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ハードラック・オブ・デザイア
●|不幸《ふく》の|禍味《かみ》
人の幸福とは何か? それは満たされることだ。願いが叶う、と言い換えても良い。
欲したものを手に入れる。愛しい者と結ばれる。他にも有り余る富、麗しい容姿、抜きんでた才覚、健康な心身、誰にも負けぬ強さ、安らぎの衣食住に、自分以外の誰かの幸せ……場合によっては、断罪さえ。
人によって満たされる条件は違えども、満たせば幸福である点は同じ。
だから満たしましょう。溢れる程の幸運で、その身に余る強運を。努力せずして棚から牡丹餅、頑張る時間なんて無駄なのです。浮いた時間で|幸福《しあわせ》に浸りましょう。
何も心配することはありません。今のあなたは運勢は、人生で最高潮なのだから。
願いが思い当たらない? ならば決断の迷いも、浪費した金銭も、過ぎ去った若さも、思い出せない過去も、喪った愛も、全てをその身に還しましょう。
対価など頂きません。私は『縁起物』、福の神ですので元よりそういう|性質《たち》なのです。けれども|欲を掻く《・・・・》のであれば、私もあなたが満たされた瞬間に立ち会って、至福の味を舐めて飲み込みたい。丸呑みではお腹がはちきれるほどを期待します。
幸福の絶頂で生を終え、あの世で”満たされた人生だった”と自慢して下さい。
私はほんの少し、その手助けをするだけです――。
●反転縁起にご用心
随分と年季の入った手鏡を弄びつつ、星詠みの少女は話を切り出した。
「福の神、と聞くと七福神とかいますよね」
手入れが行き届いているのか、背面に入ったヒビは美しい螺鈿模様で補修されている。美術品というには使い古された、けれど骨董品で眠らせておくのは勿体ない、そんな代物。饗庭・ベアトリーチェ・紫苑(|或いは仮に天國也《パラレル・パライソ》・h05190)は鏡を見ながら話を続ける。
「√妖怪百鬼夜行で、福の神が現れます。蛙、縁起物だそうで。それだけなら良いのですが、この神様がとても厄介で……過剰に幸福を与えて、満たされた瞬間を狙い襲ってくるんです。人は幸せだと油断しますしね」
ちらと鏡から視線があがり、目配せられたあなた達はこの古妖退治に己が適任だと理解した。√能力者は決して埋まらぬ欠落を持つ者、故に『絶対に満たされることはない』。つまり相手からすると、この上なくやりづらい相手ということ。
「退治に行かれるのでしたら、まずは古妖から注がれる|幸運《・・》から身を護るお守りや、武器を探してきてください。丁度よく蚤の市が開催されますから、そこで売られている品なんていいですね」
蚤の市で売られる品々は、経緯はどうあれ全て持ち主が手放す気でいるもの。
管理しきれない本の山。引出物で貰い仕舞ったままのお皿。もう誰も着なくなった着物。遺品整理に出された人形。古い雑誌の付録。特定の色だけ減った絵具箱。銘が潰された小刀。雅な柄の懐中時計。油に育てられた大きな鉄鍋。大量に待針のある裁縫道具。ひとつだけ宝石の欠けた簪……数え出したらキリがない。
愛され惜しまれ手放されていくものも、曰くつきで早く引き取り手を探しているものも、ここには愛憎が詰まっている。付喪神でなくとも、物が受けた感情は消えたりしない。
「ここで売られる品々は、誰かに使われて終えることを望んでいます。もしかするとあなたを守って壊れてしまうかもしれません。……でも、それで買い取った品が”幸せに満ちる”なら、古妖の目論見は大きく狂うはずです」
勿論お買い物だけでも楽しめると思います、と付け加え、少女はまた手鏡に視線を落とした。鏡が見てきた歴史は長くとも、映すのは今この時のみ。
「欲しいものを探すでも、ピンときたものを買うのも、どちらも縁ですから。縁起が良すぎる話には、こちらも縁で対抗しましょう」
それではいってらっしゃいと、星詠みに代わって鏡が煌めいた。
第1章 日常 『蚤の市をブラブラと』

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ざわざわ、がやがやと賑わう蚤の市。掘り出し物を探しに来た古美術商から、趣味に合う物品を手に取って吟味する趣味人、値段交渉に粘りをみせる者……人それぞれ、わざわざ蚤の市に冷やかしに来る人は少ない。
売り手と物品ともに様々な情念が渦巻くこの場を、唯の古道具市とは評したくなかった。リリンドラ・ガルガレルドヴァリス(ドラゴンプロトコルの屠竜戦乙女《ドラゴンヴァルキリー》・h03436)が例えるなら『時をくぐり抜けた逸品たちの休息所』といったところ。見処は飽きる程あって、ジャンルを絞らず一日で回りきるのは難しい。
となればまず一歩引き全体を見て雰囲気を掴む。それから何が人気でどんな商品が多いか確認。人の流れに沿って小物をじっくりと観察していく。普段は衝動買いばかりで宵越しの金など持たない身、好き放題購入しているが今回はあくまでも戦いに赴く為の武具探し。適当に買って使えない、で困るのは自分なのだから見極め必須だ。
喫茶店を改装した画廊で磨いた芸術眼|(仮)《自称》を活かし、”心が動いたかどうか”で物を選ぼうとぶらぶら……第六感を信じつつ、気の向くまま惹かれるまま、足が向かう方向へ従う。
選ぶなら少し欠けているような品、過去が染み込んだ手応えがあるものがいい。欠けていても惹かれるもの、完全ではないドラゴンプロトコルの自分と同じ。
同じものが相乗効果でより強くなるか、相反してそれぞれの力を発揮するのかは分からない。現在の姿形がどうあれ、完全でなくとも良いものは良いと永い歴史が物語っている。かの|腕《かいな》なき|彫像《ヴィーナス》だって、欠けていてもあれだけの魅力があるのだから。
歩きながら、ああでもないこうでもないって悩むのもまた一つの戦い。魅力的な品々が『私を連れて行って!』と叫んでいるように感じる。寄ってらっしゃい見てらっしゃいと声をかける店主に逸話を聞いても響かなければ遠慮して、多くの人が素通りする店にも立ち寄ってみたり。露店をきょろきょろと見渡し……その中でひとつ、特にリリンドラの目を惹いたのは|紅玉《ルビー》を擁したペンダントトップ。チェーンは無く、丸く浮き上がった半円の紅玉には大きくヒビが入り、台座の額は恐らく炎を表す別の石が嵌っていたのだろうが、装飾から全て抜け落ち火の粉が散ったよう。
「いいじゃない、こういうのを求めてたの」
選ぶことは、責任を持つということだと覚悟を決め購入。ああ、お財布にも響くお値段。己が髪と同じ色をした|縁《ゆかり》をポケットに仕舞う。今回の戦いに勝ったかどうかはこれから分かること。正義は我が手に、幸運より身を護って砕けても。
「もう誰の元にも行かせない。あなたはわたしの持ち物として終えるのよ」
勝気な笑みを満足気な笑みに変え、リリンドラは再び|逸品《・・》たちを眺め歩き出す――。
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|愛犬《イナサ》とのお散歩も楽しいけれど、万が一不運に見舞われたら大変。いつも一緒の一人と一匹も、今日は|野分《のわき》・|風音《ふうな》(暴風少女ストームガール・h00543)一人でお買い物にやってきた。
「ここが蚤の市かぁ。要するにフリーマーケットみたいなのだよね?」
右を見れば色鮮やかなトンボ玉のアクセサリー、左を見れば古びているものの美しい細工の小箪笥。色んなものがあって、見てるだけでも楽しい。衝立のないウィンドウショッピングはいつでも手に取って具合を確かめられる。
素敵なもの、綺麗なもの、丁寧に使われたのだと分かるもの……そして勿論、ただのガラクタ寸前まで使われたものも。いいなと思う物は多々あれど、ピンと来るものにはまだ出会えない。うろうろ、悩みながら歩く。
――お守りになるものなら、適当に選んで買うのもなんか違うよなぁ。
――ピンとくる、ってどんな感じなのかな? 懐に仕舞っておきたい、一緒に連れ歩きたいって思うもの?
――でも壊れちゃう可能性もあるんだよね……。あんまり愛着が沸くとそれはそれで困りそう。
そんな事を考えながら、カニの様に露店並びを横歩きしていれば。ふと目に入った犬張子。きゅるんとまんまるな目をして、紅白で目出度い服に着飾られている。
「ふふ、可愛いね」
撫でてみれば服の下に擦れたような傷と煤けた痕があった。この傷が原因なのか、それとも他の事情で奉納のタイミングを逃したのかは分からない。ただ、この蚤の市に並んでいるという事はそれなりに事情があったのだろう。けれど今はその擦り傷すらごわついた毛並みに感じて、余計に犬っぽいなと風音はより気に入った。
そういえば犬張子は厄除けの縁起物でもあるんだっけ、と思い出し、ナデナデしながらこの子にしようと決定! これが『ピンと来る』ということ。要は好みにあうかどうかが9割を占めている。
「すいませーん、この犬張子ください!」
「あいよ。購入どうもね。こいつぁね、赤んぼを守って傷ついた勇敢な犬なんだ。お前さんのことも守ってくれるといいんだが」
「そうなんですか? ならどうして神社にお返ししないでこんなところに?」
店主はくつくつ笑って、この犬張子が売りに出される経緯を風音に話す。七五三で奉納される日、神社が火事になった。消火活動で奉納どころではなくなり、まず奉納先も無くなったもんだから、赤んぼが老いて死ぬまでずーっと傍にいることになったのだと。犬張子で遊んでいた子供は身に覚えのない傷と焦げ目がついていることに気付いて、親は出火を知ったとか。
「これがうちの爺さんの話。嘘か誠か、もう分からんけどな」
「はわ……厄除けの力には期待できそうです! ありがとうございました!」
逸話を聞き、こんなに可愛い姿でも実力は折り紙つきだと風音は犬張子を抱きしめた。折角新しい|飼い主《持ち主》の元へ来たのだから、名前をつけてあげよう。さわやかにそよぐ5月の薫風から取って、『薫』あたりぴったりでは?
「よろしくね、薫!」
わん! と返事はなくとも、今日を一緒に過ごす仲間はどこか誇らしげな表情に見えた――。
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ずらり並んだ露店でひしめく大通り。ぶらぶら眺めて歩くだけでも見慣れた街並みが違う景色に見える。誘えば同居人達も一緒に行くと言いそうな気がしたが、|春待月《はるまちづき》・|望《ぼう》(春待猫・h02801)は今回あえて一人で訪れた。
理由は色々……あれやこれやと煌びやかなものに飛びつかれるのも、お財布事情を心配されるのも面倒だったからかもしれないし、単純に『武器』を探すという行為を見られたくなかったからかもしれない。自己の存在があやふやな今、下手に主人格のイメージを損なうのも憚られる。
星詠みの話を聞いて望が欲したのは裁ち鋏。余計なもの・煩わしいものを切り捨てるもの。因果を断ち、悪い流れも一度リセットできるだろうと考えて。
――折角買うなら鋭利な鋏が良い。いつまでも目覚めない|主人格《君》が抱え込んでいるらしい何か……事故の絶望か、それ以前の話か。君を悩ませるもの全てをバッサリを切れる程の切れ味を。
――「| 《君》」が目覚める代わりに僕が消えても、今を生きる役目を果たせていればそれでいい。
「……しかし見つからんもんだな」
此処は多くは中古が出回る蚤の市、何があるか事前に予想など出来やしない。百貨店のように欲しいものが必ず置いてあるわけでなく、あくまでも巡り合わせの部分が大きい。探せども望みに反し一向に鋏が見つかる様子はない。”望”だなんて皮肉な名前だと、思わず自嘲を含んだ溜息が出た。
無いものはないと諦めるのも大事で、代わりになりそうなものを探す。鋏であれば物理的に武器として古妖と戦えるかとも考えたが、やれ説明を思い出す限り縁起には縁で対抗だと。ともすれば何も鋭利である必要でなくて、むしろ良縁を思い描くなら……。
「……ふぅん?」
じぃと目についたクレパスを見つめる望に、出品者の妖怪は「|欠けています《・・・・・・》けど、どうぞ手に取ってみて下さいな」と差し出した。カバーを開けると白と水色が無く、他の色もやや減っている。少し埃っぽくて、使い古されてそれきりだったのだなと手にしたまま目を細めてきちんとカバーを元に戻した。張られた値札票代わりの付箋を見ればとてもお手頃価格、あとで二色足しても十分安い。
「猫が喜びそうか」
「おや、猫を飼っているんですか? でしたらもっと色数が減るかもしれませんね」
「……気を付ける」
ともすればもう一人の同居人も巻き込まれて遊ぶことになりそうだと想像を巡らせ、あまりに容易に想像できてしまう事に現実味が増す。柔らかく細められた視線は満更でもないな? と妖怪は予想し、その通り望は購入を決めたらサクっと支払いを済ませた。
元持ち主はクレパスで何を描いていたのか。水色と白なら空か、海か、川か……妖怪のものならば|霊魂《青い炎》もありえる。
これから望が描く未来は、僕のものか、「| 《君》」のものか、同居人のものか。どちらにしても。
「お前も色の欠落者というわけだ」
つい|素の自分《・・・・》が出てしまうくらい機嫌良く、いい買い物をした――。
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「おっまもり♪おっまもり♪あっるかな~っ!」
ホップステップ。ジャンプはせずとも心は跳ねる。何でもありそうで何にもピンと来ない! 簪、小刀、本……うーん、どれも気分じゃないかなっ! |アリス・グラブズ《繧ウ繝溘Η繝九こ繝シ繧キ繝ァ繝ウ繝?ヰ繧、繧ケ $B%"%j%9(B》(平凡な自称妖怪(自己改変中)・h03259)は外来種、どこにも属さないヒミツ多めの妖怪! な~んて、今は日本にいるから固有種かも! 蚤の市だって初めて! ……ここの蚤の市は初めてなので嘘ではない、嘘では。
見るもの全部目新しく、されど売り物全部中古品。あるけどない、新鮮と古いが混ざったフシギ多めの市場をずるずる這って、心当たりのないお目当てを探して回る。あれもこれも食べられない、美味しそうに見えない。ずりずり、ぐるぐる。巡り廻って、市の隅っこでぴたんこ停止! 「わぁっ! ”これ”だ~!」とアリスが手に取ったのは√妖怪百鬼夜行の一角の地図。但し、記されているのは飲食店ばかりで駐在所ひとつ書かれていない。代わりに〇で囲まれた部分や一言感想の書込みもされている。
「このグルメマップ、ぜーんぶ“美味しいとこ”だっ!」
喜びにスカートからはみ出たアリスの|人外めいた部分《触腕》が蠢き、一瞬ぎょっとした売り手の妖怪もウキウキと全身で嬉しさを表現されれば嫌な気はせず。
「お嬢さん、これを手に取るとはお目が高い! 少々古い地図ですがね、載ってんのはどれも名店さ」
「やっぱりそうなのね! これだけは“ぐううっ”と感じたの! 色とか線とか……“むかしの誰か”が見たモノにそっくりっ!」
「おっとぉ、残留思念が残ってたかい?」
「わかんない♪ ……前の持ち主、どんなヒトだったのかなっ? 恋人? 親子? ……群れとはぐれたのかな? ……あなたも|一緒《群れ》にくる? ごはんの旅、きっと楽しいよっ!」
地図は何も答えないが、不意に吹き抜けた風が地図をひらひら棚引かせ返事をしているように見えた。お金と地図を交換し、触腕でぎゅるんと巻き大事に抱える。きっと前の持ち主も、このグルメマップを手に該当区画を歩き回ったのだろう。昔の足跡に新しくアリスの一言も足しても楽しそう。
「お仕事が終わったら、ワタシも行きたいなっ♪」
レトロに見えて意外と近代的なこの|世界《√》、便利事前に調べることもできるけど、やっぱりお店でしっかり見て吸って味わいたい。
それにそれに……調べたらそのことで頭がいっぱいになりそうだものっ! ああ大変、急がないとお腹もすいてきちゃうっ! まずは福の神をなんとかして、運動後の栄養補給をしないとねっ!
ぐぅ~と|腹の虫が鳴る《擬態が解ける》前に、酸いも甘いも食べ尽くそう――!
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梅の季節は花が過ぎ、これから実が膨らんでくる季節。ここ√妖怪百鬼夜行は和の色が濃く、今は夏に向け新芽と若葉がすくすく成長する盛り。子供たちも端午の節句を過ぎれば徐々に新年度にも慣れてくる。
学び舎を駆け回る学友や、敬愛するあるじ様と過ごす時間は楽しくはあるけれど、なのに完全に幸福ではないのだ。衣食住があり、憎しみを知らぬ|東風《こち》・|飛梅《とびうめ》(あるじを想う霊木・h00141)は客観的にも主観的にも不幸ではないはずで、今を悔いてはいなのに√能力者とは例外なく欠落者。幸福を感じていてもどこか欠けている。何故欠けているのかも分からぬまま、それが悪いとも言い切れない歯がゆさを抱えながら生きる者たち。
ならば『幸せに満たされる』とはどんな場合なのか? 軽く握った拳を口元に持っていき、飛梅は蚤の市の歩きながら考えた。自分よりも大切な人が幸福になること? 欲しいものが手に入ること? 失った記憶を取り戻すこと? 否、それら全て皆がみな当てはまるものでない。誰もが幸せに満ちる方法など思い浮かばないが……もし真にそんなものがあるなら、飛梅は自分よりも|他者《誰か》に使ってあげたいと想う。
で。疑問と思いやりを半々に混ぜつつうろつく飛梅の目を射止めたのは、可愛らしい花をつけた梅の枝を模した簪。それはあくまでも作り物であり、まして簪の模様に目などないのだが、やはり梅の木の人妖としては意識せずともそれを捉えられたようだ。なんだかほっとけなくて店主に一度声を掛け、手に取ってみる。
梅の枝は硬い。材質的に本体部分は本物だとすぐわかった。花部分はちりめん細工で作られ、布の部分を触ってみるとふっくらした中に型崩れ防止の固い芯がある。想像以上にしっかりした作りだと内心高評価を与えていれば、本人が思う以上に真剣な眼差しをしていたのだろう。店主に「買うかい?」と問われる。お下がりの簪にしては高値の部類だけれど、飛梅の中ではもう頷く以外の選択肢はなかった。
飛梅自身は梅花のリボンを着けているし、|あるじ様《Anker》も教鞭を取る学び舎の梅並木に倣ってか梅の髪飾りを着けている。どれも梅に|縁《ゆかり》のある者。この|簪《子》はどんな人につけられていたのか。そして此処にいる以上、どういった事情で手放されることになったのか。
「いつか教えてくれる?」
簪を空に翳すように眺め回し、辿った運命に想いを馳せる。ふわっと梅の香りに椿油の薫りが混じり漂ったような気がした。普通に考えれば通行人のものだろう。でも飛梅には、この簪が纏めた髪の残り香なのだと語られぬ年季を指先から感じとった。物言わぬ簪との答え合わせは、今はまだ――。
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活気に満ちた場所にわくわくと足取り軽く、「いらっしゃい見て行って!」や「もうちょっとまけてよ」など様々な人の声で賑わい溢れていた。売りたい側は特にそれぞれ事情があるから、より多くの人に手に取ってもらえるようにアピールも欠かさない。購入側もより安く一般流通に乗らないモノを求め、双方熱意の籠った場である。
友達と言ったフリマと同じようで、けれどもここは√妖怪百鬼夜行。普通のものだけが売られているとは限らない。こと縁の深いものを見つけて来いと言う星詠みから話を聞いて|日野《ひの》・|煌星《こうせい》(Tic tac・h05012)が真っ先に思ったのは「すげーヤなカエルだな」という至極真っ当な感想だった。
過ぎた幸福とは何なのか。真の意味で満たされることのない√能力者は想像するしかできないが、満たされた瞬間とはどんな気分なんだろう。気が緩んだ瞬間を狙ってくる古妖なら、少なくとも呆けるくらいには驚きか感動で動けなくなるのか? 仮に欠落が埋まれば煌星の”大切”も戻って――それ以上は首を振って意識して考えを止めた。無意味な幻想だ。
モノを長く使うことはいい事だと思う。物持ちがいい、それ即ち丁寧に使っているということの証明。使えば減ってゆく消耗品は別として、経年劣化を修繕しながら使うのも趣きがあって良いしこれからもよろしくねと言外の意思表示。それに、煌星自身もあまり自分の物を増やしたくなかった。縁あって彼の手元にきたものを大事にしたいと心から思う。
流し見しながらすいすい歩き、ふと足を止めた。その店は皮やコットンなどで作られたカラフルな紐がずらりと並べらていて、どれもこれも|手作り《ハンドメイド》らしく全く同一のものは一つもない。古い糸で作っていると店主から説明を受けたそれらは、既に生産が終了し二度と蘇る予定もないが捨てるよりは使い切ってしまおうという魂胆からきている。その為長さも不揃いで、逆にそれが√妖怪百鬼夜行的に言えば|お洒落《ハイカラ》だった。
「もう見ない色が多いと思ったら……あ、この色いいな」
手にしたのは白とサックスブルーで編まれた平紐。適度な伸縮性と頑丈さ。これは靴紐にぴったりだとすぐに財布を出す。丁度靴紐が欲しかったのだ。配色が同じでも色の配分から作られる模様は左右でバラバラで、そんなものを二つもだなんてと店主は喜びちょっぴりまけてくれた。量産された靴紐よりずっと安い値段に煌星の方こそ吃驚した。
紐の長さは辛うじてほぼ同じ。どちらを利き足側に使おうか、その時が楽しみになってはやく走りたくなった。既製品には安全性が担保されているけど、唯一品のような特別感はない。切れて惜しいとも考えたことはなかったが、こういうのも縁だと思えばいつかは切れる|靴紐なんか《・・・・・》にがっかりする日がくるかもしれない。
行き先を失い、仲間ももういない平紐となった糸は、これから新たに縁を結ぶ手助けに――。
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幸運を与えるという古妖の話を聞き、|華応《かおう》・|彩果《さいか》(ほんのちょっぴり(当社比で)不運な運び屋・h06390)はすぐさま運び屋稼業に休日を捻じ込み、蚤の市へ向かった。この場に臨んだのには理由がある。
彩果はあまり運が良くなかった。決して無能ではないどころか、要領はいい方だし優秀でもある。面倒見もよく、彼女と関わった多くは彩果を善性の人間と評するだろう。けれども善行を重ねたからといって運勢や星の巡りは関係ないようで、何かと貧乏くじばかり引いていた。明確に誰かが悪いならまだ納得できるのに、ただ運が悪いとしか言えない事態に見舞われるとどうにも八つ当たりする気も起きない。
不運は連鎖し、何かに”憑かれる”わ、やれお届け先のお宅で修羅場が発生して巻き込まれただとか、老朽化した水道管が破裂し彩果を直撃してひとり水浸しになったり、散歩していただけなのに高校球児渾身の暴投にぶち当たったり。とにかく語りつくせぬ不運を背負ってきた。何かしら、今回の古妖に関わればそれを克服できるかなぁと思い至り、売られているものをしっかり細見。
何時もなら製造側として華応堂として色々出品する側になるところを、今は|色々あって《・・・・・》用意がない。アテもなくぶらり、露店を見て回ることにした。歩行者天国ゆえ、|相棒《バイク》はきちんと駐車場に止めてある。見て歩以上、歩みはいつも以上にゆっくりと。
目についた露店を回ってはお守りになりそうなものを探す。何でもいいならこの前壊れたオーブントースターでも探そうかと考え、いやこれから戦いに挑むのであれば|相棒《バイク》の後部座席に縛り付けられている状態で……? 光景を想像するとシュールなのでやめておいた。ついでに壊しそうだし。
ふと視界の端にちらと入ったのは、煌びやかでも目立つでもない飾り紐。他が光って見えたから、逆に場から浮いて見えたのか。シックな色をした飾り紐は懐中時計を繋ぎ止め、同時に引き立て役に徹している。
なんだか既視感、とずれ落ちんとしているジャケットから形見の懐中時計を取り出し、貰った時に想いを馳せた。確かに両親はこの懐中時計を『御守』と言っていたのだ。けれど思い出されるのは今まで起きた|色々《不運》の数々。もしこれで本当に御守なのだとしたら、これがなかったらとうの昔に死んでいたのかもと苦笑する。そんなことはないと言い切れないのもまた恐ろしく、古ぼけて数々の困難を共にした品でありながら、故障もせず針は正確に時を刻み続けるだけの胆力があることは間違いない。
折角の縁だと、彼女は店主と値段交渉。時計本体は文字通りの桁違いの値段だった為、目に入った飾り紐だけを購入する。ちくたく、チクタク、懐中時計の秒針の音がいつもよりハッキリ耳に届く。|形見《親目線》もまた|未亡人《中古品》が彩果に相応しいか見定めているのかもしれない――。
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福の神。幸福を齎す神様的な存在はよく聞く話。どの国にもある神話や民間伝承にも、運命に干渉してくるものがある。ケセランパセランにココペリの人形、或る意味では蟲毒だってそう。どうして福の神が|こんな《真逆の》ことをする様になったのか想像もできないが……もしかすると神様であっても、運に左右されたり影響を受けるのかも。
考えても答えが出るのは今じゃない。何はともあれお守りを求め、ハスミン・スウェルティ(黄昏刑務所・h00354)は掘り出し物を探しに蚤の市を練り歩く。人間災厄――人類社会を崩壊せしめる可能性を秘めた、怪異に傾く存在であっても守ってくれるものだといいけれど……私の方が危ない認定されないようにしないと、と気が向いたら注意しとこうくらいの加減でぼんやりぽやぽや。どうせ戦いになれば担当は|私《・》じゃないし……。
服も陶器も美術品も綺麗だとは思えど、置いておく|自宅《ばしょ》が無い。壊れずに持ち帰ることになったら貸し倉庫で一生お蔵入りするかまた売りに出すかしないと勿体ない。商品たちもそれは本意ではないだろう。
戦う時に邪魔にならない物となると……小さな装飾品あたりが定番か。身体につけるものでも、服を飾るものでも、持ち物に添えるものでも、普段と変わらず戦えるように。髪飾りなどは|人格《・・》によって嫌がりそうだし、服も一応専用防具。下手に弄って余計に解放されては一大事。あれこれ考え、ストラップあたりが良いかもしれないと着眼点を絞り再び探し出す。
けれども実際に|気になった《ピンときた》ものは小道具のような何か。平たい棒状で少し厚みがある。笏にしては文字が書かれてるでもなし。
「……何だろう、この棒……」
ぼや~っと棒を見つめるハスミンに、店主は別の棒を手に取り「こうやって開くんだよ」と実演してみせた。その通り捩じって開くと半円に少し足りないくらいの大きさに広がる。彼女の色で例えるなら3色分くらいの角度。”扇子”というそれは店主を真似て仰いでみれば風が届いて涼しい気分。棒の中に折り畳まれていた部分もようよう細かい柄が入り、気軽に持ち歩ける大きさが気に入った。普段は|真の姿《扇型》を隠しているという点もちょっと面白い。持ち帰ることになってもこの先迎える夏に向けて普段使いも出来る。
流石に武器にはならなそうだが、ひとつ買うことに決めた。閉じたり開いたり、手慰みに遊びながらまだもう少し市場を彷徨う。果たして本当に武器にならないのだろうか? ハスミンは多少常識に欠けているので知らないが……普通の扇子はこんなに固く、重くないのだ。風量は|透けない《・・・・》分、一般的なものより強いに決まってる――。
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記:5月 ■■日
伴:同業者
――蚤の市にて、不思議な出会い。偶然か奇縁か。真昼の夜と、常春の宵。陽に浮き上がり舞う因果の噺をひとつ。
星詠みの話を聞いて向かうは√妖怪百鬼夜行。此処は何時でも野暮ったく、それでいて現代的な技術も入り交じる混沌とした世界。他√とも交わり、文明開化が進んでも変わらぬ|懐かしさ《ノスタルジア》に満ちている。過行く時に取り残されているのでなく、敢えて留まる者達にとって過ごしやすい場所。大正時代を過ごした者も、生まれた時代が違う者も、ここは全てを等しく受け入れる。人も妖も、善も悪も、愛憎も信念も……心を持つ者よ、|皆《みな》おいでと時代の風が手招くように吹き抜けた。
して、この場で邂逅した人妖と災厄。ふと互いに目があって、瞬時に相手が|√能力者《お仲間》だと理解する。理由は外見でも気配でもない。人種の坩堝たるここでその程度は些事に過ぎず、理屈的には二人とも目をつけているものが一般客とは違っていたから。
「おや、君も能力者?」
「ン、失礼。もしやと思ったが、其の口ぶり。『も』とは君もか」
桜差す黒の少年、|千桜《ちざくら》・コノハ(|宵桜《よざくら》・h00358)は夜を背負う宵色の女に声をかけ、肯定の頷きを返す|浄見《きよみ》・|創夜命《つくよみ》(せかいのはんぶん・h01637)。同じ店でかち合った二人は見ている品こそ違えど、出店者と並べられた品々からなにか惹かれるものを感じ取っていた。多くの人はその|圧《オーラ》に負けて素通りしていく中、能力者であれば光るものを見つけるのはこういう少し変わった店の方が良いと踏んで。黒を纏う二人が立ち並ぶと華奢なコノハは創夜命の妹にも見える。……勿論、見えるだけで二人の共通点など能力者全体で見れば山ほどいるのだろうが。|見た目を裏切るギャップを持つ《しっかり男だし、自称がやけに可愛かったりする》点も含めると似た者同士であるとも言える。実際に目をつけた店も同じで、趣味も似ているか。
「此度の天啓は福を齎す神を討てと。罰当たり極まる字面だな」
「まぁね。随分|いい性格《・・・・》してる神様がいたものだよ。幸福に満たされた瞬間を狙うとは、油断も隙もありゃしない」
「|夜《よ》もそれには同意しよう、少年。神屠る獲物は縁に|由《よる》と聞いたが、|夜《よ》は獲物とは別に供をな、探していたのだ。君、名は。|夜《よ》は創夜命、夜の国を治める主である。気軽にヨミヨミちゃんと呼んでくれ」
「僕はコノハ、|見ての通り《・・・・・》の迦楼羅だよ。ヨミヨミちゃん……本気?」
「|夜《よ》は無意味な冗句は好まないが? 相伴にあずかるには力不足ならば無理にとは言わぬよ」
「え、あ、そっち? ふーん……いいよ、付き合ってあげる。君なら足手纏いにならなそうだし。なんてね、今のはつまらない冗句だよ」
くすりと人懐こい声で創夜命を揶揄うコノハに、にんまり夜空の三日月のように笑んで再び商品に視線を落とす。二人のやり取りに店主は黙したまま、聞いているのか寝てるのか石の如く不動であった。
一瞥、からの凝視。コノハの背では鳥瞰には誇張がすぎるか、全体を見渡してふと気になり手にしたのは春宵色に桜が舞う被衣。身を護るにも目眩ましにもなりそうで、戦場で舞うには丁度いい。広げて柄を確認するコノハの心は決まったようで、その様子を隣で見下ろす創夜命は口元を緩めた。ひらりはらりと、優雅なものだと。
「似合いだな。これほどともなると神は弁慶を演らねばなるまい」
「欺くとしたら篠笛でも吹こうか。横笛の心得ならあるからね……僕はこれをいただくよ」
「これはまたぴったりの選抜か。|夜《よ》も|好《よ》きモノがあればいいのだが、はて月の無い|夜《よる》は危うき世界――これがいいか」
そう褒め称して、対する創夜命は一瞥しただけで故も聞かずに包丁を手に取る。
「店主、これを」
札を二枚渡して交換。コノハも一緒に購入し、こちらは札3枚と端数を少し。包丁は剥き出しのまま持ち歩くのも自他ともに危険な為、簡単な布に包んで渡された。
「へぇ、君は包丁か。わかりやすくていいんじゃない?」
「ヒトガタで人に非ずが、包丁なのに包丁を果たせずを迎える。良き巡り合いと思わぬか」
「幸福に満たす手口を福の神は持っているとして……君のそれに貫かれたら幸福の底に穴が空くか。技が通じずに斃れる瞬間の顔が見れたら……ふふ、それは面白そうだな」
「|甕《かめ》に注がれるのが幸福でも不運でも同じこと。|宵《よい》ぞ。この道行き……縄の裏が、より昏くなりそうだ」
「旅は道連れって言うしね。愉しみだな、ヨミヨミちゃんの夜と僕の宵の混じり……|風雅《フーガ》よりも|突牙型《トッカータ》が似合うかな」
高談闊歩に冗談を織り交ぜ、静かに賑やかな二人が奏でるとすれば……眠りを誘う小夜曲だけはないだろう――。
●
飄々とした態度とは裏腹に、責任感ゆえの|重労働《ハードワーク》を無意識に行いがちな青年が一人。今日も蚤の市に仕事道具を求めやってきた。こんな日くらい仕事のことは忘れても良いのに、ヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)と工兵は切っても切れない関係性。「職想う、故に我あり」とは誰が言ったか。
工具をメインに取り扱う列を重点的に見て行くと、慣れ親しんだスパナやドライバーセット、数世代前の半田鏝ややたらに分厚いキーボード、色褪せたフロッピーディスクまである。サイズ的からして容量はKB単位……科学技術の発展した√ウォーゾーン出身者からすると「極限まで減らした情報に使うくらいだなぁ」と独り言を洩らしてしまいそうになる。危ない、これを売りに出しているなら、まだ使えるもの……ジャンク品ではないはずだ。
溶接に使う|保護面《フェイスシールド》や手甲を取り扱う店の前で足を止め、目をやったのは作業用のグローブ。縫製もしっかりしているし、触った感じ素材も悪くない。
「いい感じっすね。ちょっと試着してみていいですか?」
「おう、職人愛用だったモンだ。きっと気に入るぜ」
快諾に遠慮なくグローブに手を入れる。流石√妖怪百鬼夜行の品、少し緩いかと思いきやヨシマサが指先まで嵌めるとシュっとサイズを使用者に合わせ、ぴったりのフィット感に変形する。ぐいぐいと動かしても問題なく動いて、布地に覆われた指先の感覚まで分かるような着け心地。
なんだか急に懐かしい気持ちが蘇る。工場で働き始めた頃、父が自分へ最初に買ってくれたものが作業用グローブだったこと。たった1年でダメにしてしまったこと。「仕事道具は命くらい大切なものだから、ちゃんとしたものを買え」と父がよく言っていたこと。自分の身も、仲間の命も預かる仕事人は細部まで気を抜いてはいけないのだと。
……その|作業用グローブ《はじめてのプレゼント》が本来5年は持つものだと知ったのは後のこと。あの頃は父に追いつきたくて、寝食を忘れて機械弄りに没頭していた。5年分を1年で消耗してしまうくらい、ひたすら励んだ。不思議と、グローブの生地が薄まり油と煤に汚れていくたびに自信がついていったのを覚えている。努力と研鑽の証に寿命を縮めたあのグローブが、今の自分と少し重なった。
手袋を嵌めたままぼんやりと手元を眺めるヨシマサに、「兄ちゃん、どしたい固まっちまって」と店主から声がかかり意識が現在に戻ってきた。
「あ、すみません。思い出に浸ってました~。お会計お願いします」
「あいよっ毎度あり。なんだったかな、息子がよく言う……そう。”ここで装備していくかい?”」
「ふふ、”買った武具は装備しないと意味がないぞ”って続くやつですね。外す理由もありませんし、そうさせて下さい」
店主は笑ってタグを切り、ヨシマサは質感に満足してグローブを身に着けたまま店を後にする。
このグローブが守り手になるとして、それはヨシマサだけの話とは限らない――。
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嘗め回すように、|睨《ね》め付けるように。真贋と値踏みを織り交ぜ、白妙の妖は儚げな|出立《いでた》ちに見合わぬ堂々とした風格で蚤の市を練り歩いていた。いやぁ、好きなんだよねぇ蚤の市と声には出さぬが気分は上がる。職業柄か、|姜《きょう》・|雪麗《しゅえりー》(絢淡花・h01491)は無意識に『酒』に関するものを特に手にとっては吟味した。何処ぞの蔵に眠っていた掘り出し物の陶器やら、使い古された味のある徳利やら猪口やらの酒器も良い。店で使うにも遜色ない美しさを保っているものもある。
見てよし触れてよし、備えた噺を聞いてもよし。三方揃って兎に角良しと来たもんで、となれば|四《死》を飛ばし、行き先は五穀豊穣の大黒天像が振りかぶった槌の先に幸ありと、縁結びと縁をこじつけ気紛れに進む。あれば儲けもの、なければ次への期待が膨らむ損をしない選び方。
――しかし、これだけのモノが揃ってると見て回るだけでも福が貯まっちまいそうだね。
――おんなじくらい怨恨もありそうだってのに、客の浮かれ気分に気圧されてるのかとんとそんな気配はない。
――ま、売り物の顔は猫被りで所有者が移れば本性を現すってのもようある噺か。
あれやこれやと目移りを繰り返し、雪麗が特に念入りに振れるはひとつの茶碗。ふと目に留まったそれは|縁《ふち》に多少の欠けがあれども、まだまだ現役と訴える風貌をしている。泊まったのではない、惹かれ射止められたのだ。
描かれている瓢箪柄をひのふのみと数え、全部で6つ。末広がりの瓢箪が六つ揃って無|瓢《・》息災ってところかねぇ。実に縁起がいい、洒落た絵付けにまさしく一目惚れだ。遍歴なんかも聞けば愛着が湧くかねぇ。
「店主よ、こいつを貰おう。いくらだい」
「|三十文《750円》さ」
「もう一声いかないかねぇ。ほうら、柄を見てみなよ」
ひぃふぅみぃと先程と同じく、今度は瓢箪の数を声に出して数える。店主は「こりゃ一本取られたな」と嫌気もなくまけてくれた。
「|二十六文《650円》でどうだい。これ以上は商売あがったりだ」
「言ってみるもんだねぇ、そら。なんぞこいつにゃ逸話のひとつも無いのかい?」
「おうおう、聞いて行くかいお嬢ちゃん。その茶碗に盛った汁は食っても飲んでも減り目が見えない、底なし沼だか打ち出の小槌だか、湧いて出てんじゃねぇかってよ。実際は嫁さんが旦那が飯食ってる間にわんこそばしてたんだが、そんな生活続けてりゃどうなったと思う?」
「謎かけかい? んー、つまらんネタじゃあ塩分取りすぎ高血圧ってかい? 無病息災とは縁遠いか」
「なぁに! 英気に満ちた旦那は丸々太って、立派な相撲取りになったってオチさ! 銭も儲かって縁起のいい経歴持ちだろ?」
「そりゃあいいねぇ。落語の入りに使えそうな噺だ。客人に使う時がありゃ紹介してやるか。どうもな、店主」
日焼けした新聞紙に包まれた茶碗を手にすると、雪麗は急に喉が渇いてきたような気がした。
噫、酒が飲みたい。たんと酒を煽った翌日の蜆汁の適任を見つけた――。
●
屋台から風に乗って漂ってくる食欲をそそるご飯の香りに後ろ髪を引かれつつ、渋々……非常に名残惜しいが、今回の目的はそちらではない。仕方ないと諦めて、二度三度と振り向いてやっと蚤の市の売通りに視線を定めた。今は市場で幸運過多に対する準備を優先しなければ。きゅうっと胃袋が動く感覚に、|品問《しなと》・|吟《ぎん》(|見習い尼僧兵《期待のルーキー》・h06868)は「うう、腹の虫おさまれ~」と腹部をさする。それが逆に刺激になってしまったのか、盛大にぐううううと腹が鳴った。通りすがりの人から一瞬視線を感じたのは気のせいではない。
結局我慢できずに買った団子串と饅頭をぺろりと平らげ、甘いものの中和にと肉串を食べ歩きながら市場を回る。寺住まいの吟ではあるが、|先生《Anker》は彼女に御仏の教えを説きはしても強制はしてこない。精進料理に縛られない吟は自由な|人妖《尼僧》だった。髪だって自由に伸ばし、√EDENの日常に溶け込む私服を着てもいい。こんな日常に不満はないのに、しかし満たされてはいないのだと。仮にこの世の美味を食らいつくしてしまったら、その後の楽しみがなくなりそうだしなぁ……と二つ目の口も唇についた油分を舌で舐めとった。
|串《クシ》からの縁か、吟が見つけた”武器”もまた|櫛《クシ》だった。美しく艶めく黒い櫛。懐かしい、昔先生に買い与えられた櫛に少し似ている。人妖であろうとも年頃の娘、先生は「化粧や髪の手入れに興味を持ってもいいのですよ」と遠慮しなくていいとよく気遣った。結局吟は修行や武術ばかりで、あんまり使わなかったのだが、あの櫛は今どこに仕舞っていたか。壊した覚えはないし、大方箪笥の肥やしになっているのだろう。
「……先生にはちょっと悪いことしちゃったかな」
後悔か申し訳なさか。先生に言えば「気に病まずとも良いのですよ」と返してくれそうで、意図せず好意を無下にしてしまったのではと不安になる。売りに出されたこの櫛には、一体どんな曰くがあるんだろうかと気になった。自分の様に使われぬまま|再利用《リサイクル》として次の持ち主を求めているのか、それとも女の命とも言われる髪に纏わる因縁でもあるのか。
「すみません、この櫛はどうしてここに?」
「うん? ああ……こいつぁ……」
口籠る店主の様子に、いい方面ではないだろうなと察して「是非教えて下さい。どんな情でも籠っている程いいですよ」と続きを促す。後頭部をぼりぼりと掻いて、店主は話し出す。
櫛の持ち主は誰もが羨む美しい黒髪を誇る別嬪であった。それを妬んだ女から呪詛を受け、長く病に臥すことになる。日に日に細くなる身体、艶やかな黒髪は次第に潤いを失い、白いものが混じりだした。毎日使っていた櫛の通りも悪くなり、世話人はつい「|櫛《苦死》なんて縁起でもない。手放しては如何ですか」と進言する。女は激怒し、櫛を取り上げられないよう懐に大事に仕舞って過ごした。
病状は進行し、遂に命が尽きた日。彼女の胸元に挟まっていたのは愛用の櫛だった。模様も形も同じだけれど、漆塗りの|朱《あか》は女の黒髪が乗り移ったかのように黒く染まっていたという。
「女の恨みか未練が残ってんじゃないかって、ずっと仕舞われてたモンなんだ。あんたはどう思う? それでも買うかい」
「……その女性は、苦しみの果てに召されたんですか?」
「いや。最期の数日は毒気が抜けたように穏やかだったそうだぜ。櫛に命を移してたんじゃねぇかって噂まで立ったくらいだ」
「ふむ……いいですね、気に入りました。きっと役立つでしょう」
「今時ブラシもあるってのに物好きだねぇ」
「これから赴く戦いには、そのくらい想いがあったほうがいいんです。では」
金を渡し、手にした櫛は吟のものとなり存分に眺める。久々に浴びた太陽光に喜んでいるのか、黒に沈んだ模様がきらきらと反射して美しく煌めく――。
●
波風のない日常。突っ込んでくるトラックから子供を守ることも、空から隕石が降ってきて学校と職場を破壊することもない。それを平穏といえばそうだし、無機的と捉える者もいる。特別なにか起こらなければ幸運でも不運でもない……と言っていられる内は『幸福』だと、|彩音《あやね》・タクト(指揮折々・h00435)は識っていた。彼自身は今、とても凪いでいる。
「僕はそうそう|刺激的《・・・》なことに当たりませんし、所謂『幸福』そのものなんでしょうけれど……当たり前の日々って、連続するとその尊さを忘れちゃうんですよね。わざわざ”幸福だ~!”なんて感じませんからね」
自分は幸福だ、なんて思える幸せとはどんなものなのでしょうね? と実に真剣な問いかけをしたつもりだが、返ってきたのは途轍もなく浮かれた声。アクティブ・ポジティブ・アトラクティブを体現したような笑みと共に、|聖夜《せいや》・|前々夜《いぶいぶ》(クリスマスの魔女・h01244)はウインクひとつ。
「あら~、哲学なこと言うのね、タクトちゃん! さすが研究者ってところかしら? ふふふ♡」
「哲学……そうですね、幸福論は多くの哲学者の話題になりました」
「んもう! そんな難しいことを考えなくても、幸福は今、あなたの目の前にいるわ」
はて、と視線がかち合えば、前々夜は胸を張り両手を合わせて誇らしげに満面の笑みを浮かべる。こういう時、大体突拍子もないことを言い出すのが彼女の|当たり前《常々》だが、つい「今回は何を言い出すのか」と毎回耳を傾けてしまう。知識欲が良い方に傾くかはまた別の話にはなるが……何事も見る・聞く・試したくなるのが研究者の|性質《さが》というもの。
「そう! ズバリ、私のことよ! 幸福の象徴の1つとして、辞書に私の名が刻まれる日も近いわね」
「ふふ、伝説の魔女とご一緒できるくらいの幸福? それは確かに名誉なことでしょうとも。って、いぶたんさん、誰かしら|一緒にい《見張って》ないとまた迷子になるでしょう」
何も誇らしくない。普通に迷子の前々夜は長いこと店を空けっぱなし。ネギを買いに出かけたが最後、あっちこっちと世界を渡り歩き、笑顔を振りまいている。店は弟子が何とかするだろうと楽観的に、迷子を楽しめるあたり魔法に加え迷子の才能もあるといっても良い。
「あら~? ならタクトちゃん、エスコートはお任せするわ。紳士にね♡」
「……ああ、もう結構です。それ以上は喋らないで下さい。ここで幸せがカンストしたら古妖の罠に嵌まれません」
魔女の言うことを咀嚼するのにやや時間がかかった。辞書に載るとしたら”転じて別の意味”のような注釈がはいるのでは? やら、脳内で『幸せとは何か』を思い出し……冷静に彼女の前に手を差し出す。まだ古妖を相手にしていないのに既に疲れてきた。悪いとは言わない、言わないが何とも言えぬ感情が湧く。照れか、呆れか、一周まわって面白くなったのか。明後日の方角に向かい出す前に裾を掴んだ。
「いぶたんさん……蚤の市はあちらです。逸・れ・な・い・で・く・だ・さ・い・ね」
「もっと紳士的に♡」
「案内しますからお手をどうぞ」
「はぁ~い」
蚤の市に入る前から謎の疲労感を感じるタクトはまだ知らない。これがほんの序の口であることを。
何があるか分からないのが蚤の市の魅力。一応区画分けがされているが、|一緒くたに《ノンジャンルで》販売する露店も少なくない。謎の石造と一緒にネオン眩しいレトロな看板が置かれていたりするわけで……選択肢が多すぎて選ぶのも一苦労。
巡り廻ってようやくタクトが手にしたのは読めない魔導書。言語は問題なく読める。きちんと表紙に『精霊魔術応用学・実践術』と書いてるから魔導書だと分かった。この本が読めない理由は単純に”開かない”のだ。表紙から全頁が糊付けされたかのように固い。
「タクトちゃんのそれは……魔導書? ドキドキが詰まってる予感♡ いいわね~何が封印されてるのかしら!」
「良くない力で封印されてます? すごく固い……ハリボテではないと思います。確実に何か詰まってますよ」
「開封できたら見させてちょうだい、ワクワクを共有したいの!」
ねぇ良いでしょ? と興味津々の前々夜に、タクトも購入を決める。
「そうですね、いぶたんさんなら魔術関連を共有しても大丈夫でしょう。いつか自分で封印を解いてやりますので待っててください」
「ええ、待ってるわ! 時間はたーっぷりあるんだから」
「そういういぶたんさんはどうなんですか? |めぼしい《ピンときた》物はありましたか」
「私? 私は、そうね~~この鉄鍋にしようかしら」
でかい鍋を差し、タクトが何か言う前に爆速で購入した前々夜。いい買い物ねとほくほくしている。
「え、あの、鍋……!?」
「ほら~イメージしてみて! 魔女に鍋は鉄板、でしょう?」
「いえ、文句はないですが……イメージとも相違ないです、けど……持って歩くのですよね……鉄鍋を」
ずっしり重い鍋。こちらは魔導書のように謎の力で固いのでなく、製品の成分的に物理的に重い上に嵩張る。それを前々夜のような細腕の女が持って歩く姿まで延長線的にイメージすると、中々シュールな図だ。普通そういうのは工房に備え付けているものじゃあないのかとはもうツッコミが追い付かないのでやめておく。
「大丈夫、魔法で運べば良いんだから♡ 杖より重たいものは持ちませ~ん!」
「……その杖、実は1|t《㌧》あったりします?」
「だめよ~タクトちゃん♡ 乙女に重さの話題は禁物!!」
杖は体重に含めるのか。タクトは素朴で当たり前の疑問をそっと胸の裡に仕舞った。なんだか疲労がすごい。対して前々夜はこの鍋で何を煮詰めようか想像で胸がいっぱいだった。
彼女が家に辿り着くまで鍋は無事なのか!? それは誰にも分からない――。
●
温故知新、不易流行なんて言葉があるように。新しい物だけでは世界は回らない。古い物があってこそ比較ができ、歴史が繰り返されるなら|懐古《レトロ》もまた人々に愛される流行の最先端となる。
古きを再び呼び起こす市場に立ち寄った|門音《かどね》・|寿々子《すずこ》(シニゾコナイ・h02587)が見た限り、この雰囲気は”フリーマーケット”でなく”蚤の市”という言葉がピッタリだと感じた。まだ付喪神未満でも、売られているのは年月を重ねたことがわかる品々ばかり。
これといって購入するものを決めてきたわけではないが、考えてみれば欲しいと思ったものが必ず出品されているとは限らないのが面白いところ。逆に偶然にも同じものを求め、互いに値段を吊り上げあったりする人と妖怪の姿も見える。あれはきっと狐狸の方が勝つんだろうなとぷらぷら。眺めているだけでも楽しい蚤の市。
戦時中の新聞を敷物にして上に並べられたものを手に取ってみる。古い書物は寿々子には難しく、読めずに諦め隣の刀を鞘から抜いてギラリと光る迫力に驚いてみたり。呉服屋の延長か、衣紋掛けに飾られた花柄と蝶の模様が美しい着物にうっとりしたり、鎧兜の甲冑に残った傷痕に感じるところあり……。
「ねぇキミ、これなんてどう?」
「ひぇっ! あ、えと……」
「自由に見てってね~! ここは大体どこも早い者勝ちだよ!」
「……、……」
店員に声を掛けられると人見知りが発動し、うまく言葉が出ない。しどろもどろになる寿々子にも笑顔で対応するところを見ると、こういう反応をする客も少なくないようだ。あしらい方と客引き方が慣れている。恥ずかしさにいたたまれなくなり、寿々子はサっと別の店に移動した。
――ああもう、これじゃあ私変な子だよ……。
――私、浮いてないかな……心配になってきた……。
自己肯定感の低さ故に、寿々子は自分が知らない間にここで粗相をしてないか心配になってきた。楽しいけれど、妙な緊張がある世界。すれ違う人も、売る人も、みんながすごくイキイキして見える。逆に堂々としていればいいと思っても、それが出来れば世の中苦労しない。
先程より少し足早に、店員に声をかけられる前に逃げるように去るを繰り返す。そんな中、対の小さな招き猫が目に入った。赤い猫と、白い猫。挙げてる手も左右対称で、寿々子の記憶によればどっちの手を挙げてるかで招いているものが違うとかで……それ以上深くは分からなかった。13歳の少女の記憶の片隅にある知識はどこかで聞きかじったことくらい。なのに急にそれを思い出したのは……きっと二匹からの「連れてって」が聞こえたから。
「あの、すみません。この招き猫さん下さい」
「は~い。どっちの色?」
「両方で……」
「まぁ、気前がいい! お前たち、大事にされておいで」
勇気を振り絞って手に入れた招き猫達。紙の手提げ袋に入れられて、新たな|持ち主《主人》と新たな旅へ。お金も人も強欲に招いてやろうと、寿々子の見えないところで猫たちは笑みを浮かべた――。
●
物珍しさに足運びはつい軽く、回りきるには早足に。なんて作戦を立てていたのは最初だけ。横目に入った気になる品に引き返すこと数回。丁寧に見て行くくらいで丁度いいかと、今度は普段よりもゆっくりと歩く。店主に声を掛けられれば話を聞いて、その度に色々欲しくなるのをグっと堪える。お財布の中身は有限なのだ。
いつ聞いたか、|√妖怪百鬼夜行《この世界》ではこういった催しは結構開催されているという話を思い出し、|望月《もちづき》・|翼《たすく》(希望の翼・h03077)は本日蚤の市にやってきた。√EDENのフリーマーケットや、|主人格《あちら》の生きる世界の祭典とも異なる雰囲気。蚤の市の由来やフリマとの違いを事前に調べたりしてみたが、実際に来てみると言葉で言い表すのが難しい空気感だった。捨てるよりはマシだから売るといった利益や損得勘定以上に、人情味のある世界。古き時代を愛し続ける人々の気持ちが少し分かる。
――蜻蛉玉はスイちゃんが好きそう。何色が好きかな? 瞳の青もいいし、屋号に因んで桜色もいい。
――このマグカップは望くんぽい。口が広いのも使いやすそうで……って。
ふと我に返る。今回はお土産を探しに来たのではない、あくまでも自分用を買いに来たのだ。放っておけない同居人たちつい意識が向いてしまうが、割り切って今度こそピンとくる物を探して別の店へ。何店か回ってみて、銀食器を扱う店へ。カトラリーはどれもしっかりした作りで、一見して普通に使えそうなものばかり。よく見れば擦れた傷や微妙に曲がっているあたり、新古品とも違う。店主に話を聞けば先日旅館業を畳んだばかりで、これらはその際に従業員に配った余りなのだと。
客商売で使われていたものなら武器にもなるかと考えていれば……別の品が目に入った。「あ」と声が出て、店主は翼の視線の先の写真立てを取り手渡す。
「綺麗でしょう? 部屋に飾っていたんです」
「……うん、とても」
片手でジャケットの上から内ポケットに手を触れる。無理に持ってきた内ポケットの中身は、お守りのように持ち歩つ写真。だいぶ痛んだ家族写真は翼のものではない。壊れないよう補強はしてあるが、最低限にとどめてあるせいでいつ破れるとも分からない。いつか何かに入れておきたいと思っていた矢先、丁度いい出会いだ。
そっとポケットから写真を引き抜いて、枠のサイズと合致するか確かめる。大きすぎず、小さすぎず。定型の写真は特に問題なく収まり、そのまま購入し代金を支払う。壊さないようにと震える翼の手を見遣り、店主は商品を少し退かし「外れないようにしっかり入れていって下さい」と、旅館業の頃のサービス精神が抜けきらない対応をしてくれた。
無事写真立てに収まった家族写真。表には驚きと喜びに溢れた一家の思い出を巡る航路のワンショット。固定用ボードの下に隠された写真裏には丁寧に記された日付と『新たに宿る幸せを抱きしめて』の文字。その|月日《思い出》を全て護ろうと、翼はぎゅっと胸元に抱きしめた――。
●
選び放題見放題、買っても買わなくても楽しい蚤の市。早い者勝ちとは言うけれど、残り物には福がある。というわけで、|クーベルメ《Kuhblume》・|レーヴェ《Loewe》(余燼の魔女・h05998)はのんびりゆっくり見て回ることにした。沢山買ってもいいけれど、それよりもひとつひとつを大事にしたい。大量生産の既製品でなく、思い出の詰まった品なら尚更に。
それらは元を辿れば既製品だったのかもしれない。けれど、それが年月を積み重ねて思い出が詰まっていけば、自分にとって世界にひとつだけの品になる。これはとても人間らしい考え方だと、クーベルメは考える。己は量産型の|少女人形《レプリノイド》、記憶を共有し代替の利くモノ。自分が消えたあと、全く同じ素体で全く同じ記憶を引き継いだ”新品”を造り出せる。テセウスの船ではないけれど、どこまでいっても|少女人形《レプリノイド》は大本のデータがある限り個はない。単一に見える今のクーベルメさえ、完成した以上バックアップはある。通常、それは便利な事であるはずなのに、どこか無機質であたたかみを感じないのだ。
――なんて、私が壊れたら次に作られるのはもう少しポテンシャル発揮の|効率がいい《条件が緩い》子じゃないかしら。
――甘いお菓子、ゲームする余暇、充分な休息。何より|友好関係《仲間たち》は”今の私”に必要なもの! 次の子には渡せないわ。
|感傷的《センチメンタル》な気分になったかと思えば、やっぱりそこはクーベルメ。自信家は反省しても後悔なんかしてられない。積み重ねた思い出が戦闘記録だろうと世間話だろうと、得たのは彼女自身なのだから。
先の戦、マガツヘビ退治の際に√妖怪百鬼夜行に来た事があった。あの時触れ合った狸……名を隠神刑部といったか。目つきは悪いが気のいい狸爺、それが深く印象に残っている。それ以来、狸が気になるようになった。いや、役牌千点安手の流局は雀士として本当に最低最悪だし自分が親だったらブチギレてもいい重罪なのだが逆にそれで深く印象に残ったのかもしれない。お茶目で可愛くて、憎めない狸。
今回もつい狸っぽいものを探してぶらり。信楽焼の狸は何個か見かけたが、でかい。司令部の入り口に置くなら良いが、持ち歩くには流石に邪魔だ。
持ち主が直接売っている店の他、亡くなった親族の代わりに出店していたり、訳あって外に出られない誰かの代理人だったり……クーベルメは多くの出品者と話した。どうせ受け取るなら、品物と共に思い出ごと連れ帰れたら素敵だからと、手にしたのは狸の尻尾柄のキーホルダー的な何か。実物大よりも大きめ?
「これ、死んだひい爺ちゃんが最初に討ち取った化け狸の魚拓代わりなんだ。いい毛並みでしょ! もう使わないから売り中!」
「……どう使うのかしら?」
「どうって……ベルトに引っかけて、尻尾風にするんだ。妖怪退治に効果抜群だよ! この大きさの化狸を!? って大抵の妖怪は恐れ慄くね」
「面白い使い方ね。でも気に入ったし、いただくわ」
衣服に付けるであろう留め具を荷物に装備させると、|妖力《出力》があがったような気が――。
●
年齢性別、種族も仕事も違う4人。こんな真昼間から揃って遊びに出掛けるのは初めてだった。彼らの共通点と言えば|紫銀の看板が目印の店《小ぢんまりとした酒場》に出入りする仲といった程度。互いのことは深く知らない、興味がある顔見知り。機会がなければ作れば良いと、|渡瀬《わたせ》・|香月《かづき》(ギメル・h01183)の誘いに乗り、普段は夜しか会わない面子で昼日中の買い物と相成った。集う場所が同じということは趣味嗜好も似通うもの。眠りについた物たちを再び呼び覚ます蚤の市は、夜更かし達の目を開かせるに丁度いい。
流れが停滞しない程度の足取りで、ゆっくりまったり。他の客だって店の前で立ち止まったり、買い漁った荷物に圧し潰されそうになりながら歩いていた。自由で混沌とした、けれど何故か暖かい気持ちになる通りをぶらり。
市場に足を踏み入れた時から視線をあちこち彷徨わせ、東雲・夜一(残り香・h05719)は染みついた隈の目元を忙しなく働かせる。どれもこれも魅力的、稀に理解に苦しむ物がありつつも、そういった類の物こそ此処でしか出会えないなら誰かの縁になるに違いない。
「本当に色んなもんがあるよな。どれにするか迷うっつーか」
「選択肢が多すぎると逆に決めかねるのが人の常です。特にこのような――|玉《ぎょく》も石も一堂に会するとなれば、選ぶのも一苦労ですね。わたくしも久々に来ましたから審美眼を叩き起こしませんと」
先の幸運を|覗き見《予言》することも出来るのに、あえて好みを優先するなんて浪漫がある。太陽の似合わない夜一に、同じく夜を思わせる|九段坂《くだんざか》・いずも(洒々落々・h04626)は冗談交じりに笑った。大人同士、酒の入っていない席で交わす会話はそれだけで新鮮に感じる。まだ酒精には浸れぬステラ・ラパン(星の兎・h03246)とて過ごす刻を楽しむ気持ちは同じく、ふんわり兎の長耳を揺らし店先の商品が抱える|思い《経歴》に想いを馳せながら会話に加わった。
「ふふ、かわいい子達が沢山だ。気になる子全員に|話《経歴》を|聞いて《読み取って》たら、あっという間に日が暮れてしまうな」
「いつも夜にしか会わないし、お天道様の下で皆の顔見たのって初めて? すごい新鮮。みんな夜の民って感じだけど」
「おや、『|一番星《僕の店》』は昼でも歓迎だよ?」
入り組んだ路地を七回曲がれば辿り着く、ステラの店。店に集まる人もモノもは昼夜問わず駆け込まれることもある。カウンターで送り出すモノ達に心の中で「いってらっしゃい」なんて告げる日々、道具は使われてこそ。その果てに壊れるなら、忘れ去られて人知れず朽ちるよりずっといい。
「骨董屋さんに並んでいるものとは随分と|方向性《ジャンル》が違いそうですね。目利きは誰が一番優れているんでしょう?」
「目利きかー。俺は”これは絶対値打ちがある!”って言える自信はないけど、”これアイツに似合いそう”ってつい選んじゃうことならある。みんなはそういうこと無い?」
「香月は人付き合いがうまいな……オレは|煙草《こいつ》一筋、他は必要に応じて。活動時間も夜ばかりだしな」
肉体があった頃からか、それとも死を経験してからか。夜一は『名は体を表す』の通り夜一番。日が落ちてからがしっくりくる。路地裏五丁目、五番街。五目並べの五階建て。五のつく日は|妙《たえ》の絶えない不思議な店は、ステラの店とはまた違った品が集まる。世界が寝静まる夜こそ冴えて作業も捗る。
「夜一は夜が好きかい? 僕も夜の空気、好きだよ。星の瞬く静謐な時間は贅沢品だとも」
「お、分かってるなぁステラ。夜を楽しむ才能ある」
「夜更かしは美容の大敵ですけれど、ステラさんにその心配はありませんね」
「付喪神でも年齢適応されるんだもんな……人の形をとれるようになってから、とか? いつかステラとも酒飲みたいわ」
「そうなんだよ。まだ飲めないが興味はあるんだ、好みを聞かせてよ。いずもはお酒、好き? 初めての酒におすすめの一杯を知ってるかい?」
兎杖は12歳ということになっている。付喪神である以上、通常なら最低でも1世紀を過ごしたはずだが……人間歴12年? とりあえず世界の規則には則っているが、基準は曖昧だった。のらりくらり、100年と比べたらあと数年くらいは|気長《・・》に待てる。その間に情報収集できると思えば、いざ飲む時の楽しみも増すだろう。ステラの疑問に答えるいずもの口元が弧を描き、真昼の三日月を湛えた。
「そうですねえ、味は色々ありますが。強さも種類も千差万別、結局誰かと飲むのが1番美味しい、でしょうか。噫でも、いきなり泡盛やらテキーラショットなんてのは勧めませんよ」
「それはオレも参考にするか。なんつーか、酒の席ばっかだと逆に酒を持ってねぇ方が新鮮だな?」
「ウフフ。どうされますか? 実はわたくし、日頃より酔っておりましてと言い出したら」
「ハハ、冗談。酔ってソレなら素面も気になるだろ」
「……香月。酒というのはそんなに変わるものなのかい」
煽るでも貶すでもなく、軽口を叩き合う二人が纏う雰囲気は独特だった。大人の中でも一際、人外同士であることも含めて気安いのか。昼から酒を浴びる祭りもあるが、今回は団体行動。当たり前だが素面。面白おかしく話す夜の化身のような大人を見て、ステラはこの中では唯一の人間である香月に疑問をぶつけてみた。悪酔い、泣き上戸といった言葉もあるけれど、香月を含めこの三人が我を忘れているところなど想像もできなくて。
「俺から言えるのは個人差が大きい、だな。弱いだけで美味しく飲める人も、体質的に気持ち悪くなる人もいるから無理するものでもないと言うか。大人でもノンアルの人は結構いる」
「なるほど。ならあの二人は|雰囲気に酔ってるの《浮かれてるだけ》かな? だったら僕も一緒だよ。皆の話を聞けるのは嬉しい」
「うまい事言うなぁ。俺も一緒、誘って良かった」
独り言で「アレいいね」や「気になる」というのは簡単で、しかし受け身な者ばかりでは話はお流れというのもよくある話。香月はその点行動力があったし、声をかけたのも共に過ごしたいと思える面子。どうせなら送り合おう、というアイデアも一人では成り立たない。
「ひとに何か選ぶとなると緊張しますね。利便性で選ぶか、美しさで選ぶか」
「自分の好きなものをプレゼンする機会でもあるけど、やっぱり相手の喜ぶところが見たいな」
「だな。あれも欲しいこれも欲しい、これは使い勝手良さそうでこっちは似合うってなっちまって悩みどころだ。ステラは目移りとかする方?」
「ふふ、勿論するさ。今だって――おや」
機嫌の良く揺れては跳ねるステラの耳がピンと立つ。足を止めて手にしたのは宵色のロールペンケース。紫とも青とも黒ともいえぬ、短き宵を染め残したかのような色。縦幅もそこそこありポケットも多い。誰が使っても似合いそうだが、ステラが渡す相手こそ|職業《なりわい》的に一番使いこなしそうな気がして迎え入れる。
「良き縁を見つけましたか。わたくしも何か……そうですね、このスプーンにしましょうか。使わない人なんていないでしょうしね」
四葉のクローバーがついた銀の匙を手に、いずもは相手の顔を見て微笑む。幸運の象徴同士、何かしら縁があるといい。合縁奇縁を良縁に、導くのはどちらかと想像するのもまた楽しい。
女二人がさっさと決める横で、男の方はいい物がありすぎて決め打ちしかねていた。本当に、自由であることはなんと難しいか。女の買い物が長くて男は|飽き《ダレ》るなんて本当か疑わしくなる。
「二人とも見つけるの早いなー。ひょっとして見慣れてる?」
「オレたちも目移りしてらんないな」
蜂の装飾が施された懐中時計を選び、香月は蓋を開け中のデザインも確認。薄いハニカム柄の|文字盤《ダイアル》はシンプルで見やすく、|時字《インデックス》も少し崩した書体が読みやすいのに洒落た印象を与えた。
最後まで目移りを決め込んでいた夜一が漸く選んだひとつはピアス。藍色の小さな宝石が嵌っていて、普段から着用しているなら日替わりでつける事もあると考えて……考えて、一応聞く。
「香月、そのピアスって付け替える事ある?」
「日によって変えてるかな。服との相性もあるし、畏まった場なら外さないとだ」
「よし、ならこれだ」
全員が買い揃えたところで広場に向かう。ベンチや木陰では蚤の市で購入したものを整理する者や、屋台の食べ物をもりもり食べる者がちらほら。並木の影、日差しから一度避難して夜一から香月へ先程選んだピアスを贈る。皆にも見えるよう、直接手渡し。
「香月、どうだ? お眼鏡にかないそうか」
「ありがと。うわ、めっちゃいい。夜一は物を選ぶセンスいいよな。今着けようかな」
「気に入ったなら良かった。ああいや、今つけてるそれ失くすかもしれないし別の機会にでもな」
「貰ったら贈るの順番でいくなら次は俺の番か。女王蜂は華やかないずもにピッタリだと思う」
人からの印象が形になって届く贈り合い。選ぶのも選んでもらうのも楽しく、己の印象を知れるし、自分が思う相手への印象も伝えられる。何があるか分からない蚤の市なら、予想をつけるのだって難しくて楽しみは倍増だ。
布の包みをめくり、夜一に倣っていずもへと皆に見えるよう渡す。中身を見ていずもは目を輝かせた。
「これは……自分では選ばない模様です。わたくしの方こそ華やかさに見劣りしないように引き締めないといけませんね。ウフフ、とっても嬉しいです。ありがとう、渡瀬さん」
では次はわたくしから、といずもは細長い紙袋からスプーンを取り出しステラへ。木の葉の間から漏れる光が四つ葉にきらきらと反射し、自ら光り輝いているよう。
「へへ、有難う。選んでもらえるのは嬉しいね。いずもの選んでくれた子、とびきりかわいいよ」
「兎と四つ葉、どちらも運気上昇に挙げられます。ようくお似合いだと思いませんか?」
「|狂人の宴《マッドパーティ》の予定は今のところないから独り占めだ。紅茶と珈琲、どっちが好きかこの子に聞いてみるよ」
一巡し最後はステラから夜一へ。くるくると巻かれたペンケースを渡し、「開けてみて」と促し紐を解けば巻物のように広がる宵の波。両端を持ってしっかり魅入る。
「お。良いな、ありがとうステラ。色が特に気に入った」
「こうやって交わし合う子達も時間もあたたかだ。良縁に感謝だね」
こんなに満たされた空気であっても、まだ足りない。まだ満たされない。『幸福』の答えには届かない。幸せの一端は、運気の器を満たすほんの一滴。幸福とは一体何なのだろう。蚤の市で所有者が変わった品々は、彼らの幸運に何の作用を齎すのか皆目見当もつかない。
「過剰な幸福ってなんだろうな。オレなんか死んでるし、仮に今更生き返えらされてもな」
煙草の箱を取り出し、夜一はちょいちょいと指で弄んだ。ヤニ命でも禁煙場所では吸わない。「命はもう失ってんだ」と冗談を交え、人によって違う幸福の定義を聞いてみる。
「幸福、か。人と縁交わし紡げる『今』かな、僕は。大事に仕舞い込まれるより、こうして言葉を交わせて時に使って貰えるのがいい。飾られる為に作られたモノなら兎も角、使われる為に作られた道具としての存在意義とも言えるね」
「俺はやっぱ、自分の作った料理を食べて美味しいって言ってもらえんのが一番かな。そもそも食ってもらえるってのが信頼の証だし。生死与奪が手の内にあって、それを乗り越えての信頼だから結構すげぇかも」
「幸せだなんて、なんだか哲学的ですね。わたくしは生きているだけで十分です、ウフフ」
「いずも、欲がないね。幸せは生きてることが前提の……前提……」
続きを言おうとしてステラは黙った。幽霊、兎杖と面子の半分は”生きている”と定義していいのか怪しい部類。察した夜一は静かに笑って話を戻す。
「森羅万象生きてるってことにしておくか。人生、苦いのは|煙草《コレ》だけで十分だ」
「夜一がカッコイイこと言った……!」
「|煙に巻いた《・・・・・》だけですよ、きっと」
暖かな、思いやりの欠片たち。誰かを想って選んだそれは、自分で選ばなかったからこそ価値がある――。
●
蚤の市を見て回りながら、迦楼羅の雛女は『福』について考えていた。福は我が手に、けれど多くの人にとってそうとも限らないのが現実。|ララ・キルシュネーテ《꒰ঌ❀❁.。.:*:.。.咲樂.。.:*:.。桜樂.。.:*:.。.✽.。❀໒꒱》(白虹迦楼羅・h00189)の思考はぐるぐると、福の神が何たるか想像し、空想夢想の果てに無に消ゆ虚妄。
――誰もが倖を望むけれど倖も不幸も、紙一重。
――誰かにとっての倖は他の誰かの不幸だと、体験しなければ分からぬ程愚者でもなしに。
物言わぬ品々が犇めいては次の持ち主を待つ蚤の市。此処はまるで時という物語が披露されている美術館のよう。尤も、本日の展示を喩えるなら『天日干し』なのだが。古びて黴っぽい人形に、ほつれたままのぬいぐるみ。錆びて鞘から抜けない小刀、時を刻むのを辞めた時計……以前の持ち主の元で、どんな風に生きてきたのか。ララはひとつひとつの品とじっと向き合う。
――倖せ/不幸だった? 倖せにしてあげた? 不幸を齎した?
――それとも、ただ見ていただけ? 何も言えない、できない事を恥じなくてもいいのよ。
そんな風に宝物を探し、あちらこちらを物逍遥。耿と翳が渦巻く大通り、どれも魅力を感じるけれど”それだけ”では駄目。もっと深く、|心《艹》に訴えかけるような物を求め続ければ……それは急に飛び込んで来た。胸を打つ程の高揚感に思わず「あら」と零し、引き寄せられるよう手を伸ばす。
「みつけた」
いっとうにララの目を惹く、美しくも儚さを抱く手鏡。繊細なアネモネの花が彫刻され、型だけ見ればそれで終わり。鏡面は曇りかけ、ヒビも入っているそれはララの華に響いたのか。慈しむように刻まれたアネモネは色褪せ、全盛期はさぞ持ち主を華やかに彩ったのだろう。但し、その状態の手鏡がララの気を引くとは考えにくい。
曇った鏡面と視線を合わせる。変わらぬ笑顔がいつもより明るく見えた。ララはニッと口角をあげ、満足気に頷く。
手鏡は所有者の身分を引き立てるのを辞めた。静かに美しく褪せた刻を重ね、自ら輝きを放つよりももっと素敵なことがあると識ったから。色鮮やかな自己主張はもう十分やったから、今度は映す相手を鮮やかに彩ろう。白虹の桜だなんて、なんとも引き立て甲斐がある! 輝く白は銀に、艶めく白は空の色、踊る毛先には春を詰め込んで。
「うん、わるくない」
|悪運《幸運》のお守りを大事に仕舞う。
ヒビの入った鏡が映したララの貌はどれもちがった|彩《かがやき》で、咲かせた花のうちどれを気に入ったのか……それは手にした者にしか分からない。日差しの下、陽光は夢宵に馴染んでいく――。
●
ひとは己が持たぬものに焦がれる。隣の芝生は青く見え、無いもの強請りには事欠かず。全く同じものなのに、相手が食べている方が美味しそうに見えたり。いつか迎える終わりに向けて、少しでも多くの幸福を重ねたいと思うのは自然なこと。
そんな人の儚さを妖は愛した。種族を超えて交わった世界は殺伐とした空気から長閑に、今となっては随分と賑やかになった。人に妖に混血に、サイボーグや災厄に異星人だって最新鋭の機械が流入してくる以上みな分け隔てなく受け入れる。細かいことは気にしない。気にしないからほうら、ただ歩いてるだけで声が掛かる。
「そこのお兄さん! 探しモンかい?」
「おっと見破られましたか。お土産を探していましてね、蚤の市ならではの物があればと」
「土産モンだったら屋台はナシだわな。相手の好みくらい知らねぇのか」
「それに関しては問題なく! 本を買おうと思っています。古本の区画もあるとかないとかこれから出るとか」
「本! 土産にしちゃ随分渋いな。ま、初版に絶版に発禁本あたりの掘り出しモンを探すにはうってつけか。そこの十字路曲がって左手側サ、いいもん見つけなよ」
「ありがとうございます、親切な妖怪さん」
商品を買わずとも気前良く送り出され、|日宮《ひのみや》・|芥多《あくた》(塵芥に帰す・h00070)は言われた通り蚤の市を進む。探し物のお土産は奥さん宛て。仕事で出掛けた際は買って帰るのが芥多の習慣。その地に根付いた土産なら最高だし、そうでないなら|土産話《・・・》を添えて、愛する妻の反応を想像し楽しむ。本当は直接感想を聞ければ良いけれど、彼女はもう――。
「えーと……ううむ、これはちょっと、かなり!? 予想以上に数が多いですね!! 知ってました!」
妻の事となると意識が向こうに飛びかける。良くない傾向だ。愛はいつだって暴走特急。けれども今から各駅停車に路線変更、この中から掘り出し物を探すとなると砂漠のダイヤよりは易いが1000ピースのミルクパズルくらいの難度はある。
本本本、本の山! 本の海! 視界に入るだけでこれなのだから、これ等は|ほんの《・・・》一部だとすぐ分かる。パラパラと目を通しただけでは好きそうな話かどうか判別できないし、かといって店先でガッツリ熟読するのは宜しくない事だと流石の芥多も分かっている。正気はなくとも常識はある大人として、一般人に迷惑をかける心算はない。
本棚に背表紙が綺麗に揃えて納められたシリーズもの、籠の中に立てて入れられたノンジャンルの売れ残り教本、床に平積みされた懐かしの雑誌に、個人の趣味がよく分かる画集、美しい装丁が目を惹く表紙のディスプレイ……などに混じって、何故か磔にされていたり、暴れてる本(!?)まで。本当に何でもある。気になる本は多々あれど、お土産にするなら読み応えがある方が長く楽しめるか。いやいや、目でも楽しめる絵本だって捨てがたい。
――どれも面白い本なのでしょうが、何を買うか悩ましいですね。
――ひとつに絞る必要はありませんが……どの本も誰かが求めているのなら独占するのも申し訳ない……あ、でも転売目的ならシメてもいいですね。
迷路染みた本棚の合間を縫い、店先に並ぶ本の表紙とタイトルから中身を想像しては通り過ぎ。ううんと悩めば悩むほど候補は増える。数多の本が芥多を待ち受け、強敵難敵を下してきた男がもの言わぬ本相手に唸っている姿は知人が見れば面白い図かもしれない。本人はこんなに悩んでいるのに!
露店の中には本だけでなく、関連した物も一緒に売っているところがちらほら。買ったきり使わなかった真白のノート、作家のサイン本や色紙。本に限らなくてもいいかと思いはじめて、視野を広げれば読書には欠かせない栞が目に飛び込む。
「おや? 栞も売っているのですか」
「いらっしゃい。ええ、古いものですけど……今時の本はどれも|栞紐《スピン》がついてて、需要が無いんですよね」
「これはこれは、企業努力が裏目に。手に取って見ても構いませんか?」
「ご自由に」
厚紙で出来たシンプルな栞たち。無地から柄物まで揃って、角が少し折れ曲がったりクセがついているところも年月を感じる。しっかり使われ、今は役目をお休み中。
「へぇ、どれもレトロなデザインで可愛らしいですね! ……ああ、これ。これが欲しいです、この百合の栞。これを下さい」
「はい、1枚10円からあとはお気持ちで。……ユリ、好きなんですか」
「そうですねぇ。好きなんて言葉じゃ言い表せないくらいには。良縁に感謝します」
ちゃりりんと代金入れの小箱に100円玉を2枚。店主は「こんなに頂き過ぎです」と恐縮したが、芥多にしてはあまりに安い買い物だった。丁寧にチケットケースサイズのOPP袋に入れられた栞を受け取り店を後にする。
思いがけず素晴らしい逸品を見つけてしまった。きっと妻も喜んでくれるに違いない。唯一にして最大の問題があるとすれば、この先の戦いの中で壊れる可能性があるということ。なんせ不運に好かれた男、星の巡り合わせは大体悪い。
「どれだけ丁重に守っても、どうせ見事に壊れてしまうんでしょうねぇ」
読み返せばまた思い出せる|歴史書《アルバム》も、破られた|頁《真実》は戻らない。栞を挟む箇所は一体どこになるのだろう――。
●
風靡き、人は流れ、移ろう時代は世界の理。その輪から離脱し、再び使われ動き出す刻を待つモノが犇く。ここは蚤の市、一度眠りについた物が日を目を見ることを期待する場所。行こうと言い出したのはどちらからか、付喪神と古書店長の組み合わせとなれば何となく”今は使われていないもの”に惹かれたのかもしれない。とっておきのお気に入りはもう互いに|持っている《渡し合った》けれど、新しく見繕うのもまた樂し。
華やかなれど汀のように、寄せては返す人並みと新しい主人の元へ流れつく市場。|郷愁《ノスタルジック》な雰囲気を感じつつ、露店を見ながら|汀羽《みぎわ》・|白露《はくろ》(きみだけの御伽噺・h05354)は同じ歩調で真横に立つ|御埜森《みのもり》・|華夜《はるや》(雲海を歩む影・h02371)と相談という名の吟味。吟味という名のぶらり遊覧に精を出す。
「過ぎた幸運から身を守るとは奇妙な話だな」
「そだねぇ、どうしよ。呪本あたりで対抗してみるー?」
「……店にあるのか」
「ふふ、どこかの棚にあるかな、ないかも」
買い取ったきり見てないから脱走してたら大変だねー、と全くその気の無い声で笑う華夜に白露の心は安堵と心配が半々、やや心配に軍配が上がる。けれども『月の海』にあるなら華夜がきちんと買い取ったものだから無下には扱えない。お守りと言っても効能は様々、|守護力《それ》を信じられるかが一番重要だというのならもう持っている。
「ここでお守りを買う手もあるが……俺にはかやから貰った|栞《これ》があるからな」
「え、新しいの買いなよぉ……何か良いのあるかもよ?」
「君から貰うもの以上に優れたお守りなんて、あるわけないだろう?」
「えぇー嬉しい。毎日何かあげよーかな」
「……傍にいてくれればいい。かやのことは俺が守るから安心しろ」
「んもー。俺だって……ん? あっ、見てみて白ちゃん!」
流し見から立ち止まり、華夜が指さすは店先にちょこんと置かれた懐中時計。目利きの勘が「この時計はいいやつだ」と告げている。手に取り蓋を開けてみれば漆黒に沈む金の美しい蒔絵が視界に飛び込む。随分と高級そうな品、沈んだ金も磨けば綺麗に当時の姿を取り戻すだろう。
「いいね、お前うちの子になりなよ」
「…………」
「あーとーはー……ほら、あの簪も!」
数粒花の欠けた藤の七宝が揺れる簪。しゃらり奏でる音も美しく、見目以上の価値がある。どれも|欠けている《満ちてない》から使われてきた歴史を感じた。店主に品を返し、次はと視線を彷徨わせる横顔の楽し気なこと。
はしゃぐ華夜に白露小さく溜息を零し、前のめりの彼の袖を引き釘を刺す。静観していた白露だって、時計も簪も華夜に似合うのは見れば分かる。だた、そう、選びながらふくふくと嬉しそうな姿に少し悋気が湧いただけ。
「……気に入りを増やすのは良いが、|愛着しすぎる《浮気する》なよ?」
「うんうん、へへ……へ?! う、浮気じゃないし! ばかばか! 冤罪ー!」
ぽかぽかと痛くも痒くもない|殴り《パンチ》を繰り出し抗議する華夜の姿が可愛くて、白露は満更でもない微笑を浮かべる。「白ちゃん誤解だよおー」と眉を下げる華夜に「分かってる」と短く返し喧嘩未満で仲直り、今度は共に選ぼうとゆったり人波を漂う。
「ねーねー白ちゃん、このタイピンなんてどう? 夫婦鶴、白ちゃんに似合いそう!」
「俺に?」
「そ! |赤漆が禿げて《色が落ちて》白鳥みたい。すごく綺麗だから白ちゃんにつけて欲しいなー。このデザインならフォーマルな場でもいけるでしょ?」
「ま……まぁ、君がそう言うなら……着けてやらないこともない」
「やったー」
胸元にタイピンを持ってきてご満悦の華夜を見れば、ネクタイを選ぶ面倒さよりも選んでもらったタイピンを付けられる喜びが勝る。即決で購入し、懐に仕舞う。そうなると白露は「俺だけがいつも華夜を身につけることになるな……」と気付いた。いい機会だ、こういう時こそ少し大胆に攻めてみよう。
「折角だ。何か揃いのものを買わないか? 茶碗でも湯飲みでも……」
「えへへ、いいの? 嬉しいなー。お揃いはー、んー……日用品でも身につけるものでも、」
「ああ、指輪は無しだ。それは新品で君だけのものを誂える」
「は、え、ゆ、指輪?! 何でそれだけ新しいのかな……」
「かやの指に嵌める日が楽しみだから」
すこぶる真面目に答える白露に固い意思を感じ、華夜はそれ以上追及しなかった。指輪はだめかー、と親指と人差し指をぐにぐに、話題から手元を弄びつつ再考タイム。確かに湯飲みならお揃いモノとして定番だし、よくセットになっているのを見かける。茶碗は夫婦茶碗という言葉があるけどサイズが違うからお揃いという感じはしないし……。
華夜の眼差しがじーっと、白露の足の先から顔に向かってあがっていき遂に視線が交わる。ツンと澄ました白露ににんまり笑いかけた。
「ねぇ、ピアスとか—……だめ? 白ちゃんに決めて欲しいな、って。それで、付け替えたいし新しい穴は白ちゃんが開けて?」
甘くとろける声でお願いする華夜。もうひと押しと小首を傾げ、上目遣いに柔い瞬き。
「また増やすのか。君が望むならそうしよう」
「うん! でさ、お揃いの石のカフスボタン、俺が毎回白ちゃんに付けるの!」
「ピアスとカフスボタンか……」
「いまいち?」
「いや、構わない」
「わーい」
窺うような華夜の視線、甘い声は蜜のように染み込んで心を擽る。許可が下りただけでぱぁっと表情明るく、笑顔の華が咲いた。無表情のまま白露は溢れそうになる感情を|噯《おくび》にも出さず、くしゃりと白い髪を撫でる。|儚さを纏う《お守りで虚を埋める》存在を確かめて、そのまま掌から指先で耳に触れた。物理的にくすぐったくて、華夜はくすくす笑う。嫌がるどころか楽し気に、からころ声は歓混じり。
「ひゃは。もー白ちゃん!」
「……ここに合う色……なら、この石はどうだ」
見つけたのは淡緑の|橄欖石《ペリドット》。白露の瞳と同じ色したシンプルなピアス。長らく眠っていたそれを耳元に添えれば、白い身体に美しき緑が芽吹く。
「――ねぇ白ちゃん、これ毎日俺につけてよ。……ね、お願い」
「しょうがないな、かやは。じゃあ俺のも毎日、な」
可愛いお強請りに悪い気はせず、嘆息に仄かな喜び滲む。けれど負い目など感じさせぬよう白露からも付け加え。
「俺も毎日?」
「かやの此処に毎日つけるんだから、いいだろう?」
「えへへ……うん、任せて。おあいこで、お揃いだね」
僅かな欲を覗かせた白露からの頼みに、華夜の微笑みは一層濃くなった。この瞬間を幸福と言わずになんと表現すればいいのだろう? 声音はやはり甘えるように、華夜は指先を白露に絡めた。握り返される指は優しく、柔らかく。
|白露《しらつゆ》の如く満ちては広がる|輝き《ひかり》を抱き、指輪の約束に想いを馳せる。それまでは毎日、ふたりで着けあうのだ。耳元と袖口の距離は、きっと普段より近くなる――。
●
薬も過ぎれば毒になる。医療に携わる者であれば誰でも知っているし、そうでなくとも過ぎたるは猶及ばざるが如しと言ったもの。身に覚えが多々あるからこそ現代まで伝わる諺はただの迷信なんかじゃない。|黛《まゆずみ》・|巳理《みこと》(深潭・h02486)もようくそれを理解していて、今回の患者は中々……否、かなり|度が過ぎて《・・・・・》いるとつい口元に手をやった。巳理の様子に考え中の癖が出てるなぁと|泉《いずみ》・|海瑠《かいる》(妖精丘の狂犬・h02485)から声を掛ける。
「巳理さん、難しいこと考え中? 古妖のお悩み相談も受け付ける予定?」
「うん? ああ……今回の治療法をな。満たされることを“旨み”と勘違いする……ある種の麻薬的な認識の違いと近しい。幸運を反転とは、”他人の不幸は蜜の味”と言われた方がまだ心理的には理解できる。ラッキーのオーバードーズ、有効策は幾つかあるとしてどこまで通用するか」
「大は小を兼ねたり、何事もあるに越したことはない、が効かないとなると厄介だよね。誰かから貰うものでもないと思うし……そんな安易に手に入れた“幸運”が、長続きするわけないのに……」
「神もまた、病んだ患者か……困ったものだな、まったく」
「そう言っても来るんだから巳理さんも相当お人好しだよ」
「患者は等しく救うものだ」
彼らは医療従事者。悩める者も病む者も、心と身体の痛みを和らげる仕事人。クリニックを訪れる患者とは毛色の違う相手、来ないなら此方から赴くまで。訪問診療は高くつく、運のお釣りは如何ほどか。
「あの星詠みの話から察するに、当該事案の神は『個』にして細かな対応ができるほどの器用さは持ち合わせてはいないだろう。それに関しては幸いと考えても良いか」
「あー……『大体皆こういうのが嬉しい・楽しい・大満足』セット? オレなら嫌だけどなぁ……汎用パッケージじゃなくて、フルオーダーの“幸せ”が欲しいってもんじゃない?」
「その様子だと泉くんのオーダー内容は決まってるようだ」
「…………うー……」
「泉くん?」
「秘密!」
分かってて聞いてるよね、と追及するのを海瑠はグっと堪えた。本当に見透かされていても全く的外れでも、どちらにしても恥ずかしい。立場で言えば雇用主と従業員、医師とその助手。それだけの関係の奥、目に見えない感情が二人の中には確かにある。ここで言葉にしなくても良い。ふっと静かに微笑むへび先生、患者に見せないプライベートの門戸を巳理は助手だけに開けている。その表情を見られるだけでも十分幸運なのだけど、当の|海瑠《本人》は自覚がない。
「私の推察はここまでにして。泉くん、何か気になるものはあるか。日頃、君の働きに私は救われている。少しばかり礼をさせてくれないか」
「え!? や、お礼するのは寧ろオレのほうだよ……!」
「私からの礼が嫌なら引き下がるが」
「や、えぇ……嫌ってわけじゃ、全然ないけど……じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……」
「では早速」
「あああ待って、オレも! オレも巳理さんに贈り物するから! 受け取ってね!」
互いに支え合っているのならお礼も当然お互いに。一方的な感謝も恩も、|過ぎれば《・・・・》重荷の貸しになってしまう。値打ちでなく気持ちの問題、言葉を尽くそうと感謝してもしきれないなら少しでも伝える努力は惜しまない!
妙に意気込む姿に癒され、巳理は手袋越しの手で海瑠の頭を撫でた。もし今の海瑠に尻尾があればぶんぶんと振っていただろうから。|good boy.《いい子》……|boy《子》? その辺は些末なことで、海瑠は驚きつつもどきどきと胸が高鳴り振り払うことはしなかった。それどころではなかった、が正しいか。
蚤の市を見て回り、この場に並ぶ欠けた全ては我々のようだと巳理は想う。誰しもどこか欠けていて、神ですら完全無欠でないのに。けれど巳理から見れば海瑠はもっと完璧に近いと――……まぁ、今言うことでもないかとそれは|無表情《ポーカーフェイス》の下に隠した。真横できょろきょろと珍しい品々を眺める海瑠の傍を離れず、牛歩の如くじっくりと。その分目は光らせて、ふと際立って見えたブローチを前に立ち止まる。
「なんか気になったのあった? 巳理さん」
「君の色を入れたいなと」
「えっ!?」
「……端折りすぎたな。ここにエメラルドをいれたらきっと君に似合うと考えた」
サファイアの花を咥えた鳩のブローチ。翼と嘴を形作るシェル素材は未だ虹色に光り輝くが、鳩は盲目、瞳に嵌っていたであろう宝石を欠落していた。
「ひゃっ……あっ、えと……い、いいの……?」
驚き、困惑、面映ゆさに海瑠の心は乱されてばかり。青い石は巳理の眼と同じ色。それに己の眼の色を合わせるなんて、まるで恋人のような……。そこまで考えて海瑠は頭を振って平静を保つ。いやいやそれはない! 流石にね!? 考えすぎだ……落ち着けオレ……! いつものことだ。絶対無自覚に決まってる。無自覚だから心臓に悪い。息を吐くのと同じ調子でそんな事しないでよと叫びたくなる。どこまで考えすぎなのか分からなくなってきた。
「勿論構わない。私から言い出したんだ」
「……でも……あっ、じゃ、じゃあ……対になってるこっちのブローチ! これ、オレから……プレゼント、したい……な……」
「うん? 君から、私に?」
「そう! 宝石もお揃いにしてさ。……どう、かな……?」
犬耳があったらきっと今頃ぺたんこになっている。エメラルド色した瞳で遠慮がちに頼みこまれ、巳理は無表情を貫いてしばし考えた。対のブローチは向かい合って、視線の先は花ではなく互いのようにも見える。考えすぎか?
「……君はそれでいい、のか? なら、喜んで」
照れたようにふわりと目元を綻ばせた巳理に、海瑠は数度瞬いては笑んだ。満面の、サファイアで出来た花より澄んだ晴れやかな笑顔。
「えへへ……よかった!」
「大切にしよう」
宝飾品はそれなりのお値段で売られていたが、セットで購入ということで少しばかり値引きしてもらえた。比翼に点睛を嵌め込めば、羽搏く姿は霓裳の如く。平和の象徴たる鳩が運ぶは幸運か。それとも災いを持ち去ってくれているのか。
願わくば、片一方だけ墜つことなんてないように――。