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 曇天の空が、窓ガラス越しに人のまばらな病院内へと鈍い光を落としている。
 タイルの剥げた床に、金属椅子が無造作に並び、壁掛け時計の秒針の音がやけに目立ち。消毒薬の匂いは薄れ、別の嫌な臭いが鼻先を掠めていく。
 老朽化の進む古びた武蔵野南病院の待合室の一角で、治療を待つ者達が呟く。
「また、亡くなったってさ。ずっと入院していた女の子、退院間近だって話だったのに急に……」
「ああ、だから、あの人、ずっと泣いてるのか。可哀そうに」
 荷物を取りに来たらしい母親は、泣きながら入院病棟を案内する文字を虚ろに見ている。
「それから、あの暴走車に轢かれたっていう男の人も死んだらしい……まだ若かったのにね」
「轢いた奴って、あの金持ちの爺さんだろ? 爺さんも頭から正面に突っ込んで、酷い状態で搬送されたっていうじゃねぇか」
「ここの医者じゃ、あれはもう助からないよ」
 ざわり、と電灯が一瞬明滅し。重苦しい空気が待合室に満ちる。
 その時だ、不意に飛び込んできた声が、場の空気を断ち切った。
「はっはっはっ、これでワシは自由じゃ! 素晴らしい」
 豪奢なスーツを着込んだ老人が、杖を大きく振りながら院内の奥から出てきた。禿頭の老人は、顔には異様な笑みを浮かべ、その目は異様にギラついている。
「もう杖もいらんな。貴様にやろう」
 待合室の視線を集めていることなど気にせず、不要になった杖を待合席の男に押し付け、まるで健康そのものといった様子で、正面玄関から外へと出ていった。
「嘘、だろ……あの状態から半日で……」
「足だって悪かったはずだ。信じられない」
 待合室が騒然となる中、廊下の奥より白衣を羽織った一人の少女が、感情の無い瞳で老人を見送り、密かに踵を返した。
 ――後は、覚醒し戻ってくるのを待つだけ。
 微かに漏れ聞こえた囁きは直ぐに喧騒に紛れ、誰もそれに反応する者はいなかったが、待合室にいる誰もが、背筋に微かな寒気を覚えるのであった。

 老朽化の進む、√EDENの武蔵野南病院。
 建て替えは何年も前から計画されていたが、資金難と外的要因によって放置され続けていた。
「そんな取り残された病院に奇妙な噂があるんです」
 扇を広げ、|煽《あおぎ》・舞(七変化妖小町・h02657)は、僅かに声を潜めた。
「何でも入院していた患者が次々と亡くなっており、亡くなると思われてた方が退院したそうです」
 しかも、退院したはずの患者に事情を聞こうとしても、ことごとく退院した患者が行方不明となっており、何もわからない状況らしい。
「中には、命の取引をしているんじゃないか、という噂も囁かれているようですね」
 更に病院には、膨大なインビシブルが集められているようで、夜中に浮かぶ人影を見たとか。白衣を羽織った少女が、死体を運んでいたとか、妙なことを言う入院患者も居るらしい。
「そこで皆さんには、入院患者として、この病院に潜り込み内部から様子を探って欲しいのです」
 まずは同じ病室の入院患者や病院関係者などに接触し、昼間の病院で情報を集めて欲しい。
「骨折など大きな怪我であれば、問題なく潜り込めると思いますが、毒を飲んだり演技力次第で、十分に入院は出来ると思います。後は誰に話を聞くか、院内のどこを探るかですね」
 ある程度情報が集まれば、この事件の全容も見えてくるかもしれない。
 その後、消灯後の病院で深夜の探索も行ってもらう。
「深夜の病院って少し肝試しみたいですが、これも事件を解決する為です」
 十分に周囲に警戒し、ベットを抜け出してほしい。場合によっては、この噂を引き起こしている原因に遭遇する可能性もあるだろう。
 その時は、その場の判断でどう対処するか決めて欲しい。
「きっと、皆さんなら大丈夫です。この病院で何が起こっているのか、事件の真相に辿り着き、解決してくれると信じています」
 そう言って、舞は扇を閉じるのであった。

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第1章 日常 『入院患者として入院する』


如月・縁
ガラティン・ブルーセ
野分・時雨
矢神・霊菜

●古い病棟
 まだ病院の受付も開いていない、夜明けの夜間診療窓口に一人の女性が近づいていく。
「……っあ〜、ちょっと気分が悪くて……」
 酔ったような足取りで、|如月《きさらぎ》・|縁 《ゆかり》(不眠的酒精女神・h06356)はドアを押し開けた。頬を赤く染めているのは、少し前に浴びるほど喉を通した数々のお酒のせいか、それとも演技の一部か。片方の手に持つグラスには僅かにワインが残っているが、中身はほぼ空。
 吐息は甘く、呂律はわざと曖昧に。受付に近づくと、わざとふらりとよろけて、夜勤の看護スタッフの腕に寄りかかるように倒れかかる。
 迫真の演技だ。
「大丈夫ですか? お名前、言えますか?」
 駆け寄った女性看護師が慌てて支える。
「ええっと、たしか……」
 縁はあえて曖昧に言いながら、楽しそうに手を顔の前でくるくる回して、わざと反応を遅らせる。
 なんせ、一度やってみたかった、|急性アルコール中毒《(※注:演技)》酔いどれの成れの果て!
 これは、チャンスと楽しそうな気分が駄々洩れで、余計に演技に真実味が増したとも言える。
 縁は曖昧に緩やかな笑みを浮かべるなか、緊急性が高いと思ったのだろう。スタッフはすぐに対応を始め、点滴室へと案内し入院の手配を整えていくのであった。
 程なくして、朝となり病院の営業が始まる。
「病院に入院して潜入〜健康体なガランちゃんには、あまり縁遠い場所ではありますが〜」
 元気いっぱいな青少年らしく、ガラティン・ブルーセ(贖罪の・h06708)は、病院のロビーで左腕をわざとぎこちなく揺らし庇いながら、大げさに歩いてくる。
 目を引かれた看護師が、心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか? 手を怪我されたんですか?」
「んー……大丈夫っすよ、ちょっとだけ骨がボキッといっちゃっただけっすから」
「そんな笑い事じゃありませんよ。動かさないで!」
 看護師が血相を変えるのも無理ない。
 ガラティンは、あっけらかんとしているが腕の骨は本当に折れているのだ。
「どこでこんな怪我を?」
「階段っすよ、階段! いやー、つるっとね! これくらいで済んで、ありがたいっすねぇ」
 満面の笑顔で適当に返すガラティンに、看護師が困惑するのも無理ない。普通の人であれば、痛みでまともに動けないぐらい見事に折れている。
 もしかすると他にも打っている場所があるんではないかと、検査の為一時的にベットへとガラティンは案内されるのであった。
 同じ頃、一台の救急車が怪我人を乗せ病院へと到着する。
 慌ただしく、救急車からスタッフたちが飛び出してくるその中心で、可憐な少女――プリンセスに『|風狂無頼猛牛《テンペスト》』の力で変身した、|野分《のわけ》・|時雨《しぐれ》(初嵐・h00536)がストレッチャーに横たわり、搬入されていく。
「10代女性、顔面陥没骨折疑い、下腿骨骨折、出血性ショックの可能性高いです!」
 若い救命医が叫ぶ。
「……っ、う……うぅ……」
 かすかに時雨が呻いた。その演技は見事なもので、搬送スタッフたちの誰もが彼の「傷ついた少女」像に疑いを持たなかった。
 何せ潜入するために、手近な石で顔をボコボコに、身目が大事とついでに足の骨を折るという徹底ぶり。
「……顔面は打撲痕多数。頬骨にも陥没の疑いあり。右下腿、変形……骨折か。かなり強い衝撃だな。原因は……?」
「暴力を受けた形跡に見えます。家庭内の可能性も……」
 分からないと首を横に振りながら看護師が声を潜め、医師に言う。
 すると医師はまさかと眉をひそめ、確認すると処置をしながら時雨に声をかけた。
「君、どうしてこんなケガを? 事故? 誰かにやられたのか?」
 すると時雨は、弱々しく首を横に振り、掠れた声で答える。
「……今日は……親がいないので……泊まれるなら、ありがたいです……」
 一瞬、医師の表情が硬直した。これは、逃げてきたのか? 家庭内で何かが……。
「わかった。今夜はここで休もう。足の処置があるから、そのまま入院になる。安心するんだ」
 そう、柔らかい声音で時雨に言うと看護師に密かに耳打ちする。
「念のため、児相経由で警察にも連絡を。自己申告は曖昧だが、保護対象の可能性が高い」
「了解しました。入院手続きとあわせて、すぐ手配します」
 少し不安そうに、「ぼく入院するの初めてでございます」と連れていかれる時雨の姿を、医師は心配そうに見守りながら次の外来にとカルテを切り替えた。
 看護師に名前を呼ばれ診察室に入ってきたのは、|矢神《やかみ》・|霊菜《れいな》(氷華・h00124)だ。庇っていた両手を覆う布が解かれれば、それは大火傷でもおったかのような酷い凍傷で。
「すみません……冷凍倉庫で作業中にトラブルがあって……手が、ひどい凍傷で……」
 演技をするまでもなく、医者と看護師が目を丸くし処置と数日の入院手配が手早く進められ、見事、彼女は入院するのであった。
「|氷翼漣璃《ひよくれんり》、今回はちょっと無理を言って嫌なことをさせたけど、完璧な演出だったわ」
 病室へと通された霊菜は、密かに2羽の鷹の神霊に感謝とお詫びを伝え病室の中を見回す。
「病院での事件……ね。穏やかな話じゃないわ……」
 さて、どこから聞き始めようと思っていれば、先にベットで休んでいた縁と目が合う。
 点滴を受けながら、こっちは気にしないでと手をひらひらとさせ合図すると縁は、様子を見に来た看護師に、軽く声をかける。
「ねえ、最近、この病院、何か変な噂とか、聞かない?」
「え? 変な噂って……何か聞いたんですか、あまり詳しくはないですよ……」
 まだ酔いの残る口調のせいか、看護師はあまり気にせず、一瞬きょとんとしながらも答えてくる。
 縁は肩をすくめて、さらに聞きやすい雰囲気を作るために笑顔を見せた。
「だって、ここって、なんだか変なことが多くない?」
「まあ、うちの病院は古いですから、色々あるかもしれませんね」
「ふーん。でも、飲みすぎたのかしら、変な白衣の子をみたのよね……あなたよりもっと若い……」
「そうなんですか? でも、それならきっと見間違いですよ。ここでは私が一番若いですし、インターンの子とかもいないんで」
 そう言う看護師の女性は、確かに見るからに新卒というか若い。
 点滴を縁は指で軽く押しながら、思わずぼんやりしてれば、若い看護師は辺りを気にしながら、声を潜めて言う。
「……それに、確かに気味が悪いことはあるのよね。実は急に亡くなった患者さんのことを調べるって、大量の血が抜かれたのよ。死因を調べるって言って……でも、その血液消えたのよ。気が付いたらどこにもなくて……」
 縁は興味津々に頷きながら、「それって、誰に頼まれたのかしら?」と聞くと、不思議そうに若い看護師は首を傾げた。
「あれ……おかしいですね。誰かに頼まれた記憶はあるんですけど……誰だったかしら……」
「へぇー……」
 誰に頼まれたか覚えていないんだと、縁は興味深げに頷いた。
 看護師に支えられながら廊下を通りがかった時雨は、少し不安そうな表情を見せる。
 内心では白衣の看護師に「浪漫ある」と、思っていたりもするが演技上それを知られるわけにはいかない。
 大変な状態だった顔や足もすっかり処置され、時雨は車椅子を押してもらっているとこだ。
「……怪我、すぐに治るかな。ちょっとの怪我でも、死んじゃう人、いるんでしょう?」
 ぽつりと呟いたその声に、看護師さんが一瞬だけ息をのむ。
「……そうね。でも、あなたの傷は大丈夫よ。きっと、良くなるわ」
「ほんとに?」
 不安そうに見上げると、看護師さんは過った不安を振り払い笑ってみせた。
「でも、何か怖い話が聞こえるし……病院ってちょっと怖くて…...夜にお化けとか出ない? 出るなら、遠い部屋が良いなぁ」
「大丈夫よ、お化けなんて出ないから」
 安心させるよう看護師は取り繕うが、不意に男の子の声が割り込んでくる。
「俺、見たよ」
 時雨と同じくらいの中学生くらいの少年が、こちらをじっと見ていた。
「……何を?」
 不安そうに時雨が言えば、少し慌てた様子をみせながらも少年は続ける。
「夜中にさ……廊下、なんか飛んでた。ばっさって。黒くてでかいやつ。血、ついてたような気もして……」
「血……? やだな、怖い。どこにでるの?」
「し、下の階……子どもが泣く声も聞こえるんだ。でも、夜に下に子供なんかが居るわけないんだ……それから白衣のお姉ちゃん制服着たまま白衣着てたんだ」
 少年は自分の話を聞いてもらえ、夢中になって喋っていたが、直ぐに女の子を怖がらせないのと、看護師に止められ自分の部屋へと追い返されていった。
 そんなやり取りを聞きながら、霊菜は患者たちの集まるデイルームへと向かった。
 本や新聞を読んだり、簡単なゲームや囲碁に興じたり、のんびりした空気が漂う中に、霊菜は自然な笑顔で溶け込んだ。
「さっきの話、気になったんですけど、大怪我だった人が元気になって退院したとか、
なんでも足が悪かったのに杖が必要なくなったって……」
 噂話をしていた老婦人や初老の男性は、そうなんだよと霊菜を歓迎し、話を続ける。
「昨日運ばれてきた金満の爺さん。あの人、翌朝には元気になって退院してったんだ。スタスタ歩いてさ。杖もいらねぇって、派手なスーツ着て、笑って帰ってってさ……」
「そんな……治療がすごかったってことですか?」
 思わず霊菜は身を乗り出す。
「さあな、もう一人同じ日に運ばれてきた兄ちゃんも居たんだけど、そっちは何故か助からなかったらしい。俺が思うに、あのじいさん、命を買ったんじゃねーか。急に医師が変わったらしくてさ……」
 不自然な話に、霊菜の胸の中で好奇心が高まる。その瞬間だった。
「……またその話ですか」
 静かな声が背後から届く。振り返ると、白衣を着た若い男性医師が、不機嫌そうに立っていた。しまったという顔で、患者たちは口をつぐみ顔を逸らす。
「言っておきますが、私のせいじゃありませんよ。私は無理やり途中で担当を交代させられたんです」
「交代……?」
「もともと、事故で運ばれた青年の担当だったんです。処置も殆ど終わり安定していたのに、急に担当を変えるなんて……しかも、あんなことに。私が最後まで看ていれば助けられたはずだ……」
 後半は自分自身に語るかのように小声であったが、どうやら医師にも原因は分からないようで。霊菜は視線を逸らさず、医師の言葉に耳を傾けた。
「しかも、金満さんの担当にさせられたが、私は何もすることがなかったんだ……もう、処置は終わっていて……何が起こっているのか、私の方が知りたいくらいだよ」
 そう言うと、医師は苦い表情のまま、デイルームを去っていき。
 その場に残された患者たちは、互いに顔を見合わせ、そして再び別の噂話に花を咲かせ始めた。
 近くのスタッフステーションの前で館内図を確認し『院内探検』を始めていたガラティンは、聞こえてくる看護師たちの声に耳を傾けていた。
 ヒソヒソヒソ……。
「見間違いじゃないと思うの。あの患者さん、たしかに退院したはずなのに」
「気のせいじゃないの?」
「見間違えるわけないわよ? お金持ちのご子息でね、若い子にセクハラばっかりしてたから印象強かったのよ。彼が、いたのよ。昨日、地下階段の入り口前に……」
「でもさ、退院したってカルテには記録があるのよ。それなのに、姿を見かけたっておかしくない?」
「それに、他にも見たのよ、退院したはずの患者さんを、また病棟で……」
「わかる、私も見たかも」
 周囲の看護師も頷きあい、妙な空気が流れたところで、ガラティンは軽く肩をすくめ、探検を再開した。
 元々病院の空気は妙に静かで、元気なガラティンにとってこの場は退屈すぎる。
「元気と危篤な方が入れ替わる……みたいなお噂でしたっけ、死神とでも取引なんて? しかも戻ってきてるのか……」
 始めこそ「入院、成功! 入院患者は初めてガランちゃん〜」と楽しんでいたが、じっとしてるのは性に合わない。
 点滴の管をつけられた腕をぷらぷらと振りながら、ガラティンは思うまま病院内を歩き回った。
「どんな病院でもICUみたいなのは有りそうですし、死臭漂いそうなフロアを重点的に……死神さんとでもお話できたら面白いっすけどねぇ」
 そんな風に歩きまわって、救急搬送の出入口付近や手術室、そういったものを覗いて最中、目立たないよう歩き回っていると、泣きじゃくりながら、立ち尽くす女の子が視界に入り、足を止めた。
 足がない、分かりやすい幽霊だ。
「おーい、どうしたっすか?」
 子供は声をかけられると思っていなかったのだろう。驚いた様子で顔を上げた。
「お姉ちゃんが、どこかに行っちゃったんだ……おうちに帰りたかったのに」
 しばらく話を聞くうち、少女の口から奇妙な単語が飛び出す。
「……白衣を着た高校生のお姉ちゃんが、こっちだって、連れてってくれて……でも……でも、化け物に……」
 少女は何か思い出したように怯え、震えて。ガラティンの表情が、次第に真剣さを帯びていく。
「地下が、怖いのか……」
 地下にあるのは、処置室に霊安室、倉庫などと、後は封鎖された別棟の臨時処置室。ガラティンの中で、一つの線が繋がる。
「そっか、そっか」ガラティンは無意識に優しく手を伸ばし、その子の背中を軽くトントンと叩く。
「でも、もうすぐおうちに帰れるっすよ。それに、なんかあったら言ってね。俺が助けてあげるっすから」
 解決したら、彼女の魂も行きたい場所へいけるのだろうか。
 さすがに、患者が一人で地下に降りていくには不審過ぎる。踏み入るのならば夜になってからだろう。

 ――この病院、何かが、おかしい。

 ほんの少し聞き集めただけでも、それは明らかだ。
 だが、どうやらはっきりしたことは病院関係者も知らないようで、何かが密かに潜伏していることは確かだろう。
「人体実験とかしてたら、面白いっすけどねぇ……」
「違うとも言えないわね。怪しいもの」
 デイルームの片隅で、ガラティンに縁が溜息を零した。
「それにお爺さんの回復力も信じられない。まさか√能力者だったとか」
「だったら、怪我もしなかったのでは?」
 霊菜の言葉に時雨は考えるように唸った。
「それから白衣の女性」
「病院関係者じゃないようね。誰も知らなかったようだし」
 しかも学生服姿に白衣を羽織っていたという。
「インビシブルも居そうっす。たぶん、地下に……」
 この武蔵野南病院に起こっている事態を知る為には、地下へ行くしかないだろう。
 全ては今夜。そう確認し合うと、√能力者たちは各自のベッドへと戻っていくのであった。

第2章 集団戦 『EGO』


● 夜
 静寂を裏切るように、誰も使っていない旧棟の地下がざわめいていた。
 天井の配管から垂れる水音が、湿った床を叩く。
 そこへ、一人の男が姿を現した。
「本当に素晴らしい……この力、この身体……!」
 金満。豪奢なスーツに身を包んだ老人。
 かつて大怪我を負い、命すら危うい状態だったはずの男が、まるで若返ったように生き生きと歩いていた。
 彼は笑う。異様なほどの笑みで。
「約束通り、貴様の主の話とやらを聞いてやろう。金を出してやるかは、それからだ」
 そう言って彼が声を向けるのは、地下の闇に佇む白い影――白衣の少女。
 年の頃は高校生ぐらいで制服を着ており、長い髪の少女だが、その顔は無だった。
「あなたが力を手にしたか、試させてもらう……」
 彼女がそう言った途端、闇に紛れて蠢いていた『EGO』がその牙を剥く。
『よこせ! 力……奪えば、我らにも……!』
『なんで、俺が死ななきゃ……あぁっ!』
『帰りたい……何で、こんなことに……」
 悲しみの声と共に、彼らはただ蠢く。何かを求めるように。何かを奪うように。
 大きな目玉で獲物を見るように金満を睨み。
「貴様ら、私が誰か分かって……ッ!」
 だが、EGOに理屈は通じない。ただ妄執に突き動かされて。
 少女はその場に背を向けた。
「……おい、お前は味方ではなかったのか!? この力を得るため、私は……ッ!」
 少女は、ふっと目を細めた。まるで、今初めて金満を観察し直すように。
「生きていたら、もう一度話し合いましょう……」
 今度こそ完全に少女は背を向け、EGOの群れが金満へと襲いかかろうとしていた――。

 この事態を止めるべく、√能力者たちはベッドを抜け出し地下へと急ぐ。
 今回の騒動を引き起こしたと思われる少女は、更に地下奥へと消えていく。この病院で騒動を起こしたのは彼女だろう。
 だが、彼女を追えば金満もこの場から立ち去り、逃げてしまうのは間違いない。本当の意味で彼を救済したいと思うなら、彼を捕え心を入れ替えさせる必要もあるかもしれない。
 少女を追うか、金満を救済するか。考えておく必要があるだろう。
 だが、まずは地下で暴れる『EGO』を撃退しよう。
如月・縁
ガラティン・ブルーセ
野分・時雨
緇・カナト
矢神・霊菜

●失楽の屍
 消毒液の臭いが漂う深夜の病院。その静寂を破るように、複数の足音が階段を下って。ベッドを抜け出した√能力者たちは、無言のまま地下へと降りていった。
 濁った闇を裂くようにして、彼らは階段を抜け、地下へと辿り着く。湿った空気と剥がれた壁の染み、断続的に点滅する蛍光灯が、まるで亡霊のように訪問者を迎えていた。
 そして、複数のギョロリとした目が、音もなく彼らを振り返る。
「あ。噂の白衣の女の子」
 誰よりも先に声を上げたのは、先を行ってた|如月《きさらぎ》・|縁《ゆかり》(不眠的酒精女神・h06356)だった。ピンクの髪をゆるやかに揺らし、その場を一望する。
 正面には、大きな卵のような生体『EGO』が無数の翼を広げ、不安定にのたうち回る。
 その奥、狂気と欲望の塊と化した無数の『EGO』の向こうを、ひとりの少女が白衣の裾を揺らしながら静かに歩いていく。
 背は小さく華奢でありながら、なぜか目を離せない、異様な存在感を放っていた。
 纏っている白衣はわずかに大きく、袖口が余って細い腕を隠し、裾も歩みのたびに軽く揺れる。
 それは明らかに彼女に支給されたものではなく、その辺りから適当に奪って羽織っているのだろう。その背は小さく、しかし異様な存在感があった。
 けれど今、目の前で悲鳴を上げているのは別の存在。
「た、助け――誰かッ……!」
 派手なスーツ姿の男、金満が床に尻餅をつき、後退りながらEGOの群れに追い詰められていた。顔は脂汗にまみれ、手は震え、声も裏返っている。
 彼を囲うように、複数のEGOが大口を開け、奥から目玉をギョロつかせ、体を震わせている。まるで彼の欲と能力を喰らおうとしているかのようだった。
 その様子に、縁は肩をすくめて苦笑する。
「うふふ……白衣の女の子を追いたいところなんですが、ゴーヨクなおじさまを救済する気はありませんが。まあ、これもお仕事ですし仕方ないですね」
 それにちょっと締め上げれば、手っ取り早くお話してくれそうだ。
 銀の瞳を瞬かせ、ガラティン・ブルーセ(贖罪の・h06708)は目を細めた。
「まずは、目の前の問題からでしょう。アレが噂の、死神的な……目玉みたいな鳥がうじゃっとしていますね。彼がどうなろうと、知ったことではありませんが、この実態を聞き出す手がかりくらいにはなるっすねぇ」
「類似事件の依頼も来ていますし……ええ、現時点では、少々情報が足りませんし……」
 縁の笑顔の奥には、冷たい計算が光る。
 〈|酒精女神の槍《アテナ》〉を手元に出現させ、煌めくその穂先が地を照らし、周囲の空気を震わせた。
「では、始めましょうか。お掃除を」
 その一言を合図に|矢神《やかみ》・|霊菜《れいな》(氷華・h00124)が静かに歩み出る。
「助けるのは癪だけど、見捨てるのはもっと嫌で、ちょっと複雑だわ。だから、生きていたかったら、後ろでじっとしていてちょうだい」
 凍てつくような空気が彼女の周囲を包み、刃の冷気が目に見えるほどに立ち昇る。
『あぁ……代われよ……オレの代わりに、お前が消えろ……! うぁぁぁぁ……』
『どうして、オレだけ。どうして、お前なんだぁ! お前が俺をひいたせいで!!』
『帰して、おうちに帰して……』
 縁と霊菜の力に、新たな√能力者に気づいたEGOが、嫉妬にまみれたよう牙を剥き叫ぶ。
 その声は男性であり、女性であり、少年であり、少女であった。
「酷い……みんな、ここで死んだ人なの? 病院なんて『何かを欠落した人間』が集まりやすい場所だけど……」
 まさか意図して√能力者を生み出そうとしているのか、そして彼らは――。
 家に帰りたい。どうして死んだのか。何でこんなことに。
 いくつもの嘆きが妄執のように、『2ONE』溢れて。【イマーシブルエッグ】が周囲へといくつも放出され、煙幕弾のように着弾し彼らの病が広がっていく。
「……何のために。こんなこと……凍えて動けなくなるまで、少しだけ我慢してて。全部……あなたの悪運も止めてあげる」
 握った霊菜の拳の中で、爪が強く掌に食い込み。やがて高まった冷気に染まる。
「生き残りたいなら、黙ってそこに座ってなさい。自分の身くらい、護れるのでしょう……」
 刃のように冷たい言葉を金満に投げかけ、そのまま広がる病を『氷宴の舞』で切り刻み。
 白衣の少女の気配が闇の向こうへと消えていくまでの間、戦いの幕が静かに上がろうとしていた。

 悲鳴を上げるEGOの声に、影の獣の群れが階段を降りてくる。
「えーと、深夜巡回で~す。後輩クンに、演技ぢからがあったとは知らなんだ……」
 ゾロゾロと|千疋狼《オクリオオカミ》を引き連れ、緇・カナト(hellhound・h02325)が合流すれば、おはよと|野分《のわけ》・|時雨《しぐれ》(初嵐・h00536)が視線を送る。
「病院嫌いわんちゃん、お見舞いどうも。果物は?」
「入院のお見舞いに、メロンの差し入れだよ~」
 そう言いながら、昏い月夜に御用心と、彼の周囲から影の狼たちは駆けだす。
「ぼくスイカ大好きなんだけどな......メロンか。ギリ許す」
 抜き放った曲刀を大きく振るい、
「まずはこの卵.…..鳥.....?. を相手しましょう。卵といえば、叩き潰しだと思うのですが! 残念ながら鈍器は手持ちにないんだよね」
 大きく開けられたEGO口内の目玉と視線が合えば、お口のなかにおめめがと。
「見られるの不快。潰しておきましょう。お口開けて!」
 振り返りざまに軽口を叩きながら、一閃に臥した。
「でも、どうしようか。ご長寿の考え変えるの難しいかと。黒幕さん追いかけた方が早そう……」
 そう難しいところだと考えながら、時雨は端で小さくなっている金満を眺め、EGOへ|白驟雨《ハクシュウウ》をの霊力弾を降らせる。
「おっ……随分と数が多いですね。けど、数なんて関係ないな。狭いところ申し訳ありませんが、どんどん割っていきますよ。あ、わんちゃん、変な卵に噛み付かないよう気をつけなよ。絶対不味いよ」
「……影だし噛みつき食らっても問題ないデショ」
 軽く言葉を交わしながら、カナトは片手に精霊銃を、もう片方に手斧を持ち、影の狼と共に斬り込んでいく。
『お前たちの……力! よこせ……! 力……全部……生き返られる……』
『こんなはずじゃなかった……! 俺は、俺だって……なんで、あのじじいだけ……!』
『チカラが欲しいんだ……お前の、全部を喰えば、なれるんだよォ……!』
 叫びと共に、巨大な目玉の化け物がギチギチと羽音を立てて迫る。
 闇に光る眼のそのひとつひとつが、元は人だった命の名残。彼らは今、形を持たぬ欲望の化け物となり果てた。
『お前のせいだぁ! 何でお前が生きている!!」
 物凄い執念の叫びと共に、一体のEGOの羽が極彩色に輝く。
 縁は笑みを浮かべたまま天に掲げた槍は、すぐさま【宝赤の竜爪弓】へと変形し、番えられた幻想の毒矢が光の尾を引いて放たれた。
 矢は正確に目玉に突き刺さり、甲高い悲鳴があがる。
「こっちを見て。楽にしてあげる」
 せめて一思いにと縁の放った「|射止《アルク》が、目玉を貫き、氷が奔る。
「無駄に煌びやかな羽根ね。氷の方が冷たくて綺麗よ?」
 ガラティンはその横で、凍った個体を狙い、煌剣を振るいながら大きく踏み込み。
【虹端煌々】の名のもとに一閃――氷柱ごと“EGO”を粉砕した。血と硝煙の香りに混じって、彼は笑みを浮かべる。
「せめてその妄執、安らかに……|煌剣抜剣!《エクスカリバー・ガラティン》 喰らいやがりませ…!
「……それでは、贖いと参りましょうか。」
 極彩色を巻き込みながら、腰を抜かしたような金満の様子に眉をひそめた。
「わ、わしは殺してない! 知らんぞ! ……あ、あいつらが、金を出せば死なない身体にしてやるって言ったんじゃ! 本当だ! わしはただ、それに乗っただけで――!」
 這うように立ち上がりながら、金満が、呻くような声で言った。
 さて、よくある世の中の話ですが。ガラティンは冷ややかな眼差しを向け、続ける。
「命ってさ、お金で買えちゃうこともあるけど、その買われた命の扱いって……誰のモンなんでしょうねぇ? ねぇ、どうします?」
「金なら、ある! いくらでも出してやる!」
「……ねぇ、成り金の満サン? どうしたいです? 助けてほしいですか、 助かりたいんですか?」
「配下にでも何でもなってやるから、わしを助けるんだ!」
 そこまで言うと、ガラティンは一息ついて。飛び回るEGOを叩き落す。
「満サンの出せるお支払いって、まさかお金だけ? もし、ぼくらが『お金いらな〜い』って言って、ポイッて見捨てたら……どうします〜?」
「見捨てるだと!? このわしを!? その口を二度ときけんようにしてやろうか……!」
「ええ、私たちは慈善事業じゃありませんが――救う価値があるかどうかくらい、見極める目は持っているつもりですの」
 だから、大人しくしててくださいと縁が笑って肩をすくめた。
 まあ、本当に√能力者になっているのなら、余程のことがない限り金満が死ぬことは無いだろう。
「いくら欲しい? 十億か!? 百億か!? ひいッ!!」
『ああ……喰えばいい……裂けばいい……奪えば……! 奪えば……!』
『チカラチカラチカラチカラァアアアアアアア!!』
『助けて……ママ……あぁぁ!』
 金満の声に煽られたか、EGOは
「ピカピカ極彩色で、鬱陶しさ倍増だよ……」
 手近なEGOの羽を手斧で斬り落とし、狼が溢れる。
「エゴねぇ……自我や自尊心やら。生き延びたかった果ての姿が、そんなモンでは救われもしないだろうに……オレが、未練残さず死なせてあげるよ……」
 もはや、元の姿などEGOと化した異形からは、想像つかない。
 カナトは静かに影の獣達と、爪牙の狩りで追いたてて。霊菜は舞うように凍れる斬撃を飛ばした。
 だがその息の根を止める瞬間、見えた気がした。小さな女の子が、悲しげに微笑んで「ありがとう」と呟いたことを。
 全てのEGOを倒し、静けさが戻ったのも束の間、ふとガラティンの眉がわずかに動く。
「……あれ?」
 彼が指差した先。そこには、先ほどまでいたはずの金満の姿がなかった。
「逃げたな……怖くなって、一人で」
 残された闇の奥、白衣の少女の姿も消えていた。しかし、こちらはまだ追える。
 霊菜が凛とした声で告げる。
「黒幕を逃す手はないわ。行くわよ」
 時雨とカナトが視線を交わし、すぐに駆け出す。
 √能力者たちは、夜の静寂に包まれた病院の奥へと足音を響かせる。
 縁が肩をすくめ、小さく溜息をついた。
「……どうも、この事件、一枚岩じゃない気がしますね。本当は、あのおじさまにもいくつか聞きたいことがあったのですが……まあ、逃げてしまったなら仕方ありません」
 そして彼らは、それぞれの決意を胸に、更に奥へ。病院の地下を駆け抜けていった。

第3章 ボス戦 『葛城・リサ』


●地下駐車場
 白衣を羽織った少女――『葛城・リサ』は、冷たい足音を響かせながら地下駐車場の奥へと姿を現した。薄暗い照明の下、その表情に揺らぎはない。
「誤算でした。ですが、収穫がなかったわけではありません」
 金満を救い出した時は、資金源として利用できると踏んでいた。だが、途中で割り込んできた者たちに台無しにされた。想定より早く騒動に気づいた者がいたようだが、覚醒者の一部が既に合流を始めている。
「戻っていない者もいますが……潮時でしょう。他も動いていますし、無理は禁物です」
 そう呟いたその時、背後から誰かの足音が駆けてくる。
 リサは一歩前へ出て、宙をなぞるように指を払う。空間が一瞬だけ歪み、そこから抜き身の刀が形を成して出現する。冷たく、鋭い光。
 もうこれは要らないと、邪魔な白衣を脱ぎ捨て、静かに刀を構え前方を見据える。
 その目には静かな警戒。まるで、これ以上深入りさせてはならないとでも言いたげな色が宿っている。
 全てが繋がれば、辿り着かれてしまうかもしれない。
「こちらも、余計な詮索は困ります。察しているなら、なおさら」
 その一太刀は、ただの迎撃ではなかった。
 知られた以上、生かしてはおけない。静かで確かな“排除”の意志が、そこにあった。
如月・縁
矢神・霊菜
ガラティン・ブルーセ
緇・カナト
野分・時雨

●不在の王と方程式
 地下駐車場の冷たいコンクリ壁を、蛍光灯の灯りが弱々しく照らす。
「あらら、白衣もお似合いでしたのに……見て、カナトさん。お姉さんだよ。ラッキー」
 茶色の髪に金の瞳を輝かせ、|野分《のわけ》・|時雨《しぐれ》(初嵐・h00536)
が、からかうように微笑む。
「ねぇねぇ、次かわい子ちゃんに化けるなら、こんな美人目指そうかな!」
「お前は……入院してたプリンセスは、美人なり女性の扱い反省しておけ!」
 仕方なさそうな溜息と共に、緇・カナト(hellhound・h02325)は軽く時雨を小突き、『葛城・リサ』へと視線を向けた。
「√能力者とやらは、欠落を経て発生するんだったか。例えば、病院で意図的に人工的に……」
 獣の本能がざわつくような悪意の匂いに、奥歯を噛み締め。飢えた獣が目の前の獲物に集中するように、彼の声も低く鋭さを帯びる。
「胸クソわるいこと考えるヤツがいたもんだ……何処の世界でも」
 その手には、油断なく三叉戟トリアイナが握られている。
 彼の横を、二羽一対の氷鳥〈氷翼漣璃〉が静かに羽ばたき、音もなく宙を通り抜けると、次の瞬間にはリサの背後へと滑り込み、鈍く光るコンクリートの床に、氷の羽根が舞い降り退路を塞ぐ。
 青い瞳に冷光を映し、|矢神《やかみ》・|霊菜《れいな》(氷華・h00124)
が、金糸の長い髪を揺らし静かに口を開く。
「他の病院に対応した人達から新興宗教が絡んでるって報告が上がってるのよ。宗教がらみって碌なことが無いわよね」
 リサと距離を詰め、慎重に様子を観察――【第六感】と【情報収集】で視線の揺れなどつぶさに逃さない。
「少し話をしましょうか。貴女が黒幕かと思ったけど、単なる手駒だったのね? 大切な部下なら、死なないとわかっててもこんな所に行けって言うかしら」
 リサは瞬きひとつ。
「……新興宗教。新たな力を得て、支配域を広げるという構造であれば……そう分類されるのも妥当でしょう」
 銀糸のような髪が静かに揺れる。感情の抑揚は乏しく、しかしその声には妙な説得力があった。
「貴女達が仕える教祖は√能力者を作って何をしようとしてるのかしら? 不死者の軍団……この楽園で戦争でも起こす気?」
 それとも、配下には何も教える価値がないってことかしらと。
「私は、捕獲支援用の少女人形。命令には忠実に従います。……多少の手順違いがあっても、再調整は可能。計画における配置や任務の意図までは知らなくても……実行に支障はありません」
「きっと、この騒動は何かの大きなプロジェクトなんでしょうね」
 緩やかに髪を揺らし、|如月《きさらぎ》・|縁《ゆかり》(不眠的酒精女神・h06356)は、|酒精女神の槍《アテナ》を手に微笑む。
「もしも、√能力者を人工的に生み出せるなんて本当なら大変。それに、EGOみたいな……あんな悲しいモノを生み出すのは止めなくちゃいけないわ」
 ――刃が鳴る。
「……策は堅実に。慎重に。倒すのではなく、確保。それが命令ですから」
 リサはこれ以上話すことはないと、一歩踏み込む。
「成り金満サンは逃げたっすけど、自己顕示欲も強そうな方でしたし、其のうち何処かしらで尻尾掴めそうな気も~?」
 言いたいことは言ったしと、ガラティン・ブルーセ(贖罪の・h06708)は煌剣を手に構える。
「ガラティンの名の下に、悪者は退治しないといけないんですよぅ。お仕事なのでね」
「排除します」
「|煌剣《Galatyn》抜剣! 喰らいやがりませ……!」
 ギラリと|虹端煌々《エクスカリバー・ガラティン》が颯爽と滑り、蒼白い霊力を纏ったリサは、獲物を狩る隼の如し速さで√能力者達へと突っ込んでくる。
 刃がぶつかり合い、銀青の火花が弾けた。
「大切な部下なら、死なないとわかっててもこんな所に行けとは言わないものよ!」
 そう霊菜は言い放ったが、リサの瞳は揺れない。
 これ以上は何を言っても、答えは返ってこないだろう。
「氷翼漣璃、行くよ!」
 回り込ませていた氷翼漣璃に声をかけ、霊菜は|神霊共撃《イツモイッショ》で懐に飛び込みリサの四肢を狙う。
 畳みかける三連撃を受けるも、リサは人形だけあって寒さに怯んだ様子はない。滑る速さで駆け抜け、リサが通り抜けた後に被弾した攻撃が辺りに冷気を広げ、地下駐車場を満たしていく。
 冷気を蹴り、刀を振るうリサの頬を槍が掠めた。
「一緒に踊りますか?」
 微笑みは穏やかに、だが繰り出す槍は鋭く|舞踏環《ワルツ》にのせて。
「綺麗な刀ですね。これだけの洗練された技をだせるあなたの黒幕って、誰なのかしら」
 大きく弧を描く槍が、刀を弾き槍と共に踏み込みリサを巻き込むが、リサは車体を踏み台に跳躍した。
「変成せよ、変生せよ」
 その声と共に、空気がざわめく。
 カナトの姿が揺らぎ、茶色の髪が風に舞った次の瞬間、灰狐狼の毛皮がその身を包み|狂人狼《ウールヴヘジン》に。
 リサへと追いすがる速さで、地下の空間を駆け、三叉戟を閃かす。
「オマエの目論見は、潰させてもらうさ」
 瞬間、カナトの身体が風を切った。空間を裂いて突進する姿が、まるで飢えた獣そのもの。
 同じくリサも動く。
「――刺突閃・隼」
 その声とともに、風のような影が一閃する。蒼白の光を纏ったリサの刃が、音すら置き去りにしてカナトへ突き立てられる。鋼を突き破る勢いのまま、加速した剣撃と三叉戟がぶつかり合う。
「さすがに速ェな……!」
 カナトの三叉戟が先んじて相手の肩口を裂いた瞬間、リサの鋭利な刃もまたカナトの左肩に突き刺さっていた。肉を抉り、血が舞う。
 二人の影が交差する。打撃音とも断裂音ともつかぬ音が響いた次の瞬間、肩を貫かれたままのカナトが、口端を吊り上げた。
 リサは大きく刀を振り上げ、迫るガラティンの獲物を見ていたが余所見をさせない。
 三叉戟の先端をくるりと回して構え直したカナトの姿は、痛みにも構わず前へ進もうとする本能そのものだった。
「剣舞の相手は槍じゃ物足りないってか? 三叉戟の刺突も味わっていって貰いたいんだがなァ」
 グンッとカナトは身体を捻り、痛みによろめくこともせず、反対の腕に全ての力を込め踏み込み、三叉戟が、逆の肩からリサの胸元へと叩き込まれた。
「生きて帰さなきゃ、それだけでオマエの企みは潰れるんだろうからな」
「――!」
「逃がさないように、逃げられないように、オマエは此処で死んでいけよ」
 リサの細い体が宙を滑り、後方の柱に激突した。だが彼女の眼差しからは、まだ光が消えてはいない。
「お姉さーん、こっち向いて♪」
 ひらりと跳ねて、時雨の曲刀が鋭くリサに迫る。
 刃の間から覗いたのは、整った顔立ちに冷たい光を宿す瞳――そして思わず目が引かれる抜群のスタイル。
「御身が美しければ、太刀筋も美しくってね! 素敵な笑顔に惚れ惚れしてしまいそう。で、何か収穫できたの? こっそり教えてくれません?」
 軽口を叩くその裏で、時雨の視線は細かく動きを追い、隙を探る。
 しかし、リサの反応はあくまで冷ややかだった。
「情報は、必要な相手にしか渡しません。あなたには、不要でしょう?」
 静かに放たれた声は、まるで氷をなぞるように冷たい。
 それでも時雨は肩をすくめて笑ってみせる。
「んー、残念。けど、その返しもまたキレ味あって、いいなぁ。予測付かぬは恋心に空模様……」
 軽口を断つようリサの刃は振るわれるが、刃は空を斬る。
 変わりに降り注ぐ|私雨《ワタクシアメ》の霊力弾が、リサを襲い。時雨の姿は彼女の背後に回り込み、首筋へ向けて鋭く刃を滑らせながら囁く。
「なんか、連れのわんちゃんご機嫌ナナメなんで。大人しく!美人の苦悶顔で無聊を慰めることにします」
 だから痛くするよと曲刀を押し付けるも、リサは自ら刃に身を晒し、そのまま時雨に抱き着くように身体を押し付け攻撃を凌ぐと、スルリと下へと身体を逃し飛び出す。
「ふむふむ、手練れでいらっしゃいますねぇ……」
 凍気の中、ガラティンは瞳が研ぎ澄まし表情が切り替わる。
「……その気持ちお察しするならば、優しくころしあってあげましょうね」
 刃が発光し、彼は静かに構えを取る。
「ガラティンの名の下に――」
 その一声と共に、重厚な二連の斬撃が唸りを上げる。車列ごと空間を断ち、衝撃波が半径数メートルに広がる。
「戦場全体を巻き込めるこの一撃。得物の刀は素早くとも、大ぶりな煌剣の利点、分かっていただけましたか~? 刀剣対決、どちらが勝つか勝負です」
 やるならとことん楽しみましょうと、ガラティンは煌剣を豪快に振るう。
 畳みかけられる攻撃に、リサの瞳が赤く瞬く。
 刹那、彼女は憑慧の術によって前の素体の記憶やデータを、呼び起こす。
「|この程度では私は止まりません《アップロード完了》……より速く、より鋭く」
 さらに加速するリサは、縁の槍を紙一重で外し、霊弾の隙間を縫う。
 だがその動きを惑わすよう氷翼漣璃が飛び交い、リサはそれを砕き落した。
 溢れる冷気が更に地下駐車場を満たし、極寒に染まっていく。
 それが全ての計算外。
 加速したリサは、凍った床でわずかに滑りバランスを崩す。
「今よ!」
 間髪入れず、霊菜が声を上げると同時に、リサへと攻撃が畳みかけられる。
 カナトの三叉戟が獣のように迫り、時雨が曲刀を突き出し、縁が彼女を縫い留め、ガラティンが断つ。
 ――バキン。
 ついに、攻撃を受け止め続けた刀がへし折れ、蒼い残光が散る。衝撃でリサの身体は後方へ跳ね、蛍光灯が砕けた。
 チカチカと不安定に瞬く光の中、霊菜は踏み込み再び氷翼漣璃を呼び戻し、リサを凍らせ打ち砕く。
 粉塵と霜が晴れると、リサは右半身を失い、片膝をつき折れた刀を握っていた。
「……収穫、充分。次は……もっと、慎重に」
 そう呟く彼女の姿が闇に溶けたそのとき。
 誰よりも静かに剣を下ろしたのはガラティンだった。
「……仕事熱心な方ほど、殉教を選びがちっすからね」
 煌剣を背に収め、そっと目を細める。しかも人形だというのなら猶更だろう。
「さてさて、月が綺麗っすねぇ」
 駐車場の外に出ると、見事な月が空に昇っていた。
 何だか一仕事終わった後の食事だか、ラーメンだかで一部は盛り上がっていたが、きっとこれは始まりに過ぎないと、霊菜は静かに肩をすくめた。
 同時に、これだけ近しい事件が起こったのだ。何もないはずがない。
 全貌を知るには、これから読まれるであろうゾディアック・サインを気にかけておくといいだろう。

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挿絵イラスト