犠牲を識る
●ぜんいのやいば
肉を切る。ぎこぎこ肉を切る。口へ運ぶ塊はぱさぱさで硬くて、焼き過ぎていて。
「本当は、さあ、正義のみかたで、いたかったんだ」
どうして涙が出るんだろ。食べることは幸せな事だったのに。
恵まれないひとたち。
親をなくした子供たちに愛を。食事すらままならぬひとたちに食事を。病を患うひとたちに支援を。
ねえ、それってどのくらいが、ちがうひとのお財布に入ってるか、知ってる?
あたしは知ってる。それを教えただけだったんだよ。
なのにさ。あんな言い方、ないと思うんだ。
どうしてこんなことに、なっちゃったのかなあ。涙がぽたぽた、溢れて止まらないんだ。もうそろそろ、海にでもなっちゃうかも。
涙を拭こうと眼鏡を持ち上げようとして、そんなものはもう、つけていないのだと思い出した。
……努力って、水の泡みたいに消えちゃうんだね。一生懸命に泡だったスポンジも、シンクの中で洗われる。
今となっては、食器洗浄機に居場所をほとんど奪われちゃった。
どちらにしても、きれいさっぱり……それでいいのかもね。
――言葉はばらばら、散らばる独白。白。白い彼女、その周囲の極彩色が、彼女の罪を証明している。
ビタミンカラーの店内に、血で汚れたテーブル。吐物が散る床。窓に張り付いた手形。助けてと呻く生存者。
それをよそに、彼女は食事を続ける。涙を流して、肉を切り分け、小さな頃から嫌いだったブロッコリーだって。
愛らしい『お魚』も、捌いて焼いて食べちゃえば、ただの肉――。
ねえ、わたし、悪いことしましたか?
真実を突きつけることは、悪なのですか。
彼女は立ち上がる。マスクド・ヒーローによく似た仮面。可憐な白い衣装、先が血に染まったマントを翻す。ぱしゃりと赤が洗い流され――結ばれた先は、まるで人魚のよう。
「全部叩き壊し、て。もっと、救わないと」
恵まれぬひとびとよ。満足を得られぬひとびとよ。
あたしがそれを満たしてあげる。知らないことを教えてあげる。その苦しみを、取り除いてあげる。
どこへでも行くよ。呼んで、あたしのこと。
ぎゅ、と、手の中のカードを握る。あたしに力をくれた二枚のカード。あたしに、勇気をくれた星と、ひと。
耳元で誰かが囁く。
「そう、救えるのですアナタなら!」
だよね、だよね、そうだよね。真面目なふりしたやつらの顔に、あたしの拳をぶつけてやるの。
あたしが救ってみせる。あたしたち、救われていいんだよ。
だから……。
「待っ、てて」
天使なんて居ないなら。あたしが、天使になる。
●おはよう。
「『おはよう』、みんな。……ダイナーって、行ったことある?」
そう切り出すイリス・フラックス(ペルセポネのくちづけ・h01095)。どこかぽやぽやした様子で首を傾げる彼女の腕には、何故だかかわいらしいぬいぐるみ。
「食事をとるすてきな場所。|この√《√マスクド・ヒーロー》にはよくあるお店なのかしら。ダイナーで働いている女の子が、シデレウスカードを手に入れたの。一枚は魚座。もう一枚の絵柄は、よくわからないけど……彼女に、深く関わるものみたい」
ん、と腕を前へ。見せてくるのはぬいぐるみ。猫が遊ぶような、触るとカサカサ音がするタイプのもの。いわゆるけりぐるみである。……既に、|だれ《なに》かしらに使われた気配がある。
「誰かが渡したっていうのは、なんとなくわかるけど。その正体は、わたしにはあんまりわかんない」
見せたぬいぐるみを抱えなおす星詠み。手で触り、楽しげな様子でかさかさ音を鳴らしている。おさかな。|予知《ゆめ》でもみました、ふんす。……なんて。
「今なら、じゅうぶん間に合うわ。お食事してる最中に、厄介事になっちゃうかもしれないけれど……。彼女が罪を犯さないうちに、止めてきて」
おねがいね。首を傾げる少女の偶像、そのおなかが、くぅ、と鳴った。
第1章 日常 『ダイナーで栄養補給』

食事とは、生命維持以外にも多くの意味を持つ行為である。
おなかが満たされていなければ、人はまともに活動できませんからね。
さて舞台はアメリカンなダイナー。小気味よい音楽が店内に響いている。ビタミンカラーにチェックの床、鮮やかな色彩はレトロでやや目に痛い。カウンター席が多く、着席すればすぐ店員が注文を取りにくることだろう。
メニューにはバーガー類とステーキなどといった定番メニューの写真、そしてこの店の名物なのか、白身魚のソテーの写真が大きく載っている。
奥を見れば。給仕の女性が、料理人の男性と何か小さく会話をしているようである。いつものことなのか、他の給仕はそれを気にすることなく自分の仕事を続けており……。
いらっしゃいませー。入店から少し遅れ、ほんのりとやる気のない店員の声。
入店した岩上・三年(人間(√妖怪百鬼夜行)の重甲着装者・|載霊禍祓士《さいれいまがばらいし》・h02224)は店内をそれとなく見回す。ごく普通のダイナーだ。ジュークボックス、ポスター、ネオン看板……おおよそ80年代あたりだろうか、ポップでレトロな店内。昼のピークを過ぎているからか客は少ない方だ。
三年は奥の席へと座りながら、メニューを見るふりをしつつ従業員の男女の様子を窺う。アメリカンな料理が食べたい! という食欲優先ではあったが、きちんと仕事もこなすつもりである。
……話題は景気を憂うような内容だ。ここ最近は賃金がどうだとか、何やら妙な事件が多いだとか。よくある風景、というものがそのままそこにある……といった様子と会話。そんな会話内容に反して景気の良い洋楽が店内に流れていた。
値段もリーズナブルで良い店だ。となればやはり……『あちら』に問題があるのだろう。
料理人と会話をしていた眼鏡の給仕が、三年の視線に気が付いた。微笑んで、注文を取りに彼女の側へと。
「ご注文は?」
「すみません、ハンバーガーとスペアリブにビールを……お願いします」
「はあい。かしこまり、ました」
給仕は注文を伝票へと書き込む。三年は、その動作に妙なところはないかなとさらに観察を続けるが……特に変なところは見当たらない。「では少々お待ち下さい」と給仕は厨房の方へと向かい、それからしばらくして料理が運ばれてきた。
イメージ通りの豪快さ。ピックの刺さったハンバーガーの側にはたっぷりと盛られたポテト、もはや彩り程度のレタスが添えられたスペアリブ。いただきますと手を合わせてから三年は料理に手を付け始める。
まずはハンバーガーを一口。肉汁たっぷりな分厚いパティでなかなかに美味しい。スペアリブも骨ごとかぶりつくと、旨味と共にスパイスの良い香りが口に広がる。そしてビールを飲めば、肉の脂が落ちてスッキリと。「これですこれ!」とばかりに想像通りなのがむしろ嬉しい。……何かが起こるならまだ先だ。山盛りのポテトをつまみ、三年は食事を続ける。
罪を犯す前なら、まだ間に合う。
カウンター席へ座り、ハンバーガーを注文して店内と、シデレウスカードの所有者であろう女性を見るクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)。眼鏡をかけた、やや地味な印象を受ける女性……自分の指を気にしているようで、時折触っているのが分かる。
……事件が起こってからでは、解決しようとも罪が残るのだ。それに、完全に力に飲まれてしまえば、そのまま人としての道を外れてしまう――。
さてどうしたものかと、クラウスは様子を眺めつつハンバーガーにかじりつく。軽食と言うには多少、大きかったかもしれない。広義としては軽食なのだが。
……暇になったらしい料理人の男が奥から出てきた。壮年の男性だ。小さめの声で、彼女と世間話を始める。
「――だから、今度店を開けて、ちょっと旅行にでも行こうかってね。安いらしいじゃないか、あの国は」
旅行の話。にしては多少、品性のない理由で旅行先を選んだらしい。盗み聞きのようで気が引けるが、情報収集のためだ。仕方がない。
「えっと――あの。その国で、どんなふうに過ごすつもり、です?」
やや途切れ途切れの声、不安そうに聴く彼女――嫌な予感がする。男性の次の言葉が、彼女が『引き金』に指をかけてしまう、そのような気配。
「――少しいいかな。追加でコーラを」
話を切り上げさせるために、そう声をかけた。はっとした顔でこちらを向く給仕に料理人、こほんとひとつ咳をして、「失礼、世間話が長くなってしまった」とにこやかに戻っていく。
給仕の女性はすぐにコーラを持って、クラウスの元へと運んできた。
「急にすまない。……その、何か悩みでもあるのかな」
「……えと。あの……。何も……」
「何もないようには、見えなくて」
優しい語り口に、彼女は困った様子で目を泳がせる。――そうして、爪を弄り。じ、とクラウスの目を見つめた。ほんの少しの、敵意。『勘付かれたか』とでも、言いたげな。
「何を、疑って、おられますか」
俯く彼女。眼鏡を通さぬ視線となったそれがクラウスを射抜く。
「――休憩、入ります。『タバコ』、吸ってきますね」
不釣り合いに明るい声で、奥へと声をかける彼女。逃げるつもりか。「会計を」と声を掛けるクラウスへとわずかに笑みを浮かべて、そうして。
「お釣り、募金箱に入れてもらえますか?」
――そう言った。
第2章 冒険 『シデレウスカードの所有者を追え』

ばれちゃった。ばれちゃったや。どうしよう、あの目。あいつも、そいつも、見てたもん。ぜったいばれちゃった。
咥えタバコをしながら走る。制服のまま。気にしてはいられない、絶対追ってくるんだもん、仕方がないじゃない。
『こ~れだからカンの良い奴はァ。ひとりでもいると大惨事ですねえ~!!』
「う、るさい。だまって、おねがい!」
脳に、耳に直接響く声。頭痛を訴える頭を抱えながら。自分にカードを渡した存在、自分をせいぎのみかたに「してくれた」存在も、今となっては只々煩いだけだった。
『まあまあ、これ以上失敗なさるな! なんならあそこで耐えてもよかったのですよ? だのにビビり散らかしてココでございますぅ~!! ま、ブチのめして正義を示せばよいのです、えいえいっ☆と『清めて』しまえばよいのです! ハハハ、簡単簡単!』
「適当なこと、言わないでッ!」
そう吐き捨て、彼女は走り。
「――!? おいっ、君、何を……!?」
止める通行人の声も聞かず。橋の上から川へと飛び込んだ。
その流れの行き着く先には――排水を垂れ流す工場地帯。水の勢いを借り、己の得た『能力』の力を借り、彼女は逃げる。
逃走劇の先に行き着いたのは、コンテナが積まれた人目につかぬ場所。まるで魚が跳ねるかのように着地したその姿。
ピスケスナイチンゲール・シデレウス。シロイルカのような姿をした、『白衣の天使』である。
駆け出した給仕。募金箱に釣り銭を放り込み、彼女を追うはクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)。安い国。募金箱。導き出されるは不穏な響きだ。あのまま給仕と料理人が話し続けていれば、何が起きたか。――予知通りの結末だったかもしれない。
駆け抜けながらレギオンスウォームでレギオンを飛ばし、彼女を追う。シデレウスカードで得た能力か、身体能力が強化されているようだ。かなりの速度で駆け抜け、そして、橋の上から水へと飛び込んでいくのが見えた。
あの速度だ、流れに乗ってしまえば相当な勢いで移動できるだろう。川の流れに合わせてレギオンを飛ばし向かわせ、上陸地点を予測する。先に見えるは工場地帯である――。
「っ。はあ、はぁっ……」
息を切らした女性。シロイルカのような、可憐な白い衣装。先の結ばれたマントは人魚の尾鰭のように見える。マスクド・ヒーローのような仮面を付けた彼女を見つけるのは容易いことだった。
――追いついてきた。視界に入ったクラウスを見て身構える彼女。敵対意識ではなく、純粋な驚きからくるものか、それとも。
「……驚かせてしまったのなら、すまない」
返答はない。無いが、その謝罪に応える気がないことは態度からも明らかだ。自らの腰へ――ベルトに連なる、医療器具。その数々に手をかけながら、仮面の下からクラウスを睨んでいる。
「君は、力を得て何をするつもり?」
「……どうして、聞くの」
「その力が、正しいものに使われるかどうかを……確かめたい」
視線。真っ直ぐに見るクラウス。おどおどと泳がせる女性。
だが、応えなければ逃げる機会も生まれないと感じたのか。彼女はゆっくり、口を開く。
「善意の押し付けだって、わかってるの」
小さく呟いた言葉は、震えている。
「わたし。わたしは。小さい頃から、そうだった。真面目だって、冗談通じないって。……でも。冗談でも、言っていいことと、わるいことがあるの」
たとえば、そう。
「ねえ。恵まれないひとたちがいる。わたしの力なら……救えるんだ。この力は、カードはね、ひとの傷を治せるの。わたしのお金があったら、お腹だって満たしてあげられる……」
その声色は徐々に、虚ろな声へと変化していく。……否定できない。正しいが、確かに押し付けだ。善意ではある、それを真っ向から違うなどとは、クラウスは口にできなかった。
「……そのカードの力は良いものじゃない。怪人として悪の組織の手先にされてしまうよ」
カードの力を借りても、待っているのは破滅だ。
それを伝えられてなお、彼女は。
「わかってるんだ」
困ったように笑って、『鉗子』を手にとった。
だって知ってるんだ。悪の手先、ってやつの正体。わたし、そいつから渡されたんだもん。このカード。手に取ったときから知ってたんだ。
せいぎのみかたに「してくれた」んだ。
「だから、黙って。……その舌、引き抜いてあげる」
ああ、言葉はもう、通じそうにない。
●『白衣の天使』
戦闘。
ピスケスナイチンゲール・シデレウス。女性。シロイルカのような姿をしている。
どの攻撃に対しても、『護霊護国戦』を基本とした能力、『白衣の天使』を駆使し攻撃してきます。
攻撃/回復ともに√能力者たちに多少は劣りますが、油断してはなりません。
この戦闘への勝利、または説得成功で展開が分岐しますが、敵は変化しません。
「アチャ~~! 大変なことになっちゃってるネ☆」
お元気!
陰鬱になった空気をぱあっと一瞬晴らすは兎玉・天(うさてん堂・h04493)の言葉である。大変だ大変だ! ニンゲンちゃんが変なカードに狂わされてる! あっぶなーい! あのカード欲しい。欲しくないですか? 欲しいよね……。
手放してくれなさそうなのが誠に残念である。
「……わたし。わたし……」
まだ困惑しているのか、現れた|うさてんちゃん《天》への反応はない。とはいえ臨戦態勢なのは変わらない、ならば真面目に対応しようじゃないか。相手はやる気まんまんであるがゆえ。その隙にと迫るは|人間災厄《非常識》の成せる技。
その気配に気付いたか、はっと顔を上げたシデレウス怪人、『ナイチンゲール』。途端――彼女の背後に現れる白衣の天使。うさてんちゃんを両断せんと幻影のメスを振るう!
「ごめんネ、わかりやすいヨ!」
ぴょんっ。ジャンプで避ける。お月さまより高く飛ぼうぜ! 白衣に迫りしなやかな足払い。避けられるもそれはフェイント。本体たる『ナイチンゲール』に絡みつく鎖。
捕縛されたそれに迫るは――うさてんちゃん! おつきさまが落っこちたら、にんげんはどうなりますか!
「クラクラさせるヨ~☆」
正義の味方ちゃんごめんなさい! 殴り棺桶、棺桶かなこれは!? 怪異を収容するという点では同じか、培養槽にも似たそれが勢いよく叩きつけられた。地を転がり、体制を立て直す『ナイチンゲール』――それの体から落ちていく装備品。そう、医療器具によく似たナニカ。
「ゲーット!!」
ワァイ! よくわっかんない液体の入ったシリンジ、入手! 回復効果とかありそう~!!
ぴょんこと跳ねたうさてんちゃん、シリンジを懐にしまいながら――彼女を無言のまま見る『ナイチンゲール』と視線を合わせた。
人間災厄『巨大質量』。ニンゲンちゃんが大好き。
目的と手段、違えてはならぬ。ゆるしちゃだめなことはたくさんある。けれど、でも。
「ニンゲンちゃんを守りたいなら、チョット。やり方、考えなきゃだヨ」
彼女の、『ナイチンゲール』のやり方では……人々を「正しく」守ることは、叶わない。
「ごめんね」
小さな謝罪。クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)の小さな言葉。けれどそれは『彼女』にとって、まるで突き放されるかのような感覚に思える一言だった。その言葉を引き出したのが、己だとしても。ぎゅ、と唇を噛む『ナイチンゲール』――。
犠牲を識って、正しさをもって、制裁しようとした。それこそが彼女、ピスケスナイチンゲール・シデレウスの罪である。
「(正義とか悪とか、俺にはよくわからない)」
クラウスは考える。彼女の主張の正しさを。彼女の行動が解決に結びつかないことは分かる。カードの力を振るい続ければ、破滅を迎えるだけだ。だがそれでも守りたい人たちが居た。それだけは……間違いが、ない。
「止めさせてもらうよ。……無理矢理にでも」
そうだ。『正しい』と納得した上で。全力で、立ち向かわなければならない。それが彼女に対する返答となるから。
「やって、みてよ。正義の味方なら、ねえ、ねえ!!」
ヒステリックな叫びと共に召喚された『白衣の天使』。少し古めかしいナース服を着た女性の巨大な白い影だ。
クラウスを抱擁しようとするその腕を、彼はアクセルオーバーで加速しすり抜け。『ナイチンゲール』の至近距離まで迫り、電撃鞭を振るう。
「ッ……どうして邪魔するの! どうして! わかって、くれないの!」
鞭を受け止めるも腕を絡み取られ、身動きの取れなくなった『ナイチンゲール』。それを援護するかのように迫る白衣の天使へと、クラウスのレイン砲台がレーザーを射出した。
シデレウスカードで強化されていようと、彼女はただの人間。酷使する肉体が悲鳴を上げる、それでも立っていようと。だが護霊に似た白衣の天使は、彼女の体力までも奪っていく。
もっと上手く説得する言葉があれば良かった。今となってはもう遅い。だが、そう考えることそのものは、無意味ではない。
彼女が考えたように。誰もが幸福になる道を探そうとして、間違った道を進んだ。それだけなのだ。正義の形は様々。犠牲の形も、様々――。
結局はそれだけ。エゴの押し付けあい。
「嫌だッ……まだっ……まだ、立てる……!!」
――それを征したのが、クラウスであった。……今は、それだけ。
上擦った、今にも泣きだしそうな声を発しながら。ばちりと爆ぜた電撃の中で、彼女の体が崩れ落ち。瞬間、解ける変身。そして二枚のカード――魚座と、フローレンス・ナイチンゲールのカードがひらりと落ちた。
第3章 ボス戦 『ジョン・ドゥ』

あっちゃあ~~なんでかな~~どうしてかな~~?
拐かすことには成功しました、しましたとも! えら~い!!
だってのになんで? ドシテ? 可笑しいなこの――自主規制――が。
なぁにヘマこいてんですかぶっ倒れてる場合か畜生――ああ! まったく!!
ぱあん弾けるクラッカー! トランプ撒き散らしご登場!
どなたか? 誰か? ワタクシです!!
「ワタクシ戦いたくなァい! 助けてェ! なぁんて言ってもダメですかぁ?」
――ふざけたお言葉どうも、ジョン・ドゥ。
おまえの命運ここまでだが、どう思う?
「やれるだけやって殺して帰りますゥ~~!!」
結局、怪人とは、善意などでは動いていない。犠牲など識らぬ、正義など知らぬ、『そのようなもの』――!
――道路を法定速度ギリギリでかっ飛ばすキャンピングカーが一台。
「ごめんなさい! 食べるのに夢中になってて、忘れてました!」
やってしまったとばかりの謝罪。しかし店と「|彼女《怪人》」にとって完食は本望であろう! 岩上・三年(人間(√妖怪百鬼夜行)の重甲着装者・|載霊禍祓士《さいれいまがばらいし》・h02224)が現場に到着して見えたのは、地面にトランプを撒き散らしながらご登場した怪人だ。
「重甲は既に整備済み…三年様の体調も万全です、頑張って来て下さい」
運転席から三年へ声を掛けるはアンジュ・ルルー(身支度から諜報まで・h02555)。三年を全面的にサポートするAnkerである。こちとら全力お世話の|スパハニ《スーパーハニー》……愛しいお荷物様のためなら連絡一本どこまでも!
「あ……アンジュさん、ありがとっ」
遅れた分は取り返さねばと、重甲を纏った三年が戦場へと降り立つ。
……食べた分のカロリー消費をしないといけないし。だが相当なカロリー摂取をしていたのだ、この先頭でどの程度消費できるかは……少し察するところがあるが。
「あらァ~~美味しそうに食べていらしたお嬢様!!」
ジョン・ドゥの六本の腕、その手の指先がすべて三年の方へと向く。それにびくりと肩を跳ねさせた三年。だが、その程度でビビってはいられない! 出力最大で吹かされる重甲のジェットパック。その速度でジョン・ドゥへと|木刀《卒塔婆》を叩き込んでいく三年。……|木刀《卒塔婆》!?
軍刀にて斬りかかるアンジュと一定の距離を取り、アンジュの攻撃で下がるジョン・ドゥの背を強かに打ち付ける。
「っだだ! ちょっと痛い! 痛いじゃァないですかァ!!」
「問答……無用っ!」
文句を言うジョン・ドゥへ上段から振り下ろされる|木刀《卒塔婆》。すらりと避けてみせた怪人、だが――加減をしたそれが、地面を打った。
「ならばっ! こちらをご覧くださいまし!!」
手の平に現れ輝くは、|悪の怪人化《悪堕ちへの誘い》――! 妖しく光る結晶が光を放ち、三年とアンジュの思考にジョン・ドゥの言葉が割り込んでくる。
「怪人となれば好きなことし放題!! どうです? 永遠にゆ~っくりオネムなままで過ごしたくありませんか? 食べたいときに食べ寝たいときに寝て、そして戦いたいときに戦う!」
結晶を片腕・片手に。優雅にその他の腕を広げながら、誘惑の言葉を紡ぐ怪人。
「そちらの方も!」
びしり、アンジュへと突き付けられる爪の先!
「怪人となればそちらのお嬢様、もっと強かに護ることが出来るようになります――! そう、護り、救える力を手にすることが、出来るのです!」
――そして。
「|彼女《・・》のように!!」
――倒れ込む、シデレウス怪人として人々を「救おう」とした彼女を指差した。
得意げな様子で、一対は腕を組み、一対は腕を広げ、そしてもう一対。片手を胸に当て、禍々しい光を放つ結晶を掲げるその手――だが。
アンジュの軍刀が、その結晶を砕いた。
「既に充分、お仕えできております」
三年によって作られた載霊無法地帯。そして、アンジュの強い意志に、誘惑など通用しなかった。驚きからか動きが止まったジョン・ドゥ、その真正面から三年が、全力の一撃をお見舞いする――!
「どぅぉわァ!?」
間抜けな声を上げて地を転がる怪人。体勢を立て直すために見たその視線の先、きゅうと唇を結んだ三年と、それに寄り添うアンジュの姿。
「私の、家族だから……っそんな言葉、聞くわけないよッ!」
確かに、魅力的だ。堕落への誘いだ……だが、その誘惑に打ち勝ってこそ、得られるものがある。
――運動の後のお菓子は、おいしい!
それをアンジュが許すかどうかは、別の話だが。
「うさてんちゃん気づいちゃったんだヨ⭐︎」
どやっ!
なぜか地に転がっているジョン・ドゥが体勢を立て直す間。両手を腰に当て、ふふん! と胸を張るは兎玉・天 (うさてん堂・h04493)の姿。
|うさてんちゃん《天》は天才である! なので、理解!
「うさてんちゃん気づいちゃったんだヨ⭐︎その変なカード! ニンゲンちゃんが手放したくないなら、無理に奪い取っちゃうのは、うさてんちゃんにはできないって⭐︎」
「おやおや……ご理解頂ける方がようやく~~!!」
嬉しそうに六本の腕が胡麻を擂るように己の手を揉む。だがジョン・ドゥ、そこのあたり大変に勘違いしているのだ。うさてんちゃんはニンゲンちゃんの味方! なので……怪人の味方などには、けしてなりはしないのだ。
「だから、配ってた犯人から貰えば良いカナって⭐︎」
ゆえに彼女が浮かべるは、満面の笑みであった。固まるジョン・ドゥ。危なそうな『|ブツ《・・》』はまだ、怪人化していた女性のそばに二枚揃って落ちている――。チャンスはある。あれを掻っ攫う、あるいは怪人から直接、奪う!
「こっ……のォ~~!! ヒトサマを小馬鹿にしちゃあダメって!! ニンゲンちゃんから教わらなかったのですかァ!!」
呼び方移ってる。ともあれジョン・ドゥ、棺桶……と呼ぶにはチョットヤッパリスゴイそれを避け、先ほどは通じなかった結晶を取り出すも、うさてんちゃんはとっても強か!
滑らかな動きで繰り出される足払いをジャンプして避ける怪人、そしてその跳躍力のままうさてんちゃんと距離を取り喚き始める!
「この! 殺す! 殺します!! 一人でも多く! 殺しますッッ!! わたくしの殺人ショーをご覧あれェ!!」
キレたジョン・ドゥ、怪人としての本領! 己の肉体のみで怪人化していた女性に迫ろうとするも――!
「やった⭐︎マジックショーが始まるんだネ⭐︎とっても楽しーネ⭐︎」
パチパチパチ⭐︎大拍手でお迎えしなきゃネ! あ、でも待って? 大事なところがひとつある!!
「え? 今殺すって言った? 言ったよネ!」
怪人と気を失っている女性の間に立ち塞がるうさてんちゃん。放たれる鎖が怪人の脚を捕らえ転倒させる。そして――!
「ニンゲンちゃんに危害を与えるのは許さないヨ!」
「アッ待ってそれちょっとデカッ、アアーー!!」
ごぎゃん!
……派手な音と共に、怪人へ叩きつけられた|棺桶《培養槽》。くらくら、意識が朦朧としているそれの腕を掴み、遠く放り投げるうさてんちゃん!
ついでに距離が詰まった彼女の様子をそっと窺う。きちんと息はある――側に落ちていた二枚のカードを拾い上げ、懐へとしまいこむ。
護るべきニンゲンちゃん、待ってて。もう、すぐに安全になるヨ⭐︎
「やれるだけ、ね」
満身創痍! だがここで去っては怪人としての矜持が許さぬ! 六本腕がめきりと、己が叩きつけらたコンテナを掴み、その金属を切り裂いていく。クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)を睨むその顔面、張り付いた仮面のようなそれから伝わってくる憎悪――!
「……やってみるといいよ」
「勿論――全力でッ! 貴方がたを!! 蹂躙致しましょう!!」
できるものなら。できはしない。ここで自分が止める。強い意志のもと、彼はここに立っている。
光刃剣のトリガーを引き構えるクラウス。常人ならざる速度で突っ込んでくるジョン・ドゥへ、クラウスも駆け接近する。牽制で放つ光刃、姿勢を低くし避ける怪人。再度トリガーを引き刃を収め怪人の腕を避けてから再展開。居合じみた一撃が怪人へと刻まれる。
この攻防。圧倒的にクラウスが有利だ。肉体そのもではなく、特殊な能力を用いて戦うジョン・ドゥに対する、今回の最適解――!
「ぐゥッ……まったく! ニンゲンひとりごときに、ン何故ッ! そこまで固執するのです!!」
突き出される腕を受け流し、その言葉に僅かに眉をひそめるクラウス。何故? そんなもの、今更じゃないか。聞かずとも分かることを聞き、その返答の隙を狙うつもりだろう。現に次の腕が攻撃態勢に移っているのだ、答えてやる必要はない!
禍々しい光を纏う腕が振り抜かれ、それを避けた隙に怪人の手中へと現れる結晶――!
「アナタほどの能力があれば、怪人となった後! |悪の組織《プラグマ》の中でも有数の強力な怪人となれることでしょうッ! ニンゲンを護りたいのでしょう、ならばこの誘い、乗らぬ理由が――」
……口上は、途中で途絶える。
「なっ……なァアッ!?」
腕を掴むその右手。宿るは『ルートブレイカー』――確かなる、否定。パキンと砕け散る結晶……はらはらと美しくきらめくそれは、もはや禍々しさの欠片も感じ取れないものと化していた。
「……俺は」
そう、自分は。
「善悪や正義の概念は、よくわからない」
「ならば、何故! ワタクシの邪魔をするのです!」
「……自分が正義の味方や、善であるとも思っていない」
善くも悪くも、彼は『フラット』なのだ。平坦。その天秤に乗せるには、この怪人の誘いは相応しくない。唸る怪人を前に、クラウスは己の手へと力を込める。ぎり、と、怪人の腕が軋む。
「どれだけの力を得られるとしても――怪人になるつもりは無い」
理由など、語るまでもないだろう。
彼女の善意を利用したこと。
――人の心を利用して操るような奴が、一番嫌いなんだ。
そうだ、そうだとも。『正義の味方』でなくとも……自分たちは、守るべきものを守れるのだから。
――クラウスの振るう光刃が、ジョン・ドゥの腕を断つ。そのまま刃は袈裟に振り降ろされ。怪人の体を、両断した。
●善意の刃
目覚めたときには、すべてが終わっていたようだった。
拉げて破れたコンテナ。散乱しているのは、見覚えのあるトランプ。自分に力を与えてくれたカードは……ない。
……くやしい。くやしい。せっかくの、唯一の、チャンスだったのに。
ぎゅうと両拳を握って、ぽたぽたと落ちる涙を、滲むそれを見る。
ああ、でも、そうだ。……正しさなんて、きっと。
彼らを傷つけようとした時点で、なかったんだ。
ポケットから煙草を取り出す。けれど、水に入ってしまったからか、ずぶ濡れになってしまっていて。火なんて、点きそうになかった。
「……煙草、やめよ」
そんな小さな一歩から。彼女の『正義』と『善意』は、再び動き始めた。