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秩 序 隷 羊
●狂 気 引 金
「どうして分かってくれないんだい?」
ここは√マスクドヒーローのとあるハイスクール。
陽光が差し込まない校舎と体育館の間には数人の生徒が屯していた。
いや、屯していると表現するには、その状況は些か治安が悪い。
壁際に追い詰められた気弱そうな少年と、それを取り囲む複数人の制服を着崩した男子生徒たち。いわゆる典型的なイジメの現場。
そんな光景を目の当たりにし、風紀委員長――有栖川は深く溜息をもらした。
有栖川は銀色に縁取られた眼鏡を押し上げ、少年を取り囲む男子生徒たちを冷ややかに睨めつける。七三に撫で付けられた前髪と、ぴっちりと閉じられた詰め襟。誰が見ても一目で優等生と分かる有栖川の出で立ちは、いじめっ子である不良生徒にとって癪に障る要素の塊であった。
「前に注意したはずだよ。僕はいじめを止めてほしいだけなんだ」
「ちっ、うっせえなぁ! おめーには関係ねーだろーが!」
「ブガイシャが出しゃばんじゃねーよ。空気読めねーな!」
向けられる剣呑な視線に臆すること無く問いかけを繰り返す有栖川であったが、不良生徒たちから返ってくるのは返答とも言えないような罵声ばかり。
有栖川はそんな彼等の態度に、自身の脳内がみるみる冷え切っていくのを感じていた。
(ああ、こいつら、もう駄目だ。僕の学校にはいらない存在なんだ)
冷たくなっていく思考と反比例するように彼の胸は熱を帯び始める。
そして胸ポケットから淡く光る2枚のカードを取り出すと、有栖川は斧を振り下ろす断罪者のような冷酷な眼差しを不良生徒達に向けるのだった。
「……最後通告のつもりだったんだけどね。ああ、もう喋らなくていいよ。これ以上、僕の秩序を乱さないでくれ」
『ARIES×ARISTOTELES!!』
校舎裏に響き渡る奇妙な笛の音。
そして一瞬の静寂の後、不良生徒たちは一斉にその場に崩れ落ちた。
状況が読み込めないまま、ピクリとも動かなくなった不良たちを呆然と眺めるイジメられっ子。しかしなんらかの方法で風紀委員長が自分を救ってくれたのだという事だけはなんとか理解すると、彼は有栖川に感謝を述べようとおずおずと歩み寄る。
しかし有栖川はそんなイジメられっ子を手で静止した。
「何を被害者面しているのかな? 彼等ほど直接的ではないにしろ、君にも非はあったろう」
未だ冷たい影を孕んだ瞳を覗かせる有栖川。そして手に握った2枚のカードを再び掲げると、その体は見る見る変化していった。
「クラスメイトと調和しようとせず、それでいて、そこで寝ている彼のガールフレンドにストーカー紛いの事をした。それが今回のイジメの発端らしいじゃないか。僕の学校の秩序を乱す者という意味では、君も同罪だ」
厚く盛り上がったくすんだ金色の装束。頭上に鎮座するねじ曲がった角はさながら王冠。
アリエスアリストテレス・シデレウスへと変貌した有栖川は、その凶手をイジメられっ子に伸ばした。
「法は社会の秩序であり、良い法は良い秩序である。故に僕は秩序のためにこの学校に法を敷こう。法に隷属しない者には罰を」
●楽 園 食 堂
「皆さん事件です!」
所変わって、ここは宿屋『七つの楽園亭』の食堂。
テーブルについた√能力者達に麦茶を配り終えた太曜・なのか(彼女は太陽なのか・h02984)は、彼等に向けて自身の|予報《予知》を告げる。
「事件が起こっているのは√マスクドヒーローの高校。そこで一人の生徒がシデレウスカードを使って悪さをしてるみたいなんです!」
シデレウスカードとは、怪人ドロッサス・タウラスが市井にばらまいた変身の力を宿すカードのことだ。多くのカードアクセプターが持つ『レオペルセウス』がその代表例と言えよう。
一人の人間のもとに『黄道十二星座』と『英雄』が描かれた2枚のカードが揃いし時、その所有者に絶大な力をもたらすと言われているが、力を正しく使いこなせるのは√能力者のみ。
一般人が所持してしまうと、多くの場合その凄まじさ故に精神に異常をきたしてしまうという人の手には過ぎた代物である。
「ただ、偏に悪さといっても色々あるみたいで……今回の事件を起こした有栖川君っていう男子生徒は、シデレウスカードを高校の規律を守る事に使っているみたいなんです」
説明をしながら、なんとも歯切れの悪い表情を浮かべるなのか。
規律を守る。ソレだけを聞けば、なにも悪いことは無いではないかと思うかもしれないが、事はそう単純ではなかった。
「有栖川君がやっているのは、ぶっちゃけ恐怖政治そのものです。学校のルールを細かく取り決めて、破った者にはシデレウスの力で罰を与える。そしてルールは日増しに厳しく、多くなっていく……今の彼は秩序を守る事に躍起になって、暴走してしまっているんです」
なのかが予知で見たもの。
それは生徒が誰一人として廊下を走ること無く、大声で挨拶を交わしあい、授業では皆が必死に手を挙げる、一見すると理想的な学校の風景。
しかしその体育館には、死んだように眠った多くの生徒や教師が無造作に打ち捨てられていた。恐らく些細なルール違反を咎められ、罰せられてしまった者達の末路なのだろう。
「有栖川君が持っているシデレウスカードは恐らく眠りの呪力を持つ牡羊座のカード。彼を倒しカードを取り上げることが出来れば、呪いをかけられてしまった人たちを開放できるはずです」
そのためにも有栖川と接触しなくてならない。
まずは彼の高校に潜入したり、生徒たちの動向を探ったりするのが得策だろう。
もしくは高校の周辺で敢えてルールに違反するような行動をしておびき寄せるのも手かもしれないが、彼の敷くルールは厳密には解明できていない上、有栖川の逆鱗に触れた場合は奇襲を受ける可能性も高い。十分に注意し、もしもの時は一旦逃げる事も考慮して動いたほうが得策だろう。
「あっ、有栖川君はあくまで一般人ですので、酷い目に合わせるのは出来れば勘弁してあげてください。そして私の予報が正しければ、彼の背後にはカードを渡して唆した怪人がいる筈です。有栖川君からカードを奪い取れば現れると思いますので、そいつは容赦なくケチョンケチョンにとっちめちゃってください!」
皆に明るく発破を掛けつつも、予知の中にうっすらと見えた邪悪な影に密かに身震いするなのか。
しかし√能力者達ならばきっとそいつも打ち倒すことが出来ると信じ、彼女は明るく彼等を送り出すのだった。
「穏やかさと調和を重んじる筈の牡羊座が迷走し、人を縛る暴君に成り果ててしまった……今の有栖川君は謂わば迷える子羊そのものです。どうか皆さんの力で彼を止めてあげてください! 無事帰ってきたらまた夕食をごちそうしますからね! 今日のメニューはジンギスカンですよー!!」
これまでのお話
第1章 冒険 『一般人の拉致を阻止しろ!』

重い雲が立ち込める√マスクドヒーローのとある市街地。
その一角に佇む高校の校舎から俄にチャイムの音が響き渡った。
時刻は午前11時45分。
時間的に恐らく昼休みの始まりを告げる鐘の音だったのであろう。しかしそれが鳴り止んだ後も、校舎はしん……と静まり返っていた。
「恐怖政治を強いる風紀委員長か……」
そんな校舎をパシャリとフィルムに収め、空地・海人 (フィルム・アクセプター ポライズ・h00953)はポツリと呟く。
比較的新しく、そして広々とした高校だ。
校庭の木陰にはベンチなども多く見受けられ、本来なら昼休みには多くの生徒で賑わっているであろうその場所には、今は人っ子一人いない。
「悪事を何とかしたいという気持ち自体は分かるけど、ルールで雁字搦めにするのは考え物だな」
恐らく風紀委員長の有栖川によって、生徒たちは休憩時間中の行動すら制限されているのだろう。
レンズ越しに見る伽藍洞になった校庭から、有栖川の偏執的なまでのルール遵守の意思を感じ取り、一人寒気を覚える海人。
しかしいつまでもこうしてはいられない。
生徒にコンタクトを取って情報を聞き出そうと思っていた海人であったが、この様子ではそもそも出会うことすら困難だろう。
ならば、と海人は静かに校門の中へと足を踏み入れた。
「校内を私服でうろつくと目立つな……。違う学校だけど、自分の制服でも着て来ればよかったか……?」
海人はつい昨年までは高校に通っていた19歳。見た目的には高校の校舎を歩いていても違和感無い見た目をしているが、いかんせん制服までは用意することはできなかった。
故に誰かに見つからないよう抜き足差し足で校舎へと侵入するという不審者然とした行動をとる羽目になっているのだが、それすらも有栖川のルールに触れて彼をおびき出す一助になれば御の字と割り切り、海人はゆっくりと歩を進める。
そうして彼がたどり着いたのは1階の教室の前。
廊下に吊るされた『3-A』という表札を確認し、ドアにはめ殺しされたガラス窓から海人は静かにその中を覗き込む。
「これは……」
教室の中では、生徒たちが皆一様に自身の机に向き合い、黙々と箸を動かしていた。
隣席の学友と会話を交わすこともなく、弁当箱と口の間で箸を往復させるだけの食事風景。
自身が去年まで通っていた高校の賑やかな昼休みとは似ても似つかないその光景に、海人は思わず絶句する。
「これは、やりすぎだ。規律を守るのと自由を奪うのは違うだろ……」
ふつふつと湧いてくる怒りを抑え、海人はポケットから静かにインスタントカメラを取り出した。
そして思い切ってドアを開け、即座にカメラのフラッシュを焚いて教室内を撮影。|ダオロスの聖なる光《イルミナントトゥルース》の効果で生徒たちの会話に対する抵抗感を奪い去る。
「不躾でごめん。俺は君たちを救いに来たんだ。そのためにも教えてくれ。君たちは今どういう状況なんだ?」
簡潔な自己紹介と共に救うという意思を告げ、まっすぐ生徒たちの目を見つめる海人。
そして√能力により本音や真実を語ることに対する抵抗力を下げられた生徒たちは、そんな海人に対し口々に怯えたように言葉を紡ぎ始めた。
「あ、有栖川がある日、急におかしくなったんだ!」
「全校集会中にステージに登ったかと思ったら、急に変な角笛みたいなのを吹いて、そしたら生徒も先生たちもバタバタ倒れていって」
「有栖川君が、彼等は罪人だって。僕の校則を守れない人は全員死ぬまで眠ってもらうって。それで食って掛かった人たちも同じように次々眠らされて……!」
恐怖で堰止められていた言葉を次々と溢れ出させる生徒たち。
その声は静まり返った校舎に響き渡り、他の教室も俄にざわつき始める。
(まずい……このままでは直ぐに見つかってしまう!)
「ごめん! ありがとう! 必ず有栖川を止めて見せるから」
海人はそう言い残し、急いで教室を後にする。
生徒たちの証言が確かならば、恐らく有栖川が使うのは音波による催眠だ。
であれば、対抗手段がない状態で奇襲を受けるのはリスクが高すぎる。
ミイラ取りがミイラになってしまっては元も子もないと、海人はその場を離れ、遠くから聞こえてくる角笛の音を耳にしつつ安全な場所に身を潜めた。
必ず救い出すと、怒りと決意に奥歯を噛み締めながら。
昼休みが終わり、校舎に午後の始まりを告げる予鈴が鳴り響く。
それを聞き、箒を手に校庭の掃除をしていた生徒たちが足早に教室へと戻っていく様を見届けて、星宮・レオナ(復讐の隼・h01547)は静かに息を吐いた。
「ルールや法が大事なのは否定しないけど、少なくとも個人で決めたルールを強制は駄目でしょ」
先程までの生徒たちを観察していた限り、彼等は一切私語を発することもなく、その様子はさながら囚役のようだった。
自発的とは到底思えない奉仕活動。それにどれほどの価値があるものかと暗い気持ちを抱きながらも、レオナはゆっくりと校門の内側へと足を踏み入れる。
落ち葉の1つ落ちていない、そんな不気味なほどに生活感が感じられない校庭に立ち、レオナはおもむろに懐から鍵を取り出すと。
「それじゃあ皆、お願いね」
その手に握った神秘の鍵――ミスティカキーを虚空に突き刺し、『|召喚・ロックビースト《サモン・ロックビースト》』を発動。時計回りに回された鍵から光が溢れ、隼と狼の姿を模した小型の動物メカが姿を表した。
「この学校は治安が悪かったみたいだから、どこかにまだ不良生徒がいるかもしれない。探してきてくれるかな?」
腰を屈ませてロックビースト達に目線を合わせながら指示を出すレオナ。
そして呼び出された2体は主人の意思を汲み取ると、狼は校舎の中へ、隼は校舎の裏へ颯爽と向かっていった。
「さて、有栖川君なら目立つ不良生徒は最優先で罰を与えたはずだよね。それでももし不良が残っているなら、その人は逆鱗に触れない立ち回りが出来るくらいには彼のことを知っているはず」
だが果たして目論見通りそんな不良生徒は残っているのか。そんな一抹の不安を抱きつつ、暫し校庭の隅に身を潜めるレオナ。
そんな彼女の腕の端末が不意にピピッと電子音を鳴らした。斥候に出ていたロックビーストからの通信音だ。
「……ビンゴだね」
どうやら校内に潜入した狼が授業を抜け出している生徒を発見したようだ。
「保健室か。確かに口実を作ってサボるにはちょうどいい場所だよね」
映像によるとその男子生徒はベッドの上で寛いでいるようで、本当に体調不良に見舞われている様子もない。サボりでまず間違いないだろう。
だが、そんな彼がいつまでも無事でいるとも限らない。レオナは急ぎ校舎内に侵入すると、物音を立てないようにゆっくりと歩を進めていく。
(でも……別のとはいえ、校内を歩き回るのは元高校一年生としては少し懐かしいな。まぁ、通ってたのは1学期だけなのだけど)
家族がいて、高校に通って、いつまでも続くと思っていたそんな日常。去年の夏休みを境に喪われてしまった日々を思い出し、胸が締め付けられる感覚に苛まれるレオナ。
だが、それはこの学校の生徒たちも同じだ。唯一違うのは彼等はまだ救い出すことが出来るということ。
(有栖川君を止めないと……!)
決意と共に拳を強く握りしめながら、レオナは廊下を進んでいく。
そして目当ての保健室の前にたどり着くと、中にいる男子生徒の姿を確認し、ゆっくりと扉を開けた。
「っ!? ち、違うんだ! 俺は本当に腹が痛くて!」
唐突に入ってきたレオナを見留め、途端に横たえていた半身を跳ね起こし声を上げる生徒。そんな彼にレオナは慌てて自身の口元に人差し指をあてがって、しーっとジェスチャーを取って見せながらドアをゆっくりと閉じる。
「落ち着いて。ボクは有栖川君の手先でもないし、チクるつもりもないよ。あなたを助けに来たの」
そんなレオナの言葉に驚きながらも、男子生徒は声を潜めて静かに頷いた。
その思いのほか素直な様子に安堵しつつ、レオナは次いで言葉を紡ぐ。
「そのためにも有栖川君のことについて教えてほしいんだ」
「……分かった。有栖川とは3年間クラスが一緒だったから、それなりに知ってるんだけどよ。あいつはルールに細かくてクソ真面目で、よく先輩や先公に突っかかってトラブルになってた。潔癖というか、変な奴でさ。でも言ってることは確かに正しくて、俺は良くも悪くも凄い奴だと思ってたんだ。だけど……だけど今の有栖川はただのバケモンだ。暴力もポイ捨てもカンニングも寄り道も、今の有栖川にとっては全部同じ。風紀を乱すとか言いながら気に障る奴らを片っ端から裁いて周ってるようにしか見えねえ。狂ってるぜ……」
正義感の暴走。
それがレオナの感じた有栖川の現状だった。
美徳になり得たはずの真面目さと高い理想を持ちながらも、現実とのギャップの中で歪んでしまった少年。
そして、そんな彼に力を渡し唆した者がいる事をレオナは知っていた。
「……ありがとう。これからボク達は有栖川君を……有栖川君に会ってくるよ」
腹の底から熱い怒りが湧き上がってくるのを感じる。
無意識に『有栖川君を倒す』という言葉を飲み込んだのは、彼の人柄を知ってしまったからか。
それよりも許せないのは、彼を凶事へと走らせた黒幕。有栖川もまた、そいつに狂わせられた被害者なのだ。
悪い夢は醒まさなければならない。
レオナは決意を新たに保健室の扉を開き、次なる場所へと向かうのであった。
時刻はわずかに戻り、昼休みも半ばを過ぎた頃。
生徒たちは昼食もそこそこに各々自身の机で自習に励んだり、あるいは5限目の移動授業に向けて慌ただしく準備を始めていた。
一見すると模範的な高校生活を送っているように見える生徒たち。しかし彼等の顔は皆一様に緊張と畏れで引き攣っており、どうみても花の10代を満喫しているようには見えなかった。
「うち春から高校生やねんけど高校生活|こななん《こんな》やったら|、さっぱりごじゃはげ《ほんとにめちゃくちゃ》やなぁ」
そんな様子を曲がり角から顔を覗かせて窺いながら、屋島・かむろ(半人半妖の御伽使い・h05842)は苦々しげな顔を隠そうともしない。
潜入ならうちの本領発揮や、と意気揚々と忍び込んでいたかむろであったが、校舎の中に広がっていたのはさながら刑務所の中のような管理社会。
春からの高校に上がるかむろにとってあまりにも理想とかけ離れたその光景は、彼女の心を曇らせるには十分すぎる威力があったようだ。
「……あかんあかん、ウチの花の高校生活はこななん違うけん、ウチの精神衛生上の為にもちゃっちゃと解決や解決」
ぷるぷると頭を振り、気を引き締め直すかむろ。
今の彼女はこの高校に馴染むよう指定の制服姿に化けて潜入している。それに加え、√能力『百狸夜行』で4匹の手下の化け狸を生徒や出入り業者に化けさせ、おのおの調査させる最中だ。
既に自然と情報が集まってくる状況を作り出す事には成功しているのだが、それだけではまだ足りない。
安全に有栖川と接触するには、やはりリスクを承知で生徒の中に紛れ、彼が制裁の対象に狙いそうな生徒を先んじて見つけ出すのが確実だろう。
(……少しばかし不安やけど手下の狸達が調べ物してる間の囮も兼ねると思えば……最悪眠るだけみたいやし)
先に潜入した仲間の情報を星詠み経由で共有していたかむろは、有栖川は角笛の音色で生徒たちを眠らせているという事も把握している。
その催眠音波が√能力者にどれほどの効果があるかは未知数だが、もし死角から音による奇襲を受ければ即座の対応は困難だろう。
それでも自分の化け力ならリスクを掻い潜れるはずと意気込んで、かむろは柱の陰から飛び出し移動教室に向かう生徒の中に飛び込んだ。
(ぃよしっ! まずは第一関門突破や。ちょうど|腹痛《はらいた》で授業抜けてた奴がおって助かった)
彼女が入ったのは3年生の群衆。この少し後に保健室でレオナが相対することになる男子生徒が抜けた穴を埋める形で列に紛れ込んだかむろは、そのまま何食わぬ顔で廊下を移動していく。
しかし生徒たちの僅かな癒やしとなる昼休みであっても油断はできない。
各階の廊下には有栖川直属の風紀委員が立たされており、校則を破る者がいないか目を光らせているのだ。
そのため授業のための移動中であっても、生徒たちはそれに怯えながら過ごさざるを得ない。
と、そんな時。
「おい、そこの女子。止まりなさい」
一人の風紀委員が尊大な態度で列の前に立ちふさがった。
思わず声を上げそうになるかむろだったが、それをグッとこらえ他の生徒に倣い静止に応じる。
すると風紀委員はズカズカと歩み寄り、かむろの隣を歩いていた女子生徒の前まで来ると。
「3年C組の5限の授業は生物室でしたね。ですが生物のテキストを持っていないように見えますが? 名前と理由を簡潔に述べなさい」
「は、はい。3年C組出席番号7番、早乙女たま子です。えっと、忘れ物をしちゃって……。他のクラスから借りようと思ったけど、生物の授業があるクラスに友達がいなくて、その、クラスメイトから見せてもらおうかなって……」
顔面を蒼白にしながら必死に言葉を紡ぐ女子生徒。
「私は簡潔にと言いましたよね。言い訳を挙げ連ねろとは言っていませんよね」
しかし対する風紀委員は丁寧ながら高圧的な言葉で彼女を責め立てる。
「分かりました。あなたの事は有栖川さんに報告しておきます。追って処分を言い渡されるでしょう」
「そ、そんな! いやっ! 私は……っ!?」
思わず声を荒げそうになる女子生徒。自体の悪化を瞬時に察したかむろは、彼女の袖を引くことでそれを静止した。
これは謂わば魔女裁判。今はこれ以上の事を荒立たせ無い方が賢明だと、彼女の目を見つめ無言で訴える。
「ん、なんだね君は? 庇いたてるつもりなら、それも有栖川さんに報告することになるが」
「あー、すいません。もうすぐ授業が始まってしまうので先を急ぎたかったんです。遅れてしまったら、それこそあなたも校則違反を助長した側になってしまいますし」
訝しげな目を向ける風紀委員に対し、かむろは咄嗟に思いついた言い訳でお茶を濁す。
しかし、相手もまた有栖川の恐怖政治に縛られている生徒の一人である事に違いはない。目論見通り風紀委員は鼻白むと、ホームルームで判決を言い渡す、とだけ言い残しそそくさとその場を去っていった。
(ふんっ! こちとら春からバリバリの正真正銘現役じょしこーせーやっ! 早々バレるようなボロは出さんけんね)
かむろはそんな背を見つめ、心のなかであっかんべーと舌を出し頭の横で両手をヒラヒラさせる。
(……しっかし胸糞悪いわぁ。でも、この子には悪いけど収穫もあった。規律を犯した生徒は放課後に呼び出されるんやな。もしかしたらこの子も呼び出されるかもしれへんし、その時までは近くで見守っといた方が良さそうや)
そうして未だ顔面蒼白の彼女を心配そうに見やりながら、かむろは得た情報と今後の行動指針を密かに仲間と共有するのであった。
件の高校から僅かに離れ、ここは最寄り駅から校舎までを繋ぐ道の上。
登下校時には多くの生徒達が通るであろうその場所で、リディア・ポートフラグ(竜のお巡りさん・h01707)はシデレウスカードに手を染めてしまった少年に静かに思いを馳せていた。
「正義感溢れる学生か。良いんじゃないか、そういうのも。正義のために手段を選んだりできないというのは仕方ないからな!」
他の√能力者達とは違い、以外にも有栖川に対し好感を抱いているリディア。
汚職警官という清濁併せ飲む生業をしている彼女にとって、有栖川の所業は決して非難されるだけのものではなかった。
正義を為す事の難しさはよく知っている。そしてその為には時として何かを犠牲にする必要があるということも。
(星詠みや他の仲間達が集めてくれた情報から察するに、彼は随分と生きづらい性分をしていたんだろう……)
「とはいえ、裏に怪人がいるんじゃよろしくないな。ちょいとお仕置きして止めるとしようか」
時が経てば、彼も自然と社会と理想との折り合いをつけて、自分の力で成長していけた筈。
そんな未来ある若者を誑かし、道を踏み外させた黒幕に怒りを感じつつ、リディアはまずは情報収集だと高校周辺の聞き込みを始めるのであった。
(学校に潜入することも考えたが、流石に私が学生として紛れ込むのは難しいだろうからな)
今はまだその時ではないと割り切り、駅から学校までの道程を歩く。
そして時折キョロキョロと道沿いの店を見渡し。
「お、ゲーセン発見」
運良く早々に目当てのスポットを発見することができた。
高校近くのゲームセンターと言えば、古くから|不良《ヤンキー》のたまり場というのがお約束。
しかもリディアが見つけたその店は、やや年季が入った『いかにも』な佇まい。こういうのでいいんだよ、と満足げな顔を浮かべ、リディアは揚々と店内に足を踏み入れた。
「け、警察!?」
「おい普段の巡回はもっと夜だったろ!」
「きたねえぞ!!」
そして、入って早々に大バッシングを受けた。
リディアの目論見通り、このゲームセンターは午後の授業を早抜けした不良生徒達の溜まり場になっていたようだ。
そんな場所に、見るからに私は警察官ですと言わんばかりの女が立ち入れば、店内が騒然とするのは必至の事で。学生たちは筐体の前から立ち上がり我先に逃げ出そうと駆け出し始める。
「いやいや! 私はこの辺の管轄の者ではないし、君たちを取り締まりに来たわけでもない! 少し尋ね事があってね!」
そんな彼等を落ち着かせようと声を張り上げるリディア。
見回した限り有栖川が通っている高校の制服を着ている者はいないようだが、不良生徒同士のコミュニティもあるだろうと、リディアはそのまま店内全体に響き渡るよう説明を続けた。
「そこの高校の有栖川という風紀委員長について教えてほしいんだ!」
有栖川。
その名を聞いた瞬間、シン、と静まり返る店内。
罰が悪そうに顔を背ける者。額に汗を浮かべ恐れをうかがわせる者。彼等が何かを知っているのは火を見るより明らかだ。
「有栖川君と彼が次に狙いそうな人について教えてほしい。なに、嫌なら答えてくれなくてもいいんだ。ただこの後、私はその足でそこの交番の同僚の顔を見に行きたくなるかも、しれないがな」
そう言って、リディアは不敵に口の端を吊り上げながら不良たちを見回す。鋭い眼光で射竦められ、頭の回る者達はすぐに理解した。
これは脅しだ。
もし答えなければ直ぐにリディアの通報を受けた警官が自分たちを摘発しにやってくるだろう。
それを察した不良の1人が観念したように息を吐き出す。
「……分かったよ。だが、俺らが話したってのは誰にもチクるんじゃねえぞ」
彼の反応に満足そうに頷き、笑みを深めるリディア。
そんな彼女に舌打ちをしつつ、その不良生徒は過去に起こった事件のあらましを語り始めた。
「1週間くらい前のことだ。有栖川は放課後に風紀委員達を引き連れてこのゲーセンにやって来てよ。そん時ここにいた『あの高校』の生徒を無理矢理連行していったんだ」
「ふむ、だけど有栖川君が来たのは放課後。察するにそう遅くはない時間だったのだろう? ならば帰り道にゲーセンに立ち寄ったって、文句を言われる筋合いは無いのではないか?」
「ああ、相手が道理の通じる奴ならな。だが少なくとも有栖川にとっては、この店に来る奴は全員一括りらしい。当然、私は何も悪いことしてないーって反論した生徒もいたぜ? だけどそういう奴らは気づけばバタバタと倒れてて、すぐ風紀委員に荷物みたいに運び出されてったよ」
自分でも信じられないといった口ぶりの不良生徒。
一方リディアは、有栖川のその無差別な所業に眉を顰めていた。
正義のために手段は選ばないというところまではリディアも賛同できたが、彼がやっている事はどう聞いても独りよがり。どう解釈しても、そこに正義を感じられなかったからだ。
「だけどよ、一人だけその時偶然トイレに行ってて、有栖川の取締をスルーしたやつがいるんだ。で、そいつは今も高校に通ってる。裁かれないよう髪を黒に染め直して、必至に優等生ぶりながらな。だが、その程度でボロが出ない筈もねえ。そいつが捕まるのも時間の問題だろうよ」
そして、その幸運な生徒の名前や容姿をリディアに教えると、不良生徒はもう十分だろと言わんばかりに再びゲーム筐体の前にどっしりと座り込んだ。
「うむ、ご協力感謝いたします」
対するリディアも十分な成果を得ることができたと、先程までとは違う朗らかな笑みを彼等に向ける。
「ああそれと、これは私の個人的意見だが、学生の偶のガス抜きまで咎めるつもりはないよ。だがガスを抜きすぎた風船は床に転がるただのゴミと一緒だ。綺麗なまん丸になれとまでは言わないが……風船は自力で浮き上がってるやつの方が格好いいだろう?」
そう言い残し、リディアは後ろ手に手を振りながらゲームセンターを後にした。
説教臭かったかなと頬を掻いてみたりするが、後に残された不良たちのリアクションを見に戻るのも格好がつかない。
結局、彼女はそのまま再び高校へと向かうことにするのだった。
「さて、次の相手はパンパンに膨らみ過ぎた風船か。今日もお巡りさんは大忙しだねぇ」
午後の授業が始まってからしばらく立った後も、校舎の中は帳が落ちたように静まり返っていた。
教室から漏れ聞こえてくるのは教壇に立つ教師の声と異様に速い板書の音だけ。
教師と生徒がコミュニケーションを育む、そんな和気あいあいとした教育環境とはかけ離れた光景。
そんな閉鎖的な授業風景が並ぶ廊下を眺め、夜風・イナミ(呪われ温泉カトブレパス・h00003)は息が詰まりそうな感覚を覚え胸元を強く握りしめた。
「ルールは大事ですが……縛られすぎてもつまらないですよね」
そんな息苦しさを少しでもほぐそうと、小声で胸の内を吐き出す。
彼女は真面目で内気な性格ではあるが、目先の欲求に正直になりたいという感情も人並みに持ち合わせている。故に、こんな閉塞的な生活を強要されている彼等の事を想うと、いてもたってもいられなくなった。
高校生活は、もっと明るく楽しいはずなのに……。
「こんな体じゃなければ学生服で忍び込めたんですが……んもぅ……」
困ったように鳴き声を漏らすイナミ。
そう、高校へ潜入するなら、本来なら自分もかわいいセーラー服を着てみたかった。
だがそれもこの体――雄牛の獣人と融合してしまった黒く巨大な牛人間の姿では難しい。
しかも自身の魂にこびりついた雄牛の亡霊は常人に輪をかけて欲望に忠実だ。女子高生達の中に放り込んだら何をしでかすか分かったものではない。
「なにかに制限されて好きな服装も好きな事もできない苦しさ。すごくよく分かります……私が必ず救い出してあげますからね」
イナミは自身と彼等を重ね決意を更に強く固めると、巨体を屈め再びのそのそと校舎を徘徊するのだった。
そうしてたどり着いたのはとある教室の前。
ドアの窓からこっそりと中を覗けば、そこも他の教室と同様に、生徒たちが一心不乱に板書を書き写している真っ最中。
「制服JKぐへへ……じゃなくてぇ……ほんとに真面目で静かですね」
不意に湧いてくるゲスな情念を振り払い、イナミは改めて自身の用意した作戦を思い返す。
(本当なら生徒さん達に話を聞いて有栖川さんをおびき出す方法を聞くのがいいんでしょうけど、この姿じゃかえって驚かせちゃうから。私が人と正面からお話するのが苦手とかじゃなくて、皆さんの事を思ってやることだから……)
「だからこれは仕方なくなんですぅ! ちゃ、ちゃんと罰うけるまえにかばいますから助けますからぁ……!」
そんなどこか卑屈な決意を固め、そっと力を開放するイナミ。
彼女の瞳が紫の怪しい輝きを放ち、教室内に『堕落の呪い』を侵食させていく。
すると、それまで必死にペンを動かしていた生徒たちの動きが少しずつ鈍り始めた。
ある者は欠伸をこらえきれなくなり、次第に船を漕ぎ始め。
ある者は手の疲れからペンを机の上に放り投げ、ググッと伸びをして。
ある者は隣の席にちょっかいを出し、そのままヒソヒソと雑談を始め。
そして教室中に堕落の呪いが浸透した頃には、遂には生徒たちは誰一人として授業を真面目に聞かず各々好き勝手に行動し始めるようになってしまっていた。
中には男女で席を近づけて次第に肩と肩を触れ合わせ親しげに会話をする者まで出始める始末。(←大興奮ポイント。んもぅ……///)
そう、イナミが用意した作戦。それは能動的に情報を集めることができない自分の代わりに、生徒たちに騒ぎを起こしてもらおうというものであった。
つい先程まで守ると心に誓っていた生徒たちを思いっきり囮にしているのだが、欲望に正直になる呪いを受けた人はあらゆる負傷や状態異常に耐性を得るのでオールオッケー。むしろ安全。
倫理的な観点を抜きにすれば、イナミは最速かつ最適解とも言える方法を編み出したのだ。
「ちょっとあなた達、ちゃんと授業を聞きなさい! じゃないと風紀委員長が……はぁ、やってらんねぇ」
そして次第にその呪いは教師にも伝播したようで。
「あ~あ、生徒が聞いてくんないんじゃ私も授業する意味ないや。テストの採点でもしてた方がマシ……いや、それも明日でいいや。今日はもう授業ないし帰ろ~っと」
そんな事を吐き捨て、教師はチョークを教壇の上に放り投げてさっさと教室を出ていってしまった。
慌てて廊下の角に巨体を押し込んで身を隠し、その後の様子を窺うイナミだったが、その後も生徒たちは好き好きに盛り上がっているようで、誰一人として怒って帰った先生を呼びにいこうとする者はいない。
(あら~、欲望に忠実にしたのは私だけど、これがこの高校の元々の民度だったのかも? ちょっとだけ有栖川さんの気持ちも分かってきちゃったな……)
とはいえ、これで有栖川をおびき出すには十分すぎる騒ぎを起こす事ができた。
あとは彼がやってくるのを待つだけだ。
第2章 冒険 『シデレウスカードの所有者を追え』

●王 様 気 取
校舎に6限の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
その後、各クラスでは風紀委員立ち会いの元で、儀式然としたホームルームが執り行われる。
そこで風紀委員に名を呼ばれた者は放課後にどこかへと連行され、有栖川による判決と裁きを受ける事となるのだ。
しかしこの日のホームルームは普段と少し様子が違っていた。
「本日、とあるクラスで重大な集団規律違反が発生した。そしてありがたいことに有栖川様は直々にそのクラスに出向き粛清を行われると仰られた。よって我々風紀委員はお忙しい有栖川様にこれ以上の御負担をお掛けするわけにはいかないと判断し、本日中に我々に指導を受けた規律違反者は特別に不問とする。有栖川様の寛大な御心に感謝し、明日以降は心を入れ替えて学校生活に励むよう。以上!」
それを聞き、緊張と恐怖で身を強張らせていた生徒たちは逃げるように帰路に着いていった。その中には√能力者と知り合い、ぎりぎりの所で規律違反を免れることができた者もいたことだろう。
校内に潜みホームルームの様子を観察していた√能力者たちは、彼等の無事を安堵しつつ、急ぎ事件があったというクラスに向かう。
その場所に今回の事件の発端、有栖川がいるはずだ。
「今日はなんとも騒がしい1日でしたね。また明日から規律を引き締め直さなくては……」
一方、有栖川は憮然とした表情を浮かべながら、件の教室へと歩を進めていた。
昼休みから校内が妙にざわついているのは感じていた。
|この学校《自身の王国》の秩序に何かが侵食してきている。そんな漠然とした不安を抱いていた所に舞い込んできたのが、とあるクラスで発生した集団ボイコットの知らせだ。
自身の不安が的中してしまった事を悔やみつつ、かといって風紀の要たる自分が授業を抜け出して他のクラスを確認しに行くわけはいかなかった、仕方のないことだったのだと心中で自己弁護をする有栖川。
そんな妙に律儀で神経質で、それでいて誰よりも自身の非を許せない自罰的な性格の持ち主。それが有栖川の本性だった。
「まあいいでしょう……。今日のところは愚かなクラスを粛清し、明日登校してきた生徒たちの見せしめにすればいい」
苛立たしげに銀縁眼鏡を押し上げ、懐から怪しげな力を滲ませるカードを取り出す有栖川。
『ARIES×ARISTOTELES!!』
瞬間カードから星辰の力が湧き上がり、有栖川の体を包みこんでいく。
ねじれた角の冠を戴き、黄金の毛皮を纏った、皇帝のような堂々たる立ち姿。
「革命は、些細なことではない。しかし、些細なことから起こる。だが僕の帝国は些細な異物すら許さない。絶対的な規律を持って平和と正義を成してみせよう!」
アリエスアリストテレス・シデレウスへと変貌した有栖川は、その手に歪な角笛を抱き、裁きを待つ生徒たちの元へと向かうのだった。
※攻略情報
有栖川に接触できるのは教室に向かう廊下の道中、もしくは教室内となります。
接触後は戦闘による鎮圧か、説得による有栖川の戦意喪失によって無力化することができます。
また戦闘を行いたい場合はPOW以外の選択肢でもかまいません。プレイング内で戦闘を行いたい意思を明記し、そのための√能力が選択されていた場合、シデレウス怪人は下記のPOW、SPD、WIZに対応した反撃を行います。
また既存のSPD行動を選択したい場合は、廊下には風紀委員が、教室内には断罪を待つ生徒たちが残っているため、彼等の安全を確保するプレイングを記入してください。
※敵ユニット情報
『アリエスアリストテレス・シデレウス』
十二星座の1つ牡羊座と、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの力を持つシデレウス怪人。
戦闘を仕掛けた場合、√能力者の選択した能力に応じて、√能力に似た異能力で反撃を行います。
POW:ヘレズレクイエム
【黄金の角笛ラリホーンサックスの音波攻撃】を放ち、半径レベルm内の自分含む全員の【反逆心を削ぎ、睡魔】に対する抵抗力を10分の1にする。
SPD:プリクソス・サクリファイス
自身の【角と毛皮】を【黄金】に輝く【捨て身の高速形態サクリファイスポイント】に変形させ、攻撃回数と移動速度を4倍、受けるダメージを2倍にする。この効果は最低でも60秒続く。
WIZ:法は社会の秩序であり、良い法は良い秩序である
【アリストテレスの格言を言いながら、角や蹄】による近接攻撃で1.5倍のダメージを与える。この攻撃が外れた場合、外れた地点から半径レベルm内は【校則絶対準拠空間】となり、自身以外の全員の行動成功率が半減する(これは累積しない)。
ノシノシと苛立たしげに廊下を進む有栖川こと、アリエスアリストテレス・シデレウス。
その進む先、廊下の曲がり角に差し掛かったところで彼は足を止めた。
その先に何者かの気配を感じたからだ。
「生徒はもう帰ったはず……。先生ですか? なぜ隠れているのです?」
問いかけに答えはない。
代わりに曲がり角の影から現れたのは、彼に負けずとも劣らない巨影の姿。
「あなたはきっと、いい人なんでしょう……でも、今のあなたは危険です! 止めさせてもらいます! 絶対止めます!!」
巨影の正体、夜風・イナミ(呪われ温泉カトブレパス・h00003)が有栖川に対し決意と焦りをはらんだ声を投げかける。
元はと言えば、彼をおびき寄せるためとはいえイナミが堕落の呪いをクラスに振りまいたことが事の発端。
クラスの生徒たちを囮として利用してしまった罪悪感もあり、イナミはここで始末を付けるといち早く攻勢に打って出た。
「眠ってられないような刺激が強い温泉に入りたいです!」
|発動条件《オーダー》を口にしながら鉄の楔を廊下に打ち込み、√能力の領域を展開させていくイナミ。すると廊下に刻まれた亀裂からはこんこんと湯が湧き出し、その場を不思議温泉【牛の湯】の銭湯空間に変じさせていく。
「この力、あなたもシデレウス怪人ですか。僕の国に挨拶もなく現れてこの狼藉……罰を受ける覚悟があると見てよろしいですね?」
「んもぅ! 私は怪人じゃありません! それに温泉湧かせちゃダメなんて校則はないでしょう。難しいことを言ってないで温泉で癒やされてください!」
「廊下を砕くのは窓ガラスを割るのと同じ、立派な器物破損でしょう!」
怒りを顕に襲いかかってくるアリエスアリストテレス。
対するイナミは自身を|怪人《モンスター》側だと思われたことに憤慨しつつ、その蹄で廊下を踏みしめ迎え撃った。
そして振り上げられたアリエスアリストテレスの羊角がイナミの角とがっぷりと組み合い、一進一退の激しい攻防が繰り広げられる。
「『法は社会の秩序であり、良い法は良い秩序である』……アリストテレスの言葉です。この国に足を踏み入れた以上、あなたも僕の法の下にひれ伏してもらいます!」
しかし怒り狂うシデレウス怪人の力は、イナミの想像をわずかに上回っていた。
能力の発動条件を満たし、強化された膂力でイナミをじわじわと押し返し始めるアリエスアリストテレス。
「……その通りだな。良い法は良い秩序に成り得る。……では、悪法は何になるンだ? その暴力が、まさか良い法だとでも言うンじゃ、ねェよな?」
だが不意に飛び込んできた聞き覚えのない男の声がアリエスアリストテレスの注意を反らし、イナミは寸での所でその場を飛び退き窮地を脱する事ができた。
「新手ですか……。次から次に侵入を許すとは、教師たちは何をやっているんだ」
一方のアリエスアリストテレスは銭湯空間に包まれた廊下に目を凝らし、なおも言葉を投げかけてくる新手の姿を探る。
そして、それはあっさりと見つけることができた。
真っ白な湯気の向こうに、漆黒のシルエットくっきりと浮かび上がっていたからだ。
「教師は何をやっているのか、か。それも、その通りだな」
闇色のスーツを纏った男――ウィズ・ザー(闇蜥蜴・h01379)はゴーグルグラスについた結露を拭うこともなく、怒りが滲む淡々と紡ぐ。
しかしその怒りの矛先は有栖川ではなく、この学校そのものに向いていた。
(ったく、ガキにあんな顔させて。学生に自分がやらなきゃいけないと思い詰めさせてる時点で無能なンだよ。話にならねェわ)
有栖川は風紀委員長とは言え、まだまだ大人の手で守られるべき子ども。
それなのに彼へのメンタルケアも学校の治安回復も、なにもかもを放置していた大人たちに対してウィズは強い怒りを感じていたのだ。
しかし思うことは多々あれど、今は有栖川を止めることが先決だ。
「お前のやってる事は反社と同じだ。法律を傘に着てお前の利益の為に悪用しているに過ぎない。お前が本当にやりたかった事は利益の為に他人を蹂躙する事なのか? 本当は、何をしたかった?」
相手の非を正面から指摘し、その上で相手の目線に立って本心を聞き出す。
本来ならば生徒指導教諭が投げかけてやるべきだったその言葉に、アリエスアリストテレスの瞳が揺れる。
しかし……。
「僕がやりたかったこと……。くっ、決まっている! この学校に秩序をもたらし正義を為すことだ! 乱れた秩序の元に平和はない。それを正す事が悪だとでも?」
1つだけ誤算があったとすれば、相手はただの学生ではなく、カードの力により暴走したシデレウス怪人だったということだ。
「僕の正義を否定する者は悪だ。『幸福は暇にこそあると思われる』。さあ、さっさと倒れて僕を暇にしてください!」
「ちっ! 思った以上に根が深いな、こりゃ」
ウィズを次の獲物に定め、蹄を振り上げて突進してくるアリエスアリストテレス・シデレウス。
それに対しウィズはすかさず防御の姿勢をとるが、しかし彼の眼の前で振り上げられた蹄の動きは鈍重。
結果、ウィズは防ぐまでもなくその攻撃を難なく避けきった。
「ぐぅっ、なんだ? 体が、重い……」
「ふう、ようやく温泉の効能が効いてきたみたいですね」
混乱するアリエスアリストテレス。
それに対し体勢を立て直していたイナミは今も湧き続ける温泉を指差し、してやったりと昏く笑みを浮かべていた。
「今日の温泉は生薬たっぷりの薬湯。薬効は体温上昇、発汗、つらい肩こりの緩和、そして皮膚から浸透する麻痺効果です! 更にさっき取っ組み合った時に角から捕縛の呪詛も流し込ませてもらいました」
そう、イナミは何も伊達や酔狂で校内に温泉を沸かせたわけではない。
全ては|牡羊座《アリエス》のもたらす睡魔を打破し、且つ相手の動きを縛るための作戦だったのだ。
その結果、麻痺と捕縛を二重に受けたアリエスアリストテレスの命中率と攻撃力は大幅に低下していた。
「くっ、この場で戦うのは分が悪いか。だが最後に支配するのは僕だ」
自身が攻撃を受けていたことを理解し、たまらず身を翻すアリエスアリストテレス。
当然、逃がすものかと駆け出そうとするウィズとイナミだったが、しかし……。
「はァ!? どうなってンだ!」
「追いかけたくても、走れないですぅ……」
ズンズンと歩いてく彼の背を追おうにも、その意思に反して体が前に進まない。
そうこうしている間にも、彼との距離はどんどん離れていく。
「|牡羊座《アリエス》の属性が眠りなら、|偉人《アリストテレス》の属性は言葉。既にこの空間は僕が敷いた校則に支配されているんだよ! 君たちは後でゆっくりと相手をしてやる!」
勝ち誇った声を上げるアリエスアリストテレス。
「ちっ!? そういうことかよ!」
そして彼の言葉にヒントを得たウィズが、思考を走ることから歩くことへと切り替える。するとさっきまでの体の強張りが嘘のように消え去り、脚は廊下の上をスイスイと進むようになった。
しかし法則が掴めたからといって後の祭り。
「廊下を走っちゃいけませんってか。どこまで良い子ちゃんなんだよ」
既にアリエスアリストテレスとの距離は、徒歩では到底追いつけない程に離されてしまっている。
だが手は届かなくても……。
「おい、有栖川! 俺の話しはまだ終わってねえぞ!」
先ほどの言葉に一瞬だけ垣間見えた有栖川の目の揺らぎ。その中に彼の善性の残滓を確かに感じとっていたウィズは、去っていく有栖川の背に向けて声を張り上げる。
「他人には心がある。道具じゃねェ。お前がやるべき事は、何だ?」
「……王に同じことを言わせるな」
一瞬だけ踵を止め、振り返ること無く吐き捨てる有栖川。
その姿が廊下の角に消えていくのを苦々しげに見つめつつ、しかしウィズは確かな手応えを感じていた。
「奴の心に楔を打つことはできた、か? この廊下みたく、直ぐに温けぇもんが湧いてきてくれりゃァ楽だったんだが。ったく、やっぱ生徒指導は専門外だ」
「他にも有栖川さんを助けようと来てる人はたくさんいます。後のことは任せるしかない、ですね。…………えーっと、吉報を待ってる間、温泉にでも入ります?」
「……麻痺すんだろ。普通に嫌だわ」
斯くして√能力者と有栖川とのファーストコンタクトは決裂に終わった。
しかし彼を想う真っ直ぐな言葉は、確かに有栖川の耳に届いたのだ。
その言葉に彼は何を思うのだろうか。
√能力者の追跡を振り切り、早足で廊下を進む有栖川ことアリエスアリストテレス・シデレウス。
王の法に背いた不埒な生徒たちが待つ教室はもう目と鼻の先。
しかし目当ての教室の前に仁王立ちする影が有栖川の足を止めた。
「王様気取りとは楽しそうだな」
腕組みして待っていったリディア・ポートフラグ(竜のお巡りさん・h01707)が、彼に対し不遜な眼差しを向ける。
「警察官? ……さっきの奴らの仲間か。我が国に無能なヒーローも警察も必要ない。正義を守るのはこの僕だ」
「それが誰のため、なんのための正義か。大事なことに気づいてないんだな……残念だ」
目的のために手段を選ばないという彼の評判には少なからず共感するところもあった。しかし目的よりも更に大切な、根幹の部分が破綻しているとリディアは彼の様子を見て瞬時に見切る。
情を失い、|箍《たが》が外れた正義は最早正義ではないのだ。
「まぁ、私は小難しい話は苦手だからな。私ができることはただ一つ。君を止めるため実力を行使する!」
全身を巡る決意と竜漿を炎に変えて、右目を燃え上がらせるリディア。
そして素早く踏みこむと、まだ身構える前のアリエスに向けて自慢の怪力を叩き込んだ。
「ぐおっ! 先制攻撃、だと……貴様それでも警察官か!」
「悪いことをしたなら殴られる覚悟も必要だぞ」
驚愕しつつ反撃の拳を突き出そうとするアリエス。しかしリディアはそれが繰り出されるよりも速く、更にスピードを増した拳で相手の攻撃の予備動作を上から封じていく。
怪人化しているとは言え、有栖川は戦闘訓練を受けた事のない男子生徒。
『煌炎天眼』を発動させたリディアの瞳には、その一挙手一投足が手に取るように見えていたのだ。
「な、舐めるなああ! 僕が、僕がこの国の王なんだ!」
しかし相手もただ一方的にやられるばかりではなかった。
アリエスは拳撃を咎められつつも全身を前のめりに突進させ、渾身の体当たりでリディアを突き飛ばす。
そして勢いのまま、ドアを突き破り諸共教室内になだれ込む両者。
突然の出来事に生徒たちが悲鳴を挙げるが。
「喚くな愚民共!」
しかし即座に起き上がったアリエスが、反逆者達をまとめて眠らせようと角笛を吹き鳴らした。
高音と低温が不気味に入り交じる不協和音が教室内に響き渡り、1人、また1人と意識を失い倒れていく生徒たち。
リディアもまた咄嗟に耳を抑えた姿勢のままうずくまり、そのままピクリとも動かなくなってしまった。
「ふん、僕に逆らうからこうなるんだ。これでまた平和が保たれ……ぐぅっ!?」
肩で息をしながら勝ち誇るアリエス。
しかし、突如として向う脛に走った鈍い痛みが彼の体勢を崩した。
「ああ、こらあかん。黙って聞いとれば|自己満足《ジコマン》ばっか! 呆れて言葉も出て|来ない《こおひん》わ」
そこに立っていたのは、折り重なった生徒たちに紛れこちらを睨みつける女子生徒の姿。
「君は……僕の学校の生徒じゃないな?」
その言葉にも女子生徒は憮然とした態度を崩すことなく、その場でクルンと一回転。元の姿に戻った屋島・かむろ(半人半妖の御伽使い・h05842)は、狸耳に突っ込んでいた耳栓を引き抜いて。
「はぁ!? なに言うたか聞こえんかったわー。まあええ、うちの花の青春ドリームにいらん不安抱かせよってからに! 一回ギャン言わしたるわ!」
怒りの声と共に跳躍するかむろ。
そして投げ扇による先制攻撃を加えた向う脛に素早く飛びつくと、拾い上げた扇で再びアリエスの脛を強かに打ち付けた。
「があっ! くっ、ちょこまかと!」
対するアリエスは鈍い痛みに苦悶しつつ、眼下のかむろに拳を振り下ろす。しかしその拳は空を切り、虚しく床にヒビを作るのみ。
「前や後ろや右左、ここと思えばまた彼方。|弁慶《でかぶつ》の攻撃が牛若丸に当たるかいな!」
机を橋の欄干に見立て、教室中を身軽に飛び回るかむろ。
『五条大橋・飛燕乱舞』。伝説のジャイアントキリングを再現した√能力が、的確かつ執拗に敵の急所に叩き込まれていく。
「くっ、この王を殴ったな。机の上に立っただけでなく……!」
ならばお前も眠らせるまで、と角笛を構えるアリエス。しかし突如として背後から襲った衝撃がアリエスの姿勢を大きく崩した。
「悪いことをしたなら殴られる覚悟も必要だぞ」
その衝撃の正体はリディア。うずくまっていた低い姿勢のまま駆け出したリディアが猛烈なタックルを仕掛けたのだ。
「お前は、僕の旋律で意識も反逆心も刈り取ったはず」
「私を誰だと思っている。徹夜慣れしたお巡りさんだぞ! そんなもの気合で耐えきったさ!」
そしてリディアは必死に眠気に抗っている間も、戦いの様子をしっかりと目に焼き付けていた。
(何度も脛に攻撃を食らっている。つまり今の彼は踏ん張りが効かないというわけだ!)
『煌炎天眼』で素早く相手の隙を見きったリディアは、組み付いた腕に力を込め大きく揺さぶる。
「反逆心は……これはお仕置きであって反逆ではないから。残念だったな!!」
たまらず足をふらつかせるアリエス。そしてリディアは今がチャンスと全身の筋肉を躍動させると、その巨体を高々と持ち上げ上半身を仰け反らせながら教室の床に倒れ込む――渾身のバックドロップをアリエスに叩き込んだ。
「げはぁっ! そ、そんな無茶苦茶な言い分、まかり通って、たまるか!」
「お・ま・え・が……それを言うなや!」
そこへ更に追撃を仕掛けようと、かむろが牛若丸の如き身軽な体捌きで教室の天井まで飛び上がる。
そして天井を蹴って加速すると、床にめり込んだアリエスの顔面に向けて、おしおきとばかりに渾身のゲンコツを叩き込むのであった。
「ぐ、おぉぉ……。王に対し何たる侮辱を」
肩で息をしながら立ち上がるアリエスアリストテレス。怒りを覚えつつ、眠りについた|生徒《国民》たちを一瞥する。自身のこの不甲斐ない姿を見せずに済んだことだけが不幸中の幸いか。
「随分こっぴどくやられたな。お仕置きはもう十分みたいだ」
しかし不意に聞こえてきたその声に、アリエスは弾かれたように振り返った。
そこにいたのは教室のドアに手をかけ、こちらを見つめる青年。
戦意の感じられない穏やかな表情に不信感を覚えつつ、アリエスは角笛を構えた。
「おっと、俺は戦いに来たんじゃない。救いに来たんだ」
声の主――空地・海人(フィルム・アクセプター ポライズ・h00953)がおもむろに腕を振り、周囲の空間に『忘れようとする力』を振りまく。
世界の修復現象が加速され、睡魔の呪力から開放されていく生徒たち。その様子に驚きつつ、アリエスは苦々しげに海人を睨みつけた。
「お前も僕の国を壊す侵略者か。僕の正義を汚す無礼者は絶対に許さない!」
憤怒の形相を浮かべるアリエス。それに対し海人は尚も身構えることなく、いやと頭を振ってまっすぐ彼を見つめ返した。
「何も生徒たちだけを救いに来たんじゃない。俺は君も救いに来たんだ、有栖川君。ある意味では君もシデレウスカードに狂わされた被害者の一人なんだから」
そう、海人の|目《ファインダー》に映っているのは冷酷なシデレウス怪人ではなく、普通の高校生の有栖川なのだ。
自分と歳近い少年が悪に誑かされようとしているならば、それを救い出すのもヒーローの役目だ。だからこそ海人は変身して戦うのではなく、有栖川を説得する道を選んだ。
「だけど俺の言葉だけじゃ王様という殻に閉じこもってしまった君には届かないだろうから……ここが国なら俺は民意の力を借りることにするよ」
そう言って少しだけ意地の悪い笑みを浮かべながら一眼レフを構える。レンズを向ける先は、覚醒し起き上がり始めたクラスの生徒たちだ。
「なっ、やめろ! 僕の生徒になにを!」
「人々の自由を奪う悪い王様には、革命を起こしてやらなきゃな。さあ、みんな! 有栖川君に言いたいことがあるだろ? 腹を割って話そうぜ」
静止の手が伸びる前にシャッターを切る。
すると『ダオロスの聖なる光』に包まれた生徒たちの顔がみるみる高揚し始めた。ある男子生徒は怒りに震え、またある女子生徒は涙を流し、一様に有栖川に向き直る。
「こんな生活、もう無理だよ!」
「私の知ってる有栖川君は厳しいけどもっと誠実で公平な人だった! ねえ、元の有栖川君に戻ってよ!」
「俺達が高校生でいられるのもあと少しだろ。もっと今を楽しんだっていいじゃないか!」
「もっと皆と遊んだりお喋りしたりしたいよ!」
口々に投げつけられる本音たち。
その喧騒は王たる有栖川が最も嫌う物の一つだったが、しかし無下に振り払う事もできなかった。
国民達の、いや高校生活を共に歩んできた同級生たちの真っ直ぐな眼差しが、言葉が、まるで槍のように有栖川の心に深く突き刺さっていく。
「くっ……黙れ。僕は正義を成しているんだ」
再び眠らせてやろうと角笛を口に運んでも、口から漏れるのは浅い息だけ。
角笛がそれを受けて僅かに音色を漏らすも、そのかすかな音は生徒たちの声にかき消され、なんの効果を発することはなかった。
そして海人はそんな有栖川の様子を見つめゆっくりと頷いた。
「……有栖川君。薄々気づいてるだろ? 自分が間違った側に立ってるかもしれないって。今ならまだ間に合う。王様気取りをやめて、みんなと話し合った方がいいと思うぜ」
カメラを手近な机の上に置いて傷つける意思がないことを示しながら、有栖川に歩み寄る。迷いに歪んだ彼の瞳は、そんな海人の姿をまっすぐ映し出していた。
「ルールが大事だってのは同意するよ。だけどカメラマンの視点から言わせてもらえば、それだけに縛られるのはもったいないぜ? だって人生に同じ|瞬間《シャッターチャンス》は決してやってこないんだから。それを君だけの正義で縛るのは、やっぱ少し違うだろ?」
「くっ、うわああああああああ!!」
その言葉に有栖川はたまらずドアを乱暴に開けて、逃げるように廊下に駆け出していく。そんな彼の後ろ姿を見送りながら、海人は自身の役目が果たされたことを察した。
有栖川君は暴走してしまっただけで、元々は善意の人だ。きっと気づいてくれるはず……。そう願いながら、机の上に置いたカメラを再び手に取る。
「……本当に怒りを向けるべきなのは、そのカードを渡した怪人の方だ。」
カメラ――フォトシューティングバックルを強く握りしめ、怪人への怒りを燃やす。
そして海人は瞬間瞬間を懸命に生きる彼らの日常を取り戻す決意を固め、バックルを丹田へと強くあてがうのだった。
「ありえない……正しいのは僕だ。僕こそが正義なんだ!」
自身の敷いた法を忘れ、逃げるように廊下を走るアリエスアリストテレス。
睡魔の力を打ち払われ、更には|生徒《国民》たちにまで拒絶された彼の心は大きく揺らいでいた。
有栖川は誰も抗うことのできない絶対的な力のみを後ろ盾に学校中を支配していた。故に此度の敗走は城が石垣から崩れるのと同義だったのだ。
そして覚束ない足取りで校内を彷徨う彼の前に新たな√能力者が姿を現した。
「探したよ、有栖川君。初めまして。ボクは星宮・レオナ、君を止めに来た人間だよ」
廊下の真ん中で待ち構えていた星宮・レオナ(復讐の隼・h01547)が有栖川の行く手を塞ぐように両腕を広げる。
あえて無防備を晒し敵対する意思がないことを示せば、有栖川も敵対心を緩めてくれるかもしれない。一か八かの賭けだったが、有栖川は想定していたよりも遥かに素直に彼女の前で足を止めた。
「僕を止めに来た、か。なぜ皆僕の正義を分かってくれないんだ」
有栖川の目に浮かんでいるのは悲壮と諦観。虚栄心のメッキが剥がれ落ちつつある彼の姿は、異形でありながら、その雰囲気はどこにでもいる高校生とさして変わらなかった。
そんな有栖川の様子に、レオナは先程の調査で聞いた彼の素性を思い出した。
「……本来の君は生真面目で正義感が強い人なんだっていうのは分かる。許せない事や間違ってれば先輩でも教師でも食ってかかるのは凄いと思う」
刺激しないためのおべっかなどではなく、本心からの言葉。だからこそ、素晴らしい『強さ』になり得たその正義感が歪んでしまったことが残念で仕方ない。
「だから、今の君じゃなく、そんな君に聞くよ? 自分の中のルールを押し付けて、それに逆らった相手は力に物を言わせて黙らせて、まるで暴君の様に支配する。それは本当に正しいのかい?」
「くっ、君もそんなことを言うのか。どいつもこいつも……知った口を! ならば君たちは許せるのか? この学校だけじゃなく世の中のどこを見たってルールを平気で破って、時には他者に危害を及ぼすような奴らはごまんといる。そんな奴らが真面目に生活している者を見下して好き勝手に生きているんだ」
問いただすレオナの言葉に有栖川は叫ぶように答えた。
「そんなの間違っている! 結局はルールを守って普通に過ごす事が出来る人間が一番凄いんだ。ルールを守る者こそが正義だ! そうだろう!」
次第にヒートアップする口振り。堰を切ったように溢れ出す言葉の本流。
それらは間違いなく彼の本音の一端なのだろう。しかし角を翻し口の端を泡立たせながら捲し立てる有栖川の様子はどう見ても正気ではない。シデレウスカードの力によって増長してしまったが故の暴論だ。
きっとこのまま説得を続けても、彼を本当の意味で救い出す事はできないだろう。そう予感したレオナは、広げた腕をゆっくりと下ろしながら静かに言葉を紡いだ。
「秩序や法って言うのは、人が他人と円満に社会で生活していく為の物の筈だよ? 雁字搦めにして奴隷の様にするものなんかじゃ無い」
「綺麗事を……! 法は力だ。力でもって人を導く。それが社会であり国だ!」
いよいよ持って破綻した理論を振りかざしながら有栖川――アリエスアリストテレスシデレウスは床を強く踏みしめる。
するとその体を覆うマントと角が金色の光を放ち、細身なシルエットの毛皮とより鋭い角へと変化していった。
「仕方ない……力付くで止めるしかない、か」
それに対しレオナは左手首に巻いた腕時計――モバイルデバイス型に収納していたマグナドライバーに右手を伸ばし素早く展開。今にも走り出そうとしているアリエスに銃口を向ける。
「|旋風破砕《エアロバスター》!」
そして撃ちだされたのは突風の弾丸。真空の刃を生み出しながらアリエスに迫るそれは、しかし捨て身の高速起動形態となったアリエスに紙一重で躱される。
「僕こそが王! 僕こそが国! 僕こそが正義なんだ!」
床を、壁を、天井を。アリエスは無軌道に跳び回りながら次々と弾丸を躱していく。
しかし彼奴は気づいていなかった。
マグナドライバーが弾丸を撃ち出すごとに、廊下内に吹き荒れる風が少しずつその風速を速めていることに。
「せめて一瞬で決める……。少しだけ我慢して」
覚悟を決めて走り出すレオナ。追い風を力強く背に受けて、彼女の体は瞬く間にトップスピードに乗って吶喊する。
改造人間としての|機能《スペック》、√能力者として磨き上げた|経験《スキル》、その2つが生み出す速度はシデレウスカードがもたらす仮初の異能とは比べるべくもなかった。
「有栖川君、もう目醒めの時間だよ!」
そして突き出された右腕がアリエスの角を掴んで廊下に引き倒し、その細腕からは信じられないほどの怪力が金色の光ごとその雄々しき角を|握り砕いた《・・・・・》。
「ぐっ! が、あ! ああぁぁぁ……っ!」
高められた異能は『ルートブレイカー』によって霧散し、更に力の集約点である角までもが破壊されたアリエスアリストテレスシデレウスの姿が見る見る内に萎んでいく
遂には本来の姿にまで戻った有栖川は、廊下に倒れ伏したまま腕で顔を覆った。
「ああ、ああああ!!」
喉から漏れ出てくるのは慟哭。
悔しさではなく後悔を孕んだ声が虚しく廊下に響き渡った。
「そうだよ、気づいてたさ……。本当の意味で、綺麗事を言ってるのは僕だって。それなのに、僕は、みんなに酷いことをして……」
拭っても拭っても涙が溢れ出てくる。
有栖川について聞き込みをしていたレオナには、今の彼が自身の犯してしまった過ちに押し潰されそうになっていることが容易に想像できた。
「いいんじゃないかな。ボクは好きだよ、綺麗事。ルールを守って皆仲良くとか、頑張った人は報われるとかさ。やっぱりそうあってほしいって、皆思ってると思うんだ。実際は難しいんだけど」
そう語りかけるレオナの脳裏によぎるのは不条理に塗れた自身の過去。
もしも世界中の人々が綺麗事のような平和を追い求めていれば、きっと家族は命を落とすこともなく、自分は今も幸せな高校生活を送っていたはず……。
しかし、それは叶うことのない夢想。だけど。
「だけどさ、だからこそ、まっすぐその理想に向き合ってきた有栖川君のこと、ボクは嫌いになれないよ。この学校の皆の中にも、そういう人いるんじゃないかな?」
精一杯の慰めの言葉。きっとこの言葉すらも綺麗事なのだろう。
だけど今ならまだ、この綺麗事を現実にするチャンスは残っている。
この事件の黒幕を打ち砕いて、取り返しがつかなくなる前に眠らされていた人達を全員無事に救い出すことができれば、きっと。
「後は、ボク達にまかせて」
後悔に泣き崩れる有栖川をその場に残し、生徒たちが囚われているという場所――体育館に向けて歩を進めるレオナ。その決意に呼応するかのように、彼女と共にある猛き獣の魂達が唸りを上げた。
第3章 ボス戦 『朧魔鬼神【怪人態】』

●朧 魔 君 臨
「アリエスアリストテレスの反応が消えた、か……」
茜色に染まる校舎の前に突如として降り立つ凶悪な影。
彼奴の名は朧魔鬼神。かつて√マスクドヒーローに弓引いた悪の組織「朧魔機関」の首領である。
一度は敗れ現在は死体に憑依する形で復活しているに過ぎない存在ではあるが、その邪念に満ちた魂はそこに存在するだけで周囲に重苦しい|圧迫感《プレッシャー》を放っていた。
「有栖川め……ふん、所詮は奴も羊。生贄になるしか能のない衆愚の象徴か」
そう、彼奴こそが今回の事件の元凶。
シデレウスカードを手渡すことで有栖川の正義感の歯止めを壊し、生じた心の隙に悪の思想を教唆する。たったそれだけの事で有栖川は見る見る内に暴走し、高校は彼の帝国となったのだ。
「まったく出来の悪い生徒であった。だが、まあいい。これで全ての星座が市井に行き渡った」
落胆の言葉を吐き出す朧魔鬼神。
しかし口振りに反し、その声音がはらむ感情はどこまでも無感情。まるで有栖川には元から期待していないとでも言うように淡々と言葉を紡ぎ、朧魔鬼神は校舎――体育館へと足を向ける。
「『ジェミニの審判』の日まで猶予は幾ばくもない。来る日まで我はシデレウス怪人を生み出し続けるとしよう。手始めに奴が眠らせた生贄共を頂戴するとするか」
※補足情報
朧魔鬼神と接触するのは校門から体育館までの道程。
生徒の居残り禁止令が敷かれているため校庭は無人。
体育館内には多くの生徒や教師が眠らされ囚えられているが、現在はアリエスが倒されたことで徐々に眠りから覚めつつある。