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左足の美
●硝子の靴
一生に一度の大切な日。
「僕と結婚をして下さい。」
不器用な彼が、プロポーズに選んだそれは指輪ではなく硝子の靴。童話が好きな彼女の夢を叶えようと、何度も何度も絵本を読み返した。
目にたっぷりと涙を浮かべながら、彼女は硝子の靴へとそっと足を差し込んだ。
六月の花嫁は幸せになれるのだと。折角だから彼からもらった硝子の靴を履いて式を挙げたい。そんな可愛らしい夢を語っていた彼女のために、彼は当日のプランをしっかりと練っていた。
おめでとうの言葉を告げる人々、幸せそうな新郎新婦。誰もが大切なその日を祝うはずだった。
「……あれ?」
白いスーツの新郎が声を上げる。
「どういうこと?」
白いドレスの新婦が口を押さえた。
二人が見つめていたそこには、何もなかった。本来ならば招待客がいるはずの席は空っぽで、それどころか彼女が履くはずだった硝子の靴も消えている。
新郎新婦を残して、他は綺麗さっぱりと姿を消してしまった。
●彼女曰く
「硝子の靴だって。夢があるよね。」
アンジュ・ペティーユは小さな硝子の靴を掌に乗せて、あなたたちを見る。
ここは√妖怪百鬼夜行のとある靴屋の前。硝子の靴を専門に扱うその靴屋は、一見して硝子の靴を作っているとは思えない外観。趣のある木の建物に、白と青に塗られた看板とレトロな文字が印象深い。一年を通して忙しいのだろう、硝子の窓から中の様子を伺えば、職人や店員が忙しなく動いている。
「ちょっと困った事があるみたいで、結婚式の会場で新郎新婦を残して他が消えてしまう。って事が起きているみたい。」
アンジュ曰く、不思議な事が起こっているのは、この靴屋で硝子の靴を購入し、プロポーズをした者の周りのみとのことだ。
「一年を通して、それなりの注文を受けているみたいだから、近い内に式を挙げる人と難なく接触はできると思うよ。」
接触が出来たら、あとは周辺を調べれば良いだけのこと。不審な動きが見られたら、そこを突いて追いかければ、自然と元凶に辿り着くはずだとアンジュは言う。
「堅っ苦しいことを言ったけど、この靴屋さんは硝子の靴以外にもオーダーメイドで自分の靴を作ってくれるみたいだから、キミたちにはそれも楽しんでほしいな!」
アンジュは硝子の靴をポケットにしまいこみ、店の説明を続ける。
一番人気はメインの硝子の靴。プロポーズはもちろんのこと、誕生日用に好きな生花を添える注文が多いと言う。
その人をイメージしたデザインを心がけており、同じデザインの硝子の靴は無いという所が、更に人気に火をつけているようだ。オプションでリボンや誕生石など、ちょっとした小物を付けられる所も人気が高い。履く事のできる靴だが、もちろん履かずとも良い。
二番人気はアンジュが手にしていた硝子の靴の置物。実際に履ける靴も良いが、インテリアとしても長く楽しむことの出来るそれも、その人をイメージしたデザインとなっている。実際に履く靴よりもリーズナブルな値段となっており、プロポーズ以外の注文も多いようだ。こちらも通常の硝子の靴と同じオプションを付けることができる。
それから硝子の靴以外にも靴のオーダーを受けているようで、あなただけの一足を作って貰えるのも魅力の一つだろう。
硝子の靴を専門にしてはいるものの、店内にももちろん普通の靴は並んでいる。店の奥にひっそりとではあるが、スペースが設けられており、天気に合わせたお気に入りの一足も見つかるかもしれない。
「オシャレは足元からって言うからね、自分に合った一足が見つかったら嬉しいよね。」
アンジュは靴屋への扉に手をかけた。
「それじゃ、いってらっしゃい!楽しんできてね!」
これまでのお話
第1章 日常 『軽やかに歩こう』

白と青に塗られた看板の前に立つ女性。結った髪を上品におろし、白いブラウスと濃紺のフレアスカートで着飾る物部・真宵(憂宵・h02423)は、ルールブルーの瞳を瞬かせ、井碕・靜眞(蛙鳴・h03451)を不安げに見上げる。
「……井碕さん?」
じとりと濡れた眼差しが見慣れぬ姿の真宵を捉え、瞬きを繰り返してしまったからだ。彼女の声で我に返った靜眞は、下がり繭を更に下げて梅雨の風に消え入りそうな声色で漸く言葉を告げた。
「あ……いや。ええと、お洋服もお似合いだと思って。」
あまりにも静かな声色を聞くのは初めてではない。しかし、真宵もまた彼と同じように瞬くと、淡く微笑んだ。
「ふふふ、ありがとうございます。」
気になる事件ではあるものの、一人でこの靴屋に入るには心許ない。派手な外観ではないとはいえ、このような店には縁も無い靜眞が、真宵へと相談をしたのが始まりだ。
濃紺のフレアスカートを風に靡かせ、開かれた扉を指で示す真宵は彼に入店を促す。
「入りましょうか。」
「あっ、ええ……はい。」
中へと足を踏み入れると、そこはある意味で幻想的な空間だった。外の光を反射した硝子の靴が煌き、硝子のショーケースの中で存在を主張している。しかしながら、全てが全て個々の存在を主張している訳では無く、互いの存在を引きたてながらもそこにある。
そんな空間に真宵が息を飲んでいると、少し後ろで靜眞が口を開いた。
「灰かぶりのお伽話、ご存知ですか?」
「子どもの頃に童話を少し。」
「折角ですから、一足お願いしてみては。」
落ち着いた真宵の表情が、一気に弾けた。
「硝子の靴、興味があったんです!高いヒールは履いたことがないのでまずはお試しを。」
このようにはしゃぐ姿は年相応なのだと、靜眞は店員に声をかける真宵を見送り、彼女の準備が整うまでディスプレイを眺めていた。しかし、不意に真宵の震える声が耳に届く。
「……井碕さん、あの、すみません。」
「あっはい、どうしました?」
「……腕を、お借りしても?」
二人の視線が重なった。震える声を聞き、慌てて真宵の方へと向いた靜眞だが、そこにいたのは履きなれない靴を履き、身を前のめりに屈ませて足を震わす真宵の姿だった。腰が引けているが、履きなれないのだからご愛嬌と言うことでお一つ。
支えの無い真宵の両腕が宙を泳ぎ、何やら悩んでいる様子の靜眞へと助けを求める視線を送る。そこで漸く、靜眞は左腕を差し出した。女性のエスコートには不慣れな分、どうするかを一瞬だけ考えてしまったからだろう。僅かに反応が遅れてしまった。
エスコートを受けた真宵は、ぎこちなく歩いてスツールに座る。顔から火が出るとはこのことだろう。赤く染まった顔に雪花石膏の肌が良く映える。
(いやこういう時のフォローってどうしたらいいんだ。)
心の中の呟きは真宵には聞こえない。耳まで赤く染めた真宵へのフォローは、先程と同じように間があったかもしれない。
「……大丈夫ですよ。その、歩く練習なら、付き合いますから。」
覆い隠した指の隙間から、ルールブルーがちらりと靜眞を伺う。
「すきなものを選びましょう。」
「ありがとうございます……。ヒールの低い物にします。」
高いヒールに少し憧れがあった。だからヒールの高い物をお願いしたが、慣れるにはまだ時間がかかりそうだ。真宵が選んだ硝子の靴は、ヒールが太くて低い物。爪先は丸みを帯び、普段からヒールを履かない真宵でも無理なく履くことの出来そうな一足だ。光の角度によっては、夏の宵を思わせる青色に染まる。
「お誕生日、近いですよね。お礼も兼ねて、プレゼントさせてください。」
「……プレゼント、ですか?わたしに?あら、まぁ…よろしいのですか?」
そんな会話をしていると、二人の隣にいたカップルが硝子の靴を受け取りに来たようだ。どうやら一連のやり取りを見ていたらしいカップルは、近いうちにこの近くで式を挙げるのだと言う。その準備として、ここに預けていた硝子の靴を取りに来たそうだ。
「六月の花嫁さんなのですね。素敵ですよ。」
「おめでとうございます。」
靜眞も真宵も二人へと祝福の言葉を贈る。言葉を受け取った二人は、硝子の靴を受け取り幸せそうに微笑んではそのまま店を出た。
式を挙げる場所はこの店の近く。その場所についてを掴むことが出来た二人もまた、誕生日プレゼントとして大切に箱におさめられ、綺麗にラッピングをされた硝子の靴を受け取り、件の場所へと向かうのだった。
上品な輝きを放つ硝子の靴たちを前に、顎に手を添えて考える仕草を見せる一文字・伽藍(|Q《クイックシルバー》・h01774)は、履ける硝子の靴の謳い文句にそれはもう真剣に購入を検討していた。
(マジで履ける硝子の靴……?何それドチャクソに欲しいが??)
硝子の靴と睨めっこをする伽藍の後ろでは微笑まし気に見守る店員が控えている。急かす様子もなく、伽藍に委ねていると言った所だろう。伽藍の視線が値札へと向けられた時、店員も動いた。
「こちらの硝子の靴、オプションで宝石やリボン。また誕生日用に生花も取り付けておりますので、ご入り用でしたらお声がけください。」
(誕生日用に生花、さらにはオプション付きもあると。)
丁寧な説明を受け、伽藍は顔をあげる。先日、六月六日に誕生日を迎えたばかりだ。これはもう買えと言う事。伽藍は決心したのか一人で頷き、ディスプレイに並ぶ硝子の靴を人差し指で力強く示す。
「6月の誕生花に、あとオプションは誕生石とかリボンとかフリルとか!最高にきゃわゆい硝子の靴で!」
「かしこまりました。」
伽藍の注文を聞き、店員は頭を下げて一度裏へと消えた。これからとっておきの一足を作るのだろう。次に現れた時には、店員は何やらアルバムらしき物をいくつか抱えて来た。
「こちらはここで硝子の靴を注文をされた方の写真になります。形や装飾まで世界に一つしかない硝子の靴を製造しておりますので、ご参考にどうぞ。」
履きにくいのは気にしない。浮けば全部解決するから。音も気にしない。気合いで何とかするから。世界に一つしかないきゃわゆい靴ともなると、伽藍の目はいつも以上に真剣さを増す。
シンデレラのようなハイヒールも魅力的だが、形状としてはお気に入りのブーツのコーンヒールが好きだ。ピンヒールは踵が折れかねない。セットバックヒールはバランスを取るのが難しい。気合いで何とかなるとはいえ、あれやこれやと考えてしまう。
唸り続けること数分。デザイン重視とは言え、結局履きなれているコーンヒールを選んだ。この形状が一番気に入っているからだ。
「であれば、アッパー部分には誕生石の真珠をふんだんにちりばめ、生花は誕生花のアイリスに致しましょう。アイリスの色合いに合わせて、リボンはストラップ代わりに。お色は青系でまとめさせていただきます。」
「最高にきゃわゆい靴になるじゃん!」
店員から告げられる言葉だけで、胸が弾んで仕方ない。硝子の靴の上品さを残したまま、派手にしてくれるのだ。しかし、今回の件についても忘れてはいなかった。アルバムを捲り、世間話の一環として最近の様子についてを聞き出そうと、伽藍は口を開いた。
「やっぱプロポーズ用が多いの?ロマンチックだもんなァ、硝子の靴。」
「ええ、そうなんです。シンデレラに憧れる女性も多く、そのようなシチュエーションでとご相談される方も多いのですよ。」
「そういえば、こちらで硝子の靴を購入されたかたが、近いうちにシンデレラの舞踏会をイメージして式を挙げると仰っておりました。」
「へぇ?ロマンチック。」
「場所はこの店の近くだったはずなので、帰りにでも立ち寄ってみてはいかがでしょうか?外からでも十分、中の様子を見ることはできると思います。」
窓の外に視線を向ける。今日は晴天。空すらも祝福をする日だ。
(|恋する2人《シンデレラと王子様》の晴れ舞台に水を差すやつ、何なんだろうね?)
靴の準備を整える店員の姿を視界から外し、伽藍はぶらぶらと両足を揺らす。
「リア充爆発しろってやつなのかな。」
その呟きを誰が拾ったのだろうか。忙しそうな店内では誰も耳には入れていなさそうだ。お前が爆発しろ。とは口にはせず、足を揺らしたまま硝子の靴を受け取ったシンデレラと王子様を見送った。
第2章 冒険 『不思議なお屋敷』

「ありがとうございました。」
退店を告げる声に見送られ、あなたたちは式場周辺の調査を行う。店員に聞いた場所へと足を向ければ、既に式が始まっていたようで、新郎新婦を祝う賑やかな声が聞こえて来た。
そんな光景を横目に、更なる調査を行おうとした矢先である。狭い小道の隅、ちょっとした段差に、一足の硝子の靴が落ちているのを見つける。
左足。確か、童話の中の姫も左足の一足を落していたはずだ。物語があなたたちの脳裏を過った時、不意に周囲の景色が変わる。目の前には見慣れぬ洋館が現れ、周囲には先程の式場にいた者たちが不思議そうな顔で立ち竦んでいた。
ここは一体どこだろう。迷い込んでしまったあなたたちは、ここから抜け出すための手掛かりを掴まなければならない。
洋館の玄関の前には、硝子の靴が脱ぎ捨てられていた。