネルネは人工妖精を呼び出した。
「フローラちゃん、ちょっと遊んでてあげてくれる?」
ちかちか明滅するフローラが浮かび上がれば、ねこはぴんっと耳と尻尾を立てて追いかけ始める。元気のいいその姿にネルネはしみじみとある姿を思い出した。
「うちのミイちゃんも懐中電灯の光とか追いかけるの好きだったなぁ。黒キジの美人さんで、ワガママで甘えん坊で……」
ほのぼの眼鏡の奥の目を緩めて回想するネルネに抗議するように、フローラの明滅が激しくなる。
(おっと、この間に猫ちゃんが大好きなちゅるちゅるした感じのやつを作るよ!)
即席で作ったまたたび配合のペースト状猫のおやつを差し出せば、程よ走り回ったねこがふんふんと舐め始める。
「どう? おいしい?」
「んにゃー」
「もう回収してもいーい?」
「にゅあー」
ちゅるちゅるしたおいしいポーションを舐めるねこは、もうクヴァリフの仔への興味を失っていた。ネルネがひょいっとうねうねぶよぶよを持ち上げても気にしない。
回収したクヴァリフの仔がうねうねぶよぶよ震えるのと、先程の目玉の怪異を脳裏に思い浮かべ、その後幸せそうにちゅるちゅるを舐めるねこを、ネルネは改めてじっくり観察して。
「……どう見たって猫ちゃんの方が可愛いと思うけどなぁ」
人の好みとは千差万別すぎて理解できないこともある、としみじみ思うのだった。