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美味探訪★スミスのグルメ!

#√汎神解剖機関 #クヴァリフの仔

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 #√汎神解剖機関
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●No Credit, No Monsters, Just Dinner
 アタッシュケース内部に構築された|怪異収容特殊空間《コンパートメント》に揺蕩う、ぼんやりと鈍い光を放つ有機的な物体。クヴァリフの仔……脈打つ心臓のように微細な波動を発している "ソレ" を眺め、男は満足そうに頷く。
「I'll Put away......|収容《しま》っちゃうよ、と」
 どこか芝居がかった、けれど妙に軽やかな台詞と共に、彼はアタッシュケースを静かに閉じた。金属錠がカチリと鳴ると、怪異の放つ不穏さが僅かに薄れる。
 |Alright《よいしょ》、|Alright《よいしょ》と小さな呟きと共に、"ごく普通のリムジン" のトランクへと次々に無数のアタッシュケースを納める男は、『リンドー・スミス』。
 アメリカの「FBPC(連邦怪異収容局)」に所属し、アメリカの繁栄の為だけに怪異の|新物質《ニューパワー》を奪おうとする……所謂、敵勢力のエリートである。
「今回は|楽園《√EDEN》の能力者の妨害を受ける事も無かったか。まぁ、彼等が捕捉できない程に私の星詠みが高度だったという事かね」
 労せず|新物質《ニューパワー》の手掛かりが手に入り、被害もほぼゼロ。上層部からの覚えもめでたいだろう。であれば、彼が内心ウッキウキになるのも無理もない。
 こうしてクヴァリフの仔はリンドー・スミスの手に渡ってしまいましたとさ。

――


「はい、奪われちゃいました」
 √能力者達の雑談で賑わう一角。長机の前で、「星詠みの少女」――神童・裳奈花(風の祭祀継承者・h01001)は、「てへー」と悪びれも無く報告する。
 なんだ予知じゃなくて被害速報か……ときみたちは背を向け、それぞれの話の続きへと戻るのだった。


              -完-


「待って待って違うのおおお!! というか始まってもないのに終わらないで!!」
 星詠みの少女は必死の形相で食い下がる。

「ここからでも巻き返せる一発逆転の手が残ってるんだよ、リンドーが "独り打ち上げ" してる間にクヴァリフの仔を奪還して欲しいんだってば!!」

 ――なにて???
 怪訝そうな顔をするきみたちに向けて、星詠みの少女はホワイトボードを引っ張り出して説明を始めたのだった。

 ==============================
 ミッション:『クヴァリフの仔』を盗みだせ
 一仕事終えたリンドーは、|連邦怪異収容局《FBPC》へ帰還する前に「日本のグルメ」を堪能しようと計画。
 彼をさりげなく「旨いメシ」に誘導し、満腹状態からのうたた寝を誘発せよ。
 第一章は日本各地のグルメ旅、第二章は恐らく居酒屋さん(未成年はノンアルコール)でのやり取りとなる。
 彼が寝入ったその後は、起こさないように『クヴァリフの仔』をくすねて撤収する。
 ==============================

「えー、こほん。彼は非常に強いので、今回は正面からの戦闘は避けるようにお願いしますね」

 キュポ、とマーカーの蓋を閉めて裳奈花は向き直る。

「クヴァリフの仔はリムジンのトランクにみっちり積まれてます。入りきらなかった分は、彼が上着のポケットやらビジネスバッグに入れて持ち歩いているようですよ。油断しきってる怪異オジサン……もとい、リンドー・スミスに一泡吹かせてやりましょう!」

 威勢良く締めくくり、ぺこりと一礼する裳奈花。その表情は――
(星詠み合戦で負けた分、ヒドイ目に合わせてやるんだから……!)
 大分私怨が混じっていたのだった。

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第1章 日常 『観光地へ行こう』



 紙巻き煙草に火を点ける。
 ふわりと燻る紫煙は――
「Umm、流石は日本の誇る銘柄MAI-SEN。食欲をそそる|Fryed-Flavor《トンカツ味》、癖になりそうなくらい怪異な味わいだ」
 何処かで聞いたような、しかし明らかに「違うそうじゃない」感満載の煙草を喫ってご満悦のリンドー・スミス。良い仕事の後の美味い一服の後は――そう、当然旨いメシ!
「さて。毎度のことながら、私が有能であるが故に行動時間はたっぷりと残っている。この時間で勝利のDinnerをゆっくりと味わうのが私の楽しみなのだ」
 掌を擦り合わせ、ニタリと笑うリンドー。悩ましいのは何処で何を食べるべきかという点だが、有能な彼はそれについても既に解決策を用意してあるのだ。
 彼はコートの内ポケットを探り、二枚の鏡を宙に浮かべた。続々と革靴の硬い音を響かせ、鏡像の世界より複数のリンドー・スミスがこちら側へと降り立つ。
 |Duplicrux《ドゥプリクルクス》……『呪いの合鏡』とも称される、対象を無数に複製する怪異。その怪異が生み出したるは、全員がリンドー・スミスで構成された小隊。まさに脅威と言う他ない――が。

「方々に散り、この国のグルメを堪能して来たまえ。集合した後は、それぞれ味と満足感の共有を行う事」

 ……何という怪異の無駄遣い。普通はもっとこう、電撃的な奇襲作戦とかするんじゃないの?
「Ah, 待ちたまえ。大事な事を忘れていた」
 リンドーは猛禽のような目を鋭く眇める。

「各自、お土産を忘れないように」

 ……人差し指をぴんと立ててそう語るリンドーは、大変オチャメだったとか。
八手・真人
オメガ・毒島

●それは宝石のような果物の芸術で
 八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)は決死の覚悟でドアを押す。若干重いドアが開くと同時、「ウェイッ」という謎の入店音……は当然無く、カランコロンと心地よいカウベルの音が歓迎した。店内に漂うフルーツとミントの瑞々しい香り。そして並ぶスイーツはどれも煌めいて見える。財布の中身を思い出し、彼は一瞬だけ目を伏せた。
「た、高そう……だけど、でも……し、仕方ないんですッ。ね、メガちゃん店長。ねっ……!」
 その言葉に、隣に立つサイボーグ青年──オメガ・毒島(サイボーグメガちゃん・h06434)は静かに頷いた。眼鏡の奥、瞳は真面目そのもの。
「ええ。ですが、これは必要経費です。怪異を追う我々に必要なのは、情報と覚悟と……栄養ですからね」
「え、えっ、そ、そっか……栄養……!」
 出迎えの店員にテーブルまで案内されつつ、オメガの声に真人は目を輝かせる。イイ仕事はイイ栄養から! 流石メガちゃん店長分かってる!
 二人が居るのは、地元で話題になっている季節のフルーツパフェ専門店『果実園パラディゾ』。この店から、"怪異の気配(のようなもの)" が微かに感じられた。……ような気がしたのだ。
「で、でも……リンドーさん、ここにいるかも……しれないですよ? ね? メガちゃん店長……」
「可能性は否定できません。だからこそ、我々が先手を打つのです」

 そして注文から待つ事暫し。木製のトレイに乗せられて運ばれてきたのは、背の高いグラスに美しく盛りつけられた『季節限定・DX苺パフェ』(税込2,640円)。赤桃に染まった果肉が、まるで濡れた宝石の如く艶めいている。中段のミルクジェラートとカスタードクリームの層が、鮮やかな赤を引き立てていて……これはもう、芸術だ。
「ま、眩しいッ……輝いてるッ……」
 一口すくって口に運べば、果汁がじゅわっと広がる甘酸っぱさと、優しいミルクのコクが舌の上で溶け合っていく。
「お、おいしい……!! おいしい、おいしい……」
 気がつけば真人はもう夢中。スプーンを動かすたびに、甘さの層が変化していく。苺、クリーム、ゼリー、また苺。言葉が、語彙が、追いつかない。

 続いて、オメガの前に運ばれたのはプレミアムマスクメロンパフェ(税込3,850円)。ふわりと拡がる甘やかで芳醇な香りに、メガちゃんの思考が一瞬停止しかけた。グラスの上段には、繊細にくり抜かれたメロンの果肉が、生クリームのクッションの上に美しく並べられている。中央には雪のように白いバニラアイスと、淡いグリーンのメロンジェラート。その下には、新鮮な果汁を使ったメロンジュレと、キラキラ光る果肉入りのシロップ層。
「……瑞々しい果肉、芳醇な香り、溢れる果汁、糖度の暴力……」
 けれど、それが決して下品ではない。フレッシュな生クリームとの相性が絶妙で、味がぶつからず、まろやかな甘さに包み込まれていくような体験。
「おいしい。おいしい、です」
 リンドーがいないかしっかり見張っておく……という話は、完全に頭から飛んでいた。彼らの脳内は、すでに "勝利の味" で満たされていたのだ。
「……メガちゃん店長のも、おいしそう、ですね……ひ、ひとくち、交換しません、か?」
「ええ、ええ。私も、そちらの苺が気になっておりました」
 じゃあ一口分、とお互いのパフェを交換しあう二人。ああ、何と素晴らしい体験か。その幸せそうな甘味のやり取りを、店の隅でメニューを手に取ったまま難しい顔で凝視する者が一人居た。

「Hmm……彼等のリアクション、実に参考になる」
 両手を組み、唸り、遠くを見つめ、またメニューをめくり、そして再び真人とオメガをチラ見する男――連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』。
「苺か……否、メロンも……うむ……選べん。どちらも甲乙つけがたい。であれば――」
 迷いに迷った挙句、彼はバサリとメニューを閉じ。
「両方、いただこう」
 無駄にキメ顔で頷き、店員に声をかけて注文する。その後、リンドーのテーブルには苺とメロンのパフェが同時に鎮座することとなった。
「美しき紅蓮の果実。そして翠の香気。ふふ……これもある種の“ニューパワー”か」
 まずは苺。続いてメロン。交互に、時に同時に。幸せそうに目を細め、食べ進めるスプーンの手が止まらない。
 とろける甘さが、胃袋だけでなく、精神までも緩やかに包み込んでいく――。

 その後。
「戻ったら博士に自慢しましょう。……八手さん、領収書を忘れずにお願いします」
「りょ、了解ですっ。全額経費で落ちるって、言ってましたもんね」
 テーブル会計を済ませ、席を立つ。ふと、オメガが辺りを見回した。
「……ところで、リンドー氏は……いましたっけ?」
「えっ。ええと、い、いなかったかも、ですね……?」
 彼等は知らない。自分達の行動が、リンドーに『急激な糖分摂取』……いわゆる血糖値スパイクという名のえげつない時限爆弾を打ち込んだ事を。

不忍・ちるは
不忍・清和

●春の午後、その日差しはレモンミルクのように
「任務ついでになっちゃうんだけど、ちょっとお出かけしない?」
 そんなふうに声をかけられたのは、休日の午前。不忍・清和(|守理絢《シュリケン》アクセプターのヒーロー・h00153)は、カレンダーに“予定なし”のマークを見つけていた。
「?」
 カレンダーの持主である妹、不忍・ちるは(ちるあうと・h01839)が小首を傾げたのは、つい先刻。緑豊かな郊外の往来を、仲の良い兄妹はのんびりと歩いて行く。
「そういえば、ここのあたりに甘くておいしい有名なお店があるらしいのだけど、付き合わない?」
「うん……っ!」
 甘くておいしい何かが分からないけど、兄さんが言うなら間違いない。次の瞬間にはもう、全幅の信頼で頷いていた。その声はすれ違ったリンドー・スミスの耳にも届くように、ちょっぴり大きめで。甘味に誘われる気配が、風に乗る。

「ふわふわのパンケーキ……!」
 お店のガラスケースに貼られたメニューを見て、思わずほわああと声を漏らす。しかも、兄さんが選んだ店と自分の「すき」が重なってる。嬉しい。メニューに並ぶスイーツは、全部美味しそうで困る。
「イチゴとキャラメリゼバナナ……2皿頼んでいい?」
 ちら、と兄さんを見上げて小声でご相談。申し訳なさそうに見えて、その目はもう“決めている”。
「大丈夫。ふわふわのパンケーキは、実質ゼロだから……」
 すっと真顔で続ける、ちるはの持論。――ふっくらスポンジのきめ細かな気泡のカロリーは、きっと虚無。フワフワしっとりの生地と、甘さと幸せの相乗効果で相殺される。つまり、これはゼロカロリー理論。完璧。
「なるほどね?」
 清和はちょっと笑って、しかし否定はしない。この瞬間だけは、彼女の世界が真理に思えてくるのだから不思議だった。

 清和のパンケーキがテーブルに運ばれる。最もスマートであり、その分誤魔化しが効かない "ロイヤルクラシック"。しかしながら、立ちのぼるバターとメープルの溶け合った上品な香り。そしてツノの立ったホイップクリームは、これ以上無いほどの鮮度を保証している。
 その完成度に、ちるはもワクワクが止まらない。程なくして、煌びやかなパンケーキがテーブルに運ばれて来た。
 ふわふわのパンケーキが二段。その上に、宝石のように艶やかな苺がたっぷりと盛られている。とろりとかけられた苺ソースは、まるでルビー色の雨。淡い甘さのホイップクリームと、粉雪のような粉糖が鮮やかな赤を引き立てている。ナイフを入れると、ふしゅっという空気の抜ける音。口に運べば、パンケーキのほんのりとしたバターの香りと、苺の酸味が絶妙に重なり合う。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がり、軽やかな生地がふわりととろける。冷たい苺とほんのり温かいパンケーキの温度差が、なんとも言えず心地よい。まさに“王道のご褒美スイーツ”。
 そしてやや遅れて――香ばしく焼き上げられたバナナの香りが、運ばれてくる前から空気を甘く染めていく。テーブルに届けられたパンケーキの上には、キャラメリゼされたバナナの輪切りが贅沢に並んでいた。ほろ苦さと甘さが絡んだ独特の香ばしさが立ちのぼる、表面のキャラメルはほんの少しだけパリッと音を立てて崩れ、バナナのやわらかさが中からとろり。ひとくち食べれば、温かくて濃厚な甘みがじゅわっと広がり、バターの香る生地と一緒に口の中でとろけていく。そして、バナナのまったりした甘さのあとから、キャラメルのほろ苦さが追いかけてくる。何口でも食べたくなる“ちょっと大人なパンケーキ”。

 口の中でとろけるような食感に、ちるはの表情は幸せそのものだった。パンケーキを頬張る妹の姿を見ながら、清和は思う。
「幸せそうに美味しく食べるのは、ほほえましいね」
 自分もフォークを動かし、にっこりと笑う。こんな、日常みたいな任務があってもいいんじゃないか。

 その傍ら、二つ飛ばした先の席には。
「Umm……この“ホイップ・オン・ザ・ホイップ”なる一皿……スフレは舌の上で霧散し、ホイップは|Like Celestial Lambclouds《天の羊雲の如し》……かつて天より降りたマナでさえ、かくも甘くはなかっただろう。まさに、|Heavenly Buffet《雲上の宴》……」
 まるで脳までスフレになってしまわれたかのよう。英語と日本語の境界をあやふやにしながら、妙に満足げな声が聞こえる。プレスの利いたダークスーツの袖口。手元はナイフとフォークの上品な扱いが目を惹く。
 リンドー・スミスである。
 その姿に、ちるははこっそりと見惚れてしまう。
(おじさまとパンケーキって、似合うなぁ……)
 ふと目が合った気がして、思わずにこにこ。――甘味スキー同志の念、届け。

「兄さん、ラスクも買って帰ろ?」
 帰り際、お土産コーナーに視線を向けながら、ちるはがぽつり。その声はしっかりと、リンドーにも届くように。さりげなく。
「そうだね、ちる。帰ったらお茶でも淹れて、一緒に食べようか」
 ラスクの袋を手に取る清和。サクサクな歯触りの "満腹への罠" は、確かに張られた。

 甘くて静かで、ちょっとだけ怪異な午後のはじまりが、ゆったりと過ぎて行く。

出雲・甘醴
出雲・黒酒
久斯之神・少名毘古那

●出雲の隠れ路、ゑひもせす
「リンドー・スミスが島根に!? これは、千載一遇のチャンスでございますよ!」
 興奮気味に声をあげたのは出雲・甘醴。頭の回転キレ小気味良し、人当たりも温和で良し。良し良しと来てもう一つ……大変にノリが良し。そんな彼がこの機会にじっとして居る等、聊か無理難題であったのか。
「引導ミミズが出雲観光だあ!? 人気の名所に連れ出して、八百万の神々にボッコボコに」
 そういうのは今回ナシですよ、と甘醴にツッコミを入れられたのは久斯之神・少名毘古那。
「甘醴が偉いさんの世話だなんて、ちゃんとできるのかねぇ」
 呆れ気味の妹、出雲・黒酒が半眼で甘醴を見遣ったが、そこは兄妹。阿吽の呼吸。兄貴が止まらない事は百も承知と、頭の中でアテを探り始めている。
「とはいえ、実力行使は禁物でございますよ。『ニューパワー』で興味を引いて、遠回りさせ、じわじわと体力を削る作戦で行きましょう」
 そんな兄妹のやり取りを聞きながら、黒酒の髪飾りに隠れた少名毘古那が呟いた。
「まったく、今回は大乱闘じゃねぇってんなら、おいらはしっかり隠れてるからな。ちゃんと指示通りに動けよ、甘醴」
 身長3センチの神は、リンドーの目には|新物質《ニューパワー》候補として映る可能性がある。|収容《しま》っちゃわれたら大変だもんね。

 さてこちらはリンドー・スミス。気の向くままに流れ流れて出雲の地に来てみたは良いものの。
「Hm, 店が多いな……」
 賑わう通りは何処も煌びやか。頼りになる筈の業務用|通信機《スマホ》は電池切れ。ガイド無しでは何処に入ったら良いか分からない。往来にポツンと一人、キョロキョロと周囲を見回す様は迷子のようではないか。取り敢えず適当にカフェにでも……と歩き始めたリンドーを、グイと力強く掴んだ手があった。
「ちょっと! あんた見た所、観光客だね? 案内するよ、ほら名前は?」
「あ、ああ、どうもご丁寧に。リンドーという者だ。丁度ガイドを探そうかと思っていた所で……」
 威勢の良い黒酒の声に若干怯むリンドー。そして、黒酒の後ろから柔和な笑みを浮かべた甘醴が顔を出す。
「ようこそ島根へ、リンドーさん。今回は、出雲の隠れた|新物質《ニューパワー》をご案内いたしましょう」
 |新物質《ニューパワー》の単語にピクリと反応するリンドー。これが普段通りならば即座に警戒したであろうが……残念だけど、これトンチキなのよね!
「ほう……!それは是非とも拝見したいな。できればじっくりと調査……あぁいやいや、堪能もしたいが」
 秒で承諾する『連邦怪異収容局』のエリート、リンドー。チョロい。
「行き先はこの国の城かね?」
 眠れる怪異なのであれば、是非とも呼び覚まして収容したい。だってほら、城が変形して巨大な怪異になるって、男の子にとっての永遠のロマンじゃん?
「松江城もいいのですが、もっとニューパワーですよ! あの世とこの世の境目と言われる場所です。好きでしょこういうの!?」

 自信満々に向かったその先は、『黄泉比良坂』。神話に名高い場所だった。
「……これはまさしくニュー・パワー・スポット、実に興味深い。此処にはさぞ凄まじい怪異が眠っているのだろうね」
 ――怪異じゃなくて|神《イザナミ》だけど。それはさておき手帳にメモを取るリンドー、順調に食いついております。
「それじゃあもう少し歩きましょうか。はい、まだまだ奥でございますよ!」
「あ、ああ、ずいぶん歩くのだね……?」
 松江駅から此処まで10㎞強。不思議に思いつつも歩き出す、ややお疲れ気味のリンドーの背後から黒酒がひょいと出てくる。
「あんた達、ちょっと待ちな! まずは観光地のB級グルメだよ! 出雲の新物質を見せてやる、ついてきな」
 B級グルメと|新物質《ニューパワー》が結び付く国、ジャパン。まぁデビルフィッシュと嫌悪される蛸ですら美味しく食べる国民性だし。|新物質《ニューパワー》食べててもおかしくないよなぁ、とリンドーは思わず唸る。
「日本の神話に、大国主様というすこぶるイケメンなお人がいてね……彼の武勇伝の1つに、鰐から白い兎を助ける話があるんだ」
 ウサギと聞いてミートパイを思い浮かべるリンドー。成程、|首切り兎《ヴォーパルバニー》は確かに美味いかもしれない――と思ったその矢先、見透かしたような黒酒の視線が突き刺さる。
「今 "兎料理かな?" と思ったりしなかっただろうね……違う、鰐の方だ。ワニって言っても、ここいらじゃサメのことをワニって言うのさ」
「うさ……サメ……、ワニ」
 サメの絵に『ワニ』のテロップ、ルビには『USAGI』。あーあ、リンドーさんの背景が宇宙に行っちゃいました。

 甘醴と黒酒が案内したのは、出雲の町外れにある隠れた名店『霧の橋』という料亭だった。木々が生い茂る静かな小道を抜け、苔むした石段をゆっくりと上がると、竹林の中にひっそりと建てられた木造の一軒家が現れる。板塀に囲まれた中庭には大きな水盤が置かれ、陽光を反射して室内の天井に光の細波を作っていた。
「さあ、こいつが『ワニの煮付け』だよ」
 大皿に盛られた琥珀色の料理は、丁寧に飾られた青葉と共に、見た目にも美しい仕上がりだった。
「これがサメ料理……!」
 リンドー・スミスは瞳を輝かせる。醤油とみりん、砂糖で甘辛く煮込まれた身は柔らかく、ナイフを入れるとほろりと崩れるほどの煮込み具合だ。
「さっすがに上手いこと煮込まれてるだろう?」
 黒酒がにやりと笑う。
「こいつはね、しっかり臭みを抜いてから時間をかけて煮込むのさ。味が染みるまでじっくりとね」
 リンドーがひと切れをフォークで取れば、艶やかに煮汁をまとったサメの身がわずかに揺れた。口に運ぶと、まず舌に甘辛い風味が広がる。しっかりとした味付けながらも煮汁の濃さは絶妙で、サメの肉の旨味を見事に引き出している。
「これは……旨い! 実にスパーブだ! 柔らかいのに歯ごたえも残っている。ニューパワーとも言えるようなコクが染み出してくる……!」
 リンドーは目を輝かせながら、次々と煮付けを平らげていく。その様子を見て、甘醴と黒酒は目配せし合った。
「お土産には法事パンを持っていきなよ。ほら、仏花の絵が描いてあるだろ? ニューパワーぽいだろ?」
 完全に甘醴と黒酒の|ゴリ押し《ペース》に巻き込まれたリンドー・スミスが満足そうに微笑んだ頃、髪飾りから小さな声がした。
「おい甘醴、仕上げに出雲大社へ連れてけ!」

「最後に、出雲と言えばこちらでございます。出雲大社、ここはマストスポットですよ」
「せっかくだから参拝しようではないか。何か決まった作法はあるかね?」
「『二礼四拍手一礼』でございます。島根独特の礼法でございましてね」
 少名毘古那から教わった通りに紹介する甘醴に対し、さらりと作法を尋ねるリンドー。コイツやはり仕事出来る系の男……! 教えられた通りに丁寧に礼をしている間、甘醴と黒酒は目を光らせ、ビジネスバッグや上着のポケットをチェックする。
 ――確かにバッグは厳重に抱えて放さない。しかし上着の胸ポケットや内側にも何か入れているようだ。
(まずは持ち物の確認完了です。あとは食事で油断させれば……!)(よしよし、これで作戦通りだねぇ)
「うん……? 君たち、何か熱心に私を見ていないか?」
 私の顔に何かついているのか? のニュアンスで怪訝そうに聞くリンドー。
「あっ、いえ、ニューパワーに満ちたお姿がつい目に眩しくて……」
「そうだよ、アンタは眩しすぎるくらいだよ」
 兄妹は咄嗟ににっこり笑ってごまかした。
 ――出雲大社の巨大なしめ縄を背に、リンドーは満更でもない顔をする。
 黒酒の髪飾りの影で、少名毘古那はちっちゃな腕を組んで呟いた。
「よぉーし、いいぞお前ら。この調子で引導ミミズに、酒で引導渡してやれぇ!」

椿之原・希
十・十
見下・七三子
紗影・咲乃
一・唯一


「……えっと、裳奈花さん、どんまい!」
「裳菜花さんはどんまいなのです!」
 見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)と椿之原・希(慈雨の娘・h00248)は純度100%の優しさでフォローの言葉を投げただけ。バ○ァリンですら50%止まりなのに、その倍ってスゴイ・ヤサシイ。
 なので二人は何も悪くない。
 悪いとすれば。
「違うんだってば、今回はボクが予知をミスったわけじゃないの、お願い信じてえぇぇぇ!!」
 膝から崩れ落ち、"るー" と目の幅涙を流す少女――神童・裳奈花という星詠みの、おっちょこちょいな日頃の行いが悪いのである。
「裳奈花のやる気が満ちとるなぁ……心配せんでもちゃんと|連れて帰って《奪い返して》来たるよ」
「みゅううぅぅ、だんちょ……!」
 安心させるような『だんちょ』こと一・唯一(狂酔・h00345)の声に、みるみる内に立ち直る裳奈花。スライムメンタル再生早ぇな。
(――折角苦労して手に入れた仔なんやから)
 唯一の脳裏に、短い触腕を懸命にこちらに伸ばしていた『|落《い》とし仔』が過ぎる。その仔も再び収容されているのだとすれば、動かずには居られないのだ。
「ではでは、お手数をお掛けしちゃうけど……改めて!」
 行き道退き道風の道、科戸の風が共に在りますように――祈祷の祝詞を5人の背に送る。
「ここは私達が華麗にご飯を食べて、リンドーさんからクヴァリフの仔を奪っちゃうので安心してください」
「じゃあ、行て来るわぁ」
「お力になれるよう、がんばります」
「行って来るでごぜーますよ」
「行ってくるの!」
 元気な言葉に、裳奈花もブンブンと大きく手を振って見送るのだった。

●クレープ、クレープ、クレープづくし
 さて。
 異世界に通じる道を抜けた先は、桜がほころぶ風景。風に舞う薄紅色の花びらの中、公園の一角では地元のマルシェが開催されていた。香ばしい焼きそばの匂い、パチパチと焼けるたこ焼きの音。穏やかな陽気と人々の笑顔に包まれて、そこは小さな『春の祝祭』のようだった。
「おおぅ……これは、目にも鼻にも美味しそうでごぜーますなー……」
 ひょこりと屋台の陰から顔を覗かせるのは、しなやかな黒い体毛に学ランを着た……子猫?
 その正体は "怪談になりそこねた小さなオバケ" 、十・十(学校の怪談のなりそこない・h03158)。現在は "憑依合体" 中。子猫の幽霊と一体化して、学ラン姿の猫となっているでごぜーます。
「……でも、ボクは食べれないでごぜーますので。子猫の姿なら、食べれなくてもなんとかなるでごぜーますよ」
 囮になる気は満々だったが、「囮になる気やったら十は連れて行かへん」ときっぱり釘を刺されてショボン顔になったのは、つい先程の事。しょうがないでごぜーますにゃーとばかり、すとりと軽やかにベンチに飛び乗り、木の枝のスズメたちに話しかける。
「小鳥さん、小鳥さん。この辺りで人気のごはん、なんでごぜーますかにゃー?」
 一瞬ギョッとするスズメさんたち。だって猫だよ、『突撃、お前が昼ごはん!』って意味で言ってない?!
「ピピ! チョコバナナ、すごく人が集まってるよ!」
「ピーピ! でも今なら、あっちのシュークリーム屋さんも大人気!」
 ごはんにされちゃたまらない、身振り翼振り必死で伝えるスズメさん。
「チョコバナナでごぜーますかにゃ~? んー……基本的なやつでごぜーますにゃ。でも、にゃんとなくリンドーさんには物足りない気もするでごぜーます」
 耳をぴんと立て、猫らしくごろごろと喉を鳴らしながら周囲を見渡す。"野生の勘" を働かせ、目に見えないヒントを探っているのだ。
「ふにゃ……なるほどでごぜーますにゃ。いくつか候補は絞れたでごぜーますにゃ」

「ん~、美味しそうなクレープ屋さん、どこかな?」
 街中をキラキラした目で見渡すのは、銀髪に青い瞳の小さな少女――紗影・咲乃(氷華銃蘭・h00158) 。
「すみませーん! ねぇねぇ、クレープってどこが一番可愛くて美味しいの?」
 人々に無邪気に話しかけ、情報を集めていく。天真爛漫な笑顔は、つい教えたくなってしまう魅力があるのだ。
 まず咲乃が聞いたのは、街角で花を売っているお姉さん。
「美味しいクレープなら、この先にある『パティスリー・アムール』かな。つい先日開店したばかりで、賑わってるみたいよ」
「パティスリー・アムール? ありがとうなの!」
 ウキウキしながらお店へ向かう咲乃。しかし――
「うわぁ……並んでるの……」
 小さな路地の先にあるお店は、可愛い看板が出ていて本当に美味しそう。だけど、店の前には長蛇の列。ちょっと待つには長すぎる……しょんぼりと肩を落としながら、次の候補を探しに行く。
 次に訪れたのは、街の中心にある大きな通り沿いの店。『カフェ・エトワール』――お洒落で上品な雰囲気のお店だ。ショーウィンドウに飾られたクレープも豪華、凄く美味しそう! お値段は……なんとビックリ、一つ2,380円!
「……た、高いの……?!」
 驚いて思わず後ずさりする咲乃。
「んー……もっと可愛くて、お手頃で、美味しいクレープはないかな……?」
 街を歩き回る咲乃は、ちょっぴりお疲れ気味。でも、諦めるわけにはいかないの。リンドーにぃにに美味しいクレープを食べてもらいたいから!
 優しい新聞配達のおばあちゃんから聞いた、耳寄りな情報を頼りに辿り着いた先は……公園の一角にある地元のマルシェ。美味しそうな匂いが漂っていて、人々の笑い声が聞こえる。
「わぁ……ここ、楽しそう!」
 ぐるりと見渡し、咲乃はふと気づいた。一際にぎやかなエリアにお客さんが集まっている。お店の看板には『ホシゾラ・クレープ』。メニューを見ると、星や月をかたどったトッピングが鏤められ、見た目もキラキラで可愛らしい。
「おばあちゃんの言ってたお店、可愛いの! しかもお手頃なのよ!」
 "お月さまクレープ" と "キラキラ流れ星クレープ" 。咲乃は一つを自分用に、もう一つをリンドーにぃにの為に買う。これならきっと喜んでくれるはず!

 美味しそうなもの、素敵なものが所狭しと並ぶ中。
「えへへっ、今日は旅団のみんなと一緒にご飯を食べるのです!」
 希は楽しげに跳ねるように、そして咲乃はクレープを落とさないよう慎重に歩いていた。ふわふわと春風に揺れる桜の花びらが彼女達の頭上を優しく舞っている。
「あ、あの、希さん、咲乃さんも、待ってください……! 人混みに紛れてしまいそうですっ」
 すぐ後ろを歩く、柔和な顔立ちの長身の女性――見下・七三子 は、小さな少女達の足取りについていくのに精一杯だ。
「大丈夫なの、見下ねぇねも早く、早く!」
「万が一はぐれても、匂いで辿って案内出来るでごぜーますにゃ」
 スルスルと踊るように人ごみの足元を抜けていく、黒い子猫――十を先頭に、4人はお目当ての場所へと急ぐ。

「……わああっ!」
 満開の桜の傍ら、ふわりと甘い香りを漂わせている屋台の前で、希はきらきらした目で立ち尽くしていた。
「十さんと紗影さんが教えてくれた通り、すっごく美味しそうなのです……!」
 二人が探し当てた一番の候補は、偶然にも同じ『ホシゾラ・クレープ』だったのだ。十くんに咲乃ちゃん、お手柄!
 一方、希は小さな手をきゅっと握って、視線はメニューに釘付け。彷徨う視線が探すのは自分の食べたいクレープと、もう一つ。
「リンドーさんにも、何か食べてほしいな……」
 ちょうどそこへ、渋くて胡散臭い……もとい、ダンディな雰囲気のおじさまが通りかかった。すかさず希は、くるりと振り向き――そしてぱあっと笑う。
「もしもし、そこのおじさま! わたし、ちょっと悩んでるのです! このクレープ、いちごとメロン、どちらが良いと思いますか?」
 上目遣いで、期待でキラキラした視線を向ける希。"おじさま" こと、リンドー・スミスは思わず立ち止まる。
「|It's complicated《難しい問題だ》. ……だが、ここは王道のイチゴが良いのではないかな」
「うふふっ、いちごですか!それじゃあ早速注文しますね」
 元気にカウンターに駆けていく希。途中で立ち止まり、くるんと半回転してスカートを翻し。
「あっ、自己紹介が遅くなったのです。私は希って言います! おじさまは何て呼べばいいでしょうか?」
「私か? 私はリンドー。Mr.リンドーとでも呼んでくれれば良いさ」
 真っ直ぐな好意は嬉しい物。いつものニヒルな皮肉屋は鳴りを潜め、すっかり和やかな空気を纏うリンドーである。
 希が注文したのは、噂に聞く『いちごとホイップマシマシ極大天使ペガサス昇天盛り爆裂クレープ』。
 イチゴたっぷり、クリームたっぷり。食用ラメとお星さまのトッピングが散りばめられた、すごく豪華なイチゴのクレープ! ……クレープ生地がもう色々な意味で限界。
「おじさまにもおすすめがあるのですよ! メロンとホイップマシマシ至高サンシャイン必殺爆盛りクレープ、いかがでしょうか?」
 その甘美な誘いを断れるほど、リンドーの精神は強固ではなかったよう。
「仕方ない、これも調査の一環だ。店主、ええと、メロンとホイップマシマシ至高……Ah……そう、それ。頂こうか」
 ――はて、調査とはいったい??
「リンドーにぃに、はいっ!これ、咲乃が買ったの! これも一緒に食べよ?」
 咲乃から笑顔で差し出されたクレープを見て、リンドーは片眉を上げる。
「実に可愛らしいクレープだ。しかし、これは私に対する賄賂か何かかね?」
 辛辣なようだが、口調はからかいそのもの。何より、リンドーの目にはどこか興味と茶目っ気が混じっている。
「えへへ、違うの!咲乃が美味しいのを探してきたのよ!リンドーにぃにも絶対に好きだと思って!」
 咲乃はキラキラとした目でリンドーを見つめる。
「なるほど。君が私の食事を気にかけてくれるとは」
 リンドーは軽く微笑みながら、咲乃から "キラキラ流れ星クレープ"を受け取った。
「えへへー♪ リンドーにぃにが笑ってくれた!」
 喜ぶ咲乃に、ふと気づいたようにリンドーはレザーケースから硬貨を取り出し、咲乃の小さな手に置く。
「生憎と日本円が無くてね、これで許して欲しい。君に女神の加護があるように祈らせて貰うよ、|Little-Lady《小さなお嬢さん》.」
 『1900』の刻印の上に女神らしき横顔が描かれた、何やら金ぴかのコイン。
「わぁ……リンドーにぃに、ありがとうなの!」

 そんな希・咲乃・リンドーのやり取りを微笑ましく見守る七三子。
 皆のイチオシクレープを見てるだけで、目的を忘れて楽しくなってしまいそう。
「それにしても、最近は、すごいクレープがいっぱいあるんですねえ……」
 目の前の屋台は、まるで宝石箱のように華やかなクレープがずらりと並び、どれを選べばいいかますます迷ってしまう。
「えっと……『ずんだ餡』も気になりますし、『椿』っていうのも……お花の形なんですよね?すごく綺麗……」
 ひらり。はらり。風が通るたびに次々と降る桜の花びらを、メニュー表からそっと払う。払われても払われても、またひらりと降る|沢山の内の一つ《・・・・・・・》。彼女は――ただの戦闘員であった時代も含めて――買い食い経験に乏しく、ついつい目移りしてしまって決めきれない。
「あの、おじさまのおすすめは、なにかありますか……?」
「ああ、私はどちらかというと――」
 話を振られたリンドー。流石に口の中が甘ったるいので、うっすいアメリカンコーヒーをトールサイズで飲みたい。が、そんな事を言ったら二人の天使を傷付けてしまう。
「この二つのパフェと、"強いて言うなら" 宇治抹茶というのが気になるかな」
 七三子は「宇治抹茶」という言葉に少し惹かれたようで、メニュー表に目を戻した。
「抹茶……ですか。確かに、和風の味も美味しそうですね」
 のんびり微笑みながら、七三子はどこかぼんやりと呟いた。
「ああ、こういう時、私がいっぱい居たら、あれこれ沢山食べられるのに……」
 その言葉に、リンドーは一瞬ぎくりと肩を揺らす。現在進行形でいっぱい居る内の一つだもんね。

「あれ、希やないの。……凄いの持っとるなぁ……」
 そっとさり気なく合流するのは、桜を眺めながら散策していた唯一 。
「いちごとホイップマシマシ極大天使ペガサス昇天盛り爆裂クレープなのです!」
 希は得意げに胸を張る。
「ましましぺがさす……なんて?」
 ――何か変な物マシマシ巨大生物錬金天井盛り爆裂チョコレートでは無い事だけは確かです。ひっでえ事件でしたね、アレ。
「……すごい名前やなぁ」
 唯一は感心しつつも、微笑ましそうにメニュー表を眺める。
「おっ、珍しい白いちごあるやないの。期間限定か……これにしたろー」
 店員にオーダーを伝え、唯一が注文したのは――
「白い苺とホイップ、キウイソースをトッピング……うん、これで完璧やろ」
 そして傍らでメニューと睨めっこしていた七三子にそっと助け舟。
「ふふ、七三子、そんな迷うんやったら皆で分け合ったら色々なの食べれるで?」
「えっ……?」
 七三子は驚いた様子で顔を上げる。
「ほら、こういうのは一人で食べるより、皆で分け合う方が楽しいやろ?」
「あ……確かに、そうですね。色んな味を試せたら、楽しいかも」
「うん!希も分けっこするのです!」
 唯一はにっこり微笑む。その笑顔に少し安心したように七三子は朗らかに頷き、希は両手を広げて喜んだ。
 やがて白い苺とホイップ、そしてキウイソースが美しくトッピングされたクレープが店員から差し出されれば。"ありがとうな" と礼を言い、唯一は嬉しそうにクレープを手にする。
「おぉ、唯一さんも来たでごぜーますかー」
 その時、彼女の足元で黒い子猫がひょっこりと顔を出した。
「あら、十。そんなところにおったんね。おいでおいで、果物……匂いだけでもどない?」
 手元の瑞々しいフルーツ盛り合わせを差し出しつつ、猫姿の彼を優しく招き寄せた。
「……あー……いい香りでごぜーますにゃー」
 学ラン姿のふわふわ子猫は、嬉しそうに尻尾をふりふり、クンクンと鼻を鳴らしてその甘い香りを堪能する。
「咲乃は可愛いのを見つけて来たなぁ、キラキラしとる」
「リンドーにぃににも、オススメを渡したの!」
 唯一が目を細めて微笑むと、咲乃はクレープを大事そうに抱えながら、ぴょんと小さく跳ねた。
 5人全員、勢揃い。わいわいと賑やかにクレープ談議に花を咲かせる唯一は、ふとリンドーに声をかける。
「ふふ、果物の王様は魅力的やなぁ。やっぱり王道の苺が一番やと思わない? ミスター」
 言葉は丁寧、表情は柔和――けれど、その目にはほんの少しだけ、意味深な光を宿しつつ。
「同感だな、Lady. だが、この国のメロンの瑞々しさも中々に捨て難くもある」
 唯一の眼光に気付いているのか、いないのか。あくまでも『紳士的な観光者』に徹するリンドーに。
(あの日は暗かったから、よう顔なんて覚えてないよな……)
 心の中で呟きつつ、友好的な笑みを崩さない。
「ほんなら、期間限定の白い苺。せっかくやし、ミスターもどう?」
「ほう……。私にオススメしてくれるとは、なかなか大胆だね」
 メロンと(中略)爆盛りクレープ、キラキラ流れ星クレープ、白い苺とホイップ&キウイソースクレープ。紳士たるもの、淑女のお勧めは断われない。
 此処に、チーム「箱庭」によるリンドー・スミス完全包囲網が敷かれたのであった――!

ジョーニアス・ブランシェ
ガルレア・シュトラーデ

●特上顕現、己の酩酊を想え
 ガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く|演奏家《ピアニスト》・h03764)はぷいっと背を向け、足早に帰宅の途についた。演奏後のステージから退くように静かに、そりゃあもう鮮やかに。血も涙もないとは言いなさんな、開口一番に被害報告なぞを聞かされれば誰だってそーする。
 なので。
「だそうだ、ガルレ――」
 最後まで話を聞いたジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)は振り返り、続くはずだった親友の名を途中で飲み込む。そこにはガルレアの輪郭線だけが残っているかのようだった。
「――あれ、居ないし」
 あまりにも自然に、まるで音も立てずにその場から去っていったらしい。いや、さすがに気配ぐらいは感じ取れたはずだと頭を抱える。
「全く……最後まで話を聞けよ」
 肩を竦めながらも、ジョーニアスは携帯端末を取り出した。画面を指先で操作すると、『非公式な情報筋』たちとの連絡用チャットが次々と開いていく。
「リンドー・スミス、特徴は……確か画像情報があったな。街で見かけたら報告を頼む……っと」
 ジョーニアスは素早く文字を打ち込み送信する。 ほどなくして端末が細かく震え、『協力者』たちから即座に返答が届き始めた。
『通り沿いの高級飲食店街にて、黒いリムジンと派手な金髪外国人を目撃』『外国人男性が店の前で何やら英文交じりで独り言。かなり嬉しそう』『リンドーと思われる人物、有名寿司店「深苑」前で記念撮影中。店名の看板を熱心にスマホ撮影している』
「大分浮かれてるな……まぁ、間違いないだろう」
 確信を得たジョーニアスは満足げに頷くと、すぐにその店の電話番号を端末で調べ、通話ボタンを押した。

『ガルレアー、出かけるぞ! 寿司を食べにいこう!』
 ジョーニアスから連絡が入ったのは、ガルレアが既に自宅に戻り、ゆったりと寛ぎ始めた矢先。
 ゆったりとソファに沈み込み、傍らのレコードプレイヤーに針を落とせば。微かなノイズを挟んで流れ出す静かなピアノソナタは、緊張をゆるやかに解きほぐしていく。
(今宵も良き音だ……)
 柔らかな灯りの下、心地よく響く旋律に微笑を浮かべながら目を閉じた……まさに、その瞬間だった。
「寿司、…ふむ。あまり日常では口にしないが、お前の舌は信用してい――依頼?」
 なるほど、例のリンドー・スミスを寿司でもてなす作戦、というわけか。軽くため息をつきつつも、ガルレアの瞳には興味の光が宿っていた。寿司と日本酒、そこには抗いがたい魔力がある。
「では、特上級の寿司と日本酒を存分に堪能させていただこう。対象の接待は任せた。――何、不服か? だが、お前の話ならば『純粋に楽しむ友人』がいた方が怪しまれんだろうが」
 しれっとそれらしい言い訳を織り交ぜつつ、ガルレアは身支度を整え親友の待つ高級寿司店へと向かう。

 予約を入れた寿司店の前に辿り着いた時、そこに既に客の姿があった。
『おや、あなたもこの店に? 我々も三人で来るはずが一人欠けてしまって。良ければご一緒にどうでしょう?』
 目の前にいるのは――リンドー・スミス。ジョーニアスは自然な笑顔を浮かべつつ、堂々と声をかける。
「ここは寿司と、知る人ぞ知る海苔が美味いんですよ。せっかくですし、ご一緒にどうです?」
 仕掛けた罠にまんまと誘い込まれることなど知らぬリンドーは、やや驚いたような表情を浮かべ、それから口元を綻ばせる。
「実に興味深い。噂に名高い日本のノリ、それも裏メニューとなれば試さず帰る道理はない。それに折角のDinner、賑やかな方が良いだろう」
 相席を快諾したリンドーと共にガラリと格子戸を開け、暖簾をくぐった先。店内は落ち着いた和風の装いで、木の香りが鼻をくすぐる。
 カウンター席に腰を下ろし、頼んだ寿司と酒を待つ間のこと。リンドー・スミスは興味深げに店内を見渡しながら、ジョーニアスと会話を続けていた。
「この店の寿司……特に海苔が美味いと言ったかね?」
「ええ。俺も食べた時は驚いたくらいです。新鮮なネタはもちろんだけど、この店独自の海苔が逸品で。噛むたびに香りと旨みが広がるって評判なんです」
 と、その時。
「――遅くなったな」
 声と共に、ゆらりと現れたのはガルレア。その姿はまるで舞台の幕間に現れる俳優のように、自然でいて存在感がある。
「お、ようやく来たかガルレア」
 ジョーニアスがホッとしたように言えば。
「何を言うか、ジョーニアス。お前が急かすから慌てて来たのだぞ」
 ガルレアは席に着きながら、品のある笑みを浮かべて見せる。
「君が彼の"友人"か。ふむ、気品に溢れる人物のようだ」
 ガルレアを見つめるリンドーの視線には、何かを探るような色があった。
「私がガルレア・シュトラーデである。話は既に聞いている。何、ただの寿司と酒を楽しむ会であるからして、気を張る必要はあるまい」
 ガルレアはあくまで穏やかに、優雅に答える。その態度には一分の隙もない。
「Ha ha、勿論だとも。こちらも気楽に楽しませてもらうよ」
 リンドーは笑いながら、運ばれてきた寿司をつまむ。

 彼ら三人は和やかに酒と寿司を楽しみながら時折冗談を交わし、時折真面目な話を挟む。事前情報で見たリンドーの眼光の奥には鋭さが潜んでいたが、今はそれを忘れるように――日本の味に心から舌鼓を打っている。
 ガルレアもその味わいに少しだけ目を細め、笑みを浮かべる。ジョーニアスもまた穏やかな時間を楽しんでいた。
「さて、そろそろ次の酒も試してみるとしようか」
 ガルレアがそう言って笑うと、リンドーも笑みを返す。
「Excellent. 日本の酒というものを、存分に楽しませてもらおう」
 この食事が、油断を誘うための伏線であるとは――まだリンドーは気付いていない。

アリサ・アダムス
アズ・パヴォーネ

●『神』の助け
「たすけてぇ!? たすけてたすけてたすけてください!!」
 アリサ・アダムス(元連邦怪異収容局員『|AA《ダブルエース》』・h06732)はのた打ち回っていた。嘗て彼女の居た『連邦怪異収容局』、その歪み・捻れ・狂いっぷりは凄まじく。そんな中、|真面《まとも》な倫理観を保ったままの彼女は「モームリ!」とばかりに逃げ出したのだ。
 紆余曲折あって漸く陽の下を歩けるまでに回復した――という話があったかどうかは定かでないが。少なくとも、逃げ出す前に比べて彼女の生活は比較的落ち着いていた。
 ――だというのに、だ。現在の上長から天啓の如く降ってきた指令は「あなたはムシューに顔が割れていないのでしょう?|GO《行きなさい》」。
 ……あんまりだ。この国の神は|米国《アッチ》と違ってわんさか居るのでは無かったか。一柱くらいは救いの手を差し伸べたっていいだろうに。まさか八百万の神々総勢、示し合わせたように総スカン? ――無慈悲! そこまでされる覚えはない!
「|職員名簿の実績欄《ステータスシート》に元上司を飾りたい職員がこの世のどこにいるんですかぁ!?!?!?」
 その悲痛な叫びは誰にも届かず、夜の空気に消えて行ったのは昨晩の話。
 現在、彼女は緊張していた。かつて上司だったリンドー・スミスの存在は噂程度にしか聞いたことがなかったが、その強大な力とエリートとしての立ち位置は広く知られている。その男がいるのだ。よりにもよって彼女の目の前に。
 焦茶色の髪を揺らしながら、アリサはどこか情けない表情で目の前の男性を見上げ。意を決して声をかけた。
「|ちょっと失礼《Excuse me》……観光ですか? 美味しい食べ物を尋ねて?」
 その今にも死にそうなか細い声に、黒いコートを纏ったリンドー・スミスは眉を上げる。
「Yesだ、お嬢さん。この国のグルメを堪能するのが私の楽しみでね。何か良い情報はお持ちでないかね?」
 いつも通り自信に溢れた口調。けれど、どこか「話を聞いてやろう」という柔軟さがあるのは、この旅を本当に楽しんでいる証拠かもしれない。
「日本の甘いものなら、あんみつや抹茶パフェ、わらび餅、お団子……色々とございます。疲れた時には甘いものがぴったりかと」
「甘いもの?」
 リンドーは少し驚いたような顔を見せる。そこへ、幼い青髪の少年が自然と合流した。
「ミステリアスでダンディなお兄さん、観光ですか? 仕事あがり? 随分お疲れに見えます。疲れたときには甘いものを食べると、幸せな気持ちになれるんですよ。自分へのご褒美にもぴったりです!」
 オオルリの羽根を思わせる鮮やかな青。篭絡するかの如く神秘的な光を湛えたその瞳をリンドースミスに向けつつ、アズ・パヴォーネ(|幸福の蒼い鳥《チルチルミチル》・h00928)は商談でもしているかのように流暢に勧めてくる。
「ほう……」
 リンドーは興味深げに少年を見下ろした。
「これはまた、博識な小さな案内人だね。あんみつ……それはどのようなものかね?」
「ええと……寒天とあんこ、フルーツや白玉なんかを組み合わせた和風のデザートです!」
 アズはにっこりと笑みを浮かべ、得意げに説明を続ける。
「特にあんこは疲れに効くって言われてるんですよ。クリームや蜂蜜とは違って、がつんとした甘さがあるから、リンドーさんみたいな強い人にもおすすめです!」
「なるほど、なるほど。疲労回復の甘味か……」
「あんこはクリームや蜂蜜とは違ったがつんとした甘さがあって、これが疲れに利くんです」
 リンドーは顎に手を当て、少し考え込むそぶりを見せる。
「なるほど、興味深い。しかし君は、随分と大人びているね」
「大人びてる……? 大人なお兄さんに言われるの、とっても嬉しいです」
(わあ、すごいなあ、アズくん。これが魔性の子……)
 全くと言っていい程物怖じせず、スラスラと会話を進める少年に心底感心するアリサ。アズくんが頑張ってくれているのに、自分が気圧されていてどうする。腐っても元連邦怪異収容局員、その底力を見せなければ!
「水まんじゅうというのも、いかがでしょうか?」
 控えめでは有るが先程よりも少し大きな声で、アリサが提案する。
「日本の水はとても美味しいですから、それを活かした涼やかな和菓子なんです。夏にぴったりですし、見た目も美しいですよ」
「ほう……水そのものを味に取り入れるとは。日本らしいね。興味深い」
「それから、お水が美味しいので……お酒も美味しいですよねぇ。刺身に醤油をちょいちょいとして、わさびをつけて……味わいと香りを楽しんでから、辛口の焼酎をストレートでくいっと……」
 アリサが語る様子に、リンドーは口元を歪ませた。
「ふふふ、実に愉快だ。君たちは日本の食文化に随分と詳しいらしい。チップは弾む、案内してもらおう」
「わあ! ありがとうございます!」
(や、やりました……)
 アズが年相応に小さく跳ねて喜び、アリサもホッとした様子で胸を撫で下ろす。
 こうして、リンドー・スミスを相手にした甘味グルメツアーが幕を開けたのだった――。

瀬条・兎比良
史記守・陽

●美味なる響きは毒舌と共に
「……やはりコンタクトは慣れませんね。シキさん、髪型はこのままで大丈夫ですか?」
 瀬条・兎比良(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749)は眼鏡を外し、代わりにコンタクトを装着している。普段の冷静沈着な表情とは違い、どこか違和感を感じさせる仕草が時折混ざる。彼の髪は、隣にいる史記守・陽(|夜を明かせ《ライジング サン》・h04400)が手際よくセットしたものだ。前髪を下ろして柔らかく整えられたことで、彼の鋭い印象が少しだけ和らいでいる。ターゲットに一度顔を見られている為の慎重策だ。
「大丈夫ですよ、先輩。俺が仕上げたんだから間違いないですって」
 いつもの制服ではなく、ラフなパーカーと度無し眼鏡を装った陽が、大学生らしい柔らかな笑顔で頷く。
「いました。ホシです」
 陽の声に瀬条が視線を向けた先、狙い通りに“あの男”がとんかつ屋に入っていくのが見えた。
 リンドー・スミス――「FBPC」のエリートであり、今回のターゲット。だが、今はただの食事を楽しむ観光客として振舞っている様だ。

 ――からん、と入店ベルが涼しげに鳴った。
 店内から油と香ばしい衣の香りがふわりと漂い、兎比良は周囲をさりげなく見渡し――
『明日着任される方のお写真が来てましたね、和服と和傘がお素敵なお兄さんですか!』
『なんでこんな不意打ちなタイミングでID用写真が来るの……!!』
『誰かー。ボスに救♥モグー』
『ボスの自前の救♥が間に合わぬ程の破壊力だったか……』
 ――ガラガラ、からんと戸を閉めた。この間5秒ほど。
 あれ、先輩? なんで締めちゃうんです? と怪訝そうな陽を手で制し、兎比良は眉根を揉み解しつつ天を仰いだ。
「変装が通じないどころか、却って逆効果な状況に陥りました。尾行難易度は跳ね上がったと思って下さい」
 その言葉に陽は戸の隙間から店内をそっと伺い、全てを察したかのように絶句。二人はおもむろに追加でマスクを装着するのであった。

 ==============================
 【ミッションアップデート】
 ◆作戦目標:
 ⇒連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』の尾行。
  但し、うっかりバッティングしてしまった職場仲間に気付かれないよう任務を続行する事。
 ◆難易度:易しい⇒難しい
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 何名様ですか? の店員の声に、ハンドサインで二名と答えて店の奥に進む。二人が腰を下ろしたのは、リンドーの席から絶妙な距離感のテーブル席だ。
 勿論、偶然であるはずもない。
 ほどなく注文を終え、陽はカツの到着を待ちながら、兎比良に世間話を投げかける。賑やかな職場仲間の席には届かずとも、リンドーには聞こえそうな絶妙な小声。
「そういえば先輩、同期の方が仕事で成功したそうですね。お祝いとかはされなかったんですか?」
 兎比良が軽く眉を寄せ、わざとらしく口元を引き締めて応じる。
「ああ、その件ですか……同期は仕事を成功させましたが、祝勝会はひとりきりだったとかで」
 ちらり、と彼は斜め後方のリンドーへ視線を泳がせる。
 幸い、リンドーの箸は一瞬止まった気配。どうやら聞き耳を立てているようだ。
「あ……おひとり様の祝勝会ですか?」
 陽が絶妙に驚き、素直な表情で問い返した。
「ええ。私は参席する義理もありませんし、他の同僚も似たようなものでしょうね」
「そうですか……」
 兎比良が肩を竦め、陽は純朴な様子でしみじみと呟く。
「お友達がいないって……やっぱり寂しいですよね。なんだか自分でホールケーキを買って、ひとりでお誕生日パーティーしているみたいで……」
 そしてぽつりと、つい口をついて出た言葉は。
「――可哀想……」
 可哀想……カワイソウ……かわいそう……リフレインした言葉がザクザクと刺さったか。リンドーの背が一瞬ピクリと反応したように見えた。
 兎比良は軽く口元を押さえながら、「シキさん……」とやんわり窘める。
「塩を送るというのは、傷口に擦り込むことではないんですよ」
「……え?塩?」
 陽はきょとんと首を傾げるばかり。
 やがて香ばしいとんかつ定食がテーブルへと運ばれてきた。さくりと一口味わったあと、陽が「あっ!」と思い出したように明るい声を上げる。
『ん? 今我の耳に聞き覚えのある声が』
 思わず手元の新聞紙を開き、視線を遮る二人。緊張感が一気に張り詰める!
『アタシには何も聞こえなかったけどねぇ』
 危機は去ったと新聞紙を下ろす二人。嗚呼なんて神経の無駄遣い。どうしてこうなった――トンチキだからです。ゴメンね!

「そういえば先輩、祝勝会といえば――俺も受験に合格した時、母さんにとんかつでお祝いしてもらいましたよ!」
「へぇ、験担ぎですか……今でもお祝いするのですか?」
 兎比良が穏やかに返す。陽はそこで、ちらりとリンドーを盗み見ながら続ける。
「えっ? 今ですか? さすがにないですよ。良い歳して験担ぎの祝勝会だなんて……自信のない人みたいじゃないですか」
 その瞬間、リンドーが飲もうとしていた水のグラスが、わずかに揺れた。
「あっ、すみません。声が大きかったでしょうか?」
「いいえ、丁度良いでしょう。……さあ、我々も美味しくいただきましょうか」
 そう言って兎比良も静かに箸を手に取った。
 ちらりと見れば、リンドーは明らかに若干の不機嫌さを含んだ顔で|二皿目を注文し《やけ食いを始め》、残ったとんかつに妙に神経質に塩をふりかけていたのだった。

屍累・廻

●観光客擬きと透徹の眼
 昼下がり、商店街の一角に佇む定食屋「山猫亭」。古びた暖簾と木製の看板がどこか懐かしい雰囲気を漂わせている。
 屍累・廻(全てを見通す眼・h06317)は静かに扉を引き、店内に足を踏み入れた。カウンター席といくつかの小さなテーブルが並ぶこぢんまりとした店。昼食時を過ぎたのか、客はまばらだった。
 目当ての人物は、あっさりと見つかった。……否、最初から "視えていた" 。リンドー・スミス。異国の紳士が、窓際の席で品良く食事を楽しんでいる姿はどこか絵になる。
 彼の前には香ばしい焼き魚定食が置かれ、湯気を立てている味噌汁に箸をつけたところだった。
「初めまして、リンドー・スミスさん。良ければご一緒しても? 食事は誰かと食べても楽しいですよ」
 リンドーは一瞬、面食らったような表情を浮かべた。自分の名を知っているようだが、はて――。
 そこでふと彼は、先日『クヴァリフの仔』を運ぶ際中にテレビ局の取材を受けた事を思い出した。確か『あなたはWhat'sしに√汎神解剖機関へ?』とか何とか。
 あれがOn-Airされたならば無理もない、有名人になったようでいい気分ではないか――と、軽やかに言葉を返す。
「もちろんだとも、どうぞ」
 廻は短く礼をし、席に着いた。リンドーは手元のメニューを軽く見ているが、その視線には確かな余裕が感じられる。彼が食事をする姿は、一見すると普通の観光客だ。しかし、廻の目はリンドーの内部に隠された存在感をはっきりと見抜いている。
「この辺りの美味しいものも既にチェックしてますので、宜しければ夕食のオススメをお教えしましょうか。お酒がお好きならば、地酒の情報も」
「ほう、実に有難い。私はこの国の料理がすこぶる気に入っていてね。特にこの『焼き魚』というのは、シンプルながら実に奥が深い」
 リンドーは笑みを浮かべつつ、箸を持つ手を器用に動かす。
「地酒も興味深いな。こちらに来るたび、その地方ごとの風味を楽しむのが私の密かな喜びなのだ」
「……なるほど、食事も随分とお好きなのですね。……ただ、貴方の噂はあちこちから聞いていますよ。良ければ、ここ最近の貴方の武勇伝をお聞かせ願えませんか?」
 廻の声は穏やかだが、その瞳には確かな興味が宿っている。憧憬と、何かを探ろうとする探究心の入り混じった視線。
「Ha ha, 武勇伝とはまた大袈裟だな」
 リンドーは小さく笑い、器用に箸を置いた。
「そんな大した話ではないが、最近こんなことがあった。あくまで一観光客としての経験だがね……」
 リンドーは話を始めた。彼は怪異の部分をぼかしながらも、独特の語り口で出来事を紡いでいく。廻は目を細め、耳を傾ける。彼の声に込められた自信と遊び心を感じながら、廻は確信した──この男から見抜けるものはまだまだありそうだ。
 二人の会話と食事は自然と弾み、店内には穏やかで心地よい時間が流れていた。

ナギ・オルファンジア
ツェイ・ユン・ルシャーガ
アダルヘルム・エーレンライヒ

●熱々の幸せは鉄板を囲んで
 木造の梁が天井を支え、柔らかな光が暖簾越しに揺れるお好み焼き屋の店内。他の客たちの談笑も賑やかで、時折店主の威勢の良い「いらっしゃい!」という声が聞こえてくる。
 鉄板の上でパチパチと油が弾け、焼けた生地の甘く焦げる匂いが立ち昇る。その熱で鉄板を囲む仲間たちの表情までもが、ゆらゆらと波紋を描くように揺らいで見えた。
「鉄板のせいか想像以上に暑いな」
 日本グルメもお好み焼き屋も初めてなアダルヘルム・エーレンライヒは、店内を興味深そうにぐるりと見渡す。
 ナギ・オルファンジアは目を輝かせながら、鉄板の前でそわそわと落ち着かない様子だ。熱気に当てられ目を泳がせつつも、その手にはカクテルが握られている。
「此方の世とて西方は大賑わいだのう」
「それにしても……眼の前に鉄板、あつい……!」
 今日ばかりはと袖を捲り上げ、ジョッキ(愉しむ前に眠り込んでしまっては事である、と敢えて酒精宿さぬ烏龍茶)を掲げたツェイ・ユン・ルシャーガに続き、アダルヘルムも冷えたビールを掲げ。
「――Prost」「かんぱ……ぷ、ぷろすと?」「ぷ、ぷろすと!」
「……否、ここは日本の作法に倣おう」
 アダルヘルムは二人の「ぷろすと」に苦笑しつつ、仕切り直し。
「「「乾杯!」」」
 三人の声が重なり、りん!とグラスを合わせる涼やかな音が響いたのだった。

 鉄板の上でこんがりと焼き上がったお好み焼き。立ち上る熱気が、じゅわりと油と具材の香りを店内に漂わせる。仕上げとばかりにナギが手に取ったのは、ソースのボトル。ゆっくりとお好み焼きの表面に広げていけば、とろけるように馴染んでいくソース。続けて、真っ白なマヨネーズを細く細く絞り出し、交差するように格子模様を描く。さらに青のりをぱらりと振りかけると、緑の粉がソースとマヨネーズに映えて彩りを添える。仕上げに削りたての鰹節をひとつかみ乗せれば──出来上がり。
「んふ、綺麗に出来たよ。香りも見た目もばっちりだねぇ」
 ナギは満足げに微笑んだ。鉄板の熱を受けてふわふわと波打つ鰹節が、どこか幻想的ですらあった。
 ツェイは海老チーズお好み焼きに箸を差し込み、その熱々の生地をそっと割る。立ち上る湯気が鼻を擽り、溶けたチーズがとろりと糸を引きながら割れ目からこぼれ出る。中の海老は弾けるような存在感を放ちながら、きらりと光るチーズの中に顔を覗かせた。焦げた生地とチーズ、海老の旨味が混ざり合い、香ばしい匂いがふわりと漂う。鉄板直送、火傷ばかりは注意されたし――箸で持ち上げた一切れを口へと運ぶ。
「ふむ、香りも味も豊かだのう。やはり、此のちーずのとろけ具合は良きかな」
 焼き加減も絶妙、上出来とツェイは満足げに笑った。チーズの濃厚さと海老の甘みが口の中で広がり、生地の香ばしさが心地よい余韻を残す。
「お餅も明太もおいし! 生地ふわふわ。あ、ツェイ君のは海老チーズかー、ぷりっとしてておいしそうだねぇ」
「ほう、大きなエビに融けたチーズが──それは確かに美味いだろう」
 ツェイの皿をちらりと見やり、思わず口元を緩めるナギ。そしてメニューに感心しきりのアダルヘルム。ツェイは鉄板を囲む仲間たちを見渡し、にこやかに頷いた。
「アダル殿には馴染みの少ない材料かの? 海老とちーずの組み合わせ、此れが意外と合うのだ。ナギ殿、是非一口召し上がられよ」
 お好み焼きの一切れをナギに差し出すツェイに、なるほどと相槌を打ちつつ。アダルヘルムも鉄板から取り分けた豚玉焼きを箸でつまみ、慎重に口へ運んだ。
 甘じょっぱいソースの香りが口いっぱいに広がる。その下に潜む鰹節の風味が、さらに食欲を引き立てる。噛みしめた瞬間、外はカリッと、中はしっとり柔らかい。豚肉の旨味が溢れ出し、ソースとマヨネーズがそれを優しく包み込む。
「……これは、旨いな」
 目を見開いたアダルヘルムは、驚きと共に一気に二口、三口と箸を進めた。口の中で踊る味わいの調和に、思わず笑みが零れる。
「豚肉の脂とソースが絶妙に絡む……鉄板で焼く意味がわかった気がする」
 冷えたビールを流し込むと、喉を通り抜ける爽快感がまた格別だった。

「すみませーん。シェアって可能ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ!」
 ナギがお皿を持ち直しながら声をかければ、店員はにこやかに鉄板の端に取り分け用の小皿を並べてくれる。ナギはホッとしたように頬を緩ませると、ツェイとアダルヘルムに向き直った。
「だってさぁ。魚介系もお肉たくさんなのも気になっていたんだよねぇ……。 オムそばとどて焼きも頼んじゃおうっと。 ほら、気になるならみんなで食べようね」
「しぇあ──ふむ、交換会であるな。なかなか乙なものよ」
 ツェイは満足そうにうなずき、「では、焼き饂飩入りの品も注文せねばの」と店員に追加注文を告げる。
 メニューに目を凝らしていたアダルヘルムは、ふとナギに視線を戻した。
「ところでナギ殿、オムそばとは何なのだ?」
「んふ、卵で包んだ焼きそばだよ。ふわっとした卵とソース味の焼きそばの組み合わせが絶妙で、お酒がすすむ一品!」
 ナギが朗らかに解説すると、アダルは興味津々に頷く。
「酒が進むというのなら是非だな。焼きうどん入りというのも気になるぞ。次はその二つを頼んでみよう」
「それは楽しみであるな。ふふ、鉄板を前にすると、どれも美味に見えてしまうのう」
 ツェイは微笑みながらグラスの烏龍茶をゆっくりと口に運んだ。
「ほんとだねぇ。よぉし、二杯目はウーロンハイにしようかな」
 ナギは楽しそうに肩を揺らしながら、また鉄板へと視線を戻す。
 三人のお好み焼きパーティーは夜更けまで続き、笑いと香ばしい匂いが店内を包み込んでいた。

 ――一方その頃、リンドー・スミスは。
「ちょっと客さん、ウチは全席禁煙だよ。吸うなら外で頼むよ、ノー・スモーキング・ヒア、オーケイ?」
「あ、ああ、どうも……申し訳ない、では会計を」
(怪異で黙らせる事も出来るが……騒いで|楽園《√EDEN》の能力者どもに知られたら厄介だ、此処は穏便に従っておこうか)
 食後の一服でレッドカード一発退店。すごすごと会計を済ませ、出口の灰皿の前で一人寂しく煙草の煙を燻らせるのであった。

アドリアン・ラモート
カンナ・ゲルプロート

●|Mochten Sie eine leckere Ramen《美味しいラーメンはいかが》?
「あー……。それにしてもカンナちゃん、仕事早く終わったからってグルメ巡りとか、愉快な敵もいたもんだよね」
 人通りも程々な商店街の一角。黒髪に赤い瞳、落ち着いた佇まいの少年――アドリアン・ラモート(ひきこもりの吸血鬼・h02500)は軽く背伸びをして呟いた。「怠け者かつひきこもり」とは誰が言ったか。ついこの前も天使化事変を一つ解決したばかりとあって、大分体が軽い。
「でも気合入れすぎて空回らないでよ? 今回のミッションは、あくまでも"こっそりくすねる"事だからさ」
 隣を歩く兄妹(に扮した)カンナ・ゲルプロート(陽だまりを求めて・h03261)は、軽やかに金髪を揺らしてアドリアンを横目で見る。
「ふふ。アドリアンくんこそぼんやりしてちゃダメよ? なんなら私が直接、またあの懲りない|中間管理職《・・・・・》を|ぶっ飛ば《アッパーカット》してあげてもいいけれど」
「いやいやいや、今回は平和的解決の方向で、穏便に行こう?」
 口調は穏やかだが、なかなか凶暴なことをさらりと言ってのけるカンナにアドリアンが苦笑すると――
「む?」
 その時、数メートル前方に "その人物" の姿が視界に入った。 スタイリッシュなダークスーツ姿に妙に楽しそうな顔、そして完全に観光気分で浮かれた雰囲気――間違いない、リンドー・スミスだ。
『Ah, 私だ、もう暫く時間が掛かりそうだ。戦意高揚の為に良い Lunch を探しているのだが……そうとも、ラーメンとソーセージのマリアージュだ。頼りにしているよ、支部の|J《ジャック》クン?』
 スマートフォン片手に、にこにこと何やら通話中である。その隙だらけの様子に、兄妹(仮)ふたりはそっと視線を合わせた。カンナは肩に止まっていた小さな蝙蝠を空へ放ち、注意深く観察を始める。 アドリアンはやや足早に、迷子らしく周囲を見回しつつ彼に近づいた。
「あのー、すみません」
「Hmm?」
 道を尋ねる兄妹を演じながら、アドリアンはリンドーに話しかける。
「この近くに、なんかドイツ料理と日本のラーメンが融合したっていう、変わったお店があるらしいんですけど、ご存じですか?」
「Just right! まさに私が探している店じゃないか、奇遇だな!」
 リンドーは上機嫌でにこやかに応じた。演技をしながらもアドリアンは、慎重に彼の周囲に注意を払い、『クヴァリフの仔』を収めたトランクや上着の不自然な膨らみを目ざとく観察していく。
(うん、上着のポケット……膨らんでるね。あと腰のポケットにも何か入れてるな)
 後の作戦のために情報を集めていると、横からスッとカンナが話に加わった。
「よかったら一緒に行きませんか? そのお店は隠れ屋的な名店なので、此処からだと少し距離が有るんですよ」
 リンドーが大きく頷き、兄妹(仮)と肩を並べ歩き出す。浮かれた様子でラーメン店の噂を熱く語るその姿を、背後からそっとカンナが見やった。
(まったく呑気なものね。あの時と同じように直接叩きのめすのも悪くないけど……)
 人々が行き交う商店街の喧騒の中、カンナはほんの僅かに指先を動かし、影へと意識を集中させた。彼女の足元に薄く沈む影――それはただの影ではない。カンナの意図を受け取るや否や、闇が微かに揺らめき、その深奥より何かが羽ばたく。影の中を無音の羽音と共に舞い上がるのは、無数の黒い鳥。一羽、また一羽とリンドーの周囲を掠めるようにして抜け、それぞれが他のリンドーの情報を集めるために闇から闇へと消えていった。
 だが、一羽だけはこの場のリンドーの影へと潜り込み、その存在を隠すように密やかに寄り添う。まるで、影そのものが意志を持ったかのように。
「おや? Lady、何か考え事でも?」
「……ええ、少しだけね」
 リンドーの問いかけに笑顔で応じつつ、カンナはそのまま足を進めた。
(リムジンの場所、リンドーの行き先、周囲の防犯設備、そして彼に関する全ての痕跡……。調べられるだけ調べておくわ)
 全てを見届けるための無数の瞳。その情報収集の網は、既に目に見えぬ形で広がり始めていた。
「今日は存分に楽しみましょうね、リンドーさん。食事の後には、美味しい甘味のお店も紹介しますから」
「素晴らしい提案だ、この国のグルメは私の心を捉えて離さないよ。楽しみだな!」
 そうして妙に和気あいあいとした雰囲気のまま、三人(と使い魔)は商店街の奥へと進んでいく。
「おっ、あれ美味しそうだな」
 ふとアドリアンの視線が屋台へ向いた。焼き立ての香ばしい匂いに誘われるまま、みたらし団子を手に取ると、さらりとお金を払ってからリンドーへ差し出す。
「日本のスイーツって言うか、こういうのも楽しみの一つですよね。どうぞ、リンドーさん」
「団子と言うやつか。うむ、焼き目とタレの風味が何とも食欲をそそる」
 屋台のベンチに腰掛け、リンドーは興味深げに一口かじり、満足そうに微笑む。その姿にアドリアンも頷いた。リンドーが煙草を取り出し、穏やかな表情で一服を楽しみ始めたのを見計らい――
「ふふ、リラックスにはお茶もいいわよ」
 カンナは日本茶を差し出し、さらに白玉や羊羹のセットまで添えてみせた。
「ありがとう、君たちは実に気が利くね。さて、グルメ旅をまだまだ続けるとしよう」
(あとは美味しいラーメンでも食べながら、ゆっくり油断してもらおうか――)
 アドリアンとカンナ、ふたりの目線がちらりと交錯する。愉快な任務は、まだまだ始まったばかりだ。

薄羽・ヒバリ

●甘味の誘惑と困惑、ヒバリの休日レポート
 薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)は久しぶりの休日を満喫するべく、評判の和風カフェへ足を運んでいた。目当ては話題の『生和栗モンブラン』。注文を受けた店員が客席でクリームを絞って完成させるという映えメニューは、SNSでも大人気だ。
「お小遣いも準備万端だし、昨日の夜からカロリー調整もしたし……今日は思いっきり楽しむ!」
 並んで待ち、ようやくカウンター席に案内されたヒバリは、目の前で仕上げられるモンブランにワクワクしながらスマホを構えた。クリームが美しく絞られる様子を動画に収めながら、頬を緩ませる。だが、その直後――視界の隅に映ったスーツ姿の男が、彼女の表情を一変させた。
(えっウソ、やば、ねえ何で!?)
 隣の席に座っていたのは、つい先日真正面から激闘を繰り広げたリンドー・スミス。此方の裏をかく高度な星詠み、圧倒的かつ緻密な連携で漸くギリギリ追い込めた程の戦闘力。彼と再び相見えるなら、それは戦場に違いない。ヒバリもそう思い込んでいた。
 だが。
「Umm, これは実に美味だ。和栗と抹茶の苦みの織りなすハーモニー、何という至高の芸術か」
 隣に座るリンドーは、口元を緩ませながら『生抹茶モンブラン』をゆっくりと味わっている。目を細めて感嘆の声を漏らし、何かを噛みしめるようにうなずく姿は、かつての激戦を知るヒバリにとってあまりにも想像とかけ離れていた。
(リンドーってこんなトンチキなおぢだったっけ……?)
 まるで別人のようなリンドーの姿に呆然とするヒバリ。かつての敵に対する緊張感などどこへやら、好物を食べて幸せそうな中年男にしか見えない。
 ヒバリが驚いている間にも、目の前の『生和栗モンブラン』は完成し、彼女の目の前に差し出された。
 豪快に盛られた和栗クリームの艶やかさと、隣のスイーツおじの間で視線を何往復かさせた後。ヒバリは暫しリンドーのことを忘れ、至福のスイーツタイムに浸る事にした。
「すごーい!クリームがこんなにマシマシで!……うわ、美味しい!」
 濃厚な和栗ペーストとサクサクのメレンゲの組み合わせにうっとり。おっといけない、撮影も忘れずに! しかし数口を味わった後……何やら視線を感じる??
 うげっ、リンドーがじっとこちらを見ている。というか、ヒバリが食べているモンブランを見つめているようだ。その鋭い眼差しはかつての戦闘中と同じく、何かを見極めるかのような厳しさを湛えている。
 次の瞬間――。
「失礼、お嬢さん。そのスイーツの名はなんというのかね?」
 前回|CODE:Fire《コードファイア》で頭やっちゃったっけ? いや確か肩口吹き飛ばした筈……と混乱しつつ、
「あ、えっと、生和栗モンブラン。……です」
 ちゃんと答える辺りは流石シゴデキ女子。
「|I see. My gratitude to you《なるほど、感謝しよう》! 店員、この『生和栗モンブラン』を一つ、いや、二つ!」
 そのあまりに唐突で即決の行動に、ヒバリは目を丸くした。
(え、えっ!? ガチのスイーツ男子じゃん……!)
 戦場では冷酷無比なエリートだったはずのリンドーが、今はただのスイーツ好きなおぢさんにしか見えない。
 店員が再びクリームを絞り始めるのを、リンドーはまるで芸術作品でも鑑賞するかのように食い入るように見つめていた。
(なんか、リンドーって本当によく分かんない人だよね……)
 のどかで奇妙なスイーツタイムがゆったりと流れていく。

マスティマ・トランクィロ
ルトガルド・サスペリオルム

●銀糸に誘うは、毒と酒と戯れと
 マスティマ・トランクィロ(万有礼讃・h00048)は、街を歩きながらふと思いついた。どういうわけか無性にフグが食べたくなったのだ。
「嗚呼、無性にフグが食べたい。今ならぎりぎり白子が美味しいかもしれない」
 彼の言葉に、隣を歩くルトガルド・サスペリオルム(享楽者・h00417)は目を輝かせた。獲物を見つけた猫のよう――あ、やべ。「信じられないわ」って目でルルド様がコッチみてる。ええ、と、そう――まるで獲物を見つけた|🐌《カタツムリ》のように。
「まぁ、フグ!死屍累々を築きながらも人類が毒を制してたどり着いたという変態じみた日本のグルメね!食べたことあるわ、食べたいわ!」
 失敬な地の文から興味を失い、向き直ったルトガルドは声を弾ませ、マスティマの袖を引っ張る。
「そうだね、今期最後と考えるとやっぱり食べなきゃ駄目な気がして来た――ルトガルド、付き合ってくれる?」
 彼らは都内某所、名門私大のお膝元を歩いていた。路地裏に隠れるように立つ古民家風の店。そこを見つけるやいなや、ルトガルドは無邪気に手を引いた。
「もちろんよ、伯父様、行きましょう今すぐ行きましょう!」

 数歩後ろを歩いていたリンドー・スミスは、その一部始終を聞き逃さなかった。
「フグ……だと?」
 彼の瞳がわずかに細まり、興味を惹かれた様子を隠せない。日本のグルメを堪能しようと意気込んでいた彼には、極上のターゲットだった。古民家風の店の前でしばし佇むリンドー。店構えの品格、和の香りを漂わせる暖簾の質感――全てが彼の嗜好をくすぐった。
「Fugu, huh……。これは何とも興味深い。試してみる価値はあるかもしれないな」
 フグという響きに誘われるように、リンドーは店へ足を踏み入れたのだった。

「女将さん、一階のテーブル席でお願いするよ。二階の個室も素敵だけど、今日は話したい人が来るかもしれないんだ」
 店内へ入るなり、マスティマは柔らかな口調で告げる。ルトガルドは小さく首を傾げたが、あまり気にも留めず浮き立った足取りで席に向かった。
「伯父様、早く乾杯しましょう! えっとね、コースは全部よ! お鍋も焼き物も唐揚げも、皮の湯引きだってきっとお肌にいいわ!」
「ルトガルド、食べたいものを……全部? 構わないとも、ずいぶんお腹が空いているんだね」
 マスティマは穏やかに語りながら日本酒のお猪口を掲げ、彼女と小さく杯を鳴らす。ルージュを引いた唇に触れた酒。朝露に濡れた若草と、瑞々しい果実のような香りを含んで滑らかに舌を撫でたかと思うと、すぐさま鋭い線を引くように喉を駆け抜ける。残るのは細氷を口に含んだ後のような涼やかさと、わずかな苦みを帯びた余韻。
「ん、これは美味しいね。滑らかでいて、まるで刃のようにキレ味が鋭い……でも後で他の日本酒も頂こうかな」
 美酒の心地よい芳香に浸りつつ、マスティマはそっと店の入口へ視線を送った。――彼の思惑通り。店内に硬い革靴の音が響く。ゆったりとした足取りで店内に踏み入れるのは、紛れもなくリンドー・スミスその人であった。

 少し離れた席に座るリンドーの元には、既に空になった盃が一つ。今は品書きを開き、何を食べようかと吟味している。マスティマは頃合いを見計らって女将を呼んだ。
「あちらの彼が飲んでいるお酒、美味しそうだね。僕にも一献もらえるかな?」
 その声にリンドーが顔を上げ、マスティマの方をチラリと見遣る。女将から日本酒を受け取り、マスティマはさらりと声をかけた。
「やぁ、ご旅行? それともお仕事で?」
 リンドーは一瞬驚いたように眉を動かしたが、すぐに薄く笑みを浮かべる。
「Ah、仕事の後の、いわば打ち上げというものだ。日本のFuguというものを試しにね」
「それは素敵だね。よかったら、僕から一献ご馳走させてもらえないかな?」
「……Interesting。すまないね、有り難く頂こう」
 リンドーは差し出された酒を素直に受け取った。マスティマは柔らかに目を細め、緩やかな仕草で乾杯を促す。
「ふふ、気にしないで。お祝い事というのは祝う方こそ楽しいものだからね」

 一方ルトガルドは、マスティマが何を考えているのかよくわからない。敵であるらしいリンドーと乾杯するなど奇妙に思えたが、まぁ良いだろう。伯父様が楽しければ自分も楽しい。それにフグは絶品だ。
「ごきげんよう、リンドー!」
 ルトガルドは唐突に彼に手を振った。
「あなたフグは初めて? とても美味しいけれど人が死ぬこともあるのよ! わたし危険なものって大好きよ、あなたもそう?」
 リンドーとマスティマが目を丸くして言葉に詰まるのを尻目に、ルトガルドは無邪気な笑みを見せてお猪口を空ける。
「ふふ、まぁいいわ! 伯父様、あのおじさんにお祝いをするのでしょう? それならわたし、おじさんにカタツムリさんを教えてあげようかしら!」
 ルルド様? ちょっとわたくしお祝いの定義が揺らぎましてよ???
 楽しげに宣言する彼女に、マスティマは穏やかに目を細めて頷いた。フラグが――立った。
「Ummm……実に妙な連中に絡まれたものだ」
 リンドーは困惑と面白さが入り混じった表情で呟きつつも、手元の酒に静かに口をつける。テーブルに到着したフグの薄造りもまた驚嘆すべき味わいであった。
「毒魚とはこれほど旨いのか。ならば、彼女の語る "カタツムリさん" とやらにも興味を持つべきかもしれないね」
 [速報] リンドー・スミス終了のお知らせ。本日の東京はこの後局所的に|🌈《レインボゥ》が見られる事でしょう。
「ここ、夏は鱧が出るんですって! 鱧って魚にも毒があるのかしら? 毒があってもなくてもまた来ましょうね伯父様、次は絶対個室よ!」
 ルトガルドの話は相変わらず飛躍的だったが、マスティマは柔和に笑ってうなずいた。
「君が望むなら、そうしようとも」
 密やかな策謀と無邪気な笑い声が入り混じり、テーブル席は不思議な温もりに満ちていた。リンドーもまた、この妙なる邂逅を存外に楽しんでいたのである。

 ちなみにこの後、リンドーは何回転する破目になるんでしょう?(2d10ダイスロール)
 ……はい、73回転だそうです。

第2章 冒険 『怪異飯店、繁盛中』


●飲んで食べて遊んで、まだまだ刻は宵の口
 絶品グルメを楽しんだ後は――解散? いえいえまさか、まだまだ(リンドー・スミスで)遊ぶぞ! ではでは、お次の行き先は?
 夜桜を見るのもいいね! ――風情があって良し。
 食べ足りない、二件目行くぞ! ――うんうん、それも良し。
 食べた後は飲みに行くでしょ! ――成人前提だけど、勿論良し。
 夜の遊園地で遊んでもいいんですか? ――Yes, Yes, くたくたになるまで遊んで良し!

 一角には「怪異飯店」があるので、そこで愚ルメと洒落込むのも……まぁ有りかもしれません??
 どう楽しんでやろうかな――キミたちの頭脳が導き出した答えは、如何に。

 ==============================
 ■マスターより
 引き続き戦闘無し、安心安全に遊べます。
 リンドーと同行するもよし、離脱して仲間とわいわい楽しむもよし、大事な人と静かにお酒を楽しむもよし。
 勿論、飛び入り参加・この章だけ参加という方も歓迎致します。
 Pow/Spd/Wizに拘らず、自由な発想でプレイングを書いて頂ければと思います。
 また、店舗やアミューズメントパーク、イベント等についてもご自由にご想像下さい。キミが有ると言えば、(余程の問題がない限りは)"ソレ" は有ります。
オメガ・毒島
八手・真人

●至福の宵と、予想外の酔い
 夜はまだ長い。果実の宴が終わった後、二人は自然と足を向けていた――個人経営の大衆居酒屋「居酒屋・みなと」。暖簾をくぐった二人を出迎えるのは、香ばしく揚がった鶏の香りと、出汁の効いた味噌汁の匂い。カウンター席に腰掛けた八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)は、少し緊張した面持ちでメニューを見つめていた。
「まずは唐揚げと……刺身盛り合わせですかね」
「お、お刺身……いいですね! 鯵も鯛も……大好きです」
「了解です。注文は私が担当しましょう。真人さんは、飲み物のご希望は?」
 自然に且つスマートに最初の一杯を聞くのは、メガちゃん店長ことオメガ・毒島(サイボーグメガちゃん・h06434) 。
「あっ、店長……お酒飲みますか? 俺は、ご迷惑かけそうなので……ウーロン茶で」
「そうですか。それでは私はビールを……あとは、日本酒をお願いします。ええ、花冷えで」
 それが運命の分かれ道だった。――ウーロンハイと、ウーロン茶。店員の小さな聞き違いが、夜の宴を予想外の方向へと導いた。

 程なく運ばれてきた料理を前に、二人は顔を見合わせて小さく乾杯した。
「この唐揚げ、衣がサクサクでジューシーですね……ビールによく合います」
「俺も……唐揚げ大好きで……つい、食べ過ぎちゃいます」
 八手は緊張気味に笑いながら、唐揚げを箸で摘まむ。店内の雰囲気に少しずつほぐれてきた様子で、表情が柔らかくなってきている。刺身もまた絶品。脂の乗った鯵は生姜醤油、鯛は甘口の醤油でいただく。オメガは日本酒を一口含んで、満足そうに微笑む。
「至福の時ですね……。そうだ八手さん、次は生牡蠣なんてどうでしょう」
「え、えっと……生牡蠣……ですか? だ、大丈夫かな、俺……」
 二人の箸は進み、細い八本の影に唐揚げがひょいと摘ままれ、運ばれてきた生牡蠣がするすると宙を移動する。――上着のベルトでしょうか? いいえ、|蛸神さま《たこすけ》です。日本酒も進む。……真人のウーロンハイ(だと思っていないそれ)も進む。やがて真人の頬が紅潮し、目が潤む。と思うと――
「うぅ……メガちゃん店長……。あの、今、楽しいですか……?」
 酔いが回った真人はぽつりぽつりと語り始める。
「俺、ずっと不安で……。鈍臭いし、話も下手で、一緒にいてもつまんないんじゃないかって……」
 彼の心から零れ落ちる言葉を聞き、オメガはゆっくりとグラスを置いた。
「八手さん……。大丈夫、楽しいですよ、とても」
「……ほんとですか……?」
 疑うような、期待するような真人の視線をまっすぐに受け止め、オメガは微笑む。
「ええ、本当です。雇い主の発言としては適切ではないかもしれませんが、私はあなたのことを良き友人だと思っていますから」
「友人……」
 その一言が真人の胸に染み渡り、涙が一粒ぽろりと零れ落ちる。
「でも……俺、人との距離の詰め方が分かんなくて……もっと仲良くなりたいんですけど、どうすればいいか……」
 それを聞いて、オメガはふと思案顔になった。
「私も、実はあまり得意ではないのですが……そうですね、まずは敬語を崩してみるとか、名前で呼んでみるとか……いかがでしょう?」
「え、名前で……?」
「ええ。焦らずに、あなたのペースでいいんですよ。……真人」
 最後の一言に、真人は弾かれたように顔を上げた。
「……メ、メガちゃん店長が、俺のこと名前で呼んだ……?」
「ええ。私も少し照れくさいですが、これが第一歩、というやつでしょうか」
 オメガの柔らかな笑顔に、真人は照れながらも小さく頷く。
「じゃあ……俺も、いいですか?」
「もちろんです」
 真人は小さく息を整えると、意を決したように呟いた。
「……メガちゃ……いや、オメガ、くん……?」
 その瞬間、二人の間を柔らかい空気が包んだ。まだ少しだけぎこちない距離感ではあるけれど、それは確かに縮まった距離。
「さて。では、話は戻りますが生牡蠣でも……おや?」
 目に入るのは牡蠣殻ばかり、生牡蠣が見当たらない。それはそうだ、一つ残らず食べられちゃったんだもの。|蛸神さま《たこすけ》に。
「追加で注文したら、挑戦してみますか? 真人」
 冗談めかして言うオメガに、真人は少しだけ慌てつつも、頷いた。
「は、はい……! 挑戦してみます……!」

 その様子を、離れたカウンター席で日本酒を片手に見守る一人の男がいた。
「これが日本の "Nominication" という物か……成程、興味深い」
 リンドー・スミスは頷き、手帳に「仲良くなる方法:名前で呼ぶ」とメモした。
「Hmm... 私も帰ったら……上層部を名前で呼んでみようか。……距離が縮まる、……かもしれ……」
 大分酔いが回っている様子。うつらうつらと舟をこぐ合間に、日本酒をぐいと呷るリンドー。眠りこける彼を二人が発見するのは、もう暫し後の話。

ナギ・オルファンジア
アダルヘルム・エーレンライヒ
ツェイ・ユン・ルシャーガ

●|In velvet night, and the feast continues《ビロードの夜に、饗宴は続く》
 お好み焼き屋を後にした三人の足は、夜の遊園地の入場ゲートへと辿り着いた。その先に広がっているのは、まるで異国の夢に踏み込んだかのような夜景。夜の遊園地には、昼とはまた違う魔法が宿るという。色とりどりの灯りが綿毛のように滲み、夜空へふわりと溶けていく。観覧車やパレードのフロートが星々のように瞬き、アーケードから流れる音楽は夜風に乗って甘く耳をくすぐる。遠くでは誰かの笑い声、メリーゴーランドの音。ひとときの非日常が、今ここにある。三人はまだまだ遊び足りないと言わんばかりにゲートをくぐった。
「ふむ……想像よりも遥かに広大で賑わっておるのう」
 ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)は目を細め、まるで星座でも読むように園内の光の配置を見渡す。空中を走る線路のようなものが、宙に浮いたまま彼の視線を誘っていた。そこを轟音&絶叫と共に一瞬で走り去っていく "連なった椅子"。
「もしやあの空飛ぶ椅子は拷問では……」
 括り付けられていた民衆は、捕虜かはたまた罪人か。思案顔で "拷問具" を見送るツェイのやや後方。
「遊園地は初めてだが、ここまで煌びやかだとはな……」
 アダルヘルム・エーレンライヒ(片翅黒蝶・h05820)は軽く眉を上げ、灯りの洪水に目を細める。そういった娯楽施設があるという事は知っていても、彼は元騎士団所属の冒険者。騎馬隊の指揮や陣形の運用といった軍学、あとは只管修練、鍛錬、熾烈な実戦に明け暮れた彼にとって、遊園地は縁遠いものだったのだ。見るもの全てが真新しく映る。初めて足を踏み入れたアダルヘルムは、興味深そうにあちらこちらへと視線を遊ばせている。
 そんな二人の間で「んふ、反応たのし」と平和なひと時を味わっているのはナギ・オルファンジア(Cc.m.f.Ns・h05496)。手にはカメラ付きのスマホを握りしめ、ツェイとアダルの表情をじっと狙っている。
「2人は遊園地は初めてなんだよね、ならナギが先輩ですね」
 早速先輩として、遊園地の楽しみ方をエスコートしなくては!
「おっと百聞は一見、もといひと乗りに如かずよの」

「じゃあまずは、きらきらのアレに乗ってみよっか」
 ナギの指さす先。きらびやかな照明に照らされて、白馬たちはまるで夢から抜け出してきたかのように静かに並び、クラシック調の音楽が優しく場内を包み込んでいる。木馬の背に金の鞍、馬車には深紅のベルベットが敷かれ、夜の幻想がくるくると廻る円環の中に息づいていた。
「これが“回る馬”だよ。メリーゴーランドっていうんだ」
 ナギは得意げに二人に説明する。彼女自身は迷いなく馬車の方へと歩いていき、ふわりと白衣の裾を翻して座った。
「成る程、貴婦人は馬車かの。良き選択であるな」
 ツェイは感心したように頷くと、軽やかに木馬へと跨がる。その仕草にはどこか優雅な気品が漂い、まるで舞踏会に招かれた王子のよう。一方、少し渋い顔をしつつも隣の馬に跨るアダルヘルム。如何致しました??
「……俺には、いささかファンシーすぎるのではないか?」
「ふふ、さすが騎士殿、実に様になっておるぞ」
 筋骨逞しい浅黒の騎士団長が馬に跨れば、そりゃツェイの言う通り。様にならない筈が無い。大丈夫だよアダルさん、若干メルヘンなデザインだけど黒馬だし。BGMも若干メルヒェンだけど凱歌って事にしておけば……似合うと思います、ホントほんと!
「アダル君は…そう、様に……ウン……」
 パシャリ。ナギの声と肩が震えてるのは多分きっと気のせいだ。
「……様にと言っているが、ナギ殿の声が震えているのだが」
 はい、誤魔化せませんでした。しれっと写真を撮ったな、と呆れ交じりの更なる突っ込み。
 やがて回転が始まり、静かに上下する木馬。流れ出す幻想的な旋律。周囲には親子連れやカップルたちが手を振っており、それに応えるようにツェイも柔らかな笑みで手を挙げた。何という自然なファンサ! アダルさんもほら、少年が目をキラキラさせて見てますよ!
 ナギは馬車の窓越しに、二人の姿を何枚もカメラに収める。
「ツェイ殿こそ馬を駆る姿は優美そのものではないか」
 アダルヘルムの黒馬の隣、並走するツェイの姿は柔い笑顔も相まって、まるで一枚の絵画の様。
「ツェイ君、その笑顔、いいねぇ」
「ふふ、褒めても何も出ぬが……」
 房尾くらいは揺らしておこうかの、とふわりと尾が揺れた瞬間、パシャリ。
「うんうん、お尻尾ふりふりも優雅だよ」
「おや、現場を撮られて仕舞うたか」
 シャッターチャンスを逃さないナギの敏腕ぶりに感心するツェイ。ゆっくりと巡る時間の中、笑顔と笑い声が交差する。それは少年の為にTyrantを掲げてポーズを取る騎士にも、異国の詩人にも、記憶喪失な甘党にも等しく届く、ひとときの魔法。

 メリーゴーランドの夢心地から降りた三人は、ほのかに甘い香りに導かれてアーケードの屋台へ。そこで売られていたのは、揚げたてのチュロス。砂糖をまぶしたスティック状の菓子に、それぞれが好きなフレーバーを選んで頬をほころばせた。
「チョコ味にしたよ。中からとろっとチョコが……んふ、美味しいねぇ」
 ナギは嬉しそうに一口齧ると、目を細めて頷いた。手に持ったチュロスを掲げ、すこし得意げにツェイとアダルヘルムへ向けて見せる。
「ツェイ君もアダル君も、ぜひぜひ!」
「ほほう、揚げ菓子というのは、侮れぬものよのう」
 ツェイはチュロスを手に取り、慎重に口に運ぶ。しばし噛みしめると満足げにうなずいた。
「うむ、しっとりした甘さと、香ばしき揚げの妙味。ふふ、実に美味であるな」
「……甘いものも悪くないな」
 シナモン味を選択したアダルヘルムも、あまり馴染みのない味に少し戸惑いつつも小さく呟く。
 そうして歩を進めた先、視線の先に現れたのは鋼鉄の骨組みで組まれた巨大なジェットコースター。宙に吊られた車両が遠くで悲鳴とともに滑空してゆくのが見える。途端に、アダルヘルムの表情が強張った。
「……まさか、あれに乗るのか?」
「む、拷問具かと思いきや遊具か。我は飛ぶことには慣れておるが……あのような拘束具付きの空中行は、初体験であるな」
 ツェイも目を細め、いつになく慎重な様子で車両を見上げている。
「私も乗ったことはないけど……あれって、かなり速いんじゃないかなぁ」
 ナギはそう言いつつ、どこか嬉しそう。列に並び、順番が近づくにつれ三人の緊張がじわじわと高まっていく。ついに乗車の番が来た。
「……マジで行くのか?」
 やっぱり不安そうなアダルヘルムをよそに、安全バーがガコンと閉まり、じわじわと登っていく車両。
「何やら物々しい拘束、まぁ飛ぶのは慣れておるしの」
 案外ゆっくり、安全走行なコースターに余裕を見せるツェイ。しかし上り坂のレールは、ふと夜空に途切れ――無慈悲にも断崖絶壁の様な下り坂へ! 空を切り裂く悲鳴とともに、夜の遊園地に三つの叫びが響く。
「慣れ……、なッ……!」
 加速度に目を回しつつも、隣のアダルヘルムを見やるツェイの目に飛び込んで来たのは。
「――、……ッ!」
 単独で災害級モンスターに突っ込んでいく時ですらこんな表情は見られないであろう、悲鳴も上げられないアダルヘルムの必死の形相。
(余り見られぬ顔をしてお)
 る。
 ツェイに思考を許さないとばかりにループ突入、天地が入れ替わって逆さ吊り!!
「ひぇっ、ア゜ッ」
 そして後ろから小さく聞こえる悲鳴。どうやらナギ殿は意識を保っておられる様子。急降下、急旋回。体が重力を失って宙を舞い、風圧が顔を覆い尽くす。全員がしがみつくように安全バーに手をかけ、なす術なく疾走していく。やがて停止した車両。ふらふらと降り立った三人は、しばし無言だった。
 わずかに肩を震わせながら「これに乗るくらいならドラゴンと戦う方がマシだ……」とぼやくアダルヘルム、満身創痍。騎士団長が(精神を)負傷なされた、メディック、メディーック!
「……た、大したことありませんでしたね」
 まだ少しふらつく足取りのまま、そう言い切ったナギにアダルヘルムが突っ込みを入れる。
「ナギ殿も痩せ我慢は良くないと思うぞ」
「我も……いやはや、此度ばかりは脚が己のものでないかのようである」
 わずかにぐらついた足元を確かめるツェイ。怖かったのは自分だけだと思っていたナギも、内心でほっと一安心。それに幾ら絶叫マシンとは言え、コースターもまさかドラゴンと比較されるとは思わなかったはず。
「ふふ、すごいお顔」
 そんなナギの感想を聞き、苦笑しつつもメリーゴーランドのお返しとばかりに、自分を含めて全員をカメラに収めるアダルヘルム。
「ほら、今なら三人ともいい顔してるぞ」
「ぁ、今お写真撮りましたね?!」
 カメラのレンズに収まるのは、髪が乱れ、顔がやや蒼白な三人。だが、その表情には疲れの中にも達成感のような色が宿っていた。アダルヘルムは小さく笑って写真を確認し、満足げに頷く。

 絶叫の余韻を引きずりつつ、三人が最後に訪れたのは園内の一角にあるカフェバーだった。ほんのりと照明を落とした店内は、大人の空間という趣き。窓際の席に案内され、夜の遊園地を見下ろす景色はまるで宝石箱のようだった。観覧車がゆっくりと回り、その光がドリンクグラスに映り込んで煌めく。
「いやぁ……遊園地って、体力使うんだねぇ」
 ナギは椅子に沈み込むように腰を下ろした。その視線の先、メニューには色とりどりの甘味の写真が並んでいる。
「でも、だからこそ……ここでの締めはやっぱり、夜パフェだよ!」
「ふむ……この“夜パフェ”なる文化、我には未知なる甘味なれど」
 ツェイはメニューをじっと見つめ、やがて指を滑らせた。
「此の苺と白ちょこの品……練乳に包まれし紅玉のような果実、美しきかな。これを我が舌で確かめようかの」
「じゃあ俺は……これにしてみるか」
 アダルヘルムが選んだのは、濃厚なコーヒーゼリーとビターなチョコソースのかかった“大人のパフェ”。焼きナッツの香ばしさと、生クリームの柔らかさが調和する贅沢な一品だった。
「ツェイ君はそれ? アダル君のもいいなぁ」
 ついつい目移りしてしまうナギ。じっくりとメニューと睨めっこ。
「じゃあ、私はこれにするねぇ。白鳥のチョコ細工が乗ってて、すごく綺麗なんだ」
 ナギが選んだのは、バニラアイスにレモンクリーム、フローズンベリーがたっぷり詰まった純白のパフェ。白鳥の飴細工が上にあしらわれ、光を受けて淡く煌いていた。
 テーブルに並べられた三つのパフェは、それぞれの個性を映すかのように鮮やかで、目にも楽しい。ナギは白鳥チョコのくちばしをそっと摘んで外しながら、満足げに一息吐いた。
「これ、羽根がサクサクでね、中にラズベリームースが入ってるの。んふ、やっぱり夜パフェは格別だよ」
「ほほう、ナギ殿のそれも見目麗しきこと。だが我の此れも……うむ、果実の酸味と白ちょこの甘みが……実に、良きかな」
 ツェイは一口ずつ確かめるように味わい、感嘆の声をもらす。瞳の奥には穏やかな光が宿っていた。アダルも静かにスプーンを動かし、ひと口。ほろ苦さの奥に、柔らかな甘味が広がっていく。
「……こういうのも、悪くないな。チョコとコーヒーって、意外と合うもんだ」
 どこか照れたような顔をしてナギを見ると、彼女は深く肯いた。
「でしょー? どんな人にも刺さる一品が、パフェにはあるんだよ」
 三人はそれぞれのパフェを楽しみながら、観覧車の灯りが静かに巡る夜景を眺める。甘い時間が、静かに過ぎていった。

 一方その頃、リンドー・スミスは観覧車のゴンドラの中。手にはどこかで仕入れた特大サイズの「メガチュロス」を持ち、ひとり満足げに大口を開けて齧りついていた。
「Umm……この揚げ油とシナモンのバランス、絶妙だ……。日本、侮れん……」
 地上を離れ、高度が上がるにつれ、満腹と心地よい揺れが彼を襲う。
「……少しだけ、目を……閉じるだけ……Zzz」
 ゴンドラが頂点に達し、静かに揺れるその中で、リンドーは呆気なく夢の中へ。そのまま、ゴトリ――扉が開く音にも、彼は微動だにしなかった。

瀬条・兎比良
史記守・陽

●夜『桜』の下に沈む哀れなホシ
 花見会場に設営されたビアガーデン。ライトアップされた桜が風に揺れ、桜色の花弁がふわりと落ちる――幻想的な光景が広がっている。
「さて、そろそろ良い頃合いでしょうか?」
 瀬条・兎比良(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749は腕時計をちらりと見やる。先程のとんかつ屋でリンドー・スミスの精神を程よくかき乱し、平常心を削いでおいたのは作戦通りだ。
「はい、先輩。ホシは既にアルコール摂取を開始しています」
 |史記守・陽《桜下の陣取王》(|夜を明かせ《ライジング サン》・h04400)はジンジャーエール片手に静かに報告した。アルコールが飲めない彼にとって、飲酒せずに潜入できる環境はありがたい。そんな後輩を頼もしげに見てから、兎比良は密かな覚悟を決める。
「勤務中の飲酒には少々抵抗がありますが……これも任務ですからね」

 ――間もなく、程よく酔ったリンドーが桜の木の下でゆったりと杯を傾ける頃合いを見計らい、二人は自然を装い近づいた。
「失礼、相席よろしいでしょうか?」
 兎比良が丁寧に尋ねると、上機嫌なリンドーはにこやかに頷く。
「おお、勿論だとも。美しい桜の下、愉快な夜を共有しようではないか」
 好意的な返答に胸を撫で下ろしつつ、兎比良は陽を促して席に着いた。

 桜の花弁が舞う中、兎比良は杯を手に取る。
「良い夜ですね。桜が丁度満開な時期に来訪された貴方は運がいい。――いや、ひょっとして全て調査と計算の上でこの国にいらっしゃったのですか?」
 言葉巧みに相手の気分を盛り上げ、兎比良は日本酒の徳利を手にする。
「私も酒が好きでして、この地酒は特にお勧めです。ぜひ貴方にも味わっていただきたい」
「ほう……それは楽しみだ」
 リンドーは無邪気に杯を差し出す。

 兎比良が酒を注ぐ間、陽はタイミングよく皿を差し出した。
「こちら手羽先です。お酒によく合いますよ」
「これはまた気が利くな」
 味の濃い手羽先をつまみに、リンドーはすっかり上機嫌だ。

 日本酒の次にカクテルを薦め、クラフトビール、更にはどぶろくと、巧みに酒の種類を混ぜさせていく兎比良。
「おや、シキさんは飲まれないのですか?」
 兎比良がさりげなく尋ねると、陽は爽やかに微笑む。
「ええ、俺はお酒が余り得意ではないので」
「それは残念だ。酒の味がわからぬとは人生の半分を損しているぞ、青年」
 リンドーはすっかりご機嫌で説教めいたことを口にしながら、杯を重ねてゆく。桜の舞い散る中、静かな時間が過ぎ――
「ん……む?」
 リンドーは唐突に目をしばたたかせ、テーブルに頬杖をつく。その顔は酩酊の極みである。
「おや、どうなさいました?」
 兎比良が優雅に問いかけると、リンドーはそのままゆるゆるとテーブルに伏した。
「……ふむ、さすがの私も少々飲み過ぎたようだ……」
 最後に微かな言葉を漏らし、静かに寝息を立て始めた。

 陽は素早く水を取りに席を立ち、戻ってくるなり先輩に渡そうとしたが――
「あれ、先輩……顔色が全く変わっていませんね?」
 驚きを隠せない陽に、兎比良は涼しげな表情のまま眼鏡を直した。
「先程の飲酒は、任務のための然るべき下準備に過ぎませんから」
「それにしても彼、本当に見事に潰れてしまいましたね……いえ、電車の中とか街中で酔っ払ってる人とかはよく見ましたけど」
 無防備な寝顔を晒すリンドーを見つめながら、陽は小さくため息をつく。
「公共の場で酔いつぶれるなんて、本当にみっともない……こういう大人にはなりたくありません」
 グサリ。陽の鋭い言葉が|心臓《ハツ》に突き刺さり、寝たまま呼吸が停止するリンドー。
「シキさん……ホシがガイシャになってしまいます」
「え……ガイシャに??」
 口元を押さえて宥める兎比良に、再びきょとん顔の陽。
「それはそれとして、私も反面教師として胸に刻んでおきましょう」
 ややおいて兎比良は刺身の盛り合わせを静かに箸でつまみ、ゆったりと口に運ぶ。その様子に任務の成功を確信しながら、陽はふと疑問を口にした。
「あの……そういえば先輩、なぜリンドーにシャンディガフを?」
「カクテル言葉というものがあります。『無駄なこと』という意味です」
 眼鏡の奥の花桃色の瞳が、ふっと細められた。
「貴方の企みは全て無駄、という意思表示ですよ」
「なるほど……」
 感嘆のため息を漏らしつつ、陽は先輩の策士ぶりに感服する。桜舞う夜空の下、二人はホシを起こさないよう検分を始めるのだった。

屍累・廻

●「酒と推理と、かすかな嘘と」
 夜の帳が下りた街角の居酒屋。木の香と静かなジャズが漂うその空間で、屍累・廻(全てを見通す眼・h06317)はリンドー・スミスの向かいに座っていた。
「本日のおすすめは、"牛骨の幽漬け"と"黄泉酒"です。いずれも、この地の伝統に怪異の名残が混じっているとか。気になりませんか?」
 廻の声はいつも通り、穏やかで柔らかい。盃を差し出しながら、対面の男の表情を静かに観察する。金の瞳は揺らがず、しかしすべてを映していた。
「ふむ……Unusualではあるが、非常に深い味わいだ。まるで未知をひとつひとつ紐解くような、そんな楽しさがあるね」
リンドーは器用に杯を受け取り、ほの甘い香りを鼻先で揺らした。
「――未知、ですか。そう言えば。先程の“旅先の不思議な骨董屋”の話、興味深かったですね」
「Oh、あれか……。まあ、ちょっとした偶然さ。旅には付き物だろう?」
 リンドーは笑った。だがその笑みの奥に、確かに “隠された何か” がある。『嘘に幾許かの真実を織り込むと、より見破り難くなる』……廻は盃を傾けつつ、彼の語った話の「奇妙な店主の様子」「箱に貼られた封印の意匠」「開封と共に “現れたものたち”」といった断片を、無言で紐付けていく。
(連鎖反応、封印の不備、強制的に放出される異質な存在。これは恐らく、“容れ物” そのものが主役。“中身” ではなく、“それを開くという行為” に重きを置く……単なる収納具ではない、何かの “起点” 。必要な時に放てる兵器のようなもの。怪異そのものより、それを “いつ開けるか” が問題になる。つまり、彼の隠し持つ怪異は――)
 特定。パンドラの匣。ギリシャ神話の名を冠する、開けば世界に災いを撒き散らす禁忌の器。リンドーが【クヴァリフの仔】の他に此の国で入手し、その存在を伏せようとしていた “怪異の正体” が、確信に変わる。
「まだまだお酒はあるので、日頃の仕事も忘れて今日は思い切り飲んでください」
 日本の良さを楽しめるのは、お忙しいからこそ機会が少ないでしょう――そんな廻の気遣いに、リンドーが酒を呑むペースもついつい早まる。
「ところで、箱の話に戻りますが……私、少し気になる点がありまして。もし、中に入っていたものが "すでに外に出ていた" としたら、その後始末は――」
「Ah……そうだな……、後始末には、然るべき隔離と……」
 リンドーが急に言葉を切り、微笑を崩す。酒精にほだされた身体が椅子にもたれ、瞼が徐々に落ちていく。
「……この国の、料理は危険だな……味も香りも、眠気まで、……誘、うとは」
 廻はそっと盃を置き、彼の寝息を確かめた。その顔に浮かんだ笑みは、わずかに愉しげ。
「……飲みすぎましたか?」
 廻は静かに、けれどどこか意地悪そうに問いかける。まるで全てが計算の内であったかのように。金の瞳は伏せられ、ふと口元に浮かぶのは、愉しげな――勝者の笑み。

一百野・盈智花

●桜下、少女の誘導と怪異の余白
 夜桜が咲き誇る祭りの通りに、ぽつりと影が差した。その少女――一百野・盈智花(災匣の鍵・h02213)は、金の瞳を半ば眩しそうに細めながら、人混みの中を歩く“おっさん”を視認する。
「……何してんだ、あのおっさん。高官じゃなかったのかよ、こんな夜にひとり歩きとは」
 そっと取り出していた大口径拳銃を影に沈め、溜め息とともに吐き出すように呟く。|背後から脳天ぶち抜くの《蛮族ムーブ》は簡単だ。だけど今日は――その日じゃない。
「パパぁ♪」
 可愛らしい|トーン《ロリボ》で叫ぶと、盈智花は駆け寄ってリンドー・スミスの腕にしがみついた。一瞬の間。だが彼の反応は流石と言うべきか、どこか芝居がかった紳士のそれだ。
「おや、キミは。何処かで見たような気がするが……すまない、失念した無礼を許してくれたまえよ、Little Lady?」
 本気で忘れてるのか、それとも顔を覚えていてわざとしらばっくれてるのか。
「久しぶりだな。性懲りもなくまた来たのかよ、あんた。ま、今日は私もオフなんだ。夜桜でも見に行こうぜ?」
「ほう、それは素敵だ。日本の風情、というものに私も多少の興味があってね」
 小声での挑発も柳に風と受け流す。どちらにせよ薄ら笑いが腹立つが、盈智花は微笑む。裏で毒を混ぜたような笑み。表面は完璧なロリータ娘の演技。
「じゃ、屋台巡りな。お好み焼き、たこ焼き……定番からいこうぜ。――もちろん、パパは奢ってくれるよね?」
「……当然だとも。可愛い娘の笑顔に金を惜しむ父親がいるものか」
 再び甘えた声を出す盈智花に、鷹揚に頷くリンドー。傍から見れば仲の良い美形父娘だけど、視線がバッチバチに火花散らしてるのは気のせいですかね??

 まず目についたのは、湯気を立てているたこ焼き屋台だった。焼きたての丸々としたたこ焼きに、ソースと青のり、かつお節が踊っている。
「ほら見ろ、見てるだけでヨダレ出るレベルじゃん……!」
 思わず本音が漏れた。あわてて咳払いして取り繕うも、もう遅い。リンドーは口元を手で隠して、小さく笑ったようだった。
「ふふ、よしよし。たこ焼きを二人分――いや、娘の分は多めで頼もうか」
 受け取った紙舟の上には、熱気をまとった金色の宝石のようなたこ焼き。盈智花は竹串でひとつ刺すと、ふーっと小さく息を吹きかけ、そっと口へ運ぶ。
「……んっ、あっつ、でも美味しい……っ」
 外はカリッ、中はとろとろ。たこの弾力とソースの香ばしさが舌の上で弾ける。金の瞳が自然と細まり、思わず二口、三口と進む。演技でもなんでもなく、素直に「おいしい」と感じた。頬をほんのり桜色に染めながら、もぐもぐと口を動かす盈智花。あまりの反応に、リンドー・スミスも思わず吹き出した。
「ほう、それは良かった。やはり現地で味わうのが最高ということか」
「うっさい、黙って次の買ってこいよパパ。たこせん、あとイカ焼きも食うからな!」
 腕を引きながら、次なる屋台へと盈智花は足を進める。その瞳は、わずかに笑みを湛えながらも――どこか冷たく、戦術を組上げ続けていた。甘味と塩気と、策略と策略。その全てが混ざり合う、春の宵の中で。

ガルレア・シュトラーデ
ジョーニアス・ブランシェ

●Phantom(Cherry)Blossom
「さて。スミス氏。これからもっとこの地の醍醐味を知るものがあるのですが、いかがです?」
 寿司屋での宴が一段落ついた頃合い。実に自然な微笑みを浮かべたジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)は、深くうなずきながらリンドーに次の提案を投げかける。
「ほう……寿司以上に素晴らしいものとは、一体何かね?」
 上機嫌で日本酒を楽しんだ後のリンドーは、既に興味津々だ。
「ずばり『|屋形船で夜桜を愛でながら、その場で揚げる極上天ぷらと日本酒《君がッ 酔い潰れるまで おもてなしを やめないッ!》』ですよ」
 ドギャァアン!! と劇画調の顔にでもなりそうなほどの自信を滲ませて言い切ったジョーニアス。その隣でガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く|演奏家《ピアニスト》・h03764)は軽く頬杖をつきながら、優雅に杯を傾けている。この二人の落差は一体何なのよ??
「屋形船、夜桜、揚げたての天ぷら……」
 リンドーは反芻するように呟き、その表情が見る見るうちに輝きを増してゆく。
「Excellent! まさに夢のような夜だ。ぜひとも案内していただきたい」
「決まりですね」
 事前に手配済みの豪華な屋形船へとリンドーを案内すると、そこは既に準備万端。川面に揺れる灯籠の光、頭上には夜桜。春の夜風が柔らかに人々を撫でる中、艶やかな黒漆塗りの船体が静かに浮いている。
「おお、これは素晴らしい」
 船上に足を踏み入れたリンドーは感嘆の溜息を吐き、すぐに豪華な座席に腰を落ち着けた。彼が気にしていたリムジンはジョーニアスがホテル(勿論根回し済み)に連絡を取り、都合の良い場所へ移動済み。
(Hu, まあ良い……|怪異収容特殊空間《コンパートメント》は√能力者で無くば、開封はおろか認識する事も出来ないのだからね)
 リンドー氏? 目の前、目の前。√能力者二人も居ますから! ――そんな地の文の突っ込みがリンドーに聞こえる筈も無く。ふと、ガルレアはスタッフを捕まえて何やら耳打ち。
「此の地で有名な地酒の純米大吟醸を。そうだ、季節限定の桜ラベルが貼られたブランドだ」
 私は嗜む程度ではあるのだが――。スタッフが離れれば、小さな溜息と共に独り言ちるガルレア。いやいや驚くほどの鮮やかな手配っぷり、"友人" に見事に合わせてみせるのは、矢張り彼が音を嗜む者だからか。
 やがて船が静かに岸を離れ、静寂な水面を滑り出した。満開の桜の枝が川面にせり出し、花びらが雪のように舞い降りる。その光景を眺めながら、ジョーニアスはしみじみと酒を傾ける。
「スミス氏、日本酒の味わいは先ほどとはまた違ったものを用意しました。こちらもまた格別ですよ」
「君たちの国には "おもてなし" の精神というものがあると聞いたが……確かに、これほどまでとは。仕事の事など忘れてしまいそうだ」
「忘れていただいて構いませんよ。今はただ、杯を交わし、夜を楽しむとしましょう」
 場の雰囲気を読み取りつつ、ガルレアは淡々と天ぷらを揚げる職人の技に静かな感嘆の眼差しを向けている。彼自身もこの状況を楽しんでいるのだろう、やがて静かに杯を持ち上げた。
「スミス氏、こちらの日本酒は季節限定の桜ラベル。どうか杯を此方に……酌をさせて頂こう」
 穏やかで品のある仕草で、ガルレアは丁寧に酒を注ぐ。ふわりと鼻をくすぐる香りが漂い、リンドーは満足げにその酒を口に含んだ。
「……実に美味い」
 自然と目を閉じるリンドー。確かな手応えを感じ取った二人は、視線を交わして小さく頷き合う。その後も船上では静かな談笑が続く。三人それぞれが杯を交わし、柔らかな笑みを交えつつ話題を選ぶ。
「ジョーニアス、ほら注ぐぞ」
「ああ、サンキュ……って、何だその目」
 ガルレアが親友に注ぐ瞬間だけは、リンドーに気付かれぬように『何故お前に』なジト目を送りつつ。時折そんなやり取りを楽しげに聴きながら、リンドーはすっかりご機嫌な様子。
「こんな穏やかな時間を過ごしたのは久しぶりだな。君たちのおかげで良い夜になったよ」
「光栄だ」
「俺たちも楽しませてもらってます」
 満開の桜の下、川を緩やかに下る船。酒と揚げたての天ぷらに舌鼓を打ちつつ。夜の静けさと桜の美しさに包まれていると、時が経つのも忘れそうになる。
「ところで――」
 穏やかな時間が続く中、リンドーが不意に口を開いた。
「日本の春というのは、何か人を惑わす怪異でも潜んでいるのではないか?」
 少しだけ冗談めかして問いかけるリンドーに、ジョーニアスは微笑む。
「さあ。もしかしたら、既に怪異に取り込まれているのかもしれませんよ?」
「ふむ、そうかもしれんな」
 三人の笑い声が夜の川に溶けていく。
「では、この素晴らしき夜に改めて……乾杯」
 ガルレアの静かな音頭に、全員が杯を掲げる。――桜舞う宵に、極上の酒と料理を楽しむ。夜桜の美しさに陶然とするリンドーが、このあと訪れるであろう眠気の波に抗えるとは、とても思えない。
(今のうちに、たっぷりと楽しんでおくといいさ――)
(後で別腹で美酒を奢ってもらうぞ――)
 ジョーニアスとガルレアは互いに|バラバラな思惑《不協和音》を視線に乗せ、まるで通じ合ったかのように微かな笑みを交わした。
 今宵の極上のひとときは、まだまだ続くのだった。

アリサ・アダムス

●『ご利用は計画的に♪』
「|借りる?それとも奪う《Borrow or rob》?」
 もごもごと口の中で小さく呟き、顔を上げたのはアリサ・アダムス(元連邦怪異収容局員『|AA《ダブルエース》』・h06732)。
(|√能力《おまじない》はこれで|大丈夫《alright》。アズくんは帰っちゃいましたが、一人でも頑張りましょう)
 心の中でぐっと拳を握る。もうやるなら徹底的に! お財布の中身を潰すのは勿論、本人すらも酔い潰してしまいましょう! と自分自身に活を入れるアリサ。どうせ一期一会、この地獄みてーな元上司と今後相まみえる事は一切合切無いのだから。……無い筈。――無いといいなぁ。
「では次は……お寿司屋さんなど、如何でしょうか?」
 しかしやっぱり緊張でぎこちなく微笑みながら、アリサはリンドーを促した。おススメに抜かりなし。日本が誇るソウルフード、「回らないお寿司」!
「回らない寿司か。Excellent、それは非常に興味深い。案内してもらおう」
 上機嫌なリンドーは頷くと、そのままアリサの後について店内へ。
「どれどれ、お品書きは……時価????」
 席につくなりメニューを確認したアリサは絶句した。いや、作戦は問題ない。むしろ理想的だ。が……庶民感覚からは逸脱している。
「あぁ、大丈夫だ。ここは私が持とう」
 リンドーは余裕たっぷりに笑み、大人のカードを取り出して見せた。
「あ、ありがとうございます、リンドー様……」
 恐縮と申し訳なさで身を小さくするアリサに、リンドーがふと視線を細める。
「……君からはどこか懐かしい匂いがするな。私の組織の部下たちに似ているような」
「いえ、いえいえいえ! 他人の空似です! 偶然です! きっと気のせいです!!」
 全力否定しつつ、情けない表情で慌てるアリサ。かつての職場の話題は禁忌だ。絶対に回避しなければ。
「ま、まぁ!それはそれとして、まずはお酒をどうぞ。お通しも絶品らしいですから」
 リンドーの注意を逸らすべく、彼の盃に辛口の地酒を注ぐ。彼は満足げに一口、二口と飲み始めた。
「ふむ、これは美味いな。魚と米、酒の絶妙な調和……。アリサ、君も飲みたまえ」
「は、はい。では失礼して……」
 自分用にも少しだけ注ぎ、口に含む。うん、確かに美味しい。
「それから、大トロとウニと、カニもお願いします!あと、カマトロ焼きも」
 思い切って注文すると、板前がにこやかに頷いた。

 そうして運ばれてくる高級なネタを口にしながら、次第にリンドーの財布が軽くなっていくのを感じる。だが、本人は全く気にする様子もなく、機嫌良く飲んで食べている。彼女が仕掛けた罠は『|私が三万探したわ《バロウ・オア・ロブ》』。"お金を使うこと全て" に対する抵抗力を大きく奪う、破産まっしぐらへの特急券。
「ふふ……今日はなかなか良い夜だ」
 すっかり頬を緩ませ、リンドーの目蓋が徐々に重くなっていくのをアリサは見逃さない。お酒もたっぷり、甘味も満喫、さらにお寿司とくれば当然の結果だ。
「リンドー様、眠くなりましたらご無理はなさらず、どうぞお休みくださいね」
「ふむ……失礼する。少々……うとうと……」
 言葉も途切れがちになり、ついにリンドーの体がゆっくり傾いていく。
(やった……作戦、大成功でしょうか……?)
 元上司の財布を空にし、睡魔を呼び込むことにも成功。罪悪感がないと言えば嘘になるが、任務を無事に果たした安堵で胸を撫で下ろすアリサだった。

北條・春幸
ヴェーロ・ポータル

●酔獄(エーブリウス・エテルナ)
 夜の帳が下りた頃、ヴェーロ・ポータル(紫炎・h02959)は店内に流れるジャズに耳を傾けながら、カウンターでグラスを磨いていた。彼が経営する執事喫茶【per se】は、昼は優雅に紅茶を。夜は厳選された酒を振る舞うバーへと姿を変える。控えめな照明に包まれた空間は、今日もまた静かな夜を迎えるはずだった――親友から、あのメールが届くまでは。
【今からお持ち帰りしたい子を連れて行くから協力して】
「……は?」
 グラスを拭く手がピタリと停止。彼はそんな不埒な男だったかと思案を巡らせ。
「ま、まぁ彼の事ですから。お持ち帰りしたい子とやらは恐らく怪異でしょうかね」
 うんうんと納得して――いや、怪異を店に連れて来るて。と思わず顔をしかめたのだった。
 そして程なくして扉が開く。入ってきたのは先程のメールの送り主、北條・春幸(人間(√汎神解剖機関)の怪異解剖士・h01096)。彼の笑顔はいつも通り飄々としているが、
「Hello? いや、おじゃまします……で、合っているかね?」
 春幸に促されて入ってきた人物を見て、ヴェーロは言葉を失う。友人、お持ち帰り対象に お っ さ ん 連 れ て 来 た。
(――リンドー・スミス?! どういう状況だ……? 夢じゃないよな)
「……いらっしゃいませ、Sir。見たところ、遠いところからお越しのようで」
 プロとして、表情を変えるわけにはいかない。ヴェーロは柔らかく微笑むと、丁寧にカウンター席へと誘導した。
「この国は食事も、酒も、美味でしてね。お好みのお味があれば、お教えください。何でも取り揃えております」
「Ah、では"喉の奥を火照らせるような酒"を」
「承りました。……少々お待ちください」
 厨房の奥でヴェーロは小さく溜息をついた。
(まさか怪異ではなくリンドーを連れてくるとは。……春幸、本気でやる気だ)
 カクテルシェイカーを握る手に自然と力が入る。

 リンドー・スミスは数種の酒と軽食を前にし、ご機嫌だった。春幸は彼の隣で、タイミングを見計らいながら話を振る。
「リンドーさん。これ、僕のお手製“怪異チップス”なんですよ。見た目は普通ですが、スパイスに少々変わった素材が……」
「ほう……異国のスナック菓子もまた風流だな。……む? 少し……胃が、ひゅっ……ふむ、癖が……ぐ、あ゛」
 怪異のビックリ箱めいたリンドーも、流石に怪異食は慣れないのか。顔は青ざめ、目を白黒させて――ちょい待ち春幸さん。リンドー氏、本当に大丈夫??
 ヴェーロはカウンター越しにリンドーの様子を静かに観察していた。顔色は青褪めている。額には冷や汗。呼吸も心なしか浅い。
(……少し、回ってきたようですね)
 ヴェーロさぁぁぁん、お酒の酔いじゃなくて食中ってない??
「Sir。次の一杯には、新潟の酒蔵で作られた梅酒ベースのカクテルをお持ちしましょう。ふくよかな余韻が長く残り、そしてその香りは――忘れ難い」
「Ah、なんと……興味深い。ぜひ、いただこう」
 滑らかな語りを聞かせつつ、ヴェーロは予め春幸から渡されていた「クヴァリフ抽出液と催眠怪異の混合液」をグラスに一滴。洒落た空間、気の利いた酒と軽食、そして親しげな“友人たち”。ダメ押しとばかり、怪異食で中った事で余裕を奪われたリンドーに、罠を見抜く術はない。

「……さて。随分、酔われたようですね」
 リンドーは机に突っ伏し、半眼で微笑んでいた。白目である。口元には満足気な笑み。やがて大きないびきのような音が漏れ始める。……死戦期呼吸では??
「春幸、うちに置いていくんじゃありませんよ。きちんと送っていってやりなさい」
「わかってるってば」
 リンドーの内ポケットから、春幸はシガーケースサイズの箱――|怪異収容特殊空間《コンパートメント》を抜き取り、そっと開いて。
「お待たせ、可愛い――」
 言い切らない内に、春幸はケースの蓋をパタンと閉めた。確かに怪異はゲットしたが、その中身は。

 クヴァリフの仔だと思った? 残念! |Vitravore《ヴィトラヴォア》ちゃんでした☆

不忍・清和
不忍・ちるは

●夜のはじまり、すこし背伸びな約束
 宵の帳が下り始めた街を、柔らかな灯りが照らしている。
「兄さん、今日の任務、まだ続いてるの……かな?」
 不忍・ちるは(ちるあうと・h01839)はぽつりと呟く。頬には、昼のパンケーキの名残――ふわふわ甘い記憶。
「ん、そうだな。じゃあ"居酒屋予行演習任務"、開始するか」
 不忍・清和(|守理絢《シュリケン》アクセプターのヒーロー・h00153)は笑って応じる。仕事じゃない、でも守ると決めた。妹の背伸びしたい気持ちも、ほのかな期待も。
 二人が訪れたのは、カウンター席がメインの落ち着いた小料理屋風居酒屋。店内は柔らかな暖色の照明に包まれ、ほっとするような出汁の香りが漂っている。賑やかな大衆居酒屋とは違い、静かに食を楽しむ人々の話し声が心地よく響いていた。清和がメニューを手に取る。ちるはも真剣な表情で飲み物の欄を見ている。
「ちる、お酒はダメだからな。その代わり――」
 と、彼は指をすっと一つの品名へ。
「“シンデレラ”っていうノンアルカクテル、どうだ? オレンジとレモンに、ちょっとだけパイナップルが入ってて、爽やかで甘くて――二十歳未満でも安心して楽しめるやつだ」
「……シンデレラ。うん、いい名前。私、これにする!」


「はい、乾杯」
「乾杯!」
 運ばれてきたのは、うっすらとした琥珀色にきらめくノンアルカクテル。グラスの縁にはカットレモンとチェリーの飾り。ひとくち飲むと、ふわっとした甘酸っぱさが舌を優しく包み込み、思わず顔がほころんだ。
「うん、美味しい……兄さんは居酒屋慣れてるね」
 清和は冷えたビールで軽く喉を潤し、しみじみと感慨深そうに返事を返す。
「まぁ、友達と飲み放題とか行ったりしたこともあるからさ。ちるもいずれ、そういう楽しさを味わえると思うよ」
「飲み放題かぁ……兄さんは何杯くらいでお得になるって考える?」
 メニューを指でなぞりつつ、小首を傾けて問いかける妹の姿に、清和はくすりと笑う。
「あはは、昔は考えたけど最近は気にせず好きなのをゆっくり飲んでるかな。ちるも今日は気にせず、ノンアルコールで好きなものを頼みな」
「ふふ……実はちょっとだけリンドーさんも酔いどれてくれないかなって」
 ちるはの小さな囁く声に清和も思わず笑い出した。

 しばらくして運ばれてきた料理は、どれも艶やかで食欲をそそるものばかり。
「兄さん、これ何?」
「これは『わさかま』だよ。ワサビ入りのかまぼこで、辛味がアクセントになってるんだ。合わせるなら日本酒だね」
「わぁ、つーんとするけど美味しい……大人っぽい味!」
 次に運ばれてきたのは『鶏のバタレバ』。鉄板の上でジュウジュウと音を立てながら、レバーがガーリックバターの香りを纏っている。熱々を一口頬張ると、濃厚な旨みと香ばしさが口いっぱいに広がる。
「居酒屋ご飯ってすごいね、兄さん」
「だろ?なんだか不思議と家で食べるより美味しく感じるんだよな」

 さらに運ばれてきたのは鮮やかな色合いが目を惹く『アボカドとマグロの和風タルタル』。
「これはパンに乗せて食べるんだ」
 兄に勧められ、ちるはが口に運ぶと、アボカドのまったりとした食感と新鮮なマグロの旨みが舌に染み込んで来るかのよう。
「おいしい……!」
「ちるが美味しそうに食べてくれて、俺も嬉しいよ」

 |食事《もぐもぐタイム》を楽しみながら、清和はふと思いついたように微笑んで口を開く。
「成人して飲酒ができるようになったら、雰囲気の良いバーにも連れて行ってあげる。大人っぽくていい経験になると思うよ」
 突然の提案にちるは は思わず咽る。それを言うなら、兄さんだって――。口には出さず、ちょっぴり悪戯な表情で。
「えへへ、楽しみにしてる。でもね、私、何かを味わう最初の瞬間は兄さんと一緒がいいな」
 小さく呟く妹の言葉に、清和は優しく微笑んだ。
「ありがとう、ちる。俺も楽しみにしてるよ」
 穏やかな灯りの下、二人は静かに優しく語らいながら、美味しい夜を満喫した。

 同じ頃、少し離れた席ではリンドー・スミスが赤ら顔で、ややふらつきつつも楽しげに呟く。
「この店も大当たりだ……Yes、満足満足……むにゃむにゃ……」
 その声を聞きながら、兄妹はそっと顔を見合わせて、ひそかに微笑を交わしたのだった。

薄羽・ヒバリ

●夜桜ソーダと月夜のオムそば
 せっかく√EDENに来てるんだし、このまま帰っちゃうなんてもったいないでしょ?
 ってことで、薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)は夜桜見物を兼ねて、ふらりと屋台通りを歩いていた。ライトアップされた桜は想像以上に綺麗で、映えスポットとしても文句なし。白茶色のウェーブヘアを夜風に揺らしながら、スマホ片手にセルフィーをパシャリ。友達あてに即送信。速攻で「いいなぁ~」のスタンプが付いてるのを確認してニッコリ。SNSでもリアタイ投稿しつつ、色々な屋台を物色していく。光るカップに入った苺ソーダ、ふわとろ卵がたっぷり乗ったオムそば……どれも美味しそうすぎて目移りしちゃう。――そのとき。視界の端に、どこか見覚えのある後ろ姿が。
「……ちょっと待って……あれ、リンドーじゃない!?」
 桜並木の下、屋台フードを手にした男が簡易テーブルで一人くつろいでいる。え、なんでまた!? って言いたくなるタイミングで再エンカウント。うーん、おぢ相手じゃトキメかない。こっそり帰ろうかとも思ったけど、彼が手にしていた「苺のラブリードリンク」にヒバリの足は自然と吸い寄せられ……。
「あの、そのちょー可愛い苺のドリンクってどこで買いました…? あとあと、そのカロリー爆弾――じゃなくて美味しそうな焼きそばもっ」
 気付けば声をかけてしまった自分に「うわ、また巻き込まれるパターンじゃん…」と後悔しつつも、ミーハー魂は抑えられず。
「やはりこの国の夜桜とグルメの親和性は恐るべきだ……うむ、よくぞ目ざとく見つけた、モンブランのお嬢さん」
 リンドーはご満悦で「この通りを奥に進んだ先の屋台で購入した」と解説付きで返してくれる。情報ゲットしたヒバリはスイーツ屋台に駆け、手には苺ソーダとオムそばを持って帰還。空いていた隣のベンチにちょっと距離を空けて座るヒバリ。月夜に舞う桜風吹はすごく綺麗だし、屋台フードもおいしい。でも何、この微妙なモヤモヤ……?
(戦った人と、こうして桜見ながらご飯食べてるって、変な感じだよね……)
 つい先日は「敵」だったはずのリンドー。でも今の彼は夜桜を愛でつつ、オムそばをナイフとフォークで美味しそうに食べる、ただの“食に全振りしたスーツのおぢ”。
「まぁいっか。美味しいもん食べてる間は、平和ってことで!」
 空を見上げる。夜風が渡ると同時にふわりと花びらが舞い、ヒバリの風切羽がそよぐ。
(このモヤモヤとカロリーは、明日からのトレーニングでしっかり消費しないと、だね)
 ヒバリはオムそばを一口ほおばり、ぷくっと頬をふくらませる。夜桜の下、奇妙な隣人との時間は意外と心地よく続いていった。

一・唯一
椿之原・希
紗影・咲乃
見下・七三子
十・十

●【満腹作戦】掘り炬燵と焼き肉と、栗焼酎ダバダ火振り
 夕暮れが迫る中、桜並木に囲まれた小道を五人と一人は歩いていた。春風に舞う花びらは、昼間の喧騒を和らげるように、ふんわりと彼らの肩に降り注ぐ。焼けたクレープの香りもまだ残るその道を、少女たちは揃って進んでいた。
「甘いものを食べたらしょっぱいもの食べたなるな」
「うふふ、そう思って実は焼肉屋さんを予約しておいたのですよ」
 ポツリと何気なく零した一・唯一 (狂酔・h00345)の声に、えへんと胸を張るのは椿之原・希(慈雨の娘・h00248)。
「甘いものの次はしょっぱいのなの! 焼肉美味しそうなのよ!」
 ぱぁっと花の咲くような笑顔を見せるのは紗影・咲乃(氷華銃蘭・h00158)。
「リンドーさん、こちらですよっ。お店まで手を繋いでご案内なのです!」
 希はにこにこ顔でリンドーの手を取る。その仕草に違和感や躊躇はなく、まるで小さな案内人のように、胸を張って先を歩いた。
「リンドーにぃに、焼肉って何が一番好きなの? タン? カルビ? ホルモンは? あとあと、レバーってにがいの? 咲乃、まだ食べたことないの!」
 咲乃はその隣で、質問の連射。好奇心に満ちたその声は、街のざわめきすら弾き飛ばしそうな勢いだ。リンドー・スミスはというと、両手をしっかりと繋がれた状態で、まるで連行される紳士のような立ち姿をしていた。けれど、口元は緩み、頬にはうっすら笑みが浮かんでいる。
「私の好みか……そうだな。和牛のサシが適度に入ったカルビなどは、悪くない。だが君のような小さな舌には、少し重たいかもしれないね」
「そっかぁ……じゃあ、咲乃は柔らかいのを探して、あとでリンドーにぃににオススメするの!」
 元気いっぱいの返答に、リンドーは肩をすくめながらも素直に笑う。それは、どこか肩の力が抜けた、大人の表情だった。
「ふふ、咲乃さんも希さんも、楽しそうで何よりです……けど、リンドーさん、職質されませんように……」
 別の場所では職質どころか、優秀なお巡りさん二人がばっちりマーク中……なのは、また別のお話。ボソリと漏らした七三子の一言に、希が「えっ?」と振り向き、咲乃は小さく首を傾げた。そんな三人のやり取りを眺めながら、リンドーは内心で少しだけ自嘲気味に思う。まるで子供たちと歩く親戚のような気分だ。だが、不思議と悪くない。
「案内役の君たちは随分と精力的だな。私は食事の前に体力を使い切ってしまいそうだよ」
 その言葉に、希がふふっと笑う。
「大丈夫です。焼肉屋さんはすぐそこですよ。ほら、あの煙、見えますか?」
 煙と香ばしい香りが交差するその場所――提灯が並び、活気がにじむ店の前。いかにも“美味しいもの”が待っていそうな光景に、子供たちの足取りがさらに軽くなる。
「美味しそうな匂いが食欲誘うやないの。ミスターもそう思わへん?」
 希に手を引かれて歩くリンドーに思わず。
「ふ、はは、希の可愛さには勝てへんね」
 悪戯っぽく笑む唯一。更に咲乃も隣に並んで歩いている様子は、まるで――
「おじいちゃんと孫、……コホン」
 唯一だんちょ、お口にチャック!
「うわぁ、ほんとに焼肉屋さんなのよ! 咲乃、おなかぺこぺこになっちゃった!」
 失言をかき消すように咲乃がぴょんぴょんと跳ね、希も両手を合わせて「早く入りましょう!」と促す。七三子はほっと小さく息をついて、三人の後を追った。リンドーはコートの裾を整えると店の暖簾をくぐる。
「では、Ladies and Gentlemen、小さな一団よ。宴の始まりだ」
 その言葉に、少女たちはいっせいに「おー!」と声を上げた。春の宵、肉の焼ける香ばしい匂いに包まれて、物語は次の皿へと続いていく。

 焼肉店「炭火庵まんぷく本舗」。名前からして胃袋を満たすことに全振りしているその店は、庶民派ながら味は本物と評判の名店だ。ちょっとした隠れ家のような裏通りに構えるその店に入ると同時、目の前に立ちのぼる煙が一同を包む。その香りに、誰もがふわっと表情を緩めた。
「わぁぁ……すっごく美味しそうな匂いなのよ!」
 咲乃の言葉に、全員が同意するように小さく頷く。唯一はひょいと希の肩越しに厨房を覗き込むようにしながら笑った。
「ここの七輪、ちゃんと炭火やな。ええ店選んだな、希」
「えへへっ、でしょ? クレープのあと、甘いのとしょっぱいのを組み合わせたら完璧だと思ったんです!」
 自信たっぷりに答える希。案内されたのは半個室の掘りごたつ席。着席と同時、希はさっそくメニューを手に取る。
「まずは……秘伝壺漬けカルビです! このお肉を炊き立てご飯に乗せて食べると、すっごく美味しいってお店の人が言ってました!」
「炊き立てご飯に……壺漬けカルビ……それは反則やろ、なあ、ミスター」
 唯一が目を輝かせてメニューを覗き込む。リンドーは微笑しつつも、どこか困ったような、しかし楽しげな顔で頷いた。
「食べる前から満腹になりそうだな……。だが、楽しみだ」
「それから……これです! 栗焼酎ダバダ火振り! お仕事のあとの一杯におすすめって、お店の人が教えてくれました!」
「栗焼酎? 初耳やな」
 唯一がすっと希の隣に座り、メニューを覗き込む。アルコール度数25%、香ばしい栗の風味。ロックも良し、お湯割りも良し。希が得意げに説明する間に、すでにリンドーの目の奥がほんの少しだけ、興味に染まり始めていた。
「私は未成年ですから、烏龍茶を飲むのです。でも……どんな味なのか気になるなぁ」
「ふふ、希も将来楽しみにするんやで。これはボクが責任持って味見するわ」
 てきぱきと各自の希望を聞き、取りまとめた唯一がぱちんとメニューを閉じた。
「さあて。ほな注文してまうで。秘伝壺漬けカルビ、塩タン、上ミノ、上ハラミ、ホルモン、焼きしゃぶに……ご飯特盛五つ。あと栗焼酎はロック2つ、烏龍茶にリンゴジュースな」
 店員が注文を復唱して下がると、赤く点った炭火の七輪が卓の中央の穴にセットされる。これから始まる宴の幕が、静かに上がったのだった。

 ほどなくして届いた肉たちは、すでにその順番を待ちきれない様子で皿の上で輝いていた。希の選んだ秘伝壺漬けカルビ、唯一のリクエストした焼きしゃぶ、そして塩タン、ハラミ、ミノ、ホルモンといった名脇役たちが勢ぞろいしている。パチ、パチ、と炭火の弾ける音が耳に心地よく響く中。先鋒として鉄網の上に乗せられた壺漬けカルビが、薄く焼き色を付け始める。視線の先にはまるで料理人のように手際よくトングを操る小さな影。
「希さんのおすすめ、最初に焼くでごぜーますな。壺漬けカルビ、薄さとたれの染み込み具合、最高でごぜーます……」
 すでに子猫の姿から人型へ戻った十・十(学校の怪談のなりそこない・h03158)は、慎重に焼き加減を見極めていた。『野生の勘』と『奉仕』、このふたつの技能を掛け合わせた『超奉仕状態』。その表情は真剣そのもので、さっと片面を炙り、くるりとひっくり返すその所作には一切の無駄がない。
「十が奉行しとる…タイミング完璧……! 次は牛タン焼いてー、牛タン」
「すごい……見事な手さばきですね……」
 隣で見ていた唯一と七三子が、思わず感嘆の声(+リクエスト)を漏らす。
「ボクが食べられない分、みんなに美味しいのを届けるでごぜーますよ」
 手際よく一枚、また一枚と肉を網に乗せる。ジュッと焼ける音と共に、香ばしい煙がふわりと立ち昇った。
「七三子さん、焼けたの取り皿に乗せていただけると嬉しいでごぜーますな」
「は、はいっ! 希さんのカルビはここ、咲乃ちゃんには柔らかいハラミを……あ、唯一さんには牛タンっと」
 焼き加減を絶妙に調整した肉が、七三子の手によって次々に運ばれていく。十の席にも、そっとお供え……もとい、お裾分け。受け取った咲乃がぱぁっと笑い、希が「ありがとうございますっ」とお礼を告げる。
「ありがとうなの、十にぃに、七三子ねぇね! これ、咲乃がリンドーにぃににオススメするの!」
「柔らかそうですねリンドーさん、お口に合うといいのですが」
 七三子は心配そうに声をかける。リンドーは目を細めてその皿を受け取ると、ひとくち頬張り、咀嚼した。
「……ふむ。予想以上に柔らかく、たれの味も奥行きがある。これは中々……」
「やったぁっ!」
 咲乃と希が両手を上げて喜び、十は静かに胸を張る。彼自身は肉を食べることができないが、誰かの「美味しい」が自分の満足になる。そんな彼の奉仕心は静かに宴の中心を支えていた。七輪の上では、新たな肉が音を立て始めていた。宴の熱が、じわじわと場に染み込んでゆく。

 さぁ、選手交代。咲乃は小さな手に十から渡されたトングを握り、じっと網の上の肉とにらめっこしていた。
「このお肉、咲乃が焼くの! ええっと、裏返すのは……いまっ」
 えいっと返されたのは一番大きな上ハラミ。じゅっと焼き面が音を立て、湯気が立ちのぼる。その光景に咲乃の顔が綻んだ。
「できたの! リンドーにぃに、はい、あーんなのよ!」
 隣に座るリンドー・スミスに、焼きたての肉を取り箸で差し出す。リンドーは軽く眉を上げ、そして苦笑まじりに口を開いた。
「まるで王族のような待遇だな。……いただこう」
 一口で肉を頬張る。噛みしめた瞬間に広がる旨味と熱。
「……うむ、これは確かに……柔らかく、そして甘い。焼き加減も申し分ない」
 わずかに目を細め満足げに頷くリンドーに、咲乃は両手を挙げて喜びを表現する。
「やったーっ! 咲乃、お肉奉行になれたの!」
 その様子に、近くの唯一や七三子も目を細める。希は口元を手で隠してくすくす笑っていた。
「リンドーにぃに、まだまだあるのよ。次はね、咲乃おすすめの……えーっと……これ! カルビなの!」
 元気よく選んだ肉を網に乗せる。香ばしい煙が立ち、咲乃は一生懸命にタイミングを見計らっている。
「Little Lady、君がこうして肉を焼いてくれるなど……私は果報者だな」
「えへへ、リンドーにぃにが笑ってくれると、咲乃も嬉しいのよ!」
 彼女の笑顔は、戦術というにはあまりに純粋だった。だがその天真爛漫さが、リンドーの警戒心を確実に溶かしていく。彼の肩から、わずかに力が抜ける気配。
 香ばしい香り、柔らかな湯気、無垢な笑顔。咲乃の「おかわり攻撃」は、まるで天然の催眠術のようにリンドーを包んでいくのだった。

 炭火の熱がほどよく場を温め、肉が焼ける音と共にグラスが鳴る。宴はすっかり佳境に差し掛かっていた。皆の皿には十の手で美味しく焼き上げられた肉が並び、希と咲乃のオススメも次々に供される中、グラスの中の琥珀色がゆらゆらと揺れる。
「ほな、ミスター。たぁんとお飲み?」
 唯一はにやりと笑って、栗焼酎のロックグラスを差し出した。グラスの中には大粒の氷がカランと音を立てる。
「これは……香ばしいな。栗か。珍しい風味だ……」
 リンドーは一口、グラスを傾けた。次の瞬間、彼の眉根がふわりと緩む。
「Ah……これは……非常に危険な飲み物だ。喉越しは柔らかく、香りは穏やかで……だが、内側からじわりと効いてくる」
「ふふ、気に入ってもらえたなら何よりや。希が選んでくれた一本なんよ」
 唯一は横目で希に微笑みかける。希は嬉しそうに小さく頷き、烏龍茶のグラスを手ににっこり笑った。
「お仕事の後には、焼肉でじゅーっと焼いたお肉をパクっと食べて、炊き立てご飯をもぐっと食べて、お酒でキューッとするのがすごくおいしいんだ……って、お店の人が教えてくれたのです」
「まったく……この国の食文化は、罪深いな」
 リンドーはまた一口。頬がわずかに紅潮し、目元の鋭さがやや和らいでいく。唯一はその変化を見逃さない。
「いける口やねー、もっと呑み。オカワリも追加しとこか。一緒に呑めば楽しくなって、次の仕事にも精が出るってもんや。なあ、ミスター?」
「なるほど。そう言われると、確かに……」
 グラスを片手に、リンドーの肩からじわじわと力が抜けていく。言葉が少しだけ間延びし、姿勢も気付かぬうちに椅子の背に預けられていた。
「リンドーにぃに、お顔、ちょっと赤いのよ」
 咲乃がひそっと言えば、希が「お酒が効いてきたんですね」と小声で笑う。七三子も静かに水を注ぎながら、その様子を見守っていた。
 唯一は再びグラスを満たしながら、そっと声を落とす。
「……さて、ここらで“満足の一息”が出る頃合いやろか」
 それはもう、まるで仕上げに向けた料理人のような目だった。宴の熱気の中、酔いと満腹がリンドーを静かに包み始めていた。

 炭火がほんのりと色を弱め始めた頃、宴は最高潮から穏やかな余韻へと向かっていた。肉の焼ける音が控えめになり、賑やかだった会話も、少しずつ声を潜めていく。
「さてさて……ここからは、極上のお夜食タイムでごぜーますな」
 十が再びトングを握り、器用に身をひねってお皿の肉から選りすぐりの一枚を取り上げる。
「まずは……こちら、すき焼き用の薄切り肉。バーナーで炙って、シャリをくるんと包んで……肉寿司、完成でごぜーますよ」
 炙られた肉は香ばしく、そしていい塩梅に溶けた脂身が艶を放つ。
「リンドーさん、どうぞでごぜーますな。口の中で、とろけますでごぜーますよ」
「ふむ……これはまた、風変わりな……」
 酔いの回った瞳でそれを受け取るリンドー。半信半疑のまま口に運んだ瞬間――
「……む……っ……ああ……これは……」
 意味を結ばないまま声が漏れる。言葉にならない。香り、艶、そして温度。その全てが、満腹の胃の中にさらなる欲を呼び起こす。
「これは……まさに、夜の凶器だ……」
 ぽつりと呟くリンドーの言葉に、咲乃と希が「おぉー……」と拍手し、七三子も笑いを堪えた。そこへ、唯一が席から乗り出す。
「ボクからも仕上げの一品、行かせてもらおか」
 彼女が手にしたのは厚切り牛タンと、しっかり脂の乗ったホルモン。
「牛タンはさくっと、歯ごたえの中にじゅわっと広がる旨味。レモンで締めて、口の中リセットや。焼きしゃぶのとろっとじゅわっと、甘い風味に負けへんと思うでー」
 |食べ慣れとる《怪異の》肉よりも、きっと美味しいはずや――そんな思惑も込めてふふっと笑い、焼かれた牛タンをひょいとリンドーの皿へ滑らせる。
「そして……このホルモン、タレに二度漬け、焦げ目しっかり。焼きたてアツアツを口に入れて、栗焼酎で流し込む。これぞ至高やね」
 まさに全力投球。唯一の目には、肉と酒と勝負の炎が燃えていた。
「これは……まさか、仕留めにかかっているのか……?」
 リンドーは視線をテーブルに滑らせた。十の献立、唯一の追撃、そして希のご飯、咲乃の笑顔、七三子の穏やかな視線。どこを見ても、そこには温かく優しい空気があった。それが彼の精神的な防御をゆっくりと崩していく。
「にぃに……ねむくなってきたの?」
 咲乃が、いつもより少しだけ声のトーンを落として尋ねる。
「ふふ、お昼からたくさん歩いて、食べて、呑んで……少しお疲れですよね?」
 希がそっとグラスを下げながら囁き、そして十が、最後のひと皿を差し出す。
「……これは、甘ダレで和えた焼きしゃぶ肉。ふわっと、お口の中で広がるやつでごぜーます」
「……君たちは、一体どこまで用意していたんだ……」
 リンドーは笑う。けれどその口調は、酔いと満腹と、心地よい疲労に満たされていた。
「Ah……これは……まさに、連邦にとっても……危険な一夜だった……」
 椅子にもたれかかり、グラスを置き、そしてそのまま、リンドーは静かに目を閉じた。小さな呼吸が、やがて確かな寝息へと変わっていく。
「……にぃに、寝ちゃったのよ」
 咲乃が目を丸くして囁く。
「ふふ、おやすみなさい、リンドーさん」
 希はそっと笑って、口元に指を当てた。二杯目のお酒を呑み干した(!)七三子が小さく頷き、唯一が肩の力を抜いたように静かに息を吐く。
「作戦、成功やな」
「で、ごぜーますな!」
 そう。肉と酒と、ほんのちょっとの愛嬌。敵エリートにして紳士リンドー・スミスを眠らせた一夜の作戦は、こうして静かに幕を閉じた。

 あとは――『仔』を、取り戻すだけである。

ふわ・もこ

●|羊たちの催眠《The Trance of the Lambs》
 アミューズメントの一角、夜風にさらさら揺れる芝生の広場。光の粒が舞う中、小さな影が一つ、とことこ歩いてくる。ふわ・もこ(|迷える《ここはど》|子《こ》ひつじ・h00231)。とても丁寧に、大切に育てられた子ひつじ。ぽてぽてと歩くたびに、やわらかそうな毛が夜気に揺れる。
 その様子を、ひとりベンチで眺める男がいた。満腹と微酔いでうとうとしているリンドー・スミスである。
 メェー。🐏)))
 もこは、彼の視線を意識するでもなく、ただ近くにあった柵を飛び越えた。
 ピョン 🐏︵ 冊
 その動作が可愛らしかったのか、あるいはリンドーの頭のどこかに刷り込まれていたのか、彼はふと呟く。
「……One sheep」
 ぽつりと呟いたその言葉に反応するかのように、
 🐏))) ピョン 🐏︵ 冊
 もう一頭。同じ羊が現れ、冊を飛び越える。
 🐏))) 🐏))) ピョン 🐏︵ 冊
 さらに、もう一頭。続けて、もう一頭――
「Two sheep……Three sheep……」
 リンドーは半開きの目でその光景を眺めながら、無意識のうちに数を数え始めていた。英語圏の彼にとって、それは日本語の「ひつじがいっぴき」などよりもはるかに効果的な催眠術。
 🐏))) 🐏))) 🐏))) 🐏))) 🐏))) ピョン 🐏︵ 冊 ピョン 🐏︵ 冊 ピョン 🐏︵ 冊 ピョン 🐏︵ 冊 ピョン 🐏︵ 冊
 数える声はますます小さく、まるでまどろみに沈む子どものように。
「……forty-three……fourty……sixty……eighty……」
 羊は止まらない。もこの√能力――|🐏🐏🐏 🐏《タクサンノオトモダチ》。緩やかに、静かに、しかし着実に広がっていく毛玉の波。芝生の上には、もこと同じ姿の羊たちが次々に出現し、律儀に一頭ずつ、柵を飛び越えていく。
 🐏))) 🐏))) 🐏))) 🐏))) 🐏))) 🐏))) 🐏))) ピョン 🐏︵ 冊 ピョン 🐏︵ 冊 ピョン 🐏︵ 冊 ピョン 🐏︵ 冊
「……ninety……and……two……」
 もはやリンドーの声は風に混じり、聞き取れるかどうかのかすれ声になっていた。
 最後の一頭がふわりと柵を越えた瞬間。
 ピョン 🐏︵ 冊
「……Zzz……」
 その音すら、まるで演出のように絶妙だった。広場の空気は静まり、ほんの一瞬風も止まった気がした。そこには無数の白い羊たち、総勢180+1頭――もうコレ言い逃れ出来ない程に牧場だよね?? そしてベンチで深く、深く眠る某スイスの少女……にしては大分ゴツい、リンドー・スミスの姿。
「かわいいね」
 ふと感じた囁くような愛らしい声は、果たして空耳か。とても静かで、理想的な眠りの夜が訪れた。

出雲・甘醴
出雲・黒酒
久斯之神・少名毘古那

●√失墜ヤシオリ、そのひとしずくの脅威を見よ?!
 宵闇迫る出雲の街並みに、灯りがぽつぽつと灯る。観光の余韻も手伝ってか、リンドー・スミスは満足げに歩みを進めていた。
「フフ、良い一日だったな。あれほどのニューパワー料理に加え、神域まで拝めるとは……次はどんな体験が待っているのやら」
 黒いコートの裾を翻し、彼は満腹の余韻と高揚を胸に散策を続ける。……が、その足取りに僅かな違和感が混じるのに気付くのは、もう少し後のことだ。
「おーい、お前ぇら。おいら、足が疲れたぞぉ……」
 黒酒の髪飾りに隠れていた久斯之神・少名毘古那(身長3センチでめっちゃ声の高い酒造りの神・h03050)が、ちまちま足を伸ばして欠伸をかく。とはいえ彼が歩く訳ではない。歩くのは出雲・黒酒(群雲酒造の直営店で働くワケアリ物販店員・h01341)と出雲・甘醴(群雲酒造の直営店を営む若きワケアリ店主・h01234)。神を乗せたその二人である。
「お疲れ様です。ですがもう少しで……」
「リンドーさんよ、この先に島根きっての美味い鯖しゃぶの店が……あれ? 甘醴。道、こんなだったかい?」
 黒酒がふと足を止めた。視界の端で、道が……歪んでいる。空気がゆらりと波打ち、風景がぐにゃりと湾曲した。
「空間が変質している? まさか怪異か……?」
リンドーが鋭く反応するも、甘醴は即座に取り繕う。
「いえいえ、これは“出雲七不思議”の一つでございます。“酒好きが最後に辿り着く道”と申します」
「ほう……異国の伝承、実に興味深い」
 気がつけば足元は石畳に変わっていた。両脇に伸びる柳の枝、かすかに立ち上る湯気、異国情緒の香りが漂う――そして、目の前にはひときわ妖しげな暖簾がかかる建物が現れた。
 『怪異飯店・霧中之座(むちゅうのざ)』
 黒地に金の筆文字が、月明かりにきらりと輝く。
「ここは島根の店じゃないけど……安心しな! 実はあたしたち酒造の人間でね」
 バサリと翻すのは『群雲酒造』の銘が染め抜かれた法被。ウチで作った酒を持って来てあるんだ、と甘醴に目配せすれば、我意を得たりと甘醴はリンドーの背を押した。
「じゃあ、入りましょうか。リンドーさん。今夜は、とびきりの“おもてなし”を」
「Yes. 美味と怪異、両方を期待させてもらおうじゃないか」
 暖簾をくぐるその背中を見ながら、久斯之神がふふんと鼻を鳴らす。
「へっへっへ、ここからが本番だぜ、お前ぇら……!」
 月は高く、風は柔らかく――宵の宴が、今、幕を開けようとしていた。


(あたしは食べてるように見せかけるから、食いモンはあんたが根性入れて何とかしな甘醴)
(怪異肉料理は甘醴、お前に任せたから全部食え!気合いだ気合いぃ!)
(ええええまた私ですか!? 全部私に押しつけるコースになってません??)
 ほんの一瞬の視線とパントマイムで意思疎通をこなす三人。よし、方針は固まった――ってマジですか。
 仄暗い室内に、妖しくも美しい料理が並ぶ。虹色の刺身がひらりと揺れ、黒焦げのレンコンからは抹香のような香りが立ちのぼり、味噌汁と見紛う椀からは海の底のような匂いが漂う。
「ふむ……これが、ジャパニーズ・ニューパワー・ダイニング……」
 リンドー・スミスは目を細め、まるで芸術鑑賞のように料理を見つめた。
「ささ、冷めないうちにどうぞ。こちら、島根の怪酒『黄泉酒(よもつざけ)』でございますよ」
 黒酒が持参の瓶を注ぎながら、にっこりと笑みを浮かべる。その手元では、わずかに震える指先を必死に抑えていた。
(何だいこの料理……あたしも今まで見た事ないよ!?)
 思わず目を伏せつつ、卓の影で甘醴の皿に料理をすっと滑り込ませる黒酒。その所作は慣れたもので、リンドーの視線からは一切見えない。
「では、いただきます……」
 目の前に山盛りになった“それ”を見て、甘醴は一度箸を止めた。が、黒酒の肘鉄を受け、意を決してひと口。ぬめる刺身。プチプチ弾ける謎の粒。レンコンは香ばしいが、何だか小動物の丸焼きを骨ごと食べるような歯ざわり。三途椀の汁をすすると、体温が一時的に下がったような錯覚すら覚えた。|菌糸錬金術《アスペルギルス・アルケミア》の発酵の効果が出ていて、コレである。
「……え、ええと。こちらの刺身、“夢見鱗”と申しまして……視神経と味覚に作用する幻覚魚でございます……」
 小声で "多分" と付け加えつつ、その場で絞り出した説明。リンドーは満足げに頷く。
「なるほど、幻覚魚か。それでこの色彩……興味深い」
 一方、黄泉酒のグラスを傾けたリンドーの目が、少しだけ虚ろになった。
「うむ……辛口だが、すっと抜ける。喉奥で鋭く、しかし尾を引かない……なるほど、思考の端が薄れていくような……」
「飲みすぎにはご注意くださいねぇ。これ、けっこう“効く”んですよ」
 黒酒が微笑む。既に酒の効果はリンドーの思考にじわじわと染み始めている。
「ふふ……君たち、実に面白い。ここまでニューパワーに満ちた体験は初めてだよ」
 リンドーは再び盃をあおり、笑った。その目が細められるたび、酔いの色が少しずつ濃くなっていく。
 ――そしてその傍らでは、甘醴が顔を青くしながら静かに箸を進めていた。
「……おいしいです……よね? これ……」
 盃を傾けるたびに、リンドーの言葉数が僅かに増えていく。それは会話の盛り上がりというよりも、警戒心の緩み。理知的だった目元が、酔いのせいでわずかに焦点を失っていた。
「いやはや……この国のニューパワー、誠に奥深い。こんなにも感覚を揺さぶられるとは」
 頬がほんのりと紅潮し、言葉の語尾がふわりと伸びる。酔いが回っている証拠だ。
「ふふ、けれどまだ“とっておき”があるんですよ、リンドーさん」
 黒酒が盃を片手に、さりげなく甘醴へと視線を送る。
「お待たせしました、こちら――“うちの酒造の試作品”でございます」
 甘醴は懐から布包みを取り出した。中から現れたのは、深紅のラベルに金文字で《八塩折之酒》と記された小瓶。
 神話の名を冠するそれは、味覚というよりも「意識」に作用する酒。一口飲めば記憶が遠のく――というか、気絶する。酒を名乗る謎の液体、アルコール度数はゼロ! お求めは酒が無い群雲酒造まで! ♪ムラムラムラムラ群雲酒造~♪(CM)
「ふむ……名前からして、非常に“神秘的”だ。いただこう」
 リンドーが盃を差し出す。甘醴が瓶を傾けると、わずかに青みを帯びた液体が、とろりと光を反射して注がれた。
 その瞬間、少名毘古那が髪飾りの陰で小さく呟いた。
「よし、トドメの一撃ってやつだな……! いいぞ、行けぇ甘醴!」
「……あ、申し訳ありません。“新商品の試飲”という形でお願いしておりますので、どうかグイっと……」
 甘醴がそう添えると、リンドーは得心したようにうなずいた。
「なるほど、研究熱心な若者だ。応援しようではないか」
 一気にあおる。透明な液体が喉奥へ消え――次の瞬間、リンドーの動きが一瞬止まった。
「……Hmm……これは……勝利の」
 思い切り瞳の焦点が外れ、体がぐらりと傾ぐ。
 ――ドサッ。
 重たげな音と共に、リンドー・スミスはテーブルに突っ伏した。静かな寝息が、部屋に満ちる。しばしの沈黙ののち、少名毘古那が勝ち誇った声をあげた。
「よっしゃあ! 引導ミミズ、引導渡されたな!」
 黒酒が笑いをかみ殺しながら甘醴の肩をポンと叩く。
「お疲れさん。よくやったじゃないかい、あんたもまんざらじゃないねぇ」
 甘醴はぐったりと両手を膝に置き、遠くを見ていた。
「……次は私以外が……いいなって……思います……」


 高級料亭の個室に、穏やかな寝息が規則正しく響いている。グラスは空、料理は残りわずか。テーブルの中央、堂々と突っ伏した男がひとり。
「本当に気を失ってますね……」
 甘醴が信じられないものを見る顔で呟く。
「ふん、当然だろ。おいらの段取りに隙はねぇからな」
 黒酒の髪飾り――いや、そこにちょこんと腰かけている少名毘古那。腕組みし、ドヤ顔で胡座をかく。
「さて、お前ぇら。舞台は整った。あとはブツを回収するだけだな」
 指先をぴんと立てる。と同時に、卓上へぴょんと飛び降りた。
「まずはリムジンのトランクに……ってわけにはいかねぇ。あれは鍵付きだ、後回しにして……」
 |命湧泉祓竹之剣《ミヤウユウセンフツチクノツルギ》をくるくると回転させ、ビシリとリンドーの身体を指し示す。
「上着のポケット、内ポケット、あと……おっと、ビジネスバッグもな。おい甘醴、開けろ」
「えっ、はい……」
 どこか腑抜けた声で応じた甘醴が、手早くバッグの金具を外す。中から出てきたのは――青黒く、ぬめりとした小さな有機体がぼんやりと発光している。
「こいつが……『配リスの子』……なるほど、タダモンじゃねぇ気配を感じるぜ。よし、持ってくぞ」
 少名毘古那は腰の小袋から「打出の小槌」を取り出すと、神妙な顔つきで構えた。
「ちょいと小さくなるぞォ~~~~~~~ッ!」
 謎の掛け声と共に、コンッと軽く叩く。次の瞬間、クヴァリフの仔はピンポン球サイズまで縮んだ。
「へっへっへ、まるで団子だな! これなら腹に隠してもバレやしねぇ」
 満足そうに鼻を鳴らす神様。黒酒が苦笑しつつ袋を差し出す。
「はいはい、久斯之神様。団子は袋に入れて持ってっておくれよ」
「おうとも! こいつは汎神解剖機関のお土産だ、気合入れて持ってくぜ」
 袋を肩に背負い、仁王立ちする三センチの神様。その横で甘醴がぼそりと呟いた。
「……これで、口の中の幻覚が消えてくれるといいんですけど……」
 どこか遠い目をしながら、彼はそっと水を飲む。時計の針は、そろそろ夜半を指していた。

第3章 ボス戦 『連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』』


●A Napmare on Meal Street
 異国の多種多様なグルメに舌鼓を打つ……リンドー・スミスが分け身を用いた狙いは、それだけでは無かった。
 どれか一つに問題が起きたとて、他の分け身が無事ならば、そう大した問題は無い――そう、リスク分散も計算の内に入っていたのだ。

 が。

 居酒屋で、観覧車で、ベンチで、屋台船で、寿司屋で、執事喫茶で、焼肉屋で、怪異飯店で。
 見事、リンドー全員が無防備に寝コケてしまいました★
 リムジンは√能力者の都合のいい場所に誘導済み。所在地は√能力者の放った烏の使い魔により、君たち全員に行き渡っている。
 さぁ、どうしてくれよう。
 リンドーから直接くすねる? それとも車上荒らししちゃう?
 寝顔に油性マジックで落書きしてやってもいいかもね♪
 ただし、くれぐれも起こさないように……リンドー・スミス、本来はとっても強いので。

 ==============================
 ■マスターより
 第二章に引き続き、戦闘無しで遊べます。……はて、戦闘フラグメントとは一体。
 Pow/Spd/Wizに拘らず、自由な発想でプレイングを書いて頂ければと思います。
 リンドー氏への悪戯もご自由に。帰還後の彼の処遇に影響するかもしれませんね★
八手・真人
オメガ・毒島

●和菓子のついでに、もう一匹
 夜はまだ終わらない。程よい酩酊感にふんわり包まれながら、八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)はふと物足りなさを覚えた。此処に、もう一人居たらいいのに。部屋の片隅、暗い蛸壺のような狭い所に体を丸めて、今も眠っているであろう姿が思い浮かんだ瞬間。
「兄ちゃん、兄ちゃん……俺ばっかりおいしいもの食べて、兄ちゃんが可哀想……」
 頑張る、って決めたから。√汎神解剖機関のみならず√妖怪百鬼夜行にも足を運んで、事件解決に奔走して。そんな彼の気丈さも、どうやらアルコールの前に緩んでしまったかのよう。メソメソとすすり泣き、ふらりと足元がよろけた所を――
「――あっ!……と。真人、大丈夫ですか。ほら」
 そっと支えるのは大きな三指の手。オメガ・毒島(サイボーグメガちゃん・h06434)の義体装甲は廃熱の為かジンワリと温かく、それが真人の寂しさを少しだけ落ち着かせる。
「オメガくん……俺、兄ちゃんにお土産買いたいです……」
「ええ、もちろんですよ。行きましょう、真人」
 真人の言葉に、オメガが微笑んで答えた。

 二人は居酒屋の並びにあった、小さな和菓子屋に立ち寄る。店内には甘くて懐かしい匂いが満ちていた。真人は鼻をひくつかせながら、まるで子供のような顔で並ぶ菓子を見つめる。
「どら焼き……あと、大福も……二個ずつ、お願いします……!」
「私も大福を。それと、羊羹に煎餅、甘酒に日本酒も……」
 猫探しの話に、星型クッキーの話。真人の語る兄の話に、ウンウンと丁寧に相槌を打ちながら。愉しかったせいか、それとも未だ後引く温かな酔いのせいか。真人よりも遥かに多い量を購入するオメガ。二人は両手いっぱいに|お土産《想い出》を抱えた。真人はまだふわふわした足取りだったが、オメガがさりげなく支えながら、二人は店を後にする。
 仲間の√能力者から共有された場所にたどり着く頃、真人は突然はっと顔を上げた。
「ハッ、俺……なんか、ずっとフワフワしてたような……!?」
 蛸神さまの加護か、どうやら酔いが一気に冷めたらしい。真人の黒い瞳に、急に真剣な色が戻る。
「そ、そうだ! クヴァリフの仔……!」
 そこにあるのは、件のリムジン。静かに鎮座するその車体を前に、真人とオメガは顔を見合わせる。
「これは僥倖。棚からぼた餅。車からクヴァリフ」
 施錠は、防犯アラームは、はたまた迎撃の怪異は仕掛けられているかどうか。様々な予測を立てながら、博士ご自慢のセンサーを起動する。……敵対反応無し。防犯アラーム無し。そしてまさかの施錠無し。流石にセンサーの故障を疑いつつも、ドアハンドルを慎重に引く。――ガチャン。何事も無く普通に開いちゃった!
「なんか泥棒みたいで、申し訳ないですケド……し、失礼しま〜す……」
 危険が無い事を確認したオメガに続き、小声で呟きながら真人はトランクをそっと開けた。中にはアタッシュケースがみっしり、これ全部クヴァリフの仔?! 真人はおずおずと手を伸ばし、アタッシュケースを開くと、中に居たクヴァリフの仔をそっと抱き上げた。柔らかく脈打つそれに、思わず「うわあ……」と顔をしかめたが、何とか堪える。その隣では、オメガがせっせと別の作業に励んでいた。
「どうにも罪悪感が残るので、代わりの物を」
 和菓子。羊羹。煎餅。甘酒。そして日本酒。次々と空のトランクへ詰め込まれる日本の心。……最早、怪異押収というより観光帰りの土産詰め合わせ。
「よし、完了です」
「えへへ……なんか楽しいお仕事でした……!」
 真人はクヴァリフの仔をしっかりと抱えながら、くすぐったそうに笑った。オメガも和菓子屋で貰ったビニール袋にクヴァリフの仔をそっと入れ、立ち上がる。
「また行きましょう、真人」
「うん! オメガくん!」
 夜の闇を背に、二人は軽やかに走り去っていった。和菓子の香りと、小さな笑い声を残して――。

 クヴァリフの仔の奪還数:👾👾

ガルレア・シュトラーデ
ジョーニアス・ブランシェ

●眠りの主題による変奏曲
「……寝たな、完全に」
 静かに鼻ちょうちんを膨らませながら眠るリンドー・スミス。この夜、数々の日本酒と天ぷらに沈められた彼は、まさに今、桜の夢の中。そんな彼を見下ろし、ジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)は腕を組んで頷いた。
「よし、ガルレア。作戦成功だ。あとは運ぶだけだな」
「ふむ……では、私は土産の調達に向かう。例のホテルの場所は?」
「俺の顔パスで通る老舗だ。ああ、これ。パスポート」
 スッと差し出された証明書を受け取り、ガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く|演奏家《ピアニスト》・h03764)は鷹揚に頷いた。
「助かる。彼を運ぶのは、お前に任せるとしよう」

 ――さて問題の“運搬”ですが。
 リンドー・スミスは桜ラベルの日本酒を抱えたまま、船上に寝そべっている。いや、大の字で爆睡している。
「……こいつ、よくもまあ油断しきったな。プロとしてどうなんだよ」
 ブツブツ言いつつ、ジョーニアスは彼を背負い、慎重に歩き出す。重い。地味に重い。無駄にガタイがいいからね、このオッサン。
「Mmm... Whuh...? Already home...? That's... nice delivery... mmh, five stars...」
「あ、ヤバ、起きかけ……?」
 ふにゃふにゃと母国語で寝言を言いつつ、リンドーがうっすら目を開けかけたその瞬間。
「我が一族歴代当主よ」
 |口上は祈り《Energeia》。捧げた音に応え、女神の依代がふわりと宙に浮く。ジョーニアスの瞳が静かに光った。
「我が願いを聞き届けよ──寝ろ」
 ぐぅZzz。願いを聞き届け、"歴代当主" が寝た。……ちゃうねん。『寝ろ』、確かにそうは言ったが、いや違うそうじゃない――!!
「How much... tip... would please your soul, good sir...?」
 未だ寝言を零すリンドーに、「水です、どうぞ」と咄嗟にスキットルを手渡すジョーニアス。気が利くね、とでも言わんばかりにリンドーはグイっと煽り――バタン。先程の一瞬で女神の祝福が降りたスピリタス。それをイッキしたのなら、夢の世界通り越して昏睡の奈落に真っ逆さま。そのままタクシーへと担ぎ込み、指定のホテルへ直行である。

 一方その頃、ガルレアは淡々と“お土産”の買い出し中であった。
「……これがシャケの干物か。ふむ、なかなか良い塩加減であるな。他に佃煮などを入れてやるのも良かろう」
 土産選びの眼光は鋭く、真剣に思案している様子が見て取れる。その姿を見ていた店主の老婆がにこやかに歩み寄って来た。
「歌舞伎役者さん。佃煮はこの山椒入りが香り良いよ」
 ――ガルレアは顔を上げ、周りを見渡す。歌舞伎役者……らしき者は居ない。というか、店内にはガルレア一人。つまり……??
「ご婦人。私は歌舞伎役者ではなく、演奏家である」
 周囲に花(※イメージ映像です)を浮かせながら穏やかな微笑を湛えたガルレアの言葉に、老婆は顔を輝かせ。
「まぁまぁ、これは御免なさいね。お詫びにお試しの商品もいっぱい付けてあげましょうね。歌舞伎のお稽古も大変でしょう?」
「……」
 スン、と花が萎れてバラバラと落ちる(※イメージ映像です)。ガルレアは最早何も言わず、桜ラベルの日本酒も合わせて、土産をパンパンに袋に詰めて貰うのだった。

 荷物を抱え、再びジョーニアスと合流したガルレア。
「どうだ、無事に届けたか?」
「ああ、ベッドに投げ込んできた。寝言で“トンカツ……”とか言ってたぞ」
「ふむ……では、こちらも始めるとしようか」
 二人は静かにリムジンのトランクを開けた。
「……いや、何この詰め方……もう芸術の域だろ……」
「見事に詰められているな。では、順に抜いていこう」
 一つ、また一つとアタッシュケースからクヴァリフの仔を取り出し、ガルレアは用意していた土産をそこに丁寧に詰めていく。
「干物に佃煮、日本酒。それとおまけが少々。全部合わせて……こんなものか」
「うお、重量がピッタリ同じ……これなら暫く気付かれないだろう、流石だな」
 作業を終え、トランクを閉じる。完璧な犯行現場偽装である(?)。
「これで全部終わり、ってことでいいよな」
「……うむ。だが人に手間を取らせた以上、こちらの酒宴に付き合って貰わなければ釣り合いが取れん」
 しれっと言い放つガルレアに、ジョーニアスはげんなりとした顔を見せる。
「何? ……お前まだ飲むのか? あれだけ全部奢りで飲んで食ったのに??!!」
 何か文句があるのか? と冷ややかな視線を送りつつも、ガルレアの口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
「今度は私が店を選ぶ。音の良いところにな」
「……やれやれ、お好きにどうぞ」
 夜風がふわりと吹き抜ける中、二人は歩き出した。まだ見ぬ「夜の続き」へと向かって――。

 クヴァリフの仔の奪還数(累計):👾👾👾👾👾👾

不忍・清和
不忍・ちるは

●不忍兄妹の甘やか任務帖、結びは不忍術にて!
「なんというか……あんまり任務っぽくない任務だったな」
 夜の街角でほっと息をつきながら、不忍・清和(|守理絢《シュリケン》アクセプターのヒーロー・h00153)はそう呟いた。いつもの任務なら変身して怪異と相対して、緊張と決意が常に背中に張りついている。でも今日は違った。甘いパンケーキ、あたたかい料理、静かな居酒屋、そして――
「兄さん、今日はよい任務日和だったね」
「……そうだな」
 隣でにへっと笑う不忍・ちるは(ちるあうと・h01839)の笑顔につられて、清和も頬をゆるめる。終始平和な空気だけれど、それでもやるべきことはある。兄妹は並んで、静かにリムジンへと向かった。――任務の対象、リンドー・スミスは、もうぐっすり夢の中。車のドア越しに見える寝顔は、まるで満腹の猫のようだった。
「じゃあ、少しだけ……がんばるね」
 ちるはが軽く息を吐いて、小さく手を合わせた。
「よん」
 |不忍術 肆之型《シノバズノヨン》。夢うつつ、温かな布団の中で聞いていたおじいちゃんの声。遠い記憶がぼんやりと浮かび――霧散していくと同時に、急速に研ぎ澄まされて行く指先の感覚。それが任務開始の合図だった。まずはドアの鍵。戦線工兵たる彼女にかかれば、工具を使うほどのものでもない。指先に神経を集中させて、音を立てないように、そろり。
 カチ、と小さな音。扉が開いた。
「……開いたよ、兄さん」
「さすがだな。焦らず、ゆっくりな」
 リンドーのポケットには、ポーチサイズの黒いケースが一つ。|怪異収容特殊空間《コンパートメント》を解除すると、その中に揺蕩っている『クヴァリフの仔』が見える。そっと手を伸ばして、それを包むように取り出すちるは。脈打つ柔らかさと同時に、生物の温かさが指先に伝わってくる。すかさず、ちるはは用意しておいたお菓子の包みを取り出す。グミ、マシュマロ、ゼリー菓子。柔らかくて、でもかすかに弾力があって、そしてとても甘い。
「えへへ……ふわふわさんをどうぞ。この仔にそっくり……でしょ?」
 ひとつ、ふたつ。『クヴァリフの仔』と見間違うくらいに似せたそれを、丁寧にケースに戻していく。
 次は後部のトランク。兄と一緒に静かに開けて、アタッシュケースを確認。
「この中……やっぱりたくさん入ってる」
「ちる、重いのは無理するなよ」
「うん。でも、これと……これ。ふたつだけ」
 慎重に取り出して、やっぱりマシュマロとグミのお菓子パックをそれぞれ詰め直す。『クヴァリフの仔』と同じくらい柔らかい、そんな“甘い身代わりの術”。
「……わざわざお菓子入れなくていいのにな。でも、ちるちゃんらしいな」
 穏やかに微笑む清和の顔には、ほんの少しだけ誇らしさが滲んでいた。すべてを終えて、リムジンの扉を静かに閉じたとき、ちるはは「ふぅ」と小さく息を吐いた。
「おつかれさま。ちる、がんばったな」
「えへへ、任務中にお菓子使ったの、たぶん初めて……」
 二人は顔を見合わせ、くすっと笑う。
「じゃあ、おうちかえろ」
 ちるはの声を皮切りに、ゆっくりと家路へと歩き出した。帰り道は夜風が気持ちよくて、桜の花びらが時おり舞っている。
「兄さん、今日のごはんも楽しかったね」
「ああ。ちるちゃんが美味しそうに食べるから、俺も嬉しかったよ」
 一つ一つ灯りが遠ざかっていく街のなかで、二人の足音は静かに仲良く響いている。
「帰りに買い物もしていくか。そういえばちるちゃん、冷蔵庫の野菜って何が残っていたっけ?」
「えーと、たしかキャベツと、にんじんと……あと、玉ねぎはたっぷりあったよ」
 風がそっと吹いて、街路樹の枝が優しく揺れた。落ちてきた桜の花びらがひとつ、ちるはの肩にふわりと舞い降りる。清和がそれを指先でそっと払うと、ちるははにっこり笑って、歩幅を半歩だけ詰めた。夜の空気は少しひんやりしていたけれど、二人の間にはそれ以上にあたたかな空気が流れていた。
「なら、明日の夜はシチューにするか」
「わあ、賛成!」
 月明かりの下、並んで歩く影が、ほのかに揺れていた。

クヴァリフの仔の奪還数(累計):👾👾👾👾👾👾👾👾👾

屍累・廻

●眺めて、閉じて、持ち帰る
「この寝息の様子なら、大丈夫そうですね」
 夜の店先に響くかすかな吐息。春の宵は心地よく、酒と料理に満たされたリンドー・スミスを容易く夢の底へと誘ったようだった。けれど、彼がただの酔客ではないことを屍累・廻(全てを見通す眼・h06317)は知っている。不用意な音一つで目を覚ます危険すらある。
「ふふ……貴方は、あまり油断される方ではないでしょうに」
 廻はそっと彼の上着へと手を伸ばす。内ポケットの中に滑り込ませた指が、硬質な輪郭を探り当てる。小さな、けれど確かな違和感。
(――ありましたね)
 ポーチサイズの黒いケース。|怪異収容特殊空間《コンパートメント》である。廻の金の瞳が、一瞬だけ深く輝いた。
「さて、では……ひとつ、いただきましょう」
 静かに開封されたケースの中に、脈打つように光る有機的な物体――『クヴァリフの仔』。柔らかく鼓動するようなその存在に、廻はほんの僅かに唇を綻ばせた。
「……なるほど。なるほど。これは、私の興味を強く惹きますね」
 包み込むようにそれを持ち上げ、用意していた自らの収容具へ移し替えていく。同じような黒いケースを、ふたつ……みっつ。彼は決して焦らない。美しさとは所作に宿るものであり、急ぎの仕事は品を損なう。
「できれば、この仔たちの生態を少し詳しく調べてみたい……知人の料理人にも見せてみましょう。意外に食材としての用途があるかもしれません」
 軽口のようでいて、本気の一言。廻の興味は常に“未知”に向かっている。
「……さて、次は――」
 彼は一瞬思案し、リンドーの脇に据えられていたビジネスバッグに手を伸ばす。その中に在るのは、一際目を惹く封印の意匠。鈍い光沢。彼が語っていた“旅先で出会った箱”の記憶と、見事に一致した。
「やはり、ここにありましたか。“パンドラの匣”」
 僅かに息を吸い、廻は指先でその封印面に触れた。反応は穏やかだが、確かに“動いている”。このまま眠った男の手に戻るには、あまりにも危険すぎる。
「持ち帰り、隔離します。使われてしまうよりは、幾分かマシですからね」
 バッグの中へ匣を収め、蓋を閉じる。すべてを終えて、廻はリンドーの寝顔をもう一度見下ろした。
(敵、とは思っていません。けれど……同じ道を歩む人間ではないのでしょう)
 共に飲み、語り合い、わずかに心の距離が近づいたように思えた。だがそれでも――たどり着く場所が違えば、次に言葉を交わす時は敵同士なのかもしれない。
「……少しだけ、惜しいですね」
 立ち上がる。足音は小さく、影も薄く。背を向ける前、廻は最後に静かに呟いた。
「またどこかで、お会いしましょう。リンドー・スミスさん」

クヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×12

アリサ・アダムス

●怪異解剖とYシャツと私
「……お休み中、ですね。スミス様」
 声はごく小さく、まるで呼吸と同じくらいの静かさで。アリサ・アダムス(元連邦怪異収容局員『|AA《ダブルエース》』・h06732)は、眠る男の傍らに立っていた。テーブルに突っ伏すようにして熟睡しているリンドー・スミス。回らない寿司の“特上”と、地酒の飲み比べが効いたのだろう。満腹と疲労、そして少々の油断が、その豪胆な身体をゆっくりと沈めていた。
「さて、仕上げです」
 アリサはポーチから手袋を取り出して、ゆっくりと両手にはめた。その仕草は、まるで医療従事者のように整っている。いや、実際、そういうものだ。
「私は怪異解剖士ですから。スミス様がご存じの組織でずーーっと働いておりましたよ。……正確には、社畜させていただいてました、というのが近いですけど」
 ため息交じりの独白をこぼしながら、両手袋、手にはメス。そんなアリサの目が濁っている――あれ、此処でリンドー氏終了? これ王権決死戦じゃないんだけど??? 勿論そんな事はアリサも十分承知。彼女の目標は、彼が常に携行している幾つもの怪異。
「始めましょう。――クラフト・アンド・デストロイ」
 メスの鋭い切っ先に、茫と仄かな蒼い光が宿る。その刃先でリンドーのコートをなぞる。たったそれだけで、効果は覿面だった。悲鳴すら上げられずに絶命した怪異が次々と床に零れ落ちて行く。
「スミス様の武装のほとんどは怪異由来。それらを無効化できれば、次にお会いする機会があったとしても……あ、いえ、ないことを祈っておりますけれど」
 淡々とした口調のまま、作業は静かに進行していく。内部構造を見極め、怪異の“核”に手を触れる。それを取り出し、封印と解剖、両方の処理を一息に終える。
「これで、ひとつ……。あ、もう一つもいけそうですね。ついでに――あ。」
 あの、アリサさん……? オペ中に一番聞きたくない声よ? ソレ。
 彼のコートは、彼が率いている怪異の集合体のようなもの。それを全部|解剖《バラ》してしまうとどうなるか。――Yシャツ一枚の中年男性を残して、きれいさっぱり消滅しちゃいました★
「違うんです……! いえ違わないですけど、これは、その……コートの構造体が怪異由来だったのが悪いんです……!!」
 Yシャツ姿で夢の中のスミス様は、相変わらず穏やかに寝息を立てている。全裸じゃなかっただけ大助かり、本当にありがとうございます。
 彼の威厳を奪った罪悪感が、アリサの胃をギュッと締め上げる。
「これ、怒られますよね? いやいや、とりあえず残骸をかき集めれば何とか……」
 ぶつぶつ言いながら、そっとコートの残骸(うっすら光の粒)を回収しようとして、あ、これはもう無理だなと即断。
「……帰ろ」
 決断は早い。逃げ足はもっと早い。
「ごきげんよう、スミス様。もう二度と会いませんように」
 祈るように手を合わせると、アリサはその場を後にした。

クヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×12
解剖した敵性怪異:いっぱい

ヴェーロ・ポータル
北條・春幸

●怪異に捨てる部位無し -リンドーはポイ-
 月が天頂を大分過ぎた頃、二人はそっと街を抜け出した。店の照明を落とし、人気のない夜道へと足を進める。北條・春幸(汎神解剖機関 食用部所属 怪異調理師・h01096)の手には、何やら鉄の棒のようなもの。――バールだ。どこで拾ってきたのかは聞かないでほしい。
「ふふふ、今度こそ可愛い仔を頂きにあがろう……!」
 春幸は珍しく、というか、どこか危険なテンションに入っていた。やけに楽しげで、歩調も軽い。思えば、先程リンドー・スミス氏をご丁寧に “適当な√世界” へ放逐した時点で、彼の心には迷いがなかったのかもしれない。
 ちなみにその際のリンドーの装備は、コート・靴・靴下・ネクタイ・下着。最低限の尊厳は残してあげたというが、それは春幸なりの“やさしさ”である。あくまで本人基準だけど。
「……完全に不審者ですね、あなたは」
 ヴェーロ・ポータル(紫炎・h02959)は少し遅れて歩きながら、静かに呟く。整った姿勢と冷静な眼差しが、隣の不審者の無秩序さを引き立てている。

 やがて、二人は件のリムジンを発見する。夜道にぽつんと佇む黒い車体は、まだ残された任務の続きを待っていた。
「……いた。運転手、起きてるね」
 春幸がこっそり窓を覗き込んだその時、ヴェーロは軽く指を鳴らし、掌に淡く光る魔力の刃を形作った。緋色の炎を纏ったダガーが、静かに夜気を照らす。彼は運転席の窓にコツンと刃の柄を当て、落ち着いた声で言った。
「失礼。どうか、大人しく従ってください」
 それは、貴族が相手に退席を促すような、整った所作だった。……のだが、そのすぐ横で春幸は懐から遮光瓶を取り出す。中に揺れるのは、無数に煌く「眼」を内包した液状の怪異。
 にこにこと笑いながら、春幸は窓をブチ破ると同時、それを車内へと放り込んだ!
「出番だよ、|Vitravore《ヴィトラヴォア》ちゃん!」
 運転手の目が、意識が、|Vitravore《ヴィトラヴォア》の「眼」に絡め取られる。はい、無抵抗一般人の一丁あがり……こりゃヒドイ。
 ヴェーロは一瞬、視線を伏せて深く息を吐いた。
「……それ、一般人には強すぎると何度言えば」
 とはいえ、すでに麻痺が始まっており、運転手はゆっくりと意識を手放していた。ヴェーロがドアを開けて彼を外へ引きずり出すと、春幸は「|Vitravore《ヴィトラヴォア》ちゃん、ありがと」と囁いて、再び瓶に戻してやる。
「さて、と……お待ちかねのトランクだ!」
 車体の後部へまわり、鍵をバールでこじ開ける。金属音が響き、やがてトランクが開く。中にはぎっしりと詰まったアタッシュケース。ひとつ、またひとつ、春幸は中身を確認する。
「やっぱりいたよ、可愛い"仔"」
 ケースの中、怪異の鼓動のような柔らかい光が揺れる。有機的で、どこか美しい。それでいて、確かに危うい存在。
 春幸の目が輝く。
 この仔が欲しかった。この仔でなければ駄目だった。|Vitravore《ヴィトラヴォア》でも代わりにならない、“執着”にも近い感情が胸の奥に灯っていた。
「ヴェーロ、これだよ。僕が欲しかったのは」
 ヴェーロは少し首を傾げて、ケースの中を覗き込む。
「……その、どれが危険で、どれが安全なのか、あなたは分かるのですか?」
「大丈夫。大体は、たぶん……うん、大丈夫!」
「不安しかないな」
 ヴェーロはあきれたように目を伏せながら、ケースを運ぶのを手伝う。それぞれが異なる脈動を持つ『クヴァリフの仔』。春幸は嬉々としてひとつずつ見定め、トランクから次々と引き上げていった。
「これは柔らかすぎるし、これはちょっと香りが強い。……お、これは良いね。持ち帰ろう」
 そんなことを呟きながら、“選別”は着々と進んでいく。春幸の研究者としての目が、時折ぞくりとするような鋭さを帯びるのは、この瞬間に限っては本物だった。

 回収がひと段落した頃、ヴェーロが問う。
「さて、春幸。これ……本当に全部研究所に?」
「もちろん。……ってそんな顔しないで、分かってるってば」
 そう言って、春幸は未開封のケースをひとつ、そっと脇へ置いた。
「一匹ぐらいは」
「ダメです。機関への届け出までが任務ですよ」
 がっくりと肩を落とす春幸。
「……甘そうだよねぇ、クヴァリフの仔って」
 彼の声に、ヴェーロは答えない。ただ、柔らかな夜気と月明りの中で、ふたりの影が並んで伸びていた。

クヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×16

見下・七三子
一・唯一
十・十
椿之原・希
紗影・咲乃

●ぷきゅぷきゅ★ナイトミッション!
 焼肉の香りがまだ漂う店内、炭火の名残が微かに揺れる。座椅子にもたれかかるようにして、リンドー・スミスは眠っていた。きちんと締めたネクタイ、皺ひとつないワイシャツ、腕には高級な時計。姿勢こそ崩れているが、その姿は「任務の成功者」としての余韻すらまとっていた。目を閉じたままのその表情は、どこか穏やかで無防備。眉の間にあるはずの緊張が抜け、唇の端にわずかな弛緩がある。まるで自宅のベッドでいい夢を見ているような、そんな寝顔。
「…………」
 カウンターの陰に座る少年が、そっと動いた。十・十(学校の怪談のなりそこない・h03158)――ふわふわとした髪、柔らかい目元、その仕草には一切の騒がしさがない。彼はしばらくの間、じっとリンドーを見つめていた。揺れる呼吸のリズム、軽く上下する胸、時折ふにゃりと寝言をもらす口元。
「おやまぁ、寝てしまったでごぜーますな」
 息を吐きながら、彼は懐から布を取り出した。それは“使い始めたばかりの奉仕道具”。どう見てもただのフリースのひざかけだが、彼にとっては立派な装備のひとつ。クルクルと器用に丸めて形を整えれば、即席の低反発枕の出来上がり。十は慎重に動き、そっとリンドーの首の角度を直した。わずかに傾いたその頬を支えるように、クッション替わりに小さな枕を差し込む。
 ――超奉仕状態。
 彼の奉仕スキルの効果は焼肉奉行のみに非ず、寝かしつけにも発揮される。たとえば眠っている誰かを起こさないように歩くこと、カーテンをそっと閉めること。あるいは、熟睡の継続に必要なものを整えておくこと。
「起こすのが正しいんでごぜーますが……その場合、目的が果たせない」
 ぽそりと呟いて、彼は手元の懐中時計に目を落とす。
「ので……より深く眠ってもらうでごぜーますよ」
 足元に崩れたジャケットを直し、膝にかかるよう掛け直す。少しでもリンドーが目を覚ましそうになるたび、十は“トントン”と背を一定のリズムで優しく叩いた。
「本来なら『呪詛』で睡眠への飢餓感を与えたいでごぜーますが……」
 それは流石に警戒されるかもしれないでごぜーますから。あやすように。包むように。リンドーの眉が再びゆるみ、呼吸が落ち着く。
「起こしてはならぬ……起こしてはならぬでごぜーます……」
 その祈りは奉仕者の決意の表れ。何処となく念仏っぽいのは気にしちゃダメ。
「ふふ、十の読経が終わらんうちに――ほな、ヤろか」
 呟いてニヤリと満面の笑みを浮かべるのは、一・唯一(狂酔・h00345)。だんちょ、『|悪戯する《腹掻っ捌く》んも吝かやない』って顔に書いてあります。|臓器《モツ》奪ったらアカン、これ王権決死戦ちゃうねんで!
「ん? ふふ、そやな……まあそういうのは "今度" やね」
 あんまり悪さするとボクが連行されてまうわ……と独り言ちる唯一。いや、どうでしょう。カミガリさんは『クズの始末のご協力に感謝します』とか言いそうな気がします。
 軽く鼻歌交じりに、唯一は人の気配を感じない方向へと進む。今夜は、もっと静かに。もっと巧妙に。
 一方、紗影・咲乃(氷華銃蘭・h00158)はといえば――
「リンドーにぃに、よく寝てるのよ」
 くすくすと小さく笑うその姿は、先ほどとは違っていた。蒼氷色のドレスを纏い、つややかなスカートの裾がきらきらと揺れる。頭身も幾分か上がり、17歳くらいに大人びたその姿。身に纏う空気はまるで、舞台の幕が上がったかのよう。可愛らしさを残しつつ、お洒落な雰囲気の仕上がりに脱帽!
 彼女は静かにリンドーへ近づく。その頬を指先でちょい、とつつく。……反応は、ない。寝息がふにゃ、と鳴った。
「……ちょっと失礼するのよ?」
 彼女の手はするりと、リンドーのポケットへ。指先の動きは迷いがない。やがて、金属の触れる感触が伝わってくる。
「うん。これなの」
 小さく囁いて取り出したのは、リムジンのキー。その顔には、まるで“宝探しをして見つけた子ども”のような満足気な笑みが浮かんでいた。
「ちょっとだけ、いたずらしてもいいかな……」
 どこからともなく取り出したのは、水性ペン。にこにこしつつ、リンドーの頬に文字を書き込んでいく。
 『クヴォリフの仔は返してもらうのよ』
 ちょっとだけ惜しい誤字。でも、それもまた咲乃らしい。
「……わぁ、みんな、……特にアリアさん、イキイキしてますね?」
 その様子を見守るのは、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)。普段は和やかな雰囲気を見せる七三子だが、本来であれば強力無比な敵を起こさないようお目当ての物の回収を急ぐ――今回のミッションの肝。それを子供たちと一緒に遂行するとなれば、どうしても心配してしまうというもの。
「でも……十くんも、ちゃんと眠らせてくれてますし……私も少しだけ、お手伝いを」
 リンドーの荷物に近づく。七三子は注意深く、しかし器用な手つきで異物の気配を確認していく。何か仕込まれていないか、慎重に。彼の私物は驚くほど丁寧に整頓されていた。身の回りの物はコンパクトに纏められ、他には本が数冊、ノートが一冊。何気なくノートを手に取った七三子の目に表題が映る。
 " Big. Lの日々のポエム" ……これは見なかった事にしてあげた方が良さそう。後は鞄の底、ファスナーの裏、ペンケースの中。
「ふう……でも、あんまり無理してもいけませんね」
 そう呟いてそっと立ち上がる。咲乃がペンを仕舞い、いたずら書きを終えた頃には、リンドーの顔には小さな文字が躍っていた。
 四人は声を立てないように笑う。夜はまだ、静かに続いて行く。

 リンドーが夢の底に沈み込んでいる間に、店の裏手――人目を避けた並木道に、一台のバスが音もなく滑り込んできた。
 没個性な白い車体。一見ただの市バスにしか見えないが、その後ろにはリンドー氏のリムジンが、オプションパーツのクレーンで牽引されている。――クレーン装備の市バスがあってたまるかって? 細かい事ぁいいんだよ。
 その車体の名はクラッシャーバス《Geki-Tsui-Oh/撃墜王》。わぁ、リアルタイムイベントで大活躍しそうな頼もしさ! ……没個性って何だっけ。
「はーい、出番ですよー」
 ぴょこ、と顔を出したのは椿之原・希(慈雨の娘・h00248)。すでに運転席に座っていたらしい。バスのドアがウィンと静かに開くと、彼女は小さなバッグを抱えて飛び降りた。バッグの中には、ぬいぐるみ、造花、香りのビーズ、ピンクの布、そして……ハサミやボンド、リボンまで。
「まずは、車の掃除から、ですね……」
 彼女は牽引されてきたリムジンへと静かに歩いていく。洗車用のクロスとスプレーを手に。
「リンドーさん、すごく丁寧な方でしたから……車も、ちゃんと綺麗にしてあげたいんです」
 そう呟きながら、フロントガラスに付いた埃を拭い、ホイールの汚れを磨き、ダッシュボードのゴミを取り除いていく。「怪盗カメリア」名義で "お仕事" する以上、見た目の演出も手を抜くわけにはいかない。黒光りする車体が艶を取り戻していく。
「これでピッカピカ……っと。あとは中ですね」
 希は掃除道具を手早く片づけ、次の工程へと進む。ぬいぐるみ、香りビーズ、飾り紐。用意した道具を確認しながら、丁寧にリムジンの内装を整えていく。助手席を開け、ダッシュボードからごみを取り出して分別。灰皿の中も綿棒で掃除して、香りビーズをセット。ピンクのカーペットを敷き、その上にふかふかのクッションを二段に重ねて並べる。周囲にはハート型のレース飾り。両端にはお花の飾りを固定して、揺れないようにホットボンドでぺたり。グローブボックスにはミントのタブレット。いつの間にやら咲乃が描いた“にぃに”の落書きと並んで、どこまでもファンシーな違和感が空間を支配していた。
 さて、カメラさんは再び咲乃のもとへ。彼女は変身した姿のまま、リンドーを静かに抱え上げていた。
「にぃに、ちょっと重いのよ……でも、がんばるの」
 十がそっとリズムを取るように肩をぽんぽんと叩きながら、咲乃の動きをサポートする。リンドーがうっすらと眉をひそめるたび、十の奉仕技術が光る。
「寝てていいのよ、にぃに。咲乃たちがんばるから」
 バスに乗せるまでの道のり。静かな夜道。咲乃のヒールが、アスファルトの上に小さくも軽やかな音を響かせる。
 ……数分後。すべての準備が整えられると、希が運転席に戻り、バスのシステムに指先を滑らせた。静かな起動音と共にバスのドアが自動で開き、リンドーを迎え入れる。車内は静謐で心地よく、ほんのり桜の香りが漂っていた。
 十が最後の仕上げとばかりにブランケットをかけ直し、咲乃が「いってらっしゃい」と手を振る。無人のバスはひとりでに動き出し、静かに夜道を進み始めた。その姿は、まさに深夜のドナドナ搬送――いや、華麗な“怪盗劇”のプロローグのよう。
 そして幾らかの後、何事もなかったかのように、乗客の無い空のバスは焼肉屋の駐車場へと舞い戻ってくるのであった。

 咲乃から受け取ったキーをカギ穴に差し込み、捻る。――ガチャリ。唯一はリムジンのトランクを開け、積まれていたアタッシュケースを一つ一つ確認していた。
「……さて、どこや。ボクの仔は」
 探しているのは、あの "例の仔"。湧いて出てくるカルト教団の陰鬱とした儀式で召喚された仔。短い触腕を持ち、「ぷきゅ」と鳴く異形の仔。リンドー・スミスが一度は確保し、唯一自身が義兄や仲間たちの協力を得て奪い返した仔。
 アタッシュケースをひとつ、ふたつと確認し――三つ目を開けたとき、そこに "いた"。小さなぐちょりとした肉塊。触腕がゆっくりと蠢き、音もなく口らしき部分が開いて閉じた。「ぷきゅ」と鳴いた。それだけで、間違いなかった。
「……よぉ戻ってきたな」
 優しさが籠っているようでいて、その実は伽藍洞のような声音。ただ手にした『道具』は返してもらうだけ――唯一は躊躇なくその仔を抱き上げる。柔らかい。ぬめりがある。服が汚れるのも構わず、ただ抱いて、歩き出す。
 ちょうどバスの階段を降りて来た希がそっと手招きする。唯一はそれに頷き、バスの荷室に置いたケースの中にゆっくりと仔を寝かせた。仔は「ぷきゅ」と鳴いて、触腕をもぞもぞと揺らす。
「……ちょっと、機嫌ええかもしれんな」
「じゃあ、わたしはトランクの方、運びますね」
 希が再びリムジンに戻ろうとすれば。
「希、ボクもまだまだ手伝おか」
 唯一が立ち上がると、希は顔を上げて微笑んだ。
「お願いします。怪盗カメリアの助手さん」
「助手かー……ま、今日ぐらいはええかもな」
 アタッシュケースをひとつずつバスへと運び出していく。ケースの中には、それぞれ脈動する怪異の仔たち。大きさも、色も、鼓動のテンポも、すべてが違う。希はひとつひとつの個体にそっと手を添えて、目を伏せるようにしながら運ぶ。唯一もそれに倣って動く。任務達成の為に。
「これで、クヴァリフの仔は全部……」
 積み終えた空のアタッシュケースが、リムジンのトランク内に整然と並ぶ。希は鞄から取り出したぬいぐるみ――ウサギ、クマ、ドラゴン、なんとも言えないピンクの謎生物、さらには唯一からのデカい臓腑(ぬいぐるみに血糊)――を次々に詰めていく。
「見た目は完璧……重さも、似たようなものにしてあります」
 微調整を終えた希が、アタッシュケースを元通りにパタンと閉める。
「これ、リンドー起きたら……どう思うやろな」
「きっと、"おぉ" って言います」
「……そらもう、"おぉ" やな」
 怪異の代わりに詰められたのは、静かな悪戯と、少しの可笑しみ。だがその手際はプロの仕事。すべては確実な成果を残すために。ぬいぐるみの柔らかさの下には、鉄の意志が眠っている。
 バスの荷室では、異形の仔たちが静かに蠢いていた。その中のひとつ、触腕の短い仔だけが、唯一の手のひらにそっと吸い寄せられ――「ぷきゅ」と鳴いた。
「ええこやね」
 唯一はそう呟いて、また歩き出す。希もその背を追うように、夜の静けさへと戻っていった。

 朝が来る気配は、まだ遠い。夜風が少しだけ生ぬるくなってきた頃、咲乃は最後の『クヴァリフの仔』が入ったケースを両腕で抱えていた。
「これが、ラストなのよ」
 17歳の姿とは言え、華奢な咲乃にはややキツい重量がある。それでも咲乃はまっすぐに歩いて、バスの荷室まで優しく丁寧にそれを運んだ。途中でヒールのバランスを崩しそうになったが、十が静かに背を支える。
「無理せず、でごぜーますよ」
「だいじょうぶ。咲乃、こういうの、がんばれるのよ」
 ぽふんと音を立てて、最後のケースが収まった。ケースの中の『クヴァリフの仔』たちは、それぞれが寝息のような脈動を刻みながら、小さな寝床におさまっている。
「怖くないのよ?咲乃たちと一緒に帰ろう?なのよ」
 彼女の優しい声が、怪異の仔に届いたか。僅かに脈動が強まって、再び寝息のような調子に戻る。

 一方その頃、焼肉屋の座敷では、静かな手仕事が続いていた。
「希さん、カードの飾り……一緒に選びませんか?」
 七三子の両手には小さなクラフトボックス。中には繊細なレース模様のシール、ふわふわした糸の束などが色とりどりに並んでいる。
「ふふ。私、こういうの得意なんです。折り紙とか、切り絵とか」
「わぁ、ありがとうございます。助かります」
 二人は並んで腰を下ろし、机代わりの座卓に道具を広げていく。使い慣れた手つきで七三子がカードの縁をカットし、希はリボン型のシールをそっと添える。会話は少ないが、どこか居心地のいい沈黙が流れていた。
「端っこは丸くした方がかわいいですよね」
「この色、目立ちすぎませんか?」
 ささやくようなやりとり。七三子のレースの貼り方は抜群で、希もそれを真似して小さな花模様を描いていく。
「怪盗のメッセージカードって、かっこいいですよね」
「はい。何だかこう……本格的で、アニメにもなりそうで」
 二人の手元で、カードは徐々に仕上がっていく。厚紙に、華やかな装飾。ラメ入りのペンで描かれた曲線、金の縁取り。そして――
『クヴァリフの仔たちは戴きました 怪盗カメリアより』
 その一文が、美しいゴシックな筆跡でカードの中央に添えられた。最後に、うさぎちゃんのシールがぽん。完璧だった。

 そして、再びバスの前。
「咲乃たちのしごと、これでぜんぶ終わりなのよ」
 小さく呟いた咲乃。唯一は荷室に並ぶ仔たちを一瞥し、懐から布を取り出して「ぷきゅ」の仔の頭にそっとかけた。
「おやすみ。ところで、咲乃がやったん?あの悪戯書き」
 小さく欠伸しつつコクコク頷く咲乃に、ようやったとご満悦。
「ほれ、皆でバスで帰るでー」
 バスの中、しんとした空気のなかで、仔たちは誰より深く眠っていた。
 リムジンのトランクにはカードが一枚。リボンとレースに包まれたそれが、朝を迎えるリンドー・スミスへの、精一杯の挑戦状だった。

現在のクヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×36
瀬条・兎比良
史記守・陽

●特例押収対応記録 第SS-R0001号
 夜もすっかり更けた頃。街灯の下に淡い桜の花びらがひらひらと舞い落ちる中、瀬条・兎比良(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749)と史記守・陽(|夜を明かせ《ライジング サン》・h04400)は、静かに眠るリンドー・スミスの傍らに立っていた。
 満腹と酔いで沈没したその男は、椅子に深く沈み込み、まるで子どものように安らかな寝顔を晒している。
「……よくお休みのようですね」
 兎比良はリンドーの寝息のリズムに狂いがないことを確認した。陽もまた、その顔を見ながら複雑そうに眉を寄せる。
「任務とはいえ、ちょっと罪悪感がありますね……」
「押収ですから正当な捜査ですよ。我々が車上荒らしなどする訳にはいかないでしょう」
 兎比良の言葉に、陽は小さく頷いた。
 二人は慎重に、リンドーの周囲の所持品に目を向ける。背広の内ポケット、膝に置かれた鞄、足元のビジネスバッグ。ふと兎比良は思い付きのように口を開く。
「……むしろ、"どなたか" が我々に違法な押収を示唆したのなら、それは “窃盗の教唆” になります。事情をお聞きしないといけませんね?」
 ヒュッ、と "どなたか" が竦み上がるような気配。
「車を開けるよう唆されたとなれば、侵入罪の教唆。場合によっては軽犯罪法違反も追加ですね」
 朗らか笑顔で "どなたか" の疑義を積み上げる陽。わー、酷いアドリブ。史記守さんは優しいからきっとそんなこと言わないよ!
 陽がバッグのジッパーに手をかける。中からは幾つかのセキュアケースが現れた。重厚な素材に施された複雑なロック。陽は一つひとつを丁寧に確認し、兎比良に引き渡す。
「これ……全部、怪異封印用のケースですよね? 中身を見ても大丈夫ですか」
「開ける際には慎重に。確認が済んだものから、押収リストに記載していきましょう」
 兎比良は慣れた手つきでツールを取り出し、慎重にロックを解除していく。小さくカチリと音を立てて開いたケースの中、ぬらりと揺れる生体的な輝きが見えた。
「……脈動する有機構造、そして密閉されていたにもかかわらず拡がる微細な波動。間違いありません。『クヴァリフの仔』です」
 一方、陽は兎比良に解錠して貰った大きめのケースを開く。中身はリンドーの身の回りの物だろうか。恐らくは偽造であろうパスポート。偽造であろう運転免許証……色はグリーン。オートマ限定。これで偽造じゃなかったらどうしましょう。後はヘアブラシに髭剃りに、美容液に乳液にフェイスパック……?! あ、本がある……『リンドー ~最初の12日間~』母子手帳かな?
「……この人、たぶん “誰にも甘えられなかった子ども時代” が長すぎたんですね」
「シキさん、それは公的な押収物に対しての感想として適切では……いえ、やめておきましょう」
 兎比良が苦笑めいた溜め息をつく。陽の素直すぎる反応には、時折こうして抉るような無自覚の毒が混じるのだ。……史記守さんは優しい、筈。多分。

「……それにしても、研修で聞いていた事例って、本当に起こるんですね。『酒に酔って怪異を落としたケース』……普通なら都市伝説扱いですよ」
「ええ。今後の教本に載せるべきでしょう。“飲み過ぎには怪異も落ちる”とでも」
「ある意味、飲み会文化の抑止力になりそうです。……あ、いや、流石にないか」
 こんな迂闊な事例早々発生しないでしょうし。サラリと告げる陽の言葉に、"こんな迂闊な事例" を発生させた男がビクリと小さく跳ねる。おーい、リンドー氏? 生きてるー?
 二人は手際よく、ケースをひとつずつ確認しながら押収対象を選別していく。兎比良がひとつ記録するごとに、陽が静かに念押しの確認を入れる。お互いの動きに無駄がない。
「スミスさん、悪い人ではなかったから……本国に戻った時に今度はちゃんと慰めてくれる人がいるといいですね」
 陽が少しだけ視線を逸らすようにして、優しく呟く。
「本国でまで一人ぼっちだったら、ちょっと可哀想ですし」
 グサグサ。ノンデリワンワンこと史記守・陽の死体蹴りが止まらない。やめたげてよぉ、リンドーのライフはもうゼロよ!
「大丈夫ですよ。ああ見えて、意外と慕われていそうですしね。……多分」
 最後のケースを閉じると、兎比良は帳簿を取り出し、項目を一つずつ記入していく。陽は少し離れた場所で警戒を続けながら、スミスの寝顔を見守る。
「……本当に、よく寝てますね」
「おそらくは、ここ最近で最も深い眠りでしょう」
「じゃあ……俺たちは、ここ最近で一番静かな回収任務、完了ですね」
 兎比良は僅かに視線を和らげた。
「史記守さん。お疲れ様でした。あなたが味方で良かった。色んな意味でね」
「はい、瀬条さんこそお疲れ様でした。……色んな意味、ですか?」
 変装捜査の終了を告げる、互いへの(陽は首をちょっと傾げつつの)敬礼。夜の風が、桜の花びらをひとひら運んでいく。その静けさの中、二人は静かにその場を後にした。

現在のクヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×40

薄羽・ヒバリ

●おいしく食べて、ちゃんと盗って、ちょっと盛った
 夜桜の並木道をひとり歩きながら、薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)は軽やかに鼻歌を口ずさんでいた。手には鈴カステラの袋。さっき屋台で買ったばかりの、ママへのお土産だ。
「ふー、食べた食べた〜。ママへのお土産もゲットできたし、今度こそ真っ直ぐかーえろっ」
 袋の口を少し開けると、ほんのり甘い香りが立ち上る。きつね色のまんまるなカステラたちは、まるで鈴のようにころころと転がりながら、薄い蜜の光沢をまとっていた。ひとつ、つまみ食い。口に入れると、外はほんのりサクッ、中はふんわりとした優しい甘さが広がる。素朴だけど、どこか懐かしい味。
「ん〜、これ絶対ママ好きなやつだ〜っ」
 オムそば、いちごソーダ、たい焼き、フルーツ飴。胃の中はカロリーと幸せで満ちていた。が、そんなご機嫌な足取りを止めるものが――あった。
「……って、え?」
 さっき通ったベンチ。そこには、ぐでーっと伸びたリンドー・スミスの姿。
「ちょっと、だいじょう……ぶ? いや、え、これ、どしたの?」
 思わず駆け寄ってしまう。敵のハズなんだけど、つい心配してしまうくらい、見事な寝落ちっぷりだった。顔は赤く、手には空になった日本酒の瓶、足元には……ごろんと無造作に転がしてあるアタッシュケース。
「……ただ寝てるだけじゃん! 心配して損した〜っ」
 ぷんすかしながらも、ヒバリはしゃがみ込む。
「てか、今なら……これ、ゲットできるかも?」
 そっとベンチ下のアタッシュケースに手を伸ばす。ご丁寧に鍵付きだけど、触れれば案の定――カチャリ、と鍵が開いた音。ヒバリはニヤリと笑ってピースサイン。中から『クヴァリフの仔』が入ったセキュアケースを押収!
「よしっ、任務完了〜。あとは帰るだけだねっ」
 だが、立ち上がろうとした時、ふと視界に入るリンドーの顔。
 ……無防備だなぁ、このおぢ。
 ここでちょっとイタズラ心が芽生えてしまうのが、ヒバリという女子である。
「ま、ちょーっとだけ、悪戯しちゃおっかな」
 バッグから取り出したのは、普段自分でもあまり使わないパープル系のアイシャドウパレット。まぶたをそっと押さえて、ふわっと筆でグラデーションを入れていく。目尻にかけてラメ感のあるシャドウを加えると、リンドーの瞼はちょっぴりミステリアスな仕上がりに。
「んー、まつ毛も……うん、カールしてからマスカラ乗せて……うんうん、意外とイケてるんだけど?」
 チークは頬骨に軽く乗せて、血色をプラス。ついでにリップもほんのりローズ系をチョイス。あまり派手すぎない、でもしっかり“映える”仕上がり。
「うん、いい感じにキマったかも。この完成度はむしろ感謝してほしいくらいっ」
 すっかりと "美おぢ" になってしまったリンドーに満足げに頷きつつ、スマホを構えてカシャリ。
「はい、私のコレクション行き〜♪」
 セキュアケースを小脇に抱えて、ヒバリはすたすたと夜道を歩き出す。夜風が桜の花びらを揺らす中、ヒバリの足取りはどこまでも軽やかだった。

現在のクヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×41

ツェイ・ユン・ルシャーガ
アダルヘルム・エーレンライヒ
ナギ・オルファンジア

●|Sugarlit Mischief in a Sleeper's Dream《眠り人の夢に、砂糖のいたずら》
 夜の観覧車は、空に浮かぶ静かな光の輪のようだった。遊園地の喧騒もすっかり落ち着き、心地よい風がゴンドラを優しく撫でていく。そのひとつで、リンドー・スミスはすやすやと寝息を立てていた。疲労と満腹、そして充実感が、彼を深い眠りへと誘ったのだろう。
「ふふふ、リンドー殿は遊び疲れた御様子だの。なんと無防備極まりない」
 ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)はにこにこ笑いながらゴンドラの床に片膝をつく。手にしていたのは、墨色のフレームにきらびやかな装飾が施された “キャラもの” の眼鏡だ。
「我からの土産は此れよ。うむ、男前な面構えに似合うておるぞ」
 その様子を見て、アダルヘルム・エーレンライヒ(月冴ゆる凍蝶・h05820)が吹き出す。
「完璧なシチュエーションじゃねぇか……密室にして個室のゴンドラ。よし、悪戯するぞ」
 彼はリンドーの上着ポケットを漁り、『クヴァリフの仔』入りのセキュアケースを回収。代わりに小さなぬいぐるみをしれっと押し込み、さらにリンドーの頭には遊園地キャラのカチューシャをそっとセットする。
「俺からのお土産だ。有り難く思えよ、リンドー殿」
 一方、ナギ・オルファンジア(■からの|堕慧仔《オトシゴ》・h05496)は足元にしゃがみ込んでいた。手荷物から取り出したのは、まばゆい装飾の魔法少女ステッキ。
「英国紳士たるもの、やはりステッキ!」
 ナギさんそれステッキ違いでは?? ニチアサ女児が目を輝かせそうな、キラッキラなそれをリンドーの手に握らせ、胸には光るハート型のブローチを飾りつける。
「これで完璧。ポケットにはキャンディとポップコーン、プチケーキもね」
 お菓子を詰め詰めしながら、ナギはうろうろと視線を巡らせる。
「ぁ、私もクヴァリフの仔ほしいよ」
 見つけたのは目当てのセキュアケース……と、その隣には、とってもお洒落なシガーケースとオイルライター。うっかり全部まとめて回収してもバレないかも。
 三人はそれぞれに手早く "悪戯" と、そのついでに "任務" を終えると、顔を見合わせた。

「仔の奪還は起こさぬように……御二人とも何やら手慣れておるな」
 ツェイが感心したように呟く。
「さてはどちらも悪戯小僧(娘)であったな?」
「言い掛かりだな。これは優しさだ、ツェイ殿」
 アダルヘルムが空き缶を並べながらニヤリと笑う。
「欲しいなら探せ、ってな。アリバイ工作もばっちりだ」
「私は淑女ですからね。悪戯なんてとんでもない。完璧な善意ですとも」
 ナギがさらりと主張するが、ブローチとステッキとお菓子のセットはどう見ても装飾過多だ。アダルヘルムの演出したコンビニチューハイの空き缶、頭にはキャラクターカチューシャ、ツェイのかけさせたご機嫌なメガネと合わされば、目撃者の腹筋は破壊されてしまうに違いない。見なよ、そこの|まるで駄目なオッサン《魔法中年★ラブリィ・リンドー》を。

「うむ、思い出には土産が付き物ゆえの。我も御二人へ贈り物を用意しておいたぞ」
 ツェイはナギには猫足手袋を、アダルヘルムには胸に提げられる鼠のがま口を差し出した。
「……これを、胸に提げろと?」
 問う声は低く抑えめだったが、明らかに困惑が滲んでいた。
「いや、ツェイ殿よ。ナギ殿が猫で、俺はネズミって……」
 それでも、しっかりと受け取って胸に下げるあたり、アダルヘルムなりのツッコミ付きの信頼表現なのかもしれない。
 ナギは猫足手袋をきょとんとしたまま装着。黒地にピンクの肉球が、やたらと似合ってしまっている。
「……にゃぜ……」
 思わず口に出してしまったその瞬間、アダルヘルムが一拍置いて笑い出した。
「ははっ、ニャギ殿! いや、これはもう認定だな。完全に猫じゃねぇか」
 ニャギは猫足をもてあましながらぷるぷる震えているが、その姿はほぼ可憐なぬいぐるみ。隣でツェイはうんうんと満足げに頷いている。
「なら、俺からも返礼だ。ツェイ殿にはオコジョのストールを」
「同じことを考えていたようだね。私はお口マスク、アダル君には付けお尻尾だよ」
 突如の追加装備に、ツェイの笑顔がピクリと硬直する。
「……まさか、我も混ざるとは思わなんだ」
 ストールを整え、マスクをつけられ、しっぽまで揺れる自身の姿にため息をひとつ。
「……我にそのような……嗚呼、言わんこっちゃない。もはや如何なる生物やら」
 甘党にゃんこ、ガマグチ鼠の騎士団長、そしてオコジョ的マスコット。頓痴気三銃士、完成である。
「頓痴気三銃士の名に……相応しくはあるのう……」
「ふは、伊達ではないな。頓痴気三銃士の名は」
「……、でも……(ぷるぷる)ふふ……っ」
 ひどい絵面に、顔を伏せたニャギの肩が小さく震えている。だが三人の間には確かな連帯感と、楽しげな笑いがあった。

 役目を終えた三人は、各々が買い込んだ焼き菓子や飴玉、土産を抱えて夜の遊園地を後にする。
 ふと空を見上げると、ふわりと舞い上がった風船が、星明りに紛れて遠くへ消えていく。ジェットコースターやメリーゴーランドはすでに静かに口を閉ざし、ライトアップされたアトラクションも、ひとつ、またひとつと灯りを落としていった。夢の名残がゆっくりと夜に溶けていくよう。それでも、あの夜パフェを食べた店だけはまだ明かりを灯し、ほのかに甘い匂いを漂わせている。その記憶の温度が、胸の奥をほんのりと温めてくれた。
「焼き菓子飴玉各種取り揃え、これは養い子への手土産さな。はは、つい張り切って仕舞うた」
「親友への土産もつい買い過ぎたか……まあ、悪くねぇ」
 二人の脳裏に自然と浮かぶ。山中でぽつぽつとお菓子を口にするあの仕草が。酒も甘いのも苦手なのに、何故か喜ぶであろう姿が。
「キャンディ、おせんべい、ポップコーンにプチケーキ! 遊園地って素晴らしいなぁ」
 頓痴気三銃士、任務も思い出作りも完了。三人の歩く足音がアスファルトを撫でる。すれ違う人もまばらになり、空はすっかり夜更けの色。けれどその歩幅は不思議と揃っていて、軽やかに、けれどどこか名残惜しそうに――光と夢の場所から、現実へと帰っていく。
 月が降り、街が眠る頃。観覧車の下には装飾されすぎた男が一人、静かに夢の続きを見ていたのだった。

現在のクヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×44

カンナ・ゲルプロート
アドリアン・ラモート

●|Silk Shadows, Crimson Intent《絹の影、紅の意図》
 夜風にさらさらと揺れる芝生の広場。此処はアミューズメントの一角にひっそりと設けられた小さな休憩エリア。芝生の香りと星明り、そして何故か羊の残り香が支配する空間。そこにひとりの男が静かに眠っていた。
 リンドー・スミス。敵勢力の要人であり、数々の怪異を収容し操る男。その寝顔は今、信じられないほどに穏やかだった。満腹と酔い、そして日中の疲労が彼を夢の中へ誘い、ベンチにもたれかかるその姿はまるで昼寝をしている善良な会社員のようですらある。
 その眠りに忍び寄る、ふたつの影。

 ひとつ、猫の形。
 芝の影にまぎれるように、黒猫がすっと現れる。地面すれすれに忍び寄るその足取りには一切の音も乱れもない。それは肉体の動きではなく、意識が影へと染み出すような移動。体の輪郭は宵闇に沈む。視線を逸らせば即座に存在がぼやけるような、常識の隙間に溶け込む異質さを纏っていた。闇の中をただ歩いているだけなのに、その歩みの軌跡は空気の密度を変え、風の流れさえ沈黙させる――まるで夜そのもの。
 その黒猫は、ただの可愛らしい獣ではない。アドリアン・ラモート(ひきこもりの吸血鬼・h02500)。|Metamorphose Nocturne《メタモルフォーズ・ノクチュルヌ》によって獣形を得た彼は、その肉球で空気のゆらぎすら読みながら、リンドーへと近づいていく。

「敵地で食い倒れた挙句爆睡とか、どんだけ頭ハッピーセットなのよ」
 声と共にひとつ、不定形……まさに無形の影。
 広場の照明が届かぬ片隅、そこに何かが“立っていた”。否、それは最初から存在していたのかもしれない。空気の流れも足音すらも乱さぬその身のこなしは、まるで舞台袖から音もなく現れる女優のよう。月の光さえもその正体に届かず、ただ気配と香りだけが存在を証明している。金髪の束を揺らしながら、カンナ・ゲルプロート(陽だまりを求めて・h03261)はゆるやかに歩み出る。その眼差しには、長研ぎ澄まされた静謐と "見る者" の覚悟があった。
 彼女の影は、まるで意志を持った絹のように足元から広がり、静かに、確実に、眠れる獲物へと手を伸ばしていく。 

「……しめしめ、熟睡してるな」
 黒猫――アドリアンの目が細められる。彼の赤い瞳は冷静にリンドーの寝息を計り、上着のポケットへと前脚を差し入れた。
「盗むのに集中しすぎて、相手の挙動を見逃さないようにね。街中の殺し合いは好きじゃないわ」
 カンナは肩をすくめ、リンドーの姿を一瞥すると小さく息を吐いた。その様子はまるで「まったくもう」とでも言いたげで、長い金髪をふわりと揺らしながら姿勢を整える。
「分かってるって、僕は睡眠のプロだよ? 起きそうな挙動なんて空気の動きでわかるって」
 ポケットからするりと抜き取ったのは、怪異の封印ケース――『クヴァリフの仔』。その手際に、彼自身も思わず尻尾を一振りする。
 カンナはリンドーの隣にそっと膝をつくと、彼のアタッシュケースへ手を添えた。
「さて、ここに “仔” がいるなら……」
 カンナの指先から淡く赤い光が滲み、視界にノイズ混じりの映像が走る。それは過去数時間の記憶。ケースに収められる瞬間、鍵が閉まる金属音。その直後――リンドーが片手をポケットに入れる一瞬。鍵がポケットではなく座面の隙間に滑り落ちていく様子までが映った。
「鍵は……やっぱり、身体の下ね。動かしたら起こしかねないし……仕方ないわ」
 彼女は集中する。自分の影をさらに細く伸ばし、ベンチと身体の隙間に器用に差し込む。指先のような動きで鍵をすくい、ゆっくりと引き抜く。
「……ふふ、学習能力のない男ってほんと、こういう時にだけ便利よね」
 アタッシュケースの鍵穴に合わせ、静かに開けると中には──ぬらりと揺れる柔らかな光。
 封印されていた、もうひとつの『クヴァリフの仔』だった。カンナは再びサイコメトリーで仕掛罠がない事を読み取ると、それごと丁寧に封緘したまま持ち上げる。
「よし……確保完了」

「カンナ、リンドーさん全然起きないけど、悪戯でもして帰る?」
 元の姿に戻ったアドリアンがひょこっと現れた。口元には好奇心に満ちた笑みが浮かんでいる。
 カンナにとって "悪戯" は、刃物よりも雑に使われるもの。敵を侮る行為は、どれだけ眠っていようと尊厳を削る下策。軽蔑する相手ほど、徹底的に一部の隙無く美しく仕留める。それが彼女なりの矜持であり、振る舞いの美学。
「こら、無駄なリスクは背負わないの」
 それは彼女の即答だった。口調こそ柔らかだが、その目には確かな警戒と知性が光る。
「殺し合いの最中の挑発ならいざ知らず、他者の尊厳を軽々しく貶めるのは品がないわ」
 その言葉にアドリアンが肩をすくめて笑った。
「たしかに無駄なリスクを背負う必要は無いか」
 ふわりと風が吹き抜け、静かな広場からふたりの姿が足音も無く夜闇に溶け込み消えていく。
 残されたのは、変わらずベンチにもたれて夢を見続けるリンドー・スミス。その荷物は静かに減り、しかし彼は何も気づかないまま――絹の影と紅の意図だけを残して、夜が深まっていった。

現在のクヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×46

一百野・盈智花

●眠れる者の終局、女王の一手
 夜風が冷たい公園のベンチで、リンドー・スミスは深い眠りに落ちていた。姿勢を緩く崩して眠るその姿は、まるで酩酊したサラリーマンのように見えるが――彼は一滴もアルコールの類を摂取していない。そこには、世界の法則とは異なる "何か" が、ひそやかに介入している。
 空間が揺れる。花びらが一枚、逆さまに落ちた瞬間。視界の隅がノイズをはらんだようにチリチリと歪み、その存在が霧のように現れ出た。紅いドレスを纏った女性の怪異。微睡みの眼を伏せたまま、重力を持たぬかのように浮かぶその姿は、まるで映写機の不具合で焼きついた幻影のよう。輪郭は時折ノイズに滲み、明滅し、|無音の《・・・》囁きがその姿から溢れてくる。目を閉じたその貌に、意志の色はない。ただ、夢の深層を手招くような優雅な気配を纏い、赤き影だけがリンドーの精神を眠りの世界へと縛り付けている。
「はい、お疲れー。……って、マジで寝てるし」
 底冷えする奇怪な空気を破るように現れたのは、一百野・盈智花(災匣の鍵・h02213)。あどけなさを残す金髪の少女が、呆れかえりながらベンチに目を落とす。|赤き夢の女王《ソムニウム・ルブラ》。それがリンドーの眠りの真相。気づかぬうちに微細な催眠暗示にかけられていた。盈智花が秘密裏に√能力を行使していたなど、その時の彼は想像もしていないだろう。
「仕事うまくいったからって、敵地のベンチで寝落ちって……パパ、ちょっと緩すぎじゃねぇの?」
 彼女は言葉を吐き捨てると、しゃがみこんでリンドーの内ポケットに手を差し入れた。
「さてさて、良いもん持ってるかなっと」
 狙いは "|Duplicrux《ドゥプリクルクス》" のオリジナル。リンドー自身が複製体である為、『呪いの合鏡』自体もレプリカ状態である可能性が高いが……本物があれば一級品だ。
「っと……これは?」
 小さな板状の何か。レプリカには持ちえない、濃密な怪異の気配。『呪いの合鏡』のオリジナル、その片割れの一枚を "この" リンドー・スミスが持っていた。
「マジかよ、合わせられないんじゃ複製も一体だけって事じゃねーか。……遠慮なく頂くけどさ」
 冷静に荷物を検分し、使えそうなものは持ち帰り、残りはそっと戻す。
 風が通り抜け、夜桜の花びらがふわりと落ちた。
「ったく、こんなトコで寝て風邪ひかないといいけどな」
 盈智花は立ち上がり、リンドーのコートの前をそっと整える。まるで一瞬、ほんの一瞬だけでも、彼女の中に“情”のようなものが過ったかのように。
「……|孤独《ソロ》のグルメも悪かねーけど、誰かと食うってのも楽しかったのは事実だしな」
 そう呟くと、盈智花はベンチから離れ、リムジンの方角へと歩き出す。任務の締めくくり、残りの“仔”を回収するために。

 リンドー・スミスは、相変わらず夢の中。
 かつての戦友との再会、遥かな夜桜、少女との歩み。
 それらの全てが幻想であると気付くこともなく、彼はただ静かに眠り続けていた。

現在のクヴァリフの仔の奪還数(累計):👾×47

―――
――



●See You, Sweet Disaster - Mr. Smith!
 翌朝。『呪いの合鏡』の効果が切れ、複数のリンドー・スミスが一つの座標に収束する。再統合を果たした瞬間、彼は漸く目を覚ました。
「Nn゛....Ah, 随分と良く寝てしまった。……異国の友人達も流石に帰ってしまったようだね」
 スマートフォン越しにリムジンの回収を部下に命じつつ、自分も帰還手段である空間の揺らぎの前に立つ。
「さらばだ、美食の宴に酔いしれるグルメの国。……全く、我が国の旗が翻らぬとは不愉快極まりない」
 彼なりの賛辞を残し、|連邦怪異収容局《FBPC》へと帰還するリンドー。
 ……マスカラ・アイシャドウ&チークをバッチリキメつつ、顔には落書き、キャラものの眼鏡、頭にはキャラクターカチューシャ、胸元にはハートのペンダント、下着+Yシャツ一枚の不審者が、|連邦怪異収容局《FBPC》に着弾したのであった。

 後日、彼に関しては
 ・上層部の呼び出しに得意満面で足を運ぶ
 ・仲良くなる為と称し、気安く幹部をファーストネームで呼ぶ
 ・トランクの中身の事だが、との詰問に「気に入って頂けたかね」と返しブチギレられる
 ・慌てて「こんな事もあろうかと」とポケットから取り出したのはお菓子セット
 ・リムジンを見てみろ! と怒鳴り飛ばされ、愛車のファンシーさに絶句
 ・怪異ほぼ全滅してるじゃん何があったの
 ・個人口座預金の残高が無く、次の給料日までお菓子と|ラセットポテト《無一文男の親友》で凌ぐ
 との噂が情報筋から伝わって来たそうだ。

【業績評価報告書:リンドー・スミス】
 評価期間: 会計年度第2四半期
 評価責任者: 統括局長(P.バンス)

 ■成果
  『クヴァリフの仔』の国際回収作戦を積極的に開始。
  対象地域での高い認知度を維持(好ましくないが、現在の行動パターンとは一致)。
  現地での展開に強い自主性を発揮。
  > (注:飲食による“外交的交流”を自発的に実施――許可されていないが創意工夫と見なす)
 ■主な懸念事項
  損失率:47体中47体。対象の回収および保持に完全に失敗。
  作戦上の脆弱性:脅威察知および自己防衛における重大な欠陥有り。

 【評価レベル:要改善】
  賞与対象から一時的除外
  国内の低リスク部門への一時的配置換え

 ■備考:
  「スミス職員の意欲と自主性は評価に値する。だが、“囲い込まない収容”は単なる観光である」
  ― 内部通達より抜粋

 ■ 添付資料(以下の経費申請は却下済み):
  カスタムリムジン1台(損傷補償対象外)
  高級食事レシート複数件分
  テーマパーク入場料



● ――??
 こってりと上層部に絞られ、しょぼしょぼと歩く男。彼の足元の影が、ふわり、ふわりと不自然に鼓動する。
「Ah、そうだ――そうだったな。怪異群修復の為に割かねばならないリソースは重かったが」
 情けない足取りは、徐々に確りした物へ。胡乱な思考は急速に冴えを、鋭さを、冷酷さを取り戻してゆく。
「漸く終わったか……。Huh, それにしても随分と子供じみた振舞をしてしまったものだな」
 嘗て、√能力者との激戦で壊滅状態に追い込まれた怪異群。その戦力を回復する間だけの能力低下。ボーナスタイムに永続は無いように、彼の弱体化もまた限られた一時的なものであったのだ。
 カツン、カツン――。
 靴底が奏でる硬質な音と共に、リンドー・スミスはニヒルな笑みを湛えながら顔を上げる。
「|親切な彼等《・・・・・》の顔は全て覚えているとも。次に会う時は覚悟し給え、|楽園《√EDEN》の諸君」
 その言葉は復讐の誓いか。それとも――。

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挿絵イラスト