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逆さ桜に君恋し
●水面と桜
遅咲きの桜が夜風を受けて揺れる。
透き通った水面に映り込む桜の花は儚く、美しく咲き誇っていた。
或る街から離れた森林の奥にある泉は『逆さ桜の淵』と呼ばれている。
その理由は、春になると泉の傍に立つ大樹の桜が満開に咲き誇り、水面に映る花がとても風流であるゆえ。
ひらりと桜の花弁が舞い、透き通った水面に落ちれば波紋が広がった。それによって水に映った桜の姿もゆらゆらと動き、逆さの世界が不思議に映し出される。
普段ならば、美しい場所なのだが――。
現在、逆さ桜の淵にはマガツヘビが現れていた。
「峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨!」
激しい叫びをあげるのは無限とも称される妖力を備えた、あらゆる妖怪に危険視される超強大な古妖。その肉体から剥がれ落ちた鱗や肉片は、次々に小型マガツヘビとなって辺りを覆い尽くしていく。
このままでは桜の大樹はおろか、近くの街まで破壊されてしまう。
そのはずだった。
「待ちなさい。忌々しき人間だけを殺めるならば百歩譲って赦しましょう。ですが……わたくしが愛する、この花だけは荒らさせは致しませぬ」
偶然にもこの地に封じられ、復活した別の古妖――|妖桜《あやかしざくら》が現れるまでは。
●禍蛇討伐
「みんな、出番よ! マガツヘビの居場所がわかったの!」
星詠みのひとり、幽谷・雛姫 (載霊禍祓士・h04528)は昨今の√妖怪百鬼夜行を騒がせている古妖の出現を報せた。
場所は『逆さ桜の淵』と呼ばれている、桜の大樹が立つ泉の付近。
街からは少し離れている場所だが、対応が遅れれば街も人も妖怪もマガツヘビに壊し尽くされてしまうだろう。
しかし、その現状は或る者によって食い止められている。
「逆さ桜の淵には既に別の古妖がいて、桜を守るために戦っているわ! その妖の名前は飛花落葉、あるいは妖桜。それから、名も無き花曇とも云うみたいね!」
自分の本来の名すら忘れているような古妖であるゆえに呼び名は様々。何にせよ、その妖桜はマガツヘビを封じるために応戦しているようだ。
妖桜もまた――全てのあやかしよ、マガツヘビを討ち滅ぼすべし――という『マガツヘビの掟』を守るつもりでいるらしい。
それゆえに√能力者が駆けつければ妖桜は共闘を申し出るだろう。
「目的はマガツヘビを倒し続けること! まずは妖桜と協力して本体を守る小型マガツヘビを倒して、それからマガツヘビ本体を討ちましょう!」
相手を短期間で繰り返し幾度も倒せば、やがて蘇生しなくなる。愚鈍であることがマガツヘビの欠点だが、途方もなく強大な怪物でもあるので油断は禁物。
「うまくマガツヘビを倒せたら――妖桜が封印の儀式を行う、という未来を星が導いてくれたわ! その儀式も手伝えたら完璧ね!」
儀式の内容は妖桜が直接語ってくれるだろう。
予見されたよりよい未来まで道を繋ぐため、全力で戦うことが必要だ。雛姫は仲間たちに信頼の眼差しを向け、健闘と無事の帰還を願う。
「わかんなかったらとにかく殴って! どーんと解決しちゃいましょ!」
●逆さ桜の淵にて
「峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨!」
「峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨!」
マガツヘビより剥がれ落ちた鱗から小さなマガツヘビが生まれてゆく。
泉の傍に聳える大樹を背にして、妖桜は手にした枝垂れ桜の枝を振った。敵を包むように花弁が舞う中、花霞を纏った妖桜は次々と襲い来る小型マガツヘビに対抗した。だが、徐々に彼女は押されているようだ。
「負けませぬ。この名も、待ち人すら覚えていない身なれど、どうしてかこの桜だけは……この美しき景色だけは、決して穢させません……!!」
儚き姿の古妖は懸命に戦い、小型マガツヘビを桜に近付けまいとした。
それでもやはり手数も力も足りず――。
「どうか、どうか。どなたか、わたくしと共に……」
妖桜は願う。
この景色を護るための力を持つ、誰かの助けが欲しいと。
第1章 ボス戦 『『飛花落葉』妖桜・名も無き花曇』

●たとえ散る定めでも
「――やれやれ、ここにもまがつへびかい?」
春の柔らかな風と共に声が響いた。
逆さ桜の淵は普段ならばとても静かだというが、今は叫びにも似た鳴き声がこだまする場所に変貌している。その原因は、辺りに次々と出現する小型マガツヘビ達。
敵を見遣った六合・真理(ゆるふわ系森ガール仙人・h02163)は続けて、泉の傍に立つ大樹を見上げた。
枝に見事な花を咲かせる桜は美しいが、現状は風流さなど微塵もない。
「これだけ見事な桜の大樹もそうそうないっていうのに暴れようだなんて、全く分かってないねぇ。愚鈍な|妖《ばけもん》てのは風情を知らんようだ」
真理は改めてマガツヘビに視線を向け直す。
その先には孤軍奮闘する桜の古妖の姿もあった。妖桜、名も無き花曇もまたあの大樹の花のように美しいが、小型マガツヘビによって散らされかけている。
咲いた以上、いずれは散るのが花の定め。
「とはいえ……これだけの桜、無為に散らせるのは忍びないねぇ」
これは自然の摂理に則った散り方ではない。
散るならば正しき理の中で、と考えた真理は名も無き花曇の元へ参じた。その際に一番近くの敵に挨拶代わりの鋭い飛び蹴りを放つことも忘れない。
「よいしょ、っと」
「あなたは――」
妖桜は自分とマガツヘビの間に割って入った真理の到来に目を見開く。対する真理はゆるりと笑んでみせた。
「お邪魔……いや、助太刀するよ妖桜のお嬢ちゃん」
「ああ、祈りが届くなんて。共に戦いましょう」
真理が能力者であると察した妖桜は双眸を細め、その隣に立つ。わしは六合・真理だ、と簡潔に告げた真理は敵に狙いを定めた。
先程の蹴りがそれほど効いていないことは承知の上。
それゆえにここからは本気も本気の武術で殴り潰しにいくだけだ。
「峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨!」
怨念めいた叫びをあげながら小型マガツヘビが迫ってくる。だが、真理は決して慌てることなく自身の右掌を掲げた。刹那、敵が振るった拳の威力がかき消される。
「今だ、いけるかい?」
「えぇ、遠慮なく参ります」
真理に呼びかけられた妖桜が枝垂れ桜の枝を振り上げる。
そこから繰り出された一閃に合わせて、真理自身もマガツヘビを蹴り潰す勢いで追撃に入った。妖桜が花霞を纏うならば、真理は雲を散らし霧を消すが如く。
「まだまだ手は抜かないよ」
小型マガツヘビの肉体を消滅させるべく、果敢に立ち回る真理達。
その背後では桜が揺れていた。
大樹が未だ無傷でいられるのは、こうしてしかと守られているからだ。
●✨🐍🐏🌸💕
逆さ桜の淵にて。
これは美しい泉と桜の大樹を護る妖桜と、可愛い野良ひつじの一幕。
「メェー」
「……?」
何処かから声が聞こえ、妖桜の耳に届いた。
その鳴き声の主である野良ひつじ――ふわ・もこ(|迷える《ここはど》|子《こ》ひつじ・h00231)はいつのまにか、或いは妖桜が戦いに集中している間に訪れたらしい。
「メェメェ」
「あなたは……妖怪?」
妖桜は問いかけてみたが、どうやらあやかしの類ではないようだ。
ふわもこした子、即ちもこは妖桜の足元で草を食んでいた。桜の大樹の下に茂っている雑草を美味しそうに食べているもこはとても平和的だ。
つまり、マガツヘビが蔓延るこの場には些か不釣り合いだともいえる。
「迷子でしょうか……いえ、きっと」
少しばかり困惑した妖桜だったが、マガツヘビの叫びや接近にも動じないならば力を持つものに違いないと判断した。
妖桜が理解する最中、もこはもぐもぐと可愛らしく草を味わう。
だが、次の瞬間。
「峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨!」
「メェ!?」
小型マガツヘビの一匹、否、二匹がもこの元に迫ってきた。流石に驚いたもこはぴょこんと後ろに跳ぶ。それによってマガツヘビの一撃は空を切ることになった。
「峨旺旺旺旺旺旺旺!」
「メェ?」
マガツヘビは咆哮をあげたが、もこには何を言っているかわからないようだ。されど枝垂れ桜を振って応戦する妖桜がそれを厭っていることは理解できた。
雑草を食べていたもこだが、実はまだお腹が減っている。
邪魔なものがいて、自分が空腹ならば――。
もこはちいさなおくちを開き、ぱくっとマガツヘビを食んだ。先程の草を食べるときのように当たり前に。それでいて、これは√能力として発動したもの。
「ウメェ」
思いきって食べてみたところ、もこの口に合ったらしい。
「意外に美味しい……ですって?」
妖桜はもこの意志が解ったようだ。何故ならもこはそのまま、嫌がるそぶりもなく夢中になってムシャムシャと食べているからだ。
「メェ」
「ふふ、あなたも桜を守っているのね。わたくしも気を引き締めましょう」
妖桜は花霞を纏い、攻撃を強めていく。
その傍らで野良ひつじはマイペースに敵を食み、その力を削っていった。
●守護の雨
花を咲かせた大樹。
そして、その桜を映す水面。かの泉は丁寧に磨かれた鏡面のようでありながら、透き通った美しさを宿していた。
「……想像していた通り、綺麗な場所だね」
この地に駆けつけたクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は桜を見上げ、心に浮かんだ思いをそのまま言葉にした。
刹那、逆さ桜の淵に花弁が乱れ舞う。
春風のせいで巻き上げられただけならば風流で良いのだが、花が散る要因となったのは別のものの影響だ。
クラウスは元凶であるマガツヘビを見つめ、それらを此度の敵と定める。
決戦気象兵器を起動させ、力を紡いだクラウスは妖桜の近くに立った。
「この景色を守りたいという気持ちは、よくわかる」
「美しいでしょう?」
「あぁ、とても」
名も無き花曇はクラウスの声を聞き、振り向かずに問いかけてくる。小型マガツヘビが桜の大樹に近付かぬよう対処しており、視線は敵に向けたまま。
されど頷きを返したクラウスには分かっている。この古妖がそれほどに桜を守りたいと思い、懸命に戦っていることを。
「助太刀に来たよ。共にこの場所を守ろう」
「――えぇ」
クラウスの呼びかけに花曇が応え、戦いが巡ってゆく。
花扇の舞で小型マガツヘビに対抗していく妖桜に続き、クラウスは再び気象兵器の力を解放する。レインの名の如く、近くの小型マガツヘビに雨のように降り注ぐレーザーは鋭く激しい。
広範囲を狙うよりも、まずは桜に近付く者に攻撃を集中させること。
狙いをしかと決めているクラウスの力は瞬く間に敵を穿っていく。妖桜も標的を合わせてくれており、小型マガツヘビの撃滅を狙っていた。
(別の場所で会えば、敵同士なんだろう。でも――)
今は違う。
この桜を守る間だけは、同じ敵と戦う味方になれる。
「一緒に頑張ってマガツヘビを倒そう」
「勿論です。この桜だけは……絶対に……」
「峨旺旺旺旺旺旺旺!」
「危ない、下がって」
共闘していく最中、クラウスは花曇に迫る攻撃を察知した。はたとした花曇は既のところで身をかわし、庇う形で間に入ったクラウスはレインのレーザーを撃ち返すことで小型マガツヘビを貫く。
その際、構えていたスタンロッドで止めを刺すことも忘れてはいない。
「後で聞かせて欲しい。この桜がどうして大事なのか」
「はい……。それまで、わたくしが無事に立っていられればですが――」
「守るよ。どちらの桜も」
クラウスと花曇はこの場での小さな約束を交わした。
今はただ、桜が傷つけられないように敵と相対するだけ。思いを同じくした者達は前を見据え、信念のために戦い続けていく。