シナリオ

|恋渇《こが》れぬ|水底《みなそこ》

#√妖怪百鬼夜行

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 #√妖怪百鬼夜行

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●水面は煌めき
 恋していたのです。
 人生で初めての恋でした。目も眩むほどまばゆい人に、私は出会ってしまったのです。
 世界がぶわりと変わりました。何もかもが美しく見えました。
 遠く、近く、あの人を見ているだけで満たされていました。

 恋していました。
 |真実《ほんとう》です。確かに恋していたのです。
 けれどあの人にとって私は「その他大勢」に過ぎません。
 分かっていました。私だけへと向ける感情などないのだと。
 あの柔らかであたたかい笑顔は、私にだけ見せてくれるものではないのだと。
 ならばせめて、あなたが心から愛した人と結ばれてくれたなら、それを見届けられたなら。
 私の願いはそれだけでした。

 それだけだったのに。
 もう全てが苦しい。息ができない。私は何にも耐えられない、耐えきれない。
 嗚呼、全部全部、沈んでしまえばいいのに。

●呑まれてしまえ
「いやはや、色恋沙汰というのは何時の世でも恐ろしいものです」

 ゆらりと大きな尾を揺らし、|蝶番《ちょうつがい》・|螺鈿《らでん》(きせき蒐集あつめのしいん売り・h00080)は口元に弧を描いた。
 憂いているとは言い難い表情で集まった人々へと視線を向ければゆぅるりと一礼。

「御機嫌よう。お初にお目にかかる方もおりましょうか。皆々様には目覚めかけの古妖を再度深く眠らせていただきたく存じます」

 螺鈿が配ったのは印付きの地図。その内一枚を手に取ると、赤い✕印がついた箇所を指差した。

「古妖が封じられていた場所に、目印となる小さな石碑がここにあったのですが……それを壊した人がおりましてね」

 犯人はどこにでもいる女学生だ。
 石碑は非力な彼女であっても、壊そうとすれば簡単に壊せてしまうほど脆くなっていた。
 しかしそれだけでは封印は解かれない。
 どちらかというと石碑よりも彼女の精神状態の方が古妖の封印に大きく影響を及ぼしたようだ。

「深い部分までは視えませんでしたが――どうやら恋していたようですねぇ」

 人生観が変わるほどの初恋。そして失恋。
 そこまでは何処にでもある話なのだが、彼女は恋に破れて尚、想い人の幸福を望んで見守っていたらしい。
 だが、何らかの要因により彼女は深く傷つき、激しく憤り、ふと幼心に聞いた伝承を思い出してこの石碑へと辿り着く。
 その結果、彼女の強い願いが古妖を半覚醒させ、古妖に唆された彼女によって封印は解かれた。

「石碑の代わりは目印になれば何でもいいようなので、まずは彼女に何があったのかを問い質していただきたいのです」

 幸い、彼女は封印が解かれると同時にその場から離れており、古妖に害されていない。
 それでも結末が知りたいのだろう。結界から離れた場所にはおらず、探せばすぐに見つかるそうだ。
 事情を聞き、可能な限り説得を試みて、なるべく結界から引き離してほしいと狐は語る。

「次に古妖なのですが、封印とは別に施されていた結界のおかげで指定区域内を漂い続けております。故、被害者は未だ無し」

 螺鈿は地図に記された四カ所の青い丸印をなぞる。
 この四カ所を繋いだ区画内に古妖を外に出さないための結界が張られているらしい。
 だが、古妖の|氣《ケ》に毒されたインビジブル達が邪霊と化してしまい、結界を弱らせているのだという。
 このままだと結界が破られるのも時間の問題だ。

「少女を保護したら速やかに邪霊を祓い清めていただきたく。清めた結界の中で古妖を弱らせれば再度封印できましょう」

 そこまでを語ると螺鈿はあなた方へとにこりと人の良さそうな笑みを浮かべた。

「では皆様、頼みましたよ」

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第1章 冒険 『彼、彼女は何故封印を解いてしまったのか』


●ここではない何処かへ
 電車を乗り継いで何駅か、私がやって来たのは海を見下ろせる高台の広場。
 手入れされた花壇といくつものベンチ、海と街を一望できる見晴らし台。幼い日、家族と共にやって来たこの場所にそれはあった。
 小さくて、古くて、何かが書かれている、お墓のような石。
 お母さんは「悪い妖怪が閉じ込められているのよ」と、昔話をしてくれたっけ。
 この辺りの街を、人を、何もかもを呑み込んだ大きな妖怪。
 たくさんの被害者を出しながらもなんとかこの場所に封じ込められた恐れるべき存在。
 もし本当なら、私の|願《のろ》いを叶えてくれるかもしれない。
 心の何処かで信じ切れず、けれど縋りつく何かを求めて、ひとりここまでやって来た。
 しんと静まり返った夜の広場で、私ひとり。
 簡単には壊せないと思っていたけどこれくらいしか思いつかなくて、唯一人目を気にせず持ち出せた金槌を握り締めた。

 振り上げて、振り下ろす。

 ぱきょっと小気味のいい音を立てて石はあっさりと割れた。拍子抜けだった。
 辺りを見回してみたけど誰もいなくて、何も起きてなくて、ああやっぱり何もいないんだと小さく呻いて、安堵した。
 誰かに見つかる前に逃げないといけない。立ち上がろうとしたその時。

『――――ぁァ』

 声が聞こえた。

『わたしを、出してくれるのですか?』

 あの人の声に似ていた。
 泣きそうになっていた。激しい悪寒が押し寄せてきて、胸の奥がめちゃくちゃにされていく。

『出してくれるなら、ねがいを、かなえましょう』

 優しくて、恐ろしくて、あたたかい。
 私はめちゃくちゃの心のまま願いを口にして、それを解き放ってあの場所から離れた。
 優しく歌うように、それは私の言葉を受け入れてくれた。
 私の願いを。
 どうか何もかもを呑み込んで、すべてを壊して。と。


●補足
 彼女は少し離れた場所から広場を見ています。その場から動かず、逃げることはありません。
 その為、最初の一名様のみ彼女を探し、発見する描写を追加致します。
(以降の皆様は捜索なしで、いきなり彼女と話をしていただきたく事となります)
神代・ちよ
戀ヶ仲・くるり
薄羽・ヒバリ

●少女の望み
――歌が聴こえる。

 先ほどの広場から然程離れていない小さな公園に少女はいた。
 街からも離れているこの場所に、ましてや夜のこんな時間に、わざわざ坂を登ってこんな高台の公園に来る人などいない。
 ひとり、終わりの時がやって来るまでを過ごすにはちょうどよかった。

(もうすぐ。もうすぐ全部壊してもらえる)

 少女はブランコに座り、影を見る。爪先から自分の方へと真っすぐ伸びて、揺られていた。
 取り返しのつかないことをした。誰にも許されないことをした。
 少女の中には確かな後悔と罪悪感があった。これから、自分と無関係な人も、知り合いも、家族も、みんな壊されてしまうのだろう。
 |でも《・・》、そんな感情さえも圧し潰す漠然とした痛みが、それを取り除きたいと願う心が少女を動かしていた。

(これでいい。これでいいの。あの人だって分かってくれる。笑ってくれる)

 繰り返し諳んじる言の葉で己に呪いをかけて、目を閉じた。
 まぶたの裏に浮かぶのは初恋のあの人。やさしくて、あたたかくて、そして……       
 少女は目を開けた。酷く恐ろしい感覚が彼女を蝕んでいた。

――歌が聴こえる。

 |あれ《・・》の歌だろうか。少女はじっと影を見つめて、他の何も見ないようにして、音だけを聴いていた。そうしていないと先に自分が壊れてしまいそうだったのだ。
 そんな彼女の視界に、見たことのある爪先が映った。
 学校指定の靴だ。こんな場所に、誰か知り合いが?恐る恐る視線を上げて――息を呑む。

「なん、……」

 はくはくと、少女は金魚のように息を吸った。
 |あの人《・・・》が。初恋の、もう会えないはずのその人が目の前に立っている。
 何で、と問い掛けられず疑問が脳裏を埋め尽くす。言いたい言葉も、聞きたい質問も、何もかもが我先にと喉へと迫り、つっかえて出て来ない。
 見上げる。その顔にはいつものようにあの人の笑顔、笑顔が――

「こんばんは」

 そこにいたのは見知らぬ少女だった。
 深い夜の闇にくっきりと映し出される、わたがしのように柔らかな髪。
 長い睫毛に下に揺れる淡いピンク色がやんわりと細められ、少女へと注がれる。

「顔色が悪いですね。どこか痛むのですか?」

 |神代《かじろ》・ちよ(|Aster Garden《紫苑の園へ》・h05126)は微笑みを絶やさぬまま少女を見る。
 血色は些か悪く、目の下には濃いクマが出ている。ゆっくり、深く眠れてはいないのだろう。
 今にも泣き出しそうな、叱られるを待つ子どものような表情で、少女はちよへと問い掛けた。

「あ、あなた、は」
「ちよですか?ちよは……」

 あなたを探しに来ました。とは言えず、僅かに言葉を詰まらせたその時。

「あっ、おーい!もしかしてこの辺の人?」

 明るい呼び声が夜の公園に響いた。
 二人揃ってそちらを見れば、歳の近そうな制服姿。セーラー服の少女達は、待ち合わせをしていた友人を見つけたかのように少女とちよへと歩み寄る。 

「えっ、えっ?」
「まあ、あなたは?」
「え。私?私はね……今、迷子になってるところ……」

 眉尻を下げ、照れ混じりのぎこちない笑みを浮かべ、|戀ヶ仲《こいがなか》・くるり(Rolling days・h01025)は現状を素直に伝えた。

「私もー。この子とはそこで迷子同盟結成したトコ!」

 対照的に、華やぐ笑みで同意したのは|薄羽《うすば》・ヒバリ(alauda・h00458)だ。
 自己紹介しつつ頬へと当てた指先で、ギリギリ校則違反にならなさそうなコーラルピンクの爪が艶めいている。

「高いところからなら行きたいところが見えるかなーって思ったんだけど……もしかして、あなた達も迷子?」
「わ、私は」
「そうです。ちよ、迷子なんです」

 少女の返答を意図せず遮り、ちよも頷いた。それを聞き、くるりとヒバリはぱっと明るく「仲間!」と返す。ついでにハイタッチまでした。
 少女は取り残されたように集まった三人を見上げている。
 実際何を話せばいいか分からなくなっていた。さっき一瞬見えたあの人は?幻?聴こえていた歌はいつの間にか消えていた。
 そもそもどうしてこんな時間に、歳の近そうな女の子達が歩いているの?
 絡まり合った疑問が思考を遮り、固まったようにただ三人を見上げている少女。
 そんな彼女の様子に気付いたヒバリはするりと少女の傍へと近づくとしゃがみ込んだ。

「どうしたの?」
「へっ?!え、ど、どうしたのって……」
「……だって、すっごく不安そうな顔してるから」

 心配そうに、けれど不安が増さないように、弱い微笑みでヒバリは少女を見上げる。
 少女が視線に耐え兼ねて目を逸らしたその先、くるりは、あ、と思い出したようにカバンを開き、中から可愛らしいラッピングの施された何かを取り出した。

「お腹空いてないかな、私、パウンドケーキ持ってるんだ」

 よければ食べない?
 まるで友達のように、それが当たり前のように話しかけてくるものだから、少女は思考を中断せざるを得なくなった。
 小さく感謝の言葉を零して、可愛らしい袋を受け取る。何かを食べるという気持ちにはなれなかったが、この善意は少女へと染み込んでいた。

「あれ?おなか空いてなかった?」
「……いえ、その。今、食べる元気なくって」

 ぎゅ、と袋を握る。
 言えるわけがない。「もうすぐ世界が終わるから、ここで待ってる」だなんて。
 これから|あれ《・・》の餌食になるのだ。何処かへ逃げて、なんて言えないし言う資格はない。

「――なにが、あったのですか?きっと、もしかしたら……すべてが厭になってしまうようなことが起こったのでしょうか?」
「よかったら何があったのか私に話してみない?」

 三人の視線は心から自分を心配している。力になろうとしている。
 それがひとつひとつの行動と細やかな言葉選びから感じ取られる。
 心の奥底に生じた少しの綻びが、同調を求めて少女に真意を語らせた。

「――その、ね。好きな人が、いたの」

 弱く、はっきりとした声だった。
 初めての恋について、少女は三人へとぽつり、ぽつりと零すように語った。
 その内容は正しく、星詠みが伝えた通り。初恋と失恋、それでも想ったその人の幸福を願って止まない優しい心の吐露。
 三人は聞き手に徹し、頷き、時に驚き、優しく笑いながら少女の言葉を待った。
 変化があったのはそんな朗らかな吐露の、すぐ後だった。

「でもね……でも、あの人。階段から落ちて死んじゃったの」

 十代の少女にとって、人生でそう巡り合わないであろう。身内以外の死。
 それも初恋の相手を唐突に失ったのだ。どれ程の痛みを伴うか、三人は理解出来ただろうか。
 動揺と悲しみを隠せない様子を見て、少女は僅か安堵した。ああ、この子達は泣いてくれるのかな、と。
 だからか、言葉が溢れ出す。

「最初はみんな、あなた達と同じだった。悲しんだ。なんであの子がって。同じクラスの子もずっと騒いでた」

 少女もその中のひとりだった。
 深く悲しんだ。幸福を願ったその人が、そう在れなかった事を悲しんだ。
 理不尽だと怒りをぶつけたかったが、誰かのせいにできるわけでもなかった。
 その人はひとり、自身の不注意のせいで死んでしまったのだから。

「でもね。時間が経つにつれて、みんな何でもないような顔をするの。『仕方ない』って言うの。あの人の許嫁だった人も、他の人の傍にいて笑ってて、なんだかそれがどうしようもなく苦しくて」

 ぼたり、ぼたりと涙が溢れ出す。

「怖いの!!私、わたし、もうあの人の声も笑顔も思い出せなくて!!忘れてくのが怖いの!!」

 赦せなかった、恐ろしかった。
 誰もにとっては傷が癒えていく証左であっても、少女にとってはそうではなかった。
 忘れていくことで身も心も護れなかったからこそ、もしかしたら古妖の封印を解くことが出来たのかもしれない。
 世界が壊れてしまうような――世界を壊してしまいたくなるような衝動が彼女をここまで連れてきた。
 止められなくなった涙を懸命に袖で拭い、少女は全てを吐き出した。
 静まり返る公園に、少女のしゃくり上げる声だけが響く。

「……あなたが恋をしたことも、そのひとの幸せを祈ったことも、とてもすてきなことだと思うのです」

 最初に口を開いたのはちよだった。
 ちよも恋を知った。
 それはとても苦しいけれど、しあわせなものでもあるのだと。
 知っているからこそ、少女の嘆きが伝わる。深く理解は出来ずとも、近い場所まで潜れる。届く。

「苦しいのはきっと、それだけそのひとのことを大切に思っていたからだと、ちよは思うのです」

 涙を拭うその腕を、手を優しく包む。

「……恋って、わからないね」

 くるりは恋を知らない。
 否、知識としては知っているが彼女ほどの熱量を秘めたことはなかった。嫉妬も、失恋も、まだくるりには共感出来ない感覚だ。

「でも、気持ちがから回って、しんどいことがあるのは、分かるつもり」

 空いたもう片方の手へと、くるりもまた手を添えた。

「恋愛の悩みか〜……しょーじき専門外だけどさ」

 ヒバリもこれほどまでに強烈な恋は知らない。
 友人もいる。ライバルもいる。ステキと感じる人も、応援したい人も、彼女の周りには溢れているが恋だけはまだ|感覚的に把握して《ビビッと来て》ない。
 少女の言葉を聞いていても、悲しむ気持ちは分かってもその先の絶望は未知の感覚だ。
 どちらかと言うと『仕方ない』と言ったその他の中に自分も含まれるかもしれない。だが。

「同世代の女子として、私にできることもあるかもしれないし、このまま放っておけないし?」

 少女の隣へとぐぐっと寄り添い、背中へと手を添えた。

「ちよは、あなたの力になりたいのですよ」
「嬉しい話も嫌な話もなんでも聞くよぉ。勿論、内緒にする!」
「とりま女子会しない?ファミレスならまだ開いてるトコあるっしょ!」

 三人の言葉が、手のひらから伝わる温もりが、心の中で絡まり合った感情を柔らかく解していった。
 苦しみから溢れていた涙は止まり、嬉しさから、ようやっと形に出来た感情から解放された安堵から、再び泣き出した。

「っ……あ、りがと、ぉ……」

 少女が落ち着きを取り戻して間もなく、四人の少女は公園から離れていく。

――その後、少女は語る。
 封印された大妖怪を目覚めさせてしまったこと、それが願いを叶えると告げたこと。
 あの高台の広場から、全てを呑み込もうとしていること。

 少女を三人は安心させる。
 もうじきその古妖は再び眠りにつくことになるのだと。

第2章 冒険 『邪霊祓いの儀式』


●ケガレし彼の地へ
 地図に記された結界の境界線へと近づくにつれ、次第に身体が、周辺の空気が重たくなる。
 インビジブル達は古妖に毒されて荒れ狂い、苦しみ藻掻いていた。彼らとて、望んでこうなったわけではない。
 結界を護るためにも、インビジブル達を解放する為にも、古妖を封じる為にも、邪霊祓いは必要だ。

 出掛けに、星詠みは言っていた。

『要は、清められればどんな手段を用いてもよいのです』
『ただし騒がしさが過ぎると夜とは言え、音を聞きつけた人々が寄ってくるかもしれません』
『その辺りの対策もしつつ、上手いこと邪霊を祓い清めてくださいませ』

 と。
 手段は問わず、けれど用心を欠かさずに。
 貴方がたなら為せるだろう。
神代・ちよ

●揺れる心
 世界は美しかった。
 世界はまぶしかった。
 長く、閉ざされた環境で生きてきた彼女は|ほんの些細な偶然《誰かの目論見》により外の世界へと飛び出して、知った。
 陽の光、影の色、土の感触、生き物の鳴き声、花の匂い。
 御伽噺でしか知らなかったモノを体験するという喜び。
 例え虫籠への帰り方を忘れても、目指すべき場所を定められなくても、蝶は心のままに羽ばたいてゆけた。

 けれど、彼女は今日知った。
 この世界を憎んでしまう可能性を。

 落ち着きを取り戻した少女と別れ、|神代《かじろ》・ちよ(Aster Garden・h05126)は地図に示された一区画へとやって来ていた。
 近づく程に増す息苦しさ、胸の奥、どことも言えない箇所を締め上げる感覚。
 邪霊と化したインビジブル達の、明確に名を与えられない感情がちよを苛む。

 嘆いているのだろうか。
 恨んでいるのだろうか。
 憎んでいるのだろうか。

 いずれにしても、本来静かに漂っているはずの彼らは毒されてしまったのだ。

(……苦しそうな彼らを見るのは、つらいのです)

 周囲を見回す。
 時間が時間ということもあり、人の気配はない。住宅地からも離れた場所だが、それでも注意を払って、深く長く、息を吸い込んだなら。

────♪

 真昼の熱を忘れた夜の静寂に、音が染み渡る。
 風の音にさえ負けてしまいそうなか細さで、けれど水に落とした絵の具のようにじわりと広まっていく。
 糸のように細く、長く、どこまでも。編み上げられる歌声の檻。
 
(いつか、ちよも、いつかそれを味わうのかもしれない)

 愛する人の死。
 古妖の封印を解いてしまった彼女はそれ故に苦しみ、耐え切れず、破滅的な思考に取り憑かれた。
 世界の全てを呪わしく、余すことなく怨めしく。

 ちよにもまた想う人が居る。 
 その人は、ちよへ外の世界についてを語って聞かせてくれた人である。その人は、時と場合によっては敵対せねばならない|簒奪者《ひと》である。
 もし失ったなら――彼女のように願ってしまうのだろうか。
 世界を壊してしまいたいと。誰も彼も、自分も含めた全てを赦せないと。

(このまぶしい世界を、『こんな』と貶めるちよになってしまうのでしょうか)

 ふわり、|淡く仄めく桜《ちよの瞳と同じ》色をした蝶々が飛んでゆく。
 歌声は結界の内側、蠢く邪霊達の合間をすり抜けながら、ちよの歌声をより遠くへと広めていく。

(それでも)

 ちよは歌声へ乗せる。祈りを、慰めを――魔を祓う力を。
 胸の奥を締め上げる不安に、変わっていくかもしれない自分に震えるよりも、ただ今は目の前で苦しむ邪霊達を助けよう。
 例えいつかその日が来るのだとしても、今|体感し《味わっ》た全てを否定したくはないから。

(あなたへ贈りましょう、うつくしい世界のものがたりを)

 響く歌声が邪霊達を鎖す。
 ただ苦しみを訴え、荒れ狂っていたはずの彼らは次第にその動きを弱めていく。
 開け放たれた牢の残骸の中、邪霊と化していたインビジブル達は無垢な寿ぎを聴いていた。

薄羽・ヒバリ

●キラめく心
 世界が違えば常識も変化する。
 いくつもの√を平然と渡り歩く|√能力者《われわれ》にとっては当然の話ではあるが、目の当たりにすれば中々に新鮮で奇妙な体験となるだろう。
 どの√でも同じように存在するスマートフォンさえ√ごとに特色があり、機能も似ているようで微妙に異なっている。
 そこで探す情報さえも、だ。

「やっぱ塩が効くっぽいね〜」

 |薄羽《うすば》・ヒバリ(alauda・h00458)は|愛用《オキニ》のスマホから視線を結界方面へと向ける。
 地図によると四カ所の印を線で繋いだ四角い区画――この空間内に古妖を閉じ込めており、内部のインビジブルが邪霊と化してしまっているらしい。
 確かに、結界に近づくだけでいつもよりなんだか身体が重く感じるし呼吸しにくい。
 長くここに留まっていると自然と気分が|落ち込む《サガる》気がした。

「よ〜っし、お仕事お仕事!この重〜い空気をすっきり綺麗にしちゃおうっ!」

 明るくキリッと切り替えたなら、ドン!!!と取り出し並べてみせるのは先程店に赴き買ってきました粗塩、盛り塩器、盛り塩皿を六枚。
 彼女の生まれ故郷では見つけにくい、あるいは存在すらしていないであろうこんな品物も、√妖怪百鬼夜行ではお手軽に購入できた。
 なんなら店の|女店主《マダム》に「あらぁ〜、これからお祓い?こんな若いのにお勤め大変ねぇ。はいどうぞ、端数はおまけしとくわ。余ったお塩は直接撒いても効くわよ〜」と労われ、お安く仕入れられたのだ。
 彼女の厚意に感謝しつつ、早速ヒバリは盛り塩作戦を決行へと移す。

 ここは地図によると石碑のあった場所の丁度北に位置する地点。方位磁針と地図アプリも照らし合わせながら正確な方角を確認した。
 まずは塩の袋を開封。盛り塩器へと塩を詰め、ヘラで軽く押し込みつつ平らにしていく。
 詰め終わったら皿を被せて、慎重に上下をひっくり返した。|緊張感《ドキドキ》が増した。
 仮に人が通っても目に触れにくく、荒らされような位置へと皿を置いて、最後にゆっくりと盛り塩器を外したなら――完成!
 綺麗な円錐形の塩の山がそこに小さく聳えていた。
 初盛り塩の完成にひっそり小声でガッツポーズ。

(これをあと、南と東と西、表鬼門と裏鬼門でもやってくのかぁ)

 結界は思っていたより広く、外周を回るだけでも一苦労だ。
 残念ながら同じ考えの協力者には出会えなかったが、それでもヒバリはめげる事なく、盛り塩を設置していった。
 なお効果はと言うと――どうやら結界と上手く作用したらしい。
 インビジブル達は少しずつではあるが浄化されているようで、あとは時間が解決してくれるだろう。

 ふと、先程まで話をしていた少女の事を思い出す。
 ひとりで抱え込んでいた時には解決できなかった苦悩も、吐き出したことで時間が癒やしてくれるようになっただろうか。

(苦しい気持ちも、少しの間でも和らいでくれてたらいいな)

 ことり、と皿をまたひとつ置いて。

「よ〜っし!もうひと踏ん張り、行っちゃお〜っ!!」

 ヒバリは元気に全ての箇所へと盛り塩を置いていった。

戀ヶ仲・くるり

●ざわめく心
「ううーん……」

 |戀ヶ仲《こいがなか》・くるり(Rolling days・h01025)は結界近くにやって来て尚、方法に悩んでいた。
 否、やり方自体は思い付いている。
 寧ろこのやり方に、約半年前までただの女子高生だった彼女が辿り着いた事自体が驚くべきことなのかもしれない。

 |ルートブレイカー《・・・・・・・・》による浄化だ。

 そも√能力とは、目視したインビジブルをエネルギー源として使用する事が出来る特異な力だ。
 目の前で荒れ狂う邪霊をエネルギー源にすることは難しくとも、結界より外にいる未だ無害なままのインビジブルからは力を借り受けられる。
 そしてルートブレイカーは、右掌で触れた√能力を無効化する力だ。
 もし、その無効化される力の中にインビジブル達を狂わせたであろう古妖の力が含まれるのなら――
 この√妖怪百鬼夜行における祓い清める方法とは異なるが、原理を紐解けば可能なのかもしれない。

 しかし、くるりには問題があった。

(うう、発動不安定だし、出力が足りない……!)

 √能力者となってからも彼女は限りなく一般人に近い感性を保っている。
 |欠落に気付くこともないまま《不死の存在に成り果てたと知らず》過ごしてきた弊害か、√能力の使用がどうにも不安定なのだ。

(……私じゃ、役に立たない)

 暗く、前髪が目元へと影を落とす。
 他の方法を試す、という選択肢が浮かぶ事もなく、己の無力感に苛まれて、ただ鬱屈とした感情へ心が支配されようとしていた。
 だから、だろうか。

『あはははははは!!!!』

 突如笑い声が響いて、身体が縮こまる。
 見回しても周囲に人は居ない。いない。それもそうだ、それは足元から聞こえてくる。
 知っている声だ。最悪だ。先程までの沈み込むような重く暗い感情が一気に燃え上がり、それに対する嫌悪感に変わる。
 気付いているからか、それは|明るく親しげに、どこか優しささえも感じさせる《手練れた詐欺師のように本心を見せぬ》声色でくるりへと話し掛けてきた。

『──呼んだ?』
「っーー!!よ、んでない!!帰って!!」
『あははははは!!面白い顔してるねぇ、なに?上手く力が使えない?そりゃそうだよねぇ』
「うるさい!分かってる、分かってるから悩んでるの!!」

 影――くるりに取り憑いたアクマは酷く楽しそうにくるりを嘲った。
 彼、あるいは彼女か。アクマはくるりへと取り憑いてからというものの基本的には傍観者を気取っている。
 否、「戀ヶ仲くるり」という演劇の観客を徹しているのだが、時折こうして姿を現し、語り掛けてくるのだ。
 なんせ、これだけ愉しませてくれるのだ。

『ねえ。手伝って、あげようか?』

 くるりがあまりにも無様に打ち拉がれ、宛ら悲劇の中心にいるように振る舞うものだから、思わず直接チップを渡しに来てしまった。 

「え、なにか出来る、」

 の、と声に出てしまったと気付いて慌てて口を塞ぐ。
 だがもう遅い。アクマは|懇願《問い》に嬉々として応えた。

『いいよ!呪ってあげるね!』

 影が足元からザラリと伸びて肌を這う。感触などないはずなのにただ悪寒だけが嫌に生々しく残り、迫ってくる。
 身動きは取れない。取る間もない。それは一呼吸の合間にくるりの胸元までやって来て。

 ずぷり。

 差し込まれた影に、心臓を、外側から撫でられる。
 激しい嫌悪感に襲われてようやっと口を開いたくるりは、悪足掻きのように叫ぶ。

「〜〜〜〜っ!!っちょ、なに、いや、なんで、やめて!入ってこないで!」
『あははははは!キミが望んだのに?』
「望んでない!!私の内側、触らないで……!!」

 問答に意味はなく、無力なくるりに止められるはずもなく。
 アクマと呼ばれるそれは心臓の上――彼女へと与えた呪の刻印へと滑り込んだ。
 ここにはくるりの知らない、けれどくるりが無意識に抑え込んでいるいくつもの『箍』が存在する。
 それらはアクマからすれば、|喜劇《くるり》には不要の力であるものの、|恋愛悲劇《くるり》にあったらより面白くなりそうな|演出《ちから》。

――さあ、もっと愉快に踊ってみせてよ。

 内側、押さえ込んでいた箍のひとつをかちりと外す。
 刹那、くるりの右掌に今までにない程膨大な力の奔流が感じ取れた。
 間違いない。今まであんなに不安定だった√能力が、自分の思うままに使えるようになっている。

「さい……あく……!」

 |あれ《・・》のおかげ、なんて死んでも考えたくない。死んだ先でだってごめんだ。
 それでも力が安定している今ならやりたかった事は出来る。
 よくよく見ると邪霊の数も少ない。くるりは偶然近くへとやって来たそれへと右掌を差し出す。
 すると、だ。
 何かが作用したのだろう。触れた先から邪霊の姿が、よく見るインビジブルの姿へと変化して、するりと泳ぎ去っていった。

(ほら、できたね!)
「っ……あんたの手助けなんて、いらなかったのに……!」

 内側から響く、老若男女のいずれでもない声を聞きながら、「あんたも消えて」とくるりは力を振るった。
 その願いは叶わずとも、彼女が触れた邪霊達は残らず浄化されていった。

 もうここに、毒されたものは、ただひとりだけ。

第3章 ボス戦 『つばさのいさな』


●満たされぬもの
――歌が聞こえる。

 それは低く静かに、高く遠くまで響き渡る孤独の声。
 空を往き、海を征く、偉大なるものの存在を報せる汽笛。

 結界へと踏み込んで目の当たりにしたその姿を前に、能力者達はどんな思いを抱いただろう。
 美しいと感じただろうか、恐ろしいと感じただろうか、或いは何も感じることなく言葉を無くしただろうか。
 それは白い巨躯を揺らめかせて、白い翼で羽搏いて空を泳いでいた。
 それは地上を見下ろして、そこにある全てを見下して柔らかに笑っていた。

『──ああ、ようこそ』

 大きな口を薄く開くと、凛と澄み切った声が響く。
 この声だけを聞いたなら、かの少女のように信頼してしまうかもしれない。
 言葉を交わせてしまうから、自分を理解してくれるものだと錯覚してしまうかもしれない。
 真白のいさなは来訪を心待ちにしていたと言わんばかりに言葉を続ける。

『いい加減、ここの空には飽いてしまったのです』
『長年閉じ込められておりましたから、遠くまで泳いでゆきたいのです』
『そうして、この腹を満たしたい』
『すべて、すべて、平らげてしまってよろしい?』

 理解する。
 言葉が話せるからといって、心が通じ合えるわけではないのだと。
 これは、ここへまた封じなければならない存在なのだと。
神代・ちよ

●出してあげない
 結界へと踏み込んでまず最初に感じたのが、空の広さ。
 いさなを捕らえるためか、或いは結界内にある本来の土地へ被害を及ぼさないためか、古来封印した者は結界内の空間を改変していたようだ。
 遮蔽物の少ない草原、先程までは見えなかった満天の星空。
 そこを、翼持つ白鯨がゆったりと尾を揺らし、宙を泳いでゆく。
 なんとも雄大で、幻想的な光景。
 見上げていた一人の少女の唇から吐息が漏れた。

(あなたのせなかに乗って旅をしたら、きっととっても素敵なのでしょう)

 |神代《かじろ》・ちよ(Aster Garden・h05126)の脳内に、白いいさなの背に乗って巡る世界の情景が過った。
 鳥とともに空を泳ぎ、海を、陸を、街を、汎ゆる生命の営みを見下ろして、自由に。
 そこには幼心に憧れていた『理想』の光景が広がっていることだろう。
 だが、これは古妖であり、人妖どちらにも害なす大いなるものだ。
 大きく広げたその口が告げたのは交渉する間もなく決裂した相容れぬ願い。

「この世界はまぶしくてきれいですが、食べたらだめなのですよ!」

 強く、大きく、ちよは言葉を吐く。
 同時に彼女の周囲を飛び交う桜色が輝きを増させた。否、増したのは輝きではない。
 蝶々だ。宛ら花弁が落ちるが如く、はらりひらりと蝶々が増えて行く。

『ああ、おびえないで。ちいさなひと』

 しかし、いさなも大人しく封印されるのを待っているはずもなく。
 こちらへと興味を向けてくれたちよへと柔らかな言の葉を降らせる。男性のような、女性のような、不思議と心地よく心を落ち着かせてくれる声音。

『世界は、ただわたしのはらの中に収まるだけなのです。あなたも、あなたの望むすべても、何もかも』

 いさなは大きく口を開いて、息を吸う。それだけだ。
 けれど、それだけでいさなは餌の動きを止めてしまう。猛烈な風の流れにちよもその場に立っているのがやっとなほどだ。

(このままだと、ちよも食べられてしまいそう)

 だから、利用する。
 と、と地を蹴り風の流れに身を任せ、浮遊。
 煌めく蝶達と共に高く、高く空の先、いさなの大きく開いた口へと接近したなら――

「とてもきれいなあなた」

 淡く輝く桜色がその身を染め変える。
 その心が、見目に同じく優美で、世を慈しむものであったなら手を差し伸べていたかもしれない。
 封印のゆりかごに揺られている間に心変わりしてくれていたなら、共に生きていられたかもしれない。
 そうならなかったことを僅かに惜しみながらも、ちよは|害なすもの《敵》へと再び高らかに告げる。

「ちよが大好きな世界、食べないでください、なのです!」

 鎖す。
 翅搏く蝶々が紫苑色の檻へとその身を変えて、いさなの口を無理矢理に封じた。
 ばったりと風が止み、ちよの小さな身体は真っ直ぐに大地へと吸い寄せられていく。
 見上げた先、遠ざかっていくいさなは苦しそうに呻いている。どうやら蝶へと籠められた破魔の力はいさなを蝕み始めているようだ。
 今のうちに距離を取り、いさなの次の攻撃へと備えるべきだろう。
 ちよは蝶の助けを借りつつ着地し、その場へ参じた|√能力者《なかま》達へと次を託した。

「援護はちよにお任せください、なのです!」

戀ヶ仲・くるり
くらがりの・こえ

●浮かべてはいけない
 人智を理解し、人語を解する。
 人理の外に在り、人命を淘汰する。
 世界を喰らい尽くす敵であり、|√能力者《われわれ》が倒さねばならない存在。

 眼前を泳ぐ圧倒的な強者を|戀ヶ仲《こいがなか》・くるり(Rolling days・h01025)は呆然と立ち尽くして見上げていた。
 
(おおきい)

 初めて都会のビル群を見た時はもっと高揚に満ちていた。けれど、今感じているこの衝撃はどちらかと言うと畏怖に近い。
 人生でこんなにも大きな生き物を見たことがあっただろうか。
 あまりにも大きくて、遠いのか近いのか距離感さえ把握しかねる。

 |これを《・・・》?|私達で《・・・》?

 くるりが浮かべたのはそんな疑問だった。
 あの遥か上空を泳ぐ強大な存在を、弱らせて封印しなければならない。
 ほんの半年前まで――いや、今でも尚、ただの女子高生に近しいくるりにとっては現実味がなさすぎて、他人事のようだった。

(私、場違いだなぁ)

 先程もアクマの力を借りてようやく浄化を為せた。だというのに、今何かやれることがあるのだろうか。

 戦う?本当に?
 寧ろ足手まといなんじゃないかな。

 後ろ向きになる心が思わず身を引こうとする。動かない。
 そこでようやっと、くるりは自分の足が震えていることに気がついた。動けない。
 抗いようのない自然の脅威を前にして、何も出来なくなるあの感覚だ。
 きっと軽くパニックになっている。考えることが多すぎて、何からやればいいのか分からない。
 大きな台風や地震のなか、外に放り出されたら、きっとこんな気持ちになるんだろうな。などと異様なまでに冷静に、くるりは自分を俯瞰して見ていた。

『あっはははははははは!』

 雑念を切り裂いたのは、|くらがり《あのイヤなヤツ》のこえだった。

『ねえ、呼んだ?今、呼んだよね?』

 酷く不快にさせる笑い声と共に、くるりの影がそのまま立体となって形を成す。
 アクマと呼んでいるそれもまた、男とも女とも取れる奇妙な声でくるりへと呼び掛けてきた。

「〜〜〜っ!うるさい!呼んでないから帰って!」

 捲し立てるようにアクマへ怒鳴りつける。嫌な声だ、いつだって腹立たしくなる。
 でも一番気に食わないのは|こいつがいればなんとか出来るかも《・・・・・・・・・・・・・・・・》と考えてしまった事だ。
 理不尽な呪いで、自分の命に期限を設けてきたやつだ。居ない方がいいに決まっている。
 でも、|無力《こん》な状況を崩せてしまうんじゃないかと期待してしまう。
 それを知られるのは心底嫌だ。なのでくるりは精一杯アクマを睨みつけてやった。

『へえー、あれ、大きいねぇ!呪ったら面白いかな?面白そう!』

 が、アクマの興味はとっくに彼方のいさなへと向けられていた。
 いさなは丁度、他の√能力者の攻撃から解放され、距離を取るためかこちらへとゆらり接近してきていた。
 アクマは黒塗りの顔で見上げる。それが当たり前であるかのように空を征く白い巨影を。
 目が合う。表情というものが分かるのだとしたら、アクマはこの上なく綺麗に、楽しげに、整った笑みを浮かべていた。

『呪ってあげるね』

 それは合図だった。

──どうしてどこかに行けると思うの?

 声が聴こえる。どこから?
 それはいさなの中に直接響いていた。

──その翼で遠くまで飛べるだなんて、どうして思うの?

 いさなは不思議に思う。誰の声?地上に在るちいさなひとの声ではない。すぐ近く?いや、遠くも感じる。

『どなた?わたしは、すべてをはらに収めなければならないの』 
──どうして平らげられるだなんて思うの?

 重なる。どちらも、対話などする気はない。

『そうあることが、わたしという存在だからです。ちいさきひと』
──ずっと外を知らないのに周りが矮小だって、どうして思うの?
──どうして、自分が飛べるだなんて思ってるの?

 どうして  どうして   どうして  どうして?
思考してよ   何度も  疑って 何回も 考えて、考えて   考えて!
 ひとつでいい    小さくても  それが種だよ。

 反響し、反芻させられる。
 アクマの声は次第にいさなの思考を奪っていった。
 ぼやけて、はっきりと、大きく、小さく、大人も子どもも男も女も、あちらからこちらから飛び交う声がいさなから正常な判断能力を削いでいく。
 どうして?なんて、そんな疑問を今まで浮かべたことなどなかった。
 そうあれかしと望まれ、生まれてきたものだと思っていた。在るが儘、自分という存在を疑った事などなかったのだ。

『鯨は飛ばない』

 耳元で断言される。
 飛ばない?|なぜ《・・》?わたしは――

『芽吹いた?』

 いさなの脳裏に浮かんだ疑念をアクマは逃さない。
 畳み掛けるように繰り返す『どうして』で、いさなの思考を奪い尽くす。
 一度でも芽吹いた|疑念《若葉》は見る見る内に育っていく。存在を肯定しきれなくなる。するとどうなるか。

『ほら、見て』

 影は指差し。

『もう落ちちゃうよ!』

 ぐらん。
 アクマの言葉通り、いさなの高度が見る見る低くなっていった。
 何が起きたか。簡単だ、先程くるりと同じ事がそこで起きていた。
 詰め込まれた疑問、思考、その繰り返し。脳はあまりにも多くの物事を処理しきれずに思考を止めてしまった。
 その結果、肉体も動けなくなったのだ。
 それでも辛うじて地に落ちてこないの疑念に染まりきっていないからか、あるいは古妖としての矜恃からか。
 だが確かに、アクマは為したのだ。

「……うそでしょ!?今なにやったの!?」

 くるりはただ見ていた。
 アクマが『呪ってあげるね』と宣言してから『ほら、見て』とくるりへと声を掛けるまでの短い時間、あれが何をしていたか全く分からない。
 いつの間にかあのいさなは呪われて、なぜだか空から落ちてきた。
 見せつけられたのは過程をすっ飛ばした結論だけなのだ。
 しかし、アクマはというと。

『……あははははは!あー面白かった、じゃあね!』

 やりたい放題遊んで満足したのか、しゅるんと平面へ戻っていった。
 結局、くるりは現状についていけないまま、置いてけぼりを食らっていた。

「くっ……そぉ!!あんなやつ、早く目の前から消すんだった……!!」

 悔しさを噛み締めながら、それでもいさなを見る。
 同じように呪われてしまったそれは、もう畏怖の対象ではない。
 ひどく哀れで、可哀想なものだった。

薄羽・ヒバリ

●認めてはならない
 白く巨大なそれが生き物だなんて、一瞬理解できなかった。
 |√ウォーゾーン《じもと》ならあの手の巨大浮遊物も、まあ見ないことはない。
 敵機の中にもああいう規格の|機体《ヤツ》はいたし、あれだけの質量があっても意外に高高度を飛行できる、ということは頭では理解できた。
 だがそれは、夜空を白く切り抜いていたのは生き物だった。

(うそ。これが?)

 ゆぅらり、尾を揺らし、翼を優雅に羽撃かせる白い鯨。
 優しく、曇りなく、どこか慈しみさえ感じさせる眼差しを地上へ注ぐその姿は神々しさすら覚えるほど。
 |薄羽《うすば》・ヒバリ(alauda・h00458)もいさなの姿を前に視線と思考を奪われていた。

 ただ、一瞬だけだ。

 それが吐いた言葉が人々へ害なすものだと、これが|封印されていた古妖《てき》だと理解したなら腕を一振り。
 視線をいさなから逸らさないまま、軌跡に合わせて起動したバーチャルキーボードへと指を滑らせた。
 タイピング音はオン。かたたたたん、たたたん、たん。と小気味のいい音に合わせて打ち込んだのだレギオン召喚指令だ。
 火力と命中精度を考慮し、呼び出すのは一機のみ。確実に、あの古妖を弱らせる。
 |命令確定《エンター》、承認、起動、認識。
 戦闘態勢を取ってから、超電磁砲を装備したレギオンがヒバリの傍らに呼び出されるまで、僅か一分。

「レンアイに関しては専門外でも、|戦い《こっち》は√ウォーゾーン仕込みの本業だからっ!」

 照準。
 あれだけ巨大な生き物を仕留めるとなると、急所を確実に狙いたい。
 捕捉、電磁砲弾道予測、風なし、軌道修正。標的の高度急低下。修正。

(他のコ達も戦ってる。巻き込まないように)

 戦場を俯瞰し、敵の状態を細かに確認、修正を繰り返しつつタイミングを調整。
 全ての条件が揃うと、ヒバリの口元が艷やかに弧を描いた。

「よーっし!派手にやっちゃえーーー!!」

 ごうっ!!!
 夜を、空間を切り裂いて、地上から一筋の星が撃ち出された。
 狙ったのはいさなの片翼、その付け根。
 狙い通りに撃ち抜かれたいさなはぐらりと傾いて、ついに地上へと落ちてきた。
 その口から、疑問が漏れ出す。

『なぜ』
『なぜ邪魔をするのです。わたしは世界の所在を変えるだけ』
『わたしのはらの中へ世界を移し、わたしを満たしたいだけ』
「なーに言ってんの!?」

 いさなの言葉を、ヒバリは強く否定する。

「百歩譲って泳いでいくのはオッケー。でもでも、何もかも全部食べるだなんてダメに決まってるしっ!」

 共に歩める道があったのなら、多少の譲歩も出来たのだろう。
 人と、妖怪達と、異なる√の存在と、分かり合える可能性があったなら。
 それがないならすっぱりと割り切る。
 戦いに身を置く事に慣れたヒバリだからこそ、憂いの一つもなく選択できた。

「あなたがどんなにエモくてヤバくても、私はしごできギャルとしてやっつけるだけ!」

 再設定。
 幾多の攻撃に傷つき、疲弊し身動きの取れなくなったいさなへと、砲を向ける。

「Type.H!!|発射《ファイア》ぁーーー!!!」

 号令と共に、レギオンの装備する超電磁砲から高威力の一撃が放たれる。真っ直ぐ貫かれたいさなは最早抵抗などしようもなく、痛みと諦念から意識と自由を手放した。


 斯くして、古妖『つばさのいさな』は再度封印されることとなった。

●帰り道
 星が流れた。
 少女は電車の窓から、あの高台を見つめていた。遠く、遠く、小さくなって見えなくなる。
 後悔していた。
 自分が許せなくて、誰もかもを許せなくて、取り返しがつかないことをしてしまった。
 けれど、優しく差し伸べられた手が、優しく心を包んでくれた。
 泣き腫らした目を細めて、送り出してくれた三人の事を思い浮かべる。
 あの子達は解かれた封印について、大丈夫だと言ってくれていたけれど、本当に?
 その疑問も、いつしか薄れて消えていく。
 線路を進む音が耳に心地よくなって、少女は次第に目蓋を閉じていった。

 やがて、すべては何事もなかったかのように巡り出す。
 たった三人の少女によって古妖が再度封印された事を知らないままに。

挿絵申請あり!

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挿絵イラスト