シナリオ

天使がいた村

#√汎神解剖機関 #天使化事変 #羅紗の魔術塔

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 #√汎神解剖機関
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●天使と犬
「どうしてこんなことに……」
 ピンクを基調とした、かわいらしい|私室《へや》。窓際に置かれたベッドの上で、10歳ほどの少女―――ゲルダは布団を被ってうずくまっていた。
 今日は朝から熱を出してしまい、珍しく学校を休んでいる。女手一つで育ててくれている|母《ママ》は「誰だって風邪くらいひくものよ。おとなしく寝てなさい」と、薬を買いに行ってくれたが……。
「コレが、私のカラダなの?」
 ゲルダはギュッと己の身体を|抱《いだ》いた。
 髪は白金、涙に潤む瞳は|黄金《こがね》、そして、細く小さな手足は白磁……。
 ひと眠りして目覚めたら、身体が「|出来の悪い人間の偽物《未知の神秘金属》」に変わってしまっていた。
「こんな姿じゃ、みんな、|私《ゲルダ》だって気づいてくれないよ!」
 ゲルダがそう叫んだ瞬間、クゥンとベッドサイドで鳴き声が上がった。
 布団の隙間から、少女は声のした方へと視線を向ける。すると、そこには雄犬が座っていた。
「……サミー?」
 それは、サミーと名付けられた、黒いジャーマン・シェパード・ドッグ。ゲルダが幼い頃からずっと一緒に暮らしてきた犬だった。
「だ、ダメよ、サミー。こっちに来ないで! 私を見ないで!」
 もし、家族である|サミー《イヌ》に拒絶されたら、「お前なんて|ゲルダ《かぞく》じゃない」という態度を取られたら、きっと絶望してしまう。
「私、どうすればいいの? 誰か、助けて……」
 一体何が起こったのか、そして、どうすればいいのか。
 何も知らない少女は、ただ震えることしかできないのであった。

●星詠みが得たゾディアック・サイン
「誰が言ったかは忘れたが……人生ってモンは、まさに地獄よりも地獄的だよな」
 五百住・遊悟(沈黙の掟・h03324)は、箱から煙草を1本引き抜いた。
「予兆を見たなら知ってると思うが……√汎神解剖機関のヨーロッパ各地で、善良な人々が『天使化』するっていう事件が発生してる」
 指に挟んだ煙草を揺らしつつ、遊悟は星詠みの力で予知した内容を語り出す。
 ―――『天使化』とは、「善なる無私の心の持ち主のみ」が感染するとされるヨーロッパの風土病。
 感染者の|殆《ほとん》どは、理性や善の心を失った『オルガノン・セラフィム』という怪物に変貌してしまい、本能的に天使を襲撃・捕食しようとする。
 だが、理性も善の心も失わず、肉体だけが異質な存在に変貌し『天使』となる者がまれに現れる。
「|『羅紗の魔術塔』《敵対組織》の魔術士が、その天使たちを奴隷化して連れ去ろうとしている。
 だから、その「天使になっちまったヤツ」を救出して欲しいんだ」
 遊悟は一瞬遠い目をしたが、すぐに√能力者たちの方へと視線を戻した。

「今回、みんなに向かってもらいたいのは、ヨーロッパの田舎にある山村―――住人の大半が『天使化』しちまった村だ」
 オルガノン・セラフィムがうろつく山村に、天使が取り残されている。遊悟はそう語った。
「まずは、村の中にいる|オルガノン・セラフィム《コイツら》を……その、排除、してほしい。
 コイツらは、天使を喰おうと探し回ってるから……」
 |オルガノン・セラフィム《身も心も怪物》になってしまった元住人たちも、元を正せば善良な人々。
 だから、倒すしかない。彼らが望みもしなかった|殺人《つみ》を犯し、「人間としての尊厳」まで失ってしまう前に。

「次に、村の中央付近に建ってる一軒家に向かってくれ。そこに、天使が飼い犬と共にいるはずだ。
 見つけたら、速やかに村の外まで連れ出してやってくれ」
 他にも取り残された天使がいるかまでは|詠めなかった《予知できなかった》から、臨機応変に対応してくれ、と遊悟はすまなそうに肩をすくめる。
「ここに留まる危険を説けば、ある程度は自発的に|行動《脱出》してくれるはずだ。
 ああ、敵の横やりが入らないよう、逃げ道に罠を張っておくのもいいかもしれないな。
 場合によっては、天使を抱えて|突破《ダッシュ》するのもアリか。
 ……どんな手段を取るかは、みんなに任せる」
 外で待っているのは、天使にとっては残酷な現実。
 それでも、|村の外《げんじつ》へと連れ出さなくてはならない。
 もはや|家の中《かこ》に留まることはできないのだから。

「ただ、天使を村外へと連れ出しても、それで終わりじゃない。
 すぐに|『羅紗の魔術塔』の魔術士《天使を狙うもの》が追ってくるだろう」
 ―――ヨーロッパの秘密組織『羅紗の魔術塔』に属する、強大な羅紗魔術士『アマランス・フューリー』。
 彼女は貴重な天使を奴隷化すべく、|√能力者《われわれ》からの強奪を試みるだろう。
「もしスムーズに|脱出《コト》が進んでいれば、『アマランス・フューリー』が直々にお出ましになるはずだ。
 彼女は|天使《ターゲット》を奪われてなるものかと焦ってる。だから、まずはみんなの排除をもくろむだろう」
 交戦する際は|彼女《アマランス》の撃破だけを考えればいい、と遊悟は説明した。
「もし時間がかかった場合は、彼女ではなく、彼女の仲間―――赤羅紗の魔術師『レッド・ウーレン』が出てくるだろう。
 ソイツは、みんなと戦うことよりも、天使を奪取することを優先してくる」
 少々難しい戦いになるかもしれないが、みんななら問題なく対処できるさ、と遊悟は言う。

「事情も分からないまま|肉体《じぶん》が変わっちまった。それだけで、相当な|精神的負荷《ストレス》のはず。
 その上、|怪物《バケモノ》になっちまった|村の仲間《しりあい》から命を狙われるなんて……」
 現実ってのはとても残酷で地獄的だな、と遊悟はつぶやいた。
「だから、天使を|苦境《じごく》から救い出してほしい。どうか、よろしく頼む」
 遊悟は姿勢を正すと、√能力者たちに向かって奇麗に頭を下げたのだった。

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第1章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』


 ヨーロッパの山岳地帯にある、小さな山村。
 慎ましくも美しかったであろう村は、オルガノン・セラフィムと化した村人たちの手によって、今や地獄と化していた。
 |建物《いえ》が破壊され、家畜も無残に殺され、|道路《みち》は泥か|体液《ち》か判別のつかない不明瞭な液体によって汚れていた。
「ギァァ……」
 質の悪い|音声合成《AI音声》のような声をあげ、彼らは村の生き残りを探している。
 それは、本能的な行為だった。|哀れな怪物《オルガノン・セラフィム》にはならず、真に『天使化』した―――肉体こそ変貌しているが、理性と善の心を失っていない―――者を捕食したいという。
 本来持っていたはずの理性や善なる心は、彼らの中からとうに失われていた。
 そうでなければ、昨日までの|隣人《同胞》を襲い、食らおうとなどしないだろう。
 彼らが人間に戻ることはない。ゆえに、この場で葬るしかない。
 元々は善良であった彼らの「人間としての尊厳」を守るためにも……。
クラウス・イーザリー
見下・七三子

 赤黒く染まった村の石畳を踏みしめ、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は状況を素早く確認する。
「ここが|件《くだん》の……」
 今や見る影もないほど破壊された家屋の数々。散らばったレンガや石の年季の入りようから、先祖代々継がれてきた|家屋《もの》だったことがうかがえる。
 無残に切り裂かれて絶命した家畜たち。その体格や毛並みから、これまで大切に育てられてきたことが手に取るように分かった。
 だからこそ、余計に悲しく見える。これらの惨状が、その|主《あるじ》たる村人たちの手によって引き起こされてしまったことが。
「ほんっとに嫌な事件ですね! 昨日までの良き隣人に追われるとか」
 クラウスの隣に立ち、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)はため息をこぼす。
「しかも、襲われるほうも襲う方も善人だなんて」
 善き人々だけが感染するという、『天使化』という名の風土病。
 同じ|土地《むら》に住むがゆえに、村人たちは同じ風土病に罹患した。
 けれど、その大半は『オルガノン・セラフィム』という名の|捕食者《かいぶつ》に、そして、たったひと握りの者だけが『天使』という名の|被食者《ひと》に変容した。
 昨日まで笑顔を交わしあっていたであろう者たちが、今や喰う者と喰われる者に変わってしまった。
「……何より、彼女のお母さんも……」
 それはきっと、自分たちが救出を頼まれた少女と、その母親にも当てはまるのだろう。
 七三子の|呟《つぶや》きに、クラウスも同調した。
「ああ。……やり切れないな」
「そうですね」
 |村人たち《かれら》はただ|風土病《やまい》に罹患してしまっただけ。
 誰が悪いわけでもない。だからこそ、余計に空しく、悲しい。

「……でも、感傷に浸っても、状況は待ってくれませんよね。
 今できることをやりましょう!!」
 七三子は愛用の仮面を被って気合いを入れ直す。
 クラウスも|粒子状のレーザー発生装置《レイン砲台》を起動させた。
「そうだね。
 ―――オルガノン・セラフィムは俺が引きつける」
 クラウスは√能力の【決戦気象兵器「レイン」】を発動させる。
 |彼ら《クラウスたち》の近くにいたオルガノン・セラフィムたちが、|頭上《そら》から降り注ぐレーザーの雨に貫かれ、その体勢を崩していく。
「了解です。では、私は各個撃破のお手伝いを!」
 |オルガノン・セラフィム《てき》に生まれた隙を見逃さず、七三子は利き足で地を蹴って身体を捻った。
「私ただの下っ端戦闘員なので!」
 七三子の√能力、【ヒット&アウェイ】が発動した。
 敵が七三子の姿を視認するよりも先に、鉄板入の革靴による後ろ回し蹴りが金属の|胴体《ボディ》に炸裂する。
「ごめんなさい」
 レーザーを喰らい弱っていた|部位《ところ》に、殴打による強烈な負荷をかけられたことで、敵のボディはふたつに分かたれた。
「……私はゲルダさんを助けたいので。
 私のために、あなたたちを攻撃しますね」
 動かなくなった敵を一瞥し、七三子はそう呟いた。

 ―――|決戦気象兵器「レイン」《レーザー光線》による|大規模《範囲》攻撃によって、近場にいる|オルガノン・セラフィムたち《敵》の|体力《タフネス》を削りつつ、遠方にいる敵の意識をクラウスに向かせて。
 敵の意識が|こちら《クラウス》に向いている間に、七三子が闇に紛れて敵の背後に忍び寄り、鋭い一撃を叩き込み、確実に撃破していく。
「―――七三子」
 何度目かの|砲撃《レーザー攻撃》の後、クラウスは眉をわずかに|顰《ひそ》めた。
「5時に、|生存者《ひと》」
「!」
 |簡素な言葉《クロックポジション》。その意図を正確にくみ取り、七三子は|クラウスが示した《5時の》方向へと走り出す。
「ギ……!」
「君たちの相手は俺」
 七三子の後を追おうとしたオルガノン・セラフィムの前に立ち塞がり、クラウスはスタンロッドを振るった。
「ギィャアア!」
 |レーザー《レイン》による熱傷、|打撃《ロッド》による挫滅、そして、|過電流《スタン》による|生体機械の故障《システムダウン》。
 積み重なったダメージに耐えきれず、オルガノン・セラフィムはその場に崩れ落ちる。
(「もう苦しむだけの理性も残されてないのかな……」)
 合成音にも似たオルガノン・セラフィムの声から、つぎはぎだらけの顔から、意志や感情を読み取ることはできなかった。
 だから、クラウスは自分で判断するしかなかった。何が一番、彼らのためになるのかを。
(「せめて、少しでも苦しまないように、安らかに眠れるように……」)
 苦痛を感じる間もなく逝けるよう、速攻で|決着《カタ》をつける。
 スタンロッドを構え直すクラウスの後ろで、レイン砲台がオルガノン・セラフィムへと砲口を向ける。
「ゲルダを手にかけるなんて、きっと嫌だろう?
 だから―――もう、|休んだ方がいい《おやすみ》」
 クラウスは決意と共に、再び|決戦気象兵器「レイン」《レーザー光線》を|使用した《放った》のであった。

「だ、大丈夫ですか!?」
 崩壊した|建物《薬局》の前。七三子は膝をつき、瓦礫の下から伸びている「もの」を掴んでいた。
 それは、白い腕だった。手の大きさや腕の感じから推測するに、成人女性のものだろう。
 きっと、オルガノン・セラフィムから逃げている際に、建物の崩落に巻き込まれてしまったのだ。
「だ……れ?」
「名乗るほどの者では……って、それよりも、いま、助け……っ」
 瓦礫の中から聞こえてきたのは、くぐもった女性の声。
 反射的に答えようとして、しかし七三子はそのまま言葉を飲み込んだ。
(「これ、は」)
 七三子が掴んだ腕。|人間《ヒト》特有の柔らかくあたたかいその手は、しかし、徐々に金属的な物質へと変化しはじめていた。
(「天使化……」)
 この瓦礫の下にいる人は、『天使化』しはじめている。
 病が全身を支配して、|怪物《オルガノン・セラフィム》となるのが先か。
 それとも、瓦礫の下敷きになったことで、人間として圧死してしまうのが先だろうか?
「親切な方、お願い……どう、か、私の娘、ゲルダ、を!」
 白い手が、万力のように強い力で、七三子の手を握り返してきた。
「ですが、それではあなたが!」
「私はもう……。だから、ゲルダを、助けて……っ!」
 こんな怪物たちに襲撃されたら、幼い娘はひとたまりもない。私のことはいい、代わりに娘を助けてあげて。
 お願いしますお願いします、と壊れたレコーダーのように、瓦礫の下にいる|女性《ひと》―――きっとゲルダの母親であろう―――は繰り返す。
「……大丈夫、です」
 ギュッと一瞬だけ強く唇を噛みしめて。
 相手を安心させるように、七三子はできるだけ落ち着いた声で語りかけた。
「ゲルダさんは、無事です」
「ほ、んとう、に?」
 七三子を掴む手の力がさらに強くなる。
「本当だ。俺が保障する」
 ふいに頭上からクラウスの声が振ってきた。
「終わったんですか?」
「残りは、そんなに多くなかったから」
 驚きの声をあげる七三子の隣に、クラウスはしゃがみこんだ。
 そして、七三子を掴む女性の手を、ゆっくりと外していく。ぬくもりが失せはじめ、固くなりはじめているその手を……。
「私たちは、ゲルダさんを助けるため、ここへやってきました。だから」
 ―――あなたは十分に頑張りました。だからもう、|休んで《眠って》いいのですよ。
 そう口にする代わりに、七三子は優しく女性の手を撫でた。
「ああ、ゲルダ、よかっ……」
 安堵したような吐息が聞こえ―――そして、彼女の手から力が抜けた。人としての形を、辛うじて残したまま。
「……行こう」
 |俯《うつむ》いてしまった七三子の肩を、クラウスは軽く叩いた。
 人のまま逝けただけ、看取る誰かがいただけ、この女性は幸福だったはずだ、と。
「頼まれごとを叶えるためにも」
「そう、ですね」
 七三子は立ち上がった。|彼女《はは》に|ゲルダ《むすめ》のことを託された以上、ここで立ち止まっているわけにはいかない。
「ゲルダさんを早く保護しないと、ですよね」
「ああ、急ごう」
 そうして、ふたりは再び走り出した。|ゲルダ《天使》のいる家に向かって……。

マリエ・エーデルワイス
藤丸・標

 「善なる無私の心の持ち主のみ」が感染するとされる、『天使化』という名のヨーロッパの風土病。
 感染者の殆ほとんどは、理性や善の心を失った『オルガノン・セラフィム』という怪物に変貌してしまい、本能の赴くままに『天使』を襲撃し、捕食しようとする。
 その症例が今、マリエ・エーデルワイス(終末時計・h02051)の眼前に広がっていた。
「……ひどい有様だ」
 マリエは|村と山の境《村の出入り口》に立ち、住人の大半が『天使化』した村の様子を|確認《観察》している。
 どの家に天使が隠れているのか、オルガノン・セラフィムたちは分からないらしい。ご丁寧に一軒一軒破壊して、家の中を確認していっているようだった。
(「自らが暮らしていた地を、こうも荒らすとは」)
 瓦礫の山と化した村を見て、マリエは眉を顰める。
 理性や良心というものが残っているのならば、きっとこのようなことはしないだろう。
 つまりこの惨状は、この村に暮らしていた人々が既に身も心も怪物になってしまったということの証明に他ならない。
「善なる|存在《にんげん》が、ひとつの病でこうも変わってしまうとはな」
「天使化とか、不思議なことが起こってるらしいね」
 小さくため息を漏らすマリエの横で、藤丸・標(カレーの人・h00546)はカツカレーを食べている。
 いつ食べてもカレーは美味しい。サクサク揚げたてのトンカツが乗っていればなおのこと。
「こんな時でも食欲は減らないとは。……戦の前の腹ごしらえというやつか?」
「そうよ。ほら、カレーが食べられれば、大体なんとかなるのよ」
 トンカツは脂がのっているが、カレーのスパイシーさがしつこさを払拭し、あっさりと食べさせてくれる。
 標は味に満足したように頷いた後、マリエに向かってニコリと笑いかける。
「華麗にサクッと、カツカレーのカツのように事件を解決……ってね!」
「そうか」
 そのくらい|逞しい《タフな》ほうがよいかもな、とマリエは苦笑気味に|呟《つぶや》く。
「さて……どう|陣取る《動く》?」
「私が|前に出る《囮になる》わ。|背中《死角》は任せてもいい?」
 カレーの最後の一口を飲み込むと、標は不敵な笑みを浮かべた。
「引き受けよう。お前は目の前の敵に集中してかまわぬよ」
「ありがとう。じゃあ、私は先に行くね」
 マリエの言葉に標は片手を振って応え、そのまま散歩にでも行くかのように軽やかな足取りで村の中へと入っていった。

「ギィ?」
 |侵入者《こづえ》の気配を察知したのか、それとも、カレーの|残香《かおり》を嗅ぎ取ったのか……オルガノン・セラフィムたちが、一斉に標の方を向いた。
「その口じゃあ、きっとカレーを堪能することはできないね」
 かわいそうにと標は眉尻を下げる。
 こんなに素晴らしい|食べ物《もの》を食べれない身体になってしまうなんて、と。
「でも、だからって|天使《ひと》を食べようとしてはダメ。
 そもそも、彼女は君たちの|仲間《隣人》だったはず」
「……」
 念のためと語りかけてみても、|オルガノン・セラフィム《村人》たちはこれといった反応を返さない。
 ただ、標との間合いを計り、いつ踏み込むかと機会をうかがっているだけだった。
(「やっぱり、もう意思疎通は無理なのね。ならば」)
 標の真正面にいたオルガノン・セラフィムが金属質な腕を伸ばし、鋭い鉤爪で標に襲いかかった。
 喉元目がけて繰り出された|爪《それ》を、標は|不思議な不思議なグレイビーボート《不思議道具》で受け止める。
「私の中に滾る熱いカレーが迸る!」
 標がそう唱えた瞬間、√能力の【荒れ狂うカレーの舞】が発動する。
「カレーに塗れて死ぬがよい!」
 寸前まで空っぽだったグレイビーボートから、ビッとカレーが―――否、カレービームが発射された。
「!?」
 熱くて|辛い《痛い》カレービームに貫かれ、オルガノン・セラフィムはドッとその場に倒れ伏した。

「……始まったな」
 標が戦いの火蓋を切ったのを確認し、マリエは|精霊銃《Edelweiss》を抜いた。
「汝らも被害者だ、救えなかったことは詫びねばなるまい」
 誰に聞かせるでもなくそう呟きながら、ブーツの先で足下をトントンと叩く。
「踊り明かそう、|哀れな子羊《オルガノン・セラフィム》の命が尽きるまで」
 √能力の【人形へのセレナーデ】が発動する。
 マリエの足下に広がる影がグニャリと歪み、そこから|彼女と同じ姿の少女《分身体》が12体ほど出現した。
「さあ、|もう戻れない《怪物と化した》彼らに、葬送曲と鎮魂の踊りを贈ろうではないか」
 マリエが|精霊銃《Edelweiss》を構えると、分身体も同じように照準を絞る。
「せめて、これ以上の罪を犯す前に終わらせてやろう」
 時間を司る精霊の加護を受けた|弾丸《魔弾》が放たれる。
 13発の魔弾が向かう先は、背後から標に飛びかかろうとしているオルガノン・セラフィム。
 頭、腕、腹、脚……全身に弾を受けたオルガノン・セラフィムの体内に流れる|時間《とき》が、急速に加速しだした。
「ギ、ガ……」
 奇妙な光沢感のある|神秘金属《からだ》が、急速に錆びていき、ボロリボロリと崩壊していく。
「我が救ってみせよう。天使も、そしてお前たちも」
 やがてオルガノン・セラフィムは金属の砂山と化し、風に吹かれて消えていく。
「|人の子《村人》よ、安らかに眠るといい。そして次こそ幸せになってくれ」
 村人たちは、|風土病《『天使化』》のことなど知るすべもなく。
 訳も分からぬまま|理性と良心を失った怪物《オルガノン・セラフィム》に|なって《されて》しまった。
 その悲しい魂が救われること、次の人生が良きものとなるように祈りながら、マリエは次の弾を装填したのであった。

「……終わったか」
 オルガノン・セラフィムが新たに姿を現すことがなくなり、マリエは|精霊銃《Edelweiss》を下ろした。
「少なくとも、この辺はね」
 同意するように、標も頷いてみせた。
 村境付近にいたオルガノン・セラフィムは倒した。ならば、あとは前進あるのみ。
「じゃあ、|迎え《助け》にいこうか」
「ああ。きっと怖い思いをしているだろうからな」
 標とマリエは肩を並べて走り出した。天使がいるという、村中央付近にある家に向かって。

第2章 冒険 『強行突破せよ』


 天使を探し出すために村を破壊していた『オルガノン・セラフィム』を排除しながら、√能力者たちは村の中央付近にある一軒家へと辿り着いた。
「嫌だってば!」
 玄関先には、ひとりの少女と、一頭の犬がいた。
 少女は頭から布団をかぶって顔を隠し、その場に踏みとどまろうとしている。
 しかし、彼女がどれほど己が身を隠そうとしても、布団を押さえる手や、|服《ズボン》の裾から覗く脚から、その身体が白磁にも似た|神秘《謎の》金属で構成されていることは明白だった。
 『オルガノン・セラフィム』が探していた天使―――ゲルダとは、彼女のことなのだろう。
「こら、サミー! やめて!」
 一方、彼女の|飼い犬《かぞく》である犬は、彼女の服を噛み、必死に引っ張っている。本能的に危険を察知したのか、|彼女《ゲルダ》を外へと連れ出そうとしているようだ。
「ダメよ、サミー。ママが帰ってくるまでおとなしくしてなきゃ……」

 玄関先からチラリと外を見ただけでも、|オルガノン・セラフィム《なにものか》が村を荒らしているのは分かる。だから、ゲルダとて、「村で何かが起きている」「自宅に留まっては危険だ」と感じ取っているはずだ。
 それでも家から一歩踏み出せずにいるのは、「自身の身体に起きた|異変《天使化》のせい」でもあるだろう。
 しかし、それ以上に、「自分のために外出した母親の身を案じている」に違いない。|自分《ゲルダ》がここに留まらねば、母はきっと危険地帯と化した村の中を探し回ってしまう、と。

 捕食しようとしてくる『オルガノン・セラフィム』から、そして、奴隷にしようと考えている『羅紗の魔術塔』から、天使を守り抜く。
 そのためにも、この天使を村から連れ出さなくてはなくては……。
クラウス・イーザリー
藤丸・標
見下・七三子
マリエ・エーデルワイス

「サミー、ダメよ。良い子だから、私の言うことを聞いて」
「クゥン!」
 家に留まろうとする|ゲルダ《天使》と、彼女を外へ連れ出そうとする|サミー《犬》。
 ひとりと一頭の攻防が玄関先から聞こえてくる。
 クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は「俺が先行するよ」と|√能力者《なかま》に目で合図をする。
 皆が頷いたのを確認してから、玄関のドアをノックした。
「えっ!? あ、あの……」
「お邪魔するよ」
 ノブを回せば、意外なほどあっさりとドアは開いた。
 いつ誰が来るかも分からないのに不用心だと思う半面、それほど住人同士が信頼しあっていたということなのかもしれないとも思う。
「えっ、あ、あの」
「君がゲルダだね」
|見知らぬ人々《√能力者たち》を見て、|少女《ゲルダ》は慌てて布団を目深に被り直した。
 その様を見て、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)は仮面の下の眉根を寄せる。
(「……無理もないですよねえ。
 自分の体が変異して、家の外には化け物が闊歩して、人の声は聞こえない」)
 眠りから覚めたら、自分は|異質な存在《天使》に変化してしまった。それだけでも混乱するというのに、|家の外《むら》からは人の姿が消え、代わりに化け物―――『オルガノン・セラフィム』が闊歩している。
 悪い夢なら早く覚めてくれ。そう思って当然の状況だと七三子は思う。
(「でも……」)
 それでも、自分たちはゲルダを連れ出さなくてはならない。
(「お母さんから託されたから。その約束、ちゃんと守らないと」)
 ゲルダの母親は、自分が助かることよりも、娘の身の安全を願った。その最期の願いを叶えてあげたい。
(「……何とか安心して欲しいです」)
 七三子は仮面を外して、ゲルダに近づいた。
「こんにちは。初めまして。お嬢さん、犬さん。
 私は七三子、と言います。
 お名前を伺ってもいいですか?」
「えっ……あ」
 ゲルダは被った布団の隙間からチラリと七三子へと視線を向け、おずおずと口を開いた。
「……ゲルダ、です。こっちは、|ペット《家族》のサミー」
 こんな格好で失礼します、とゲルダは身を縮こまらせた。
「いえ、今はそのままで大丈夫です。時間があまりないので、手短に」
 視線の高さを合わせるように七三子は片膝をつき、警戒を解いて貰えるよう優しく微笑みかける。
「この辺りで|流行《風土》病が発生しまして……その患者さんを保護するため、私たちは今、各地を回っています」
「病気……?」
「ええ。この病気、外見などに分かりやすい症状が出るんです。
 ゲルダさんも同じ病にかかってはいませんか? だから、姿を隠していらっしゃるのでは?」
 嘘はつかず、でも、極力怯えさせないように……それでいて、幼い少女にも分かるよう、かみ砕いた表現で七三子は伝える。
「どうかご同行願えませんか、もちろん、サミーくんも」
「クゥン……?」
 サミーは|ゲルダ《ご主人様》を背後に庇いつつも、√能力者たちを順に見ている。まるで、√能力者たちが信頼に足るかどうか、確認するように。
「今、この村は厄介な状態になっていて、ここに留まるのは危険なんです」
「でも、ママがまだ帰ってきてないの。ママは買い物に行ってて……」
 ママを置いて行けないと、ゲルダは申し訳なさそうにそう応える。
「俺達は、君のお母さんに頼まれて君を助けに来たんだ」
 クラウスはサミーを両手でなでる。武器を手にしていない、つまり、敵意はないのだと分かりやすく伝えるために。
「ママから?」
「ああ」
 母親の|最期《死》を伝えるか否か。ほんの少しだけ逡巡した後、それでもクラウスは口を開いた。
「落ち着いて聞いて欲しい。……君のお母さんは、もう……」
 ―――もしここで隠したとしても、外に出れば荒れ果てた村の有様を見ることになる。|『オルガノン・セラフィム』《元村人》と遭遇する可能性だってある。
 彼女はまだ幼い。悲惨な現実を突きつけられれば、動揺し、突発的な行動に出る可能性が高い。
 賭けにはなるが、母の死について、今ここで話してしまった方がいいだろう。
(「俺は嘘が上手くないし……何より、隠し事は、バレた時に信頼を失う」)
 嘘も方便という言葉もあるが、この場合、|嘘をつき通せない《直感で判断する》だろう|相手《サミー》がいる。素直に話してしまった方が良い。
「外で崩落に巻き込まれて、俺たちが辿り着いた時にはもう。
 ……間に合わなくて、すまない」
「え?」
 布団を掴むゲルダの白い手がピクリと震えた。
「君のお母さんは、最期まで君のことを気にしていた。助かって欲しいと願っていた。
 俺らの言葉を信じてくれなくてもいい。だが、せめて、一緒に来てはくれないか?
 君のお母さんの、最期の願いを叶えてあげるために」
「まま、が? そ、そんなのは嘘……」
 ゲルダは首を横に振った。何を言っているのか分からないと言いたげに。
 クラウスの真摯な態度から、嘘偽りを言っていないことは誰の目にも明白。
 ただ、彼女は認めたくないだけだ。|大切な人《母》がなくなったという事実を。

「見ず知らずの人間より、母を信じたい……その気持ちは察する」
 それまで成り行きを見守っていたマリエ・エーデルワイス(終末時計・h02051)は、重い口を開いた。
 生に執着を持たないのならば、この場に置いていくしかない。
 依頼の内容には反するが、かといって、無理強いをするのも違うだろう、とマリエは思っていた。
(「人間というものは、時として、死による解放を求めるものだからな。ただ……」)
 マリエはサミーの前にしゃがみ込むと、視線を合わせる。
(「ゲルダにとって残された最後の家族がサミーならば、その思いを伝えてやらねば」)
 ゲルダの気持ちを尊重するのならば、健気に|ゲルダ《ご主人様》を引っ張っていた|サミー《家族》の気持ちもまた、汲んでやらねばならない。マリエはそう思ったのだ。
「なあ、サミー。君はどう思う? どうしたい?」
 動物と話す|技能《スキル》を使用して、マリエは|サミー《いぬ》へ問いかける。
「……クゥン」
 サミーはひと鳴きすると、再びゲルダの服の裾を引っ張ってみせた。
「それが答えか」
「ワン!」
 確認するようにマリエが問うと、サミーは元気よく吠えた。
(「|天使化して《姿が変わって》もちゃんと主人を理解してるし、危険を察知しているからその場にいるのはマズいと分かってる」)
 なんて主人思いなワンちゃんなんだ、と藤丸・標(カレーの人・h00546)は思う。
 この犬は賢い。|表面的なものが変わって《外見が天使化しようと》も、ゲルダはゲルダだと、本能的に分かっている。
 きっと、村中が怪物に荒らされ危険だということにも察しているのだろう。
「……相分かった」
 マリエはサミーの頭を撫でると立ち上がり、真っ直ぐにゲルダを見据えた。
「ゲルダよ。君が母と運命を共にしたいのであれば、我々も無理強いすることはできない。
 ただ……この犬、サミーは賢く忠実なようだ。君を見捨ててひとりで逃げたりはしないだろう。
 それはつまり、君がこの場に留まるというのであれば、|サミー《家族》もここに留まり、命を落とすということ」
 突如現れた自分たちのことを信用できないのなら、それはそれでいい。
 この村と共に終わるのが望みだというのならば、その気持ちを否定しない。
 だが、共に生きのびることを願う|家族《サミー》の思いを無視するのは、よくないだろう。
「それでも君は動かないのかね?」
「それ、は……」
 マリエの言葉に、ゲルダは俯いてしまう。

「ごめんね。自分は病気になってしまったと分かって、|家族《母》が死んだと知って、本当は今すぐ泣きだしたいくらいに辛いよね」
 それはここにいる誰もが分かっているよと、標は話す。
「でもね、時間がないんだ。
 そのサミーは理解してるようだけど、この村には危険なモノがいっぱいウロついていて、このままだと君もサミーも殺されてしまう」
「危険なモノ? クマよりも?」
「うん。クマよりもっと危険だね」
 キッパリと言い切る標。ゲルダはサミーを見たあと、とつとつと話し始めた。
「このままおうちにいちゃダメだってことは分かりました。
 ……ママ、のことも」
 声を詰まらせ、身体を震わせ、それでも、頭を振って、再び口を開く。
「皆さん、すごく真剣だから……嘘じゃないって、本当に外で大変なことが起きてるって、分かりました。
 で、でも私、こんな姿になってしまって。
 本当にもう、何をどうしたらいいのか、分からないんです」
 悲しい、辛い、怖い、苦しい。
 今まで平穏に暮らしてきていただけに、突如降りかかった重い運命を前に、ゲルダの心が悲鳴を上げていた。
「今は目の前のことだけ考えるといい。辛い気持ちを抱えたままでもいいから」
 そう言うと、標はひらりと手を振る。ゲルダの気を引くように。
「力と√はこれ表裏一体。
 ターメリックはルー転し、シナモンは仄かに香る。
 されど人の世に蔓延るもの、おうちカレー! 食べるべし…」
 標は√能力の【華霊護穀戦】を発動させて、華霊魔神カルダモンを召喚した。
「これは……精霊か何か? お姉さんは|手品師《マジシャン》?」
 目の前に現れた魔神を見て、ゲルダは目を丸くする。
「そのようなものだと、今は思っておいて。本当は精霊じゃなくて魔神だけど。
 ―――君は自分の変化に驚いているかもしれないけど、こんな風に、世界には色んな|存在《もの》がいる」
 標の言葉に同意するように、カルダモンがうんうんと頷いている。
「大丈夫だよ。君は|ひとり《孤独》じゃない」
「ああ、そうだ。俺たちを頼ってくれ」
「私たち、あなたのお母さんと約束したんですから」
 標を援護するように、クラウスと七三子も言葉を重ねる。
「……はい!」
 ゲルダはスルリと布団を落とし、涙を堪えながらコクリと頷いてみせた。

「決まりだな。早く家を出よう」
 チラリと外を見やり、マリエが脱出を促す。|厄介な敵《羅紗の魔術塔》が手筈を整えるよりも早く、と。
「では、斥候は私が」
 七三子は仮面を被り直すと、ドアノブに手をかける。
「|高所《うえ》から、安全そうな|逃走経路《ルート》を案内します。みなさんは、後からついてきてください」
「ひとりで大丈夫か?」
 クラウスが声をかけると、七三子は軽く首を傾げた。
「ひとりじゃないですよ」
 ぐっと拳をあげて、√能力の【団結の力】を発動させる。
「ええっと、えいえいおー……、です」
 その場にいる全員と七三子の思念が接続される。
「敵を発見したら思念を飛ばしますので、そちらで対処をお願いしますね」
「お安い御用だ」
 七三子の言葉にマリエは頷いた。
「数分だけでいい。寄り道をしたいんだが、いいだろうか?」
「ああ、なるほど」
 クラウスのしたいことを察した七三子は「では、そのように」と応えると、先行して家を出て行った。
「|先導《みちあんない》を君たちがやってくれるなら、こっちはゲルダの護衛を担当しようか。……主にカルダモンがね!」
 攻撃もできるけど、いざとなったら回復技だって使えるし、と標は笑う。
「サミーのリードは……クラウス、頼めるか」
「構わないが、何故?」
 サミーのリードを受け取りながら、クラウスはマリエに問いかける。
「君は|サミーを守りながら戦える《盾を持っている》だろう? 我は|戦闘《こうげき》に専念させてもらうさ」
 マリエは先に外へ出て、ゲルダたちを手招きする。
「外は危険だらけだが、我らが君のことを絶対に守り通す。だから、安心して出ておいで」

 クラウスがゲルダたちを連れてきたのは、ゲルダの母が亡くなった場所だった。
 瓦礫の下から伸びていた白い手には、哀悼の意を捧げるように、ハンカチのようなものがかけられている。そのままは忍びないと、先行した七三子がかけたのだろう。
「あの、ここ、は」
 戸惑うゲルダの隣で、クラウスは虚空に向かって呼びかける。
「少し、話をしてもらってもいいかな?」
 クラウスの√能力の【穏やかな対話】が発動し、ゲルダの側を漂っていたインビジブルがその生前の姿を取り戻した。
『これは……?』
 半透明のその姿は、まさしく幽霊というのに相応しい。
 30代半ばといった風のその|女性《ゆうれい》を見た瞬間、ゲルダが息を呑んだ。
「お母さん!? あの、お兄さんはどんな魔法……」
 母親の霊からクラウスへと視線を戻すゲルダ対し、クラウスは厳しい顔をしてみせる。
「1分だけ。まだ危険が残っていたようだから」
 その腕には|小型の盾《セラミックシールド》が取りつけられていた。いつ流れ弾が飛んできても防げるようにと。
『アッ、大丈夫です! 5分は稼げますので!』
 七三子の思念が飛んでくる。姿を見せないということは、別地点で応戦しているということの現れでもある。
「なんだ、ひとりで|戦う《裏方》など、水くさい。どれ、我も加勢してこよう」
 |護衛《こちら》は任せたぞ、とマリエは|精霊銃《Edelweiss》を手に足早に去って行く。
「任された! いざとなったらカルダモンに運んでもらうから心配しないで!」
 標は去って行く背中に声を投げる。
『何から何まで、ありがとうございます』
 すべてを察したらしい母親の霊がクラウスたちに向かって頭を下げる。
「俺たちのことはいい」
 クラウスはゲルダの背中を押し、母親の霊の前に立たせる。
「ゲルダと話してやってくれ」
「ママ……」
 ゲルダは手を伸ばしかけて、ハッとしてその手を引っ込めた。
 しかし、母親の霊は気にとめず、優しく微笑みかける。
『ゲルダは生き残れたのね。サミーも一緒に。……本当に良かった』
「!」
 半透明の手が伸ばされ、ゲルダの頭に置かれる。
 実体を持たぬその肌は、決して触れあうことはない。
 それでも、姿が変わっても自分の娘だと認識できたことが、その仕草だけで伝わってくる。
「よ、良くなんてない! だって、ママは!」
 ポロリと黄金の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「ママと離れるなんて、会えなくなるなんて、嫌だよ!」
『そうね、ママもゲルダが大きくなるまで側にいてあげたかったけど。
 でも、あなたの隣に、サミーがいる。この、優しくて強い方々が、導いてくださる』
 ゲルダの瞳からとめどなく零れる涙。それを拭えないことにもどかしそうにしながらも、母親の霊は優しく|娘《ゲルダ》を諭す。
『あなたは、ひとりじゃない。それが分かっただけで、ママは|安心できる《うれしい》の』
 |天使《むすめ》を喰らう化け物になる前に、娘の|未来《いのち》を託して、死ねた。
 その事実に救われたと、母親の霊は呟いた。
『愛してるわ、ゲルダ。サミーと仲良くね』
 一方の手でゲルダを、もう一方の手でサミーをなでると、母親の霊はクラウスと標の方へと向き直った。
『ありがとうございました。もう十分です。
 ゲルダとサミーのこと、よろしくお願いします』
「やだ、ママ!」
 離れたくないと暴れるゲルダを、カルダモンが抱え上げる。
「お母さんの覚悟を受け入れてあげてくれ」
「ゲルダとサミーが生き延びること、それが一番の孝行だと思うよ」
 クラウスと標はゲルダを諭す。ここに留まり続ければ、自分の救助よりもゲルダたちの安全を願った母の覚悟を無駄にしてしまう、と。
「―――、……」
 ゲルダは反論しかけて、その言葉を飲み込んだ。
 直ぐ脱出した方が圧倒的に楽であっただろうに、それでもこの|回り道《再会》を選んだ。クラウスたちのその気持ちに気づいたのだろう。
「……私もママのこと、大好きだから。産んでくれて、育ててくれて、ありがとう」
 さようなら、とゲルダは嗚咽混じりに言った。
『さようなら、私の大切なゲルダとサミー』
 最後に優しく微笑んでみせてから、母親の霊は大気に溶け込むように消えていったのであった。

「別れの挨拶はできたか」
 クラウスを先頭にしてゲルダたちがやってきたのを見て、マリエは静かに問いかけた。
「……はい。ありがとうございました」
 ゲルダは目をこすりながら、それでもしっかりとした口調で話す。
「すいません。私、助けられてばかりで。サミーの方がよっぽどもお利口で……」
「いいんですよ。こういうのは、お互い様ってやつです!」
 半壊した家屋の屋根の上から、七三子の声が振ってくる。
「大切な人を失ったんですから、ゲルダさんが冷静でいられないのは当然です。だから、お気になさらず」
「|道《ルート》は大丈夫そう?」
 標が問いかけると、マリエは頷いた。
「この辺りにいた敵は、我と七三子で排除しておいた」
 村へ突入する際にかなり倒していたこともあり、この|辺り《むら》にいるオルガノン・セラフィムはほぼ排除し終わっていた。
 このまま進めば、村からは出られるだろう。
「残すは|魔術士《ボス》のみ、です!」
「了解。さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
 √能力者たちは気合いを入れ直し、ゲルダを連れて村を出た。
 その先に待つ『羅紗の魔術塔』の魔術士との戦いに備えながら……。

第3章 ボス戦 『羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』』


 √能力者たちはゲルダとサミーを連れて村を出た。
 隣町へと続く、石畳の山道。森の中にあるものの、生い茂るのは低木ばかりで、比較的視野は拓けている。
「やれやれ、困ったことをしてくれたものだ」
 道の先、|古代ローマ風の白い装束《ストラ》を身につけた女性が、行く手を阻むように立っていた。
 美しい眉を忌々しそうに|顰《ひそ》めている彼女こそ、羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』。天使化した者たちを奴隷化し、連れ去ろうとしている首謀者だ。
「|天使になれなかった出来損ない《オルガノン・セラフィム》であろうとも、|新物質《ニューパワー》としての価値は十分にあった。それを倒してしまうとは……」
 理解できないとでも言いたげに、アマランスは首を横に振る。
「ともあれ、出来損ないよりも、天使の方が|大事《貴重》だ」
 アマランスは|ゲルダ《天使》に鋭い視線を向ける。
 ゲルダはビクリと身体を震わせると、慌てて√能力者たちの後ろに隠れた。
「そこの|娘《天使》。こちらに来い」
 アマランスがまとう羅紗から、輝く文字列が飛び出す。
 輝く文字列は近くに生えていた樹木と衝突し、激しい爆発を起こした。
「痛い目をみたくないなら、な」
「い、いや、です! 行きません!」
 ゲルダを庇うように立つ√能力者たちの後ろで、彼女は恐怖に身体を震わせながらも、しっかりと声を張り上げる。
「|この方《√能力者》たちは、私の……いえ、私たち家族の恩人。
 暴力に訴える貴方と、私たちに優しくしてくれたこの方たち。どちらについていくかなんて、決まっているじゃないですか!」
 ゲルダの言葉を聞き、アマランスは己の顎に手を当て思案顔になる。
「ずいぶんと懐かれたようだな、|お前ら《√能力者たち》は」
 なるほどと呟き、アマランスは口角を上げた。
「よく分かった。ならば、|お前《天使》のことは一番最後に回すとしよう」
 アマランスは「お前は無傷な方が望ましいからな」と言い、√能力者たちの方へと向き直る。
「|『汎神解剖機関』の協力者《√能力者》たちよ。悪いが、ここで死んでもらう」
 アマランスがまとう羅紗がフワリと風になびき、その表面に赤く輝く文字列が浮かび上がってきた。
「―――ロクに|√能力《ちから》も使えぬ|自分《天使》ばかりが無事で、自分を守ろうとした|恩人《√能力者》たちは傷つき、倒れ、死ぬ。
 そんな目に遭えば、この娘は自発的にこちらの言うことを聞くようになるだろう。奴隷化せずとも、な」
「……っ!」
 青い顔で後ずさりながらも意志を曲げぬゲルダと、彼女を励ますように寄り添うサミー。
 健気なひとりと一匹を一瞥すると、アマランスは酷薄な笑みを浮かべた。
「娘、その|金属の《異質な》|眼《まなこ》にしかと刻みつけるがよい。お前の愚かな選択のせいで、誰かが散りゆく様を」
クラウス・イーザリー
見下・七三子
藤丸・標
マリエ・エーデルワイス

「愚かなのは、俺達を殺せると思っているお前の方だろうな」
 クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)はアマランス・フューリーに向かって冷たく言い放つ。
「天使を見つけて調子に乗っているのかもしれないが、この子は渡さない」
「そうだね。それにしても、やはりでたな黒幕……いや、この場合は火事場泥棒に近いのかな?」
 藤丸・標(カレーの人・h00546)はニヤリと笑みを浮かべる。
 スムーズにことが運ばないのは分かっていた。だからこそ、どう対応するかも考えていた。
「ゲルダとサミーは護り通すよ。―――力を貸してね、護霊ガラムマサラ!」
 標の召喚に応じて、強大なインビジブル『護霊ガラムマサラ』がその姿を現した。
 どんな攻撃が飛んできても守れるよう、ガラムマサラはゲルダとサミーの近くで警戒態勢を取る。
「アマランス、君の思い通りにはさせないよ」
 標は「まずはゲルダを安心させてあげて」と、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)とクラウスに目で合図する。
「で、ですが……」
「頼んだ。|人間災厄《われ》に幼子の心は難し過ぎるゆえ」
 マリエ・エーデルワイス(終末時計・h02051)は、七三子の肩を軽く叩く。
「私だって改造人間なんですけどね!」
 七三子は苦笑気味にそう言うと、クラウスと共にゲルダたちの元に駆けだした。

「ご、ごめんなさい。私のせいで、戦いになってしまって」
 目を潤ませながら、ゲルダはクラウスと七三子に対して頭を下げた。
「見捨てられても文句が言える立場じゃないですよね、私。ただの足手まといで」
「そんなことはない」
 クラウスは否定してみせるが、ゲルダは首を横に振る。
「いいえ。だって、本当は皆さんだって、|あのお姉さん《アマランスさん》のように、私を無理矢理連れていくことだってできたはず……ですよね?」
「それは……」
 クラウスが何か言い出すより先に、ゲルダは堰を切ったように話し出した。
「でも、乱暴なことはしませんでしたよね。
 何も知らなかった私に、一体どうして|こうなった《天使化した》のかを教えてくれて。
 サミーと一緒に逃げられるよう、気遣ってくれて。
 お母さんとお別れできるよう、取り計らってくれて。
 私はひとりじゃないよって、助けてくれる誰かがいるんだよって、教えてくれました」
 見ず知らずの間柄なのに、こんなに優しくしてくれるなんて。
 有り難かった。嬉しかった。
 だから自分は再び歩き出せたのだと、ゲルダは語った。
「だから、|あのお姉さん《アマランスさん》ではなく、皆さんと一緒に行きたいと思ったんです。
 でも、そのせいで、大変なことに……」
 クラウスたちが|不思議な力《√能力》を使えることは、ゲルダももう分かっている。
 だが、それと|戦い《これ》とは別の話。
 突如現れた|謎の女《アマランス》とどちらが強いのか。それを推し量るすべを、ゲルダは持っていない。
「……だいじょうぶ。
 私たちは、あなたの身体だけじゃなくて、心も守りたいんです。もちろん、サミーさんのことも。
 ですから、悲しい思いはこれ以上させません」
 震えるゲルダの肩に、七三子はそっと手を置いた。
「本当ですか? お母さんみたいに、死んじゃったりは、しない?」
「はい、この程度の戦いでは死にませんとも! ねぇ、クラウスさん?」
「ああ」
 クラウスはゲルダの前で身をかがめ、視線を合わせた。
「大丈夫、負けないよ。……俺達を信じてくれて、頼ってくれて、ありがとう」
「七三子さん、クラウスさん……」
 優しい微笑みに、ゲルダは安心したように表情を和らげる。
「約束しますよ。私たち4人は、アマランスさんに勝つと」
 七三子はゲルダと軽く小指を絡めた。
 天使化したゲルダの指は白磁のように硬い。それでも、ほんの少しのぬくもりが、彼女が生者であると示しているように思えた。
(「約束しましたからね、あなたのお母さんとも」)
 この小さなぬくもりを守り通してみせる。あの|もう二度と動かない《冷たくなった》、|白い手《ゲルダの母》に誓って。
「|戦い《いざこざ》はすぐに終わらせる。少しの間、待っていてくれないか?」
「分かりました。私、邪魔にならないようにおとなしくしています」
 ゲルダはまだ|自分の√能力を分かっていない《何もできない》。
 だから、クラウスたちに頼ることしかできない。
 せめて戦いの邪魔にならないようにと、彼女はサミーと共により後方へと下がっていった。

「いくぞ、アマランス! 羅紗に込めた呪文の量は十分か?」
「あまり調子に乗らない方がいいぞ、|魔術士《こむすめ》」
 一方、標はマリエと共に、アマランスを挑発していた。
「|ウマ獣人と人間災厄《そこの女ども》、思い上がりも|甚《はなは》だしい!」
 アマランスが纏う白く長い羅紗に、赤く輝く文字列が浮かび上がる。
 文字列から生み出された強力な旋風が、標めがけて走った。
 不可視の風の刃が、赤い|絹織物《サリー》ごと標を切り裂いていく。
「|痛《いた》た……。でも、カレーが羅紗に敵わないなんて|理《ことわり》はない」 ぽたぽたと、標の腕から赤い|血《雫》がしたたり落ちる。しかし、彼女は毅然と顔を上げた。
「私の中に滾る熱いカレーが迸る! カレーに塗れて死ぬがよい!」
 √能力の【荒れ狂うカレーの舞】が発動する。
 |不思議な不思議なグレイビーボート《ヴィクトリー》からカレービームが発射されると同時に、標が身体にあった裂傷が見る間に塞がっていった。
「かっ……カレー!?」
 かぐわしい香りのするビームに肩を撃ち抜かれ、さすがのアマランスも目を見開く。
「ど、どんな|魔術《ロジック》を使ってそんなマネを」
「|カレー好き《わたし》の意志を反映しているだけよ」
 標はどこからともなくテイクアウト用の無頼庵カレーを取り出し、驚きおののくアマランスの前でパクリと食べてみせた。
「私の体はね、カレーでできているのよ。だから、カレーを食べれば復活するの」
「そ……そんなワケがあるか!」
「あながち間違いでない気がする」
 思わず標を怒鳴りつけるアマランスに対して、マリエは真顔でそう呟いた。
「一応、標は不思議カレーハウス店主だからな。
 それはさておき」
 マリエは|精霊銃《Edelweiss》をアマランスに向ける。
「本来、あの娘は、これからも家族とともに幸福な時間を過ごすはずだった」
 ゲルダは自分の身体が変わってしまい、親も失ってしまった。その上、ずっと暮らしてきた|村《日常》からも去らねばならない。
 彼女はまだ幼い。どれほど気丈に振る舞っていても、その胸中は悲しみでいっぱいだろう。
 そんな彼女が、マリエたちを信じ、恐ろしい魔術士に対して|啖呵《たんか》を切ったのだ。
 その|勇気《思い》に応えないのは、自分の矜持に反する。
「それを奪った罪は万死に値する、覚悟せよ」
「おや。まるで|『羅紗の魔術塔』《こちら》が、「村人たちが天使化していく」ように仕掛けたような口ぶりではないか」
 アマランスは輝ける深淵への誘いを放ってくるが、マリエはオーラ防御を張ることでその威力を削ぎ、受けるダメージをいくらか減らした。
「違うとでも?」
 ―――少しでも多くの|新物質《ニューパワー》を得るため、オルガノン・セラフィムが増えるのを待っていたのではないか?
 マリエが言外にそう問えば、アマランスは狡猾な笑みを唇に刻む。
「……『天使化』は風土病。
 人心の荒廃した現代では、流行することはない。天使化は根絶された。
 そう思っていたのは、本当だ」
 ただ、とアマランスは笑みを深める。
「この村のことは後回しにした方が良い。そう悠長に構えていたのも、また事実」
 アマランスは悪びれもせずに言ってのけた。
 人々の天使化が完了し、村に残るのはオルガノン・セラフィムのみになった後に乗り込めば、|民間人をどうこうする必要もなく《手間をかけずに》、楽に|捕獲《奴隷化》できると思ったのだ、と。
「しかし、この判断は間違いだったと認めよう。
 まさか、お前たちがオルガノン・セラフィムをすべて倒してしまうとは思わなかった。
 あれらを奴隷化できれば、さぞや良い実験体になっ……」
「黙れ|愚か者《アマランス》」
 ここから先はゲルダに聞かせられぬと、マリエはアマランスの右耳を撃ち抜いた。
「そうです。小さい優しい女の子をいじめてドヤ顔してる情けない大人は、ちゃんとめっ、しなきゃいけませんねえ」
 お仕置きの時間ですよと、七三子は冗談めかして言う。
 マリエが「ゲルダはもう大丈夫なのかと」と目で問えば、七三子は軽く首肯してみせた。
「おや、逆鱗に触れてしまったかな?」
 アマランスは身に纏う羅紗につるりと触れる。浮かび上がった赤く輝く文字列が、七三子目がけて放たれた。
「やだなあ、怒ってないですよー、ふふー」
「それにしては、なかなかの気迫ではないか」
「いえいえ。……私ただの下っ端戦闘員なので!」
 √能力の【ヒット&アウェイ】が発動し、七三子は一気に間合いを詰めて、アマランスの背後に回り込んだ。
 鉄板入りの革靴で回し蹴りを叩き込めば、アマランスは右腕を出して防御の構えを取る。
「!」
 骨の砕ける鈍い音。アマランスは苦痛に一瞬眉をしかめた。
 わずかに遅れて、軌道を変えた輝く文字列が七三子に襲いかかったが、白い仮面―――|仲間と揃い《戦闘員》の大切な仮面に、ピッとヒビを入れるのが精一杯だった。
「なるほど。身の軽さを、|鉄板《重り》で補っていたか……」
 アマランスは「その細い身体でよくやる」と独りごちた。
「……多分、こういう時に怒るのは、ヒーローの役目なんですよ」
 本来は個性や感情を相手に見せないための仮面。だが、ヒビが入ったことによって、その仮面は怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。
「私は戦闘員なので、いつも通りに|仕事《任務》をこなすだけです」
 ただ今回の依頼人がゲルダさんのお母さんだっただけですよ、と七三子は心の中で付け足した。
「健気なことだ」
「真面目なんだよ。お前と違って」
 ゲルダたちの護衛を|護霊《ガラムマサラ》に任せ、クラウスはアマランスに向けて駆け出す。
 クラウスの手には、柄だけの剣。アマランスの懐に飛び込んだその瞬間に、トリガーを引いて光刃を展開させる。
「はは、違いない」
 アマランスは上体をのけぞらせてその切っ先を避けたが、逃れ損ねた髪が数本ハラリと落ちた。
「だが、聞け、傭兵よ。
 |我らが暮らす世界《√汎神解剖機関》は、|黄昏を迎えている《人心が荒廃している》。|新物質《ニューパワー》なくして、どうして繁栄できようか」
 我らが思想はお前のそれとは決して相容れないのだろうが、とアマランスは呟く。
「その|天使《少女》は選ばれたのだ。|人類《世界》延命するための|礎《新物質》に」
 アマランスは奴隷怪異『レムレース・アルブス』を召喚する。
 奴隷怪異が|淡く光り始めた《攻撃準備に入った》瞬間、クラウスは光刃剣を左手に持ち替え、空いた右手を奴隷怪異に向かって伸ばした。
「させないよ」
 √能力の【ルートブレイカー】が発動する。
 クラウスの右掌が触れた瞬間、奴隷怪異は霞のように消えて無くなった。
「何も知らない無垢な幼子に対して、犠牲になれと強要するな」
「そう。|あの娘《ゲルダ》に、これ以上の自己犠牲の精神はいらぬ。
 今の彼女に必要なのは時間であろう」
 マリエは√能力の【亡き王女のためのパヴァーヌ】を発動させる。
「|悲しい現実《いま》をきちんと受け入れ、|過酷な世間の波《みらい》に立ち向かうための|準備期間《じかん》が、な」
 |精霊銃《Edelweiss》から放たれた弾丸は、周囲の時間からアマランスを切り離し、その時をひどく停滞させた。
「|あの娘《ゲルダ》の人生にお前は不要だ、魔術士。
 お前の魔術と我の弾丸、どちらが先に死を運ぶのか、すでに明白であろう」
 アマランスの|動き《反応》が鈍くなる。その隙をついて、七三子とクラウスが動いた。
「私、約束しましたから。ゲルダさんとサミーさんを守るって」
 七三子の拳がアマランスの顎を捕らえた。
 アマランスが派手に吹き飛んだ|その先《着地点》で、光刃剣を構えたクラウスが待ち受けていた。
「|新物質《ニューパワー》がどうのこうのとか、俺にとってはどうでもいい。
 ただ、苦境に立たされているゲルダを、少しでも安心できる場所に連れていきたいだけなんだ」
 クラウスは|躊躇《ためら》うことなく、落ちてきたアマランスを袈裟懸けに斬り伏せた。
「ああ、して、やられ、た、な」
 どうっと地に倒れ伏しながら、アマランスは呟く。負けたな、と。
「だが……天使は、渡さ、ぬ……!」
 アマランスは羅紗を強く握りしめ、最期の力を振り絞って|奴隷怪異《レムレース・アルブス》を召喚した。
「往生際が悪いね。そもそも彼女は|誰かの所有物《モノ》じゃない」
 クラウスはアマランスにとどめを刺すが、奴隷怪異は|融合《道連れに》しようとゲルダに近づいていく。
「手に入らないから|壊そう《殺そう》とするなんて、二流のやることだよ」
 しかし、奴隷怪異の前にガラムマサラが立ち塞がった。自分の存在を忘れていやしないか、と言わんばかりに。
「さあ、|閉店の時間《終わり》だよ」
 格が下がることはやめなよと進言を添えつつ、標はガラムマサラに指示を飛ばす。
 奴隷怪異はガラムマサラに襲いかかろうとするが、寸前のところでボディに重たい一撃を食らい、呆気なく消えていったのであった。

「最後に怖い思いをさせてしまいましたね、ごめ……」
 仮面を外して七三子が謝ろうとすると、ゲルダはその口を手で塞いだ。
「そんなことないです!」
 ゲルダの手は微かに震えている。それでも、彼女はへたり込むこともなく、その場に立ち続けていた。
「皆さんのおかげで、私とサミーは助かりました。有り難うございます!」
「お礼を言われるようなことはしてないよ」
 クラウスがそう言うと、ゲルダは首を横に振った。
「そんなことはありません。
 皆さんが来てくださらなかったら、私は家にこもったまま、村と運命を共にしたと思います」
 だから、とゲルダは続ける。
「本当に有り難うございました。感謝してもしきれません」
「ゲルダって、案外頑固だね……?」
 律儀に何度も頭を下げるゲルダに対して、標は彼女の肩を優しく叩いた。
「この先、困ったことがあれば、いつでも連絡してくれてかまわないからな」
 マリエは自分の連絡先を紙に書き、ゲルダの小さな手に握らせる。
「は、はい!」
「さて。|一番の懸念事項《アマランス》も取り除いたし、|山をおりるう《安全地帯へ送る》としようか」
「そうですね!」
 七三子たちが歩き出した瞬間、一陣の風が彼女たちを追い越していった。
 風音の中に「ありがとう」という声が混じっていたように聞こえたのは、きっと気のせいではないはずだ。

 こうして、√汎神解剖機関のとある山村で起きた天使化事変は、√能力者たちの活躍によって幕を下ろした。
 |オルガノン・セラフィム《元住人》たちは、|生前の善性《尊厳》を|汚される《失う》ことなく、『羅紗の魔術塔』に利用されることもなく、|永遠の《安らかな》眠りについた。
 √能力者たちによって命を救われた|ゲルダ《天使》は、|サミー《家族》と共に保護された。
 この先、ゲルダがどのような人生を歩むのかは、まだ分からない。
 それでもきっと彼女は逞しく生きていくだろう。自分を助けてくれた|√能力者たちの優しさを無駄にしないためにも……。

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