【王権決死戦】◇天使化事変◇第1章『射手は矢を番える』
星が未来を告げる。
はるか遠くから瞬き、線を結んだ。
―—塔の頂で、|劍《つるぎ》が振るわれる。
——どこまでも広がるのは天使の輪。
―—血を辿った先に、かつての王が立ちはだかった。
√汎神解剖機関。地中海沿岸部のとある町。
潮風に晒され、錆びた鉄骨に支えられる家屋が立ち並ぶ隅で、ゴミ山に遮られて航路を失った船があった。
その上で、海の向こうに霞む塔を眺めていた少年は、突然苦しみ始める。
「ぐあっ!」
声が漏れ、腐りかけの甲板の上をのたうち回った。全身を引き裂かれるような痛みに襲われ、内臓や骨はひっくり返されているような感覚が訪れる。
次第にその変化は、表に出てくる。
皮膚の代わりに未知の金属が這った。背中を突き破り鳥とも似ない翼が生え、頭上に神秘的な円環が浮かぶ。
変化が終わった時、痛みは引いていた。それが原因とはすぐに分かって、光沢を放つ腕を目にして疑う。
「僕、どうなって……」
まるで、出来損ないの天使だ。
船から身を乗り出し、黒ずんだ海面に自身の姿を映した少年はそんな感想を抱く。
とその時、一つの嘶きが上がった。
「————」
それは町の中央から。
金属を擦り合わせたような不快感があって、しかし少年は不思議と耳も塞がずに好奇心を向けている。
そして、家屋の上から顔を出す異形を見つけた。
「なに、あれ……?」
不出来な人形のようで、出鱈目に金属を繋いで作られた怪物。
それは手当たり次第に辺りの建物を壊していて、またも響かせた不協和音で、本能的な恐怖を呼び起こす。
辺鄙な港町に存在すべきではない存在に、少年は時を止め。
「……みんなを、助けなくちゃ」
その瞬間、欠落する。
自身を愛する感情を。その瞳に、揺らぐ世界を見た。
己の覚醒にも気づかないまま、彼は走り出す。
まだ、齢にして十一。
少年の名は、エドと言った。
●
「……」
あらゆる場所と繋がる骨董屋で、その男は目を覚ます。
「今までの天使関連とは、何か違う気がしますね」
星詠みである|二軒《ふたのき》・アサガオは、微睡の中に見た|予言《ゾディアック・サイン》を思い返していた。
「塔の頂で振るわれる劍……ついに【王劍】が現れたと見るべきでしょうか」
腕を組んで考え込むのも早々に切り上げて、彼は筆を取る。
「まだ分からないことが多いですが、とりあえず皆さんに協力を仰ぎましょう」
そうして、あらゆる√の各地にて、不思議骨董品を通じて依頼が届けられた。
『このような形での頼み事失礼しますね。最も広く渡る手段として、手当たり次第に送らせて頂いています』
それは壺の中から手紙として。
『今回は、今までにもあったように天使の保護をお願いしたいのですが、いつもとはどこか違う予感があります。もしかすると天使化の原因を突き止められるかもしれません。というのも、確定的ではないのですが、【王劍】が関わっている可能性があるようなのです』
または巻物の絵を書き換えて。
『【王劍】を手にした【|王権執行者《レガリアグレイド》】が現れれば、√能力者の皆さんでも死の危険があります。ただ、このまま見逃していればその被害は全人類に及ぶでしょう。協力して頂ける方は、【死を覚悟する】つもりでお願いしますね』
お香の煙すら文字にして、予言は伝えられた。
『天使化した少年の住む町では、オルガノン・セラフィムが大量発生しているようです。まずはこれらの鎮圧をお願いします。少年の保護を最優先に、町の被害も出来る限り減らしてください』
託すのは、あるいは世界の存亡だ。
『もっと大きな事へと発展していくかもしれません。こちらでもまた予言を見たらすぐに伝えますので、古臭いと思ってもその骨董品は捨てないでくださいよ。まあ捨てたところでいくらでも送り付けますが』
勇者を募る依頼は、そうして締めくくられる。
『それではどうか、お気を付けて』
その始まりは、これまでの延長線。
尾を引く矢はついに目指す。
王の劍絡む、天使と塔の終着へ。
第1章 冒険 『助けを求める声』

中村・無砂糖は依頼を聞くや駆け出した。
「『仙術、ビクトリーフラッグ』じゃ!」
√能力【|仙術・戦陣浪漫《ダイナミック・エントリー》】を行使し、3倍にも向上した身体能力を持っていち早く現場へと向かう。
「『王劍』がなんなのかはあまり知らん。じゃが助けを求める者がいる…ならば!」
その道中では既に、被害が広がっていた。
大量に現れたという怪物——オルガノン・セラフィムが人々を襲う光景が視界に入る。その脅威はとても数え切れず、長生きの仙人にも死がよぎった。
「…とは言えどわしは幽霊じゃし、一度死んだような身じゃ。ならば! 今を生きようとする者を優先するのが道理じゃろう?」
助けを乞う者たち前にして、逃げ出すことなど出来ようものか。誰よりも先に助けを呼ぶ声を受け取った彼は、一人でも多く救おうと動いた。
「さあさあ、助けに来たわしについて来るがよい! 避難先へ素早く案内しようぞ」
彼の掲げる旗は勝利を飾るため。
それは、多くの者の道しるべとなった。
七々手・七々口は、その猫髭で感じ取った。
「ふむ、髭がブルっと来てるねぇ…。ヤバいヤツか、この仕事」
外れのない予感を抱きながらも、彼は騒ぎの出所を探しに向かう。
俯瞰から見渡すために建物を駆け上りながら、七つの内の二つ――強欲と暴食の魔手を揺らした。するとそれらはひとりでに動き出し、主の世話を買って出る。
欲するモノを引き寄せる力で依頼にあった天使の現在地を探りつつ、見える範囲のオルガノン・セラフィムには、√能力【|暴食のお食事会《オナカスイタ》】によってその足元から大きな口を召喚して処理していく。
自身はその場に止まったまま、結果を待って、
とその時、強欲の魔手がとある方角で反応した。
「…天使はいたが、引き寄せられねぇな。こっちの力を受け付けないのか…?」
居所は判明したが、どうにも引き寄せるまでは出来ないらしい。それにかなりの距離があるようだ。
ならば急ぐしかないと怪力を駆使して別の建物へと跳び移る。しかしそれを狙って、お食事会の恨みを晴らさんと怪物が迫ってきた。
「囲まれる前に、と」
猫の身のこなしは華麗に未完の包囲網をすり抜け、すれ違いざまに暴食のエサにしてやる。気ままな黒猫を捕えることは誰にも出来ない。
その猫の手は百人力だ。
久瀬・八雲は勇み飛び出す。
「行きましょう! 王劍だろうが何だろうが、見過ごすつもりはありません!」
その足が恐怖で止まることはない。一直線に事件現場へと駆け付けた。
「敵発見です…!」
町を壊す怪物の姿を見つけると、気付かれないよう遮蔽物に身を隠す。そうしながら接近しつつ、奇襲を仕掛けた。
「飛べっ!」
投擲された霊剣・緋焔が瞬く間に敵との距離を縮め、3m以内に到達した瞬間、√能力【|虚月《コゲツ》】が発動する。霊剣の直前に瞬間移動した久瀬・八雲はそのまま、剣の柄を握りオルガノン・セラフィムの金属製の体へと切りつけた。
「———!?」
怪物が悶え、更なる破壊を行おうとした寸前で、浄化の焔を発して焼却し動きを止める。それからすぐにその場を離脱して、敵に補足されないよう行動した。
そうしている中で、ふと敵の行動に疑問を抱く。
「……一つの方向に向かっているようですが、もしかしてあちらにエドが?」
こちらに気付いていない怪物たちは、皆同じ方角を向いている。そちらに何かあるのは間違いないだろう。
とはいえ追いかけるには道中に怪物が固まっている。ならばと、少しでも進行を遅らせるために繰り返した。
「まずはきっちり守り通して、敵の出鼻を挫いてやりますよ!」
確実な処理よりも足を優先して絶つ。これから続々と駆け付けるだろう他の√能力者たちへと託すように、彼女は立ち回った。
ハリエット・ボーグナインは待ち構える危険に失笑する。
「【死を覚悟する】……だって? 常住坐臥、何やってたって人は死ぬ。じっとしてても死ぬんなら、何かやろうとして死ぬ方がきっとアガるよ」
デッドマンの彼女は皮肉っぽく言いながら、依頼のままに現場へと向かった。
「……|お姫様《ぼうや》はちゃんと助けてやるさ」
そう念を押すところは、血の通った人の様だ。
依頼に記されていた町に辿り着く前から、怪物たちの姿は見えてきた。
ハリエット・ボーグナインは気合いと|ダイエットコーク《ドーピング》をキメるとすかさず、通りがかったオルガノン・セラフィムへとパフォーマンスに誘う。
「お前らも一緒にアガろうぜ?」
——!
棺桶を振り回しその金属の体を叩きつけ、派手に音を立てる。それによって同類をおびき寄せながら、辺りの住民たちは逃してやった。
身体を張るのは得意中の得意だ。だが、継ぎ接ぎはいつ分離するかも分からないため、だましだまし自前の医術で身体を長持ちさせる。そうしながら戦闘を続けて、周囲の悲鳴が散っていったら潜伏行動へと移行した。
√能力【|バカが棺でやって来る《ステーシー》】によって棺桶に入り、肉眼以外の探知から逃れる。道中に邪魔な相手がいれば、完全隠密状態を生かした捕縛&暗殺を駆使して進んでいった。
そうして天使化した子供を探していく。
「……皆を助けるって? そいつは偉いな。じゃあ、おれは……おまえを助けに行ってやるよ」
星詠みの予言を思い出しながら、彼女はまた皮肉っぽく呟くのだった。
ハコ・オーステナイトは依頼の文章を読んで単調に零す。
「王劍、恐ろしい物ですね」
そうは言いながらも、表情は変わらない。当然、足がすくむ事もなかった。
一先ずは少年の保護と町の被害を食い止めるため、彼女は事件現場へと向かう。身の丈ほどもある真っ黒な直方体——レクタングル・モノリスを変形させ、出くわすオルガノン・セラフィムを尽く蹴散らし、強引に進んでいった。
「大きな力をモノリスも感じているようです。行きましょう」
そうして町の中心地を陣取ると、レクタングル・モノリスを城塞の様に展開し、得意の拠点防御によって町の防衛を行う。進行を阻む盾となり、更には一部分を銃器へと変え、制圧射撃までこなす。
それはまるで、一つの国すら守れそうなほどの頑強さだった。
「ハコは今までの分、これからは人々を助けると決めています。必ず守ります」
彼女自身も、頑なな決意を口にする。
過去との決別を終え新たな道へと進んだ彼女だからこそ、危険を前にしても逃げ出さない。臆さないのは感情がないためではなく、その想い故。
しかし、怪物の数は果てしなかった。
「「「———」」」
押し寄せる大群は次第に城砦を超え始め、時にハコ・オーステナイトめがけて金属の爪を伸ばす。
それでも彼女は、危険を顧みず防御陣を展開し続け時間稼ぎを行った。
人々を守るため。幼い少女のその信念は揺るぎない。
ディラン・ヴァルフリートは依頼の文章を見つめ、理解する。
「普段以上の慎重さが求められる……という訳、ですね」
とはいえ自ら踏み込む事も必要なのは承知のこと。兎も角と、他に駆け付けるだろう味方との連携も意識して動き出した。
幸いに、まだ阿鼻叫喚と言うほどではない。とはいえその一体だけでも多くの被害を出すというのに、オルガノン・セラフィムの数はあまりに多かった。
ディラン・ヴァルフリートは自らの能力を生かすためにも、より敵が殺到し、人が集まっている箇所を目指す。
√能力【|仁刻:正道に捧ぐ讃歌《ロア・イデアール》】は、自己の強化だけでなく周囲の味方にも恩恵をもたらす。より効率的な立ち位置で発動し、事態の迅速な解決を図った。
第六感による警戒を常に絶やさず、自在に飛翔する無数の剣である飛葬殲刃の遠隔攻撃で怪物を切りつける。更には任意の空間座標へと展開可能な断界絶覇で被害を被ろうとしている人々の保護を行った。
「火力が足りませんか。ならこちらで」
想定よりも敵が固いと分かれば、怪力任せに体験を振るってその金属製の体を断ち切る。更には錬気竜勁によってオーラを纏い、敵の修復能力まで阻害した。
「全てが同じような動きを見せている、と言う訳ではないようですね」
怪物たちのほとんどは一所を目指している。しかしその集団からはぐれるものもいて。これだけ多いのなら個体差も出ると言う事なのだろう。
そう分析しながら、ディラン・ヴァルフリートは出来る限りを薙ぎ払った。
クラウス・イーザリーに躊躇いはなかった。
「どれだけ危険でも、未来に繋がるなら俺は力を尽くしたい」
今回の事件によって天使化の原因が突き止められたら、これ以上の被害は防げるかもしれない。その可能性に賭けて、彼は怪物出没する町へと駆け付けた。
まずは高所へと上って周囲を観察し、天使を探しつつオルガノン・セラフィムが集まっている位置を把握する。
「かなり広がっているみたいだ……中心は向こう、だけど」
捜索すべき候補地の目途は立った。しかしそれまでの道中で起こる被害を彼が見逃せるはずもない。
「まずは数を減らさないとだね」
辺りの避難はまだ終わっていなかった。というのも、オルガノン・セラフィム達の活動範囲がどんどん広がっているようで、現在駆け付けている√能力者たちでも足りないほどだ。
クラウス・イーザリーは高所を飛び移り、√能力【決戦気象兵器「レイン」】を起動する。逃げ遅れた住民を配慮して広く浅くレーザー攻撃を放ち、敵の意識を逸らしていった。
「これじゃあ、少年を探す暇がないね」
優先順位を知りながらも、目の前を切り捨てることは出来ない。彼は呟きながらも瓦礫に巻き込まれそうになった少女をギリギリのところで抱え上げていた。
「あ、ありがちょ」
「さあ、あっちなら安全だ……歩けない?」
腕の中の少女はこくりと頷き、それなら仕方ないと安全な所へと運んでやる。下ろしてやった少女は、涙を滲ませた表情のまま、なんでか手を振ってきた。
「……」
感情表現の苦手なクラウス・イーザリーはよく分からないながらも手を振り返し、すると少しだけ少女は笑顔を取り戻す。それに対して彼は表情を変えないまま。
踵を返し、再び戦地に戻った彼の視線は、よりくまなく町にめぐらされていた。
柏手・清音はほんのわずかな安堵を抱く。
「天使化事件にも、終わりが見えてきたかしら」
これまで多くの子どもが苦しむ姿を見聞きした彼女は、ずっとこの状況をどうにかしたいと思っていた。やはり子供が苦しむ事だけは看過出来ない。
むしろ死の危険など、別に構わなかった。
「何も持たない、女ひとりの命で良いなら、安いもの、よ」
それに彼女は博打うちだ。
リスクが高い方が性に合うと、積極的に助けを求める人たちの元へと向かう。
現場へとつくとすぐに、√能力【|強制債権回収《キョウセイサイケンカイシュウ》】によって賭博場から多重債務者たちを召喚させた。より屈強な体を持つ者たちを選び、被害増える町へと放つ。
「それじゃあ、困ってる人たちを、安全な場所で、保護してきてね。今回は、それだけで、債務整理と、してあげる」
断る権利を持たない屈強な債務者たちは、債権者に言われるがまま動き出す。解放を夢見て意気揚々と走り出す彼らを見送り、柏手・清音もまた歩き出した。
「大盤振る舞いだから、気合を入れて、頼むわ、ね」
その美しい和装には似合わない拳銃を握って、勝負へ向かう。
子供たちの笑顔を取り戻すため、己の命を賭して。
八海・雨月はその覚悟を鼻で笑うように言う。
「とは言え今更だわぁ。命は常に死と隣り合うもの。√能力者はそこからほんの少し離れただけの存在。元に戻ったところでわたしはわたしのしたいことをするだけよぉ」
その程度の障害では自分の歩みは止められないのだと、彼女は常を貫いた。
だからこそ、率先して戦いへと赴く。大量にあふれるオルガノン・セラフィムを前にして、一掃を目標に定めた。
その本当の姿は、獣妖『ダイオウウミサソリ』。人化けの術を解き、2mにもなるウミサソリよりも更に大きな巨躯で怪物たちと相対する。
「あなた達はどんな味かしらぁ…」
√能力【|耶彌宇津奇神《ヤミウツキノカミ》】によって、鋏角が燃え上がり複眼と化した金眼が煌めく。視界内全員の隙を手に入れ、圧倒的な優位に立った彼女は舌なめずりをしながら群れに突っ込んだ。
———!!!
巨躯の突進はそれだけで強大な一撃となる。更には肉を切る事に特化した鋏角で切断し、傷口を抉るようにして串刺しにして、引き裂いた肉片は捕食した。
まさに獣のようなどう猛さで、死を恐れる様子など一切ない。
そしてその堅固な外甲を持って、仲間の危機まで庇って見せた。
「儚い命は大事にしなきゃねぇ…それに言ったでしょ。わたしはわたしのしたいようにするって」
八海・雨月はどこまでも自分勝手に、怪物へと喰らいつく。
真心・観千流はハッキリと恐怖を感じていた。
「絶対死……なるほど手が震えますね。ですが天使化の原因がわかるかもしれないなら、行くしかないでしょう。約束は果たさないといけませんからね」
それでもとかつて救った天使を思い浮かべ、拳を握る。一歩踏み出せばもう震えなど起こらない。彼女の意志は、恐怖よりもはるかに強かった。
戦場に辿り着くや否や√能力【|レベル1兵装・羽々斬展開《レイン・ビット》】を発動する。周囲一帯に量子ソナーを展開し、可能な限りのオルガノン・セラフィムの位置と遺伝子情報を収集していった。
「……あまりに多すぎます。これは、もしかして……」
集まった材料を元に、嫌な予感が生まれる。
これまでとも規模が違い過ぎる集団。そして、少なすぎる要救助者。
だとすれば、全てを救うのは不可能なのかもしれない。それでもと治療の手がかりを探すことは諦めず、彼女は怪物たちを無力化することに専念した。
叢雲に装填した量子干渉弾頭の弾幕を放ち、固定したオルガノン・セラフィムへと駆け寄ると、その場で量子操作マテリアルによる肉体改造で治療を試みる。
しかしやはりまだ、知識が足りなかった。金属を擦り合わせたようなその声はすすり泣いているようにも聞こえてしまう。
「王劍とやらはまだ来てないのでしょうか……一先ず警戒は怠らないようにしましょう」
出来ないことは一旦放置して、出来る事に専念する。
真心・観千流は焦りを必死に押し堪えながら、一体でも多くの無力化へと注力するのだった。
「密葬課、現着した。職務を遂行させてもらおう」
棺背負う黒装束の男——澪崎・遼馬は、鋭い視線で状況を観察する。
既に何人かの√能力者が駆け付けているようだが、それでもまだ脅威の数は多い。人命救助を優先したいところだったが、根本を解決しない限りは終わらないだろう。
ならば他の者と協力して動くべきかと方針を決めたその時。
「ヒャッハー! 死ぬかもしれないとか真綾ちゃんぞくぞくするデース!」
場違いな声が響き、邪悪な笑顔が横切る。
真っ黒な澪崎・遼馬とは対照的に、その少女は髪も肌も衣服も白い。
「……」
「おや? 味方さんデスカ?」
狂暴を体現したかのような白神・真綾は、意気揚々と√能力【|驟雨の輝蛇《スコールブライトバイパー》】によってレーザーの雨を降らして怪物たちを穴だらけにしながら、味方の存在に気が付く。
狂気的な角度で首を傾げられ、澪崎・遼馬は一瞬顔を逸らそうとしたが、彼の仕事に妥協は一度たりともあってはならない。
「……ああ」
若干の迷いを飲み込んで頷き、決めていた通りに協力を仰いだ。
「奴らの殲滅と人々の救助を手分けした方が効率が良いと思う。手伝ってもらえるか?」
「それなら真綾ちゃん、救出頑張るデース!」
すると白神・真綾はすかさずマルチプルビットを展開して、救助が必要な人々の捜索を始める。話し合いが出来ないことは想定内だったが、そっちを選ぶのかと少し戸惑いつつ、澪崎・遼馬も後ろを託した。
「……当人が囮になるゆえ、任せよう」
√能力者であるのだから心配は無用だろうと、√能力【|貴方の為の葬送曲《ベルリオーズ》】を行使し、辺りのオルガノン・セラフィムに二丁拳銃を向ける。
そうしながらもやはり後ろは気になって、その声が聞こえるとつい、視線だけで確認していた。
「ヒャッハー! 救出救出デース!」
相変わらずの邪悪な笑顔を浮かべる白神・真綾は、倒壊した建物に駆け寄ると、うさ耳型マルチデバイスで音を集め、生き埋めになっている要救護者を発見する。邪魔な瓦礫はフォトンシザーズで細かく斬り裂いて撤去して、安全に救出すればまた哄笑を上げる。
「……見かけによらないな」
その手際の良さには、口数の少ない澪崎・遼馬もつい零さずにはいられない。
黒と白の急増コンビは意外にも相性は良かった。
ニコル・エストレリタは寡黙に引き金を引き続けていた。
何よりも敵の殲滅を重視して、改造精霊銃『Dazzling Blue』の銃口から火を吹かす。単独行動となれば当然、距離を保っていても狙われる。肉薄されれば回避を優先し、むしろ接近戦を有利と捉え、ゼロ距離からの射撃で致命的な一撃を与えた。
目の前のオルガノン・セラフィムを沈黙させ、次へと照準を定める。気付かれていないその隙に、√能力【エレメンタルバレット『雷霆万鈞』】によって、射出する弾丸に雷属性を付与させた。
——!!!
起こる雷撃。その爆発は周囲へ広がり、そしてそれを魅力に思った乱入者が宙を駆けて帯電を浴びる。
「丁度良い。貰ってくよ」
雷の似合わない、ウェーブヘアが特徴的な女性——六合・真理は、後方の少年にアイコンタクトを送り、土壇場の連携を頼んだ。
一見おっとりとした出で立ちながら、彼女がひとたび拳を握れば、侮る事はもう出来ない。最小の挙動が最大の威力を生み出し、怪物を構成する金属が粘土の様に歪められた。
「さ、まずは周りの片付けからかねぇ」
アイコンタクトから間を置かずに援護射撃をしてくれたニコル・エストレリタの周囲にオルガノン・セラフィムが集まってくれば、すかさずそれらを蹴散らす。一度では倒しきれなくとも√能力【|剄打・雲散霧消《ルートブレイカー》】を行使して、瞬く間に攻撃の手段を潰していった。
ニコル・エストレリタも守られているだけではなく、敵の攻撃が届くよりも早く撃鉄を慣らしてその体を崩れ落ちさせる。小休止を得て二人はようやく言葉を交わした。
「ありがとうございます。お強いんですね」
「わしに定められた天の命数は、若い世代のために使うべきだしねぇ」
そうしている間にまた、オルガノン・セラフィムがやってくる。
「引き続き、援護します」
「多少当たっても問題はないよ。悠久を武錬に捧げたわしの五体は、そう簡単に傷付きやしないからねぇ」
ニコル・エストレリタが銃弾を放つと同時に、六合・真理は空を蹴った。
「おや、あんたも星詠みさんから依頼を受けてかねい?」
「……んぐむぐ。はい」
戦況を眺めていた夜白・青は、近くにやってきたニーモ・イオナに問いかける。無表情の彼女はやたらと頬一杯に食べ物で膨らませていて、それらをきちんと飲み込んでから頷いた。
それにドラゴンは、丁度良いとばかりに胡散臭い笑みを向ける。
「出来たらオレのとこに彼らが来ないよう守ってくれないかな? もちろん、そうしてくれたら百人力だから」
「構いません。よろしくお願いします」
無表情の未来人は特に疑う事もなく、タッグを受け入れた。そして、アクセプターであるスマートフォンを取り出す。
『I am invincible──god of lightning.』
√能力【|建御雷神形態《タケミカヅチフォーム》】を発動すると、露出の多い服装を雷光ほとばしる装甲が覆う。ここまでに貯めてきたカロリーを消費しながら、ニーモ・イオナはオルガノン・セラフィムへと突撃した。
「行きます」
「おーイカすねい」
雷を纏う少女は光の剣と未来銃を装備し、敵から付かず離れず攻撃を繰り出す。死の危険を警戒して慎重な行動をしながらも、ヒーローとして約束を果たすように立ち回った。
「それじゃあオレもこの隙に」
自身の安全を確認した夜白・青は戦場を見渡せるよう、手近な建物の屋根の上に上る。とはいえ当然、逃げようとしている訳ではない。
「いつもと違うゾディアック・サインはどんな事件に発展するのかねい。ともあれ、まずい事態になっているのならその場を収めないとねい」
戦いを見下ろす彼は、すぐに√能力【|御伽語り・妖妖《オトギガタリ・フェアリーテイル》】を行使し、辺りに妖精と妖怪の幻影を呼び出す。
「みんなを援護するよう」
移動せずに詠唱を続けて、次々に手駒を増やす。それらを戦場の各地に散らばせては、オルガノン・セラフィムの攻撃を尽く跳ね返して見せた。
もちろん、自衛のためにも数体配置して。
「覚悟していても、生きる事は諦めずにねい」
「こちらとて、死に無対策で踏み込む気はない」
ドラゴンと未来人は互いに同じ意志を抱きながら戦う。
生きようとするからこそ、強さを発揮した。
マリー・エルデフェイは慎重に辺りを見渡した。
「戦闘能力がない私に出来る事は、やはりこれですね」
√能力【|神聖竜詠唱《ドラグナーズ・アリア》】を行使すると、|神聖竜《ホーリー・ホワイト・ドラゴン》が顕現する。それはマリー・エルデフェイの願いを聞き届け、光の尾を引きながらとある方向へ飛び去って行った。
「……天使の少年は、あちらですか」
出来るだけ早い保護をして、事態を解決しようと急ぐ。とはいえ戦いを嫌う彼女は、怪物たちとの会敵は避けなければならなかった。
しかしそれも、目的地に近づくにつれて困難になる。
「これだけの数の中で見つからないというのは、不可能ですね……」
天使の少年に接近していくほどに、オルガノン・セラフィム達の数も増えてきた。それならばと少しで惹きつけ少年の安全に寄与しようとする。
あえて物音を立てて注意を向けさせる。金属の爪は、手近な獲物を捕えようと閃いた。
「っ」
追いかけっこに持ち込もうとするマリー・エルデフェイだったが、その目論見は甘く、柔肌を貫かれようとしたその時、
「走れアクセルボード、何よりも速く!」
颯爽と現れたスケボー状の乗り物が、マリー・エルデフェイを乗せてその場を離れる。窮地の彼女を救ったのは、ヒーロースーツに身を包むアクセロナイズ・コードアンサーだ。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、人命救助は自分の得意とするところですから!」
女性一人を抱えながらも、そのヒーローの活動は鈍らない。
建物の倒壊やオルガノン・セラフィムの急襲に備えつつ、逃げ遅れた人達を探し出す。そうして更に二人の怪我人を運びながら、避難所へと辿り着いた。
自らも怪我人を支えながら、マリー・エルデフェイはアクセロナイズ・コードアンサーに情報を託す。
「そうだ、天使の少年の居場所を教えておきます。ですが、オルガノン・セラフィムも集まっているので気を付けて下さい」
「道理であんな危険な場所に。あとは自分に任せてください!」
すると彼は背中を向けると、√能力【|戦い抜くための覚悟《ノットヒーロー・ノットランナウェイ》】を発動した。避難している人々に立ち向かおうとする勇気を置き土産にして、彼は再び戦地へと向かう。
「己よりも他者を思いやる彼もまた『ヒーロー』。ならばその誇り高き魂を、我々が絶やさせません! ――絶対に!」
勇ましい背中を見送ったマリー・エルデフェイはそのまま怪我人の世話をしようとして。とその時、とんとんと肩を叩かれた。
「ねえ。あなたも踊らない?」
「え?」
振り向いた先にいたのは、踊り子だった。
褐色の肌に豊満な体つき。正反対にも思える姿に少し驚くが、その人物——バーニャ・カウダは楽しそうに踊りを披露した。
その踊りは√能力【|忘却されし理想郷《シャングリ・ラ》】となって、怪我人たちを鼓舞して癒していく。
「一人でも多く私の姿を見て、感じて、忘れさせないようにしてあげてるの♪」
今この場には踊りこそが必要なのだと彼女は、暗い面持ちの人々に笑顔をもたらして。そうして再び、ペアダンスを誘う。
「あなたもどうかしら?」
「……私でも、手伝えるというのなら」
戦いは苦手だがこれならと、少し恥ずかしがりながらもマリー・エルデフェイは手を取った。最初は振り回さるようであったが、すぐに自らの足でステップを踏み始め。
「いろっぺー姉ちゃんも清楚な姉ちゃんもいいぞー!」「あたしも踊るー!」「ボクもー!」
対照的な姿の二人に人々は更に湧きたち、苦しむ声はついに消えていった。
「本当に、皆さんの顔が明るくなっていますね」
「さあ、どんどん身も心も癒してあげましょう♪」
生まれようとしている悲劇を打ち消そうと、彼女達は踊り続ける。
薄羽・ヒバリはかつて出会った天使のことを思い出す。その女性もまた、優しい人だった。
そんな心の綺麗な人々を変えてしまう天使化の謎が解けるというのなら、と気合を入れる。
「んで、ついでに世界も救っちゃうの! テンション爆上がり案件すぎない?」
真剣な面持ちを一気に明るくして、天使の少年の捜索へと走った。
「行くよ、レギオン!」
Key:AIRを操作して打ち込む指示は【CODE:Chase】。√能力によって14体のレギオンを放ち、それらが有する超高感度センサーで、エドの居場所を探していく。
それと同時に、義体装甲である風切羽で助けを求める声も聞き逃さない。
そうして見つけたのは、オルガノン・セラフィムが殺到する一帯。その向こう側にターゲットがいると分かり、すぐさま、レギオンたちでレーザー砲を放ち焼き払って進んだ。
「いた、エド!」
開かれた道の先で走る少年を見つける。
その身を何度もオルガノン・セラフィム達に傷つけられながらも、彼は一心に走り続けていた。
「こんな時まで人助けとか……! やっぱ天使化しちゃう人って心配になっちゃうくらいいい人すぎっ」
◆◇◆◇◆
少年エドは、走り続けていた。
「はあっ、ぐっ……!」
追いかけてくる怪物がいる。爪に切り裂かれ巨体に転ばされ、それでも彼は走り続けた。
「おばさんは、こっちにいる……!」
その身が変わり果ててから、なぜか常に感じる家族との繋がり。自己愛を欠落した彼には、それを見捨てることが出来ない。
幼い頃に波打ち際に捨てられていた自分を拾い育ててくれた。その恩を今返す時だと急ぐ。
ただ、他にも絆による気配を感じていた。
泣いている時に商品をくれた果物屋のおじさんに、釣りの仕方を教えてくれたベル爺。一緒に育った弟みたいなアルと、何度も喧嘩をした同い年のエンリコ。
この町で一緒の時間を過ごした人々が、そう遠くない場所に今も残っている。
なんでみんな逃げていないんだと思いながらも、最も愛してくれた人を優先した。
そして、その人は目の前に。
「おばさん! ……え?」
エドの体を、影が覆った。
目の前には確かに、この数年、自分を実の息子のように育ててくれた存在がいるはずで。
「———」
しかしそこには、歪な化け物が立っているだけ。
助けを求める声はなく、エドの呼びかけに答えたのは金属を擦り合わせるような音。
ああ気付けば、皆集まっているじゃないか。
果物屋のおじさんもベル爺も、アルにエンリコだって。
最初から、心配することなんてなかったんだ。
そう気づいた時、それは爪を掲げる。何度も少年を傷つけたその刃を閃かせた。
彼が暮らした町にいた人々は、残らず天使の病を発症していた。
天使に選ばれたのは、ただ一人だけ。
◆◇◆◇◆
白石・明日香を乗せたバイクが怪物たちの足元を通り抜ける。
「オルガノンセラフィムだっけ? 多すぎるんだよほんとに!」
荒々しい言葉と共に、√能力【|鮮血の弾丸《ブラッド・レイン》】によって、鮮血属性の弾丸を放った。研ぎ澄まされた血の雨は、未知の金属をも穿ち、道を塞ぐ邪魔者を片っ端から制圧していく。
そうして生まれた隙間を縫って強行突破する。使命に駆られた彼女は、誰にも留めることが出来ない。
「子供に必要なのは迅速な助けだ。だからさっさと道を開けやがれ!」
怪物たちの集まる中心点に、救うべき少年がいるはずだと目星をつけて急いでいたが、その壁はついにちょっとした間隙すら見いだせない。
ならば、とハンドルをめいいっぱいに持ち上げた。
「今は、お前らは後回しだ! どうせ後で嫌と言うくらいに相手するんだろうしな!」
浮いた前輪が、オルガノン・セラフィムの長い腕を掴む。強引な回転が摩擦を生んで、無理矢理に金属の体を駆け上がった。
そして宙を走るバイク。
そのまま見下ろした先に、白石・明日香は少年を見つけた。
「いたぜ!」
再び、血の雨を降らせる。
花喰・小鳥は√能力【|虚構殿《パノプティコン》】によって呼び出した死霊に導かれ、少年の元に辿り着いていた。
「|天使《エド」、あなたを探していました」
不発に終わった煙草を手放しながら、今にも襲われようとしていた少年の前に割り込む。
すると当然に、花喰・小鳥の体を金属の爪が引き裂いた。
「あ……」
「大丈夫ですよ」
エドへの攻撃をかばった彼女は、大量の血を流しながらも穏やかに告げる。そして止まる事もなく少年の手を引っ張った。
「早く手当てをしないとっ」
「問題ありません。それより、ここから逃げ出しましょう」
敵意がない事は充分に伝わっただろう。心配を向けられるが、退避を優先する。
それでも少年は、後ろ髪をひかれるように背後を振り返っていた。
「彼らにあなた自身を殺させるつもりですか?」
少年のその表情から、町の人々の安否に気付いているのは分かった。彼がどれだけ愛されていたのかなんて知る由もないが、絶望するには十分な状況だ。
でもだからこそ、伝える。
「あなたが生き延びなければ、誰が彼らを弔うんです?」
「……」
「さあ、行きましょう」
進まなければならないのだと。
赫夜・リツは、進むにつれて数を増すオルガノン・セラフィムを見て面食らう。
「王劍の力は本当に凄まじいしな…」
この数は明らかに異常だ。それこそ町全ての人が怪物化しているとしか思えない。
とその時、怪物の集団の中から√能力者に手を轢かれる少年が現れた。
「…とにかく今は、彼を守らないとだね」
オルガノン・セラフィムの大半は少年を追っている。ならばそれを食い止めるために自分が立ちはだかろうと√能力【|荒れ狂う剛腕《アレクルウゴウワン》】を発動させた。
「通さないよ」
『ジャマだジャマだぁあああああ!』
荒ぶる硬化した異形の腕で薙ぎ払い、大群をまとめて吹き飛ばす。少年が逃げてくれているなら、巻き込まないよう気を付ける必要もない。
反撃と飛んできた攻撃には、自身と世界の狭間に生じる歪みを利用し、弾き飛ばしカウンター。それをも超えてくれば、最小限の力で防ぎ次の攻撃へと繋げた。
「…このセラフィム達も被害者なんだよね」
『はっ、いちいちんなこと気にすんなよ』
異形の腕は杞憂を鼻で笑って、またも怪物を殴り飛ばす。とはいえそうしてやるのがいいのだろうと、赫夜・リツも一思いに止めを刺す決意をした。
雨森・憂太郎の足は止まらない。
死ぬかもしれないとしても、当たり前の暮らしを壊されようとする者がいるのなら、見て見ぬふりは出来なかった。
木刀を振るい金属の爪を受け流し、彼もその追走劇に割って入る。
「っ!」
すれ違う少年が、涙交じりに息を呑んだ。彼が星詠みの依頼にあった天使だろう。それが不安を向けるのは、オルガノン・セラフィム——かつて家族だった者たち。
他の√能力者に手を引かれる少年へと、雨森・憂太郎は優しく告げた。
「大丈夫ですよ」
言葉は通じなくてもそう声をかけ、『義侠心』を持って背中を守る。握るのは刃のない刀だ。
「出来るだけ多くの人を、僕が救って見せます」
目の前の人たちもまた、救うべき人たちだからと、遠ざかる少年に約束した。
向かって来る攻撃は全て防御し、√能力【忘れようとする力】によってその変貌した姿を忘れてしまわないかと試みる。それが上手くいかなくたって、彼は諦めたりはしなかった。
雨森・憂太郎は決して立ち止まらない。
夢野・きららは己の楽園を守るために戦う。
「天使なら以前も助けたんだ。その少年だって助けてみせるさ」
オルガノン・セラフィムの討伐よりもまずは少年を見つける事が先だと、他の√能力者たちの情報端末をハッキングして当たりを付け、決戦型WZ『マスコバイト』に乗り込み突き進んだ。
体高2.5mの白いパワードスーツがヨーロッパの町並みを行く。
「町を壊しちゃいけないんだっけ? まあそのくらいなら容易いねっ」
最短ルートを選択したまま。狭い道もその卓越した操作技術で通り抜け、更には√能力【プロジェクトカリギュラ】によって、『マスコバイト』を決戦モードに変形させ加速させる。
道中に邪魔をしてくれる怪物たちは、尽くイオンスライサーによる極細の振動レーザーで切断していった。
「少年はもう、保護されてるって話だけど……」
現在進行形で得た情報と照らし合わせて周囲を見渡していると、怪物たちの集団が大きく動き出す。そこで、慌てた√能力者の声が聞こえた。
「あっちか!」
少年が、護衛の手から離れてしまっている。間に合いそうな味方は、視界にいない。
ならば、と√能力【|プロジェクトカリギュラ・レッドゾーン《レッドゾーン》】によって己の機体を限界駆動の先へと導いた。
——!!!
急加速し、自壊しながらも走る『マスコバイト』。自身が捉える視界すらぶれながらも、その決戦兵器は巧みに少年を抱え込んだ。
「っと、セーフ」
「うわっ!?」
あまりの高速確保に少年は驚きを見せていて、そうしている間にぐんぐんと怪物たちから距離をとる。対して夢野・きららの問いかけは平常的だ。
「えー……名前は何だっけ、少年」
「え? えっ、エド……」
「そっか。ぼくは夢野・きらら」
戸惑うエドににっこりと自己紹介を返し、浮かべる疑問を解決させるように続ける。
「ぼくたちは正義の味方さ、助けに来た」
敢えて君をとは名指しせず。きっと自己犠牲もいとわない彼なら、自分だけが巣くわれても嬉しくないだろうからと、√能力者を代表して名乗った。
しかしそのかっこつけは、すぐに終わりを迎える。
「あ、マズい。壊れちゃう」
「えぇええええ!?」
無茶をさせ過ぎたようで、√能力が切れた途端に機体ががくんと速度を落とす。けれど心配はないと、夢野・きららはコクピットから乗り出し、少年の手を握ってやった。
「それじゃあ、こっからはまた走りだ」
そうして機体を乗り捨て、逃避行を続ける。
パンドラ・パンデモニウムは戦場を見下ろしながら、笑いを零す。
「嗚呼、やっと私にも死の機会が。うふふ、ふふふ……」
とはいえ、依頼を忘れたわけではない。
「……ですがそれは今ではありませんね」
星詠みから保護するよう頼まれていた少年の姿が見え、そしてそれを未だにオルガノン・セラフィム達が追っている。ならば自分がやるべきことは一つだ。
「出し惜しみはなしです」
戦況を見渡せる高所から、ゼウスの雷霆をばら撒き範囲攻撃。敵意を向けられれば、モルペウスの衣を使い幻影を纏って掻い潜り、√能力【|封印災厄解放「終末の三重葬」《メギド・トリスメギストス》】の行使。
無数のオルガノン・セラフィム達を眠りにつかせながら、パンドラ・パンデモニウムは逃げ行くエドに呼びかける。
「あなたが自分を愛せずとも構いません。ですが自分を利用してください、世界のために。そのためにはまだ死んではならないのです」
自らの言葉を送って、引き続き背中を守った。
「みんな、絶対に助けるから……っ」
すれ違う少年が、歯を食いしばりながら√能力者に連れられ逃げていく。
その表情を思い返して、夜風・イナミは感心していた。
「私の体が変異した直後なんて恐怖と絶望で動けなかったのに……すごい少年です。絶対に助けてあげないとですね」
牛獣人となってしまった己の境遇と重ねながら、迫る脅威に向けて鼓舞をする。少年の誓いを叶えるためにも、彼女の力はこの状況において適していた。
「倒すのは苦手だけど、制圧は任せてください!」
√能力【|石化の魔眼《セキカノマガン》】が、大量の怪物たちを捉える。その視線はたちまち呪詛を放ち、視界内の生物たちを漏れなく行動不能にさせた。
それはその場しのぎでしかないが、倒していけない相手なら都合がいい。
「望んで手に入れた力ではないですが、人を助ける時には役に立つんですよね…」
夜風・イナミは怪我の功名とも呼べる力に、何とも言えない気持ちを抱きながらも、少年を見送る。
自分よりもはるかに心の強い彼の幸福を祈って。
日南・カナタは、少年が天使化したという町の隅にある船へとやってきていた。
役目をすっかり終え、朽ち始めているその船体には新しい傷が出来ている。きっと、痛みにもだえ暴れた少年によるものだろう。金属で切りつけたような鋭利な跡は、力を手に入ればかりであっても侮れないと感じられた。
「……さすがに入れ違いか」
とはいえ、目的は少年だ。ここに彼はいない。そもそも町の人々を守るために走ったというのだから、留まりはしないだろう。
なら急いで探そうと、町の方へと足を向けようとしたたその時、
ふと、視線が海の向こうで止まった。
「あれは、塔……?」
どんよりとした空を貫く建造物。まるで背景に溶け込むように建っていて、靄がかかっているのか距離感はいまいち掴めない。
あるいはその記憶が無ければ見逃していただろう。
「そう言えば、星詠みの予言に出てきていた気が……」
手紙として受け取った依頼内容を確認しようとして、だが直前で遠くから激しい音が聞こえてやめた。
誰かが戦っている。こうして足を止めている間に。
「今は少年を助けに行かないと!」
優先順位を更新して、日南・カナタは手の届く範囲に集中することにした。
出来るだけ戦闘は避けようと物音を立てないよう進んでいると、
「おや? カナタ君?」
些細な足音に狐耳が反応する。
振り向いた先にいたのは、見知った人物だった。
「広瀬先輩っ。奇遇ですね!」
「奇遇ニャン」
警官仲間である広瀬・御影だ。死地の中での彼女の登場に、ずっと張りつめていた緊張が一瞬和らぐ。
「こんな危険な所にやってくるなんて、カナタ君ってば死に急ぎニャンねー」
「『王劍』…Anckerとの繋がりをも絶ってしまうという劍が関わっているそうですもんね…」
投げられた言葉に、今一度この先に待ち構えている可能性を思い出した。その未来を怯えない訳もない。
と、面持ち暗くする後輩に、掴みどころのない先輩はあっけらかんと言う。
「ま、でも。そういうものじゃニャイかワン? 助けを求める声があるなら助けて、助けに向かうヒトすらも助ける。それこそがお巡りニャン」
「そうですよね! 助けを求めている人がいるなら、俺達はやっぱり行くしかない!」
「うんうん、カナタくんはやっぱり頼もしいワン」
互いの信頼を恐怖を薄める薬にして、二人は共に行動を始める。方針を決めるのは先輩だ。
「警戒はみーくんに任せるニャン。情報収集頼んだワン」
「了解です!」
広瀬・御影が前に立ち、その後ろで日南・彼方が√能力【|心霊聴取《クレアオーディエンス》】によって少年の居場所を探る。更にはサイコドローンも操って、リアルタイム情報も獲得した。
「少年はもう、他の方が保護してるみたいです。ただ、オルガノン・セラフィムをまだ振り切れていないみたいですね」
「それじゃあみーくんらもお手伝いニャン!」
と、先を急ごうとしたその時、
「まてぇぇぇい!!」
どこからともなく、昭和レトロなヒーローBGMが流れ出す。その出所を追えば、廃屋に仮面を被った一人の男が立っていた。
「無辜な市民を襲う その悪逆非道!」(キレキレポーズ)
「たとえブッダが許しても!」(シュババッ!)
「俺は許さんっ!!」(バッ!!)
その見覚えある姿に、死を覚悟していた二人からは気が抜ける。
「俺の名は! 真紅の電光石火! レェェド・マスター――!!!」
廃屋を燃やす爆炎を背後に、盛大なキメポーズを取ったのは、叢雲・楓。またもや日南・カナタと広瀬・御影と同じ職場に所属する者だった。
「とぉう!」
と無駄に気合いの入った掛け声でジャンプした彼は、二人の前で着地する。それから憧れのヒーローを真似た爽やかな笑みを向けた。
「待たせたな! カナタくん! みーくん!」
「まあ、待てと言われましたらか……」
「さっきの口上、みーくんらが敵みたいだったニャンけど?」
「臨機応変は苦手だ!」
「素直ですね!?」
「素直は良い事ワン」
などとワイワイしている暇はない。三人がたむろするその場所へ、周囲のオルガノン・セラフィムが迫ってきていた。
「うわっ! さっきの爆音で集まってきましたよ!?」
「惹きつけるつもりだったから丁度いいニャンよ」
「もう一度やろうか!」
「あの、なんかハイになってません?」
おどけた調子を保ちつつも、三人は素早く陣形を組む。見知った関係だからこその慣れた連携だった。
日南・カナタが道を切り開き誘導し、広瀬・御影が銃撃で援護する。殿が叢雲・楓だ。
予知不能の弾丸が怪物の気を逸らした瞬間、飛び出すヒーローが反撃を繰り出し、隙が出来れば√能力【|案山子の睥睨《カカシノヘイゲイ》】によって襲撃者をマヒさせて、体勢を整える猶予を手にした。
「ジャスティス・ナッコゥ!!」
「よーしもっと惹きつけるニャン」
「ジャスティス・シャイニングウィザード!!」
「名前は違うのに全く同じパンチだ!?」
頼れる先輩に、後輩は驚きっぱなしだ。その尊敬のまなざしを感じてか、叢雲・楓は大盤振る舞いをする。
「俺の名は! 真紅の電光石火! レェェド・マスター――!!!」
名乗りを交えた必殺キック。つま先まで芯の通ったようなポーズは空中で一時停止して見え、それに合わせて爆炎が上がる。
ただそれは、近くの味方も巻き込んだ。
「うわー!?」「うにゃーっ」
どひゅーんと二人の体が爆風に乗る。フレンドリファイアにチープ・ヒーローは慌てて戦闘を中断し駆け寄った。
「大丈夫かー!? はっ! これは! 傷口が出血していない! なんと警察バッジのおかげで致命傷を免れたのだ!」
「火傷ですから!?」
「これは報告ものニャン」
「よくもカナタくんとみーくんをぉおおおおおお!」
的外れな解説に思わずツッコミを入れる日南・カナタとぐったりしてやる気を失っている広瀬・御影。叢雲・楓は自らの過ちでありながらも、オルガノン・セラフィムを仇として駆け出していた。
駆け寄った隙に√能力【|案山子の正義《カカシノセイギ》】を行っていたようで、爆炎を浴びた二人の傷は瞬く間に回復していく。
ふざけている場合ではないのだが、身内でいると気が抜けるのはよくある事だ。
山門・尊はエドの道を作る。
「やあ少年。疑問も長話も後にして、まずはトラブルの対処をするよ」
決戦型WZ『テスラコング』に搭乗しながら、√能力【|小型無人兵器群・蜂型《スウォーム・オブ・ビーズ》】によってお供を召喚。半数をエドの護衛と治療の任につかせ残りは自身の援護に引き連れた。
少年がどこへ逃げたって、オルガノン・セラフィムは追ってくる。だから当然、他の人々が避難している場所には連れていけない。と言う訳で、追手をすべて鎮圧するまでは逃げ続けてもらわなければならなかった。
留まるよりも散っていた方が、√能力者たちは戦いやすい。少年自身が、その選択をした。
故に、逃げ道の確保が最重要事項だった。
己の役目を全うするため、山門・尊は光学式機関砲ハニカムファイアを構える。辺りの被害を可能な限り抑えようと標準をよく絞り単射。加えて、ビー・レギオンによるニードルミサイルで、削るように倒していった。
敵の攻撃はマグ・バリアで防御しながら、それをも超えて接近されれば怪力で掴み、雷電式レイン砲台の放電を浴びせる。受けたダメージは即座に、ビー・レギオンによるハニーパルスで修復した。
「まあ、どうあれ……仕事をする、ということさ」
死の危険が待っているにせよ、山門・尊のやることは変わらない。
真弓・和虎には思い浮かべる者がいた。
「こっちにも、保護した天使がいるんでねぃ。アイツが安心して生きられる様に、力を尽くすか」
守るべき存在のため、よりよい世界を目指して動き出す。
町中に散らばっている√能力者の動向を見つつ、√能力【|真弓の射手《ワガナガテイヲシメス》】を行使して、援護射撃を繰り出す。孤立した仲間がいれば、敵の生存本能も利用して、自らの方へとおびき寄せた。
「俺が死んじまったら世話ねぇからな」
人のために動いても無茶はしない。優位性を保っているからこそ、敵を釣り上げてだまし討つ。来ると分かっている攻撃ならば、躱すのだって篭手で防ぐのだって容易い。
また一体射殺せば、次へ次へと標的を変えた。
足音やにおい、気配を鋭敏に感知しながら、常に先手へと回り込む。
それが真弓・和虎のやり方だ。
「さて、何らかの組織の痕跡はないか、情報収集もしようかね」
余裕を保ちながら、彼は自分に出来る事をこなしていく。
シアニ・レンツィの体は未だ震えていた。
「正直怖い…怖い、けど。天使病の原因が分かるかもしれないんだよね?」
もしもを思い浮かべ、涙すら滲んでいたが、代わりに得られる希望から勇気を貰う。
「あなたは天使。あなたはなり損ない。勝手に決めて、勝手にたいせつなものを滅茶苦茶にするひどい病気。止められる可能性があるなら、止めたい…!」
泣き虫な心を吹き飛ばし、彼女は√能力【|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》】を発動した。
召喚したミニドラゴンたちに、上空から少年を探してもらい、適宜テレパシーで情報を共有する。見つけるのにそう時間はかからなかった。
「とーうっ助けにきたよー!」
少年を襲おうとしていたオルガノン・セラフィムを、思い切りハンマーで吹き飛ばす。それが元人間であるということに心は痛みながらも、今は少年を助けるために躊躇いを飲み込んだ。
「ミニドラゴンちゃん! 怪我した人にドラゴンキッスしてあげて!」
回復支援も怠らず、シアニ・レンツィは立ち回る。
天使・純は少し呆れ交じりに戦場を見渡す。
「また、この状況か。ということは俺みたいな目にあってる人がいるかもしれないわけだな。なら、見捨てるわけにはいかねぇよな」
彼もまた、かつて救われた天使の一人だった。力を持たないAnkerであっても、こんな状況は捨て置けない。
「俺を助けてくれた彼女たちのようにはできないのはわかっている、だけど、だからって黙って見てる気も尻尾を巻いて逃げる気もねぇ!! こんな理不尽を許す気はねぇよ!!!!」
その穏やかな顔立ちとは打って変わって荒々しく声を上げ、戦場へと飛び込んだ。
√能力者でない彼に出来るのは喧嘩の真似事に、改造したドローンの操縦ぐらいだ。幸いにもその場には既に他の√能力者が駆け付けていて、一人が背負う危険はそう多くはなかった。
それならと、己の死をも顧みず彼は拳を握る。
「この鉄拳を喰らいやがれぇええええ!!!」
ドローンで惹きつけたオルガノン・セラフィムへと、その拳を叩き込んだ。
アーシャ・ヴァリアントは戦場を上空から睥睨する。
「はん、別に他の奴がどうなっても良いけど家族は守らないとね。生活を維持するのに世界と他の人間もいないと困っちゃうしついでに守ってやるわ」
勝気な発言をしながらも、その行動は早かった。
√能力【|竜姫巨大化《ドラゴニック・ギガント》】によって巨大化すると、空中飛行を保ったまま、暴れまわる怪物たちに向けて竜斬斧を叩きつける。重量の乗った巨大な一撃は、金属の体をたちまち粉砕した。
「【王劍】を手にした【王権執行者】だろうがぶっ飛ばしてやるのに変わりはないわ」
逃げる天使を背後にして竜斬斧で薙ぎ払い、更には|灼熱の吐息《サラマンドラ・バーン》で群れを焼却する。ドラゴンの強大な力は圧倒的だった。
「雑魚はお呼びじゃないのよ、さっさと皆ぶっ壊してやるわ」
恐れを知らず、それでも迫る怪物たちに、アーシャ・ヴァリアントは変わらず無慈悲な一撃を繰り出す。害する存在に、容赦などはなかった。
大神・ロウリスはバトンを受け取る。
「よく頑張りましたね。後は私たちが守りますから安心してください」
少年を護衛する任を代わり、鎖鎌を構えた。
敵の殲滅は他に任せ、自身は護衛と援護に集中する。近づいてくるオルガノン・セラフィムにのみ鎖鎌で反撃し、繋がる棺桶で攻撃は防いで、時にはコートで弾いてそのまま返した。
非物理攻撃にも警戒して、霊的防護を纏う。護衛は過剰なくらいがちょうどいい。
死を覚悟していても、死ぬ気などなかった。大切な人が教えてくれた優しさを思い浮かべながら、大神・ロウリスは立ち回る。
「誰かっ、怪我人を治療できる人はいないかっ!?」
突然、要請が舞い込んでくる。その力には覚えがあった。
「私が行きましょう。彼をお願い出来ますか?」
だからまたバトンを繋ぎ、自分の求められている場所へと出向く。√能力【|愛聖歌Ⅲ《シャンソン・ダムール・サクリ・トロワ》】による歌声が、多くの者を癒した。
七星・流は、パルクールで高いところを駆け上がって、状況を偵察した。
「っ! これが、戦場、本当に命を懸けた場の空気ってやつかいな!」
その被害の大きさに息を呑む。今は天使の少年と√能力者たちが結託して、戦場を町一つ分に収めてくれているが、それまでに起こった傷跡は、果てしなく広がっていた。
それに、巻き込まれた一般人の数も多い。予言を聞いてすぐ駆けつけたはずなのに、集まった√能力者では持て余すほどだった。
オルガノン・セラフィムが元人間と言うこともあって、手加減している√能力者も大勢いる。そのせいで本当の力を発揮出来ず、窮地に追いやられている者も少なくなかった。
「少しでも犠牲を減らすで!」
七星・流は√能力【|R.T.A《ソクドタメ》】で速度をチャージすると、それを一気に爆発させるようにして周辺地域を駆け回った。劣勢な仲間を手助けするための横槍をあらゆる戦場で入れ、足を止めずに動き続ける。
「ははっ、ちょい正義の味方みたいやん!」
得意の体術とワイヤーを使った身のこなしは、多くのピンチを救った。
八辻・八重可は小さく呟く。
「小さなヒントでも得られたらいいのですが……」
彼女の目的は、天使化の病にかかった人々を元に戻す事だ。それは天使だけではなく、オルガノン・セラフィムも含まれている。
病だというのだから、何かしらの術があるはず。研究員としての血を騒がせながら、辺りに溢れる症例を観察した。
初めての土地ではあったが、情報収集は抜かりない。地形を利用し、幸運にも頼りながら物影を進む。天使は√能力者の手によって保護されているらしいから、自分は観察を優先した。
「……今までと大差あるようには思えませんが」
にしてもなぜこれほどの数で現れたのか。話によれば海岸沿いの町の住民がほぼ全て変わり果てたらしい。
「だとすれば、海の向こうから病がやってきている?」
しかもそれは、当初よりも強力となって。
その思案は不意に途切れる。
「———」
「っ!」
油断して、接敵を許してしまっていた。
とっさに鉄壁を使用し攻撃を防ぐが、それをも突き破ってくる。だが壁を挟んだ隙を利用して、√能力【|怪異解体連射技法《ジンソクカンゼンカイシュウ》】によって、シリンジを放ち移動手段を切断した。
「……検体として頂きます」
そうして切り落とした部位は、研究の糧とするため抱え上げる。
八辻・八重可は一刻も早く、救いを生み出そうとした。
空地・海人は覚悟を口にする。
「命は惜しい。でも、誰かが助けを求めているのなら、俺は戦う。ポライズとして!」
敵はオルガノン・セラフィム。戦ったことのある相手だからそう怖くはない。
「現像!」
√フィルムをベルトのバックルに装填し叫ぶと、彼の体を瞬く間に緑色の装甲が覆い尽くす。そうして『フィルム・アクセプター ポライズ √汎神解剖機関フォーム』へと変身を遂げた。
「少年、助けに来たぜ!」
まさにヒーローとなって、障害を取っ払う。空撮爆弾・ハイアングルボマーに、敵を乱れ撃ちさせ、ヘイトを集めて群がったところにハイアングルボマーを自爆させて一網打尽。
度重なる爆発に、守られる少年も少し驚いたように固まっていた。
とそこへ、投げかけられる声。
「エドさん、ですね。私が見えますか?」
「え……うわぁ!?」
少年が振り向いた先にいたのは、体を透かし浮遊している男。これまで多くの不可思議な人々に助けられてきたが、その存在はまた違う。幼い彼にとっては恐怖の対象だ。
幽霊の誉川・晴迪は、そっと少年の元へと近付き、微笑みを浮かべた。
「その姿でなお立ち向かおうとするあなたに、先輩として、人の助け方をアドバイスしましょう。まずは自分も仲間に、協力を求めることですよ」
彼はそう告げると、√能力【禍祓大しばき】によって卒塔婆を地面に打ち付け、オルガノン・セラフィム達の行動を空振りさせやすくする。更には魂魄炎をぶつけて体勢を崩させ、ヒトダマ死霊の攻撃も加えた。
それのアシストによって、空地・海人も戦いに区切りを付けられる。
「よし少年、ここは安全……ん? 誰かいるな!?」
「あ、幽霊の人がさっきまで……」
「そうか、それなら味方か!」
第六感で感じ取った気配にすかさずイチGUNを抜く空地・海人だったが、少年の言葉を聞いて安心し、その手を取って走り出す。
引っ張られる少年は後ろを振り返り、驚いたことを謝るように頭を下げた。
「大丈夫、志を同じくする、私達が仲間です」
誉川・晴迪は慣れた事だと、微笑みながら彼を見送った。
◆◇◆◇◆
エドは、多くの√能力者たちに助けられながら何とか生き延びていた。
けれど、安心が出来る事はない。追いかけられ、倒していっている怪物たちは、元々彼の家族や親しい人々だったのだ。
その事情を知って、無力化に留めてくれる人もいる。けれど戦いは激化して、それどころでもない状況だった。
繋がりが途絶えた人が既に数人。それなのにただ逃げている自分が悔しくて仕方なかった。
あるいは、この身を捧げてしまった方が良いのではとも思ってしまう。それが間違いなのは重々承知だったが、親しい人を失う苦しみに比べればマシだ。
でもそれでも、手を引っ張る人たちは生きるべきだと言うのだから、あんまりだ。
(……あ、エンリコが)
本当に、この人たちを信じるべきなのか。
自分の心に従うべきじゃないのか。
疑念はついに爆発しそうになって。
「っ?」
一つ、違和感に気付く。
常に感じる、絆の繋がり。それらはほとんどが自分を追っていて、その姿が怪物であることも確かめた。
でも一つだけ、離れた場所に光が残っている。
「マルティナ……!」
それは、一緒に育った女の子。
一番長い時を過ごして、一番大きな感情を抱く相手。
その気配は、他とは違って留まったままで。
もしかしたらまだ、生きているのかもしれない。怪物になっていないのかもしれない。
その希望だけがようやくの救いで。
エドは、確かめずにはいられなかった。
◆◇◆◇◆
ルメル・グリザイユと玖珠葉・テルヴァハルユは戦場で並ぶ。
「普段なら死んだところで別に…って感じだけど。今回はいつもと違って大分不穏だからねえ~」
「まずは突然覚醒しちゃったエドくんを保護しないとね。欠落の都合、無茶な突っ込み方とかしてそうだし…」
今回の依頼について交わし合う二人は、それから手分けのために一旦別れようとして。
とその時、声が聞こえた。
「少年、待つんだ!」
味方であろう√能力者が、走り出す少年を呼び止める。その伸ばす手は、集まるオルガノン・セラフィム達によって遮られた。
緊急事態らしき状況に、玖珠葉・テルヴァハルユは少し慌てる。
「エドくんっ? やっぱり無茶しようとしてないっ?」
「かもねえ。それじゃあエドくんの方は頼んだよ」
対してルメル・グリザイユはそれほど少年のことを心配していない様子で面倒を任せた。
そして、自分の適所はここだと、道を塞ぐ敵へと接近し、魔術で爆破する。その始まる戦闘を横切って、託された玖珠葉・テルヴァハルユは少年の後を追いかける。
「独りは無茶よっ!」
声を投げるが届きはしない。何かに突き動かされたように一心に突き進んでいる。
ならば強硬手段だと√能力【|死者の外套《アーヴェ・タッキ》】によって少年を引き寄せようとしたが、それは不発に終わった。
「なっ、止まらないっ?」
能力は確かに発動していたはずが、少年はまるで意に介さず走っている。それに疑問を抱いている内に、彼女の前にも怪物が塞ぐように現れた。
「あれ、捕まえられなかったの?」
「彼、無効化する力でも持っているのかもしれないわっ」
√能力【|Translatio Percussor《トランスラティオ・ペルクッソル》】による転移魔術で追いついたルメル・グリザイユに状況を説明すると、二人は共闘に移行する。捨て身の接近戦を援護するように、霊気による援護を放った。
「僕が追いかけた方が良い感じい?」
「その前に、こいつらを片付けましょう」
オルガノン・セラフィムに遮られ、少年の姿はもう見えなくなっていた。
二階堂・利家は戦場を駆けながら呟く。
「成る程ね。超自然的な偶然で、世界同時多発的に当世では稀有な善人が怪異に堕天する。といった不可逆な現象にも実は裏があった訳だ」
例え敵に世界を滅ぼしてでも果たすべき宿願があるのだとしても、こちらとしては果てしなくどうでもいい迷惑事情でしかない。こんな惨状を生んだ見知らぬ元凶に悪態をつきながら、彼は√能力【|broken arrow《ブロークンアロー》】を行使する。
召喚したAnker『ゴッドバード・イーグル』を斥候として飛ばしながら通信機器で情報共有。敵生態を感知すればすぐさま接近し、斬り込んだ。
巨大剣の刃が、あとわずかで届かないと思ったその時、その軌道は修正されたように怪物の体を切った。
「っと。ん?」
攻撃を受けながらの反撃に対しても、いつも以上の反応速度でよけることに成功した二階堂・利家は、違和感を感じて後ろを振り返る。すると彼の背中にはワイヤーが接続されていた。
「二階堂さん、アシストは任せて」
そのワイヤーの出所は、第四世代型・ルーシー。彼女の√能力【マルチ・サイバー・リンケージ・システム】によって生み出されたワイヤーが、味方の能力を向上させていた。
「ルーシーさんか! 頼もしいね!」
そうして前衛の戦いを後押ししつつ、『”WZ”サブマシンガン』と『"WZ"レーザードローン』による制圧・援護射撃を繰り出し、仲間への危害を尽く潰していった。
「マスターが今回の依頼は注意しろとわざわざ忠告してきたけれど、傭兵として依頼は完璧に遂行するよ」
傭兵の少女は、心配してくれている主へ見せつけるように奮闘する。そのおかげで二階堂・利家も勢いを増して、シールドを怪力でぶん回しながらの、乱れ撃ちで次々と敵を殲滅していった。
「さて、この場はどうにか片付いたみたいだけど」
「星詠みからの依頼は、天使の保護だよ。急がないとだね」
あくまでも怪物退治はおまけだと、二人は先を急ぐのだった。
戌神・光次は状況の変化にいち早く動く。
「少年を早く保護しないとだな」
一度は合流出来た少年が、一人でどこかへ行ってしまったらしい。自己愛が欠落しているというのが原因なのだろうかと考えながら、多くのオルガノン・セラフィムが動くのを目星に走った。
「…まだ相手の規模感も分からんからな」
王劍が関わっていると言うが、それがどう影響してくるのかは未知数だ。きっとこの先にも戦いは続くだろうと予測し、出来るだけ消耗は避けようと√能力【ゴーストステップ】で姿を隠しつつ、移動速度も向上させた。
とにかく最優先は少年の保護。通り過ぎるオルガノン・セラフィムは全て無視をして、脇目も振らずに走るその隣に並ぶ。
「…この戦いは君が思っている以上に危険だ。どこを目指しているのか知らないが、ここは戦うべき者たちに任せてくれないか」
「あなたたちにマルティナまで殺されて堪るかっ!」
少年は聞く耳を持たない。怒りすら浮かんでいるその表情を見て、戌神・光次は大まかに理解する。
「そうか。彼らは町の人々……君の大切な人たちだったか」
仕方が無いこととはいえ、救えなかった者も多いのだろう。手を下したのは間違いなく√能力者たちであり、信頼されないのも無理はない。
ならば少しでも、心を開いてくれるように動くしかないのだろう。
「分かった。それなら俺が道を作ろう。無論、彼らも殺しはしない。多少傷をつけるかもしれないが」
「っ」
少年は応えなかった。それでもやる事には変わらない。
強化したスピードとパワーを乗せ、√能力【ハウンドショット】を放つ。ただしそれは、迫るオルガノン・セラフィムを直接狙ったものではない。足元だ。√能力を重ねがけした事による一撃は、余波だけでも強大となった。
それは突風を生み、大群をも押しとどめる。
「男なら、やりたいようにやる方が成長は早いか」
戌神・光次は教え子たちのことを思い出しながら、少年の背中を守った。
信頼のため、余力を残す事なんて考えない。
馬車屋・イタチは他の√能力者から情報を聞き出していた。
「え? 少年が逃げ出したの? じゃあ出し惜しみしてる場合じゃないね~」
慌てている味方に対して、彼女の口調はのんびりでどこか気が抜ける。と言っても楽観視している訳ではない。
「とゆーわけで、悪いけども行くよ~イタチさんたち姉妹で全員集合~」
彼女もまた出来るだけ迅速な解決を目指し、√能力【|少女分隊《レプリノイド・スクワッド》】を行使して12体のバックアップ素体を呼び出した。
「ここで二の足を踏んだら本職偵察屋の、ワイルド・ウィーゼルの名が泣くってモンだからね~」
そして偵察先頭車両に乗り込むと、それが牽引する軍用カーゴトレーラーに分隊を積載して戦場を駆け抜ける。本人は運転に集中し道の邪魔となる敵を発見すれば、分隊たちがプラズマカッターを放って牽制していった。
「……状況はよくわからないけど、とりあえず少年の確保を最優先に、オルガノン・セラフィムは邪魔立てするなら時速100kmの装甲車両で轢くよ~!」
牽制しても退かない連中には容赦なく車体をぶつけて吹き飛ばす。あまりにも荒々しい走行で、ヨーロッパの町を駆け回る。
オルガノン・セラフィムの動向に注視すれば、目標はすぐに見つかった。
「お、いたいた~。少年止まりな~」
運転席からそう呼びかけるが、彼は振り向かない。ちらりと見えた表情は険しく、何か事情があるのだとは察せた。
分隊たちによる物量で抑えることも出来るが、果たしてそれをしてもいいものか。
「わかんないけど、なんとなくこっちかな~」
馬車屋・イタチは大きくハンドルを切って、装甲車両で道を塞ぐ。そして運転席から飛び降りると、少年を追いかける怪物の集団に立ちはだかった。
「イタチさんはヒーローじゃないけどね~。せめて世界くらいは救いたいのさ~」
直感で、こうするのが最善だろうと恥ずかしさを押して√能力【ライダー・キック】を繰り出す。燃え上がる一撃が、多くの足止めを成し遂げた。
きっと少年のやりたいようにすることが、世界のためになるのだと考えて。
瀬条・兎比良は潜伏していた。
√能力【|【物語】「消失と沈黙」《ハンティング・ブージャム》】によって探知を掻い潜り交戦を避けて進む。その道中で味方であろう√能力者たちの会話を耳にした。
「天使化した少年が勝手に動いているらしいな」
「強引にでも止めるべきだろ」
「そしたらいよいよ協力してくれなくなるかもな」
立ち止まる二人は出方を窺っているのだろう。対して瀬条・兎比良は、動かずにはいられなかった。
「情報提供ありがとうございます」
「なんだっ?」「誰かいるのかっ?」
潜伏状態であるにも関わらず律儀に礼を言った瀬条・兎比良は、二人を困惑させながらその場を去る。そして、引き続き少年の行方を追った。
「……?」
オルガノン・セラフィムの集団はすぐに見つかる。きっとその内側に少年がいるのだろうが、なんとなく違和感を抱いた。けれどそれが何かへと繋がる事なく、とにかく少年の隣へと寄ろうとする。
とその時、
「———!」
「気付かれましたかっ」
肉眼でとらえられたのか、オルガノン・セラフィムの爪が伸びる。引き裂かれる寸前で、瀬条・兎比良は√能力【|【物語】「四十と一の切断」《ディジー・リジー》】を行使し、間一髪のところでよけた。
それを機に、周囲の数体も振り向く。この場での応戦は不利と見て、戦いやすい地形へと誘いこんだ。
「これでは、中々近づけませんね……」
斧を振るって怪物たちと相対しながら、少年を囲う集団を見やる。それは、抜け出た分を補うように陣形を整えていて。
「……やはり、攻撃をしていない」
そこで、先ほどの違和感が結ぶ。
そのオルガノン・セラフィムは、少年と並走するだけだった。話に聞いていたように天使を喰らおうとしている様子はなく、むしろ護衛みたく統率を取っている。
攻撃してきたのだって、近づけさせないためなのではないのだろうか。
それは怪物の意志か。はたまた別か。
瀬条・兎比良は戦いを一旦切り上げ、危険を承知で更に少年へと近付いた。
「なんだこいつら!?」
久瀬・千影は困惑していた。
星詠みに導かれるまま、天使化した少年を救おうと、怪物の集団を追いかけていた時、その中心で件の保護対象を見つけたかと思ったとたんに、オルガノン・セラフィム達が攻撃を仕掛けてきた。
目の前の好物も気にせず。それはまるで、囲う少年を守るような行動で。
状況は分からないが、攻撃されているなら反撃するしかない。
「くそっ!」
それが天使化に失敗した人間の成れの果てとは知っていて。それでも道を切り開くために刀を振るう。
空中から迫る怪物には、√能力【|五月雨《サミダレ》】によってその翼を切断し、機動性を削いだところで√能力【|燕返し《ツバメガエシ》】を以て斬り伏せた。
「……すまねぇな」
消化しきれない罪悪感を言葉として吐き出す。そうしながらも気を抜かず、残心。再び迫ってきたオルガノン・セラフィム達には、同じようにして対処した。
そうしてエドへの道が開かれ、久瀬・千影は声をかける。
「手を貸すぜ。誰かを助けに行くんだろ? 少しは役に立てると思う」
彼を守ろうとしていた怪物のことは一旦置いて、そう提案した。とにかく天使化して不安だろう彼に寄り添ってやろうとすると、少年はようやく足を止めて振り向いて。
久瀬・千影が差しだす右手に対して、少年も右手を持ち上げる。
しかしそれは、握手に応えようとしたのではなく。まるで何かを呼び寄せるかのように、高く掲げられた。
直後、
「「「———!!!」」」
周囲のオルガノン・セラフィムが殺到する。少年に集まった訳じゃない。複数の個体が漏れなく、久瀬・千影へと爪を伸ばした。
「こいつら、エドが操ってんのか!?」
久瀬・千影もようやく理屈を理解し、しまった刀を再び抜き放つ。
怪物たちは命令のままに攻撃してきていて、その隙に少年はまたどこかへ走り去ってしまった。その背中が見えながらも、久瀬・千影は足止めされて追いかけられない。
「エド! 待てっ!」
少年は振り返らなかった。
深雪・モルゲンシュテルンは、『神経接続型エアバイク』を操縦している。その後ろには連れを乗せていた。
「澪さん。あなたを生還させるために全力を尽くします」
「ううん私も戦うよ。怖いけど一緒に戦う皆も、私が守りたい皆なんだから! 行こう、深雪ちゃん!」
投げかけられた誓いに対して、同乗する澄月・澪は、恐怖を振り払って告げる。
そうして二人は、星詠みに依頼された現場へと急行する。
破壊が広がっているという町並みは、意外にも静かだった。
「思っていたよりも、オルガノン・セラフィムが少ないですね」
「確かに、先に来た人がもうみんなやっつけちゃったのかな?」
その町では戦いの痕は残っていたが、元凶らしき怪物の姿がほとんど見当たらない。時折、当てもなく歩いている単体を見かけるが、それだけで敵意も向けてこなかった。
事態は収拾したのか、と思ったその時、澄月・澪がそれを見つける。
「待って! あれ!」
指を指す方角には、高波があった。いやそれは、集まりすぎてそうとしか見えないオルガノン・セラフィムの集団だ。
町中全てから集められたような数に、他の√能力者たちも戦いを繰り広げている。しかし圧倒的に無勢で、集結しそうにない。そこへ二人も急いで参戦する。
「まずは、オルガノン・セラフィムを減らそう!」
「ええ。気を付けて下さい」
同乗者を下ろすと、深雪・モルゲンシュテルンはバイクのまま怪物の波に突っ込んだ。思考と直接リンクした運転技術で攻撃をかわしながら、√能力【|神経接続型凍結砲<氷界>《ニューラルリンクド・フリーズカノン・ニヴルヘイム》】を行使する。
「<氷界>コネクション確立。射線上に僚機なし。凍結グレネードを使用します」
放たれた氷属性の弾丸が、怪物の波を凍らせ止める。だがあまりにも数が多いために、殲滅には至らない。撃ち漏らした敵が反撃にと切りかかってきて、その直前、電脳化神経のリミッターを解除したことによる反応速度で対応し、√能力【|戦術機動攻撃《タクティカルマニューバ》】へと移行する。跳躍後に飛行用スラスターで空中移動して隙を潰し、次の行動へと即座に繋げた。
「エドさんは……見当たりませんね」
保護対象である少年は、波の向こうなのだろうか。とてもその先には行けそうになく、今はとにかく味方のフォローに専念するしかなかった。
「魔剣執行。因果を断て、忘却の魔剣『オブリビオン』!」
バイクから降りた澄月・澪は√能力【魔剣執行『オブリビオン』】を行使し、その髪を銀色に変えていた。
魔剣執行者と変身した彼女は、強烈なプレッシャーを纏い、向かう敵と相対する。
連れが放った範囲攻撃の、漏らした敵を優先的に狙う。数が多く全ては請け負えなかったが、向上させた移動速度を生かして撃破を進めた。
「あなたたちも、本当はこの町で暮らしてた人たちなんだろうけど……今、生きている人のために、ごめんなさい!」
それが善良な市民であることは理解しながらも、選択する。未知の金属に覆われた体は固く、プレッシャーにも怖気づかない怪物には、容赦なく【魔剣執行・断罪】を放った。
「たぁああああああ!」
大きく振りかぶってからの上段叩き斬りでねじ伏せる。そうしていると、その耳元に通信が入った。
『澪さん、そちらは大丈夫ですか?』
「うん、大丈夫。男の子は見つかりそう?」
『……いえ、恐らくこの群れの先です』
「やっぱりそっか」
その情報を聞いて、澄月・澪も一時手を止め怪物の波を眺めた。
それは横にも縦にも広がっていて、まるでその先へ通さないとばかりだった。一体なぜ、このように立ちはだかっているのか。オルガノン・セラフィムは天使を狙うはずではなかったのか。
疑問は尽きないが、戦いは激化するばかり。
『とにかく、この場を収めましょう。援護します』
「うん、お願い!」
背後から追い越す弾丸に安心感を覚えながら、魔剣を振るう。
戦いが長引くほどに、町は壊されていった。そこに住んでいた人々を弔うように、√能力【忘れようとする力】で町並みを修復させていく。
その程度しか、してやれることはなかった。
◆◇◆◇◆
エドは走り続けていた。
邪魔者を振り切って、唯一の希望へと目指していた。
「マルティナ……!」
それはもう近い。
目の前の建物を曲がって路地を抜ければ、そこに幼馴染である少女はいるはず。
不安の方が多くよぎっていた。家族を求めた先にあった裏切りが、再び起こるのではないかと。
それでも確かめずにはいられなくて。希望に縋らずにはいられなくて。
そして、辿り着く。
「マルティナっ!」
果たしてそこには、
「エドっ?」
聞き慣れた声と共に、見慣れた顔が待っていた。
濃い褐色の髪にハッキリとした顔立ちの地中海人種らしい少女は、突然現れた少年に驚きを隠せない。
そもそも、それが彼だと分かったことが不思議なくらい、その姿は変わり果てている。
「マルティナ! 無事だよねっ!?」
「えっ? う、うんっ。けどエドの方が……」
抱き着かれ、驚く少女——マルティナは、目を白黒させた。未知の金属に覆われ、翼まで生やしているその姿を見て安心を抱くことはとても出来ない。
「良かった。本当に良かった……」
「うん。私は大丈夫よ」
けれど、涙すら滲ませている幼馴染にまずはと抱きしめ返した。
未成熟な体を寄せ合って、互いの温もりを確かめ合う。少女が感じる少年のそれはとても冷たかったけれど、でも震えを抑えるように、ぎゅっと力を込めた。
しばらくそうしてから、ゆっくりとお互いの顔を見る。
「ねえ、エド。もしかして町の人は……」
「……うん。みんな怪物に」
「お母さんも?」
問いかけに、エドは口を閉ざしたまま頷いた。それに少女は感情を零さず、目の前に心配を向ける。
「エドも……無事ってわけじゃないよね。それって、どうしたの?」
「なんか、天使だとか言われた気もするけど、よくは分からない」
味方だと言って追いかけてくる人たちに何か言われていたような気はするが、あまり覚えてはいなかった。それよりもと、彼は自分のことをさておく。
「どうしてマルティナは無事だったの?」
その少女は、普通の人間の姿のままだった。
何よりも、彼女は町の外に出ていたと言う訳でもない。
当然、最初から彼女との繋がりは感じていた。そしてその周囲には、怪物となり果ててしまった知人もいたのだ。
だから希望を抱くのが遅れた。気付けたのは、他の人たちと違う行動をとっていたから。
以前と全く変わっていない少女は、少し顔を明るくして視線を後ろへと向ける。
「私も良くは分からないけど、助けてくれた人がいたのっ」
その先には、破壊の傷跡が残るカフェテラスがあった。店舗は半壊して、テーブルは全て横倒しになっている。そこで働き客として訪れていた人も皆、怪物になったのだろう。
ただし一脚だけ、通常営業とばかりに客を座らせていた。
辺りの荒廃も意に介さず、新聞を読んでいる。そして二人分の視線に気づいたのか、その奥から顔が覗いた。
「こんにちは、君がエドくんだね」
真っ白な髪の初老らしきその男性は、日常のままに挨拶を投げかける。
天使の姿に、驚きもせず。
◆◇◆◇◆
角隈・礼文は広がる『壁』を前に眉を顰める。
「これは確かに、自然発生した現象とは思えませんな」
果てしない数のオルガノン・セラフィムは、その両端が見えないほどに広がっていて、意図的に道を塞いでいるとしか思えなかった。
以前にも、天使化にまつわる事件には関わったことはあるが、このように統率の取れた行動は見たことがない。王劍なる物が関与しているというのだし、やはり何らかの意に沿う出来事であると確信を得る。
「如何なる神秘によるものなのか。……うむ。これほどの未知であれば、危険を覚悟してでも臨むものですな」
それははてさてどんな理屈か、踏み込んだ以上は気になるが、今は頭を悩ませている暇もない。
オルガノン・セラフィムの大群は、今すぐにでも√能力者たちを撃退しようとしていて、一人でも多くの手が必要なのは見るに明らかだった。
「天使化した少年の保護をしたい所ですが、やはりこの向こうにいるのでしょうか」
こんなにも大群に囲まれれば、従来の天使ならたちまち喰らわれてしまうだろう。むしろ、手遅れでないことが不思議なのだが。
星詠みからの依頼の最優先事項はそちらだ。とりあえずはと、√能力【|従属せよ痩せこけた夜の魍魎《サモン・ナイトゴーント》】によって夜鬼を放ち、捜索を行わせる。
オルガノン・セラフィムの壁を越え、上空からその先を窺おうとして、しかしそれは、瞬く間に怪物の爪によって切り落とされてしまった。
他の√能力者も上から横からと回り込もうとしているが、どれも阻まれている。
「……どうにか突破しなければ話になりませんね」
思い通りにはいかないと知り、骨が折れそうだと角隈・礼文は気合を入れるのだった。
禍神・空悟は不機嫌そうにその『壁』を見つめている。
「天使化しちまう奴らはどいつも面倒くせぇ性根をしてやがる」
一部の√能力者からの情報によれば、そのオルガノン・セラフィムの大群は、天使化した少年が操っている可能性があるという。
それは、√能力者である自分達を近付けさせないために。
一体全体どうしてそうなったのか。いじけて塞ぎこんでいるというのなら、活を入れてやらないといけない。
「とにかく、こいつらを大人しくしてしまわないとな」
生存者たちの避難は既にあらかた終わっているらしかった。手の空いた√能力者たちから続々とその『壁』へと向かっていて、それを超えなければ進めない。
そうと知れば、禍神・空悟もまた加わった。
「さて、皆殺しにはどれだけかかるか!」
数えきれない敵の多さに、敵わないとは決して思わず突撃する。とその時、怪物の群れから数体、『壁』から離れていくのが見えた。
それは、近くにいた√能力者による陽動の賜物。四輪車に乗る初老の男性からアイコンタクトを受け取った。
「おっさん! 良い走りしてるぜ!」
「お褒めに預かり光栄です。このまま後方支援を行いますね」
ゴースト・バギーで敵を引き連れてきた角隈・礼文は、荒々しい称賛を素直に受け入れながら、夜鬼の群れでの索敵を行っている。
そうして、四輪車と禍神・空悟がすれ違い、立ち位置は切り替わった。
前衛へと出た禍神・空悟は√能力【|奔星《ハシリホシ》】によって、全てを焼き尽くす黒炎の爆風をまき散らす。
「消し飛んじまえ!」
それは敵を焼き、そして自らの炎を纏いながら彼は踏み込み鉄の拳を叩きこむ。すると未知の金属に覆われた体は大きく歪み、その体重を支えられずに倒れた。
それと同時、触れた右手から【|寂星《セキホシ》】を放って、修復しようとした能力も打ち消す。既に怪物は、立ち上がる術を失った。
加えて、黒炎の余波は味方の√能力者たちに防壁としても活躍する。
「ここは俺にっ、任せろやぁッ!」
陽動を担った角隈・礼文だけでなく、他の周囲の味方へとも告げ、彼は視界をも埋め尽くす怪物の群れへと怯まず立ち向かった。
それは自己犠牲なんて高尚なものではなく、ただ単純に、敵を皆殺しにすれば解決するだろうという考えの下。
そしてそれに必要なのは、自らだ身一つだと本気で思っていた。
でかい図体の懐へ潜り込むと、小回りの利かない相手をあざ笑うように√能力【|竜討《リュウトウ》】による連続攻撃を繰り出した。鉄拳を怪力で押し込み、装備ともいえるほどに鍛え上げた肉体による鉄壁で受け、また叩き込む。
そうして一匹ずつ潰していき、周囲の波が途切れた所で、思い出したように角隈・礼文が隣に現れた。
「ケーキは食べますかな?」
ひょっこりと。渋い顔の男性が、似合わないケーキをさらに乗せて差し出してくる。それは√能力【怪異解剖執刀術】によって切り分けられ、回復能力を得ている物だった。
突然の提案に禍神・空悟は一瞬眉を顰めるが、鉄壁とは言え体力を消耗しているのは確かだとそれを受け取る。
「ああん? 肉がよかったが……ん、うめぇじゃねぇか」
「お褒めに預かり光栄です」
仕切り直しはまさに蓄積された疲れを消し飛ばし、全くパフォーマンスを落とさなかった。
そうしてまた、角隈・礼文が敵を引き付け、禍神・空悟が叩き潰していく。
気づけば、雨が降っていた。
破壊が刻まれた町を、洗い流すように強く。
視界が悪くなる中、マハーン・ドクトは頭を覆う仮面を付けながら歩いている。
「…本当に何やってんだろう俺。死ぬかもしれないんだよな?死にたくない死にたくないって今までヒィヒィいいながらなんとかやってきたってのに、何で俺ここにいるんだ?」
彼の前には、多くの√能力者たちを阻む『壁』があった。大勢の手練れが挑み足踏みしているというのに、なぜこんなにも弱気な自分が向かおうとしているのか。
「…そうだよ、|√ウォーゾーン《あのクソッタレ世界》の事ですら手一杯じゃないか。あそこの戦闘機械屑鉄の相手ですらどうしようもなくギリギリで命がいくつあっても足りないんだが???」
なのに、なんで。
この足は進んでいるのか。
疑問は浮かぶけれど、それはすぐに答えが出てしまう。
「…「『ぶっちゃけ自分じゃなくても』と言いつつも、でも『自分がやらなくていい理由』にはならない」…か。っはは。これもそうってか。冗談きついって」
笑い飛ばしながらも、彼の全身を青のスーツが包み込もうとしていた。
「…「転身開始」」
そして更に上から黒いレインコートを羽織り、彼は戦いの決意を抱く。
自分が動かなくて誰かが犠牲になる未来を想像して、止まってはいられなかった。
√能力【|R・C・S《レイニーデイ・コールスクトゥム》】を行使して、周囲の雨粒を集めて防壁を創造する。そうして、押し寄せる怪物の波をたった一人で食い止めた。
「あぁくそ!放っておけるか!!」
死が待っていると言う。
現に、この防壁を挟んだ向こうには、自分を殺そうとする大勢の意志が集っていて。
やっぱり体は震えた。でもそんな感情も雨は洗い流してくれる。
それがある分、|強く《ヒーローで》あれる気がした。
「全部受け止めてやるっ!!」
出来っこないと思いながら、口にする。
でもそれは、確かにマハーン・ドクトへと力を与えてくれていた。
シンシア・ウォーカーには、端から退く選択肢はなかった。
「今まで保護してきた天使の皆さんの安全、ひいては世界も危ういとあっては、戦わぬわけにはいきません」
死を意識しながらも、救うべき対象にはきっと自身がずっと探し続けている故郷も含まれているはずだからと覚悟を決める。
おしとやかな立ち姿とは相反して、彼女は勇ましく一歩を踏み出した。
「普段はこんなことする性分ではないのですが……私もセレスティアルの末席に名を連ねる者です、この惨禍に精一杯の【祈り】を。そして全員で生きて帰りましょう。故郷に帰れぬまま死ぬだなんて淑女の名折れですから!」
そうして、道を塞ぐ無数のオルガノン・セラフィムの殲滅へと参戦する。
彼女が真っ先に目指したのは、戦場を見渡せる高台だった。得意の魔法による遠距離攻撃を仕掛けるため、具合の良い建物を見つけると駆け上がり屋上に立つ。
魔導書を開き古代の叡智をその瞳で追うと、出来うる限りの高速詠唱を紡いだ。浮かび上がる魔力を余さず全身へと込めて、√能力【|Stellanova《ステラノヴァ》】を行使する。
「光あれ!」
空に流星が走った。それは瞬く間に数を増していき、300と重なると地上の敵めがけて降り注ぐ。
当然、町の被害は最小限だ。そのために見晴らしのいい高台から攻撃している。
類まれなる魔力操作で、敵にだけ攻撃を当てていく。しかしそれは異様な集中力を要して。
いつの間にか、背後に気配。
だがそれも対策済みだった。死角を見張らせていた雑用インビジブルからの知らせに、シンシア・ウォーカーはレイピアを抜く。
決して彼女は、接近戦が出来ないから距離を置いている訳ではない。
山中・みどらはその戦場を眺めて嘆く。
「ああもう全く、酷い有様さね」
少年の保護を最優先と言っている場合ではなかった。
町中、あるいは世界中のオルガノン・セラフィムがその一所に集められているかのようで、今回の事件によって招集された√能力者のほとんどが、足止めされている。
その異常事態に、どんどん戦力は増えているはずなのに、キリがなかった。
ちゃんと確認したわけではないが、倒したはずの怪物が蘇っているようなのも見て取れて。終戦は一向に見えてこない。
とは言っても、投げ出すほど山中・みどらは薄情ではない。
「それじゃああたしが掻きまわそうかい」
彼女は愛車である『フォルマッジョ号』に乗り込むと、その自慢の速度で戦場を走り回った。魔改造されたスポーツカーは、周囲の注意を尽く集め、苦戦している仲間達からヘイトを奪い取る。
吸い寄せられるように集まった怪物たちの攻撃も、纏う風のバリアが弾き返す。そのドライブは簡単には止められない。
そうして車に乗ったまま、山中・みどらは√能力【|汎用属性魔力鉄鉱弾《パレットバレットカタパルト》】を行使する。
「さあ、反撃さね」
攻撃されてばかりはいないと、風属性の魔石を片手銃から放つ。その魔力は通常いじょの弾速を持って、着弾すると敵を大きく吹き飛ばした。
ドライブに憑りつく邪魔者も、それで近づかさせない。更には余波が味方の追い風となってよその戦いも助ける。
けれど、銃は一つしかなかった。それに、引きつけ過ぎた。
「あら、進めないさね」
周囲をオルガノン・セラフィムに囲まれ、強引に突破しようもあまりに重なられて出来ない。今はまだ、風のバリアが機能しているために何とかなったが、このままではどうしようもなかった。
そして風が揺らいだその時、
「助太刀します!」
突如として、車を囲う檻が現れた。
それは、シンシア・ウォーカーの√能力【|楽園顕現《セイクリッドウイング》】によるもので、その影響下にある車は行動力を失う代わりに堅牢な城と化す。
その影響をすぐに理解した山中・みどらは、車窓から銃口を覗かせながら、心強い味方にウィンクを送った。
「素敵な魔法さね」
「どういたしましてっ」
車に群がるオルガノン・セラフィムへとレイピアで迎撃し、生まれる隙を縫うように車内から銃弾が援護する。
土壇場の協力であっても、そこに乱れはなかった。
ライラ・カメリアの√能力【|楽園顕現《セイクリッドウイング》】は、不発に終わった。
「……やっぱり、届きそうにないかしら」
オルガノン・セラフィムの『壁』に遮られる中、少年の保護を行おうとしたが、それは当然力の範囲外だ。保護対象の守護を第一優先にと考えていたが、どうやら事態はもうその段階ではないらしい。
とはいえ、少年はこの向こうにいる。それならば少しでも早い突破を目指すしかないと、周囲の√能力者同様に、戦いの覚悟を決めた。
√能力行使のためにギリギリまで『壁』際に接近していたことで、オルガノン・セラフィムはすぐさま爪をむき出しにしてくる。それを紙一重でよけそのまま引き付け、レイン砲台『Larmes』によって光の雨を降らせた。とにかく広範囲に広げ、多くの敵を照準に収める。
そして、傷付いた個体を見つければ、その傷口へと重ねるように今度は鋭く光を貫通させた。
「わたしはもう二度と、何も失いたくないの」
過去と重ねて、今を生きる。その誓いを口にしながら、彼女は必死に戦った。
櫃石・湖武丸は、先の見えない道へと進む。
「『かも』だとしても、可能性がゼロじゃないならやるしかないよな」
天使化の原因が知れるならと、彼は危険を承知で踏み込んだ。
立ちはだかるのはオルガノン・セラフィムの大群。少年の捜索を優先したいところだったが、それを対処しなければどうしようもないらしい。
そうと知ったらやることは一つと刀を握った。
初めての相手じゃないなら、そう怖がる必要もないだろう。観察している限りは、別個体だろうと攻撃手段は似ているようだった。
過去の戦いを思い出しながら、数を減らそうと動く。
まずは近くの敵から、と刀身に霊力を込めれば√能力【|風斬《カゼキリ》】で切りつけた。敵の攻撃手段である爪やはらわたを重点的に切断し、殺傷力を削いだところで接近して追撃を食らわせる。
数が多いから、必要以上に踏み込まないことを意識して。
「範囲攻撃行くわ!」
とその時、後方から声が上がった。
その声の正体を確認するまでもなく、味方だと断じて後退する。それと同時、彼が引き付けていたオルガノン・セラフィムへと、無数の光が降り注いだ。
それは、ライラ・カメリアの√能力【|lumière《ルミエール》】だった。300にも上る範囲攻撃は、周囲一帯の怪物を漏らさずその場に縫い付け、まんべんなく体力を削いだ。
そして二人は言葉は交わさず、視線だけで意志を伝え合って共闘へと移行する。
無数の光で消耗した怪物たちは、たちまち回復行動を行おうとした。それを見つければすかさず、櫃石・湖武丸が√能力【|居合術「色即是空」《イアイジュツシキソクゼクウ》】によって先手を打つ。
すると修復できないままの体で怪物たちは戦わざるを得ず、その動きは鈍くなっていった。故に容易く攻撃を見切り、周囲には聴覚だけで気を配りながら、一体ずつ確実に切り伏せていく。
「死ぬのは怖くないって、俺は口には出せそうにない。でもさ、天使化して訳わからないまま、戦えなかったのもいるってのに、戦える|√能力者《俺》が、逃げたらいけないんだよ」
一人であれば、危うかったかもしれない。そのことを思い返し、櫃石・湖武丸はその恐怖を漏らす。
けれどそうだとしても、やることは変わらなかったと、彼は戦う者としての覚悟を見せ続けた。
その様に、ライラ・カメリアは一瞬、父を重ねていた。
『首を落とす覚悟の無い者は剣を持つ資格はない』
剣技を習う時に言われた言葉。その教えは、今も胸の内にあり続けている。
しかし、彼女が振るう剣は防御のために多く使っていた。敵の攻撃を受け止め受け流してばかりで、自らは振っていない。
その事に不甲斐なさを感じ、改めて踏み込んだ。教えを乗せた一撃を、怪物の首へと振るう。
怪物とは言えそうして命を散らす様に、胸は痛んだが、そこで足を止めてはならないのだ。
「|カメリア《椿》の二つ名を与えられた者として、ちゃんと出来ているかしら…お父様」
故郷を守れなかった者の末裔として、今、身をとして守れるものがある事に幸福を抱く。
彼女もまた、戦う者として戦場で立ち続けた。
空に溶け込みながら進む。
その輸送機は、多くの√能力者たちを足止めする『壁』を超えようとしていた。
「天使化の原因の可能性‥王劍か‥」
降下地点に到着するのを待っているウルト・レアは、決戦型WZ『マルティル』に搭乗しながらポツリと零す。
これまでに起きた不幸な事件を振り返り、しかし彼は可能性を感じていた。
天使の体に現れる未知の金属。それはあるいは進化の兆しではないのだろうか。
もしかしたら、√ウォーゾーンの‥人類の希望になり得るかもしれない。ようやく戦いを終える事が出来るのかもしれない。
そう考えた途端、手が震えた。
「何度も死んできたが、本当の死となると恐ろしいな‥」
希望が先に待っている分、それが打ち砕かれる絶望も重ねられてしまう。するとその感情を感知して、操縦席から自動的に薬剤が注入され、彼の恐怖を抑え込んだ。今日もまた、問題なく戦わせるために。
そしてその横にもう一機、√能力者を乗せた量産型WZ『レデンプトル』がある。
「もぐもぐ‥‥」
搭乗者であるレティア・カエリナは、菓子を食べながらパズルゲームで遊んでいた。
無作為に落ちてくる図形をはめ込み列をそろえて消していく。その片手間にスナック菓子をつまんでは口に放った。
その様は同行者に比べれば随分と暢気にも映ったが、彼女の頭の中にも死の危険性ばかりが浮かんでいる。こんな風に満喫出来るのも最後かもしれないと、どこか上の空で娯楽に興じていたのだ。
共に晴れやかとは言えないまま。
そうして輸送機がついに『壁』を超えたその時、
———!!!
「なんだ?」
「攻撃されてるみたい!」
機体が大きく揺れ、装甲を爪が貫く。開いたハッチから、僅かに悍ましい姿が覗いた。
輸送機に、数体のオルガノン・セラフィムが憑りついている。それは徐々に数を増し、このままここで墜落させてやらんとばかりに敵意をむき出しにしていた。
輸送機はステルス状態であったにも関わらず、感知されてしまったらしい。それほど怪物たちの『壁』を超えさせない執念は凄まじかった。
当初の想定が崩れてしまった状況に、ウルト・レアは落ち着きながら指示を下す。
「各機、降下開始。オルガノン・セラフィムの殲滅を優先。輸送機は迅速に離脱しろ」
「空の道は私が作ります!」
即座に立て直された作戦へと移行し、量産型を引き連れた『マルティル』がハッチから飛び立った。それから少し遅れて、『レデンプトル』含む|空戦部隊《エアフォース》が続き、後方から支援を担う。
「レーザー砲台展開!」
√能力【|蒼閃《ブルーフラッシュ》】によって、『レデンプトル』周囲に浮遊型粒子レーザー砲台が展開される。研ぎ澄まされた超感覚を駆使して、先行部隊に当たらないよう発射。撃破よりも追い払うことを優先したレーザーは、まさに道のようになって、『マルティル』達を地面へと導いた。
しかし輸送機に振り返る余裕はない。上空の破壊音を聞きながら、自分達の周囲を守るのに精いっぱいだった。
「こちら降下成功。助かった」
援護のおかげでどうにか無傷で地面に降り立った『マルティル』は、通信で無事を報告してそのまま、上空は|空戦部隊《エアフォース》を信頼して地上の観察を行う。
そして、最優先だったはずの対象は、意外にもすぐに見つかった。
「‥天使発見。あれは、他の√能力者に保護されているのか?」
『壁』とは反対側。機体を真後ろへと旋回させ、視界にとらえたのは、初老の男性と現地民らしき少女と共にいる天使の少年だった。遠目ではあるが、一見和やかに会話している雰囲気に見える。
とはいえ、近くにあれほどのオルガノン・セラフィムがいるのなら巻き込まれる可能性がある。保護はすべきか、と機体を向かわせようと考えたその時、
天使の視線が、はっきりとこちらに向いた。
「敵接近!」
それと同時、オルガノン・セラフィムの接近を感知。急いでWZを動かし、エネルギーバリアを張って強引に体当たりをする。
保護をしている暇はないと、全機との通信が繋げられた。
「背後に天使の存在を確認。オルガノン・セラフィムを決して後ろに下げるな!」
自身の立ち位置を最低防衛ラインとして引き、天使を守るために背を向ける。ウルト・レアは無意識に周囲の再生を発動しながら、迫る数を見てすかさず√能力【|小隊突撃《レイダー・ストライク》】の行使を決断した。
「突撃する。合わせろ」
味方への連携を指示した隊長機自ら、最前線へと向かう。それに見習って量産型も決死の覚悟で続いた。
「『レデンプトル』降下成功しました。引き続き援護します!」
後続部隊も降り立ち、それらが態勢を整えるとすかさずレーザー砲台が展開される。接近戦で金属棍棒を振り回す『マルティル』の死角をカバーするため、援護射撃が放たれた。
「天使は恐らく味方に保護されているようではあるが、観察は怠るな。万が一がある」
「了解! 足止め優先でばら撒きます。数を減らしてください!」
一息つく間もない激戦が繰り広げられる。
怪物たちによる『壁』は、前後から挟まれてついに崩壊しようとしていた。
不動院・覚悟は自分の持てる全てを賭ける。
「全てを救うことは出来ないという、当たり前の現実を痛感しました。それでも、僕は絶対に諦めません。それが、僕自身の『覚悟』です!」
誰一人として絶望させないため、多くの笑顔を守るため、全力を尽くして応えようとした。
それが、これまでに無力さで打ちひしがれ涙を流した彼の答えだ。
戦場に辿り着いた彼は真っ先に√能力を重ねがけして能力底上げを行い、負傷した人々の支援へと走った。全ての人たちと一緒に生きて帰ることが出来るよう尽力する。
救助対象者の迅速な搬送と応急処置を行い、大勢の人から感謝を受け取りながらも止まらない。全ての助けを求める声を拾い上げる事を目指して、町中を漏らさず見て回った。
一刻も早く、この理不尽な事態を収拾させるために。
時には救助活動を邪魔するオルガノン・セラフィムを蹴散らしながら。そうして救える限りを救ってから、彼もまたその『壁』へと立ち向かう。
天使の少年へと向かう道を塞ぐ怪物たちの群れ。
手の空いた√能力者がこぞって参戦し、町一つ分が戦場となっている有様だ。その通せんぼが始まってから数十分と経たずに、随分と数も減っていた。
そしてついに、
「向こうが見えたのです! 誰か手を貸してください!」
その報告が高らかに上がった。
出所は、量産型WZに搭乗する少女——森屋・巳琥から。
√能力で耐久を強化して、|ドラゴンガーター《ドラゴンシールド》を取り回し最前線で敵の攻撃を引き付けていた彼女は、腐食属性の弾丸をまき散らし、更にその道を広げる。
そこへ、要請を最も近くで聞いていた不動院・覚悟が駆け寄った。
「切り開きます!」
二種の炎を纏って強化された彼は、誰よりも早かった。開拓者の頼みに応えるため、きっとこれで効力が切れてしまうと悟りながらも自ら死地へと踏み込む。
放たれるのは一閃。
——!!!
√能力【|刹那残影《セツナザンエイ》】によって、立ち塞がる怪物たちを貫き、『壁』に穴を作り出した。
だがそれはすぐにでも補われようとして、再び怪物たちが寄ってくる。その中心では、不動院・覚悟が一瞬、動きを止めている。悍ましい爪の餌食になるまいと逃れようとするも、既に周囲はオルガノン・セラフィムに囲まれていた。
とその時、
「一緒に行くのです!」
迫る怪物を強引に蹴散らしながら穴を通り抜ける、量産型WZが搭乗席を開く。そこから覗いた森屋・巳琥は手を伸ばして、危機にあった不動院・覚悟を引っ張り上げた。
「ありがとうございますっ」
「こちらこそなのです」
立役者は相乗りして、念願の『壁』突破を果たす。
当然、オルガノン・セラフィムは追ってきたが、他の√能力者たちが殿を務めた。全員の意志が同じ方向を向き、二人の背中を後押しする。
そうして飛び出したWZは、ついに天使の下へと辿り着いた。
「いました!」
「エドさんなのです!」
破壊の痕残るカフェテラス。その傍で保護対象を見つける。
そこには少年だけでなく、見知らぬ初老の男性と現地民らしき少女も集まっていた。
他二人の正体を探る前に、まずはと天使の安否を確認する。
「大丈夫でしたか!? 僕たちはあなたを保護するように依頼された者です!」
「怪我はないようなのです?」
WZから降りた二人がそうまくし立てるように心配を向けると、少年はゆっくりと振り返った。
少女達と話していてにこやかだった表情を一転させ、その視線を鋭くさせる。
そしてそれは、√能力者の二人を通り越して、随分と数が減ったオルガノン・セラフィムを見つめていた。
僅かな間をおいて、少年は口を開く。
「みんな、殺しちゃったの?」
その問いに、ドキリと心臓が跳ねた。
戦場を駆け抜ける中で、あの怪物たちが元は町の人々——少年の大切な人たちだったことは知った。何人かは無力化に留めた者もいたが、容赦なく殺す者も少なくはなかった。
そもそも、数が多すぎてそこまで気を回すのも難しい事だ。
「こちらも全力を尽くしましたが……」
「今以上に時間かけてれば、もっと被害に遭う人が増えたのです」
不動院・覚悟は声音を落とし、森屋・巳琥は事実を告げる。
別に言い訳を求めていたわけじゃない。ただの確認だ。少年は大して表情を変えないまま、けれど顔を逸らして告げた。
「そっか。でも、みんはもう死んじゃってる」
彼が天使になっていた繋がりは、もうほとんどが途絶えてしまっていた。残る少女の手を無意識にぎゅっと握っていて、その力を受け止める彼女は、心配そうに幼馴染を見つめている。
とそこで、初老の男性が一歩前に出た。
「エドくん。彼らも悪気があってそうしたわけじゃない」
「……」
「むしろ君を救おうと頑張ってくれたのだから、感謝こそするべきだ」
「……。ありがとうございました」
不機嫌な少年は、説教のままに頭を下げる。その様子に男性は微笑みを浮かべ頭を撫でてやっていた。
それから、男性は思い出したように√能力者たちへと挨拶をする。
「ああ、失礼。私も予言を知り駆け付けてね。この通り二人とも無事なので安心して欲しい」
味方であると主張した後、彼は子供には聞かせられないとばかりに更に近づいてきた。
そして、耳元へと忠告をよこす。
「ただ、まだ戦いは終わらないと思うので、あなた方は英気を養われた方が良いかと。天使はこの私が必ず守って見せよう」
距離を取るとニコリと人の良い笑みを浮かべ、それから少年少女へと振り返った。
「さあ、二人とも。もう少し安全な場所へ移動しようか」
少年の不機嫌が治っていないからか、とにかく遠ざけようと促す。それに子供二人は男性の言葉に素直に頷いた。
離れていく三つの背中。それをそのまま見送ってもいいのだろうか。
判断はつかず、少しでも情報を得ようと問いかけた。
「あなたの名前を、聞いてもいいですか?」
◆◇◆◇◆
「ダース、とでも名乗っておきましょうか」
初老の男性は、まるで本名ではないとばかりにそう言った。
エドは、それでも信頼は損なわずに男性の傍にいる。何よりも彼は、マルティナを救ってくれた。それだけでも言うことを聞くに値する存在だった。
だから、不信感を覚えている√能力者たちの方にこそ、疑いを覚えている。とそんな空気を察したのか、僅かながらも一番付き合いの長い少女が明るい声を発した。
「えっとこの人っ、私を助けてくれたのっ。悪い人じゃないですっ」
「……いいよ、マルティナ。行こう」
どんな相手にも気を遣う彼女に少しだけ嫌な気分になってその手を引っ張る。そんな様子をダースは微笑まし気に見送って、√能力者たちに別れを告げた。
頑なに後ろを振り返ろうとしないエドに、マルティナは恐る恐ると問いかける。
「あの、エド? あの人たちと何かあったの?」
「……。何でもない。あそこは危ないから」
彼女の母親が、彼らの仲間に殺されているとは伝えなかった。
それは彼らのためではなく、マルティナのため。
きっとこの幼馴染はまだ、あの怪物が何かも分かっていないはずだから。
でもそれは、少年の思い違いだった。
「ねえ、あの怪物が元は人だって言ったら信じる?」
「……」
「私、目の前で変わってくのを見たんだ。それで驚いて、たぶん気絶しちゃったのかな。気付いたらダースさんに助けられてたの」
「……そっか」
「……ねえ……ううん、やっぱり何でもない」
少女が何を言おうとしたのかは、さすがのエドにも分かった。でも自分にしてやれることはないからと、せめてその握る手は絶対に離さないと力を込める。
それから少しして、安全な場所を探して先を進んでいたダースが、ふと足を止めた。
「二人とも、お腹は空いてるかな? このお店で頂いていこう」
示されたその建物はもぬけの殻で、でも怪物が暴れた痕跡はない。気付けば町の外に出ていたのだ。
人がいないのは、√能力者たちに避難させられたからだろう。それを知って、彼らを憎むべきでないとは理性で思う。
そうして店に入ろうとした時、ふと空が気になった。
「あっ」
すると、同じように遠くを見つめていた少女が声を上げる。
海のある方角。港から離れても未だうっすらと霞んで見える塔。
何度も眺め、そこに何があるのかと妄想したそのてっぺんで、それは再び生まれる。
光の環。
まるで天使の輪っかのようでもあって、それを認識した途端、体と置き換わった金属が震えたような気がした。
「さっきよりも、大きい……」
それを見たのは二度目。
少年はそっと少女に寄り添う。
少女もまた、その顔を強張らせていた。
「また、皆が怪物になっちゃう」
——第2章に続く。