絶対に裏切らない教授
●蘇るマガツヘビ、古妖との共闘
「√妖怪百鬼夜行に住まう全ての妖怪には、破ってはならない掟があります。――『全てのあやかしよ、マガツヘビを討ち滅ぼすべし』。『マガツヘビの掟』と呼ばれるそれは、人妖、獣妖、そして古妖に至るまで守るべきものとして存在しているのです」
そして今、何らかの理由によりマガツヘビが蘇った。|泉下《せんか》|・《・》|洸《ひろ》(片道切符・h01617)は淡々と語る。
「ご存知かもしれませんが、掟により、邪悪な古妖たちが我々に共にマガツヘビと戦うことを提案してきています。一時休戦というやつですね」
幾つにも分かたれた肉片のひとつさえも、強大な『古妖』の総力を結集しても、彼等だけではたった一体のマガツヘビを倒すこともできない……そう判断したのだろう。古妖たちとの共同作戦を展開し、マガツヘビを撃破しよう。マガツヘビも√能力者ではあるが、短期間で繰り返し幾度も倒せば、やがて蘇生しなくなるようだ。
「今回皆様と共闘する古妖は、犯罪鬼妖教授『モリアーティ』です。以前も彼に関する依頼をご案内したことがございますが、その時の彼とは別の肉片から成る存在です。もっとも、性格はほぼ変わらないでしょうけれど」
他者を唆し、己のために利用する。他者の欲望や心の闇に付け込み操ろうとする。前回は『鏡の迷宮』という、人の欲望や衝動を映し出す領域を展開してきた悪辣極まりない古妖であるが――。
「彼のような存在であっても、掟はちゃんと守るようですね。彼は好意的に皆様の助力を受け入れることでしょう」
若干胡散臭いかもしれないが、闇討ちされたり突然裏切られたりすることはないので、安心してほしい。
「モリアーティは、√妖怪百鬼夜行の街を守りながら戦っています。彼と合流し、共闘しながら小型マガツヘビの大群を倒してください。掃討を終えたら、本依頼の最終目標であるマガツヘビと戦うことになります。ただ、マガツヘビが現場を襲うまで、若干の猶予があるのですが……皆様には、この際モリアーティから出される提案を呑んでいただきたいのです」
洸は一息置いた後、ゆっくりと言葉を続ける。
「モリアーティは星詠みでもあります。√能力者が援軍に来ることを予知した上で、マガツヘビによる街の破壊や人々の殺戮を防ぐため、作戦を考えているようです」
作戦――それは、マガツヘビの襲撃と同時に鏡の迷宮を展開し、マガツヘビを中に閉じ込めてから倒すことだ。マガツヘビを完全に閉じ込めるためには、迷宮を構成する鏡を強化する必要がある。
「そのためには、皆様が心に抱える欲望と衝動から発生するエネルギーが必要なのだとか。今回は、鏡に映し出された欲望と衝動に抗うのではなく、受け入れる必要がございます」
つまり、モリアーティの提案とは、欲望や衝動に抗わず受け入れろという要求である。受け入れたらどうなるのか? 一時的に、夢の中にいるような感覚になり、その間に迷宮を強化できる……という仕組みらしい。
「抗ってしまうと、エネルギー回収率が悪いとか……どうやら嘘は付いていないようです。この強化は今回かぎりで、マガツヘビとの戦闘でエネルギーはすべて消費されるでしょう。悪用されることはありませんので、その点はご安心くださいね」
人によっては黒歴史になったり、心にちょっとした傷を負ってしまうかもしれないが……。
●教授の憂鬱
√妖怪百鬼夜行の街は、小型マガツヘビの襲撃を受けている。
逃げる途中に転んでしまった女性へと、小型マガツヘビが飛び掛かろうとした。
だが、女性にその牙と爪が届く前に、小型マガツヘビの体は銃撃の嵐によって蜂の巣にされる。
「レディ。今のうちに早く逃げたまえ」
空想兵器によって具現化した銃を手に、モリアーティが声を掛ける。
「あ……ありがとうございます!」
立ち上がり駆けてゆく女性の背を見送る暇もなく、別の小型マガツヘビへと照準を合わせた。小型マガツヘビは次から次へと湧いてくる。
「まったく……ルールは破ってこそだというのに。抗えないものだな」
犯罪鬼妖教授を名乗る自分が、まさか民間人を助けることになろうとは。それほどまでに、マガツヘビの掟は強力なのだ。
「じきに『増援』が来るはずだが――果たしてどうなることやら」
一人でこの大群を捌くには苦労する。また一匹、小型マガツヘビを撃ち殺しながら、モリアーティは溜息をつく。
「はぁ……街も人々も、君たちの餌ではないのだよ。理解してくれないかね?」
そう、街も人々も、このモリアーティの犯罪計画で翻弄されるべきなのだから!
第1章 ボス戦 『犯罪鬼妖教授『モリアーティ』』

●計画的犯行
巡り合わせとは奇妙で、時に魅力的な情景を映し出す。今回の物語は、如何様な記憶を刻むのだろう。小型マガツヘビが暴れ回る現場へと、|刻《トキ》・|懐古《カイコ》(旨い物は宵のうち・h00369)は訪れた。
(「僕も妖怪とは少し違う存在だが、また同じ√に生きる者。今回はそういった縁で共に街を守ろう」)
懐古の来訪に気付き、モリアーティがチラと目線をやる。
「来たか」
「ふむ、“古妖”というのか鏡の君か。以前は君の鏡でお腹が空いてしまったのでね。あのまま帰ったわけだけど」
「ほう。別の私も、やる事は私と対して変わらんようだな」
世間話をするように言葉を交わしながらも、敵に注がれる銃撃の雨は止まない。
激しく流れゆく時の中で、懐古は静かに立ち止まる。
「此奴らがマガツヘビの一部か。少しばかり動けぬけど失礼するよ」
|時詠み・光陰流水《トキヨミ・コウインリュウスイ》を展開。詠唱を紡げば、巨大な影の時計の針が創造される。姿を現す時計の針に、モリアーティが瞳を細めた。
「時計の針か、悪くない」
「おや、時計がお好きなのかい?」
「時を計る行為は非常に重要だ。完全犯罪を為すためにもね」
モリアーティは完全犯罪『抹殺計画』を語り、彼の周囲に毒霧の満ちる古都を生み出した。古都の幻影の中で、巨大な影の時計が時を刻む。それはまるで、過去と現在を繋ぐ秒針のように。
「犯罪計画に時計の針……中々ドラマチックじゃないか。鏡の君……モリアーティ教授とやらのお手並みも拝見したいところだね」
「好きにするといい」
毒霧が小型マガツヘビの群れを包み込む。淡々と返すモリアーティへと、懐古は穏やかに微笑んだ。
「それでは好きにさせてもらうとしよう」
霧に紛れて時計の針は飛び、終わりを示すように敵の中心を刺し穿つ。二人の√能力は歯車のように噛み合い、小型マガツヘビの軍勢を翻弄した。
●教授と共に
どんなに厄介な敵であろうとも、古城のハチェットを手に戦場へ。
マガツヘビから街を守るため、ルビナ・ローゼス(黒薔薇の吸血姫・h06457)は、モリアーティと並び立つ。
「√は違っても、民を守るのは貴族の努め。わたしも戦いますわ! それと、もう一つ頼み事がございまして……」
「頼み事?」
首を傾げるモリアーティを、ルビナは輝く瞳で見上げた。
「教授様、後でサインを頂けないかしら? もちろん、色紙とペンはこちらで用意済ですわ」
「……サインくらいなら構わないが。本当に、私のサインでいいのかね?」
「わたし、モリアーティ教授の大ファンなんですの! 頂けたら、とっても嬉しいですわ!」
もちろん推理小説の方である。ルビナは目前の教授が、推理小説の教授であると勘違いしているのだ。
モリアーティは勘違いを指摘するどころか、すんなりとルビナに頷いてみせた。
「良いだろう。戦いがすべて終わった後にでも」
彼が勘違いの可能性に気付かないはずがない。勘違いさせておくのも面白そうだとでも、思っているのかもしれない。
「約束でしてよ! ふふっ、さらにやる気が上がってきましたわ!」
そのようなことなど露知らず。ルビナは昂る心のままに、ハチェットを|月光大鎌刃《ジャッジメントサイス》に変形させた。彼女を支援するために、モリアーティが犯罪者の頭脳を駆使する。
「君は攻撃に集中するといい。敵の動きは私が封じよう」
因果関係を結び付け、敵の行動を失敗させる。動きが極端に鈍くなった敵を、ルビナは月光大鎌刃で斬り払った。
「憧れの教授様との連携プレイ、滾りますわ……!」
順調に小型マガツヘビを撃破できれば、次は鏡の迷宮が待っている。
(「この戦いが終わったら、鏡の迷宮の強化ですか……。うう、恥ずかしい思いをしそうですわ……」)
今後の展開にドキドキしつつ、ルビナは武器を思う存分に振るい続けた。
●交わす
仲間と連携するモリアーティを視界に捉え、|ルイ・ラクリマトイオ《涙壺のルイ》(涙壺の付喪神・h05291)は考えを巡らせる。
犯罪鬼妖教授『モリアーティ』――敵となれば恐ろしい相手だろう。しかし、此度はマガツヘビを討ち取るための共闘関係。
(「……であれば、勝利のために。この身を「使って」いただきましょうか」)
今後、彼と敵対した時の為にも、モリアーティの戦い方を身をもって知っておきたい。ルイはモリアーティへと歩み寄った。
「教授、助太刀となります」
一言声を掛け、|付喪八百万の儀【牙筆】《バンブツヲキザムモノ》を発動する。神筆・歓喜天牙に姿を変えたルイを、モリアーティは難なく掴み取った。
「ふむ、片手槍か。形状は万年筆に近い……美しい装飾だ」
「小さい方がよろしければ、サイズを変更いたしますよ」
「問題ない。このまま使わせてもらうとしよう」
彼は完全犯罪計画を発動し、毒霧で周囲を満たす。霧中に佇む古都を、ルイは手の内から静かに見上げた。不気味な気配を漂わせる古都――理由はわからないが、その風景は旧懐の念を強く思い起こさせる。
毒霧に包まれた敵群を、モリアーティがルイで貫いた。一切の無駄がない一撃だと、ルイは感じる。
(「使われるモノとして、気に入っていただけるのは嬉しいことなのですが……」)
ルイを掴むモリアーティの手は、動き回っているにも関わらず冷たい。ふいに、モリアーティが問う。
「私に使われるのは不服かね?」
「いえ、そのようなことはございません。少々、複雑な心持ちではありますが」
実際、不服とまでは思っていないのだ。ただ、完全に納得しているかと問われると、疑問が残るだけで。
「ふむ。心とは、実に面白い」
モリアーティは薄く笑みを滲ませる。
(「――底の知れない、不思議なお方ですね」)
彼の赤い瞳を見つめながら、ルイは静かに思うのであった。
●犬と鬼の戯れ合い
「お、犯罪鬼妖教授じゃないか。お久しぶり? 前とは違う個体なんだっけ」
戦場へと飛び込んだ緇・カナト(hellhound・h02325)は、モリアーティへと軽いノリで声を掛ける。赤い眼がカナトへと向いた。
「その様子だと、別の私は封印されたようだな」
「そんなトコ。ねぇ、違う個体っていってもさ、愉しい光景を眺めさせてくれるよね?」
挑発するように問えば、モリアーティは淡々と返す。
「それは君次第だな。私の愉しみが、君に理解できるといいのだが」
「アハハッ、偉そうな所は前のヤツと変わんないね!」
カナトは笑い飛ばしつつ、|千疋狼《オクリオオカミ》を呼ぶ。オオカミを思わせる影の獣の群れが、毒霧の満ちる古都の向こうから続々と姿を現した。ほぼ同時に、モリアーティも√能力を発動したのだ。
「それじゃァ、一緒に遊ぼうよ。教授?」
「遊びではないのだがね」
濃い霧の中を千疋狼は駆け、死角から敵へと喰らい付く。まさに血濡れた狩り、お誂え向きな光景だ。心を躍らせながら、カナトは軽口を叩く。
「ちなみに此の毒霧の効能は如何程で?」
「思い切り吸い込んでみればわかる」
「うわ、すごい無茶振り」
毒耐性があるとはいえ、この状況で敢えて吸うわけもなく。それに――。
(「この霧……こっちに害がないように調整されてる」)
カナトも霧の中にいるが、体に異常はない。一方で霧に触れた敵は、苦しげな反応を見せている。
……ここまでやってくれるのだから、肉盾になってくれたりしないだろうか。
「君、今悪いことを考えただろう」
モリアーティが薄い笑みを浮かべながらカナトを見る。目は笑っていないが。
「やっぱりダメ? いやホラ、教授って頑丈そうだし、盾役とか向いてるんじゃないかな~って」
敵の爪を受け流し、手斧を振るい、鮮血を散らす。茶化すカナトに、モリアーティは溜息をつくのであった。
●心は隠して
(「背に腹は代えられないってこういう時に使うんだろうね。まぁあちらさんはそんな記憶ないんだろうけど」)
別の教授との間にあった出来事など思い出したくもない。だが、同じ姿の彼を見てしまうと、どうしても頭にちらついてしまう。|斯波《しば》|・《・》|紫遠《しおん》(くゆる・h03007)は深呼吸し、気持ちを切り替えた。
(「……僕は! 思うところはありますが! 大人だからね、ちゃんとしますとも」)
紫遠は決戦気象兵器「レイン」を展開。毒霧の満ちる古都にレーザー光線の雨を降らせ、毒に苦しむ敵群を撃ち抜いてゆく。
「やあ教授、ご機嫌よう。微力ながらお手伝いに来たよ」
手をひらりと上げて挨拶すれば、モリアーティの血のように赤い瞳と目が合った。
「ちょうどいい、人手は多い方が良いからな」
好意的に助力を受け入れるとは言っていたが、いざ目の当たりにすると複雑な気持ちになる。当然、表情に出すことはないが。
「アリスさん、僕よりも教授の支援優先できる?」
アシスタントAIのIrisに話し掛ける。僅かな沈黙の後、応答があった。
『――、すみません。よく聞き取れませんでした』
(「絶対わざとだ……」)
Irisは前の依頼でのモリアーティとのやりとりを覚えている。別個体と認識しているだろうが、元が同じことには変わりない。
「あー……無理なら支援しなくて良いからね」
気遣うように紫遠が言えば、Irisは淡々と反応を返した。
『仕方がありません、過去のことは水に流しましょう。援護射撃を開始します』
Irisは起動済の煙雨を制御し、二人が狙い難い位置にいる敵を中心に攻撃する。
「感情豊かなAIだな」
一連のやりとりで何かを察したらしいモリアーティが言った。
「アリスさんは出来るヒトなんだ。そこらのAIとは訳が違う」
出てきた言葉が褒め言葉で良かったと、紫遠は内心ホッとするのであった。
●猫と音楽と犯罪教授
まさか、モリアーティと共闘することになろうとは。箒星・仄々(アコーディオン弾きの黒猫ケットシー・h02251)は現状に驚きを感じつつも、戦場へと駆け付けた。
(「古妖さん達がそうせざるを得ないほど、ヘビさんは恐ろしい存在なのですね……」)
ならばこちらも気を引き締めなければと、仄々はモリアーティに力強く声を掛ける。
「教授さん、お待たせしました! 及ばずながら猫の手をお貸しします。力を合わせてヘビさんを倒しましょう!」
モリアーティは仄々と、彼が持つアコルディオン・シャトンを見た。
「ふむ、そのアコーディオンで戦うのか」
「はい! 元気いっぱいでノリノリのメロディを、皆さんにお届けしますよ♪」
訪れた暖かい春を喜び跳ね回るように、朗らかで軽やかな旋律を紡ぎ上げる。春の陽射しのような音楽に、モリアーティは僅かに眉を寄せた。
「少々、晴れ晴れとし過ぎではないかね?」
モリアーティへと、仄々は笑顔で返す。
「こんな状況だからこそ明るい曲がよいのですよ♪」
苦しい時だからこそ、明るい曲で仲間たちを励ますのだ。音楽には人々を元気にする力があると、仄々は確信している。
「ふむ……私の古都には合わないだろうな」
ふいにモリアーティの目付きが険しくなる。彼の目線の先を追えば、建物の陰に隠れている人々がいるではないか。
「人々が取り残されているのですね。任せてください」
仄々は|たった1人のオーケストラ《オルケストル・ボッチ》を演奏し、人々の近くを徘徊する敵群へと音撃を飛ばした。音撃は小型マガツヘビに命中し、震度七に匹敵する揺れを与える。
「震える旋律といっしょに、ヘビさん達もぶるぶるしましょう♪」
オーケストラはソロとは思えないほど壮大に響き渡り、敵の体を容赦なく震わせた。彼らが動けないうちにと、仄々は人々に呼び掛ける。
「さあ逃げてください! 今ならヘビさん達は動けないので大丈夫です。私たちがお守りしますから、どうぞご安心を」
「た、助かった……」
「ありがとうございます!」
人々が逃げ始める。震動の影響を受けていない敵が彼らを追おうとするが、モリアーティの√能力が阻んだ。
「少し足を止めてもらおうか」
因果関係の力が小型マガツヘビを転倒させる。動きを止めた敵へと、仄々がすかさず音色の弾丸を叩き込んだ。煌めく音符の乱舞が敵を打ち倒し、勇気と希望を呼び起こすメロディが戦場へと満ちてゆく。
「どうでしょう。明るい曲も、悪くないと思いませんか?」
アコーディオンを弾き続けながら、仄々はモリアーティへと問いかけた。見上げてくる緑色の瞳に、モリアーティは赤い瞳を柔らかに細めた。
「時と場合によるが……今回に限っては及第点であろうな」
どこか尊大で捻くれた言葉のようにも聞こえるが、彼なりの称賛であろうと仄々は受け取った。
(「きっと、教授さんのお心にも、勇気と希望の光を灯せましたよね」)
第2章 冒険 『欲増の座鏡』

●
小型マガツヘビをすべて倒し終えた後。モリアーティは、√能力者たちへと語りかける。
「ここまでの助力、感謝しよう。だが、まだ終わりではない。じきにマガツヘビがこの場所に来る。その前に、やっておきたいことがあるのだが……そちらの星詠みから既に聞いているだろう? 君たちには『鏡の迷宮』強化のために、私が展開する迷宮へと入ってもらう。そこでは、君たち自身の欲望に向き合ってもらうことになる」
モリアーティは歓迎するように両腕を広げ、言葉を続ける。
「決して抵抗せず、躊躇わず、欲望と衝動に身も心も任せたまえ。なぁに、不安に思うことはない。これは一時の夢のようなものだ。人によっては、悪夢を見ることになるかもしれないが……悪い夢など誰しも見るものだ。ひとつ増えるくらい、どうってことないだろう?」
今まで見た悪夢の数を覚えている人間などいないだろうがね、とモリアーティが笑った直後。
√能力者たちを包み込むように、鏡の迷宮が展開される。床、壁、天井――すべてが鏡に覆われ、彼らの視界を覆い尽くした。
●暴走ウェディング
展開される鏡の迷宮へと、ルビナ・ローゼス(黒薔薇の吸血姫・h06457)は足を踏み入れる。
「わたしの欲というと、やっぱり……」
彼女の欲望。それは恐らく、かつての姿――――。
「ルビナちゃ~んっ!」
唐突によく聞き慣れた声がする。ハッとして、ルビナは声がした方へと目をやった。
|和泉《いずみ》|・《.》|久遠《くおん》(ルビナ・ローゼスのAnkerのお姉様・h06507)が、ブンブンと手を振りながら駆けてくる。
「って、お姉様?! どうやって来たんですの?!」
驚くルビナの手を、久遠はがっしりと掴んだ。
「ルビナちゃんが私を呼んだ気がしてきたわ! 細かいことは気にしないで、さあ、行きましょう!」
久遠はルビナのAnkerである。この場に彼女が登場したのは……Ankerの性質諸々が色々噛み合ったのだろう。ルビナは戸惑っていたが、こうなっては共に行動すべきだと心を決めた。
「仕方ありません、一緒に行きましょう……ハァ」
二人は手を繋いで鏡の迷宮を歩き始めた。ルビナは正面に現れた鏡を見る。鏡に映る自分を見て、彼女は目を見開いた。
そこには成長したルビナの姿があった。伸びた身長に、豊かな胸――思わず自分の胸元をぺたぺたと触る。驚きはこれだけで終わらない。鏡の中のルビナは、新郎が着るタキシードを身に纏っていた。
「えっ、何で新郎が着るタキシードを着てるの?! しかも……ウェディングドレスを着たお姉様と一緒にいる?!」
隣に並んでいる久遠は、なんと鏡の中でウェディングドレスを着ているではないか。久遠は満面の笑みだ。仲睦まじい新郎新婦のように、ルビナと腕を組む。
(「うふふ、私の欲、それは可愛いルビナちゃんと結婚することよ!」)
リーンゴーン! と、教会の鐘が鳴り響く音が聴こえる。青空から花吹雪が降り注ぎ、観衆が二人を祝福する声すら届く。
ルビナは思わず叫んだ。
「これ、お姉様の欲(妄想)が入ってるでしょ?!」
そう、久遠の欲望を鏡の迷宮が拾い上げ、幻影として映し出したのだ。
「ああ、この鏡は未来を見せてくれるの? 夢みたいだわ!」
心に留めきれない言葉が溢れ出す。気付けば教会の祭壇の前で二人は向かい合っていた。待って、展開が早過ぎる。だが、走り出した妄想と衝動は止まらない。
「素敵なタキシードを着た可愛くてかっこいいルビナちゃん……そして純白のドレスを身に纏った私……この鏡の光景、録画機能とかないの!?」
残念ながら無い。祭壇の前で、牧師が二人へと語りかける。病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も……なんてお決まりの言葉が流れてくる。
『では、誓いのキスを』
暴走する妄想が結婚式の様々な手順をすっ飛ばし、最初から最大の見せ場に突入する。
鏡の中のルビナと久遠が向かい合い、ゆっくりと唇を寄せた。久遠の興奮が最高潮に達し、頭から蒸気機関車のように煙が噴き出した。
「誓いのキスまで?! し、幸せ~!!」
久遠は顔を真っ赤にしながら、鼻血を吹いて倒れてしまう。
「お、お姉様ぁ!? しっかりしてくださいませ……!」
慌ててルビナが抱き起こすが、久遠は恍惚とした表情でうわ言を呟くだけだ。
「なんて幸せな、夢……私、とっても嬉しいわ……」
昇天した久遠を見つめ、ルビナは深い溜息をついた。メイド部隊を呼び、疲れ切った表情で指示を出す。
「お姉様を、お家まで送って差し上げて」
「かしこまりました」
メイドたちは余計なことを言わず、淡々と命令を遂行した。久遠の鼻に粛々とティッシュを詰め、彼女を担架にのせて安全な自宅へと送り届けるのであった。
●物語のはじまり
取り囲む鏡の迷宮はただ静かに、|ルイ・ラクリマトイオ《涙壺のルイ》(涙壺の付喪神・h05291)の姿を映し出す。
「私の欲望、衝動……、ぱっと思いつかないのは、私がこの姿になって日が浅いからでしょうか」
己の胸にそっと手を当ててみる。五感を備え、自分の意志で動くことができる。この身体で感じるすべての感覚が、新鮮で楽しい。眩い新天地に訪れた旅人のように、すべてが鮮やかな色彩に満ちている。
(「快楽も苦痛も、全て人の身があればこそですから。新しい感覚は、私の欲するものではあるのでしょうが……」)
何が映るとしても、抗わず身を委ねることを心に決めた。ルイは鏡を見つめ、鏡が心を映し出す時を待つ。
涙壺のルイを愛した主人たちには、様々な想いがあった。喜び、悲しみ、怒り、呪い、愛――彼女らに注がれた感情の雫は、ルイの内で物語として輝いている。
けれど――。
(「涙を流すほど強く深い想いを、私はまだ知らない」)
女性の涙を湛えるために生まれたモノ、それは涙壺の物語で、『私』の物語ではない。強く想った刹那、鏡が光を放った。何も描かれていない真っ白な紙のように、鏡は純白を映し出す。
その白を見た瞬間、ルイはある衝動に駆られた。何も描かれていないその場所に、自由に色を描き足したい。他者の感情に囚われず、己の意志で思うままに。
「……描くならば、やはり水彩が良いでしょうか」
涙のように滲んだ色が、白を美しく彩るだろう。ルイは自分がどうしたいのかを、理解したような気がした。持ち主の感情を受け止めるだけの器であった己が、人の器を得た意味を。
「ああ……そう、なのですね……」
彼に真に欲しいのは、『涙』……そして、『彼の物語』なのかもしれない。
●炎の中で
纏わり付く不快感を誤魔化すように、|斯波《しば》|・《・》|紫遠《しおん》(くゆる・h03007)は煙草へと火をつけた。
(「分かってはいても拒絶反応がでそうだ……はぁ……気が重い」)
溜息を押し留めるように煙草を咥える。一服して気を紛らわしながら、彼は鏡の迷宮を進んだ。唯一の救いは、何が出るか分かっていることだろう。
(「構えなくて良いのは助かるね。……さて、面倒な再会と行こうか」)
大きな鏡の前に立つと、待っていたと言わんばかりに白い炎が燃え上がった。炎の中には|自分《狗神》が佇み、薄い笑みを浮かべている。
「やぁ狗神、こないだぶりじゃん、元気そうで何より」
不気味な笑みを張り付けるだけで、狗神は何も返さない。相変わらず黙りな狗神に腹が立つが、怒りは腹底へと押し込んだ。突き刺すような眼差しで、狗神を睨み据える。
「単刀直入に言うわ、オマエの殺戮衝動を一時的に僕に寄越せ」
本当はやりたくない。だが、古妖が自分を捻じ曲げてでも共闘するつもりとあれば、こちらも覚悟を見せなければ筋が通らない。狗神は瞳を瞬かせた後、訝しげに首を傾げた。
「あ? その顔僕が耐えれると思ってないな? 舐めるなよ。オマエの衝動くらい制御してやるわ」
強気に言い放てば、狗神が赤い瞳を凶悪にギラ付かせる。
後悔するなよと、頭の中に声が響いた瞬間。全身を殴られるような感覚と共に、目の前が真っ赤に染まった。鮮やかな血の色だ。その赤は瞬く間に白へと変化し、視界を焼いてゆく。
「ぐゥ、ッ……!」
己の口から獣の唸り声のような音が漏れた。炎に灼かれる思考を必死に繋ぎ止めるが、体はその熱に違和感を覚えていない。馴染む感覚が、非常に腹立たしい。以前のように、見知った建物や友人たちが映らないのが救いか。
(「頼むから、このまま映らないでいてくれよ……」)
必死に祈りながら、紫遠は悪夢が覚める時を待つ。
●鏡が見せるもの
鏡の迷宮に入った途端。迷宮の力か、同行者の|史記守《しきもり》・|陽《はる》(|夜を明かせ《ライジング サン》・h04400)と引き離され、モコ・ブラウン(化けモグラ・h00344)はむぅと眉を寄せた。
「シキくんと一緒に来たのに、はぐれちゃったモグね」
どう進めば良いのかもサッパリだ。仕方なしに、四方八方を囲う鏡を見つめる。
ふと、背後に気配を感じて、彼女はくるりと振り向いた。鏡の中、白髪混じりの男性が静かに佇んでいる。その姿に、モコは目を見開いた。
「……師匠。こんなところにいたのモグね。ずっと……ずっと探したのモグ。生きてるって信じてたのモグ……!」
思わず心奪われ駆け寄りそうになるが、ハッと我に返る。これは本物ではなく幻影だ。
(「あの教授は、衝動に身を任せろと言っていたモグ。それなら……」)
ぐっと拳を握り締め、すうっと大きく息を吸い込み、そして叫んだ。
「勝手にいなくなって! 今までどこをほっつき歩いてたのモグ~!」
見つけたら同じことをしてやる! 強く思いながら、モコは幻影へと助走をつけて一直線だ。
モコが師匠の幻影と出会う一方で、陽も彼の心に眠る闇と対峙する。
「あれ、モコさん? おかしいな……隣に居たはずなのに」
鏡に囲われた空間で一人きり。彼を出迎えるように、鏡によく知った姿が映り込んだ。
高校の制服姿の陽。その視線の先に、今の陽と同じコートを着た大柄な男性――父・黎一郎。
「父さん、と……俺……?」
視界には鮮やかな赤。倒れた父の下から、血溜まりが広がってゆく。父が死んだ時の事だろうか。自分は傍に居なかった筈なのに、この光景は一体何だ?
痛みすら感じるほどに、鼓動が早鐘を打つ。高校生の陽が、暗い眼を陽へと向けた。
『お前のせいで/俺のせいで、父さんは死んだんだ』
「何、言って……」
頭の奥で警鐘が鳴り響いた。知らない、解らない、何も憶えてない。
だが、胸を刺す罪悪感は、陽へと真実を突き付ける。たとえ思い出さなくとも、過去は消えない。
『大切な人を死なせたお前が、何かを守れるはずがない』
魂に突き刺さる声は、強烈な衝動へと駆り立てる。
「……そうか。俺は、死ぬべきなんだ」
だって、全部俺のせいなんだから。史記守陽なんて、死んでしまえ。
払暁を抜き、首筋へとあてる。冷たい刀身は心地良く、甘き死へと誘う。刀を握る手に力を込めようとした刹那――。
鏡を叩き割る音が響き渡る。陽が見ていた光景は粉々に砕け散り、代わりに向こう側から拳を握り締めたままのモコが飛び込んできたではないか。
「はー、これですっきりモ……グ!?」
モコは陽を見るなり驚き、考えるより先に飛び付いた。刀を持つ手を引っ掴んで、首から剥がす。放心状態の陽の頬を、ぺちぺちと叩いた。
「シキくん! 大丈夫モグか!?」
モコの声に、陽は意識を引き戻される。まさに夢から覚めたように、彼は目をぱちくりと瞬かせた。
「ぁ……モコ、さん? 俺は、今、何を……ぁ……え、っと……俺は、大丈夫ですから」
いつも通りに笑おうとして、表情が強張っていることに気付く。
顔色が悪い陽を見て、モコは詳細こそわからぬものの、酷い悪夢を見たであろうことを察した。
「……何も言わなくていいモグ。これはただの幻モグよ。何を見たのかは分からないモグけど、忘れた方がいいモグ」
陽に対しても、自分に対しても言い聞かせる。モコの言葉を聞き入れつつ、陽は鈍く痛む頭に眉を寄せた。
(「俺は一体、何を見てしまったんだろう……?」)
何も思い出せない。
割れた鏡は、まるで魔法のように元の形へと戻る。だが、鏡がこれ以上、何かを見せてくることはなかった。
●獣の夢
全方位に張り巡らされた鏡が、緇・カナト(hellhound・h02325)の姿を映し出す。
鏡の奥へと無限に連なる自身の姿を見つめ、カナトはニヤリと口端を吊り上げた。
「欲望や衝動を映し出して? 今回は身も心も任せる、と。……其れは其れは。どれほど待ち望んでいた悪夢になるコトだろうなァ」
くつくつと喉奥で笑いつつ、カナトは人間偽装を解く。身を任せろ、本能に従えと言うならば。
「……好き勝手に暴れ回るなら、コチラの姿の方が都合が良い」
それは黒妖怪人としての姿――二足歩行のオオカミのような、黒いケモノだ。本来の姿へと戻ったカナトは、燃えるような眼差しを鏡へと向けた。
「さァ、思う存分、オレの心を映すといい」
鏡よ鏡、一番望み焦がれるモノを映し出せ。鏡は願いに応えた。
眼前に無数の建物、無数の人型が映り込む。具体的にどんなカタチかはわからない。知っている建物なのか、大切な誰かなのか。ただ一つわかるのは、『好きなだけ壊して良い』ということだけだ。
(「──何もかも、壊し尽くしてしまおう」)
カナトは鏡の世界に映る幻影へと、獲物を見つけた猛獣の如く走り出す。喰い千切り、爪で引き裂き、心の赴くままに破壊する。
精神世界の出来事なのか、実際に鏡を破壊しているのか、それすらも判別が付かぬほど。彼が壊した世界に、灰燼が雪のように降り積もる。
(「嗚呼、何もない、ナニモナイ。純白の世界に、ケモノの黒がひとつきりだ」)
建物と人型で溢れていたはずの場所は、雪原のように静まり返り、|白亜の夢《アルブム》に染まる。
「……こうあるべきだったんだ。これでよかったんだ。ああ、はやく……消えてしまえないだろうか」
ケモノは無人の荒野で咆哮を上げた。
何もかも破壊し尽くしたい――それは他者だけではなく、自分自身も含まれるのだ。
第3章 ボス戦 『マガツヘビ』

●
√能力者たちを包んでいた鏡の迷宮が、まるでパソコンモニターの電源を落とした時のように消え失せる。夢から覚めた彼らへと、モリアーティが上機嫌に声を掛けた。
「おはよう諸君、良い夢は見れたかね。戦いの前に壊れられたら面倒なのでね。少々調整させてもらったが、中々に面白かっただろう?」
教授のことだ。迷宮を強化するついでに、迷宮内にいる彼らを観察していたに違いない。
「君たちのおかげで迷宮の強化は無事完了した。招かれざる客も、じきに到着する頃合いだ」
血のように赤い眼差しを、鋭く向けた先。
「|峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨《GAOOOOOOOOOOOOOONNNN!!!!!!!!!!》!」
空を切り裂くような咆哮が轟いた。マガツヘビが穢れた炎をばら撒きながら、こちらへと迫り来る。
モリアーティは精神を集中させ、鏡の迷宮を再展開。先程よりも強固で広大な迷宮が、マガツヘビと√能力者、そしてモリアーティすら包み込んだ。
「さあ、最後の仕事だ。戦いの勝敗は君たちに懸かっている。当然、私も努力するがね」
マガツヘビを迷宮に閉じ込めたことで、街や人々に被害が出ることはなくなった。戦いに集中しよう。
●激闘の始まり
「ついに本体が来ましたわね」
幾つもの手足で地を這い、迫り来るマガツヘビ。悍ましい凶敵を、ルビナ・ローゼス(黒薔薇の吸血姫・h06457)は凛然と睨み据える。古城のハチェットを構え、彼女は鋭く言い放った。
「あなたのような迷惑な暴れん坊の好きにはさせませんわよ!」
精神を研ぎ澄まし、マガツヘビの攻撃に備える。
「峨流流流流流流宇宇宇!」
呪詛のような唸り声のような、意味不明な音を吐き出しながら、マガツヘビはマガツカイナを振るった。腕の動きを追い、ルビナは右掌に炎を宿す。
「その攻撃、ルートブレイカーで打ち消して差し上げますわ!」
振るわれる腕を右掌で受け止めれば、強い衝撃が彼女を襲った。ルートブレイカーはしっかりと機能している。打ち消してもなお、純粋に腕力が凄まじいのだ。
(「√能力で無効化してもなお、この威力……!」)
だが、衝撃を与えられたからとて、攻撃の手が鈍るルビナではない。左手のハチェットを堅く握り締め、力のかぎり振るう。狙いは右掌で受け止めたマガツヘビの腕だ。敵の攻撃の直後、僅かな隙に捩じ込むように、斬撃を叩き込む。
「この一撃を受けなさい!」
ハチェットがマガツヘビの腕に喰い込んだ。切断には至らないものの、その一撃は敵の腕に確かな傷を残した。
「愚流亜亜亜亜唖!」
マガツヘビは低く呻きながら飛び退く。その姿をしっかりと視界に捉えつつ、ルビナはハチェットに付いた血を払い落とした。
「この戦いが終わったら、教授様に約束のサインを貰いにいきますのよ! どんなに強大な敵であっても、倒れるわけにはいきませんの!」
そして、そのサインは一生の宝物にするのだ。ルビナは己を鼓舞するように力強く紡ぎ、マガツヘビに立ち向かう。
●怪物との対峙
鏡の迷宮の中で、|ルイ・ラクリマトイオ《涙壺のルイ》(涙壺の付喪神・h05291)はマガツヘビを視界に捉える。
(「恐ろしさはあれど、鏡の迷宮のお陰で周辺への配慮なく対処ができるのはありがたいですね」)
あとは集中して敵を倒すのみ。ルイは懐中時計を胸に入れ、60秒のカウントを開始する。
「……決して油断などできない相手です。気を引き締めていきましょう」
マガツサバキの黒き『妖の火』に備えつつ、彼は|あいの言弾《アイノコトダマ》を紡ぎ出す。
「それは何よりも鋭い刃……また心を燃やし、潤す糧」
かつて注がれた感情、持ち主の『あい』を宿した言霊の弾丸。それは光を放ちながら、マガツヘビへと着弾する。
「愚我唖亜亜唖阿亞!」
弾丸を受けるマガツヘビ。暴れるその身から、妖の火が漂い始める。
「じきに60秒が経過します。マガツサバキにお気を付けください」
仲間たちへと声を掛ければ、モリアーティが返す。
「君も気を付けたまえ。離れていようとも、反撃されることはよくある」
「無論、承知しております」
ルイが頷くと同時、マガツヘビが咆哮を上げた。
「我亜亜亜亜唖唖唖!」
仲間の包囲を強引に突破するマガツヘビ。ルイへと飛び掛かり、禍津ノ尾を振るおうとする。ルイは即座に受け身を取り、マガツサバキによる一撃を受け流した。
反撃の直後、マガツヘビの一部が砕ける。チャージ中に受けた弾丸のダメージが、この瞬間に訪れたのだ。
「……よほど、私の呪言が気に入らなかったのでしょうか」
それともただの反射行動か。√能力で攻撃されれば、同じように√能力で反撃する――戦闘本能に従い反射的に動いたのだろうか。結局は個人的な所感であり、真実は不明だが。
(「先程の攻撃……直撃すれば、死は避けられないでしょうね」)
マガツヘビの反撃を思い返し、ルイはさらに気を引き締める。戦いは、まだこれからだ。
●狩り
悪い夢から覚めれば、あっという間に最終戦。
ぐぐっと伸びをして、緇・カナト(hellhound・h02325)は、ふうっと息を吐き出した。
「ンー……あんまりスッキリしない寝覚めな気もするケドまぁいいか」
悪夢を覗き見なんて悪趣味だと思うが、他人のプライバシーを守る善良さを発揮されても不気味だ。
「ソレじゃあ本当の憂さ晴らしに、マガツヘビ狩りと行こうねェ」
変生せよ、と灰狐狼の毛皮を纏い、|狂人狼《ウールヴヘジン》を発動。三叉戟トリアイナを手にすれば、ちょっとしたデジャヴを感じる。
……ともあれ、今から壊れにくい大物食いだ。いつまでも戯れ合えるのは、猟犬としても好ましい。
「んじゃ教授、フォローはヨロシク~」
「君も仕損じないようにな」
「わかってるって。ヘビ首を狩落とす迄は、喰らい付き続けてあげるよゥ」
迷宮に毒霧の満ちる古都が建つ。古都はマガツヘビを囲うように聳え立ち、多くの死角を生み出した。カナトは霧に潜み、建物の間を駆けながら、マガツヘビに接近する。
(「こっちからは不思議とよく視えるんだよねェ」)
敵の背後に回り込み、三叉戟トリアイナを振るった。小型マガツヘビを薙ぎ払い、その先にいる本体へと容赦なく突き立てる。
「魏亞亞亞亞亞唖!」
咆哮と共に、マガツヘビは禍津ノ爪をカナトへと繰り出した。速度は同じ。受け身を取ればダメージは緩和できようか。瞬間的に思考するうち、頭の横を銃弾が通過する。直後、教授の弾が敵に命中した。体勢を崩すマガツヘビに、カナトがもう一撃。
「ナイスフォロー。ところで、若干弾が髪の毛を掠ったのは気のせいカナ?」
「気のせいだな」
「……なんか教授、オレに当たり強くない? まァいっか」
涼しい顔の教授から、カナトはマガツヘビへと視線を戻す。マガツヘビは相変わらず穢れた炎を撒き散らしている。……この後も、沢山遊べそうだ。
●離さぬように
広く展開される強化済迷宮は、異空間そのものだ。無数の鏡が嫌な光景を映し出すことはないが、それでも気分が悪くなる。
「おー、教授さん。ごきげんようモグ。……いい夢見せてくれてありがとうモグよ」
モコ・ブラウン(化けモグラ・h00344)は、悪趣味な迷宮の主であるモリアーティへとご挨拶。じと、と冷たい視線を向ける彼女に、教授はニコリと笑みを返した。
「楽しめたようで何よりだ」
一方で、|史記守《しきもり》・|陽《はる》(|夜を明かせ《ライジング サン》・h04400)の顔色は未だ蒼褪めたまま。
(「頭痛と動悸がとまらない……なぜだろう?」)
何を見ていたのか思い出せない。だが、体は憶えていると言わんばかりに不調を訴える。モコが気遣うように声を掛けた。
「いけるモグか? きつかったら、休んでてもいいモグよ」
モコの心配そうな顔を見て、陽に申し訳ない気持ちが沸き上がる。
(「また心配を掛けてしまった。それに、凄く怒ってる?」)
父のように立派な刑事になると誓ったのに、これでは駄目だ。笑顔の仮面で弱音を隠し、気丈に振る舞ってみせる。
「俺は大丈夫です。行きましょう。迷惑を掛けてしまってすみません」
善良さに満ちた意味のない謝罪に、モコは一瞬息を詰まらせた。別に謝ってほしいわけじゃない。どうして、この子はいつも――。
けれど、今は感情に流されている場合ではないことも理解している。
「……うん、わかったモグ。背中は預けるモグよ!」
思考を敵の排除へと切り替え、モコはモグラ拳銃を堅く握った。モグモグブースターを発動し、モグラの底力で速度を2倍にする。
「任せてください」
陽も頷いてみせ、払暁を凛然と構えた。
「我琉流流縷婁宇!」
マガツヘビが悍ましい咆哮を上げ、二人に突進してくる。
「シキくん! モグが囮になるモグ! 必殺をぶちかますのモグ!」
マガツカイナをかろうじて避けるモコ。横を通り過ぎただけでも、その威力を実感した。
(「当たったら、モグの体が砕けちゃうモグ……!」)
ヒヤリとしつつも、彼女の手元が狂うことは無い。決して恐れることなく、マガツヘビを睨み据えた。
「こっちを見るモグ! その顔をぶち抜いてやるモグよ!」
挑発につられ、敵がモコを向く。その瞬間に狙いを合わせ、弾丸を敵の顔へと撃ち込んだ。モコへと気を取られたマガツヘビに、陽が接近する。眼前に広がる霊的汚染地帯が、邪悪な渦を巻いた。
(「考えるな、走れ! 理想のおまわりさんは、こんなことで止まったりしない!」)
汚染地帯に突撃し、陽は払暁へと炎を滾らせる。接近に気付いたマガツヘビが振り向いた。腕が陽を殴り付けるが、歯を食いしばり、踏み止まる。モコが気を引いてくれたからこそ敵の反応が遅れ、最大火力で殴り飛ばされずに済んだ。
――これ以上、モコを危険な目に遭わせないためにも。
(「父さんみたいに、強くて、みんなを守れる刑事になるんだ……!」)
|払暁一閃《デイブレイク・ブレイズ》――黄金の光炎を宿す剣閃が、敵へと降り注ぐ。太陽の如き輝きが、マガツヘビの体を焼いた。
「シキくん、血が出てるモグ!」
声を荒げるモコに、陽はきょとんとする。見れば確かに、脇腹に血が滲んでいた。不思議と痛みは感じないのだが。
「俺は大丈夫ですよ。この程度なら、全然動けますし」
アドレナリンが出ているのか。命懸けの戦闘、記憶無き悪夢。強いストレスを感じる要素など、いくらでもある。
敵は仲間に一旦任せ、モコは陽を迷宮の端っこに引っ張っていく。首を傾げる陽に、モコは訴えかけるように紡いだ。
「『俺は大丈夫』モグね……モグの前でその言葉を使った仲間たちは、みんないなくなったのモグ。シキくんはいなくなっちゃ、だめモグよ……」
「モコさん、なんでそんな表情を……」
傷ではなく無傷の胸が痛む。締め付けるような痛みに、陽は訝しげに眉を寄せるしかなかった。
●誘惑
強化のためとはいえ酷い目にあった。疲労を感じつつも、|斯波《しば》|・《・》|紫遠《しおん》(くゆる・h03007)は、無銘【香煙】を堅く構える。
「これで倒せないとか洒落になんないからね。きっちり倒して終わらせよう」
|【狗神】憑型《ウラミノイチゲキ》を発動し、狗神の宿怨を身に纏った。視界を蝕む白い炎。忌々しいソレは、紫遠の肉体を強化する。
「アリスさん、今度は僕の援護射撃をお願いするよ」
『承知しました』
珍しく辛辣じゃないIrisのレーザー射撃支援に合わせ、高速の居合斬りを繰り出す。
香煙がマガツヘビを深々と斬り裂いた。マガツヘビは唸り声を上げながら禍津ノ爪を振り上げる。マガツイクサを香煙で受け止めれば、衝撃が体を激しく揺らした。
敵は強く、こちらの速度に追い付いてくる。
(「もっと、もっと出せるはず。もっと速く、敵が追い付けないほどに……」)
ズキリと頭の奥に鈍い痛みが走った。耳元で、甘やかな声が囁く。
白炎に魂を焚べろ、そうして衝動に身を任せれば、もっと速く、強くなれるぞと。狗神の言葉が脳に突き刺さる。突き刺さった所から熱が広がり、思考が搔き乱された。
痛い、熱い、この苦痛から解放されたい――。
(「アレを壊せば解放される……? 直ぐに復活出来ないように。斬って|分解《バラ》して削って千切って剥いで燃やして消し炭にしたら、この衝動は落ち着く……?」)
「愚我唖唖唖亜亜!」
マガツヘビが咆哮を上げた。空気を揺るがす獣の鳴き声に、紫遠の意識は現実へと引き戻される。
「……んなわけあるかクソボケが!」
己を叱咤するように大声で叫んだ。瞬間、彼を苛んでいた痛みと熱は急速に消えてゆく。
「獣畜生と一緒にされてたまるかっての。殺戮破壊はお呼びじゃねぇわ」
香煙を堅く握り締め、冷え込む思考と共にマガツヘビを睨み据えた。
――オレは、能力者として此処に居る。内なる獣に主導権を渡してなどやるものか。
●衝動
多くの攻撃を浴びせ続けてもなお、マガツヘビは悍ましい雄叫びを上げ続けている。その耐久力に加え、命中時の攻撃威力は凄まじいことだろう。
強大な怪物を前に、ヒルデガルド・ガイガー(怪異を喰らう魔女・h02961)は瞳の奥を輝かせた。
(「――奴は間違いなく強敵。今からその首を刎ねるのが楽しみだぜ」)
戦闘本能を沸き立たせる。だがそれと同時に、一人では倒せない相手であることも十分に理解していた。
「素性の不明な妖怪と手を組むのは心地のいいものではありませんが、あのマガツヘビを葬るには我儘は言ってはいられませんね……」
ちらとモリアーティに目線を向ければ、彼は肩を竦めてみせた。
「私もこんな、正義の味方のような真似はしたくないのだがね?」
「名前からして、『そういうキャラクター』ではないのでしょうね。そちらも同様に我慢しているということですか」
「無論。まぁ、それなりに収穫もあったが」
「胡乱なことを言いますね。ですが、その点については今は置いておきましょう」
ヒルデガルドは霊力鞭を具現化。迷宮の床へと打ち鳴らし、言葉を続ける。
「今はマガツヘビを倒すことに集中しましょう。――さあ、行くぜ」
視線の先で、マガツヘビが咆哮した。
「我流亜亜亜亜亜亜亜唖!」
腕を振り上げたマガツヘビが、ヒルデガルドへと走る。彼女も床を蹴り敵へと肉薄。紙一重で腕を躱し、霊力鞭で捕縛した。
「偽りの生命の鼓動を此処で断たん」
立て続けに霊力刃を撃ち放つ。|邪霊両斬《アンデッドスレイヤー》による連続強撃が、マガツヘビの体を激しく攻め立てた。敵は小型マガツヘビの群れを身に纏い、霊的汚染を吐き散らす。僅かでも気を抜けば、殺気に圧し潰されてしまいそうだ。撒かれる呪詛に耐え、ヒルデガルドは斬霊刀「黄泉」を抜く。邪魔な群れを斬り払いながら、彼女は笑みを浮かべた。
「テメェは凄まじい殺気を持ってやがる。首を刈るには絶好の獲物だなぁ。この迷宮地獄で共々殺し合おうぜ!」
「愚流婁屡婁婁婁宇!」
マガツヘビが黒き「妖の火」を滾らせる。大きな攻撃の予感に、ヒルデガルドはより一層、愉しげな表情を滲ませた。
「イイじゃねぇか。来いよ、全部受け止めてやるぜ!」
そして最期には、すべて喰らってやる。彼女は小型マガツヘビの残りカスを引っ掴み盾にした。己の分身にも躊躇わず、マガツヘビは禍津ノ尾を放つ。その迷いの無さが、ヒルデガルドの本性を煽った。分身ごと巻き込みながら、マガツサバキがヒルデガルドを切り裂くが、同時に彼女も|侵蝕刃《ルインズリッパー》を発動する。
「全てを切り裂け。そして我が糧と為せ」
エネルギー刃で敵の尾の一部を切断し、口へと放り込んだ。硬く血生臭い肉を咀嚼し、飲み下し、ヒルデガルドは唇に付いたマガツヘビの体液をぺろりと舐め取った。
「――不味い。だが、悪くねぇ!」
傷が塞がり始める感覚を覚えながら、彼女は再び武器を振るう。
●迷宮に満ちる光の音
強大な妖力をその身に宿し、災厄を振り撒くマガツヘビ。
この怪物を放置すれば、√妖怪百鬼夜行を蹂躙し、破壊のかぎりを尽くすに違いない。
「乱暴者さんには、さっさとご退場いただきましょう」
マガツヘビの迫力に屈することなく、箒星・仄々(アコーディオン弾きの黒猫ケットシー・h02251)は戦場へと立った。アコルディオン・シャトンを凛と構えれば、いつでも演奏を響かせることができる。
「我婁婁婁宇宇宇!」
マガツヘビの雄叫びに空気が震えた。
「ヘビさんの大きな声に負けないくらい、元気な音楽をお届けします♪」
雄叫びの上に重ね、塗り潰すように、|たった1人のオーケストラ《オルケストル・ボッチ》を奏でる。快活なメロディが敵へと撃ち放たれ、震動がマガツヘビを揺らす。マガツヘビは激昂し、床を這いながら仄々へと迫った。尻尾をふわふわと揺らしながら、仄々はマガツヘビを挑発する。
「まるで鬼ごっこですね。ヘビさんこちら〜、音の鳴る方へ!」
振るわれた敵の腕を仄々は回避する。くるりんっと潜り抜け、時にはにゃんぱらりっと背面に跳んで。ぴょんぴょんと跳ね回る仄々に、マガツヘビが低い唸り声を上げた。
「愚流流宇!」
諦めず執拗に、マガツヘビは仄々を追おうとする。
「頑張りますね。でも、これ以上は近付けさせませんよ」
メロディや音撃を放ったことで生じた最大震度七相当の揺れ。その衝撃はこれまでの消耗も相まって、マガツヘビの動きを鈍化させてゆく。床に這いつくばる敵へと、仄々は語り掛けた。
「そろそろ、強烈な揺れに耐えきれないのではないでしょうか? それに……」
曲調を変え、|皆でお家に戻ろうのお歌《リカバリーカバーソング》を響かせる。√能力のメドレーだ。
望ましい分岐(√)への共鳴を増幅し、発生していた霊的汚染地帯を浄化する。穢れた空気を、爽やかな風が吹き飛ばした。
「ヘビさんの霊的汚染地帯も、綺麗にお掃除できました♪」
満足げに笑みを浮かべるが……ふと思い至った心配に、ぴくりとお髭を震わせた。モリアーティへと顔を向け、大きく丸い緑の瞳でじっと見上げる。
「因みに教授さんの迷宮にとっては大丈夫、ですよね?」
「問題ない。思う存分やるといい」
モリアーティは涼しげに返した。余裕な様子にほっと息をつき、仄々は再びマガツヘビへと視線を戻す。
「そう言っていただけると安心です。それでは、遠慮なく!」
たった1人のオーケストラと、皆でお家に戻ろうのお歌。二つの曲を交互に演奏し、攻撃と浄化を同時に進める。輝く音符は鏡の迷宮に反射して、イルミネーションのように広がった。
温かな光の旋律が、マガツヘビを包み込んだ。纏う小型マガツヘビの群れも、撒き散らしていた穢れた炎も、すべてが覆われてゆく。
「唖唖嗚呼亜亜亜亜……――!」
最期に慟哭のような叫びを上げ、マガツヘビはついに力尽きた。倒れ伏し完全に沈黙する怪物へと、仄々は優しい眼差しを向ける。
「きっと、たくさん暴れて疲れましたよね。どうか安らかに眠ってください」
それは敵を討ち倒すための音楽ではなく、命を失った者を慰める鎮魂歌だ。曲が終わると同時、鏡の迷宮も消失。変わらぬ街の光景がそこに戻る。
「ヘビさんが今のタイミングで蘇ったのは、何かの意味が、誰かの意図があるのでしょうか……? 教授さんは何かご存知でしょうか?」
仄々が素朴な疑問を口にした。
「さて、どうだろうな。私にも答えを出せないことはあるのだよ」
教授は首を横に振る。本当に知らないのか、それとも何か隠しているのか。それは定かでないが。
どうあれ共闘し、マガツヘビを倒したことは事実。仄々は教授へと向き直り、ぺこりとお辞儀をした。
「ヘビさんを無事倒せて良かったです。教授さん、一緒に戦ってくれて、ありがとうございました」
「こちらこそ改めて感謝を。ありがとう」
教授が微笑みをこぼす。その表情に偽りはないように思えて、仄々も晴れやかな笑みを返すのであった。