紫陽花鳥居の烏
●
この飢えは、いったいいつまで続くのだろう。
満たされない鳥は、いつまでも嘆き続ける。
――ああ、灯りが、明かりがみえる。しかし、届かぬ明かりだ。
そう、届かないものに手を伸ばしても、無駄なこと。
ごとり。
嘆き続ける鳥の祠の護り石を、叫びに共鳴した誰かが、動かす音がした。
●
「あじさいの季節ですね」
蝶の柄の傘を手に、神代・ちよ(Aster Garden・h05126)は微笑む。
「雨の中すみません。けれどやはり、あじさいは雨の方が映えるかと思いまして」
そう言うと、ちよは一枚の写真をあなたたちに見せた。そこには、たくさんの連なる朱の鳥居と、咲き誇る彩とりどりの紫陽花たち。
「√妖怪百鬼夜行にある、おもひで無限鳥居という場所をご存知ですか?」
いま、そこで紫陽花が見ごろなのだという。鳥居と紫陽花が見事なコントラストをなして、なかなかにミステリアスな景色なのだという。
階段のふもとには古風なカフェーもあり、紫陽花モチーフのドリンクやお菓子を出していたりもするそうだ。
「雨がけぶる中だと、なおさら綺麗なのですよ」
ちよはそう云うが、晴れの時に見にゆくのももちろん良いだろう。
夕暮れに照らされる紫陽花も見ものだという。
そして、ここからが本題なのだが、その連なる鳥居の奥にある祠にて、古妖の封印が解かれてしまったのだという。
「解いてしまった人は、鳥居の紫陽花に心を洗われたらしく、なんてことをしてしまったんだと告解にきてくださったのです。だから、そちらに関しては心配ないのですが――」
現れた古妖は、再び封じねばならないだろう。
「ですが、もしよければせっかくの季節のお花ですもの、沢山楽しんできてほしいのです」
いってらっしゃい、とちよはあなたたちの背中を見送った。
第1章 冒険 『おもひで無限鳥居』
とある横丁を曲がって進んだ先。
千本鳥居もかくや、という石段が続いている一角がある。
そこは今、鳥居の間から紫陽花が顔を出し、朱と七色のコントラストが美しい装いとなっている。
雨にけぶる中を傘を手に散歩するもいい。晴れの中をゆっくりと歩むのもいいだろう。
幸いここの天気は変わりやすいが、あなたが望む程度には続く。
歩き疲れたら、石段のふもとにある古風なカフェーで楽しむのもいいだろう。
この時期に合わせた、紫陽花をモチーフとしたドリンクやゼリー、パフェやアイスクリームがあなたの目も舌も楽しませてくれる。
ほかにも、カフェーにありそうなものは大体置いているようだ。
お土産コーナーもあり、小さなアクセサリーや紫陽花モチーフのグッズなども売っている。
さあ、あなたは何をして楽しむ?
「神代の傘、蝶の模様がとってもきれいね」
鳥居の通り、マギー・ヤスラ(葬送・h07070)がそう告げると、ちよは『ありがとうございますなのです。濡れると模様が浮き出てくるのですよ!』と楽し気に告げて手を振りつつ、カフェの方へ向かうのだった。
自分もお花の柄の傘を差したら、天気が悪くても楽しく散策できるだろうか。そう思い持ってきたのは青いあざみ柄の傘だ。繊細な書き込みがお気に入りの青の傘は、今の時期にぴったりだ。
「ネ……えっと、匡兄さんもせっかくだから一緒に傘をさして回らない?」
となりに立つ、匡と呼ばれた寧・ネコ(鎮魂・h07071)は今日は人の姿である。
「今日は人型の方でいいんですか?」
「ええ、一緒に回りたいの」
「まあ確かに猫の姿だと濡れるし、お店に入れてもらえるか……ですからねぇ……」
そう応えるネコは白いあざみの傘。不可視化や肩に乗せて貰っても一緒に回るなら雨に濡れはしないのに、とネコは思うが、しかし同じ人姿なら一緒にカフェメニューも楽しめる、というのがマギーの弁である。
のんびりと鳥居階段を歩く。あちらこちらから紫やピンク、水色や白の紫陽花が顔を出し、雨にけぶり青みがかった視界には鮮やかな彩たちが浮かび上がるように見えた。
「今の季節だからこその彩りね、……兄さん?」
「いや、つい鳥居の奥の方が気になって」
予知では、この奥に古妖がいるのだという。
鳥居がひとまず結界の役目をなしているのか、降りてくることはないだろうが、どうしてもマギーを護る者として気になるネコであった。
「あじさい色の金平糖があったらいいな」
「金平糖ねえ、マギーさん硬いもの好きですよね」
マギーは幼いころ病弱で、お粥や栄養食のような柔らかめな食事ばかりだったのだという。その反動だろうか、とネコは思う。
その言葉に、マギーは思わずくすりと笑う。硬いから、というくくりはなんだか不思議だ。インビジブル特有の感性かしら、とも思う。
「硬いから、だけじゃないわ。あのほろほろして、ほの甘い食感が好きなの」
「はいはい、今は|ぼくら《インビジブル》がいるから好きなだけどうぞ」
カフェを覗いてみると、お土産や持ち帰りのお菓子を売っているスペースがあった。ここで買ったお菓子は、カフェスペースで食べていくことも可能だという。
「……あ、あった!……どちらにしようかしら……」
棚を見れば、瓶詰の紫陽花色の金平糖が二つ。紫を基調にしたものと、青のものと二つあった。
「両方買っちゃえばいいんじゃないですか、ほら」
片方はお土産にすればいいでしょう。そういってひょいと二つの瓶を手に取ったネコに、マギーは二人で食べましょ、と微笑む。
カフェスペースで頼んだ青いハーブティーとともに小皿に盛れば、小さな紫陽花畑の完成だ。
「ふふ、こうやって誰かとのんびりお茶をして……風景を楽しんで」
昔だったら考えられなかったわ、と窓の外を眺めるマギー。
「……|兄さん《ネコ》。わたし、生きててよかったな」
「…あなたには人生を謳歌する権利がありますよ。今まで抑圧されていた分、うんとね」
そんな彼女を見つめる瞳は優しい。
カフェの穏やかなさざめきの中。いまは雨のカーテンに閉じたような世界は、傘ひとつでどこまででもゆけるかのように広がっていた。
霧雨が空気を包んでいた。けぶるようなそれは視界を薄ら青く染める。
それをカフェの窓際しの特等席で眺めながら、
「まぁ、魔が差すなんて誰にでもあり得ることだからね~」
芳藤・藤弥(藤憑き・h05928)はのんびりとつぶやく。そのまま与せずに自首してきただけマシだろう、と藤弥は思っていた。
(彼にも、『届かない何か』でもあったんですかねぇ)
どうやら、ここの社に封印されているのはそういう妖だという。情念を抱いたものが呼応する古妖の封印をといてしまう事件がここのところ時々起きているのだという。
(ま、どっちでもいいことですが)
雨が降っているとつい物思いにふけってしまいそうになる。このしとふる雨とカフェの程よいざわめきのせいだろうか。
そうこうしているうちに頼んでいたソーダとゼリーが届く。
ソーダは梅と菫のシロップがグラデーションになっており、まるで夕焼け時の紫陽花のようだ。ゼリーは青と紫の角切りゼリーに、藤色と白のソフトクリームと葉型のクッキーが添えられており、彩り鮮やかだ。
ゼリーを一口、口に運んでみる。紫はぶどう、青はバタフライピーだろうか?と思う藤弥だった。
一通り平らげると
「ごちそうさま」
藤色の蛇の目傘を差し、カフェの外、霧雨の中へと歩を進める。
のんびりと、紫陽花を愛でつつ石段を上る。そこかしこから顔を出す紫陽花は、恵みの雨を謳歌しているようだった。
社は藤弥にとって馴染み深いところだ。独特の清浄な空気が漂っているものだが、それも雨が降るとやはり一風変わって感じられる。
「それにしても、本当にいろいろな彩に咲くものだね」
そう言うと、石段を上がっていった。
はわぁ、と思わず感嘆の声が漏れる。
見上げた石段は千本鳥居を思わせる並び立つ鳥居と、その隙間からこぼれ出たような七色の彩紫陽花たちに囲まれ、なかなかに壮観だ。
「普通にお出かけするんやったら、晴れの方がいいんやけど」
酒木・安寿(駄菓子屋でぃーゔぁ・h00626)は雨の中、紫陽花柄の和傘をくるりと回す。それだけで雨粒がふわりと跳ねて、まるで紫陽花の花が踊るようだった。
「紫陽花を見るんやったら雨の日も素敵やね」
この時期ならではの景色だなぁ、と思う。その美しさに思わず頬が緩んだ。
しかし、ここは石段である。一応水捌けがいいように作られてはいるらしいが、水たまりが出来るのはどうしようもない。歩む中、跳ねた水で袴を汚さないように歩いていたら、少しばかり気疲れしてしまった。
一寸、休んで一息つこう。
「そういえば、カフェがあるって言っとったね」
石段を下りれば、それはすぐに分かった。古民家を改造したカフェは、雨にけぶる中穏やかな佇まいをしている。
店に入ると、いらっしゃいませ、と窓際の席に通された。ここならば、先ほどの鳥居がよく見えるのだという。
安寿はメニューを見て目を輝かせた。ここに載っている紫陽花メニューは今の時期限定のものなのだという。
「めっちゃ素敵やねえ! ほな、うちは紫陽花モチーフのパフェにしよ!」
やがて運ばれてくるパフェは、藤色と白のミックスソフトクリームに、角切りカットされた紫陽花ゼリーが彩を添える一品だ。葉っぱ型のクッキーもついて、食感もとりどりである。
ぶどうやブルーベリーのシロップにバタフライピーのゼリー、間に挟まったクリームは色鮮やかな石段の紫陽花を思わせた。少し寂しい雨の日のお出かけに色を添えてくれる。
いつもならば幼馴染や馴染みの姉貴分と出かけることが多いのだが……今日は珍しく安寿は一人だ。
豪華なパフェを口に運びつつ、そんな気分のときもまあ、あるものだと思う。
理由は、安寿としと降る雨だけが知っていた。
しと降る雨の中を、いっぴきの白猫が歩む。
雨に濡れるのもいとわず歩を進めるその姿は、石段の紫陽花を横目に、カフェの軒下へとやってきた。
ぶる、と体を震わせて水気を払うと、その姿は光に包まれ、茶治・レモン(魔女代行・h00071)となる。
√妖怪百鬼夜行はもともと好きな場所だった。ひとと妖怪が織りなす独特の賑やかさがいつも楽しい。けれど、雨に辺りが包まれた今はそのざわめきもなりをひそめ、紫陽花を愛でるまばらな人通りがあるばかりだ。これはこれで雰囲気が変わって、良い。
甘味好きなレモンの今回の目的はもちろん、カフェにあるという紫陽花スイーツだ。
「ふふ、紫陽花モチーフのパフェがあると聞きました!是非そちらをお願いします」
こういったものは期間限定なのがお約束だ。今食べておかねば、と足を運んだのだった。
通された席でわくわくしつつ到着を待つ。
到着したるは、角切りの紫陽花を模したゼリーに、黄緑の葉のクッキーが添えられ、紫や水色の金平糖を散らしたパフェだった。個人的に、藤色と白のミックスのソフトクリームが載っているのが嬉しい。
「すごく涼やかで美しいです!」
思わず声を上げると、店員がありがとうねえ、と嬉しそうに笑う。
せっかくだ、食べる前にスマホで撮っておこう。
そして、ひとさじ、ひとさじ。零さないように大事に味わう。
葉は色的に抹茶だろうか?と思ったが、実際に食べてみて驚いた。二枚あった葉は抹茶とピスタチオの二段構えであった。なかなか手の込んだパフェである。
「ごちそうさまでした」
なかなかに良い味だった。食べ終え、出された温かい緑茶で冷えた舌を温めつつ――メニューを見れば、『紫陽花ゼリーはパフェともまた違った味わい』と書いてあるではないか!
どうやら見た目こそ似ているが、フレーバーが違うらしい。
「こちらもこちらでおいしそうですね……」
パフェにゼリーは食べすぎだろうか。一瞬悩んだ、一瞬だけ。
ほぼ即決だった。
「すみません、追加で注文良いですか?」
店員に声を掛けるレモンだった。
「とわくん、大丈夫?疲れてない?」
雨がけぶる中、白と紫の和傘が揺れる。
「傘は大きい方が持てる特権なのです!」
どこか申し訳なさそうな蓬平・藍花(彼誰行灯・h06110)に、白・とわ(月光藍・h02033)は笑顔を返す。その表情はどこか楽しそうだ。
「特権かぁ…じゃあ、仕方ないかなー…?」
とわの笑顔を見ていると、藍花も自然と笑みが浮かんでくる。愛らしい彼女の笑みは不思議だ、自然と自分を笑顔にしてくれる。
宙を泳ぐ都合上、とわが傘をさす側になるのは自然だった。小柄な藍花が傘を指すと、とわに刺さってしまうかもしれない。それは避けたいことだった。
誰かと並んで傘をさすのは初めてで、とわはまるで世界が切り取られたような感覚をおぼえていた。
鳥居と紫陽花に囲まれ、まるで――
「ふふ、まるで閉じ込められたみたいですね」
「そんなこと言って。肩が濡れてない?」
事実、とわの肩は少し雨が掛かっていた。しかし、とわにとっては藍花に雨が掛からないようにする方がより重要なことだった。ゆるりと歩みを合わせ、二人で進む。
「大丈夫ですよ。心配いりません」
「そういわれると逆に心配になるなー……あ、とわくんみたいな白色!」
とりどりの七彩の中から純白の紫陽花を見つけ、藍花は思わず指さした。手毬のように愛らしく華憐に咲くその姿はまさしくとわに似ている、と藍花は思う。
「ほら、あちらにはお姉さまの色の紫陽花!」
少し離れたところに、藍花の瞳によく似た紫陽花を見つけ声を弾ませた。と、よく見ればその隣にはまた白い紫陽花が。
「おそろいですね」
「そうだね、ふふ、きれい」
「それは紫陽花がですか?それともとわがですか?」
悪戯っぽく訊ねるとわに、藍花は笑った。
「そんなの、決まってるでしょ」
しばし、紫陽花と鳥居の織りなす、雨の中でも鮮やかな景色に見惚れる二人だった。
紫陽花の石段を下り、カフェへと着くと、傘をたたむ。
「これで、とわくんが濡れなくてすむね」
気にしていたらしい藍花に、気にしなくてよいのに、ととわは笑う。
「せっかくですから、何かお土産を買っていきましょうよ」
店先のお土産コーナーにはアクセサリーやキーホルダー、紫陽花模様のグラスなんてものまでおいてある。
「せっかくだから、普段使えるものがいいな。……あ、これなんかどうかな」
「あら、可愛らしいですね」
それは、紫陽花を模したとんぼ玉の根付だ。透明なガラスの中に、白い花と、紫の花。
「こうして並んでいると、とわ達みたいですね」
「うん、可愛いね」
微笑むとわに、藍花がそうだ、と声を上げる。
「今日の記念に、お互いに買って交換しない?」
「それは素敵ですね。……お姉さまはどちらの色がいいですか?」
「そうだな――」
どちらの色を選んだのかは、二人だけが知っている。
紫陽花鳥居を、いくつかの影が歩む。大きな影がふたつ、小さな影がみっつ。
燧・金三郎(御嶽・草喰のAnkerのライバル・h07335)にとって今日は家族サービスの日だった。妻と子達と、一家総出で紫陽花を見に来たのだが――
「家族水入らずで過ごしているところに悪いが、少々邪魔するぞ」
「あら、ワンちゃん。お父さんに何か?」
「ワンちゃんだー!」
御嶽・草喰(草喰む狼・h07067)のもとに、子どもたちがわらわらと集まってくる。
「待て、待て!金三郎に用事なのだ!」
がお、と強めに出ると、子どもたちはきゃー、と声を上げつつ聞き分けよく引き下がった。
「なんじゃ、こんなところで奇遇だな。草喰よ」
その様子からただ事ではない様子なのは見て取れた。しかし草喰から大ごとにしたくはない様子も見て取れたため、普段通りの調子で返した。
「おう、チビ共、見ろ。この紫陽花は一等大きくて綺麗じゃ」
子どもたちの注意を紫陽花に向けているる間、金三郎は草喰の耳打ちを受ける。
「それで、どうした」
「この辺りで古妖の封印が解かれたと聞いた」
「何、古妖だと」
ああ、と草喰は頷く。烏の古妖だとは聞いていた。とはいえ、鳥居が結界の役目を成しているらしく、この辺りは安全だろう。
「ああ、そいうつは俺が片づける、お前は|お花さん《奥さん》やチビ達のそばにいてやってくれ」
とはいえ、敵が動くまでまだ時間がある。特に家族サービスとやらの真っ最中らしき金三郎を巻き込むのは気が引けた。
「まあ、今から慌てて家族を不安にさせることもあるまい。それにバタバタ走り回るのは狩りのやり方としては下の下だ」
「ああ、それもそうだな」
「今は心静かに、紫陽花を楽しむとしよう」
そういうと燧一家と草喰は何事もなかったかのように紫陽花見物を続ける。周囲に気を配りつつ、ではあるが。
「紫陽花は食うなよ、草喰」
「……俺は草は食うが、さすがに花は食わんぞ」
む、とした様子で返す。花をめでる心がないと思われたのだろうか、と草喰は不満げだ。それに、紫陽花には毒もある。その様子を見て、ごまかすようにわっはっはと笑った金三郎は、話を変えるように石段の下を見下ろした。
「そういえば、カフェーがあるようじゃのう」
「この下にあるらしいな、小物も売っているようだ、お花さんたちに何か買ってやったらどうだ?」
「ああ、そうじゃのう、今日も|お花さん《妻》は綺麗じゃ、紫陽花も似合っておる。何かプレゼントするか……それに比べてチビどもは花より団子」
どうやら、子どもたちはカフェで振舞われているという紫陽花スイーツに興味しんしんのようだ。
「せっかくだから寄ってこうか。草喰、おぬしも何か食うか」
「……俺はいい、外で見張っていよう」
子どもたちは賑やかに大人たちは少しばかり石段の上を気にしつつ。それぞれカフェへと向かうのだった。
「鳥居か……」
さらり、と手にした鎖が揺れた。
鳥居を見ると思い出す。マガツヘビとの戦いの時のことを。八百夜・刑部(半人半妖(化け狸)の汚職警官・h00547)はその向こうを見るように目を細めた。
――あの戦いで、弟で、刑部との殴り合いの望んでいたであろうとある天狐が消えた、らしい。
らしい、というのは、配下たちに聞いても消息は杳として知れずだからだ。
そもそも組を抜けた刑部が訊ねられる立場でもなかった。けれど彼らの関係を知っていた配下が、こそりと話を通してくれたのだ。
きっと、鳥居の封印だったのだろう。そう云っていた。
刑部は鳥居に触れる。
あの時、あいつは自分がいたから無理をしたのではないか?自分がいなかったらあいつは消えなかったのではないか?
そんな思いが胸をかすめることもあった。
けれど。
「妖怪大将になろうとしていたお前が……マガツヘビ相手に本当に大将としてやりやがった」
鳥居にもたれて、カップ酒をあおる。雨でも構わなかった。
「すげえよ」
ぽつり、とつぶやく。事実、あのマガツヘビを相手に指揮をとり、大将として戦う様は本当に立派だった。
雨に濡れつつ、感傷に浸るのなんて柄でもない……と思いつつも。それでも、ここから動く気にはなれなかった。
空を見上げる。そういえば雨は降っていたが、空は不思議と晴れていた。
「狐の嫁入りってか……はは、嫁ってガラじゃねえか」
あの天狐に嫁入り衣裳はさぞ似合わないだろうと思わず笑みがこぼれる。ならば花婿衣装なら似合ったのだろうか。わからない。今では、何も。もう。
「確か、紫陽花の花言葉は……」
――家族。不穏な花言葉の多い紫陽花だが、そんなものもあるのだ。寄り添い集まる花模様から来た言葉だろうか。
寄り添い合うようなきょうだいではなかった。けれど、今はその花にどうしてもあの面影を見てしまって。
「……皮肉過ぎるよなあ」
刑部は乾いた笑みを落とすと、またカップ酒に口を付けた。
天気は晴れ。きらきらと輝く日差しが紫陽花たちの上に降り注ぐ。
捧・あいか(いのち短し弾けよポップスタア・h03017)は輝く紫陽花たちを眺めつつ、静かに靴音を鳴らす。硬いブーツの靴底が、石畳に当たって軽やかな音を立てる。
こんな晴れた日は散歩日和だ。あいかは早速、鮮やかな鳥居と色とりどりの紫陽花たちに、デコレーションたっぷりのブギウギフォンを向ける。
愛らしい彼女によく似合うかわいらしいそのスマホはひざしにきらきらと輝いて、その景色を切り取った。これは後でSNSに上げよう、とあいかは思う。きっと、彼女の一ページをにぎやかに彩ってくれるはずだ。
そんな散歩日和であった中、ふと、ぽつりと頬に当たるものに、彼女は思わず空を見上げた。
晴れ空からの、お天気雨。すぐ止むかとも思ったが、それはしとしとと降りはじめ、あいかは慌てて雨宿りの場所を探した。
そうだ、確か近くにカフェがあると言っていた。そこへ行こう。
ついでに紫陽花のスイーツとやらも味わってみよう、と思い立つのだった。そう決意すれば、彼女の足は早い。近くの古風な雰囲気のカフェを目指すのだった。
とりどりのお菓子や根付、アクセサリーが飾る入口も一枚、パシャリ。
席に案内されると、メニューを片手に何を頂くか迷うのだった。雨は憂鬱などとよく言われるが、あいかは気にしない。雨の中、紫陽花はより一層その彩を映えさせ、独特の湿気を帯びた香りは夏の近づきを感じさせる。水滴の伝うガラス越しににじむ景色は万華鏡のようで、とても綺麗だった。
しばし迷って決めたメニューは紫陽花ゼリーのクリームソーダ。透明なソーダから角切りにされた青と紫のゼリーのグラデーションに、白に藤色リボンのアイスクリームが載っている、この季節らしい色合いの一品だ。
あいかは窓外の紫陽花とテーブルの上のちいさな紫陽花が移るように一枚を切り取り、その食レポをSNSに載せる。
歌謡スタアのページを彩るしとやかな紫陽花たちに、きっとこの店も当分客足が遠のくことはないのだろう。
長い時を過ごしていると、どうにも季節の流れに疎くなるものだ。
「ふむ、紫陽花か……」
神花・天藍(徒恋・h07001)はふと立ち寄った先で、咲き誇る紫陽花と鳥居を見かけ立ち止まるのだった。
|天藍の世界《とこしえのふゆ》はいつも白そのものだ。だからこうして季節が巡るのをまざまざと見せつけられる時、彼は奇妙な心地がするのだ。
自分はこんなにも白にとらわれているのに、と。
さて、本来であれば鳥居など他所の神の神域であろう。しかし、何やら不穏な気配もする。
人助けなど自分の性分ではない、と思う。自らには似合わない、とも。しかし。意外と|面倒見は悪くないな《ツンデレ》彼であった。
「現代社会を学ぶためにも、散策にでも興じてみようか」
そう理由づけて、天藍は鳥居の近く、古風なカフェに足を運んでみるのだった。
さて、カフェというものを天藍は知らなかった。
現代風の茶屋ということだろうか。もちろん、現代用の支払いの代金もきちんと持っている。
先日はうっかり昔の金でお会計をしようとしてしまい、店員に驚かれたことがあったりなかったりした。
現代風の仕来りもしっかりと学んできた。
けれど。
――この、ぱふぇやら、ぜりぃに、あいすくりーむとやらはなんだ?
メニューを前に、彼の頭にはてながいくつも浮かぶ。
紫陽花の、までは分かる。横についている写真を見るに、硝子の器に盛られた甘味であろうことも。半透明だか、硬いのか柔らかいのかの判別もつかない。
――これはまことに日本語であるのか?
迷うばかりでなかなか決まらない。そもそもどんなものなのか分からないのだ、選ぶ基準がないのだ。
いっそ店員に任せてしまおうか――そう思っている時、ちょうどお節介な店員が声を掛けて来た。天藍はそれを丁度良いとばかりに、「この季節のおすすめを頼む」と云うと、店員は察したのか「食べられないものはありますか?」とだけ訊ねて、お任せください!と力んだ様子で引っ込んでいった。
そうして今、天藍の前には背の高いグラスに入った甘味があった。
上に角切りにされた青の紫のゼリー(おそらく紫陽花を模しているのだろう)と藤色と白のミックスソフトクリーム。その横には葉っぱを模した焼き菓子が添えられている。写真で見るに、ぱふぇ、と書いてあったものだろうか。
まずはひとさじ。
なるほど、寒天に、氷菓子のようなものだろうか。片方は花の香り、もう片方は葡萄の味がする。それにしても、こう手軽に氷菓子を食べられるとは、かくも便利な世の中になったものだ……と思う。
「――悪くないな」
そうぽつりとつぶやきつつ、意外と匙の進みのよい天藍だった。
小雨のしと降る中を、並んだとりどりの傘たちが踊る。
紫陽花鳥居を振り返るミューレン・ラダー(ご機嫌日和・h07427)を、カフェ好きな揚巻・みぃゆ (人間(√汎神解剖機関)のどろんバケラー・h06279)が急かす。そのとなりをのんびりと叶・ちる鳩(みす・ぐるぅびぃ・h02273)が並ぶ。
「鳥居と階段も組み合わせがこんなに綺麗だとは思わなかったよ。でも、今はカフェ!」
「そうだね、あとでゆっくり見て回るのもいいにゃ」
「夕日も映える……って言ってたし」
はじめての三人でのお出かけながら、集えばわいわいと話しも弾む。 傘にはその人の好みが出がちなものだ。ちる鳩はくらげ模様の透明な傘だったが、ミューレンは黄色い水玉の傘、みぃゆは紫陽花柄の和傘とそれぞれ個性的だ。ちる鳩はそんな二人を見つつ、こんな服やあんな服も似合いそう……とつい創作意欲を沸かすのだった。
カフェに着き、傘をたたむと、窓際の席に案内された。ここは景色を楽しむために窓際の席を多めにとっているのか、比較的窓が多く広々としている。
「あ、ここからも紫陽花がみえるな」
「メニューも、紫陽花でいっぱいだよ」
ミューレンがよく見えるようにメニューを広げると、みぃゆとちる鳩がのぞき込む。淡い紫にピンクに濃い紫に白。とりどりの七彩でいろどられたメニューは眺めているだけでも楽しい。
メニューも色合いに負けずとりどりだ。パフェにアイスクリーム、藤色ソフトのプリンアラモードにアイスクリーム。どれも作り手の紫陽花への思い入れが感じられる作りこみように、つい目移りしてしまう。
「みぃゆは紫陽花のパフェにするね」
「ミューはこの紫陽花ドリンクにしよっと!あ、アイス多めでお願いします!」
「うむ……それじゃ、私は……私もこのパフェで」
すこし迷ったちる鳩は、みぃゆにつられるようにパフェを選ぶ。事実、背の高い器に盛られたゼリーとアイスクリームはおいしそうだった。
ミューレンが選んだ紫陽花ドリンクは、梅ジュースから葡萄のシロップのグラデーションのソーダに、藤と白のミックスソフトが乗ったフロートになっている。こちらはこちらでおいしそうだ。
「あっ、来たよ!」
頼んだものが来るまで外を眺めて話に花を咲かせていた三人だったが、やはり甘味が届けば花より団子。そちらに意識が向くのだった。
「ん!これおいしいにゃ!……二人とも、一口飲む?」
「いいの?……それじゃ、みぃゆゼリーのところあげるね」
「わ、私も」
わいわいと甘味を楽しんでいるうちに、コスプレイヤーとファッションオタクが集えば、自然と話が向くのは紫陽花を取り入れたコーディネートの話題だった。ミューレンも可愛らしい容姿をしているし、可愛らしい衣装は女子として嫌いではない。そちらに話題がゆくのは自然な流れだった。
「ファッションかぁ……紫陽花の色とか柄を取り入れるなら、どんな感じにする?」
ミューレンにとって、紫陽花といえば雨。といったらやはりレインファッションだった。
「ミューはポンチョと傘をお揃いにするかな!」
「それは可愛いな」
ちる鳩は思わず、職業柄真剣に考えこんでしまう。
「紫陽花はフリルのような華やかさがある、ワンポイントにしてワンピースやヘッドドレスにしても似合いそうだ」
きっと華やかな装いになることだろう。柄としてももちろん映えるが、あの小さな花は手毬のようでそれだけで充分に素敵だ。
「みぃゆは大正ロマンスタイルが気になるかなぁ。紫陽花柄のお着物にブーツ、帽子とか合わせたいかも」
エプロンを付けてカフェスタイルもいいな、と思う。
「ふむ……帽子に紫陽花のコサージュなんかも合うかもな」
「あっ、それいいかも!」
「ふたりともやっぱり凝ったのですごいなぁ……みんなでそれぞれ、おそろいのコサージュとか付けたら統一感出るかも!」
わいわいと楽し気に話す中、ちる鳩はいつか試作したら贈ってみたい、という小さな夢が芽生えるのを感じるのだった。
「ねぇねぇ、おそろいのテーマで今度何かしようよ! 」
「いいね、とっても楽しみだよ~」
ミューレンが誘ってくれたこの機会。三人でわいわいするのはとても楽しい。
参加してよかった、と心に思うのだった。
桜に藤に、今度は紫陽花。
花盛りの春は、初夏に向かおうとしている。目移りする季節だな、と目・魄(❄️・h00181)は思う。
紫陽花咲く石畳を歩く。少し行けば階段の鳥居があるのだという。
「おや、君も来るかい?」
配下の|妖怪《ゲド》が同行したがっていることに気づき、魄はかれらを連れ出した。
見える者には見えるが、見えない者には見えない。ゲドはそんな存在だ。似ている動物を挙げるのは難しいが、胴長で、足が短い、茶褐色の体をしているそれは数体、ふよふよと浮かんで魄の周りをはしゃぐように浮かんでまわる。
そうだ。かれらと出会ったのも、こんな鳥居がいくつも並んだ奇妙建築の一つだった。
それを思い出したのだろう。一匹のゲドが、そうそう、と言いたそうに嬉し気に魄にほおずりした。
「迷子にならない様に、近くにはいるのだよ」
ゲドはぴょこぴょこと鳥居の間を行ったり来たり。紫陽花に潜ってみてはぴょんと飛び上がり、この場を十分に楽しんでいるようだった。
そうこうしているうちに、小雨が降り始める。
「天気のいいのも良いが……」
雨に濡れる紫陽花も綺麗だ。晴れもいいが、やはり雨が降ってこそだと魄は思う。景色を楽しみつつ、濡れても傘もささず、気に留めることもなく。
――否、この季節を楽しむかのように小雨を浴びた前髪を払い、楽し気に魄は歩く。
雨にけぶる紫陽花は美しかった。まるで、この時期の恵みを一身にその身に浴びるかのように輝いている。濃紫に藤色、ピンクに青、白。踊るような七彩が道を彩る。
ゲドも濡れるということはないらしく、元気に魄のまわりを離れないようにしつつも、ふよふよと飛び回っている。
「あまりはしゃぐと、ぶつかるよ――ああ、言わんこっちゃない」
ぴゃ、と小さな鳴き声を上げて鳥居に衝突したゲドを撫でてやると、すぐに機嫌を直したようだった。
すこし歩くと、やがて麓のカフェが見えてくる。
ゲドは甘味に目がないようで、席へと魄を急かした。
魄はかれらに、紫陽花のパフェを頼んでやる。角切りにされた青と紫のゼリー、藤色と白のミックスソフトが乗った紫陽花を模した一品だ。
ゲドたちはパフェが届くと嬉しそうにぴょんぴょんと飛び回り、スプーンを使って器用に食べさせあっている。店員も『見える側』なのだろう、ふわふわと浮くスプーンを不思議がることなく見守っていた。
「少し、そちらで食べていておくれ」
そういえば、ここではお土産を売っているといっていたっけ。
魄は、せっかくだから紫陽花のイアリングを見たいと思っていた。店員に訊ねてみると、紫陽花の一輪をモチーフにしたもの、花手毬のような紫陽花そのものを模したもの、ぶら下がるタイプのものなど数種類が並んでいる処へ案内してくれた。
その中から、
「そうだな……これがいいか」
ひとつ、淡い色から濃い色へ。グラデーションになった紫陽花のイアリングを選ぶ。
「これをください」
この季節の記念にひとつ。包んでもらうと、魄も食べようよ、と言わんばかりにスプーンを差し出すゲドたちのところへ戻るのだった。
第2章 冒険 『誰そ彼、迷い路』
雨がやみ、桃花彩とでもいうべき夕日が辺りの空気を染める。
夕暮れの光に染められた紫陽花は、また昼とは違った色合いを纏う。
『誰そ彼、迷い路』。
誰がそう呼んだか、この刻のこの道は、そう言われていた。
のんびりと夕暮れの紫陽花を愛でることもできるだろう。
もしかしたら、不思議な誰か、何かと出会うこともあるかもしれない。
――もう届かない誰かに逢うことも。
- - - - - - -
(紫陽花を愛でたり、『何か』と出逢ったりできます)
(ご自由に、したいことを綴っていただければと存じます)
雨が、止んだ。
空気が染まるような夕暮れが、紫陽花を照らしている、それをきれいだなと思いつつ、酒木・安寿は石段を昇る。傘をおろしてゆっくりと眺めるそれは、昼間に雨の中で見るのとまた違った彩を伴って安寿の目に映った。
誰そ彼時。
影が巣食うそんな刻に、安寿は少しだけ期待していた。
父に、また逢えるのではないかと。そう、都合よく何度も死んだ彼に逢えるものか。そんな不安もあった。
あの時に逢った父の姿は生前と何も変わらなくて……明るくて、笑っていて……安寿の歌を、楽し気に愛の手を入れつつ聞いてくれた。
そんな姿を見たせいだろうか、少しだけ欲張ってしまっていた自覚はあった。
もう一度逢いたくて。
一人でこの場に足を運んだのは、そんな思惑があった。
果たして、その場にひとつの人影はあった。
影のように揺らめいて、のんびりと石段を下りてくる。
『――もう手の届かないものだ』
星詠みの云っていた、烏の言葉。
手の届かないもの。けれど――こうして時折姿を見せるから、求めずにはいられなくなってしまう。
それが幻影でも、真実の姿でも安寿にとっては変わらない、優しい父の姿そのものなのだから。
「……お父ちゃん……?」
あの時ほど鮮明ではない。けれどその姿形から父であるとわかる。
「なんや、また会いにきてくれたんか。ずいぶん甘えたやなあ、安寿は」
そっと、その影は頭を撫でてくれる。その温もりは、記憶の中と何も変わらなくて――
幼馴染たちとの毎日は楽しいはずなのに、無性に恋しくなる時が、確かにあるのだった。
「楽しかったわね、兄さん」
カフェを出て、石畳を歩く。立ち上る、湿気を含んだ独特の雨の匂いが鼻孔をくすぐる。
「そうですね。……おっと、雨、上がりましたね」
マギーは、ネコを伴って歩く。この湿気では、地面のそばはやはりつらいのだろう。なによりまだ雨あがりで石畳は濡れている。ネコはもう少し人の姿で供をすることに決めたようだった。
「ええ。雨上がりの匂いって、わたし、好きよ」
昔を思い出して、懐かしくなるようで。そうマギーは笑う。
病弱で、贄として生きていたばかりのマギーに、幼いころ雨上がりに外で遊んだ記憶などない。何か病気を貰って来たら大変だからと、閉じ込められるようにして暮らしていた。だから何かの物語と混同しているのかも、とも思う。そう、それこそ病床で読んでいた絵本のような。
「だって、あんまり綺麗だから。お話の世界に入ってしまったみたいでしょ?」
くすくすと笑みをこぼすマギーの前を、白い傘を持った子どもが横切っていく。
黒い髪に、おかっぱの、小さな子ども。傘とそろいの長靴とレインコート。楽し気に石段を駆けあがるその手には、黒いてるてるぼうず。
『あめ、ふったわね!』
『ずっと、こうやって駆けてみたい、って。そう思っていたの』
ぱしゃぱしゃと水たまりを楽し気に蹴散らして――表情は見えないのに、その表情が笑みであることがわかる。そんな嬉しさのにじんだ声をしていた。
「ああ……マギーさんにもあれが見えますか」
「ええ。でも、きっとまぼろしね」
今ならば、そんな幻影もマギーは穏やかな心で眺めることができる。そう、これはきっと誰そ彼時のまぼろしなのだ。
あの頃望んでいた自分、という幻。雨の中だって、どこまでも駆けていきたい。どこまでも、どこまでも――たとえひとりででも、遠くへ。
けれど、今の自分はひとりきりではなくて、傍にいてくれる彼がいて。それでよかったとも思える。生きていてよかったのだと、そう思える。
ネコも、その幻影を懐かしく見守っていた。まだ意思疎通もとれないほど自分たちがうっすらとした存在だったころ、見守っていたマギーはあんな姿をしていた。
姿こそ見えていたかもしれないが、声を掛けることも助けることもできないあの頃は、ただひたすら歯がゆさのようなものがあった。だから。
「とはいえ、あの時より、今の方が僕は好ましいですけれどね」
こうして傍にいられる状況も、笑顔を見せてくれるようになったマギーのことも。
そう、心から思う。
「……と、感傷に浸っているところをすみません。こちらを」
ネコは、マギーに何かを手渡す。それは、小さな水晶のようなもの。それは、護霊たるインビジブルを封じたもの。
いざ戦いとなれば、力となれることの少ないネコが、彼女を助けられる唯一に近い欠片だ。
「種……ありがとうね」
ほんとうに、心配性なんだから、とマギーは心の中でつぶやく。
「困ったら助けてもらうかも」
「ええ、何かあったら力になりますよ」
誰そ彼時は逢魔が時ともいう。ただでさえ、この先に『魔』がいると、既に告げられているのだ。
二人は気を引き締めて、石段の上を見上げた。
紫陽花の咲き誇る石段にて。雨はやみ、誰そ彼のひかりが辺りを照らしていた。
カップ酒を片手に濡れ鼠――もとい、濡れ狸になっている刑部のもとに、落ちる影は――。
「ああ――伊予……いや、幻か。こんなところにお前さんがいる訳がないもんな」
その姿にぐい、と掴みあげられる心地があった。おや、幻にしてはずいぶんと質量を伴った――そう思っているうちに刑部の頬に伊予の鉄拳が飛ぶ。繁華街に来なくなったと思ったら、こんなところで飲んだくれているだなんて。しかもカップ酒などという安酒片手に。
「幻に、この硬さの拳が出せますか」
能力こそ込められていないが、その拳は刑部をしたたかに打ち据えた。ぱ、と伊予が手を離すと、どさりと刑部は石段に落ちる。
伊予には、あまりにもその姿がどうしようもなく映ったのだ。
「……いてぇ」
「そうでしょう」
「ああ、この痛みは本物だな……」
いつもへらへらしている刑部が、伊予は気に入っていた。けれど今の彼は違う。明らかにいつもの演じたような軟弱と違う、弱っているような気の抜けようだ。
そんな相手を殴るのが気が引ける……ような仲でも、価値観でも、お互いなかった。
「もう一発いきましょうか」
「待て待て、って」
さすがに先ほどの一発は効いた。なにより、こんな雨が降っている中――おそらく通りがかったのではなく、探しに来てくれたのだろう。伊予の傘は先ほどまで振っていたであろう雨にしとど濡れている。その靴は泥が跳ね、幾ばくかの時を歩き続けていたであろうことを示していた。
「はあ、分かった。……少し、話を聞いてくれるか」
「仕方ありませんね、少しですよ」
「ああ。……あいつが消えた話は聞いたか?」
「消えた、ですか?」
伊予は、濡れるのも構わず刑部の隣に腰かけた。その応えに、刑部は彼女が天狐のことを知らない事を理解した。
そして伊予は聞かされたのだ――天狐たる刑部の弟が、マガツヘビ相手に相打ちとなったことを。
おそらく二次団体たる伊予達も聞かされていない辺り、彼女の親父たちはそれをかくしていたのだろう。
「それが理由ですか?」
「ああ、まあな」
「本当に、それだけが理由ですか?」
刑部は頷きを返すのみだった。
そして再び飛ぶ鉄拳。
「……どいつもこいつも戦闘民族だな、オイ」
「今のは天狐様よりの一撃と思って下さい」
伊予の瞳は怒りに燃えていた。天狐の兄として、伊予の主として――あまりにも情けなかったからだ。
「あの方が死を覚悟し、その上で生かされた貴方がこんな体たらくになるのを……あの方は望んでいないです」
殴られた頬を抑える刑部の目が細まる。
「目を覚ましてください」
言いたいことは、刑部にもわかる。こんな腑抜けた自分を、一番殴りたいのはアイツだろう。それに、殴り合いで決着をつけられなかった無念だって、アイツも同じはずだ。
それをわかっていて、こうして発破をかけられて。それでも飲んだくれていられる程、刑部の芯はまだ折れてはいなかった。
「どんな時もへらへらしているのが得意じゃないですか」
立ち上がる伊予。差し伸べられる手。
「私を救ってくれたときのように立ちましょう」
「ヒドイ言われようだが、辛いんだぞ、へらへらし続けるのは」
けれど、それを言われると言い返せない。
伊予だって彼が消えたことに思うところはあったはずだ。けれど、笑っている――刑部のために、わらってくれている。
「でも、それが刑部様じゃありませんか」
だから。
「……ありがとうな」
立ち上がり、すっかりと水浸しになってしまった服を払う。
「仕方ないから、二人のためにへらへらしといてやるよ」
刑部は、へらり、といつもの笑みを浮かべた。
夕暮れの中を、捧・あいかは歩く。
桃花色の空気の中に、ほんのりと夜の青が混じり、どこか紫陽花色を思わせる夕焼けが、辺りを包んでいる。
――もう、夜が近いのね。
楽しい時間はあっという間だ。カフェは居心地のいい時間だった。気づけばこんな刻になっており、そろそろ古妖の目覚める頃なのだろう。
そう、今日ここへ来たのは古妖の封印のためだった。
石段を登っていけば、水たまりが時折顔を覗かせる。着物の裾をよごさぬよう気を付けつつ、時折それを踏めばぱしゃりとしぶきが弾け、ペトリコール……濡れた石段の匂いが薫り立つ。
紫陽花と鳥居。この道をこのまま歩いて行けば、目的の場所へとたどり着くのだろう。
夕暮れの道がどこか|禍津路《マガツジ》を思わせ、少しだけあいかの足を止めさせた。
黄昏の光がどこか、面影だけを不気味に手招きするような異様さに――この先に在る異様な気配を感じさせる。
しかし、このまま戻ってしまおうか、とはあいかは思わなかった。それはこの先にいる者を放っておけば災いとなるのを知っていたし、何よりそれを放っておけなかったのもある。
ちりりりりん。
ちいさな鈴音がして、あいかは足元を見る。
そこには、小さくて真黒な闇――ではない。この黒は、禍烏とは違い、幸運の黒だ。
「黒猫さん。ふふ、今日も来てくれたのね」
にゃあ、と微かな声は愛らしく、鈴の転がるような響きだ。おいで、といつもあいかを導いてくれる。大丈夫、怖くはない。だって、彼女には幸運がついているのだもの。
「大丈夫、エスコートしてもらえたら、この道も歩いてゆけるわ」
あいかはどんな時も笑顔を忘れない。
その足は静かに、石段を登って行った。
御嶽・草喰は石段から、カフェのある下方を見下ろす。
金三郎たちは、無事帰ったようだ。普段だったら共闘も望めたかもしれないが、奥方と子どもたちと一緒とあっては、戦いに巻き込むわけにはいかなかった。
なにより、家族サービスとやらをそんな形で切り上げさせるのは、気が引けた。
彼らもこの紫陽花色の夕焼けを楽しめればよかったが、チビ達にはもう時間も遅い。帰るようにと促し、草喰は紫陽花鳥居を眺めていた。
――ここにいると、不思議な体験ができるらしい。
それは、『誰か』と出逢えるというもの。鳥居の加護ある黄昏路だからこその、奇妙な言い伝えだった。
それは望む誰かかもしれないし、思いも知れない誰かかもしれない。
草喰の場合は――ほら、来た。
それは、見覚えのある姿だった。
「こんな場所で会うとは、奇遇だな」
オヤジ殿、と草喰は呼んだ、自分より一回り大きいけものの姿がそこにはあった。懐かしい匂いがする。それは影となって顔は見えないが、見覚えのある姿をしていた。
「ああ、俺は相変わらずだ。相変わらず、何かが欠落している」
それが何かは、まだ草喰にもはっきりとはしていない。けれども胸の空が、何かが欠けているのだとしきりに訴えるのだ。それが落ち着かなくて、草喰はまだ答えを出せずにいる。
『友は、出来たか?』
その声は優しい。草喰にとっての友がなんたるかを知っている声だった。
「まあ、腐れ縁はいるさ」
食らうにふさわしい「脚強き者」とみて襲い掛かった――もとい、戦いを挑んだが、返り討ちにされ、飯だけ食わされて返された。それを伝えると、父の影はかっかっかと笑った。
『お前らしい』
「俺らしいとはどういうことだ。……以後何度も挑み、同じ数だけ敗れた」
声ににじむ悔しさに、どこか楽しさが混じっているのを、草喰は自覚していた。この世では、自分にとってのあのような存在をAnkerと呼んでいるらしい。自分を現世につなぎとめる楔。
『今もそいつを狩るつもりか?』
問う声にも、面白がるような響きがにじんでいた。
「……さあ、どうだかな」
そう返し、草喰は石段を登っていった。父の影に背を向けて。
紫陽花色の夕焼け。神花・天藍は桃花色のひかりの中、石段を登っていた。
先ほどまで降っていた雨露が斜陽に輝いて、紫陽花の葉の中宝石のように彩を添える様は美しかった。
やはり紫陽花は雨の中にあってこそだ、と思う。
そう、花には咲くべき時、咲くべき場所があるのだ、と天藍は思う。ならばこそ、それを知らぬもの、手折ろうとするものは――。
さて、このまま穏やかに時を過ごせればよかったが、どうもそうもいかないらしい。
誰そ彼時は大禍時とも呼ばれる。
力の弱い妖や過ぎ去った幻や。化生と遭う狭間の時間だ。不思議なものが現れるというのも頷ける。
はて、永い時を生きた自分には何が現れたものか、と天藍が思っていると、目の前にゆらりと現れる影がひとつ。
それは男だ。長身の男。
逆光になっていて表情は伺えないが、見ずとも天藍にはそれが誰か分かった。
雲や雪光を紡いだかのような白銀の髪に、異なる彩を持つ双眸は青と藍。年の頃は二十といったところか、青年と呼べる頃合いの彼自身だった。
――まこと、我はこの姿が嫌いだ。
だからこそ、今はこの姿をとっているというのに。よりによってお前が現れるとはな、と天藍は顔を顰める。
彼が世界を呪った、災厄としての姿だ。今となっては過去のものではあるが――そう、この頃、天藍は確かに囚われていた。憎悪という檻に。
大切にしていた友を、大切に想っていた娘を。ふたつのひかりを失い凍てついた双眸を天藍に向ける。その表情に声音に温度のひとかけらもなく、まさに氷のような男だ。
――そうだ、あの頃の我は、世界のすべてを、憎悪と冷たき怒りで凍てつかせようとしていた。
なぜこのようなものが、とも思ったが、これがこの先にいるという古妖……怪鳥の仕業であるとなれば納得も良く。
――届かぬ光だ
それはあの烏の声か、目前の男の声か。
男は天藍に問う。なにを腑抜けているのかと。
『斯く様な有様では失ったものを取り戻せぬ』
人の心など要らぬであろう、お前は世界を呪い、花を手折り続けろと。
そう、世界を呪う昏い瞳が天藍を見下ろす。
そうだ、かつての天藍は怒りと絶望のあまり我を忘れていた。
愛しき存在を理不尽に奪われ、止める友の声を仕舞い込み、権能の総てを以て世界に憎悪を向けた。それはまさに里にとって災厄そのものであった。
花を手折り、祈りを捧げ続ければ――いずれその光に手が届くと信じていた。愚かしくも、信じていたのだ。唯一の友も、彼を見捨てて彼の元を飛び去って行ってしまった。
終わらない冬は彼の存在そのものだ。
けれど、冬にも花は咲き、いつか春は芽吹く。
今の天藍は、それを知っている。
「だから、それではならぬのだ」
このような自分は、消滅してしまえばよいと思っていた。だから、確かにあの時甘んじて滅されたはずだった。
けれど、このような自分でも、生きていて欲しいと、願った――願ってくれた誰かが、確かにいるのだ。
だからこそ、この身はここに在る。
「故に、お前は過去の愚かしい我に過ぎぬ」
影を置き去りに、天藍は石段を登ってゆく。振り返らずに。
一切は変わっていくのだ。時がそれを教えてくれた。
彼は、|現在《いま》を生きるのだから。
第3章 ボス戦 『怨天怪鳥『以津真天』』
鳥居を抜けた先には、小さな社があった。
砕けた石碑は、古妖を封じていたものだったのだろう。
満たされぬ鳥は鳴き続ける。
どうして、どうしてと。
――何故この翼はひかりに届かぬ。
その光が何だったのか、今のかれにはもう分かりはしないが。
今できることは、この哀れな烏を封じてやることだけだろう。
「いつまで、どうして……か」
――刺さるなあ。まるでさっきまでの俺みたいじゃないの。
八百夜・刑部は嘆き続ける烏を前に、八百夜・刑部は視線を逸らさぬまま嘆息する。
それを見て、八路夜・伊予は目を細めた。
「何、また感傷に浸ってるんですか。まだ殴られ足りませんか?」
「あー、睨むな睨むな。こっちは一応乗り越えた」
嘘でも空元気でも、そういうことにしといてくれ、と刑部は両手をひらひらさせる。そうしないと伊予の拳が再び飛んできそうな勢いに、刑部は笑った。
それを見て、伊予は口の端を上げた。
伊予とて、刑部が肉親のことを、そんなに早く立ち直るとも変わるとも思っていないから一緒にここまで来たのだ。
「それに、せっかく殴るなら、弱っているあなたより強いあなたの方が戦いがいがあるって物です」
「おっと、だんだんお前さんらしくなってきたな。さて――ここまで俺を乗せたんだ、伊予も手を貸してくれるよな?」
嘆き、羽搏き続ける烏を前に、刑部は拳を打ち鳴らす。この烏をボコボコにして、ついでに自分の後悔も殴り倒してしまおう、そう刑部は不敵に笑う。
いつまで、いつまで、と烏は嘆き続ける。その叫びは目の前の総ての動きを止める――ということは、逆さに返して言えば、目の前の相手にしか効果がないということだ。
「わかってるな、伊予」
「もちろんですよ」
今まで何度となく連携を仕掛けてきた仲だ。刑部の狙いは伊予にもわかっていた。
しかし、刑部が目の前に立ち、囮と攻撃を引き受ける役割を受けようとしているのは気に食わなかった。
(まったく、あれだけ弱っていた癖に)
敵の前に立つのは何も言わず自分だけだと思っているのが本当に変わらない。女性への博愛主義なのか、刑部にとっての自分はまだ『助ける大将』なのかはわからないが。
(助けられるだけなのは癪なので――)
攻撃を一手に引き受ける刑部の負担を少しでも減らすべく、背後に回った伊予は以津真天の頭蓋に強烈な蹴りの一撃を食らわせる。強制的に目を閉じさせてしまえば『視界内』という縛りはなくなるだろう、と考えたのだ。
事実、蹴りを食らいぎゅうと目を閉じた以津真天の麻痺攻撃から、刑部は解き放たれる。
「今のうちに」
「ああ、分かってるとも!」
再起動する前に叩きのめしてやるか、と刑部の拳が飛ぶ。
「これが終わったら、飲みにでも行くか、っ」
攻撃を繰り出しながら、刑部が楽し気に言い放った。
「誘いは珍しいですね、お金がないんですか?」
「たかりじゃねえ、ただの礼だよ」
「……冗談です、けど少しは調子が戻ったようで何よりで」
以津真天を叩きのめす刑部の姿は、いつもの通りの姿だった。
「あかるいほうへ、いきたかったのね」
――あかるいところで、いきたかったのね。
マギー・ヤスラは怪鳥を見据え、そう想いを馳せる。
誰だって、暗いところで独りぼっちは嫌だ。それはマギーにも覚えのある感情だった。
「でもね……光の下で生きるなら、誰かを傷つけてはだめ。奪っては、だめ」
そう、光の下で生きるのなら、ただ奪うのではない、誰かと分け合って生きるべきなのだ。誰かと、手と手を取り合って道を行くべきなのだ。
それができないのなら、やはりかれは眠っているべきなのだと思う。
過去にもやはり、そう思った誰かによって、きっと封印されたのだろうから。
マギーは周囲のインビジブルの力を借り腕を肥大化させ、腐羽をできる限り消し去ろうとする。けれど、怪鳥は彼女より少々格上なのだろう、彼女一人では羽を落とし切れそうになかった。
「……兄さん、力を貸して――!」
先刻、ネコが渡してくれた『種』を砕くと、そこに人の姿のネコが現れる。
仕込み杖を構え、マギーを護るように怪鳥と彼女の間に立ちはだかった。
よけきれなかった羽を杖の刃で払いながら。
「やはり渡しておいて正解でした。いくら貴方が強いと言っても、手数が足りないのは致し方ない。
「文字通り、猫の手でもよければお貸ししましょう」
マギーを護れたことに、そして躊躇なく呼び出してくれたことに安堵のため息を漏らしながら、ネコは笑みを零す。
お互いに庇い合い、避けきれない翼は撃ち落としつつ、二人の連携はよく馴染んだ見事なものだった。
一時的に√能力者となったネコの一撃は、非力とはいえ、霊力を込めればそれは十分に以津真天へと届く。
「くっ……!」
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫……!」
当たった羽の呪言から、以津真天の悲嘆が伝わってきて、思わずマギーは苦しみの声を上げる。胸の内が黒く塗りつぶされそうな想い。それは、ネコに伝わるかわからなかったが――しかし、ネコが、インビジブル達が傍にいてくれる。自分はもう、一人ではないのだ。
その想いが、マギーを踏みとどまらせる。
「大丈夫、烏さん……ちゃんと、眠らせてあげるから」
あの可哀想な烏を、苦しみから解放してあげたい。
それは、マギーの心からの優しさだった。
そして。
「怪異というのは、闇にしか生きられないものですよ。悪あがきはやめて、あるべき場所に戻りなさい」
怪鳥を封印しようとするネコの心もまた、マギーを護りたいという優しさだった。
黄昏時の逢瀬は終わり。
父とのひとときを過ごし、名残惜しみつつも石段を登り切った安寿の前に現れたのは、大きな黒い影――片翼が骨となった烏の怪鳥、以津真天だった。
こちらを見て翼をばさりばさりと羽搏かせつつも、攻撃はしてこない――まだ、鳥居を越えていないからか。
――さて、ちゃんと依頼もこなさんとね。
古妖の封印は、今を生きる幼馴染の為にもなることだからだ。
いつもいてくれる彼女たちがおらず、一人で戦うのは少しばかり心細いが、安寿だって戦い慣れていない訳ではない。……一人でも、やりきってみせる!
頬を両手でぱんと叩くと、痛みが現実感を思い出させる。
「よっしゃ、気合い入った!」
楽しんだ分、めいっぱい戦ったるで!
そう安寿は気合を入れて鳥居を踏み越えるのだった。
社の敷地内は広い。近づくと、怪鳥は呪炎を放ってくるのだという。
事実、近づくと――
「……おっと!ここが、あんたのナワバリっちゅう訳やな」
飛んできた青白い炎を避ける。少し下がると、炎は力を失ったのか、シュンとおとを立てて消え入った。
さて、攻撃を受けることはないであろうという位置に陣取り、マイクを構える。
ここからならば――安寿の声なら届く!なんせ、視界内にあるものであれば、安寿の声は届くのだから。
安寿の歌声に、怪鳥は目を瞬いた。その歌声は、烏のこころさえも震わせただろうか……しかし、かれにその歌声に酔いしれている時間はない。
がたん、がしゃん!!
崩れかけた社の残骸が、以津真天へと向かって飛んでいき、その鋭い角を突き立てる。
辺りに、怪鳥の叫び声が響いた。
石段を上がった先。
その先いた姿に、御嶽・草喰は出会ったことがあった。その黒く骨の突き出た翼、舞い散る羽には見覚えがある。
正確には以津真天に化けた古妖であろうが、しかし手の内がわかっているのは同じことだ。
ならば、草喰はかれに対して優位でもあるといえた。全く分からない敵を目の前にするよりは余程。しかし油断のならない相手であることに変わりはないが。
狼はその名の通り『|神《かみ》』の使いとして祀られ、火を嫌うため火を避けるのに効果があるとされているそうだ。しかし生憎、草喰は変わり種のはぐれ者を自称する。
火はその名の通り神事に使われる程に魔を避ける力も持っている。それで以て、怪鳥を祓ってくれようと草喰は吠えた。
草喰の姿を見つけると、怪鳥は翼を幾つも放つ。それが刃のような鋭さを持っていること、当たると状態異常を引き起こす力を持っていることを草喰は知っていた。なればこそ、避けられるものは総て避け、避け漏らしも吠え声とともに放った炎で焼き尽くす。
勢いを殺さず突撃すると、ひらりと怪鳥はそれを避けようとした……が、それこそが草喰の狙い。炎で逃げ道を塞がれた烏の逃げる先などたかが知れている。
その先を狙いぐるりと反転。炎を纏った爪を繰り出すと、それは狙い通り烏の胸を裂いた。
血とともに舞い散る羽をも焼き落とし、草喰はとんと軽く着地を決める。
「なぜだ……なぜ邪魔をする」
「お前は弱き者に害をなす……それだけだ」
嘆き続ける怪鳥に、草喰はそう言い放つのだった。
呪うのも、苦しみ続けるのも、今は終わり。
哀しい声が聞こえた。だから、それを晴らすために彼女はその明るい歌声を響かせる。
捧・あいか――ポップの歌姫の歌声は、怪鳥『以津真天』にさえも届くだろうか。
『|夏色の星の歌《サマータヰム・ポップスタア》』
彼女の得意の一曲だ。この距離ならば、声は届いても相手の呪炎は届かない。優しく甘い歌声は夏の星を唄う。そのきらめきを、美しさを。
それは呪いを込めた炎とは違う。真っすぐな輝き。手が届きそうで届かない、ちかちかと瞬くきらめき。
遠い星の世界。その景色は相反する光は、怪鳥の瞳を閉じさせる。
『ああ……光が、光が――』
その瞼の裏に、星の光は届くだろうか。
かれの苦しみはいつまで続くのだろう、とあいかは思う。かれにも手向けの楔を持つ相手がいるのだろうか。インビジブルとして漂い、やがて再びまみえる日が、来るのだろうか。
もしもいるのなら、その時まではせめて。ゆっくりと、安らかに眠ってほしい。
歌に宿した力は優しく、怪鳥の呪いを、嘆きを鎮めていく。
いつか、やが、また。――そのときも、もしかしたらまたあなたは嘆きの中にいるのかもしれないけれど、本当は相応しい言葉ではないと理解してはいるけれど。
その歌声で、どうかいまは安らかに眠って。
静かに広がる社に、あいかの歌声が響いていた。
すべての元凶はこれか。
哀れに嘆く怪鳥、以津真天を認めると、神花・天藍は嘆息した。
届かぬものほど、美しく見えて欲しくなるものなのだと、天藍は知っていた。
どうせ届かぬものならば、最初からなければよいものを。
――けれど、ひとは、妖は、求めずにはいられないのだ。刹那の輝き、美しさを。
なければよいと願いながらも求めてしまう、その矛盾を彼は永い生の中で知っていた。――今は、諦念がまさってはいるものの。
さて、どう戦ったものか。
どちらにせよ、ある程度距離をとったところで呪炎や翼が飛んでくるのだ。ならばそれを避け、避けきれないものは撃ち落としつつ進む。
しかしその数はあまりにも多い。天藍は辺りに映えた木々を盾として渡りつつ距離を詰める。
『お前も、我の邪魔をするのか』
「諦めよ、お前の花は咲かず、光は届かぬ。春など来ぬのだ」
天藍が印を切ると、|消えせぬ雪《とこしえのふゆ》が辺りを包む。氷雪はすべてを凍てつかせ、羽搏こうとする烏の翼さえも凍えさせる。
冬は生命の終焉の季節、呪われた炎となる|想い《ねつ》さえも抱き連れて逝く、終わりの刻。
飛ぶこともできぬ鳥を、天藍は見下ろした。
その瞳には、憐れむようなひかりが在った。
「哀れな鳥よ、冬に抱かれて眠れ」
もう、終わってもよいのだ、と、そう天藍は祈る。
やがて鳥は降る氷雪に凍え、眠るようにその瞼を閉じた。もうそこには、嘆きも陰りも哀しみもなく、ただ静かな眠りがあるだけだった。
せめて安らかに眠れるようにと、天藍は祈りを手向ける。
それは彼なりの優しさであったのかもしれない。
能力者たちの力により、怨天怪鳥『以津真天』は再び眠りについた。
この社にも、しばしの平穏が訪れることだろう――。