21
美味探訪★スミスのグルメ!
●No Credit, No Monsters, Just Dinner
アタッシュケース内部に構築された怪異収容特殊空間に揺蕩う、ぼんやりと鈍い光を放つ有機的な物体。クヴァリフの仔……脈打つ心臓のように微細な波動を発している "ソレ" を眺め、男は満足そうに頷く。
「I'll Put away......収容っちゃうよ、と」
どこか芝居がかった、けれど妙に軽やかな台詞と共に、彼はアタッシュケースを静かに閉じた。金属錠がカチリと鳴ると、怪異の放つ不穏さが僅かに薄れる。
Alright、Alrightと小さな呟きと共に、"ごく普通のリムジン" のトランクへと次々に無数のアタッシュケースを納める男は、『リンドー・スミス』。
アメリカの「FBPC(連邦怪異収容局)」に所属し、アメリカの繁栄の為だけに怪異の新物質を奪おうとする……所謂、敵勢力のエリートである。
「今回は楽園の能力者の妨害を受ける事も無かったか。まぁ、彼等が捕捉できない程に私の星詠みが高度だったという事かね」
労せず新物質の手掛かりが手に入り、被害もほぼゼロ。上層部からの覚えもめでたいだろう。であれば、彼が内心ウッキウキになるのも無理もない。
こうしてクヴァリフの仔はリンドー・スミスの手に渡ってしまいましたとさ。
――
―
「はい、奪われちゃいました」
√能力者達の雑談で賑わう一角。長机の前で、「星詠みの少女」――神童・裳奈花(風の祭祀継承者・h01001)は、「てへー」と悪びれも無く報告する。
なんだ予知じゃなくて被害速報か……ときみたちは背を向け、それぞれの話の続きへと戻るのだった。
-完-
「待って待って違うのおおお!! というか始まってもないのに終わらないで!!」
星詠みの少女は必死の形相で食い下がる。
「ここからでも巻き返せる一発逆転の手が残ってるんだよ、リンドーが "独り打ち上げ" してる間にクヴァリフの仔を奪還して欲しいんだってば!!」
――なにて???
怪訝そうな顔をするきみたちに向けて、星詠みの少女はホワイトボードを引っ張り出して説明を始めたのだった。
==============================
ミッション:『クヴァリフの仔』を盗みだせ
一仕事終えたリンドーは、連邦怪異収容局へ帰還する前に「日本のグルメ」を堪能しようと計画。
彼をさりげなく「旨いメシ」に誘導し、満腹状態からのうたた寝を誘発せよ。
第一章は日本各地のグルメ旅、第二章は恐らく居酒屋さん(未成年はノンアルコール)でのやり取りとなる。
彼が寝入ったその後は、起こさないように『クヴァリフの仔』をくすねて撤収する。
==============================
「えー、こほん。彼は非常に強いので、今回は正面からの戦闘は避けるようにお願いしますね」
キュポ、とマーカーの蓋を閉めて裳奈花は向き直る。
「クヴァリフの仔はリムジンのトランクにみっちり積まれてます。入りきらなかった分は、彼が上着のポケットやらビジネスバッグに入れて持ち歩いているようですよ。油断しきってる怪異オジサン……もとい、リンドー・スミスに一泡吹かせてやりましょう!」
威勢良く締めくくり、ぺこりと一礼する裳奈花。その表情は――
(星詠み合戦で負けた分、ヒドイ目に合わせてやるんだから……!)
大分私怨が混じっていたのだった。
これまでのお話
第1章 日常 『観光地へ行こう』

●
紙巻き煙草に火を点ける。
ふわりと燻る紫煙は――
「Umm、流石は日本の誇る銘柄MAI-SEN。食欲をそそるFryed-Flavor、癖になりそうなくらい怪異な味わいだ」
何処かで聞いたような、しかし明らかに「違うそうじゃない」感満載の煙草を喫ってご満悦のリンドー・スミス。良い仕事の後の美味い一服の後は――そう、当然旨いメシ!
「さて。毎度のことながら、私が有能であるが故に行動時間はたっぷりと残っている。この時間で勝利のDinnerをゆっくりと味わうのが私の楽しみなのだ」
掌を擦り合わせ、ニタリと笑うリンドー。悩ましいのは何処で何を食べるべきかという点だが、有能な彼はそれについても既に解決策を用意してあるのだ。
彼はコートの内ポケットを探り、二枚の鏡を宙に浮かべた。続々と革靴の硬い音を響かせ、鏡像の世界より複数のリンドー・スミスがこちら側へと降り立つ。
Duplicrux……『呪いの合鏡』とも称される、対象を無数に複製する怪異。その怪異が生み出したるは、全員がリンドー・スミスで構成された小隊。まさに脅威と言う他ない――が。
「方々に散り、この国のグルメを堪能して来たまえ。集合した後は、それぞれ味と満足感の共有を行う事」
……何という怪異の無駄遣い。普通はもっとこう、電撃的な奇襲作戦とかするんじゃないの?
「Ah, 待ちたまえ。大事な事を忘れていた」
リンドーは猛禽のような目を鋭く眇める。
「各自、お土産を忘れないように」
……人差し指をぴんと立ててそう語るリンドーは、大変オチャメだったとか。
●それは宝石のような果物の芸術で
八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)は決死の覚悟でドアを押す。若干重いドアが開くと同時、「ウェイッ」という謎の入店音……は当然無く、カランコロンと心地よいカウベルの音が歓迎した。店内に漂うフルーツとミントの瑞々しい香り。そして並ぶスイーツはどれも煌めいて見える。財布の中身を思い出し、彼は一瞬だけ目を伏せた。
「た、高そう……だけど、でも……し、仕方ないんですッ。ね、メガちゃん店長。ねっ……!」
その言葉に、隣に立つサイボーグ青年──オメガ・毒島(サイボーグメガちゃん・h06434)は静かに頷いた。眼鏡の奥、瞳は真面目そのもの。
「ええ。ですが、これは必要経費です。怪異を追う我々に必要なのは、情報と覚悟と……栄養ですからね」
「え、えっ、そ、そっか……栄養……!」
出迎えの店員にテーブルまで案内されつつ、オメガの声に真人は目を輝かせる。イイ仕事はイイ栄養から! 流石メガちゃん店長分かってる!
二人が居るのは、地元で話題になっている季節のフルーツパフェ専門店『果実園パラディゾ』。この店から、"怪異の気配(のようなもの)" が微かに感じられた。……ような気がしたのだ。
「で、でも……リンドーさん、ここにいるかも……しれないですよ? ね? メガちゃん店長……」
「可能性は否定できません。だからこそ、我々が先手を打つのです」
そして注文から待つ事暫し。木製のトレイに乗せられて運ばれてきたのは、背の高いグラスに美しく盛りつけられた『季節限定・DX苺パフェ』(税込2,640円)。赤桃に染まった果肉が、まるで濡れた宝石の如く艶めいている。中段のミルクジェラートとカスタードクリームの層が、鮮やかな赤を引き立てていて……これはもう、芸術だ。
「ま、眩しいッ……輝いてるッ……」
一口すくって口に運べば、果汁がじゅわっと広がる甘酸っぱさと、優しいミルクのコクが舌の上で溶け合っていく。
「お、おいしい……!! おいしい、おいしい……」
気がつけば真人はもう夢中。スプーンを動かすたびに、甘さの層が変化していく。苺、クリーム、ゼリー、また苺。言葉が、語彙が、追いつかない。
続いて、オメガの前に運ばれたのはプレミアムマスクメロンパフェ(税込3,850円)。ふわりと拡がる甘やかで芳醇な香りに、メガちゃんの思考が一瞬停止しかけた。グラスの上段には、繊細にくり抜かれたメロンの果肉が、生クリームのクッションの上に美しく並べられている。中央には雪のように白いバニラアイスと、淡いグリーンのメロンジェラート。その下には、新鮮な果汁を使ったメロンジュレと、キラキラ光る果肉入りのシロップ層。
「……瑞々しい果肉、芳醇な香り、溢れる果汁、糖度の暴力……」
けれど、それが決して下品ではない。フレッシュな生クリームとの相性が絶妙で、味がぶつからず、まろやかな甘さに包み込まれていくような体験。
「おいしい。おいしい、です」
リンドーがいないかしっかり見張っておく……という話は、完全に頭から飛んでいた。彼らの脳内は、すでに "勝利の味" で満たされていたのだ。
「……メガちゃん店長のも、おいしそう、ですね……ひ、ひとくち、交換しません、か?」
「ええ、ええ。私も、そちらの苺が気になっておりました」
じゃあ一口分、とお互いのパフェを交換しあう二人。ああ、何と素晴らしい体験か。その幸せそうな甘味のやり取りを、店の隅でメニューを手に取ったまま難しい顔で凝視する者が一人居た。
「Hmm……彼等のリアクション、実に参考になる」
両手を組み、唸り、遠くを見つめ、またメニューをめくり、そして再び真人とオメガをチラ見する男――連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』。
「苺か……否、メロンも……うむ……選べん。どちらも甲乙つけがたい。であれば――」
迷いに迷った挙句、彼はバサリとメニューを閉じ。
「両方、いただこう」
無駄にキメ顔で頷き、店員に声をかけて注文する。その後、リンドーのテーブルには苺とメロンのパフェが同時に鎮座することとなった。
「美しき紅蓮の果実。そして翠の香気。ふふ……これもある種の“ニューパワー”か」
まずは苺。続いてメロン。交互に、時に同時に。幸せそうに目を細め、食べ進めるスプーンの手が止まらない。
とろける甘さが、胃袋だけでなく、精神までも緩やかに包み込んでいく――。
その後。
「戻ったら博士に自慢しましょう。……八手さん、領収書を忘れずにお願いします」
「りょ、了解ですっ。全額経費で落ちるって、言ってましたもんね」
テーブル会計を済ませ、席を立つ。ふと、オメガが辺りを見回した。
「……ところで、リンドー氏は……いましたっけ?」
「えっ。ええと、い、いなかったかも、ですね……?」
彼等は知らない。自分達の行動が、リンドーに『急激な糖分摂取』……いわゆる血糖値スパイクという名のえげつない時限爆弾を打ち込んだ事を。
●春の午後、その日差しはレモンミルクのように
「任務ついでになっちゃうんだけど、ちょっとお出かけしない?」
そんなふうに声をかけられたのは、休日の午前。不忍・清和(守理絢アクセプターのヒーロー・h00153)は、カレンダーに“予定なし”のマークを見つけていた。
「?」
カレンダーの持主である妹、不忍・ちるは(ちるあうと・h01839)が小首を傾げたのは、つい先刻。緑豊かな郊外の往来を、仲の良い兄妹はのんびりと歩いて行く。
「そういえば、ここのあたりに甘くておいしい有名なお店があるらしいのだけど、付き合わない?」
「うん……っ!」
甘くておいしい何かが分からないけど、兄さんが言うなら間違いない。次の瞬間にはもう、全幅の信頼で頷いていた。その声はすれ違ったリンドー・スミスの耳にも届くように、ちょっぴり大きめで。甘味に誘われる気配が、風に乗る。
「ふわふわのパンケーキ……!」
お店のガラスケースに貼られたメニューを見て、思わずほわああと声を漏らす。しかも、兄さんが選んだ店と自分の「すき」が重なってる。嬉しい。メニューに並ぶスイーツは、全部美味しそうで困る。
「イチゴとキャラメリゼバナナ……2皿頼んでいい?」
ちら、と兄さんを見上げて小声でご相談。申し訳なさそうに見えて、その目はもう“決めている”。
「大丈夫。ふわふわのパンケーキは、実質ゼロだから……」
すっと真顔で続ける、ちるはの持論。――ふっくらスポンジのきめ細かな気泡のカロリーは、きっと虚無。フワフワしっとりの生地と、甘さと幸せの相乗効果で相殺される。つまり、これはゼロカロリー理論。完璧。
「なるほどね?」
清和はちょっと笑って、しかし否定はしない。この瞬間だけは、彼女の世界が真理に思えてくるのだから不思議だった。
清和のパンケーキがテーブルに運ばれる。最もスマートであり、その分誤魔化しが効かない "ロイヤルクラシック"。しかしながら、立ちのぼるバターとメープルの溶け合った上品な香り。そしてツノの立ったホイップクリームは、これ以上無いほどの鮮度を保証している。
その完成度に、ちるはもワクワクが止まらない。程なくして、煌びやかなパンケーキがテーブルに運ばれて来た。
ふわふわのパンケーキが二段。その上に、宝石のように艶やかな苺がたっぷりと盛られている。とろりとかけられた苺ソースは、まるでルビー色の雨。淡い甘さのホイップクリームと、粉雪のような粉糖が鮮やかな赤を引き立てている。ナイフを入れると、ふしゅっという空気の抜ける音。口に運べば、パンケーキのほんのりとしたバターの香りと、苺の酸味が絶妙に重なり合う。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がり、軽やかな生地がふわりととろける。冷たい苺とほんのり温かいパンケーキの温度差が、なんとも言えず心地よい。まさに“王道のご褒美スイーツ”。
そしてやや遅れて――香ばしく焼き上げられたバナナの香りが、運ばれてくる前から空気を甘く染めていく。テーブルに届けられたパンケーキの上には、キャラメリゼされたバナナの輪切りが贅沢に並んでいた。ほろ苦さと甘さが絡んだ独特の香ばしさが立ちのぼる、表面のキャラメルはほんの少しだけパリッと音を立てて崩れ、バナナのやわらかさが中からとろり。ひとくち食べれば、温かくて濃厚な甘みがじゅわっと広がり、バターの香る生地と一緒に口の中でとろけていく。そして、バナナのまったりした甘さのあとから、キャラメルのほろ苦さが追いかけてくる。何口でも食べたくなる“ちょっと大人なパンケーキ”。
口の中でとろけるような食感に、ちるはの表情は幸せそのものだった。パンケーキを頬張る妹の姿を見ながら、清和は思う。
「幸せそうに美味しく食べるのは、ほほえましいね」
自分もフォークを動かし、にっこりと笑う。こんな、日常みたいな任務があってもいいんじゃないか。
その傍ら、二つ飛ばした先の席には。
「Umm……この“ホイップ・オン・ザ・ホイップ”なる一皿……スフレは舌の上で霧散し、ホイップはLike Celestial Lambclouds……かつて天より降りたマナでさえ、かくも甘くはなかっただろう。まさに、Heavenly Buffet……」
まるで脳までスフレになってしまわれたかのよう。英語と日本語の境界をあやふやにしながら、妙に満足げな声が聞こえる。プレスの利いたダークスーツの袖口。手元はナイフとフォークの上品な扱いが目を惹く。
リンドー・スミスである。
その姿に、ちるははこっそりと見惚れてしまう。
(おじさまとパンケーキって、似合うなぁ……)
ふと目が合った気がして、思わずにこにこ。――甘味スキー同志の念、届け。
「兄さん、ラスクも買って帰ろ?」
帰り際、お土産コーナーに視線を向けながら、ちるはがぽつり。その声はしっかりと、リンドーにも届くように。さりげなく。
「そうだね、ちる。帰ったらお茶でも淹れて、一緒に食べようか」
ラスクの袋を手に取る清和。サクサクな歯触りの "満腹への罠" は、確かに張られた。
甘くて静かで、ちょっとだけ怪異な午後のはじまりが、ゆったりと過ぎて行く。
●出雲の隠れ路、ゑひもせす
「リンドー・スミスが島根に!? これは、千載一遇のチャンスでございますよ!」
興奮気味に声をあげたのは出雲・甘醴。頭の回転キレ小気味良し、人当たりも温和で良し。良し良しと来てもう一つ……大変にノリが良し。そんな彼がこの機会にじっとして居る等、聊か無理難題であったのか。
「引導ミミズが出雲観光だあ!? 人気の名所に連れ出して、八百万の神々にボッコボコに」
そういうのは今回ナシですよ、と甘醴にツッコミを入れられたのは久斯之神・少名毘古那。
「甘醴が偉いさんの世話だなんて、ちゃんとできるのかねぇ」
呆れ気味の妹、出雲・黒酒が半眼で甘醴を見遣ったが、そこは兄妹。阿吽の呼吸。兄貴が止まらない事は百も承知と、頭の中でアテを探り始めている。
「とはいえ、実力行使は禁物でございますよ。『ニューパワー』で興味を引いて、遠回りさせ、じわじわと体力を削る作戦で行きましょう」
そんな兄妹のやり取りを聞きながら、黒酒の髪飾りに隠れた少名毘古那が呟いた。
「まったく、今回は大乱闘じゃねぇってんなら、おいらはしっかり隠れてるからな。ちゃんと指示通りに動けよ、甘醴」
身長3センチの神は、リンドーの目には新物質候補として映る可能性がある。収容っちゃわれたら大変だもんね。
さてこちらはリンドー・スミス。気の向くままに流れ流れて出雲の地に来てみたは良いものの。
「Hm, 店が多いな……」
賑わう通りは何処も煌びやか。頼りになる筈の業務用通信機は電池切れ。ガイド無しでは何処に入ったら良いか分からない。往来にポツンと一人、キョロキョロと周囲を見回す様は迷子のようではないか。取り敢えず適当にカフェにでも……と歩き始めたリンドーを、グイと力強く掴んだ手があった。
「ちょっと! あんた見た所、観光客だね? 案内するよ、ほら名前は?」
「あ、ああ、どうもご丁寧に。リンドーという者だ。丁度ガイドを探そうかと思っていた所で……」
威勢の良い黒酒の声に若干怯むリンドー。そして、黒酒の後ろから柔和な笑みを浮かべた甘醴が顔を出す。
「ようこそ島根へ、リンドーさん。今回は、出雲の隠れた新物質をご案内いたしましょう」
新物質の単語にピクリと反応するリンドー。これが普段通りならば即座に警戒したであろうが……残念だけど、これトンチキなのよね!
「ほう……!それは是非とも拝見したいな。できればじっくりと調査……あぁいやいや、堪能もしたいが」
秒で承諾する『連邦怪異収容局』のエリート、リンドー。チョロい。
「行き先はこの国の城かね?」
眠れる怪異なのであれば、是非とも呼び覚まして収容したい。だってほら、城が変形して巨大な怪異になるって、男の子にとっての永遠のロマンじゃん?
「松江城もいいのですが、もっとニューパワーですよ! あの世とこの世の境目と言われる場所です。好きでしょこういうの!?」
自信満々に向かったその先は、『黄泉比良坂』。神話に名高い場所だった。
「……これはまさしくニュー・パワー・スポット、実に興味深い。此処にはさぞ凄まじい怪異が眠っているのだろうね」
――怪異じゃなくて神だけど。それはさておき手帳にメモを取るリンドー、順調に食いついております。
「それじゃあもう少し歩きましょうか。はい、まだまだ奥でございますよ!」
「あ、ああ、ずいぶん歩くのだね……?」
松江駅から此処まで10㎞強。不思議に思いつつも歩き出す、ややお疲れ気味のリンドーの背後から黒酒がひょいと出てくる。
「あんた達、ちょっと待ちな! まずは観光地のB級グルメだよ! 出雲の新物質を見せてやる、ついてきな」
B級グルメと新物質が結び付く国、ジャパン。まぁデビルフィッシュと嫌悪される蛸ですら美味しく食べる国民性だし。新物質食べててもおかしくないよなぁ、とリンドーは思わず唸る。
「日本の神話に、大国主様というすこぶるイケメンなお人がいてね……彼の武勇伝の1つに、鰐から白い兎を助ける話があるんだ」
ウサギと聞いてミートパイを思い浮かべるリンドー。成程、首切り兎は確かに美味いかもしれない――と思ったその矢先、見透かしたような黒酒の視線が突き刺さる。
「今 "兎料理かな?" と思ったりしなかっただろうね……違う、鰐の方だ。ワニって言っても、ここいらじゃサメのことをワニって言うのさ」
「うさ……サメ……、ワニ」
サメの絵に『ワニ』のテロップ、ルビには『USAGI』。あーあ、リンドーさんの背景が宇宙に行っちゃいました。
甘醴と黒酒が案内したのは、出雲の町外れにある隠れた名店『霧の橋』という料亭だった。木々が生い茂る静かな小道を抜け、苔むした石段をゆっくりと上がると、竹林の中にひっそりと建てられた木造の一軒家が現れる。板塀に囲まれた中庭には大きな水盤が置かれ、陽光を反射して室内の天井に光の細波を作っていた。
「さあ、こいつが『ワニの煮付け』だよ」
大皿に盛られた琥珀色の料理は、丁寧に飾られた青葉と共に、見た目にも美しい仕上がりだった。
「これがサメ料理……!」
リンドー・スミスは瞳を輝かせる。醤油とみりん、砂糖で甘辛く煮込まれた身は柔らかく、ナイフを入れるとほろりと崩れるほどの煮込み具合だ。
「さっすがに上手いこと煮込まれてるだろう?」
黒酒がにやりと笑う。
「こいつはね、しっかり臭みを抜いてから時間をかけて煮込むのさ。味が染みるまでじっくりとね」
リンドーがひと切れをフォークで取れば、艶やかに煮汁をまとったサメの身がわずかに揺れた。口に運ぶと、まず舌に甘辛い風味が広がる。しっかりとした味付けながらも煮汁の濃さは絶妙で、サメの肉の旨味を見事に引き出している。
「これは……旨い! 実にスパーブだ! 柔らかいのに歯ごたえも残っている。ニューパワーとも言えるようなコクが染み出してくる……!」
リンドーは目を輝かせながら、次々と煮付けを平らげていく。その様子を見て、甘醴と黒酒は目配せし合った。
「お土産には法事パンを持っていきなよ。ほら、仏花の絵が描いてあるだろ? ニューパワーぽいだろ?」
完全に甘醴と黒酒のゴリ押しに巻き込まれたリンドー・スミスが満足そうに微笑んだ頃、髪飾りから小さな声がした。
「おい甘醴、仕上げに出雲大社へ連れてけ!」
「最後に、出雲と言えばこちらでございます。出雲大社、ここはマストスポットですよ」
「せっかくだから参拝しようではないか。何か決まった作法はあるかね?」
「『二礼四拍手一礼』でございます。島根独特の礼法でございましてね」
少名毘古那から教わった通りに紹介する甘醴に対し、さらりと作法を尋ねるリンドー。コイツやはり仕事出来る系の男……! 教えられた通りに丁寧に礼をしている間、甘醴と黒酒は目を光らせ、ビジネスバッグや上着のポケットをチェックする。
――確かにバッグは厳重に抱えて放さない。しかし上着の胸ポケットや内側にも何か入れているようだ。
(まずは持ち物の確認完了です。あとは食事で油断させれば……!)(よしよし、これで作戦通りだねぇ)
「うん……? 君たち、何か熱心に私を見ていないか?」
私の顔に何かついているのか? のニュアンスで怪訝そうに聞くリンドー。
「あっ、いえ、ニューパワーに満ちたお姿がつい目に眩しくて……」
「そうだよ、アンタは眩しすぎるくらいだよ」
兄妹は咄嗟ににっこり笑ってごまかした。
――出雲大社の巨大なしめ縄を背に、リンドーは満更でもない顔をする。
黒酒の髪飾りの影で、少名毘古那はちっちゃな腕を組んで呟いた。
「よぉーし、いいぞお前ら。この調子で引導ミミズに、酒で引導渡してやれぇ!」
●
「……えっと、裳奈花さん、どんまい!」
「裳菜花さんはどんまいなのです!」
見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)と椿之原・希(慈雨の娘・h00248)は純度100%の優しさでフォローの言葉を投げただけ。バ○ァリンですら50%止まりなのに、その倍ってスゴイ・ヤサシイ。
なので二人は何も悪くない。
悪いとすれば。
「違うんだってば、今回はボクが予知をミスったわけじゃないの、お願い信じてえぇぇぇ!!」
膝から崩れ落ち、"るー" と目の幅涙を流す少女――神童・裳奈花という星詠みの、おっちょこちょいな日頃の行いが悪いのである。
「裳奈花のやる気が満ちとるなぁ……心配せんでもちゃんと連れて帰って来たるよ」
「みゅううぅぅ、だんちょ……!」
安心させるような『だんちょ』こと一・唯一(狂酔・h00345)の声に、みるみる内に立ち直る裳奈花。スライムメンタル再生早ぇな。
(――折角苦労して手に入れた仔なんやから)
唯一の脳裏に、短い触腕を懸命にこちらに伸ばしていた『落とし仔』が過ぎる。その仔も再び収容されているのだとすれば、動かずには居られないのだ。
「ではでは、お手数をお掛けしちゃうけど……改めて!」
行き道退き道風の道、科戸の風が共に在りますように――祈祷の祝詞を5人の背に送る。
「ここは私達が華麗にご飯を食べて、リンドーさんからクヴァリフの仔を奪っちゃうので安心してください」
「じゃあ、行て来るわぁ」
「お力になれるよう、がんばります」
「行って来るでごぜーますよ」
「行ってくるの!」
元気な言葉に、裳奈花もブンブンと大きく手を振って見送るのだった。
●クレープ、クレープ、クレープづくし
さて。
異世界に通じる道を抜けた先は、桜がほころぶ風景。風に舞う薄紅色の花びらの中、公園の一角では地元のマルシェが開催されていた。香ばしい焼きそばの匂い、パチパチと焼けるたこ焼きの音。穏やかな陽気と人々の笑顔に包まれて、そこは小さな『春の祝祭』のようだった。
「おおぅ……これは、目にも鼻にも美味しそうでごぜーますなー……」
ひょこりと屋台の陰から顔を覗かせるのは、しなやかな黒い体毛に学ランを着た……子猫?
その正体は "怪談になりそこねた小さなオバケ" 、十・十(学校の怪談のなりそこない・h03158)。現在は "憑依合体" 中。子猫の幽霊と一体化して、学ラン姿の猫となっているでごぜーます。
「……でも、ボクは食べれないでごぜーますので。子猫の姿なら、食べれなくてもなんとかなるでごぜーますよ」
囮になる気は満々だったが、「囮になる気やったら十は連れて行かへん」ときっぱり釘を刺されてショボン顔になったのは、つい先程の事。しょうがないでごぜーますにゃーとばかり、すとりと軽やかにベンチに飛び乗り、木の枝のスズメたちに話しかける。
「小鳥さん、小鳥さん。この辺りで人気のごはん、なんでごぜーますかにゃー?」
一瞬ギョッとするスズメさんたち。だって猫だよ、『突撃、お前が昼ごはん!』って意味で言ってない?!
「ピピ! チョコバナナ、すごく人が集まってるよ!」
「ピーピ! でも今なら、あっちのシュークリーム屋さんも大人気!」
ごはんにされちゃたまらない、身振り翼振り必死で伝えるスズメさん。
「チョコバナナでごぜーますかにゃ~? んー……基本的なやつでごぜーますにゃ。でも、にゃんとなくリンドーさんには物足りない気もするでごぜーます」
耳をぴんと立て、猫らしくごろごろと喉を鳴らしながら周囲を見渡す。"野生の勘" を働かせ、目に見えないヒントを探っているのだ。
「ふにゃ……なるほどでごぜーますにゃ。いくつか候補は絞れたでごぜーますにゃ」
「ん~、美味しそうなクレープ屋さん、どこかな?」
街中をキラキラした目で見渡すのは、銀髪に青い瞳の小さな少女――紗影・咲乃(氷華銃蘭・h00158) 。
「すみませーん! ねぇねぇ、クレープってどこが一番可愛くて美味しいの?」
人々に無邪気に話しかけ、情報を集めていく。天真爛漫な笑顔は、つい教えたくなってしまう魅力があるのだ。
まず咲乃が聞いたのは、街角で花を売っているお姉さん。
「美味しいクレープなら、この先にある『パティスリー・アムール』かな。つい先日開店したばかりで、賑わってるみたいよ」
「パティスリー・アムール? ありがとうなの!」
ウキウキしながらお店へ向かう咲乃。しかし――
「うわぁ……並んでるの……」
小さな路地の先にあるお店は、可愛い看板が出ていて本当に美味しそう。だけど、店の前には長蛇の列。ちょっと待つには長すぎる……しょんぼりと肩を落としながら、次の候補を探しに行く。
次に訪れたのは、街の中心にある大きな通り沿いの店。『カフェ・エトワール』――お洒落で上品な雰囲気のお店だ。ショーウィンドウに飾られたクレープも豪華、凄く美味しそう! お値段は……なんとビックリ、一つ2,380円!
「……た、高いの……?!」
驚いて思わず後ずさりする咲乃。
「んー……もっと可愛くて、お手頃で、美味しいクレープはないかな……?」
街を歩き回る咲乃は、ちょっぴりお疲れ気味。でも、諦めるわけにはいかないの。リンドーにぃにに美味しいクレープを食べてもらいたいから!
優しい新聞配達のおばあちゃんから聞いた、耳寄りな情報を頼りに辿り着いた先は……公園の一角にある地元のマルシェ。美味しそうな匂いが漂っていて、人々の笑い声が聞こえる。
「わぁ……ここ、楽しそう!」
ぐるりと見渡し、咲乃はふと気づいた。一際にぎやかなエリアにお客さんが集まっている。お店の看板には『ホシゾラ・クレープ』。メニューを見ると、星や月をかたどったトッピングが鏤められ、見た目もキラキラで可愛らしい。
「おばあちゃんの言ってたお店、可愛いの! しかもお手頃なのよ!」
"お月さまクレープ" と "キラキラ流れ星クレープ" 。咲乃は一つを自分用に、もう一つをリンドーにぃにの為に買う。これならきっと喜んでくれるはず!
美味しそうなもの、素敵なものが所狭しと並ぶ中。
「えへへっ、今日は旅団のみんなと一緒にご飯を食べるのです!」
希は楽しげに跳ねるように、そして咲乃はクレープを落とさないよう慎重に歩いていた。ふわふわと春風に揺れる桜の花びらが彼女達の頭上を優しく舞っている。
「あ、あの、希さん、咲乃さんも、待ってください……! 人混みに紛れてしまいそうですっ」
すぐ後ろを歩く、柔和な顔立ちの長身の女性――見下・七三子 は、小さな少女達の足取りについていくのに精一杯だ。
「大丈夫なの、見下ねぇねも早く、早く!」
「万が一はぐれても、匂いで辿って案内出来るでごぜーますにゃ」
スルスルと踊るように人ごみの足元を抜けていく、黒い子猫――十を先頭に、4人はお目当ての場所へと急ぐ。
「……わああっ!」
満開の桜の傍ら、ふわりと甘い香りを漂わせている屋台の前で、希はきらきらした目で立ち尽くしていた。
「十さんと紗影さんが教えてくれた通り、すっごく美味しそうなのです……!」
二人が探し当てた一番の候補は、偶然にも同じ『ホシゾラ・クレープ』だったのだ。十くんに咲乃ちゃん、お手柄!
一方、希は小さな手をきゅっと握って、視線はメニューに釘付け。彷徨う視線が探すのは自分の食べたいクレープと、もう一つ。
「リンドーさんにも、何か食べてほしいな……」
ちょうどそこへ、渋くて胡散臭い……もとい、ダンディな雰囲気のおじさまが通りかかった。すかさず希は、くるりと振り向き――そしてぱあっと笑う。
「もしもし、そこのおじさま! わたし、ちょっと悩んでるのです! このクレープ、いちごとメロン、どちらが良いと思いますか?」
上目遣いで、期待でキラキラした視線を向ける希。"おじさま" こと、リンドー・スミスは思わず立ち止まる。
「It's complicated. ……だが、ここは王道のイチゴが良いのではないかな」
「うふふっ、いちごですか!それじゃあ早速注文しますね」
元気にカウンターに駆けていく希。途中で立ち止まり、くるんと半回転してスカートを翻し。
「あっ、自己紹介が遅くなったのです。私は希って言います! おじさまは何て呼べばいいでしょうか?」
「私か? 私はリンドー。Mr.リンドーとでも呼んでくれれば良いさ」
真っ直ぐな好意は嬉しい物。いつものニヒルな皮肉屋は鳴りを潜め、すっかり和やかな空気を纏うリンドーである。
希が注文したのは、噂に聞く『いちごとホイップマシマシ極大天使ペガサス昇天盛り爆裂クレープ』。
イチゴたっぷり、クリームたっぷり。食用ラメとお星さまのトッピングが散りばめられた、すごく豪華なイチゴのクレープ! ……クレープ生地がもう色々な意味で限界。
「おじさまにもおすすめがあるのですよ! メロンとホイップマシマシ至高サンシャイン必殺爆盛りクレープ、いかがでしょうか?」
その甘美な誘いを断れるほど、リンドーの精神は強固ではなかったよう。
「仕方ない、これも調査の一環だ。店主、ええと、メロンとホイップマシマシ至高……Ah……そう、それ。頂こうか」
――はて、調査とはいったい??
「リンドーにぃに、はいっ!これ、咲乃が買ったの! これも一緒に食べよ?」
咲乃から笑顔で差し出されたクレープを見て、リンドーは片眉を上げる。
「実に可愛らしいクレープだ。しかし、これは私に対する賄賂か何かかね?」
辛辣なようだが、口調はからかいそのもの。何より、リンドーの目にはどこか興味と茶目っ気が混じっている。
「えへへ、違うの!咲乃が美味しいのを探してきたのよ!リンドーにぃにも絶対に好きだと思って!」
咲乃はキラキラとした目でリンドーを見つめる。
「なるほど。君が私の食事を気にかけてくれるとは」
リンドーは軽く微笑みながら、咲乃から "キラキラ流れ星クレープ"を受け取った。
「えへへー♪ リンドーにぃにが笑ってくれた!」
喜ぶ咲乃に、ふと気づいたようにリンドーはレザーケースから硬貨を取り出し、咲乃の小さな手に置く。
「生憎と日本円が無くてね、これで許して欲しい。君に女神の加護があるように祈らせて貰うよ、Little-Lady.」
『1900』の刻印の上に女神らしき横顔が描かれた、何やら金ぴかのコイン。
「わぁ……リンドーにぃに、ありがとうなの!」
そんな希・咲乃・リンドーのやり取りを微笑ましく見守る七三子。
皆のイチオシクレープを見てるだけで、目的を忘れて楽しくなってしまいそう。
「それにしても、最近は、すごいクレープがいっぱいあるんですねえ……」
目の前の屋台は、まるで宝石箱のように華やかなクレープがずらりと並び、どれを選べばいいかますます迷ってしまう。
「えっと……『ずんだ餡』も気になりますし、『椿』っていうのも……お花の形なんですよね?すごく綺麗……」
ひらり。はらり。風が通るたびに次々と降る桜の花びらを、メニュー表からそっと払う。払われても払われても、またひらりと降る沢山の内の一つ。彼女は――ただの戦闘員であった時代も含めて――買い食い経験に乏しく、ついつい目移りしてしまって決めきれない。
「あの、おじさまのおすすめは、なにかありますか……?」
「ああ、私はどちらかというと――」
話を振られたリンドー。流石に口の中が甘ったるいので、うっすいアメリカンコーヒーをトールサイズで飲みたい。が、そんな事を言ったら二人の天使を傷付けてしまう。
「この二つのパフェと、"強いて言うなら" 宇治抹茶というのが気になるかな」
七三子は「宇治抹茶」という言葉に少し惹かれたようで、メニュー表に目を戻した。
「抹茶……ですか。確かに、和風の味も美味しそうですね」
のんびり微笑みながら、七三子はどこかぼんやりと呟いた。
「ああ、こういう時、私がいっぱい居たら、あれこれ沢山食べられるのに……」
その言葉に、リンドーは一瞬ぎくりと肩を揺らす。現在進行形でいっぱい居る内の一つだもんね。
「あれ、希やないの。……凄いの持っとるなぁ……」
そっとさり気なく合流するのは、桜を眺めながら散策していた唯一 。
「いちごとホイップマシマシ極大天使ペガサス昇天盛り爆裂クレープなのです!」
希は得意げに胸を張る。
「ましましぺがさす……なんて?」
――何か変な物マシマシ巨大生物錬金天井盛り爆裂チョコレートでは無い事だけは確かです。ひっでえ事件でしたね、アレ。
「……すごい名前やなぁ」
唯一は感心しつつも、微笑ましそうにメニュー表を眺める。
「おっ、珍しい白いちごあるやないの。期間限定か……これにしたろー」
店員にオーダーを伝え、唯一が注文したのは――
「白い苺とホイップ、キウイソースをトッピング……うん、これで完璧やろ」
そして傍らでメニューと睨めっこしていた七三子にそっと助け舟。
「ふふ、七三子、そんな迷うんやったら皆で分け合ったら色々なの食べれるで?」
「えっ……?」
七三子は驚いた様子で顔を上げる。
「ほら、こういうのは一人で食べるより、皆で分け合う方が楽しいやろ?」
「あ……確かに、そうですね。色んな味を試せたら、楽しいかも」
「うん!希も分けっこするのです!」
唯一はにっこり微笑む。その笑顔に少し安心したように七三子は朗らかに頷き、希は両手を広げて喜んだ。
やがて白い苺とホイップ、そしてキウイソースが美しくトッピングされたクレープが店員から差し出されれば。"ありがとうな" と礼を言い、唯一は嬉しそうにクレープを手にする。
「おぉ、唯一さんも来たでごぜーますかー」
その時、彼女の足元で黒い子猫がひょっこりと顔を出した。
「あら、十。そんなところにおったんね。おいでおいで、果物……匂いだけでもどない?」
手元の瑞々しいフルーツ盛り合わせを差し出しつつ、猫姿の彼を優しく招き寄せた。
「……あー……いい香りでごぜーますにゃー」
学ラン姿のふわふわ子猫は、嬉しそうに尻尾をふりふり、クンクンと鼻を鳴らしてその甘い香りを堪能する。
「咲乃は可愛いのを見つけて来たなぁ、キラキラしとる」
「リンドーにぃににも、オススメを渡したの!」
唯一が目を細めて微笑むと、咲乃はクレープを大事そうに抱えながら、ぴょんと小さく跳ねた。
5人全員、勢揃い。わいわいと賑やかにクレープ談議に花を咲かせる唯一は、ふとリンドーに声をかける。
「ふふ、果物の王様は魅力的やなぁ。やっぱり王道の苺が一番やと思わない? ミスター」
言葉は丁寧、表情は柔和――けれど、その目にはほんの少しだけ、意味深な光を宿しつつ。
「同感だな、Lady. だが、この国のメロンの瑞々しさも中々に捨て難くもある」
唯一の眼光に気付いているのか、いないのか。あくまでも『紳士的な観光者』に徹するリンドーに。
(あの日は暗かったから、よう顔なんて覚えてないよな……)
心の中で呟きつつ、友好的な笑みを崩さない。
「ほんなら、期間限定の白い苺。せっかくやし、ミスターもどう?」
「ほう……。私にオススメしてくれるとは、なかなか大胆だね」
メロンと(中略)爆盛りクレープ、キラキラ流れ星クレープ、白い苺とホイップ&キウイソースクレープ。紳士たるもの、淑女のお勧めは断われない。
此処に、チーム「箱庭」によるリンドー・スミス完全包囲網が敷かれたのであった――!
●特上顕現、己の酩酊を想え
ガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く演奏家・h03764)はぷいっと背を向け、足早に帰宅の途についた。演奏後のステージから退くように静かに、そりゃあもう鮮やかに。血も涙もないとは言いなさんな、開口一番に被害報告なぞを聞かされれば誰だってそーする。
なので。
「だそうだ、ガルレ――」
最後まで話を聞いたジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)は振り返り、続くはずだった親友の名を途中で飲み込む。そこにはガルレアの輪郭線だけが残っているかのようだった。
「――あれ、居ないし」
あまりにも自然に、まるで音も立てずにその場から去っていったらしい。いや、さすがに気配ぐらいは感じ取れたはずだと頭を抱える。
「全く……最後まで話を聞けよ」
肩を竦めながらも、ジョーニアスは携帯端末を取り出した。画面を指先で操作すると、『非公式な情報筋』たちとの連絡用チャットが次々と開いていく。
「リンドー・スミス、特徴は……確か画像情報があったな。街で見かけたら報告を頼む……っと」
ジョーニアスは素早く文字を打ち込み送信する。 ほどなくして端末が細かく震え、『協力者』たちから即座に返答が届き始めた。
『通り沿いの高級飲食店街にて、黒いリムジンと派手な金髪外国人を目撃』『外国人男性が店の前で何やら英文交じりで独り言。かなり嬉しそう』『リンドーと思われる人物、有名寿司店「深苑」前で記念撮影中。店名の看板を熱心にスマホ撮影している』
「大分浮かれてるな……まぁ、間違いないだろう」
確信を得たジョーニアスは満足げに頷くと、すぐにその店の電話番号を端末で調べ、通話ボタンを押した。
『ガルレアー、出かけるぞ! 寿司を食べにいこう!』
ジョーニアスから連絡が入ったのは、ガルレアが既に自宅に戻り、ゆったりと寛ぎ始めた矢先。
ゆったりとソファに沈み込み、傍らのレコードプレイヤーに針を落とせば。微かなノイズを挟んで流れ出す静かなピアノソナタは、緊張をゆるやかに解きほぐしていく。
(今宵も良き音だ……)
柔らかな灯りの下、心地よく響く旋律に微笑を浮かべながら目を閉じた……まさに、その瞬間だった。
「寿司、…ふむ。あまり日常では口にしないが、お前の舌は信用してい――依頼?」
なるほど、例のリンドー・スミスを寿司でもてなす作戦、というわけか。軽くため息をつきつつも、ガルレアの瞳には興味の光が宿っていた。寿司と日本酒、そこには抗いがたい魔力がある。
「では、特上級の寿司と日本酒を存分に堪能させていただこう。対象の接待は任せた。――何、不服か? だが、お前の話ならば『純粋に楽しむ友人』がいた方が怪しまれんだろうが」
しれっとそれらしい言い訳を織り交ぜつつ、ガルレアは身支度を整え親友の待つ高級寿司店へと向かう。
予約を入れた寿司店の前に辿り着いた時、そこに既に客の姿があった。
『おや、あなたもこの店に? 我々も三人で来るはずが一人欠けてしまって。良ければご一緒にどうでしょう?』
目の前にいるのは――リンドー・スミス。ジョーニアスは自然な笑顔を浮かべつつ、堂々と声をかける。
「ここは寿司と、知る人ぞ知る海苔が美味いんですよ。せっかくですし、ご一緒にどうです?」
仕掛けた罠にまんまと誘い込まれることなど知らぬリンドーは、やや驚いたような表情を浮かべ、それから口元を綻ばせる。
「実に興味深い。噂に名高い日本のノリ、それも裏メニューとなれば試さず帰る道理はない。それに折角のDinner、賑やかな方が良いだろう」
相席を快諾したリンドーと共にガラリと格子戸を開け、暖簾をくぐった先。店内は落ち着いた和風の装いで、木の香りが鼻をくすぐる。
カウンター席に腰を下ろし、頼んだ寿司と酒を待つ間のこと。リンドー・スミスは興味深げに店内を見渡しながら、ジョーニアスと会話を続けていた。
「この店の寿司……特に海苔が美味いと言ったかね?」
「ええ。俺も食べた時は驚いたくらいです。新鮮なネタはもちろんだけど、この店独自の海苔が逸品で。噛むたびに香りと旨みが広がるって評判なんです」
と、その時。
「――遅くなったな」
声と共に、ゆらりと現れたのはガルレア。その姿はまるで舞台の幕間に現れる俳優のように、自然でいて存在感がある。
「お、ようやく来たかガルレア」
ジョーニアスがホッとしたように言えば。
「何を言うか、ジョーニアス。お前が急かすから慌てて来たのだぞ」
ガルレアは席に着きながら、品のある笑みを浮かべて見せる。
「君が彼の"友人"か。ふむ、気品に溢れる人物のようだ」
ガルレアを見つめるリンドーの視線には、何かを探るような色があった。
「私がガルレア・シュトラーデである。話は既に聞いている。何、ただの寿司と酒を楽しむ会であるからして、気を張る必要はあるまい」
ガルレアはあくまで穏やかに、優雅に答える。その態度には一分の隙もない。
「Ha ha、勿論だとも。こちらも気楽に楽しませてもらうよ」
リンドーは笑いながら、運ばれてきた寿司をつまむ。
彼ら三人は和やかに酒と寿司を楽しみながら時折冗談を交わし、時折真面目な話を挟む。事前情報で見たリンドーの眼光の奥には鋭さが潜んでいたが、今はそれを忘れるように――日本の味に心から舌鼓を打っている。
ガルレアもその味わいに少しだけ目を細め、笑みを浮かべる。ジョーニアスもまた穏やかな時間を楽しんでいた。
「さて、そろそろ次の酒も試してみるとしようか」
ガルレアがそう言って笑うと、リンドーも笑みを返す。
「Excellent. 日本の酒というものを、存分に楽しませてもらおう」
この食事が、油断を誘うための伏線であるとは――まだリンドーは気付いていない。
●『神』の助け
「たすけてぇ!? たすけてたすけてたすけてください!!」
アリサ・アダムス(元連邦怪異収容局員『AA』・h06732)はのた打ち回っていた。嘗て彼女の居た『連邦怪異収容局』、その歪み・捻れ・狂いっぷりは凄まじく。そんな中、真面な倫理観を保ったままの彼女は「モームリ!」とばかりに逃げ出したのだ。
紆余曲折あって漸く陽の下を歩けるまでに回復した――という話があったかどうかは定かでないが。少なくとも、逃げ出す前に比べて彼女の生活は比較的落ち着いていた。
――だというのに、だ。現在の上長から天啓の如く降ってきた指令は「あなたはムシューに顔が割れていないのでしょう?GO」。
……あんまりだ。この国の神は米国と違ってわんさか居るのでは無かったか。一柱くらいは救いの手を差し伸べたっていいだろうに。まさか八百万の神々総勢、示し合わせたように総スカン? ――無慈悲! そこまでされる覚えはない!
「職員名簿の実績欄に元上司を飾りたい職員がこの世のどこにいるんですかぁ!?!?!?」
その悲痛な叫びは誰にも届かず、夜の空気に消えて行ったのは昨晩の話。
現在、彼女は緊張していた。かつて上司だったリンドー・スミスの存在は噂程度にしか聞いたことがなかったが、その強大な力とエリートとしての立ち位置は広く知られている。その男がいるのだ。よりにもよって彼女の目の前に。
焦茶色の髪を揺らしながら、アリサはどこか情けない表情で目の前の男性を見上げ。意を決して声をかけた。
「ちょっと失礼……観光ですか? 美味しい食べ物を尋ねて?」
その今にも死にそうなか細い声に、黒いコートを纏ったリンドー・スミスは眉を上げる。
「Yesだ、お嬢さん。この国のグルメを堪能するのが私の楽しみでね。何か良い情報はお持ちでないかね?」
いつも通り自信に溢れた口調。けれど、どこか「話を聞いてやろう」という柔軟さがあるのは、この旅を本当に楽しんでいる証拠かもしれない。
「日本の甘いものなら、あんみつや抹茶パフェ、わらび餅、お団子……色々とございます。疲れた時には甘いものがぴったりかと」
「甘いもの?」
リンドーは少し驚いたような顔を見せる。そこへ、幼い青髪の少年が自然と合流した。
「ミステリアスでダンディなお兄さん、観光ですか? 仕事あがり? 随分お疲れに見えます。疲れたときには甘いものを食べると、幸せな気持ちになれるんですよ。自分へのご褒美にもぴったりです!」
オオルリの羽根を思わせる鮮やかな青。篭絡するかの如く神秘的な光を湛えたその瞳をリンドースミスに向けつつ、アズ・パヴォーネ(幸福の蒼い鳥・h00928)は商談でもしているかのように流暢に勧めてくる。
「ほう……」
リンドーは興味深げに少年を見下ろした。
「これはまた、博識な小さな案内人だね。あんみつ……それはどのようなものかね?」
「ええと……寒天とあんこ、フルーツや白玉なんかを組み合わせた和風のデザートです!」
アズはにっこりと笑みを浮かべ、得意げに説明を続ける。
「特にあんこは疲れに効くって言われてるんですよ。クリームや蜂蜜とは違って、がつんとした甘さがあるから、リンドーさんみたいな強い人にもおすすめです!」
「なるほど、なるほど。疲労回復の甘味か……」
「あんこはクリームや蜂蜜とは違ったがつんとした甘さがあって、これが疲れに利くんです」
リンドーは顎に手を当て、少し考え込むそぶりを見せる。
「なるほど、興味深い。しかし君は、随分と大人びているね」
「大人びてる……? 大人なお兄さんに言われるの、とっても嬉しいです」
(わあ、すごいなあ、アズくん。これが魔性の子……)
全くと言っていい程物怖じせず、スラスラと会話を進める少年に心底感心するアリサ。アズくんが頑張ってくれているのに、自分が気圧されていてどうする。腐っても元連邦怪異収容局員、その底力を見せなければ!
「水まんじゅうというのも、いかがでしょうか?」
控えめでは有るが先程よりも少し大きな声で、アリサが提案する。
「日本の水はとても美味しいですから、それを活かした涼やかな和菓子なんです。夏にぴったりですし、見た目も美しいですよ」
「ほう……水そのものを味に取り入れるとは。日本らしいね。興味深い」
「それから、お水が美味しいので……お酒も美味しいですよねぇ。刺身に醤油をちょいちょいとして、わさびをつけて……味わいと香りを楽しんでから、辛口の焼酎をストレートでくいっと……」
アリサが語る様子に、リンドーは口元を歪ませた。
「ふふふ、実に愉快だ。君たちは日本の食文化に随分と詳しいらしい。チップは弾む、案内してもらおう」
「わあ! ありがとうございます!」
(や、やりました……)
アズが年相応に小さく跳ねて喜び、アリサもホッとした様子で胸を撫で下ろす。
こうして、リンドー・スミスを相手にした甘味グルメツアーが幕を開けたのだった――。
●美味なる響きは毒舌と共に
「……やはりコンタクトは慣れませんね。シキさん、髪型はこのままで大丈夫ですか?」
瀬条・兎比良(善き歩行者・h01749)は眼鏡を外し、代わりにコンタクトを装着している。普段の冷静沈着な表情とは違い、どこか違和感を感じさせる仕草が時折混ざる。彼の髪は、隣にいる史記守・陽(夜を明かせ・h04400)が手際よくセットしたものだ。前髪を下ろして柔らかく整えられたことで、彼の鋭い印象が少しだけ和らいでいる。ターゲットに一度顔を見られている為の慎重策だ。
「大丈夫ですよ、先輩。俺が仕上げたんだから間違いないですって」
いつもの制服ではなく、ラフなパーカーと度無し眼鏡を装った陽が、大学生らしい柔らかな笑顔で頷く。
「いました。ホシです」
陽の声に瀬条が視線を向けた先、狙い通りに“あの男”がとんかつ屋に入っていくのが見えた。
リンドー・スミス――「FBPC」のエリートであり、今回のターゲット。だが、今はただの食事を楽しむ観光客として振舞っている様だ。
――からん、と入店ベルが涼しげに鳴った。
店内から油と香ばしい衣の香りがふわりと漂い、兎比良は周囲をさりげなく見渡し――
『明日着任される方のお写真が来てましたね、和服と和傘がお素敵なお兄さんですか!』
『なんでこんな不意打ちなタイミングでID用写真が来るの……!!』
『誰かー。ボスに救♥モグー』
『ボスの自前の救♥が間に合わぬ程の破壊力だったか……』
――ガラガラ、からんと戸を閉めた。この間5秒ほど。
あれ、先輩? なんで締めちゃうんです? と怪訝そうな陽を手で制し、兎比良は眉根を揉み解しつつ天を仰いだ。
「変装が通じないどころか、却って逆効果な状況に陥りました。尾行難易度は跳ね上がったと思って下さい」
その言葉に陽は戸の隙間から店内をそっと伺い、全てを察したかのように絶句。二人はおもむろに追加でマスクを装着するのであった。
==============================
【ミッションアップデート】
◆作戦目標:
⇒連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』の尾行。
但し、うっかりバッティングしてしまった職場仲間に気付かれないよう任務を続行する事。
◆難易度:易しい⇒難しい
==============================
何名様ですか? の店員の声に、ハンドサインで二名と答えて店の奥に進む。二人が腰を下ろしたのは、リンドーの席から絶妙な距離感のテーブル席だ。
勿論、偶然であるはずもない。
ほどなく注文を終え、陽はカツの到着を待ちながら、兎比良に世間話を投げかける。賑やかな職場仲間の席には届かずとも、リンドーには聞こえそうな絶妙な小声。
「そういえば先輩、同期の方が仕事で成功したそうですね。お祝いとかはされなかったんですか?」
兎比良が軽く眉を寄せ、わざとらしく口元を引き締めて応じる。
「ああ、その件ですか……同期は仕事を成功させましたが、祝勝会はひとりきりだったとかで」
ちらり、と彼は斜め後方のリンドーへ視線を泳がせる。
幸い、リンドーの箸は一瞬止まった気配。どうやら聞き耳を立てているようだ。
「あ……おひとり様の祝勝会ですか?」
陽が絶妙に驚き、素直な表情で問い返した。
「ええ。私は参席する義理もありませんし、他の同僚も似たようなものでしょうね」
「そうですか……」
兎比良が肩を竦め、陽は純朴な様子でしみじみと呟く。
「お友達がいないって……やっぱり寂しいですよね。なんだか自分でホールケーキを買って、ひとりでお誕生日パーティーしているみたいで……」
そしてぽつりと、つい口をついて出た言葉は。
「――可哀想……」
可哀想……カワイソウ……かわいそう……リフレインした言葉がザクザクと刺さったか。リンドーの背が一瞬ピクリと反応したように見えた。
兎比良は軽く口元を押さえながら、「シキさん……」とやんわり窘める。
「塩を送るというのは、傷口に擦り込むことではないんですよ」
「……え?塩?」
陽はきょとんと首を傾げるばかり。
やがて香ばしいとんかつ定食がテーブルへと運ばれてきた。さくりと一口味わったあと、陽が「あっ!」と思い出したように明るい声を上げる。
『ん? 今我の耳に聞き覚えのある声が』
思わず手元の新聞紙を開き、視線を遮る二人。緊張感が一気に張り詰める!
『アタシには何も聞こえなかったけどねぇ』
危機は去ったと新聞紙を下ろす二人。嗚呼なんて神経の無駄遣い。どうしてこうなった――トンチキだからです。ゴメンね!
「そういえば先輩、祝勝会といえば――俺も受験に合格した時、母さんにとんかつでお祝いしてもらいましたよ!」
「へぇ、験担ぎですか……今でもお祝いするのですか?」
兎比良が穏やかに返す。陽はそこで、ちらりとリンドーを盗み見ながら続ける。
「えっ? 今ですか? さすがにないですよ。良い歳して験担ぎの祝勝会だなんて……自信のない人みたいじゃないですか」
その瞬間、リンドーが飲もうとしていた水のグラスが、わずかに揺れた。
「あっ、すみません。声が大きかったでしょうか?」
「いいえ、丁度良いでしょう。……さあ、我々も美味しくいただきましょうか」
そう言って兎比良も静かに箸を手に取った。
ちらりと見れば、リンドーは明らかに若干の不機嫌さを含んだ顔で二皿目を注文し、残ったとんかつに妙に神経質に塩をふりかけていたのだった。
●観光客擬きと透徹の眼
昼下がり、商店街の一角に佇む定食屋「山猫亭」。古びた暖簾と木製の看板がどこか懐かしい雰囲気を漂わせている。
屍累・廻(全てを見通す眼・h06317)は静かに扉を引き、店内に足を踏み入れた。カウンター席といくつかの小さなテーブルが並ぶこぢんまりとした店。昼食時を過ぎたのか、客はまばらだった。
目当ての人物は、あっさりと見つかった。……否、最初から "視えていた" 。リンドー・スミス。異国の紳士が、窓際の席で品良く食事を楽しんでいる姿はどこか絵になる。
彼の前には香ばしい焼き魚定食が置かれ、湯気を立てている味噌汁に箸をつけたところだった。
「初めまして、リンドー・スミスさん。良ければご一緒しても? 食事は誰かと食べても楽しいですよ」
リンドーは一瞬、面食らったような表情を浮かべた。自分の名を知っているようだが、はて――。
そこでふと彼は、先日『クヴァリフの仔』を運ぶ際中にテレビ局の取材を受けた事を思い出した。確か『あなたはWhat'sしに√汎神解剖機関へ?』とか何とか。
あれがOn-Airされたならば無理もない、有名人になったようでいい気分ではないか――と、軽やかに言葉を返す。
「もちろんだとも、どうぞ」
廻は短く礼をし、席に着いた。リンドーは手元のメニューを軽く見ているが、その視線には確かな余裕が感じられる。彼が食事をする姿は、一見すると普通の観光客だ。しかし、廻の目はリンドーの内部に隠された存在感をはっきりと見抜いている。
「この辺りの美味しいものも既にチェックしてますので、宜しければ夕食のオススメをお教えしましょうか。お酒がお好きならば、地酒の情報も」
「ほう、実に有難い。私はこの国の料理がすこぶる気に入っていてね。特にこの『焼き魚』というのは、シンプルながら実に奥が深い」
リンドーは笑みを浮かべつつ、箸を持つ手を器用に動かす。
「地酒も興味深いな。こちらに来るたび、その地方ごとの風味を楽しむのが私の密かな喜びなのだ」
「……なるほど、食事も随分とお好きなのですね。……ただ、貴方の噂はあちこちから聞いていますよ。良ければ、ここ最近の貴方の武勇伝をお聞かせ願えませんか?」
廻の声は穏やかだが、その瞳には確かな興味が宿っている。憧憬と、何かを探ろうとする探究心の入り混じった視線。
「Ha ha, 武勇伝とはまた大袈裟だな」
リンドーは小さく笑い、器用に箸を置いた。
「そんな大した話ではないが、最近こんなことがあった。あくまで一観光客としての経験だがね……」
リンドーは話を始めた。彼は怪異の部分をぼかしながらも、独特の語り口で出来事を紡いでいく。廻は目を細め、耳を傾ける。彼の声に込められた自信と遊び心を感じながら、廻は確信した──この男から見抜けるものはまだまだありそうだ。
二人の会話と食事は自然と弾み、店内には穏やかで心地よい時間が流れていた。
●熱々の幸せは鉄板を囲んで
木造の梁が天井を支え、柔らかな光が暖簾越しに揺れるお好み焼き屋の店内。他の客たちの談笑も賑やかで、時折店主の威勢の良い「いらっしゃい!」という声が聞こえてくる。
鉄板の上でパチパチと油が弾け、焼けた生地の甘く焦げる匂いが立ち昇る。その熱で鉄板を囲む仲間たちの表情までもが、ゆらゆらと波紋を描くように揺らいで見えた。
「鉄板のせいか想像以上に暑いな」
日本グルメもお好み焼き屋も初めてなアダルヘルム・エーレンライヒは、店内を興味深そうにぐるりと見渡す。
ナギ・オルファンジアは目を輝かせながら、鉄板の前でそわそわと落ち着かない様子だ。熱気に当てられ目を泳がせつつも、その手にはカクテルが握られている。
「此方の世とて西方は大賑わいだのう」
「それにしても……眼の前に鉄板、あつい……!」
今日ばかりはと袖を捲り上げ、ジョッキ(愉しむ前に眠り込んでしまっては事である、と敢えて酒精宿さぬ烏龍茶)を掲げたツェイ・ユン・ルシャーガに続き、アダルヘルムも冷えたビールを掲げ。
「――Prost」「かんぱ……ぷ、ぷろすと?」「ぷ、ぷろすと!」
「……否、ここは日本の作法に倣おう」
アダルヘルムは二人の「ぷろすと」に苦笑しつつ、仕切り直し。
「「「乾杯!」」」
三人の声が重なり、りん!とグラスを合わせる涼やかな音が響いたのだった。
鉄板の上でこんがりと焼き上がったお好み焼き。立ち上る熱気が、じゅわりと油と具材の香りを店内に漂わせる。仕上げとばかりにナギが手に取ったのは、ソースのボトル。ゆっくりとお好み焼きの表面に広げていけば、とろけるように馴染んでいくソース。続けて、真っ白なマヨネーズを細く細く絞り出し、交差するように格子模様を描く。さらに青のりをぱらりと振りかけると、緑の粉がソースとマヨネーズに映えて彩りを添える。仕上げに削りたての鰹節をひとつかみ乗せれば──出来上がり。
「んふ、綺麗に出来たよ。香りも見た目もばっちりだねぇ」
ナギは満足げに微笑んだ。鉄板の熱を受けてふわふわと波打つ鰹節が、どこか幻想的ですらあった。
ツェイは海老チーズお好み焼きに箸を差し込み、その熱々の生地をそっと割る。立ち上る湯気が鼻を擽り、溶けたチーズがとろりと糸を引きながら割れ目からこぼれ出る。中の海老は弾けるような存在感を放ちながら、きらりと光るチーズの中に顔を覗かせた。焦げた生地とチーズ、海老の旨味が混ざり合い、香ばしい匂いがふわりと漂う。鉄板直送、火傷ばかりは注意されたし――箸で持ち上げた一切れを口へと運ぶ。
「ふむ、香りも味も豊かだのう。やはり、此のちーずのとろけ具合は良きかな」
焼き加減も絶妙、上出来とツェイは満足げに笑った。チーズの濃厚さと海老の甘みが口の中で広がり、生地の香ばしさが心地よい余韻を残す。
「お餅も明太もおいし! 生地ふわふわ。あ、ツェイ君のは海老チーズかー、ぷりっとしてておいしそうだねぇ」
「ほう、大きなエビに融けたチーズが──それは確かに美味いだろう」
ツェイの皿をちらりと見やり、思わず口元を緩めるナギ。そしてメニューに感心しきりのアダルヘルム。ツェイは鉄板を囲む仲間たちを見渡し、にこやかに頷いた。
「アダル殿には馴染みの少ない材料かの? 海老とちーずの組み合わせ、此れが意外と合うのだ。ナギ殿、是非一口召し上がられよ」
お好み焼きの一切れをナギに差し出すツェイに、なるほどと相槌を打ちつつ。アダルヘルムも鉄板から取り分けた豚玉焼きを箸でつまみ、慎重に口へ運んだ。
甘じょっぱいソースの香りが口いっぱいに広がる。その下に潜む鰹節の風味が、さらに食欲を引き立てる。噛みしめた瞬間、外はカリッと、中はしっとり柔らかい。豚肉の旨味が溢れ出し、ソースとマヨネーズがそれを優しく包み込む。
「……これは、旨いな」
目を見開いたアダルヘルムは、驚きと共に一気に二口、三口と箸を進めた。口の中で踊る味わいの調和に、思わず笑みが零れる。
「豚肉の脂とソースが絶妙に絡む……鉄板で焼く意味がわかった気がする」
冷えたビールを流し込むと、喉を通り抜ける爽快感がまた格別だった。
「すみませーん。シェアって可能ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ!」
ナギがお皿を持ち直しながら声をかければ、店員はにこやかに鉄板の端に取り分け用の小皿を並べてくれる。ナギはホッとしたように頬を緩ませると、ツェイとアダルヘルムに向き直った。
「だってさぁ。魚介系もお肉たくさんなのも気になっていたんだよねぇ……。 オムそばとどて焼きも頼んじゃおうっと。 ほら、気になるならみんなで食べようね」
「しぇあ──ふむ、交換会であるな。なかなか乙なものよ」
ツェイは満足そうにうなずき、「では、焼き饂飩入りの品も注文せねばの」と店員に追加注文を告げる。
メニューに目を凝らしていたアダルヘルムは、ふとナギに視線を戻した。
「ところでナギ殿、オムそばとは何なのだ?」
「んふ、卵で包んだ焼きそばだよ。ふわっとした卵とソース味の焼きそばの組み合わせが絶妙で、お酒がすすむ一品!」
ナギが朗らかに解説すると、アダルは興味津々に頷く。
「酒が進むというのなら是非だな。焼きうどん入りというのも気になるぞ。次はその二つを頼んでみよう」
「それは楽しみであるな。ふふ、鉄板を前にすると、どれも美味に見えてしまうのう」
ツェイは微笑みながらグラスの烏龍茶をゆっくりと口に運んだ。
「ほんとだねぇ。よぉし、二杯目はウーロンハイにしようかな」
ナギは楽しそうに肩を揺らしながら、また鉄板へと視線を戻す。
三人のお好み焼きパーティーは夜更けまで続き、笑いと香ばしい匂いが店内を包み込んでいた。
――一方その頃、リンドー・スミスは。
「ちょっと客さん、ウチは全席禁煙だよ。吸うなら外で頼むよ、ノー・スモーキング・ヒア、オーケイ?」
「あ、ああ、どうも……申し訳ない、では会計を」
(怪異で黙らせる事も出来るが……騒いで楽園の能力者どもに知られたら厄介だ、此処は穏便に従っておこうか)
食後の一服でレッドカード一発退店。すごすごと会計を済ませ、出口の灰皿の前で一人寂しく煙草の煙を燻らせるのであった。
●Mochten Sie eine leckere Ramen?
「あー……。それにしてもカンナちゃん、仕事早く終わったからってグルメ巡りとか、愉快な敵もいたもんだよね」
人通りも程々な商店街の一角。黒髪に赤い瞳、落ち着いた佇まいの少年――アドリアン・ラモート(ひきこもりの吸血鬼・h02500)は軽く背伸びをして呟いた。「怠け者かつひきこもり」とは誰が言ったか。ついこの前も天使化事変を一つ解決したばかりとあって、大分体が軽い。
「でも気合入れすぎて空回らないでよ? 今回のミッションは、あくまでも"こっそりくすねる"事だからさ」
隣を歩く兄妹(に扮した)カンナ・ゲルプロート(陽だまりを求めて・h03261)は、軽やかに金髪を揺らしてアドリアンを横目で見る。
「ふふ。アドリアンくんこそぼんやりしてちゃダメよ? なんなら私が直接、またあの懲りない中間管理職をぶっ飛ばしてあげてもいいけれど」
「いやいやいや、今回は平和的解決の方向で、穏便に行こう?」
口調は穏やかだが、なかなか凶暴なことをさらりと言ってのけるカンナにアドリアンが苦笑すると――
「む?」
その時、数メートル前方に "その人物" の姿が視界に入った。 スタイリッシュなダークスーツ姿に妙に楽しそうな顔、そして完全に観光気分で浮かれた雰囲気――間違いない、リンドー・スミスだ。
『Ah, 私だ、もう暫く時間が掛かりそうだ。戦意高揚の為に良い Lunch を探しているのだが……そうとも、ラーメンとソーセージのマリアージュだ。頼りにしているよ、支部のJクン?』
スマートフォン片手に、にこにこと何やら通話中である。その隙だらけの様子に、兄妹(仮)ふたりはそっと視線を合わせた。カンナは肩に止まっていた小さな蝙蝠を空へ放ち、注意深く観察を始める。 アドリアンはやや足早に、迷子らしく周囲を見回しつつ彼に近づいた。
「あのー、すみません」
「Hmm?」
道を尋ねる兄妹を演じながら、アドリアンはリンドーに話しかける。
「この近くに、なんかドイツ料理と日本のラーメンが融合したっていう、変わったお店があるらしいんですけど、ご存じですか?」
「Just right! まさに私が探している店じゃないか、奇遇だな!」
リンドーは上機嫌でにこやかに応じた。演技をしながらもアドリアンは、慎重に彼の周囲に注意を払い、『クヴァリフの仔』を収めたトランクや上着の不自然な膨らみを目ざとく観察していく。
(うん、上着のポケット……膨らんでるね。あと腰のポケットにも何か入れてるな)
後の作戦のために情報を集めていると、横からスッとカンナが話に加わった。
「よかったら一緒に行きませんか? そのお店は隠れ屋的な名店なので、此処からだと少し距離が有るんですよ」
リンドーが大きく頷き、兄妹(仮)と肩を並べ歩き出す。浮かれた様子でラーメン店の噂を熱く語るその姿を、背後からそっとカンナが見やった。
(まったく呑気なものね。あの時と同じように直接叩きのめすのも悪くないけど……)
人々が行き交う商店街の喧騒の中、カンナはほんの僅かに指先を動かし、影へと意識を集中させた。彼女の足元に薄く沈む影――それはただの影ではない。カンナの意図を受け取るや否や、闇が微かに揺らめき、その深奥より何かが羽ばたく。影の中を無音の羽音と共に舞い上がるのは、無数の黒い鳥。一羽、また一羽とリンドーの周囲を掠めるようにして抜け、それぞれが他のリンドーの情報を集めるために闇から闇へと消えていった。
だが、一羽だけはこの場のリンドーの影へと潜り込み、その存在を隠すように密やかに寄り添う。まるで、影そのものが意志を持ったかのように。
「おや? Lady、何か考え事でも?」
「……ええ、少しだけね」
リンドーの問いかけに笑顔で応じつつ、カンナはそのまま足を進めた。
(リムジンの場所、リンドーの行き先、周囲の防犯設備、そして彼に関する全ての痕跡……。調べられるだけ調べておくわ)
全てを見届けるための無数の瞳。その情報収集の網は、既に目に見えぬ形で広がり始めていた。
「今日は存分に楽しみましょうね、リンドーさん。食事の後には、美味しい甘味のお店も紹介しますから」
「素晴らしい提案だ、この国のグルメは私の心を捉えて離さないよ。楽しみだな!」
そうして妙に和気あいあいとした雰囲気のまま、三人(と使い魔)は商店街の奥へと進んでいく。
「おっ、あれ美味しそうだな」
ふとアドリアンの視線が屋台へ向いた。焼き立ての香ばしい匂いに誘われるまま、みたらし団子を手に取ると、さらりとお金を払ってからリンドーへ差し出す。
「日本のスイーツって言うか、こういうのも楽しみの一つですよね。どうぞ、リンドーさん」
「団子と言うやつか。うむ、焼き目とタレの風味が何とも食欲をそそる」
屋台のベンチに腰掛け、リンドーは興味深げに一口かじり、満足そうに微笑む。その姿にアドリアンも頷いた。リンドーが煙草を取り出し、穏やかな表情で一服を楽しみ始めたのを見計らい――
「ふふ、リラックスにはお茶もいいわよ」
カンナは日本茶を差し出し、さらに白玉や羊羹のセットまで添えてみせた。
「ありがとう、君たちは実に気が利くね。さて、グルメ旅をまだまだ続けるとしよう」
(あとは美味しいラーメンでも食べながら、ゆっくり油断してもらおうか――)
アドリアンとカンナ、ふたりの目線がちらりと交錯する。愉快な任務は、まだまだ始まったばかりだ。
●甘味の誘惑と困惑、ヒバリの休日レポート
薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)は久しぶりの休日を満喫するべく、評判の和風カフェへ足を運んでいた。目当ては話題の『生和栗モンブラン』。注文を受けた店員が客席でクリームを絞って完成させるという映えメニューは、SNSでも大人気だ。
「お小遣いも準備万端だし、昨日の夜からカロリー調整もしたし……今日は思いっきり楽しむ!」
並んで待ち、ようやくカウンター席に案内されたヒバリは、目の前で仕上げられるモンブランにワクワクしながらスマホを構えた。クリームが美しく絞られる様子を動画に収めながら、頬を緩ませる。だが、その直後――視界の隅に映ったスーツ姿の男が、彼女の表情を一変させた。
(えっウソ、やば、ねえ何で!?)
隣の席に座っていたのは、つい先日真正面から激闘を繰り広げたリンドー・スミス。此方の裏をかく高度な星詠み、圧倒的かつ緻密な連携で漸くギリギリ追い込めた程の戦闘力。彼と再び相見えるなら、それは戦場に違いない。ヒバリもそう思い込んでいた。
だが。
「Umm, これは実に美味だ。和栗と抹茶の苦みの織りなすハーモニー、何という至高の芸術か」
隣に座るリンドーは、口元を緩ませながら『生抹茶モンブラン』をゆっくりと味わっている。目を細めて感嘆の声を漏らし、何かを噛みしめるようにうなずく姿は、かつての激戦を知るヒバリにとってあまりにも想像とかけ離れていた。
(リンドーってこんなトンチキなおぢだったっけ……?)
まるで別人のようなリンドーの姿に呆然とするヒバリ。かつての敵に対する緊張感などどこへやら、好物を食べて幸せそうな中年男にしか見えない。
ヒバリが驚いている間にも、目の前の『生和栗モンブラン』は完成し、彼女の目の前に差し出された。
豪快に盛られた和栗クリームの艶やかさと、隣のスイーツおじの間で視線を何往復かさせた後。ヒバリは暫しリンドーのことを忘れ、至福のスイーツタイムに浸る事にした。
「すごーい!クリームがこんなにマシマシで!……うわ、美味しい!」
濃厚な和栗ペーストとサクサクのメレンゲの組み合わせにうっとり。おっといけない、撮影も忘れずに! しかし数口を味わった後……何やら視線を感じる??
うげっ、リンドーがじっとこちらを見ている。というか、ヒバリが食べているモンブランを見つめているようだ。その鋭い眼差しはかつての戦闘中と同じく、何かを見極めるかのような厳しさを湛えている。
次の瞬間――。
「失礼、お嬢さん。そのスイーツの名はなんというのかね?」
前回CODE:Fireで頭やっちゃったっけ? いや確か肩口吹き飛ばした筈……と混乱しつつ、
「あ、えっと、生和栗モンブラン。……です」
ちゃんと答える辺りは流石シゴデキ女子。
「I see. My gratitude to you! 店員、この『生和栗モンブラン』を一つ、いや、二つ!」
そのあまりに唐突で即決の行動に、ヒバリは目を丸くした。
(え、えっ!? ガチのスイーツ男子じゃん……!)
戦場では冷酷無比なエリートだったはずのリンドーが、今はただのスイーツ好きなおぢさんにしか見えない。
店員が再びクリームを絞り始めるのを、リンドーはまるで芸術作品でも鑑賞するかのように食い入るように見つめていた。
(なんか、リンドーって本当によく分かんない人だよね……)
のどかで奇妙なスイーツタイムがゆったりと流れていく。
●銀糸に誘うは、毒と酒と戯れと
マスティマ・トランクィロ(万有礼讃・h00048)は、街を歩きながらふと思いついた。どういうわけか無性にフグが食べたくなったのだ。
「嗚呼、無性にフグが食べたい。今ならぎりぎり白子が美味しいかもしれない」
彼の言葉に、隣を歩くルトガルド・サスペリオルム(享楽者・h00417)は目を輝かせた。獲物を見つけた猫のよう――あ、やべ。「信じられないわ」って目でルルド様がコッチみてる。ええ、と、そう――まるで獲物を見つけた🐌のように。
「まぁ、フグ!死屍累々を築きながらも人類が毒を制してたどり着いたという変態じみた日本のグルメね!食べたことあるわ、食べたいわ!」
失敬な地の文から興味を失い、向き直ったルトガルドは声を弾ませ、マスティマの袖を引っ張る。
「そうだね、今期最後と考えるとやっぱり食べなきゃ駄目な気がして来た――ルトガルド、付き合ってくれる?」
彼らは都内某所、名門私大のお膝元を歩いていた。路地裏に隠れるように立つ古民家風の店。そこを見つけるやいなや、ルトガルドは無邪気に手を引いた。
「もちろんよ、伯父様、行きましょう今すぐ行きましょう!」
数歩後ろを歩いていたリンドー・スミスは、その一部始終を聞き逃さなかった。
「フグ……だと?」
彼の瞳がわずかに細まり、興味を惹かれた様子を隠せない。日本のグルメを堪能しようと意気込んでいた彼には、極上のターゲットだった。古民家風の店の前でしばし佇むリンドー。店構えの品格、和の香りを漂わせる暖簾の質感――全てが彼の嗜好をくすぐった。
「Fugu, huh……。これは何とも興味深い。試してみる価値はあるかもしれないな」
フグという響きに誘われるように、リンドーは店へ足を踏み入れたのだった。
「女将さん、一階のテーブル席でお願いするよ。二階の個室も素敵だけど、今日は話したい人が来るかもしれないんだ」
店内へ入るなり、マスティマは柔らかな口調で告げる。ルトガルドは小さく首を傾げたが、あまり気にも留めず浮き立った足取りで席に向かった。
「伯父様、早く乾杯しましょう! えっとね、コースは全部よ! お鍋も焼き物も唐揚げも、皮の湯引きだってきっとお肌にいいわ!」
「ルトガルド、食べたいものを……全部? 構わないとも、ずいぶんお腹が空いているんだね」
マスティマは穏やかに語りながら日本酒のお猪口を掲げ、彼女と小さく杯を鳴らす。ルージュを引いた唇に触れた酒。朝露に濡れた若草と、瑞々しい果実のような香りを含んで滑らかに舌を撫でたかと思うと、すぐさま鋭い線を引くように喉を駆け抜ける。残るのは細氷を口に含んだ後のような涼やかさと、わずかな苦みを帯びた余韻。
「ん、これは美味しいね。滑らかでいて、まるで刃のようにキレ味が鋭い……でも後で他の日本酒も頂こうかな」
美酒の心地よい芳香に浸りつつ、マスティマはそっと店の入口へ視線を送った。――彼の思惑通り。店内に硬い革靴の音が響く。ゆったりとした足取りで店内に踏み入れるのは、紛れもなくリンドー・スミスその人であった。
少し離れた席に座るリンドーの元には、既に空になった盃が一つ。今は品書きを開き、何を食べようかと吟味している。マスティマは頃合いを見計らって女将を呼んだ。
「あちらの彼が飲んでいるお酒、美味しそうだね。僕にも一献もらえるかな?」
その声にリンドーが顔を上げ、マスティマの方をチラリと見遣る。女将から日本酒を受け取り、マスティマはさらりと声をかけた。
「やぁ、ご旅行? それともお仕事で?」
リンドーは一瞬驚いたように眉を動かしたが、すぐに薄く笑みを浮かべる。
「Ah、仕事の後の、いわば打ち上げというものだ。日本のFuguというものを試しにね」
「それは素敵だね。よかったら、僕から一献ご馳走させてもらえないかな?」
「……Interesting。すまないね、有り難く頂こう」
リンドーは差し出された酒を素直に受け取った。マスティマは柔らかに目を細め、緩やかな仕草で乾杯を促す。
「ふふ、気にしないで。お祝い事というのは祝う方こそ楽しいものだからね」
一方ルトガルドは、マスティマが何を考えているのかよくわからない。敵であるらしいリンドーと乾杯するなど奇妙に思えたが、まぁ良いだろう。伯父様が楽しければ自分も楽しい。それにフグは絶品だ。
「ごきげんよう、リンドー!」
ルトガルドは唐突に彼に手を振った。
「あなたフグは初めて? とても美味しいけれど人が死ぬこともあるのよ! わたし危険なものって大好きよ、あなたもそう?」
リンドーとマスティマが目を丸くして言葉に詰まるのを尻目に、ルトガルドは無邪気な笑みを見せてお猪口を空ける。
「ふふ、まぁいいわ! 伯父様、あのおじさんにお祝いをするのでしょう? それならわたし、おじさんにカタツムリさんを教えてあげようかしら!」
ルルド様? ちょっとわたくしお祝いの定義が揺らぎましてよ???
楽しげに宣言する彼女に、マスティマは穏やかに目を細めて頷いた。フラグが――立った。
「Ummm……実に妙な連中に絡まれたものだ」
リンドーは困惑と面白さが入り混じった表情で呟きつつも、手元の酒に静かに口をつける。テーブルに到着したフグの薄造りもまた驚嘆すべき味わいであった。
「毒魚とはこれほど旨いのか。ならば、彼女の語る "カタツムリさん" とやらにも興味を持つべきかもしれないね」
[速報] リンドー・スミス終了のお知らせ。本日の東京はこの後局所的に🌈が見られる事でしょう。
「ここ、夏は鱧が出るんですって! 鱧って魚にも毒があるのかしら? 毒があってもなくてもまた来ましょうね伯父様、次は絶対個室よ!」
ルトガルドの話は相変わらず飛躍的だったが、マスティマは柔和に笑ってうなずいた。
「君が望むなら、そうしようとも」
密やかな策謀と無邪気な笑い声が入り混じり、テーブル席は不思議な温もりに満ちていた。リンドーもまた、この妙なる邂逅を存外に楽しんでいたのである。
ちなみにこの後、リンドーは何回転する破目になるんでしょう?(2d10ダイスロール)
……はい、73回転だそうです。
第2章 冒険 『怪異飯店、繁盛中』

●飲んで食べて遊んで、まだまだ刻は宵の口
絶品グルメを楽しんだ後は――解散? いえいえまさか、まだまだ(リンドー・スミスで)遊ぶぞ! ではでは、お次の行き先は?
夜桜を見るのもいいね! ――風情があって良し。
食べ足りない、二件目行くぞ! ――うんうん、それも良し。
食べた後は飲みに行くでしょ! ――成人前提だけど、勿論良し。
夜の遊園地で遊んでもいいんですか? ――Yes, Yes, くたくたになるまで遊んで良し!
一角には「怪異飯店」があるので、そこで愚ルメと洒落込むのも……まぁ有りかもしれません??
どう楽しんでやろうかな――キミたちの頭脳が導き出した答えは、如何に。
==============================
■マスターより
引き続き戦闘無し、安心安全に遊べます。
リンドーと同行するもよし、離脱して仲間とわいわい楽しむもよし、大事な人と静かにお酒を楽しむもよし。
勿論、飛び入り参加・この章だけ参加という方も歓迎致します。
Pow/Spd/Wizに拘らず、自由な発想でプレイングを書いて頂ければと思います。
また、店舗やアミューズメントパーク、イベント等についてもご自由にご想像下さい。キミが有ると言えば、(余程の問題がない限りは)"ソレ" は有ります。
●至福の宵と、予想外の酔い
夜はまだ長い。果実の宴が終わった後、二人は自然と足を向けていた――個人経営の大衆居酒屋「居酒屋・みなと」。暖簾をくぐった二人を出迎えるのは、香ばしく揚がった鶏の香りと、出汁の効いた味噌汁の匂い。カウンター席に腰掛けた八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)は、少し緊張した面持ちでメニューを見つめていた。
「まずは唐揚げと……刺身盛り合わせですかね」
「お、お刺身……いいですね! 鯵も鯛も……大好きです」
「了解です。注文は私が担当しましょう。真人さんは、飲み物のご希望は?」
自然に且つスマートに最初の一杯を聞くのは、メガちゃん店長ことオメガ・毒島(サイボーグメガちゃん・h06434) 。
「あっ、店長……お酒飲みますか? 俺は、ご迷惑かけそうなので……ウーロン茶で」
「そうですか。それでは私はビールを……あとは、日本酒をお願いします。ええ、花冷えで」
それが運命の分かれ道だった。――ウーロンハイと、ウーロン茶。店員の小さな聞き違いが、夜の宴を予想外の方向へと導いた。
程なく運ばれてきた料理を前に、二人は顔を見合わせて小さく乾杯した。
「この唐揚げ、衣がサクサクでジューシーですね……ビールによく合います」
「俺も……唐揚げ大好きで……つい、食べ過ぎちゃいます」
八手は緊張気味に笑いながら、唐揚げを箸で摘まむ。店内の雰囲気に少しずつほぐれてきた様子で、表情が柔らかくなってきている。刺身もまた絶品。脂の乗った鯵は生姜醤油、鯛は甘口の醤油でいただく。オメガは日本酒を一口含んで、満足そうに微笑む。
「至福の時ですね……。そうだ八手さん、次は生牡蠣なんてどうでしょう」
「え、えっと……生牡蠣……ですか? だ、大丈夫かな、俺……」
二人の箸は進み、細い八本の影に唐揚げがひょいと摘ままれ、運ばれてきた生牡蠣がするすると宙を移動する。――上着のベルトでしょうか? いいえ、蛸神さまです。日本酒も進む。……真人のウーロンハイ(だと思っていないそれ)も進む。やがて真人の頬が紅潮し、目が潤む。と思うと――
「うぅ……メガちゃん店長……。あの、今、楽しいですか……?」
酔いが回った真人はぽつりぽつりと語り始める。
「俺、ずっと不安で……。鈍臭いし、話も下手で、一緒にいてもつまんないんじゃないかって……」
彼の心から零れ落ちる言葉を聞き、オメガはゆっくりとグラスを置いた。
「八手さん……。大丈夫、楽しいですよ、とても」
「……ほんとですか……?」
疑うような、期待するような真人の視線をまっすぐに受け止め、オメガは微笑む。
「ええ、本当です。雇い主の発言としては適切ではないかもしれませんが、私はあなたのことを良き友人だと思っていますから」
「友人……」
その一言が真人の胸に染み渡り、涙が一粒ぽろりと零れ落ちる。
「でも……俺、人との距離の詰め方が分かんなくて……もっと仲良くなりたいんですけど、どうすればいいか……」
それを聞いて、オメガはふと思案顔になった。
「私も、実はあまり得意ではないのですが……そうですね、まずは敬語を崩してみるとか、名前で呼んでみるとか……いかがでしょう?」
「え、名前で……?」
「ええ。焦らずに、あなたのペースでいいんですよ。……真人」
最後の一言に、真人は弾かれたように顔を上げた。
「……メ、メガちゃん店長が、俺のこと名前で呼んだ……?」
「ええ。私も少し照れくさいですが、これが第一歩、というやつでしょうか」
オメガの柔らかな笑顔に、真人は照れながらも小さく頷く。
「じゃあ……俺も、いいですか?」
「もちろんです」
真人は小さく息を整えると、意を決したように呟いた。
「……メガちゃ……いや、オメガ、くん……?」
その瞬間、二人の間を柔らかい空気が包んだ。まだ少しだけぎこちない距離感ではあるけれど、それは確かに縮まった距離。
「さて。では、話は戻りますが生牡蠣でも……おや?」
目に入るのは牡蠣殻ばかり、生牡蠣が見当たらない。それはそうだ、一つ残らず食べられちゃったんだもの。蛸神さまに。
「追加で注文したら、挑戦してみますか? 真人」
冗談めかして言うオメガに、真人は少しだけ慌てつつも、頷いた。
「は、はい……! 挑戦してみます……!」
その様子を、離れたカウンター席で日本酒を片手に見守る一人の男がいた。
「これが日本の "Nominication" という物か……成程、興味深い」
リンドー・スミスは頷き、手帳に「仲良くなる方法:名前で呼ぶ」とメモした。
「Hmm... 私も帰ったら……上層部を名前で呼んでみようか。……距離が縮まる、……かもしれ……」
大分酔いが回っている様子。うつらうつらと舟をこぐ合間に、日本酒をぐいと呷るリンドー。眠りこける彼を二人が発見するのは、もう暫し後の話。