人をやめれば救われるのですか
●妄信者の晩餐
ぐちゃぐちゃと、血を滴らせ生肉を食らう。
皮を力任せに剥ぎ脂を舐め、血管を噛み切り、骨をしゃぶる。
美味しくはない。ただ夢中でその赤くて、でろでろしたモノを両手で口いっぱいに押し込み嚥下した。
生きる為ではない。一刻も早く人間であることを、やめたかったからだ。
痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。かと言って死を求めるほどの度胸もなく。ただ、楽になりたかったのだ。
「明日はあれを食べよう。あのぶよぶよした、触手のおばけを……」
暗室で妄信者達はひたすら肉を食らう。
人間であることをやめるために。
●いざ、怪異料理専門店へ
「怪異を喰らうことで、自らの肉体を怪異と同質の存在へと変化させる――という妄想に取り憑かれた集団がいる」
煙道・雪次 (人間(√汎神解剖機関)の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h01202)が書類を手に顔を上げた。
「今はまだ闇市で手に入れた怪しい肉を貪っているだけだが、それが『クヴァリフの仔』にまで手を出したようなんだ」
仔産みの女神『クヴァリフ』の『仔』。それ自体はなんの力を持たないものの、他の存在と融合することで宿主の力を大きく増幅するという。
しかし、食すということはその『仔』を殺すということになる。
食すことで『仔』と本当に同化ができるかは疑問だが、それはともかくとして。
汎神解剖機関がその『クヴァリフの仔』を|新物質《ニューパワー》を秘めた存在として生きたまま欲している件もあり、妄信者達が『クヴァリフの仔』を食す前に、その所在を見つけ出す必要が出てきた訳だ。
「その妄信者達は、とある店の常連だった、という事までは判明したんだが……」
雪次は目を伏せ言い淀む。
「それが、怪異肉の専門料理店らしくて、な。店主はどうやら『料理を褒める客』に異様に飢えているようなんだ。……そこで、だ」
雪次は√能力者の瞳をジッと見つめて言った。
「怪異料理を美味しそうに平らげることで店主の懐に入り情報を引き出して欲しいんだ。……難しい話だというのは重々承知だ。平らげたように見せかけるだけでもいい。無理して食って死ぬ必要もない」
駄目だと思ったらリタイアもありだからな。そう言って雪次は√能力者達を見送ったのだった。
第1章 冒険 『怪異飯店、繁盛中』

――その身は常に飢えていた。
貰った飴玉はすぐに嚙み砕き飲み込んだ。こんなすぐ消えてなくなるもの、この身を焦がす程の空腹の前では何の役にもたたない。
金の瞳がギラギラと彷徨い、何か食べられるものはないだろうかと探す。
タンポポの根は泥臭いが食べられる。カタバミはすっぱい。スベリヒユは粘り気があって食感が面白い。でも、冬は皆その姿を潜めてしまう。
公園にいるカラスやハトはダメだ。オトナ達に通報される。
どうしたものかとベンチに座り、天を仰ぎ食べられもしない飛行機を見送る。
そんな時だった、この事件を聞いたのは。食事ができてしかも報酬が貰える。なんて都合のいい話か。
渡された金を握り、合喰・屠齧(人間災厄「餓鬼」のフリークスバスター・h06506)はどこか期待を含んだ眼差しで怪異料理専門店へと向かうのだった。
その店の第一印象は『やや照明が暗めの中華料理店』だった。
あまりにも普通すぎる外見に店を間違えたのではないか、そんな不安が過るもぎゅるるるる……と鳴る腹が、今すぐに入店しろと囁く。
もう間違っていてもいいか、と店に足を踏み入れようとした、その時だった。手を伸ばしたガラス戸が先に開き、中から男が顔を出す。
「もうこねぇよ!」
男はそう吐き捨て店を出て行った。
「なんだ?」
男と入れ違いとなり中へ入ると、そこにはフーッ、フーッと顔を真っ赤にした人物が包丁を持ち仁王立ちになっていた。
白い料理人服を着たひょろりと背の高い男だ。見た所こいつがここの店主で間違いないだろう。
「俺の料理を不味いダト!? モウ食えない、ダト!? ユルセン!」
ははぁ、なるほど。一般人はここを普通の中華料理店だと思い入るが、ここは怪異肉料理の専門店。その未知の味に衝撃を受け生理的拒絶を起こしたのだろう。
「ン?」
店主がこちらに気づき屠齧を見下ろす。
「……なぁ、ここは料理屋なんだろ? そんな所で突っ立ってないで料理を作ってくれないか。こっちは腹ぺこなんだ。なんでもいい、じゃんじゃん持ってきてくれ」
「ジャンジャン!?」
金はある、と言えば、そんなことを言われたのは初めてだったのだろう、店主は目を輝かせて「タダイマ!」と厨房へと戻っていく。
側のカウンターへと座れば鼻歌を歌いながら調理する店主の後ろ姿が見えた。
「わかりやすい奴だ……そうか、お前も飢えていたんだな……」
褒められる事に。
「オレと、一緒だ」
ひとりカウンターに肘をつき、水の入っていたグラスやメニュー表を眺めること数分。
現れたのは眼球がぷかぷか浮かんだスープに何やら水かきのある生き物の腕の煮込み、蠢く春雨サラダにキラキラと光るチャーハン。そして衣で中の見えない揚げ物だ。どれも大盛りでとてもじゃないが普通の少女に提供する量ではなかった。
「チョット作り過ぎちゃっタ」
頬を染め、照れたように頬をかく店主に屠齧はニッと笑みを深くした。
「さぁ、お前のメシはオレの空腹を満たしてくれるのか?」
――もし、満たしてくれるというのなら。オレも、お前の事を満たしてやろう。
こっそり、と。15歳の少女にそう囁かれ店主の視線はもう彼女へと釘付けになっていた。
レンゲを持って目玉だらけのスープを掬い、その口へと運ぶ。
白い喉がそれを嚥下し、フッと笑んだ。
「……美味い、オレが料理するよりも上等な味付けだ」
タオルを手に持ったまま、パアッと顔を明るくさせる店主。
あとはあっという間だった。空腹に突き動かされるまま「美味い、美味い」とキラキラ光るチャーハンを掻っ込めば、赤茶の髪が揺れる。
にょろにょろと蠢く春雨も、つるんとしたのど越しとプチプチとした食感がまるで生シラスを食べているようだ。腕の煮込みも箸を入れればすぐに解け、脂の旨味も相まって白米が欲しくなる味であった。
「白米追加な」
思わずそう言って、置かれた山盛りの白米と共に煮物のつゆまで飲み干す。
揚げ物は何やら魚のような身の硬いナニカであったが、これも独自のスパイスが効いており美味しかった。
米粒一つ残さずに完食した屠齧の前に、置かれるもう一品。
「デザートオマケしちゃウ!」
ニコニコ顔の店主が置いたのは刻んだ葉っぱの入った茶色いゼリーだ。香りをかげば、なんだか漢方のような香りがする。
「うん、体によさそうな味だ!」
今度こそ皿をすべて綺麗に平らげ、屠齧は厨房で皿洗いをしている店主に気づかれぬ様、こっそりとため息をついた。
「だが、やはり……いくら食べてもオレの腹は満たされない、か……」
ならば、と屠齧は思う。
(『クヴァリフの仔』とは、美味いのだろうか。『クヴァリフの仔』であればオレに満腹感を与えてくれるのだろうか……」)
テーブルに肘をつき屠齧はまた、空腹に喘ぐ。
「……ああ、満たされない」
「そういうときって『実は餌は自分のほうだった!』というのがホラー作品定番の展開だよね!」
先の事件もそうだったけど。等と言って尖禍・ネルカ(寓意譚・h02401)はお気に入りの映画達を思い出す。
例えば環境保護サークルは助けに行った部族に料理され振る舞われるし、某教授なんかは食事に客を招待して素知らぬ顔で人肉を提供したりする。
怪異肉を提供する奴が普通の一般人な訳がない。それに今回、怪異肉料理専門店だという事は怪異の中でも人型も含まれるかもしれない。これは期待できるぞ! と、ネルカは思った。
「ふふ、美味しそうに食べてみせるくらいならお手の物さ」
いつも通り楽しそうなネルカはフィルムカメラを手に怪異料理専門店へと向かったのだった。
指示された場所まで行ってみれば、そこはごくごく普通の中華料理店であった。
引き戸を開けてみれば薄暗く、白壁には縁起のよさそうな赤と黄色の飾りが掛けられており大陸の情緒を感じさせた。
飾りこそは新しいが建物自体は古く、昭和を感じさせなくもない。
「いいね、ステキな叉焼包を提供してくれそうなお店だ」
カメラレンズ越しに店を覗く。
「叉焼包?」
厨房から白い服を着た男が顔を出す。きっと、店主というのはこの男だろう。
「そうだね、まずは叉焼包を一つ。それから……」
今はお昼時。客がチラホラいる店内を見回して、カウンター席に着く。
若干机が油っぽいのが期待に拍車をかけた。ちょっと小汚い方が益々 |ソレ《人肉料理店》 っぽい。
しかし、ネルカはメニュー表を手に取ると、ウン? と首を傾げた。
癖が強すぎて、なんて書いてあるのかよくわからなかったのだ。
ネルカは「ま、いいか」と呟いて、適当に注文することにした。
「店主、これと、これと、あとこれを頼むよ」
「ハイヨ」
そして待つこと数分。それはやって来た。
小さな目玉がぷっかりと浮かんだスープに、ぶつ切り触手の煮込み、そして歯のある野菜の炒めもの(まだぴくぴくしている)そして、最初に頼んだ小籠包。こちらは普通の見た目であれど、他の料理を見た感じ中身に期待しかない!
「ふうむ、SAN値直葬……間違えた、産地直送ってやつかな!」
ネルカは嬉々として皿の上の料理をじっくりと眺め、そんな感想を述べる。
まずは白い湯気を仰ぎ、料理の香りを味う。香りは普通の料理と変わらない。いかにも食べ物然とした香りである。普通に腹が減る香りに、もしかしたら演技はいらないのではとも考える。いや、ここは当初通り少しオーバーにいこうじゃないか!
「さ、頂こうか」
ネルカは箸を持つと触手のぶつ切りを躊躇なく口へと放り込んだ。
「これは……!」
ハッと目を見開き、口に手を当てわななく。
「ねっとり濃厚な旨味の後にじんわり広がる微かな酸味。まるで未知の海の底に沈んでいくような味わいだ! 余韻の長さも絶妙、料理人のセンスの賜物だねぇ!」
やや早口で店主へと伝えられた熱き口説き文句。
店主は何事かと数秒フリーズ後、パアッと笑顔になった。
「ホントか? オマエ、その料理のことよくわかってるナ!」
「本当さ。天にも昇る味、たまらないねこりゃ」
更に触手を口に放り込み、ゆっくり味わうように咀嚼する。
「お世辞が上手いナ」
「そんなことはないさ」
上機嫌の店主が鼻歌交じりに皿を洗い始めた様子を見て、ネルカは隣に居た客に肘を当てそっと囁く。
「……もし私の腹を突き破って何か出てきたら、カメラ渡すからいい感じに撮ってもらえるかい?」
ギョッとする客を横目に、ネルカはケラケラと笑う。
「さぁて、お次は叉焼包でも」
と、次の料理に手を伸ばそうとして、手が止まる。
「んっ……?」
隣の客の、その更に奥。壁の一角に小さなテレビとカセットデッキが置かれているのが目に入った。そこにレンタル落ちの古めかしいビデオテープが数本。
その中に、見覚えのあるタイトルがあった。
「これはっ!」
思わず立ち上がり、ビデオテープへと駆け寄る。パッケージには中華包丁を握っているメガネの男! 間違いない。叉焼包を食べながら観たい、あの有名な、B級映画だ!
「急に席を立ってどうしタ?」
店主が厨房から顔を出す。
「キミ。なかなか良い趣味をしているね!」
「アア、ソレ。料理の参考にネ」
照れ顔の店主。んなもん参考にするな。隣の客がラーメンをすすりながら、そんな顔をする。
「床から人間の頭が生えてるシーンがたまらないんだ」
「あれには思わず笑ったヨ」
人食映画を語る二人に客は居心地が悪そうにラーメンの具を箸でつつくのだった。
「えええ、怪異を食べて怪異になろうとしてるの!? もしそれが本当ならフリークスバスターは怪異だらけになっちゃうね!」
事件の概要を聞き雪月・らぴか(えええっ!私が√能力者!?・h00312)は驚き口に手を当てた。
フリークスバスターといえば、怪異専門の賞金稼ぎだ。その中には怪異肉を食べ生活を送っている者も多い。もし怪異を食べることで怪異になれるのならば、今頃フリークスバスター達の体からは触手が生えていることだろう。
「ちょっと前にはクヴァリフの仔と融合してクヴァリフみたいな体になろうとした人もいたし、仔にはやばい人を惹きつける何かがあるのかなー?」
ナイスバディになりたいオッサン達に怪異になりたい妄信者達。尖った変身願望のある人間がこんなにもいるのだとびっくりした。
それはともかく。らぴかは噂の怪異飯店へと向かうのだった。
その中華料理屋は、見た目だけはごくごく普通の店であった。白い壁に中華テイストな飾りが吊るされ、薄暗い店内には客が数人。
らぴかが入店したのに気が付いた店主が、厨房から「お好きな席へドウゾー」と声をかける。
らぴかは折角だからと外が見えるテーブル席へと腰を掛けた。テーブル席であれば万が一の追加注文にも耐えられるだろう。らぴかはまず手始めに本日のお任せ定食を注文する。
(「怪異肉を中華で! なにが出てくるんだろう、ちょっと楽しみだなー」)
らぴかがゲテモノ料理を食べるのは今回が初めてではない。
|連邦怪異収容局《FBPC》運営のレストランでは人体を模した料理を食べたし、イカの店員に出されたゼリー状のナニカも一瞬のヤバさを感じたものの結局は美味しく食べられたのだ。
(「流石にゲテモノ3回目ってことですんなり食べられるはず!」)
そう思ったらぴかの前に「はい、オマチ!」と出された本日のお任せ定食。
それは、甲殻類の足を生やした魚の煮物と目玉のスープ。そして青白く光る肉野菜の炒め物に茶碗一杯の白米だった。
「……やっぱり見た目は全然食欲そそられないね」
流石のらぴかも若干、フリーズ気味に呟いた。
凄まじいホラー感のある見た目である。ハロウィンにはまだ8ヵ月早い。
「でもでも、これが怪異料理の魅力的なのかも?」
以前食べた怪異料理は美味しかった。二度あることは三度あるっていうし、きっと美味しいに違いない!
「さてさて、今回はどんな味なのかなー? ってことでいただきまーす!」
持ち前のポジティブさでまずは、メインと思われる肉野菜炒めを一口。
その瞬間、口の中で獣臭が駆け回った。
――そして、らぴかの頭の中を次々と蘇る走馬灯!
ひたすらシャケを食べたクリスマスに、マショマロ弾の飛び交うお菓子のダンジョン。観光列車に揺られながら食べた苺のブリュレパフェ。メイドカフェの美味しかったオムライス。
「私の走馬灯、食べ物ばかりだー!?」
「ソウマトウ……?」
厨房から店主が顔を出す。
「いやねっ、走馬灯が出るくらい美味しかったの!」
「フフッ、ソウカ、ソウカ」
そうあわてて取り繕うと、まんざらでもない顔で店主が笑う。
(「生臭いというより、もはや獣臭い……! どうしよう、まだこんなにある!」)
しかしここは食べ進めるしかない。味に衝撃を受けた肉野菜炒めは一旦保留して、次にらぴかが手を付けたのは目玉のスープだ。
ぷっかりと浮かぶ目玉を恐る恐るでレンゲで掬った。正真正銘の目玉である。以前食べた豆腐のフェイクではない。
(「うう……店主さんが見てるよー……」)
目玉と視線が合わないように、両目を閉じてえいっ! と口に入れる。すると、どうだろう。
(「あれっ……美味しいっ!」)
コラーゲンたっぷりのどろどろスープは旨味を感じ、目玉はプチプチと弾ける食感が面白い。
(「い、いける! これなら!」)
スープをぐいっと飲み干し、次に手を出したのは甲殻類の足を生やした魚の煮物だ。
その魚は箸を入れればすぐに割れ、白身魚のようにあっさりとした味わいであった。
スパイス独特の香りが気になるが、日本人好みの味である。
あとは、とても魚類とは思えない甲殻類のような足が気になり、試しに一本手で折ってみる。するとどうだろう、まるでカニのような赤と白の身がつるっと出てきたではないか!
「わぁ、美味しそう!」
味はもちろんカニだ! まさか怪異肉専門店でカニに似たナニカを味わえるとはラッキーだったかもしれない。魚とカニを一度で楽しめる煮物。うん、ありかもしれない。
「ごちそうさまでしたっ!」
我慢して獣臭い肉野菜炒めをなんとか口に押し込み、らぴかの前には空の皿が並ぶ。
らぴかはこの日、この店の怪異肉料理はギャンブルだと悟った。今日はハズレが一品、アタリが二品。上々だろう。深追いはやめておいた方がいいかもしれない。
「とっても美味しかったです!」
そして、弾ける笑顔の前に現れるもう一品。
「これオマケネ」
置かれたのは一杯のヨーグルトだ。
「あはは、かわいいー!」
なんと、そのヨーグルトには顔があるではないか!
「チョコペンで書いてみたヨ」
もしかしたら怪異の乳から作ったヨーグルトかもしれないが、嬉しいオマケにらぴは笑顔でスプーンを手にするのだった。
聞き慣れぬ生活音。
そこに妖怪の姿はなく、数多の人間達が往来する。
地はどこも硬いコンクリートで舗装され、どこにも茂みはない。
木造建築なぞ一軒も見当たらず、ビルヂングが天高く立ち並ぶ。
見慣れぬ景色ばかりである。狭くなった空を見上げ刻・懐古(旨い物は宵のうち・h00369)は故郷とのギャップをその身で感じた。
√妖怪百鬼夜行の世界から出たがらない懐古がこの世界、√汎神解剖機関に来た理由はただ一つ――好奇心だった。
彼は√妖怪百鬼夜行からの出不精であるが故に“怪異”という存在を、よく知らなかった。だから、依頼を打診された際にこう尋ねたのだ。
「ふむふむ……その“怪異”とやらは、こちらの√では食すこともできるのかい?」
だが返答は酷く曖昧で。言い淀む相手の姿に逆に興味が湧いた。
相手の反応を見るにこの世界では、“怪異喰い”は言葉にするのを躊躇する程にゲテモノの扱いなのだ。
「まあ、世の中少なからずゲテモノ好きも居ると聞くからねぇ」
妖怪の世界で言えば垢舐めなんて、その最もなものだ。
他人の垢なんて頼まれても舐めたくはないが、彼らにとっては垢が何よりのご馳走なのだ。それに、妖怪達が滋養強壮に好むイモリの黒焼きも人間達にとってはゲテモノの類だと伝え聞く。
「一回、食べてみないとわからないじゃないか」
こうして懐古は怪異飯店へと足を踏み入れたのであった。
第一印象は薄暗く、大陸の情緒を感じさせる店だ。白い壁に風水を意識した赤や黄色の飾りが目を引いた。
体内時計は午前10時半を過ぎた所だ。飲食店故に昼時は店主に声を掛けづらいと思い少し時間をずらしたが、客の姿はまったく見えない。
もしや開店前だっただろうかと、厨房から顔を出した店主に「やってるかい?」と問えば「お好きな席へドウゾー」と通される。
懐古は厨房の見えるカウンター席へと座り、水とお手拭きを置きに来た店主へと声をかける。
「やぁ、ここで美味しい怪異料理が食べられると聞いて、ね」
口元に笑みを湛え、店長の顔を見る。爬虫類顔の、ひょろりと背の高い男だ。
「君のオススメ料理をお任せでお願いきないだろうか?」
「お前、怪異肉とあえてわかってチャレンジする人?」
人ではないが、ああと頷くと店主は上機嫌にウンウン頷く。
「そうそう。怪異肉を食べるのは初めてだから、参考までに聞きたいんだけど――怪異肉料理の魅力ってなんだと思う?」
そう聞かれ、店主はニヤリと口角を上げる。
「そりゃぁモチロン、先の予想できない味や食感。毒の有無もソノ個体によって変わるから、その見極めと、ギャンブル感が、イイ! お客さん、ウチの定食、きっと気に入るヨ」
怪異肉を自ら望んで食べに来た愛好者のポテンシャルを秘める男を前に、店主の金の瞳が輝く。
「定食か、楽しみにしているよ」
そして待つこと数分。
現れたのは歯のある野菜が蠢く肉野菜炒めと、ミートボール的なナニカ、目玉がぷっかり浮かんだスープ、そして茶碗一杯の白米だ。
「ほぅ、これは……」
なかなかのゲテモノ的見た目である。確かにこれを口にするのは相当な勇気がいるだろう。先の話では怪異肉は個体差が大きく、味はギャンブルといったところか。
「さぁ、いざ実食」
箸を手に、まずは見た目が比較的大人しいミートボールを一口。
(「――うん、美味くはないねぇ」)
ある程度心の準備はしていたが、これはと一拍間を置いて、タラリと汗が垂れる。
すさまじい獣臭さと血の匂い。骨ごと砕いているのか、たまにザラリとしたものが口に刺さる。
他の料理も少し試してみたが似たようなもので、完食は無理だろう。
仕方ない、と懐古はそっと“彼ら”を呼ぶ。
「暗冥よりお出で、鴉たち」
すると、影より姿を現した数羽の烏達。店主が厨房での作業に熱中しているうちに、と足元でミートボールや肉野菜炒めを与えれば、烏は群がり肉を啄む。
(「なるほど、彼らからしたら飲み込みはできる味なんだね。それに比べ……」)
レンゲでどろりとしたスープを掬い、反射した水面に映る白い肌に赤茶髪の男。
(「付喪神として得た身体だが、味覚はどうやら人間の其れらしい」)
黄昏色の瞳が揺れた。
「——カァ」
小さく、これ以外のご褒美をと問う烏に「僕の身代わりにしてすまないね、あとで何か埋め合わせを考えよう」と苦笑する。
途中、歯のある野菜と烏達が喧嘩をするハプニングがあったものの、無事皿を綺麗にし烏達を影に収容する。
そして食事を終えた風に素知らぬ顔でコップの水を飲んでいれば、厨房からの視線。
懐古は店主へとご馳走様、と笑む。
「バラエティある食感が面白いね、確かに普通の料理では得られない体験だったよ」
嘘は言っていない。
それを聞いて満足そうな店主が怪異肉料理を語りだした。
「あのミートボールはネ、骨を取りぞのけないような小さい怪異を丸ごとミンチにしたものデネ、あの骨ごとの食感が、普通の食材ではなかなか得難い体験、でショ? 一度食べると忘れられないヨ」
「嗚呼、そうだね。僕もそう思うよ」
熱を帯びだした店主に、静かに同意して再び水を口にする。
――あの味はしばらく、忘れられそうにない、と。
「怪異肉専門店、ですか。どんなお料理が出てくるのでしょう?」
地図代わりのメモを手に、花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)が呟いた。
任務とは別に興味が湧いたのは事実だ。
星詠みによれば命に関わるらしいけれど、不死身である能力者にとってそんなことは些細なこと。好奇心のまま、麗人は路地を進む。
そしてメモ通りに歩けば見えてきた店。そこは、ごくごく普通の中華料理店であった。昭和を感じさせる古い外壁を大陸の文字が飾る。引き戸に手をかける前からどこか薄暗い、女性一人では入りづらい雰囲気だ。
「イラッシャイ」
厨房から顔を出したのはひょろりと背の高い男だった。きっとこの人が店主なのだろう、と小鳥は思った。
「お好きな所へドウゾ」
軽く会釈して店内を見回せば、昼時のため数人の客の姿が見えた。
これだけ空いているのならば、と窓際のテーブル席に座る。
「おすすめのメニューはありますか?」
注文を取りに来た店主に微笑みを浮かべ問う。
ふわり、と揺蕩う優しい花の香りに店主もまた笑んだ。
「オススメの定食あるネ」
「ではそれと……食後にホットコーヒーを」
「コーヒーね、ワカッタ」
店主が厨房に引っ込み、調理の音が聞こえ始める。
包丁で野菜を刻む音の他に、何かピィピィと奇怪な鳴き声がたまに混じるが、ここからはその正体は見えない。
多少気になるものの見えないものは仕方がないと、ふと店内より明るい、窓の外へと視線を移す。この店と同じく、ごくごく普通の町だ。通行人が行き交うも、この店を意識することはなく、窓を覗こうともしない。きっと、この人たちの誰もがここに怪異肉料理専門店があることを知らないのだろう。
「はい、オマチドウサマ」
出てきたのは甲殻類の足を生やした魚の煮物と目玉のスープ。そして青白く光る肉野菜の炒め物に茶碗一杯の白米。あらかさまなゲテモノに小鳥は怯むことなく、にっこり「ありがとう」とお礼を言った。
薄暗い店内に見えない花が咲いた。そうとしか表現できない程に変わった空気感。
小鳥は背筋をピンと伸ばた美しい姿勢で、箸と茶碗を持つ。
器用に魚の身から骨を取り除き、白米と共に口にする。なんと美しい所作だろう。
ちらり、とさりげなくこちらを見る一般客に、小鳥はにこ……と笑って見せる。
この時彼女が口にしていたのは白身の魚だけではない。
この場に居る全員の、欲望、願望という名の美味を口にしていたのだ。
この店には、様々な願望を抱えた人間たちが居た。
競馬に勝ちたい。上司を殴りたい。会社を休みたい。
しかし一番はやはり、ここの店主だ。
自分の料理を食べて欲しい! 自分の料理を食べて「美味しい」と笑って欲しい……!
なんという純粋な欲望か。
思わず、感嘆の吐息が漏れる。
(「純粋な欲望ほど美味なのは古今東西の常識です、が……」)
「素晴らしいです。想像以上のおいしさです」
彼という料理に魅了されながら花咲くような笑顔を向ければ、彼もまた小鳥に釘付けになっていた。
誰もを魅了するその唇がレンゲへと触れスープを飲み込む。
その行儀よく淀みない仕草が、店主の願いを叶えていく。
いままで店主の努力をあざ笑うように何度も繰り返されてきた「不味い」という罵倒。それが嘘のように彼女は男の料理も願望もまとめて嚥下する。
男にとって、それは吹雪の終わり。雪深い山での春の訪れに等しかった。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです……そうだ、ちょっとお話をしませんか? 少しでいいんです。もっと、この料理について知りたくって」
小鳥はテーブルの正面へと座り込んだ店主を見つめて微笑んだ。
(「さて、食事のコーヒーを楽しみつつ。今度はお仕事の時間です」)
店主の瞳に映る、優雅にカップコーヒーへと口をつける小鳥の姿。
その彼女の赤い瞳が、美しく輝いた気がした。
「同物同治――のようなものでしょうか」
依頼の概要を聞いて、九段坂・いずも(洒々落々・h04626)はそう言葉を零した。
同物同治とは『不調を治す為に、調子の悪い場所と同じものを食べる』という考え方だ。
「食事とは古今東西、大なり小なり意味を持つものですが、|怪異《どうぞく》を食べるわたくしとも遠からず、何かのご縁だと思うことにしましょう」
妖怪の中でも3日の命。それが件のあるべき宿命だ。それがどうしたことか、|怪異《どうぞく》の肉を喰らってこんな齢まで生き延びてしまった。その盲信者という者たちも、自らの宿命を変えるべく怪異の肉へと手を出したのだろう。
「とは言いつつ、お仕事で怪異を食べられるというのは、普段から食べているゆえにズルをしている気持ちになるのですが……。頂けるものは美味しくありがたく、いただいてしまいましょう。あわよくば、『クヴァリフの仔』もいただけるかもしれませんしね?」
そう笑んで、いずもは仕事を請け負うと人間の街へと向かったのだった。
「こんな場所に、怪異料理の専門店があったのですね」
その店は、ごくごく普通の中華料理店であった。
多くの人々が行き来する大通りの裏側。それなりに人通りがあるというのに、人々は
まるでこの店が目に入っていないかのように通り過ぎて行く。
薄暗い印象の店だ。だけれど、潰れていないのを見るに隠れた名店の可能性もある。いずもは引き戸へと手にかけると、店へと足を踏み入れた。
彼女を最初に出迎えたのはチャイナタウンを思わせる赤と黄色の壁飾り。そして厨房からの視線。
調理人の服を着たひょろりと背の高い男が「お好きな席へドウゾー」と声をかける。
いずもはそれに小さく会釈すると、壁際の小さなテーブル席へと腰を下ろした。
「本日のお任せをお願いできますでしょうか?」
店主が水の入ったコップとおしぼりを持って来たタイミングで料理を頼む。
「あら」
その時ふと、近くにあった時代遅れのテレビとビデオテープの存在に気が付いた。そのやたら古いビデオテープのパッケージを見れば、なにやらホラー映画のようだが。
「人肉……?」
飲食店らしからぬ不穏な文字。店主の趣味だろうか。飲食店に人肉映画を置くとはなかなか、面白い感性の持ち主なのかもしれない。
そうしている間にも料理が運ばれて来て、いずもはレトロビデオから意識を離す。
店主のお任せ定食、その正体は不気味に光る肉の煮物と目玉のスープ、蠢くサラダ。それに普通の白米が茶碗一杯であった。なんとグロテスクな面子であろう。だがいずもは顔色ひとつ変えずにこう静かに言い放った。
「美味しそうですね、いただきます」
両手を合わせ、食事となった怪異達への感謝を込める。
いずもが迷うことなく最初に箸をつけたのはこの定食のメインである肉料理だ。
口に入れやすいサイズにしようと箸を伸ばせば、肉へとスッと箸が沈む。
「あら、これ随分と煮込むのに時間を掛けたんじゃ?」
「柔らかいだろウ? 一晩かけてじっくり煮込んだこの店自慢の煮込みダ」
いずものその一言に反応し、店主が嬉しそうに言った。
そのまま口に入れれば、解ける程煮込まれた肉塊。
「この手の肉の処理は気になることが多いんですが、舌先で溶けるよう。食べる人のことをよく考えられている下処理です」
この肉に関して言えば、血抜きも臭み取りもしっかりやっているようだ。
「見事なお手前……こういう肉を出すようになって長いんですか?」
「フフ、昭和からやってル」
「なるほど、昭和から……」
と、なるとこの店主は最低でも37年以上怪異肉料理を作っていることになる。
見た目はひょろりと背の高い、若めの男だ。もしかしたら人間ではないのかもしれない。
「そうなると、お客さんもいろいろな方がいらっしゃったのでしょうね」
「そうだナ……先日なんか、もっと生で出せ、とか言ってくる奴らがいた」
「生で、ですか?」
それはもはや料理ではなく、この店を利用する意味がないのではないかと思う。
「私の料理にケチをつけるやつら、出禁にしてやった! それまで長く通ってくれて、感謝もあったが」
「……それは、お辛かったですね」
ポツリポツリ語る店主に相槌を打ちながら、食べることも忘れない。
目玉のスープはトロリとしたコラーゲンを思わせるスープが美味しく、蠢くサラダは口の中をくすぐられ食べ辛い時もあったが、正真正銘の生きたままの新鮮野菜だ。シャキッとした歯ごたえが良く、ドレッシングの味も美味しかった。
なるほど、この怪異はこう調理するのもありなのか、と新たな発見と共に皿は次々と空っぽになっていく。さすが普段から怪異肉を嗜んでいるだけあって、料理は完食であった。
「はふ。ご馳走様でした❤︎」
口元を拭き、再び両手を合わせる。これには店主もニコニコ顔だ。
「とっても美味しいお料理でした。所でさっきのお話の続きですが……実は私も怪異料理を嗜んでおりまして……」
美しい口元の黒子――その口角に笑みを湛え問う。
その、今後の参考に。生肉を出せという困ったお客さん達の事、もっとお聞かせ願えませんか、と。
どうしてこうなったのだろう。星越・イサ(狂者の確信・h06387)は依頼を受けたことを深く後悔した。
目の前にあるのは甲殻類の足を生やした魚の煮物と目玉がぷっくら浮かんだスープ、そして歯が生えた野菜と蛍光色に光る肉の炒め物だ。
どこをどう見てもグロテスクなこれを、今から食べなければいけない、などと。
「うぅ……」
紫の瞳が揺れ、思わず情けない声をあげる。
イサの瞳には、たまに妙なものが映り込む。だから今回も目の前の料理が何かの間違いでグロテスクに見えているだけだと思った。思いたかった。
だが何度眼をこすって見直しても、どうもこの料理は本当にこうらしい。
厨房から向けられる視線。白い調理服のひょろりと背の高い爬虫類顔の男がこちらをジッと見ている。この店の、店主である。
今回の任務はこの料理を食べきり、この店主に気に入られること。少しでも不審な動きはしたくない。故に、今すぐにでもこのグロテスクな料理を口にする必要性があった。
(「ああ、でも……」)
なんて禁忌的な外見なのだろう。本能が拒絶するこの見た目。可能であれば数時間前の自分を揺さぶりたい。「なんてことしてくれたんです」と。
ゲテモノ料理が得意なわけでもないし大食漢というわけでもないのに、なぜ自分はこの依頼を受けようと思ったのだろうか?
———「やらなければいけないことがある」何故だか、そう感じたのだ。
だから、できることをやらなければならない。
イサは意を決して再びテーブル上の定食へと視線を向ける。すると沢山の目が、イサを見ていた。
「ッ……」
悲鳴を抑え込み、視線を外す。
(「でも、でもっ。この料理は本当に無理っ……」)
幸い、頼んだのはこの怪異肉料理専門店『怪異飯店』のオススメメニュー。周囲の客もまた同じものを食べている。
店主の目を盗み、どうにか他の人の皿に移せないだろうか……。
そこでイサはスマートフォンを取り出すとオススメ定食の写真を撮り、どうにか食事に感動して写真を撮っている客、を装う。本当はこんなグロテスクなものをスマートフォンに保存することすら躊躇われるが、これを飲み込むよりかはマシだ。
そうすれば、店主はいつの間にか厨房内を移動し皿洗いを始めていた。
ヨシ、料理を移すなら今しかない!
先ほどから青ざめ、トイレに行ったきり戻ってこないサラリーマンの席へとこっそり料理を移す。
しかし、その半ばでガチャリとドアが開く音。
素知らぬ顔で席へと座れば、サラリーマンが一人呟く。
「あ、あれ……頑張って食べたのに、こんなに残ってたかな……?」
サラリーマンには悪いが、これも世界平和の為なのだ。すまない、すまない。ここは素直にギブアップしてくれと心の中で謝りつつ。イサの定食料理はまだ残っている。そうなると彼以外の客が必要だった。
そこで、目をつけたのがイサの後ろに居た初老の男性であった。ベロベロに酔い、視線も定まらない彼はもう少しで眠りにつきそうだ。
「店主さん、私のおごりで彼にお酒をお願いします」
「えっ?」
「いやー、一度言ってみたかったんですこのセリフ。……良い飲みっぷりですね。私、感動してしまいまして……よかったらもう一杯」
店主から酒を受け取り、男のグラスへと注ぐ。
「いやぁ、悪いね!」
「ささっ、ぐいーっと……」
男が酒を飲み干し、しばらくすればイサの読み通りそのままの体勢で居眠りを始めた。そしてタイミングを見計らい、自分の皿から相手の皿へと料理を移す。これでよしっ。
店主が上機嫌でイサの空の皿を片付けに来たところで、彼女は決め手の台詞を言う。
「とても……美味しかったです、ごちそうさまでした」
「そうだろ、そうだろう。これはオマケな」
「なっ……。なっ……。貰っちゃって、いいんですか?」
「完食したお前偉い、だからオマケ」
辺りを見れば、デザートを食している客など見当たらない。
絶体絶命のピンチである。ドロリとした謎の黒いデザートを置かれイサは再び絶望するのだった。
「人でなくなる為に、人ならざるものを食す――まるで同物同治です」
依頼の概要を聞いた道明・玻縷霞(普通の捜査官・h01642)は静かにそう指摘した。
同物同治とは『不調を治す為に、調子の悪い場所と同じものを食べる』という考え方だ。
「彼等にとって人であることが悪い部分なのですから、それが本当に効果がありそうなものに辿り着いた、と」
青い目が伏せる。
「どうにも……|クヴァリフの仔《アレ》は求める者の前に現れますね」
と呟いて。
店の場所を記したメモを手に玻縷霞が立ち止まった先は、大通りの裏に位置する怪異料理専門店『怪異飯店』であった。
見た目は普通の中華料理店だ。ガラス窓から中を覗けば薄暗く、客入りも少ない。
少し滑りの悪い引き戸を開ければ、白い服を着たひょろりと背の高い男が厨房から顔を出す。
「イラッシャイ。お好きな席へどうぞー」
そう言われ、空いていたカウンター席へと腰を掛ける。
白い壁に縁起の良さそうな鮮やかな飾りが吊るされた、異国情緒あふれる店である。建物自体は古く、それなりに長く営業されている痕跡が見えた。
「おすすめは何でしょうか?」
水の入ったコップとおしぼりを持ってきた店主に聞けば、返事はすぐに返って来た。
「オススメ? お任せ定食があるヨ!」
「では、そちらをお願いします」
注文を終え、料理を待っている間に店内を見やる。
店主へ話しかけやすい時間帯を狙い、訪れたのは飲食店のピークが過ぎた午後1時半頃。
周囲の客の様子といえば、料理を食べきれず青ざめた者、途中で席を立った者、美味しそうに食べるもの、それぞれである。
もしかしたら、美味い不味いの当たりはずれが大きい店なのかもしれない。
そんな事を考えている内に、玻縷霞の席に料理が運ばれてきた。店主のお任せ定食、それは、甲殻類の足を生やした魚の煮物に、青白く光る何かの丸焼き、沢山の目玉がぷくぷくと浮かんだスープ、そして茶碗一杯のご飯であった。
凄まじい見た目の料理である。だが、玻縷霞はその顔色一つ変えずに箸を取る。
まるで教科書に載っているような美しい所作で、煮魚の骨を取り、その白身を白米に乗せて食す。
異国のスパイスの香りと日本人好みの甘じょっぱい味付け。甲殻類の足があることを除けば、ごく普通の食事の範疇と言えよう。
「日本人好みの味、ですね」
「ソウダロウ! かなり試行錯誤した一品ダ!」
表情は変わらず、だけれど出された物を食しその感想を淡々と述べる。それは彼なりの料理を提供した者への敬意であり、礼儀であった。それは店主にも伝わったようで、店主は上機嫌に鼻歌を口ずさみ始める。
お次は目玉の浮かんだスープだ。レンゲで掬い飲み込めば、どろりとしたスープには旨味を感じた。目玉自体もプチプチっとした食感が楽しい。
「そういえば以前、目玉を食すと頭が良くなる、という歌が流行りましたね」
「ソウソウ、その歌を聞いた時に閃いたスープダ」
「と、なると。このどろりとしたものは……コラーゲン、でしょうか?」
「ソウダ、関節にいいんだゾ」
なるほど、つまりこの男は1990年代には料理を作っていたことになる。爬虫類顔の若い男であったが、意外に歳がいっているのかもしれない。そんな事を思いながらスープを嚥下する。
そして残る最後の一品は、青白く光る肉の丸焼きである。
二の腕のようだが、青白く光り人間のものではないのは確かであった。
「これは……箸ではなく齧り付いた方が良いのでしょうか?」
「丸齧りの方が美味しいだろウ?」
店主の返答に、では、と改めておしぼりで手をぬぐい、丸焼きを掴む。噛む前から滴る血。
玻縷霞は口を開け、青白いソレへと噛み付いた。チラリと見える犬歯が、肉へと深く沈み込む。すると猛烈な獣臭と血の匂いが鼻腔を抜けていった。
刹那、揺れる瞳。
(「――嗚呼」)
彼の欠落の一つは食欲。
付喪神である彼にとって食は必須では無く、味覚はあっても食への拘りは無に等しい。――だけれども。
その口は硬い筋を歯で断ち、骨を噛み砕く。
(「人として振る舞おうとも、私の根本は獣なのだ」)
その現実を前に、肉を飲み込む。
白い口元に、たらりと流れる赤い筋。それをぬぐい、平らげた皿の前に手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
最後まで食べきった客の姿を店主は満足そうに眺めていた。
多くの人々が行き交う大通り。その裏に怪異料理専門店『怪異飯店』はあった。
赤や黄色で大陸の文字が賑やかに飾られた古い建物。
誰もがその存在を気にせず通り過ぎる中、立ち止まる影が一つ。
「目標地点到着。作戦内容確認」
籠るように響く、機械のような音声。
サイボーグのボーア・シー(ValiantOnemanREbelCyborg・h06389)である。
軽いノイズと共に、視界に走る緑色の文字。
『任務1、カルト集団への潜入調査。任務2、目標物クヴァリフの仔の回収』
「確認完了、任務開始」
そう淡々と告げ、店の引き戸に手をかける。滑りの悪い戸を開けて、やや薄暗い店内へと足を踏み入れれば厨房から「イラッシャイ」と声がかかる。
ボーアは一歩前へと出て礼儀正しく礼をした。
「お邪魔します。自分は落ち武者憑きの|帽吾《ボーア》と申します。こちらの料理は大層美味だと風の噂に聞きまして、一品いただけますか?」
機械音が混じる声に、店主がその容姿をまじまじと見やった。その姿といえば、ボロボロの和甲冑を着た人物である。少々珍しい容姿であるが、自分の料理を求める人間に悪い者はいないと店主は笑顔で迎い入れる。
「オオ……そんな噂になっているのカ……? ふふ、照れるナ。ヨシッ、席ならコッチが空いてる。座るといい」
店主に案内され、ボーアはカウンター席へと腰掛ける。
コップに入った水とおしぼりを持ってきた店主にラーメン定食を頼み、暫し待つ。
その間辺りの様子を窺えば、数人の客の姿。
もしや例の妄信者達も紛れているのでは、という可能性も踏まえ、視界に映る情報をしっかりと記録しておく。
そうしていれば、料理が出来上がったようでボーアの元へとラーメン定食が運ばれてきた。黒いトレーに乗っていたのは醤油ラーメンに光るチャーハン。そして蠢く生きた春雨であった。
醤油ラーメンに乗った角煮は青白く、ワカメも形がおかしく分厚い。明らかに何かの怪異片である。だがボーアは動揺することもなく、食事を開始した。
「早速、頂きましょう」
箸を手に取り、元は口もなかったその体にわざわざ作った大顎で、麺を啜る。
――ズルッズルルッモニュモニュッ。
「このような身体でして、表現が合いませぬが……これぞ五臓六腑に沁みる味、というやつでしょうか」
そう店主に語りかけながら、彼の体内では別の作業が並行して行われていた。
仕込んだカッターで飲み込んだ料理を細かく切断し、証拠品として料理を保管する。
あとで成分を分析しどんな怪異を食事として提供したのかを調べれば、面白い結果が出ることだろう。だが、これで終わりではない。
「文字通り力が全身に満ち満ちるような、満足感というか……」
料理の感想を続け店主の注意を引きながら、カウンターテーブルの下にケーブルを触手のように這わせる。だが、異国情緒を感じさせる店内に、テクノロジー的なものは存在しなかった。
唯一、機械らしいものと言えば、古びたテレビとビデオデッキ。何か情報は無いかと探ってみるも、店主がホラー趣味で人肉映画を好むという情報しか得られなかった。
だがそこで折れるボーアではない。
店内に情報がないのならば、その外を探ればいいのだ。
視界内で小さな小窓を開き無線でインターネットに接続する。そして、調べたのはこの店『怪異飯店』の口コミだ。
インターネット上でのこの店の評価は散々なものであった。
★☆☆☆☆4年前
『料理に虫が入ってた!』
★☆☆☆☆1年前
『最悪な気分になりたい人以外はここは入らないほうが身のためです。料理はゲロマズ、机は油でベタベタ。店主も愛想がない。良い所なんて一つもない。これなら一食抜いた方がマシでした。』
★☆☆☆☆3ヶ月前
『獣臭い血抜きすらされていない肉を出されました。』
★☆☆☆☆1ヶ月前
『気持ち悪い』
しかしながら、その中にも異様に高い評価のレビューが見受けられた。
★★★★★2年前
『この店は本物です! 我々は長年本物の店を探していました。ここは、本物を使っています。』
本物。つまり、彼らは何も知らずにここへ来た一般人ではなく、怪異肉を目的とした人物に違いなかった。このレビューを投稿した者の情報を深掘りしていけば、例の妄信者達へと辿り着けるかもしれない。
ボーアは食事を終えると、これまた丁寧に店主へと挨拶をして店を出て行った。
彼の中には数多の怪異料理サンプルと店内に居た客の容姿情報がある。
これからが彼の腕の見せ所だ。ネットの海をハッキングし投稿者を追う。
(「忙しくなりそうですね」)
そう、思いながら落ち武者風の男は人混みへと消えていくのであった。
陽が沈み街に賑やかな灯りが付き始めた頃、行き交う多くの人々を眺めながらタバコをふかす一つの影があった。志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)である。
「あっ、いたいた。おーい!」
声のする方へと視線を移せば人混みから薄野・実(金朱雀・h05136)の乳白色の髪と、こちらへと振る手が見えた。実はなんとか人の波から抜け出して、遙斗の横へと並ぶ。
「待った?」
「いえ、今来た所です」
遙斗がタバコを手に答える。
「あれ? 八手くん達は……さっきその辺に居たんだけどな」
と実が人混みへと振り返れば、一拍遅れて見慣れた4人が姿を現した。八曲署『捜査三課』の若者達である。
「おっ待たせしました!」
ヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)がととっ、と駆け寄りあとの3人も続く。
「これで全員かな?」
と、実がひぃ、ふぅ、みぃと人員を数える。
「僕は都合が付かなくて行かなかったけど、こないだも焼肉しに行ったんだっけ皆。今回は肉は肉でも曰く付き……喜ぶべきか、なんというか……」
「怪異の、お肉……。食べるの、初めてじゃないケド……積極的に食べたいものでも、ないですよね……」
悩ましい実に、既に青ざめ気味の八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)が同意する。
「僕はそんなに抵抗はないけどぉ、とりあえず経費で飲み食いできるなら行くよね……」
と、普段から血を愛飲している吸血鬼、秋津洲・釦(血塗れトンボ・h02208)が相槌をうち、視線を移した。
そこには『怪異飯店』という文字とともに色鮮やかな飾りつけがされた中華料理屋が静かに立っていた。
そう、今回の任務は怪異肉料理専門店『怪異飯店』で食事をし、店主に取り入ること――!
怪異肉と言えど、範囲が広すぎて何を食べさせられるかわかったものではない。そこへ向かうにはそれなりの覚悟が必要であった。
「それにしても『クヴァリフの仔』をそのまま生で食べれば、人間ではなく怪異となれる……か。昔からそういう根拠のない妄信を信じる輩はいた。例えば【血の風呂に浸かれば若さを保てる】とか」
そう叢雲・颯(チープ・ヒーロー『スケアクロウ』・h01207)は若き乙女を殺し続けた血の伯爵夫人、バートリ・エルジェーベトを例えに挙げる。
「あれは勿体ないことをしたよねぇ……」
まぁ、興味はないと言えば嘘になるけれどぉ……と釦が呟く。
「いつの時代も血肉に意味を持たせたがる人間がいるってことですね」
遙斗が真剣な面持ちで同意する。
「だが厄介なのはこれが【怪異料理】という事だ。非常識・不条理な存在を取り込むという事は自身の存在その物にそういった要素を干渉させているようなもの。『腹を壊す・気分が悪くなる』程度では済まないイレギュラーが起こる可能性は十二分にある。ましてや私は普段から抑制剤を飲んでいるような状態……。確実に【良くない何かが起こる】だろう」
颯の言葉に真人が小さくヒィと悲鳴を漏らし、実が間に入る。
「まぁ、まぁ。みんな無理はしないでね」
既にテンションダダ下がり気味の一行であったが、その中でただ一人、元気な人物がいた。それが彼、ヨシマサである。
「ふふ〜、怪異を調理したものかあ……」
どこか楽しげに、不健康そうな顔が笑む。
√ウォーゾーン出身であるヨシマサの普段は食事はあの悪名高いディストピアタブレットである。通常の食事すら日常的に摂ることのない彼にとって怪異料理とは未知の存在であった。
「今回のお仕事は食べるフリでも大丈夫とはお聞きしました。もちろんレギオンなどの小細工でそういったことは可能ですが……今回はそういった小細工なしで己の胃袋で挑もうと思います!」
「か、怪異肉、ですよ? だ、大丈夫ですか……?」
心配そうに真人が問うもヨシマサは拳を握る。
「今すごくワクワクしてるんすよ。まるで不利な戦況の戦場のど真ん中にいる気分っす……!」
クマのある瞳に熱き炎が宿る。
「まぁ、本人がチャレンジしてみたいのならね」
と実が頷く。本人の意思はなるべく尊重してあげたい。
遙斗は時計を見て、時間ですねと捜査三課の面々に振り返る。
「さて、皆さん。そろそろ行くとしましょうか」
遙斗が滑りの悪い戸を開ければ、中はやや薄暗いものの普通の中華料理店、という印象であった。昭和の古い白壁に店構えと同じくチャイナタウンにあるような飾りが吊るされている。
「イラッシャイ」
厨房から爬虫類顔の男が顔を出す。ヒョロリとした背の高い男だ。まだ若いが、調理服を着ていることからこの人物がここの店主なのだろう。
「6人だけど、席大丈夫?」
と実が尋ねれば、奥のテーブル席へと通された。
「噂では珍しい料理を味わえるとか。楽しみですね。」
さりげなく遙斗がそう言うと、店主がニッと笑ったのを遙斗は見逃さなかった。
4人用のテーブルを二つ組み合わせた席へ腰を下ろす捜査三課の面々。
「八手さん、横失礼しますね」
真人の隣に座ったのは遙斗であった。
「いつもは1人で食べることが多いので皆さんと一緒出来て嬉しいです」
「お、俺もです……!」
なんだか嬉しくなった真人がコクコクと頷く。
「さぁ、どんな料理がボク達を待っているのでしょう……!」
わくわくとメニュー表を広げるヨシマサとそれを横から覗き込む釦。
しかし、そこに書かれていたのはとてつもない癖字。独特過ぎて何と書いてあるかわからない文字がそこには並んでいた。
「これは、また。なんというか」
と颯が言葉を口の中で転がす。
そこへ、人数分のコップに入った水とおしぼりを持ってきた店主がやって来た。
「料理は決まったカ?」
「エッ、エッ?」
まだ、何も決まっていない真人が動揺し「早すぎる」と颯が心の中で突っ込みを入れる。
店主の視線がメニューを広げていたヨシマサと釦に向いた。まずい、ここで躓いては店主の好感度を下げるかもしれない。
「えぇ〜と……」
釦が頬を掻きつつメニューを眺める。マズイ、何て書いてあるかまったくわからない。
「あのぉ、ステーキと生き血入りワインなんてぇ……ない、です、よねぇ……?」
「肉の丸焼きと血割り白酒でイイ?」
「もちろん! あっ、それとぉ、僕たち明日仕事なのでニンニクはなるべく抜きでお願いねェ……白酒はヨシマササン……彼の分も……」
「ニンニク抜きに、血割り白酒は二つネ」
どうにか自分の注文を終えホッとする釦とまだ解読しようとメニューを眺めるヨシマサ。
そこへ、実が落ち着いた様子で店長へ微笑みかけた。
「あとの5人は店主のオススメを頼みたいんだ。変わった『ジビエ』を頂けると噂に聞いたよ。だけど、皆細いから小食でね……量より質で取って置きのをお願い出来る?」
さり気なく大盛りサービス回避の方向に舵を切る。その言葉に店主が捜査三課の顔を見回し、ワカッタ! と頷いた。
店主が何やら注文票を書き、厨房へと引っ込んで行ったところでやっと緊張の糸が切れ、お互いに、ははっと笑う。
「勝手に頼んじゃってごめんね」
と小さく言う実に「いえ、助かりました」と遙斗が返す。
料理が来る前に遙斗がそっと辺りの様子を窺えば、自分達の他にもちらほら客の姿が見えた。
仕事帰りだろうか、サラリーマンの姿もある。だが、その料理を食べる顔はなんだか青ざめ気味。かと思えば、その隣の客は美味しそうに料理を食べている。もしかしたら怪異料理とは当たり外れが大きいのかもしれない。
そうしていれば、料理が出来たようで黒いトレイに乗った料理が配膳カートで運ばれてくるのが見えた。
「はい、血割り白酒2つに、肉の丸焼きニンニク抜き、それにオススメ定食5つネ」
あっ、定食なんだ、と思いつつテーブルへと並ぶその料理へと視線を落とす。
「なるほど、これが噂の料理ですか。美味しそうですね」
遙斗の言葉に、皆が続こうとするもその衝撃の見た目に声が出ないでいた。
そのオススメ定食の内容とは甲殻類の足を生やした魚の煮物と歯のある野菜が蠢く肉野菜炒め、そして目玉がぷっかり浮かんだスープと茶碗一杯のご飯である。
(「量は少なめに、って頼んだのにッ……! いや、これで少ない方なのか?」)
実は思わず心の中で叫んだ。
怪異の丸焼きを頼んだ釦の前には、青白い二の腕のような物がコト、と置かれる。
人間のモノではないのは確かだが、生々しいソレに幾人かは視線を逸らす。
蠢く野菜を見た颯はなるべく自身の顔が引き攣らないよう注意しつつ、店主に尋ねた。
「わぁ! まだ動いてる! とっても新鮮なんですね! いったいどこで材料を仕入れたんですか?」
「それは僕も気になるトコ」
と、実もなんとか言葉を絞り出す。
「フフ、今日の朝、闇市で仕入れタ。新鮮だろウ」
「闇市って、毎日やってるんですか?」
颯が更に質問すれば、店主は頷く。
「ソウダ。この近くだ。お前らも行ってみるとイイ。色んな怪異肉が売っていて楽しいゾ」
そう言って鼻歌交じりに厨房へと戻る店主。良かった、今の所怪しまれてはいないようだ。
店主の姿が消えたことを確認し、遙斗が皆に合図を送る。
真人もそれに頷き、事前の打ち合わせ通りに八手家の蛸神「たこすけ」に怪異料理を食べて貰おうとするも。
「……たこすけ、食べ――アッ、訊く前に食べてる……」
既に八本の触手が真人の背より伸び、真人の皿上の料理を咀嚼していた。
煮魚から生える甲殻類の足はせめて残しておかないとおかしい気もするが、時すでに遅し。バリバリという音と共に消えていく。
既に空になった皿を遙斗が「では、よろしくお願いします」と自分の分と入れ替える。
「し、志藤さんの分まで……完食……!!」
「たこすけも良く食べるなぁ……」
宿主である真人すらも慄くその食欲に、実が水を飲みながらそんな感想を漏らす。
「アッ、薄野さんの分は……」
「僕は……うん、大丈夫かな」
(「怪人細胞宿す身だ、怪異くらい今更何とも……」)
と思いつつ、箸でつついた血腥い肉をなんとか飲み込む。
「うん、これは……なんというか。皆、無理はしないで……」
と言っている側からヨシマサがノリノリで実況を開始する。
「さて、√ウォーゾーンでも大不評のディストピアタブレットを常飲してるボクの舌と胃袋とのタイマン勝負と行きましょう! タブレットより美味しければ絶賛出来るはずですしね! そうだ真人さん。ボクが死んだらこれを√ウォーゾーンのとある場所に……」
遺言と遺品を残そうとするヨシマサに真人がエッ、エッ!? と動揺する。
「あ、√能力者は死んでも大丈夫なんでした。……ならいっかあ!」
そう言って、大皿に盛られた煮魚を盛大にかき込むヨシマサ。
「ヨシマサくん!? もしかしてもう酔ってる!?」
しかし、ヨシマサの分の白酒はまだテーブルの上だ。
「ヨシマサさん? ヨシマサさんッ!? せめて骨は取ってッ!」
思わず声が出た真人のハラハラは止まらない。
「しかし……秋津洲さんは平気そうなの流石」
実がその隣の釦へと視線を移す。彼の食事風景といえば、優雅であった。
赤く染まった白酒を傾け、影へと注ぐ。
影へと吸いこまれていく赤。だけれど、釦は美味しそうに喉を鳴らす。
例の丸焼きは既に彼の | 胃袋《影》の中だ。
その姿を見て真人もハッとして、箸を動かし咀嚼するフリをする。
「お、俺も、食べてるフリだけしないと……フリだけ……」
そんな中、颯はそっと、釦へ耳打ちする。
「秋津洲さん、【食べ物を別次元に仕舞ってくれる呪具】なんて持ってないですよね?」
見れば颯の定食が丸残りである。釦は残念だけど……と首を横に振る。
「呪物ってね、大抵ろくでもないモノなンだよ……確かに便利なのもあるけどね……少なくとも大事な同僚には貸せないヨ……」
(「それに個人的には苦労して食べてる姿を見る方が楽しいしね……」)
という本音は胸の内に仕舞っておく。
呪具のレンタルを断られた颯はレンゲを手にジッと、スープの上に浮かぶ目玉と睨めっこを始める。最初は面白く眺めていた釦であったが、普段から堅い彼女の表情が更にググッと硬くなるのを感じ、彼女の皿から肉や魚を拾い上げさりげなく自分の影へと落とす。
「秋津洲さん……!」
(「ナイスです!」)
と彼のサポートに対してグッジョブ! と感謝のハンドポーズを送る。
皆が怪異肉に苦戦する中、店主が追加の水を注ぎに来たところで遙斗が仕掛けた。
「中々、個性的な味ですね。何か味付けの秘密とかあるんですか?」
「うん、確かにこれは他にはない味わいだ」
実も同意する。嘘は言っていない。こういうのは言い方一つで変わるものである。
「それは企業秘密。だけどヤッパリ、味付けってのは試行錯誤だねェ。この店は昭和からやってるケド、味付けはいつも苦労してるヨ」
昭和となるとだいぶ幅があるな、と思いつつ。店主は若い印象の男であったが、もしかしたら人間ではないのかもしれない。
そんなこんなで食事を終えた一行。皿はどれも空。それを見た店主はとても上機嫌であった。
レジへと向かう途中で、釦が店主に声をかける。
「うん、とても良い味だった……素材の鮮度がいいねぇ」
「フフ、ソウダロウ、ソウダロウ」
釦の褒め言葉に店主も満足そうだ。そこへ真人も加わる。
「アッ、ててて、店主、さん……あのあの、エット……お料理、すごくおいしかった、です」
言葉はつっかえながらも真っ直ぐに店主へと向けられる瞳。
「……きっと、こんなお店には、常連さんもいるん、でしょうね……ヘヘ」
「そうそう、こんな素敵な店なんだ。ファンクラブ、というか愛好家いるんじゃない?」
「ファンクラブなんてそんナ」
照れる店主にもうひと押しだなと、実は思う。
「そういう方々と、一緒にこのお店についてお話してみたいなって、思うんですケド……」
「『お仲間』紹介して貰えない?」
店主に向けられる、黒の瞳と金の瞳。
「ンンン……! 仕方ないナ」
根負けした店主が、ぽつりと零す。
「出禁にしたヤツらだが、この店が好きだと言ってくれたのは事実ダッ……!」
「出禁にした?」
颯がオウム返しに聞けば、店主が強く頷く。
「ソウ、奴ら、長年この店通ってくれタ、ケド、ある日突然、調理をしていない生肉を出せって言った、ワタシ許せなくて……!」
その言葉に、当初はできるだけ生を頼もうと思っていた釦はヒュッと息を飲む。
(「い、言ってないからセーフゥ……!」)
「奴ら、多分、さっき話した闇市に出入りしてるネ。この辺で鮮度の良い肉を手に入れるとすれば、あそこネ」
なるほど、と捜査三課一行は顔を見合わせる。
「しっかし、オマエと、オマエ! 魚の足まで食べるとは空腹だったんだナ! なかなか良い食べっぷり、気に入っタ! 土産に肉、もってくカ?」
「エ゛ッ……お、おおお、お土産は、申し訳ないのでっ、大丈夫、ですッ!!」
「ふふ〜、貰えるものはありがたく貰いたいですっ!」
店主にそう肩を叩かれ焦る真人と喜ぶヨシマサ正反対の反応に、そこでようやく皆、自然と笑う事ができたのだった。
第2章 冒険 『怪異が売られている?マーケット』

●出禁の客
客が捌けた店内に、椅子へと座り込んだ男が一人。
彼はここ、怪異肉料理専門店『怪異飯店』の店主であった。
店主は、ハァ……と大きなため息をつくと妄信者達の手掛かりをポツリ、ポツリと√能力者に語り出した。
「奴ら、この店通ってくれタ。奴ら『本物の店』『本物の料理』だと、いつも喜んで食べてくれていタ……! なのに、なのにッ……!」
怒りでわなわなと震える肩、俯いたその表情は暗くこちらからはよく見えない。
「ある日突然、生肉で出セ、あるがまま出セって……!」
吐き捨てるように、店主は言った。
「だから、出禁にしてやっタ……!」
ダンッ! と強くテーブルを叩く。
怪異肉料理に拘りがある彼にとって、調理せずに仕入れた肉をそのまま出せと言うのは、屈辱以外の何ものでもなかったのだろう。
「デモ、デモ……奴らがこの店に通ってくれたのは事実……ダカラ、最後にあの店教えてやっタ。活きが良い怪異の仕入れ先……闇市にある店……『骨肉堂』を……だから奴らが出入りしているとしたら、あそこネ」
店主は立ち上がり、店の位置を記したメモを√能力者へと押し付けた。
「さっ、湿っぽいのはもう終わリ。閉店の時間ネ。帰った、帰った」
店主は√能力者の背を出口へと押し出す。
「お前も来るの、最初で最後だろうケド、美味しそうに食べてくれた、アリガトな」
そんな言葉を残して、店の戸は閉ざされたのだった。
●闇市へ
その通路はいくつもの術式が重ねられ、歪められていた。一般人は通路があることすら気づかないだろう、そこを通り抜けると非合法の市場が√能力者達を出迎えた。
何かの骨で作った家具を売る店や、何やら曰くありげな品を売る店、怪しい見世物小屋や、魔法のパフォーマンス。この世の怪しさを煮詰めたような店ばかりが立ち並ぶ。
空間が歪んでいるのか、歩いても歩いても端にたどり着かない、そんな広さであったが幸い、盲信者達が出入りしていると思われる『骨肉堂』の位置は割れていた。
一人、二人張り込めば妄信者達の後を追うには十分だろう。あとの人員は、闇市を見て回ってみるのも良いかもしれない。
こうして、√能力者達は『骨肉堂』の側で一旦解散したのだった。
どこまでも続く露店に並ぶ毛皮に、薬品、頭蓋骨。
呪物を買いあさる覆面男に、通路ですれ違う飲料売りの少年。
どこを見ても闇市は活気づいていた。
叫ぶ果実を切り分けた夫人が、どうだい? と欠片を振舞おうとするも花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)は小さく首を振り、丁寧に辞退した。
「先ほどのお店で、食べ過ぎてしまいましたね」
少し苦しい腹をさする。
――『怪異飯店』店主の欲望は純粋で美味しかった。
しかし、物理的な料理の方は明らかに彼女一人で食べるには多く。
「少し、見て歩きましょうか」
一本の煙草を相棒にして、腹ごなしに闇市を歩けば彼女に集まる視線。
場所柄だろう。彼女の咥え煙草のを咎める者など、ここには居ない。
咎めるどころか、その視線はどこか熱を帯びていて。
桃色の唇からフゥと吐き出された紫煙は、甘き香りとなって周囲を漂う。
――そう、他者を『おびき寄せ』る小鳥の性質と|血社《ファシナンテ》の名を冠する煙草の香りは意図せずとも周囲の人々を熱狂させてしまう。
故に、彼女は自身に『骨肉堂』の見張りは務まらないだろう、という自覚があった。
ならば、今の自分ができる事と言えば、念の為の情報収集だろう。
彼女は口元に笑みを浮かべ、露店の男達に問う。
「そこのお方、この辺で怪しげな肉を求める人たちについて聞いたことはありませんか?」
そう甘い声で『魅了』すれば、とんでもない別嬪に声をかけられたと、彼らは目を丸くする。
「肉ゥ?」
おい、なにか知ってるかと、男が隣の男に肘を当てる。
「怪異の毛皮を求める奴なら知ってるぜ。自分の皮を剥いで、自分の体に怪異の毛皮を縫い付ける変態だ!」
「毛皮を、ですか?」
予想外の話に思わず相手の言葉を繰り返してしまう。自分の体に怪異の毛皮を縫い付けるというのも、怪異化願望の一種なのだろうか。自分の皮を剥ぐとは、どういう精神状態なのだろう。
「その方は、どちらへ」
探している相手とは多少毛色が違うものの、念のため尋ねてみる。
「いやいや、そいつを探してもダメだぜお嬢さん。何故ならそいつはアッチの通路でくたばってたから!」
「そうでしたか……ご存命でなければ、私が探している方ではありませんね」
今の時点で生存していないのならば、星詠みが視たという妄信者ではないだろう。
小鳥は礼を言い露店から離れようとした、その時だった。
「待てよ、嬢ちゃん」
突如腕を捕まれ、小鳥は眉をピクリと動かす。
「もう少し俺たちと話していかないか?」
欲に飲まれた男の瞳に、小鳥は笑みで返す。
「すみません。大変ありがたいお申し出なのですが……私には、これから用事がありまして」
「そこを、なんとか……!」
腕を掴む力が強まる。そこへ割り込んだのはもう一人の男だった。
「おい、嬢ちゃんが嫌がってるだろォ」
「はぁ?」
「放してやれよゥ」
二人がもめ始め小鳥から手を離した所で、彼女はそっと彼らから距離を取った。
「お二人を喧嘩させてしまいました……」
店の裏に回って独りごちる。
すると、くぃ、と服の裾を引っ張られ今度は何事かと視線を落とせば、真っ黒な少年がこちらを見上げていた。
「ぼく、見たよ、怪異肉を欲しがるニンゲン」
ノイズ交じりの声がする。
小鳥は少年の背丈に合わせてしゃがみ込んだ。
「その人間の事、教えて貰えますか?」
「人をやめるために、怪異肉を食べる、って言ってた」
内緒話をするように、小鳥の耳元へ少年は囁く。
「その人達は、どこへ?」
「こつにくどう。生きた怪異を売ってるお店」
「なるほど、やはり彼らは『骨肉堂』に出入りしているのですね」
ありがとうございます、と小鳥は少年に礼を言い再び歩き出す。
気がつけばもう腹は落ち着いていた。やはり店主はいい腕だったのだろう。
軽くなった身で薄暗い通路を行く。その後には、白い煙が尾を引いていた。
どこまでも続く闇市には、呪物が並び、古本が積み重なっていた。賑やかな提灯の下には見慣れぬ飲食屋台の姿もある。
(「味見程度にしか腹に入れていないから、空腹感は否めない、が――」)
油の香りに刻・懐古(旨い物は宵のうち・h00369)はチラリ、と通路に並ぶ料理を見た。
人ではないナニカが山ほどの目玉を炒めて、それをビニール袋に詰めて販売していたり、コンガリ焼けたオークのような見た目をした怪異の肉をそぎ落とし、パンに挟んで売っていたりする。
先程寄った店と似たり寄ったりの品々に、脳裏に過る、すさまじい獣臭と血の匂い。
どう見ても目の前に並ぶ料理は、懐古の舌を喜ばせることはないだろう。
「ああ、香ばしい鯛焼きが恋しい……」
思わずそんな言葉が零れ落ちる。
今一番欲しいのは甘いあんこを小麦の生地で包んだ和菓子だ。だが、辺りを見てもそんな甘い香りなどなく。
しかし折角ここまでやって来たのだから、と期待は程々に闇市を見て回る。
せめて、烏達への|お土産 《褒美》 になりそうなものがあれば良いのだけど。
「これはなんだい」
懐古の目に止まったのは、呪具屋の店先に並んだ胡散臭い人間がつけていそうな丸いサングラスだった。
「ああ、これ。自分の思考を相手に読ませないようにする不思議アイテムですわ」
「ふぅん」
「お兄さんも似合うんじゃないですかね」
「素敵な品だとは思うが、生憎、知り合いに眼鏡が多くてね、これ以上増えたらややこしくなりそうだから遠慮しておこう」
実のところ、この呪具屋は偽物が多い、というのが懐古の見立てであった。
懐中時計の付喪神である彼だからこそ、骨董品にはある程度目が利く。力も何も無いサングラスが呪具として売られているので、思わず冷やかしてしまったのだ。
チッ、という舌打ちに聞こえない振りをして先へと進む。
「なぁ、あれはなんだい?」
次に懐古が見つけたのは、動物の頭蓋骨の山だった。
店主の姿が見えず、近くで品物を眺めていた客に問う。
「あれは黒魔術に使う動物の頭蓋骨だな」
「黒魔術か、なるほど。面白い代物だね。売れてるのかな?」
「まぁ、店があるんだから、買うやつはいるだろな」
ふーん、と改めて頭蓋骨を見る。ぽっかりと黒い穴が懐古を見つめていた。
その時だった。
――ぐぅ。
懐古は文句を言い始めた己の腹を見た。
好奇心のまま闇市を見て歩けば、やはり、腹が減る。
しかし食事と言っても先程の屋台ぐらいしか見当たらない。
懐古は目の前の男に再度尋ねた。
「この辺で、一番料理が美味い店を知らないかい?」
「ああ、それなら――」
男に教えられた道順を進めば、魚の看板。
ほぉ、魚介か、と目を細めれば、捌かれていたのは多数の目を持つ怪魚だった。
「ううん……これまた微妙だな」
だが、腹が減っては戦はできぬと言うしなと、焼き身を一皿買ってみる。
白い身を解し、一口。
「おっ、これは食べられるな」
この怪魚を最初に食べた人間はかなりの勇気が必要だっただろう。
「なるほど、怪異肉もよくよく考えれば魚介類と同じなんだね」
例えば、タコは外の国では悪魔の魚と恐れられており、食べるなんて以ての外らしい。生の魚だって、口にするのを躊躇する国は多い。
懐古は周囲で食事をとる人々を見やった。
あの露店に並んだ目玉やオークのような肉も、我々にとっては躊躇があるが、彼らにとっては普段の食事。癖のある食材をおいしく食べられるようになるまでの長い歴史があるに違いない。
「食への探究心、か……」
そう呟いて、懐古は再び闇市へと歩いていったのだった。
怪異飯店を後にして、尖禍・ネルカ(寓意譚・h02401)はしみじみこう言った。
「うん、いい店だった。隠れた名店というのは、きっとああいう店のことなんだろうねぇ」
しかし客入りが少なすぎて、閉店の憂き目に合うかもしれない。
ネルカは黒のバッグからスマートフォンを取り出すと、怪異飯店のネットレビューを開く。
「レビューをつけておこう……『星5。店主の趣味が良い』っと」
★1の罵倒が溢れる中に燦燦と輝く★5つ!
ネルカはうんうんと頷くとスマートフォンを再びバッグに仕舞い込む。
「さあて、お腹も膨れたことだし、話にあった市場を練り歩いてみるかぁ」
ぐぐっと背を伸ばして、そんなことを言ったかと思えば、ネルカは誰も居ない空間へと話しかける。
「じっとしてるのは苦手なんだ、カメラを回しているとき以外はね」
そうして、ネルカは闇市へと向かったのだった。
どこまでも広がる闇市は、まるでここそのものが舞台のようで。
ネルカは頭の中でコンテ案を描きながら辺りを見回した。
「ふふ、一つ一つの露天がなんとも興味深いね。どこを見ても絵になるよ」
ある店では動物の骨が堆く積み上げられ、またある店では薬草が並び、またある店では様々な毛皮が売られていた。
その中でもネルカが特に気に入ったのは、家具屋であった。
「骨で作った家具なんて親近感すら湧くね、まさしく映画のセットにも使えそうだ」
骨で組まれた家具が所狭しと並ぶ店先でネルカは家具の一つを撫でる。
それは人の頭蓋骨が飾られた椅子であった。
「おや、これは本物だね?」
よく見れば骨の表面に血管が通っていた穴が見える。
ネルカの笑みに、奥に座っていた老人が顔を上げた。
「昔は川で拾えたんだけどね、今は規制が厳しくて素材がなかなか手に入らないんだ。レアものだよ」
ふぅむ、とネルカは顎に手をあてる。値札を見れば安くない買い物だ。
「ダメそうだね。それならこちらなんて、どうかな?」
老人が取り出したのは骨でできたアクセサリーの数々だった。
「お嬢ちゃんに似合うと思うけどね」
「そうだなぁ。なら、そこの精肉店について何か知ってるかい? 教えてくれたらこの骨のアクセサリー、買ってもいいよ」
「精肉店……? ああ、骨肉堂さんね。身内の体を薬として売っていた、酷い店だよほんと」
「身内の体を?」
B級ホラー染みた話に思わずネルカの口角が上がる。
「昔、人間の死体は不死の病を治す薬として重宝されていたんだ。聞いたことがないかい、火葬場で死体が盗まれるって話。だから当時は死にたてが高く売れてね。うちもひと噛みさせてもらったんだ」
老人は、ヒヒヒと笑った。
「なるほど、面白い話だ」
病を克服する為に、同族である人間を薬として摂る、だなんて今回話に出てきた妄信者の話とどこか似ているように思えた。
ネルカはアクセサリーの中から一つ、首飾りを選ぶと老人に代金を支払った。
「ちなみに、そこに出入りしている客に心当たりはないかい? 怪異肉を生で食べることに固執しているようなんだ」
それを聞いた老人は、うーん、と悩んでから話し出す。
「それなら最近頻繁に出入りしている、あの人間達のことかな? 怪異の肉を食べて人間をやめる、って言ってるやつらだろう? 怪異肉を食べても糞として排出されるだけなのになー。さすが骨肉堂のおやじは、あいつらを上手く煽るよな」
再びヒヒヒと笑う老人にネルカは礼を言い、アクセサリーを首から下げ再び歩き出した。
「読めて来たな」
元々怪異肉を食べることで怪異になろうとしていた妄信者達は『怪異飯店』でいくら食事をしても怪異にその身が近づかないことから、より生で食べる方向にシフトチェンジした。『怪異飯店』の店主は好意から妄信者に『骨肉堂』を紹介したが、『骨肉堂』は元々金の為に身内を切り売りしていた店だ。妄信者達が食い物にされているのは明らかだった。
「まるで一本の映画のようじゃないか」
ネルカはそう言うとフィルムカメラを薄暗い天に掲げて、良いネタになるぞ、と笑ったのだった。
ピンク色の瞳には、天高く積まれた古本の山が映っていた。その視線を横へとずらせば、今度はまるで服屋のように沢山の毛皮が吊り下げられた店。そして、また隣へと視線を移せば、カラフルなお香を売っている店。
「うひょー! こんな怪しくて面白そうな市場があったんだね!」
次々と視界に飛び込む情報は、雪月・らぴか(えええっ!私が√能力者!?・h00312)を楽しませた。
香ばしい匂いに顔を巡らせれば、オークのような怪異を丸焼きにし、パンに挟んで売っており、蛍光色のドリンク売りの少年がはしゃぐ、らぴかを避けて通り過ぎていく。
「時間があれば一件ずつ見ていきたいけど流石にお仕事中だからね! ちょっとだけ! ちょっとだけ!」
そう言ってらぴかはこの迷子になりそうな程に広い闇市の探検を始めたのであった。
骨で組み上げられた家具に、髪の毛を束にしてカツラとして売っている店、謎の昆虫屋と、おどろおどろしい店はいっぱいあったけれど、その中でもらぴかの興味を引いたのは呪具屋である。
人の形に切り抜かれた木板や、藁人形と五寸釘のセット。瓶に入った骨の欠片に髪の毛。墨でびっしりと呪文の書かれた茶碗に、ひとりかくれんぼで使われたというぬいぐるみ。
「んんっ? これは……普通の、腕時計?」
その中に紛れ込む高級腕時計が、普通過ぎる故に異彩を放っていた。
「お姉さん! これって何の呪物なの?」
思わず手に取り、女性店主に聞いてみる。
「ああそれは、由来は分からないんだけどね、それを着けていると、深夜腐った男がジッと見つめてくるらしいんだ」
「ふーん、由来不明の腕時計かぁ。元々はどこにあったんだろうねー?」
見た目はピカピカなのに、そう聞くとなんだか泥臭い気がしてきた。
「こっちの仏像は?」
腕時計を元に戻し、その隣の小さな仏像を指さす。なんだか普通の仏像より目が多いような気がする。
「ああ、それね。とある教団のご神体だったらしいんだけど、いつのまにか誰もいなくなっちゃってね。廃墟散策が趣味の子がふざけて持ちだしたら具合悪くなって、うちに売りに来たって話さ」
「廃墟から持ち出しちゃいけないものだったのかな? やばい物持ってきてやばい事起こるのはホラーの定番だもんね!」
と、らぴかは頷く。
「ところで、お姉さんはこんなに呪具に囲まれていて大丈夫なの!?」
「大丈夫じゃない時もあるけど、そこは企業秘密。特別な秘策があるの」
そう明るく笑う彼女を見て、らぴかは「お姉さんも√能力者なのかな?」と一人納得する。
「う~ん、私にはそんな秘策はないからなぁ~! 持っていても危なくなさそうなものってないのかなぁ?」
そう言って店頭に並んだ呪具を見回した、その時だった。
薄暗い中でもキラリと光るものが見えた、気がした。
「あれは?」
らぴかが見つけたのはピンク色に輝くトルマリンの指輪だった。
「ああ、これ。これを着けて寝ると、たまにピンク色のゾウが見えるんだって。……丁度いい。長い間埃を被ってたし、お安くしておくよ」
「ピンク色のゾウさんッ!?」
それなら可愛くて良いかもしれない。らぴかはその白い指に輪を通すと、空に翳した。光を反射し、輝くピンクが美しい。長らく埃を被っていたというのが嘘のようだ。
「かわいい~っ! これ下さい!」
こうして、トルマリンの指輪はらぴかの物になったのだった。
指輪入れに収まったそれを受け取り、らぴかはハッとする。
「闇市で買い物したからって、突然、|警視庁異能捜査官《カミガリ》が来て逮捕されたりしないよね?」
そう恐る恐るお姉さんに聞いてみる。
「まさか。貴女の所に|警視庁異能捜査官《カミガリ》が行くまでの騒ぎになるのなら、その前にウチに来るでしょ。ここは術式が巡らされているからね。そうそう入って来られないよ」
「そっかー、よかった!」
あはは、と笑ってみるも、そういえば今回の依頼参加者に|警視庁異能捜査官《カミガリ》がいた気がしたが、らぴかは黙っていることにしたのだった。
「ははあ、闇市ですか。なんともわたくしの都合のいい情報ばかり出てくるものです」
九段坂・いずも(洒々落々・h04626)は都合が良すぎて明日は雨でも降るのでしょうか、と付け足した。
いずもが元来3日の命であったその身を|怪異《どうぞく》の肉を食らう事で生き永らえている『件』であることは前述した通りであるが、彼女はその寿命を更に引き延ばすために、人魚の肉を求めていた。人魚の肉は、食すると不老不死になるというのは有名な話だ。
妄信者の見張りが一人二人で構わないのであれば、これだけの数の√能力者がこの場にいるのだ。いずも一人が人魚を探し求め闇市を見て回ろうとも構わないだろう。
人生は短い、時間は有効活用するべきである。
「わたくしは少しこのあたりを見回ってみようかと。ウフフ、ちょっと探したいものがあるので、ついでに、です」
そう言って他の√能力者達と別れると、いずもは闇市をふらふらと歩き出したのだった。
「この世の怪しいものを煮詰めたような場所ですし、人魚の肉があってもおかしくはないと思ったのですが……見当たりませんね」
はぁ、と小さくため息をついた視界の先に、魚の看板が見えた。
「鮮魚店、でしょうか?」
看板を目印に近づけば、そこは食事屋台。板の上には目が無数にある人間ほどの大きさの怪魚が横たわっていた。
店の主はその魚をせっせと切り分け、刺身や塩焼きなどの料理を作っているようで、側では立ったまま食事をする者が数名。ここも違う、と思っていれば、客が向こうから声をかけてきた。
「お姉さん、何か探し物かい?」
「ええ……その。人の姿をした魚を探しているんです」
「人の姿をした魚……っていうと、人魚かい? それなら剥製が向こうで売ってたよ」
「剥製、ですか?」
長い睫毛が瞬く。ここに来て初めての手掛かりだ。
剥製というからには中身を取り出した皮だけなのだろう。不死になるにはその肉を食わねばならない。
皮だけで不死になれるとは思えない、が――今後人魚を探す上での手掛かりになるかもしれない。
いずもは客に礼を言うと、教わった道へと辿る。
そこは、骨董屋であった。
「あのぉ……こちらに、人魚の剥製があると伺ったのですが」
青いビニールシートを敷き、その上に骨董品が置いてあるだけの簡単な店構え。
巨大な骨董品といえば壺くらいで、見回しても人魚らしきものは見当たらない。
「ああ、人魚かい? ならそこに置いてあるよ」
そう言われ、店主の視線を辿る。
小さすぎて気が付かなかったが、確かにそれはガラスケースの中にあった。
隣にあるタヌキの剥製よりも若干小さいそれは、霊長目の頭と、銀に輝く鱗の下半身という特徴を持っていた。
「……はぁ」
しかし、それはいずもが一目見ても分かるようなまがい物で。
子猿の上半身と鮭の下半身を繋ぎとめた、大昔に流行ったという見世物用の剥製だ。
手掛かりにすらならないそれを、いずもは落胆気味に眺める。
(「流石に昨今の情勢を考えると闇市とは言えど、こうして開かれた市ですしもう少し法の外にある店じゃないと、流石に人魚の肉は手に入りません、ね」)
いずもは店主に礼を言うと、またふらふらと歩き出したのだった。
「うぅ……」
闇市へ行く道すがら、星越・イサ(狂者の確信・h06387)は最後に食べたドロリとした謎の黒いデザートを思い出し、喉をさすった。まるでハーブ類を煮詰めたようなそれは、未だに彼女の喉をヒリつかせていた。彼女の視覚と聴覚は狂気に侵されつつあるが、困ったことに味覚と嗅覚は正常で。
『貴女の心音から異常を感じます。大丈夫ですか?』
機械音に顔をあげる。そこに居たのは、ボーア・シー(ValiantOnemanREbelCyborg・h06389)であった。彼らは『合同会社パーチ』の顔見知り同士。偶然依頼でかち合った為に共に闇市まで行くことにしたのだ。
「今なら……なんでもおいしく食べられそうな気が、しま、す…」
と泣きそうな声で呟く。
「……ボーアさんは、大丈夫だったんですか?」
潤んだ瞳で尋ねれば、機械の体が笑った気がした。
『カッターで切り刻み、顎下に収容しました』
そう言って、機械仕掛けのアゴを、コンコンと叩く。
「ほわぁ、口の中に隠せるとは便利ですね」
そう純粋に瞳を輝かせる彼女を、サイボーグの |レンズ《瞳》 はしっかりと映していた。
闇市へと辿りついたイサは、その広さに目を丸くした。
「こ、こんな場所に、闇市があったなんて……」
ボーアは闇市の広さを計測しようとしたが、視界にはerrorの文字。何かしらの魔術が使われ、空間が歪んでいるのは明らかだった。
『作戦更新を確認。提供された情報に従い、骨肉堂に向かい調査します。対象店舗に入店し、目標盲信者達に接近し音声・映像・情報の収集に務めます』
「骨肉堂の中へ、ですか? えぇ……私は、ちょっと……」
そう言って、泳ぐ視線。
あの怪異飯店の肉の仕入れ先である。どんなゲテモノがあるかわからない。
顔色も変えずに言うボーアにサイボーグなのだから当たり前なのだけど、イサは焦った。
「その……ボーアさん一人で、危なくないですか?」
『問題ありません。この身は既に機械の体、それに√能力者に死は訪れません』
「うう……すみません。なにかあったら、すぐに言って下さいね……」
イサに見送られ、ボーアは骨肉堂へと向かったのだった。
そこは、他の露店とは違い古い木製建築に『骨肉堂』と書かれた看板が掲げられていた。精肉店というより、薬屋と言った方がイメージが近いだろう。
ボーアが店のドアを引けば、カランカランと入店を知らせる鈴が鳴った。
中を見回せば、ズラッと壁沿いに並んだ薬棚と、怪異の入った檻の山。
数多の視線に思わずボーアも立ち止まれば、奥から出てきたのは老人であった。
「これはこれは、お客様。なにをお探しで?」
髭面がニッと笑い金歯が見えた。目は年老いくぼんでいるにもかかわらず、嫌にギラギラしている。
『怪異飯店の店主の紹介です。少し見て回りたいのですが構わないですか?』
ここで嘘をついても怪しまれるだけだろう、ボーアは正直に答えた。
「おお、では怪異肉にご興味が? 当店は新鮮な怪異を取り揃えております。どうぞどうぞ、ゆっくりご覧になってください」
店主は手をもむと、その身を引く。
ボーアは怪異の入った檻を見る。「ウウウ……」とこちらを威嚇する黒い靄。
これだけの怪異を集めるとは、入手ルートが気になるところだ。
改造したボディに取りつけたマイクとカメラで骨肉堂内部の情報を記録していく。
そうして店内をスキャニングしていれば、店に近づく黒い影。
『目標確認』
そう体内の通信機を通してイサへと伝えれば、彼女の息を飲む音が聞こえた。
複数の人間が来店すると、店主はぱっと顔を上げ玄関まで出迎える。
「おお、お前たちか! よく来た、よく来た。ちょうど良さそうな怪異を仕入れた所なんだ、見ていくな?」
先ほどとは違う、砕けた態度に盲信者達と骨肉堂店主は仲が良いと見えた。
一方、イサは気が滅入るような広さの闇市の調査を行っていた。
天高く積み重なった古本の塔に、カラフルなお香が売られた店、奇妙な昆虫屋に、呪具屋。
「ひぇえ……」
まるで悪夢のような店揃いにイサは震えた。
やっぱり、ボーアさんについていくべきだったか……? そう脳裏に過るも首を振る。
(「この辺りはずいぶん魔術的に歪められているようだから、私にしか見聞きでない情報があるかもしれない……でも」)
この力は彼女自身制御が利かない。ボーアには事前に「あんまり、期待はしないで下さい、ね……」とは伝えてあるけれど。本当に何も情報が見つからなかったらどうしよう、と急に不安になる。
「うまくいく……かな。……でも大丈夫……店に行くまでは本当に、やらなければならないことを受信したんだから」
そう自身に言い聞かせ、闇市を歩く。
刹那、視聴覚に走る「ノイズ」。
ふと、その時、毛皮屋が気になった。何故だか、その毛皮屋へ声をかけなかれば、と思ったのだ。
「す、すみません……」
震える声で尋ねる。
「おい、顔色悪いが大丈夫か、嬢ちゃん?」
「だ、大丈夫です!」
思わず声が裏返る。
「その……この辺りで、怪異になりたがっている人、見かけませんでしたか?」
思わずストレートに聞いてしまった。なんて突拍子のない事を口走ってしまったのだろうと、イサは恥じた。
しかし、店主はハッとた顔でイサを見る。
「嬢ちゃん、あの死体の親類かい?」
「えっ……し、し、死体……?」
「嬢ちゃんが探しているのって、怪異になりたがっている人間だろう? 自分の皮を剥いで怪異の皮を縫い付けた……」
「えっ……えっ……」
思っていたよりレベルの高い狂人に、思わず青ざめる。
「あの兄ちゃんなら、先日路地裏で死んでた。残念だったな。死体はその辺の店が回収しちまってもう無いが……そうだな。兄ちゃんの生前の話なら、奴らが詳しいかもな」
「やつら、ですか……?」
「最近、骨肉堂に出入りしてる人間どもだよ」
その言葉に、イサは息を飲んだ。
骨肉堂に潜入したボーアは、盲信者と骨肉堂店主の会話を録音、分析しながらその行き先を推理する。どうやら、近くに怪異を食べる為だけに部屋を借りているようだ。
「ああ、今度こそ、怪異に……」
怪異の入った籠を愛おしそうに抱きしめ、盲信者達は店を出て行く。
「モノもヒトもあるくせに人間やめたいとか、余裕あるってのは羨ましいね」
そう機械の体から零れた声は、人間の声で。
ボーアは盲信者達が消えたのを確認すると、店主へと声をかける。
『申し訳ない。どれも素晴らしい怪異でしたが、値札を見るに今の私に買えそうになく……』
そう言えば、店主は突然ボーアへの興味を失ったように店の奥へと引っ込んで行った。金にならないと思ったのだろう、ボーアは店から出るとイサとの待ち合わせの場所へと向かった。
「ボーアさん!」
一人で心細かったイサがボーアへと駆け寄る。
『何も買われなかったのですね』
何も荷物を持たないイサの姿にボーアが尋ねた。
「そ、その……買い物をする心の余裕がなくて」
恥ずかしそうに頬を掻く。
『ならば、私の買い物に同行して頂けませんか?』
「えっ、あっ? ……もちろん、ですっ」
予想外の誘いに、イサはしどろもどろに頷く。
『√ウォーゾーン帰還用の土産を。生もの以外で』
「ならば、あっちに良いものがありましたよ」
『おや、頼もしいですね』
「この辺は暫く歩いたんです。任せてください」
そう笑って、二人は闇市へと消えていったのだった。
お土産のお肉を抱えて、ほくほく顔のヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)は、右足を軸にくるりと回る。
「健気な店主さんでしたね~」
「拘りや善意をもって料理を作っている分、申し訳なくなってしまうな」
そう頷いたのは叢雲・颯(チープ・ヒーロー『スケアクロウ』・h01207)だ。
(「とはいえ私の体質は『アレルギー』のようなもの。下手に真実を伝えないほうがお互いの為だ……」)
店を出る際にせめて、と思い「美味しかったです、ご馳走様でした」と誠意を込めて笑顔で伝えた、が――。
ズキリと痛む胸の内。
「応援したい気持ちだけ置いて、教えてもらった場所へ向かいましょう!」
ヨシマサはその場にぴょんと飛び跳ね、うつ向く颯へ、にへらと笑む。
(「いや、しかし」)
薄野・実(金朱雀・h05136)は眉間にひとり皺を寄せ。
「なんか、良い話っぽくなっているけど、何人かトイレに籠っているお客さん居たよね……あの店、保健所案件にしとかなくて平気……かな」
案外、一般人に害があるのは妄信者達より怪異飯店の方かもしれない、と思う実であったが、しみじみ店主を想う皆の気持ちを前に、黙っておくことにする。
「ま、今は妄信者連中追うのが先決か」
「怪異の肉すら扱う闇市です、か……ろくでもない物しか売ってなさそうですよね」
志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)が『怪異飯店』店主から受け取ったメモを片手にタバコの煙を吹いたのだった。
その市場はどこまでも、どこまでも続いていた。
動物の頭蓋骨が積み上げられた店に、干した薬草が吊るされた店、骨で組まれた家具を専門に扱う店、カラフルなお香が置かれた店。
「中々に怪しいものが多いですね。呪術的なものもありそうな」
遙斗はその瞳に警戒の色を滲ませる。
「でも、僕の祖父が生きてたら喜びそうだな、ここ」
実はそう言ってそっと笑む。思い出すのは古物商を営んでいた亡き祖父の後ろ姿だ。いつも怪しい商品を仕入れてきていたっけ、と懐かしく思う。
「怪異による事件や痕跡――プロファイリングは得意だけど、呪物や物品は専門外なんだよな……」
その隣では、颯が困ったように店々を遠目に見やった。
「あれ、颯さん『怪異鎮圧弾』持ってなかったっけ?」
実の問いに颯は首を振る。
「いや、あれは使い捨ての力で……「サムライが刀を作れるか?」というのと同じ理屈です、ね」
颯の答えにヨシマサがなるほど~。と相槌をうつ。
「僕は闇市、√ウォーゾーンでもよく行ってますし、ジャンク品巡り好きなんすよね。なんか変なのあるかなあ~」
「ヨシマサさんの言う【変なの】ってなんだろう」
ウキウキとするヨシマサに、颯が顎に手を当てて考える。
「そうですね~。例えばベルセルクマシンの方に搭載したらすごいことになりそうなパーツとか!」
「ほうほう、ベルセルクマシンのパーツ」
二人が趣味の世界に入り始め、実と遙斗はその背を見守る。
「案外、趣味が合いそうだねあの二人」
「ちょっと、心配です」
そんな盛り上がっている能力者達がいる一方で、不安に陥っている能力者が一人。八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)である。
「な、なんかアヤシイ場所に着いちゃったケド……ウッカリ触っただけで呪われるものとか、ない――よね?」
割れた猫の置物に、オオカミの頭蓋骨。ガラス瓶に入った骨と髪。錆びたナイフに、何に使えば良いのか梅の種まで売られていた。
「ウーン……ニセモノ5割……ホンモノ3割……あとの2割はあんまり関わらない方がよさそうだネ……」
秋津洲・釦(血塗れトンボ・h02208)がキャップ帽を傾け商品を見る。
「この辺は大丈夫じゃないかな? 向こうのアレはちょっと危なそうだけど」
実がしゃがみ込んだ先にあったのは、人の形をした木板に、鎌と椀、墨で字がびっしり書かれた茶碗に五寸釘と藁人形のセットだ。
「……おまじないルーキーセットって感じだねぇ」
「さ、さすが、本職ッ……! 俺にはなにがなんだか分からないですー」
「いや、僕は本職、って言っても、価値鑑定は別の者に任せてるから……でもヤバそうだなってのは何となく解るよ」
実も祖父から受け継いだ古物商の店主として、普段から怪しげな商品に触れている。簡単な判別であれば可能だった。
「にしても綺麗な装飾品もあるし……嫌な感じしないなら買うのも有りか」
とポツリと呟く。
「魔女狩りの時代の物かなぁ、これ」
と、今度は額入りの何かを持ち上げた。中に飾られていたのはボロボロに解けもう糸となりかけたロープだ。
糸ともいえるロープの黒い染みから、何か薄気味悪い念を感じる。
「な、なんだぁ、ニセモノが5割かぁ……! こ、これなんか……綺麗、ですよね!」
とホッとして、真人は緑色の宝石が輝くアクセサリーへと手を伸ばす。
「ちょっとストップ! 八手くんッ!」
「それ2割の方、だねェ」
あまりの引きの良さに釦がひひひ、と笑う。
「アワワッ、すみませんッ!」
「八手さんも叢雲さんもむやみに触らないように注意してくださいね」
「ハ、ハイ……」
遙斗の注意に真人がシュン、となるも颯からの返事がない。と、振り返れば。
「あーっ! 颯さんとヨシマサくん、もうあんな方まで行ってる!!!!」
「くっ、注意しなくてはいけないのはヨシマサさんもだったか!」
二人が闇市をダッシュする。それを追おうとする真人。
だがその前を一般人の波に遮られ、真人の足は止まってしまう。
「アッ、待っ……ってもうあんな所に!」
見れば四人とも、もう姿が豆粒大になっている。
真人がどうしよう、とあわあわしていれば。その肩をぽんと、叩く影があった。
「秋津洲さんっ……!」
「もう既に迷子になりそうだけど……八手クン大丈夫かい?」
「ダッ、大丈夫じゃないですっ……! お願いしますっ、こ、怖いから、一緒に、一緒にいてくださいっ!! 俺、これ以上、何かを憑けるワケにはいかないので……!!」
涙声で言う真人に釦は頷く。
「じゃぁ、二人してゆっくり散策でもしようかぁ」
「アッ、み、みなさんも、お気をつけて~……」
もう見えなくなってしまった仲間たちに、一応念だけ送っておく。
「叢雲さんとヨシマサさんが、ちょっとだけ心配、です……」
「ウンウン、そうだねぇ」
釦はそう言うと、真人の服にこっそりと黒い髪の毛を一本だけ結んだ。
それは、とある男性の元へと贈られた女性の髪――ワケありの品だった。
こうして彼に結んでおけば、もしもの時この遺留品が目印になる事だろう。
「これでよしっ、とぉ……」
「えっ、なんですか?」
「いやいや、こっちの話」
そうして、二人のまったり闇市散策が始まったのである。
(「にしても、さっきは危なかった、ケド。ここで迷ったら二度とみなさんと会えなさそうな気がする……絶対ならないぞ、迷子には……!!」)
そう心の内で決心する真人と共に、釦は馴染みのあるアングラの空気を感じながら、慣れた様子で彼をエスコートする。
途中真人を狙ったスリらしき人間も居たが、影でちょいと突っついてやればすぐに消えてしまった。
危険はない。そう釦が周囲を見て思った、その時だった。
「……えっ、何?」
真人の体が急に糸にでも引っ張られたかのように背中から傾く。
おっとと、と真人は体制を立て直し、背に居る蛸神と、その先にある大きな壺を交互に見た。
「え、壺……? いらないよ、買わない。買わないのっ」
どうやら蛸神『たこすけ』のお眼鏡にかなった壺があったようだ。
「うん、呪物、とかではないけど、たこすけクン、なかなか目の付け所がいいねぇ、この壺、なかなかに良い品だよぉ」
「へー、……って高ッ!」
値札を見て、驚く。真人の3か月分の給料に相当した。
「こ、こんなの買えないよっ、たこすけっ!」
ぐいぐいと真人の体をひっぱり、壺に入ろうとするたこすけ。
「秋津洲さん、た、たすけ……!」
そう言って釦に助けを求めるが、釦はにこにこしてその様子を見ているだけであった。
そう、彼はどちらかと言えば触手の味方! 二人が言い争う場合はたこすけの肩を持つのは当然であった。
「ひひひ……たこすけクンがそっちの壺に棲んだら……八手クンさみしくなっちゃうねぇ…」
「ええ~ん、寂しいとかいう以前の問題で……ってあれ、これ俺まで入れようとしてない……?」
壺に入りたがる蛸神に絶対に割ってはいけない壺、失えない給料、そして今の状況――人間はそんな狭い所に入れない、に青ざめる真人であった。
「やっと、やっと追いついた……!」
「人混みの中、人を追うのは難しいですね」
一方、その頃。実と遙斗は息を切らせ、消えた二人に追いついていた。
「いやぁ、談義につい夢中になってしまって。すみませんでした~」
「すみませんでした」
それでも浮かされた熱は冷めずに、どこか楽しそうに謝るヨシマサと真面目に頭を下げる颯。
「でも、これで分かりました! このまま気の向くまま歩いたら今日の業務のすべてを忘れてここで彷徨う自信があるので、これからは実さんの指示には必ず従う気持ちで周囲を回ってみましょうか~」
「そうですね、そうしましょう」
と颯が頷く。実はその言葉にホッとするも、そこで人が二人ほど足りないことに気づく。
「八手さんと秋津洲さんを置いて着ちゃいましたね」
「まぁ、秋津洲さんが一緒にいるなら八手くんも大丈夫だと思うけど……」
闇市に入り、初っ端からこれで大丈夫なのだろうか。一抹の不安が過る。
「……これで何か、有力な情報が手に入るといいんですけどね」
そう言ってヨシマサと颯へと視線を戻せば、店の商品を指さしながら再び趣味の話題に熱中する二人の姿があった。
「颯さん、なんかグッときそうなものないです? ホラ、あれとか!」
「うーん……」
「もし義肢に搭載してほしいパーツとか見つけたら気兼ねなくボクに言ってくださいね! 拳を振るったらめっちゃ光るパーツとか!」
「あぁ……√ウォーゾーンはサイバネ技術がこちらよりも進んでるんですよね……」
ヨシマサの提案に颯は、しばし考えこむ。
「そうですねぇ……主題歌とかテーマソングを流せる機能とか欲しいですね。あるいは効果音が鳴る機能とか」
そう、キリッとした真顔で言う。脳内に駆け抜けるのは熱いBGMだ!
「それ、間違い無く潜入任務には向いてないヤツ……! 僕、√マスクド出身だけど本場のヒーローそこまで派手じゃないよ!?」
颯とヨシマサの義肢改造案に思わずツッコミを入れる。やられた方の実体験とは流石に言わないが。
そんなホットな二人がはた、と足を止めたのは、とあるパーツ屋だ。
トタンの屋根の下、機械の部品がゴロゴロと並べられ値札が張られている。
「おおっ、ちょうど颯さんの義手改造に使えそうなパーツがありそうですっ! ちょっと見ていっていいですか?」
「私も見たいです!」
「おっけー、わかった」
実が頷くと二人はパッと表情を明るくし、機械パーツを漁り始める。
そうしてパーツのオイルと煤で手が汚れた頃、ヨシマサが顔をあげ店主に尋ねた。
「もっと、こう、ズババババーってするものありません?」
ヨシマサの擬音的な問いに、店主はニッとする。
「なんだ、兄ちゃん、アレが必要かい?」
「アレ?」
遙斗が嫌な予感を覚える内に、店主は立ち上がり、後ろのカーテンで仕切られていた場所を開ける。
ヨシマサはひょいっと店内へと入り、中を覗いて歓喜の声をあげた。
「おおお~っ!」
「おお、これは……!」
ここもまた空間が歪んでいるのか、そこにあったのは広い駐車場のような場所に置かれた、最新型の兵器の数々だ。
ヨシマサにとってはちょっと古いけれど、戦車に大型ドローンや浮遊砲台、なんだかゴツゴツとしたパワードスーツらしきもの。ぽつんと置かれたロッカー棚の中には巨大光線銃まである。
「兵器!? いいのこれ!?」
明らかに公的な許可は取っていない店である。
「いや、ダメでしょう……しかし、今ここで騒ぎを起こすわけには……」
|警視庁異能捜査官《カミガリ》として国家の法と現任務の間を揺れ動く心。
はしゃぐ二人を遠目になんだかどっと疲れた遙斗はタバコに火をつける。闇市では喫煙を咎める者などいないのだ。
実は座り込んで、二人が楽しいならいっかと休憩に入っていた。
その日、早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)は商売用の美術品を手に入れる為に闇市へと訪れていた。
空間が歪み、どこまでも続く出店。動物の毛皮を服屋のように吊るす店や、人間の髪の毛をカツラとして取り扱っている店を通り過ぎ、ジュース売りの少年と狭い通路ですれ違った先。
『骨肉堂』という看板が掲げられた木造建物へと複数の人間が入っていくのが見えた。
伽羅は、おや、と思う。
骨肉堂は生きた怪異や薬を扱う店である。商品は一流だが、あまり良い噂のない店だ。なんでも、身内の体を薬として切り売りし始めた店であるとか、人間を攫っているだの、怪しい闇市の中でもひと際怪しいのがこの店であった。
一言忠告した方が良いだろうか、とも思ったが、彼らがその覚悟の先にいる可能性を思い止めた。闇市にいる人間である。ただの一般人というわけでもないだろう。
伽羅はそう思い、本来用事のあった場所へと向かった。
そこは、とある美術品専門店であった。
日本画から西洋画、ラフスケッチから油絵まで。種類豊富な絵が額縁に入り通路側へと向けられていた。
伽羅は店主と知り合いなのか、やぁ、と猫の手をあげれば、店の若い男はご無沙汰しておりますと頭を下げる。
「相変わらず堅いなぁ」
「商売ですので」
と若い男は答える。
「それで、今回はどんな品をお探しで?」
「ああ、画廊に”飾る”……というよりも上客に”売りつける”のに手頃な品を物色しにね。少し曰くつきのものがいい。金回りのいい方々というのは、そういうものに気前が良いのさ」
「ははぁ……それでしたら」
男が店の奥へと積まれた荷物を漁りだす。持って来たのは風呂敷に包まれた額縁だ。
「三度見ると死ぬ絵、というのをご存じで」
ああ、と伽羅は頷く。インターネットの怪談話としても有名な作品で、ホームページを開くと既に絵が三つ並べてあるというトラップによく使われていた絵だ。
もちろん、本当に死ぬ訳がないからそんな事が可能な訳だが。
「その作品を作る前の構想図が見つかったんですがね、これが不思議と前の所有者が死んでしまって」
風呂敷を開けようとした男に待ったをかける。
「客を死なせたい訳ではないんだ、もう少し手心のある絵はないのかね?」
「そうですか、私はまだ一回しか見ていないのですが、良い絵だと思ったのですが……」
「君は目利きだが、時に危なっかしいな」
「では、これはどうでしょうか? 害はありませんよ」
次に取り出したのは一枚の油絵だ。
燃え盛り崩れ落ちる都市を遠目に見ている一体の夫人像。
「ほぉ、ソドムを去るロト一家か」
旧約聖書の一節で、西洋画ではよく見かけるモチーフである。
ロトは悪徳の都、ソドムを去るように神託を受ける。
滅びる都を背に振り返ってはいけないと言われていたのに、ロトの妻はその禁を破り塩の柱と化してしまう。
「でも、ロト本人とその娘達が居ないとは珍しいな。表面がザラザラして立体感が出ているね、何か混ぜたのかな?」
「人間の塩を練りこんでいるんですよ」
それを聞いて頭を抱える。モチーフがモチーフだけに、本当に塩と化した人間を使っているのか、それとも汗を蒸発させて塩を作ったのか。
「……もう少し、別の商品を見てもいいかな?」
そう、答えた時だった。視界の端に見覚えのある姿が見えた。釦と真人である。
おや、奇遇だな。そう思っていると、そこへ実、遙斗、颯、ヨシマサが合流する。
「これは何か事件かな……悪いが、急用ができた。またあとで来る」
店主へそう言い残し、伽羅は店を出たのだった。
「さて、皆集まったし。油売るのもここまでにして、追跡行こっか」
実が八曲署『捜査三課』の面々に振り向いた、その時だった。
「やぁ、こんなところで奇遇だね」
伽羅の姿に、皆驚きその顔を見る。
「早乙女さん!?」
「ネコ先生!?」
「どうして、ここに……?」
視線が集まり、ちょっと気恥ずかしそうに猫髭を掻く。
「なぁに、ちょっと商品を仕入れにね。ところで何か、事件かな?」
「それが――」
仲間が伽羅に今までの経緯を話している内に、颯は追跡の準備を行う。
義手に対怪異鎮圧弾丸『杜鵑』を装填し、発火すれば肉眼以外のあらゆる探知を無効にする|案山子の潜入《カカシノセンニュウ》が発動する。
「わぁーっ! 格好いい! ボクにもあとで触らせてくださいっ!」
隈の目をキラキラさせるヨシマサに、颯はカッコイイでしょう、とニッと笑む。
そうして一行は周囲に身を隠し、警戒しながら『骨肉堂』の様子を探る。
すると、複数の人間が店から出てきた。きっと話にあった妄信者達だろう。
「――ん?」
(「追跡の対象となっているのは……、さっき見かけた、あの人たちかな?」)
伽羅は、ちょうど闇市に来た時に『骨肉堂』に出入りしていた人間達を思い出す。
やはり、声はかけなくて正解だったらしい。
「追跡は少ない方がいいです、ね」
「自分と叢雲さんで行きます」
遙斗の言葉に実が頷く。
「わかった、成功を祈るよ」
「向かうのは路地裏か、心配だな」
「が、頑張ってください、ねっ……!」
「気をつけてくださいねー」
「無理はないようにねぇ……」
それぞれ応援の言葉をかけ一行は、薄暗い裏路地へと入る二人の背を見送ったのだった。
第3章 集団戦 『狂信者達』

●人をやめれば救われるのですか
――人間の脳漿を飲めば、不治の病が治るという。
だけれど、私たちが求めているのはそんなものではなくて。
ただ人間社会に生きるこの痛みを、苦しみを取り除きたかったのだ。
ならばその前提である、人間をやめればいいのだ。
竜の血を浴び強靭な皮膚を手に入れたジークフリート。人魚の肉を食べ800年という歳月を生きた八百比丘尼。彼らがたった一度の遭逢で人の外へと踏み出したのならば。数多の怪異の血肉を余すこと無くその身に浴び喰らい続ければ、いつかは――。
今日もまた、人間をやめれば救われるのだと、ただ祈り願って。
●妄信者達の隠れ家
『骨肉堂』へと訪れた妄信者達の後をつけ、闇市の路地裏へと入ると、そこは廃墟のように薄汚れたアパート群であった。
時たま、ろくでもない犯罪者の視線を感じるが、今は妄信者達が先だ。
√能力者はゴミが散り、足場の悪い通路を行く。そして、ヒビの入った古いコンクリート製のアパートの前で足を止めた。
名前の書かれていない錆びた鉄製の扉を開けば、数人の妄信者が振り返る。
部屋の最奥には檻に入れられた怪異と、『クヴァリフの仔』。
√能力者の姿に妄信者は武器を取る。人の身でありながら、人の外に位置する彼らに憧れと憎悪を向けながら。
薄暗い室内からこちらへと向けられる憧れと憎悪の眼差し。
だが、その瞳には何の力も感じず、花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)は悟る。
彼らは√能力者でない、と。
――ならばその想いは。
「欠落とは違う。そういうことなのでしょうけど」
そう呟いた彼女は金の髪を揺らし|前に出《おびき寄せ》る。
彼女が口にした紫煙はあっと言う間に室内に満ち、その憎悪に曇った視線を自身へと集中させた。
後ろに控える仲間たちになんて、向けさせはしない。
彼女へと一直線に向かう銀色。……ナイフだ。そう思う内に肩に熱を感じた。
戦闘に不慣れなのだろう。その太刀筋は素人のもので。
切れない刃物故にその切り口は汚く、痛みが響く。
だが、彼女は表情を変えることなく煙を揺蕩わせた。
「|問題ありません《激痛耐性》」
肩を押えた指の隙間から滴る赤に目もくれず、小鳥は |彼ら《盲信者達》を見やる。
鎌や剣を改めて握り直す姿。興奮した息遣い、緊張した筋肉の動き。きっと、喉も乾いているに違いない。
「彼らは、正気を失っているのでしょう。しかし、それが欠落とは異なるからこそ、彼らはいま私たちに牙を剥いている……」
小鳥は思う。
「その違いを誰が決めているのか?」
その質問に答える者など室内にはおらず、小鳥の声だけが響く。
「たとえば神様がいて決めているとしたら……貴方がたはどうしますか?」
ふわりと笑み、告げる。盲信者達の目の色が変わった――これは、困惑だ。
「もしも、もしも貴方がたが、能力者の戦う相手としてキャスティングされているとしたら。私にできることはひとつしかないでしょう」
傷口から手を離し、赤く染まった手のひらに白い炎が宿る。
それは炎の花となり、やがて散り|花びら《火の粉》となって室内を舞う。
「彼らに、死の抱擁を」
美しい声だった。
小鳥が歩めば、さらさらと、さらさらと|花びら《火の粉》が命のように零れ落ちる。
薄暗い室内に舞う美しいその光景に、盲信者達は眼をあらん限り開いた。
花びらは盲信者達の生命を喰らい、薄暗い室内へと消えていく。
彼女の歩みは止まらない。
ひとり、またひとりと倒れる盲信者達。
「死ねば、解放されます」
盲信者達は彼女の花に釘付けになったまま、息絶えていた。
√能力者にとって、どんなに望もうが訪れない死。
「私たちにはない、あなたたちの権利です」
そう、もう人間社会に戻ることもないだろう盲信者達へと告げる。
ふぅ、と小鳥は体の内から最後の煙を吹き出すと煙草の火を消した。
視線を部屋の最奥へと移せば、檻に入った怪異とクヴァリフの仔。
黒い檻を撫で、一人ごちる。
「生か死か。――どちらが悪夢、でしょうね?」
いつもその心にいるのは、最愛の兄。小鳥は目を瞑り、嗚呼と呟いた。
「おっとっと!」
鉄の扉が予想外に脆く、ドアノブごと外れ雪月・らぴか(えええっ!私が√能力者!?・h00312)は焦る。
「ごっめーん、壊れちゃった。修理代は依頼主の汎神解剖機関に請求しておいてね!」
てへっと笑う彼女に、暗闇から盲信者達の視線が突き刺さる。
だが、明るく元気な彼女はそんな視線もなんのその。盲信者達よりもその先にある檻へと目を向けた。
「おおお、まだクヴァリフの仔は残ってるね! 食べられる前でよかったー!」
黒い檻の中に居るぶよぶよとした触手の姿を確認し、らぴかはホッとした。
「今日は怪異料理に闇市と、いろんな面白いことあったけど、メインはこれからだからね! がんばるぞー!」
当たり外れの激しい『怪異飯店』、呪具を取り扱う危険なお店。今日一日の記憶を乗せて。雪月魔杖スノームーンを振るい、宣戦布告を行う。
「ではでは、ささっと盲信者達を倒して、クヴァリフの仔を奪い取っちゃうよ!」
薄暗い室内に突如現れた魔法少女に、盲信者達は緊迫した様子で鎌や剣を取る。
だが彼女は盲信者達の武器に怯むことなく、自身の指先に嵌めた指輪を見た。
「せっかくだし、さっき買った指輪、霊力を通したら何か起きないかな?」
わからないけど物は試しだ! 指輪をした手で霊気を練り、魔杖に流し込む。
その時、らぴかの霊力に反応してピンクの宝石がキラリと輝いた。
ボワンとピンクのもくもくが杖を覆ったかと思えば、現れたのは杖の新たな姿。
「って、杖の先端に氷のゾウさんでてきちゃったー!?」
満月のような球体が付いていた筈の杖の先、そこには氷のゾウが鎮座していた。
「使い方わかんないけど鈍器っぽいし、これで殴ってみよう! えいやっ!」
らぴかが杖を振り回し、盲信者達をリズムカルにポカポカと殴っていく。
敵の動きはもたもたしていて、なんだか刃物の動きも悪い。
「むむっ、もしかしてみんな素人なのかなー?」
そんな事を思っていると、やっと動けそうな奴が前へと出て、らぴかへと剣を振るう。
杖で刃を受け止めて、相手が剣を引いた瞬間。長い杖を相手の腹へと突き立てる。
グフッと言って腹を押える盲信者の頭を氷のゾウで殴りつけた。
「ストライクってね!」
そんならぴかの死角から、鎌を持った男が襲い掛かる。
振り下ろされた鎌を避け、杖を大きく振り被る。だけれど敵も獲物が長い故、相手とは距離がある。攻撃は避けられてしまった。その筈なのに。
「なっ、なんだ……!?」
「おいっ! 近寄るなっ! いつからここは動物園になったんだ!?」
「来るなっ! わああっ!」
周囲の盲信者達が騒ぎ出す。だけれど、らぴかには薄暗い部屋しか見えない。
「ん? んんん?」
何が何だか分からぬまま、逃げ回る盲信者達をポカポカと杖で殴り続ける。
「ゾウが……ッ! ピンク色のゾウがッ……!」
男の叫びで、らぴかはやっと合点がいった。
「わかった! ピンク色のゾウって事はこの指輪関連だね! ……攻撃を外した時になんか起こってるっぽいけど、そういう√能力なのかな?」
「ゾウを放っているのはお前かッ……!」
狂乱状態の盲信者がらぴかに飛び掛かるが、彼女は体内から湧き出した霊気と冷気――霊雪心気らぴかれいきを打ち出すと、盲信者を跳ね返す。
おぞましい寒気に、弾かれた男は床で身を縮こませた。
所々から聞こえる呻き声、盲信者との対決はらぴかの圧勝であった。
「戦った感じただのやばい信者だよね? やっぱり怪異食べただけじゃ怪異にはならないよねー」
そう言い、部屋の最奥にある黒い檻を改めて見る。
中を覗けば、怯えた様子の怪異とクヴァリフの仔。
「さっ、帰ろうか!」
らぴかはこうしてクヴァリフの仔を無事回収したのである。
「怪しいアパート群に、怪異を喰らう謎のカルト集団! うんうん、ロケーションはバッチリだ!」
歪んだ空間に立ち並ぶ廃墟アパートを見上げ、尖禍・ネルカ(寓意譚・h02401)は相棒の8mmフィルムカメラを持ちつつ両手を広げた。
「ふふ、でももう一匙足りないね。“モンスター界の悪食”といったら?」
ピアスの付いた口元が笑う。
「……そう、サメだよねえぇ!」
カメラを構えると同時に、ポタポタと降り始める雨。気づけば天には薄暗い雲が立ち込め、突風が吹き荒れる。
廃墟群の後ろに現れたのはなんと、巨大な竜巻と、海水ごと巻きあげられたホホジロザメ達だ!
「さあて、どちらが悪食なのか決めようか! ド派手に頼むよ!」
サメは宙を飛び、次々と廃墟群へと突っ込んでいく。
マズイ。マズイ。マズイ。
廃墟群に潜む小悪党達はサメと竜巻を見て皆、あわてて室内へと身を隠した。
この距離では逃げられない。
ある男は包丁を手に身を屈めた。男は女殺しの常習犯であった。
彼は、女の皮を剥ぐ時の悲鳴が好きだった……だから、ちょうど良さそうなネルカを尾行したのだ。なのに。
「なんでこんな所にサメがいるんだよ!」
突風に身を伏せる中、ふと顔をあげる。そうすれば、巨大サメが一直線に飛びついて。
ア゛という声と共に血しぶきが飛ぶ。
錆びた包丁を拾い上げ、ネルカは肩をすくめる。
「君たち。チェンソーや爆弾は持っていないのかい? 血まみれでサメの腹から出てくるくらいの見せ場が欲しい所なんだけどね!」
包丁を捨てて、前へと歩き出す。
目指すは盲信者の潜む部屋。
外の異変に気が付いた盲信者達は鉄の扉を開き叫ぶ。
「√能力者だ!」
部屋の奥から魔力砲を運び出し、竜巻へと向ける。
「うんうん、そうこなくっちゃ!」
ネルカは満足そうにその画を撮りながら、サメ達へと間隔を空けるように指示を出す。
小雨はいつしか大雨となり、地面は水没する。
茶色い水が通路を流れる中、サメは飛び上がり盲信者の一人へと食らいついた。
「ぎゃああああ!」
盲信者はそのままドボンと水に沈み、辺りは真っ赤な血に染まる。
「放て!」
魔力砲から放たれた炎は竜巻へと直撃する。だが竜巻は消えるどころか炎を飲み込み、そのまま燃え盛り盲信者達の方向へと進み続ける。
同時に高速で飛び回るサメ達が次々とコンクリート壁を突き破り、室内にいた盲信者達を喰らいつくしていった。
「おっと」
風に飛ばされそうになった黒のバッグを抑え込み、ネルカはコンクリートの影で撮影を続行する。
「う、うわあああああ!」
恐怖に耐えきれなくなった盲信者は部屋を飛び出す、だが竜巻は急に進路を変えると盲信者を飲み込み、近くのアパート群を破壊していった。
ついでにコンガリ焼けたサメが落下し、小悪党どもを押しつぶす。
ネルカがひょいと盲信者達のいた部屋を覗き込めば、そこには惨状が広がっていた。
ジャリ、と散らかったガラスを踏みネルカは進む。
「怪物に憧れを持つ気持ちは分かるよ。でもねえ、なろうと思ってなるものじゃない、なるべくしてなるのさ!」
下半身のない男に陽気に話しかけるも返事はない。
足場の悪い室内を進み、最奥の檻を覗き込めば、そこには檻に入った怪異とクヴァリフの仔。
落ちていた鍵で檻を開け、ぶよぶよした触手持ちあげる。
なんともホラー映画向けのビジュアルじゃぁないか!
ネルカは楽しそうにクヴァリフの仔にカメラを向けたのだった。
「歓迎されてないと見えるな」
早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)の囁きに八曲署『捜査三課』の面々はそれぞれ心の中で同意した。
廃墟のようなアパート群から姿も見えぬ小悪党達からの視線。遠く微かに聞こえる呼吸音に布擦れ音。
「皆さんピリピリしてますね~」
「でも、ここを通らないと盲信者達の隠れ家にはたどり着けない……ここは少しの間我慢して貰うしかないね」
ヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)と薄野・実(金朱雀・h05136)が声を潜めて言う。
視界の端にキラリと光るものが見え、銃のスコープかなぁ、と思いつつ。
秋津洲・釦(血塗れトンボ・h02208)は向けられた敵意にひひひ……、と笑う。
通常の弾丸では√能力者を殺せない。二発目を放つ前に相手を仕留める自信があった。
しかしそんなメンバーの後ろで廃墟にビビリ散らしていたのは八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)だ。
「な、何か出そうな所ですね……」
「そうだよ、八手クンなんてすぐに食べられちゃうからねぇ……離れちゃいけないよ」
「ヒ、ヒィ!」
(「また、適当な事言ってるな……」)
そんな背後の会話を聞きながら、タバコをふかし先頭を歩くのは志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)だ。
「さぁ、もうすぐ着きますよ」
盲信者達の隠れ家が見えて来た所で、チラリと横を見る。心配なのは叢雲・颯(チープ・ヒーロー『スケアクロウ』・h01207)だ。
敵の追跡でこの『いかにも』な隠れ家を見つけ、仲間達を呼びに行った頃から彼女のソワソワが止まらない。
彼女は冷静に敵をプロファイリングする一面もありながら、悪人を見かけるとロケットみたいに飛んでいく、そんな一面もあった。
(「これは……目が離せないな……」)
そんな確信めいたものが遙斗の中にはあった。
盲信者達の隠れ家、その鉄の扉の前へと立った時、颯の肩は小さく震えていた。
「ふふふ……」
「叢雲、さん?」
「この雰囲気……間違いない……!」
刹那、颯のテンションが爆発した!
「これぞ典型的、悪党のアジトだッ!!!!」
興奮した声で、嬉々として赤い仮面を被る。
「叢雲さん……っ!」
静止する声より先に、彼女は弾頭ミサイルめいた飛び蹴りでドアを蹴破る!
「な、なんだッ!?」
ドアを蹴破られた盲信者達は何事かと、来訪者に視線を向けた。
「わァ、いつもの叢雲さんだ……なんか安心……」
「はぁ……」
真人がホッとする中、遙斗はため息をつき、こめかみを押えた。
そんな中、伽羅は冷静に呟く。
「アパートか……この人数で正面から突入するのは非効率だな。俺は裏から行こう」
「お、お気を付けてー」
真人に見送られ、アパートの裏へと向かう伽羅。
「仕方ない。たまにはお付き合いしますね」
遙斗が渋々懐から取り出したのは、闇市で手に入れた颯とお揃いの青い仮面。
昭和の大人気ヒーロー、電光レッド・マスターの相棒、ブルー・マスターのお面である。
遙斗はお面を被ると隠れ家へと飛び込む。
「そこまでだ悪党ども!」
横に立ち並ぶ、遙斗の姿を見て颯は仮面の下でニッと笑った。
「自ら人の道を外れようとするその邪道!」
「例えブッダが許しても」
「例えキリストが許しても」
「「俺達は許さんっ!」」
番組を見ていれば、嫌でも覚えるフレーズに多少のアレンジを加えて。
キメキメのポーズを取った二人は胸を張り叫ぶ。
見覚えある昭和ヒーローを名乗る二人に、盲信者達は困惑しながら斧や剣を取った。
「なんだ、お前達は!?」
「俺の名は! 真紅の電光石火! レッド・マスター!」
「俺の名は! 蒼穹の疾風迅雷! ブルー・マスター!」
「「我ら二人がいる限り、悪の栄えたためし無し!」」
キメポーズと共に、昔懐かしい戦闘BGMが爆音で流れる。
そのBGMはどうやら、颯が持って来たCDコンポから流れているらしい。
「えっ、志藤さ——ぶ、ブルー・マスターッ!? レ、レッド・マスター!? ふ、二人ともかっこいい〜ッ……!!」
キメッキメの名乗りに歓声をあげる真人。
「さぁ、行くぞレッド! ここからは正義の時間だ!!」
「ああ!」
強く頷く、レッド・マスター。
彼女は「とぉ! やあ!」とやけに声にドスをきかせて盲信者達を殴る! 蹴る!
「覚悟しろ悪党! これが正義の力だ!」
ブルー・マスターは腰から愛刀『小竜月詠』を引き抜くと、剣を持って迫りくる盲信者を切り捨てた。
敵の動きはまるで素人で、もたもたしている。これなら慣れない仮面をつけたままでも十分戦える、そう思いながらブルー・マスターは敵の斬撃を刀で受け止めた。
そこへ、レッド・マスターが飛び込み盲信者を蹴り倒す。
「おお~! さすが颯さん! いや、ここはあえてレッド・マスターさんとお呼びしましょう! 頑張れレッド・マスターさん!! ブルー・マスターさんも頑張れ! あ、これは応援の神経過駆動接続です! せっかくなんで繋いでおきます!」
部屋の外でヨシマサは二人にサイバー・リンケージ・ワイヤーを接続する。
その隣で真人は蛸神『たこすけ』にその加護を願っていた。
(「ふたりが思いっきり暴れ――た、戦えるように……」)
「たこすけ……反撃の邪魔にならない程度に、みんなを守って……!」
そこで、はた、と真人は思う。
「……早乙女さん、ひとりだけど大丈夫かな……」
「万が一逃げられて仔を持ち去られてもマズいよな。僕も念の為、裏に回っとくね!」
不安そうに呟けば、実が頷く。
「よ、よろしくお願いしますっ!」
実が裏に回る中、ヨシマサは何かできることがないかと、アパートの前をうろうろと行き来する。
「うう~ん……ボクもどうにか応戦したいとこなんすけど、部屋が狭そうなんで外で応援してるしか出来ないっすね! まだ時間もありそうだし、なにやろうかな……爆発させたりビームやスモークを焚いてもいいんすけど、あとなんかあるかな……あっ!」
そこでヨシマサが目をつけたのが颯のCDコンポである。
「レッド・マスターさぁん! コレちょっとお借りします~!」
爆音で正義執行BGMが流れる中、ヨシマサはコンポを自身のアカウントへと繋ぐ。
「真人さん! 遥斗さんの歌の趣味をご存じです?」
振り返れば、真人がおろおろしながら、サブスクの検索画面を覗き込んだ。
「えぇ、と……えと……この辺、かな?」
自信が無いながらも、画面を指さす。
「わかりましたっ!」
ぴたり、と爆音BGMが止まったと思えば、代わりに流れ出すリミックス。そして、爆誕するDJヨシマサ!
BGMが変わったことに、戦闘中のヒーロー二人も「おっ」と顔をあげる。
昭和の戦闘BGMは現代の曲と混ざりあい、不思議と聞いている者に高揚感を覚えさせた。
「イェイ、イェイ!」
「え、っと……いえい、いえい」
曲に乗るヨシマサとそれを真似する真人。
「何なんだ、コイツらはッ……!」
悲鳴染みた声をあげ、後ずさる盲信者。後ろは何もない筈だった。なのに、誰かの足が引っ掛かり床へと転び倒れる。
「っ、な……?」
見上げれば、いつの間に居たのだろう? キャップ帽を目深に被った男が一人。
帽子の男――釦は倒れる盲信者へとしゃがみ込む。
「怪異の血肉を食べて人をやめる……か。……それじゃあ君たちの血を吸えば……僕も人間になれるのかな……? 試してみようかァ……」
意味ありげな呟きに盲信者はヒィ、と声をあげる。男の口元に見える、白い犬歯に嫌でも目が行って。
「ア゛……」
盲信者の首を刺したのは、釦の牙ではなく――影から呼び出した |ステワ・ルトゥ《同胞》 であった。
「さて。怪異を取り込んだ人は人ならざる者に成れるのだろうか? 君達の血は、怪異と人間、どちらの味がするのかなぁ……?」
人外でありながら人の真似事をしている身として、彼らの結末に興味があった。
臓物の姿をした触手はゴクリ、ゴクリと美味しそうに盲信者の血を飲む。
貧血で青ざめ倒れる盲信者。釦は興味を失った様子で男の体を見下ろした。
「普通に、ニンゲンの血の味だねェ……」
一方、ヒーロー二人はノリノリのリミックス曲にノッて、盲信者達を殴り飛ばしていた。
ブルー・マスターは発砲と共に声に言霊を乗せ、視界内の盲信者達を麻痺させる。
「いまだレッド! 君の正義を執行しろ!」
ブルー・マスターの声に、レッド・マスターが頷く。
「ジャスティス・パンチッ!」
そう叫びレッド・マスターは義手を握りしめ、盲信者へとパンチを繰り出す。
だが相手も負けじと拳を繰り出し、それはクロスカウンターという形でお互いの顔面へと入る。
「ッ……!」
「レッド・マスター!?」
面を押えるレッド・マスターに、ブルー・マスターが駆け寄る。
「セーフだ!」
面が割れたと思ったが、ペラペラのセルロイドだ。凹んだだけでどうにか無事だったらしい。尚、防御力は無い為に、鼻血は普通に出た。血をぬぐい、レッド・マスターは盲信者に歩む。
対する盲信者は軽い脳震盪を起こし、フラフラとしていた。そこを、続けざまにレッド・マスターにパンチを繰り出され倒れる。
「ひひひ……がんばれー、僕らのレッド・マスター……!」
真人とヨシマサの隣に現れた釦は、どこから取り出したのか、応援棒を振りながらヒーロー達に声援を送る。
「うーん、いつ盛り上がるか、お二人から全く目が離せなくなってきました。ヒーローショーの演出家の人って、いつもコレをやっているんですね……すごい!」
ヨシマサがDJをしながら良い汗をかく横で、真人は悩む。
「えぇと……ええと——じゃ、じゃあ……俺はBGMに合わせて踊りますね……?? 分家のお婆ちゃんに教わった、『蛸神踊り』を……」
真人はウネウネと奇妙な動きを披露し始める。動きはゆるやかに始まり、シュババッ! と機敏に動く仕草も混じる。
時より聞こえる√ウォーゾーン仕込みの爆発音に入り乱れるに触手ダンス。
伝統的な踊りに蛸神のテンションも上がり、それを遠目に見た盲信者達は混乱を極めるのだった。
そんなこんなで気が付けば、盲信者達はレッド・マスターとブルー・マスター、二人の活躍により薙ぎ払われ既に皆床に伏せていた。
しかし、これで満足するレッド・マスターはではなかった!
「まだだッ! まだ、怪人が出てきていない!」
レッド・マスターの叫びに、ブルー・マスターはたらり、と汗をかく。
「本命の必殺技はまだ出さないぞ! 何故なら必殺技は『怪人』に放つのがお約束だからだ!」
ビシッと指を立て語る彼女。
いつものヒーロースイッチが完全入ってしまっている颯は、倒れた盲信者の胸ぐらを掴みむと、起きるように揺さぶる。
「なぁ、怪人は!?」
「ま、まぁ、レッド・マスター、その辺にしておこうじゃないか!」
ブルー・マスターが芝居じみた声で止めに入るもレッド・マスターは納得しなかった。
気絶していた盲信者が意識を取り戻し、落ちていた斧を手にレッド・マスターに振り被る。
しかしレッド・マスターはその斧をいとも簡単に腕で受け止めると、盲信者の頭をヘッドロックで絞めながら目潰しを行う。時に正義は非情なのだ!
「ルルルニャ」
一方、どろんと |一般猫《メインクーン》 に化けた伽羅はアパートのベランダ側へと回っていた。
巨大な長毛種の猫が、その毛を揺らしながら器用にベランダの手すりへと飛び乗ると同時に。
「おい! お前たち! 怪人は出ないのか!? 怪人は!!」
という叫び声に驚き、思わず落ちそうになるのを、どうにか尻尾でバランスを取る。
聞き覚えのある声に過る一抹の不安。伽羅はハラハラと窓ガラスを覗き込んだ。
見えたのは、いくら待っても怪人が現れない事にブチギレ、遙斗に止めに入られた颯の姿だった。
「……なにをやっとるんだ、あの子たちは」
なにがどうして、こうなった。
伽羅は軽い頭痛を覚えながらも窓を開ける。
「やめなさい、君たち。やめ……」
「いるんだろ、怪人ッ!」
まったく聞く耳を持たない颯に、伽羅がとうっ! っと猫ジャンプで飛び掛かる。同時にお見舞いするは、肉球ビンタだ!
「って、ネコ先生!?」
勢いよく倒れた颯が、目の前の巨大猫に驚く。
その両脇を持ちあげれば、胴体がぐーんと伸びる。
「いや、すまない……なんだか、暴走してたみたいだったから……」
颯に持ちあげられた伽羅がそう言えば、颯も「……いえ、こちらこそすみませんでした」と呟く。
床へと下ろされたと同時に伽羅は猫への変身を解き、元の姿でゴホンと咳を一つする。
「人間をやめるというのは、つまりこういうことだが、ああなりたいかね?」
正座をする盲信者達一同に、伽羅は問いかける。
『ああなりたいかね?』その言葉の意味するものに、困惑するもの、絶望するもの。反応は様々だった。
「まぁ、すぐに飲み込め、と言っても難しいだろう……だけど、どうせ別の世界に行ったところで、そこにはまた別の枠組みがあるのだよ」
項垂れる彼らに、伽羅は同情のような感情を抱いていた。
「……聞き入れてくれそうなら、そのまま解散ってことにしたいんだけど、ダメかな?」
近くに居た釦にコッソリ訊いてみる。
「彼ら、普通のニンゲンのようだしぃ……いいんじゃないかなぁ……ひひひ」
釦に視線を向けられてビクリとする盲信者に、釦はなんとも言えぬ笑みを浮かべる。
その時だった。窓の外、遥か遠く。立ち並ぶアパート群の空へ、キラッと光ったものが見えた。
「んん!? 誰か、今、変身したぞ! 怪人だ! 怪人が出たんだ!」
窓の外に身を乗り出し、颯が叫ぶ。
「ええっ、……怪人!?」
「本当ですか? 自分は何も見えませんでしたが」
驚く真人と怪訝な顔をする遙斗。しかし彼女は時に鋭い、その感覚は信用できる。
部屋の外へと走り出す颯に、困惑しながらそれを追う八曲署『捜査三課』一行。
話は数分前へと遡る――。
盲信者達の隠れ家にある秘密の地下通路を通り抜け、廃墟アパート群を駆ける盲信者達の前に立ち塞がったのは実であった。
『念の為、裏へと回る』という口実のもと、彼は単独行動を行っていた。
焦る盲信者達へと実は静かに問いかける。
「何故そこまでして人をやめたがる? そんなの救いなんかじゃない。ただの逃げ、だろう?」
キツい言葉の自覚はある。だが、言わねば自身の気持ちが収まらなかった。
「…………!」
盲信者達は実の問いに答えずに、剣や鎌の武器を構える。
「答えるつもりはないようだね」
彼等がどう答えたとしても、到底納得出来る筈が無かったが。
実は左耳の銀のピアスへと手を伸ばし、リミッターを解除する。
その身の内に潜む怪人細胞を活性化させれば、心臓が熱く脈打ち、気分は不思議と高揚した。
人ならざる気配に、思わず盲信者達は足を止める。
素肌にゾワリ、と鳥肌が立ったかと思えば、バキリ、バキリ、と音をたてその身は異形へと変化していく。
「ふぅ……」
そこに居たのは金色の朱雀。美しき翼を広げ、実――いや、|金朱雀《ヘリオフェニクス》 ファルドは前に出る。
「……私は人を“やめさせられた”……故に貴方達の考えが許せない。この痛みも苦しみも、今や人のそれ以上なのだと言うのに……!!」
「魔力砲! 魔力砲を構えろ!」
そう叫ぶ盲信者達へ、吶喊する。
その身に炎を纏った金朱雀は、カッとその瞳を見開くと、翼を振るい盲信者達を薙ぎ払う。
「苦しみから解放されたいなら一思いに……」
倒れる盲信者にトドメを刺そうとした、その時だった。
「とうっ!」
赤い仮面をつけたヒーローが、|金朱雀《ヘリオフェニクス》 ファルドへと飛び蹴りを入れる。
「なんだ……? って颯さん!?」
見れば、レッド・マスターの仮面を被った己が同僚、叢雲・颯の姿がそこにはあった。
「ふふっ、ようやく現れたな、怪人め! このレッド・マスターが成敗してくれる!」
「待って、確かに私は怪人ですけど、今回は別にプラグマ案件じゃないですし――って聞けよ人の話!?」
ふと見れば、颯を追ってこちらへと駆けてくる青い仮面をつけた遙斗らしき姿と、八曲署『捜査三課』面々の姿がそこにはあった。
(「つーか、何で遙斗君までヒーローの真似事してるんですか!?」)
そう叫びたいのをどうにか堪え、さっきからドカドカと殴り蹴りしてくる颯を鳥脚で蹴り飛ばす。
「あああ~、もうっ!」
流石に仲間にボコられて正体バレるのはアレ過ぎる。全力で逃げるファルドに、その後を追うレッド・マスター。
「待てーッ! 逃げるなッ! 怪人! おいっ、怪人!」
八曲署『捜査三課』一行は、走り去る謎の怪人とそれを追う颯を見送って、一旦盲信者達の隠れ家へと戻ることにしたのだった。
「あああ、怪人に逃げられた……!」
一生の不覚とばかりにガッカリする颯に、ヨシマサが慰めるつもりでその背をぽんぽん、と叩いた。
「まぁ、そういう時もありますよ~。……でも、√EDENでも√マスクド・ヒーローでもないのに、何故こんなところに怪人がいたんでしょうね~」
「√汎神解剖機関にまで手を伸ばし始めたに違いない! プラグマめ……!」
ギリッとする颯を横目に遙斗はブルー・マスターのお面を外す。
「はぁ、恥ずかしかった。もう二度とごめんですねこんなのは」
そうタバコに火を点け煙と共に言葉を吐き出せば、その前にヌッと現れたのは釦だった。
「ま……まさか、アナタがブルー・マスターだったとは……!」
釦の突然の悪ノリに、遙斗が頭を抱える。
「ブルー・マスターッ! ブルー・マスターッ! どうか、僕にサインを……!」
「……やめてください」
ニヤニヤとペンを握らせて来る釦に、遙斗はそう言うのが精いっぱいであった。
そんな中、人の姿で戻って来たのは実である。
「ごめん、皆。裏へと回ろうとしたら、ならず者に絡まれちゃって……クヴァリフ仔の確保、大丈夫だった?」
確かにこの治安の悪さだ。いつ小悪党達に絡まれても不思議はない。
「薄野さん……! いや、まだクヴァリフの仔は確保してなくって……」
「よくご無事で~」
「ああ、来るときずいぶんと見られていたからな」
仲間達が実を労わる中、一人疑問を抱いたのは釦だ。
微かに速い心音に、汗ばんだ肌。取り繕ってはいたが、これは直前まで息があがっていた生き物の反応だ。
遠目に見かけた怪人の姿を思い出し、釦はニヤリと笑む。
「なるほど、ねぇ……」
今はまだ、秘密にしている方が面白い。釦は真実を前に口を噤む。
「って、あ、あれですよねっ、クヴァリフの仔……!!」
盲信者達の隠れ家、その最奥に鎮座する檻の中。真人が中を覗けば、そこには怯えた様子の怪異とクヴァリフの仔がいた。
盲信者のポケットから回収した鍵でクヴァリフの仔とついでにその隣の怪異を確保する。
「さてと、さっさと撤収しましょう。後で皆さん報告書とか手伝ってもらいますからね」
遙斗がそう言えば、青ざめる八曲署『捜査三課』の面々。
「そっか、報告書があるんだっけ……でも、なんか今日はどっと疲れちゃった……」
「まぁ、怪異飯店に闇市と、いろいろありましたからね」
ガックリとした実のぼやきに遙斗が答える。
「そうだね! 怪人のことも報告しなければならない!」
「ちょ……!」
「薄野クン、どうかしたの……?」
颯がやる気を出したところで、焦る実に、知らん顔して尋ねる釦。
「まぁ、まぁ。とりあえず、捜査三課へ戻ろうじゃないか」
「賛成です~!」
伽羅の言葉に、コンポを掲げくるりと回るヨシマサ。
こうして八曲署『捜査三課』一行は事件を解決したのであった!
扉が軋む音と共に、真っ暗な部屋に差し込む光。盲信者達は突然の訪問者に振り向いた。
そこに居たのは機械の体を持つボーア・シー(ValiantOnemanREbelCyborg・h06389)とおどおどとした少女星越・イサ(狂者の確信・h06387)である。
「……盲信者さん達の隠れ家って……ここで、あって、ますよね?」
『はい。ここが目標地点で間違いありません』
盲信者達は二人の姿を見るや否や、√能力者だと察しすぐさま鎌や剣の武器を取る。
ボーアもレンズで盲信者達の姿を捉えると、瞬時にその武力を計算した。
『目標を確認。これより鎮圧――いえ、無力化します』
「えっ。えっ……彼らは怪異に、憧れているんじゃ……?」
二人に向けられる憧れと憎悪の眼差しにイサは戸惑った。
だが彼らの感情をどうにか受け入れ、把握した末に、イサの心中に訪れたのは、どうしても飲み込むことができない不快感だった。
彼らが憎むべきは√能力者を含める人間全てではないのか? 憧れるべきは私ではなく、 |信仰対象《怪異》 ではないのか?
(「狂信者にとって大切な感情を、そんな簡単に私に向けるだなんて……」)
狂人なりに信仰に心を捧げていたのなら、いくらか敬意と親近感を持てたかもしれないのに。
いつものおどおどした様子は今はなく。イサは、はぁ……とため息をつく。
表情に影が差し。盲信者達からその表情は伺い知ることはできない。
(「どうやらこの人達は、眼の前の苦痛から逃れる為に怪異や√能力者になりたがっている―――奇行のレベルは高いですが、その志は低いようです、ね」)
顔を上げたイサはすっかり白けてしまった。
「へぇー。なりたいんですか、私達みたいに。ほー」
彼らはイサの地雷を踏み抜いた。だからイサも、彼らにちょっとしたイジワルをしたくなったのだ。
イサは自身の脳内からテレパシーを発信すると、目の前にいる盲信者達の脳へと接続する。
彼らに流し込むのはイサが日常的に見ている、理解不能な景色だ。
ザザッ、ザザーッ、と視界に走るノイズの後に、歪む視界。どこからか聞こえる金切り音。
目の前にいたのは√能力者ではなく、目玉だらけの化け物に、木枝のように細いナニカ。盲信者達は思わずその容姿に後退るも。グニ、とした感覚に床がコンクリートではなく、生肉でできているのに気が付き悲鳴をあげた。
振り返れば仲間達の姿も、ヘドロの塊に見える。
恐怖に慄く盲信者達をつまらなそうにイサは見た。
『何をしたのですか?』
「ちょっとしたイタズラを」
ボーアの問いに、イサがボソボソと答える。
なるほど、とボーアは頷くと前に出た。
「……まぁ、お前らは怪異になりたがってるようだがな、そりゃ妥協だ」
機械音声の代わりにボーアから男の声が響き、イサがはっとする。
これは、彼本来の声だ。
「そんな逃げ方、俺は許さねぇ。人間をナメんな」
ボーアは盲信者達を見据え、機械の体に収納されていた電子銃を取り出し、構える。
銃と言えども非致死化された銃である。当たった相手は死ぬことなく、感電し、気絶するよう調整してある。
「うわああああああ!」
鎌を持ちあげ、こちらに向かって来た盲信者。装甲強化をしたその腕で鎌を受け止め、その脳天に銃口を向ける。
ヒッ……! と怯えた瞳がこちらを見るも、躊躇せず引き金を引いて。
ビリビリとその身を震わせる盲信者の背を掴み、盾にすると、部屋の前へと進む。
目指すは部屋の最奥にいる、クヴァリフの仔。
仲間を盾にされ躊躇する男ごと、人間の盾で押し薙ぎ払う。
仲間を受け止め倒れた男の頭を金属の足で蹴り飛ばし、同時にこちらへと剣を向ける盲信者へナイフを投げる。
腕に刺さったナイフに盲信者は悲鳴をあげ、その隙に電子銃を放つ。
戦闘不能になった盲信者達を、イサとボーアは次々とクラフト・アンド・デストロイで作り出した檻にぶち込んだ。
静かになった部屋で、ボーアは己の腕を見た。温かみも、何もない機械の腕。だけれどその心までは。
「俺は人間だ。人間でたくさんだ」
そう呟き、持っていた武器を仕舞う。
「これが、クヴァリフの仔……!」
イサとボーアは部屋の最奥で檻に入れられた怪異とクヴァリフの仔を見つけ、その檻をあけた。
ぶよぶよとした触手は元気にそうにうねる。どうやら怪我もなさそうだ。
「これで一件落着、ですね……」
『任務完了、クリア。これより帰還します』
気が付けばボーアの声をいつもの機械音に戻っていた。
こうして二人は後の処理を汎神解剖機関に任せ帰路へとついたのだった。
闇市から入った薄暗い路地裏の先。
視界が開け、久々に受ける光に目を細めると、そこには廃墟のようなアパート群が広がっていた。
やはりここも空間が歪んでいるのか、一瞬平衡感覚に違和を覚えたが、足を一歩踏み出せば普段通りの感覚に戻った。
(「やはり、余所者は警戒されますね」)
――まるでスラムだ。相手の姿は見えずとも、あちらこちらから感じる視線。
遠くから微かに聞こえる呼吸音に布擦れ音。
こちらを覗いているのか、スコープの光が反射する。
(「ここは彼らの土地、さっさと通り抜けた方が良さそうです」)
玻縷霞はそれらに気づかぬフリをして、足場の悪い道を進んだ。
そうしてたどり着いたのは、妄信者達の隠れ家だ。
ドアの前へと立てば、微かに話し声が響く。
「……まずは……あの怪異を食べて……」
という声に、まだ晩餐は始まっていないことを悟る。
玻縷霞は錆びたドアノブへと手を伸ばした。鍵はかかっていない。
軽く息を吸い、思いっきり鉄の扉を開ければ、薄暗い室内から無数の視線が突き刺さる。
「√能力者だ!」
妄信者の一人が叫べば皆そろって武器を取る。
最初に飛び出したのは巨大な鎌を持った男だった。振るわれた大鎌を避け、その柄を掴み顔面を殴る。勢いよく鼻血をふき尻もちをついた男は、顔を押えながら玻縷霞を睨み付けた。
それは、人外への憧れと道筋を閉ざしに来た者への憎悪の眼差しだった。玻縷霞は、その視線に表情を変えることなくこう告げた。
「……貴方たちが人でなくなろうと、不老不死になろうと、『中身』が変わらない限り何も変わりませんよ」
そもそも人でない私が語るのも烏滸がましいことですが……、と付け足して視線をあげれば男の後ろには、こちらの様子を窺う者が三、四人。出入り口は狭く、盲信者達が一遍に来ないのは好都合だった。
睨む男の頭部を蹴り飛ばし、こちらに勢いよく剣を突き立てる男を殴りつける。
首に掠った剣が壁に刺り邪魔だったので、引き抜き様に敵へと投じる。
着ていた服を地面へと縫い付けられた盲信者は焦り、その隙に動けないその身へと膝蹴りを食らわせた。
ナイフを手に叫びながら向かって来た子供は首の後ろを叩き気絶させる。
盲信者達の痛みに呻く声を背に、部屋へと入れば緊迫した様子の盲信者の姿。最奥には怪異とクヴァリフの仔の入った檻が見えた。
「……仮にクヴァリフの仔を取り込んだとして、希望通りになれるのか。結果がどうであれ、きっと貴方達は止まらない。良い結果が得られたとして更なるものを、得られなかったのなら別のものを――怪異を食べて満たされない貴方達が|クヴァリフの仔《アレ》に手を出したように」
玻縷霞の言葉に震えながら、銃を持つ女が一人前に出る。
「なら、どうすればいいの……そんなこと言われたって……言われたってェ!」
銃口の向きから弾道を読み、玻縷霞は女へと歩く。室内に響く靴音。
放たれた銃弾を避け、一気に相手の懐に駆けこむと女の手を叩き銃を回収して慣れた仕草で弾を抜く。
「この世には理不尽が存在する。それは人の願いも希望も一瞬にして打ち砕く……謂わば私は貴方達の理不尽です。どうぞ、抗ってください」
「……! ……!!!!」
女は鬼の形相で玻縷霞の襟と髪を掴もうとするも、腹を蹴られ痛みにしゃがんだ所を続けて蹴飛ばされる。
仲間を次々に倒され半狂乱になった男はナタを取り出した。怪異の肉を切り落とすのに使っていたのか、使い込まれていたソレは玻縷霞へと振るわれた。だが、動きが遅い。ナタを持った手を払い、足払いで相手を転ばせる。
「っ……!」
その時だった。死角から男がナイフを手に走り、玻縷霞へと体当たりをしてきたのだ。腹部に走る痛みと熱。赤く染まるスーツに刺されたことを理解して男を両手で突き放した。刺さったナイフを引き抜いて、床へと捨てる。
「やってくれましたね……」
傷を手で押さえ、男を見れば無くしたナイフの代わりに酒瓶を構えていた。
その姿にハッと笑い、酒瓶を振り回す男の手を腕ごと手刀で切り落とす。
「えっ……?」
腕を切り落とされた男は唖然とし、そして絶叫する。血がドクドクとこぼれ叫ぶ男を前に、男の腕をキャッチしていた玻縷霞はその腕から酒瓶を引き抜くと、腕へと噛り付いた。筋肉の締まった、固い肉。赤い血が玻縷霞の口元を汚す。
「……調理された怪異の方がマシですね。本当に、食べられたものではありませんよ」
そう言って口を拭い、骨の露出した腕を男へと放り投げる。
他者の肉を食い自らの傷を癒す。我ながら趣味が悪いが、この場においてそれを咎める者などいないだろう。
倒れた男のポケットから檻の鍵らしきものが飛び出していたのを見つけ、拾い上げる。
「駄目だっ、それを持っていかないでくれッ……!」
ずっと物影に隠れていた男が、魔術書を開く。
呪文を唱えられる前に駆け、その喉笛を潰せば男はその場に崩れ落ちた。声にならない声で泣く男。
出入口からは起き上がれない盲信者の口から「ちくしょう……ちくしょう……」という無念の言葉が紡がれていた。立っている盲信者はもういない。
「……だから言ったでしょう。私は貴方達の理不尽だと」
シャツの襟を整え檻を覗き込むと、うねうねと元気そうに動く触手の姿が見え鍵を回す。玻縷霞は近くにあった布袋にクヴァリフの仔を入れると、最後にもう一度だけ盲信者達を一瞥し、部屋を去ったのだった。
闇市から路地裏へと入りしばらく歩いたその先に、光が見えた。
光の中へと足を踏み出せば、ぱっと視界が開け廃墟同然のアパート群が姿を現す。
闇市同様、ここも空間が歪んでいるのか遠方まで似たような廃墟が続いていた。
九段坂・いずも(洒々落々・h04626)は妄信者達の隠れ家へと向かうため、ひび割れた道路を一人歩く。
道路の前も後ろも人っ子一人いない筈なのに、誰かに見られている不快感だけは拭えず。
「みて、女のひとだよ」
「しっ、静かに」
微かに聞こえるヒソヒソ声に、なにも聞こえぬフリをする。
確かにこんなスラムのような場所。汚れひとつない女が歩いていては異様に見えた事だろう。
マンダラ模様のストールを被り、その様が尼僧のようにも見えれば尚更だ。
白に覆われた長い黒髪。印象的な金の瞳。口元の黒子。
頭を布で隠しているというのに、それはやけに記憶に焼き付いて。
この日、ガラスのない窓から彼女を覗いていたスラムの少年は、生涯その姿を覚えていることとなる。
盲信者達の隠れ家へとたどり着き、いずもは鉄の扉の前へと立った。
中からは、複数人の話し声。
錆びたドアノブへと手を伸ばせば、鍵はかかっておらず。軽く押しただけでギィと音をたてて開いた。
「誰だ!」
緊迫した声に、暗がりから突き刺さる数多の視線。
いずもはそれらに臆する事なく前に出る。
盲信者達のそのまた奥には怪異とクヴァリフの仔の入った檻が見えた。
「竜の血に人魚の肉……どこかで聞いた話ですね」
そう、まるで竜の血を飲み、人魚の肉を喰らいその寿命を延ばしてきた |どこかの件《彼女》 のようで。
「どうにも気になって参加したお仕事でしたが――他人事ではないようです」
その独白めいた呟きに、盲信者達はギクリ、と肩を揺らす。
初対面である筈なのに、心を見透かすような言動に言葉を絞り出す。
「お前、√能力者か……?」
「ええ、そうです」
素直に頷けば、眼差しが警戒から憧れと憎悪の色に塗り替わる。
盲信者達は鎌や剣を手に、いずもへと襲い掛かった。
相手が√能力者だというならば、その血肉を貪るチャンスである。
だが、刃の切っ先が届く前にいずもは歌うように盲信者達へと語り掛けた。
「あなた方が人の道を外れてみたいと申すなら、応えてあげるが世の情け――」
刹那、いずもの言葉が世界へと干渉した。
妖怪、|件《くだん》は未来を予言する獣である。それ故にいずもの言葉もまた未来を予言する。
「わたくしは人魚の肉も竜の血も飲んだ件です。あなた方と同様に、悲業を歪めるために何かを殺し、そして喰らい、齢は三十手前。三日の命はどこへやら。あなた方の考えが間違っていたとは、わたくしには思えないのです。ですから、提案をお持ちしました」
いずもがそうダダッとそう歌いあげれば、剣はいずもの眼前でぴたりと制止する。
「提、案……?」
いずもの言霊が盲信者の脳へと響く。まるで甘い甘い砂糖のような言葉。
銀色に輝く武器はゆるゆると下がり、盲信者達は互いを見合わせた。
目の前の女が本当にあの妖怪 |件《くだん》であるというならば。目の前の女が本当に人魚や竜を食ったというならば。今まで手応えのなかった人の外へと踏み出す足掛かりになるかもしれない。
しかし、いずもがその背から引き抜いたのは、巨大な背負い太刀。盲信者達ははた、と目を見張る。
「わたくしの刀は怪しき異なるものを斬る刀。この刀であなた方が斬れるのならば――きっともう、あなた方は『ひと』ではないのでしょう」
その言葉に盲信者達ははっとして、下ろしていた武器を振りあげる。だが、いずもが速かった。
「衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断。一連托生――地獄でお会いしましょうね?」
ブンッと巨大な刃が室内を薙ぐ。その一薙ぎに壁は赤へと染まり盲信者の口から、は、と息が漏れる。
物影に隠れていた |盲信者《生き残り》はその様子に叫び声をあげて窓へと駆けていった。
「どうやら力は授からぬとも。その身は変異していたようですね?」
床へと重なり合う盲信者の体に、いずもは嗚呼、と呟く。
ならば人魚と竜を食べた私は。
「果たしてわたくしは悲業を背負った |件《くだん》なのでしょうか? それとも、あの日あの時人魚の肉を喰らい竜の血を浴びた――『二度の遭逢』を果たし、数多の命を喰らったわたくしは、|件《くだん》なとは異なる「なにか」に成り果てているのでしょうか?」
白い指先で己が頬を撫でる。
その問いに答える者など誰もいない。
赤く染まった部屋。クヴァリフの仔がいずもを視る。
「それとも、くだんをやめれば……ワタシは救われるのですか?」