貴方の在り方への愛し方
●呆れるほどにありきたり
「諸君、囮捜査だよ」
開口一番のふざけた台詞とは対照的に、星詠みの中条・セツリは淡々と、ホワイトボードへと地図と写真を配置していく。
その手慣れた手つき。これはどうも遊びではなく|本職《カミガリ》の所作。つまりは至極真面目な|怪異《それ》絡みと見て──さて、資料が提示されればマジックを手に中条は続ける。
「|見立て《予知》では数日以内に最初の事件が起きるが──まずはここだ」
ぐるりと丸がつけられたのは、とある都市から少し離れた、海沿いの再開発地区。
『再開発』と言えば聞こえはいいが、途中で計画が頓挫して廃ビル、廃倉庫が数十年も前から捨て置かれているような、どこからも忘れ去られたような一帯。
つまり、事件にはなんともうってつけの場所。
「ここの廃ビルで人が消える。少なくて数人、多くて数十、数百人……正確な数は君たちの活躍にかかっているけどね──なんでこんな辺鄙な地区で消えるかって?」
キュッキュッと、達筆なのか癖字なのか判別しかねる独特の字で地図横に詳細を記しながら星詠みの言うことに。
「簡単さ。『肝試し』だよ」
「どうも、今年になって急にこの辺の廃墟へ噂が流れ始めるんだ。
『ホテルの経営難で支配人が首を吊った』とか『痴情のもつれの心中事件が起こった』とか、そんなありきたりなやつがさ。
ほら、若者って暇だろ? 最近だと動画配信なんかも盛んだし、これからの季節には格好の遊び場って訳だ」
そもそもこの辺にホテルなんてなかったのだけどね──しかし、今回の任務は|不法侵入の阻止《愚か者のお守り》ではない。
「それで、本題。廃墟へ訪れた若者が消える。
消えて、数日後に戻ってくるんだ」
戻ってくるのならば、問題はないのでは?
そんな空気に、中条は淡々と続け、マジックで味のある人間を描くと、その顔に赤ペンでXをつける。
「困ったことに全員、心身ともにおかしくなって戻ってくる」
戻ってきた若者はただ皆、口々に繰り返す。
何がしたいんですか、わたしは何もしていません。ごめんなさい。許して何でもしますお願いしますごめんなさい助けてごめんなさいごめんなさい。
もう、許してください──。
「一緒に肝試しに行った『B君』が行方不明になり、数日後に戻ってきたけれど精神に異常をきたしてしまった……なんて、余りにもありきたりすぎる。手垢のついた古い古い怪談のオチさ。
けれども実例が出たとなると、それは最早『ありきたり』ではないんだ。あそこには『何か』が出る、ならば真実を確かめてやろう、なあに自分だけは大丈夫──そうして噂が噂を呼んで、見事行方不明者……正確に言えば『元』行方不明者かな?
ともかく、そうして芋蔓式に被害者が増えるって寸法さ。上手くできてるね、ブラボー。勧誘がお上手なことで」
もっとも、|怪異《あれ》がそこまで計算しているとは思えないけれど。
そんな言葉を呟きながらも片手のペンは止めず、ただグルグルと歪な線を引いて。
「と言う訳で、被害が出る前に『|怪異《原因》』を退治、そして欠片でもいいので持ち帰ること。欠片の部位は問わない。
これが今回の君たちの|お仕事《使命》さ」
キュキュッキュ──乱雑な線を引く、そのペンがようやく止まる。
「──けれど諸君、気を強く持てよ。
殺されてしまうより酷いことも、この世にはあるんだぜ」
それは果たしてどんな意味なのか。
ホワイトボードには、いつの間にか虚ろな眼をした『女』の顔が描かれていた。
第1章 冒険 『涙も声も涸れ果て』

まだ日の高い時間。『貴方』は例の廃ビルに赴きます。
とうの昔にガラスの朽ちて、吹き抜けと化した窓から外を眺めれば、霞がかった彼方にはうっすらと海上を渡る高速道路が見える。そして風と共に微かに船の汽笛、或いは海鳥の鳴き声……そんな『日常』の音が微かに聞こえてきます。
しかしそれ以上に、他の階層でしょうか。『自分以外』の誰かが同じように探索している気配……立ち止まったり、ガラスを踏んだりと、確かに|そこ《・・》に『いる』のが分かるはずです。
けれども不思議です。
そうして遠くに『人』を感じながら、何故か『貴方』は今、この世界には『自分ひとりだけ』と言う妙な心地に襲われていくのです。
言いしれぬ心細さと共に『貴方』は一歩一歩、慎重に荒れたビルを進んでいきます。
先程も申した通り、まだ明るい時間だと言うのに内部は薄暗く、割れたガラスや壁の破片、場所によっては天井や床が崩落していて大変に危険です。
これでは夜に肝試しなどすれば『怪異』関係なく事故が起きるでしょう……と、その矢先『耳元』で声が聞こえます。
「──貴方は|何《・》を成すのですか?」
●
ふと気が付けば『貴方』は『別の場所』にいます。
それは知っている場所かもしれません。
見知らぬ場所かもしれません。
現在の自室であったり、幼少期に過ごした部屋かもしれません。夢の中の様に不可思議で取り留めのない部屋、あるいは家具のない、一面が白一色の空間かもしれません。外が見える、見えない。ドアの有無……どうであれ、『そこ』はきっと『貴方』に意味のあり、ないような部屋なのでしょう。
けれど、出れません。
何をしても出れない。人もいない。
どれ程の時間が経ったかも分からない。
さあ、どうしましょう。
それでは『私』に見せてください。
貴方の『在り方』を──。
●貴方のための安寧は
美しき造形で、わざとらしいまでの優雅さで、けれど何一つ、この現象にも困った素振りこそすれど本心ではない軽薄さで『貴方』──徒々式・橙(|花緑青《イミテーショングリーン》・h06500)は『部屋』に佇んでおりました。
四方八方を真白に囲まれたそこは物ひとつなく、壁と天井の境界すら曖昧に眩しいくらい。特に貴方の様な人間の、硝子で矯正された『目』には優しくないことでしょう。
けれども貴方は落ち着いて、冷静に頭を働かせるのです。
ひとつ、ここは既に廃墟ではない。
ひとつ、移動した理由について。
ひとつ、あぁそうだ──。
「──あなた、どこの誰かは存じ上げませんが『|私の在り方《・・・・・》』なんてありませんよ」
天井を向いて、一言。|回答《・・》をありがとうございます。随分と|慣れて《・・・》いらっしゃるようで。
「だってほら、私は『代替品』ですからね。けれども……」
どうにかたどり着いた壁をノックする様に叩いて探りながら、会話とも独り言ともつかぬ声で貴方は思考を巡らせます。
「私がここに在るということは、誰かが"誰でもいいから"と求めた筈ですし……」
誰もいない部屋を見渡して『誰か』あるいは手掛かりを探すべく、靴音を響かせて貴方は歩き出します。
ああ、しかしそう言われてみれば、この真白な部屋はまるで貴方の様ではないでしょうか。『在り方』を他者に委ね、しかし何にも染ま|らぬ《れぬ》、その内面なのではないでしょうか。
どれくらい経ったでしょう。
部屋を歩き回ることに飽いて、探索の成果も得られない。仕方なし、貴方は片膝を、そして床へと手を着き『√能力』を使います。
|52Hzの夢物語《ナルヘルツスピーカー》──その意味の成すことは、存じております。
何事にも届かぬ声、孤独の声。誰にも聞こえぬ声──そんな『この空間の所有者』の、過去の声を聞こうとして。
しかし、貴方は『他者を受け止め』て『夢を叶える』好都合な存在であればこそ。
『貴方』の声は誰が|受け止めて《・・・・・》くれるのでしょう。
貴方が覚えているかは分かりません。
貴方が何を思うかも分かりません。
けれども能力を発動させれば一瞬だけ、『声』が貴方の心へと浮かび、そして煙の様に消えました。
貴方はゆっくりと立ち上がると、汚れた訳でもないのに膝を、そして手を払う。優雅に頬に指を添え、首を傾げて──それはまるで「どこかで失敗を予想していた」ような、形式上の困惑でした。期待にも希望にも追い縋ることのない、己の『在り方』を知った姿でした。
しばし無言。軽薄の薄れた顔は、心へ浮かんだ|過去の記憶《こえ》に思いを馳せていたものか──しかし、次にはすでにいつもの調子に戻れば、隠された貴方の|本心《ありかた》はいまだ見えぬまま。
──まだ、扉が開く気配はありません。
●愛情を与えてあげましょう
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな──父は天に在らず、その地にありて|子《・》を待ち侘びる。
一体ここはどこだろう。
困惑に近しい感情を抱いて部屋に佇む『貴方』──|ジョン・ファザーズデイ《名無しの父》(みんなのおとうさん・h06422)。
『全ての父』を自称する通りの、老若男女への分け隔てなき無差別な慈愛。故に、貴方がこの地に赴いた理由は、挙げるとすれば怪異退治という任務。もう少し平たく述べるならば『子を守る親の務め』
なんとも、そのあまりにあまりな慈愛により自らが怪異へと|近しい存在《人間厄災》に成り果てたとしても、いえ、成り果てたが故に、その愛情はより一層純粋なもので全てに分け隔てなく注がれるのでしょう。
それが貴方の確固たる『在り方』であると仮定すれば、貴方のいる|部屋《・・》が『おうち』である事は自明の理でした。
かつては温かみのあった、けれども今は家具も何もない、打ち捨てられたようなその室内。文字通りに伽藍堂な『頭』でぐるりと見渡して、貴方は少し考えてから悩み、結果に至ります。
ここはきっと、|みんな《・・・》のおうちだね。じゃあ、みんなが帰ってくるのを待たないと。
家があるならば、子供がいる。
誰もいないならば、そのうち帰ってくるはず。簡単なことに気付くと、貴方は安堵します。
父として、貴方は子供たちに「おかえり」を言わないといけません。そしてその後は、遊びの時間になるでしょう。
絵本を読もうかな、花の冠を作ろうかな、シャボン玉も楽しいね。誰かに会えるのが楽しみだなあ。
楽しみに弾む声で貴方が語るたびに、室内には変化が訪れます。
絵本やクレヨン、おもちゃ箱には積み木やぬいぐるみ。画用紙や折り紙はみんなが喧嘩をしないようにたくさん。果物籠にはおやつのリンゴ。
子供達がお腹を空かせて帰ってきた時のために台所の大鍋の中ではシチューが暖かく煮えて、漂ってくるこの甘い香りは、きっとオーブンでクッキーが焼かれていることでしょう。
けれども、そうして完璧に近しい『暖かなおうち』になろうとも、誰も帰ってくる気配はありません。
空想に遊び、子を待ち焦がれる貴方、自己の『在り方』を確立しているのにいまだ『この空間』を|幻影《ゆめ》を夢と知りながら|現実《ゆめ》に遊ぶ貴方が『変化』に気付く事もありません。
──扉が、開く気配はありません。
●安楽にあらず
人を愛し、人の世に混じりながら、決して人でない『貴方』──満戯・夕夜(愛しき桃を護る蜘蛛・h05468)の、星詠みとやらが告げた『これから起こるべき|事実《みらい》』を自業自得と切り捨て、咎めるその言葉は『過去の経験』から来るものでしょうか。
貴方の生い立ち。人間災厄「悪喰土蜘蛛」と言うその立場。恐らくは様々な経験をされた事でしょう。様々なものを見てきたでしょう。様々な感情のもとに安楽に満ちた『今が在る』のでしょう。
けれども貴方が災厄に近しい存在であればあるほどに、その思考が人とは異なるものであるほどに。
『私』には、到底|区別《・・》のつかない、愛おしい人間とその他を、何を持って区別し、折り合いをつけ『己で在ろう』とするのか……大変に興味深いと言えましょう。
故に、貴方がいる場所は『過去』でした。
目の前には祠があります。その古い、苔むした屋根を撫でれば湿り気のある、なんとも言えぬ手触り。そうして周囲を見渡せば、社もそのままに──。
何を思い出されますか。
|懐か《忌々》しいでしょうか。
貴方は記憶を辿ります。ここはかつて、勝手に住み着いた村。優しい、綺麗な人の子が居た。貴方の言う『優しい』とはいかなるものなのか。
「あの人の子は、口のきけない俺が、夜な夜な怪異を食べていたのを知ってもそばに居てくれた──」
社の前に足を進めて、独り記憶を辿るように呟き、貴方は思い出します。この世界では珍しくもない『儀式』の形跡は目を凝らしても今はどこにも見えないでしょう。
しかし貴方は記憶を辿る。まるで目の前で再生されているかのように追憶する。
当時の供物が供えられる直前だった。
綺麗な瞳の人の子が人のまま居たいと願ったから──良いのでしょうか。その先を口に、思い出してしまわれても。そこからは。
「あの子が人のままであるように」
「俺は願いを、|叶えた《たべた》。」
途端、口の中に久しく忘れていた|味《・》が広がります。
湿った腐葉土に似た饐えた匂いと、喉を通る暖かき液体、体内へ容赦なく流れ込むそれらを、かつて受け入れたそれを、吐き戻しそうになりながら。
ただ耐え、強く目を閉じて。そして思います。
帰りたい。無事に帰らねばならない。
愛する人との約束を、守らねばならない。
──しかし、扉はどこにも見えません。
●飽くなき淡き憧れの
全ての物事には功罪が在ります。
良かれと思った事が思わぬ事態を引き起こすこともあります。
それをめぐり合わせと呼ぶか、運命と受け入れるかの『在り方』は興味深いものですが、『貴方』──ゼロ・ロストブルー(消え逝く世界の想いを抱え・h00991)の|様な存在《ルポライター》の|おかげ《・・・》でこの場所は今後|一層の賑わい《・・・・・》を見せることでしょう。
しかし、その『|在り方《職業》』のために、貴方はここに来てしまった。
それはあえて怪奇な物事へ関わろうとする在り方への罪なのでしょうか。それとも──。
貴方は部屋に佇んでいます。
真白い部屋、調度品もない部屋ですひとつ、大きい窓がありました。
……あぁ、なるほど。
職業柄でしょうか。貴方は飲み込みました。つまり、件の噂は撒き餌みたいなもの。己は運が悪かった、と。
そして、鞄からフィルムカメラを取り出せば、光景を何枚か写真に収め、この状況を手帳へと記します。
もしかすると、仕事という『使命』があればどうにか『|在り方《自己》』を保つことが出来る。その点に関しては能力者も、非能力者も一緒かもしれませんね。
一通り記し終えれば、貴方は壁を見、窓へと向かいます。ガラスが嵌め込まれているつくりのそれは、鍵もなく、開けることは出来ないでしょう。
外を覗き込んで見ると、どこまでもただただ青空と白い雲が広がっているばかり。一体ここは何処なのでしょうか。
この窓、割れないのか?
そんな当たり前の疑問が浮かべば、貴方は双斧を取り出し、構える──最近のライターは中々物騒なものです。そうして、躊躇いなく叩きつけてみますが……何も起きません。
期待した感覚も衝撃もない。振り下ろした手斧は寒天を切るかの様な柔らかく、重い感覚に阻まれてしまいます。なんとも妙な心地です。
壁も同様。いくら斬っても文字通りに手応えがない。手で触れば確かにそこに壁があるはずなのに、斧となれば感覚が変わる。まるで馬鹿にされているようにすら思えました。
貴方は破壊を諦め……一か八か大声で叫んでみます。
「誰か、いるか!」
そうして壁に耳をつけて返事を、他から聞こえる声を期待しますが……何も起きません。
どれ程の時間が経ったでしょう。
視界に嫌でも入るのは、どこまでも広がる美しき青空。空は元来遠いものです。けれども今は、それ以上に妙な閉塞感が込み上げ、その馴染んだ青さにも妙な居心地の悪さすら覚えます。
故に貴方は再び脱出を決意し、疲れるまで脱出方法を探し続けるのでしょう。
それを後、何度繰り返すのかは分かりません。
──扉は、いまだに現れません。
●青き悪路の明け方は
鷹揚たる態度で訪れた『貴方』──櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)はぐるりと『部屋』を見渡します。
聞くところによれば貴方は|警視庁異能捜査官《カミガリ》を目指すため、随分と努力をなされたとか。
故に、晴れて成ったその職務を遂行しようとしたものか、単なる『囮捜査』という言葉に興味を惹かれたものか──どちらであれ、貴方は|ここ《・・》へと赴き、閉じ込められた。
|そこ《・・》は、現在の住居でした。
真新しいフローリングに壁紙、自分で選んだ家具たち──どれもこれも見覚えのある、入居してからは短いものの紛れもなく居心地の良い『我が家』でしょう。
けれども何かが違う……その予想は直感からでしょうか。
独りで、貴方は部屋の中央に刀を引き寄せて座し、思考します。そうすれば沈黙が嫌にのしかかかり、いやでも気付かされるのです。
久方ぶりに覚える『|寂しい《孤独》』と言う気持ちを。
「……独りになるのは久しぶりだな」
口をついた言葉。恐らくいつもであればそれを聞いた『誰か』が茶化す、心配する、慰めると、様々に声をかけてくれたことでしょう。
「……静かだ」
声は部屋に反響したまま虚しく消えて、貴方は目を閉じていつも周りにいる人々を思い出す。
特別な機会でのたこ焼き作り、取り止めのない日常の、たわいもないけれど賑やかな提案……声と共に顔が浮かんでは消えていくでしょう。そうして続けていきます。
俺の為に色々作ってくれて話してくれる声。優しくて猫なのに落ち着いたおじさんの声、身体も声も大きい、俺を楽しく明るくしてくれる声……。
──いままで様々なことを体験なされたのですね。様々な方と交流を成し、縁を繋がれたのですね。様々な特別と日常を体験して、今の孤独を感じる貴方に成ったのでしょうね。
けれどもここでは誰も何も言ってはくれない。なにも聞こえない。独りで発するしか音はない。優しさも賑やかさも、貴方の持つものしか存在しない。
「寂しいって、こうだったっけ」
目を開ける。怒りの欠落した貴方は、感情の乏しい貴方はただ思うしかない。それじゃ諦念とはまた違うでしょう。受け入れるとも違うでしょう。だから静かに思うのでしょう。
悪い夢なら、早く覚めてほしいと。
「……俺も誰かが思い出す、俺に成れているかな」
知り合った人々の中に、己はきちんと『存在』しているのだろうか。ぽつりと思った疑問に、けれど尋ねる相手はここには存在しません。
──扉は、いまだ開きません。
●Affectionate Arms
正直に申し上げますと、貴方がたの『在り方』の中でもことさら『私』が興味を持っているものは『互いが互いを必要としあう』関係でした。
無意識であれ意識的であれ、例えばそれを貴方がたは『友情』と呼ぶのでしょう。あるいは愛情、信愛、親しみ──互いが想い合う。あるいは一方的、何かしらの契約、それとも……なんであれ、それらの感情。自身だけでなく他者の存在によって『在り方』が定義される。
興味深いとは思いませんか。面白いとは思いませんか。
だから、『見せて』頂きたかった。貴方がたの『在り方』を。
●
さて、廃墟に似合わぬ優美さで『貴方』──平岸・誠(Blue Bullet Brave Blue・h01578)はこの地へと訪れましたね。|ご職業柄《カミガリゆえに》、一歩一歩、建物の安全性を確認しながら瓦礫へ苦戦しつつ『同行者』と進んでいきます。こんな場所も「肝試し」も幸か不幸か虚弱な貴方には縁遠い。しかし面倒ごとの定番である以外に、何かがぼんやりと頭の片隅に引っかかったまま。
「……肝試しか。なあ、実。あれはいつだったっけな。昔……」
少し進んだフロアにて、ふと引っ掛かりが取れれば仲の良い『ご友人』の名前を呼びます。よろしい関係性です。幼少期からの仲、そして現在も|なんらか《・・・・》の理由により……いえ、無条件で『友情』を成している。
けれど、本当にそうでしょうか。
彼は本当に、貴方の知っているご友人でしょうか。
いつもならすぐに帰って来る返事がなく、貴方は立ち止まって周囲を見渡します。彼の姿はどこにも見えず、珍しい事でしょう。だって彼はいつだって貴方と一緒に……だからでしょうか。想像したものは、嫌な考えです。彼も大人なのだから、自分の身を守れるはずなのだから、いつまでも幼少期の頃のようにずっと一緒にいる訳ではないのだから、決して心配することはないはずです。
そう言い聞かせると、貴方は不安を払拭して進みます。声を出して安全を確認するとともに、彼がこの声に反応してくれることを信じて──そこで『私』は尋ねました。
その声に貴方は目を閉じる。『私』の言葉に反応をしてくださる。
そして、目を開ければ何もありません。何もない部屋に、貴方はひとり佇んでおります。
こういった経験はこの世界の警察官であれば慣れているものなのでしょうか。動転するより先に、目に見えて苛立った貴方の内面は大変に『興味深い』ものでした。
「ふざけるな」
申し訳ありません。
「何の意味がある?」
意味──先ほども尋ねました。その言葉の通りですが『私』の声は貴方へは届かないでしょう。ただ、丁度良く貴方は言葉を反芻して。
「『何を成す』そんなの、決まってる。俺は俺であり続ける」
貴方は気を強く持ち、周囲を見渡す。多大なる心労、そのお身体にはつらい事でしょうに、『私』など見えていないでしょうに虚空へと宣言します。
「そして前に進み続ける」
「振り返ったりしない。止まっていたら、守れないから」
立ち眩みに似ためまいをこらえ、頭を押さえながらも貴方は再び気を強く持つ。大変にご立派です。
けれども貴方が浮かべているのは、守りたいものは一体|何《だれ》なのでしょうか。
●
「肝試し? ああ、まこっちゃん覚えてない? いつだったかは忘れたけど、ほらまこっちゃんが怖がるから、大丈夫だよって僕がずっと手を握っててさ……」
同行者の声に、記憶を辿れば『貴方』──薄野・実(金朱雀・h05136)はふと足を止めます。子供の頃、今より幼く、無邪気だったあの頃から『彼』は貴方のヒーローでした。いえ、今でもそれは変わらないのでしょう。貴方はいつも余裕がある素振りをして、その内面は怯えている。彼を守ろうとして、守られている。
そして、本心を打ち明けられぬままにいる。
あの頃とは違い、彼はひとり、貴方の少し先を歩いて隣のフロアに入ります。がらんとした室内はどこも似たように、崩れたコンクリートが時折行く手を阻む。しかし大規模な崩落もなく、まだ明るい時間帯であれば大の大人──それも、調査へ赴いたような性質の者への危険性はなかったはずです。
けれども、続いて足を踏み入れれば、どこにも彼の姿が見えません。
大人なのですから、心配することはなかったはずです。しかし、貴方の心はいやに騒いで、どうしたものでしょう──だから『私』は尋ねました。
貴方はひとり漆黒──いえ光を失った世界にいます。声も聞こえず、己の手さえ近付けても明瞭ではない世界です。もしかしたらそれは、無意識で彼を欺いているという『罪悪感』かもしれません。彼という光を見失った……もう少し現実的に言えば同行者のいない不安に襲われたせいかもしれません。
『貴方』の身に何があったか、それは『私』の知るところではありません。
ただ一つ明確なことは、貴方は現在の身を、己の『在り方』ではないと内心強く否定している。そして、欺いていることに『罪悪感』を抱いている。
貴方はそれに気付いておられるでしょうか。静かに、数回彼の名前を呼ぶと、諦めて目を閉じます。そして自省に似た心で振り返るのです。彼のことを、彼にしたことを。
数年、独りにさせた。それだけではなく不安に、今自身が抱えているものよりも酷い気持ちを抱かせてしまった──だから、貴方は方向も分からない闇の中を弾丸のように走り出します。光を求める様に、あるいは逃げ出す様に。
そして思うのですね。彼を守ることを。その身が人でなくとも、彼のために在る。
それが貴方の『在り方』であり、『成すべきこと』であると。
●
お互いに想い合う心を素晴らしき『友情』と呼ぶのでしょうか──例え一方の本心は分からずとも表面上は成立すると『学び』ました。
ですが、秘密を知った時、あるいは抱えきれなくなった時、その友情は一体どうなるのでしょうか。
──扉は、どこにも見当たりません。
●悪童の悪夢
どこの国でも、本質的には変わりはないのでしょう。
であるならば『貴方』──チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)の言うところの『|不良連中《Gits》』
貴方の含みがある言葉とその顔から伺うに、もしかしたら、彼らを|観察《・・》していた時の貴方は『|私《・》』と近しい存在ではなかったでしょうか──?
面白いものです。そして、この世界においても|貴方のような方《ゆうれい》は、大変に興味深いものです。
だから、もう少し知りたいと思いました。
貴方が何を考え、何を成すために在るのか──。
そこは貴方のよく知った光景です。
一見普通のロッカールーム──床には脱ぎ捨てられたユニフォーム、スパイクは泥を落とさずに、靴下さえ脱ぎっぱなし。
ぐるりと視線を移せばベンチの上には誰かが持ってきた雑誌の、先程まで読んでいたかの様にページの上に菓子が溢れ、鞄からはみ出たCDはどれも今は懐かしい、|最新《・・》のバンドたち。
その乱雑さはまるで空き巣にでもあったかの様ですが、些か礼節にかける、一般的な男子学生達が集まればそうもなるでしょう。
まるで|扉《・》を開けて、今にもチームメイトが戻って来そうな空気の中、貴方は周囲を見渡し、何かを思い出します。
そしてふと後ろを向けば、大きく壁一面に張られた作戦ボード。
自然と見知ったポジションへと目を移せば『LW C.Stockwell』の文字──。
貴方のよく知って、しかし今はもう、どこにもない光景です。
声を失い|年相応《・・・》の反応をした貴方は、経験からか、うちなる感情からか、即座に反撃を行う。
その|霊体《からだ》であれば通常ならどこへでもすり抜けられるでしょう。
『|不良連中《Gits》』を驚かしたように、物を投げるなど些細な仕事でしょう。
けれど、何一つとして物事は進展しません。
疲れた貴方はベンチへと腰掛ける。まるで当時の様に、敗戦後のように項垂れて。けれど励ましてくれるチームメイトはいない。熱狂も帰る家も、もう決して戻らない遠い過去なのです。
子どもの姿でありながらとうの昔に子どもではない。生者のようで死んでいる。いまだ魂を縛られて、けれども故郷から遠く離れた異国の地に在る。
どこにも属さない貴方──貴方の故郷にも似たような|彷徨う者《will-o'-the-wisp》の話がありましたね。
さて、一体貴方は何を『成す』ために|現世《ここ》に在るのでしょう。
──扉は、いまだ開かずにいます。
●暗示としての蒼、あるいは
|警視庁異能捜査官《カミガリ》──この世界にて多忙極める方々。今までも何名か|お会い《・・・》した、その人種の中でも『貴方』──青桐・畢(際涯・h00459)は随分と、同胞とは異なる空気を身に纏っていました。
それは外見の、随分な季節だというのに、スーツを着こなして、まるで汗ひとつかいたことのないという涼やかな顔立ち。
あるいはもう一つ。文字通り『身に纏う|空気《・・》』貴方の『|在り方《おいたち》』から来るものなのでしょうか。
貴方は、光と影の陰影が強い室内にて、その顔立ちが与える印象よりずっと軽妙洒脱な思考で思います。
「肝試し、肝試し……なるほどね。確かに夜景なんかフォトジェニックだろうね」
今時の若者の文化はそんなもの。でも|√汎神解剖機関《この世界》にそういう|文化《余裕》あるのかな。|あそこ《√EDEN》ならいざ知らず──貴方も随分と若いでしょうに他人事で独りごちて、少し楽しそうに己の言葉に疑問を呈する。
一体、その普通の感情のどこからどこまでが『貴方』なのでしょうか。
産まれながらの虚弱な身。生命維持を|得体の知れぬ他者《インビジブル》に支えられる身は、一体どこまで、それとも全て含めて『貴方』なのでしょうか。
だから、気付いたら貴方はそこにいました。
|黒い霧《ゴースト》に似た世界──何も見えず、聞こえず、声を出した側から消えていく様な闇の中で、しかし貴方は随分と余裕を持っています。こんな境遇には慣れてるとでもいいたげに。
けれども、ふと気付く──静かです。
現実の音や目視のそれとはまた違う、何も見えぬ、囁き纏わりつく霊もいない静けさの世界。それを貴方は『普通』の人間の世界と認識した。
一体貴方は、貴方の様な人物はどの様な『世界』へ生きているのでしょう。どの様な目で世界を視ているのでしょう。どの様な声を聞いているのでしょう。
抵抗、あるいは探索と空間を霊震させるも、手応えがないと知るや手を止め、貴方は一言、『私』の思考を透視したかのように呟きます。
「しかし『アンタ』俺をスキャンして……一体何が視えるんだろうな」
その通りです。私には未だ貴方の『在り方』は分からない。だからこうして『|観測《み》』続けるのです。貴方が私を『|認識《みた》』ように──。
──いまのところ、扉はどこにも視えません。
●あの日への哀悼を
廃ビルの、一角にて『貴方』──クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)はふと足を止めました。
目の前には天井が崩落したものか、コンクリートの瓦礫が積み重なり、小さな山を成している。しかし通れぬほどではないその光景。崩れた建物など貴方には珍しくもないはず。けれども|見慣れたが故《・・・・・・》か、貴方は足を止めて、その山を眺めます。一体この地にて、全く無関係とも言える|異邦人《別世界出身》の貴方は、何を思うのでしょうか。
だから『私』は尋ねます。
貴方が何故かように、必要以上なまでに、世界を越えてまで|人助けに身を投じる《動き回る》のか。その『在り方』は一体、|何《だれ》に影響を受けて形成されたのか──。
「ここは……」
瞬きをしたか、しないか──その一瞬で、貴方が次にいたのは大変に簡素な部屋でした。
扉や窓は見えず、壁は真っ白。家具といえば、中央にひとつ椅子があるだけ。量産品でしょうか、いかにも『椅子』と言った形のそれから何かしらの情報を得るのは難しいでしょう。
けれど腰掛けるには丁度いい。本当にただ、それだけ。
しかし貴方の考えは別にあります。
椅子の座り心地なんかより大切な事は、『入り口のないこの部屋に己は一体どこから来たのか』……いえ、そもそもの疑問です。
何が起きた? さあ、なんでしょうか。
それは貴方の今までの戦歴の賜物です。
臆する事なく咄嗟に周囲を見渡す──細心の注意を払いながら状況を把握します。呼吸をするように、今までそうしてきたから。ええ。だって、戦場では一瞬の油断が命取りと言いますからね。
そして貴方は、貴方の『世界』では一般的なものでしょうか。無数の小型機械を取り出して、室内を探索させるように放ちます。そして貴方自身も部屋を歩き、椅子をどかし、壁へ刃や弾を撃ちつける……。
けれども『戦場』で無理は禁物ですよ。むやみに体力を消費し、緊張の中で生き続ける。『傭兵』──|この世界の、この地《√汎神解剖機関の日本》では御伽噺めいた、貴方の経歴です。
『|私《・》』が聞き及んだところによると、兵士が一番に望むものは『休息』だそうですね。
だから、その様に緊張なさらず『この部屋』で、ごゆっくりとお過ごしください。時間はたくさんにあります。
そして、見せてください。貴方の成すことを──。
●
貴方は座り、思考を張り巡らせる。
星詠みの言った事を反芻して──そう『肝試し』だったか。若者たちがおかしくなったのは、きっと俺と同じ目に遭ったからなんだろう。しかし、彼らは『戻って』来たと言った。
だとすれば、死ぬ前には出られる筈だ。
ふと背もたれに寄りかかれば、椅子が軋んで妙な音を立てます。
音すら存在しない空間の中ではそれすらも喜ばしい変化として耳に入る。一体ここへ来てからどれ程の時間が経過したでしょうか──体力の消耗は抑えられる。けれども精神は……。
|いつまで《・・・・》正気を保っていられるか。
ふとそんな考えが頭に過ります。
狂った方が楽なんじゃないか。
そんな考えも過ります。
永遠に思えるこの|時間《虚無》。『希望』が、眩しいくらいの指針であった太陽が|見えぬ《欠落した》貴方には、自省はまるで毒の様に悪い思考へ誘導されて──いえ、それとも、『|それ《・・》』が今や貴方にとっての『希望』なのでしょうか。それもひとつの『在り方』です。
けれども、何も成せてはいない──。
ふと、音がしました。
虚ろな思考のまま、反射的に視線をやれば、つけていたはずのペンダントが転がり、特徴のない白い部屋では輝石が床の上で妙に赤く輝いています。
貴方はそれを無言で拾い上げる。石を眺め、ものを思うその心は、表情の乏しい顔からはよく読み取れません。
「……のか」
声に出す。戦慄く指でその赤さを撫でる。
「……お前なら、そうするのか」
会話に似た言葉の、貴方には何が見えているのでしょうか。
「ああ、|お前《・・》の分まで生きるって、決めたんだ」
「だから、こんなんじゃ……駄目だ」
不可思議です。
生きると決めて戦いへ身を投じる。希望が見えずともどこかで追い縋る──しかし、それが貴方の『在り方』であれば、平穏に座してただ終わりを待つよりは、なんとも素晴らしいことではないでしょうか。
乏しいながら、貴方は先程よりははっきりした顔でペンダントを、そしてナイフを握る。そして再び椅子に座り、開放される時をただ待ちます。
その在り方を見るに、兵士に必要なのはもしかしたら『休息』ではなく、意識的でも無意識でも構わない、ただの『心の支え』なのかもしれません。
──しかし扉は、一体どこにあるのでしょう。
●暗澹にあれば雨模様
『人間災厄』──こと、この酷く停滞した黄昏の世界においてと|それ《・・》と分類される|災害《ひと》の『在り方』、それは場合によって|他の生き物《にんげん》、そして世界へ牙を向く傍迷惑なものとなるでしょう。
ただ在るだけで害をなす。けれども『私』にはその『在り方』こそが興味深い。悪意も何もない、ひたすらに純粋な好奇心です。
そして『貴方』──霧嶋・菜月(最後の証人、或いは呪いそのもの・h04275)の様な存在。悪意なく呪いを振りまく、『呪い』と化した存在。
貴方は一体その身で何を成すのでしょう。だから、お招きいたしました。
貴方の『在り方』を確認するために──。
貴方は冷静に、室内を見渡す。
一応は『部屋』といえなくもない殺風景な光景。壁も家具も必要最低限。装飾すらなく寒々しいそこは、部屋というよりどちらかと言えば──。
「……|収容室《私の部屋》? 」
壁を撫で、その光景を見つめて貴方は思い出します。いつかの記憶は、どれくらいいたのか不明では在るけれど、いやでも慣れ親しむしか無かったその場所。溜め息を吐いて貴方はその美しい顔を歪め、皮肉めいて笑うのです。
|閉じ込める場所《・・・・・・・》としては、実にお誂え向きじゃない。
だから悠然と、ベッドの上に腰掛けるとまるで自然な流れでスマートフォンを取り出し、電源が入らないことを確認すればしまいこみ、再び溜め息を吐いた──まるで『自室』にいるような自然な動きで、貴方は思う。
「まあ、いくらでも待ってあげるわ」
|誰《・》が|何の意図《・・・・》で閉じ込めたのかz。もしかすると似た様な災厄の仕業、あるいは──思考しながら貴方は挑戦的な、半ば自嘲のこもった気持ちを吐露する。監禁は慣れてるの。それにここは、とっくに閉じ込められたことのある場所だもの。
ああ、|経験者《・・・》でしたか。そして自室であればその順応も納得です。
けれどもただぼんやりとしている場合ではない。勿論心得て、貴方は『痕跡』を探します。何か、今ならば何でも良い。例え生きていなくとも──そうして声を聞こうと耳を傾ける。
その、死の匂いが満ちた『部屋』はきっと、通常でしたら『声』が聞こえた事でしょう。たくさんの助けが得られた事でしょう。しかし今はただ無言。壁に耳をあて、周囲を探っても似た様な成果。
思い出します。『あの場所』ではいつも騒々しかった。サイレンが鳴り、廊下は誰かが走り回って周囲からは悲鳴があがり──。
貴方は思考をやめて払拭するように首を振る。
この場所はあまりにも『思い出』がありすぎます。
●
ありがたいことに、貴方は『私』の問いかけを覚えてくださっていましたね。
『何を成すか』──今はちょうど良い暇潰しでしょうか。貴方は考えて下さります。
今成すべきことは第一に事件の解決。脱出手段が必要だが見当たらないのであれば、不可能に近しい。それ以外で、|成すべき《・・・・》こと?
「だとしたら……」
貴方は考える。死の匂いを纏い指を顔に当てて考える。
「怪異らしく振る舞うよう求められながら、人であることを選び続けることかしら」
結局のところ『呪い』を振り撒く存在は『他者』がいなければ存在意義が薄いのかもしれません。それは人間と同じ、ただ『在り方』が異なる──ああ、その意図はないにせよ『人間災厄』とは実に的を得た名称です。
それにしても──悲鳴、発狂。駆けつける職員に運ばれる担架……ここであれ、あそこであれ、私には無理だけど、狂うことができた、狂うべき"被害者"はある意味幸運だったのかしら?
そんな思考だからでしょうか。
貴方は無意識|《・・・》に呟きました。
「███████」と。
●
ふと、周囲が歪み、貴方はまた『別の場所』へといます。
室内とは打って変わったそこは薄暗い、湿ったコンクリートの匂いが充満した──『屋外』でしょうか?
どこからか雨音が聞こえて、息を吸うたびに肺が生暖かく霧で満たされるような不快さを覚える。周囲を見れば閉塞感のあるコンクリートに、前後は似た様な景色で、オレンジ色の灯りが等間隔に薄暗くぼんやりと不気味に光って、無限に続くかの錯覚を覚えます。
トンネルです。
興味深いことに『私』は何もしていません。ただ、部屋を塗り潰すほどの|呪い《ちから》を貴方は発動させた。それも無意識であれば、確かに脅威です。
呪いに近しい存在として、貴方の|意識《在り方》がどうであれ、世界からは隔離され、災厄と呼ばれて然るべき存在でしょう。
けれども、だからこそ貴方がその先に成すこと──先程に述べた決意が成就するかはともかく。
それが何であれ、貴方はただひとり歩き続けます。
足音を響かせて薄暗いトンネルを。出口の見えないそれを。
──扉はいまだ、辿り着きません。
●甘やかな悪鬼
例えば|この世界《√汎神解剖機関》において『|ひと《・・》』──一般的な住人と『怪異』の違いは何を持って判断するべきなのでしょうか。
ひとでありながら不可思議な能力を持つ者、別世界から赴いた者、この世の理から外れた者……そして、純粋なる|ひとではないもの《・・・・・・・・》。
それらと『|怪異《わたし》』の違いは、一体何を持って判断するのでしょうか。人の姿をしただけの怪異とも言える人間災厄や、幽霊。吸血鬼や死人、妖怪の類い──それらをただ『ひとへの危険性』だけで怪異にあらずと線引きすることは正しいのでしょうか?
ひとではないその身で、あえてひとの世に溶け込むとした判断は、貴方であれ祖先であれ、一体いかなる『思考』にて成したのでしょうか──だから、興味深いと思いました。
『貴方』──秋津洲・釦(血塗れトンボ・h02208)はベッドに寝転び、白い天井を見つめています。
簡素なベッド、机と椅子に冷蔵庫。外の様子は伺えないが一応窓があるその部屋は、安ホテル、あるいは一人暮らしを始めたばかりの人間の部屋と言った具合でしょうか。
暇を持て余した貴方が寝返りをうつと、小さな冷蔵庫が目に入ります。その白い箱を眺め、何かを思考したのち、立ち上がってそこへ向かう。扉を開けて|中身《・・》を取り出し、再びベッドへと戻る。腰掛けて、|よく冷えたそれ《・・》を眺めて。
「全血で……O型、かぁ……」
ひっくり返し、何かの文字を読み、呟きます。
●
|警視庁異能捜査官《カミガリ》協力者、そして骨董商、生まれの種族と、貴方は大分呪術の方面に長けていらした。
故に、今回の職務にあたり、|そちら《・・・》の危険性を考慮することは想定の範囲内でしたね。
だから、貴方は廃墟から突然この部屋へ『訪れた』時も、特に驚きもなく平然としていらした。この様な現象は起こり得ると知っている風に調査を開始した。
手探りで壁や窓を探り、一方で触手を這わす。危険性がないと分かれば力を入れて殴りつける。それでも無駄であると分かると、大人しく痛む手をさすり、ベッドに腰掛けました。
ある程度の楽観という訳ではありませんが、出られないものは仕方ない。しばらくは凌ぐしかないと、そんな考えも片隅にあったことでしょう。
一見優雅です。住むには困らないでしょう。そして、時間も食事もどうやら無限にあります。
けれども、退屈だけはどうにもなりません。
手にした赤黒い液体の、熱が徐々に体温にふれるその結露。パッケージに記された細かい文字まで、変化のない停滞した部屋ではありがた刺激となる。
そうして目の前の刺激に反し、|空白《暇》を埋める様に脳は自動的につらつらと物事を思う──。
●
例えば、三大欲求。
食、睡眠、繁殖──生き物としての本能に従った基本欲求を『理性』で多い隠し、ひとは今の社会を生きると言います。
ゆえに『脳』がひとをひとたらしめんとする最も重要な臓器なのでしょうか。
またひとであるには『心』──もう少し砕いて『感情』というものが大切であると言います。脳とはまた別に、文字通り『心』臓。それ以外にも確かに生命維持には欠かせない重要な臓器でしょう。
けれども、本当にそうなのだろうか──?
貴方は考えます。ふと伸ばした触手の、それはいつだったか『|食べ物《内臓》』に例えられました。
飽食の時代。生き物として貴方の思うに、最も重要な臓器は『腸』である。
栄養を、あるいは他の生命を消化し吸収することが生命活動の基本だとすれば、心臓も複雑な神経系さえもすべては腸のために存在する。食は手段であり過程である。それは空腹のせいでしょうか、あるいは種族としての思考なのでしょうか。
貴方の種族『|吸血鬼《ステワ・ルトゥ》』──とは言え、その響きから想像する西欧種とはまた異なる|在り方《種族》。原始的な生物に近しいそれは、意思もなく知性もない。
ただ影の中を這い回り、血を啜るための|触手《生き物》──それが脳を、知性を得たとすれば本能による進化。つまるところ効率的な狩り、そしてそれによる、より良い食餌のため。
全ては食事から始まり、そして今がある──。
けれども、今。
同じ様な味とは言え四種類が冷蔵庫に収まった、何をせずとも三食昼寝付きの好物件。持論の通りなら、本来の『在り方』であれば喜んでいくらでも滞在できるはずなのに、貴方は紛れもない感情を持った『ひと』で在れば、やはり退屈には勝てません。
いつの間にか音もなく空になった袋をゴミ箱へ投げ捨てると、貴方は再びベッドに倒れ、寝返りをうつ。つらつらと流れる思考に目を瞑り、外を恋しいと思いながら。
そうして、再び腹を減らすのでしょう。
──扉は、どこにあるのでしょう。
第2章 冒険 『深夜の心霊タクシー』

ふと、気が付けば『貴方』は廃ビルの入り口に佇んでおりました。
出口から数歩というところ、歩いて外へ出ればいつの間にか日が暮れて海も空の深い闇の中、遠くに昼間見た橋が光り、その更に奥には都市部のビルがきらめいている──ああ人の、生活の、日常の気配です。
何やら懐かしい物を感じながら、しかし、体感的にはつい先程ビルへ赴いた|様な気がする《・・・・・・》。そして断片的な記憶の中、出口まで歩いた|記憶《・・》はない。
『貴方』はどこか夢うつつに、状況を把握できぬ一種の酩酊状態です。
「お待ちしておりました」
ふと、唐突に声をかけられて『貴方』が振り向くと、そこには制服を着た運転手と、タクシーが一台停車しています。
「お迎えに、あがりました」
迎えなど頼んだ記憶も、星読みが手配したという話もありません。
けれども、今回の依頼は大元を辿れば|例の組織《汎神解剖機関》──遅い時間ともなれば、依頼内にこのくらいの|支援《サービス》が含まれているかもしれません。
だから『貴方』はぼんやりした頭のままタクシーへと乗り込みます。
いえ、もしかすると断るかもしれませんね。
だって『貴方』は『|ご自分の乗り物《・・・・・・・》』でここに来たのですから。
けれどもどちらにせよ、運転手は申し出るのです。
「『ある方』のご依頼で、『貴方様』を次の目的地へとご案内いたします」
『貴方』が乗り込むにせよ、タクシーを追走するにせよ、そこまで違いはないはずです。
結局、終着点は|ひとつ《・・・》なのですから──。
●
道を走ります。
目に飛び込む光の眩しさに目を細めて、油断すると眠りに落ちてしまいそうな程の疲労と倦怠感。
正確な時刻は不明ですが、遅い時間なのでしょう。比較的大きい道なのに他の車は一台も見えない。
その上で土地勘のない都市の道路。
どこを走っているのか、全く検討がつきません。
「そういえば──ひとつ、お話を宜しいでしょうか?」
不自然に顔の見えない運転手は、後部座席の、あるいは別れ際の貴方へと問いかけました。
「結局、|あそこ《・・・》で何か見つかりましたか?」
一体何の話を、どこ──探す?
突然の声に、記憶を辿り考える『貴方』へ、更にもうひとつ。
「──そう、例えば『貴方』の『|扉《・》』など」
不明瞭な意識の中、突然『耳元』で響いたその声は
紛れもなく昼間に聞いた『|あの声《・・・》』でした。
●忌日
『見つけたもの』『扉』『在り方』
朦朧とした頭に反響する声の、混ざり合って意味をなさない、けれども引っ掛かりを残してどうしようもない焦燥と、それ以上に諦念を覚える言葉たち。
『貴方』──クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)はそれらをぼんやりと反芻して、うつろのまま|素直《・・》に口を開くことでしょう。
「……何も、見つかってないよ」
常に表情の判別し難いその顔ですが、うっすらと疲れを見せて、車窓の景色を眺めます。戦闘とはまた違う倦怠感。ふと気を抜けばどこまでも沈んでいきそうな意識の中で、等間隔に目に入っては消え、消えてはまた目に入る街頭の明かりをなんの感慨もなく見ながら、続けて。
「あそこから出るための扉も、あいつのところへ逝く方法も」
「……なにも、無かったな」
ふと気を抜けばどこまでも沈んでいきそうな意識の中、自然と出たそれは『本心』と捉えて良いものでしょうか。
何を見た、何を得た、何を失った、何を何を何を──|どうして《・・・・》。
数え切れぬほどの自問。恐らく貴方が『|太陽《きぼう》』を失って繰り返していたもの。何の感情も乗らずに淡々と、ただぼんやりと頭に浮かんだだけの単純な思考と、薄らと蘇ってくる『あの部屋』での体験。
結局のところ貴方には脱出方法はなく、死すらも選べなかった。
いえ、貴方が臆病なのではなく、もう少し単純に、貴方が文字通り『|死ぬことの出来ない身体《√能力者という存在》』であるが故、その選択肢は現実的ではなかったのでしょう。
そして『私』は大変に興味深いと思いました。
死者により希望を|奪われ《欠落し》て、なお|死者《・・》のせいで死ねぬ身体の、自縄自縛。逃げることを許さない、無意識下の自罰的な結果として、あるいはもう少しロマンティックに『彼』の最期の願いが具現化して『|現在《いま》』に至る──どちらにせよ皮肉なことです。
緩いカーブに差し掛かり、その拍子に貴方は無意識に手に握っていた『それ』の存在を思い出しました。希望の心地よい暖かさ。まるで正気を保つように、彼はいつでもそうでした。故に、今もなお貴方は『死者』の存在に生かされて続けている。
「……何のために、そんなことを聞くんだ」
その『問い』は、一体どう答えれば貴方を満足させるのでしょう。
けれども素直に答えたところで、貴方を怒らせることが明白であれば……ああ、事は『全て』が丁度良いタイミングです。
ほら、窓の外。
少しだけ『夜』が明けてきましたよ
●夜鳴き鶯
いついかなる時も行儀良く、丁寧に思いやりを持って……『貴方』──|ジョン・ファザーズデイ《名無しの父》(みんなのおとうさん・h06422)はそう振る舞う事で『子どもたち』への立派な手本になろうとするでしょう。しかしそれ以前に、もしかしたらその振る舞いは無意識下の、貴方の『|本質《無垢》』なのかもしれません。
「タクシーなんて、すごいなあ。運転手さん、安全運転でお願いします」
さて大柄な身をかがめ、少々窮屈そうに後部座へ乗り込む──もちろん『運転手』への挨拶は忘れずに。そして貴方は足を揃え、こじんまりと行儀よく座る。ゆっくりと車が走り出せばちらりと、どこで世界を『認識』しているのか不明な『顔』を車窓へと向けて子どものように声を弾ませます。
おとうさん、タクシーって好きだなあ。だってこうして、制服を着た運転手さんに送迎してもらえるなんて、なんだか特別な感じがするよね。いつか『子ども』たちも乗せてあげたいなあ。おめかしをして、みんなで特別な『お出かけ』を──。
貴方の弾んだ声は途中で止まる。
「──けれども。ねえ、運転手さん。」
「一体、どこへ行くんだろうね」
それは、今と|空想《ゆめ》、|どちら《・・・》への疑問でしたか?
そうして貴方は、少しうつむく。その動きにヴェールが髪のように貴方の『顔』を隠すことも気にせず、膝の上に揃えた両の手の指を遊ばせながら、ポツポツと先ほどの問いかけへの答えを思い出したように呟いて。
「そうだなあ、何か──扉……何も見つからなかったよ」
その声に落胆はありません。何故ならば──。
「きっとね。何を見つけたらいいかも わからないからね」
「でも、それでいいと思うんだ。自分で見つけないと、それは本物じゃない気がするもの」
あの部屋で貴方が望んだものは『子供たち』でした。
けれどもそれ以外に、貴方は自分のものは何も望まなかった。探しもしなかった。その様な意味であれば、貴方は理解しているのでしょうか。己の『|在り方《空白》』を。
「ねえ、運転手さん。どこに行くのか分からないけど目的地に着けば、何か見つかるかな……なんだかほんの少し、期待してしまうね。それに」
「ねえ、それに『アナタ』は何を見せてくれるのかな。よく分からないけど、アナタのことを少しでも楽しませられたら、いいんだけれど」
ああ、貴方はきちんと『見えて』いるのですね。世界を、周囲を、『|異変《わたし》』を──自分以外の世界を。であれば、てっきりその『|鳥籠《あたま》』は子を閉じ込めるためのものだと思っておりましたが、もしかすると閉じ込めているのは貴方の『■■■■』──いえ、結論を急ぐことはありません。
しかし、その|認識《め》があれば、恐らくは『夜明け』も見える事でしょう。
●指揮者、奏者、そして観客
何事も素直に従って、一見無害でありながらもどこか反抗を匂わせた慇懃無礼なその態度は『貴方』──徒々式・橙(花緑青イミテーショングリーン・h06500)の『在り方』を何よりもよく示していることでしょう。
タクシーの後部座席に大人しく足を組んで座れば、懐から煙草を取り出してただ行き先を任せるまま。けれども少しして口を開くには軽薄、そして不可思議に律儀の。
「移動手段までご用意いただけるとは助かりますね。私どうもこのあたりの土地には疎いもので。しかしどこの誰が手配してくださったのかは知りませんけど……そもそもどこに行くんでしたっけ? そもそも今回の目的は──まぁいいでしょう、分からないのは|いつものこと《・・・・・・》ですが…………ねえ、そういえば今のタクシーって全面的に禁煙でしたっけ?」
一方的に話しかけてはいるけれど、察しの良い貴方の事です。元から返事など期待していない事でしょう。無言を肯定と捉えて、シガーケースをしまえば再び言葉を続ける。それは期待も何もない、本心を隠した貴方の|いつもの《・・・・》所作。だって貴方は『人と関わらなければ』意味を|なさない《・・・・》──。例えそれが『人』でなくとも──。
「まあ禁煙でもいいでしょう。こんな場所で追い出されても困りますし。でも覚悟してくださいね? 話相手といえば運転手さんくらいですし、一方的に話しかけますよ。だってタクシーの運転手さんってそれもお仕事の一部みたいなものでしょう?」
「さて、では……貴方は誰ですか? ご趣味は? どこから来たんです? この車は何に向かってるんでしょうか? 今叶えて欲しい願いはあります?
答えてくれないなら拗ねちゃいますよ、拗ねませんけど」
よく言えば話題を振って会話を試みる。悪く言えば情報収集、尋問──ただ貴方の声と車の走行音だけが響く暗闇の、しかし貴方は|運転席《前》を|見て《・・》いない。
「それで、何の話でしたっけ?……ああ、あの場所で扉か何かを見つけたかって話でしたかね。とはいえ勝手に部外者に教えるのはちょっとねぇ……だって『貴方』ご存知無いんですか?」
冗談めかして笑いながら呟くその音に反して、一言一句慎重に選んだように落とした台詞は──。
「存外に怒りっぽいんですよ、|扉《トビラ》って」
ああ、今までの音はすべて『私』に向けられていたのでしょうか。
であれば、お返しにこちらからもひとつ問いを投げましょう。
貴方の現状存在する理由が、その『扉』であれば、|それ《・・》が鍵をかけて|閉じた《・・・》後、貴方は一体どうなるのでしょう。いえ、きっとどうもならないのでしょうね。だって貴方は──。
『私』の声が聞こえている訳がないでしょう。けれども貴方は感情の見えぬ目でふと黙り車窓を見る。口を開こうとして、閉じる。息を吐く。
ご安心ください。そんな顔をせずとも、もうすぐ『夜明け』は訪れます。
●達谷より眺める蒼穹の
『悪路王』その祖先の響きに似合わぬ善たる気質の一族、その中でも『貴方』──櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)の穏やかともとれる『在り方』はもしかしたら、感情の起伏が乏しい|性質《せい》と言うよりも『世俗慣れしていない』と言った方が正しいのかもしれません。
生まれとは異なる世界、文化、職業、交友──すべてが目新しく、学びある日々はきっと楽しいものでしょう。
随分とぼんやりとした頭のまま、廃ビルの入り繰りで貴方はどうも首を捻る。
記憶を辿り、考えるものの答えは出ず、声をかけられてもタクシーを呼んだ記憶|も《・》ない。けれども運転手から殺意などは感じず、行く当てもなければ……さて、一体こういう時はどうすればよいのだろうか。|警視庁異能捜査官《カミガリ》のテキストには対処法が書いてあっただろうか──。
車へ乗り込んでからつらつらと思う、そんな茫然とした時に響いた『問い』
様々な思考はあれども、貴方はそれへと真面目に暫し考え込んで、そして思うでしょう。
「忘れかけてた気持ちかもな」
素直に口をついた言葉。その響きに、貴方は的を射た様に言葉を零していきます。
それは誰に語り掛ける訳でもない。いえ、『己』へと言い聞かせるような小さく弱い、しかし確固たる音色です。
「『寂しい』って気持ち。俺からそんな簡単に消えてしまっては困るのだ」
「幼い頃から友達なんかできなくて、弱く小さい奴だと指を差されてきた。けれど家族がいたから気にしていなかった。皆が良くしてくれるからそれでいいと、思った。心配させたらいけないと思っていた──それでも、誰かと誰かが親しく話したり遊んでいる様子が俺にとっては眩しく、羨ましかった」
ぽつりと、こぼれるたびに鮮明に蘇る幼少期の記憶。
「ここに来て知り合いが出来て、そして思い出して分かった。子供の頃の俺は家族の愛だけでは足りなかった。きっと俺は罰当たりなのだろう。そして、抱く寂しさを家族に打ち明けることなどできないまま大人になった。だから……」
だから、貴方は思う。様々な人を想う。この世界にて、貴方は|良い縁《であい》に恵まれたことでしょうから。しかし、故に。
「……だからずっと、この寂しさは俺と共に生きてきたようなものだから、今更そんな簡単に消えるものじゃない、はずなんだ」
貴方は今、はっきりと思い出しましたね。伽藍洞な自室を、少し前には当たり前であったひとりの静かな『生活』を。能力者として、いつか失うかもしれぬ知人との『日常』を。
子供の頃に抱いた言い知れぬ『寂しさ』の正体を。
寂しがりやの本心を隠した、強くて弱い|子供《・・》の姿を。
貴方はそこで息を吐くと座席にもたれ、刀を抱き寄せて目を閉じる。そして再びとりとめもなく考える。なぜこんな|思考《こと)に至ったのか、いえ、なぜ今まで忘れていたのか。それともまた別の──。
ともあれ、その自覚した目で見る『夜明け』とは、一体どのように映るものでしょうね。
●落日に似たり
『貴方』──ゼロ・ロストブルー(消え逝く世界の想いを抱え・h00991)は暗闇の中、ぼんやりした頭をどうにか抱えて薄らと思考を取り戻します。
一体あの場所は……思い出そうとしても夢のように霞がかって、ただ分かることは、ひどく居心地が悪い場所にいたような気がする。
しかし、一体いつの間に外へ出たのだろうか……。
貴方は半ば無意識に、目を凝らして時計を見れば、針は|不可思議な時刻《・・・・・・・》で止まって、そんな折、ふと眩いばかりの灯りと、声がかかります。
──迎え? 職場の誰かが頼んだのか…? それにしては車も運転手も、街中で見かけるよりもひと世代は前の、古めかしい造形。
訝しめども、この場から脱出する手段はそれ以外にないのです。
そして、貴方は今酷く疲れている。
記者として、貴方|本来《・・》の『|在り方《いきかた》』として、廃ビルの探索などでこんなに疲労するはずはないのに──だから、タクシーへと乗り込んだ。
そして言われるがまま、少し虚ろな頭で、運転手の問いへと口を開く。
「……先ほどの部屋のことだろうか? はは、空が見える窓だけで、何もなかったよ。それ以外は何もない、あとは真っ白だ……一体あの部屋は何だったんだろうな」
夢かもしれない光景を、しかし語る程に蘇る記憶は生々しく鮮明で。貴方はふと、半信半疑に手帳を開く、そこへ残された走り書きは記憶に『在る』例の部屋を記した、紛れもない|貴方の字《・・・・》。
そして、思い出す。
「扉? そんなものは無かったはずだ」
ああ、それでは──。
「──なら、俺はどうやって、一体いつの間に|外へ出たのだろうか《・・・・・・・・・》……」
あの部屋は真っ白、|何もなかった《ゼロ》。
唯一見えたのは、|手の届かない青空《ロストブルー》。
心の内、貴方が何を考えているのか、過去に何があり、今が在るのかは不明です。
けれども貴方のその様子ですと、あの部屋は随分と、比喩的な──|誰か《・・》の追憶に似た光景だったのでしょう。
それであれば『観察』の甲斐はあるというものです。
貴方は手帳を閉じる。眼鏡を外して目を揉み押さえ、気を取り直したようにカメラを取り出して、呟く。
「……はは、それでは『怪異ルポライター』としての仕事をしようか」
貴方の選んだ『|在り方《仕事》』──カメラを取り出して、車窓からの景色を一枚。シャッター音が車内へいやに大袈裟に響きます。そして、貴方は運転手へと申し出る。
「あなたの姿、お撮りしても宜しいですか」
聞こえぬ返事に貴方がどう対処するか、それより先に車が|目的地《・・・》へと到着するか──どちらであれひとつ気になることは。
貴方にはもうすぐ迎える『夜明け』の色は、一体何色に見えるのでしょう。
●異常で平穏な日常について
先も見えぬ暗闇と、頬へと触れた冷えた空気を気にすることもなく、鼻歌を歌いながら『貴方』──青桐・畢(際涯・h00459)はタクシーへ乗り込みます。
社会人には決して目新しいものではないけれど、久しぶりのそれは随分と愉快なものでしょう。懐が痛まないことは勿論、例えば|先程《・・》の体験に比べたら少しくらいの|騒音《・・》も気にならぬ程に、何より──。
「送迎付きって気分が良いね、例え運ばれる先が何処であっても」
でも残念。今、仕事中なんだよね。そんな風に笑えば、貴方は『問い』へと向き直り、何食わぬ顔で答えるのでしょう。
「扉か……扉なんて無かったな。ところで。ねぇ、こんな時間だし、タクシーって言えば、運転手さんは幽霊を運んだことがあるかい」
恐らくは定番の『心霊タクシー』の話を持ち出して、貴方はふと手袋を外しながら足を組んで続ける。
「こんな時間だし、現在進行形で『何か』を運んでそうだけど……ああ、俺のことじゃないよ。|残念なことに《・・・・・・》。
ほら、つまり。生者を見紛う幽霊と、ただそこにあるあやふやな存在の差ってなんだろうねって」
その言葉と共に、誰もいないはずの隣席を眺める。脅かすような素振りではなく、ごく自然に述べることは、貴方の『|在り方《にちじょう》』を反映しているのでしょう。例えば他者には異常に見えるとしても──。
「俺には|それら《・・・》の見分けがつかないんだ。正直、今もだ。
あまりにも普通に隣にいるからね。だからずっと、生きた人間と馴染めなかったわけだし──『客だと思って乗せたら幽霊だった』なんて話。定番だけど、俺には他人事じゃないんだよね」
だって区別がつかないから、そんな軽く話す貴方の耳には、目には。
『日常』に戻ってきた『|現在《いま》』深夜のこの風景の中でどの様な|光景《混雑》が、|音色《騒音》が聞こえているのでしょうか。
「それで行くと、運転手さんが|どちら《・・・》かも区別出来ていないけれど、それは俺にはどうでもいい──さて、重要なのは、俺が『|幽霊《・・》』じゃないなんて、一体誰が保証するのかなって方かな。
何度も死んでるし、色々と忘れてる。身体だって、どこまでが自分の|臓器《モノ》か分からない。
さあ『アンタ』にこんな俺はどう見えている?──俺の『扉』は何処にある?」
しばしの沈黙。いえ、それは|こちら《・・・》だけのことでしょう。
「……なんてね、質問に質問で返すのは良くないな。聴いてくれて、ありがとう」
貴方は先程の問いすらなかった様に、またいつもの態度へ戻ると、ああ最後にひとつだけ、などと運転手へと声をかけます。
「絆創膏、持ってる?」
冗談と、笑っていつの間にか切った指の血を拭い、手当をする貴方の目に『夜明け』はどのように映るのでしょう。
●いつかも知れぬ安息日
ふと気が付けば『実体化』したまま、言われるがままに乗ったタクシーに、母国のそれとは少し異なる趣きを感じながら『貴方』──チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)は、暇潰しに窓の外を眺めていることでしょう。
外を滑っては消える街頭の、一定の間隔で定期的に流れるそれ以外に特色のない街並み。きっと地名を言われても分かることはない、二度と訪れる理由もない景色に眠気を抱いてきたその頃、ふとかけられた『問い』に、貴方は一瞬で頭を覚醒させるでしょう。
「……なんだかあの場所に何があるのか、知っているような口ぶりだね」
貴方は足を組み替え、外の景色から運転手へと視線を移す。前方は透明な仕切りで不明瞭な故に、バックミラーを確認すれば、運転手は見えずとも微かに自分の|姿《・》を認める。
そして貴方は息を吸い、覚悟を決めた様に呟きます。
「あったよ」
ひとつひとつ、脳裏に浮かんだ光景を確認するように。
「とびきり汚くて懐かしいロッカールームの扉が──ゲームオーバーの後で、セーブ地点から物語を再開するように、|あの頃《・・・》の、|あの時《・・・》のまま。何も変わっていない、なんでだろう。そのまま、扉をあけて|チームメイトたち《アイツら》がやってきて、何もかもが巻き戻ったならどれほどよかったか……」
思い出す光景は|先程のもの《げんそう》でしょうか、それとも|思い出のもの《げんじつ》でしょうか。
どちらであれ、例えば──貴方はありもしない想像をします。もしあの場で、|彼ら《・・・》があの頃と同じまま、戻ってきたら、自分はどうしていただろう。例え幻想であったとしても抗えただろうか。
もしかしたら、声を交わして何事もなく、あの頃の様に家へ帰る。そのまま日常が戻り、|あの日《命日》を無事に越えて、ありもしない|未来《いま》を……。
そんな想像を振り払う様に、貴方は続けます。
「……そう。『父さんと母さんの自慢の一人息子』
『学校のクラブチームの左ウイング』
俺がこの世に留まり続けてまで、手放したくなかった存在意義──だからさっきの問いには悩んだよ。今の俺は|何のために《・・・・・》今|ここ《現世》にいるんだろうって」
まるで進路に悩む若者の様に、貴方は己の中で結論を導く。自身の選択が誤りであるか分からぬままに判断を下す。答えが正解であるか分かるのは随分先の選択を選んで、不安なままに進む。
ああ、けれどもその機会がなかった貴方にはこれこそが|変わり《・・・》なのかもしれませんね。
そしてその『|在り方《選択》』は──。
「あの家を守るため」
「俺と、俺の家族は確かにここで生きていたんだって。
俺はまだここにいるんだって証明したい」
「そのために俺は|現世《ここ》にいる」
それが貴方の成すべき事であるならば。
『夜明け』が来ても、その身は消えることなくあるのでしょう。
●無明長夜
暗闇の中の光のように、互いの指針となり、時には自分の身も厭わずに相手を救おうとするような所謂、硬い絆で結ばれた『友情』。血を分けた兄弟間の『信頼』とはまた異なる──いえ、他人同士であるからこそより一層に誠実で純粋、無償とも言えるそれはしかし、本当に『無償』なのでしょうか。
本当に、互いに『誠実』なのでしょうか──。
『貴方がた』──薄野・実(金朱雀・h05136)と平岸・誠(Blue Bullet Brave Blue・h01578)、ふたりの人生において『お互い』の存在は文字通りにその様なものであるとは『確認』致しました。故に、|何も起こらず《・・・・・・》とも、廃ビルの入口にて互いの存在を認めた時のその心境は、まるで人混みの中ではぐれた親を見つけた『子ども』のそれに似たようなものでしょう。安堵し、互いの身を心配し合い、先ほど見た、体験したものを報告したいけれども口が動かない──いえ、不思議ですね。|何もなかった《・・・・・・》のに。
ともかく、貴方がたは相手の無事を喜んで、口をついた言葉はふたりとも同じように。良かった、心配したよ。無事? 怪我とか無い? 大丈夫、そっちこそ何もなかったか? 確認し合うと喜びも束の間、怪しいことは承知の上でしょうか。頷き合い、ふたりで促されるままにタクシーへと乗り込みます。
先ほど抱いた、なにか酷く|恐ろしい《・・・・》気持ちには互いに口をつぐんだままで。
●夜明け前
後部座席に隣通し腰かけて、いつもならばすぐにどちらともなく口を開いて言葉を交わすのに、今は何故かその気になれないのか静かなままです。本日赴いた経緯が『任務』であれば、記憶がぼんやりしているにも関わらず、互いに報告や推測すべきこともあるでしょう。けれども、一度声をかける機会を失えば、言い知れぬ気まずさの中でただ走行音のみが響くだけの、重苦しく落ち着かぬ車内。その空気が一層、会話を躊躇させます。
ふと窓の外を見れば、見慣れぬ都市の光景は日ごろならばそれだけで話の種になるでしょうに、ただ己の中で消化されるだけ。どこへ行くかも分からぬ中、すぐ隣に頼れる『相棒』がいるのにいやに遠く、心細い気持ちになる。
そんな折、例の『問い』が投げかけられれば、既視感を抱いて少々訝しみながらも、先に答えたのは|貴方《・・》でした。
「扉か…………俺の扉は『信念』、だな」
「道を開くのも、進む先を示すのも……すべて、自分が決めた事だから」
口の中で確認するように、熟考して出した音の響き。その言葉に『彼』はふと顔をあげ、貴方の顔を見るでしょう。『答え』を出せばそれを切っ掛けに、自然と口をつく他者には打ち明けることのない|言葉《決意》。
「元々は、実を探して……守るためにこの仕事について。でも今は、実以外も、自分が手の届く限りは守りたいし何かを成す為の手助けをしたい。傲慢だろうが何だろうが構わない、俺なりの正義を貫くだけだ」
貴方があの空間で見たものは何かは知りませんが、成程。恐ろしいまでにまっすぐな、|口上通り《・・・・》の闇を貫く勇気。それでこそが貴方の世界での|正義《ヒーロー》の『在り方』というものなのでしょうか。それとも貴方本来の資質が故に正義を突き進めるのか──静かに答えた貴方の、その言葉に応える様に隣の『彼』は記憶を辿るように思考した後、言葉を継ぎます。
「本当に強いよね、誠は……傲慢なんて事ないと思うよ。だってそれが君の優しさで正義なんだ。自信持って……って今更か」
苦笑して、いつもの調子を取り戻したように貴方は続けます。
「僕の扉とは『信頼』……かな。無論、君への」
「僕は君に何度救われたか解らない。昔から、そして今も。心当たりがなくたっていい。僕が勝手に救われることもあったから。だからね、僕は君を『信頼』してる。どんな道に進もうとも君は正しいだろうって」
互いが互いを、補い、守り、指針とする関係。麗しい友情。熱い絆──けれども。
「ああ、でも……敢えて誠に伝えて無い事は沢山ある」
「気付いていても君は聞かないし、それに僕は甘えてる……今はまだ言えないけれど、いつか上手く伝える自信が出来たら打ち明けたいと思ってるんだ」
「何か隠しているのは分かってるが……俺だって言ってない事もあるから、お互い様だろう……別に、友達だからって言えない、言いたくないことを無理に全て言う必要はない。そもそも『隠し事をしている』なんて正直に言うことも」
「うん、ごめんね。でも、それだけは誠に伝えたかったんだと思う。正直に」
「謝らなくてもいいんだ。俺はお前を『信頼』してる。何があっても」
だから、いいんだ──そう呟いて呆れたように笑う彼の言葉に貴方は微笑んで、反芻する。結局、彼在っての今の僕だ──僕が『人』で|いる《・・》為の『信念』に近しい存在……己の『在り方』を確立するための、道を見誤らぬ様に照らしてくれる|指針《ひかり》。
再びの沈黙。しかし先ほどとは違う種類の満たされた空間の中で。
赤と青──異なる性質の、誠実を示す貴方がたが見る『夜明け』とは、一体どのような色なのでしょうね。
●熱に焦がれる
廃ビルから出た『貴方』──秋津洲・釦(血塗れトンボ・h02208)は身嗜みを整えて、夜中の空気を吸い込み、そして、振り返って建物を眺めます。
先の通り、知識と|経験の豊富《・・・・・》な貴方には、もうひとつ、それだけではない強みがありました。
種族としての生まれながらの霊的防衛──それが幸か不幸か、そも通常のひととしての感覚で測れるものかは存じ上げませんが、故に、先程の|記憶《・・》を残してしまった。けれど、だからこそ|お土産《・・・》を持ち帰る余裕もあったのでしょうね。
手に遊ばせたそれの、いまだ冷ややかな感触を楽しむでもなく、ただ佇んでいる貴方へふと声がかかりました。
「お迎えに、あがりました」
心のどこかで切望していた他人の、しかし不可解な声──訝しみながらも貴方は全てを『理解』します。
これも『要素』のひとつであれば、結局乗るしかない。
道は恐らくひとつなのだから、と──。
●
『本能』に近しい動きで、貴方は運転席の後ろに乗り込みます。バックミラーに映らず、運転手から姿を隠して、しかしこちらからは対象の動きが確認できるその位置。
勿論貴方に意図がある訳ではありません。ただ、それが貴方の『|在り方《本質》』であるのでしょう。
ゆっくりと走り出した車内、気付けば手元の|輸血パック《おみやげ》は、もう大分冷たさを失って、徐々に鮮度を落としていく──それに気付いた貴方は|先程《・・》あんなに摂取したのにも関わらず空腹を覚えます。
ああ、でもその前に『ひと』として、きちんと運転手へ断りをいれるでしょう。
「少し、窓を開けても……?」
しかし、せっかく期待した『会話』も続かず、かれは無言のまま。その沈黙を否定ではなく肯定と受け取って、貴方は窓を開き、換気のために車内へ風を入れます。そして思いの外吹き込んできた風に、乱れた帽子を被り直す。ゆっくりとA型のそれを堪能しながら、ふと、とある記憶を思い出します。
そういえば、前も呪物を追いかけているとき、似た様なことあった。あの時は運転手は|普通《・・》のニンゲンだったが……。
既視感は、けれどもこの世界。特に貴方のような|職業《・・》であれば珍しいものではないでしょう。
記憶を頭の片隅で比較しながら、空になったパックを車内へ捨てる訳も行かず、再び手に遊ばせて先程の味を反芻します。
悪くない。少々食べ飽きたとは贅沢な感想だが、やはりどうも鮮度と風味は落ちる。何より保存状態のために仕方ないとは言え冷たさはどうにも、かといって常温に戻すと、なんともいえぬ中途半端な温さが……そこまで思った後にふと前方を見ます。
ああ、そこに。きちんとした|温かい血《ニンゲン》が。
それに触れるのは、久しぶりな気がする──。
●
『人のぬくもり』──文字通りの、触れ合い以上の|それ《・・》を、貴方は欲しています。
先程の『部屋』では、貴方は紛れもない感情を持った『ひと』でした。独りに飽いて孤独を感ずる。つまらぬ思考に思いを馳せていたものでした。であればきっと、その『ぬくもり』は会話、ひととしての触れ合いを意味するのでしょう。
けれども、貴方本来の、もしくは『もうひとつの在り方』は|文字通り《・・・・》の意味をとります。
だから、明らかに怪しい、先程の『呪物』に似た空間の一部であるならば、この運転手の血を少し味見するのは……別にかまわないんじゃぁ無いかな……。
そんな理由付けは、貴方の『ニンゲン』らしさなのかもしれません。『触手』を伸ばし、気付かれぬように首筋へと這わせる。静かに、確実に体内へと流れ込んでくる、渇望していた他人の『あたたかさ』
それがいかなるものであったか。
期待に沿ったか、酷いものであったか。
全てはただ、|貴方のみが知る《・・・・・・・》のです。
●
口を拭い、窓を閉める。音が遮断されて急に静かになった車内に、ふと貴方は随分と遅くなった答えをこぼすでしょう。
「しかし、あの部屋には扉なんて見なかったぜ……」
そして、ふと浮かんだ嫌な結論に首を振り、打ち消して口だけで笑います。
「……ああ、やめてくれよ|沢山の扉《選択肢》があってさ……血を取るとか取らないとか、そんなことを積み重ねて、そのうち一つは正解に繋がってるなんて話とかは……」
「けれども、まあ、今更だよ……どうせ、この先も続いてる場所は一緒さ……」
貴方は呟き、二つ目のパックを取り出します。そして再び、今度は何も言わずに窓を開け、新しい風を取り込むでしょう。
さて、遠く見える『夜明け』までは、あとどれほどの距離なのでしょうね。
●霧の中の迷子
さて再びの疑問を呈しましょう。
いえ、多少先程とは異なる質問かもしれません。
一体、|この黄昏の世界《√汎神解剖機関》において『|人間災厄《あなた》』とはどのような意味を持つのでしょうか。
不死性、社会への脅威、意思疎通能力、姿かたち……『貴方』──霧嶋・菜月(最後の証人、或いは呪いそのもの・h04275)の様に|後天的《・・・》にそれと化した者を|観察す《み》るに……恐らくは答えの出ない問いでしょう。
政府主導の下、組織的に厳重な監視に置かれる、先程垣間見えた生活の賛否は『私』には興味はありません。
しかし、そのような組織下での『在り方』──他者も己も信じられぬような、例の簡素な『室内』で過ごさざるを得ない、囚人が如き生活の中で、貴方たちは一体どうやって己の『|在り方《自己》』を確立させたのでしょう。
そして、一体誰が『|貴方《災厄》は確かに|貴方《にんげん》で在った』と、存在を『|保証《やくそく》』してくれたのでしょう。
貴方と言う存在は、本当に|存在し《あっ》たのでしょうか──。
●
いつの間にか|外《・》にいた貴方は、言われるがままタクシーへと乗り込みます。
そして、現実に帰ってきたことを確認するかのように、文明の利スマートフォンの電源を入れる。しかし『先程』と同じように、あるいは充電切れ、故障……ともかく、電源が入らないことを確認して、溜息を吐きます。
仕方なく静かな車内で、気を紛らわせるかのように車窓を眺めていると、不意にかけられた『運転手』の問いへ、素直に答えることでしょう。
「いいえ、まだ」
見つからない──口の中で消えた続きと共に、記憶が呼び起こされます。
|あの部屋《・・・・》の事、そして──ああ、得たものは、初めから|だいたい《・・・・》私の中にあった……それに気づけただけで、今回は収穫とも言えるかしら。
一度こぼれれば、ピースが当てはまるような、けれどどこかいびつなような、そんな取り止めのない思考を探り、整理するように言葉を探っていきます。
「収穫……無駄じゃなかった、なんて詭弁? 確かにそうかもね」
髪をかきあげて、静かに、そして素直に響くその音に、問いかけたはずの『運転手』は無言のまま、しかし気貴方は気にせずに続けていきます。
「私は『あなた』の問いに対する一つの答えは持っていたはずなの。だからこそ。あのトンネルが現れた時は、『諦めろ』と言われた気がしたわ。
ああ、『あなた』に、じゃなくて私自身に、よ」
まるで誰かが側にいるように、『会話』をするかのように自然と続けます。
「つまり『結局のところ、お前は『呪い』でしかない』ってね。何を今更わかりきったことを……いえ、|だからこそ《・・・・・》私は、『人』以上に『人』で|いなければならない《・・・・・・・・・》」
ゆるく大きなカーブに差し掛かり、一瞬視界が対向車のライトに覆われて白に染まります。チラついた視界を保護するように、貴方は目を閉じるとゆっくりと座席にもたれて『結論』を導き出す──。
「……ただ、これは扉にたどり着く答えというわけではないらしいわね?」
『会話』をしながら、ふと貴方は気付きます。
なんだか、おかしいわね、『あなた』とは初めて会ったはずなのに、どうして私は問うてきた相手を『あなた』と?
違う。ねえ、さっきから私はなんの話をしているのかしら?
『扉』って、一体|何のこと《・・・・》?
●
気付いてしまった時の、得体の知れぬ感情を安直に『恐怖』と言うのであれ、ば貴方はまさにその状況に近しいのでしょうか。恐怖、そして遅れてそれを上回る『混乱』が襲いかかると、全てが根源から崩れていく──そもそも、私はどうして、この車に、いえ、この車は何処へと向かっているのかしら? 車、くるま、クルマ、クるまは──。
『███──』
無意識に浮かんだ光景と単語。
自分の意思ではなく、|何故か《・・・》口を吐きそうになった、その言葉を飲み込み、貴方は祈る様に身を屈めます。滲み出る汗を拭い、深呼吸を繰り返す。二の腕を強く押さえて、ああ気を確かに──深く、ええ、息を吸ってください。大丈夫です。落ち着いて、大丈夫。
だって、貴方の|力《のろい》は|先程《・・》見せていただきました。だから、もう大丈夫です。
ご安心を、貴方は大変に強い。だから、きっと|大丈夫《・・・》ですので。
「……心霊タクシー……怪談……まぁ、よくある話ね、これくらいのことは。ええ、どうせ、途中下車は出来ないんでしょう」
息を吸い、強がるように出した結論の……ええ、紛れもなく、今の貴方は『人』で在ります。だから──。
「──ならば、行きましょう、このまま」
いつの間にか電源の入ったスマートフォンの時刻に対応するように、外はもうすぐ明け方を迎えます。
ああ、『人』として眺める『夜明け』は、貴方にはどのような景色なのでしょうね。
第3章 ボス戦 『青い流れ』

はじめまして、お久しぶりです。ごきげんいかがですか?
お目にかかれて、光栄です。
私は『貴方』を知ろうと思いました。
だから、意図的に幻想を仕組み、美しい理想を用意して、貴方の『|在り方《なかみ》』を『|観察《りかい》』しました。
────理由? 特に、ありません。
強いて挙げるとすれば、ただ、そこに丁度良い『貴方』が丁度『|存った《・・・》』から。
いいえ、どうか『貴方』の過去を振り返って考えてください。何事も|始まり《・・・》はその様な、取るに足らない些細なものだったでしょう。
さて、ところで。
『貴方』には『私』の声は、一体|どのように《・・・・・》聞こえていたのでしょうか。
どの様に意味を成して、|内面《こころ》へと落ちたのか、と? いいえ、もっと単純な意味合いです。
女性の、子供。年老いた青年に獣の鳴き声。か細くもの太いソプラノ。声変わりと重音、悲鳴と歓声、死者に生者の静謐と喜怒哀楽──『私』の事を何ひとつ知らぬ『貴方』には『私』の声は、一体|どのように《・・・・・》聞こえていたのでしょうか。
そして、こうしてお目にかかった今、『貴方』は『私』に何を思うのでしょうか。
もう少しで|記録《レポート》は完成します。
だから、最期に『見せて』頂きましょう。
『貴方』の『在り方』を──。
●
瞬きをしたか、しないかの一瞬。
何回目も分からぬ既視感、唐突に襲いくる目眩に似て、けれども時刻は確かに夜明けが近い暗闇の、廃ビル前。
一体どこからが『相手』の能力なのか、判断を下す前にその場から離れ、歩く。
廃ビル、瓦礫、草の生い茂る空き地──廃棄された、古い乗用車。
ぼんやりと目の前が見える程度の薄闇の中、ただあてもなく、止まる事を恐れる様に歩いていると、ふと前方から何かが、|見えた《・・・》。
一歩一歩、近付いてくる|それ《・・》が足を運ぶ度、周囲に細かな光と青と赤のノイズが走る。輪郭は陽炎の様にぼやけて歪み、実態すら怪しいが、しかし確実にそこへ『在る』もの。
|それ《・・》──『女』は、こちらを認めると立ち止まり、不自然な一礼をする。
「はじめまして、お久しぶりです。ごきげんいかがですか?」
「お目にかかれて、光栄です」
何の感情も乗らず、ただ再生された『音』で述べると『女』は手首を不自然なまでに回し、顔をあげ、『|初めて《・・・》』こちらを|直視《・・》する。
「もう少しで|記録《レポート》は完成します。
だから、最期に『見せて』頂きましょう」
「『貴方』の『在り方』を──」
そう告げると、『女』は顔を歪め、ゆっくりとぎこちなく、虚ろな眼のままで|笑った《・・・》。
一定の距離をおいて|ジョン・ファザーズデイ《名無しの父》(みんなのおとうさん・h06422)は『女』と向かい合う。
|表情《かお》は見えぬが、まるで目を細めて観察するかのように頭を振り、そして相対する|それ《・・》へと恭しく一礼をし、ようやく会えたみたいだねと、まるで散歩途中に知り合いに出会ったような、常の調子で挨拶を返した。
「やあ、はじめまして、こちらこそ、こんにちは」
「|おとうさん《・・・・・》だよ」
その声に『女』は首を傾げ、笑う。
意思疎通が成功したと言うよりは、あらかじめ定められた無機質な反応と言ったその印象にも関わらず、ジョン・ファザーズデイは動じずに言葉を続ける。
「『アナタ』は随分とおとうさんのことが知りたいみたいだね。なんだか嬉しいなぁ、おとうさんに、そんなに興味を持ってもらえて……でも、ごめんね」
手を広げて、歓迎の意を示す。そのまま少し歩いて『女』と距離を詰めながら、しかしふと声を落とし、心の底から申し訳なさそうに、けれどもどこか淡々と告げる。
「おとうさんは、自分のことがよくわからないんだ」
「貴方は──」
「貴方の『在り方』はなんですか──?」
聞きなれたその疑問を『女』が例の声で呈した瞬間、周囲の景色が変わり、例の部屋──子どものいない空っぽの室内に、ふたりは立っていた。
「うん、そうだね。『在り方』なんてそんな大層なものじゃないけれど、ひとつ、何か言うなら……おとうさんは、おとうさんとしてここにいたい。いや、ここにいないといけない」
「なんだかね、そんな気がしているだけだよ」
懐かしい場所に帰ってきたとでも言うかのように、言葉を続けながらジョン・ファザーズデイはテーブルを撫でて、その上に置かれた積み木を手に取る。そして、再びテーブルへと優しく戻すと、首を傾げたままの『女』へと向き直る。
「ああ、もしかしたら退屈なお話をしてしまったかもしれないね。だからお詫びに、綺麗なものを見せてあげようか──おとうさんの『大切なもの』を」
さあ、おいで、かわいい子どもたち。おとうさんに、また力を貸してくれるかな──その言葉と共に、ジョン・ファザーズデイの周囲にきらきらとした光が浮かび上がる。
その光を、ジョン・ファザーズデイそのものを掴もうとするように伸ばされた『女』の右腕が、ふと飛び、髪が切れた。まるで見えない力が跳ね返るように、一定の時間をかけて『女』の身体は傷付き、千切れ、原型を留めなくなっていく。周囲にノイズが走るように空間が歪み、徐々に崩れ落ちていく。
それでも『女』は笑みを浮かべながら、千切れた腕を伸ばし、近付こうとする。まるで、それ以外の動きが存在しないかのように──。
「ありがとう。かわいい子どもたち、でも無理はしないでね」
一歩も動かず、ただ受け入れるように手を広げたまま淡々と、その光景を眺めて、ジョン・ファザーズデイはポツリと告げた。
「ねえ、『アナタ』が何かは分からないけど──『アナタ』はおとうさんを見て、何か見つかったかな」
「それがなんでもいいから、何かが『在る』なら、きっと嬉しいね」
最後の一撃、『女』が崩れ落ちたと共に、周囲の光景が戻る。日の出が眩しく、風が少し肌寒い、海の匂い──ああ、とっても清々しい朝だ。
「……そうだ、『お仕事』をしなくちゃだね」
落ちていた『女』の|欠片《部位》を拾い上げ、優しくハンカチに包むとジョン・ファザーズデイは振り返って海と、朝日を見つめた後、何事もなかったかのように歩き出す。
さあ、早くお家に帰らなくちゃ。|子どもたち《・・・・・》がおとうさんを待っているからね。
だってそれが『おとうさん』の『在り方』なのだから。
もしも『|それ《・・》』──この度の騒動の元凶であろう『女』が、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)についての『|記録《レポート》』へ、ひとつ追記するとすれば。
恐らくは彼の『感情表現』について──感情自体の起伏が乏しいと言うよりも表面上の変化に欠けるのみ。内面は人並みに、否、|人一倍《・・・》の感受性を秘めていると。そう、記したかもしれない。
その見立てが真実であるかは彼のみぞ知る。
けれども幸いなことに『それ』は、クラウスの深層心理、過去にまで興味は持たない。ただ、それらクラウスの『|記憶《かこ》』によって齎される反応について記すだけの──全ては、機械的な反応に過ぎない。
「……ご機嫌がよろしい訳が無いだろう」
疲れ切り、ふとこぼしたクラウスの声に『|女《それ》』は首を傾げた。何の感情も乗らず、ただ動きを真似ただけと√ウォーゾーンにて機械の類いを見慣れたクラウスは察する。
人のようで人でなく、怪異というにはあまりに機械的なそれは、しかし『人の姿』をしているだけでぎこちない動きがいやに不気味に映る。一般人が見れば否、この世界では紛れもなく『怪異』──いままでの体験と合わせて酷い事になるだろう。
だから、一気に片付ける。
『女』が反応する前に、クラウスは魔力兵装を構えると、地を踏み込んで一気に距離を詰め|盈月《エイゲツ》を発動、先手を打って居合を放つ。『女』の表面が切れ、しかし血は出ない。怯むことなくその勢いで薙ぎ払う。身体を崩し、上半身が崩れた女はしかし、映像を戻す様にゆっくりと元に戻り、笑った。
先の経験でおおよそ、幻惑の類いを用いるのだろうと察しはついた。だが敵の手の内が全て見えたとは限らない。故にクラウスは如何なる攻撃にも対処できるように、そして手を読まれぬ様に魔力兵装を変形さる。そして近付いた『女』に牽制射撃を行うと、再び武器を変形させて踏み込み、その腹を貫いた。
『女』は痛みを感じぬ、うつろな笑顔のまま、右手で腹に刺さる魔力兵装を抜こうとする。
だが、|それでよかった《・・・・・・・》。
「……『あんた』がどんな答えを期待してたのか分からないけど、俺の『在り方』なんて別に特筆すべきものじゃない」
動きが止まれば、そして接近が可能になれば──。
「正義感とか、そんな大層なものもなく、ただ困っている人がいて、自分にそれを解決する力があるのなら、手伝いたいと思う」
動きの止まった『女』の頭に小型拳銃を向けると、クラウスは撃ち込んだ。
「ただ、それだけの『人間』だよ」
各部に攻撃を当て、ほぼ無効である事を確認した。しかし必ずどこかへ有効な箇所があるはず。そして、残るは頭部──一か八かの見立てが当たったようで、クラウスは息を吐き、身体を崩壊させて消えゆく『女』を見る。
そして、自分へとゆっくり言い聞かせるように呟いて地に落ちた『欠片』を回収する。ふと視界へと眩しく差し込んだ光に、海から昇り始めた太陽を見つめるも、背を向けて立ち去った。
今は何も考えず、ゆっくりと眠る事だけを考えて──。
「どうも、こんばんは」
『|女《それ》』の声に、青桐・畢(際涯・h00459)は平然と、常の笑みを崩さずに応えた。その、目の前に広がる光景も、今までの経験も、まるで日常の延長線上であるかの様に。
「いままでずっと聞いてて、どこか親しくなったような気もする声だけど――そういえば、はじめましてだな」
だよね? と、ひとりで納得すると、畢は周囲を見渡す。ぼんやりとした静寂の中の|騒がしい《・・・・》景色。耳にうるさいのは、微かに聞こえる自然音だけではない。
「……記憶違いでなくてよかった。俺はよく忘れてしまうからね。それに、だって、ほら──」
どこか会話するかの様な独り言と共に、畢はまだ距離がある『女』──輪郭が薄明かりで揺れる『対象』に焦点を合わせようと、まるで|人混み《・・・》の中で知人の姿を見つけ出そうとするかの様に、軽く凝視をして。
「さっきから場所が変わったり、行ったり来たりして。どこにいるか分からなくなるし」
実際に、あんな風にパッと移動できたらとっても便利なんだろうけどね。でも。今までの景色と同じく『アンタ』はきっと、此所にいて此所にいない何かだから──。
「──だから『観察』するしか出来なかった。いや、違うかな。まあどっちでもいいか」
前に組んでいた手を離し、畢は微かに|合図《・・》をした。その途端『黒い霧』が周囲を覆い、畢を飲み込む。
もしかしたら|それ《・・》は、いままでずっとそこへ『在った』のかもしれない。目に見えぬままそこかしこに点在し、漂い、忠犬の様にただひたすらに伏せて、こうして合図を待つ。どこにでもいて、誰にも見えぬそれは、今、確かにここに|在る《・・》。
「ずっと高みの見物も、つまらないだろう?」
霧の中から畢の声が響く。
『女』はそれへ、何の反応も示さず、ただ手をかざす。刹那、廃ビルから、瓦礫が畢のいたであろう場所へと落下した。
その衝撃に一度散った黒い霧は、しかし即座に、一際濃さを増し空間を拡げる。そうして霧は『女』に迫ると、再びかざそうとした『女』の手を引き摺り込むかのように覆い、飲み込んだ。
「そう、なんだっけ。『在り方』の話だったか──これでも俺は自分の命の価値が低いとかいう、自虐はしたことはないよ」
薄闇の中、そこだけ一際に濃い漆黒の、当初見えた『女』の姿はもうどこにも見えぬ中、『声』が響く。
「よく勘違いされるけど、死んでも生き返るからって、|死んでいい《・・・・・》訳じゃない。
ただ、一度も死ねない人達のために使うだけ。
ただ、常に死を身近に感じているだけさ」
「何処にでもいるインビジブルどもと一緒に、ね」
暗闇の中、声と、そして一発。銃声が響いた。それもすぐにかき消されて、表面上は静寂に包まれる。遠くを走る高速の車と微かな波音──。
数分後、ゆっくりと散り、消え行く黒霧の中から畢は姿を現すと、何事もなかったかの様にコートを着直して、地に落ちた『欠片』を拾い上げた。
そうして光に反射する、不可思議なそれを珍しそうに眺めているうちに。
「……|『汎神解剖機関《あいつら》』、こっちに仕事を回すのはいいけど……せめて『回収係』くらいは寄越して欲しいな」
ふと、朝日の中でそんな事を、思った。
必要とされ、役目を終えれば忘れ去られて、しかし再び請われて『次』へと向かう。人々の、あくなき欲求は貪欲に『|代替品《きぼう》』を欲し、けれどもそれが男の『役割』であれば、仕方のないことと割り切って。
その、ひたすら楽観を気取った軽薄は裏を返せば諦念を抱えた、徹底的な現実主義者のそれなのかもしれない──。
「ようやくお会いできたと、言うべきですかね」
であれば、眼鏡越しに歪んだ『女』を見つめ口を開いた、徒々式・橙(|花緑青《イミテーショングリーン》・h06500)の、今の感情は一体如何なるものか。
「『誰か』ですらなく『何か』としてお呼び立てされるのはレアケースですが……まあ、いいでしょう。|お勤め《・・・》は果たさなくては」
何度か言葉を交わした『女』、正体への興味は薄く、ただ常のように己の『|役割《つとめ》』の……ああ、なんでしたっけ。この場合は、確か……まあ、終えてから思い出しますか。
失望、悲嘆、害意、憎悪──優雅な所作で取り出した『|花束《詠唱銃》』へ込める感情|《弾丸》に、橙が選んだのは『憐憫』
常の気まぐれ、武器の命名に似た悪い冗談。あるいは、無意識下の本心。どれであれ、構え『女』の足元を狙う。
「私から目を離しちゃ嫌ですよ、|知らない人《ダーリン》」
嘯いて放った弾丸は女の足をわずかに逸れて地面に当たる。けれどもそれで|良かった《・・・・》。
「あなたが随分と興味を持って、知りたがっていたのは、私の『在り方』の話でしたっけね……しかし、それは最初にお伝えしたでしょう。
私は『代替品』です。
『|在り方《・・・》』など存在しない、と」
『女』が攻撃に反応するより先、首と腹へすかさず続いて二発──今度は命中して大きく体勢を崩した。しかし叫び声もあげず、血も出ず、ただ輪郭がノイズの様に乱れ、再び立ち上がる。
「だから、あなたがなんであれ、これまでずっと私を『観察』してきたのなら、こちらが教えていただきたいくらいです。
だって得意なのでしょう。そうして『一方的』に見ていると言う事は『分析』とかが……ならば私も一方的に攻撃しちゃいますし、優しいのでお別れする前にひとつヒントとして教えてさしあげます」
弾を込める。銃口を再び『人間』の急所へと向ける。
「私は理想の成れの果て。どこにもいかない祈りの澱。
そんな機構が|橙《ヒト》になるため、参考に模倣した|あの人《原型》──彼の姿形を象って、彼の話し方を真似して、彼の好きなものを好きになって──」
正確な精度で命中するそれに『女』の身体は修復を遅らせて、次第に部位が欠ける。倒れて、起きあがろうとしたその頭部が砕け、地を掴んだ手の輪郭が薄れる。
「ねえ、俺は私に成れたんでしょうか。
彼の名前すら、もう思い出せないのに──」
『女』は砂のように散って、既にそこには何もない。ねえ、あなた。反応すらしてくれなかったんですね。別にいいんですけど。
記憶に残っていないものを|理想《手本》とした。だからこそ、その場限りの誰かの『理想』になれた。
『個人』ではない『誰か』としての『在り方』は気楽で、あまりにも空虚なものである。
しかし、そんな中で|記憶に残って《・・・・・・》しまったら。
『代替品』を『個人』として認識されたのならば──『私』は一体、どうすれば良いのでしょうか。
答えのいまだ見えぬ問いが、朝の喧騒に紛れて消える。落ちていた『欠片』、怪異のそれを回収すれば今回の『役目』は終わる──だが、呼ばれればまた行かなければならない。
だから、息を吐いて吸う。そして、何事もなかったかのように、常の軽薄を纏い、橙は歩き出した。次の『誰か』のために。
|それ《・・》が『ひと』の|理《ことわり》に外れた|妖《あやかし》と、通常の人間の区別を理解していたかどうかは怪しいが──恐らく、ただひとつ。
なんであれ、生きている限り『感情』については妖も人間も、大差はなく、近しいものであるのかもしれない。
『女』の声に、櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)は顔を伏せたままに言葉を発する。
「……りかい、理解?」
常とは異なる雰囲気の、静謐の消えて、どこか粗暴を滲ませた声色は、確かに湖武丸のそれであり、決定的に|異なった《・・・・》。
「よくもまあ、この短時間で『俺』を理解。そんな大層な事を──ただ……大事なものを忘れているではないか」
「全ての始まりの、この|悪路王《オレ》を──」
『悪路王』──|この世界《√汎神解剖機関》ではそこかの|地域《くに》『御伽話』
けれども、|かの世界《√妖怪百鬼夜行》では実在した、湖武丸が始祖。
上げた顔の、変容した顔──蒼さを増して伸びた髪と、角。何よりも一回り以上巨大化した身体の、力の制御を解除してそれであれば、日頃どの様な負荷をかけているのか──。
『女』は瞬きをせず、ただその変容した姿を眺めている。『観察』とも違う凝視の、焦点の合わぬうつろな顔は、何を思うのか。何も思わないのかもしれない。恐れも畏怖もない。疑問すらも思わず、向き直って歩みも止めぬ。
それが少し、|悪路王《・・・》には新鮮で、面白かった。
「しかしこの身体、あまり長くは持たないが、お前を倒すには十分であろう」
言うや否や、|湖武丸《・・・》、否、悪路王は太刀を引き抜き『女』へとかかる。合図と共に鬼火が光り、群れとなって襲いかかる。牽制のそれは、かき消される事を前提として──予想通りに右手で払われた鬼火らが消えると、悪路王は計画が成功したことを確信し、牙を覗かせた悪鬼の顔で不敵に笑った。
「お前の様な者は大概妙な術を使う──無効化される事は織り込み済みよ。この様な事があるから、|√能力《これ》ばかり頼るのも癪なものでなぁ。
それにオレには|こちら《・・・》の方が、手早く、馴染む故に──」
経験と本能に近しい所作で獲物へ霊力を込めはしたものの、それよりもただ渾身の、怪力任せに『女』の上半身を一太刀で薙ぎ払った。
鬼火に照らされた闇の中、ちぎれ、吹き飛んだ『女』の半身は、地に落ちるより前にまるで風に飛ぶ砂が如く、赤と青のノイズを走らせて、|空《くう》に溶けていく。その光景を何の感慨もない顔で眺めながら、太刀を納め、悪路王は誰に言うわけでもなく呟く。
「……引き継いだ祖先の記憶なぞ、残滓に等しいが、明確なのは|悪路王《オレ》が|湖武丸《俺》を歪ませたのだ」
拳を握る。己の身体であり、そうでない。酩酊に似たぎこちなく覚束ぬ動作に、元に戻る時が近いと知って、それでもなお続ける言葉の。
「分かるか? |記憶と力《これ》は祝福に非ず、過去が今の者を縛り付ける呪いだ。その連鎖を己の代で終わせようとしておる……憐れよな」
それは、確かに消え去る『女』へと向けられたものではなかった。ただ、身体を借りた『|湖武丸《己》』への憐憫に似た一言。
それがどの様な響きで、重さで、感情であるのか、決して知らぬ、届かぬ、それ故に発せられた本心の──子孫へ向けた言葉。
──日の登った早朝の港に、湖武丸はただ立っていた。なんとなくの直感で全てを察し、腰の太刀に手を掛け、納め直す。
そうして最近覚えた|警視庁異能捜査官《カミガリ》のマニュアルに則り『欠片』を回収すると、任務は頭の片隅に、今はただただ、早く家に戻りたいと。
『彼ら』に会い、声を聞きたいと、そう、強く思った。
ふとゼロ・ロストブルー(消え逝く世界の想いを抱え・h00991)は脳裏に響いた『声』を思い出す。
それはどこか懐かしく、暖かい、ゼロが駆け出しの冒険者であった頃に色々と指導をしてくれた、時には優しく、時には厳しい──恩師の声。
けれども『それ』が本当に恩師のものであったのか、思い出そうとすると確信が持てぬ。
けれども、どこかでそう思ったからあんなに、不可思議で不穏、不自然極まりない『問い』へ疑う事なく、素直に答えてしまったのだろうか?
「確かに合理的だが、あまり気分は良くないな」
観察をするのであれば、その人の親しい者の皮を被り、心理的にカマをかける──久しぶりに抱いた、懐かしい気持ちも、まんまと『意図』に引っかかってしまった結果であれば、少々不快であると、ゼロは素直に呟いた。
「はは、今まで見られてばかりも恥ずかしかったが……ようやく、そちらから姿を見せてくれたんだな。初めまして、か。確かにな」
暗闇に浮かび上がる『それ』の姿に動じることなく、ゼロはカメラを向け、シャッターを切った。そうして出来るだけ外見を、思い出せる範囲で今まで体験したことをメモに書き留め、再びカメラを構える。
「『観察』するのはお互い様だ。今日はそのためにここへ来たのだから、俺も君に会えて嬉しいよ」
フラッシュが暗闇に光る。『女』を形成する赤と青の光が揺れ、しかしその表情は相変わらず笑みを浮かべたままに動かない。ただ、シャッターを切るたびに一歩一歩、確実にゼロへと近付いている。
「そして、巻き込まれてこの様って訳だが……事情は詳しく知らないが……君は良くない怪異なのだろう」
だから、放ってはおけないな。そう言うと、カメラをしまい、ゼロは双斧を構える。
「『あの声』を知っているのなら、俺の過去も把握しているのかな。けれど今は──
冒険者ゼロではない…今の俺、怪異ルポライター、ゼロ・ロストブルーとして…お手合わせ願おうかな」
言うや否や、『女』の伸ばした手を見切り、避けるとゼロは斧を叩き込む。あからさまな『怪異』とはいえ人間へ攻撃を向けるのはいい気分ではない。けれども、攻撃を左腕で受け止めたまま相変わらず笑う、その顔は紛れもなく『|この世のもの《・・・・・・》」ではなかった。
だから、遠慮はいらない。
『女』の腹を蹴った勢いを利用して腕から斧を引き抜き、そのついでに離れた距離からさらに体勢を立て直す。位置を確認するように首を捻じ曲げたその『女』の頭めがけて、ゼロは迷うことなく、全体重を乗せた一撃を叩き込んだ──
──清々しい朝に、ゼロは深呼吸をする。
陽の光の中で、走り書きしたメモを読み返せば、走り書きのせいか多少読みにくいが……紛れもない現実であったのだと思う。
さて、これが記事になるかはともかく……取材は成功と言ったところか。
すっかりと晴れ、良い一日を思わせる、澄んだ青空を眺め、ゼロは一息ついた。
では、帰ろうか。
死して尚労働は続く──現世で|生きていく《・・・・・》以上、労働とその対価は必要だからと割り切って、故にこうしてここへと赴いている訳だが。
この|仕事《・・》をしている以上『怪異』に遭遇することは珍しくない。精神が|当時《・・》のままの学生には、異国の地で、慣れぬ労働、陰惨な光景、カルト、心を痛める結末に、弱音や愚痴を言うことも多々あった。けれども──。
「やあ。夢見が悪くて|最高《・・》の気分だよ」
今回の、これはまた別種の不愉快だと、チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)は皮肉を込めて『女』に挨拶をする。
けれども、思考を切り替えて『|女《怪異》』に向き直る。結局のところ、今の自分は|学生《・・》ではなく『|警視庁異能捜査官《カミガリ》 チェスター・ストックウェル』
そして肩書きとはまた別の、気持ちの問題として──故郷の家、様々に手を回してくれた|カミガリ《おじさん》に恩を返すためにも、ここで怪異を倒して欠片を回収し、本日の仕事を達成する。だから──。
「君が見たがっていた俺の『在り方』を見せてあげるんだ。ちゃんと感謝してよ?」
手首にはめていた|バングル《追惜》を外すと、チェスターの姿は本来の、幽霊の姿へと変わり闇へと溶け込んだ。それを『女』は目だけで|追う《・・》。指差して、まるで絵を描く様に宙を円状になぞる。
『女』の『合図』に反応する様に、
けれどもチェスターはすり抜け、懐からP232SLを取り出す。『女』の視線から逃れる様に宙を飛ぶと、四肢に狙いを定めて、弾丸を放った。
先が|消失した《・・・・》両腕をだらりと下げたまま、しかし不気味に動かない女の──恐らくは『霊障』による拘束が効いているのだろう。怪異って言っても、生態は他の生き物とあまり変わらないんだね、そんな余裕、あるいは強がりを心に浮かべて、相変わらずこちらを『|認識《み》』ている顔に、銃口を向けた。
ねえ、『|Curiosity killed the cat《好奇心は猫をも殺す》』――今の君にぴったりの言葉だと思わない?
──チェスターはぼんやりと、朝日を見つめる。いつだったか昔、『仲間たち』とこうして、夜遊びした後で見た光景の……浮かんだものを振り払う様に少し頭を振る。そうして乱れた前髪を手で整えると、ゆっくりと深呼吸する。
そして、気を取り直すと携帯端末を確認し、どこかへ連絡を入れる。
無事に『欠片』の回収は完了。だからさ、疲れたし迎えにきてよ。だって、ここがどこだか分からないし、一体どうやって帰ればいいの? 目印? さあ……OK、今探す──そんなことを、誰かと通話しながらいつもの調子に戻ると、ゆっくりと、その場を後にした。
暗闇の中、ひひひ……と、いやに響いた笑い声と共に秋津洲・釦(血塗れトンボ・h02208)は『女』を直視する。
「やぁどうも、初めましてぇ……」
これが今回、己を散々な目にあわせてきた『怪異』の正体──人の姿にて、どこか無機質で電子的なそれは|この世界《√汎神解剖機関》特有の怪異であろうか。しかし、釦の興味は|そこ《・・》ではない。
「君の目的は──『観察』ああ、確かに生き物である以上、どんな生態であれ生まれ方は大して変わらない……しかし死に方は多様だからねぇ……」
口に笑みを浮かべた『女』の顔を見る。お互いに笑みを浮かべて対立しているそれは、他者が見ればなんともいえぬ光景であろうか。そんなことを他人事の様に薄らと考える。
「君は『最期』が見たいのかい…?
それは、僕の最期かい?
それとも、君の最期のことかい?」
釦の言葉に女は首を傾げ、腕を差し出した。何かをねだる様に掌を向け、そして、握り、口を開いた。
「貴方は、何を成しますか──」
例の『言葉』に視界がくらみ、ふと気付けば|あの部屋《・・・・》だった。
|先程《・・》まで閉じ込められていた快適な部屋──そこに釦と『女』は、いた。
「成程……君は……。まあ、どちらにせよ…見たいなら……やってみればいいさ。ただ……無料ってわけにはいかないよ……」
|食糧《・・》は頂いたけれどねぇ……でもそれとこれとは別さ……『ビジネス』の話だよ……そう、面白そうに笑うと、釦は再び女に問う。
「君が、なにか僕の興味がありそうなモノを|くれる《・・・》なら……僕と言う器が壊れた時、『何がでてくるか』見せてあげるよ……悪くない『取引』だろう……?」
『女』は意味を理解しているのか、表情を変えずにただ笑う。ゆったりとして、どこにもいないような空虚の、それと狭い部屋にいるというだけで常人には苦痛であろうに、釦は笑う。
「それとも実力行使でやってみるかい……ひひひ…できるならねぇ……」
『怪異』には言葉を理解するものと、そうではないもの──ただ、人としてそれらしく見える動作をなぞり、繰り返すだけのものがいる。この場合、『女』は後者に近しい。けれども、ならば……一応持ち掛けたけれども『取引』をせずとも、一方的に『貰って』しまってもいいんじゃないかなぁ……?
釦の内心を見透かしたのか、タイミングが合っただけか──『女』は腕を伸ばし、笑う。その途端、室内の椅子が釦へと飛んでくる。咄嗟に避けると、壁に激突したそれは跳ね返り、まるで意思を持つかの様に再び釦へと襲いかかった。
釦は懐から薄汚れた札を取り出すと、牽制に近しい動きで『女』へと投げつけるが、背後から飛んできた椅子に、背中を打ち付けられた。
「随分と……顔に似合わず力任せなんだねぇ……いや『ポルターガイスト』なら、王道なのかな……」
君がなんなのかは知らないけれどねぇ……ならばこちらも容赦はしないよ……釦は髪を取り出して、鞭の様に使う。腕をしならせて放つそれが『女』に届き、顔面へと当たる。頭部が崩れ──しかし、想像したものではなかった。
血も肉片も飛び散らない。欠けた『破片』はノイズの様に光り、空中に消える。そしてなおも『女』は顔の左半分を欠いても笑って、釦を指差した。
今度は冷蔵庫が、持ち上がって壁へとぶつかった。その衝撃で中の血液が溢れ、床が血に染まる──ああ、それはいけないよ……。
痛む背中をさすり、釦は思い、女のすぐ隣に|立った《・・・》。
そうして、『影』を作ると、手を広げ笑う。ねえ……どうせ、こうなるんだから……その言葉と共に、釦の背後から『何か』──牛の内臓の様な、ゼリー状の物体が現れて、女を八つ裂きに突き刺した。
「言っただろう…どの扉を開けても『辿り着く場所』は一緒だって……」
結局こうなるんだよ……勉強になっただろう……その言葉が『女』へ届いたは気にも止めず、ただ釦は『血』を飲み干す。
あの、運転手と、同じなんとも言えぬ『味』がした。
──早朝の白い空の下。光の薄い世界で釦は帽子の下で目を細める。周囲に聞こえる音は、確かに現実に戻っていたことを示しているが、まだ眠りから覚めぬ世界はどこか異界に似ている。
そうして目についた、地に散らばっている複数の『欠片』──その、まるで『女』のまとうノイズの様に光り輝くそれの、大きい塊を包んで提出用にしまうと、続けて小さいものを吟味し、何食わぬ顔で自身の懐へとしまった。これがなんであれ、通常の代物ではないことだけは確かである。
「さあて……どう説明したものかな……『女の幽霊の欠片』──嘘は言っていないけれど違う気がするねぇ……」
ひひひ、と常の笑い声を上げると、そうして釦は立ち上がると、帽子を被り直し、陽の光の下、どこへともなく歩き出した。
いくつかの|体験《・・》の後に、ただ何となく、気まずい訳でもないが発するタイミングを失って、言葉少なに歩いた先。
廃ビルを抜け、急に開けた再開発地区の一角──遮断物のない開けたそこへ辿り着くと、薄闇の中で薄野・実(金朱雀・h05136)と平岸・誠(Blue Bullet Brave Blue・h01578)は並び立って『|女《怪異》』と対峙した。
夜明け前の冷たい海風が吹き抜けるたび、不気味に動かぬ『女』の輪郭が揺れ、寿命の近いネオンのように瞬いては元に戻る。しかしその顔は距離のある二人からでもいやにはっきりと視認でき、変わらぬままに浮かべた笑みが恐ろしくも、やけに腹立たしい。
「ようやく姿を見せたか……さっきの|場所《ビル》ならともかく、ここは遮断物があまりないから隠れることは出来ないな。相手がどんな手を使うか分からない。実、気をつけろよ」
「でも、隠れようがないのは向こうも同じだ。ああして堂々と現れてくれたものね。よっぽど自信がありそうだけど……だから、誠こそ無茶はしないでほしいな」
その分僕が頑張るから、何を俺だって──ようやく自然と交わした言葉に、実は『女』を見て、いつもの調子でどこか不敵に述べることに。
「人間観察が趣味なのかい、君は……イイ趣味してる。でも、意味が無いってのが何かムカつく」
「けれど、意味があるのも気分が良くないだろう。聞かれた事には答えたが、だからと言って勝手に記録の一つにされるなんて……」
「確かに、ね。だからこそ、お望み通り見せてやろうよ、僕ら二人の『在り方』を」
互いに顔は見ぬままで、銃を構えた誠を庇う様に、さらに実は一歩前へと出る。
いまだ互いの顔は見ないままで、しかしそれは胸に抱えた『秘密』の後ろめたさからではなく、ただ相手への信頼があるが故──例えば、これがお互いの『力』を、ヒーローあるいは怪人としての力を開放したのであれば、互いの姿を認識できぬ様なビル内での戦闘であれば……恐らくは一瞬で終わるだろう。先の幻覚だって、もしかしたらすぐに片付いたのかもしれない。
けれども、互いの存在があったから今まで乗り越えられた。いつだって、これからも。
だからこそ、今。
『相手』へではなく『己』と、そして互いの『在り方』に向き合った今ならば、きっと──力を出せなくとも『|人間《ひと》』として。互いに並んで闘える。
だって、僕が人間でいられるのは誠のお陰だから。
きっと、俺が折れないのは実のいる日常を守りたいから。
とは言え、その結論は『女』の、今回の出来事のためではなく、二人ならばいつか必ず辿り着いた境地。それであれば、今はただ目の前の『|怪異《てき》』を倒すのみ。
言葉に出さぬまま、出さなくても通じるままに、ふと前触れもなく一歩を踏み出した『女』の動きを見据え、実は先手を取った。
|至誠の不死鳥《フェイスフル・エターナル》──『|怪人《ファルド》』としての灼熱の、朱雀としての炎。渦巻くそれを纏うと、実は『女』に向けて数発の火弾を容赦なく放つ。しかし飛んできたそれらを軽く『右手』で払いのけ『女』は易々と火を消した。奢りも何もない当たり前の動作の様に。
けれどもその姿に、動揺より、予想が当たったと実が思ったその時、背後から銃弾が『女』の左腕へと放たれる。
人とは思えぬ敏捷さで実の放つ『怪人』の力に追いつくそれは、√能力を使用しているとは言え半ば誠の身に宿る、|英雄《ヒーロー》としての|潜在能力《ちから》。実のおかげで『敵』の手の内は見えた──ならば後は実の攻撃に合わせて、ただ撃ち込むのみ……しかし、攻撃手段をどうするべきか。実は炎、ならば合わせて威力を倍増させる……いや。
誠が至ったのは、熱の力を活かす合理的な判断と、ほんの少しの告白に似た心。
弾丸に乗せた属性は『氷』──『ヒーローブレイブブルー』としての『蒼き弾丸』
誠は、炎弾が命中した箇所へすかさず氷属性の銃弾を打ち込む。熱と氷の急速な温度差、何より単純な威力に反撃の機会を与えぬまま畳み掛ける。
そして、その攻撃を見ると互いに言葉はなく、ただ、目を合わせ頷きあう。『女』の右手を避ける様にして、信頼のままに攻撃を重ねていく。
「さあ、僕らの『|在り方《友情》』、その目に焼き付けろ」
「そして──これで、終わりだ」
炎が、氷の弾が放たれて、そうして『女』の頭を砕いた。
──朝焼けに照らされた空き地。
先程の戦闘の跡は見当たらぬそこに、ほんの少しだけ二人は安堵する。今回は被害がなかったが、もしこれがビルだったら、随分|派手にやっていた《始末書案件》かもしれないと。
「|それ《・・》を回収すれば、終わりかな」
「ああ、しかし……なんだか長い夢を見ていたようだった」
それほどまでに熾烈な戦闘をしたと言うのに、どこか日常の空気を取り戻し、二人は地に落ちた『唯一の名残』を見る。
誠が拾い上げた『欠片』──それは戦闘の、そして今回の体験を保証する忌々しい証。保管し、溜め息を吐いて疲れた顔の誠を見て実は笑う。確かに今回は重労働だった。けれど──。
「なんだか、うまく言えないけど結果的に良かった気もするんだよね。誠と来て」
「確かにそうかもな……まあ敵に感謝なんかしないが」
そうして二人は連れ立って並び、歩き出す。
いつも通りの、『日常』に向かって。