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懐胎
●しにいたる、げいじゅつ
一年前、とある有名な蒐集家が死んだ。彼が蒐集した美術品たちの多くはオークションにかけられ競り落とされ、数点は遺言により地元の美術館へと寄贈されることとなった。
人類が黄昏を迎える前の美術品。
行方不明とされていた、うつくしい油彩画は修繕をされ、美術館の壁を彩る。
現在は没した作家の残した数少ない彫像も、コレクションとして華々しく直立している。
ありとあらゆる、『蒐集家』の感性によって残された芸術。
それらの品。今は展示されていない、とある絵画――。
美しい女性が描かれたそれ。眠る女性の腹を、巨大な指先がそっと突こうとしている様子が描かれた一枚。無題と名付けられていたが、今現在は『処女懐胎』を描いたものとして管理されている。
だがそれは。『その女』の姿は、我々にとって見知った姿である。
仔産みの女神『クヴァリフ』――それによく似た女が横たわる絵画。
本日はその絵画の公開日。
狂ってしまったキュレーター、彼らが飾ろうとしているその一枚。
それが怪異を呼び寄せる。キュレーターたちが、クヴァリフの仔を喚び寄せる。
「おや……私が、一足早かったようですね」
派手な緑のスーツを着たセールスマンが、絵画の前へと立つ。側で発狂死している一般人に目もくれず。
足元で蠢く『クヴァリフの仔』、愛らしく、うごうごと。
男は――「死の商人」クラース・ファン・デーレンは、仔を見下ろしながら顎を揉む。
「良い価値がありそうで、何より……」
●こんばんは。
「よう、『こんばんは』。良い夜だな」
紫煙を燻らせ、ペストマスクのような仮面の奥。赤い目が√能力者たちを見る。星詠み、六宮・フェリクス(An die Freude・h00270)は、よっ、と腕を上げて軽い挨拶をしてから、煙草の火を消し携帯灰皿に突っ込んだ。
「まーだ『クヴァリフの仔』の事件は続いてる。うにょうにょカワイイって、愛でる奴らまで出ててオレちゃんウケてるんだけど」
……どうでもいい雑談から始まるのは、もはや突っ込むべきところではない。
「さて、この美術館……分かるか? 小さなところなんだが、ある蒐集家の死をきっかけにして、増築やら宣伝やらをされて、最近話題になってるところでな」
そう言ってタブレットの画面を見せてくるフェリクス。美術館の公式ウェブサイトだ。
「これ、『黄昏』以前の美術品だぜ? 今しか味わえねえかもしれねェ作品が山盛り! ってワケ!」
|迫水《さこみず》|貞雄《さだお》コレクション……大きなバナーをタップすれば、展示物についてのお知らせと、今回初公開される『絵画』の概要が書かれていた。
新たに収蔵した美術作品と、今まで非公開であった絵画の特別展示を行う、と。
開館時間からしばらく置き、昼頃から公開されるようだ。絵画の内容は説明のみ。写真などは無いが、当日来る美術館の客は当然、このコレクション目当て。
あの絵画の前は、相当賑わうことだろう……。
「明日、公開される絵。これが、『クヴァリフの仔』に関わってるようでな。召喚にあたって使われるアイテムってとこで。当然そんなもん見たら、人間ってのは衝動に駆られるもんだ。恐怖。逃走。混乱……」
仮面でよく見えない目元。だがそれでも、その目には強い意志が宿っている。
「残念なことに……狂っちまったキュレーターは、『クヴァリフの仔』を既に召喚しちまっててなァ。だが……この絵画と、『クヴァリフの仔』を狙う奴らがいる」
とんとん、とタブレットを操作して、美術館へのアクセス方法と地図を拡大しながらフェリクスは溜め息をついた。既に起きてしまった事件、過去については、変えられない。
「――目標。『クヴァリフの仔』の確保。次に、被害の拡大を防ぐ。このままじゃ、見に来た客が全滅しちまうからな!」
笑い事ではないと理解しているからか、若干ぎこちない笑みを浮かべて。改めて、美術館のホームページを表示する。
「オレちゃんは……んー。確保してくれりゃいい、って言いたいけどさ、一般人を救ってほしいのも確かなんだわ。早めに入館して、どうにか人払いを済ませてほしい。ただ何をしたって『クヴァリフの仔』を狙い、簒奪者は現れる」
真剣な声色で、√能力者たちに視線を向けるその顔。強く唇をむすんだ彼。
「頼む。手を貸してくれ」
死に至る絵画へと、死を贈れ。あれは――存在してはいけない絵画だ。
これまでのお話
第1章 日常 『黄昏の美術館』

――開館。
待っていたとばかりに、数人の客が手続きを済ませ、入館していく。熱心な者は例の『絵画』の公開を待ち侘びていたようだ。
通常展示されている品々、どれもこれも『黄昏』を迎える以前に制作された、情熱を込められた蒐集品。小さな民間工芸品はいくつかをまとめて、絵画はそれぞれに解説が書かれている。現代アートは√の性質的に殆ど無い。印象派やモダンアートなどが多く、やや偏った展示となっていた。
特別展示室への扉は、まだ開いていない。あの奥には既に、例の絵画が飾られているのだろう。そして――『クヴァリフの仔』も、部屋のどこかで蠢いているはずだ。
虚ろな目をしたキュレーターに、学芸員が話しかけている。
どうしましたか。ああいや、眠れなくてね、あの絵を見てから、興奮がおさまらないんだ――。
止まらない手の震えを見せ、彼はへらり笑う。ああ、狂ってしまっている。
だがそれをただの不調だと見た学芸員。そうですか、無理はなさらないように。何かあれば僕に言ってくださいね。そう言って、去っていく。
狂気の目が、見つめている。扉を。掻い潜るには、相応の手段が必要。
時が進めば――あの扉は、静かに、開いてしまう。
「いやあ、立派な美術館だねえ」
にこにこ笑顔。黄昏以前の様々な美術品が集まる中、静かな――だが、歓談の声が聞こえる程度には、賑やかな展示室。北條・春幸(人間(√汎神解剖機関)の怪異解剖士・h01096)は穏やかな館内に少しばかり響く声で、「ね!」と隣に立つ二人へと声をかける。
「美術館もちょいちょいクヴァリフの仔絡みの出来事起こるよね!」
ふんす! ちょっぴり興奮した様子で周囲を見回すは雪月・らぴか(霊雪乙女らぴか・h00312)。
――人類の進化が停止し、延命措置を必要とするこの√にとって、黄昏前の芸術とは「そのようなもの」になり得る。今回の絵画が『クヴァリフの仔』を喚ぶための品として使われたというのにも納得がいく。
……終末。その訪れを薄っすらと感じるからこそ、黄昏以前の世界、その思い出に浸りたくなってしまうのかもしれない。
「見た人が狂っちゃう絵画っていうのも、ホラーっぽい感じがしてテンション上がっちゃうね! でもでも、そういうのはフィクションにだけあるのがいいのかな?」
「仔を呼び出せる絵画……欲しいなあ。絵画も持って帰れたらいいんだけど……」
唇に指を当て、むむ。絵画の存在、その是非を考えるらぴかと、あわよくば絵画を持って帰りたいと顎を揉む春幸。後者は大いに私情が挟まっているが、それはそれ、これはこれ。
そんな二人に東雲・グレイ(酷薄なる灰の狙撃手・h01625)は少々「やれやれ」といった風に小さく肩をすくめた。しっかりと空間に溶け込めるよう変装したその姿は、言われなければ一般人に見えることだろう。
「――例の絵画は、見たものを狂気に走らせてしまうっていうしな」
ちらり、館内を見回すグレイ。三人の視界に映るは学芸員、キュレーター……時折やりとりをしている様子だが、落ち着かない様子で視線を泳がせたり、手を無意味に握ったり開いたりと、反復動作を延々と。
「あれは……結構だよねえ」
「だねえ」
「うん」
三人、同意。『クヴァリフの仔』を召喚した後のそれら。キュレーター・学芸員も、絵画も放置するわけにはいかないが、……その扱いには注意しなければならない。
迫水貞雄。彼が何故死に至り、そしてそもそも、そんな絵画が何故この場所に収蔵されることになったのか……。詳細を調べようとも、生前の彼がオカルト等に通じているという情報は出て来ず、件の絵画もどこで手に入れたものかすら不明。まるで「湧いて出た」かのように、コレクションに加えられていた――。
「よし。分散して情報収集をしよう。私は上を」
そう言って二階を見上げるグレイ。
「私、館内一周してくるね!」
らぴかが手を上げて、とてとてと歩き去り。
「じゃ、折角なんで展示物も楽しんで、『彼ら』に接触してみるよ」
春幸がちらりと視線を向ける先には学芸員。
三人はそれぞれ、行動に移る。
一階。
館内をぐるっと一周することに決めたらぴか。館内の案内図を手に取り見ながら、展示品へと目を通していく。ごく普通に見える絵画だが、見るものが見れば特別なものなのだろう。美術館に入る前、ポスターとして目にした収蔵品など。ぱっと見では不審なテーマの作品は見当たらない。特別展示室の付近には、コレクションはあまり飾られていない。メインの収蔵品に集中してもらうためだろうか。
学芸員が扉の前に立ち目を光らせている……下手に近寄るわけにはいかないか。案内図を見ながら、いざというときのために地図を頭に叩き込んでおく。
館内は「通話はお控えください」だ。階段下のスペースに、通話可を示すサインを見つけそこへ立ち、スマホを取り出した。そして暗がりにいるインビジブルに対して、「もしもーし」と電話をかける。
「もし~? 忙しないねえ今日は、なんだこの人の数!」
おしゃべりゴースト、ほんとにおしゃべり。聞かなくても話し始めてしまった。
「今日ね、特別な絵画の公開日なんだけど、何か知らない?」
「あ~わかったあの絵だな! 奇妙な絵だよォ近寄りたくもねえ、こういう暗ぁいところでこそっとしとかなきゃァ面倒なことになりそうな!」
「それかも! 最近、そういう感じで変なこととかあった?」
らぴかが聞けば、おしゃべりさんは「ん~」と少々考え込むような声を出して、思い出した! とばかりに声を跳ねさせた。
「二日前、緑のスーツのうっさんくさそーな男が来たね! ありゃ超目立ってたね!」
なるほど、緑のスーツ――星詠みが予知で見たと語った姿だろうか? 首を傾げる彼女。話はこれでだいたい終わっただろうか、と通話を切ろうとしたが。
「いや~迫水貞雄ねえ、こんな立派な美術館に集めたもん収蔵されるなんてなあ立派なもんだよ、それでも死んじまったらコッチ側! つっても姿も声も知りゃしないが――」
……話。なかなか、おわらない……。おどおどしはじめるらぴか。長電話だからか、ちらっと来館者の目がこちらを見た。このままだと、目立つ……!
「あ、ありがと~! また今度ねっ!」
半ば無理やり通話を切って、ふうと息を吐いた。おしゃべりゴースト、侮れない……。
さて一階、こちらは春幸。
館内はすっかり賑やかだ。らぴかと同じく、展示物を楽しみながら、客のための避難経路を考えつつ歩く。しかしちょっぴり気もそぞろ――『クヴァリフの仔』に並々ならぬ情熱を感じている春幸にとって、今回の絵画、どうにも興味がある。
仔を呼んだ実績! 絵画のテーマはどう考えても仔のそれ! いわくつきに他ならないというのに、その存在や噂が星詠みの探知に引っかかるまで、表沙汰にならなかったのは何故だろうか?
飾られている絵画には似たテーマのものは無い。むしろ『処女懐胎』という宗教じみたタイトル、それだけが浮いているようにも見える。
直接聞いてみるのも良いだろう!
頃合いを見計らい、彼は大胆にも学芸員に声をかけた。
「迫水コレクションの非公開作品はどこで、何時から公開ですか?」
「あ……ああ、こちらの奥の展示室で、十二時半公開です」
「ああ、そうでしたかすみません、気が急いちゃって」
……視線が中々、合わない。合わせに言ってもどこか遠くを見ているようだ。ああ、これは確実に、『あの絵を見ている』。
「その絵、当然ご覧になってるんですよね、どうでしたか?」
「……ええ……とても良い絵ですよ、まるで絵から、女性と手が浮かび上がってくるかのような……!」
興奮した様子で語りだした学芸員。筆の動きが見えて良い、丁寧に塗り重ねられた巨大な手の陰影、特に爪が。春幸も中々の声量だったが、学芸員の声も相当である。館内によく響く二人の声。同意するようにうんうん、と相槌をうつ。来館者たちの視線は自然と、二人の方へ向かっていた。
「その絵……いわくつきだと言う噂も聞いてますが」
――本題。切り出すや否や、笑んだまま固まる学芸員……だが。
「それがどうかしましたか?」
否定、しない!
「いやあ、美しい絵には何かしら、噂ってつきものじゃないですか~!」
欠落した恐怖心!
春幸の柔らかい態度も相まって、なぜだか学芸員と意気投合。
「本当に今にも『こども』が出てきそうで、実に良い絵です。皆様にも早くご覧になって頂きたい――!」
「分かります、自分もこの目に確と焼き付けて帰りたく――!」
……賑やかで物騒な会話に、来館者たちは眉をひそめる――。
――二階。
なぜだかやや騒がしい一階を少し気にしながら、グレイは周囲をぐるりと眺める。収蔵品はそう多くなく、人は疎ら。彼女が抱えた『|得物《スナイパーライフル》』は楽器ケースとして偽装されている。音楽を嗜んでいるのなら芸術的感性も鋭いのだろう……他者にはそのように捉えられているようだ。
正直、飾られている作品の良し悪しは彼女には分からない。だが、人々が立ち止まり魅了されるそれには、確かな価値があるのだろう。
ああいうのが素敵な絵、なのだろうか? 絵画に魅了される人々をちらりと見ながら、彼女はじっくりと館内の様子を窺う。
そうして見つけるは、ガラス張りになっている廊下。下階の様子が伺い知れる。位置をみるにこの下の部屋こそが、件の絵画が展示される場所だろう。
とびきり日当たりのよい一室。お目当ての絵画は既に壁に飾られている様子だ。分厚い布をかけられている……。
その他にも展示されている彫像などがあるようだが、それらにも布がかけられていた。あの下には、何があるのだろう。「あれ」と同時に展示されるものだ、ろくでもないものかもしれない。
ここならば、狙撃は容易だろう。立ち止まり下階を見る来場者たちもいるが、角度的に彼らのお目当ての絵画はここからでは見えにくい。……と、なれば。
――館内放送。
――分後、特別展示、迫水貞雄コレクション――『処女懐胎』の公開が――。
館内放送に気を取られた人々。彼らが去った隙を見て、グレイが|狙撃用簡易結界《スナイプトーチカ》を設置する。直接狙うよりも跳弾で破壊を狙ったほうが良いか。機動を計算し、弾丸反射用ドローンの位置を前もって定める。
ここからならば、邪魔が入らない限り、狙い撃てる。たとえ邪魔されたとしても数発を打ち込む余裕はあるだろう。
死に至る絵画。その公開が、迫っている。
第2章 冒険 『Restart』

果たして、扉は開いた。特別展示室へと入っていく人々――件の絵画『処女懐胎』、それはまだ、布を被ったままそこにあった。
本日はご来館頂き、誠に――。
……お決まりの口上が始まる。期待感を持たせるためかやや長い。
蒐集家、迫水貞雄。彼が生涯をかけて集めた逸品たち。
彼はこの世界が、√が黄昏を迎える直前まで、ありとあらゆる芸術作品を蒐集し続けていた。
だが数年前、ぱたりとその蒐集癖が止んだという。その理由は、曰く……『この絵画と出会ったから』。
さあ。ご覧あれ。これこそが、『処女懐胎』である。
|美しい女性《クヴァリフ》が描かれたそれ。
眠る彼女の腹を、巨大な指先がそっと突こうとしている。そんな様子が描かれた一枚――だが。
絵の中の手が、動いた。
|女性《クヴァリフ》の腹を押したのだ。
途端、周囲から上がる悲鳴。絵画の下から――壁の|裏《・》から、真っ黒な液体が溢れ出てくる――!
そしてそのままぼたぼたと、蠢く何かが絵画の額縁を押し上げ、生まれ落ちるは『クヴァリフの仔』だ。
現れた異形に混乱する展示室。発狂する人々。
認められぬとばかりに頭を横へ揺さぶり続ける男、拍手喝采高笑いをする学芸員、自らの腹を執拗に掻きむしる女。狂気は伝染していく。放っておけば、どうなるか。
――待っているのは、発狂死。
あの『仔』らのように|生まれなおし《Restart》を望み、人々、各々の方法で。
視に至り死に至る。――止めなければ、惨たらしい結末が待っている。