シナリオ

ヨーロッパ「天使化」事変~天使が川を下るまで

#√汎神解剖機関 #天使化事変 #羅紗の魔術塔

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 #√汎神解剖機関
 #天使化事変
 #羅紗の魔術塔

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「緊急事態です」
 短く、そして簡潔に伝える|路雪《みちゆき》・ひもろ。(しるべの黒雪・h05477)。全ての√能力者が察知できる形で映る『予兆』によって察知された、√汎神解剖機関のヨーロッパ各地にて発生する事件。
 天使病。曰く「善なる無私の心の持ち主のみ」が感染するとされるヨーロッパの風土病で、人心の荒廃した現代では既に根絶したものと思われていたそれが、今この現代に蘇った。

 だが、|天使《・・》病などという小綺麗な名に反し、この病は危険かつ残酷な症状を引き起こす。天使病に罹患した患者の大多数は、意志も善意も失くした怪物『オルガノン・セラフィム』と化すのだ。
 そして、ごく稀に理性と善性を失わず、美しくも異質な存在と化す人々もいる。便宜上『天使』と呼称される彼らは、『オルガノン・セラフィム』からは攻撃され、そして変異した見た目では仮にそこから生き延びられても、元の生活に戻れる可能性は極めて低い。
 更に厄介なことに、現地ヨーロッパに存在する汎神解剖機関と敵対する秘密結社『羅紗の魔術塔』からも|新物質《ニューパワー》として狙われている。

 どのような形になるとしても、未来は暗い。
「我々の介入がなければ、ですが」
 その台詞を言い終えれば、ひもろは手にした資料を素早く配布しはじめた。

 ――まず作戦はこうだ。
 山間部、道のない森を逃げる『天使』となった人物は今まさに怪物化した罹患者『オルガノン・セラフィム』によって捕食される寸前。
 位置は予知によって判明しているため、周囲のオルガノン・セラフィムを撃破し、対象を速やかに保護。そののち、追走してくる同存在を撃退しながら撤退。
 今回の逃走経路には目印のように川が通っている。流れを添うように山を下ることで脱出のポイントは簡単に見えてくるとのこと。

 繰り返すようだが、今回の最優先目標は天使の保護にある。
 ――それを忘れないようにしなくてはならない。

「――今回の事件、我々に加え、羅紗の魔術塔、そして怪物化した患者。三つ巴の戦いとなります。事態は急を要し、状況は極めて流動的ですが――皆様ならば」
 必ずや、罪なき天使を救うことができるはず、と。


 ヨーロッパの山中で、群れ為す『何か』が居る。
 羽、金属、筋肉、そのすべてが不格好に寄せ固まることで辛うじて人のシルエットを形作る、歪な怪物。
 本能によって殺し、本能によって喰らい、本能によって天使を狙うはずの憐れな病人の末路、『オルガノン・セラフィム』。だが今の彼らは彫像のように直立したまま微動だにすることなく、横一列に並べられていた。

 検品するかのように、それらを観察する白衣の女。地面を引き摺るほどの長さのドレスには輝く紋様が浮き上がり、それと同様の模様が並んだオルガノン・セラフィムの身体にも刻まれている。
「|出来損ない《・・・・・》とはいえ、これでも上々、か。収獲は終わりとしよう」
 一人言つ女はそのまま立ち去ろうとする寸前、『何か』を感じ取ると顔を上げ。
 口を抑え、そのまま俯く。
 押し殺した、うめくような、笑い声と共に。

「面白い。まさか、本当に――この地に天使が降りるとは」

 彼女が指を鳴らせば、先程まで微動だにしなかった怪物たちは、その喉もどきが引き裂かれんばかりの絶叫と共に森の中へと駆け出していく。
 凶獣は放たれ、狩人もまた、動き出す。

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第1章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』



 静謐な森に響く、奇妙な音。
 獣の威嚇にも、金属が軋む音にも、或いは――苦痛に上げる人の絶叫にも似たそれらは、ひとつの地点へと向かっていく。
 逃げる『獲物』を、追うために。

 穏やかな流れの川のほとりに集った音の主は、ついに森を逃げ惑う『天使』を取り囲んだ。求め焦がれた、喉を潤し腹を満たすもの。本能が求める血肉を前に、歪な怪物たちは身を震わせた。
 『オルガノン・セラフィム』。
 天使になりそこねた、かつて善なるこころ持ったひと。
 しかしそのこころも、意志すら消し去られ、怪物となったひと。

 彼らへの葬送へ叶うことは二つ。
 辛苦の生からの解放。そして、彼らが、命を奪う罪を背負わせないこと。

 『天使』を救うための戦いが始まる。
志藤・遙斗
赫夜・リツ

 天使に振り下ろされんとする、歪な爪。
 しかし、それが肉を裂くことも、血を浴びることもない。

 代わりに聞こえるのは、オルガノン・セラフィムが上げる悲鳴。上半身を炎に焼き焦がされ、不格好なダンスのように暴れながら、川へ落下する姿。
 天使が顔を上げた先に立つのは、赤い髪と背広の背中だった。
 指に赤く燃える蝶を止め、安堵のため息を漏らす|赫夜《かぐや》・リツ(人間災厄「ルベル」・h01323)は、取り囲む|天使擬き《・・・・》たちを見遣る。

 獲物を食らう寸前で入れられた横やりに、咆哮する天使擬きたち。
(すごい叫び声だなあ)
 どこか気の抜けた感想のように見えて、彼は冷静であった。
 絶叫の只中、一体が伸びた腸が彼の脚を取ろうとした瞬間、それを踏みつけすぐさま手にしたナイフで切り裂く。苦悶の声を上げた個体には目もくれず、天使を狙い喰らい付かんと喉近くまで裂けた口を寄せた一体に、彼は天使を庇うべく腕を突き出した。

 ――がぎゃ、と。
 それは鋭利な乱杭の牙が閉じる音ではなく、黒曜の腕が牙を欠けさせる音。
 彼の腕が変質した黒い皮膚が脈打ち、浮かぶ眼球が異形の天使を睨みつけ、伸びた爪が待ち針となって口が閉じることを許可しない。そして、肉の代わりに怪異の身中に無数の蝶たちが飛び込めば、その体は火柱、そして黒炭となって崩れ落ちる。

 倒すことに容赦はない。それは、決して無情だからではない。
 苦しみを長引かせないための行動。敵となってしまった罹患者たちを解放させるための決断。それを、彼は決して迷わない。

「もう少し、力を貸してね『ヒイちゃん』」
 傷つき、疲労する天使の肩にそっと炎の蝶を預けるリツ。浄化の炎を宿し、『ヒイちゃん』と呼ばれた蝶たちは、決して敵を灼くばかりではない。
 ――未だ残る敵を前に、リツは黒刃を構えた。

 そんなリツに向け、彼の手に影響されたかのように爪を伸ばし、死角から襲い掛からんとする歪な天使擬き、オルガノン・セラフィム。気の上に座し、狡猾にも頭上からの不意打ちを食らわそうとしていたのだ。
 だが、跳躍の瞬間に響くのは、ある言葉。
「『抵抗するな』」
 直後、飛び掛かるべく姿勢を屈めた天使擬きはバランスを崩し、木から滑り落ちると地面を無様に転がる。
 何が起こったのか? 理解できるはずもない。突如として天使擬きを襲ったのは身体の震え。掛かる振動は天地が逆転するかの如き激しく止まらない。吼える声すら震え、立ち上がることもままならない。
 まるで、地震のようなその揺れ。しかしおかしい。
 森の奥から天使擬きに歩いて近づく男の足取りは一切揺れていない。ただ淡々と歩みを進めている。なぜ、それを考える間もなく、天使擬きの頭部に、男は銃弾を二発ずつ叩き込んだ。

 肺に先程まで満ちていた紫煙の名残を出し切るように、|志藤・遙斗《しどう・はると》(普通の警察官・h01920)は長く、鋭く息を吐いた。

 彼が優先したのは、『要救助者の保護』。しかし、同時に『周囲への警戒』も怠れないと考えてもいた。
 意図しない増援が来れば、厄介なことになる。命を助けるためにも、邪魔な敵は早急に掃討しなくてはならないだろう。
 そして、懸念の通り――今『|天使《救助対象》』とそれを守ろうとしている存在の周りには、夥しい天使たちが集っていた。

 早速の難題に、無意識にポケットに伸びそうになる手。
 直後背後から迫る伸びる腸を、彼は銃ではなく刀にて断つ。
 そのまま茂みから脱出した遙斗は、要救助者の天使の元へ駆け寄った。丁度、リツと背中を任せ合うような恰好で。

 突然現れた姿に目を丸くしつつも、協力者だと分かれば表情を和らげるリツ。だが彼に対し、遙斗は短く告げた。
「――まだくるぞ。森の奥からぞろぞろと、な」
 刀と銃を手にしながら、彼は目を細めた。脱出経路の確認は――まだ難しそうだ、と。
 リツもまた少し緊張した面持ちで、変形した腕を撫でながらナイフを握る手に再び力を籠める。
「なら、『もう少し』じゃなくて『もっと』頑張らないと」
 二人は一瞬だけ視線を交錯させると、迫る天使擬きを振り払う。

 金属を削り合うかのような音と銃が放つ叫びに、天使擬きの断末魔。
 焔の緋色が舞い踊るなか、震える怪物は地面をのたうつ。爪と牙、加えてのびる臓腑を切り裂くは、白と黒の刃の軌跡。
 二人の守護者は、『天使』に瑕一つ赦さない。

色城・ナツメ
ゼロ・ロストブルー

 √能力者との戦闘により、開けた場だけでなく――様子を窺っていた、いや逃げる先に待ち構えるようにして待機していたオルガノン・セラフィムたちが次々と現れる。
 歯を鳴らし、唸りを上げ、奇矯な動きのまま、一心に『天使』を狙う。

 だが、森の奥から現れるのは天使擬きばかりではない。
 ばうと音を立て吹き荒ぶ疾風が、天使の群れの一塊をなぎ倒す。その只中に立つは、重ねの厚い太刀の峰で天使を殴りつける男。|色城《しきじょう》・ナツメ(頼と用の狭間の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00816)。
 鎌鼬の貸し与えた高速と通力による一閃。だが、彼はあくまでトドメを刺すことではなく|制圧《・・》を重視し、武器こそ抜けども殴打に留めた。
 ――眼前で蠢く奇妙奇怪な姿であれ、彼らは元人間なのだから、と。

 一方で遅れて現れたもう一人は、他の√能力者に保護されている『天使』に近付く。身振りと手振り。そして堪能な英語でコミュニケーションを取るだろう。
 語る言葉は穏やかで力強く、端的だ。
「――大丈夫。彼らは君を必ず守ってくれる」
 二三の言葉を交わし終えれば、彼は荷から対の手斧を取り出し、天使に向けて駆けだした。ゼロ・ロストブルー(消え逝く世界の想いを抱え・h00991)――彼は、√能力者ではない。
 しかし彼の膂力は天使擬きの咆哮に怯まず、伸ばした爪を戦闘技能のみによって払いのけ、そのまま共にここまでやってきたナツメの所にまで無傷で辿り着いて見せる。

「ったく、本当になんで来ちまったんだよルポライターさんよぉ……!」
 悪態をつくナツメ。彼にとってゼロは恩師であり、戦いの師でもある。しかしこの場においてあくまで彼は一般人。死しても復活できる√能力者ではないのだ。
 だが、それに対してゼロは謝罪しない。彼が|警視庁異能捜査官《カミガリ》として、√能力者としてやってきているのと同じように、彼もまた仕事なのだ。

 そして同時に、彼は無駄な台詞を言わない。
「ナツメ、|首《・》だ。一撃で落とせ」
 その言葉に、ナツメは耳を疑った。
 直後、彼がここに来るのと同時に倒したはずのオルガノン・セラフィムたちが立ち上がる。本来なら大腿骨、或いは肩部を砕かれ起き上がることも困難なはずの負傷は、たちどころに全快していた。
 ――擬きとはいえ部分的に天使が如き異能を発現した、させられてしまった怪物たちは、生半な攻撃、生半な覚悟では決して仕留め切れない。

 「く」と喉の奥に詰まったような息を漏らすナツメ。
 彼は迷っていたのだ。異形と化したとて元人間。それを殺すべきなのか、と。

 剣先の揺れを悟り、鋭く息を吐くのは、ゼロ。
 眼前で振り返らんとする異形の頸に――一対の斧がぶち当たる。反撃に伸びる天使擬きの舌先は、鋭利な刃となって彼の頬を掠めるだろうが、彼は止まらない。
 部分的に金属質に変化した骨や筋肉、そのすべてを力任せに砕き引き裂くその一撃は、歪な祝福によって与えられた治癒を機能させる間もなく、正しく、命を終わらせるだろう。天使擬きは血すら流さず、一度崩れ落ちれば二度と起き上がらない。

「――」
 |師《ゼロ》は温厚だった。優しく、そして大らかだった。そんな彼が淀みなく見せた手本に、ナツメは歯を食いしばりその意味を理解する。
「力貸せ、『蒼』ッ!」
 揺蕩う尾が首に巻き付き、怠気な目つきに僅かばかりの力が宿る。それを視認できるのはナツメのみだが、しかし彼を中心として噴き上がる旋毛風は、木々を揺らし、川に波を立てる。
 起き上がったすべての天使擬きが、自身の姿を捉える前に駆け抜ける風は、次こそ正しく辻風だ。彼らは自らの首が落ちるその刹那まで――己の死すら知覚できぬまま、病に変質させられた生を終える。祓いの力を得た刀身に毀れはなく、返り血すらも残らない。ただ間違いなくその刃を振るったナツメの手に残る感触だけが――確かな命を刈り取る実感だけを与えるだろう。

「……ナツメ」
「わかってる」
 『天使』はゼロに言っただろう。|彼ら《・・》を解放してくれと。
 せめてそれを伝えられればと思った彼の二の句は、他ならぬナツメが断ち切った。
 天使を助け、師を守り、死を背負う。ナツメの眼差しに揺るぎはない。その様子に、ゼロは少しばかり目を閉じる。
 それは成長への喜びか、或いは、痛みに慣れた姿への悲しみか。

 しかし感傷を抱える暇はない。
 師弟は武器を手に、更なる天使擬きに備えるのだった。

斯波・紫遠

 川の傍に要救助者がいる。星詠みにはそう告げられた。
 しかし、一方でそれ以外の道筋を辿る者もいた。『天使』が予知の地点にたどり着くまでに使ったルートを探索する|斯波・紫遠《しば・しおん》は、自身の直感を信じ川の傍に近付かない選択を取る。
 
 ――しかし結果として、彼は視界の利かない獣道の中にまだ残る天使の群れと交戦することとなった。
 地を這い霧に似た細く密集するレーザーと、逆に天より雨として降り注ぐ光線。薄暗い森に差す二種の光は、しかし天使擬きへの祝福ではなくその生を断つ審判の柱。密集して吠えたてる敵に、彼の放つそれらはよく当たる。むしろ自我も意思も、奇怪な病によって奪われた敵は回避や防御ではなく食欲に任せた行動を選び、自らの持つ治癒能力に任せた無謀な行為を厭わない。

「ほんと、酷い話だよね」
 崩れ落ちた天使擬きたちを前に、紫遠はやるせなさに一人言つ。
 ――無私の善なる心を持つ者が、異形の身体にされてしまう。こんなふざけた話があるだろうか。それこそ、この件に首を突っ込んでいるという『羅紗の何某か』とか、そういう連中の悪意か何かがるのだと思わなければ、到底納得などできようはずもない。

 だが、ふと。顔を上げ、彼は気付く。
 ここに居るのは自分だけ。なのに、|天使擬きが襲ってこない《・・・・・・・・・・・》。餌に食らい付く先程までの凶暴さと照らし合わせれば、こうして突っ立っている自分を取り囲んでいてもおかしくないのに。

 彼は手にしたタブレットに問う。
「アリスさん!」
「検索は三十秒前に完了しています、マスター・紫遠」
 画面上に表示された簡易な地図と|目印《マーカー》を頼りに駆け出した彼が目撃するのは、オルガノン・セラフィムに引き摺られる、|もう一人《・・・・》の『天使』。
 ――間に合え。
 歯を喰いしばり、刀の柄に掌が食い込むほど固く握り込む。

 踏み込みと共に抜き放つ居合。無銘の直刃が鞘から抜き放たれるや、栓を破り纏うは青白き怨讐の炎。乱れの刃紋に絡みつく冷たく熱い狗神の権能が一端。獲物を狩り、殺し、喰らう。
 忌まわしき力。しかし、この場を切り抜けるのに最も勝手のいい力。
 真正面の胴を切り抜け、群の最中に飛び込みざまに、『天使』を掴むその怪物へ、小手を返し腕諸共|逆袈裟斬《ぶったぎ》る。
 そして生き餌の味を受けた狗神の炎は猛り、取り囲んだ残る天使擬きを諸共灰燼へと帰すだろう。未知の金属ですら零度で焼き焦がし、地を焦がす残り火だけが僅かにチリと燃えるだけだ。

 長く、長く息を吐き、刀を納める紫遠。
 天使は暫し呆然としていたが、すぐに紫遠に縋りつきながら何かを必死に伝えようとする。
「あー、驚かせてごめんね、怖かったでしょ?」
 異国の地だ、言葉が通じず取り敢えず宥めるように声を掛けるが、落ち着く様子はない。どうしたものかと思えば、懐で震えるタブレット端末、もといその主が翻訳の結果を伝えた。

『兄がいる、川の方に悪魔を引き付けて逃げた、助けて』

 ――嫌な予感は|それ《・・》か。救助する必要のある天使は分断されており、片割れに掛かり切りになればもう片方が危なくなる、と。だが|川の傍《そっち》は他の√能力者たちが向かっているはず。となれば合流するほかあるまい。
 まだ胸に燻る予感はあるが、それでも、不安な表情を続けている子供と思しき天使の願いを無下にできようはずもない。

 タブレットに自身の言葉を翻訳してもらい、天使へと伝える。
「キミは僕が守るから、ちょっと側にいてね。キミの兄弟も、絶対に無事だよ」

 そして彼は走り出す。傷を負った天使を背負い、足場の悪い森の中を飛ぶように駆ける紫遠。途中僅かに残ったオルガノン・セラフィムに目を付けられるだろうが、天使擬きは彼らを捉えた瞬間『煙雨』と紫光の『|雨《レイン》』によって穿ち貫かれる。
 手の空かない彼の代わりに演算、そしてレーザーの照射を行うのは、彼の扱うタブレットのAIである|Iris《アリス》。時折精密なレーザーより鋭い言葉を敵や自分に投げかける彼女だが、罹患者である天使に対して――何か言葉を発することはなかった。
 哀悼を表するのは自分ではなく、繊細な主がすればよい。ならば自分は、ただ粛々と脅威を払うまでだと。

 ――そして彼女の心強い支援を受け、紫遠は川辺に辿り着く。
 紫遠の背に顔をうずめていた天使も顔を上げると、すぐさま声を上げ、彼の背から飛び降りると、他の√能力者が守っていたもう一人の天使に駆け寄る。
 再会を涙ながらに確かめ合う二人の姿を、紫遠は安堵と共に見つめるのだろうが。

 同時に。その中に混じるある人物の姿に、彼は固まる事だろう。
「どうやら予感は的中していたようですね。マスター・紫遠」
 切れ味鋭い言葉に、紫遠はただ天を仰ぐ。空は、彼の心と裏腹に酷く晴れていた。

第2章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』


●濁流
 √能力者たちが救助した二人の『天使』は、淡い金の髪を持つ兄弟だった。
 ――彼らは近くの山間部にある集落の出身で、薪を拾いに行く最中でこの天使化の症状を発症したのだという。そして、一夜を洞窟で過ごしたのち、集落に戻った結果――怪物と化した元住人達の姿を目の当たりにし逃走、その最中、弟を逃がすために兄がオルガノン・セラフィムを引き付けるために分断された、ということらしい。

 彼らは、自身の集落の人々が怪物になったことを心から悼みながらも、自分たちを助けるべく奮闘してくれた全員に厚く感謝し、√能力者たちの言葉に従うだろう。
 あとは、この森から脱出するだけ。
 そのはず、だった。

「素晴らしい。やはり、これこそ何かの運命、巡り合わせというものか」

 ぞっとする、気配。
 天に浮かぶ白衣に、奇妙な文字列を刻み込んだ女。東洋の天女を想わせながら、しかしその眼差しはただ幼い天使に注がれ、その瞳に宿るのは、悍ましいほどの|知的好奇心《・・・・・》。
 羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』が、この場に現れたのだ。

「ふむ。やはり|出来損ない《オルガノン・セラフィム》とは質が違うな。是非とも君たちが欲しい」
 女は微笑みを湛えながら、手を叩いた。
 ……音に呼応するようにして姿を現すのは、全身に羅紗の魔術を刻印の如く刻み込まれたオルガノン・セラフィムたち。吼えることもない、暴れもしない。ただ直立し一列に並んだ天使擬きに先程の野性的な様子は微塵もなく、むしろ操り人形のような無機質さを感じさせる。
 彼らがどうしてこんな人形のような有様か。そして、この異形となる前に――果たして、どんな人間だったのか。天使となった兄弟の言葉を聞いたならば、既に言うまでもない。

「君たちの解剖は魔術塔に戻ってからゆっくりと。その前に邪魔なモノを始末するか」
 ここで戦うのは分が悪い。何より、天使たちが危険に晒されるだろう。

 脱出までの糸口は、既に提示されている。
 川に沿い、森を下らなければならない。
 ――逃走劇の、幕が上がる。

●解説
 ここで登場する『オルガノン・セラフィム』は全て『アマランス・フューリー』の羅紗魔術によって奴隷化されており、彼女の命令で動く走狗となっています。ここで彼らを倒さなければ、生き残った者が羅紗の魔術塔に連れ帰られ、|新物質《ニューパワー》として搾取されるでしょう。

 そのため、『天使』たちを守りながら逃走しつつ、👾集団敵『オルガノン・セラフィム』を撃破する必要があります。

 また奴隷化した敵が犇めいている上、救助者の天使たちがいる状態では👿ボス『アマランス・フューリー』との直接対決は不可能です。予めご留意ください。

必須:逃走
推奨行動:天使たちを護る行動、『オルガノン・セラフィム』の撃破
厳禁:『アマランス・フューリー』との戦闘

●追記情報

 ・救助者の『天使』たちについて
 Anker参加がなかったため情報を追記。
 十三歳の兄、十歳の弟の兄弟。金髪が共通した特徴。山間部にある集落の出身で、薪を拾いに行く最中でこの天使化の症状を発症。二人とも善なる心を失っていない。

 ・分岐について
 『周囲の警戒』、『救助最優先』が同数のため、ルートが確定しました。
 『周囲の警戒』のルートである、『アマランス・フューリー』との会敵により三章は三章A・👿『ボス戦』に分岐しました。
 『救助最優先』の結果、予知の外にあった『二人目の天使』を救助しました。
色城・ナツメ
志藤・遙斗

 眼前に立つ強敵と、その手勢と化した罹患者たち。
 危機的状況の中で――殿を買って出たのは、二人の√能力者だった。

「興味深い。だが、今は実益を優先させねばな」
 言い終えたアマランス・フューリーは、姿を森の奥へと消した。同時に、全身に羅紗の紋を刻まれた天使擬き、『オルガノン・セラフィム』が襲い掛かる。

 ――交錯する鈍色の閃光。
 灰煙と蒼風。羅紗に侵された天使擬きを切り裂く刃を構え背を合わせる二人の男たち。
「立ち塞がるなら容赦はしません」
「ここから先は通さない」
 くゆらす煙草を自らに纏い、敵対者を殲滅することでの防衛を為す、これこそ彼の|正当防衛《セイギシッコウ》。|志藤・遙斗《しどう・はると》は淡々と敵を見据える。
 揺れる瞳は感情が渦巻く。さりとて握る刀に籠る力に、鎌鼬と決意が宿る。鎌鼬の気まぐれを引き出し、|色城《しきじょう》・ナツメ(頼と用の狭間の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00816)は歯を喰いしばる。
 同じく警官であり、他の事件に共同で当たったこともある二人。同じ得物を操りながらもその太刀筋は全く異なるものであった。


「恨みはないですけど、押し通らせてもらいます」
 遙斗の操る剣技は端的に効率的と言える。自身を普通と称する彼にも内心の精神的葛藤は当然存在するが、言葉や表情、まして切っ先になど噯にも出さない。攻撃を増した速度によって紙一重で回避し、治癒能力の発動を許さない突きで的確に急所を狙う。前進するのではなく、むしろ敵の数を減らしながら退却する中でも、彼の一振りは確実に敵を削り取る。
 ただそれを示すのは、彼が纏う煙が深く、深くなること。ストレスの捌け口であっても粗雑に流し込むためには使わない煙草を赤く燃やし、多く、天使擬きを確実に切り伏せ続ける。

「もう少し、力を貸せ……『蒼』ッ!」
 一方でナツメの剣は荒々しい。纏った風の力のまま、敵が狙う『天使』たちではなく自身を狙うようその存在を示し、激しく動き回る。それでもなお動く自分よりもなお先に逃走ルートを駆け出した『天使』たちと√能力者たちに視線を向けるものがいれば、容赦なく死角から一撃を叩き込む。確実にその一太刀で仕留めるという意志の表れだろうか、鋭いという言葉では収まらない、怒気にも匹敵する気迫が満ち満ちていた。
 感情は渦を巻く。病によって狂い、更に残った身体さえ魔術師によって操られる姿。|被害者《・・・》へできることが、彼らの苦しみを刀によって断つことしかないことへの自責。そして、世界への憤り。柄を握る白んだ手に浮き出る血管が、激しく脈を打つ。

 動と静、激情と平静。
 しかしどちらも、『天使』の兄弟たちと己とを重ねていた。

 自らの弟との間に起こった出来事に、葛藤を続けるナツメ。
 唯一残った妹の為、『普通』を護り、金を稼ぐため戦う遙斗。

 この|√《せかい》に生きる人間として。そして世界の理不尽に抗うものとして。彼らは天使擬きを久遠の苦痛から解放するだろう。


「色城さん、行きましょう」
「――ああ、わかった」

 差し向けられた敵を相当数削った二人は、他の√能力者たちが『天使』を連れて逃げたルートを追走する。戦闘を片付けはしたが、二人の纏う二種の力は未だ効果を続けていた。
 彼らは殿。逃げる仲間のために敵を引き付け、そしてまた仲間たちを追わなくてはならない。であれば、まだその風と煙を振り払うことはできない。

 二人は急ぐ。守るべき者たちの元へ。
「絶対に、守ってやらなきゃな」
「ええ、そうですね」
 言葉少なながらに、互いの決意を束ねながら。

ゼロ・ロストブルー
赫夜・リツ
斯波・紫遠

 森を駆ける影は三つ。その背後から迫る息遣いは数多く、姿はなくとも追跡者の目的は明白。それでもなお、彼らは足を止めない。

 おんぶの格好で『天使』の兄を背負ったゼロ・ロストブルー(消え逝く世界の想いを抱え・h00991)は、額に浮かんだ汗を気にせず突き進む。川のほとり、脱出への道筋と語られたその道を。
 視界の端に捉えた空を見、絶えず『天使』たちを鼓舞する。言葉を合わせ、背後から迫る影になど目もくれずに。
 ――絶望的な状況であったろうと、察するに余りある。それでも二人は決して心曇ることなく真っ直ぐに互いの心配をし、助けに来た異邦人である自分たちを信じ、そして異形と化し、斃された人々へ今も祈りを捧げ続けている。
 ならばその未来を切り開かなくては。それこそが、己の責務であると。
 脚を止めない。彼らの未来を、ここで閉ざすわけにはいかないのだから。

 そんな彼へ、迫る異形。天使擬きオルガノン・セラフィムは、ゼロが背負う少年が何者であったか、どころか己がかつて何者であったすら知らず、羅紗の紋様が刻む使命と本能のまま、その爪を伸ばす。

 そこに割り込む黒い影が、怪異の横っ面を拉げさせた。
「ごめんね、でもやらせない」
 赤髪を揺らし、蠢く怪腕を労わる様に撫でながら、|赫夜《かぐや》・リツは呟く。
 仲間たちが必死に救い出した『天使』たちを、今度は自分が守るのだ。彼はその決意のまま、逃走するチームの護衛として戦っている。
 群れた塊の敵を薙ぎ払い、そして仲間の窮地には即座に反応し空を駆けて殴りつける。縦横無尽の立ち回り。特に獣の如く接近する敵に対して、同等以上の硬度と膂力を持つリツと彼の宿す怪腕『ギョロ』は護衛としてこれ以上なく有効だった。
 噛まれた部分も、傷ひとつとしてない。
 起き上がろうとする天使擬きの頭部を叩き潰し、再生を封じながら、彼は背後に視線を向けながら逃走を継続するだろう。

 加えて、最後の防波堤として戦うリツと並び、天使擬きの追っ手を散らす傘となる者もいる。
 それは、『天使』の片割れ、弟を抱えながら走る|斯波・紫遠《しば・しおん》だ。
 敵の追っ手の数は少なくない。しかし気配だけを漂わせ中々直接的な被害を与えてこないのは、彼の張り巡らせた決戦気象兵器「レイン」の網と、彼が端末のAIである『Iris』に任せた霧状のレーザー、『煙雨』による分断が功を奏していたため。
 敵を倒す必要があるのは間違いない。しかし、彼にとって最優先する事項は、全員生存。そのためにまず最優先で『天使』の兄弟を逃がす。そのための最善手として彼が選んだのが、撹乱だった。
 抱え、敵の動きに備えた網を張り、近付く敵にも意識を裂く。足の疲労など一々認識している暇がないほど、彼は神経を尖らせ、何より頭を回していた。

 こうして只管駆け抜けた√能力者たちは、『天使』たちを傷つけることなく最短距離で駆け抜けることだろう。
 気付けば、そこは予知による『脱出ポイント』だ。
 川の幅が広がった先にあるボート小屋。エンジン付きのボートが何隻も繋いであり、ここから先は一気に移動できるだろう。

 ……気付けば、残った天使擬きも存在しない。道中での撃破、そして、殿を買って出た√能力者たちによる討滅の結果だ。

「もう、大丈夫だ」
 ゼロは、そう言いながら『天使』を降ろす。大きな手でその頭を撫で、微笑む。疲れ切りながらも、優しい少年に決して少年に苦慮を与えないために。
 背を小屋近くの看板の背に預けながら、彼は天を仰ぐ。森から吹き降りる風はいやに涼やかで。見上げた空は、雲なき青だった。

 ようやく、ようやく守り抜いた。そんな達成感の中でリツもまた、大きな息を吐いて地面に座り込んだ。戦いに次ぐ戦いは、流石に彼も平然とはできないだろう。
 そんな中でふと顔を上げると、二人の『天使』たちがリツの前で屈みこむ。どうしたのかと思えば、二人は口々に何かを言いながら――彼の異形となった腕に触れる。
 嫌悪でも、好奇もなく。それはただ純粋な感謝であろう。言語が通じずとも、穏やかな表情と曇りなき眼差しが伝えるはずだ。

 一方で。そんな中でも今だ警戒心を解かないのが、紫遠。
 抱えていた『天使』の弟を送り出し、手の中でタブレット端末を確認する。
 本当に周囲に敵はいないのか。追跡者の気配は。後から合流する予定の人々は大丈夫か。
 額に深い皴を刻みながら、まだ、まだと考え込む彼の服の裾を、少年が引いた。
 首を傾げながらも、困ったように微笑んで彼は告げる。自分の台詞が伝わるのかは兎も角として。
「――怖い思いをさせて、ごめんね」
 無事には辿り着いた。が、それでも。ついそんな言葉が漏れ出る。
 だが、『天使』の弟は彼の手を固く掴み、言葉を綴った。ゆっくり、はっきりしたことばで。

「あ、りが、トウ」
 不自然なイントネーションに、目を見開いた。
 その表情に爛漫な笑顔を浮かべ、同時にする足音へと駆け出していく。

 視線を向ければ、殿の二人も遅れて脱出ポイントへとたどり着いていた。彼らもまた、少年たちからの|サプライズ《・・・・・》を受け取ることになるはずだ。

 呆然とする紫遠の肩を叩き、自信に満ちた表情でサムズアップするリツ。ついでに彼の突き立てた親指のすぐ近く、手の甲に浮き出た眼球も三日月形に歪み、まさにご満悦と言った表情を浮かべていた。
 そしてはっとして振り返れば、看板に凭れていたゼロが肩を竦めてみせているのだった。

 ――『天使』の救助は、これにより|完遂《・・》された。
 運命の歯車は定まり、そして、少年たちの善良さに濁りすら与えないだろう。

 そして。
 終局へと向かっていく。

第3章 ボス戦 『羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』』


●羅紗は踊り、魔術師は嗤う
「おめでとう、諸君」

 拍手が、降り注ぐ。
 そして√能力者の眼前に降り立つは、白衣に奇異なる秘術を刻み込んだ魔術師、『アマランス・フューリー』。彼女は自身の差し向けた追っ手が全滅したにも拘らず、怒りに震えることもなく、むしろどこか喜ばし気な様子さえある。

「――ああ、そこなる『天使』たちを強引に奪うつもりはない。君達を相手にそんなよそ事に意識を裂けば、単なる敗北では済まないだろうからね」
 くつくつと。愉し気に。魔術師は嗤う。

「それで、どうだろう諸君。『取引』をしないか?」
 差し出す手には武器も魔術もなく、それは友好的に示された。
 だが。
「私たちは|新物質《ニューパワー》を求めている。それは共通の意識だ。我々は手を取り合えると思わないかね? |汎神解剖機関《きみたち》の技術と|羅紗の魔術塔《われわれ》の技術、双方を生かすことでより可能性は広がるはずだ。|連邦怪異収容局《FBPC》を出し抜けるのはお互い望むところ。何、見事先んじた君たちに先手を譲ろうというんだ、これ以上ない譲歩と言えるのではないかな?」

 欠けている。本来であれば、最も最初に、思い当たらなければならないことが。

「――ああ、君達。もしや|石油《・・》を燃やすことに同情を? |宝石《・・》を切り出す様を残酷だと? いけないな、それは思考の硬直と言わざるを得ない。よく見給え。神秘金属の身体に有翼、|それ《・・》はどう見ても――」

 この場に集まった√能力者たちの中に。
 ……その言葉の続きを、言わせるものはいない。

「宜しい。交渉は決裂だ。ここから穏便に、暴力で解決するとしよう!」

 森に嗤い声が木霊する。最後の戦いが、幕を上げた。

●解説

 『脱出ポイント』まで辿り着いた√能力者たちと、👿ボス『アマランス・フューリー』との直接対決となります。周囲にはたどった川が合流した大きな川があり、救助した『天使』たちは近くのボート小屋に身を隠しています。
 また、アマランス・フューリーが言及していた通り、戦闘中彼女は率先して『天使』たちを狙うことはありません。
 彼らを庇ったりする必要はなく、戦闘にのみ集中して頂いて大丈夫です。

 これが決着となります。何卒、宜しくお願いいたします。
赫夜・リツ
志藤・遙斗

 アマランス・フューリーの纏う白衣の紋様が輝くと同時に、白き靄が川霧の如くに立ち上る。不定の姿、不定の身体。写真ではないにもかかわらず視界の端に映り込むオーブ。
 奴隷怪異「レムレース・アルブス」。羅紗によって完全に魔術師の支配下に置かれた悪霊は、光で敵を傷つけ、涙で主人を癒やす。

 しかし――場に燈る光は、悪霊の嘆きだけではなかった。
 煙る視界を横切る蝶。幽雅なる羽ばたきに朱の浄火を宿し、溢す羽の粉が霧を裂く。
 蝶たちを統べる、いや、彼らから力を借り受けるは、|赫夜《かぐや》・リツ。
「うーん……」
 口を歪め、悩む心持ちが言葉として漏れる。
 対話を持ち掛けてきたのなら、平和的な解決もありうるか。そう思った。しかしそうはならなかった。羅紗の魔術師アマランス・フューリーの語る、|思考の硬直《・・・・・》。しかし彼にとってそれは、全く理解できない言葉だった。なぜならば。
「天使は材料って考え方しかできないのは、同じことじゃない?」
 √能力者たちが『天使』を救うべき対象として見る一方、魔術師は新物質の素材としてしか見ていない。一視点からの見え方しかしていないというのは、寧ろ相手の方ではないか?

 疑問を呈するリツへ、応答とばかりに飛んでくるのは羅紗の一撃。奇形の文字列が浮かんだ布は伸びる刃となり、彼の胴を薙ぎ払おうと迫る。
 ギャギィ、と。布と腕、という二つがぶつかり合ったとは思えない金属同士が擦り合う音。魔術によって強化された布を寧ろ削り落とすほどの硬度で、その血走った眼を忙しなく動かすのは、リツの腕を覆う異形『ギョロ』。
 平時以上にやる気を見せ、力を漲らせる友人と共に、リツは魔術師へ駆け出した。
 彼に添う焔の蝶は、彼に迫る無数の靄を灼き、敵への道筋を晴らすだろう。肘から前腕、掌に至るまでを黒い手甲にも似た外殻に覆わせたギョロとリツ。

 だが、一方で。嗤う魔術師は止まらなかった。
「人間災厄でありながら多数の怪異との共存共栄、人間の如き論理的思考と倫理観の付与。|汎神解剖機関《むこう》も中々面白い真似を」
 リツを見る目も又、探求心を擽るモノへの眼差しに過ぎない。対話をしようという意思など見えず、ただ独善的で淡々とした研究者のソレだ。
 そして、徐に手を挙げ、告げる。

 ――嘆け、と。
「ッ! ギョロ君、目ェ閉じて!」
 音のない絶叫と視界、いや身体をも切り裂く熱無き光。『嘆きの光ラメントゥム』が、迫ったリツを弾き飛ばした。

 さて、と。一人無力化を終えた。折角だ、『天使』の代わりに試しをしてみようか。そんな皮算用のまま布を伸ばす魔術師の頬を、弾丸が掠める。
「――おやおや」
 アマランス・フューリーの視線の先。
 煙る周囲に一層溶け込む輪郭の中、黒い服装と一点明滅する赤い灰がちらつく。咥えた|三本目《・・・》を一度離す|志藤・遙斗《しどう・はると》(普通の警察官・h01920)は、もう片方の手に携えた銃口と視線を、魔術師に向け続ける。
 魔術師はほうと息を漏らすだろう。見るからに、組織に属する彼であれば、自らが語る言葉への正当性も幾ばくか呑み込みやすいだろうと。
 しかし、彼は淡々と告げるのだ。
「いえ、『天使の保護』が上からの命令です。なので、お引き取り願えませんか?」
 お役所仕事。下された命令のままに、それを遂行する。|定型《マニュアル》的な言葉の裏には、背にした少年たちは保護すべき対象である、という明確な一線が敷かれている。
 ゆえに、交渉は成り立たない、と。

 残念だ、とばかりに溜息をついた魔術師に、警告なく放たれる銃弾。クヴァリフの胎から取り出された力を帯びた銃弾を放つ彼の銃は靄を裂き、防御のためと翳された羅紗を刻む白衣の力を削ぎ落す。
 それを封じんと影無き僕の悪霊が迫れば、霊剣の餌食。紫煙を帯びた彼の技の冴えは、姿なきものをすら断ち切ってみせる。

 弾丸は躱すほかなく、間合いに入れば一刀両断。
 攻防隙の無い遙斗を前に、魔術師はならばと強固に己を羅紗で覆い、瞑想に入る。呼び起こさんとするは、知られざる古代の怪異。刻まれた魔術紋の記録より遡り、敵を殺す化身を。

 だが。
 その瞑想は果たされない。
「!」
 黒煙。それは漂う僕のものでも、己の魔術によるものでもない。
 ごく自然な化学現象、発火である。

 ――刻まれた羅紗の魔術が力を弱められれば、元の素材は布。希少な怪異の素材を織り込まれた頑丈なものであろうとも、いやだからこそ、その裾は良く燃える。
 靄を飛び回る朱色の羽から零れる炎の鱗粉は、悪しきを浄めるものなのだから。

「ありがと、ヒイちゃん。それに遙斗さんも」
「いえ、むしろご協力感謝します」
 魔術師が謀られたと気付くには遅きに失した。
 霊剣による必殺を有しながら距離を保ち続けた遙斗の狙いは、刻まれた羅紗の魔術を弱らせること。吹き飛ばされたリツが早急な援護に回らないのは、この瞬間を待っていたから。
 そして、リツの|友人《炎の蝶》による|緋色の舞《ヒイロノマイ》で、この場に集った√能力者たちが、ここまでの戦いで追った傷や疲労を全て癒やしきるまでの時間稼ぎ――!

 完全な防御姿勢によってリツに負傷はなく。逃走の殿を務めた遥斗の疲労は癒やされ、煙も十全に満ちている。

 ――僕たる怪異に繋ぐ羅紗魔術によって一層締め上げ、最大の嘆きを吐かせようとするアマランス・フューリーだが。

「アナタの言う通りですね」
 川霧に溶け込んだ漆黒が背後を取る。気配もなく、ただそれに気づくのは全てが鼻を衝く紫煙の残滓の後。
「アナタに対して、一切同情することは出来ないようです」
 石油を燃やすこと。宝石を切り出すことに例えた彼女の言葉への答え。
 ならば同様に。職務を害する相手を下すことに対して、躊躇いなど存在しないと。

 そして。
「従えて、奪って、そんな事ばかりのあなたには負けない」
 完全なる同調。腕部を覆う黒色は拡がり、命を刈り取る鋭角と剛力を授ける。
 ――自らも人ならざるモノであっても、心を交わし、多くの力を得た。身に宿るもの、漂い踊るもの。それだけではなくここまでに辿り着く中で抱いたもの。
 信頼。鋭い刃にも身を守る鎧にも勝る、戦い抜くための力。

 朧の剣と赫黒の鋭爪が、白衣を切り裂いた。
 天を漂った魔術師は、地に墜ちる。

色城・ナツメ
ゼロ・ロストブルー
斯波・紫遠

「はは、地に堕ちたのは何世紀ぶりかな」
 手傷を負い、纏う羅紗を泥に浸しながらも、魔術師は尚も嗤う。
 それすらも、愉し気に。
 最もこれは|規定《ルール》の敷かれた試合などではない。手が付いたら負け、そんな生温い舞台の上ではないのだ。ゆえに、決着は、まだついていないのだ。

 ――ゼロ・ロストブルー(消え逝く世界の想いを抱え・h00991)は、手にした斧を握り直した。
 魔術師の語る|手を取り合う《・・・・・・》協力関係。だが、その言葉の意味に込められた意志を否定する。進化のための犠牲を容認したうえで。その犠牲に想いを寄せることもなく。ただパイの切り分け方だけを考慮するような物言いを。ゼロは決して容認できなかった。

 ――|色城《しきじょう》・ナツメ(頼と用の狭間の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00816)は、眼鏡を正し眼前の敵を睨みつける。
 魔術師の弄する甘言を、彼は一顧だにすることなく切り捨てた。多くの犠牲が生まれた『天使病』を、この魔術師が拡めたわけではない。その責任を追及するのはお門違い。彼の組織に属する者としての理性はそう判断しながらも。
 犠牲者を。あの兄弟を。『資源』とする物言いは、感情が一切受け付けない。

 ――|斯波・紫遠《しば・しおん》(くゆる・h03007)は、腰に提げた武器に指を這わす。
 彼にとって、魔術師の言葉に返答を考える必要はなかった。与えられた任務、そして自らが定めた不変の目標。『全員での帰還』。あの兄弟たちに渡したのと同じ蜜柑の味を口の中で転がしながら。紫遠はただ息を吐く。脳に染み渡る甘味が、思考を明瞭にするのを感じながら。

 魔術師が手を翳す。泥にまみれた白衣は再び持ち上がり、紋様は激しく輝く。そこから尚も、奴隷と化した悪霊たちは浮かび、悲鳴を上げる。無数の影は濃霧の如く漂い、一帯を覆い隠す目くらましとなるだろう。
 それを、切り裂く四つの刃。
 ナツメの刀。ゼロの双斧。紫遠の投げるナイフ。
 不定の霧をそれぞれが断ち切らんとする中で。自然と三人は背を預け合う形になる。

 その瞬間を、待ちわびていたかのように降り注ぐ光。
 ――しかしそれは希望の星光ではなく、怪異の齎す死の嘆き。

「信頼、協力、絆。連帯するのならば、纏めて潰す。私の解はどうかな、諸君」
 手を差し出し。持てる力の限りに下僕を締め上げ、悪霊の輝きを絞り出したアマランス・フューリーは問う。応答を、求めないその言葉に。

『残念ながら、不正解です』
 突き付ける返答は、機械的な合成の声。
 直後彼女へと殺到する二つの影は、地を這う紫の眼光と、羽搏く大翼を幻視する蒼の対刃。
「ふ、ッ!」
「ォ、ラァ!」
 交叉に振り下ろす重量を込めた斬撃と、膂力の全霊を載せた一刀。
 魔術師が驚愕に目を見開きながら――羅紗が切り裂かれるその瞬間と、その奥。
 仕留めたはずの煙の奥を見つめる。

 ――紫遠が自身の武器であるレーザーの管理を、所有する端末のAI『Iris』に任せていた。味方のために遠慮するな、その|指令《order》は完遂された。敵が包囲殲滅を試みることを見抜き、寧ろ敵が自分たちを仕留めにかかるその瞬間を狙い澄まし、敵の下僕をまとめて靄に紛れさせる霧状の光線で焼き尽くす。
 同時に囮に激しく発光させれば、敵の攻撃と自ら発した光線とは区別がつかない。

 態々号令を出されずとも、見逃すゼロとナツメではない。紫遠が作ったその間隙を狙い、得手とする接近戦に飛び込んでいく。
 ――交渉から、暴力へ。アマランス・フューリー自身が述べた事。
 ならば暴力とは、互いの思想をぶつけるものだ。

 ゼロは、能力を持たない。だが研鑽された身体と技術は、決して彼を裏切らない。握り籠めた自身の刃に込める祈りはただ一つ。この過酷なる世界でも、明日を笑顔で迎えたいと願う者の願いを、繋ぎとめること。
 ナツメは、激情を抱く。過酷な世界、理不尽な世界。理由なく奪われる幸福と理由なく襲い来る数々の苦難苦業。それを是とし啄むような手合いがいるのならば、それは必ず切り伏せると。
 大地を踏みしめ、全身に行き渡らせた力を発条のように弾くが如き、内から外へと切り払う斧の一撃によって、呪術の刻まれた白衣の壁を断ち切るゼロ。低い姿勢から懐まで最短距離を駆け抜け、師が生んだ切れ間に飛び込み袈裟懸けの斬撃を放つナツメ。

 連携は、完全に決まった。
 そう、そのはずだった。

 しかし、打ち倒したはずの魔術師の身体は蝋のように崩れ落ち、形を失くして地面に拡がる。
 変わり身。姿だけを似せた、古代の怪異。
 卑劣にも、敵は『逃げ』を打ったのだ。

 三人の目を欺いた魔術師は天へと逃れる。
 墜ちたことは素直に認めよう。それに、あの包囲を抜けた事も素晴らしい。だがだそれが負けた事にはならない。
 天使擬きは全滅したうえ、この戦力差では『天使』の確保は不可能。数的有利が覆された時点でこの結果は見えていた。ならばこれ以上は無益。
 ……合理を選び、向き合うことすら怠る魔術師は。
 ――自らが生み出した川霧の奥に待ち受けるものに、気付かなかった。

「悪いな、ここは土砂降りの|天気雨《・・・》予報でね」
 天高く昇った魔術師を打ち落とすのは、決戦気象兵器『レイン』。視界を覆う霧が満ちる地上に落ち、同じく視界が効かないことを利用した計略は、既に組み上がっていた。
 ヒットアンドアウェイや相手の動きを牽制する目的があった。本来であれば怪異の召喚も防ぎたいところだったが、敢えてここまでこの力を温存して、彼は援護に意識を裂いていた。
 ――徹頭徹尾。紫遠の目的はただ一つ。全員での、生還のために。
 息を吐く。そして、残った飴の名残を息に交えながら、胸いっぱいに息を吸った。

 降り注ぐレーザー光が、悪霊を焼き、魔術師を貫く。満ち満ちた霧も細雨に連なる陽光が差せば、忽ち除けられてゆく。
 そして、蒼が満ちていく。高い標高故に迫る空は深く、近い。
 ナツメは、無意識に天に手を伸ばす。
 世界は理不尽だ。無情で、悪意に満ちている。
 それでも『生きたい』、そう願うなら。
「――行くぞ!」
 三人を包み込む、心臓から湧き上がる熱気が、疲労を、傷を、すべての感情の澱を吹き飛ばすだろう。

 ゼロは目を見開いていた。
 空を仰ぐ弟子の姿。己の隣に立つ仲間の姿。脳裏に過るのは今の自分か、それともかつての姿か。何よりも、今自らの内から溢れるものの熱が。想いが。酷く熱い。
 今自分が間違いなく生きるこの|世界《ばしょ》で、今も戦っているという明確な実感だ。
「ああ、行こう」
 かつての自分を置き去るのではなく。その続きに今がある。
 だから、繋がなくてはならない。その先へと。

 それぞれが、武器を取り――打刀、厚刀、手斧。刃が閃く。

 ――ただ一陣の風が山を吹き抜ける。
 その後に残るのは、川の流れがせせらぐ、かすかな音だけだった。


 こうして、二人の『天使』たちは無事保護され、然るべき治療やケアを受けることになるだろう。
 決して、大団円とは言い難い。
 天使病に罹患し、|擬き《・・》と化してしまった多くの住人達が犠牲となった。唯一救いと言えるのは、彼らが羅紗の魔術師の手に堕ち、新物質の素材として尊厳を奪われることがなかったことか。

 世界は残酷だ。だが、それでも。
 天使の少年たちが告げた感謝の言葉と、彼らの明日を生きるという決意に満ちた眼差しが、決してこの世界が絶望と退廃、陰鬱な闇ばかりではないという確かな証左となるだろう。

 川は流れ、水は留まることなく流れ続ける。
 時が過ぎ、春が来るように。
 この戦いが、別の何かを救いうる道筋になるように。
 天使たちは、祈る――。

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