もしもあの改札を進んでしまったのなら
●
寒さの厳しい日の続く冬のある日、√能力者は√ウォーゾーンのとある研究所へやって来た。
「来てくれたか。集まってくれたことに感謝する」
雑然とした研究室を訪れた√能力者に向かって、精悍な雰囲気をした老人――地大・鳳明(教授・h00894)が落ち着いた声で一礼する。
十二星座から「ゾディアック・サイン」を得て、将来起こり得る事件や悲劇を予知できる√能力者、星詠みの一人だ。
つまり、どこかしらの世界で危険な事件が起きたということに相違ない。
「お前さんらに今回向かってもらいたいのは、√汎神解剖機関だ」
√汎神解剖機関は、人知れず危険な怪異との戦いが行われている世界だ。
人類の危機はそこにとどまらず、この世界において人類の進化は止まり、人々は悲観思考と終末思想に囚われている。
汎神解剖機関は、そんな世界で人類を怪異から守るため戦う組織だ。一方で、世界を延命させるため、怪異を狩り出し、その臓腑に宿る『新物質』を研究しているという。
人類同士の戦いも避けられない、極めて不安定な世界である。
「仔産みの女神『クヴァリフ』という存在の名を知っておるか? この怪異が己の仔を召喚する手法を、自身を崇める信者に授けているということが分かった」
仔産みの女神『クヴァリフ』は数多の怪異の母とも呼ばれる存在だ。人間を取り込み、自身の仔に変えてしまうなど、危険な能力を持っている。
今回、その存在が与えた手法で召喚される『クヴァリフの仔』は、さしたる戦闘力を持たない。しかし、他の怪異などと融合することで、その戦闘力を大きく増幅するのだという。
「クヴァリフの信者がそんなものを持って何をするかなど、考えたくもない。そこでお前さんらには、『クヴァリフの仔』を回収して欲しい」
汎神解剖機関としても、汎神解剖機関から新物質を得られる可能性は高い。可能な限り、『クヴァリフの仔』を生きた状態で回収するというのが、今回のオーダーとなる。
「向かって欲しいのは、この駅じゃ。信者たちは、この駅へ密やかに結界を張り、人々を生贄として誘い込んでおる」
鳳明が示したのは、都心から離れたベッドタウンの駅。
信者たちの結界によって、駅には『存在しない改札』が現れている。ここに迷い込んだものは、信者たちの手にかかってしまうわけだ。
√能力者たちは、逆に駅の中にある『存在しない改札』を探すこととなる。
噂や目撃情報から割り出すのが無難なやり方だろうが、体力や運に任せて足で稼ぐのもアリだろう。あるいは、√能力者ならば、魔術や霊能力といった超常の手段を取ることが出来る者もいるかもしれない。
「結界の中には、信者たちが呼び出した怪異たちがおる。そこまで手ごわい相手ではないじゃろうが、油断せず当たって欲しい」
もし放置すると『クヴァリフの仔』と融合する可能性だって在り得る。避けて通ることは出来ないだろう。
「怪異さえ倒せば『クヴァリフの仔』を信者たちから回収するのは難しくないと思うが……『連邦怪異収容局』も『クヴァリフの仔』を狙っているということだ。最後まで油断はしないでくれ」
『連邦怪異収容局』は新物質の独占や怪異の軍事利用を狙う組織だ。中には既に矛を交えた経験のある√能力者もいるかもしれない。遭遇したら、交渉は通じないため、戦闘は必至だ。
「さて、決して簡単な戦いではないが、お前さんたち以外に頼める者はいない」
戦いの人生を歩んできた老人、鳳明は真剣な目つきを√能力者たちに向ける。
「準備は良いか? お前さんらが無事に帰ってくるのを待っているぞ」
●
夕暮れ時。
人々は電車を降り、構内を歩いていく。
『鼠色のスーツの群れ』という揶揄が存在するが、人々の表情にはどこか倦怠や諦念が混じっており、生気がないものばかりだ。
これが進化の止まった世界の在り方である。
誰もがそんなモノクロの景色から出ることを望みながら、同時に諦めている。
一人の男が、急いで歩く中、人通りのない改札に入った。この時間に人がいないのはあり得ない。
しかし、彼は期待してしまった。
見知らぬ道が、自分に新しい世界を見せてくれることを。
ちょっと気分を変えてみたかった、という言い方もあるだろう。
そこで立ち止まっていれば、彼の運命はいつも通りのはずだった。
世界は一人の人を取りこぼしたことにも気付かず回っていく。
黄昏を迎えた世界は、今日も緩やかに衰退を続けていた。
第1章 冒険 『鉄道に潜む怪異』

駅構内の喫茶店で、塙・弥次郎(冒涜融合体ヒアデス・h05784)は、サンドイッチを口にしながら歩く人々の様子を伺っていた。
今の姿は一般に溶け込むための仮の姿。
悪を憎まず善を愛せず、自由と冒涜を尊ぶひねくれ者としては、この世界の陰鬱な光景に対して、どうしてもネガティブな印象を拭えない。
「秘密結社の怪人時代は自由なんてなかったが、サラリーマンってのもあんま変わらないのかねェ」
かつて秘密結社ブラスフェマスにいた頃の自分を思い返し、独り言ちる。
悪のために生きていた自分と、何のために働くのかも分からず生きる人々、どちらが幸せなのかと考えてしまう。
「疲れた顔しちゃってよ、夢のない話だぜ……おっと」
そんなことを考えていると、一人の男が道を外れて、案内のない方向に進んでいくのが目に入る。
最後のサンドイッチを口に放り込み、弥次郎は店を出た。
「知恵は冒涜の源泉なりってな」
呟くと弥次郎から、存在感のようなものが消え失せる。
ブラスフェマスが作った冒涜蝕装体が持つ機能の1つである。もっとも、彼自身機能のことを正しく把握しているわけではなく、自分の身体が動く理由もよく分からないのだが。
とは言え、こういう時には有効な能力だ。
「おやおや、ようやく当たりだな」
「ただ行く方向が一緒なだけですよ」みたいな雰囲気を出して歩いていると、案内のない改札に人は吸い込まれていった。
何度か繰り返した甲斐があったというものだ。
幸い、適度な腹ごなしもして、コンディションは悪くない。
ここからは「ヒアデス」として暴れることが出来そうだ。
「ふむ、こんなところだな」
駅の中を一回りしたところで、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は歩みを止める。
彼の行動は冷静だ。
駅の地図を元にして、改札の数を確認し、一歩一歩確かめてきた。それで見つからなかった辺り、見えるタイミングにはズレなどもあるのだろう。
『存在しない改札』とやらを作った連中は、それなりに警戒心もあるらしい。
(生贄、か……)
改めて、この事件のあらましを見つめ直すクラウス。
『クヴァリフの仔』の召喚方法を信者に授けたのは、仔産みの女神『クヴァリフ』自身だ。狂える怪異が何を考えて信者に力を与えたのか等、想像しても分からないのかもしれない。
ただ、戦闘機械群との戦いを生き抜く若き戦士に一つ言えることはある。
それは、無辜の民を生贄にするような暴挙は看過できない、ということだ。
「なら、やり方を変えてみるか」
そして、クラウスは虚空に視線を送る。そこにいるのは「見えない怪物」。
全ての生命の死後の姿であり、√能力者には見ることも出来ず、いずれは消えていくものたちである。
とりわけ、クラウスは彼らと意思疎通を取ることが出来た。一見すると無表情で感情のないような印象を与えるが、実際には感情表現が苦手なだけ。インビジブルの心を動かすほどに、真摯な若者なのである。
「よし、ここだな」
そうして、数刻。
何体かのインビジブルと話し、歩き回った末、『存在しない改札』にたどり着いた。
「一刻も早く、犠牲になる人を減らすんだ」
クラウスは、躊躇い立ち止まることもなく、改札を通り抜けた。
駅員のいる区画を、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)は息を殺して、様子を伺っていた。
駅の壁の隅っこは、彼女にとって落ち着く場所だ。
「監視カメラの映像って、見せてもらえるんですかね……」
七三子の目的は、駅の監視カメラの映像だ。
怪異が関わっているとは言え、動いているのは人。監視カメラで人の姿を追えば良い。極めて単純な話だ。『怪異から人々を守る』という大義は彼女と共にある。
しかし、長年消耗品の下っ端戦闘員をやっていた癖が抜けるわけでもない。オマケに、この√において怪異のことが秘匿されている以上、簡単に教えてもらえる情報でもないだろう。
「じゃあ……仕方ないですね……」
そう言って七三子は駅の片隅で、黒く飾りっ気のないスマートフォンを取り出すと、何やら色々と操作を行う。
すると、一体どうやったのか、スマホに監視カメラの画像がダウンロードされていった。
たかが戦闘員、されど戦闘員。
悪の組織に務める以上、何かと多芸を求められる。多少の手間はかかったが、これも戦闘員としての技能の1つだ。
「えっと、この画像が8番目で……」
七三子はスマホの画像を注意深く観察する。
人波から外れす人、そしてそのままいなくなる人。
どこかに違和感は存在する。
「あ、やっぱりこの人消えてますね」
分析を終え、七三子は人の消えた場所、『存在しない改札』へと進む。
「汎神解剖機関の依頼ってこう、のっけからホラーですよねえ……。でもまあ、戦える相手なのなら怖くないですけど……」
口ではビビっているが、それでもこういう辺りはプロの戦闘員なのである。
喫茶店の中で一人の少女がキーボードを叩いていた。
暗い目つきではあるが、スラっとした身長が高く、スタイルも良く、どこか大人びた雰囲気があった。
明星・暁子(鉄十字怪人・h00367)である。
「最近にわかにクヴァリフ関係の事件が増えてきましたわね。ここらで押しとどめないと」
暁子は最近起きている『クヴァリフの仔』の事件に多数関わってきた√能力者だ。
向かった先は中学校、学会、美術館、研究施設、怪異の館、etc、etc。
他にも様々な所に『クヴァリフの仔』は姿を見せており、今なお事件は増えている。
正義の心に目覚めた身としては、これ以上被害者を増やさないことが望みだ。
「初手にて奥義仕る」
ハッキングツールを使用して、駅のコンピュータに入ると、暁子は監視カメラのデータを抜いていく。
使っているのは、√ウォーゾーンの戦闘機械群の電子頭脳に介入することを想定して作られた代物だ。こんな所のセキュリティなど、障子戸にも等しい。
カタカタカタ、ターーン!
キーボードが派手に音を立てる。
生憎と思っていたほど嵐も衝動も湧きあがってはいないが、見た感じ通常の3倍のスピードを出している雰囲気はあるし、5倍以上のエネルギーなんちゃらがあるような空気である。
カタカタカタ、ターーン!
「さあ、敵の本拠地、目的への入り口は、ここですね」
ノートパソコンを閉じ、暁子は髪をかき上げ立ち上がる。
もはや立ち止まる必要はない。
嵐と衝動のまま、怪異に挑むだけだ。
複数の路線が乗り入れる駅で、夕方の時間帯ともなると、人の行き交う数は結構なものとなる。
人々は瞬く間に電車に乗り込み、そして改札から出ていく。
まれに足を止める者もいるが、多くは留まりなどしない。
「木を隠すなら森の中。改札隠すなら駅の中、と。大人数が行き交う駅なら、その時1人くらい居なくなっても気付かれにくそうだもんね」
それは鴉越・烏夜(エリラズ・h00852)の正直な所感だった。
周りに興味を持つ人もいないし、かえってこうした場所の方が、人を浚うのは容易なのかもしれない。
「駅の構内図はこっちかな。それなりに大きいみたいだね」
烏夜が向かったのは、構内図の前。
見たところ、怪異を探しているようには見えないが、これが彼のやり方だ。
「あとは、行方不明者の情報があればなお良しだけど……掴んでいるかな~」
そう言って、烏夜はスマホで連絡を取る。
「もしもし、超常現象関連特別対策室所でしょうか?」
烏夜が電話した先は、汎神解剖機関が誇る捜査機関だ。
一説には全員が国家を揺るがすレベルの霊能力を保有するとすら言われる、最高峰の操作組織である。
そこにかかれば、怪異事件に関わる疑いのある行方不明者を探るなど、造作もない。
「これだけ情報が揃えば十分だね」
そして、烏夜は黒水晶のペンデュラムを取り出した。
これでも、警視庁異能捜査官の末席に名を連ねる身。ダウジングを用いた失せ者探しには心得がある。
「……さて、好奇心に殺された猫は何処かな」
その術は対象を探し、異界の果てまでも追いかけるのだ。
●
夕方の駅。
その一角に男女が三々五々と集まっていた。
元々、駅というのは場所柄、待ち合わせに使われる場所ではあろう。交通手段である電車からすぐの場所であり、目印になるようなものにも事欠かない。人がたくさんいる場所でもあるので、概ね治安も悪くない。
実際、『彼ら』の他にも、友人同士の待ち合わせ、仕事で会う人々、子供を迎えに来ている親の姿などが見え隠れしている。
しかし、彼らはそのどれとも違って異質だった。
モデルを思わせるような長身の女性がいるかと思えば、田舎から出てきたような純朴そうな少年の姿もある。
自信に溢れた雰囲気の女性は、年齢が半分以下だろう少女と何やらきゃっきゃと話している。
彼らがザリガニが話しているようにも見えたが、おそらく見間違えだろう。そもそも、こんな所にザリガニなどいるはずもない。
一体どういう集団だか想像もつかない。仲は良さそうなので、おそらくは友人同士なのだろう、といった位だ。
「俺で最後か? すまない、職場を出る直前で捕まった」
そう言って現れたのは、神経質そうな印象を与える青年だ。彼の姿は、その他のメンバーと比べると、駅の雰囲気に合っているだろう。
「まだ時間前だね。安心すると良い」
色白の女性が自信たっぷりに答える。
そう、こうして揃ったようだ。『異世界√生物部』のメンバーである。
√EDENの愛知県、山奥の田舎にある一軒家を拠点とした『部活動』を行う旅団だ。
『部活動』とは言うが、実態としては√能力者のたまり場と表現する方が正しいだろう。
この度は、『クヴァリフの仔』事件の話を聞いて、みんなして解決のために集まることと相成った。
「ふんふん、『存在しない改札』ねぇ。何だか七不思議みたいでわくわくするね!」
そう言って年齢に似合わず天真爛漫にはしゃいでいるのは、凶刃・瑶(似非常識人・h04373)。
好奇心旺盛な彼女にとって、怪異も災厄も知識欲を満たす対象に過ぎない。
探す経緯も、得られる知識も、きっと彼女を楽しませてくれることだろう。それを親しい友人たちと一緒に行えるのだから、テンションも上がろうというものだ。
「『クヴァリフの仔』かぁ。星を詠んで知ってはおるが。実物を見るのは初めてだし、楽しみだ!」
『部長』であるところの玖老勢・冬瑪(榊鬼・h00101)は、星詠みでもある。以前、予知としてその存在は知っている。
なので、実物を見られるとあって、ワクワクしているのだ。
「何より、みんなと一緒だしね。汎神の機関の瑶さん、湊斗さんがおるで、心強い!」
仲間と一緒に立ち向かえるのなら、どんな陰惨な事件が相手でも怖くはない。
そんな『部長』の言葉に、瑶と白片・湊斗(溟・h05667)は微笑み返す。
(会社の仕事切り上げて、機関員の仕事……も、あるけど。結構楽しみにしてたんだよな。生物部の皆との遠征)
冬瑪が言うように、湊斗も瑶も汎神解剖機関の人間である。
しかし、この場には『異世界√生物部』の人間として来ている。なので、この『部活動』をみんなで楽しむつもりだ。
湊斗の外見が与える第一印象は「神経質そう」ではある。だが、実際の所は結構マメな性格で、面倒見のいい男なのだ。
「『クヴァリフの仔』ねえ。なんかあんまり美味そうじゃあねえなあ。俺っちグルメだからよお、舌が肥えてるんだよなっ」
その声はなんと足元からした。
なんと声を発したのはアメリカザリガニ。先ほどの姿は見間違えなどではなかった。
侵略的外来生物・ザリザラス(ザリガ忍者・h04212)だ。
彼もまた、『異世界√生物部』のメンバー。√能力者とは、げに多様な種で構成されているものである。
「ま、ここは生物部のためにも脱皮してあげますか!」
ザリザラスは頼もし気に鋏を振り上げる。
「助かるわ。頼もしい限りね」
ザリザラスの言葉に、ユッカ・アーエージュ(レディ・ヒッコリー・h00092)が頷く。
この面子の中でもおそらく最年長の彼女は穏やかに笑みを浮かべている。
一見すると、一応危険な場に向かう状況のことを理解して、冷静さを保っているようだ。
だが。
「いけない、わくわくなんて不謹慎ね」
よくよく見ると、口元が微妙に緩んでいた。
『異世界√生物部』のメンバーと一緒に戦うというのはこれが初めて。
何年生きていたって、初めてのことには誰だってドキドキするものだ。
「にゃっ! みんなで瑶ちゃんたち、機関のお仕事のお手伝いにゃ!」
一方、最年少の少女、瀬堀・秋沙(都の果ての魔女っ子猫・h00416)は、はしゃぎようを隠そうともしていない。
「小笠原には電車も改札もなかったから、初めて見たにゃ!」
とのことなので、それもやむを得ない所か。
初めて尽くしで、大好きな友人と一緒。これは何が起きたとしても楽しくなる、約束された勝利の陣形だ。
「生物部の皆で生態調査の遠征開始だー!」
瑶が声を上げ、事前の示し合わせ通りに調査へと向かう。
こうして、本日の『部活動』は始まった。
●
皆と別れた冬瑪は駅の中を歩き、怪異の気配を探る。
他のメンバーも様々な手段で探しており、彼の選んだやり方は足で稼ぐ、だ。
「さて、部長らしい仕事ができるといいんだけど……都会の通勤はどえらい混雑だねぇ」
冬瑪の生まれた辺りと打って変わり、ベッドタウンの駅ともなれば、中を往来する人の数は大変多い。
慣れない人の数に酔いそうになりながら、取り出したのは古めかしいフィルムカメラだ。
アナログと侮るなかれ。
善鬼『榊鬼』の継承者として持つ見鬼の才と合わせれば、怪異を探るのにこれ程使いやすい道具もないのだ。
「何か、役に立つもんが写ってくれているといいんだけど」
それらしいところでシャッターを切り、怪異の気配を探る冬瑪。
視界の中に一瞬、何かがよぎったような気がした。
「ああ、みんなの目もあれば、見つけられそうだな」
●
「ほんとねぇ、人がいっぱいだわ」
おっとりとした口調で辺りを見回すユッカ。
100を越える年数生きてきたエルフであるが、人口の急増は歴史的には浅い話だ。
まだまだ人の波に慣れているとは言い難い。
そうすると、人数はたくさんいるに越したことはない。
「準備はいい? 頼りにしてるわよ、みんな」
ユッカの声に応じて姿を見せるのは、彼女が心を通わせた精霊たち。
神秘を見る目を持たぬ余人には見えないが。頼りになる沢胡桃の乙女の仲間である。
「さぁ、人海戦術と行きましょう」
精霊というものは都市の中にだって存在する。人々の喧騒の中で生き抜く精霊たちは、むしろエネルギッシュなほどだ。
それにどうやら、噂好きでもあるらしい。
自分たちの住んでいる場所に起きている異変に対して、彼らは黄昏を迎えた人類たちよりも敏感だった。
●
ガサガサ
ゴソゴソ
人の見せない物陰を、何かの影が密やかに動く。
√汎神解剖機関で人々を脅かす怪異……ではない。ザリザラスの呼び出した、グッピーゴーストだ。
「おらっ、頑張れよっ!」
もちろん、一般人には見えないものたちだ。捜索を行うのに、これ程向いた者もおるまい。
夕方の駅は混み合っているが、そんなもの一切関係ないのだから。
ザリザラスの野生の勘に命じられ、人が入ることが出来ないような場所にだって平然と入っていける。
ザリザラスが鋏を打ち鳴らすと、幽霊グッピーは全力で動き出す。
可愛い子分であり、優秀なおやつなのだ。……当人らが納得している関係ならば、ツッコミを入れるのは無粋というものだ。
「よっしゃ、一発かまして来い!! おまえたちがただの稚魚じゃねえってところを見せつけてきな!」
打火の加護を受け、グッピーゴーストはこそこそ飛び回る。
これが侵略的外来生物の凄さなのだ。
●
「こんばんは! 最近改札を通ったまま戻ってこない人の噂とか、聞いたことないー?」
いつの間にやら売店のおばさんと仲良く話しているのは瑶だ。人と仲良くなることは、彼女の得意事ではある。
瑶・秋沙・湊斗が3人して向かったのは、シンプルな聞き込みだ。
しかし、√能力者が3人も集まれば、「ただの聞き込み」等に終わるはずもない。
明るくはしゃぎながら駅員と話している秋沙も、構内図を確認している湊斗も、いずれも常人には思いもつかない能力を持っているのだ。
「実は私の知り合いがこの駅で行方不明になっちゃってね、辺りを調査しているんだけど、あの監視カメラに何か映ってたりしないかなぁ?」
と、そんな説明をしている内に瑶は売店にやって来た駅員と会話をしていた。
当然、そんな知り合いなどいない訳だが、状況が状況だ。多少の嘘は神様だって許してくれるだろう。
「申し訳ないけど、最近はコンプライアンスがなあ……」
瑶の言葉を駅員はやんわりと断ろうとする。
親身になってくれてはいるが、ここ数年、こうした規則はずいぶんと厳しくなったものである。
だが、せっかく重要な手掛かりが眠っている場所なのだ。√能力者たちだって退くわけには行かない。
「秋沙のお願い、聞いてほしいにゃ?」
「ほんの少し、見せてもらえれば納得するから!」
今度は秋沙と瑶の2人がかりでのお願い攻撃だ。
1人だったら断れていたが、波状攻撃ともなってくると場の空気もあって断り辛くなる。
「良いじゃないの、少しくらい。この子らも、必死なのよ」
「そうそう」
気付けば、無差別の魅了に引き寄せられ、ギャラリーも集まっていた。√能力者はあり得ない可能性に、ルートを見出すものたち。
こうした都合の良い偶然を呼ぶことだって珍しくない。
気付けば、駅長まで偶然通りかかり、特別の計らいで見せてもらえることとなった。
「いいねえ、もし何か映ってれば充分手掛かりになる」
3人して連れられて入った駅の事務所で、湊斗は口角を上げる。
カメラの映像を前にして、呼び出すのは水怪の力。彼の視力は『欠落』しているが、その視界に宿った水怪は並み以上の視覚を彼に与えてくれる。
「ああ、分析は任せてくれよ」
本来、湊斗の仕事は研究者。
この手の怪異の事件は専門家なのである。
こうして、3人の情報収集は、怪異の足跡を掴んだのだった。
●
それぞれに情報を集め、『異世界√生物部』は再度集合場所へと集まる。
みな、一様に成果を収めて喫茶店へと移動した後、これからその突き合わせだ。
「おー! 冬瑪くん、フィルムカメラに何か映った? 見せて見せてー!」
「俺も撮れるだけ撮ってきたでね。何か、役に立つもんが写ってくれているといいんだけど」
当然現像は出来ていないが、その場で確認する手段位はある。
複数の目撃情報から怪しい個所を絞り込み、不審な個所を撮影した写真を重点的に観察する。
すると、どうだろう。
「あった、これだ」
湊斗が我が意を得たりとばかりに声を上げる。
そこには確かに、本来存在しないはずの改札の影が映っていたのだ。
おそらくは、心が弱っているなど、誘い込みやすいものの前のみに姿を現わすのだろう。しかし、汎神解剖機関が揃っている状況なら、場所が分かった以上、中に入ることはそう難しくない話だ。
場所を突き止めた√能力者を拒むことが出来るような代物ではない。
「ふふ、私たちが力を合わせれば出来ないことはないわよ」
みんなして発見を喜びはしゃぎ、ユッカもそんなみんなを見て嬉しそうにしている。
「ふむふむ、なるほどね! さーて改札の先はどうなってるのかね。おやつは持った……ハンカチ持った……! 遠足気分でカチコミじゃあ!!」
ここからは本番だ。
ザリザラスは目の前に獲物がいるのかのように、威嚇するポーズを取っている。
ここから先は侵略的外来生物として暴れられるのだ。人目をはばからず暴れられるのだから、彼にしてみるとそちらの方がやりやすい。
「猫も箒の準備とオヤツの準備はバッチリにゃ! クヴァリフの仔の観察の前に、何が出て来るかにゃ!」
怪異や狂信者との戦いに向かうにあたっては、いささかのんきなセリフかもしれない。
しかしこれは『部活動』なのだ。
√能力者が危険に挑むのなら、この位の気持ちでいた方が、成功に繋がるというものだろう。
「よーし、それじゃ次は力仕事。みんな、行こうか」
冬瑪の号令一下、『異世界√生物部』は『存在しない改札』へと向かう。
お目当ての『クヴァリフの仔』は、そこにいるはずだ。
第2章 集団戦 『ヴィジョン・ストーカー』

『存在しない改札』を通り抜けた先にあるのは、異空間に作られた狂信者たちのアジトだ。
一見したところ駅の通路に見えるが、呪いと怨念の気配が渦巻いている。
実際、この場に紛れ込んだ人々は、狂信者の手にかかったのだろう。注意深く見ると、そうした痕跡が見つかる。
そして、√能力者がしばらく進んだ時だった。
周囲の景色が歪む。
足元の影が伸びあがり、実体を持って襲い掛かってきたのだ。
狂信者が入り込んだ犠牲者を惑わし、命を奪うために召喚した怪異だろう。
この先に進むためには、脅威を打倒さなくてはいけない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1章クリア、おめでとうございます。これより集団戦闘となります。
1人頭、4~5体位の怪異を相手にするとお考え下さい。
場所はある程度広い空間です。
ご武運をお祈りいたします。
怪異が襲い掛かろうという危機を前にして、弥次郎、いや、ヒアデスは口元を歪めて嗤って見せた。
「無力な迷子と怪人の区別もつかないたァ、お粗末な待ち伏せだ。不意打ちだまし討ちをするのが自分だけだと思うなよ」
似たような真似は自分にも経験がある。が、やり口が雑に過ぎる。
この程度のものにやられる程、ヒアデスは甘くない。
もぞりと、ヒアデスの身体から不気味な触腕が蠢き、その姿を変えていく。
「人間の擬態はもうやめだ! 俺は冒涜融合体ヒアデス! お返事はできるかな、影ども!」
冒涜蝕装体と融合し、不気味で悍ましい、しかし黒くスマートな姿へと変じる。
これこそが、秘密結社ブラスフェマスが作り出した怪人ヒアデスの真なる姿である。
「ギィィィィィィウ!!」
軋るような声を上げて、怪異たちは速度を上げてヒアデスを狙う。
しかし、ヒアデスは余裕だ。
伸ばした不気味な触腕で怪異を縛り上げ、そのまま締め上げていく。
「射程は半径20メートル! 半端な広さの屋内じゃ逃げにくいぜェ、この触腕は」
不定形で似たような戦い方をしているが、異形ぶりにおいてヒアデスは決して負けていない。
怪異も速度を上げているが、攻撃のタイミングの早さはヒアデスに劣る。
「さっさと倒して次に進もうじゃないの」
ヒアデスは襲い来る怪異をむしろ盾に使い防ぐと、お返しとばかりに肘から伸びる刃で切り裂く。
この場所が冒涜的なもののために作られた結界だというのなら、彼ほどこの場にふさわしいものはいないのだ。
現れた怪異たちは互いを影で結びつけ、七三子を取り囲むようにする。
様子を伺うと同時に、その力を高め合っているのだ。
「……うーん、どう見ても神隠しの実行犯」
しかし、観察しているのは七三子も同じ。そして、頭の中は驚くほど冷静だ。
「倒しておいた方が良さそうですね……まあ、相手もやる気みたいですけど」
最初からここを上手くやり過ごすなど、選択肢にはない。
ここで処分してしまった方が後顧の憂いもないと判断すると、黒い仮面を顔に付ける。
「ギィィィィィィウ!!」
怪異の影が伸び、七三子を狙う。
しかし、彼女はふわりと跳躍してその攻撃を回避する。
「私、ただの下っ端戦闘員なので!」
そこから繰り出されるのは、鉄板入りの革靴での蹴り。
そして、バランスを崩した相手に握りこんだメリケンサックでの鮮やかなコンビネーションを決め、すぐさま物陰へと姿を消す。
「ギィィィィィィィィウッ!!」
怪異たちは怒りに猛り声を上げるが、闇の中に身を隠す七三子の姿を見つけることは叶わない。
「この後、ボス控えてますし、下っ端戦闘員の私があいつら相手に無双とか無理ありますし……攻撃即離脱で倒せればいいけど……」
そう呟いた七三子は、再び闇の中から躍り出て次の標的を狙う。
自分の弱さを自覚して強さに変えたものほど、恐ろしいものはいない。
その時、クラウスが見つけたものは血痕だった。
それも、随分と広い範囲に広がっており、血を流した人物が生きているとは考えづらいほどのものだ。
ここへ入ってしまった人が生きていたとは思っていない。
人が命を落としたことも初めて見るわけではない。
だが、物事をありのまま受け入れた結果、取った行動はシンプルだった。
「……邪魔だよ。退いてくれるかな」
歩きながら銃を構えると、冷静に狙いを定め、引き金を絞った。
撃ち出されるのは紫電の弾丸。
直接対象を狙わずとも、その周囲の敵を攻撃できる雷の弾丸だ。
「ギィィィィィィウ!!」
稲妻を浴びながら、怪異は大きく広がり、クラウスの行く手を阻もうとする。
しかし、それも今の彼を阻むことは出来ない。
半自律浮遊砲台に制圧射撃を行わせたまま、拳銃を手に、怪異との距離を詰めるクラウス。
「足止めされている暇は無いよ」
クラウスが跳ぶ。
それを予期した怪異の影の手がクラウスを狙う。
しかし、それを見切り、クラウスは腰のナイフを抜き、影の接続を切り裂いた。
「これ以上、被害者を出すわけには行かないんだ」
それは刹那の間に行われた神速の斬撃だ。
そして、動きの鈍った怪異たちへ、容赦なく半自律浮遊砲台の砲火は放たれ、雷は勢いを増して焼き尽くしていく。
クラウス自身は、その隙間を縫うようにして、怪異同士の接続を切断していく。
「この先に待つのは信者たちか、それとも連邦怪異収容局の連中か……どちらにしても、全力で戦うまでだ」
「あぁ、遅かったかぁ……」
烏夜は膝をついて、がっくりとうな垂れる。足元にあるのは、「探し人」であっただろう人物の、血に染まった鞄。
覚悟があることと、実際に目の当たりにすることは全く違う話だ。
√能力者になって日の浅い彼は、まだそう簡単に割り切ることが出来るものではない。
ガタッ
そんな時、悲嘆に暮れる烏夜の背中で影が蠢く。無防備な背中を影の雨で貫かんとする怪異だ。
√能力者すら餌食にしようと、影が邪悪に膨らむ。
しかし、その力が放たれるより速く、黒水晶のペンデュラムは空を切り裂き、怪異を穿つ。
「そうだね、食いものになんか、されてやらない」
ゆっくりと立ち上がり、エシクーバを用い、ペンデュラムを操る。
怒りを濁流ではなく、悪を討つ力に。
哀しみを重圧ではなく、人を救う祈りに。
対する影が不逞の存在であろうとも、核となる部分はある。であれば、それを探し、追うことは烏夜の得意とする所だ。
「……この程度!」
烏夜の霊的防護を貫いて、影の雨がその体を傷付けていく。
しかし、√EDENに働く『忘れようとする力』は加護となり、傷を消し去っていった。
その中でも、ここで起きた悲劇を忘れまいと思いを込めて、ペンデュラムで最後の怪異を貫く。
「……急がなきゃ。これ以上被害が出る前に……」
そうして、若き魔術師はアジトの最奥部へと歩を進める。
邪悪の策謀を止めるために。
●
『存在しない改札』を通り、狂信者のアジトに入り込んだ『異世界√生物部』。
彼らを迎え入れたのは、死臭と犠牲者の痕跡だった。
ここは紛れもない敵地。
汎神解剖機関が全身全霊で作り上げた薄壁。その一枚隔てた先に存在する、邪悪の巣窟なのだ。
「にゃっ! ここ、嫌な気配がするにゃ! ここで酷いことしたにゃ? 猫、怒っていいにゃ?」
警戒の声を上げたのは、秋沙だ。
化け猫魔女っ子である彼女は、死者の声を聞き取ることが出来る。この場には、多くの声が響いていた。
「さっきまでのゆるゆるな遠足気分はもうお終いね」
ユッカの表情からは、スッと表情が消える。
√能力者は得てして余人に見えないものを目にするが、取り分け彼女の感覚は多くのものを捉える。
近くの精霊たちからも伝わってくる。
ここで行われた凶行のおぞましさが。
そして、犠牲者たちの苦しみが。
大抵のことは笑って受け流す彼女だが、人のあるべき生を無慈悲に奪う侵略に対しては、話は別だ。
「罠に誘い込んだものを食うって、まあ生き物の生態としてなら見かけるがな」
冷静な口調で淡々と分析をする湊斗。
汎神解剖機関で働く彼にとって、こうした状況はそこまで珍しいものではない。
この先に待つものも想像はついている。
「これはもっと念入りで、悪意の籠められたモノだな……狂信者には正直感心するよ」
皮肉を込めて、わざとらしく嘆息を零す。
しかし、既に体は臨戦態勢に入っている。
水怪を宿らせた腕には青い斑紋が浮かび、手にした刺胞には毒が充填されていた。
そうして敵対者に対して警戒を強めるものが多い中、瑶に関してのみは若干状況が違った。
(ん~っ、この恨み、辛み、ぞくぞくする感じ。堪らない♪)
瑶は知識欲が強い女性だ。控えめな言い方をするなら常軌を逸する程に。
そんな彼女にとって、このアジトの中の空気は慣れ親しんだ、落ち着きすら覚えるものだった。
「あ、瑶ちゃんがいい笑顔してるにゃ!」
「冗談はよしてくれ。ワタシはこの痛ましい様に怒りを覚えていたところだよ」
気付いた秋沙が顔を覗き込むと、はたして瑶の口角はたしかに上がっていた。
慌てて取り繕う瑶。これでもこうした社会性はしっかりとしているのだ。
「そんなことより、お出迎えだよ」
「なんだぁ、このおたまじゃくしみたいな黒いのは?」
瑶が指さした先で、影が伸び上がるようにして、怪異が姿を見せる。
たしかに、ザリザラスの評は的を射ているだろう。
テレビのような部位が本隊なのだろうか。そこから影のような手が伸びる、不気味な姿をした怪異がわらわらと姿を見せる。
「瑶さんがどんな性分であろうと仲間だもんで。まあ、各々気楽にやろまい!」
先の瑶の様子は引っかかっているが、それよりも大事なのは目の前のこと。
冬瑪は明るい声を出しつつ、続々姿を見せる敵たちを見据える。
「わらわらいやがるなあ……俺っちのハサミは2つしかないってのによぉ、やんなるぜ」
人間であれば、肩を竦める仕草をした、といった所であろうか。
言葉と裏腹に、ザリザラスの口調は軽く、余裕すら感じられる。
「さて、汎神の怪異は、俺にはよぉわからんが。ヒトに害を為すなら駆除せねばならんね」
冬瑪は反閇を踏み、赤い鬼神の面を手にする。
『クヴァリフの仔』の元へと向かう、『異世界√生物部』と怪異の戦いの始まりだ。
●
天照らす 御神のごとく 我が心 くもりなければ 神や守らん
掛け声を上げると、冬瑪は鬼へと変じていく。
この場は幽世なれば、鬼神を模倣することは即ち鬼神になることに他ならない。
手にした鉞も祭礼用のものではあるが、今は鬼神の振るう鉞そのものとなる。
「今の俺は『鬼』。だもんで、怖くなきゃいかんわいなぁ?」
冬瑪は地域に伝わる生命を司る善鬼、榊鬼より鬼面を引き継いだ。
今は鬼面を介し、山見鬼と榊鬼の二柱が力を与えている。速度も膂力も普段とは比べ物にならず、圧倒的な勢いで怪異たちと切り結ぶ。
多少の攻撃を受けても、体の頑丈さだって増している。
その荒々しい姿は怪異にすら恐怖を与えるほどだ。
雰囲気が変わったのはユッカも同様。
「情け容赦は、不要みたい……ごめんね、みんな。力を貸してちょうだい」
ユッカが呼びかけると、彼女の周囲に輝きが現れていく。
心を通わせた万象の精霊たちだ。都市に揺蕩う、光、風、土、水といった属性の精霊たちである。
森羅万象の精霊と心を通わせるアブソリュート・トーカーの名は伊達ではない。
都市に住まう精霊とも、既に友誼を結んでいた。
「貴方たちは周囲を見張っていてね。どこから来るか分からないから」
精霊たちを呼び出したのは、周囲の警戒のためだ。
現れた怪異は幻覚を見せ、認識を狂わせる能力を持っている。不意を打たれたら、√能力者とは言え、安心できるものではない。
「ユッカさんの戦う姿、綺麗だなぁ。冬瑪くんは普段とのギャップで一層かっこいい。私も負けていられないね」
瑶は仲間たちの奮戦を眺めて、満足げに頷いた。
戦いが始まったことで、好奇心にかまけている場合ではないと、かえって冷静になったようだ。
こんな怪異などに、大事な友達を傷付けさせるわけには行かない。
「ほーら! こっちを見て!」
そこで瑶はぴょこんと飛び跳ね、通路一帯に響く大声を上げる。
するとどうだろう。怪異たちの動きが止まっていった。彼女のオリジナルの能力である。
本来は怪異の鑑賞……もっと言うならじっくり眺め、楽しむために用いている。
が、多対多の戦場で用いれば、これ程恐ろしい能力も中々ない。
それに、サポートを行うのはザリザラスも同じだ。
「狩りよりもサポート優先で立ち回るぜ!」
先ほど調査に用いていたグッピーゴーストを再度召喚すると、今度は怪異たちへと直接けしかける。
特攻隊長の名前を酔狂で与えている訳ではない。骨だけのグッピーたちは、やけに気合の入った頭突きを怪異たちへとぶち当てる。
まったく、どちらの方が怪異なのか、分かったものではない。
「頼りにしてるぜ〜、お前ら」
難を逃れた怪異を追い回し、仲間たちの元へと追い込んでいく。
√能力者にしてみれば、何でもできる料理のし甲斐がある状況だ。
「瑶さんナイス、お陰で安心して狙いやすい。ザリザラスさんも賑やかで有難ぇ。誘導遠慮なく受け取ろう」
湊斗は豹模様の触腕を伸ばし、動けなくなった怪異たちを引き寄せる。その狙いはバラバラに動く怪異を、一ところへ集めるためだ。
「この毒、影にも通じるかは分からんが……実体持つ以上は、な。実験してくか」
適度に集まったところで、用意したシリンジシューターを撃ち出す湊斗。
その中に入っているのは、ご存じの通り水怪の毒。動けない怪異たちに回避の術が無いのは当然の結果である。
そして、たしかに相手は実体を持たない影ではある。しかし、毒の方も視界を泳ぐ水怪のものだ。
怪異は毒に蝕まれたかのようにしゅうしゅうと煙を上げて溶けていく。
「毒が通じるなら、溺れる時間も与えねぇよ。沈んでろ」
「それじゃあ、猫は空中ダッシュにゃ!」
秋沙はいかにも魔女っ娘らしい仕草で、箒に乗って宙に上がる。
錨を模したアクセサリーが跳ねるように揺れ、微かに爽やかな海風の香りが漂う。
その中で都の果ての魔女っ子猫が語るのは、ネコの世界侵略計画。
「2月は2月に! 2000年代を猫の千年王国にするにゃ!」
船乗り化け猫の姫君の告げる通り、この場は猫が支配する空間に変わる。
陰鬱な雰囲気を消し飛ばし、秋沙は魔法弾で怪異たちを攻撃する。
猫が支配する空間であれば、元より怪異に避ける術はない。狙いも容易くなったことで、防御の薄いところへときれいに突き刺さる。
猫の百鬼夜行は瞬く間に怪異たちを飲み込んでいった。
●
しかし、怪異たちとてただただやられている訳ではない。
物陰から染み出すようにして、新たな増援が姿を見せる。
「ギィィィィィィィィウッ!!」
現れた怪異たちは互いと互いを繋ぎ合わせて、その力を高め合うと、√能力者たちへ向けて影の雨を放つ。
内側にある影の記憶を呼び覚ました攻撃は、一層の威力で『異世界√生物部』へと襲い掛かった。
「……おっと、俺っちの方に来るやつもいるな?」
敵の反撃に対して、不敵な態度を見せるのはザリザラス。
人間であれば、おそらくは自信に満ちた笑顔を見せていたことだろう。
「けけけ、そんじゃあ暴走お池大集会開催じゃあ!!」
高らかな笑い声を上げたザリザラスの元に現れるのは腹腹時計。
ぶつけられた影たちは突然、何かに千切られたかのように離れていく。
腹腹時計の力でパニックを起こしたのだ。
「狡い戦い方で結構! おらっ、影だろうが何だろうがちょん切ってやるぜ!」
人間が見ただけではザリザラスと他のザリガニの見分けを付けることは不可能に近い。
しかし、こう見えても彼は立派な忍者。
敵の虚を突く戦い方こそ、真骨頂なのである。
「砲撃に爆発に、なんだかド派手だにゃ? 生物部、けっこう過激だにゃ?」
秋沙の感想もむべなるかな。
√能力者は1人でも世界を改変するような存在だ。タッグで来ても戦は可能。部活動で6人もやってきたら、出来ないことはない。
「秋沙ちゃんとザリザラスさんは相変わらず賑やかだね」
「俺はどうだ?」
「湊斗さんの融合いいねぇ、ぞくぞくしちゃうね!」
ニコニコと戦況を眺めていた瑶は、問いかける湊斗に笑って答える。
褒められて気分を良くした湊斗は、周りが戦いやすくなるよう、巧みに触手を操って固まり過ぎている怪異を散らす。
怪異など、何をするかは分からないもの。臨機応変の対応は手慣れている。
「湊斗くんは海の気配がするにゃ! 猫、親近感にゃ! 『特大クジラ弾』もおまけで発射するにゃ! ふっとべー、にゃ!」
召喚された幽霊船団の鯨砲が撃ち込まれ、自身すら弾丸となり怪異を轢き潰していく。
湊斗も秋沙もそれぞれ、水と海に縁の深いものだ。戦いの相性は中々のものである。
「確かにコレは大分派手な戦いをしとるかもしれん。まあ、普段がのんびりだでね!」
鬼面を被った冬瑪は快哉を上げ、神力を帯びた鉞を振り下ろす。
一際高い跳躍から見せるのは、山をも割るような一撃だ。
「一応確認だけれど。この影は別に、サンプル回収しなくても良いのよね?」
「ほうだねえ、こりゃいらんわ」
今まで防御に回っていたユッカは冬瑪の言葉に頷く。
そして、指でそっと銃の形を作る。
「なら、さっきの言葉通り。一切容赦しないわ」
先ほどまでは防御に回っていた精霊たちがユッカの元へと集まっていく。
光も土も風も水も、今や彼女の力だ。
万象の精霊は魔弾となって戦場に降り注ぎ、怪異たちを貫く。
「ユッカさんの戦う姿、綺麗だなぁ。みんな、流石だねえ」
瑶が感心したように頷く。
侵略的外来生物が宙を漂い、精霊たちが駆け抜け、幽霊船団が暴れまわる。
そんな中、水怪が毒を浴びせ、鬼神は踊りながら荒ぶる。
√能力者が力を合わせた景色は、壮観としか言いようがない。これ程の攻撃を受けたら、怪異たちは一たまりもない。
「瑶さん! トドメ、任せるよ!」
「はいはーい! 解体は任せてね!」
冬瑪に呼ばれ、瑶が取り出すのはメスセット。
彼女の為すべきことのために用いるものであり、小さな刃も√能力の触媒となれば必殺の威力を手に入れる。
そして、最後の1体を切り裂いたメスには、食事用とラベルが貼ってあった。
●
戦いを終えて一息ついた『異世界√生物部』に対して、笑顔の瑶が差し出したのは怪異の腕。
普通に考えれば腹でも壊しそう……と言うか、そもそも食べられるかも怪しい代物である。しかし、彼女の√能力で切り裂かれた可食部は、食べたもの傷を回復させるのだ。
「にゃっ?アレ、食べられるにゃ?」
「前出会った個体はイカ墨味だったから、多分、大丈夫!」
「……イカ墨味? ちょっと気になるな」
驚きの声を上げる秋沙に対して、自信たっぷりに答える瑶。たしかに以前、とある地方都市で遭遇した際には、そんな味わいだった。
湊斗はそう言われて、興味が湧いたようだ。本来は辛党だが、好奇心が疼いてしまう。
「瑶ちゃん、お料理上手だからにゃ! 猫は乗ったにゃ!」
秋沙の瑶への信頼は厚い。元々の好奇心の強さもあるのだろう。
ぴょんぴょん跳ねて、飛びついた。
「ある意味これも新物質の再利用……なのかな?」
首を傾げる冬瑪。
汎神解剖機関――それは可能性を求めて弛まぬ研究に身を投じる世界、なのかもしれない。
第3章 ボス戦 『『レッド・クラウド』マアピヤ・ルタ』

アジトの最奥部にたどり着いた時、そこに待っていたのは狂信者たち……ではなかった。
待っていたのは、髑髏の仮面をつけた1人の少女巫術師。
彼女の足元に転がる死体こそ、この場にいた狂信者たちなのだろう。
「あなた達は、彼らの仲間? それとも、機関の手のものかしら?」
どうやら、一足先に来ていた『連邦怪異収容局』の人間のようだ。
彼女の名は『レッド・クラウド』マアピヤ・ルタ。収容局に協力する巫術師の1人である。
収容局の人間としては比較的穏健なようだが、この場にいた狂信者を倒したのが彼女である以上、話し合いで解決は出来ないだろう。
「いずれにせよ、あなた達の望みが『クヴァリフの仔』なら、諦めて帰ることね。今なら、見逃してあげるわ」
妖美な手つきで、『クヴァリフの仔』たちを愛おしそうに撫でる巫術師。
ここで進むことを選べば容赦なく殺す、と彼女は言外に告げている。
だが、ここまで来た以上、√能力者にも立ち止まる選択肢はあるまい。
今こそ、決戦の時だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2章クリア、ありがとうございました。これよりボス戦となります。
『連邦怪異収容局』の能力者と戦っていただきます。
この場で『クヴァリフの仔』を召喚した狂信者たちは彼女が全て殺しており、邪魔者は入りません。
キャラ性如何によっては、「真っ向から戦わず、『クヴァリフの仔』を奪う」なんてプレイングもアリでしょう。
ちなみに、『クヴァリフの仔』は、ぶよぶよした触手状の怪物で抱えることが出来る程度の大きさで、数体います。
それでは、プレイングをお待ちしております。
「……戦いはあんまり得意ではないですけど……とりあえず、このまま渡すって言う選択肢がないのだけは分かりますね」
おどおどとした態度で、しかしそれでもきっぱりと七三子は告げた。
目の前の巫術師、髑髏の仮面に覆われて顔は見えないが、声や雰囲気からするとおそらくは年下であろう。内包する力は自分よりも上だと理解できる。
だが、自分は所詮、使い捨ての戦闘員だ。
依頼を受けたのなら、命に代えてでも果たさなくてはいけない。
「ああ、信者達を倒してくれたのはありがたい」
クラウスにとって、この場にいた狂信者たちに対する憐憫の情はない。むしろ、先に倒してくれた巫術師には感謝の念すら抱いている。
しかし、それとこれとは話が別だ。
「恩を仇で返すようで申し訳ないけど、仔を持ち帰るのも仕事だから。悪く思わないでくれ」
クラウスは素早く拳銃を抜くと、そのまま引き金を引く。
幾度となく繰り返した動作だ。丁寧に整備された拳銃は、彼の思うままに弾丸を吐き出す。
巫術師の側も、辺りの血を操り、矢を作ると、反撃してきた。互いに技を繰り出すため、隙を作り出そうと牽制し合っている状況だ。
そんな膠着した状況を動かすとき、ものを言うのは自由に動ける工作員――そう、いわゆる戦闘員の存在である。
「えっと、これでどうですか?」
バク転で攻撃を回避していた七三子は、白い仮面をつけると、軌道を変えて巫術師との距離を詰める。
こうしたフェイントによるかく乱こそ、彼女の真骨頂。
かくして、仮面をつけた2人の女が鎬を削ることとなる。
口調と裏腹な虚実織り交ぜた巧みな格闘戦に、不利を感じた巫術師は大技を出そうと、念を凝らす。
「その瞬間を待っていた!」
その時だった。
弾かれたようにクラウスが跳び出す。狙うは巫術師の持つ『クヴァリフの仔』。
斧の刃が一閃し、巫術師の腕を切り裂いた。
「……何!?」
それは正に、巫術師が術を完成させようとした、ほんの一瞬の出来事であった。
既に巫術師の手の中に『クヴァリフの仔』はない。
「私はただの下っ端戦闘員なので、この程度の支援が精一杯ですよー」
七三子の姿はいつの間にやら影に溶け、姿かたちはどこにも見当たらない。
ただ、相変わらず怯えたような、それでいてどこか達観した声が聞こえるのみだ。
「俺としては別に殺し合いたい訳じゃないからね」
「貴様らぁッ!」
最後にクラウスは顔だけ見せる。しかし、その姿はスゥっと光学迷彩に覆われ、掻き消えていく。
プライドを傷つけられた怒る巫術師は呪われた血の雨を降らせる。しかし、それは遅きに失した。
クラウスも七三子も、『クヴァリフの仔』が傷付く事態は本意ではない。
この場で被害者が出なくなり、『クヴァリフの仔』が機関の手に渡るのなら、わざわざ危険を冒すつもりなどないのだ。
「狂信者たちを倒してくれたことについてだけは、改めて礼を言わせてもらう。それじゃ」
こうして、兵士と戦闘員は呪われた場所を去った。
依頼を完璧にこなすことが、彼らの誇りだ。
巫術師と相対したヒアデスは、器用に肩を竦めて見せる。
巫術師から告げられた言葉は、彼にしてみると、普通ならあり得ない言葉だったからだ。
「『見られたからには生かしておかない』とは言わないのかい? お優しいねェ」
「無用なリスクを冒すつもりはないの」
巫術師は興味こそなさげだが、油断はないようだ。
この場に残っているのは彼女なりの事情があるようだが、それならヒアデスのやることは決まっていた。
「俺なら言うぜ! だから逃がさねェ!」
その言葉と共に、ヒアデスの身体は篝火のような光を発する。
これこそ、灼燐冒涜融合体。
ヒアデスの持つ、強力な戦闘形態である。
「クライマックスだしな、焼けるぜ!」
冒涜的融合刃を伸ばし、超高速で距離を詰めるヒアデス。
一方、巫術師は落ち着いている。彼女の右手はいかなる能力も封じる。
その攻撃すらも消し去ることが出来ると、高を括っているのだ。
「ブッタ切れろ!!」
さらにヒアデスは速度を上げる。
そして、冒涜の刃と血塗られた手が交錯する。
その刹那のことだった。
「悪いが誘拐も得意技なんだぜ、俺ってばよ」
赤熱していたヒアデスの身体が元に戻り、あり得ない動きで巫術師の右手を回避する。
さらに、甲虫の脚を思わせる触腕が装甲から伸び上がり、『クヴァリフの仔』を掴み取る。
先ほどまでなら、巫術師から『クヴァリフの仔』を奪うことは叶わなかっただろう。しかし、彼女は迎撃に精神を集中しており、そこに隙が生まれたのだ。
ヒアデスは己の戦う力すら、敵を欺く道具にしてみせた。
「人質? 物質? どっちにしろ派手にやりゃァ、コイツを巻き込むぜ」
高らかに哄笑するヒアデス。
誰よりも悪を知り、善に与するも、自由と冒涜を尊ぶ。
それこそが、冒涜融合体ヒアデス。その姿には、悪すら慄くのだ。
『今なら見逃す』、その言葉の誘惑は烏夜の心を揺らす。
他機関の√能力者と戦うことは、まだ経験の浅い彼にとって、割り切れる話ではない。
だから、自分の中の勇気を奮い立たせ、鏨を巫術師に向けて突き付けた。
「生憎と、こっちも『クヴァリフの仔』が目的なんだよね……!」
「そう……なら、その判断を後悔させてあげる」
巫術師がそう言うと、突然血が吹き上がり、巫術師が何かに喰われたかのように消失する。
代わりに現れたのは、紅蓮の羊。
命の代償に呼び出されたそれは、呪いの唄をまき散らしながら、烏夜へ襲い掛かる。
「これだから、本当に『簒奪者』って奴は……」
悍ましい術式を前に、胃の中の何かが混み上がりそうになってくる。
だが、そんなものに負けはしないと、烏夜はイスのルーンを描く。
その魔力は凍気を生み出し、『クヴァリフの仔』を守護するように包み込む。それは生身のものが外から振れれば凍り付く氷の檻だ。
「さて、後はこの場を切り抜けないとね」
紅蓮の羊が唄うのは、命を削り取っていく呪いの歌だ。√能力者と言えど、長時間聞いていては、無事でいることは難しい。
そんな時、烏夜のストールが音を防ぐように動き出す。
怪異を元にして作られたこのストールは、持ち主の意のままに形を変えるのだ。
そして、浄化の力を持つベオークのルーンストーンで呪いに対抗する。
「ここからは耐久戦だ」
試されているのは、烏夜自身の意志の力。それを導くようにルーンストーンは輝く。
ベオークの持つ意味は、困難の克服と成長。
ならば、この場を乗り越えられない道理はない。
●
秋沙は明るく無邪気な化け猫魔女っ子だ。
その性質は、相手が連邦怪異収容局の危険な巫術師であっても変わらない。
「にゃっ! おねーさんも『クヴァリフの仔』に御用にゃ?」
小首を傾げて、巫術師の様子を伺う秋沙。
だが、髑髏の仮面の下の表情は揺れることもなく、取り付く島もない。
「おいおい、子供の使いじゃないんだ。手ぶらで帰るわけになんかいかないぜ。俺っち達の目的はそのクヴァリフの仔なんだからよぉー!」
皆の足元で声を上げているのは、ザリザラスだ。
たしかに、先に狂信者たちを倒したのは巫術師かもしれない。だが、√能力者たちだって、並ならぬ苦労でやって来たのだ。
駅で情報収集するのも、護衛の怪異を退けるのも、簡単な話ではない。
はいそうですか、と引き下がる訳に行かないのだ。
「えーと、それでどうする? 奪って逃げるも倒して奪うも……けけけ、俺っちはどっちでもいいぜえ!」
「猫たちも、それが欲しいにゃ! 分けても譲ってもくれないなら、昔の海賊みたいに、奪うしかないにゃ!」
気勢を上げるザリガニと猫。
そんな様子を見て、巫術師は大きく嘆息をつく。
「余計なことをしなければ、痛い目を見ずに済むというのに……」
あくまでも、自分の方が正しいという態度を崩さない巫術師。
『連邦怪異収容局』がそういう連中の巣窟だと、瑶は痛いほどに理解していた。
「でたでた、『連邦怪異収容局』のそういうの。あのさぁ、人のテリトリーに出張ってくるの、辞めてくれないかなぁ?」
「そう言や、瑶さん、湊斗さんの同業者さんだったかや?」
巫術師に向かって突き刺しような視線を飛ばす瑶の様子を見て、ぽんと手を叩く冬瑪。√EDENの出身である彼にとって、√汎神解剖機関の政治事情は元より門外漢だ。
持って生まれた気性もあるだろうが、興味を引くような話でもない。
そんな様子を見て取って、湊斗は苦笑と共に、軽い解説を付け加える。
「まぁ同業者ではあるかもしれないが。相容れないんだよな、『連邦怪異収容局』の連中とは……」
瑶も湊斗も、√汎神解剖機関の問題は当事者だ。
『連邦怪異収容局』に対して、好意的な感情など持てるはずもない。
眼鏡の位置を直し、湊斗は忌々し気に巫術師へ顔を向ける。
「見逃して『あげる』だなんて、随分と上からの物言いだな。そういう所がやたらと敵を作るんだが……ああ、今更か」
「どうやら、痛い目を見ないと分からないようね」
皮肉を含んだ湊斗の物言いに、巫術師は苛立たしそうにして、構えを取る。
敵としてこちらを認識したようだ。
そんな巫術師の様子を見て、瑶は愉快そうに笑う。
「キミも国家組織の一員なら、プライドというものを持ちなよね……って、お上があれじゃ知れてるか。くくっ」
『異世界√生物部』にしてみれば、元々交渉でどうにかなる相手とも思っていなかった話だ。
ここから先は、戦って白黒つけるしかない。
ユッカの周りには、ここに来るまでに出会った精霊たちが舞い踊り、既に戦いの準備を終えていた。
「情け容赦は、不要みたいね」
巫術師への憎しみがあるわけでもなく、さりとて機械のように戦うでもない。
ただ、自然のあるがままに戦うだけのことだ。
「ここまで来た俺たちが、言葉などで止まらん事くらい、解っとるだろうに」
冬瑪は再び鬼面を手に取り、腰を落とす。
こうして、『異世界√生物部』と『簒奪者』の戦いは始まった。
●
6対1、という数字の上では『異世界√生物部』の方が勝っている。
しかし、『簒奪者』に味方する邪悪なインビジブルは、数の差を覆すほどに強力だ。場にもそうした怨念が渦巻いている。
戦場には呪われた血の雨が降り注ぎ、√能力者たちに襲い掛かる。
加えて、生半可な攻撃は巫術師の右手が振れると、雲散霧消し、無効化されてしまう。
「そういうことなら……そうね」
しかし、ユッカは慌てない。この『部活動』に危険が待っていることは、当然分かっていた。
その上で、「みんなと力を合わせて、楽しかった」と言えるようにするためにここに立っているのだ。
「力を貸してちょうだい。私たちの物語を紡ぎましょう」
ユッカが声をかけたのは、このアジトに乗り込む前、駅に来た時から触れ合ってきた精霊たち。
集まった精霊たちは、オーラを集めて、呪いを防ぐ障壁を作り出した。
「毒物も水怪も使いよう、ってやつ」
同じく、呪いの雨の対処に回っているのは湊斗。
硝子箱の海月分裂体を弾丸として撃ち出すと、水流が霊的防護を生み出し、仲間たちを守る。
一方で、現れた水怪は毒の刺胞で攻撃を開始した。
「呪いを知る奴が呪いにやられてたら、話になんねぇわな」
√汎神解剖機関に生きるものとして、呪いに関する造詣は深い。こと、怪異を含んだ生物独については専門家だ。
その特性を生かした、湊斗らしい戦い方である。
「これでも研究者の端くれ。剽窃とも言える乱入騒ぎには良い気はしてなかったんだよね」
そうして、状況に出来た余裕を利用して、瑶は毒液を詰めた注射器を巫術師打ち込む。
中でも送りつけてやったのは、とっておきの神経毒だ。
たとえ『簒奪者』であっても、これを受けて無事ではいられない。
「そのかわいこちゃんを置いて、さっさと国に帰ってね?」
そう言いながら、かつて解剖した実験体の力を用いて、瑶の姿は消えていく。
このまま巫術師に逃げられては困りもの。
最悪に備えて、事前に『クヴァリフの仔』を奪うつもりなのである。
「とにかく突っ走ってクヴァリフのとこまで行かなきゃはなしにならねえからよぉー! 行くぜみんなー!」
「あんたさんに、鬼を見せてやろまい」
仲間たちの連携によって、戦場に降っていた呪いの雨が弱まる。
ここぞとばかり、ザリザラスと冬瑪は突撃をかけた。
「にゃっ、あの右手が厄介にゃ? なら、猫は支援にゃ!」
中空を飛び回り、状況を俯瞰していた秋沙は、鋭く仲間の状況を悟る。
そうなれば、やることは一つ。
再び幽霊船団を召喚しての砲撃だ。
「うちぃーかたー始め! にゃー!」
召喚された幽霊船団は悠然と航走し、砲撃戦を開始する。たしかに牽制ではあるが、その威力は決して侮れるものではない。
「縄張りに入るなら、それなりの礼儀と仁義ってものがあるにゃ!」
こういう辺り、船乗り化け猫たちの姫の面目躍如といった所か。
さりげなく、隠れている瑶や『クヴァリフの仔』を避けているのはさすがである。
「天照らす 御神のごとく 我が心 くもりなければ 神や守らん……!」
そんな剣林弾雨鮮血淋漓という表現がふさわしい戦場で、冬瑪とザリザラスが巫術師と肉薄する。
冬瑪のケガは決して浅くはなかった。率先して呪いの雨に飛び込み、巫術師と切り結んでいたためだ。
しかし、その動きに鈍っている様子は欠片もない。鬼神の力の加護により、今の彼には尋常ならざる体力が宿っている。
その姿は正に鬼神としか言いようがない。
「へっ、そんな攻撃効かねえ、このままちょん切ってやるぜ!」
ザリザラスは自慢のハサミで降りしきる血の雨や、巫術師の放つ血の呪術を切り裂く。
彼のハサミは√能力を切り裂き、ぶっ壊すことが出来るのだ。
そして、その赤い甲殻と小さな体躯を以てすれば、この状況で敵に肉薄することも難しくはない。
「こうしてハサミで掴めばよぉー、もう逃げらんねえよなあーっ!」
いよいよ、そのハサミが巫術師を捉える。
そこをユッカの誘導弾が襲い、√能力を封じる右腕を穿つ。
「その右腕は、置いていきん」
動きが鈍ったところへ、冬瑪の鉞が振り下ろされ、右腕を切り落とした。
「まさか、これ程の相手とは……仕方がありませんね」
そう言った巫術師は、何やら邪悪な呪句を唱える。
すると、インビジブルの群れが彼女を覆い尽くす。
そして、巫術師の血肉を代償として、魔性の紅蓮羊が姿を見せるのだった。
●
アジトの最奥部に呪いの歌が響き渡る。
この世の終わりかとすら思わせる、呪詛の声だ。
殺されたものたちの無念、怨嗟を力とし、生あるものを引きずり込む地獄の現出とすら言える。
一切の攻撃を受け付けないこの『簒奪者』は、まさしく絶望そのものだ。
しかし、そんな状況にあってなお、『異世界√生物部』の面々の表情に諦観はない。
それどころか、解剖体の力を解除した瑶の顔には笑顔すら浮かんでいた。
「皆、『クヴァリフの仔』は回収できたよー! 後はそいつ倒すだけー!」
元来は狂的に神秘の解明を目指す戦闘研究者である瑶だが、この面子に対しては砕けた口調になる。
この場はあくまでも『部活動』。
ならば、こんなものは終わった後で、「あの時はちょっと大変だった」と笑って話せるものなのがお約束だ。
怪異用のメスを取り出し、県政に参加する瑶。
「うおお、負けてらんねえ。俺っちもみんなを守るぜえ!! ザリガ忍法・降化狂!」
ザリザラスが雄叫びを上げると、その姿かたちが巨大化していく。
これこそ、ザリガ忍法の奥義。
甲殻守護者ザリガネビュラの姿だ。
その無敵の力で紅蓮羊を押さえつけ、動きを封じる。互いに無敵の身体だが、抑え込むパワーもスピードもこちらの方が上だ。
「血の雨も、無敵獣も、真っ向から相手してやんよ! キチンパウダーのブレスを喰らえ!おらおらおらおらっ!」
「これ以上、その力は、使わせん。山鳩の すみかはいずく 奥山の 若松小枝に 羽を休める!」
動きを止めた紅蓮羊に向けて冬瑪が舞ったのは、鬼を山へと還す神送り。
祀りを終わらせ、超常を鎮める拳だ。
荒ぶる怪異も、これなる力の前では無敵性を振るうことは叶わなくなる。
おそらくは滅んでいないだろう巫術師に対して、これで『連邦怪異収容局』から手を引いてほしいと考えてしまうのは、この少年の優しさのなせる業だろう。
「あとは……生物部のみんなが、収めてくれるよ」
冬瑪が仲間たちを一瞥すると、そちらでは既に『簒奪者』を葬るための準備を済ませていた。
「もう一仕事だ」
湊斗が自身の視界を泳ぐ水怪を実体化させる。
水怪はゆっくりと蠢き、壊死の猛毒を有した刺胞を『簒奪者』へと向けた。
「これで最後よ、せーので力を合わせて行きましょう」
ユッカの周囲に集まった精霊の数は、そのままこの場に現れた『簒奪者』と戦おうとするものたちの意志を示す。
もはや、蟻の這い出る隙間すらない包囲網だ。
「キャプテン! 一緒に戦ってほしいのにゃ!」
幽霊船団の前に立つ秋沙が呼びかけに応じて姿を見せたのは、カトラスを手にしたセイヴォリー一家の初代船長。
そして。
「「「せーの!」」」
掛け声に合わせて、彼らは一斉に『簒奪者』へと襲い掛かる。
まさしく、複数の√の力を交錯させた、一斉砲火だ。
これを相手にしたら、『簒奪者』と言えど、逃げることも耐えることも叶わない。湊斗の言葉を借りるなら、「頑張って避けてくれ、出来るものなら」となる。
それは紛れもなく、『異世界√生物部』の勝利の証だ。
●
「にゃっ! みんなおつかれさまにゃ! 甘いもの食べて、解析頑張ってにゃ!」
戦いを終えて、一息ついたところで秋沙は皆にカップアイスを振舞う。
どこかで見たようなカップだが、お手製のものだ。
「瑶ちゃん、これで大丈夫?」
「皆ありがとー! いやぁ助かるねぇ」
ユッカは精霊を通じて、ここにあった『クヴァリフの仔』について集めた資料を瑶に渡す。
量はちょっとしたものだが、むしろ研究者にとっては福音というものだ。
「っはー! これがクヴァリフの仔! どうやって養分を摂取しとるんだろ」
冬瑪はぶよぶよとした『クヴァリフの仔』の姿かたちを見て、声を上げる。
グロテスクなデザインだが、慣れてくると愛嬌のようなものも感じる。
「チョウチンアンコウのオスみたいに、寄生……共生? する生態だもんなぁ……! 瑶さんたちに、はよ解析して貰わねば!」
言われた研究者2人、瑶と湊斗も興味津々。
既に頭の中にある過去の事例と突き合わせて、分析を始めていた。
「寄生か、はたまた共生か、これは実験のし甲斐があるね!」
「どういう仕組みで宿主を強化しているんだか……謎が多い、解析のし甲斐はありそうだな」
「宿主を殺すようじゃ共生とは言えないけれど、タダでパワーアップさせてくれるとも思えない。どうせ何か思惑があるんだろうからねー!」
その元気そうな様子からは、とてもさっきまで死闘を繰り広げていたようには思えない。
口々に仮説や所見を口にして、今後の研究の方針を話している。
それは下手をすれば、このまま1時間でも2時間でも続いていたかもしれない。
しかし、秋沙の悲鳴が断ち切ることとなった。
「にゃっ! ザリくんがソフトシェルクラブみたいになってるにゃ!?」
アイスを渡そうとした秋沙の目の前でぐったりしているのは。真っ白に燃え尽きたザリザラス。
ザリガ忍法の恐るべき代償として、体内のオクリカンキリ(※)を使い切ってしまったのだ。
戦いを優勢に運んでいた訳だが、それ相応の力は使っていたわけだ。
「……カルシウム使い切ったら俺っちも力尽きるからよぉ……つ、連れて帰ってくれよな」
状況に気が付いて、一斉に駆け寄る『異世界√生物部』の面々。
手当だなんだと、騒がしくなる。
ともあれ、こうして今日の『部活動』は終わりを告げた。
※体内の疑似カルシウム。脱皮の際に失われるカルシウムを事前に蓄えたもので、かつては薬として珍重されたこともある。
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程なくして、狂信者たちの作った異空間は消失した。
二度とこの駅に『存在しない改札』が現れることはないだろう。そして、狂信者の餌食となる人が出ることもない。
『連邦怪異収容局』は退けられ、『クヴァリフの仔』は『汎神解剖機関』の手に渡ることとなる。
これも√能力者たちの活躍のお陰だ。
この新物質がどのような未来をもたらすかは、研究者たちの頑張り次第となるだろう。
仔産みの女神『クヴァリフ』、「天使化」事件。
今の√汎神解剖機関には多くの事件が起きている。
進化が止まり、黄昏を迎えたこの世界で、何かが動き始めた。