神に愛されたHz
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夜を迎え目覚める星々と、空にぽっかりと穴を開けたように立派な月の下。そんなありきたりな一日の終わりを舞台装置に、ひとりの青年が翼を広げた。それは明かりひとつもない廃墟においても美しく白い光を放つ、まさしく「天使」のもの。
「……大丈夫、大丈夫だ」
青年は自分に言い聞かせるように、何度もそう繰り返す。彼は善良で、心優しく、だからこそ、自分の変化を前にして誰も頼ることをせずひとりで身を隠すことを選んだ。――恐ろしい怪異を目の前にしても。
「あれは……オレを狙ってきてる。なら、オレが逃げれば……もっと先まで、逃げれば、家も学校も襲われない……大丈夫」
青年の息は荒い。ろくに休まず走りつづけてきたせいで、疲労が蓄積しているのだ。それでも、逃げなくてはいけない。彼はもたれかかっていた壁から体を離すと、ふらふらとした足どりで進もうとする。
青年は善良だ――しかし、それは勇気ではなく、度胸でもない。ただ、善良なだけのひとりの「天使」の手は、震えていた。
「――あぁ……こわい、こわいなぁ。嫌だ……でも、誰かが死ぬのは、もっと嫌じゃんか。そんな、そんなことあっていいはずない。だから……オレがどうにかしなきゃ……!」
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あなたたちを呼んだ星詠みの少女、黒須・乃愛(D.E.P.A.S.デパスの護霊「プリズマティック・ブルー」・h04519)は、開口一番「緊急事態」とつぶやく。
「まぁ、ウチが星詠みとしてみんな呼ぶときって大概がそうだけど、今回はガチのマジでやば案件。……√汎神解剖機関で、「天使化」した人間が出たの」
「天使化」。善なる無私の精神の心の持ち主のみが感染するという、ヨーロッパの風土病として√汎神解剖機関では知られている。情勢の複雑化や鬱屈が留まることを知らないこの現代においてはなくなったもの、とされていたが、なににあてられたのか――今回、人間の「天使化」が観測されたのだ。
「善良な人間の数こそ昔と比べたらそりゃ少ないだろうけど、決していないわけじゃない。でも……その「天使化」した人間は、オルガノン・セラフィムっていう「天使」になれなかった感染者から餌として狙われるし、あの『羅紗の魔術塔』が新物質(ニューパワー)のために捕縛しようともしてくる。ようは天使になって大変どころの話じゃない、その子はもう八方塞がりってわけ」
しかし、まだ助かるはずだ。乃愛の読んだ星のもと、あなたたちはここへ集まってくれたのだから。
「説明どおり、今回の舞台はヨーロッパ。そこでみんなには天使になった子――ハンナを助けてもらいたいんだ。……女性の名前だけど救出対象は十代の男の子。だとしても、こんな状況で一人なんて相当苦しいと思う」
善良で無私、だからといって、それはひとりの人間だ。ならば、一刻も早く彼の苦しみをすくいあげなければ。
「お願い、みんな」
ハンナ――神に愛された、ひとりの青年を救ってほしい。
第1章 集団戦 『群れた特異電磁体』

相手が一匹二匹の怪異なら逃げきれたかもしれない、だけれどこれは――ハンナは唇を噛み、自分に迫る怪異を見やる。黒く無機質な四肢に電気を纏ったそれらは、ない顏をハンナに向けたまま歩を進めた。
「ひ――」
怪異たる『群れた特異電磁体』は、その名のとおり大勢でハンナを取り囲み、穿つ雷による攻撃をためらいなく放つ。ハンナは目をつむり、声にならない悲鳴をあげた。助けを求めるように。
――そこに舞い降りたのは、ヒーローではない。神でも、天使でもない。ただ、ひとりの助けを聞き逃さなかっただけの『人間』であった。
「ごきげんよう、いい夜ね」
白くまばゆい満月をバックにそう微笑むのは、跳ねるようにハンナと敵の間へ飛びこんだ黒兎、リリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)。√能力【深淵】により、付近のインビジブルと自分の位置を入れ替えることで咄嗟の防御を可能としたのだ。
「天使という名に違わず素敵な羽ね。見惚れてしまいそう。まぁ……そんな暇がないのが残念だけど」
「え、え……?」
戸惑うハンナのもとへやってきた√能力者はリリアーニャだけではない。小明見・結(もう一度その手を掴むまで・h00177)もそのうちのひとりだ。あらかじめ携帯端末にインストールしていた翻訳アプリを起動し、ハンナとの会話を開始する。
「突然ごめんなさい。状況、理解できないと思うだろうけど……これから私たちがあなたを守る。私たちの力は、『これ』で信用してくれるかしら?」
そう言うと、結は√能力【忘れようとする力】でハンナの疲労と傷を癒しはじめた。それを見ていたケイル・ザプトー(嵐の目・h06503)は「ワリぃなあ、オレらの力じゃアンタに起きたイヤ~な事は忘れさせらんないけど」と言いながら、展開したエネルギーバリアで特異電磁体からの攻撃をいなしていく。
「いいか? 兄さん、よく聞いてくれ。いま来たオレらとこれから合流するヤツらは、とんでもなく強い『√能力者』ってヤツだ。ま、兄さんみたく天使になるほど善良かと言われたら怪しいのもいるが……それでも、間違いなく良いヤツらだ。だから一旦落ちついて、深呼吸だ。オーケー?」
ケイルのその言葉は――言葉にこめられた温かさは、翻訳越しでもハンナに確かに届いたのだろう。ハンナは少し、目に涙を浮かべながら深くうなずいた。
「こわかったのか? だよな、でももうだいじょうぶだ! あんな群れなきゃ戦えないやつらに、オレさまたちが負けるかよっ!」
御兎丸・絶兎(碧雷ジャックラビット・h00199)はハンナの背中を軽く叩いたあと、奮戦するリリアーニャの横へと飛びこんだ。それに気づいた特異電磁体は、己の体を省みることなく【サンダーアタック・エンプティ】による攻撃をおこなう――が。
「わるいな! ここからはオレさまの番だから――ハンナにかっこ悪いとこ、見せられないんだ!」
「そうね。彼が引け目なくこちらを頼ってくれるぐらい、優雅に『跳ねて』みせましょう」
絶兎は電撃耐性によって電撃攻撃を堪え、即座にカウンター技を放つと複数体の特異電磁体をまとめて吹きとばす。リリアーニャは再度インビジブルと自分の位置を交換し、華麗に回避を決めると、夜を舞台に闇に紛れ、相手を手玉にとってみせた。
「あの兎さんら、なかなかやるねぇ」
二人より少しうしろでハンナと結の防衛にあたるケイル。彼はそう言うと、結に「これからどうする? 兄さん、どこか別の場所に退避させるか?」と尋ねる。
「うーん……私としてはこちらの目が届く範囲で保護したほうがいいと思うけれど……。そもそもこのあたりの地理に詳しくないから安全な場所がわからないっていうのもあるし、仮に別の√に移動するとしても、そこに天使を狙う不届き者の魔の手が届かない保証はないわ」
「同感だな。オレらがいないときになにが起こるかわからないし、離れ離れになったら兄さんもまた不安になるだろ」
多分、あの二人もそうだろ――そうつぶやいたケイルの声が聞こえたのか、「方針としてはそれでいいと思うわ」「さんせー! オレさま、ハンナのこともっと知りてーし聞きてーし!」と返ってくる。乱戦状態だというのに、さすが兎というべきか。
「じゃ、兄さんには着いてきてもらう形になるが……大丈夫か?」
「大丈夫」ハンナは顔をあげ、前を見据える。「怖いことには代わりないけど、でも……オレを守ってくれる人たちを置いてひとり安全に、なんて嫌だ」
その言葉に応えるように、リリアーニャと絶兎は最後の特異電磁体を壁へと飛ばす。もう、ハンナを――皆を邪魔する『雑魚』はいない。
「なら、ここで立ち止まってるわけにはいかないわね。……先を急ぎましょう」
結がそう言うと、各々がうなずきハンナは立ちあがる。追手はまだハンナを狙っているだろう――しかし、あなたたちと共にいるハンナの表情に、怯えはなかった。
第2章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』

アマランス・フューリーの従える奴隷怪異を蹴散らしたあなたたちは、ハンナを守るようにして人気のない廃墟の街を歩く――市街地へ行くわけにはいかない、他者を巻きこまないようルートは慎重に選ばなければ。
大きな、まるで囀るような奇怪な声が響く。あなたたちの行く手を塞ぐのは、天使であるハンナを狙う天使のなりそこない――オルガノン・セラフィムの集団だ。趣味の悪いパッチワークの身体をぶよぶよと揺らし、あなたたちを片づけようと攻撃態勢に入る。
ハンナひとりであれば切り抜けられないだろう最悪の状況だ――しかし、もうハンナはひとりではない。
「無理だけはしないでくれよ、絶対……死ぬな!」
そう言うハンナにあなたたちは深くうなずいた。
オルガノン・セラフィムに最早知性らしきものは絞りカス程度もないらしい――彼ら天使のなりそないは、あなたたち√能力者を視界に入れると、金切り声をあげながら突進するように迫る。しかし、それに怯えるような√能力者ではない。ヨーロッパまでみすみす殺されに来たわけではない、助けるべき相手を助けるためにやってきたのだ。ここで犬死になど、笑えない。
「悪いけれど、ハンナとの約束を守らなきゃいけないの。――あなたたちの醜い羽は、すべて捥ぐわ」
リリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)はオルガノン・セラフィムへ過去の自分を重ねるも、その攻撃に容赦は一切ない。√能力【赤薔薇の呪縛】にてたぐりよせた必殺兵器をふりかざすと、オルガノン・セラフィムの先制攻撃を華麗に捌ききる。
「正直なところ、見てるだけで気分が悪くなるの。だから、その腕も、羽も、遠慮なく壊すわね」
その背後で、小明見・結(もう一度その手を掴むまで・h00177)はハンナを守るように構えながら、【大鎌鼬】で召喚した風の精霊を用いて反撃をおこなう。結は、オルガノン・セラフィムがどうしてオルガノン・セラフィムという怪異になってしまったかを知っている――だからこそ、唇を噛んだ。
(あの怪異も、天使化の被害者なのよね……助けられるのなら助けたい。それはそう。……でも、もう『成り果てて』しまっているみたい。それに羅紗の魔術塔の人が操ってるって話も聞くし……もしそうなら魔術士の人も近くにいるはず。下手に手加減した結果倒しきれずに、彼らと魔術士の人を同時に相手取るなんて展開がきっと最悪。せめてそれだけは避けないと)
結は心優しくも、決して愚鈍ではなく、ゆえに自分の無力さを痛感する――もちろん、ここにいたのが結でなかったとて、オルガノン・セラフィムを元の人間の身に戻すなんて無理な話だ。しかし、それでも、と結は願ってしまう。こんな終わり方、と悔やんでしまう。
「情けは捨てなさい」
そんな結へ、リリアーニャが声をかけた。彼女はオルガノン・セラフィムが一体の腕をぶちりともぎとると――吹きだす血を頭から被さりながらその腕を別の個体へぶつけ、その身体を落とす。
「いまは『助けられる命』が最優先よ。ハンナはまだ助かる。でも、この不完全な存在たちは無理。もう、癒してどうにかなる次元じゃないわ」
「――……っ」
「それでも」リリアーニャは続けた。「それでも、すべてを救えなくとも、私たちには、ひとつの願いに応えるだけの力はあるわ」
たとえ何者になれなくとも、世界に泣かされようとも、その手に√能力があるなら、力を――ワガママを、貫きとおすしかない。それこそが、能力者としての矜恃なれば。
「……戦うって、どうしてこう、毎回毎回……苦しくなるのかな」
結はそう、ぽつりとつぶやく。それでも、ハンナの手は握ったまま、離さなかった。
夜空をバックにひとつのエアバイクは駆け、搭乗者である深雪・モルゲンシュテルン(明星、白く燃えて・h02863)は己が繰る浮遊砲台から躊躇なく攻撃を放つ。神経接続型凍結砲<氷界>――凍てつくように冷たいその弾丸は、曲射しながらオルガノン・セラフィムたちのいる中央へ着弾した。軋むような大きな音とともに、オルガノン・セラフィムの身体はみるみるうちに脆く崩れていく。
「オルガノン・セラフィム。既にこれだけの人数が感染していましたか。さすがに予想外ですが、それでも目標に変わりはありません」
深雪はそう言いながら、勢いよく横にスライドし、片足とブレーキでエアバイクを止める。
「おわぁあ!? なんだなんだ、バイク!? うおお、かっけー!!」
そう言いながら目を輝かせるのは御兎丸・絶兎(碧雷ジャックラビット・h00199)。深雪はそんな彼に軽く会釈しつつ、「助太刀します」とつぶやくと再度エアバイクを唸らせた。
対するオルガノン・セラフィムは――先ほどの深雪の一撃により身動きがままならない個体も出たものの――√能力【聖者本能】で立てなおしをはかりつつ、重ねるように【生存本能】で攻撃をする。対象はすでに攻撃態勢である深雪と、フェイント攻撃を果敢にしかける絶兎。しかし。
「おんみつなんてたいしたもんじゃねー!! さいきょームテキのゼットさまの力、見てみろ!」
その名乗りは決して驕りではない。絶兎は【逆・転・兎】ですぐさま先制攻撃への反撃を繰りだす。ようは、相手が隠密状態になるより前に倒してしまえばいい――だいぶ荒っぽい作戦ではあるが、それを実現してしまえるのだからたいしたものだ。
「どうだ! こそこそ隠れるひきょーものなんて一撃だ!」
「頼もしい限りですね。自分はそこまでの芸当はできないので――火力で押させていただきます。お気をつけて」
深雪が握るは対WZマルチライフル。それをビームバルカン形態に切り替えると、一気に放つ。ビームは弾幕として辺り一帯を埋めつくす、これでは隠密だろうがなんだろうが関係ない。オルガノン・セラフィムは自らの皮膚がズタズタに割かれ、焼かれる感覚に悲鳴をあげた。その声に、絶兎ははっとなるが、首を横に振る。
「……でも! オレさまは、今生きてるヤツを助ける! そうするって決めてる! 今は、ハンナのことだ! だからオレさま、止まんないぞっ!」
そう。自分のうしろには、守るべき天使が――ハンナがいる。ならば兎は跳ねるのみ。ただ、狩るべきものを狩るのみ。
「敵性体は排除します。それだけです」
√ウォーゾーンの激しい戦禍を知っているからこそ、深雪はオルガノン・セラフィムへ戸惑いなく銃口を向ける。少しでも躊躇えばそこで自分が死ぬのだから。
「夜明けはまだだけど! 寝てるひまなんてねー! 朝日がのぼるまでにたおすぞ!」
「了解です」
機械人形と兎。互いに思うことは異なれど、向く先は同じだった。
第3章 ボス戦 『羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』』

あなたたちは強襲を耐えしのぎ、オルガノン・セラフィムを一掃することに成功した――夜明けも近い。少し白んだ空が、あなたたちを労うように一筋の光を彼方に見せる。
――しかし。
「まだ――終わりではあるまいて」
音もなく降り立ったのは、純白の衣を纏い、爛々と輝く光輪を背負った、戦乙女のような出で立ちの女。
「ここまでの時間稼ぎご苦労。想定外だったよ。『天使』がこの時代に生まれたことも、こちらの奴隷怪異やオルガノン・セラフィムすべてを捌ききったことも。……しかしここからは想定内。この私、アマランス・フューリーが『天使』を手中に収めるのだ」
そう歌うように語る彼女こそ、かの羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』その人。あの羅紗の魔術塔に属する強力な簒奪者――しかし、あなたたちには役目がある。
「ほう。その目……素直に従う、といった選択肢はないのか。あまりに愚かだな。『天使』一匹、これから生きていくにも不都合だろう。ならばそれを有効に活用しようという考えはないのか?」
どこまでも自分本位な思考を連ねるアマランス・フューリー。あなたたちのうしろにいるハンナは、悔しそうに歯を食いしばる。
「ここで抵抗してなにになる? 自分に歯向かい無駄死にした人間に墓を用意するほど、魔術塔の魔術士に情けはない。――それでもいいというのなら」
アマランス・フューリーの羅紗が光を放つ。陽の光をかき消さんばかりの眩さだ。
「殺してやろう。骨も残さない程度に、遊んでやる」
これは決戦だ。
あなたたちは、神に愛されたひとりの子を、魔の手から守り抜かなければいけない。神の微笑みを待つだけで天命が為されることはないのだから、あなたたち自らがその手で切り開かねばならない。
――真の夜明けを、導いてほしい。
「……ムダに輝く目に悪い女が現れたわね、おまけに無駄口も多いときたわ」
リリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)はため息混じりにそう言うと、「ああ、ごめんなさいね」と続ける。
「改めてごきげんよう、魔術士さま」
「ほう、このような場において礼節を重んじるとはな。それがなにを意味するか、わからないほど愚鈍なのか?」
「いいえ、私は傲慢よ。あなたと同じで。だから、ハンナを渡す気は毛頭ないわ。殺られる前に――殺ってあげる」
アマランス・フューリーはその言葉に答える代わりに、【純白の騒霊の招来】にて召喚した奴隷怪異『レムレース・アルブス』で、【嘆きの光ラメントゥム】を放ってみせる。しかし、その光をたたき落とすようにリリアーニャは反撃し、それを開戦の合図とした。
「畜生の爪ごとき、なんの役にたつと?」
「あら、兎のわりには立派な爪でしょう?」
√能力【本能】によって反撃と回復を済ませたリリアーニャはそのまま、アマランス・フューリーの羅紗目がけて爪をたてんとする。
「彼らはあなたの所有物じゃない、彼らの人生は彼らのものよ。これ以上、あなたに奪わせたりなんかしない」
リリアーニャのうしろ、風の精霊を召喚してハンナの守りを固めるのは小明見・結(もう一度その手を掴むまで・h00177)。
(私は……ほかの√能力者の人と比べたら非力。でも、こんな理不尽、こんな無茶苦茶、黙って飲みこめるわけがない!)
ゆえに結は、アマランス・フューリーの前に立つ。非力ながら非凡な少女のわがままを、傲慢な白の女王は鼻で笑った。
「彼ら? 貴様らは家畜にそのような言葉遣いをするのか、礼節というのは適切な場所と相手にふるまうものだろう」
「違う! 彼らはいままで平穏に暮らしてきて、大切な人だっていて、それが突然壊れて……そんな相手をどうしてこれ以上傷つけようなんて思えるの!?」
「やはり、塔の外の人間の考えることは理解に苦しむよ。感情論がなんの得になる? 羅紗の魔術士の目の前に来てまでして言いたいことがそれだけなら、貴様の命は羅紗に刻む価値もない」
アマランス・フューリーは奴隷怪異『レムレース・アルブス』の向かう先を結へ定める。――目的は融合。そのまま殺してしまおうという算段なのだろう。
しかし、結は逃げようとせず、アマランス・フューリーの真正面に立ったまま。それは蛮勇ではない――確信だった。
自分は決して、ひとりではない。
「ひとつ言っておこう」
声が響く、同じ場所同じ時間――別の√で。
「私は人間ではないよ。ゆえに骨もない。だから、そんな私を君がどう『調理』するか見ものだね」
瞬間、奴隷怪異の身体がざくりと裂ける。防御無視の絶対的な斬撃により、奴隷怪異は地に伏せ、苦しみながらのたうちまわる。
「……ほう」
博覧強記たる羅紗の魔術士は、その攻撃が自身がいま属する√とは別の√から放たれたものであることを瞬時に理解する。
「どうかな? 君が言う家畜――人間でない存在に一矢報われるのは」
薄ぼんやりと光る夜空をバックに、ひとりそうつぶやくのは、アルデ・ムーリガー(お弁当の緑のギザギザの付喪神の屠竜騎士・h05416)――消耗品(バラン)の付喪神たる騎士だった。別√からの一方的な援軍。それに続くように、結を守るように飛びだすのは秋津洲・釦(血塗れトンボ・h02208)。リリアーニャの攻撃でちぎれた羅紗、そこに刻まれた記憶から得た呪いの亡霊による攻撃で、アマランス・フューリーの次のアクションを妨害する。
「僕だって小悪党だけどねぇ、いや、だからこそ自分の得にならない横暴は嫌いなのさぁ」
ひひ、と笑う釦。アマランス・フューリーは【記憶の海の撹拌】発動に必要な瞑想を不可能と判断すると、身に纏う羅紗で【輝ける深淵への誘い】を放つ。ダメージこそ微弱だが、この技で隙を作り、新たな奴隷怪異の召喚や他の技に繋げようという考えなのだろう。
「させないわ」
リリアーニャはそう言うと、軽やかに跳ね、渦をまくようにのびる羅紗を爪で切り裂いた。
「羅紗がそう簡単に尽きるとでも」
リリアーニャへ集中攻撃を繰りだすアマランス・フューリーだが、それを阻害するように一陣の風が吹く。結の呼んだ風の精霊も、また尽きない――いままで√能力者が結んできた勝利の数は、これだけで終わらない!
「これ以上なにも奪わせないわ! ハンナも、それ以外の『天使』も、仲間の命だって!」
「いいねぇ、僕、そういうまっすぐなの嫌いじゃないよ? なぁんて」
リリアーニャを守るのは風の精霊と、釦による呪いの亡霊。不可視の力へ対抗するように、アマランス・フューリーは再度奴隷怪異を呼びよせようとするが、それを【私の姑息な斬撃】が妨害する。
「声も届かないだろうが、覚えておくと良い。『遊んでやる』と言いながら『遊ばれる』感覚をね」
アルデの斬撃によりさらに羅紗はちぎれていく。それでも、アマランス・フューリーは余裕の表情を崩さない。先ほど告げたように、羅紗はまだ潤沢にある。力量もリソースも、こちらのほうが圧倒的に上だと――そう考えていた。
アマランス・フューリーはいままで、力と量でねじ伏せる瞬発的な戦いばかりを経験してきた。
ゆえに、気づかなかった。
削れた羅紗によってできたほんの少しの隙間――それが相手にとってどれほどの好機か。たとえその偽の輝きが尽きなくとも、一瞬でいいから光の先を切り開くことこそが狙いだというのを。
「くらいなさい。その真白の衣を血で染めてあげるわ」
リリアーニャの獣の爪は、眼前のアマランス・フューリーを捉えた。
「羅紗なんて高級品、アンタにはもったいないよ」
「これが、私の、私たちの怒りよ――!」
亡霊と精霊がリリアーニャを援護するように舞い、アマランス・フューリーの回避を不可能にする。
「さぁ、同胞よ。そして『天使』よ。ここらで一矢報いようではないか!」
アルデの一撃が、アマランス・フューリーに新たな隙を作った。
「――いけ!」
そう叫んだのは、√能力者か、ハンナか。
リリアーニャの爪が、アマランス・フューリーの身体に傷をつけ――輝きが乱れる。
アマランス・フューリーの肉体へ一撃を与えた、それがどれだけの偉業であるか。――そして、彼女にとってどれだけの屈辱であろうか。「二度はない」とアマランス・フューリーは吐き捨て、【輝ける深淵への誘い】によって禍々しい光を放つ文字列を乱舞させる。
しかし、ここでこちらの優勢を途絶えさせるわけにはいかない。√能力者たちはそう判断し、迎撃に打ってでる。
「小を殺して大を生かす発想を否定はしませんが……犠牲とは覚悟ある兵士が払うべき代価であって、非武装の市民に強いるものではありません。ゆえに、ここでその性根ごと潰させていただきます」
深雪・モルゲンシュテルン(明星、白く燃えて・h02863)はそう言うと、その空色の目を大きく見開いた。瞬間、背筋を電流のような感覚が走り、それが一気に外へ放たれる。
「使用申請。各セクションからの使用許諾確認。召喚準備。コントロールテスト完了。脳波接続完了。――【超過駆動・大軍掌握】」
それは正しく、大軍(バタリオン)。彼女の脳波が接続された移動型浮遊砲台は一台にとどまらない――√能力者である全員が掴みとった勝利の数だけ、兵士は現れ、その砲塔すべてをアマランス・フューリーへ定める。
「そのようなガラクタでなにをしようとムダだ」
「試してみましょうか。手負いの魔術士」
深雪のその挑発が癪に触ったか、アマランス・フューリーは【純白の騒霊の招来】で奴隷怪異「レムレース・アルブス」を召喚する。しかし、奴隷怪異がアクションに移るより先に、深雪の従える砲台がそれを捉えた。上下左右、隙などない一斉砲撃は無慈悲に奴隷怪異の身体を貫く。
「油断しないほうがいいよ! こっちにはまだいるんだから!」
そう言ったのはアハル・ティ・プワトル(いっかだんらん・h00676)。【渦中の夢】で狙うは奴隷怪異とアマランス・フューリー。飛距離も弾道も必要ない、凶悪な震動が彼女らにまとめて襲いかかった。
「ええ。さて、『後輩』の手助けをさせていただきましょうか」
第四世代型・ルーシー(独立傭兵・h01868)は深雪の姿を見てそうつぶやくと、躊躇なく戦闘モードを起動させる。それは彼女を冷徹なマシーンへと変貌させる√ウォーゾーンの慈悲なき発明――しかし、それが人類の未来に繋がるのであれば。
ルーシーは砲台を足場として飛びあがり、アマランス・フューリーに“WZ”パルスブレードの切っ先を向けた。軽量機体であるがゆえの圧倒的なスピードに、アマランス・フューリーはいままでどおりの余裕をもった反撃が叶わず、接近を許してしまう。
「どうしましたか? まさか、このように追いつめられたのが初めてで――対処の方法すら知らないと?」
「ほざけ」
「こちらのセリフです」
アマランス・フューリーだけを見据え、深雪は戦場を駆ける。その動きを守るのは砲台だ。ときに囮としてときに盾として、深雪の動作がアマランス・フューリーに潰されてしまわないよう、追いたてるようにレーザーを放つ。
「ほら、逃げないほうがいいよ! じっとしてて、もう!」
アハルはそう言うと、自らの護霊からのばした粘土の腕――数本の触手でアマランス・フューリーを捕らえようとする。羅紗から放つ攻撃、奴隷怪異の召喚でその場をしのごうとするアマランス・フューリーだが、そこに気をとられると猛攻をしかけてくるルーシーの対処に間にあわない。ルーシーを捌こうとすれば深雪の砲台によるレーザーが動きの邪魔をする。
苦戦であった。
劣勢であった。
ありえない――現実であった。
「なぜだ」アマランス・フューリーは唸る。「天使一匹――捨ておけばいいものを!」
それに答えるように、ルーシーの斬撃が羅紗を絶った。
「敵性、排除、続行」
「言葉の通じないガラクタが!」
それを遮るように、アハルの触手が羅紗を握りつぶす。
「いい加減観念して!」
「中身のない死人が!」
それを咎めるように、深雪の戦闘工兵用鎖鋸がアマランス・フューリーに向かう。
「なぜ――歯向かう!」
「答える義務はありませんが」深雪は続ける。「あなたの言うガラクタが、死人が――√能力者が、人の日常を守ることが、そんなにおかしいことでしょうか」
自己がない、心がない。それが、なんだというのか。
それが、世界を守らない理由になるというのか。
そんなはずがないだろう!
深雪は、彼女の一瞬の隙を狙い獲物を振るう。それを避けることは叶わず――アマランス・フューリーは叫んだ。
「羅紗の魔術士が――貴様らごときに――!」
「ええ、負けました」
攻撃の手を止めぬまま、深雪は言う。
「負けましたね。ガラクタと死人に」
「き――さまぁぁぁぁぁ!!!」
羅紗は輝きを失いはじめ、辺りに満ちていた白い光は消えていく。その向こう、山筋に光る太陽が見えた。
それは紛うことなき、夜明けである。
「……朝だ」
ハンナがようやく、口を開いた。
「ああ、あ、朝だ……」
その頬には、いくつもの涙がつたう。
「生きて、生きてるんだ、オレ、みんなの、おかげ、で――!」
そんな彼に、あなたたちはなんと言葉をかけるのだろうか。ひとり怯え、苦しんで、それでもあなたたちを最後まで見守った彼を、労うか、褒めたたえるか。どの言葉を選んだにせよ、ハンナはこう言うだろう。
「ありがとう」
ひとりの『天使』は、神の寵愛がなくとも――たしかに救われたのだった。