花竜のミモザ・アカシア
●翳る光
──今日も、一文字も書けなかった。
閉店まで粘ってからカフェを出ると、すっかり陽は暮れていた。
すぐ脇には、店のトレードマークになっているミモザの木。
光が咲いたような眩い黄色の花も、月明かりの元では青白く|翳《かげ》って見える。
それが酷く悲しくて、青年は目を伏せた。
俯きながら歩けば、肩にかけた鞄が余計に重く感じる。中身は愛用のノートパソコンだが、もう長い間、開いては閉じるだけの置物と化している。
青年の名前は|銀葉《ぎんよう》。
本名ではなく、|筆名《ペンネーム》だ。
十代で作家デビューして、天才と評されたこともあった。応募作がヒットし、そのままシリーズ化した。人気絶頂の中、続刊がぷつりと途切れたのは二十代の半ば。そして三十路を超えた今、世間から忘れられつつある作家。
それはいい。僕が忘れられるのはいい。
でも、彼女が忘れられるのは──。
「……なんとおいたわしい……」
いつの間にか、正面に人影が立ち塞がっていた。
青白く不気味な肌色は、月明かりのせいではないだろう。異様な装いは、継ぎ接ぎだらけの身体を鎖で繋ぎ止めているようにも見える。
「わたくしどもが、あなたさまをお救いいたします! 輝かしき|真竜《トゥルードラゴン》の力を取り戻すために、わたくしと一つにおなりください……!」
不気味な女が、巨大な剣を振り上げる。
死ぬのかなと、銀葉は妙にゆっくり考えて。
最期に。
それもいいかな、と、思った。
●花竜のミモザ・アカシア
星詠みの|瑠璃《るり》・イクスピリエンス(ハニードリーム・h02128)は、人が集まったのに気付くと、読んでいた文庫本に栞を挟む。
「『喰竜教団』の事件、知ってる?」
竜を崇める怪しい教団が、戦う力を持たないドラゴンプロトコルを殺して回っている事件。
教祖の『ドラゴンストーカー』は、殺した相手の一部を自身に移植し、「強き竜の力と姿を取り戻させる」と嘯いているらしい。
最近有名だよね。肩を竦めつつ、軽く説明を終えて。
「ボクも星を詠んだんだ。ドラゴンプロトコルの作家さんが狙われる」
作家の筆名は『|銀葉《ぎんよう》』。歳は三十を過ぎているが、線の細い文学青年といった風貌で若く見える。短い銀の角があること以外は人と変わらず、力もない。
「彼の代表作は『花竜のミモザ・アカシア』っていう小説でね。その名の通り、ミモザっていう女性が活躍する冒険活劇さ!」
主人公のミモザ・アカシアは十代の少女でドラゴンプロトコル。ふわふわの金髪をポニーテールに纏め、金の羽毛に覆われた、小さい翼と尻尾が生えている。
ドラゴンらしく強欲で、宝石類に目が無くて、日々お宝を探しにダンジョンへ挑む。
「かわいい見た目に似合わず、がめついミモザに決まった仲間はいない。でも彼女は精霊銃の名手でね、どんなピンチも二丁拳銃で乗り切っちゃう!
照れ屋だから言わないけど、実は正義感が強いのも魅力だね。悪党には絶対従わないし、苦労して手に入れたお宝を、困ってる人に分けちゃったりもするんだ!」
──あたしは、あたしのやりたいようにやるだけよ!
傲岸不遜で天真爛漫。強くて、ちょっと不器用なミモザ・アカシアは、多くの読者に愛された。
「でも、銀葉さんは数年前から作品を出してない。……なんだか、気力がないみたいなんだ。狙われた時も、抵抗してなかった」
予知の光景を思い出したか、瑠璃は辛そうに顔をしかめた。
「行きつけのカフェに行けば、彼にはすぐ会える。けど、いきなり護衛したいって言っても、多分断られそう。できたら、最初に少し仲良くなれるといいなって」
そこで、だ。
どさっと、瑠璃が能力者たちの前に積み上げたのは、文庫本の山。
そう、『花竜のミモザ・アカシア』シリーズの既刊だ。
「銀葉さんも、ファンが話しかけてきたら無下にはできないはずだよ! 話のきっかけになるから読んで……というか依頼抜きでも面白いから読んでみてよ!」
銀葉は書こうとしていた。自分の紡いできた物語が嫌いになった訳ではないのだ。
過去作を読んで好意的な感想を伝えれば、一時的でも気力を取り戻すのではないか。
「ボクもすっかりファンになっちゃった。みんなもきっと気に入るよ」
仲間たちへ期待の眼差しを向けて、瑠璃はにっこり微笑んだ。
──と、最後に。
「これは、予知じゃなくて、噂で聞いたんだけど」
瑠璃は本の山に目を向けながら、伝えるかどうか少し迷った様子で。
「ミモザ・アカシアには、モデルになった女性がいるらしいんだ」
彼女が今、どうしているのかまでは分からない。
ただ、銀葉の様子を見ていれば……少し、想像はできた。
第1章 日常 『お話を聞いてみよう!』

●断章~花の記憶~
「ええと。久しぶり、冒険は……どうだった?」
ミモザの花が綺麗な、いつもの喫茶店。
僕がおずおずと切り出せば、予想通り君は頬を膨らませる。
「もう散々よ! 骨折り損ってやつ!」
コーヒーが冷めるのも構わず、君は語る。ダンジョンのトラップがどれだけ大変だったか。戦闘での失敗談や、仲間のうっかりエピソードを、事細かに語り続ける。
「あーあ、銀ちゃんの書くミモザは格好いいのに……」
ようやく話が尽きたところで、君はそう、ため息を吐いた。
僕は必死に言葉を探す。文字なら書けるのに、舌は驚くほど回らない。
「冒険に挑む君は、すごく格好良いよ。ミモザが冒険できるのは、君のおかげだ」
すると君は目を瞬いて、はにかんだように笑ってくれた。
「あはは。名作の参考になるなら、冒険者続けてる甲斐があるかな!」
●一章『|蕾《つぼみ》たちの冒険』
コツン。
通りに面した窓が叩かれる音で、少年は目を覚ました。
まだ夜は明けていない。手探りで眼鏡をかけると、慌てて窓辺に駆け寄る。
「ミモザ……本当に行くの……!?」
声を潜めて慌てる少年に、ミモザと呼ばれた少女は満開の笑みで。
「当然よ! 禁域の森、今夜こそ制覇してみせるわ!」
これが花竜のミモザ・アカシア、最初の冒険。
少女と少年が故郷で過ごした、最後の夜の話。
●集う花々
カフェの扉を開くと、古めかしいカウベルが鳴った。
店員の挨拶を軽く躱し、ラーシェ・リンド(光束ね・h06139)はキョロキョロと店内を見回す。首を動かす度に、ぐるりと巡る傷跡が痛々しく歪むが、当人に気にした様子はない。
「お、あの人か?」
窓際のテーブル席で、ノートパソコンを開く男性に目が留まる。髪から覗く銀の角と、眼鏡をかけた細面は、事前に聞いていた作家の特徴そのものだ。
古風なカフェでは些か目立つ容姿のラーシェが、無造作に近付いても反応はない。
「どうも、作業中に失礼」
「……」
「……失礼? 作家の『銀葉』さん?」
「……。……え!? ああ、そう、ですけど?」
二度声をかけてようやく、眼鏡をずり上げながら見上げてくる。
よほど集中していたのかと、パソコンの画面を盗み見て、ラーシェは微かに眉をひそめた。
だが、すぐにニヤリと目を細め、彼なりの愛想で笑みかける。
「オレはラーシェ、冒険者の端くれみたいなもんだ。同業のよしみってやつか、最近ミモザシリーズを読んでハマってな。作者がいるって聞いたから会いに来たんだ」
銀葉が眼鏡の奥の目を瞬くうちに、ラーシェは向かいの席へ腰かけた。懐から、ミモザシリーズの一冊を取り出して、ぱらぱらとめくり始める。
「……すげー面白かった」
──あんまり小説とか読まない方だけど、熱中して読んだぜ。
語る青年の目には間違いなく、憧れのきらめきが宿っていて。衒いのない誉め言葉に、作家の瞳にも、微かな光が灯る。
「『花竜のミモザ・アカシア』!」
そこへ、まさに花のような明るい声色が続いた。
ゆるくウェーブのかかったプラチナブロンドは、少し花竜のミモザにも似ている。しかし、少女の可憐さには、竜より|妖精《ニンファ》の例えが相応しそうだ。
「わたしも知ってるわ! ……実は、本はあんまり好きじゃないけど、おじいちゃんからのお勧めでね」
悪びれず、快活に笑ったのはネニュファール・カイエ(人間(√ドラゴンファンタジー)の未草の|精霊銃士《エレメンタルガンナー》・h05128)だ。聞けば、彼女の祖母も冒険者らしい。
「ミモザがおばあちゃんの若い頃に似てるんだって」
手の込んだ惚気よね、なんて肩を竦めつつ。結局、|孫の代《ネニュファール》までファンになってしまったそうだ。
「だって、すっごく面白かったの♪ 作者がこんな近くにいたなんて! 会えて嬉しい、感想を伝えたいわ!」
……『花竜のミモザ・アカシア?』 『銀葉先生?』
朗々たるネニュファールの声が、店内にさざ波を広げてゆく。
とはいえ、大半の常連客は銀葉の存在を承知らしく、騒ぎにはなっていない。
集まってきたのは、普段このカフェでは見かけない、数人の若者たちだけだ。
「突然すみません。……実は私も、『花竜のミモザ・アカシア』シリーズ、ファンなんです」
フレアスカートを優雅にゆらして進み出たのは、菫色の髪の少女。柔らかな白のブラウスに、チェリーピンクのカーディガンという装いは、清楚ながらも春らしく華やかだ。
「ミモザみたいな格好良い冒険者になるのが私の夢でして……あっ、いえ、勿論、実際に冒険には出られませんが」
銀葉のみならず、店中の視線が集まっているのに気付き、慌てて首を振る。
|竜宮殿《りゅうぐうでん》・|星乃《ほしの》(或いは駆け出し冒険者ステラ・h06714)は、二つ名が示す通り冒険者『ステラ』としての姿も持つ。だが、今回はあえて箱入り令嬢の『星乃』として名乗った。
「ミモザのように強く、勇気を持って生きたいという気持ちは……本物です」
依頼を受ける前から、ミモザシリーズの熱心なファンだったという星乃は、言い添えて頬を染めた。
「私は最近読み始めたけれど、ファンになる気持ちも分かる。素敵なシリーズだと思うわ」
長い黒髪をなびかせて頷くのは、星乃と歳の近い少女。
|小明見《こあすみ》・|結《ゆい》(もう一度その手を掴むまで・h00177)と名乗った彼女は、敬愛を込めて銀葉を見つめる。
「確か、十代でプロになられたのよね。私と同じくらいの時に……凄い」
何かを作りだしたり、自分の内にあるものを外に表現できる者──総じて『創作者』か『表現者』とでも言おうか。そういった人々を、結は素直に尊敬する。
√能力者であることを……なってしまったことを除けば、彼女自身はごく普通の女子高生であるから。
「もしお邪魔でなければ、先生とお話できませんか?」
「作家さんとお話できるって、滅多にない機会だし嬉しいわ」
丁寧に頼む星乃と結の後ろには、更に小さな人影も二つ。顔を覗かせアピールしていた。
銀葉は茫然と聞いていたが、ようやくここで目を見張る。今更ながらに慌てた様子で、ノートパソコンをぱたりと閉じた。
彼が隠した画面に映っていたのは、白紙の原稿だ。
ラーシェは一瞬、目を伏せた。
ところでその頃、店の外。
ミモザの下に据えられたベンチにどっしり腰を下ろし、本を読み耽る屈強な男性が一人。
読み終えた一冊をぱたりと閉じて、深く、長い息を吐く。
「……此度の巻も読み易く、素晴らしかった……」
ガラフ・ラハ・ラグターク(波濤のガラフ・h04593)は武の極みに至らんと鍛錬を続ける|格闘者《エアガイツ》にして、決戦型|WZ《ウォーゾーン》の繰者だ。
「続きを読む手が止まらん所為で、切り上げ時が分からん……」
そんな猛者も、読書あるあるからは逃れられなかったようだ。目を酷使したせいで、眉間に寄った皺を揉みほぐす。
「物語とは斯くも心を震わせるものだったのか……いや、それだけ作者の込めてきた想いが強いという証左だな」
感慨深く呟いたところで、急に名を呼ばれた。
細く開いたカフェの入り口から、結が「ガラフさん、大丈夫?」と手招きをしている。
「しまった! 読書に夢中で出遅れたか!」
手早く、しかし丁寧に本を片付けるとカフェに向かう。
……誰よりも深く、物語に魅せられた者に会えるのだな。
我知らず、格闘者の足取りは弾んでいた。
●二章『幼竜の巣立ち』
禁域の森の奥で見つけたのは、この世ならぬ神秘の花園。
滅びゆく古き精霊に残された、最後の拠り所。
「……なんて言われちゃ、噂も広められないわね。残念だけど、今夜の冒険は二人だけの秘密よ!」
少年も懸命に頷いた。『二人だけ』という念押しに、不思議と胸が温かくなる。
だが、夜明けの森を出たとたん、彼らは武装した集団に捕まった。
暴れるミモザを片手で押さえ、リーダーらしきエルフの女が言う。
「**町のガキかい!? ……戻っても無駄だ。あそこはダンジョン災害に襲われた」
近くにあったダンジョンが形を変えて、深層から強力なモンスターが溢れ出した。
たった一晩で、町は魔物の群れに呑まれたのだと──。
●話に花の咲く
カフェの店主が気を効かせて、奥の半個室を貸し切りにしてくれた。
熱心なファンがここを突き止めて訪れることは、以前から稀にあったという。
「でも、久しくなかった、から。驚いて。少し古い作品なのに、こんな……若い子たちが」
訥々とした口調ながら、喜色を滲ませ銀葉が言う。目線を向けた先には、床に届かぬ足をきちりと揃えて座る、行儀のよい幼子が二人。
「やつではとても興味を持ちました」
ノンカフェインでお願いします。という注文で運ばれてきたルイボスティーを程よく冷ましつつ、|黒後家蜘蛛《くろごけぐも》・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)は口を開く。
「人のことを学ぶため、コミック、小説、フィクションを勧められるまま多く目にしてきましたけれど」
黒のヘッドドレスで飾られた黒い髪。ゴシック調の愛らしいドレス。大切に育てられていることが一目で分かり、少々大人びた雰囲気にもどこか納得がいく。
「作者とお話する機会は、なかなか得難い経験なのです」
ありがとうございます。ぺこりと丁寧に頭を下げられ、恐縮したように作家の角も上下した。
やつでの隣では、同じく黒髪の年若い少年が、優雅に紅茶のカップを口に運んでいる。
「ああ……物語は善いものだよな」
紅茶と共に飲み込んだ呟きが、少年の姿をした幻獣たる、トゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)の胸を温めた。
物語は、紡いだ者の心を運び、触れた者の心を揺らす。
場所も時間も越えて、色褪せることなく、温かな想い出を識ることができるものだ。
「『花竜のミモザ・アカシア』の作者たる銀葉よ、君の紡ぐ物語もすばらしいな」
切り出し方にこそ、幼い容貌に似合わぬ鷹揚さを滲ませたものの、トゥルエノの声音はすぐに熱を帯びてゆく。
「花竜のミモザは、其の名を表す花のように、温かな春の陽光のようで、いつでも沢山の笑顔に囲まれていた」
自信満々に胸を張る金竜の娘の笑顔。
その強引さに振り回されながら、その不遜さに圧倒されながら、人々は彼女の冒険に巻き込まれてゆくのだ。
「加えてわたしは、彼女の周りを彩る人々も皆好ましく感じた。作者の手腕、君の編む世界の豊かさゆえだろうな」
言葉を切り、満月のようなレアチーズケーキにさくりとフォークを落とす。
そこで、チョコレートケーキに舌鼓を打っていたガラフが、我が意を得たりとばかりに続く。
「うむ。ミモザと関わる者達、それぞれに見せ場があり、誰もが物語の中で成長していく様に、目が離せなかった」
俺が特に惹かれたのは、冒険者としてのミモザの師、『|業炎《ごうえん》のアネモネ』だ。
初期の巻を取り出して、感慨深げにページをめくる。
「幼いミモザを助けた女冒険者。エルフでありながら、屠竜大剣を軽々と操り、力で圧倒する戦闘スタイルが良いな」
巨獣を正面から叩き潰す戦闘シーンは圧巻で、ミモザをして師と仰がせた。
トゥルエノは青の瞳を細め、ニヤリと口の端を上げる。
「アネモネは如何にも君が気に入りそうな人物だな。女傑といったところか」
「ああ、是非手合わせがしたいと、読みながら口惜しくなったくらいだ」
ガラフが拳を握れば、ネニュファールもハーブティーのカップを下ろし、翡翠の双眸を輝かせる。
「わたしは、ミモザが戦う場面が好き! ほら、初めてのダンジョンで盗掘団に追い詰められたミモザが、咄嗟に奪った精霊銃で応戦するシーンがあったでしょう?」
同じ巻の後半のはずだと、ネニュファールはガラフから文庫を奪う。
結もまた記憶を辿って、微笑んだ。
「私も主人公のミモザさんが一押しだから分かるわ。師匠のアネモネさんに憧れて剣を使ってたけど、自分の筋力じゃ同じ戦い方はできないって気付いたところよね」
「ええ! ミモザは豪胆なところもいいけど……冷静に現状を分析して、憧れの武器を捨てる|現実主義者《リアリスト》な面も嫌いじゃないわ」
結果、銃の才能を開花させ、見事に盗掘団を撃退したのだから痛快だ。
武器も人を選ぶからね──と、どこか通人の気配を漂わせつつ、ネニュファールは満足げ。
「オレも精霊銃を使うから、ミモザの銃捌きは痺れたなぁ」
ラーシェがコーヒーカップをソーサーに戻し、素手で射撃の構えをしてみせる。
銃使いとなったミモザは更に、二丁拳銃を身に着けた。翼の機動力も用いて、縦横無尽に曲芸射撃を披露する。
「壁から天井まで足場にして飛び回ってさ、左右の手で次々敵を撃ち抜いて。オレもあんな風にできたら爽快だろうな!」
「『輝く軌跡を残し、宙を翔ける黄金の花竜。敵ですらその姿に見惚れ、動きを止めた』……という描写がありましたよね。目に浮かぶようでした」
詩を詠むように、しっとりと星乃が紡いだ。
聞いたものの脳裏に、流星のように眩い金竜の姿が映るような情感だった。
作中の一節がすぐに浮かぶほどに、読み込んでいるのだろう。銀葉に礼を言われて、星乃は照れつつ続ける。
「快勝も素晴らしいですが、苦戦を乗り越えるミモザも、私は好きです」
「そうだな……お宝を守るドラゴンとの戦いが特に印象的だった」
ラーシェが周囲に目配せすれば、にこりと。ヘッドドレスのリボンを揺らして、やつでが微笑んだ。
あれはとても、興味深かったです。
「卑怯汚いなんのその。|勝つ《いきる》ためなら手段を選ばないのも、ミモザの魅力のひとつでしたけれど。あの時は違いましたね」
トラップを躱し、悪党を出し抜き、ダンジョンの最奥にたどり着いたミモザの前に現れたのは、強大なる竜。
貴様の誇りを見せろと、守護竜は吼えた。
──ああもう、小細工も駆け引きも通じやしない。いいわ、真っ向勝負って訳ね!
「ああ。ミモザは自分の持てる全ての力で挑んで。ボロボロになっても勝ち目を探し続けて」
ごくり。
思わず結の喉が鳴ったのは、目の前の紅茶を飲んだからではない。
あの、息を呑む激戦を思い出したからだ。
「強かったわよね、ミモザ。いいえ、腕っぷしの話じゃなくて……精神的に強かった」
──この翼が動くなら! 指が引き金を引けるなら! あたしは戦える!
私と同じくらいの歳の子なのに。
フィクションながら胸が痛み。けれど結は、文字を追うのを止められなかった。
どんな敵が相手でも、自分の正義を信念を、誇りを失わない姿に。その強さに、憧れた。
自身もまた、戦いの場において、己の信念を貫ける存在でありたいと願うほどに。
ラーシェもまた感じ入るものがあったのか。ゆっくりと考えに耽ってから。
「……最後の最後で逆鱗を撃ち抜くのがいいよな。銃使いらしい勝ち方で格好いいし……絶対に負けないっていう執念が見えた」
小さなミモザでは決して届かぬ、巨大な竜の喉元にある唯一の弱点。
倒れたミモザを喰らおうとした竜が、首をもたげた一瞬の隙。
彼女は左右の銃の照準を一点に定めて──撃ち抜いた。
——見事だ。小さき竜の娘よ。
「守護竜の散り際も天晴であったな。負った役目のために力を尽くした上で、己に勝利したミモザを讃えた」
トゥルエノがカップ越しに遠くを見ているのは、想いを馳せているのだろう。
永き時をダンジョンに縛られ、善き竜に宝を託せたのは望外の喜びだと語った、竜の末期へ。
その生き様を、死に際まで貫いた矜持を──己は理解することが出来ぬとしても。
「命がけで手に入れたお宝を、結局、困ってる子どもに分けてあげたのも好きだ」
……オレもこんな風になりたいって思えたよ。
失敗も、痛みも、喪失も噛みしめながら、諦めずに前を向いて。
自分の人生を精一杯、目一杯、楽しみながら、他者を助けたりもする。
「なんていうか、すげぇ……ヒーローって感じだった!」
そう、満面の笑みで語るラーシェを、若き能力者たち一人一人を、しっかりと見つめて。
銀葉は嬉しそうに。眩しそうに。どこか焦がれるように、耳を傾けていた。
●三章『花竜の約束』
今や、『花竜のミモザ・アカシア』を知らぬ者はおらず。
しかし、ダンジョンの外の彼女を知る者は、あまりに少ない。
「ミモザ、また無茶をして……せめて仲間を作ったらどうだい」
冒険の合間にミモザが足を向けるのは、とある町のカフェ。
「くどいわよ、オスモント。あたしはあたしの力で冒険するの。分け前も減るしね」
かつての少年——オスモントは知っている。
業炎のアネモネは、ミモザを庇って両目に傷を負い、冒険者を引退した。
以来、ミモザはパーティーを組むのをやめた。
「ねえミモザ。僕は弱くて、君と一緒に行けないけど、でも……」
傲岸不遜で傍若無人な花竜のミモザ・アカシアは、黙って目を反らしている。
けれど、ふわふわの髪の下で、可憐な耳が動いているのが、確かに見えた。
●応えられぬ問い
「すっかり盛り上がってしまったな。銀葉殿の邪魔になっていないと良いが」
お代わりの皿まで空にしたガラフが問えば、銀葉は柔らかく首を振る。
「とても、楽しいよ。……『殿』なんて、柄じゃないけれど」
「すっかりファンになってしまったからな、呼び捨てなど出来んよ」
許してくれと、ガラフは声を上げて笑う。銀葉は「そう」と照れたように苦笑した。
「でも正直、まだ話したりないくらいです」
もう少しだけいいですか? 星乃が眉尻を下げて手を合わせれば、ネニュファールもコクコクと縦に首を振る。
どうしても伝えたいことがあると、改めて銀葉に向き直って。
「わたし、勿論、戦闘シーンも好きよ。でもね……一番印象的だったのは何もない日のお話なの」
冒険を終え、宝も人手に渡して。
たくさんの礼を背に受けて、一つの町を後にしたミモザは、ふと草原で立ち止まる。
「真っ青な空に、掃いたような白い雲がうっすらと色を添えて。遠く高く飛ぶ、小さな黒い影を落とす鳥が、微かな鳴き声を響かせている……」
ここは何度も読んだの。そう笑って、妖精のごとき少女の唇が、淀みなく物語の一片を紡ぐ。
空を見上げるミモザの瞳は、
「いつもの、自信に満ちたキラキラした瞳じゃなくて……」
どこか儚く淡い色をしていて。
遠ざかり消えてゆく鳥影に、無くしてしまったものを重ね、数えるように物思う。
風にさざめく草原の只中に、一人残る姿は寂しくて。
しかし──その背はどこまでも真っ直ぐに、凛と伸びていた。
「本当の強さって、こういう感じなのかなって。ジーンって気持ちに沁みちゃった」
幼い頃に家族を失ったミモザに、微かに重なるものを感じながら、ネニュファールは胸に手を添える。
「無くしてしまったもの……か」
ラーシェもふと、|つなぎ留められた《デッドマンの》肉体に、目を落として呟く。
「ミモザだけではない。登場人物の誰もが、悲しみや喪失、挫折を抱えている」
ガラフもまた己の肉体に……鍛え上げながら、闘争に渇くことはできない己の矛盾に目を向ける。
「だが皆、ミモザ・アカシアという光に魅せられ、彼ら彼女らにとっての答えを見つける……憧れてしまうな」
誰ともなしに、皆は頷いて。
√能力者が例外なく抱く、欠落の|洞《うろ》に、青い草原の風が吹き抜けた心地がした。
「銀葉様」
改めて、作家の名を呼んで。
「やつでは、ミモザ・アカシアの活躍、冒険を通した世界を、たくさん楽しませて頂きました」
とても感謝しています。
折り目正しく礼を述べてから、やつでは作家をじぃと見た。
モノトーンの装いの中で、唯一、色を持つ赤い瞳。
対象の瞬き一つまで見逃さぬような、無垢で強く、真摯な視線に捕らえられ、銀葉は自然と背を正す。
「だから、知りたいのです。どうしてもお聞きしたいのです」
悪党の誘いを断るとき、宝の山分けを拒むとき、なのに結局他人を助けるとき。
決まって、ミモザは言う。『あたしは、あたしのやりたいようにやる』と。
物欲、怒り、正義感、優しさ──全てを込めて。
「そう、これは彼女の動機すべてをまとめた言葉だと思うのです。けれど」
── その上で。ミモザ・アカシアの絶対の基準、やりたいことってなんでしょう?
「君はとても、頭が良い子だ」
少し困ったように、銀葉は頭を掻いた。
「当然です、やつでにはお役目がありますので」
胸を張る少女を柔らかな目で見つめ、銀葉は「とても難しい問いだ」と、重ねて呟いた。
沈黙が場に落ちて──、
「ああ、すまない。話題を遮ってしまうようだが、わたしも是非、語りたいことがあってな」
優しく空気を混ぜるように、挙手をしたのはトゥルエノだった。
何、大したことではなくて。推し、というのかな、好ましいキャラクターがいるのだと軽く笑って、名を告げる。
「物語の序盤からミモザの影にいる……銀木犀のような控えめな少年、オスモントだ」
ぴくりと、作家の眉が小さく跳ねて。
星乃がはっと指を組んだ。
星詠みに話を聞く前から、ミモザ・アカシアに憧れていたという彼女が葛藤を露わに叫ぶ。
「ああ、私もずっと話したかったんです! でも、先の展開に触れるかもしれないから、言っていいか分からなくて」
ミモザの幼馴染の少年、オスモント。
故郷の災禍を共に生き残ったものの、彼に戦いの才はなく、冒険者となったミモザに同行することはない。
「ミモザが太陽の光を集めた娘なら、彼は静かに寄り添う月光のような存在だ。中々魅力的に思えていたが、やはり脇役は出番も少なくなるものか……と少々切なくてね」
「確かに、描写は少ないですけれど」
星乃も肩を落としつつ、けれど懸命に語る。
彼が出るシーンは、ミモザも安らいでいて、とても好きなのだと。
「冒険を終えたミモザが羽を休めに行くのは、常にオスモントのところですよね。故郷を失い、旅暮らしとなった彼女の拠り所……」
何度も、何度も読み返した。
最新刊……既刊で最後になっている巻の、ラストシーンを。
察したトゥルエノが、ふふっと小さく零した。
「少々煮え切らぬと思っていたオスモントも、とうとう勇気を振り絞ったな」
「……はい。凄く、好きな場面です……」
——ねえミモザ。僕は弱くて、君と一緒に行けないけど、でも。
──君が、大好きだ。君の帰る場所だけは、絶対に守るよ。
●?章『果たされぬ約束』
オスモントに想いを告げられた花竜のミモザ・アカシアは。
ふわふわの髪で顔を隠しながら、約束する。
次の冒険から帰ってきたら、必ず返事をすると。
──そして。
そこで、物語は止まっている。
●動き出す針
再び、話が止まってしまった。
先ほどより重く沈黙した銀葉に、結は……いや、誰もが思ったかも知れない。
──銀葉さんにも書けなくなった原因があると思っていたけれど。
無論、全てがそのままではないだろう。
だが、物語の端々に、銀葉の想いが託されているのは間違いない。
であれば、筆が止まった理由は。
「……彼女達の冒険の日々は何時迄も続き、全てが日の目を見る必要もないと思うが」
ポットに残っていた紅茶を注ぎ切り、喉を潤して。
「其れ等は確かに銀葉、キミ自身の手で紡がれていたのだと……一読者としても伝えたくてな」
君が書かなければならぬのだと、柔らかな声音で、トゥルエノが告げる。
一読者として。星乃も、結も、頷いて。
「先生が紡ぐ物語が、大好きです」
「続きも楽しみに待っている」
ラーシェも、ガラフも、ネニュファールも、想いを言の葉に乗せる。
「オレは、ミモザの周りの人々も気になるぜ」
「うむ、アネモネが喫茶の主になったのは驚きだったからな……」
「きっと、キャラたちも先生に会えるのを待ってるわよ」
銀葉は、銀の角を見せるように、顔を伏せて。すぅと息を吸い、何度か言葉の代わりにため息を吐いて。
「そうだね……」
続きは、僕が書かないといけない。
ようやく、そう零した。
「一番残酷なのは、好ましくない答えが返ることじゃない。答えが、二度と貰えないことだ」
ゆっくりと顔を上げ、能力者たちを見回して。最後にやつでに目を留める。
赤い瞳と、しっかりと見つめ合う。
「ミモザのやりたいこと、実は、僕にも完璧には分からない。僕の作品の登場人物とはいえ、彼女は僕ではない。『花竜のミモザ・アカシア』なのだから」
だから、銀葉も考えないといけない。向き合わなければいけない。
ミモザ・アカシアがどんな冒険者で。どんな少女で。
どんな想いを抱え、どんな答えを出すのかを。
最後に……ふっと、表情を緩ませて、作家は告げた。
「ただ、僕が思うミモザ・アカシアは、強くて、眩しいひとだった。
たくさん失った分だけ貪欲で、色々なものを拾い集めた。
そして、今度こそ。自分の手の中にあるもの全部を、守り抜きたかった。
だから、どんな恐怖や理不尽にも負けないように、真っ直ぐな笑顔で懸命に……戦っていたんだ」
幼い少女は。人を学ぶ、蜘蛛の神の仔は。
作家の言葉を咀嚼するかのように、何度か、小さく、小さく頷いて、言った。
「きっと、それを。やつでは好ましく感じたのです」
第2章 集団戦 『ダークエルフ』

●断章~銀木犀の記憶~
僕は作家で、空想好きだから、考える。
もし、僕に冒険者の才能があったら。
もし、僕が小説を書いていなかったら。
「今度のダンジョンは挑み甲斐があるの。腰を据えてかかるつもりよ」
もし、このとき。
君がもう、帰ってこないと知っていたら。
僕はどうしただろう、とか。
「ミモザの最新刊を読んでから行けないのは残念。……発売日、あとちょっとなのに」
何も知らない僕は、精一杯の勇気を出したつもりで。
君に、編集部から貰ったばかりの、見本を一冊渡しただけ。
「えっ、これ新刊!? いいの!? ありがとう、大切に読む……!」
君は本を抱きしめ、僕を見つめ返して語る。
この攻略が成功したら。一流の冒険者に名を連ねたら。
「やっと、胸を張って言えるわ。私が『花竜のミモザ・アカシア』のモデルですっ……てね!」
帰ったら一番に感想を伝えると言って旅立った君の名は、今、墓碑に刻まれている。
荷物にあった僕の本は、数か月の冒険の間にすっかり汚れて。
何度も読み返したように、折り目だらけだった。
●ミモザの灯る夜
結局、話題はいつまでも尽きず、閉店の時刻を過ぎてしまった。
カフェの店主は営業を少し延長してくれて、銀葉と能力者たちを笑顔で見送った。
店を出れば、すぐ脇には、トレードマークになっているミモザの木。
「不思議だな。今夜はいつもより、花も明るく見える」
月明かりに淡く光るミモザの花を見上げ、銀葉が穏やかに呟くと、
不穏な気配が、周囲に満ちた。
「我らが偉大なる主、|竜《ドラゴン》さま……」
能力者たちが一斉に身構える。想定通り現れたのは、大剣を手にした青白い肌の女。
狂える『喰竜教団』の教祖、『ドラゴンストーカー』。
「どうして、我々がお救いに参上した今宵に限って、羽虫どもを纏わせているのです?」
教祖は哀しげに首を振り、背後に向けて合図を送る。
音もなく数人の人影が現れて、銀葉を守る能力者たちごと、一斉に取り囲んだ。
「ああ。あなたさまを殺す前に、虫の血でこの刃を汚すことになるなんて」
けれど、けれど、どうかお許し下さい!
戦う力のない、弱き身に堕とされたあなたさまの苦しみは、もうすぐ終わりますから!
「……どういう、こと? 狙いは、僕?」
自分を守るように動く能力者たちと、刃を構えた不気味な女たちを見比べて、銀葉は悲壮に叫ぶ。
「君たちは逃げて! これ以上、僕のせいで誰かが傷つくのは、絶対に──」
銀葉を守るのならば、自ら前に出ようとする彼を留めながら、周りを囲む教信者たちと戦う必要があるだろう。
月光に照るミモザが見守る中、次の物語が、始まった。
●黒の蜘蛛と燐光の銃士
ドラゴンストーカ―の合図により現れたのは、|細剣《レイピア》を携えたダークエルフの女性たち。
能力者たちに剣先を向けつつも、彼女たちの注目は銀葉に注がれている。
──これ以上、僕のせいで誰かが傷つくのは、絶対にダメだ!
無意識に足が動く。己の喉元を、刃に差し出したくなる。
一触即発の気配が満ちる場に。
コホンと、愛らしい空咳が響いた。
「『あいにくその子には、ちょっとした借りがあるのよね』」
弾かれたように、作家が振り返る。
「『アンタ達なんて知らないけど──手を出すって言うなら相手になるわ!』」
そこにいたのは、二丁の精霊銃を構えた冒険者。不敵な花竜のミモザ・アカシア。
「……どうでしょう、似ていましたか?」
ではなく、白黒のゴシックドレスを纏った|黒後家蜘蛛《くろごけぐも》・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)だった。スカートの裾をちょこんと持ち上げ、優雅に|一礼《カーテシー》。
「ふふ、口にしてみるとちょっと気持ちいいですね!」
モノトーンが似合う九歳の少女と、お日様色の冒険者ミモザ・アカシアは、控えめに言ってもまるで似ていない。けれど、この時ばかりは不思議と重なって見えたのだ。
次いで轟いたのは、爽快な男性の笑い声だった。
「ははは、いい啖呵だったな! あと何年かしたら、ミモザにも劣らない貫禄になりそうだ」
実写化には立候補しろと、手を叩いたのはラーシェ・リンド(光束ね・h06139)。
「銀葉、下がりな。ああいうのをぶっ飛ばすのがオレの仕事なんだ」
……いや、違うな。
腿のホルスターから、鈍く光る愛銃を引き抜いて。ラーシェは歯を見せる。
「オレの『やりたいこと』なんだ。……だから、やめろって言われてもやめないぜ」
ラーシェの銃口がダークエルフたちを牽制し、やつでは薄闇に紛れて、|眷属《クモたち》を周囲に這わせて。
二人とも、意志を持って前に立つ。
「銀葉様は待っててください。まだまだ教えてほしいことがたくさんありますので」
「ああ。あんたにゃ無事に帰ってもらわないと困るんだよ。ミモザの話、まだまだ読みたいからな!」
……君たちは、一体……。
呆気にとられる銀葉へ、やつではウインク一つ。
「『いいからあたしの……|あたしたち《・・・・・》の活躍を見逃さないようにね』っです!」
だって、ここに集まった皆さまと同じく、やつでも楽しみにしているのです。
彼が描く物語の続きを。
花竜のミモザ・アカシアの冒険だけでなく、銀葉自身が歩んでゆく未来をも。
ひとを学ぶ蜘蛛の神の仔は、この目に映したい。
●赤き兎と黒の射手
「偉大なる|竜《ドラゴン》さまを目の前にして、何を躊躇うのです!」
行きなさいッ!
痺れを切らしたドラゴンストーカーが叫び、ダークエルフが一斉に距離を詰める。
数の利を活かした突貫。多少の傷や犠牲は厭わぬつもりの、強引な突破は──、
「——はぁ? フザケた戦い方してくれてんじゃねーですよ!」
甲高い少女の怒声と、連続した銃声によって阻まれた。
数多の弾丸が地を穿つ。ダークエルフたちは慌てて止まり、たたらを踏んだ。
「なんです? その間抜け面。戦場で気ぃ抜いてっと死ぬですよ」
そして、月光の下に規格の揃ったパワードスーツ、|WZ《ウォーゾーン》たちが現れて、あっさり数の差を覆した。他に比べ重装甲のものが隊長機だろう。硬質な金属の体でありながら、曲線的な細いボディはしなやかさも兼ね備え、しかし歴戦の傷を帯びていた。
「伏兵揃えてんのが、自分たちだけだと思ってんです?」
ガシャリと、無骨なアサルトライフルの照準がダークエルフを捕らえて。トロワ・レッドラビット(赤兎小隊長・h03510)の指示が飛ぶ。
「赤兎小隊! 射撃用意!」
|撃て──《てー》ッ!!
ダークエルフたちは一斉に魔術を行使し、炎の壁で銃弾を阻んだ。
どうやら、言葉を経ずとも意を通ずる術があるらしい。
トロワは舌打ちし、嗤いかけたダークエルフの表情が──再び歪む。
「決戦気象兵器『レイン』、起動」
炎の壁を越えて、雨が降る。月を隠す雲などないのに、頭上から細く降り注ぐ。
三百の雨粒が、レーザーとなって。
「聞こえていただろう? 伏兵に注意ってさ」
派手な術に紛れ、密かに銀葉に迫っていたダークエルフを見咎めて。暗視ゴーグルの奥で、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)の青い瞳が細まった。
放たれたライフルの一撃が、ダークエルフの腕を貫く。
細剣を取り落としたところを、続くラーシェの銃弾が沈黙させた。
「助かったぜ、見事な腕だな!」
「そちらこそ。サポートをありがとう」
互いの腕を褒め合いながらも、二人の射手は油断なく戦場を見据えた。炎が掻き消えた後にも、残る影があったのだ。角と翼だけは竜に似た、しかしどこまでも禍々しく異質な存在。
「悪魔を呼び出して操っているのか……」
「偉大なるドラゴンさまのしもべのしもべってとこかな」
冷静に状況を測るクラウスと、皮肉げに笑うラーシェ。
「——であれば、広範囲の技で悪魔たちを叩いて……」
「その隙に、|本体《ダークエルフ》どもを撃ち抜く──!」
図らずも対照的な反応ながら、意見は揃った。思わず二人は顔を見合わせ、頷き合う。
「俺はクラウス。正直、駆け付けたばかりだから詳しい事情はわからないが、敵が喰竜教団の連中なのは把握してる」
ああナントカ教団な。なんておどけるラーシェの様子に、クラウスも笑みを深めて。
「それと、君たちが彼を……銀葉というひとを、守りたいと強く思っていることもわかる」
俺にとっては、それだけで十分だ。協力させて貰うよ。
●少女たちの輪舞
「ええと、あなたは……」
呼びかけようとしたが名が分からない。
やつでが首を傾げると、重装のWZ——『レッドラビット』の頭部が開いて、トロワが素顔を覗かせた。想像より幼い面立ちと、顔の左右に垂れるロップイヤーのような二房の白い髪。
やつでとトロワの、赤い瞳が交差して。
「テメー……今、トロワのことを同い年くらいかと思いやがりましたです?」
「あれ、違うのですか?」
悪気なく、齢九つのやつでが言えば、赤兎小隊の隊長は吼える。
「倍はちげーです! ……多分!」
「ははあ、それは失礼しました」
やつでは素直にぺこりと謝罪した。トロワは白い頬を僅かに朱に染めて、バツが悪そうに再びWZに潜る。
「ふふ。トロワ様、応援に駆けつけてくれたこと感謝するのです。一緒に銀葉さんを守りましょう」
幼い神の仔は、不器用な兎の意を察し、改めて礼を述べて。
「やつでの蜘蛛たちが、近づく敵をお知らせします。撃退をお願いできますか?」
「りょーかい、乗ってやります。各個撃破で行くです!」
やつでは自身に仕える蜘蛛たちに、トロワは|少女分隊《レプリノイド・スクワット》の仲間たちに指示を出し、突出したダークエルフを的確に狙う。
赤と黒の少女は、狙撃手と観測手のように息を合わせた。
「トロワ様たちも、花竜のミモザ・アカシアがお好きなのですか?」
「そういう空想はよく知らねーのです」
√ウォーゾーンに生まれた者は、誰もが戦いの渦中を生きる。ましてや|少女人形《つくられたもの》ならば猶更だ。
現実の厳しさゆえに、物語に心を寄せる者もいるだろう。だが、トロワはそうではなかった。
「でも今回は、星詠みがやたら喋りやがりましたからね」
現場の情報だけで良いのに、クマ耳の星読みはやたらと熱く語った。ミモザ・アカシアのエピソードを。彼女が翔けた空と、彼女を愛した人々と、そこに託されたであろう想いを。
「わかるとは言えねーですよ。ただ……まあ、嫌いじゃねーです」
「……そうなのですね」
良かったです。そう返しかけた、やつでの笑みが固まった。
僅かな|再装填《リロード》の隙に、赤兎小隊の一機が、細剣に深く貫かれたのだ。
ダークエルフの口が三日月型にニイと割け、剣を刺す手に力が籠り。
考えるより先に、トロワは仲間を庇いにWZを駆って──。
「やめろ!!」
あまりにも、思いがけない叫びに理性が呼び戻される。
「銀葉様! 危ないです!」
後ろにいたはずの銀葉が、決死の様相で少女分隊を助けに向かったのだ。
やつでは黒蜘蛛たちをかき集める。
竜さまが来て下さった! ダークエルフは恍惚とした表情で、機体から剣を引き抜いて。
そこに蜘蛛たちが飛びついた。視界を塞ぎ、全身に嚙みついて妨害する。
「テメー! 何してやがります!」
敵に、味方に、銀葉に向けて叫んで──全霊込めたトロワの射撃が、ダークエルフを討ち取った。
●銀の竜のめざめ
「救いだなんとか言ってるけど、結局やるのは殺人だろ」
熱に浮かされた集団へ、冷や水を浴びせるように、ラーシェは切って捨てた。
「そういうのやめといた方がいいぜ? オレみたいなのが来るからな!」
──お前は光、お前は炎。|光炎召喚《ライトニング・フレイム》。
招いたのは、熱を伴う光、もしくは輝ける炎。
詠唱と共に数を増し、集って灯るそれは、ミモザの花にも似て。
「そっちが悪魔なら、こっちは光の炎の召喚だ。悪魔なんだからこう、光の属性とか苦手だろ!」
いい感じに押し留めてくれ! 願望込めて光の群れを解き放つラーシェに、クラウスも口の端を上げて。
「ああ、すごくいい感じだ。……暗視ゴーグルが要らないくらいだな」
鮮明になった景色の片隅に、共に援軍として駆け付けた、兎の少女の射撃が映る。
こうして、同じ戦場に並ぶのは初めてだけれど、頼もしさは充分に知っているからこそ。クラウスは背を向けて異なる敵軍に向かう。
「ラーシェ、『悪魔』は回復術も使う。狙われてない個体の傷が癒えてきてる」
鋭く戦場全体を観察し、得た情報をクラウスは仲間に共有する。再度|決戦兵器《レイン》を起動して、癒える暇を与えないよう負い打ってゆく。
「面倒だな……分かったぜ。オレの光炎で悪魔を止める。その間に」
「ああ、攻撃を合わせよう。狙撃で、仕留める」
広範囲への牽制を仲間に任せ、クラウスはレーザーライフルでの射撃に集中する。一撃一撃で狙った相手を過たず貫いて、敵の戦力を削いでゆく。
その間に、ふと気づく。肩を並べるラーシェの、首をぐるりと巡る傷跡に。彼が恐らく同郷で、|蘇生人間《デッドマン》であることに。
クラウスの脳裏に一瞬、|戦闘機械群との戦闘風景《ふだんのにちじょう》が過った。
多数を相手取る戦闘は慣れたもので。誰かを守るための戦いも、彼にとっては当たり前のことで。
けれど、光炎に照らされた傍らの彼が、あんまりにも懸命に、善い顔で戦うものだから。
──きっと、今守るべき対象は……とてもいい人なんだろう。
そう知れて、引き金にかかる指に新たな力が宿る。
「ごめんです、隊長……しくじりました」
「パートナーなのにフォローできなかったのです! ふがいないです!」
しきりに詫びる少女分隊たちへ、トロワは激しく脈打つ鼓動を圧して活を入れる。
「謝るのは今じゃねーです! まず負傷者をカバーして退避!」
──いいか、全員死ぬな! 死んだらぶち殺す!
必死に叫ぶトロワの傍で、銀葉もへたり込んでいる。蜘蛛たちとやつでは、懸命に彼らを囲む。
「ごめん、僕の……せいで……」
「貴方のせいじゃない。誰もそんなこと言っていない」
ぽつりと零された声に、背を向けたまま後退したクラウスが答える。
同じく後退してきたラーシェも精霊銃を構え──弾道計算を始める。
悪魔は充分に減らした。あとはエルフ本体を狙う。
「ああ、見てな。ミモザほどとは言わないが……銃には自信あるんだぜ」
銀葉は、目を瞬く。彼らも決して無傷ではない。なのにどうして、こんなに柔らかく、強く語れるのだろう。
「こんな……僕のために……」
戦う力もなくて。大切な相手に想いを告げる勇気もなくて。一人では立ち上がれなくて。
——哀れな、力を持たぬ竜だと言った女の方が、正しく思えるような僕を。
「戦う力が無くても、冒険に行けなくても。決して今のコイツは弱く堕ちてなんかねーのです」
……助けに来て助けられちまった、トロワたちも大概ですけど。
「教祖だかなんだか知らねーですが、部下の影に隠れて日和ってるやつよりよほど強えーですよ!」
自嘲を。何より、感謝を込めて。赤兎小隊隊長が、教信者とその主に言い放つ。
「分かりませんか? 賢くないから本も読めないんですね」
敵から返った嘲るような反応に、やつでも紅玉の瞳に烈火のごとき怒りを込めた。
「偉大だと思うなら、あなた達も銀葉様の作品を読むべきなのです!」
少女たちの小気味よいやりとりに、青年たちも笑みを深めて。ほらな、といった様子で肩を竦めれば、へたり込んだ作家に笑みかけた。
「俺達はみんな、貴方を守りたいからここにいる。やりたいからやっているんだ」
「ああ、何ならここにいないやつらの分までな!」
最後に銀葉へ手を伸べたのは、わざわざWZから半身を覗かせたトロワ。
「だから……答えを聞かせろですよ」
アンタは、他でもない銀葉自身は──。
「生きたいのか、違うのか!」
●冒険者たちの誓い
──生きたいのか、そうでないのか。
大切な人を失った日から、銀葉はゆらゆらと揺れている。壊れたメトロノームの針のように、速く、遅く。不規則にリズムを変えて、二つの間を行き来する。
カフェで自分を慕う若者たちと語らったとき、彼は確かに希望を持った。
けれど、今は? 恐らく自分の事情に、彼らの命を巻き込んでいる今は?
「……銀葉先生」
傾きかけた銀葉の針を、優しく、そして力強く引き留める手があった。
首を捻ると、腕を誰かが掴んでいる。春めいたカーディガンの袖がまず見えて、追って目線を上げれば、悲しげに首を振る|竜宮殿《りゅうぐうでん》・|星乃《ほしの》(或いは駆け出し冒険者ステラ・h06714)の顔があった。
「星乃、さん? ……君、早く逃げて!」
彼女こそ、明らかな非戦闘員ではないか。腕にかかる思いがけない力に戸惑いつつも、銀葉は叫ぶ。
悲痛な叫びを受け止めたのは、ため息交じりの少年の声。
「逃げるという行為は、自らの身を守る上では最たる手段ではあるのだが。……護りたいものを護る上では今一つなのだよなぁ」
老練のこなれ方で肩を竦めるトゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)は、どう見ても銀葉の半分も生きていない。けれど、説いて聞かせるような口調で、駄々をこねる孫を宥めるような眼差しを向ける。
「さて、銀葉よ。名誉の負傷という言葉もあるように、我々も好き好んで負傷しようとしている訳では無い」
この先、ちょっとは怪我するかもしれない。しばしベッドのお世話になる可能性もなくはない。
「それでも、まぁ何だ……終わり良ければ全て良し等とも言うものだろう?」
——勝てばよいのだ、勝てば。
自然な動作で|十字型の短剣《スティレット》を取り出して、少年はくつりと笑う。
「戦わずに済むなら、私たちもそうしたいけれど」
|小明見《こあすみ》・|結《ゆい》(もう一度その手を掴むまで・h00177)は眉尻を下げる。言葉が通じるのならば、心も通じ合わせたいと願うのは、彼女の信念ともいえる。それゆえ、対話を試みる隙が無いか窺っていたものの。
「いきなり武器を構えて、随分物騒だし……。それに『羽虫』って私たちのことよね」
……これだけ見下されていたら、話も聞き入れてくれなさそう。
結は既に、幾度も戦いの場に立ったことがある。生来の優しさは決して失わないが、盲信で目を曇らせはしない。
「せめて、彼女たちを退けられるくらいの力があるっていうのを示してからじゃないと、説得は難しいかしら」
それでも、ネニュファール・カイエ(人間(√ドラゴンファンタジー)の未草の|精霊銃士《エレメンタルガンナー》・h05128)からすれば、「優しすぎるわ!」とのことだ。
新緑のアーモンドアイを尖らせて、ネニュファールは腰に手を添える。
「ねぇ結、銀葉センセ。あっちはさ、わたし達には全然分からない理由で襲ってきてるでしょ?」
──ホント気に食わない!
「ダンジョンの魔物と同じだよ、倒すか倒されるかしかない。なら、やるっきゃないわ」
言い切る彼女の手に握られた銃は『|ファルファデ《いたずら好きな妖精》』という竜漿兵器。冠された名前ほどに、彼女の仕置きは甘くないけれど。
「俺達が羽虫ならお前達は蛆と言ったところか? いや、どちらにしても排除する相手に問答は無用、薙ぎ倒させてもらおう」
ガラフ・ラハ・ラグターク(波濤のガラフ・h04593)も巌のような拳を打ち合わせ、|戦《や》る気満々といった風。彼の全身から立ち上る『覇気』が、夜目にも眩しく映るようだった。
銀葉は呆気に取られて、今宵何度目かの問いを零す。
どうして君たちはそんなに強くて。どうして……こんな僕を守ろうとするんだ。
分からないならば、伝えないといけない。星乃は彼の袖をそっと離し、今度は……手を繋いだ。
「銀葉先生。自分のせいで誰かが傷付くのはつらいというお気持ち、凄く解ります」
ですが、あなたが傷付いた時に痛みを感じるのはあなただけじゃありません。
「この場の皆さんも、あなたが傷付けば凄く苦しいんです!」
瞳を潤ませ懸命に語る星乃に、銀葉は小さく呻いて、押し黙る。
大好きな作品を、花竜のミモザ・アカシアを読み込み、作者の想いを読み解いてきた星乃は……確信を持って言葉を重ねた。
「勿論、私も……そしてきっと……」
──今も、あなたの心の真ん中に居る方も。
今度こそ、銀葉は言葉を失くした。
「ですから、今は堪えて。あなたを守らせて下さい……」
●火蓋は落とされて
弾かれたように、能力者たちは動き出す。
「冒険者の戦い、間近でみたことある? きっと見惚れるわよ!」
ネニュファールがファルファデを手に、角度を作って微笑んだ。柔らかな金髪に、睡蓮の髪飾りが揺れる。
ぱちり。慣れないウインクだけは上手く決まらなくて。反対の目まで動いたりしたけど。
「ミモザの代わりに、センセを守らせてよ」
勝つだけじゃなく守る。守るだけじゃなく、心を鼓舞する戦いをしてみせる。
ネニュファールの背に竜の翼はないけれど、心に妖精の羽を宿し翔け出した。強化した視力に暗視の力も宿して、近づく敵のひと群れに飛び込んで。ダークエルフの|細剣《レイピア》を潜り抜け、軽やかに舞って攪乱する。
「──花開き、実りの時! 貫け! ファルファデ!」
白く澄んだ輝きと共に、銃口から|未草《ひつじぐさ》の弾丸が放たれた。
睡蓮の花が眠りから覚める。着弾地点から光が綻ぶように広がって、彼女に敵対する者にはダメージを、目的を共にする仲間には祝福を与えてゆく。勿論、最高の効率で敵味方を包むように、計算された弾道で。
「本当に、とても綺麗な戦い方……」
ネニュファールの立ち回りに心を奪われつつ、結も自身の力が高まってゆくのを感じた。
これならば……と、彼女が感じていた懸念が払われてゆく。
それは、なしくずしに戦場となったこの場所が町中だということ。時刻が遅いこともあり通行人は見えないが、お世話になったカフェや他の建物、ミモザの木が傷ついてしまうのを心配していた。
「周りに被害を出さないように、手加減しながら相手を制圧できるほど私は強くないから……そう思っていたけれど」
結が招いたのは、つぶらな瞳に大きな耳を揺らす愛らしい精霊。いつもと少し様子が違うのは、彼らの耳を飾るように、美しい|未草花《ひつじぐさ》が咲いていること。
風の精霊たる彼らに、花の活力はとても相性が良いようで、嬉しそうに飛び回っている。
「ふふ、いつもより力があるみたいね。……周囲を傷つけないように調整しながら、戦える?」
精霊たちは力強く応えると、その身を小さな竜巻と化した。結を中心に、そして銀葉を守るように、近づこうとするダークエルフだけを的確に飲み込んでゆく。
「身体が羽のように軽いな。これは有難い!」
決戦型|WZ《ウォーゾーン》『羅睺機イアルダバオス』を実体化させて身に纏い、拳を握ったガラフが歓喜の声を上げる。大きな体躯で音もなく地を蹴れば、跡に波紋が広がり、睡蓮に似た幻影が咲く。
ガラフの格闘術『|化身拳《けしんけん》』は、阿修羅の化身となり、鬼神のごとく相手を圧倒する。
しかし今回は銀葉のガードが第一だ。彼を離れぬ立ち回りを心掛け、巻き込みかねない大技は控えねばならない。
細剣による鋭い突きを、鋼の装甲でもって受け流し、覇気を込めた拳をカウンターで叩き込む。素早く身を翻して、側面から迫る相手の切りつけを躱すと、怪力の剛腕でねじ伏せる。
だが、掠めた刃から感じた禍々しい気配に、イアルダバオスの内でガラフは眉を潜めた。
「気を付けろ。奴ら、刃によからぬものを纏っているぞ!」
——万が一にも、銀葉殿に刃が掠めることがあってはならんな。
気合も新たにガラフが構えを取り直せば、小柄な影が傍らに並ぶ。ガラフと共に壁となり、銀葉を背後に押し込むようにして。
「……毒や石化の魔術だな。腐っても妖精族ということか」
青の瞳を細めて見通したのはトゥルエノだ。提げたスティレット型の気象兵器が、『|Levin《雷光》』の名に相応しい電撃を帯びてゆく。
「それと、如何にも無口だと思ったが。彼奴ら、|精神感応魔法《テレパシー》でも使っているようだ。思わぬ連携をしてくる。注意したまえ」
「成程な。個々は練達とも思えぬが、妙に息が合っているのはそのせいか」
見た目は少年ながら、トゥルエノの洞察は一目置けるものだった。ガラフは素直に頷いて、トゥルエノが放つ雷撃の軌跡を追って走る。
「レーザー射撃での牽制をすり抜けて向かってくる個体は、|彼《ガラフ》に任せておけば問題ないか」
──まあ、近付かれたならそれはそれで……感応魔法も断ち切れるものか試す良い機会だな。
「毒がお好きなようだからな、錬成毒も振る舞ってやろう」
スティレットにちらりと目を落とし、変幻自在の|錬金騎士《アルケミストフェンサー》は策を練る。
●揺れるメトロノーム
能力者たちの連携は見事の一言で、敵は確実に数を減らしてゆく。
「すごい……」
銀葉は魅入られたように、彼らの動きを見つめていた。
図らずも、ネニュファールの宣言通りに。
戦いの渦中で茫然と立ち尽くすその姿は、隙を晒すも同然で。だが、被弾の心配は殆どなかった。
彼を魅了するほどに華麗な戦いを魅せる者たちは、皆、彼を守るために戦っていて、更に──。
「……見て下さってますか。皆さんの戦いを」
冒険者の『ステラ』ではなく、あくまで彼の作品を愛する『星乃』として。銀葉と繋いだ手に力を籠める彼女の右目は、揺らめく炎に変わっていた。
——竜漿魔眼。ドラゴンファンタジーに生きる星乃が身に着けた、『隙を見る』力。
トゥルエノのレーザー、結の招く精霊の輝き。戦場の閃光と銀葉自身の高揚が、星乃の燃える瞳を隠す。
彼女は決して、銀葉から目と手を離さない。彼の隙を補うようにさりげなく位置を誘導している。
戦況は優勢。しかし、こちらも無傷では決してない。
「みんなの強化が楽しみだったけど、これほどとはね! とっ……!」
戦場を翔け続けるネニュファールには、徐々に疲労が蓄積してゆく。回避が遅れ、精霊銃のグリップでどうにか剣戟をガードした。即座の追撃からは逃れられず、利き腕を庇って反対で受けた。鉄壁の術のおかげで深手には至らぬものの、袖ごと腕を割かれ、鮮血が飛び散る。
「もう、この服お気に入りなのにっ……!」
弱音ではなく文句が口をついたのは、彼女の矜持だろうか。
ガラフが駆るイアルダバオスの拳が、並んだ二体のダークエルフを纏めて吹き飛ばす。しかし呪いの刃が鋼の装甲を侵し、石へと塗り替えてゆく。一方では、召喚術で呼ばれた悪魔が、地獄の炎を竜巻に絡ませて結を逆襲する。
銀葉の口が、足が動いて。
「心配は要らないわ、銀葉さん。皆、強いもの。あなたを守るために自分を犠牲に、なんて考えの人はきっと居ない」
けれど。艶やかな黒髪の毛先を焦がしながら、結は新たな精霊に想いを託す。
「銀葉さんを守るために。私は私にできることをするわ!」
——応! と力強く答えたガラフも、岩の拳で持って敵を薙ぎ払う。
「銀葉殿は逃げろと言うが、もしやこの闘争を独り占めしようと考えているのか? それはまた、水臭いではないか」
己の傷になど気付かぬように、冗談めかしながら。格闘者は磊落に、吼えるように笑う。
「銀葉殿はこの闘争で果てる事を望んでいるのかもしれんが、それを聞いてやるつもりも無い。あの作品が永遠に途絶えてしまうのは、あまりにも惜しいからな!」
己のやりたいようにやる、それがミモザ・アカシアの信条であろう!
銀葉が、ガツンと殴られたような顔をした。
──生きたいのか、そうでないのか。
メトロノームの針が揺れる。
僕のやりたいこととは、なんだろう。
「銀葉先生、危ない!!」
突然強く腕を引かれて、ぐるりと位置を回転させられた。
接近してきた一人のダークエルフから、銀葉を庇って星乃が前に立つ。
「私の大好きな銀葉先生を、絶対殺させません!!」
無論、星乃とて命を棄てるつもりはない。だが、銀葉の盾になる覚悟はできていた。腕の一本くらいなら、くれてやったって構わない。
ダークエルフが剣を突き出す。
その寸前、トゥルエノがエルフの脇腹にスティレットを突き刺した。
短剣は彼の術、|戦闘錬金術《プロエリウム・アルケミア》により、錬金毒を付与する必殺武器と化している。ダークエルフは勝利を確信した笑みのまま、その場に倒れた。
「なんて危ないことをするんだ!」
銀葉が星乃の両肩を掴んで揺する。
「それには同意するが、御陰で君は守られた……無事で何よりだ」
倒れた相手の体からスティレットを引き抜いて、トゥルエノはほっと息を吐く。
それでも、何故。どうしてと銀葉は問い続けた。
……彼は理不尽に命を狙われた無辜の市民であり、守ることが星詠みの依頼だった。
言ってしまえば、能力者たちが銀葉を守るのに、特別な理由など必要ない。
ネニュファールの言う通り。ダンジョンの魔物に襲われれば、撃退するのが当然なのだから。
それでもあえて理由を必要とするのは──彼の心の問題だ。
最後の一押しを欲して、メトロノームが揺れている。
●花竜のめざめ
「それは、きっと。銀葉先生の描いた物語が、私を……みんなを魅了したからです」
星乃が真っ直ぐに言った。炎の灯った瞳を、銀葉に向けて。
ここに集ったものだけではない。『花竜のミモザ・アカシア』は多くの読者に、勇気や希望を与えてきたのだ。
だが。
「それは|物語《げんそう》の話だ! ミモザ・アカシアは僕じゃない!」
──もういないんだ! どこにも、いないんだ──!!
あまりにも悲壮な叫びだった。胸が張り裂けるような慟哭だった。
ミモザ・アカシアには、モデルとなった人物がいたのだという。
彼女を描くとき、常に銀葉の胸にいたのはその人物で……今でも彼の胸の真ん中にいるのだろう。
あるいは、埋めがたい欠落となって。ずっとそこに在るのだろう。
「違う……。言っただろう銀葉、『其れ等は確かに、全て、君の手で紡がれていた』のだと」
膝をついた銀葉に、同じく屈んだトゥルエノが力を込めて語る。
「だから君は、銀木犀の青年オスモントであり、業炎の剣士アネモネであり──花竜のミモザ・アカシアでもあるのだ!」
いつしか戦いの喧騒は止んでいた。
ダークエルフたちは沈黙し、あるいは遁走し、忌々しげなドラゴン・ストーカーが残るのみ。
涙を堪えた結が、星乃が、銀葉を守るように立つ。
ネニュファールは袖を縛って、腕の血を止血し、次なる戦いに備えて。
石化を解くために一度イアルダバオスの実体化を解除したガラフが腕を組む。
離れて戦っていた他の仲間たちも集まってくる。
寸の間の静寂に包まれた戦場。
高く昇った月が、柔らかくミモザの花を照らして。
「君自身はハッピーエンドを綴れる者だと、信じておいてほしい」
トゥルエノの言葉を遮ぎるものは何もなく、銀葉の耳に沁み入った。
第3章 ボス戦 『喰竜教団教祖『ドラゴンストーカー』』

●断章 〜白紙の記憶〜
実際のところ。
君を失った日から、僕はずっと死にたかったのだ。
……そう、思っていた。
僕と同じで身寄りがないのに、いつも笑顔だった君。
喧嘩が強くて、すぐに僕や、誰かを庇って。いつの間にか冒険者を目指した君。
ミモザの花を見て、「光が咲いてるみたい」と、目を輝かせていた君。
君に憧れて描いたミモザ・アカシアに、逆に憧れてくれた君。
君のところに行きたい。
けれど物語がまだ途中なんだと、言い訳するように生きてきた。
原稿を前にしても、浮かぶのは想い出ばかりで、新しい言葉は何も出てこない。
ああ、やはり。君と共にミモザ・アカシアも消えたのだ。
……そう、思っていた。
●ハッピーエンド
静まり返った戦場で、銀葉は能力者たちへ、訥々と語った。
幼なじみの冒険者が、ダンジョンに挑む途上で亡くなったこと。
彼女こそ花竜のミモザ・アカシアのモデルで、いつしか「ミモザのようになりたい」と意気込んでくれたこと。
だから。
「僕が彼女を死地に追いやったんじゃないか。ミモザがいなければ、彼女は無茶な冒険をしなかったんじゃないかと」
彼女を想うほどに苦しくて、後悔で息ができなくて。
そのときから銀葉は、物語が書けなくなったこと。
でも同時に、どこか、書けないことに安堵してもいたのだ。
ミモザ・アカシアも共に眠らせることが、彼女への唯一のはなむけになる気がして。
なのに。
「どうしてだろう、君たちを見ていたら……新しい物語が浮かんでくるんだ。ミモザ・アカシアたちの笑顔が、冒険が、浮かんで止まらないんだ」
彼女はもういないのに。
どうして僕は書けてしまうんだろう。
どうして僕は──。
「生きたいと、思ってしまうんだろう」
顔を覆う銀葉に、寄り添うような声をかけたのは、喰竜教団教主……ドラゴンストーカー。
「ああ、おいたわしい……亡くなられたその方も、ドラゴンプロトコルでいらしたのですね」
わたくしが間に合っていれば! お二人を合わせてこの身にお救いできたのに! 何と、何と悲しいことでしょう!
「しかし、あなたさまだけでも、こうして今日まで生きてこられたのは僥倖です。おかげでお迎えにあがれたのですから」
よく頑張りましたね、もう大丈夫ですよ。あとは全て、わたくしにお任せ下さい。
慈愛に満ちた口調で語りながら、瞳には狂気が満ちている。労わるように手を差し伸べながら、掌には巨大な剣が握られている。
──銀葉は、一歩引いた。
能力者たちに託すように、頼むように。
それは紛れもなく、『死を受け入れない』という意思表示だった。
ドラゴンストーカーは僅かに眉根を寄せて。
駄々っ子を寝かしつけるように、甘くとろけるような声で、大剣を構えた。
「思いがけず長い夜となりましたが……これで全て終わりです。さあ、ハッピーエンドと参りましょう!」
彼らと出逢った不思議な日のことを、あの夜の鮮烈な戦いのことを、僕はずっと忘れないだろう。
あるいは僕の作品のファンだと言って、あるいは不意に現れて、力を貸してくれた。
満開のミモザが燦然と輝いていた僕の心の真ん中に、持ち寄るように次々と、多様な花を届けてくれた彼らのこと。
そう、まず語りたいのは──カスミソウのような女性の話だ。
どこまでも優しく、清らかで。常に誰かを気遣い、寄り添っていた。
一見すると控えめだけれど、芯に強い心を秘めていて。理不尽に対しても、凛と立ち向かった彼女のこと。
●小明見・結 ~カスミソウの微笑み~
「……まだ戦うつもりなの?」
滅多に見せぬ厳しい表情でありながら、いっそ悲壮な声で、|小明見《こあすみ》・|結《ゆい》(もう一度その手を掴むまで・h00177)はドラゴンストーカーに呼びかけた。
「あなたを助ける部下ももういない。大人しく退いて。そして彼にも、他の人たちにも今後手を出さないと誓って」
……部下?
ドラゴンストーカーは、寸の間きょとんとして。ああ、と。周囲に倒れた……おそらく教徒であろうダークエルフたちを見下ろした。
まだ息がある彼女たちを、まるで石ころを見るように。
「|竜《ドラゴン》さまのお役に立てぬ愚か者ども……信者を名乗るのもおこがましい!」
どぶり。鈍い音を立てて、波刃の大剣が突き立てられる。
ダークエルフはか細い悲鳴を残し、インビジブルとなって夜気に霧散した。
「なんて……ことを」
口を押え、思わず絶句する結に向けて、狂える教主は微笑んだ。青白い死人色の肌に、赤い返り血を張り付けて。
——退く理由など、どこにあるでしょう?
「力無きゆえに大切な方を失い、苦しんでいるあの方を! わたくしが! 喰竜教団が救わずしてどうするのです!」
「やめて! これ以上彼らの人生を侮辱するようなら、私はあなたを許せなくなる」
結の怒りに応え、精霊たちが自発的に舞い降りた。穏やかな風の精たちも、今ばかりはドラゴンストーカーに飛び掛からんと猛っている。
しかし、結は精霊たちを——自らの心を鎮めた。
「……何をしているのです?」
教主の問いかけへ答える代わりに、仲間たちを省みた。そして、疲弊した仲間は勿論、傷ついた街並みも全て……『忘れようとする力』をもって、癒してゆく。
「これ以上、何も失わせたりなんかしない」
底知れぬ教主との戦いに備え、みんなの傷を癒すことが、結にとっての宣戦布告。何も奪わせないという、決意の証。
その力は、完全に戦意を失ったダークエルフまでを癒して。しかし、たった二人だけを対象の外に置いた。
一人は無論、喰竜教団教主、ドラゴンストーカー。
そしてもう一人は……ドラゴンプロトコルの作家、銀葉だった。
「銀葉さん。 彼女は、ミモザ・アカシアのモデルになったその人は……命を落としたのかもしれない」
何故なら。銀葉は能力者たちの守護により、身体に傷を負ってはおらず。
「それでも彼女はあなたの中に確かに息づいてる。彼女とあなたが紡ぎあげたものは決して消えない」
心に残った傷はきっと。どれだけ痛く苦しくとも、他人が消してはならぬものだと思うから。
——ミモザ・アカシアの冒険をもっと見させて。そこにはきっと彼女もいるはずだから。
流れきったかに見えた涙が、また一筋。作家の頬を伝い落ちた。
穿たれた喪失の痕は深く、底は未だ見えない。
それでも、竜らしく強かに。失った分だけ強欲に、全てを掻き集めて守りたくなった。
「私も続き、楽しみに待ってるもの」
戦うだけが強さではないと。
数時間前にカフェで見せたのと同じ微笑みで、結が教えてくれたから。
彼は不思議な青年だった。最初は少し怖い人かと思ったけれど、話すとまるで違った。
明るく飄々としているようで、その実、しっかりとした考えに根付いているようで。
ヒーローに憧れる姿は少年のようで、しかし、遠くを見るような眼差しは大人びていて。
様々な表情を見せるけれど──共通しているのは。道を照らして前を向く、そのひたむきさ。
種々のガーベラを無造作に束ねたような、親しみやすく、心強い青年だった。
●ラーシェ・リンド ~パッチワークのガーベラ~
「……身勝手なこと言ってんじゃねぇよ」
戦いの最中でも、飄々とした態度を崩さなかったラーシェ・リンド(光束ね・h06139)の双眸が、すぅっと細まった。
深い青の瞳は静謐ながら、確かに熱く燃えている。
「銀葉とミモザの冒険を止めようとするな」
その冒険がどう転がるかは、まだ分からないけど。
「──誰にも止める権利はねぇよ」
数歩下がった銀葉の視線を、背で受け止めるように立ち。
精霊銃を目の高さに引き上げ、打つべき相手へと照準を据える。
「ハッピーエンドがどうとか言ってたけど、物語の終わりを決めるのは銀葉自身だぜ」
生きていれば。否……もしも、生すら終わったとしても。
意志が残る限り、物語は続くのだから。
それすら奪い取り、独善で歪んだストーリーに組み込むなど、到底許せはしない。
「わたくしと、|竜《ドラゴン》さまが共に作り上げてゆく物語です。いい加減、邪魔な端役は退場させなくては!」
ドラゴンストーカーが地を蹴った。ラーシェの得物が銃と知り、間合いを詰める心算なのだ。牙のような波刃を備えた大剣が、銃を持つ腕を切断せんと振り下ろされる。
「好き勝手言ってくれるぜ」
──別に戦いの中で怪我するのは構わねぇけど、こいつに斬られるのは癪だな。
痛みへの耐性も多少はあるが、気が変わった。髪の一本、血の一滴すら、こいつにくれてやるのは惜しい。
「オレの身体はオレのものだ」
攻撃機会を一度棄て、確実な回避を優先して距離を取り。大剣の間合いを外してから、初弾を見舞った。発射されたのは鉛ではなく、闇を裂く光の弾丸。
刃を盾に押し通ろうとしたドラゴンストーカーが、白光に目を焼かれて呻きを零す。
「牽制って言葉知ってるか? 傷を与えるだけが攻撃じゃないぜ」
銃と剣の間合いを測りながら、ラーシェは一撃離脱を繰り返す。他の相手を狙いに行くそぶりが見えれば、確実な射撃で阻害する。自身は無論、誰の身体も斬らせはしない。
「ああ、力無き者の理屈は哀れですこと!」
ドラゴンストーカーは、あくまで力業を振るい続ける。
大剣の一撃が、一瞬前までラーシェがいた地点を陥没させ、地面を彩るデザインレンガが宙に舞って。レンガの欠片に頬を裂かれつつ、ラーシェが放ったのは──エレメンタルバレット『雷霆万鈞』。
それは|精霊銃士《エレメンタルガンナー》となる過程で、多くの者が身に着ける基本技。ミモザも作中で幾度となく用い、恐らく、モデルとなった『彼女』も愛用していただろう技。
「雷と光を束ねて──弾けろっ!」
眩い雷電の直撃を受けたドラゴンストーカーは、今度は目眩ましだけでなく、強烈な爆発も受けて吹き飛んだ。
雷光は徐々に穏やかな光となってその場に残り、ラーシェと仲間たちを柔らかく照らす。
「夜はまだ明けてねぇけどさ、これから明けるしいいだろ?」
な? と、語り掛けたのは……爆風の余韻で枝を揺らすミモザの木。
光を束ねた黄色の花は、微笑むように揺れていた。
彼らは年若く見えるのに、熟練の戦士のような振る舞いを見せてくれた。
目を見張り、圧倒されるばかりだった僕が彼らを勝手に語るのも、おこがましい気がするけれど。
あの少年を例えるならば──紫の皇帝ダリア。
上品な佇まいに、けれどどこか野生の強さを併せ持って。高みから、威厳を持って見守ってくれるような。
あの青年を例えるのは難しいが──赤いヒナギク。
彼自身はもっと静かな印象だけれど。不思議と、一瞬見えた赤い輝石の輝きが、目から離れなくて。
●クラウス・イーザリー ~希望灯すヒナギク~
──ハッピーエンドと参りましょう!
それはもしかしたら、彼女なりに気を回した台詞だったのかも知れない。
本気で銀葉が喜ぶと思って言っている。偽りなく、彼を救おうとしている。
「終わりじゃない」
だからこそ相容れない。斃すことでしか祓えない。
「ここから始まるんだ」
クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は、ライフルを収納し、銀葉を庇って前衛に出る。
「ハッピーエンドの定義など、語ろうとするだけ無粋ではあるのだが」
己が託した想いにまるで頓着せず、|言葉面《もじづら》だけ真似られるのは不愉快極まりない。
トゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)が表情を|顰《しか》めれば、月明かりで滲む彼の影がむくりと首をもたげ、とぐろを巻いて空へ伸びた。
「少なくとも押し付けられるものではなく、受け取り手の問題だろうに……なあ?」
問えばクラウスは頷くが、先程作家にかけた己の言葉が少し面映ゆくも思えてきて。トゥルエノはぷいと再び前を向き、「という訳で」と下手な模倣者を睨みつけた。
「粋を理解しようともせぬツギハギ者などは、疾くと御帰り願おうか」
「ああ。そして、ミモザ・アカシアの物語と、彼自身の人生を、この先も紡いでもらう」
教主はただ、武器を構えて跳びかかる。クラウスはトゥルエノと共に銀葉への進路を阻む。
仲間が戦場に灯した光を、巨大な刃が遮り、死が影を落とした。
「そのために、絶対に負けられないな」
クラウスがフェイントをかけて止まり、空振りを誘った。凶悪な波刃が眼前を掠めて過ぎる。ドラゴンストーカーの攻撃は、高威力ゆえに隙も多いと見て取って、懐に潜り込みナイフを抜いた。
「お前の言うハッピーエンドを、俺は認めないよ」
戦場用のトレンチナイフが、居合の鋭さで閃いた。腕の縫い目を狙う的確な斬撃。教主の顔が憎悪に歪み、握った大剣がぐらりと揺れる。
一旦クラウスから逃れようと足に力を込めるも、動きの鈍さに慌てて目を落とす。
「──くっ!?」
零した息が白い。周囲の地は薄らと霜に染まり、彼女は膝まで霜の花に覆われていた。
トゥルエノが冷気を操っている。
——煌めく冠、御照覧あれ。
更に詠じれば、頭上から幾条もの雷光が迸った。空へ伸びた影が、黒雲と化して稲光を纏っている。
「この程度、|竜《ドラゴン》さまの力の前では無力!」
狂える教主の赤眼が燃え、凍れる脚が肥大化を始めた。現れたのは男性の脚部。その脚力を持って己を飲み込もうとする雷撃を躱し、トゥルエノへと迫る。
「勿体なくも、竜さまの力の一端をくれてやりましょう」
——大いなる力に|暴走《くるい》なさい!
継ぎはぎの異様さが際立つ蹴り。他者の身体を繰った冒涜的な一撃に、トゥルエノの背に戦慄が走る。如何なる脅威かは分からねど、食らわぬに越したことはない。
「注意すべきは、不格好な剣だけではないようだな!」
黒雲を増やし、紛れて。唸りを上げる蹴撃から逃れ。叫んだのは、仲間への警告でもあった。
●トゥルエノ・トニトルス ~皇帝ダリアの矜持~
トゥルエノの言葉に、クラウスもまた気付く。先ほど負わせた腕の傷も──切断とまではいかずとも──浅からぬはず。なのにドラゴンストーカーは大剣を握り直した。
「また、誰かから奪った力か」
腕も変異している。青白い死人の色から、燃え立つような紅の鱗肌に。
「下等種族がッ……竜さまと言葉を交わせるだけで望外ですのに!」
──不遜にもその生き様に口を出し、救いを拒むよう洗脳するなど!
完全に自分を余所にした喰竜教祖の物言いに、クラウスは正面から答えた。
「他人の生き方に口を出すなって言うのは、そうかもしれないけどさ」
──銀葉は『生きたい』と願ったんだ。
生きたい。物語を描きたい。それは彼の願いであり、きっと──欠落となり掛けた|洞《うろ》に灯った希望なのだろう。
クラウスにはもはや、想像することすら叶わない感覚だとしても。
決して、ここで、途絶えさせたくはない。
「黙れ! 竜さまを惑わす不心得者どもがッ!」
竜化の剛力で大剣が振るわれる。流石にナイフでは受けられず、咄嗟に飛び退く。
ほんの僅か、その一瞬だけ、銀葉への道が開けた。
「しまった!」
嬉々として竜さまの元へ駆けるドラゴンストーカーへ、ガントレットからワイヤーを飛ばす。竜化した腕を絡め取るも、食い込む痛みを無視した怪力に、クラウスが引き負ける。
止められない、ならば。
クラウスはワイヤーを手繰り、前へダッシュした。
狂気に侵された瞳が振り向いた。瞬間、全霊を込めてワイヤーを引く。
強引に後ろへ開かれた腕へ、クラウスは飛びついた。
——ルートブレイカー。
「狂信に支配された女に、銀葉の未来は奪わせない」
直後、強烈な蹴りがクラウスを捕らえて吹き飛ばす。
だが同時に、彼の右掌は歪な竜化を祓っていた。
赤い鱗と、肥大化した足が消え失せる。青い肌から、黒ずんだ血が噴き出す。
「竜の力が如何程であろうが、貴様に使われていては憐れなものよ」
仲間が作った機会を逃さず、トゥルエノが銀葉との間に割って入った。
その手に握るのは、教主の狂剣に比べれば、あまりにか細い魔法剣。
だが、空を翔ける|馴鹿《トナカイ》のように素早く。偉大なる狼の牙のように鋭く。数多の属性を宿して変幻自在の輝きを見せる。
「先ずは氷属性の刀身から御見舞いしよう」
地に残る冷気も収束させて刃に宿し、教主へ一太刀。
「さて、如何なる味わいであったかな。竜さまのお気に召したか?」
「貴様ッ……愚弄するか!!」
慇懃に目を細めれば、ドラゴンストーカーは激情を迸らせてトゥルエノへ切りかかる。
──こやつの様子には目を配ってきたが、ここまで弱点らしき弱点はない。
強いて言えば。竜を絡めれば容易に激高し、視野が狭くなるその性格。
「気に入るまで、炎でも雷でも、幾らでも御覧にいれよう」
徐々に銀葉から引き離しつつ、トゥルエノはあらゆる手段を用いて立ち向かう。
この物語を決して、凶刃に断ち切らせぬために。
「此処に在るのは勇気ある冒険者たちの想いと、未来を紡ぐひとの強さの証明なのだから……!」
そうだな、彼女……いや、彼女たちも、とても不思議な存在だった。
同じ機体に乗って、戦い方も統一されているのに、一人一人振る舞いが違う気がした。
リーダーの彼女は中でも一際、厳しくて、優しくて。
知人の誰もが遠巻きにしていた、僕の心の芯に、初対面で真っ直ぐ手を伸ばした。
もしかしたら彼女自身も、こうして何度も立ち上がってきたのかなと感じて……。
うまく例えられているか分からないけれど、オキザリスの花を思い出したんだ。
花言葉は、——決して、あなたを捨てません。
●トロワ・レッドラビット ~オキザリスの英雄~
「……さすがなのですよ」
決戦型|WZ《ウォーゾーン》『レッドラビット』の機体の中で、トロワ・レッドラビット(赤兎小隊長・h03510)は称賛の言葉を漏らした。
先に交戦した青年が──彼女が信頼を置く戦士の一人が──身を張ってドラゴンストーカーの竜化を解除した。その成果を、果敢さを讃えて。
「この機を活かさない理由はねーですね」
赤兎小隊長たるトロワも、ガシャリと大盾を構えて前衛を張る。
負傷した隊員は帰投させた。残った者は援護に回す。
「雑魚どもが群れたところで、何ができるというのです?」
教主の|赤眼《せきがん》は憎悪に燃え、両の掌が肥大化する。広範囲の再竜化は不可能だったようだが、殺意で研がれた竜の爪は充分な脅威だ。
それを、決意に燃える赤眼で、トロワが迎え撃つ。
「|赤兎小隊《レッドラビット》各位──作戦通り、援護に集中。絶対前に出るんじゃねーですよ」
応答を数えつつ、素早く敵を分析。恐らく、爪の一撃をまともに受ければ、己のWZとて真っ二つ。
「かと言って、庇わねえわけにはいかねーですよ。護衛対象も、隊員も、絶対に守り切るのです」
──二度と……二度と誰も、トロワの目の前で死にやがるんじゃねえです……!
そう、脳を加熱させるのは、眠り続ける──。
『|……了解《Roger that》。隊長、どうかご武運を……です』
最後の通信が、ぷつりと切れて。
彼女を案じる隊員の声が、脳裏のイメージを描き替えた。
“小さな兎の獣人たちは、巨大な虎の怪物の襲撃に震え上がり”
“それでも村を守ろうと、|ニンジン《スリング》ショットで立ち向かう”
『青龍』の名を持つ大盾と、青い竜もどきが激突する。
強烈な斬撃に、盾ごとトロワの機体が軋む。長く持つまいが、もう盾は使い捨てる心算。
──四の五の言ってらんねーですから。
「“諦めるな、潰れるな”」
援護射撃が降り注ぐ。敵は爪で弾くが、捌き切れなかった分を身に受けて。隊員へ|狙い《ヘイト》が移る前に、トロワが強く回り込んで遮る。
「“そしたらヒーローが来てくれる!”」
己と仲間を鼓舞するため、口ずさむのは、護衛対象が描いた物語の一説。
最後に応えた隊員がトロワに教えてくれた、兎の村でのエピソード。
“信じろ、立ち上がれ”
“きっと彼女が、花竜のミモザ・アカシアが──”
大盾が割れた。裂け目から、青い女の嗜虐に歪んだ顔が覗く。
続く爪の一振りで、|WZ《レッドラビット》が抉られる。
「損傷甚大っ……脱出するのです!」
トロワ・レッドラビットはあまり物語を読まない。
空想に心を委ねるより、仲間へ心を砕き。
文章を噛みしめるより、仲間の言葉に耳を傾け。
孤独な|自分《かのじょ》たちを守るため、全力を注いできた。
けれどこの瞬間は。
成否と生死が紙一重で分かたれる今は。
全力を超えるために力を借りる。
──……銀葉。テメーがくれた切り札イメージを使うのです!
“ミモザという希望を胸に、兎たちは抗い続ける”
強靭な竜の爪が、WZの胸部を貫いた。邪悪な哄笑が戦場に響く。
“そして、村にある大きな案山子が崩れた瞬間。その影から”
「何勘違いしてるです」
“仲間と共に戦い続けた、兎族の若者が、起死回生の一撃を放った”
「トロワがテメーをぶっ倒すのですよッ!!」
WZの搭乗口は開いていて、脱ぎ捨てられた黒コートが宙を舞う。
視界を遮る布を、ドラゴンストーカーが払いのけた瞬間。
バニースーツのトロワが握る、ショットガンのゼロ距離射撃が火を噴いた。
“なぁんだ。あたしがいなくても……あんたたち、やるじゃない!”
彼らは大人と子どもの組み合わせなのに、話すと中身は逆にも思えた。
そも、年齢で計るのも相応しくないような。どこか僕らと……一線を画す二人だった。
ブルーポピーという、珍しい花があるらしい。『ヒマラヤの青いケシ』の名も持つ、高山に咲く瑠璃色の花。
どこか現実味がないけれど心に残る花は、青年のほうに似ている気がする。
少女は、ある意味真逆。スパイダーリリーの英名を持つ、深い紅のヒガンバナ。
神秘的でありながら身近にいてくれる。毒も持つけれど──綺麗な花だ。
●シャル・ウェスター・ペタ・スカイ ~ブルーポピーの憧憬~
「ずっと見守ってきた」
深手を負いながらも、喰竜教祖の戦意は消えず。しかし突如聞こえた声にピクリと動きを止めた。
「ボクから銀葉さんにかけられる言葉が無くて、してあげられることが無くて」
ほんの少し切なげに告げながら、銀葉を守る者たちの輪へ、新たに加わる人影が一つ。
「だから。身勝手な教祖をぶっ飛ばすこの時を待ってた」
現れたシャル・ウェスター・ペタ・スカイ(|不正義《アンジャスティス》・h00192)に、教祖は恍惚と瞳を潤ませた。
「貴方さまは……!」
「二度目まして、教祖サン! 相変わらず、履き違えた信仰を語ってるみたいだね!」
確かに彼らは以前、刃を交えたことがある。ドラゴンストーカーの側も相手を認識していたのは、シャルがまさに、敬愛する|信仰対象《ドラゴンプロトコル》であったからだろう。
「でもキミもボロボロみたいだし、急がなくていいかな」
今なら。銀葉さんに言いたいことが思いついたんだ、と。
シャルは足音軽く、銀葉に歩み寄る。目線を合わせて、戸惑う作家の手を握る。
「よかったね、銀葉さん。好きな人の物語、また書けるんだよ」
──それは幸せなことだよ。
「好きな人への想いを繋げられる、好きな人の活躍を描ける。キミにはその力があるんだ。羨ましいな」
心からの祝福と、微かな憧憬を込めてシャルが伝えて、銀葉が返す言葉を思い付く前に。
「やつでの知る死は、孤独と、冷たさです」
ぽつりと、少女の声が割って入った。
|黒後家蜘蛛《くろごけぐも》・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)の赤い瞳が、闇の中から浮き上がる。
「偉大なる母を通して、やつでは種が滅ぶ恐怖を知っています」
歴史に名を残したもの、残さなかったもの。どちらにせよ、滅びた|蜘蛛《なかま》たちの声は途絶え、聞くことはもう叶わない。
「でも、銀葉様の幼なじみの方は、違います」
彼岸から此岸へ渡るように、黒いドレスの少女は仲間が灯した──戦場を照らす光の中へ現れる。
やつでは、視界の隅にあった満開のミモザの花へ、ちらりと振り向いて。少し考え、……また考える。己を賢いと謳う彼女が、一つずつ手繰るように、言葉を拾ってゆく。
「その方が残したものが、本を通してやつでになにかを語りかけていて、つまりみんなが知っているわけで」
彼女の強さも優しさも、銀葉によって物語に託されて。人々に愛され、温かい記憶となって残っている。
おおきなものに繋がって──与えて、与えられて、ずっといる。……だから。
「彼女は孤独ではない、のではないかと……やつでは思うのです」
●黒後家蜘蛛・やつで ~縁繋ぐヒガンバナ~
やつでの言葉を聞き届け、シャルは、つきりと痛む胸へ手を添えた。
──大好きで大好きで大好きな人を失ったら、未来が見えなくなる。
だから、多分。シャルの足取りは、雲の上を行くようにふわふわとしていて。
最初の一歩だとしても、道を定めた銀葉に、『良かったねぇ』と伝えたかった。
そう思えば、胸の痛みもほわりとした温かさに変わる心地がして、シャルはぴょいっとドラゴンストーカーへ向き直る。
「さて教祖サン、何度でも言うけど、ドラゴンプロトコルを想うなら相手の意志を尊重しなよ」
「わたくしも何度でも申し上げましょう、全ては皆さまのためなのです」
それが彼女の教義。揺るがぬ狂気。
「キミが聞く気ないのも知ってたけどね。だからお仕置きだ!」
「ええ、貴方さまを相手取るなら、わたくしも覚悟をせねばなりませんね」
とたん、猛烈な『嫌な予感』が場に満ちた。
溢れ出す闇に──女が喰われてゆく。
手が、足が、千々に割けて消滅し、最後に残った顔が嫣然と笑う。
「|真竜《トゥルードラゴン》さま! どうぞこの身を糧に、ご降臨くださいませ!」
そして、光が戻った世界には、蒼白い鱗の巨竜が顕現していた。
「ドラゴンですか! 動きが鈍い敵ならやつでは得意です」
だが、怯えるどころか嬉々として飛び掛かっていく少女が一人。
「うわー! その反応はさすがにびっくりかも!」
シャルも慌てて、お仕置き用の『ぷちクラウド』を呼び出す詠唱を始めた。愛らしいもこもこ雲が、まずは巨竜の視界を塞ごうと飛んでゆく。
「もちろん真正面から殴り合ったりしませんよ。やつでは策士です!」
闇に紛れ、これ幸いと雲にも紛れて密やかに。シルクのような細い糸を、街へ伸ばしてゆく。
巨竜が息を吸い込んだ。分かりやすいモーションを見切り、やつでは糸を縮めて、近くの屋根まで飛びあがる。
遅れて吐き出されたのは、強大な灼熱のブレス。
なるほど、と納得して、シャルも雲を束ねて防ぐが、防御越しでも炙られるような強烈な熱気だった。マシュマロのように焦げたもこもこが、炎を弾ききって消滅する。
屋根の上からぐるりと見回せば、やつでが巡らせた糸のいくらかも焼き払われていた。
「鈍いとはいえ、ブレスをあまり吐かせては危険ですね」
「なら、いっぱい邪魔しちゃおう!」
「はい。素晴らしい作戦です!」
無邪気なシャルの提案に、蜘蛛の娘も全力で乗った。|見えない蜘蛛の糸を引き《ウェブ・スイングを繰り》、竜の周囲を挑発するように飛び回る。竜は首を巡らせてやつでを射程に捕らえようとするが、小柄な彼女の素早さに翻弄され、ちょこんと背に乗られてしまう始末。
「このままペットに……するにはちょっとしつけが大変そうです、ねっ」
地鳴りの如く揺れる竜の背から離れると同時、やつでは糸を弾いて一斉に蜘蛛たちへ指示を出す。
すると街のあちこちで、様々な物品がうごめき出した。
ゴミ箱が飛んで竜の頭で跳ね返る。出窓にあった植木鉢が、次々背中に降り注ぐ。ベンチが持ち上がって太い足を叩き、ダークエルフの持っていた細剣が──爪楊枝のように、牙の間へ突き刺さる。
「こ、これはすごい邪魔だー! やるねぇ!」
「そうでしょうそうでしょう! すごく邪魔してますとも!」
シャルの称賛にむふんと胸を張る一方で、聡いやつでは察していた。
「けれど、ダメージにはなっていません。蜘蛛糸の拘束もどこまで持つか」
威力がどうというレベルではないのだ。もはや、無敵という表現が相応しい。妨害に特化した二人で動きを抑え込めてはいるが、真竜の名は伊達ではなく。
ゆえに、やつでは告げた。
「ここは……一撃必殺のどなたかにトドメを刺して頂きましょう」
まるで、神託のように。
彼の闘いを見ながら、『何の花が合うか考えていた』なんて言ったら、叱られてしまうだろうか?
けれど僕は、美しいと思ったんだ。豪快で、あまりにも華やかで。
派手な大輪……なんて最初は考えたけど、必死に目で追う内、繊細な立ち回りに魅入った。
だから、浮かんだのは、情熱的なガーベラの花。花弁は一重咲きで、鮮やかな色だろう。
真っ直ぐで迷いのない姿に心重ねれば、僕も共に、陽の中に行けるように思えた。
●前哨戦 ~張りぼての真竜~
──|真竜《トゥルードラゴン》さま! どうぞこの身を糧に、ご降臨くださいませ!
高らかに詠って、ドラゴンストーカーは闇に喰われた。
そして戦場には、彼女が自らの肉体を犠牲に召喚した、巨大な|真竜《トゥルードラゴン》が傲然と居座っている。仲間たちに押し留められてはいるが、無敵を誇るその身を前に、決定打に欠けるようだ。
やがて、蜘蛛糸を繰るゴシックドレスの少女が、唇を動かすのが分かった。
ここは、一撃必殺のどなたかにトドメを刺して頂きましょう──。
流石に『一撃』かは分からねど。火力がご用命とあれば。
「応えぬ訳にはいかぬだろう」
ガラフ・ラハ・ラグターク(波濤のガラフ・h04593)は、手甲を締め直して口角を上げる。
目の前の相手、真竜とはのたまうものの、蒼白い鱗に生気は感じられない。
そも、捧げた肉体自体が、他者の継ぎはぎであることを考えれば。
「……犠牲になっているのは奴ではない。どの口で糧などと」
√能力者になると生死感が揺らぐ面はある。だが奴はそんなレベルではない。他者の命を、死を、どこまでも軽んじる喰竜教団に対して、怒りは尽きることを知らない。
「俺に出来る事は、距離を詰め、拳を用いて戦う事のみ」
だが、欺瞞で作られた、張りぼての竜程度なら。
「己が全霊を阿修羅に捧げる化身拳に、貫けぬ道理はない!」
逆巻く瀑布のような闘志が、覇気となってガラフを強化する。|灼熱の吐息《ブレス》を躱して懐に潜り込めば、もはや真竜など、鈍重な|的《マト》でしかない。
——化身拳は相手を選ばず!
人間離れした怪力で、拳を竜の腹に叩き込めば。
轟音と共に、巨大な体躯が夜空に浮かび、爆ぜ散った。
●ガラフ・ラハ・ラグターク ~燦然たるガーベラ~
はは、と、小さな笑い声が聞こえた。やや渇いてはいるものの、からりとした悪くない声だった。
声の主を探して振り向けば、呆気にとられる銀葉と目が合った。
「……とんでもないね」
こういうのを、事実は小説より奇なりって言うのかな?
目元に笑い皺を滲ませる銀葉に、小説家が言うならそうなのだろうなと、ガラフはニヤリと返す。
だが、まだ終わりではなかった。
再び不吉な気配を感じてガラフは拳を握り直し、身構えると。
「全く……なんと……しぶとい者どもでしょう……」
「そっくりそのまま此方の台詞だ」
真竜が消えたその真下に、ゆらりとわだかまる青い|靄《もや》があった。少し時間をかけて、巻き戻しのようにドラゴンストーカーの肉体が再現されてゆく。
——インビジブルになる瞬間を見届けるまで、安心できぬということだな。
とはいえ、相手も限界が近い。どころか、限界を超えているのかも知れなかった。手足は小刻みに震え、肌は一層青く、放っておいても自滅するのではないかと思われたが。
「ええ、わたくしは……命尽きようと諦めません。救済こそがわたくしの生きる意味……使命なのですから!」
どこにそんな膂力が残っていたのか。身の丈を超える大剣を握り直し、ドラゴンストーカーは真っ直ぐに銀葉を狙う。無論、ガラフが許す訳はなく、拳を覇気で固めて受けて立つ。
「字面だけ聞けば、立派なものだが」
愚直な相手に合わせ、ガラフも正面から踏み込む。と、見せかけて軽く横へフェイント。斬撃をいなしつつ、左右の拳をジャブ程度に当てて。バランスを崩したところに強烈な一打を追い打つが、これはギリギリ大剣の腹で阻まれる。
「生きたいと願う事に御大層な理由など要らん」
仕切り直したドラゴンストーカーが大剣を振る。刃に手甲を合わせて力の向きを変え、ガラフは斬撃を受け流す。
捌ききった──筈が、刃を受けた右腕が動かない。教主の赤眼が三日月型に歪む。
「成程、そういう技か。ならば」
しかしガラフは動じない。彼を取り巻くように陽炎が揺らめくと、一呼吸の後に|決戦型WZ《ウォーゾーン》『羅睺機イアルダバオス』が実体化する。
ちらりと横目をくれるだけのドラゴンストーカーへ、
「人の乗らない抜け殻だと思うかもしれんが、生憎こいつは自力で動けるのでな」
教え諭すように告げた瞬間。イアルダバオスの拳が唸りを上げた。ガラフに劣らぬ拳圧に、狂える教主は慌てて身を捻る。そして無理に捻ったその先で、待ち受けていたガラフの蹴りが炸裂する。
ドラゴンストーカーは回転しながら吹き飛んで──……大剣を地に立てて踏みとどまる。
「己の生きる意味など、己自身が納得出来ればそれで良いのだ」
拳と剣、更に脚が激しく打ち合う喧騒の中、ガラフの声は彼に届いているだろうか。
彼は。銀葉は。
死にたいと願いながら、同時に、生きる意味を探していた。
大切なひとの死に打ちのめされ、自分と、自分たちの分身たるミモザ・アカシアをも捧げようとした。
けれど同時に、そんな絶望に抗ってもいたのだろう。
まだ終わりたくない、終わらせたくない。
湧き上がる衝動の理由など、問う必要もないとガラフは思う。
「……彼が本当にミモザ・アカシアを永遠に眠らせる事を良しとするなら、俺達が今日此処で相見える事すら無かったであろうな」
戦士とは異なれど、彼は確かに生死をかけて戦っていたのだ。己を蝕む、絶望と。
「人はいずれ死ぬものだが、銀葉殿は死に向き合い、決別の一歩を踏み出した」
──お前如きに、『死ぬ為に生きてきた』などと言われる筋合いは、もう無いだろうよ。
ドラゴンストーカーの、表面上は整っていた面立ちが……夜叉へ変貌する。無理やりに竜の力を引き出したのか、腕へ半端に鱗を纏わせて竜化部位とし、増した膂力でガラフとイアルダバオスを纏めて薙ぎ払おうとする。
その大振りを、二人は跳躍して超えた。
答えは最初から銀葉の中にあり、彼には抗う力があった。
自分たちはそれを、引き出したに過ぎない。
「故に、お前如きが宣う“救済”など、始めから必要無かったのだ!」
|化身《ケシン》——|襲墜刀《シュウツイトウ》ッ!!
イアルダバオスとガラフが放った流星のような蹴りが、ドラゴンストーカーを重ねて貫いた。
銃使いの彼女を例える花は、やはり睡蓮。羊草なのだろうね。
幾分あけすけに物を言い、いつだって核心を撃ち抜くひとだった。最初は驚いたけれど……とても正直で清廉。
もう一人の、春色の彼女は、最初は可憐な菫のように思った。
けれど今は、竜の名を持つリンドウになぞらえたい。辛抱強く、誠実に、僕を守り抜いてくれた優しいひと。
語ろう、彼女たちのことを。あの場所で、最後の勇気をくれたひとたちのことを。
花竜のミモザ・アカシアを救った、瑞々しく希望にあふれた冒険者。
その物語の、締めくくりに。
●ネニュファール・カイエ ~道標たる睡蓮~
仲間が施してくれた『忘れようとする力』のおかげで、傷は癒えている。
ネニュファール・カイエ(人間(√ドラゴンファンタジー)の未草の|精霊銃士《エレメンタルガンナー》・h05128)は軽くストレッチして腕の調子を確認すると、精霊銃のグリップを握り直した。
「不甲斐ないとこ見せちゃった。でも、これがわたしの実力だもの、仕方ないね」
反省はすれど項垂れはしない。そんな暇があれば、腕を磨くか策を練るか、とにかく次の一手を探す。
新緑の瞳は、どこまでも現実を見据え、道の先を見通してゆく。
「ねえ、銀葉センセ?」
仲間も手を尽くし、ドラゴンストーカーも全ての札を切った。
これが最後の交戦になると察しつつ、ネニュファールはこつりと靴を鳴らす。
「他の人は知らないけど、わたしは日々の糧を得るのに、冒険者が向いてるって思うからやってるの」
その過程で、誰かを、何かを守ることもある。
けれど根本的には『食い扶持を稼ぐため』に、冒険者という職に就いているに過ぎない。
「ぜーんぜん格好良くない」
——格好良くないけど、良いの。
他者からの評価など二の次で構わない。
ネニュファールは、自分で選んだ|職業《みち》を、自分の足で進んでいるだけだ。
「誰かの言動は気持ちに落ちる時もあるけど、何にも感じないこともあるわ」
こつん、こつんと足音は続く。満身創痍ながら、銀葉の|殺害《すくい》に執着し続けるドラゴンストーカーが、力を振り絞って剣を持ち直す。
「花竜のミモザ・アカシアは……あと、もしかしたらミモザ・アカシアって名前じゃないかもしれない幼馴染さんは……」
──センセのために、冒険者をやっていたの?
背後で、銀葉の気配が凍った。
そして、固まる銀葉の冷たい右手を、きゅ、と包む細い指があった。
春色の装いの|竜宮殿《りゅうぐうでん》・|星乃《ほしの》(或いは駆け出し冒険者ステラ・h06714)が、菫の瞳で銀葉を見上げている。
それは、かつて何度も『花竜のミモザ・アカシア』の冒険を追った瞳。銀葉の綴った文字を追い、ミモザと共に空を翔けた瞳。
「私……私も、銀葉先生に伝えたい想いは沢山あります……」
『生きたい』という望みを、彼が見出してくれた嬉しさとか。
彼が自分たちを信頼してくれたことに対する、感謝とか。
熱い感情がとめどなく、星乃の胸に湧き続ける。涙として零れないようにするだけで必死なほどに。
「……でも、いざ口にするととても陳腐になりそうですから……」
せめて、この手の温もりを通じて、己の想いが少しでも伝われば良いと願いながら、星乃は微笑む。
──絶対に守り抜きます。
ネニュファールも二人の様子を肩越しに確認し、軽く笑みを浮かべた。
「センセは、皆の影響でうっすら生きたいって思ってるみたいね? ついでにもっと、会話してみたら?」
センセの胸の内にしかいない幼馴染さん……彼女さんと。
それから、花竜のミモザ・アカシアとも。
「話したら、気持ちをはっきり決められるかもよ?」
未だ殺戮者が眼前にいる状況で、皆に守られている現状で。
それは、と。戸惑う銀葉に、ネニュファールは首を振り、鋭く言い放った。
「今じゃなきゃダメ!」
──時間は皆で稼ぐからね。と、片目をつむって魅せるのは、前より上手くいった。
銀葉に寄り添う星乃が、微かに頷いたのも見届けて、未草の少女は決戦へと赴く。
「わたくしは……救わねば、あのお方を……!」
「そう。大変ね、使命感があるっていうのも」
何度も部位の竜化を繰り返し、一度は真竜にまで至り。全身を弄り続けたドラゴンストーカーの肢体は、継ぎはぎ以上にボロボロだ。精神も虚ろになりながら、教主としての執念だけで最後の竜化を行う。
波刃の大剣がゆっくりと持ち上がる。合わせて、左右の足先が変化した。片方は落陽後の空が見せる昏い紫へ。もう片方は朽ちた森を思わせる枯草色へ。
対するネニュファールの右目も変化する。芽吹き萌える若葉のように、炎が燃え立った。
──竜漿魔眼。
傷ついた相手でも、侮るわけにはいかない。手負いの獣は何をするか分からない。
慎重に距離を取って駆けながら、未草の精霊銃士は隙を探る。
●竜宮殿・星乃 ~愛深き竜胆~
「彼女と、ミモザと、話すなんて……どうしたら」
銀葉は途方に暮れた迷い子のような声を零し、けれど必死に考えている。
星乃には分かった。これは、彼が最後まで避け続けてきたことなのだと。
恨まれていると断じ、自分のせいだと嘆いている間は誤魔化せたこと──幼馴染自身の心と、向き合うこと。
「先生……」
星乃はやはり、かける言葉がなくて。
けれどこの時ばかりはネニュファールのためにも、ここまで戦ってくれた仲間たちのためにも。
彼らが作ってくれた時間を活かそうと、懸命な銀葉のためにも。
何より、銀葉の幸福を願う星乃自身のためにも。できることを、考えねばならなかった。
──違っていたらどうしようとか。上手く伝わらなかったらどうしようとか。
そんな、|迷いと羞恥を棄てるための力《恥ずかしさ耐性》と、何より大切な|気持ち《優しさ》を、彼女は持っている筈なのだから。
「銀葉先生……私たち、もしかしたら、難しく考えすぎなのかもしれません」
意を掴み損ねて瞬きをする銀葉へ。恐れを払いのけて、星乃は笑った。
「本心とか、正解とか、考えるから気負うんです。もっと、簡単で良いのではないでしょうか?」
ネニュファールさんも仰いました。『会話』してみたら、と。
──『対話』では、ないんです。
ニュアンスの違いは、作家である銀葉にはすぐに伝わったようだ。
「幼馴染の方と普段していた、たわいない話を……たくさん思い出してあげてください」
大丈夫、その間は私も守りますから──。
そして、銀葉はようやく気付く。
ずっと自分に寄り添ってくれていた、巻き込まれた一般人だとばかり思っていた星乃の右目が、紫色の炎を帯びていることに。
相手の動きは鈍い。間合いは充分に取っている。
しかし、ネニュファールの経験則と第六感が危険を告げる。
──後ろに避ける? 左右に避ける?
迷う暇はない。勘で大きく左に飛んだ。すると、一瞬前まで自分がいた位置に、ドラゴンストーカーが着地して大剣を叩きつけている。竜化した脚に力を集中して、強引に跳んだのだろう。
「後ろに飛んでたら、剣先を喰らってたね」
観察していたので知っている。あの剣は他者の力を奪うのだ。僅かでも足を裂かれれば、切断されずとも、動きを止められてしまう。
|幸運《ラッキー》を素直に喜んで、牽制の魔弾を数発見舞う。大剣の腹で弾かれるが、距離を取るための隙は見えた。
──言ったからには、時間稼ぎくらいやりきってみせる、けど。
ドラゴンストーカーの殺気は衰えるどころか高まっている。思考や問答の余裕を失った分、殺意だけが研ぎ澄まされる。銀葉を殺す。邪魔する者を殺す。ただその一心が彼女を突き動かす。
ネニュファールの額に、汗が伝う。
攻めに転じる隙は、なかなか見えない。
「……ここまで、私はまともに戦ってません」
繋いだ星乃の手に力が籠る。決意を表すように右目の炎が昂るのを、前髪で隠す。
「銀葉先生が勘違いされたのと同じく、ドラゴンストーカーも私を非戦闘員と思い込んでるはずです」
——その隙を突きましょう。
ネニュファールも、どこかで星乃が仕掛けると分かっている。目配せはそういうことだ。
無論、仕掛ければ相手も気付く。二度と不意は付けない。
チャンスは一度しかなく、その一度を掴むために星乃はここまで密かに、銀葉の守りに徹してきたのだ。
「先生を危険に晒しはしません。ただ……今まで通りでいてください」
分かった。と、微かな応えがあった。緊張してはいるが、怯えてはいなかった。
信じているのだろう。彼女たちが、決着をつけてくれると。
「幼馴染の方と、会話は……できましたか?」
ちらりと、ドラゴンストーカーの視線を感じた。怯えた風を装って、星乃は銀葉の右腕にすがりつき、右目を隠す。
察したのだろう、銀葉はそのまま穏やかに答えた。
「そうだね。色々思い出して、話したよ。冒険者学校に受かったときの、キラキラした笑顔とか。冒険が上手くいかなくても、文句を言い終えたら、すぐに次の計画を立てるワクワクした口調とか」
あのカフェで初めてミモザの花を見て、とても気に入って、僕を引っ張って入ったときのこととか。
どんなに遠くへ旅に出ても、ミモザが咲く季節には必ず帰って来ると約束したときのこととか。
「ミモザは……なんと言っていましたか?」
ずっと銀葉の手を握っていた……どころか、身を預けていたことにはっと気付き、真っ赤になりながら。
星乃は敬愛する作家を見上げて、問いかけた。
「ミモザには、こっぴどく怒られたよ」
——あの子のことは、あたしもよーく知ってるわ。
あんたのためとか、あたしのせいとか、馬鹿にしてる? 思い上がりもいい加減にしなさい!
全部、全部……やりたいようにやってたに決まってるじゃないっ!!——
●花竜のミモザ・アカシア
駆ける、翔ける。射撃の合間に息を整え、ちらりとネニュファールは銀葉に視線を送る。
「どうやら……時間稼ぎは、やりきったみたいね」
だが、ドラゴンストーカーもまた、同じ方向を見ている。
どうしても銀葉から完全には意識が逸れない。即ち、隣にいる星乃にも多少は意識を割いているということだ。
不意打ちは捨てて合流に切り替えるか、思案が過った瞬間。
銀葉が、星乃の腕をそっと離して、こちらへ向かった。
アァ、嗚呼!?
言葉にならない歓喜の声を上げて、ドラゴンストーカーが刃と共に歩み寄る。
その瞬間。銀葉の影となった星乃は、完全に教主の意識から消失し──燃える右目が、機を捉えた。
「舞い上がれ、ダイヤモンドダスト・ドラゴン!!」
──彩氷竜顕現!
|竜宮殿式・彩氷竜詠唱《ドラグナーズ・ララバイ》。
「銀葉先生は絶対に傷つけさせません!」
星乃の招いた、美しき蒼白金の竜がドラゴンストーカーの前に立ちはだかる。
「今の私は冒険者ステラじゃありません──……それでも、竜信仰に深く携わる竜宮殿家の娘として! あなたの邪悪な竜信仰は許せません、ドラゴンストーカー!!」
|彩氷竜《ダイヤモンドダスト・ドラゴン》が、正面で隙を晒す喰竜教主に|輝く氷の息吹《フリージング・タキオン》を放つ。
無論、銀葉は光に紛れて逃れている。最初のような自棄の自己犠牲ではなく、できる援護をしたいと申し出て。役目を果たし、彼女たちに後を託した。
「ァ……アァ、|竜《ドラゴン》さま……どちら……へ」
「大好きなドラゴン様からの裁きです。甘んじて受け入れなさい!!」
ブレスに貫かれながら、なおも手を伸ばす教祖の急所を。
「これだけ目立てば、見逃すわけないわ。ちょっと眩しいけどね!!」
暗視を使っていた目には痛いほどの光の中、ネニュファールの燃える瞳が確かに射抜いた。
「わたしの全力を込める! 貫け! ファルファデ!」
|バルデフィ『未草衝撃』《イタズラヨウセイシュツゲキ》。精霊銃『ファルファデ』から放たれた種子状弾は、ダークエルフを狙った時とは比べ物にならない威力で、狂える教主の心臓を正確に撃ち抜いて。
「悪しき簒奪者に死の鉄槌を!」
彩氷竜に力を託しながら星乃が叫び、ネニュファールが重ねた。
「そして──センセのハッピーエンドを!」
氷と花が舞い踊る光の中で、今度こそ。
絶命の断末魔を残し、ドラゴンストーカーは無数のインビジブルへと変じて、消えた。
やがて光は消え去って、元通りの夜となっても、ミモザの花はもう翳っては見えなかった。
銀葉は眼鏡を持ち上げ、目の縁を拭ってから、ゆっくりと細める。
すると月光の中、花の下で佇む少年……オスモントの姿が浮かび上がった。
オスモントはじっと待ち続ける。待って、待って、いつしか夜は白み始めた。
黄金色の曙光を浴びながら、オスモントはやがて大きく手を振った。
その先には、彼女が。
──花竜のミモザ・アカシアが。満開の笑顔で、手を振り返していた。