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トリテレイアの祝福
●外星体の謀
『外星体同盟』からの命令を受領した。
『Anker抹殺計画』を、これより開始する。
目の前一面に広がるのは、トリテレイアの花園。
トリテレイア・ブリッジシーやトリテレイア・ラクサの|清《すが》しい紫や──トリテレイア・イキシオイデスの可憐な白が緑の葉の中で鮮やかに初夏の空に咲いている。
そこは√ドラゴンファンタジーの自然保護区域。
豊かに発展した文明からは離れた場所にある、しかし花々を一望できる場所にはやさしい甘さのソフトクリームや種々のスムージーなどを売り出し席を提供するカフェテラスも用意された、所謂観光地。
多くの人々に愛でられ、大切に守られたその花園の中からは時折、トリテレイアの精霊が宿る。
そして此度宿ったトリテレイアの精霊は──誰かのAnkerと成り得る者であったらしい。
「……今日も、良い空」
微笑んだ精霊の姿は少女。人間に例えるなら齢は十代半ば。
淡い金色の髪にトリテレイア・イキシオイデスの白い花を咲かせ、清しい紫色の双眸を持つ少女だ。
その少女の前に、男が立つ。
大きな欠落を抱えた男が。
「……どなた」
「悪いが、お前には犠牲となってもらおう。計画を遂行する」
男は──異世界より来たりし星間生物は、刃を振り下ろした。
●『Anker抹殺計画』を阻止せよ
「はいはいどーも。おたくのAnkerはお元気?」
軽く手を叩いて視線を誘導し、伊之居・槿(エルピス・h04721)は集まった能力者たちへといつも通りの軽薄な笑みを見せた。
「最近の√マスクド・ヒーローの動きは知ってるか? なんでも、サイコブレイドっつー輩がAnkerを暗殺しようってことらしい。『外星体同盟』ってとこからの刺客らしいが、こいつァまだ良く判んねェんだよな」
普通ならAnkerを見分けることなどできないはずだが、サイコブレイドはAnker、あるいはその候補者を探知する√能力を持つのだという。
だからとにかく暗殺を阻止すること。それが今回の主軸となる。
「おれ達√能力者ってのァ、Ankerを失った上で死ぬとと世界座標……つまり帰るべき場所を見失っちう。んでそーなると√の狭間でインビジブルになっちまうからさ。大切なワケ、マジで」
おれもあんちゃんが居なくなっちまったらと思うと苦しーわ、と仰々しい身振りで白々しく述べてから、槿は改めて口角を緩めた。
「おれが視たのは√ドラゴンファンタジーでのゾディアック・サイン。もちろん、まだ間に合う」
敵は√マスクド・ヒーローからやって来るが、舞台はあくまで√ドラゴンファンタジーだ。√間移動は必要ない。
花園の少女型の精霊を護ってもらいたい旨を説明して、槿はひと差し指を立てた。
「とは言え、さっくりこのお嬢さんを保護するくらい予知を捻じ曲げちまったら、敵さんは普通に別のタイミングで狙い直すだけになっちまう。まずはこの花畑を楽しんで、なんならお嬢さんと交流したりしながら──敵を釣って、叩いてくれ」
暑くなってきたし、冷たいモンいいよなァ、と暢気に告げてから。
「√能力者でありながらAnkerって奴もいると思うが、今回のお嬢さんは完全にただの一般じ……一般精霊だから、戦闘じゃ単なるお荷物だ。充分注意してくれな」
もしかしたら、あんたのAnkerかもしんねェんだからさ。
槿はからから笑って手を振った。
これまでのお話
第1章 日常 『花溢れる園』

●トリテレイアの花園
見渡す限り一面の、花畑。
その中に細く伸びた道を歩くだけでも心が動くことだろう。
その見事な景観は精霊の加護によると噂され、花の持つ言葉が『守護』であることから、そこで守護の誓いを立てると良いとも囁かれている。
一方的で絶対的な庇護の誓いでも良いし、互いに背中を預け合う──あるいは肩を並べ合うような、そんな守護を誓い合っても良い。
はたまた、そんなことは全く関係なく、カフェテラスの初夏の陽射しを軽くルーフで遮った席で、冷たいソフトクリームやスムージーに舌鼓を打つのも良い。
美しい景色を望みながらおいしいものを食べるのはこの上ない贅沢だ。
ソフトクリームは定番ながらしっかりバニラビーンズの香る『バニラ』に、こちらも定番の『チョコレート』、夏場に嬉しい甘じょっぱさの『塩ミルク』に、すっきりとした渋みの『抹茶』、果実の瑞々しい甘さとほんのりとした酸味の『ストロベリー』がある。
スムージーは三種のベリーを使った『ベリーミックス』、マンゴーやキウイの『トロピカル』、満足感の大きい『バナナミルク』、夏に爽やかな『はちみつレモン』などが用意されている。
そして。
「……精霊に、会いたいの。なら、静かに願うといいと思うわ。え、……わたし? わたしも、……そうね、わたしも、精霊」
件のAnker候補の精霊は、花畑のまんなかにぽつんと座っている。白く軽やかな衣装の裾が風に躍る。
「……ひなたぼっこを、しているの」
柔らかな髪に咲く花がたおやかに揺れる。
「……わたし、あまりなにも、知らなくて。……あなたは、なにを守護するの」
良かったら、教えて。
緩く、双眸を瞬いて。
少女型の精霊は問うだろう。
●想
「むー! すっごくモヤモヤする!」
見渡す限りの緑と紫と白、──そして空の青の中で、シアニ・レンツィ(|不完全な竜人《フォルスドラゴンプロトコル》・h02503)はふるふるふるっ、と空の色をほんのり映した白い髪を振るった。
星詠みの話、あるいは街角での噂を聴いてから、シアニの中では呑み込み切れない疑問が渦巻いていた。
──Anker候補だからって何も知らない子を手に掛けようとするのとか、それをしなきゃならないサイコブレイドさんは何を想うのかとかー!
他者を慮ることを知った竜には、簡単に割り切れないものが多くなり過ぎた。例えそれが敵対している相手でも、シアニは思いを馳せてしまう。
「はぁ……空見て落ち着こうっと」
青く広がる空に伸びる白い雲。
胸の奥の渦巻くものは消え去りはしないけれど、澄んだ空気に、地から香る草花や土のにおいに、少し、肩の力が抜けた。
そうして、自然と冴えた竜の|眼《まなこ》が捉えたのは風に揺れる花々の間のひとりの姿。淡い金の髪に白い衣装の少女。探していた相手だ。シアニはふわとマントを泳がせ、覗き込む。
「ね。お隣、良い?」
一緒にひなたぼっこしたいな。告げたならおっとりと少女──少女型の精霊は肯いた。シアニに害意が皆無であることは、花が教えてくれた。
「……ええ、もちろん」
「空は綺麗で日差しは温かくてお花は良い香りで、いいところだね、ここ」
「……そう言ってくださると、……うれしいわ」
眦を細めて、トリテレイアの精霊は風の香りを胸に吸う。シアニも隣に倣う。
──見上げる空がこんなに気持ちいいこと、……前のあたしは知ってたかな。
「……あなたは、なにを守護するの」
とろり揺蕩うような時間の中、落とされた静かな精霊の問い。シアニは「うーん……」|誘《いざな》われるように言葉を紡いだ。
「あたしね、目の前にいたのに助けられなかった子がいたんだ。……とっても悲しくて、悔しかった。だからしっかりしたお姉さんになって、もっと色んなことを知って、できるようになって」
はた、と合う紫の双眸。夢から覚めたみたいに、はっきりと胸の裡に根付く想い。
「せめて、手の届く誰かは守ってあげられるようになるんだ」
って、重たいね、ごめん。あははと笑おうとするシアニに、精霊はただたおやかに首を振った。
「……あなたの覚悟は尊いもの。……どうか、あなたの誓いが果たせますように」
自らが敵の標的であると知りもしない精霊は、彼女へと祝福を贈る。シアニもその姿に口許を引き締めて、それから微笑んだ。
「うん。聞いてくれてありがとう」
●楽
「いいお天気だねー。なんだかピクニック気分っ♪」
母親譲りの青い髪を揺らし、鮮やかな花園の細道でくるんと回ってはしゃぐエアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)の年相応で無邪気な姿に、シル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)はつい頬を緩めた。
それから彼女を含めた花園を見回した。
「素敵なところを見つけたんだね、エア」
「でしょっ? こうやってお母さんと出掛けるのって久しぶりな気がするの。だから綺麗なところに一緒に来られたの、すっごくうれしいっ♪」
いつもは魔法を教えてもらったり、ダンジョンに向かうのを見送ってもらったり。それもとっても嬉しいけれど、エアリィはまだ十一歳。家族としての時間もこの上なく大切なのは当然のことだ。
「まずは、おいしいものを食べたいっ! お母さん、行こっ」
「あらら、……ふふ」
──実力はぐんぐん成長しているけど、やっぱりまだまだ子供ね。
シルの手を取り駆け出すエアリィに引っ張られながら、こっそり母は相好を崩す。成長は好ましく誇らしく、けれどこうして甘えてくれる姿もいとおしくて、得難く代え難い。
白いテーブルと椅子が並ぶカフェテラスに辿り着いたなら、エアリィは黒板に書かれたメニューとにらめっこ。
「んーと、んーと、」
初夏の陽射しに供される冷菓は魅力的で、種々のフレーバーは彼女の碧の瞳を揺らめかせるけれど。
「バニラのソフトクリームが食べたーいっ!」
「はいはい」
シルはエアリィの選んだそれと自らの分を買い求め、|母娘《おやこ》は花園を望むテーブルのひとつに腰かけた。
「んっ、おいしいっ♪」
エアリィが目の前に広がる花畑──よりも手許のアイスを早速ぱくり食べたなら、バニラの甘い香りと濃厚なミルクの味が広がるけれど、細やかな氷の粒の舌触りが後味をすっきりさせる。
同じように、否、エアリィよりも落ち着いて食べるシルの手許へ視線をやれば、そこには薄い緑色のソフトクリーム。抹茶を、と母は注文していた。
「……抹茶味って、おいしいの?」
「ん? おいしいよ? でも、エアにはまだ早いかな? ……ひと口食べてみる?」
「え、いいの? やったっ!」
シルが娘の口許に緑のそれを近付けてやれば、期待の光を瞳に隠さずエアリィはあーんと大きくひと口。「、ん~……」舌に広がった味は、
「甘いけどなんか渋いー。大人の味だぁ~」
くしゃと口を歪め、おいしくないわけじゃないけどバニラの方があたしは好きかも、と素直に告げるエアリィにシルはただただ笑みを浮かべる。
「まだエアにはちょっと早かったかな? 何でも試すのは必要だからね」
「うんっ、知れて良かったなって思うよ」
大人になってしまうのはまだ先でいい。一足飛びに様々なことを吸収して学んでいける娘だからこそ母はこっそりとそう願うし、けれど進み続けることを祈る母の想いを、娘はまっすぐに受け取って。
ぺろと白いソフトクリームを舐め、「そーいえば」やっとエアリィは広がる花々へと視線を向けた。
「お花畑に精霊さんがいるっていうお話も聞いたんだ。だからあとで行かない? 会えたらうれしいなー♪」
「へー、お花畑の精霊か」
無邪気なエアリィの言葉に、シルはほんの少し思案する。娘が契約する精霊たちとは、また異なる精霊。場合によっては畏敬を懐かねば災いをも呼びかねない存在ではある。
しかし精霊に、大いなる自然に寵愛を受けるエアリィのこと、それは杞憂に違いない。
「……そうだね。一緒に行こうか。……きっと会えるよ」
●隣
「誰かにとっての大切なモノの暗殺か」
ぽつり、こぼす。んー……、とトゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)は瞼を伏せて首を捻った。
──何とも言えぬ感覚ではあるが。
不確かな言語化に時を浪費するくらいならば。
「まずは我に出来る仕事をこなすとしよう」
誰に告げるでもなくひとつ肯き、彼は鮮やかな蒼穹色の双眸で周囲を改めて見渡した。
紫や白の花々が大地を埋め尽くし、風に揺れる。トリテレイア。
「『守護』といった意味もつ花だったかな」
これに限らず、不思議とトゥエルノは花というものが嫌いではなかった。
「やぁ、こんにちは同胞」
花園の真ん中で座る少女型のそれに、彼はそう声を掛ける。それ──精霊はその呼称に小首を傾げ、トゥエルノは自らの胸に掌を添えた。
「我も雷を司る精霊……ではあるのだが、今はこんなナリをしているな。お揃いというモノかもしれない」
「……お揃い。……あなたも、精霊」
ふふ、と嬉しげに微笑む精霊。安心でもするのだろうか。
断りを入れて近くに座ったトゥエルノは、まったりと空を見上げてひなたぼっこに興じている精霊の横顔を眺めた。
「……青空は、好き? ……雷のあなたは、なにを守護するの?」
そんな時間が、|幾許《いくばく》か。
穏やかな笑みを湛えたまま、精霊が不意に彼へと問うた。
思いがけない質問に、きょとと目を丸くしたトゥエルノだったが、そうだなと素直に思案した。自覚している空としては夜が好きだが、雷の、ということは雨空の方が好きかと訊きたいのだろう。
「特筆して青空を嫌うわけではない。あと、護りたいモノなぁ……」
初めに|懐《いだ》いた感覚は、未だしっくり来る言葉が見つかっていなかった。
口許に拳を添え、瞼を伏せて声を紡ぐ。
「難しい面もあったりで。……行動を起こすだけが正しくもなく、ただ其処にあるだけでも良いコトもある」
トゥエルノの思案に、トリテレイアの精霊は「……難しいわ」呟く。
「そう、難しい。キミは此の花畑を守ってもいるようで」
「……まもる。……わたしが」
それは想定外の科白だったらしい。少女型の精霊は目を丸くして風の過ぎ揺れる花々を見渡した。
彼女も自らの裡側に言葉を探しているのだろう。
「……ところで、」
しばらくの沈黙の後、トゥエルノはそわり、居ずまいを正した。その蒼穹の双眸に、好奇心が煌めく。
「アイスって知ってるだろうか?」
突然の質問にもう一度紫の双眸を開いた彼女へ、「美味しそうな物の話も聞いていてな」と近頃ヒトの形を得た雷獣は花の精霊へと視線を据えた。
「塩ミルクにするか苺味が良いか……。共に食べてみるかい?」
「! ……たべる、……たべてみる!」
生まれたばかりの精霊は、トゥエルノの予想どおりそれを口にしたことはなかったようだ。
同じ好奇心の光を宿した瞳に肯いて、ふたりの精霊は立ち上がり、カフェテラスへと足を運んだ。
●知
折れてしまいそうな細い茎に、手を伸ばして来るみたいな可憐な花。寄り集まって咲く姿は大地を染め上げるかのようで。
「綺麗な花畑だねぇ」
危険性がなければ|Anker《ボクの友達》も連れてきてあげたかったな。ぽつりこぼすのはユオル・ラノ(メトセラの嬉戯・h00391)。
夜明けと白雲を溶かした彼の髪は、トリテレイアの色合いに少し似て。"だから"なんて魔法はないけれど、自然と呼吸が落ち着いた。
友達へのお土産にと、手慣れた様子でシャッターを切りつつユオルは細道を迷いなく進む。
花畑の中、座り込むその姿は否が応でも目についたから。
「こんにちは。……気になるものでもあった?」
さらり、髪を揺らして覗き込む少女──精霊のかんばせ。
「……気になる……?」こてりと首を傾ぐ彼女に、鏡写しにユオルも首を傾げた。違うの? と。
「座り込んでいたから」
「……わたし。……ひなたぼっこを、しているの」
「ああ、今日はひなたぼっこ日和だものねぇ」
柔和な笑みを浮かべ、ユオルは少女の言葉を肯定する。
このおっとりした精霊は此度の敵の標的であり、争いに巻き込まれることが予知で知れている。顔見知りになれば、その際にも少しは安心してもらえるのではないかと思えばこそ、彼は寄り添う。
「ボクはユオル。隣に座ってもいいかなぁ?」
精霊は紫の双眸に友好のいろを灯し、もちろんと肯いた。
「……ゆおる、ゆおる。……そうね。……今日は、ひなたぼっこ日和で、……お話日和」
|拙《つたな》い口調は『あまりなにも知らない』と告げる彼女が学びゆく途中であることを顕著に示していたが、けれど確かに学んでいるらしい。
少女はユオルを見上げる。
「……今日は、他の方にもお話を聞いたの。……ゆおる。……あなたは、なにを守護するの」
まっすぐな問いに、彼は眦を和らげた。否、脳裏に浮かんだ姿を思うだけでそうなるのかもしれない。
「大事な友達がいるよ。安心して過ごせるように護りたい子が」
「……そう。……素敵な、ことね」
「うん。……それにね、困ってる人にも力を貸すよぉ」
ボクが見て来た優しい人たちは、迷いなく手を差し延べていたから。
ぱちりと目を瞬くトリテレイアの精霊へ、ユオルは改めてやわく微笑む。
「キミに護りたいものはある? もし無いのなら、これから見つかるかもって思えば……少しわくわくしない?」
「……わたし。……わたしの、……護りたい、もの」
それは、彼女にとって新しい可能性。
少女の瞳にわくわくが宿るのを、ユオルは確かに見つけた。
●二
「どう、お兄ちゃん、私も精霊さんに見えない?」
ラベンダー色の袖のないフレアのワンピースを身にまとったジュヌヴィエーヴ・アンジュー(かつての『神童』・h01063)は、まるで絵画のような花園の中でくるんと回って見せた。ワンピースの裾もふわりと躍る。
「うん、可憐で可愛いよ、ジェニー。そうだね、精霊の人みたい」
記念に動画撮っておかなきゃ。フォルダがまた膨らむなぁ。
愛しい妹にレンズを向け、ジルベール・アンジュー(『神童』の兄・h01027)はぼやくふりをしながらも夢中でジュヌヴィエーヴの姿を記録に収めていく。うふふ、とジュヌヴィエーヴもいつも通りのその光景に満面の笑み。
「お兄ちゃんは口が上手いんだから。でも私以外にそんな事いっちゃ駄目よ?」
「言うはずがないだろ? ほらジェニー、横顔も綺麗だ」
ひとしきり撮影会を楽しんだあと、「それで、どうしよう?」とジルベールは丁寧に記録媒体を仕舞ってから顔を上げた。
この先には敵に狙われるトリテレイアの精霊がいるのだと聞いてはいるが。
「まだ彼女の保護のために動くわけにはいかないって話だし」
「んー、……まあ、どう動くかは、ソフトクリームでも食べながら考えましょ。私はチョコレート!」
兄の質問もどこ吹く風。ジュヌヴィエーヴはいそいそとカフェテラスへと駆け込んで、そしてジルベールも「じゃあ、ぼくはストロベリーのソフトクリームで」とそんな妹を素直に追った。
ふたりで花園を望むテーブルについて、初夏の陽射しに嬉しい冷菓を口に運ぶ。
「それにしても、Anker抹殺計画ねぇ。そんなの自分で返り討ちにしちゃえばいいのに」
「普通のAnkerはジェニーほど無敵じゃないんだよ」
実はきちんと考えていたらしいジュヌヴィエーヴが退屈そうに呟けば、ジルベールは苦笑する。彼女がかつて過ごした√での武勇伝は今もなお、彼女を支えている。否、あるいは──。
「……?」
ふと気付く、その妹からの視線。上目遣いに、なにかを期待している赤い瞳。ああ、もしかして。
ジルベールは自らのソフトクリームを差し出した。
「ジェニー、ひと口ずつ分け合おうか?」
「乗りますとも!」
間髪入れぬジュヌヴィエーヴの応答に、ついジルベールも今度は眉間を開いて笑ってしまう。
「そんなにほしかったの、ジェニー?」
「ん、んー。チョコレートも甘くて美味しいけど、やっぱりお兄ちゃんのの方が甘いな」
ただ食べ比べたかったのか、はたまたちょっぴり苦みのある本格派なチョコレートがまだ彼女のお口には合わなかったのか。真実がどうであれ、ジルベールには彼女の一挙一動が愛おしい。
──この花畑で、守護の誓いを立てるといいんだっけ。
ふたりが冷菓を食べ終るのを待って、胸に湧いた想いのままにジルベールは「ジェニー」呼ばわった。
「誓うよ。魂朽ちるまで、ジェニーを守ります」
突然の、けれど真摯な兄の声に、ジュヌヴィエーヴは瞬いて。
それから、綻ぶように微笑んだ。
「私も。命果てるまでお兄ちゃんを守ります」
それは単なる言葉だったかもしれない。しかしそこに宿る決意は間違いなく、──トリテレイアに見守られた中で交わされた誓いはふたりの絆を深めたのを感じた。
「それじゃ、渦中の精霊さんに会いに行こうか」
立ち上がり、手を差し出す。その手をジュヌヴィエーヴも迷うことなく取って、ふたりは歩き出した。
「精霊さんに会ったら、お名前を聞いてみたいな」
「あ、あの人じゃない? 儚げで、寝たきりだった頃のジェニーみたい」
見つけた先へと、歩幅を揃えて。
●問
風が渡る。
|茉莉花色《ジャスミンゴールド》の髪をそっと押さえ、花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)は瞳を眇めた。
「満開ですね」
紫と白、緑に満ちた大地に中、細く伸びる道へゆっくりと歩を進め、その美しい景色へ頬を緩める。精霊の加護を受けていると噂されているらしいことも、本当かもしれないと思えた。
こんにちは、と。小鳥は声を紡ぐ。
「よいお天気ですね。ひなたぼっこにぴったりです」
彼女がやわらかな笑みを浮かべて見せるのは、件の加護を与えるとされる、この場の主──のうちのひとり。
淡い金の髪、紫の双眸を持つトリテレイアの精霊。
小鳥よりふわと漂う、魅惑の芳香。強制的に懐柔するつもりなんてない。ただ少しでも警戒を解けたら。願いは届き、少女型の精霊は彼女が隣に坐すこと、花を摘むことに屈託なく応じた。
「……花を摘んで、……どうなさるの」
「見ていてください」
ぷちりと、トリテレイアの細い茎を手折る。いくつか集めて、編み込んでいく。小鳥の手許をじっと見つめていた精霊は、穏やかな笑みで迷いなく進めていく小鳥の横顔へ不意に視線を移した。
「……やさしい手のあなた。……あなたはなにを守護するの」
そこに宿る純粋な疑問の気配に、小鳥は微笑む。人間災厄と呼ばれる己に対して『やさしい手』だなんて、なんとも言い難い気持ちになるけれど。
問う瞳は真摯で、返す言葉は誇らしかったから。
「私は『世界』を守護しています」
「……せかい」
大袈裟な言葉。小鳥も自覚しているそれに、精霊は紫の双眸を少しばかり見開いた。嘲りでも不可解でもなく、繰り返す声音にはやはり、知りたい、があった。
「これは兄さんの受け売りです。√能力者は世界を守っている……生き物や土地、こんな花畑や街に、国もそうです」
大切だった、否、今でも大切な、最愛の兄。彼が遺した願い。あるいは、強い意志。
それを|懐《いだ》いて、小鳥は前を見据える。
「もちろん、精霊もです」
「……精霊も」
「ええ。……私は小鳥と言います。あなたの名前を教えていただけますか?」
重なり合う視線。つと小鳥が差し出したのは、トリテレイアで編んだ花かんむり。
まあ、と瞬いた精霊は「……ことり」素直にそれを受け取って金糸の上にそっと載せて咲み返した。
「……わたし。……わたしは、ジナ」
「教えてくださってありがとうございます、ジナ。……よい風が吹いています。もう少し一緒に風を感じましょう」
小鳥の誘いに、精霊は穏やかに肯いた。
●思
やはり、√を渡ったならこれは外せない。
と、ばかりに手にしたストロベリー味のソフトクリームをひと口。冷たくて甘い中にもほんのり甘酸っぱくて──確かにこれは苺だ。クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)はひとしきりその味に感心してから、視線を上げた。
眼前には圧巻と表せるほどの美しくどこまでも広がる花畑。壮観ながらも可憐な花々の姿に、クラウスは我知らず目を細めた。
──こんな景色があの世界のどこかにも、まだあるのかな。
だったらいいのに。そんなことを考えながら、時折風に揺れる花弁の先を指で撫でながら、クラウスは緩やかに散策を楽しむ。
吹き抜けていく風すら、心地良い。
そうしてしばらく過ごしてから、彼の歩みは種類を変えた。散歩するためのそれから、なにかを探すための足取りへ。
知らなくても支障はなくても。それでもクラウスは守る相手のことを知っておきたいから。
「……花の、匂い。……楽しんでくれているのね」
顔を上げ、微笑むのは探しびと。トリテレイアの精霊だ。淡い金の髪に乗った花かんむりがよく似合う。紫の双眸が和らいだ。
「うん。綺麗で平和で、とてもいい場所だと思う」
──こんなところで誰かが殺されるなんて事態、絶対に止めないと。
嬉しい、とぽつり告げる今回の標的となる精霊には告げることのできない予知。思いを新たにした彼へ、『守護』の意味持つ花の化身はその意味を確かめるように問い掛ける。
「……いろんな方に伺っているの。……あなたは、なにを守護するの」
その問いに、クラウスは軽く瞬いた。
あなたを。この場所を。そう答えるのはあまりにも平易だったけれど、彼女の問いの本質はそこにないこともまた、容易に知れる。
だから少し、考えて。
クラウスは|応《いら》える。
「……俺が守護するのは、当たり前の日常かな」
ほんの僅か瞼を伏せて。
「普通に生きている人の平和な日常を、ここのような穏やかな光景を、誰かの大切な人を。……誰かに壊されることのないように守りたいと思っているよ」
その青藍の瞳の奥に写し出されるのは、いつかのあの|世界《ルート》。忘れもしない。
「……俺自身も、そんな日々を失った人間だから」
「、」
落とされた言葉に、精霊が少しばかり目を見開いた。そんな彼女へ、クラウスは口許を緩めてちいさくかぶりを振った。
「だから、同じ想いをする人を減らしたいと思うんだ」
"希望"ではない。
これは彼の覚悟だ。
「……そう。……あなたの道に、光のありますように」
『守護』の精霊は彼の目をひたと見つめ、祝福を贈るのだった。
●|潴《みずたまり》
「なんって、素晴らしいのでしょう!」
その娘は、見渡す限りの花畑を前に普段から輝き絶やさぬ大きな瞳を更に煌めかせ、華奢な両の掌を自らの顔の傍で打ち合わせた。
「宵に頁を捲った御伽のせいかしら? 此度の『夢』は正しく夢見た夢のよう!」
ひと目見ただけでは到底収まり切らぬ、淡い紫や白の花々はなんとひとつの種なのだという。トリテレイア。風に揺れる細い茎に、可憐な花弁。
間に施された細道へ駆け出しては、全身でその夢見心地を──否。"夢"を堪能する子猫のようなはしゃぎぶりに、小沼瀬・回(忘る笠・h00489)は眼鏡の奥の左目を眇めた。
微笑ましい、などという感傷ではない。大半は素直な呆れが胸を埋めるが、それと同時になにかが重く|肚《はら》に沈む感覚もある。
──私が錨を下ろしたがゆえに狙われかねん立場だと知れば、お前さんは恨み言を吐くだろうか。
「ほらほら~、回様も素直に享受なさいな!」
しかし、回の肚の底など探るつもりもないとばかりに長い袖に弧を描かせて振り向いた寿原・紫季(天晴れ・h01460)が、ぶんぶんと手を振る。
回は吐息をひとつ。
「──|燥《はしゃ》ぎすぎて転ぶなよ、雇い主殿」
「んまっ! 子供であるまいし?!」
きいと睨めつける視線にも顔を逸らしていなす回へ、紫季は更に言い募る。
「回様こそ、もう少し楽しまれてはいかがですの? それとも、わたくしの夢にご不満でもっ?!」
「別に不満はないとも、気にするな」
返ったのはあまりに淡々とした科白。けれど紫季は「そうでしょうとも!」ころりと一転してふくふくと満ち足りた笑顔を浮かべた。嗚呼、なんたる純然!
「|現《うつつ》では縁遠い場ですもの。楽しまなくては損ですわよね?」
「見事だな、ああきっと現では見れまい」
ひらり掌払って紡ぐ言葉は軽く薄く、夢見る娘へと誤魔化すための防衛線。
きっと彼女は気付きもしないだろう。回の思惑どおり──少なくとも、表面上は──、紫季は回の返答に口角を上げて「そうでしょう、そうでしょうとも」うたうように告げながら再び花々の合間を跳ねるように歩いた。さわさわと風に葉が花がささめく。
「それにしても、綺麗な花ですわ」
何度目かの花への挨拶じみた動きの末に、紫季が囁いた。否定はしないと、回はどこか遠くに視線を遣る。脳裏に浮いた雑学が不意に口をついた。
「花の抱く言葉は『守護』であるそうだぞ」
「まあ、だから皆様が誓いを? 素晴らしいこと!」
ならばわたくしも倣いましょうかしら。ふふと口許に指先添える雇い主へ、唐傘の付喪神は「ほおう、」軽く眉を上げてみせた。
「守護を誓う相手なぞ居るのかね」
「もっちろん、護りたいものくらい──」
「待て、まさか懸想相手の坊主では──」
「えっ、」
思いついてしまった候補、思いがけない詮索。互いに見開いた瞳は、やはり娘の方が先にゆるゆると笑み崩れる。
「そんなそんな、えへ、それはね、まあ? いずれ妻としては〜と思いますけれど?」
実現されたなら、それはどんなに素敵だろう。両頬に掌添えて"夢"に浸る紫季へ、回は思わず胡乱な目つき。娘もそれに気付き、「っそうではなくて!」と急いでその掌を離した。
「継ぐ予定の『晴路屋』ですッ! 回様にとっても、そうでしょう?」
「……確かにそれは、……護らねばならんか」
──大好きなお父様とお母様の遺したお店。
今は回に店主を任せている雑貨屋だ。回はちいさく首肯する。
娘は眦和らげてから、祈るように指を組んで睫毛を伏せた。
「未だ叶いませんが、必ず護りたいの」
「……無論、護るとも。雇われ店主としてな」
彼女の誓いに、回はそう返す。それは偽らざる想いではあった。
しかし、それは雇われ店主としてはあまりに『当然』のことであり、回が個として誓うのは守護ではない。
──危険に晒して、守護など言えまい。
己が錨を下ろしたばかりか、争いの場になると知りつつ娘がこの花園に来たがるのを止めることもできなかった。
──だから私は庇護を誓えればいい。
唐傘として雨から護るだけでなく。ただ、己の勝手を償うようにして。
「護るとも。──この花に誓って」
「──?」
繰り返された、誓いの言葉。対象が異なることなど知る由もない娘は小首を傾げ、それでも素直にそれを受け取った。
「ええ、護って下さいましね。雇い主にも誓って欲しいものですけれど」
──共に護って下さるのでしょうね。きっと、夢が醒めたあとだって。
ちょっぴり小言もこぼしつつ、紫季は微笑み浮かべてそぅっと吐息をこぼした。間違いない、これは安堵。「さあ回様、もっと楽しみましょ!」それを誤魔化すみたいに花の中へ再び歩を進める娘の背を、回は狐雨の空の如き心地で見つめる。
──錨を引けば、情を退けば、容易いこと。遠ざけてしまえば危険もなかろうが。
それでも尚、傍で護ることを選ぶ。覚悟をもって、そう誓った。そしてそれは、敵も同じなのだろうと思えばこそ、回は心象とはまるで異なる青空を見上げた。
──難儀だな、護りたいものが在るのは。
●互
「ミモザ、引き返す気はないのですね?」
「ないよ! さっきも言ったけど、花の妖精としてトリテレイアの精霊さんが狙われるなんて看過できないから! いざという時はあたしが精霊さんを護ってあげるんだから!」
エレノール・ムーンレイカー(怯懦の精霊銃士・h05517)の最後の確認に、ミモザ・ブルーミン(エレノール・ムーンレイカーの妖精の使い魔・h05534)は元気に胸を張り、想定どおりの返事をした。ミモザにとってはもちろん、トリテレイアの花園そのものに惹かれたというのもあるけれど。
きらきら輝く薔薇色の瞳は自信に溢れ、その眩しさにエレノールは「……そうですね」と覚悟を決めた。
己のAnkerであるミモザを危険な場所へ伴うことに思うところはあったけれど、己としても|精霊銃士《エレメンタルガンナー》の端くれとして精霊が標的にされるとあらば見過ごすことはできない。
ましてや、誰かの大切な存在になれるかもしれない相手ならば尚更護りたい。その上でミモザ自身がこうもやる気ならば仕方ない。
──わたしがふたり分守ればいいでしょう。
「あ! あったよ、カフェテラス!」
美しい花畑を進んで見つけたそこで、ミモザははちみつレモンのスムージーを、エレノールはバニラのソフトクリームを注文してテーブルについた。
「とっても美味しい! 甘さと酸味が程よく交わりあって……」
蜂蜜とレモンの、互いに独特でありながら見事に融和する香りも──と頬を緩ませるミモザを視界に入れながら、エレノールは改めてそこに広がる雄大な景色にちいさく息をこぼした。
大地を埋める紫や白のトリテレイアが風に揺れ、青い空に白い雲が流れる。
正反対でありながらも大切な存在とゆったり初夏の空の下、冷菓に舌鼓を打つ。
「格別ですね。星詠みの依頼の事も忘れてしまいそうです」
ソフトクリームをひと口。濃厚で、けれどやさしい味がすっと舌に溶ける。その冷たさが強まり始めた陽射しに嬉しい。
ねー、とスムージーのカップの横に頬杖をついて、ミモザも|微睡《まどろ》むみたいに笑みをこぼした。
「ふたりで花園を見ながら休憩するこの時間、とてもチルくていいなぁ……」
「……そうですね」
エレノールとミモザは、使い魔の契約の影響で記憶を共有することができる。
けれど、わざわざこうして並んで同じ経験を分け合う『共有』が、お互いが景色に含まれるという事実が、なにより得難くあたたかった。
そうしてしばしの時のあと。
ふたりは再び花畑の中に伸びた細道を歩いた。清しい空気を胸にいっぱい吸い込んで、そして見つけた、視線の先。
「居た! うわ、むっちゃ可愛いじゃない!」
それはトリテレイアの精霊。少女型のそれは淡い金の髪に、紫と白の花かんむりを載せていた。ミモザの考えるよりも先に口をついた感想に、精霊はふんわり微笑んで小首を傾げた。
「……ありがとう、あなた方も、とても、きれい。……あなた方も、お話をしに来てくださったの」
「話、と言うより……いえ、」
「そう! お話しよう? あたしミモザ! どうぞよろしくね」
エレノールの躊躇を塗り潰す明るさで、ぱたぱたと翅を動かすミモザが精霊へと一礼する。精霊もそれに倣ってぺこりとふたりへ頭を下げるものだから、エレノールも急いで彼女へと名乗った。
いいところだねぇ。心が洗われるようです。……ありがとう、うれしい。ねぇ、他の精霊さんと会ったりするの? ……ええ、たまには。そんな他愛もない会話を重ねるさ中、精霊はふたりへと紫の双眸を据えた。
「……あなた方は、なにを守護するの」
はたりと。エレノールとミモザは顔を見合わせる。言葉に瞬時迷ったのはミモザの方。エレノールはそっと胸に己の手を添え、精霊へと真摯に応えた。
「わたしは、この世界で起こる理不尽から、それに立ち向かう力がない人々を護りたいと思っています」
エレノールに迷いはない。そのまっすぐな眼差しを、ミモザは眩しいと感じる。
「──それと、この子、……ミモザの事も」
ちらと穏やかな琥珀色の瞳がミモザを見る。それはエレノールの偽らざる想いであり、誓い。
精霊は嬉しそうに眦を和らげる。ミモザはひたむきなその想いに「〜〜っ」気恥ずかしさを覚えて両掌で頬を包み、それから軽く咳払いをしてなんとか意識を切り替えながら、精霊とエレノールを交互に見た。
「あたしは、守護とかそんな大層な事じゃないけどさ。少なくとも、このエレノールの事は護りたいとは思っているよ? いろいろとね?」
──あー恥ずかし! ぽぽぽと熱を感じる頬へ掌煽いで風を送ろうとするミモザとエレノールの手を、精霊は自らの手と重ねて額を寄せた。
「……想いが重なることは、いとおしいこと。……とても幸福なこと、ですね。……おふたりの守護の、叶いますように」
精霊の祝福を受けて、ふたりは改めて顔を見合わせ、それからやわく笑み交わした。
●志
ヴァロ・アアルト(Revontulet・h01627)は急ぎトリテレイアの花畑へと駆けつけた。
誰かのAnker候補となる存在── 此度の標的はその花の精霊──が暗殺されてしまうのだと聞いて。
──精霊さんと仲良くなりたいです。
素直にそう感じたヴァロは、まずカフェテラスへと足を運んだ。誰かと仲良くなるには手土産がいい、と昔学んだから。
ソフトクリームとスムージーがあると店員に告げられ、子狐は白銀の三角の耳を立てたり、倒したり。真剣な眼差しで黒板のメニューを見つめた。
「むむむ……ソフトクリームは途中で溶けちゃいそうなので、スムージーに! と思いましたが……それもいっぱいあるのですね……」
『ベリーミックス』、『トロピカル』、『バナナミルク』、『はちみつレモン』。さて、件の精霊はなにがお好きだろう。
ぴょこ、ぴょこ。動き続ける耳。
悩み抜いたヴァロが出した結論は、
「こういうときは全種類です!」
一面の花の海の中、ぽつりと座る少女の姿。淡い金の髪にトリテレイアの花を咲かせ、花かんむりを載せた彼女を驚かせないよう、ヴァロは視界に入る位置から近付いた。
抱えたスムージーをこぼさぬように、丁寧な足取りで。
「こんにちは。良い天気ですね」
「……こんにちは。……ええ、とても、気持ちいい」
精霊は警戒心なく口角を上げる。これも"生まれたばかり"だからなのだろうか。ヴァロは思う。
──こんなひとを、暗殺するための計画。
なにか悪いことをしたわけでもないだろう。『自業自得』でも、『因果応報』でもないはず。
──つまり、その暗殺者さんが悪いひとです!
きゅ、と胸の裡で拳を握り、決意も新たに子狐は精霊と視線を合わせた。
「私、ヴァロって言います。これ……たくさん買ったので、良ければお好きなのどうぞ」
「……いいの」
「はい! それで……良ければ、お話ししませんか」
敵から護りたい。その想いは確かに強まったけれど、やはりヴァロにとっての一番は変わらない。『仲良くなりたい』。
もちろんと応じた精霊がはちみつレモンを選んだので、ヴァロは手始めに──ぜんぶ美味しくいただきます!──ベリーのスムージーをひと口。甘酸っぱい冷たさに初夏の陽射しの下、身体が喜ぶのを感じて耳も尾もぴこぴこ。
ひと息ついて、改めて目の前の景色に浸る。
風が吹き抜け、揺れる花々。それは陽射しに鮮やかで、けれどやさしく肩の力が抜けていくのを感じた。
「トリテレイアのお花、綺麗ですね……」
敬意を表し、敢えて|種《しゅ》の名を口にしてヴァロは唇に笑みを刷く。
「花言葉が『守護』というのも素敵です。私もフィルギャですから、親近感が湧きます」
そんな彼女へ、首を傾げ興味を示すのは精霊の番だ。
「……ふぃるぎゃ、という方々も……護るという意味を持つの。……あなたは、なにを守護するの」
フィルギャ。追随者。守護妖精と呼ばれることもある、|主人《あるじ》を護るため付き従うもの。
「私がお守りするのは|女主人《マスター》です」
小狐の娘はどこか誇らしげな想いで、その呼び名を口にした。
「本当は魔法の杖に変身して戦闘のサポートもしてたんですが、なんか急にできなくなっちゃって……。今は、代わりにお役に立てる方法を探すために、ひとりで世界を巡ってるんです」
「……そう、なの。……それは、……」
あくまで笑顔で語って聞かせるヴァロへ、精霊は言葉を探し、一旦スムージーを吸い上げた。『残念』? 『気の毒』? そんな類を選んでいるのだろうか。
だからヴァロは、そっとかぶりを振った。
「……守護って、傍にいなくてもできるものだと思ってるんです」
「……傍に、……居なくても?」
「はい、上手く言えませんが……心の支えというか……拠り所というか……。|女主人《マスター》が挫けそうなとき、私がいますよ! って思い出してくれるだけでも力になる……そんな」
えへへと指先で軽く頬を掻く。そうだったらいいなという想いと、それだけの守護を誓う矜持とが綯い交ぜになるけれど。
「で、」冬の夜空色の瞳を精霊へひたと据えた。揺るがぬ確信がそこにある。
「それは私も同じです。|女主人《マスター》が頑張ってると思えば、私も頑張れる」
はっきりと告げ──しかしすぐにまたふやりと小狐は相好を崩した。
「私も、|女主人《マスター》に護られてるってことですね」
それは傍にいなくても守護は為ると証明してくれているようで、心強く面映く、光栄で。
「……ええ、とても、素敵」
精霊は憂いを消した表情で肯いた。
第2章 集団戦 『グリマルキン派魔女戦闘員』

●その悪行を阻止せよ
「デプラヴィティー!」
「デプラヴィティー!」
「デプラヴィティー!」
花園の穏やかな時をけたたましい奇声で遮ったのは魔女。元は悪魔的な組織に属する者たちであるが、別の組織に鞍替えすることも多々あるのだという。
「サイコブレイド様の命令だよ」
「Ankerを殺せっ」
「どれがAnker?」
「精霊だよ!」
「──トリテレイアの精霊!」
わらわらと√を渡ってきた今回の魔女たちは、サイコブレイドに従っているらしい。
目的はもちろん、淡い金色の髪に白い花を咲かせ、今はトリテレイアの花かんむりも載せた少女型のトリテレイアの精霊。名はジネーヴラ──彼女自身はジナと呼ばれることを好んでいるらしかった。
「……花が」
無作法に花園へ踏み込んできた魔女たちは、トリテレイアの花々を踏みにじっていく。まるで痛みが伝わるかのように、ジナは悲しげに眉を寄せた。
けれど、此度の依頼ではなによりもジナの安全が最優先。
縦横無尽に襲いかかってくる魔女たちからジナを護り抜くこと、それが絶対条件だ。
サイコブレイドとは違い、魔女たちにAnkerを見分ける力はない。しかし、『Ankerを抹殺せよ』との命令の意味は判っている。「Ankerだ」と名乗れば目先の標的へと攻撃を行うだろう。そう、|名乗りさえすれば《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
戦うことは他の能力者に任せ、別の行動を取ることも可能。自由度は高い。故に──なぜその行動を取りたいのか。想いの強さが成功に結びつく鍵となる。
なぜ、戦うのか。
なぜ、逃げるのか。
なぜ、護るのか。
──なぜ。
●必
きゃらきゃら笑いながら花畑を進んでくる魔女たち。受けた命は『トリテレイアの精霊を殺す』こと。誰がAnkerかなど判ってもいないまま。
花喰・小鳥は傍らに立つトゥルエノ・トニトルスと視線を交わし合ったのち、件の精霊へと肩を翻した。
「大丈夫。ジナは下がっていてください。あなたは私が守ります。……それと、あと一輪だけ、許してもらえますか?」
紫の瞳をまるくした精霊──ジナが肯くのを確認してから、小鳥は紫のトリテレイアを茎を長めに残して一輪手折り、スーツのボタンホールに挿した。
そしてわらわらと花畑を進む魔女たちへ向かって、花が綻ぶように微笑んだ。
「あなた達は私を探しているのでしょう? 私がAnkerです」
ふわりと漂う花の香りが、魔女たちの意識を強く強く惹き付ける。同時に小鳥の影から湧き出た三十体の|影官吏《エージェント》がめいめいに拳銃を構えた。それは|虚機関《スクレ・ドゥ・ロワ》。
影官吏たちは小鳥を護るように一斉に発砲を始め、魔女たちは泡を食って狼狽した。
「なになに?!」
「Anker?! じゃあ殺さなきゃ!」
それっと魔女たちが手を掲げる。あらかじめサバトを経てテンションを高めていた魔力が弾け、数体の影官吏が掻き消される。しかし、それだけだ。
別の魔女の振り上げたランタンからは攻撃とも呼べないようなまるで魔力の散漫な火球が放たれる。素早く背後へと視線を走らせ、万が一にもジナへと被害が及ばぬよう小鳥は身を呈す──彼女にとってそれはほとんどちいさな火の粉程度、痛みの内にも入らない。
「、……ことり、」
ジナの唇から彼女の名がこぼれ落ちる。小鳥は笑みを崩さない。
──私は世界を守護している。
そしてそのまま、駆け出した。
「あっ! 待て!」
当然魔女たちは慌てふためき、ジナからみるみる離れていく小鳥をばらばらと統率なく追った。戸惑い足が動かぬ魔女たちの前には、トゥルエノがジナを背に庇って立つ。同じ目的持つ能力者同士の信を以て任せた小鳥は、振り返らない。
──なぜ?
問いの答えは明確だった。
『誰も死なせたくないから』。
災厄として多くを殺しても、たとえ敵でも、小鳥としては死なせたいわけではないから。
──兄さんも、そうだった。
遺された私にできること。小鳥は瞬時瞼を伏せ、そして唇を引き結んだ。
──兄さんのように、|世界《みんな》を守る。
「あのAnker、あんたの?!」
「あの子、精霊?!」
駆け去った小鳥の後ろ姿を未練がましく何度も何度も振り返りながら場に留まった魔女たちが言うのに、トゥルエノは軽く肩を竦めてちいさく息を吐いた。
「賑やか喧しいネコ魔女戦闘員どもだなぁ」
──なぜ、護るのか。
護りたいものを口にすることも難しいと感じるのに。トゥルエノは花畑の中をずかずかと近付いてくる魔女たちへと視線を遣る。ふつりふつり。肚の奥に揺れるものは、ある。
──世界とは平穏な居場所であり……、笑顔が溢れるところであって欲しいから、かな。
ジナの身を護ることは当然だが、この花畑とて、可能な限り傷つけさせたくないのだ。ここを守るジナのためにも、ここを楽しむ他の存在のためにも。
庇い、常に彼女を己の背後に位置取るため何度か振り返る。その度に合う視線は不安気で、けれどジナはまだ己の危機について呑み込めていないようだった。構わない。知られることなく護り通せるのならば、それでもいい。平穏で、あって欲しいのだ。
──一介の精霊の望みに過ぎないものではあるが。
「精霊ならば此方にも居るよ。──万雷の……と改めさせては頂くのだが」
告げてトゥルエノは片手を差し上げる。
「すべてを貫け神の鉄槌」
|霹靂閃電《ミョルニル》。
彼の喚び声に応じて、ジナの頭上を中心とした円に立ち込める暗雲。ざわざわと魔女たちが見上げるその奥から、青白い雷光が一斉に牙を剥いた。その数三百の稲妻が篠突く。
「っこんなのだって、私たち、サバトでッ……!」
「やってみるがいいよ」
魔女の数人が再び手を掲げれば、確かにいくつかの雷は躱されたのかもしれない。だが、残りは?
降りしきる雷は魔女たちを無慈悲に撃ち焦がしていく。
「自然の怒りは此の程度で済まされないモノさ」
|短剣《スティレット》型のレイン砲台を携え、撃ち漏らしのないよう粒子状のレーザーで狙い打ちしながらトゥルエノは片目を伏せて見せた。
●背
奇声を上げ、標的であるAnkerを探し求めて不躾な足取りで花園を踏み荒らす魔女たちを目の当たりにして、エアリィ・ウィンディアは精霊銃を胸に抱き締め、深緑色の双眸をおろと彷徨わせた。
視線の先、淡い金色の髪にトリテレイアの花を咲かせたあの少女が、件の精霊だと判る。
「お花の精霊さんが……。それに、お花畑が……」
許せないっ! 胸を埋める義憤、けれどエアリィはすぐに一歩を踏み出せないでいた。迫る複数人の敵、護るべき対象は戦えない──。
──どうしよう……こっちに気を惹くのもありだけど、身体はひとつだし……。
早く決めないと、と焦りが募れば募るほど、最適解が判らなくなってくる。
──エア、迷っているなぁ……。
そんな娘の横顔を、やわらかな笑みすら浮かべてシル・ウィンディアは見守る。エアリィの葛藤は手に取るように伝わって来る。
あの子を助けたいのなら。すぅ、とシルは息を吸い込んだ。
「あなた達が求めているAnkerはここだよ。捕まえたいのならこっちに来なさいっ!」
蒼い髪を跳ねさせ、大音声で魔女たちへと宣した。
「え、お、お母さんっ?!」
驚愕に目を見開くエアリィへとシルは目配せひとつ。胸を張って微笑み浮かべくるりと身を翻すと、花畑から飛び出すように駆け出した。当然、ジナの居る方向からも逆側に。
「えっAnker?! こっちも?!」
「逃がさないよ! 殺してあげるんだから!」
「〜〜ッ!」
次々と魔女たちがシルの背を追い、エアリィは思わず歯噛みするけれど。ぐ、と精霊銃のグリップを握り締めると、ジナに向けて走り出す。
──お母さんになにか考えがあるなら、あたしはあの精霊さん……ジナさんを護るだけっ!
己の迷いが、母を危険に晒した。自らの未熟さを今は押し殺して、エアリィは引き金に指を掛けた。
自分の手の届くひとを護りたいから戦う。それは他ならぬ母から教わったこと。『手を伸ばして、抱きしめられるくらいのひとは護りなさい』と。
── だから、出来ることを全力でやるのっ!
だから。
──うぅん、これはなかなか……厳しい、かな?
数が多いことも、危険なのことも、すべて承知のうえだったけれど。
「ふぎゃァアアッ!!」
「わわっ!」
「ふしゃ──ッ!!」
|金色《こんじき》の瞳を爛々と輝かせた巨大な黒猫が、その鋭い爪を幾度となく繰り出す。
撹乱のためにシルが生み出した幻影も、√能力によって移動速度や攻撃回数が四倍、攻撃力も二倍になった敵によって掻き消される。
全力の風の魔法でオーラとして暴風を纏い、防御力を上げたとしても。風の力を借りて空中を駆けて逃げたとしても。黒猫の巨躯はやすやすとシルの身体をその爪に引っ掛けた。
一匹一匹の黒猫が顕現している時間は長くはないがいかんせん、そもそもの数の差がある。技能のみで躱し切るには限界があった。
「ッ……!」
ぽたぽたと血が散る。人型に戻った魔女たちは悠然と顎を上げて嗤った。
「Ankerなんだったらぁ、大人しく護られてれば良かったのに!」
「……不思議?」
傷口を抑えながらシルはくすと笑い、問う。彼女自身にとってこの行動は、なんら疑問を|懐《いだ》くものではなかった。
「娘が迷っていたら、道を示すのが親の役目。それに……」
波動を感じ、シルは肩の力を抜いた。
「わたし、無力な相手を狙うってひと達は嫌いだから。それは娘も、ね」
「──だからもちろん、お母さんも護るっ!!」
「にゃああアッ?!」
火・水・風・土・光・闇。それらの力が複合した魔力弾が雨霰とシルの前に立ちはだかっていた魔女、あるいは巨大な黒猫たちへと叩きつけられ、穿っていく。|六芒星精霊速射砲《ヘキサドライブ・ソニック・ブラスト》。
「遅くなってごめんね、お母さんっ」
「ううん。よく出来ました、エア」
ジナを庇う。それを最優先にしたが故の時間差ではあったけれど、シルとて歴戦の術士だ。これくらいの怪我など、大したことはない。
「さっ、気を抜かず次に備えるよ!」
「うんっ!」
●影
守護するのは、『当たり前の日常』。
クラウス・イーザリーは少し離れた場所で、他の能力者たちに護られているトリテレイアの精霊、ジナを見遣る。その周囲にはもちろん、紫や白の花々。
そして視線をずらせば、その花々を一切の頓着なく踏んで進んで来る魔女たち。
「さぁさぁっ、Ankerを殺すよ!」
「サイコブレイドさまに報告しなきゃ!」
「……」
クラウスは口をつぐみ、瞼を伏せた。
それからまっすぐに腕を上げ、空を指す。想い描くのは君。直視できぬほど眩い──太陽。
「ッなに?!」
「見えな……!」
突然周囲が真っ白な光のエネルギーに包まれ、魔女たちが困惑した声を上げる。
彼の指した先に大きく羽ばたいたのは、太陽のような光を纏った鳥の幻影だ。しなやかな首をもたげ、大きく嘴を開く。
迸り降り注ぐ、火炎弾。
魔女たちは慌てふためき、悲鳴を上げる。ある者は突風を喚び、ある者はランタンを掲げて火球でそれを相殺しようと試みるが、多くの者は突然かつ全力の魔力による強襲に、なす術なく被弾した。
「なになに?! 誰?!」
目隠しの下の顔を真っ赤にしてがなる魔女へ、クラウスは静かに告げる。
「花を踏み荒らす不届き者には、帰ってもらおうか」
まずは気を惹くこと。ジナから意識を逸らすこと。
祝福を贈ってくれたジナを、この美しい光景を、この場所に在る当たり前の日常を守る。
クラウスの意志は揺るぎなく、陽の鳥は見る者を遍く焦がしていった。
「Ankerを殺したいなら……俺のAnkerも、殺してみる?」
魔女たちの言葉を拾い、クラウスは頭上で翼を広げる鳥の姿を得た太陽を示した。
鳥の幻影は彼の√能力であり、そのものがAnkerではない。けれど、太陽。それは彼の本当のAnkerである、かつての戦いの中で喪った親友の象徴だ。
だから、まあ嘘は言ってないだろうとクラウスは内心で軽く肩を竦めた。
「あんなの……っ! 勝てるはずない!」
ランタンを掲げ撃ち放たれる太い蔓は、太陽の鳥ではなくクラウス自身へと襲い掛かり、──そしてそれは鳥が放った炎に焼き尽くされる。
「勝てないAnkerは襲わないとでも言うのか?」
そうしてなにも知らないジナを、なにも判らない弱者を、抗う術のない人々を狙い、その日常を奪うというのか。
──巫山戯るな。
クラウスは再び中空へと指を差し上げる。陽の鳥が平等な灼熱を地平に撒いた。
●一
『そんなの自分で返り討ちにしちゃえばいいのに』。
Ankerとなった今でも、ジュヌヴィエーヴ・アンジューには戦場を離れる選択肢はなかった。
最愛の兄が|殺戮兵器《ウォーゾーン》に乗り込むまで。否、搭乗し終えても。
ジュヌヴィエーヌがさっとまっすぐに揃えた指先で空を切るように手を軽く手を挙げると、花畑の向こう側に佇むカフェテラスの建物の蔭から|無人機母艦《レギオンフォートレス》『ハニカム』が音もなく浮上する。
魔女たちが攻撃を察して身構える頭上でホバリングするそれへ、ジュヌヴィエーヌは挙げた手をピッ、と横へ薙いだ。
「戦場に広がれ。翻弄し、自爆せよ」
彼女の号令と同時に、『ハニカム』から発進するのは幾多の蜂型|無人機《ドローン》『ホーネット』。『蜂の巣』から飛び立った『スズメバチ』たちは魔女たちの中へ躍り込み、備えた翅型ブレードで以て斬り捨て──積み込んだ爆薬を炸裂させた。
絹裂くような悲鳴が花畑へ響き渡る。
「ッこんなの……! サバトの効果でッ……!」
ひとりの魔女が叫ぶと、確かに一機の『ホーネット』はなにも出来ずに墜落した。けれどそこまでだ。
「関係ない、Ankerを! 精霊を殺せばいいんじゃない!」
敵を前に躊躇わず戦い続ける彼女のことを、魔女たちはAnkerだとは認識しなかった。
ジナへ向かうべく踵を返した猫耳フードたちはけれど、「おっと、させんとも」細く鋭利な斬撃に身を裂かれた。指輪を撫で「手数だけは多いのでな」とジュヌヴィエーヌは面白くもなさそうに口角を上げる。
「貴様たちと違って、残念ながら私の生命はひとつだ。その生命、私を救ってくれた√世界への恩返しに使わないと、どうにも寝覚めが悪い。……どうせ貴様らには解らんだろう」
「そうね、判んないよ!」
ジュヌヴィエーヌへ向けて、魔女がランタンを掲げる。火球が降り注ぐ。しかし。
それは、彼女に届く直前でエネルギーの膜に阻まれ、弾けて消えた。
「無事だね、ジェニー?!」
重い音を立てて降り立ったのは、最終決戦型|WZ《ウォーゾーン》【セラフィム】──に乗り込んだジルベール・アンジューだ。
当然とばかりにラベンダー色のスカートを風に泳がせ、ジュヌヴィエーヌは一転やわらかな微笑みをそのWZへ向ける。
「何よりも最愛の兄と共に居られる幸福は手放しがたい」
その呟きはジルベールには届かない。
「全く、妹は無茶をする……」
戦い終えても、そこで立ち止まるつもりはないらしい。『神童』の頃の姿がジュヌヴィエーヌの姿にかぶって見える。
──それなら、愛する彼女を守るために、どんなことでもしよう。
ただ彼の視界に彼女が居る。それだけで力が湧いた。血が沸いた。【セラフィム】に備えた飛翔翼を畳み、ジュヌヴィエーヌを庇う位置で砲剣を抜いたジルベールは炎の弾を敵へ放つ。
「っまた……!」
「邪魔するなら、こうだよ!」
炎に焼かれつつも魔女たちはランタンを振り上げた。溢れ出した植物の蔓が【セラフィム】へと絡みつかんとする。
ジルベールは焦ることなく刃でそれらを斬り落としながら、妹へ叫んだ。
「ジェニー、手筈通りに!」
「ええ、お兄ちゃん」
素早くジュヌヴィエーヌが駆け出す。トリテレイアの花畑を踏みにじるのは心苦しい。戦場をここから移すべくふたりは魔女を牽制しながら花畑、ひいてはジナから離れていく。
「どんな攻撃でも余裕で耐えてみせるよ。妹がこの場に居る限りね」
●悔
──ぽやっとして可愛い子だなって思った。
あたしの話を聞いてくれて、応援してくれた優しい子だなって。
なのに。
「……花が」
ぽつりとこぼす青褪めた横顔に、シアニ・レンツィの胸の奥がざわめいた。落ち着かなくて、喉がきゅうっと締まるみたいにくるしくなる。
花畑には不躾な足取りで、きゃらきゃらと笑いながら魔女たちが突き進んで来る。時には突風を起こし、空にトリテレイアの花が舞い散る。
──分かってる、ジナさんの安全が最優先。……でも。
戦いが終って、√能力者たちが立ち去ったあと。シアニは脳裏にその光景を思い描く。
荒れた花畑に立ち竦む少女型の精霊。そのとき彼女は、なにを思うのだろう。
──きっといっぱい悲しくて、なんで? どうして? って、ひとりぼっちで……。
だって彼女は、己がAnkerになるかもしれないことなんて知らない。その候補者を抹殺する計画が進められていることだって知らない。その混乱は、いかばかりだろうか。
──そんな、そんなこと、させられないよ!
「みんな、集合!」
草原の色の瞳に力を籠めて、シアニが空へと片手を差し上げると、どこからともなく集まって来るのはミニドラゴン、その幻影。それは|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》。
「ユア、みんな、ありがと! ユアはジナさんの傍で守ってあげて。それから……」
彼女の指示に、緑竜のユアはひたと視線を合わせてから精霊の元へと飛んでいく。ジナは傍に寄り添うユアにそっと手を伸ばし、それからシアニを見つめた。
シアニはジナを励ますように笑顔を向け、力強くひとつ肯いた。大丈夫。任せて。
そして他の竜たちを引き連れて、彼女はトリテレイアの花園から駆け出した。
『Ankerが逃げた』
『あの青い奴だ。あいつが精霊だ』
「なに?! なんか聴こえるんだけどー!」
「青い奴……?! あいつ?!」
魔女たちは突如脳内に響いた情報に混乱しながらも確かめるために周囲を忙しなく見回した。青、と探して目についたのは──青い肌。
シアニは魔女たちが諦めない程度の速度を保ちながら、花畑の中に細道をただひたすらに走り抜ける。
「なにこれ……?! 悪魔さまからの天啓?!」
「ならあいつで確定じゃん!」
魔女たちが色めきたつ"音"の正体はミニドラゴンの幻影による念話だ。当然、彼女たちが信じる悪魔の声ではない。けれどシアニが想像した以上に、シアニの策は功を奏した。
魔女たちは迷いなくシアニを捕縛──そして抹殺せんと植物の蔓を放つ。貫いても良いとばかりに襲い来るそれを、ミニドラゴンたちが魔力の鎖で以て打ち払い、逆巻く突風の中にシアニは"道"を見切って受け流した。
「なにあいつ、生意気ー!」
「あ、やった、足が止まっ──」
そうして、振り返る。
周囲のトリテレイアは、魔女たちの遥か後方。もう、大丈夫! シアニは瞳に真摯な炎を宿し、解き放つ。
「だめだよ! 誰かを悲しませることをするのは!」
輝く彼女の膝下が、空色の竜のそれへと変貌していく。ずん、と地を蹴る重い音──が、魔女の耳に届く頃には肉薄したシアニの振り上げた巨大なハンマーがその身体を叩き潰す。
悲鳴が渡るが、シアニは止まらない。|不完全な竜は急に止まれない《フォルス・ドラグアサルト》。移動速度、それに伴う攻撃回数、そして攻撃威力をも上げる"疾さ"。
花畑から離れた今なら、土を散らし重い質量で穿つことになっても問題ない。
ふたりの魔女の間を抜ける勢いでひとりの細身を引っ掛け、彼女らの二歩後ろに踏み込みぐるんと遠心力載せて身を翻す。
「そぉおれぇッ!!」
みしみしみしッ──! 軋むのはハンマーの柄か、はたまた彼女の腕か。二人分の|魔女《にんげん》を掻っ攫う怪力で振り抜く。吹き飛ぶ身体を見送る暇などない。さぁ、次!
「ジナさんの傍には、あの花園には、もう近付かせないよ!」
●全
めいめいに√能力者たちが魔女を引きつけて花畑から遠ざかっていくのを、あるいは守護対象である精霊を背に庇うのを見たヴァロ・アアルトも宝物の魔道書を開き、精霊を肩越しに振り返った。
「ジナさん、私の傍からあんまり離れないでくださいね」
──私、守護霊ですから……!
冬の夜空を映し取った双眸に、使命が灯って炯ともえる。
出し惜しみなんてしない。
前を向く。既にかなりの戦力を√能力者たちによって分断された魔女たちが、それでも引き下がることもなく花園を無遠慮に踏み荒らし、『精霊を殺す』べくランタンを掲げて手当たり次第に魔法を放ち近付いて来る。
Ankerだとは名乗らない。そうすることで不意を衝く。
ヴァロは唇を引き結び、全力で魔力を練った。
小狐を中心に、ぶわっ、と巻き上がった風は六花を纏う。ぱらぱらとひとりでに繰られていった頁はある場所でぴたりと止まり、同時に頁の上に幾多の清らかな冷気が浮かび上がる。
「護ってみせます! 私の護りたいものを、全部……!」
──すべての幸せを願っているから!
魔道書を持つのと逆の手を浮かんだ冷気にかざし、そして振るう。|雪煌《セッコウ》ノ|呼《コ》。冷気は弾丸となり、魔女たちへと音速の雹となって叩き付けた。
悲鳴が渡る。「こ、のぉ……ッ!」魔女たちが歯噛みして吼えた。骨の軋む音がして、彼女たちの姿が見る間に黄金の目を輝かせる巨大な黒猫へと変わっていった。
濁った声で鳴き声ひとつ。ぎらりと光る目がジナを捉え、大きく太い脚がトリテレイアの花を踏みにじった。「……っ、」ヴァロの耳は己の背後で精霊が息を呑み身を竦ませるのを知る。
「大丈夫ですよ。絶対に"護り"ますから」
全力で。それは前向きな祈りでありながら、胸の奥底に沈めた臆病な願いでもあった。全力を出さなかったことで、後悔をしたくない。
──私が動けば世界が変わる。動かなきゃ変わらない。
だから。
「私はいつだって、できることは全部やるって決めてるんです! ──猫さん、大人しくしてください!」
荒ぶる巨躯に見合わぬ素早さで跳躍のために後ろ脚に力を込めた、その瞬間。ヴァロは魔道書の頁へ掌をかざした。
途端に"雹"が射抜いた場所、あるいは標的から逸れて穿たれた大地を中心に湧き起こる吹雪。氷雪は黒猫たちの視界を遮り体温を奪い、四方八方から吹き荒れる風は前後不覚に陥れてその動きのことごとくを妨げた。
そして、それだけではない。
荒れ狂う風は敵の周囲に。けれど煌めく雪光がトリテレイアの花園の上に散り、瞬くのがジナの紫色の双眸に映り込む。
「"護る"ってどういうことだろうって、ずっと考えてきて……ひとつ、答えを見つけたんです。幾ら身体が元気でも、心が萎んでたら幸せとは言えません。だから」
その光が降り注いだ場所の花が、折れて|首《こうべ》を垂れた花たちが、息を吹き返す。空を見上げて咲き戻る。──回復する。
「……!」ジナの頬にも血色が宿り、瞳に喜色が灯ったのを見て、ヴァロはそっと口角を上げる。
「ジナさんは勿論、この花畑を……ジナさんの大切なものを全部護ります!」
瞼を一度伏せて、魔道書を撫でた。ぱらぱらと頁が走り、澄んだ冷気のオーラが立ち込めて彼女を、そして精霊と花園を覆う。もう一度撫でる。今度は|なにか《ヽヽヽ》が護ってくれる気配。
「確かに私たちには特別な力があって、だからなにかを、誰かを、護ることができます」
「全部だなんて、さすがに欲張り過ぎなんじゃない?!」
「……っ」
「大丈夫です」
なんとか強力な足止めを掻い潜り振り上げられた巨大な黒猫の爪を受け止めたのは、あたたかな|防護膜《エネルギー》。身を竦めるジナにまで届かせはしない。
「ッ?! なにこれ?!」
「でも……特別な力なんてなくたって、皆さんそれぞれにできることってあるはずなんです」
それは祈りを|源《ちから》とした守護。
ヴァロは晴れやかな笑みを浮かべ、振り返る。更に巻き上がる風雪が敵を撃ち、花々を癒していく。
「今は……そうですね。ジナさんは信じててください。『私たちが勝つ』って!」
共に闘うのだと意思を載せたヴァロの視線に、ジナはちいさく、けれど確かに肯いた。
第3章 ボス戦 『外星体『サイコブレイド』』

●外星体を討伐せよ
「結局、俺がやるしかないのか……」
魔女たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ去る傍ら、男は呟いて花園へと足を踏み入れた。
額にもひとつ爛と光る瞳。
双眸は色付きの丸眼鏡の向こう。口許を覆う豊かな髭は親しみよりも無骨さを醸し出し、蠢く触手は男の|手段《て》の多さを物語る。
サイコブレイド。それは男の名であり、男が担ぐ鋭い刃の名でもある。
「……ありがとう、みんな。……わたし。……わたしも、……花たちを、まもる」
ジナは指を組み、睫毛を伏せた。紫と白の光が花園へと降り注ぎ、守護を与えた。√能力者たちとの対話を通じて『守護』について改めて意識した精霊としての、加護の力だ。これで花畑が荒らされることは危惧せずとも良い。
だから、心置きなく戦うことができるだろう。
「お前か」
魔女たちとは違い、サイコブレイドはまっすぐにジナを見据えた。
その視線に憎しみも恨みも含まれていない。男はただ告げる。
「悪いが、死んでもらおう。……それが俺の使命だからな」
今回は虚偽の名乗りは無効となる。Ankerが戦場にいる、それだけでサイコブレイドはそのAnkerへと刃を向けることだろう。Ankerとして目覚めている者が視野に居なければ当然、ジナを狙う。
どこか迷いを感じられる男の行動についての予兆を、知っているかどうかは当然人それぞれだろう。慮ることに問題はないが、慮る必要は皆無だ。
ただ護り、倒す。
それだけが√能力者たちの使命だ。
「遺言はあるか。……誰に伝えることも叶わぬが」
男は吐息と共に刃を構えた。
●貫
「ありがとう、ジナ。助かるよ」
小型の拳銃を手に、クラウス・イーザリーはトリテレイアの精霊へと感謝を述べた。彼にとって護りたいものである花畑を、踏み荒らす心配なく戦えるのはありがたい。
「……わたしの、ためだから」
ちいさく|頭《かぶり》を振るジナにクラウスも肯いて、それから彼女を背にして振り返る。視線の先に立つのはフードをかぶった男。サイコブレイド。
「邪魔をするのであれば、戦わざるを得んが」
「あなたの事情は確認しているけど」
既に何度か|見《まみ》えたことのある相手だ。
フレイムガンナー。クラウスの銃が一瞬、炎に包まれ──その炎が羽ばたくように銃へと宿る。流れるように銃口を敵へと向けた。
「だからと言ってお互いに戦いを止められるような状況じゃないだろう」
「然り」
敵が地を蹴るよりも速く絞った引き金。音速の銃弾を、肉薄したサイコブレイドの刃が打ち払う。だが。
「ッ!」
着弾した箇所へ潜んだ炎が甦り燃え上がり、即座に払い落とさんとしても炎は敵の腕ごと喰らいついた。
鋭い舌打ちを一度。サイコブレイドは炎に巻かれたまま更に踏み込んだ。狙いはジナ。判り切った標的を放置するほど、クラウスは愚かではない。
射線に割り込んだクラウスの腕、そこに仕込まれた盾が展開して敵の刃を阻む。鈍い音が響き、想像を超える重さがクラウスの骨まで震わせ奥歯を噛み締めた。互いに打ち弾き、体勢を崩す。
サイコブレイドは躊躇うことなく自らの触手を一本斬り落とした。√能力の恩恵を受け、再びジナへと刃を振り上げる。
「させ、ない……ッ!!」
咄嗟に手を伸ばす。
炎を纏った光の鳥のような姿が見えた気がした。
「!」
目を見開いたのは双方。霊的な加護が得られたと理解するよりも疾く、クラウスは二度目の引き金を引いた。至近距離による銃撃を、サイコブレイドは避けられない。
貫通した弾丸に血が舞い、更なる炎が身を焼く。
──誰かの|拠り所《Anker》を奪おうとする彼と全力で戦って、止める。
短く呻いて距離を取ったサイコブレイドから目を切らず、クラウスは細く息を吐いて照準を合わせ続ける。
──それが、今の俺が彼にできる唯一だ。
●信
「来たよ、ジェニー。Ankerの敵が」
共に闘う仲間の能力によって炎による継続的なダメージを受けながらも眉ひとつ動かさずに立つサイコブレイドの姿に、ジルベール・アンジューは最愛の妹へ告げた。
Ankerの抹殺を謀る敵。
ジルベールのAnkerであるジュヌヴィエーヴ・アンジューは臆することなく、年に見合わぬ鷹揚さで首肯する。
「いよいよ大詰めだな、兄さん」
ジュヌヴィエーヌの周囲には未だ蜂型|無人機《ドローン》『ホーネット』が幾多とホバリングしている。
堂々と胸を張り対峙するジュヌヴィエーヌから、サイコブレイドは視線を外さない。
「ふん。こいつの目には、確かに私がAnkerだとはっきり解っているようだ」
初めての邂逅ではない。だが無論、その時のサイコブレイドは既に討伐済みであり、蘇った彼にふたりの記憶はない。ただ純粋に、Ankerだと理解している。
ジュヌヴィエーヌは軽く右手を持ち上げた。応じて『ホーネット』たちが高度を少し上げる。
「時間稼ぎが必要なのだろう? 60秒、粘ってみせよう」
「さすがジェニー、話が早い。もちろんぼくもサポートするよ。60秒、耐えてくれ」
不敵な笑みを浮かべる妹へ、ジルベールは小さく微笑んで|浮遊砲台群《ファミリアセントリー》『アポロニア』を彼女の傍に寄り添わせた。
そして細く長く息を吐いて──魂を燃やす。サイコブレイドをひたと見据えたまま、|WZ《ウォーゾーン》の中で消えぬ炎を己に灯す。
──お互い60秒のチャージ時間が必要な以上、メインプレイヤーは妹だ。
寄り添う『アポロニア』を瞬時いとおしげに見遣ったジュヌヴィエーヌの赤い瞳はすぐに慈愛を深層へ沈め、手刀で号令を切った。
「これが最後だ、『ホーネット』全機発進。『アルテミシア』展開。三つ目の男の歩みを止めろ!」
「『アポロニア』、連携!」
ビーム砲を備えたドローンと、『アポロニア』に対なす浮遊砲台群が増幅された強力な光を一閃に弾幕を成し、サイコブレイドを灼いた。ジルベールも破壊の炎を放ち、牽制し続ける。
「……解せぬ」
しかし、サイコブレイドは身を灼かれながらも呟きをこぼす。これしきでは足止めにならないことは、ジュヌヴィエーヌも想定済みだった。
「だから、こうする。──『ホーネット』、特攻!」
『スズメバチ』たちが一斉に敵へ突進し、弾け飛ぶ。「ッ!」爆風に機械片が乗り、サイコブレイドの身を削り掻き裂いていく。煩わしげに彼の触手が身を庇う。
丸い色眼鏡の向こうで、緑の瞳がぎらと光った。
「解せぬ……!」
強い踏み込み。振り上げられた鋭い刃。
「ジェニー!」
伸びたWZの腕を、ぎゃりぎゃりと耳障りな音を立てて刃が削る。そのままサイコブレイドが体重を載せて来るために、拮抗する。
戦場だ。強く感情を露わにはしない妹へ、ジルベールは「大丈夫」殊更声を張り上げた。
「ジェニーがいる限り、ぼくは負けないよ!」
「解せぬ! 欠落を埋める存在を、なぜ差し出すような真似をする……!」
押して、引く。ジルベールの体勢が崩れた一瞬にサイコブレイドは己の触手を切断し、次の踏み込みでジュヌヴィエーヌへと凶刃を振るう。
「ッ!」
飛び退りながら彼女は|単分子《モノフィラメント》ワイヤーを放ち、敵の脚を狙う。
「まだか、兄さん?! こいつも準備が出来たようだぞ!」
「ありがとう、ジェニー」
機体の拳に溜めた魂の炎が移り、燃え盛る。敵の刃にもなにか禍々しいエネルギーが纏っているのが見えた。互いに威力は十八倍。
「真っ向勝負だ。差し出してなんかないよ。守るべき女の前で負ける気はない!」
「おおぉ……ッ!」
大きく上段から振り下ろされた刃に向けて、拳を突き出す。ひと際大きな金属音が響き渡り、互いの視線が絡み合う。みしみしと音を立てるのは機構だろうか、あるいは骨だろうか。
「ッ……ぼくはジェニーを信じてる! それだけだ!」
サイコブレイドの刃を弾き、ジルベールはそのまま灼熱の拳を敵の顔へと振り抜いた。
●協
「ジナさん、こんなすごい加護を持っているんだ……」
煌めく光の降り注ぐ花園を見渡して、エアリィ・ウィンディアは感嘆の吐息をこぼす。
「これならお花たちは安心だけど」
そして振り返る。青い髪が風に揺れて、さざめく花々の中で他の√能力者と戦っていた男を碧の瞳が捉えた。
「サイコブレイド、あなたに大切な人はやらせはしないからっ!!」
顔に大きな痣──他の√能力者によってつけられたのであろうそれを残しながらも、エアリィの声にも男は表情を動かさない。
色眼鏡の向こうの瞳にはどこか怒りのような気配を湛えて、その焦点はひたすらにシル・ウィンディアへと向けられていた。
──何度か会っているけど、相変わらずすごいプレッシャー……。
シルは白銀の杖をそっと握り締める。戦闘の感覚は多少戻ったように思う。それでも己は今、娘のAnkerだ。無理はしない方が良いだろう。
そう判断した母は娘を見遣る。彼女は難しい顔をして精霊銃を握る。何度目かの邂逅なのは、彼女も同じだ。
──強いんだよなぁ、この人。
どうやって戦おうかと思案を巡らせているであろうことが、シルには手に取るように判る。だから、掛ける言葉も決まっている。
「エア、頼りにしているからね」
「! うんっ!」
敬愛する師匠である母に頼られる。それは如何ばかりの奮起だろうか。
眉を開き元気よく肯いたエアリィへシルも首肯を返すと、手にした杖をくるりと回した。風が泳ぎ空気の密度が変わって、彼女の姿を捉えにくくする。身を護ることが最優先だ。
「……お母さんを狙うなら、この手段はどうだっ!」
精霊の加護を受けたブーツで、エアリィは中空を踏み、駆け上がった。手にした精霊銃をフードの男へ向けて放つ。精密な射撃は今、必要ない。狙うのはその間の詠唱だ。
「世界を司る六界の精霊達よ、……」
エアリィの乱れ撃ちを触手で、あるいは刃で弾き落としながら「お前たちも」サイコブレイドは押し殺したような低い声音でふたりを睥睨した。
「何故襲われると知っていて、欠落を埋める存在を戦場に伴う。それほどに……お前の|Ankerの命《けつらく》は軽いのか……!」
「ッ!」
駿足の踏み込み。瞬きの間に鋭い切先がAnkerであるシルの喉元へと迫った。シルも咄嗟に白銀の杖を呈してそれをいなす──しかし敵は己の触手を迷いなく断ち落として更に刃を振り上げた。
「させないっ!」
響いたのは、エアリィの声。
放つのは、火・水・風・土・光・闇の複合六属性の弾丸。|六芒星精霊速射砲《ヘキサドライブ・ソニック・ブラスト》。
素早くサイコブレイドがその攻撃へと視線を走らせ──つまりはシルから目を切ったその瞬間、シルは全力の魔力を練って敵の持つ刃、『サイコブレイド』へと叩き付けた。
「! 貴様……」
「攻撃しないとは言ってないからね。……さ、エア、決めてきなさい」
シルの言葉に丸い色眼鏡の奥で緑の目が見開き、エアリィの弾丸が彼を穿った。それだけではない。
小柄な身体が銃と精霊剣を握ってエアリィは敵の懐へと潜り込み、至近距離での銃撃と斬撃を繰り返した。種々の属性によって彼の背が、肩が、腕が、脚が、翻弄されて爆ける。
さすがに苦々しい表情を浮かべる敵が触手で剣を拾って手に握り直すのにエアリィは告げた。
「お母さんの命が、軽いわけないっ! でも、一緒にいるからこそ強くなれる、そんなこともあるんだよ」
サイコブレイドの境遇は知っている。でも、同情など望むはずもないことも、エアリィには想像がつくから。
「だから──これ以上はやらせないからねっ!!」
全身全霊で、あなたを止める。
●迷
幾多の攻撃を受けてよろめいた敵。その目がそれでもジナを見た。計画を。遂行。
彼の思考は途切れる。激しい銃声と共に連続で叩き込まれる弾丸に紅の花が細く鮮やかにその身に咲いて、追って燃えるような痛みが内側から喰む。
「遺言が必要なのはあなたのほうです」
花喰・小鳥は改めてトリテレイアの精霊の前に立ち、サイコブレイドの視線すら遮った。小鳥の手にはかすか硝煙の立つ機関拳銃。
鋭い舌打ちをひとつ。サイコブレイドはすいと身を屈めた。途端に気配が希薄になる。今、そこに居る。判っているのに、見えているのに、音がしない、それだけで感覚が狂う。暗殺に適した空気というのがこれなのだろう。
だが、見えてはいる。
小鳥は紅の瞳をひたと据える。
「……あなたにも守りたい人がいるんですね」
静かに告げる。見目にはっきりとはサイコブレイドの変化はなく、動揺などの気配は彼の√能力によって小鳥には伝わらない。
──彼の迷い、それでも実行しようとする不器用さは、共感もできる。
けれど。
小鳥はしなやかな手を伸ばす。指先で空気を撫ぜる。|愛奴隷《カーミラ》──己、周囲の仲間、既に踏み荒らされた花、それら全ての精気を増幅させ、癒していく。
小鳥が死なない限り、その効力は続く。
──彼が倒れるまで倒れるわけにはいかない。
その覚悟は花園に足を踏み入れたときから揺らぐことなく、小鳥は更に唇を開いた。
「|大切なひと《Anker》と再会してどう話すつもりですか?」
『|死棘《スティンガー》』の銃口をサイコブレイドへ向け続けたまま、小鳥は表情も動かさずに語りかける。
男の表情も変わらない。
「『きみを助かるために無関係なひとを手にかけてきた。だからもう大丈夫だ』、とでも?」
男が、消えた。
否、小鳥の眼前に影となって世界を遮ったのだと、理解するよりも疾く小鳥が抜いた日本刀が敵の刃を峰で確かに受け止めた。
ギリ、ギリリ、と押し込まれる膂力。堪える彼女の細い腕や肩が軋む。
男の口が動いた。聴覚には届かない。けれど見えた。短い言葉。ああ、──『う』『る』『さ』『い』、か。
だがAnkerを狙うはずの彼を、己へと惹きつけた。小鳥の|誘《おび》き寄せる関わりが功を奏した。それだけでもはや、充分だ。
「守りたいひとがいる。私たちは負けない」
●添
「使命、か」
敵が告げた言葉をトゥルエノ・トニトルスは舌の上で転がした。それに対応させるならばジナを護り通すことこそ√能力者の使命ということに、状況としてはなるのかもしれない。
けれど、トゥルエノにとってそれは『違う』と感じた。
──いま此の場で紡がれた巡り合わせではあるのだからな。
彼女が哀しむ顔は見たくない。ジナを同胞と呼びかけ、共に冷たい甘味に舌鼓を打った。ジナもトゥルエノの言葉──√能力者たちとの交流に応じて、精霊としての在り方を見つめ直した。
──故に。
我はサイコブレイドなる男を退けよう。
──断ち切る事が役目という存在もいるのだろうが、ヒトは繋がりを以って生きていくのだろうから。
「明日も此の先も変わらず、うつくしいトリテレイアの花園が在るように」
トゥルエノは改めて此度の敵へと向き直る。額と丸い色眼鏡の奥に光る瞳には戦闘に挑む高揚も敵意もない。ただ純粋な害意だけが伝わってくる。
「|退《ど》け。俺の使命は、そこのAnker候補を抹殺すれば事は済む」
低いサイコブレイドの声が凄む。トゥルエノはふむとちいさく息を吐いた。
「お主の願いは、我には少々聞き入れ難い」
「……ならば斬って捨てるまで」
交渉は決裂。男の身が沈んだ、と見た瞬間には『サイコブレイド』がトゥルエノの眉間へ──「っ、」咄嗟に上体を反らす。鋭い刃が彼の髪をいくつか断って散らした。
間髪入れずサイコブレイドは自らの触手を斬り落とす。そして更なる踏み込み。トゥルエノは敵が刃を引いた間隙に中空を駆け上がった。もちろん、背にジナを庇う位置取りは崩さないまま。
敵が名を戴く刃を向けるのであれば。彼は片手をゆるりと持ち上げた。
「此方も雷霆に相応しく在ろうか。──駆けよ迅雷、黄昏れこえて射貫けよ」
それは|雷霆万鈞《グングニル》。彼の周囲にずらりと無数の槍が並んで浮かび上がった。蒼白い光が絶え間なく彼らを照らす。
サイコブレイドが足を止める。狙いはあくまでもジナだが、精霊を狙えば中空に留まる雷獣からの鉄槌がくだる。
「御返しに……神の槍と共に黄昏の呪詛は如何かな?」
「……畏れていては、なにも成せん」
サイコブレイドが跳躍すると同時、整然と並んでいた神の槍が切先を揃えて敵へと降り注いだ。雷電に敵の手足が灼かれ、身を庇った触手たちがぼろぼろと千切れ落ちていく。
陽が沈むようにゆるりと、しかし確かに敵が朽ちるまで。
「終いの刻まで見届けようとも」
●願
「ユア、ありがとう」
逃げ去って行った魔女たちを確認して花園へと戻ったシアニ・レンツィはミニドラゴンへと礼を述べぬつ、他の√能力者たちによって回復し精気を取り戻したトリテレイアの花々を見渡した。
煌めく加護は、件の精霊によるもの。
そして精霊の科白を思い返す。
──そっか。ジナさんも守ることを決めたんだ。
見つめる精霊の表情はどこか頼もしくて。被害を憂いた花々が再び背筋を伸ばして風に揺れる姿にも安堵に難いの力を抜いた──ら、じわっと視界が潤んで揺れた。
だめだめ。
慌ててぐしと腕で目許を擦って、鼻をすんとひとつ鳴らす。手にした巨大なハンマーを改めて握り直し、彼女は口許に笑みを浮かべた。
「あの人は任せて。お花畑は頼んだよ!」
「……ええ、お願い。……あなたも、無事で」
「うん。ユア、引き続きジナさんのことは任せた。残りの子はあたしと一緒に突撃だ!」
|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》で召喚した幻影たちを引き連れ、シアニはフードをかぶった男の元へと駆け出した。
男は身を低めて暗殺の態勢を取る。視覚以外の気配が希薄になる。
が。
「見失わないよ、──サイコブレイドさん!」
シアニの周囲にはミニドラゴンの幻影の|群れ《ヽヽ》。如何に肉眼以外での探知を防ごうとも、監視する目そのものの数が多いのだからどうすることもできない。
鋭く舌打ちをひとつ。刃を抜いたサイコブレイドへ、ミニドラゴンの幻影たちが魔力の鎖を放つ。蒼白い光を帯びた鎖が男の手首を、脚を、絡め取る。
「どうだ!」
シアニはハンマーを振り回す。ぶぉんと風を切る音は絶え間なく、嵐のよう。敵は敵で鎖に動きを制限されてなお、触手を巧みに使い、あるいは使い捨てて彼女の猛攻をなんとかいなす。
激しい攻防の中、遠慮なく踏み込んでも加護を受けたトリテレイアの花々が散ることはない。その姿につい、シアニの大きな瞳も和らいだ。
──ジナさんはどんな人と繋がるのかな。いつか巡り合うその人はきっと幸せだろうな。
そう思えばこそ、ぎり、と柄を握る両手にも力が籠った。青い肌に鱗が浮かび、華奢な骨格が歪みそのシルエットを膨らませていく。
「そんな素敵な未来、絶対奪わせないから!」
地を蹴ったシアニの姿が、消えた。
サイコブレイドが「!」色眼鏡の奥で微か目を見開く。姿を探すべく眼球を動かす。
──ありがとう、ジナさんのおかげで今度は全力が出せる。
「これが竜の一撃だーっ!!」
超大な衝撃が男を横薙ぎに襲った。
|不完全な竜はご近所迷惑《フォルス・ドラグスタンプバースト》。竜化した腕で振り抜く稲妻の如き一撃。
ミニドラゴンたちとの『座標』を入れ替えたシアニが死角からその身を狙った一撃に、サイコブレイドの身体は吹き飛んだ。
「が……っ、ぐ、ゥ……っ」
内側が大きく損傷したのだろう。転がった身体を無理矢理に触手も使って立ち上がらせても、男の口からは鮮血がこぼれ落ち、構えた刃の切先は定まらずに揺れる。
シアニは告げる。
「サイコブレイドさんもいつか、チャンスが来たら……、助けてって言ってね」
きっと力になりに行くから。
男が歯噛みする。シアニはある種の敬意で以てハンマーを振り上げ、更に花の中へと踏み込んだ。