シナリオ

夕昏にも夢を見る

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●忘れ物はありませんか?
 瞼を強く焼く光に、堪らず目を開いた。見れば、西日がいたずらに光を人の目に投げ込んでは戯れているらしい。視界いっぱいに広がる空は焼けるような茜色で、端っこにせっかちな一番星が独り行き場をなくして佇んでいた。
 そんな夕焼け空を背負うのは、大きな大きな観覧車。
「あれ……ここ、どこ?」
 どこか懐かしい陽気なメロディが流れている。客人の目覚めに合わせて、ぽつりぽつり、夜空に星が浮かぶみたいに、至る所から明かりが灯り始める。そこでようやく全体が見えて、ここが遊園地なのだと気付いた。子どもの頃はよく遊んだけれど、大人になった今ではすっかり足が遠のいてしまった、赤錆ついた遊具が集まる遊園地。
(なんだか、懐かしい)
 ほんの少しの違和感は、懐愁の中に紛れてしまった。メリーゴーランド、コーヒーカップにゴーカート。大きな動物の乗り物は、少しだけ埃の匂いがした。大きな観覧車に乗っててっぺんを目指せば、小さくなった遊園地はまるでおもちゃの国みたい。
 まるで子どもの頃に戻ったような気持ちで遊園地を巡る。好きなだけ遊んで、気付けば空が暗くなって──何にも見えないまま、すっかり帰り道を忘れてしまったけれど、そんなことすら意識から抜けていった。

 そしていつしか、存在すら融けて、夕昏に沈む影になる。

●ご来園いただき、ありがとうございます
「夕方にその遊園地に行くと、あんまり楽しいから帰れなくなっちゃうんだって!」
 びっくりだね~、と花牟礼・まほろ(春とまぼろし・h01075)はのんびり頷いた。
「√汎神解剖機関に怪異が出たよ。ある廃遊園地で、客を呼び寄せているみたい。放っておくとどんどん人がいなくなっちゃうから、みんなで解決しよう!」
 その廃遊園地に足を踏み入れた瞬間、目が覚めた──そんな心地で、あなた達はその遊園地を巡ることができる。園内はぼんやりと人影が歩いたりしているけれど、概ね、ふつうに遊べるらしい。
「もうお客さんがいなくなっちゃった遊園地なんだけどね、怪異の影響なのかな。遊園地が最後に見る夢として、お客さんを楽しませようとしてるのかも!」
 怪異が本格的に客を逃がさないように動くのは、遊園地が閉園近くになったら。だから夕陽が沈むまでは遊んで待っててもいいよ、と少女は言う。
 少女が見た光景の他にも、さまざまなアトラクションがあるらしい。ミラーハウスでは鏡合わせの迷路が道を惑わせ、おばけ屋敷は廃病院をイメージした本格派。園内で風船を配るきぐるみの動物たちを模して、ミニコンサートをやるシアター型のアトラクションもあるようだ。
「あ、ちゃんとね、チュロスとか売ってるお店もあるみたいなんだけど……夢の中? だからお腹はいっぱいにならないかも?」
 お腹が空きそうなら、ちゃんとお菓子を持ち込んでおかないとね、と大まじめな顔で少女は語る。
 そうして気の向くまま、ひとつ、ふたつ遊んでいる内に、夜が来る。閉園時間が近くなれば、あなた達を帰らせないために、怪異が妨害を仕掛けてくるだろう。
「残念ながら、もう犠牲になっちゃった人達がいるんだ。その人たちが、まだ遊ぼうってみんなを誘いに来るよ」
 眉を下げながら少女は語る。
「それだけじゃなくて、帰り道の妨害には何かあるみたい。みんな気を付けてね」
 あなた達の無事を祈りつつも、少女は励ますようににっこりと笑った。みんななら大丈夫だよ、と語る少女の表情はあなた達への信頼に満ちている。
「怪異がどうして遊園地の夢を見せるのか、まだわからないんだけど……でもずっと夢の中には居られないよね。ちゃんとみんながお家に帰れるように、がんばろう!」

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第1章 冒険 『廃墟に潜む怪異』


メイ・リシェル

 太陽がゆっくり沈んでいく。その大きさは小さな彼の身体では両手を広げても足らないほどだ。合わせて端から暗くなっていく中、名残惜しそうに遊園地の各所が光をぽつぽつと灯し始める。その中央に立つ観覧車が一層濃い影を帯びていくのを、メイ・リシェル(名もなき魔法使い・h02451)は静かに見上げていた。
 ──もしこんな風に楽しい場所で時間も忘れて過ごすことが出来たら。そんな夢の中にずっといられたら、確かにその人は幸せなのだろう。しかし、ここに在る夢はその甘やかさほどにやさしい夢ではないらしい。
「帰れる人はちゃんと帰れなくちゃ。戻れなくなる前に」
 沈む夕日が帰り道を隠してしまう前に。迷い込んでしまった、そしてこれから迷い込むかもしれない誰かの平穏を守るため、魔法使いの少年はゆっくりと歩き始める。

 照明に照らされる遊園地は眩く華やかなものだけれど、端々に残る赤錆色のすべては覆い隠せない。
「こういうの見るの、ボクにとってはついこの間みたいだけど……だいぶ時間が経ってるんだね」
 赤い瞳に景色のひとつひとつを捉えながら小さく呟く。本来新鮮に映るはずの光景はどれも古びたものばかり。人はこういう場所に懐古心を覚えるらしいけれど、メイにはまだぴんと来ない。とはいえ、せっかくの機会だ。そんな感覚も大切に、気の向くままメイは遊園地を歩いて回る。
 賑わっている場所もあるようだけれど、どちらかといえば静かな場所に赴きがちなメイのこと。一通り見て行った後は、慣れない場所で賑やかさに目を回してしまっても大変だからと少年は喧騒から離れて最初に目にしていた観覧車へ向かった。高いところから遊園地を見渡すのも良いものだし、何よりゴンドラの中は静かだ。何かが起こるらしい夜までは、のんびり景色を楽しめるだろう。

 ゆっくりと動いているゴンドラの一つに乗り込み、ちょこんと腰かける。軋む金属音と共に僅かな浮遊感が足元から伝わって、ゴンドラが少しずつてっぺんへ向かって昇っていくのが分かった。
 それと同時に少年の前に広がっていくのは、夕暮れに沈みゆく中、客人を招いて未だ終わらない夢を見続けようとする小さな遊園地の全貌だ。ゴンドラが昇れば昇るほど、すべてが遠のいていく。昼間に見る遊園地と違い、夕方に置いてけぼりにされたまま影を背負う遊具たちは、どこか途方に暮れているように見える。見慣れない光景だからだろうか。胸に小さくさざ波が立つような不思議な心地に、メイは息を吐きながらもひとつひとつの影を目に追っていた。
「あの長い影は遊具の影かな……もしかしたら歩いてる人の影かも」
 遊園地を見て回っている時にも見つけてた人影。その正体は遊園地に囚われて、帰れなくなった人かもしれない。甘美な夢の裏にあるかもしれない誰かの悲しみを想像すると、メイの心も静かに痛んだ。そして小さく決意する。
(何かその人たちのためにできることをしよう。まだ何が出来るかは分からないけれど)
 ちょうどゴンドラはてっぺんを過ぎて、ゆっくりと降下し始めていた。地上に戻るまではもう少し。この扉が開いたら、自分のやるべきことを探しに行こう。

刻・懐古

 太陽が地平線の向こうに少しずつ体を横たえていく。その日最後の火が世界を焼き、染めあがる空を刻・懐古(旨い物は宵のうち・h00369)は同じ色の眸に映した。
 眺めているだけで心臓が寂しさで軋むような心地。それは想像に留まるけれど、これが“ノスタルジヰ”と呼ぶものなのだろうか。一歩一歩踏みしめるようにコンクリートの床を歩けば、朧げな記憶が蘇る。その時もこんな風にどこか浮ついた主の声を、楽し気なメロディをずっと聴いていたような気がする。どこもかしこも煌びやかな照明で飾り立てられた中を見て回りながら。
 ──あの時、主は、どんな気持ちで、どんな遊具で遊んだのだろう。
 ここに迷い込んでしまった人々と違って、付喪神である懐古に「幼い頃遊んだ」という記憶はない。それでも、人の身で実際に地を歩めば、あの時の主の記憶を、その心ごとなぞってゆけるような気がした。

 からころ陽気なメロディを奏でて回るメリーゴーランド。速さを競ってコンクリートに火花を散らすゴーカート。コーヒーカップは一見可愛らしい乗り物だけれど、中の輪を回すとより一層速さを増すらしい。懐古と同じ様にこの遊園地にやってきたのだろう能力者の一組が盛大に悲鳴を上げるのを横目に、ひとつひとつの遊具を丁寧に眺めていく。
 それらがどんな風に人々に使われ、どんな風に思われているか。その賑わいに混ざろうと思えば混ざれるけれど、懐古はただ眺めてそぞろ歩く。どこか客観的な楽しみ方になってしまうのは、懐古が道具の──人々に使われるための存在だからかもしれない。自分が積極的に遊具を体験するというより、遊具を体験する人々を眺めている方がそもそもの性分に合っているのだろう。
 それでも、彼なりに楽しみながら遊園地を見て回っていると、ふと鼻を掠める食べものの匂い。
「おや」
 ゆったりとした足取りが止まり、匂いの原因を探す。赤いワゴン型の店から香っているようだ。ふらりと近づけば、ひと際強い照明の下、銀の蓋つき鍋がぽこんぽこんと小気味のいい音を立てる。中から飛び出し、ガラスの小部屋をいっぱいにしているのは、小さな花のような膨らみのある白いお菓子。
「興味深いお菓子だねぇ。ひとつ、いいかな」
「ええ、いらっしゃいませ!」
「これは何だい?」
「はじめてですか? ポップコーンって言うんですよ!」
 にこやかな店員から差し出された紙製の容器を受け取る。中身は溢れそうな程入れてくれたらしい。ひと粒をつまみ、まずは観察してみる。本当に持っているのか少し心配になるほどにひと粒は軽く、白色はよく見れば黄みがかっていた。ふんわりとバターが香るそれを口に放ってみれば、軽い食感と共に塩っ気が口の中に広がる。
「ふうん、“ポップコーン”か」
 しみじみ目を閉じながら、懐古は新たなはじめてを味わう。なかなか面白い食感だ。
「覚えておこう」
 嚥下してもなるほど、確かに腹が満たされるような心地はしないけれど、体験としては充分に満足できるものだ。行儀よくベンチに座って何粒か頬張りながら、少しずつ燃え尽きていく空を見上げる。夜が来れば、この平穏な光景は自分の前でどんな風に色を変えるのだろう。
「さてさて、怪異とやらは何をお望みなんだろうか」
 小さく欠伸をしながら、懐古は夜を待つ。

雪月・らぴか

「夢の中でおなかが膨れないってことは……いくら食べても太らないってことなのでは?」
 聞いた話を元に雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)は自分なりの推論を立てる。
「つまり……この遊園地で売られている食べ物をいくら食べても大丈夫ってこと!? うひょー!」
 遊園地中の美味しいものを食べないと! らぴかはピンク色の瞳をいつも以上に輝かせながら、はやる気持ちのままに駆け出す。ただでさえいかにもホラーなシチュエーションにいることもあって、テンションはうなぎ登りだ。
 夕闇に沈む中、スナックを売るワゴンはひと際眩しく見える。食べ物の匂いに惹かれるまま、見かけた美味しそうな物に飛び込んでいけば、あっという間に少女の腕の中は食べもので溢れていった。
「ん~、夢の中の遊園地サイコー!」
 お腹はいっぱいにならないけれど、心は満足感でいっぱいだ。犠牲者がいるのも分かっているけれど、目の前の楽しさについ心が踊ってしまうのも少女らしさではある。ならその心が赴くままに、ササッと事件を解決して平和な廃墟を取り戻すだけ。

 ぺろりと唇に残ったチュロスの砂糖粒を舐めて、少女が見上げるのはひとつの建物。
「遊園地ってことで色々気になるけど、やっぱりおばけ屋敷だよね!」 
 廃病院をイメージしているらしい外装は、年季が立って黒ずんだ壁や付着した錆が却って本格的な雰囲気を齎している。ホラー好きのらぴかから見てもなかなか期待できそうな外装だ。ごくりと息を飲んで、気合を入れると早速足を踏み入れる。
「おお~…。とは言え、やっぱりちょっと怖いかも……」
 声を出さないように口許を手で抑えながら、震える足腰を励ましながら進んでいく。そんな彼女に忍び寄るのは、白衣を血で汚した医者ゾンビ。いつもより感覚が研ぎ澄まされているのだろう。微かな衣擦れの音に素早くらぴかは振り返り──
「わっ、ワアアアアアア!!」
 ぴょんと高く飛び上がり、らぴかはそのまま圧倒的な脚力でコースを走り去った。脅かした方のゾンビは完全に置いてけぼりだ。
 しかしこれでもゴールはゴール。ホラー好きとしての面目は立った形になるだろう。

 何だかんだと満喫しながら遊園地を巡っていく。怪異の意図はまだ分からないが、らぴかのように永遠に楽しんでくれるお客さんでいっぱいにしたいのだろうか。
「廃遊園地の無念が怪異となって人を誘うなんて……いかにも都市伝説とかホラーっぽいじゃん!」
 もう少しで夜が来る。その時、この廃遊園地はどんな姿を見せてくれるだろうか。らぴかは抑えきれないワクワクのまま、また一歩を踏み出した。

チェスター・ストックウェル
ヒュイネ・モーリス

「時々宿るんだよね、物にも場所にも」
 ヒュイネ・モーリス(白罪・h07642)は訥々と語る。
「”魂”──みたいなものがさ」
 それは狭いコーヒーカップの中。ファンシーなホットピンクに塗りたくられた器に収まる彼女を、チープな照明がスポットライト気取りで無遠慮に照らす。チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)は真向かいに座ったまま、意味深な言葉を語りだした彼女を肩を竦めて見やった。
「ヒトの念って強力だと思わない? きみもわたしも、そこから生まれたようなものじゃない」
 少年の態度もどこ吹く風。問いかけるヒュイネの眸はこちらを映しているのかいないのか。それでも問いの形を与えられれば、チェスターはそれなりの相槌を打ってみせた。
「ああ、全くだね。死んだ後もこうしてこの世に縛り付けられてる」
「──ちなみに」
 女の手が中心のハンドルを握る。唐突な切り出し方は前述の通り彼女によくあることだけれど、その意図を察するのは容易ではない。少年の瞳が訝しげに女を見つめる。女は、ただ微笑んだ。
「やるからには本気だよ」
「本気ってな、おい、ちょっと待っ――あああああ!」

 白衣の天使は、一体どこにいるのだろう。
 酩酊というより、もはや脳を直接鷲掴みにして揺さぶられたような感覚。チュロス目当てに実体化してしまったことを大いに後悔させる激しい酔いは、幽体となってからは久しく、否、人であった頃にも感じたかどうかというレベルだ。曲の終わりと共によろよろとファンシーなコーヒーカップの敷地から逃げ出したチェスターは、げっそりしながらその場にしゃがみ込んだ。
 その後ろからけたけたふらふら、珍しく笑い声をあげながらコーヒーカップを出たのは白衣の天使もとい元凶の悪魔。ヒュイネは飄々とチェスターの傍まで行くと、隣にしゃがみ込んだ。
「どう? たのしかった? え、具合悪い? 介抱いる?」
 ひっくり返った虫をつつくみたいにしゃがみ込む彼の脇腹をつつく。
「……これが楽しそうに見えるのなら、君は今すぐ転職した方がいいね」
 彼女の手を払う力も、返ってくる皮肉もいつもより随分と弱々しい。恨みがましそうに見上げる怨霊のまなざしを受けて、女の笑みは深まった。

 酔いが収まった所で、あてどなく遊園地をさ迷う。時々すれ違う人の影もまた“縛られた魂”たちなのだろうか。瞬きしたら見失ってしまうような影たちの合間を縫って歩いていたヒュイネの足が不意に止まる。
「どうかした?」
「いいもの見つけた」
 チェスターの問いに端的に返して、ヒュイネは「おひとつくださいな」と声を掛ける。
 ありきたりな動物の着ぐるみが持っていたのは、なんてことはない。いかにも小さな子どもが好みそうな、原色使いのファンシーな風船だ。意外と可愛い面もあるんだなあ、なんて手を組みながら傍観していると、ヒュイネはもらった風船をこちらに差し出してくる。
「はい、あげる」
「え、俺?」
「うん、そうだよ。ふわふわ浮いてるとこがきみみたいじゃん」
「それ全然褒めてないよね?」
 幽霊だからって言いたいのか。彼女はやっぱり発想が唐突でよく分からない。しかしチェスターは律儀にもらった風船を自分の手首に括る。実体化している今、黄色の風船は彼を空へ浚うにはあまりに頼りない。縛りつけられてどこにも行けず、そこにふわふわ佇むだけ。
「離さないでよ。じゃないとすぐどっかにいっちゃうから」
「離すもんか」
 ヒュイネは一度風船を見上げて、それから唐突にふわふわ歩き出す。もちろん、とチェスターは頷いて、彼女の後を追いかける。プレゼントは全部受け取る主義なんだ。
 そこにどんな思いが込められているか、分からなくとも。

戀ヶ仲・くるり
雨夜・氷月

 いつかの昼下がりとはまた雰囲気が異なる、夕暮れ時の遊園地。少しずつ暗くなっていく空と相反するように、光を灯して徐々に姿を露わにする遊園地は、ところどころに赤錆を残しながらもどこか懐かしい。こういう状況じゃなければ素直に楽しめたのに、と戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)は隣にいる人物を眺め、ため息を吐いた。
「今度はなんの曰くつきなんですか……?」
「んっふふ、今はまだ大丈夫だから」
「“まだ”ってなに!? 今言ってくださいよぉ!」
「また後でね〜」
 ここで詳細を話したら、彼女"で”楽しめなくなってしまうから。にやにやと笑う雨夜・氷月(壊月・h00493)の表情からはそんな意図がありありと窺える。くるりはまた自分の迂闊な返事を恨んだ。暇と言ったらどうなるか、そろそろ学習した方が良い。
「まあまあ。遊ぼうか?」
「もー! じゃあ折角来たし遊びますぅ!」
 とは言え、来てしまったなら仕方ない。開き直ってズンズンと歩き始めるくるりをのんびり追いながら、氷月はくつくつと笑う。状況に振り回されながらも逞しく生きている感じが、くるりの面白さの一因であることは間違いない。
「何笑ってるんですか……?」
「気にしないで」
「気になるんですけど……もういいや……」
 こういう時は暖簾に腕押しだと学んでいるくるりは肩を落としながらも、辺りを見回す。
 よく言えばノスタルジー溢れる小さな遊園地、悪く言えばおんぼろ遊園地。普通の女の子よろしくくるりはこういう雰囲気も「かわいいなぁ」なんて感じるものだけれど、隣の男性にとってはどうなのだろうか。一応、ちゃんと成人していらっしゃるようには見えるし。
「……氷月さんって、こういう場所、好きです?」
「ん?」
「好みじゃないなら付き合わせるのちょっと悪いなって」
 勝手に連れてきたのは氷月の方だと言うのに。律儀にそんな風に聞いてくる薄紫色の眸が心配そうにこちらを窺っているのが分かって、氷月は思わず小さく笑いを零す。とことんお人好しというか、善良さが滲み出ている少女だ。だから悪魔やその類に引っかかるんだろうなぁ、なんて思いながら氷月は肩を竦めた。
「んは、別に気にしなくて良いのに。くるりが好きなヤツ回ろうよ」
「で、でもそれだけじゃ悪いっていうか……」
「んー俺好みってほどのものは無いし……」
 一応、少女の手元にあるマップを見ながら考える。どうしたってここにあるものはかび臭くて手垢がついたものばかり。それらが与えてくれる刺激は、己を満たしてくれそうにはない。
「強いて言うならおばけ屋敷くらい? でも作りモノだしなあ」
「氷月さんとお化け屋敷は背中を打たれそうでいやです。なにかしますよね?」
「そんなに疑わなくても、悪戯がご所望ならいつでもやってあげるよ?」
 青い瞳がこちらを見つめてそんな風に笑うので、くるりは慌てて手と首を横に振った。
「あの、しないでほしいって真意ですけど!?」
「あはは、ザーンネン。ってことで、アンタの好きなヤツ教えて」
 自分一人ならやらないようなことでも、この少女と一緒なら新しい刺激が生まれそうな気がする。好奇の色を隠さない氷月に、ええと、じゃあ……とくるりは声をあげる。
 少女の指がおずおずと示すのは、きらびやかな円形の屋根の下、ゆっくりと回転している白い馬たち。しかしその体型は全体的にふっくらとしており、駿馬と呼ぶには絶妙にゆるい。
「あのメリーゴーランド……とか……」
 よく考えたら女子高生が好むには子どもっぽすぎるだろうか? 突然何だか妙に気恥ずかしくなってきて、くるりは慌てて弁解し始める。
「だってかわいいじゃないですか! ゆるくて! うごうごしそう!」
 先ほどまで顔を白くさせていたくるりが今度は羞恥心からか顔を赤くしてみせる。その様子がおかしくって、氷月は思わず噴き出した。
「っははは! うごうごしそうって何? 可愛いポイント、ソコ?」
 あーおもしろとけらけら笑う氷月にくるりは閉口する。自分でもチョイスがちょっとズレているのは分かっていた。
「……嫌なら、私1人で乗りますけど」
「いーよ、これくらい付き合ったげる」
 自分にはない発想をしてみせるから、この少女は面白い。じとりとした視線を送られている中、氷月は笑いを落ち着かせると、少女に向かって手を差し出した。
「ほらお手をドーゾ、オヒメサマ?」
「え……? なに……?」
 視線がますます訝し気に顰められた。真意を探ろうと見つめてくる薄紫色の眸に、氷月はただ笑みを返す。その光景だけ切り取れば、なるほど、乙女が憧れるシチュエーションと言えなくもなかったけれど。
「すごーく絵になりますけど、何か裏あります……?」
「そんなのあるワケないじゃん! ほら行くよー」
 やはり、氷月は何も話すつもりがないらしい。野獣に餌を差し出しているような心地で差し出された手にくるりが恐る恐る手を乗せれば、それは案外穏やかに導かれる。しかし、その後も夢見るようなシチュエーションを楽しめたかは、また別のお話だ。

神花・天藍
物部・真宵

 沈む太陽が空を燃やす。鮮やかな橙色の空にくっきりと輪郭を描く影絵たちは、現実の光景だと言うのにやたらとのっぺりとしていて不気味だ。あるいは、この状況がただ恐れを生んでいるのかもしれないけれど。
 物部・真宵(憂宵・h02423)は胸を抑えながら小さく息を吐く。気付けば共に夕空を見上げていた神花・天藍(徒恋・h07001)に眉を下げつつ微笑みかけた。
「ちょっと……どきどきしますね。いえ、怖いとかではないのですよ……?」
 どちらかと言えば、自分に言い聞かせたいと言う気持ちがあったのかもしれない。胸中に過ぎる小さな緊張を見ないようにしながら、真宵はいつの間にか合わせていた両手をそっと組んで握り込む。そう、恐怖を恐怖と思わなければ──幽霊も所詮は枯れ尾花である筈なのだ。しかし、天藍は真宵の様子を見て小さく首を横に振った。
「否。恐れは正常な判断だ。構わぬ」
「え?」
 きょとんと瞬く真宵に返ってくるのは、天藍の至極真剣なまなざしだ。
「黄昏時は逢魔時。真宵は人よりも禍つ者の気配を感じやすいのかもしれぬ」
「気配……ああ、それで合点がいきました。そっか……わたしは人より過敏なんですね……」
 怖がりを怖がりだと断じて一笑に付すことも、それを面白がることもない。ただ真面目に自分なりの見解を述べてくれる天藍に、真宵は表情をやわらげた。半人半妖に付きものの”引き付けてしまう”体質にも心覚えがあったから、彼の見解はすんなり真宵の中に染みる。
 不思議なもので、一度自分の中で納得できれば、ざわざわと胸を波立たせる恐怖とも、まっすぐに向き合えるような気さえした。
「ああ。何か感じたら我慢せずに言うといい」
「ふふ、頼もしいです。天藍様」
 年長者として導いてくれるような安心感。天藍はそれを意識せずともそう在ってくれるのだから、何より心強い。心から安堵して、真宵は礼を返した。

 ゆっくりと園内を歩き始める。日が完全に暮れるまでもう少し掛かりそうだ。見慣れない光景に視線を巡らせる天藍は無表情ながらほんのりと好奇の色が窺えて、先ほどとは打って変わってまるで見目通りの幼子のようだ。
「遊園地……話には聞いたことはあるが訪れるのは初めてだ」
「ふふ。そんな場合じゃありませんけど、つい浮き足立ってしまいますね」
 二人がふと立ち止まったのは、白い木製の洋風の建物。ぴかぴかと光るライトが眩しい赤色の看板には、アピール満点に英語で名前が書いてある。それを読み上げるのはもちろん真宵の仕事だ。
「みらーはうす……? 鏡の迷路なんですねぇ」
「ふむ。鏡張りの迷宮か」
 内容を聞いてもピンと来ない。首を傾げながらも、何だかんだ未知の物には果敢に挑んでみる二人だ。顔を見合わせると、どちらからともなく頷く。
「折角の機会だ、入ってみるとしよう」
「はい、天藍様」
 こうして、ミラーハウス初心者二人の挑戦が始まった。

 中は薄暗い。最低限のブラックライトが朧げに足元を照らし、僅かな視界でなるほど、道が鏡で作られているのが分かった。しかし、所詮は子ども騙しの仕掛けである。
「兎に角出口に辿り着けばよいのだろう」
 細かいことは気にせず、天藍は歩き始める。自分が映って見えた真正面の道は避けて、左に曲がれば──ごつん、と鈍い音が響いた。
「まぁっ! 天藍様、大丈夫ですかっ?」
 ずるずると蹲った天藍に慌てて真宵が駆け寄る。ひりひりと痛む額を自分の手で撫でながら、天藍は思わぬ障害──透明の壁を見上げて睨んだ。
「ぐぅ……やはり一筋縄ではいかぬか」
「見えている鏡だけではなく、見えない壁にも気を付けないといけないんですね……」
 どうやら、子ども騙しと侮るには中々の強敵らしい。なんとかして攻略を、と考え始める真宵の脳内に、ぴこんと電球が浮かぶ。
「……あっ! クダの前足で探っていくのはどうでしょう?」
「クダに探させるのか」
 通説では賢いネコは壁を察知すると自ら前足を出し衝突を防ぐという。特に賢い管狐なら人には見えない壁でもきっと、と説明したところで真宵は小さく眉を下げて笑った。
「……ずるいでしょうか?」
「否、それは名案だと思うぞ。何よりクダが役に立てると嬉しそうにしておる」
 思ってもみなかった名案に大いに頷く天藍の言葉に応えるようにして、ぴょこんと2匹の管狐が顔を出す。その尾がゆらゆらと揺れているのを見て、真宵もくすっと微笑んだ。
 使えるものはすべて使う。これもまた、迷路を抜けるための立派な戦略である。

 そうして無事にミラーハウスを脱出できた二人は、休憩としてチュロスを買うことにした。杖ほどに長いギザギザの表面にたっぷりとシュガーを振りかけたお菓子は、見ているだけで心が踊り上がる魔法のお菓子。実際に手にするのははじめてということもあり、早速期待たっぷりに二人はそれぞれチュロスを齧り──そして、その表情は急速に萎んだ。
「なんだか味がせぬ……。まるで靄を食べておるようだ」
「美味し……い……? ような、気がしたんですが……」
「ああ。ちゅろすとやらは美味であると聞いたゆえ我も残念だ」
 ここが夢の中だからなのだろうか。その美味しさはまだ夢幻の向こうにあるようだ。しょんぼりと二人揃って肩を落とすものの、そうだ、と真宵はぱちりと手を合わせる。
 ころころと表情を変え、手荷物を探り始める真宵を不思議そうに眺めていると、天藍の目の前に透明な袋に入った何かが差し出された。
「天藍様、フロランタンはお好きですか?」
「ふろ……ら?」
「はい。こんなこともあろうかと一口サイズの焼き菓子を作ってきたんです」
 受け取って観察すると、さくさくとしたパイ生地に乗せられたナッツに甘い蜜が掛けられて、きらきらと飴色に光っていた。艶やかなそれを取り出せば、カラメルとナッツの香ばしい香りがふわりと漂う。
「木の実を蜜がけした菓子か。礼を言う、真宵」
 さくりと小気味いい食感と共に芳醇な甘みが口の中に広がり、天藍は美味しいと言葉を零す。その様子を見ながら、真宵も柔らかく微笑んだ。
「ふふふ。気に入って頂けたなら嬉しいです」
 こうして、空腹の危機も機転で乗り越えた。後は夜を待つばかりだ。人影ただよう遊園地だって──独りじゃないから、きっと恐れる程ではない。

第四世代型・ルーシー

 太陽が沈む直前の空は燃えるような色をしている。戦場の炎と変わらない鮮やかさに、第四世代型・ルーシー(独立傭兵・h01868)は目を細めた。煙も敵の妨害も無い分、ずっと見ていられるけれど、少しずつ暗くなっていく端から夕闇に飲まれていく様はどことなく不穏だ。否、実際に被害者がいるそうだから、ここでの緊張感は戦場とそう変わらないはずなのだけれど──組んだ手を天に伸ばし、ぐっと背を伸ばす少女からその様な緊張感はほとんど感じられない。
「おい、ルーシー。仕事の時間だ、気を引き締めろ」
「大丈夫だよ、マスター。仕事の内容はちゃんと頭に入ってるって」
 すかさず通信越しに飛んできた注意に朗らかな返事を返して、ルーシーはぴかぴかと照明が灯りだした遊園地に悠々と足を踏み入れる。

 閉園後に発生する異常事態までは待機。それが今回の任務のオーダーだ。となれば、少しくらい遊んだって──否、事前に戦場の地形を把握するのは戦略的にも有効な判断である筈。
「本当にそれだけか?」
「もちろんだよ、マスター!」
 訝し気な声へにこやかな応えを返して、ルーシーはまず遊園地の中央に聳え立つ観覧車へ向かう。その足取りがやけに軽いことはもちろんマスターにも伝わっているだろうが、小さな溜め息が聞こえてくるだけでそれ以上の追求はなかった。それを良いことに、ルーシーはゴンドラへ乗り込む。
 ゴンドラは遠くで見るよりも大きく、一人で乗っていると小さな小屋の中のようだ。大きなガラス張りの窓からは夕焼けに染まる遊園地が一望できる。不意に差し込んでくる目を突き刺すような西日の力強い光に、思わず手を翳した。
「おお、すごいね。想像以上の絶景だ」
 液晶越しとも違う、ホンモノの夕焼け。眩しいけれど、少女の眸は却って輝きが増す。ゴンドラがゆっくりと頂上へ向かえば向かうほど、遊園地の遊具は少しずつ縮み、代わりにずっと遠くまで世界が広がっていく。高い場所自体はWZで登ったりもするからそう珍しくは無いけれど、WZとも異なる雰囲気に、少女はすっかり食い入るように窓の外を眺めていた。
「様子はどうだ」
「うん、WZに乗って見る景色より、ゆっくり高所の景色を眺めるほうが好きだな」
 ゴンドラ内に満ちる静寂。それを乱さない様に投げかけられたマスターの通信に応え、ルーシーは頷いた。その瞳はまだ広がる世界を見つめ続けている。

 ひと時の安らぎを楽しんだ後、少女は満足げに地上へと降り立った。
「いい眺めだったね、マスター! 次はおばけ屋敷やミラーハウスの方にも行ってみよう!」
「現在の判断はお前に任せるが、遊ぶ方が目的になっていないだろうな」
「いやいや、これは調査だよ。決して遊んでいるわけじゃないよ! ホントだよ!」
 √ウォーゾーンには殆ど残っていないような遊具が気になったからではない。決して。力強く誤魔化すルーシーに溜め息を吐きながらも、マスターはあまり言及しないでやることにした。
 楽しんでいられる内は思うが侭に楽しませてやるのも、猟犬の有効的な扱い方ではある。それに、年頃の少女の健全な扱い方としても。

狗狸塚・澄夜

 狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)もまた、機関職員としてこの地に潜む怪異を処理すべく、廃遊園地へと足を踏み入れていた。空が橙に染まり、端から黄昏の闇に飲まれていくこの時間帯こそ、怪異の活動が活発になることを彼はよく知っている。慎重に周囲を窺いながら、男は仕掛ける時を待っていた。

 ぽつぽつと灯りだした照明が照らした影から生まれたのか、視界の端々に何者かの影が過ぎるのも既に澄夜は察知している。あれも元は被害者と言うのなら、一体何人の犠牲者が怪異に呑まれたか。
(届かぬ憧憬か、何時かの追憶か……)
 怪異の意図は分からない。しかし、既に無辜の命を奪っているのなら出せる答えは一つだ。
「悪しき神秘に死を告げるとしよう」
 それが澄夜の今の職務で、すべきことなのだから。

 夜が降りてくるまでは今暫し。予知の通りに動くのであれば、何かで暇を潰した方が良いと助言があったが、遊園地なんて幼い頃に1度でも遊んだかどうか。他の客がどの様に過ごしているのか分からないが、とりあえず目に入った観覧車へと向かう。
(それに、ここなら妖達が寛いでも目立たぬだろうしな)
 澄夜は自身の名案に満足して頷いた。

 止まっているのではないかと思う位、ゆっくりと動いて見えた観覧車のゴンドラは近くに来ると案外動きが速い。乗り込んだゴンドラ内も思ったより広く、力強く上へと持ち上がっていく安心感も相まって、妖たちを呼び出すのに都合がよさそうだ。窓のひとつに腰かけながら妖たちを呼べば、個性豊かな彼らは物珍しい光景にきゃあきゃあと声を上げて外の景色を見つめ始める。
 賑やかな声に耳を傾けながら、澄夜もまた広がる景色に視線を向けた。
 斜陽が生む影に飲まれゆく中、広がっていく景色。どうやら園外も忠実に再現しているのか、暗い森の中にぽつんと切り開かれた遊園地は内側から見ているよりもずっと小さい。
 こうして徐々に広がる景色を眺めていると、案外自分はちゃんとこういう景色を見たことがないのだと気付く。背に生えた翼は澄夜を空の世界へと誘うが、その時間は決して長くはない。終わりが近づくまで、ゆっくりと風景を眺めることに集中できるのが、観覧車の人気が今も根強い理由なのだろう。それを体感しながら、澄夜は頬杖をついていた。
「まるで別世界にいるかのようだ……」
 そんな澄夜の独り言を聞いていたのか、いなかったのか。物思いに耽る男の肩を、つんつんと何かが突く。振り向けば、阿頼耶爺──妖憑きのタブレットが微笑みを向けていた。どうやら、この瞬間の記念を残しておこう、という提案らしい。
「いい考えだ。そうしておこう」
 反対側の席でワイワイ外を眺めている妖たちと美しい景色。それは記録としても、心に残る1本になる筈だから。

ララ・キルシュネーテ
詠櫻・イサ

 夕闇に沈む遊園地は夜を拒むかのように明かりを灯す。顕わになる赤錆色の風景に大した思い出はないはずなのに、何故この胸には仄かな寂しさが過ぎるのだろう。宵に溶けそうな可惜夜の空を映す翼を小さく揺らして、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は空を見上げた。
「不思議な雰囲気の遊園地ね」
 少女の小さな呟きに、ああ、と気付けば隣に居た詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)も同じ空の色を目に映す。
「こう言うのをノスタルジックっていうんだっけ」
「ノスタルジック、それだわ」
 心のもやもやが形になるピッタリの言葉が見つかった。主人としてイサの働きを褒めようとして、不意に手がひやりとした感触で包み込まれる。何事かしらと真朱の瞳が青年を見上げると、そこにあるのはなんともそっけない表情。
「またうろちょろ聖女サマが迷子になったら大変だからさ」
「む……ララはうろちょろしないわ」
 とはいえ、これもお決まりになりつつあるやりとり。皮肉っぽく言いながらも、少女の手を握る青年の手は変わらず家族に向けられるような慈しみに満ちていた。だからララも、それ以上は言わないことにする。
「いいわ、遊びましょう。まずはメリーゴーランドよ」
「ララらしいな……。分かった」
 遊園地にある物の中でも一段と華やか。そして決して声には出さないが実に子どもっぽい遊具を選んだララの答えに、イサは思わず小さく笑った。首をかしげるララを適当にはぐらかしながら、二人は遊園地を歩き始める。並んで歩く家族たちに、遊園地とは何とお似合いのシチュエーションなのだろう。夜が近づくごとに少しずつ辺りが見えにくくなっていく中、はぐれない様にと繋がれた手の力は固い。

 きらびやかな円形の屋根はなるほど、お城とそこへ向かう馬たちをイメージしているらしい。しかし全体的に古くなってしまって、塗装の剝がれかかった馬の表情はうかがえず、少し不気味だ。イサの計らいで、中でも一番豪奢で優雅に金のたてがみを靡かせている白馬にララは乗ることができた。とは言え、その気品あふれる姿も錆び付く前であればこそ、今はほとんど見る影もない。
 ブザー音と共に、上下に動き出す馬の軋んだ音。どこか寂しげなオルゴールのメロディ。愛馬になった馬のたてがみをそっと撫でながら、ララは慈しむように目を細める。
「まるで不協和音ね」
「つまらない?」
「いいえ。この世界に馴染むためだもの」
 隣の馬車に控えていたイサの問いに、ララは首をふるふると横に振る。そのまなざしは、壊れかけたものへの慈愛に満ちている。しかし、そんな聖女として風格ある態度を感じさせる一方で、小さな身体でちょこんと馬上に収まるあどけなさはなんとも微笑ましいと思ったけれど。当然口にすることはなく、イサはただ頷いた。
「そっか」
「ええ、なかなか楽しめたわ。次の場所に行きましょう」

 向かった先はチュロスを売るお店。一段と暖かそうなオレンジ色の照明に照らされたチュロスからはふんわりと甘いシナモンシュガーが香る。ララはきらきらと瞳を輝かせながら1本を受け取り、さっそく齧ってみる──けれど。
「むう……全然お腹が膨れないわ」
「ああ。夢だからお腹膨れないみたいよ?」
 翼ごとしょんぼりと肩を落とすララの目の前に、すかさず小さな袋が差し出される。
「イサ、これは?」
「これ? ポップコーン。腹ぺこ聖女サマに空腹で倒れられたら困ると思って」
「まあ、イサ。素晴らしいわ、本当にお前は優秀ね」
 ぱっとララの表情が華やぐ。ふんわり香るキャラメルは甘くほろ苦く、ぱくぱくと口に放り込んでいくと、袋はあっという間に底を見せた。嬉しそうにポップコーンの粒を頬張るララはまるで餌を食べる小鳥のようだ。無邪気な可愛らしさに、ついイサの口許にも笑みが浮かぶ。
「むきゅ……もう無くなってしまったのね」
「もっと立派なの持ってくればよかったな」
 まだ足りないとは言え、お腹が満たされたのは変わりない。休憩も済ませたところで次の場所へ遊びにいこう、と二人は地図を見つめる。
「次はイサが選んで。ジェットコースターでもいいしコーヒーカップやお化け屋敷でも、なんでもいいわ」
「俺が?」
 ララのお願いがあれば、応えるのは息を吸うよりも当然のこと。イサは思いがけない言葉に驚きながらも、遊園地の中を思い浮かべる。ジェットコースター、コーヒーカップ、お化け屋敷──たしかに、どれもララの楽しそうな表情が浮かんだけれど。
「んーじゃあ……観覧車」
「観覧車?」
 選択肢になかった答えに、ララはきょとんと首を傾げた。
「うん、一緒にゆっくり遊園地を眺めよう」
「……ええ。いいわよ」
 それでも、どこかやわらかいイサの言い方に惹かれて、ララは素直に頷いた。再び手を繋いで、踊る様に人影の合間を抜けていく。

 ちょうど運がよかったのか、乗り込んだゴンドラは淡い桜色。ぐんぐんとゴンドラが持ち上がれば持ち上がるほど、近づいていく空は地上で見る空よりも色濃く鮮やかだ。窓にくっつくように頬を当てて、ララはその瞳に橙から藍色に染まっていく空を映す。
「ララもこうやって空を飛べたらいいのに」
 ため息に合わせて、背の翼が小さく揺れた。迦楼羅は自在に空を駆けるというけれど、雛鳥であるララはまだその力が足りないらしい。人の身と同じような目線でしか見れない空を、こうして観覧車に乗って近くで眺められるのは喜ばしい一方、至らぬ身が歯がゆくもある。隣で切り取られた空を眺めるイサは、少女の言葉に桜色の眸をただ細めた。
 ──この空よりもうんと美しい、内側に夜空を映す白い翼。その翼が今よりずっと力強く羽ばたくようになれば、少女はあっという間に夢見た天へ駆けていくのだろう。その一方で、自分は海の寵愛を受けし器。空と海、ふたつの青はどこへ行っても近いところにあるけれど、故に決して交わらない。
(ララは飛べるようになったら飛んでっちゃうんだろうな。俺の手の届かないどこかへ)
 このままずっと、飛べないままでいてくれたら。つい浮かんだ思いを振り払うように、浅く首を横に振った。主人の願いに反してそんな気持ちを抱いてしまうなんて。たった一瞬でも、大罪に違いないのに。
「……。お前、なんて顔をしているの?」
 イサがふっと顔を上げると、ララは不思議そうにこちらを見つめていた。
「大丈夫よ。ララは絶対、飛べるようになるわ」
 澄んだ赤色に光が映る。遊園地のイルミネーションでも、空の向こうに浮かんだ星の光でもない。その光の名前を、イサはよく知っていた。知っていたからこそ、背けてしまいたかったけれど──ララを不安にさせるのも本意ではない。だから、頭の中をよぎった考えは忘れたフリをして、少女に微笑みかける。
「はは、そうだな。ララは絶対飛べるよ」
 イサの淡い色の眸に、自信に溢れたララの表情が映る。微塵も疑ってもいない少女の表情に、イサは小さく安堵の息を零した。
 ──このまま観覧車が止まってしまわないだろうか。そうしたら、二人はずっと同じ空の中にいられるのに。

クルード・バドラック
ラナ・ラングドシャ

「ンだよ、つまり遊園地で遊べってのか?」
 仕事と言われたから引き受けたものの、案外中身は大したことがないらしい。クルード・バドラック(狼獣人の鉄拳格闘者・h08251)は眼光鋭くアトラクションを見上げると、小さく鼻を鳴らして腕を組んだ。
「うん。そういう事みたいだね!」
 気付けば隣に並んでいたラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)も、青年の言葉に頷くと、彼を真似て何となく腕を組む。
「どうする? もう帰る?」
 悪戯な光をピンクの瞳に宿してにやりと口角を上げるラナに返ってくるのは、また挑戦的な笑顔だ。
「いいや。言っておくが楽しむ時は全力だぜ、俺はよ」
「へえ、キミってそういうタイプなんだ?」
「逸れずに着いてこいよ、ラナ」
「クルードこそ後からバテてボクに泣きつかないでよね!」
 売り言葉に買い言葉。小気味いい応酬を返す二人の表情は喧嘩というほど深刻そうなものではなく、言い争いながらもどこか楽し気だ。
 意気揚々と園内に乗り込もうとするラナの足がふと止まる。
「あ、クルード。ちゃんとお菓子は持ってきた?」
「ああ、腹減るかもしんねーんだろ? ジャーキー持ってきた」
「へえ、偉いね! ちなみにボクはラングドシャ!」
 美味しそうでしょ!と誇らしげにたまご色の菓子を掲げるラナに、クルードは肩を竦める。
「心配したんじゃなくて、ただの自慢かよ」
「へっへー、どーしてもって言うなら一枚あげてもいいからね!」
 はいはい、とひらり手を振ったクルードに、ラナは小さく舌を出した。

 客はほとんどいないというのに、どの建物も賑やかだ。ぴかぴかと電球で看板を縁取ってみたり、楽しそうな音楽を流してみたり。その華やかさの半面、廃遊園地は暮れに飲まれる孤独から逃れ、賑やかさで己を満たそうと必死の様相だ。そんなアトラクションのひとつであるジェットコースターを見上げ、クルードは口角を上げる。
「うっし、ジェットコースター乗んぞ!向こうのでっけーやつな」
「……えぇっ! いきなりハードそう……」
 意気揚々と入口へ向かうクルードとは対照的に、ラナの足取りは重たい。心なしか自慢の尻尾もぺしゃんこだ。
 それもそのはず、ラナは今回が初めての遊園地なのである。目の前で入り組んだコースを駆け抜けていくジェットコースターの機体は風を唸らせるほどに速く、見るからに初心者向けの乗りものではなかった。
「まさか嫌なんて言わねェよな?」
「い、行く! 行くよ~!」
  初めのやり取りを思い出しながら、クルードは挑発的にラナを見つめた。一度挑発してしまった身である。後には引けない。ラナはすたすたと歩いて行ってしまう青年の背を慌てて追いかけた。

 客がいないから搭乗口まではあっという間だ。安全バーを下ろしながら隣でそわそわと様子を探るラナに、クルードからありがたいアドバイスが送られる。
「いいか、てっぺんまで登ったら両手を上げるんだ、こんな風にな」
「え?! 両手上げちゃうの!?」
 両手をバーから離したら、身体が浮いちゃうのでは!? 最悪の想像をしてわあわあと騒ぐラナを横目に、ジェットコースターは動き出す。クルードの初心者向けレクチャーはまだ続いていた。
「それから、落ちる時は腹の底から声を出せ」
 ギシギシと機体は斜めを向き、それはゆっくりと頂点に向かっていた。しかし初心者のラナには機体の状況に気を配る余裕はなく、必死に目の前のレクチャーにしがみついている。
「それで落ちる時はお腹から声を──声を──」
 ぶつぶつと唱えるラナの機体が、がくんと斜め下を向く。そのまま、重力に従い落ちていく機体は即座にスピードを増し──
「う、う゛み゛ゃ゛あ゛~~~~~~!!!!!!!?」
「アッハッハッハ! 良い声だなぁ!!」
 悲鳴が尾を描き、天を貫く。新鮮すぎる初心者の反応に、クルードの悪戯心も大いに満たされた。

 出口のアーチをくぐったラナの表情は弱々しく、一方のクルードの表情はいきいきと輝くようだった。
「はあ、はあ、死んじゃうかと思った……」
「ひゅー、サイコーだったな!」
「サイコーどころか地獄を見たよ……」
「なんだよ、しょうがねぇ。んじゃあ次はお前の好きなやつ乗っていいぞ」
「え! 本当?!」
「俺の気が変わる前に決めな」
 情けない様子を見かねてか、十分に満たされたからか。いつもより寛大になったクルードの提案に、ラナはころっと表情を輝かせる。
「じゃあボクあのぐるぐる回る……コーヒーカップ? がいい!」
 ラナが指さしたのはメルヘンな外装の中、くるくると回るコーヒーカップたち。その可愛らしさに、クルードは肩を竦める。
「コーヒーカップか、お子ちゃま向けだな」
 とは言え、男に二言は無い。二人はすんなり通されたコーヒーカップの中に収まる。陽気なメロディと共に、少しずつコーヒーカップが回りだした。
 中央のハンドルを回せば回しただけコーヒーカップも回るらしい。説明を受けたラナは、獲物を狙うネコのように瞳をきらりと輝かせた。
「それ~~!!! ぐるぐる~~!!!」
「……って、おい! そんなにめちゃくちゃに回すな!!」
 クルードの制止は一足遅い。全力で回されるハンドルに応えるようにコーヒーカップの回転速度は増していく。ハンドルを回している内にアドレナリンも全開になって、堪らず笑い声が飛び出してくる。
「あっはは! た~のし~~! ほらほらクルード! 両手あげてお腹から声出しなよ~~!!!」
「馬鹿! 手上げてたら吹き飛ばされるわ! ぎゃーーっ!」
 決してジェットコースターのお返しではない。恐らく。
 ともかく、曲が終わるまで高速回転は続き、終わってからもしばらく酩酊で世界がひっくり返ってしまうことは、確実な未来であった。

咲樂・祝光

 愛猫──もとい、相棒の猫又であるミコトのふわふわとした毛並みを撫でながら、咲樂・祝光(曙光・h07945)は目の前に広がる遊園地を見上げる。
「なかなかムードのある遊園地だね、ミコト」
 橙に染まる空は鮮やかで、だからこそ影の黒は際立つように深さを増す。この遊園地も等しく、自身の明かりで照らされれば照らされる程に、さざめくような不穏さは際立った。
「まあ、まだ時間もあるようだからね。しばらく見て回ろう」
 にゃあ、と気まぐれな一鳴きに、祝光は柔らかな笑顔を返す。こうして一人と一匹の散策が始まった。

 どこの遊園地もアトラクションの中身はおおよそ変わらないらしい。ジェットコースター、コーヒーカップにお化け屋敷──気の向くままに見て回る度にそんなことに気が付いて、その度に祝光の心は少しずつ、しくりと痛んで声をあげる。
「懐かしいな……」
 まだ幼い頃、父や母、妹たちと家族みんなで遊園地に出かけたこと。全部のアトラクションを制覇しようと駆け回った時のこと。一番乗りたかった筈のジェットコースターに、身長制限のせいで乗れなくて随分悔しい思いをしたこと。あの時の少年が今の自分を見たら、どんな想いを抱くだろう。憧れてくれるだろうか、あるいは家族の行方を問うだろうか。
「……。よくないな、つい気持ちが沈んでしまう」
 気付けば、ジェットコースターの入り口までたどり着いていた。機体はほとんど錆び付いていたが、ここが夢の中だからなのだろうか。現役当時と変わらず走り抜けてくれるらしい。
「よし、せっかくの機会だ。乗ってみよう」
 静かに傍で祝光に耳を傾けていたミコトは、その言葉に慌てて起き上がる。逃げ出そうとする猫又の首根っこを、祝光はしっかり掴んだ。
「ほら、ミコト逃げるな。君もだよ」
 にゃあ、と弱々しい返事がかえる。

 安全バーをしっかり下ろして奥まで深く腰掛ける。ブザーと共に動き出すジェットコースターは多少軋む音が目立つけれど、思ったよりも動きは安定していた。息が詰まるような緊張感と共に機体は頂上へ向かい、ピークと共に一気に速度を増す。
「あはは! やっぱり、勢いがいいのは楽しいな!」
 何度も上がって下がって、その度にスピードが上がっていく。真正面から吹き付けてくる夏の夜風は思ったよりも爽やかだ。ごうごうと唸る声と共に祝光の髪を浚っていく。

「楽しかったな、ミコト」
 うにゃあ……と不満げな声にけらけらと笑って、祝光は出口をくぐる。ぱっと光るような歓喜の後にやってくるのは一抹の寂しさ。その感情の名前を、彼はよく知っている。
「ここに家族もいたらいいのに……なんてね」
 らしくないと分かってはいるのだけれど。夕闇の空気に、その溜め息は紛れて消えた。

廻里・りり
ベルナデッタ・ドラクロワ

 あらゆる遊園地はお客さんを喜ばせたいという気持ちで出来ている。この廃遊園地でも、夢の中でも、どこも例外ではなく。そして、客を喜ばせる方法はアトラクションだけではなく、園内を彩る可愛い装飾やここでしか食べられないフードなど、多種多様でさまざまだ。
「フードも沢山あるみたいね」
「わぁ! いっぱい食べられますねっ」
 園内マップを見上げたベルナデッタ・ドラクロワ(今際無きパルロン・h03161)の言葉に、廻里・りり(綴・h01760)が歓声をあげた。今日もお腹は元気いっぱい、食への情熱は燃える夕日より熱く──りりは真剣な光を青い瞳に宿している。
「チュロスとポップコーン全種類いきます」
「あら、片っ端から試してみるの?」
「はい、もちろん!」
 りりの前のめりな返事に、ベルナデッタの唇にも微笑みが浮かぶ。
「けれど、りり。ここで買ったものではお腹いっぱいにならないんですって。ちゃんとおやつは持ってきたかしら?」
「ふっふっふ、もちろんですよベルちゃん。おやつはクッキーとチョコレート、あとキャンディーです!」
 じゃじゃーん、とポシェットから溢れてくるのは小さな幸せが込められたお菓子たち。自慢げに大きな耳をぴくぴく揺らすりりの誇らしげな表情に、ベルナデッタは小さく目を瞠った。
「あら、ばっちりね」
「ベルちゃんもお腹が空いた時はどーんとわたしを頼ってくださいね!」
「ええ、そうさせてもらうわ。ありがとう、りり」
 微笑ましい言葉にベルナデッタが表情を綻ばせば、りりの表情もへにゃりと緩んだ。用意は周到。気合もばっちり入って、園内に踏み出す二人の足取りは軽やかなものだ。

 イルミネーションがきらめく遊園地は、見ているだけで心が躍るような光景を作り出していた。ここが夢の中だとしても、つい浸っていたくなる輝きに溢れている。しかし、光溢れる海を見つめるりりの表情は少し難しいものだ。
「たのしい場所にはずっといたくなっちゃいますけど……ごほうびだからこそ、めいっぱいたのしむぞ!ってわくわくするのかも」
 それは、時折過ぎる影がどうしたって少女の目に映ってしまうから。影より現れ、どこかへ消えていく幻は、この遊園地に囚われて離れられない人の影なのだという。甘美な夢に囚われて、そのままどこにも帰れなくなってしまった影を見つめる少女のまなざしは悲しげだ。
「無邪気に遊び続けていたいのかもしれないわね」
 過ぎる人影を同類の友と思ったのだろうか。足元の影がひょいと伸ばした手を振る様を見つめながら、ベルナデッタはりりの言葉に頷いた。
「楽しいことは続けたくなっちゃうもの……だけど」
 終わらない夢はどんなに美しいものだろう。それは人間も人形も等しく見る夢想。けれどここに残る影は、偽りの夢想を見せられたまま、帰り道を見失ってしまった哀れな犠牲者だ。
「終わりがあるからこそ、ここは日々のご褒美。明日の糧なのだから。──犠牲をこれ以上増やしてはいけないわね」
「はい。がんばりましょう、ベルちゃん!」
 人々の生に希望を与えてくれる素敵な場所が誰かの涙を生む場所にならないように。意志を込めてふたりは頷き合う。──それはそれとして、りりとベルナデッタにとってもまた、夜までのひと時はこれからを頑張る為のご褒美だ。
「せっかくなので、アトラクションに乗りながら見てまわりたいです!」
「ええ、もちろん」
 りりの提案にベルナデッタも微笑む。影業も嬉しそうにぱちぱちと両手を叩いた。

 夢の中と冠に付くにも関わらず、あるいは夢の中だからだろうか。この遊園地に足りないものはほとんどないらしい。それは建物だけでなく、道端で会う者も同様のようだ。道の端に立ち尽くす影を見て、ベルナデッタは淡い薔薇色の瞳をぱちりと瞬かせた。
「見て。風船を配っているぬいぐるみがいるわ」
「ふうせん!」
 ずんぐりとしたくまの着ぐるみが大きな手で大量の風船を地上に繋ぎ止めている。ワクワクしながら二人が見つめていると、くまさんは視線を感じたのかつぶらな瞳を少女たちへ向けた。のったりゆったりこちらへ向かってくるくまさんに、二人もつい怪異かしらと緊張が高まる。
「……あら。ワタシたちにもくれるの? ありがとう」
「わぁ、ありがとうございますっ」
 しかし、緊張はすぐに霧散した。ベルナデッタには赤い風船、りりには青い風船。それぞれに手渡し終えると、くまさんはひと仕事終えたとばかりにぷいと視線を背けた。重たげに足を動かしながら少女たちの礼を背にまたどこかへと歩いていってしまう。
「これも遊園地ならではのとくべつ、ですね!」
「ええ、素敵な贈り物だわ」
 ふわふわと浮かぶ風船は、夕空の下にあっても見ているだけで心がふわふわと浮足立つよう。ほんの少し、心が子どもに戻ったような気持ちになる。お揃いの風船を互いの手首に括り付け、りりは笑顔を咲かせた。
「そうだ。ベルちゃん、最後に観覧車にのりませんか?」
「観覧車。いいわね」
 遊園地のすべてが見渡せる観覧車もとくべつなアトラクション。りりのお誘いに、ベルナデッタも笑顔で頷く。

 いそいそと二人で乗り込んだゴンドラの窓の向こうには、みるみるうちに小さくなった遊園地の全景が広がる。そのどれもに、かつてここを訪れた誰かの想い出がいっぱい詰まっているのだ。
「それってとってもすてきです」
「そうね。アトラクションも、椅子もゴミ箱だって、大事にされた跡がある。ここからでもよく見えるわ」
「なのに、そんな場所からたいせつなひとのところに帰れなくなっちゃうのは、きっとかなしいことだから……」
 赤錆色に染まる遊具。懐かしい音楽。どれもが二人の目の前でゆっくりと夜の闇に飲み込まれていく。そこにどんな怪異が潜んでいるのか、どんな想いでいるのか、まだ分からないけれど。
「大切な思い出を生みだした皆を、私たちが守らないといけないわね」
「はい。がんばって止めましょう!」
 ベルナデッタの言葉に、りりは元気よく頷く。何度も気持ちを確かめれば、もう準備は完了だ。
 最後の西日が地平線際でひと筋きらめく。やがて深い宵色が、辺りを包み込もうとしていた。

第2章 冒険 『暗中模索』


 夕日は最後の最後まで名残惜しそうに空を鮮やかに染めていたが、それもいつしか夜が追いやった。見上げた空は絵具を厚く塗りたくったような濃い紺色。月のない空を、遠くに瞬く星々だけが微かに彩っている。
 ざらざらと、ノイズ混じりの音が響く。
『閉園時間となりました。楽しい1日をお過ごしいただけましたでしょうか』
 何てことのない閉園向けのアナウンスだ。あなた達も自然と足を留めるだろう。音声はつつがなく流れていく。
『またお越しいただける日を、心よりお待ち申し上げます。本日はご来園、ありがとうございました。お気を付けてお帰り──』
 ザザ、ザザ、とノイズが混じる。
『本日はご来園、ありがとうございます。ご来園ありがとうございます。ありがとうございます、お帰りの皆様はしばらくお待ちください』
 砂嵐のような音の後、アナウンスはそこで終わる。それからぷつんと音がして、園内の照明が一斉に消えてしまった。途端、視界の全てが夜に染まる。

「──違う」
 ふと誰かの小さな呟き声が聞こえた。ひたひたと冷たい気配が迫る。なのにあなた達は何も見えない。おかしい、と辺りを探り出したあなた達は、そこで自身に起きた異変に気付くだろう。
「違う、照明が落ちたんじゃない──目が見えなくなってるんだ!」
 宵闇に閉ざされた視界の中で、気配が迫る。それはきっと、園内をさまよっていた犠牲者たちの影。あなた達を帰らせないように、手招いて「まだ遊ぼう」と囁く。その影に飲み込まれてしまえば、あなた達もこの終わらない遊園地に囚われてしまうだろう。
 何とかして出口のゲートに向かわなければ。客を逃がしたくない怪異は、あなた達がそこに集えば、最後の抵抗としてその姿を現すはずだ。

●マスターからの補足
 こちらを捕まえようとする影を振り払いながら出口ゲートへ向かいましょう!
 ただし盲目状態の為、視界を利用するタイプの√能力などは、敵に当てるのが大変そうです。影を攻撃するには、何かしら工夫が必要になるかもしれません。
 また、√能力などで新規に出現した召喚物なども盲目状態で召喚されます。
 参加者の皆さんの現在地はそれぞれ別ですが、出口ゲートは「南」の方向にあるため、とにかく南へ向かえばいつかはたどり着けるものとします。
(この際、向かい方も工夫すればその分体力的な消耗は減ると思われます)
 それではどうか、皆様のご無事をお祈りしております。
雪月・らぴか

 夕日が落ちた。それと同時に世界が黒に染まる。映画のシーンの切り替わりのような一瞬の変化に、雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)はびくりと肩を震わせた。
「ひええ! 真っ暗!」
 きょろきょろと辺りを見回すが、黒く閉ざされた世界では自分の姿すら曖昧だ。深すぎる闇に、少女はこれがただの停電ではないことに気付く。ホラーにも詳しいらぴかのこと、何度か照明が一斉に消えるような心霊現象だって体感したことはあるが、これはあまりにも昏過ぎる。
「ホラーだったら、このあと明るくなると周囲が血まみれになってたりするんだけどね!」
 ここが物語の中なら、そんなお約束もあるかもしれない。試しに明るくなる時まで待ってもいいけれど、このまま立ち尽くすのは危険だと本能が警鐘を鳴らしていた。じわりと汗ばむ掌をぐっと握り、まずは深く息を吐く。
「こういう時は……落ち着くのが大事!」
 身体に身に着けているものくらいは、手探りでもなんとか存在が分かりそうだ。荷物を探れば、鼻をくすぐる熟れた果実の甘い匂い。こんなこともあろうかと持ってきていた大好物の苺だ。
「よーし、これさえあれば、憂いなしだね!」
 大きく頬張れば、たっぷりの果汁と共に甘酸っぱい風味が口いっぱいに広がり、思わずらぴかの頬もふんにゃりと緩んだ。どんな暗闇の中だって、この味わいにあっという間に夢中になれる。気付けば恐怖なんてどこかに吹き飛んでいた。
「あ~、美味しかった。よし、出口を探そう!」
 出口は南にあった筈だ。とは言え、こんな暗闇の中では多少方向感覚があるくらいでは頼りにならないだろう。耳を澄ませば、辺りに蠢いている様な気配と共に、小さな囁き声が聞こえてくる。きっと、犠牲者の影たちが動き出したのだろう。新たな仲間を歓迎する為に。
「……ってことは、出口に向かってる時は抵抗が大きくて、向かってないときはあんま抵抗がないんじゃないかな?」
 名案が浮かび、らぴかは闇の中でもなお鮮やかな桃色の瞳を見開き目を凝らした。適当に方向を決めて歩き出したが、影が近づいてくる様子は感じられない。
「じゃあ……こっちかなっ?」
 今度はくるりと反対を向き、歩き始める。すると、すぐ後ろから影たちが追いかけてくる気配を感じた。──つまり、こっちが正解の方角、南だ。
 駆け出そうとしたところで、腕にふと冷たいものが触れる。らぴかが視線を下に向ければ、黒い影が少女の腕を掴んでいた。ぞわりと全身を悪寒が駆け巡る。
「わーーっ!!」
 思わず手にした杖でぽこんと叩けば、影は驚いたように手を引っ込めた。
「わあ、わあ、びっくりした~!」
 しかし、直接触れて止めようとする程に影からの抵抗があるということは、こちらの方角が正しいということだ。うん、と一人頷き、杖を握り直す。この調子なら、きっとすぐに出口ゲートに辿り着くだろう。
「よーし、いっくぞー!」
 少女は気合を入れると、ひと息に駆け出した。

メイ・リシェル

 ぱちりと電気のスイッチが切られたかのように、視界中が黒く染まる。
「閉じ込められるとは思ってたけど、目が見えなくなるとは思わなかったな……」
 自身の姿も見えない暗闇の中、メイ・リシェル(名もなき魔法使い・h02451)は僅かに目を細めた。予知には何かがあると聞いていたが、想像以上だ。よほど遊園地は客を引き止めたくて仕方がないのか、他に理由があるのか。それを知るためにも、出口へ向かわなければならない。
 視覚はむしろ邪魔だと判断し、自ら目を瞑る。代わりに耳に意識を集中させれば、少年の妖精のような長い耳は空気の揺らぐ僅かな音すら捉えていた。これで影の気配も少しははやく捉えることが出来るだろう。
 杖を右手に持ち直し、空いた左手で辺りを探る。ひやりと滑らかな感触。恐らく、何らかの遊具か壁だろう。こうして伝って歩いていけば、この遊園地は大体円形だった筈だから、いつかは南のゲートへ辿り着く筈だ。
 闇の中はさほど恐ろしくはない。けれど、長く留まれば宵闇はメイの身体を飲み込んでいくだろう。だから、メイはできる限りの速さで園内を駆けていく。
「……こっちにこないで」
 そんな折、少年の足がぴたりと止まる。ざわりと影が揺れる音がした。
「あなたたちのことは出来れば攻撃したくないんだ」
 牽制を兼ねて杖を振った。なんとなく、影の動きも出方を窺うように止まった気がした。小さく息を吐く。
「いい子だね」
 見えない影が躊躇っている間に、メイは素早くその場を立ち去る。見えない影も被害者だ。傷つけずに済むのなら、出来る限り傷つけずに済ませたい。

 ──しかし、抵抗はより激しくなっていくようだ。それはメイが出口に近付いたからなのか、時間が経ったせいなのか。同じ影でもより色濃い影がメイに縋りつこうと手を伸ばす。時にがっしりと腕を掴んでくる影に対して、杖を振って払い落さないといけない時も増えた。
 いっしょに遊ぼう、と拙い声が少年を呼ぶ。
「ごめんね。ボクはあなたたちとは一緒にいられないんだ」
 ひと際小さな掌を払い、メイは眉を下げた。夢は夢。目を覚ませなかった人の末路を想うと、心が痛む。しかし、少年は毅然として影を拒み続けた。一緒にいたところで、ひと時の慰め。彼らの本当の安寧は、怪異を倒すことでしか得られないのだから。
「待ってるのは、どんな怪異なのかな」
 はやく悪夢を終わらせなければ。そんな気持ちが彼を急き立て、いつの間にか少年は駆け出していた。

戀ヶ仲・くるり
雨夜・氷月

「遊園地楽しい! えーと、次はですねえ……!」
 いつの間にかここに来た時の不審な男の態度も忘れ、無邪気に笑っていた戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)の耳にも、園内のアナウンスの音が届く。
 ──閉園時間となりました。楽しい1日をお過ごしいただけましたでしょうか。
「あ、もう閉園…、…えっ」
 さっと高揚の波が胸の内から引いていく。どこか不穏なアナウンスの終わりに、脳のどこかでぱちんとスイッチの切れるような音。途端、少女の視界は闇に閉ざされた。
「なにこれ……氷月さん、どこ……っ?」
「お、始まったみたいだね」
 慌てふためき、目を擦るくるりの横で、どこか緊張感のない喋り声。それだけで、くるりは全てを察した。また雨夜・氷月(壊月・h00493)に騙されたことを──最初の男の態度の理由を。
「やっぱり曰くつきじゃないですかぁ!?」
「んっふふ、こういう曰くがあるって言ったら、絶対楽しめてないでしょ?」
「それは……そうですけど……でもこんな風に騙さなくてもいいじゃないですかぁ……ッ!」
 くすくすと笑い声が頭上から響き、くるりはがっくりと肩を落とす。闇に閉ざされた世界では少女の動きは見えないけれど、きっと愉快にうごうごしていることだろう。想像だけで氷月は自らの唇に笑みが浮かぶのを感じた。先ほどの何だかんだ遊園地を心から楽しむ少女の姿も、今の恐怖におののく少女の姿も、ひとしく愉快なものだ。どちらも楽しめたことに満足しながら、氷月は掌の中で弄んでいた煌石を暗がりに放る。
 闇を裂くような閃光と轟音。それが自分のすぐ傍で響き、くるりはぴゃっと身を縮こまらせた。
「やだやだやだ、戦闘音!? 遊園地出ましょう!?」
 状況も分からず、とにかくここから逃げ出そうと無闇に走ろうとしたくるりの肩を氷月は引き寄せる。それだけでも悲鳴を上げて小動物めいて肩を竦ませる少女に、思わず笑みが浮かんだ。
「あっはは、そんなに焦らなくても!」
「なんでそんなに余裕なんですか!?」
「ダイジョーブダイジョーブ。俺と離れないでね、くるり?」
「ああ、もう……!」
 最初の爆発で影は多少怯んだようだが、それ以上に数が多いようだ。こんなピンチはすっかり慣れっこ、氷月はそれならばと紫色に淡く光る燐花の群れを放つ。宵闇は視界に直接作用しているのか、その輝きこそ見えないが、小さな爆撃でも影は怯んで上手くこちらに近付けないようだ。元となった被害者たちの心が現れているのか、どうして、だとか戸惑う声が届く。
「なるほどね。俺らを足止めするヤツの力はそんなに強くなさそう」
 飄々としながらも、氷月の戦場判断は的確だ。青い目はなにも見えていない筈なのに、たしかに戸惑う影たちを捉えているかのように細められる。
「適当に数が多い方に進んでみよ! いこ、くるり!」
「え、えええ、なんでわざわざそっちに行くんですか!? やだ……ッ、帰る……!」
 それなりに歯ごたえがある抵抗が欲しいから──ではなく、出口に近くなればなるほど抵抗が激しくなるだろう、という判断なのだけれど。結果として危機に飛び込もうとする氷月にくるりは引きずられていく。その姿はまるで散歩中にリードを引っ張って嫌々する犬だ。
 そんな少女の胸の内から、不意に“アレ”が囁きかける。
『こっちだよ』
「っ!……アクマの声……?」
「うん?アクマ?」 
 小さく呟き、くるりの足が止まる。その声に氷月も足を止めた。
『こっちに、おーいで』
「え、えっとぉ……!」
 アクマの声は聞こえない。闇の中で戸惑い視線をさ迷わせる少女の姿は一人芝居にも見えるけれど、それが彼女の欠落にも関係する──正体不明の「ナニカ」だというのは、氷月も既に聞き及んでいることだから、少女の様子を観察しながら男は石を放った。今、邪魔者は必要ない。
 一方のくるりは服の上から胸をぎゅっと抑えながら悩んでいた。返事をしたら、連れて行かれると何故か分かった。このアクマは気まぐれなようでいて、その囁きには意味がある。この声は舞台をひっくり返すだけの何かを起こすけれど──その箱の中身が希望か絶望かは開けるまで分からない。
 安寧を求めるくるりは、一人なら決してその蓋を開けようとしないけれど。ちらりと、見えもしないのに男へ視線を向けた。
「……氷月さんなら、アクマの誘い、乗ります……?」
「うん?」
 首をかしげる氷月に、くるりは手短に今の状況を伝える。理解が進むにつれ、氷月の瞳は妖しく輝くのが見えなかったのはくるりにとっての幸か不幸か。無論、男は躊躇わなかった。
「うわー、めちゃくちゃ気になる。誘いに乗ってみようよ! その方が面白そう!」
「ええ、面白そうって受け取るぅ…!?」
 返ってきた明るい声をどう受け止めればいいのか。まだ戸惑いながらも、その返事で、くるりは少し気持ちが固まりつつあった。このまま闇の中にいつまでもいられないし──面白がりながらも、あの時アクマの話をちゃんと聞いてくれた、そんな氷月と一緒なら。定まった気持ちが揺るがない内に、肩を掴む男の手をぎゅっと握る。くるりは唇を開いた。
「……い、行く!」
 胸の内で、アクマの笑い声が聞こえた気がした。

 瞬間、同じ闇の中だというのに明らかに気配が変わった。見えない筈なのに、暗がりがまるで蠢くようにぞわぞわと揺らめいている。よく目を凝らせば、それは人の手だった。数えきれない程の人影が、窖に急に現れた部外者に──或いはごちそうに手を伸ばそうとしている。
『影がいっぱい居て楽しそうだよ!』
「アクマお前えええ!?」
『あはは! じゃあね!』
 悲鳴をあげるくるりを置いて、胸の気配はすっと静まる。恨みがましく怒りの声をぶつけるくるりの肩をなおも抱きながら、氷月は唇を吊り上げた。
「おっと! こっちは……ゲートの近くかな? 気配の数が多いね?」
「……ひ、氷月さん、助けてぇ!」
「ウンウン、ちゃーんと離れないでねくるり、守れなくなるから」
 時々悪魔のようにも見える氷月が今だけは救いの神に見える。ぶんぶんとくるりが強く頷く気配だけ感じながら、氷月は縋りついてくる少女の肩を引き寄せ、空いた片手で石を放った。か弱そうな少女に手を伸ばしていた影が慌てて手を引っ込める。
「んっふふ、ダァメ。|影《アンタ》にはあげないよ」
 こんな面白そうなピンチを男が見逃すはずがない。そして、少女もまた、今は彼だけの玩具だ。

チェスター・ストックウェル
ヒュイネ・モーリス

「薬屋さん、そこにいる?」
「はいはーい、ここだよ」
 夕昏が二人を飲み込んでも、彼らは平常運転だ。チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)の声に、ヒュイネ・モーリス(白罪・h07642)は抑揚のない返事をかえす。ひらひらと手を振る余裕さえあった。死体の心臓に鼓動を取り戻させるには、この程度のサプライズでは少し刺激が足らないのかもしれない。
 その声で場所を探り当て、ちょうど都合よくヒュイネの手が掴まれる。手を握って逃避行かしらんなんて戯れ言みたいなことをヒュイネが考えている間に、身体が浮き上がった。
「──みゃっ」
「風船のお礼さ。君は目的地までゆっくりしててよ」
 ヒュイネの鳴き声にチェスターは小さく笑った。ただのおんぶではある。けれど、自分より大人であろう彼女がそれだけで幼子になったみたいで、少し愉快な気持ちになった。亡者である二人に、年の差なんて無意味でしかないというのは、一旦置いておく。
「……いきなり大胆だなあ」
 視界が閉ざされたことよりも、ある意味サプライズだ。年頃の乙女なら鼓動が激しくなるほどときめくシチュエーションには違いないけれど、ヒュイネの心臓は少し固い。ぐっと体重を少年の背に預け、寄りかかるようにして、悪戯っぽく微笑んだ。
「あんまり背中は意識しないでね?」
「……っ、そういうことを言うから……!」
 背から伝わる、やわらかな感触。それを意識させる動きに、思わずチェスターの背が動揺で揺らぐ。初心な反応にヒュイネは瞳を細めた。目には目を、歯には歯を。悪戯心には悪戯心だ。ああ、それでもちゃんと、少年は彼女を落とさないようにしっかりと腕を回して背負い直してくれる。

 気を取り直してg-Phoneを取り出す。音声でこちらのやりたいことを認識してくれるなんて便利な時代だ。大いにありがたみを感じながら、チェスターは方位磁針のアプリを開く。南を向いた時にバイブレーションで知らせてくれるように設定を済ませ、ポケットの中に入れた。
「よし、それじゃあ行くよ」
「うん、安全運転でよろしく~」
 チェスターはとんと軽く地を蹴る。ふわりと身体が宙へ浮かんだ。近づく影があれば霊震で影たちの動きを封じるつもりだったけれど、彼らの中で空を渡る客は想定されていないのだろう。ほとんど快適な空中散歩になっていた。
 アプリを頼りに方向を決めて空中を渡り、時々地面に足を付けてはまた空中へ。障害物は纏っている霊気でなんとなく存在を感じ取り避けていく。何も見えない闇の中だと言うのにチェスターの動きに淀みはなく、ヒュイネは彼の言う通りにのんびり身体を預けている余裕すらあった。明らかに手を出しあぐねている影たちの気配を感じ、チェスターは飄々とした笑みを浮かべる。
「悪いね、|幽霊と死体《俺達》は日が落ちてから忙しくなるんだ」
「そもそも、お化け屋敷なら割とわたしたちの領分だしね」
 驚かせるには相手が悪かった。それに尽きるのだろう。

 ルーチンワークの様に方向確認と休憩を済ませ、再び地を離れたチェスターはふと違和感に気付き、首を傾げた。
「ねえ、そういえばさ……薬屋さんってこんなにあったかかったっけ?」
「……だから、意識しないでってば」
「ふうん?」
「ほら、次どっちに行くか方向確認して」
 そう言われれば深く追求することでもない。出口探しに集中するチェスターの背でヒュイネは姿勢を直した。予防として、より気配を消せるように──そう発動した【高鳴り】ではあるけれど、“鼓動”の副作用は打ち消せない。誤魔化しが効いたのは僥倖だ。
 そうして何度か飛行を繰り返していく内にすっかり二人はこの移動方法に慣れつつあった。何も見えない中だと言うのに、じんわりと冷ややかな夕闇の風に心地よさを感じる心の余裕すらある。チェスターは猫のような金色の目を細めた。
「幽霊の背中で楽しむ空中散歩、アトラクションにしたら人気が出そうだと思わない?」
「アトラクションにしてはとんでもない労働になるんじゃない? 背負うのはわたしくらいにしておきなよ」
 そんな戯れ言だって言うくらいに。けれど残念ながら、このアトラクションが遊園地で流行る日が来ることはなさそうだ。

第四世代型・ルーシー

「遊び……いや、調査の時間はここで終わりみたい」
 夕闇の訪れと共に鳴る不審なアナウンス。それから閉ざされた視界。突如として訪れた怪奇現象であったが、第四世代型・ルーシー(独立傭兵・h01868)は冷静だった。
「出口ゲートに向かえばいいんだね、マスター」
 それは彼女が元・駒であり、生粋の軍人であるが故なのだろう。目標を確認する少女の声はいつもと変わらず軽やかだ。
「ああ。此方でも映像情報の受信が阻害されているが……熱源を辿っていくと、園内にいる√能力者は南に向かって移動を開始しているようだ」
「了解。じゃあWZを呼ぶよ」
 遮断されているのが視覚・映像に纏わるものだけだったのが、彼女たちの幸いであった。ルーシーの信号をキャッチしたウォーゾーンが、空を舞い、瞬く間に少女の身体を掬い上げる。白く細身のボディが夕暮れに浮かぶ様は、まるで細身の白鳥が夕空を飛ぶようだ。ルーシーはそのままコックピットに乗り込み、各種機能を起動させる。火器管制レーダーやレーザードローンであれば、視覚情報など関係がない。と言うより、そもそも向かってくる敵もほとんどいないようだ。巨大な機械の出現に影たちは揃って動揺しているらしい。ウォーゾーンの足元で、彼らが不安そうに蠢いているのが分かった。
「これって、弱いものいじめになっちゃうのかな?」
 ルーシーの問いに、マスターはややあって肯定を返す。
「元は民間人なのかもしれんな……。ルーシー、必要以上に交戦はしなくていい」
「分かったよ、マスター」
 向かってくる敵がいれば弾幕のひとつやふたつ降らせるつもりだったが、どうやらそこまでの脅威ではなかったようだ。なんだか肩透かしを食らった気がして、ルーシーもマスターの言葉に苦笑いを返す。
「とは言え、本命の怪異の方はこう簡単に制圧はできないだろう。備えておけよ、ルーシー」
「はーい。じゃあ、出口に向かうね」
 後はウォーゾーンに任せて、コックピットの椅子に凭れかかる。もう少し遊んでおけばよかったな、なんて欠伸を漏らしながら、ルーシーは暗闇をただ見つめていた。

物部・真宵
神花・天藍

 宵色の帳が数瞬の間に二人の視界を遮った。瞬きを繰り返しても何も映らない深い黒色の中で、物部・真宵(憂宵・h02423)は恐る恐る、輪郭も曖昧な手を伸ばす。
「天藍様……いらっしゃいますか……?」
「ああ、いるよ」
 自らを求める指先。見えずとも、神花・天藍(徒恋・h07001)がそれを見失う筈はなかった。
「ああ、よかった……」
 天藍が真宵の手を取れば、安堵のため息が聞こえてくる。掌から伝わってくる温度はほんのりと温かい。そもそも禍つ者の気配に鋭敏な彼女のことだ、きっと今胸中は不安に満ちていることだろう。
(──我の手は冷たいゆえ、心を温めることなどできぬだろう)
 だが、今この手を繋ぐことで真宵の心が少しでも晴れるのであれば。そう思い、天藍は再びしっかりと真宵の手を握り直した。控えめながら、真宵の方からも握り返す力を感じ、天藍もどこか慰められたような気持ちになる。
「視界を奪われてしまったようですね……」
「ああ。どうやら銀嶺も同じようだ」
「ええ、クダたちも同じです」
 滅多に存在に干渉されることなどない管狐たちにまで影響があるとは。動揺を顕わにして周囲をぐるぐる回るクダたちを手探りで慰めながら、真宵は辺りを見回した。
「出口ゲートは確か南側だったはず。……ひとまずそちらに向かってみませんか?」
「ああ。彼奴らにも捕まらぬようにな」
「……え」
 ぱちりと固まる身体。そこで彼女は気付いてしまう。いと深き影の気配──それらが二人に手を伸ばし、今にも同じ底まで引き込もうとしていることを。光も見通せない程の深い闇のおそろしさにようやく気が付いてしまった真宵の掌を、ぎゅっと華奢な掌が包み込む。
「真宵、大丈夫だ。我が傍にいる」
「……天藍様」
 闇の中でもなお彼の声は凛と響き、それだけで胸中が晴れるようだ。真宵はしっかりと頷いた。
「ありがとうございます。出口へ、進みましょう」

 天藍の力は視力に依存するものではないが、視覚を奪われるのは天藍にとっても初めての経験だ。むやみやたらに発動してしまえば、傍らにいる真宵の身体ごと傷つけてしまうだろう。とりあえずで試してみるには危険な賭けである。
「──舞い踊れ、いと冷たき氷の華。遮る者には淡き光を」
 小さく口ずさむ音は、揺蕩う雪を呼ぶもの。永久の冬をやどす者として、自らそのものとも呼べる雪は、ひと粒ひと粒が天藍の一部となって触れたものの位置を伝えてくれる。
「我が導こう。ゆくぞ、真宵」
「はい、天藍様」
 しんしんと降り積もる粉雪の中を、二人は手を繋いで歩き出す。視界が晴れていたら、夜空の下に振る白い雪はきっと美しい光景であっただろうが、今は見れないことが少し惜しい。
 そうして出口に向かって歩き出した彼らに──影は悲し気に囁く。いかないで、冷たいよ、たすけて、まだ一緒に遊びたい。どこかつたない影たちの声に、真宵の足がふっと止まった。軽く手を引かれる形で、自然と天藍の足も止まる。
「真宵。どうかしたのか?」
「天藍様、あの──あの影たちを、狐火で別のところに誘導することはできないでしょうか」
「誘導?」
 何故そんな手間を掛けるのだろう。粉雪は見えないものを探り当てるだけではなく、敵をそのまま凍てつかせて足を止めることも出来た。このまま進んでいけば、出口までは十分だというのに。
 そんな疑問が声音に出ていたのだろう、真宵は謝罪を小さく口にしながら杖を取り出した。|蒼灯杖《フィザリス》と名の付いたその杖は、闇の中でもさえざえとした青い火を灯している。
「……無謀、でしょうか。遊ぼうと口にする者を攻撃するのはどうにも心苦しくて……」
 遊園地に囚われた影が誰だったかなんて、今の真宵には分からない。けれど、きっと幼い子なのではないだろうかと思った。楽しい夢のひとときを忘れられなくて、そのまま永遠に囚われてしまった子どもたち。だから、影たちは仲間を求めて手を伸ばそうとするのではないか。
「もし見えるようになって倒れているのが子どもだったら――きっと、後悔する」
 真宵の言葉に、天藍は目を瞠った。
「まさか……真宵はあの者達を救いたいのか。害そうとしておるのに……」
「はい。やってみなくてはわかりませんけれど」
 すみません、と付け足す真宵の表情を、今は見ることは叶わない。けれど、その瞳はきっと美しい色をしているのだろう。静かな決意で満ちたルール・ブルーの水面は、風にも揺るがずただ澄み渡っているのだろう。
「……よい」
 暫く目を閉じて、天藍は頷いた。
「真宵が決めたのであれば我はそれに添おう」
「……! ありがとうございます」
 見えていないと言うのに、つい条件反射で礼儀正しく頭を下げてしまった。しかし真宵の誠実さは天藍にも分かっていることだ。ひらりと手を振り応え、粉雪をただの探知へと当てる。
 そうしてやわらかな雪がふわりふわりと降る中、真宵は天に向かって真っすぐに杖を掲げた。
「東南の方角から来るぞ、真宵」
「はい、分かりました!」
 夕昏にひときわ輝く灯火に惑わされてくれますように。そう祈りを込めた灯火を解き放てば、いっそう鮮やかな青色が軌跡を描きながら夕暮れのあわいを裂いていく。その輝きを直接見守ることこそ叶わないものの──いつまで経っても、あの声はもう聞こえてこなかった。
 胸をざわつかせていた気配はいつの間にか消えていて、後は出口まで急ぐのみだ。二人は頷き合い、今度こそ南に向かって、しっかりと歩き出していく。

ベルナデッタ・ドラクロワ
廻里・りり

「えっ……」
 少女の動揺はたちまち宵闇の静けさに飲み込まれる。ノイズがかったアナウンスが園内に響いたと思えば、変化は一瞬の内に訪れた。視界が閉ざされる。自己認識すら曖昧になる暗黒に閉じ込められて、廻里・りり(綴・h01760)はあっという間に孤独に蝕まれた。何も見えない、ベルちゃんはどこ? 青い瞳は何の光も捉えない。
「な、なんにも見えない……」
「遊ぼうよ、一緒に遊ぼう。ずっと一緒にここにいて」
「ひっ……だ、だれ!?」
 暗黒から手を伸ばしてくるのは。知らない影の気配だ。きゅっと身が竦んだ。大きな耳を塞いで、このまま逃げ出したい。だというのに、身体は言うことを聞いてくれなかった。
「こわい……こわいよ……っベルちゃん、……ベルちゃん!」
 必死に親しい名前を呼ぶ。救いを求めて差し出された手は、けれどすぐに何かによって包み込まれた。冷たくとも温かくて、固くともやわらかかい、滑らかな陶器の手触り。ベルちゃんのいつものやさしい手だ。
「──ベルちゃん!」
「りり、りり。大丈夫、ここにいるわ」
 表情は見えないとわかっているけれど、ベルナデッタ・ドラクロワ(今際無きパルロン・h03161)は微笑みを浮かべた。彼女にとってはどこか懐かしい光のない闇も、りりにとっては恐ろしいものでしかない。存在を伝えるように少女の手をしっかりと握り返せば、りりの手からすぐに安堵が伝わってくる。
「さあ深呼吸をして。走るのよ」
「……っ、はい!」
 怪異はまだ世界まで塗りつぶすことはできない。だから出口がある筈だ。咄嗟に解き放った魔法の蝶も、世界が儘あることを教えてくれている。
 揺るぎないベルナデッタの言葉に、りりは滲んだ涙を空いた手の裾でぎゅっと拭った。

「こっちは楽しいよ」
「まだ遊ぼうよ。ひとりは寂しいよ……」
 二人の繋いだ手を引き離し、宵闇へと引きずり込もうとする影たちは、湿っぽい声で執拗にベルナデッタとりりを呼んだ。
「ごめんなさいね。ワタシ達、あなたと一緒にはいてあげられないの」
 ベルナデッタは毅然とした態度で誘いを退ける。どうしても退けてくれない時は、魔法の蝶の鱗粉が影を蝕みどろりと存在を溶かしていった。彼女の足元にいる黄昏も、親しい友を守るために、自分と同じ影と向き合い振り払ってくれている。
「りりを置いてもいけないもの」
「ベルちゃん……」
 やさしい彼女のことだ。きっと、本望ではない形で悪夢に囚われた人影たちにも思うところがあるのだろう。しかし、今、ベルナデッタは手を引いてそれらの恐怖からりりを遠ざけてくれている。りりを守るために。
 じんわりと胸が温かくなって、りりはきゅっと自らの胸を抑えた。まだこわい気持ちは残っている。けれど、いつも隣にいてくれるみんながいれば、きっと大丈夫だから。
「──どうか、その旅路のはてにしあわせがありますように」
 少女の気持ちは祈りとなって、暗い世界に花が降る。楽しい思い出、いとおしい時間。それらを形にするように、花は淡く光る花弁となって影たちに降り注いだ。やわらかな花弁が頬に触れ、あまい匂いに満たされる。
 ベルナデッタは見えないけれど、全部聞こえていた。花弁の香りと、幼い少女が鼻をすする声。小さな決意と共に響いた祈り。きっと大丈夫、そんな囁き声と共に降ってきたものは、見えないけれどきっと優しい色をしていた。
「恐怖とはもう違う心の色ね」
「はい……ベルちゃん、ありがとう」
「ええ、いいのよ。優しい香りね、りり」
「こわいなら、こわくないものを呼べばいい。そう思って」
 ベルナデッタの言葉にりりははにかむ。ただ寂しいだけだった影たちは祈りの込められた花にどんな色を見るのだろう。それが傷つけるためだけのものでないことが、伝わってくれたらいいと思った。
「さあ、出口に急ぎましょう」
「はい!」
 少女たちは手を取って駆け出す。黒い帳を振り払ったらその向こうにはどんな色が見えるのか、自らの目で確かめるために。

咲樂・祝光

「突然暗くなったな、ミコト。夜か?」
 咲樂・祝光(曙光・h07945)もまた、周囲の違和感に気付き首を傾げた。招き寄せた猫の手触りは、変わらずふかふかしている──ものの、あまりに何も見えない。そこでようやく、祝光はこの現象が何らかの異常であることに気が付いた。
「まて、これは罠か」
 迦楼羅と龍神の血を引く祝光だから、大抵の悪意は影響すら寄せ付けないけれど、今回は夢の中というのが原因なのだろう。奪われた視界は厄介なものだ。何も見えない、ただそれだけで、取り残されるような不安に駆られる。
「ミコト、いくよ」
 猫から返事はない。しかし祝光は構わず歩き始めた。周囲からは何だか怪しい気配を感じる。囲まれる前に、さっさとこの場を離れた方がいいだろう。きっと、行くなら出口のある南だ。
「勘だけど、こっちが南な気がする」
 とりあえずで方向を決めてみたが、こういう時は動物の勘の方が鋭利なものではないだろうか。先ほどから無言のミコトから情報を得ようと名前を呼ぶ。ただし返事がない。よく耳を澄ませば、すやすやと寝息が聞こえてきた。なるほど、愛猫にとってこの闇は恐ろしいものではなく、都合のいい布団の中のようなものらしい。
「……。はい、俺が頑張るよ!」
 すっかり拍子抜けして、流石のミコトも自らの不憫さに苦笑いしか出てこなかった。

「───櫻禍絢爛、咲麗。光のどけきひととせに、華と寿ぎ咲き誇れ」
 ひととせを巡る言祝ぎを紡げば、この場は祝光の神域だ。花吹雪が舞い、光に溢れる世界を今の祝光は認知できないけれど、たしかな安心感がある。その思いに導かれるまま護符を放てば、影はふわりと闇に還る。
「どうして一緒に来てくれないの? まだ遊ぼうよ」
「うん、ごめんな。俺は君たちとは一緒に行けないんだ」
 じりじりと距離を詰めながら、こちらを誘う影の声に表情を曇らせる。追い縋るような声がどこか切なく、迷子になった時のようにきゅっと胸が苦しくなった。否、この影たちはずっと迷子なのだ。
「遊びの時間はもう終わりなんだ」
 再び護符を放ち、道を拓く。結界で身を守りながら、影たちの間をすり抜けるように空中を素早く駆けていく。
 胸中に満ちた寂しさを振り払い、祝光はひたすらに前を向いた。影に囚われている暇なんてない。出口まで行けば、きっとこのモヤモヤも晴れるはずだ。

クルード・バドラック
ラナ・ラングドシャ

「な、なになに!? 目が見えなくなっちゃった!?」
「うおっ、マジか! 俺も見えなくなっちまった!」
 ラナ・ランドグシャ(猫舌甘味・h02157)の声にクルード・バドラック(狼獣人の鉄拳格闘者・h08251)も自らの目を擦った。しかし、視界は一向に晴れない。先ほどまでの明るい遊園地がウソのようだ。自分の足元が覚束なくなるほどに、何の景色も見当たらない。
「クルード、いる?!」
「俺はここだ、ラナも無事か?」
 うん、と小さな肯定が返ってきた。クルードはほっと胸をなでおろす。簡単に死ぬような猫ではないと信じているけれど、つい存在すら不安になる程の深い闇だ。
「ねぇキミ鼻とか効かないの?! 狼なんでしょ!?」
 クルードの内心の心配をよそに、ラナは叫ぶ。
「なんか、こう、出口の匂いとか嗅ぎ出してよ~~!!!」
「匂いで出口を?  出口の匂いってなんだよ!?」
「出口は出口だよ~~! って、うにゃー!!? 誰!? ボクの自慢の尻尾触らないで~~!!!」
 繊細な心配はこの少女には無用らしい。猫は暗がりでも目を凝らす生き物ではないのだろうか。ぎゃあぎゃあにゃあにゃあ騒がしいラナに、クルードは浅く息を吐いた。
「やってみっけど、あんま期待すんなよ!」
 それでも少しはこの状況を打開することに繋がるのであれば。そう思い、クルードは目を閉じて他の五感を澄ませる。感じるのは、衣擦れのような、ささやかに何かが動く音。こっちで遊ぼうと囁く、か細くつたない誰かの声。
 クルードはすぐに察する。この遊園地を徘徊していた人影の声だ。
「大変だ、ラナ! このままだと俺達も襲われるぞ! 逃げろ!」
「え~!」
 クルードから事情を聞くと、ラナは尻尾の毛が逆立つほどに慄いた。
「どうしよう! このままだと僕たちも犠牲者の仲間入りだよ~~!」
「ああ、どうする? このままだと走って逃げるしかねェけど……」
「せめて空へ逃げれたら目が見えなくても何とかなりそうなのに……!」
 その時、一瞬会話が止まった。
「……! ボク飛べるじゃん!」
 ラナの脳内に差す、一瞬の光明。
「|変幻自在の猫変化《ねこねこどろんチェンジ》!」
 空を舞う姿へ。念じて力強く唱えれば、一瞬でラナの身体は思い描いた姿へと変わる。髪色と同じ、たまごのように黄みがかったラングドシャ・カラーの羽。鳥のような翼を持つ、ふわふわの大きな被毛竜だ。
「なんだお前、変身なんてできんのか!」
「クルード、乗って! 空に逃げるよ!!」
 目にこそ映らないが、近くにいる存在がぐっと質量を増したことはクルードにも感じられる。
 ぶわりと、一呼吸するように翼が大きく羽ばたいた。その風圧に、こちらへ近づこうとしていた影たちも手を出しあぐねているようだ。これは好都合だとクルードは大きく手を振る。
「おい、こっちだこっち! 拾ってくれ!」
「オッケー!」
 風の方向を頼りにクルードがラナの身体にしがみつく。しかし、影たちも諦めてはいなかった。空まで逃げられてしまう前に、なんとか同じ場所まで引きずり込まなくては。その指先はクルードを捉え、込められた力は執念にも感じられる。
「こっち来んなよ、危ねェぞ!」
 クルードも負けじと足を獣の姿へと変じさせて、影を踏み、思いきり蹴り飛ばす。その勢いが追い風となって、ラナはひと息に空へと飛びあがった。顔に力強く夕暮れの風が吹き付けてきて、爽快感にクルードは口角を上げる。
「ヒューッ! 気持ちいいな! おいラナ、もっと進め進め!」
「うん! このまま飛び続けよう!」
 どこへ飛んだらいいかは分からないけれど、いつかは目が見える所へ辿り着く筈。こうして、クルードとラナのドタバタ劇のような空の旅がはじまるのであった。

ララ・キルシュネーテ
詠櫻・イサ

 不穏なアナウンスと共に、辺りは闇に閉ざされる。ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は幼子の無邪気さの儘に、小さく首を傾げた。
「あら、もう日が暮れてしまったの? 真っ暗で何も見えないわ」
 遊園地って時間が経つのもはやいのね。そう零すララは、これらもアトラクションの一環なのではないかと思っているのかもしれない。それ程までに、どこかのんびりとした声色だ。
 一方の詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)は、気配の変わった遊園地にすばやく周囲を見回した。何も見えないけれど、そこには何かがいる。気配が感じられる。
「……違う、ララ! 暗くなったんじゃなく俺たちの視界が奪われたんだ」
「むきゅ、ではこれは遊園地の罠ということなのね」
 イサは罠に掛けられた自分自身に舌打ちをひとつ打つ。握っていた少女の手を、傷つけない程度に握る力を強める。ほんのりと暖かい神の掌は、彼に成すべきことを教えてくれていた。──彼女を絶対に傷つけさせない。どんな闇でも、ララという光を失わせてはならないと。
「イサ、お前はそこにいるのね」
「ああ、いるよ」
 イサの存在を繋がれた手越しに感じ、ララはそっと微笑む。彼の手はひんやりとしていて、こんな闇の中でさえ少女に路を示してくれていた。それだけで、心から大丈夫だと信じられる。
(だって、イサはララを1人になんてしないもの)
 互いの存在があれば、この異常な暗闇の中でも、決して恐ろしくは無い。

「行くぞ、ララ。離れるなよ」
「ええ。……花人形、おいで」
 イサに手を引かれながら、ララは花を呼ぶ。その姿は今の少女には分からないが、祝福の気配を感じて微笑んだ。きっと夏の花だろうから、彼女は向日葵辺りだろうか。
「花人形。南を教えて頂戴」
 花人形はララの願いに応え、花の香りで二人を導く。周囲を警戒し、神経を尖らせて闇を睨んでいたイサは、届いた匂いにふっと表情を緩ませた。ララの纏う花の香りにも似た甘い香りは、イサにも安心感を与えてくれる。
「こっちだな。分かった」
「その後もよろしくね、花人形。ララのかわいい護衛が迷う事のないように」
 向日葵の花は項垂れながら、少女の言葉に微笑んだ。ひとつ願いが終われば散る花だけれど、迷った時はいつでも彼女たちが導いてくれる。

 影は出口まで纏わりつくつもりのようだ。歩き始めた二人の傍にも気配を感じ、ララは目を細める。
「影がいるわね」
 いつもなら迦楼羅焔を放って追い払う所だが、ここは先ほどまで自分達を楽しませてくれていた遊園地。苛烈な炎がすべてを焼き尽くしてしまうのは、ララの本意ではない。
「イサ、お願いするわ」
「ああ、勿論」
 地に蔓延る影は冥海の奥底を知るイサの敵ではない。冥海ノ泪で呼び出された触手は暗がりの中でもイサの思うが儘だ。ひと息に影を牽制し、力強く薙ぎ払っていく。
「遊びの時間は終わりだよ」
 見えないなら全部飲み込むまで。大振りな触手の動きをかいくぐって近付ける影は居らず、波を割くように路を無理矢理拓いていく。そこに居るのかもわからないが、ララに近寄るものがあってはならない。イサの思いに応え、触手は影を押さえつけ、時に飲み込んでいく。
「ララ、大丈夫か? 疲れたなら抱えてやるけど」
「大丈夫だけれど……抱えてくれるなら甘えてしまおうかしら」
 冷たい手が恭しく聖女の身体を持ち上げ、包み込んだ。他のものであれば恐ろしいはずの闇はひどく優しくて、暖かい。まるで揺り籠のようなやさしい感触にララは微笑んだ。
「こんな闇、慣れてるからさ。安心しろ」
「ええ、信じてるわ。イサ」
 言葉通り、イサは確かにこんな闇、怖くもなんともないのだろう。だが、ララが怖くないのはイサのおかげだ。あなたがいるから、大丈夫でいられるの。
 小さな手が労わるようにイサのさらりとした髪に触れ、そっと撫でた。

狗狸塚・澄夜

「一時の夢は覚め、後には蟠る闇のみが広がるか」
 狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)は薄い水鏡の瞳に闇を映し、小さく呟いた。ここから先は夜。犠牲者たちの悲しみと共に、現を飲み込もうと、更なる深い夢が来訪者たちへと降る時間だ。
「……最早名を知ることすら叶わぬ犠牲者達よ。私を許さなくて良い。ただその無念と共にゆこう」
 闇の中で蠢く気配を感じ、澄夜はじっとそれらを見据えた。静かに落ちる声に応えるように、影たちはつたなく寂し気な声を響かせる。
「一緒に来て、遊んで」
「悪いな。其方に行くつもりはない」
 崩域・弄梅雪月──澄夜が神域を展開すると、毒を纏う花がひらひらと空から零れ落ちる。花弁に触れた先から、白く塗りつぶされた影が闇へと返っていく。合間を縫って、澄夜は妖を呼んだ。
「終夜、月白、火車、濡羽。どうか我が目の代わりとなっておくれ」
 出口は分からないが、妖たちなら何か見えるかもしれない。了承と共に飛び立った妖たちを見送り、澄夜はしんしんと花を降らせ、影を無に帰していく。
 闇を恐れたのは過去のこと。もう男は搾取されるだけだった「あの頃」とは違うのだ。まるで冷たい雪のように、花には降り積もる音もない。

「戻ったか」
 程なくして妖たちが集めてきた情報を、今度は阿頼耶老に纏めて貰う。どうやら、妖たちにも盲目は作用してしまうらしい。しかし、霊気や他の感覚を頼りにして情報を拾っていく内に、ひとつの方角が示された。澄夜が狙いを付けていたように、闇がより阻む方角には出口ゲートがあるようだ。
「何、南? ……連れていってくれ」
 妖たちに導かれながら、澄夜は闇の中を歩み出す。男が恐れるものはそこにない。ただ、使命として、甘やかな夢へ最期を与えるために。

第3章 ボス戦 『オネイロス・メリー』


●おかえりの時間

 どこからかゆったりとしたメロディが聴こえてくる。
 可愛らしい音色はオルゴールのよう。小さな星の夢を奏でる音色は、やがてゆっくりと錆びついていく。ノイズがかったメロディに混ざり、またアナウンスが聴こえてくる。

──楽しい一日をお過ごしいただけましたでしょうか。

 遊園地は願っている。例え遊具が錆びつこうと、すべてが眠りにつこうとも。訪れた人々に夢のような時間を、楽しいひと時を与えたくて仕方がない。

──本日はご来園、ありがとうございます。ご来園ありがとうございます。ありがとうございます、お帰りの皆様はしばらくお待ちください。

 アナウンスに合わせて、影がゆらりと揺れている。否、そうではない。皆、帰り道を見失い肩を震わせて泣いているのだ。楽しいばかりの夢の中、この時間だけはどうしても夢の終わりを思い出す。帰りたくないのに帰らないといけない、帰らないといけないのに帰り道がない。どこにもいけなくなってしまった彼らは、新しい仲間を増やすことでしか隙間が埋められない。

──帰らないで、ここにいて。楽しい夢をあげるから、終わらない幻を見せるから。

 そうして廃遊園地の無念に巣食い、甘い言葉で犠牲者を誘い込んでは帰り道を奪うことで世界にいっそうの絶望を生む──それがこの悪質な怪異の正体だ。
 ふわりと甘ったるいシュガーピンクのフリルが揺れる。絵本の挿絵を切り貼りしたようなドレスに、夢食いバクのメリーゴーランドがころころと楽しげな音楽と共にくるくる回り続けている。
 お姫様のような形の怪異── オネイロス・メリーは影を踏み潰し、カーテシーと共にふわりと舞台へ降り立つ。
 もしあなたが怪異の誘いを否定するのなら、怪異は己の力で以て悪夢へ取り込むことを辞さないだろう。悪夢を拒むのなら、強い意志と自らの力で誘惑を跳ね除けなければならない。

 視界はいつの間にか晴れている。空はすっかり藍色に染まり、遠くで星が瞬いていた。あなた達は怪異を見上げ、決意を固めるだろう。
 そろそろ、甘い夢も終わりの時間だ。
メイ・リシェル

 シュガーピンクのフリルが揺れる。メイ・リシェル(名もなき魔法使い・h02451)は杖を強く握りしめながら怪異を見上げた。
「あなたが人の帰り道を奪ってたんだね」
 静かな声に応えはない。怪異は瞳を閉ざし、ただ訪れるものに虚ろな問いかけを──幸せな夢を見続けようと、繰り返し投げかけるばかりだ。だから、メイは戦うことを選ぶ。幸せな夢も、いつか必ず終わらせなくてはならない。怪異の誘いにこれ以上誰かが惑わされないように。メイは静かに決意を固めた。
「ボクはあなたと一緒にいるつもりなんてない」
 敵と定めた怪異を正面に見据え、メイはとんと後ろに跳ねながら杖を構えた。敵から距離を取った所で、素早く詠唱を唱える。
「だから……最初から、全力だよ」
 杖を振るい、放たれる火は赤々と怪異を焼く。詠唱が短い分、火は少ないがそれでも怪異の注意は少年へと向けられた。ゆっくりと首をかたむけて、焦げたドレスの裾をふわりと揺らせば、虹色の雲が辺りに漂う。
「あれ……なんだかマズそうかも」
 こちらにふわふわと向かってくる雲から距離を取るべく、メイは一旦詠唱を止めると後ろへ駆けだす。火はその場でぱちんと弾けてしまうが、素早い判断が功を奏したのか雲はメイのところまで近づく前に霧散した。虹色の雲は広い範囲をカバーできないようだ。とは言え、離れすぎてはメイの魔法の炎も届かない。
「だったらお返ししてあげる」
 もう一度怪異の近くまで飛び込むと、詠唱を紡ぐ。ただし、今度はすぐに攻撃する訳ではなかった。1つ、2つ──小さな炎がメイの周りで数を増やしていく。しかし、立ち止まった獲物をみすみす逃がす程、怪異も甘くはない。

 漂う虹の雲が見せるのは、甘い誘惑の幻。光の粒がきらきら瞬いて、弾けて、砕けた流星のように散っていく。それはまるで、春の終わりに降る桜の花びらのよう。ひらひらと風に吹かれて少しずつ形を失っていく春は、とても美しい光景だけれど、どこか切ない。季節が巡るのは当たり前のことなのに、急に留めておきたくなった。居てもたってもいられず、メイはつい、ひらりと舞うきらめきのひとつに手を伸ばし──
「わ、っと。いけないいけない」
 慌てて杖を握り直した。ぐっと力を込めて振り下ろせば、足の爪先に痛みが走る。甘美な幻にぶわりと冷ややかな痛みが流れ込んできて、メイは辛うじて理性を取り戻した。少年の杖はかわいい見た目だが、ちゃんと鈍器にもなる優れものだ。負けじと炎を飛ばす。忍び寄る雲の一つが炎にぶつかり弾けた。きらきら光る虹色の粒は怪異にも降り注いだが、あまり効果はないらしい。ならばと躊躇わず、メイは前へと駆け出す。──この杖が鈍器としても優秀であることは、まだじんと痛む爪先が証明していた。
「あなたの願いは叶わない。ボクの他にもたくさんの人がきてるからね」
 宣言と共に、大きく杖を振り下ろす。怪異は鈍い痛みに悲し気に身をよじらせた。
「ボクたちは負けないよ」
 少年の言葉に応えるように、能力者がまた一人、怪異の下へと飛び込んでいった。

雪月・らぴか

「おおお、やっとでてきたね! さっきのオルゴールとかアナウンスとか、結構いい恐怖演出だったよ!」
 ようやく晴れた視界の先、現れた怪異に臆することなく、雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)はパチリとウィンクを送ってみせた。怪異はゆるやかに首をかしげる。
「逃がさないためとはいえ、楽しませてくれるよね! でもでも、こういう楽しいところは時々来るからいいんだよ!」
 ホラーな現象も、いつも同じように起こっていては刺激にならない。それと同じ様に、遊園地もまた、日常の中に非日常と言うスパイスを注いで、日々をもっと彩る為に存在する場所だ。
「ずっといるのは飽きちゃうんじゃないかな? だから、帰るよ!」
 らぴかの瞳に曇りはなく、いつだってその意志はまっすぐだ。少女は力強く大地を蹴ると、ひと息に怪異の懐へ飛び込んでいく。怪異はふわりと首をかしげ、また一人、己の願いに応えてくれない存在を知る。
「よいしょーっ!」
 氷雪を司るらぴかが纏う霊気は、触れただけで空気中に霜が降りるくらい、とびきりの冷たさだ。怪異の反応速度より速く、体内を巡る冷ややかな霊気を拳に集中させ振るう。1体だけでも厄介な怪異だ。√能力によって幻を召喚させる隙を与えないよう、らぴかは止まることなく連撃を繰り返す。
「あんまり動きは早くないみたいだねっ! 私についてこられるかなっ?」
 ひとつひとつの攻撃は、ふんわりやわらかな虹色の雲に絡めとられる。怪異の瞳は眠るように閉じられたまま
だけれど、ドレスが重たいのか緩慢だ。受け止めるのに手いっぱいなのを感じ、ならばとらぴかは更に腕に力を入れて、呼び出した魔杖を勢いよく振り回す。
「まだまだ行くよー!」
 雲は杖で振り払い、鎖が怪異の身体を捉え、斧が割く。変形惨撃トライトランスと名付けた通り、血のようにどろりと濃い桃色の液体を零す怪異の姿は惨劇のように哀れなものだ。スプラッタ映画の主役となったらぴかはにこりと口許に笑みを浮かべる。
「どーだ! これなら召喚する隙もないよね!」
 ──とは言え、この怪異はどんな幻を見せてくれるのだろう? それはらぴかの大好きな苺のように甘い幻だったりするのだろうか。ふとそんな空想が脳裏を過ぎりながらも、らぴかが攻撃の手を止めることはなかった。

戀ヶ仲・くるり
雨夜・氷月

「楽しい夢を見せてくれるんだって、くるり」
 甘い誘いを繰り返す怪異を冷ややかに見上げた後、雨夜・氷月(壊月・h00493)は傍らの戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)を見つめた。青い瞳が少女を映して三日月のように細められる。
「どうする?」
 問いを投げているのは“味方”である筈の男なのに、なぜかあちらの怪異と同じ悪夢から声を掛けられているような、どこか底冷えのする声だ。それは本質として、彼があちら側に近い存在だからなのだろう。答えの如何によっては、何かが大きく変わってしまうような。軽やかな筈なのに、氷月の問いかけはまるで運命すら変わってしまいそうな悪魔のそれのように響く。
「えぇ? 倒さないと出れない相手ですよ?」
 けれど呑気で危機感に鈍い女子高生は、垣間見える男の本質に気が付くことなく真面目に答えを考えていた。
「ここは夢、でしょう。楽しくても、夢なら……いりません」
 夢と知らずに連れてこられた場所だ。ここで感じた気持ちにウソはない。けれど、でもやっぱり、夢は夢だ。更にそれが悪意の上で与えられたものだというなら、楽しかった気持ちもどこか空しい。
「私、現実で取り戻して、楽しいって言いたいです」
 少女の瞳はまっすぐに男を見上げていた。
「んっふふ、それは結構!」
「わっ、なんですか急に! やめてください!」
 急にわしゃわしゃと頭を撫でられ、くるりが抗議の声を上げる。氷月は構わず、子犬を撫でまわすように少女の頭をやわらかく撫で続けた。そう、まさしく望んだ解答を出した小動物を褒めてやるような気持ちだ。
「大体、夢や幻、そんなものじゃ俺は満たされないしね」
 上機嫌に氷月は囁き、改めて怪異を見据える。
「でも、中身に興味はあるよ。|解剖《バラ》させてくれるなら、ちょっと遊んであげようかな」
「……。なんか氷月さんらしいなぁ。そのセリフ」
 目の前にいる怪異は絵本の挿絵のお姫様みたいに可愛い見た目だけれど、多くの人の命を奪ってきた恐ろしい存在だ。その筈なのに、氷月の態度からは少しも緊張が感じられない。くるりは呆れるやら頼もしいやら、複雑な心境になりながらも小さく笑った。このような戦いの場に出ることはほとんどない平穏な育ちだけれど、彼の隣ならなんとかやっていける気がする。
「あ、そうだ! 実は私、ちょっとだけ、戦えるようになったんです!」
 じゃじゃんと効果音を口にしながら、くるりは手で鉄砲の形を作ってみせた。人さし指を怪異へ向けて、高らかに声を上げる。
「見ててくださいね。……霊震!」
 ぱん、と何もないはずの指先から小気味の良い音が鳴る。けれど怪異は何てことのない様子で、ゆらゆらとファンシーなドレスの裾を揺らしていた。
「……あれっ、効果はいまひとつのようだ……」
 某ゲーム風の台詞を呟いて、くるりはぱちぱちと瞬きする。確かに力は放たれたような気がしたのだけれど。首をかしげて指鉄砲を見回したくるりは、ひとつの可能性に思い至った。
「そっかあの敵、実体ほぼない!?」
 真の使い手なら実体がない相手でも存在ごと衝撃を与えることが出来たかもしれない。しかし、くるりはまだまだひよっこの女子高生だ。そこまで強烈な振動を与えることができないのかもしれない。
 それにしてもたった1回の戦闘で、どうしてここまで大騒ぎできるのだろう。愉快な試行錯誤にくつくつと喉の奥で笑いながら、氷月は笑みと共に怪異を真正面に見据える。まなざしに宿る月が、甘やかな夢の主人を捉えた。
「――その献身、とても可愛らしいね」
 夢で誘い、人を誘う。健気な悪夢にとびきりのおまじない。壊れた廃材が軋んだ音を立てながら、怪異を引き裂こうと飛んでくる。その横で、再びくるりが指鉄砲を構えた。
「ええとええと、じゃあ、ピンポイントに狙うならぁ……!」
「おっと。くるり、危ないよ」
「ひゃ、わっ!」
 強く押され、くるりがたたらを踏む。空間を引き裂き現れたバクが爪を振るい、氷月が手にしていたメスがそれを弾いた。切り返した刃に怯み、バクは警戒しながら後ろに下がる。
「まったく。このコはあげないって言ってるでしょ」
「あ、ありがとうございます、……氷月さん、怪我はっ?」
 氷月はくるりに微笑みかけた。ひらひらと手を振り、無事を示す。
「んは、このくらい余裕」
「よかった……」
「くるりはもうちょい修行が必要そうだね? せめて護身くらいはできた方が良いよ」
 ほっと息を吐いている間もなく、飛んできたのは氷月のご尤もな意見だ。流石に命のやり取りの最中だからだろうか、意外と手厳しい。くるりも肩を落とす。
「じ、実戦はじめてで……」
「ま、いいよ。俺が守っている間にちゃーんと身につけなね、その霊震」
「……」
 本当にこの遊園地に拐かしてきた人物と同じ人物の発言なのだろうか。まるで先達として見守るような氷月の発言に、くるりはしばし固まり──そして我に返った。
「いや、守ってくれるのありがたいですけど、戦うって聞いてなかったですからね!?」
「あはは、ほら次が来るよ」
 氷月の飄々とした言葉にくるりは慌てて気を引き締める。夢から覚めたらちゃんと抗議をしてやろうと胸の中で誓いながら、人さし指を怪異へ向ける。不思議なことに、今日こそは完璧な霊震を人前でお見せできるような気がした。

ヒュイネ・モーリス
チェスター・ストックウェル

 甘ったるいシュガー・ピンクの怪異は、集まった能力者たちの抵抗を受けながらも、可憐な声で人々を夢へと誘う。その様子を眺めながら、チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)は腕を組んだ。
「可愛い子に『帰らないで』って言われると揺らぐよなー」
「女の子なら誰でも可愛い感じ? へぇ、きちんと男子じゃん」
 すかさずからかい調子に、ヒュイネ・モーリス(白罪・h07642)は小さく口角を上げた。チェスターは眉を顰める。
「……む。人を節操なしみたいに」
「いやあ、健全な心の動きでいいなって思っただけだよ?」
「言っとくけど、誰でもじゃないさ」
 医療従事者らしく精神の健康を重んじて嘯いてみせる女に、少年は肩を竦めた。揚げ足取りがお上手というか、油断も隙もないというか。じゃれ合いみたいな言葉の応酬を繰り広げながら、チェスターは怪異を視界に捉えた。
「そういう訳でごめん。俺は薬屋さんと帰らないといけないんだ」
 お別れの餞は存在ごと揺るがせるような凶悪な振動で。勝手に追い縋ったことになり、そしていつの間にか振られていた怪異は、そこでようやく首をかしげてふたりの亡者の存在に気が付く。
 そしてその瞬間、夢に巣食う怪異は夢を見ない筈の彼らの夢すら掬ってみせた。瞬きの間に夢幻を認識し、抽象は具現する。──驚くほど唐突に、少年の目の前にふわりと現れたのは、隣にいる筈の女。
「え、なんでわたしが――」
「薬屋さんが、二人?」
 目の前の出来事を脳が認識する前に、ヒュイネの身体が素早く動いた。驚き固まるチェスターの目の前で、女の腕が振られ、カツンと音を立てて何かが地面に落ちる。
 無意識に辿った視界に映ったのは、銀色の鋭い刃物だ。
「わあ、危なかった」
 思わぬ攻撃を防いだというのに、ヒュイネの声色は平時と変わらない。必殺の一投を防がれ、もう一人のヒュイネは首を傾げていた。そこでようやく、チェスターは現状を理解する。目の前のヒュイネが投げた短剣を、隣のヒュイネが咄嗟に防いでくれたということを。
「……っ、助かったよ」
「や、大丈夫。ケガない?」
 警戒する様に前方を見つめるヒュイネにチェスターは驚きつつも小さく頷く。突然の攻撃に驚いたことも確かだが、こんな風に庇われるとも思っていなかった。そっちの方向に思考を進めるとなんだか色々考え込んでしまいそうな気がして、チェスターは小さく被りを振る。今は余計なことを考えている場合ではない。
 偽物のヒュイネが落ちた短剣を回収する傍らで、再び幻が形を得ていく。
「……うーん、そこそこグロい」
「うわ、ホントだ。何なのこの落差」
 思わず声に出てしまうようなグロテスクな人型の何かは、今度はヒュイネに向かって手を伸ばした。咄嗟にチェスターが霊気で弾くと、何かは無様にたたらを踏む。
「わかった。じゃあさ、そいつの相手は俺に任せて」
「ん? きみがこっちを?」
 ヒュイネが見つめる中、チェスターはグロい人型と自身を交互に指さし頷いた。
「で、わたしにわたしをやれと?」
「そういうこと。君と同じ顔をした敵と戦うよりは、ずっとマシだし――幽霊として、ホラー対決には負けたくないからね」
「それは――やりやすくて助かるよ」
 ヒュイネは頷き、小さく胸を抑えた。どくどくとそこに在るものが喚きだす。溢れる熱のままに振るった短剣はもう一人のヒュイネが反応する前に腕を射止めた。その動きに躊躇いは微塵も感じられない。自分のことは自分が一番よく知っている──たとえば、弱点だって。とはいえ常人なら躊躇ってしまうところを、少しも未練を感じさせない鮮やかな手つきで、ヒュイネは自分自身の手足をもぎとりに掛かった。
「いやあ、女の人って怒らせるとこわいなあ」
 やられる前にやれを体現するような鮮やかなヒュイネの動きに口笛を吹きながら、チェスターも人型の何かと向き合う。どこもかしこも傷だらけで、おまけになぜか顔にはモザイクが掛かっていて、一体こいつが誰なのかも分からない。
 でもこういう敵なら、チェスターだって相手をするのは得意なのだった。何せ、こちらは恐怖を感じない亡者である。
「俺たちを怖がらせるつもりだったんなら、もう少し方法を考えた方がよかったかもね」
 夢は多くを語らない。怪異がまさか、こわがらせようなんて気持ちはちっともなくて、ただ"自分を最も幸せにしてくれる人物の幻”を呼び寄せていたなんて──言葉通り、夢にも思わない。
 しかし、幸運にもその意味に気付かないまま攻撃を躊躇わない最高の布陣を敷いたヒュイネとチェスターは、そのまま幻を圧倒していったのであった。

夕星・ツィリ

 リボンとフリルで縁取った、お姫様みたいなピンク色のドレスが宵風にふわりと揺れる。どこか懐かしい遊園地のきらめきは、未だ少女の目の奥できらきら光っていた。こちらへ来てとゆったり手招き、夢見るように囁く怪異の声は甘く、優しい。ついその手を取ってしまいたくなるけれど、既に夕星・ツィリ(星想・h08667)は心に決めていた。
「ごめんなさい、私はあなたの夢の中には居られないわ」
 小さく頭を下げる。可愛い夢も優しい夢も、甘い夢も全ては夢。怪異の誘いはひと時の誘惑で、幻想でしかない。そうして手を取ってしまった夢見るものを夕闇に引きずり込むのが、この怪異の本性だ。
 だから、ここで立ち止まってはいられない。ツィリは星を抱いた青い眼を眇めた。
「だって私は、家族のもとへ帰らなければならないの」
 決別の言葉に、怪異はゆったりと首をかしげる。なぜこうも、今日は誰も誘いにのってくれないのだろう。自分の願いが叶うことが当然だと信じてやまない怪異は、ならばとドレスの裾をひらりと翻した。
 ここから出ていこうと言うのなら、その意志ごと浚ってしまえばいい。フリルの合間から、ふわりと滲みだすのは、更なる甘い夢へと誘う虹色の雲だ。
 怪異の動きを見て、ツィリは距離を取るべく後ろへと下がった。できることなら何も傷つけずにこの場を収めたかったが、ただ主張を続けていればそれでよいという相手ではなさそうだ。
 躊躇いは一瞬。けれど、すぐにツィリは頭を振って振り払い、高々と手を挙げた。
「致し方ないわね」
 それは触れあうだけで相手に不運を齎す魔性の力。指揮者の様に振り下ろされた指先の動きに従うように、近くにあった廃看板がギギギと歪な鳴き声をあげる。
「ごめんなさい。少し、使わせてもらうわ」
 金属音と共にネジが弾け、廃看板は怪異に向かって真っ逆さまに落ちていく。
 本来なら人を楽しませるためのものでだれかを傷つけてしまうことへの罪悪感は拭えない。それでも、帰り道のためには抗わなければならないのだ。

 怪異の姿がふわりと揺らぐ。効いている様だが、まだ彼女の動きを止めるには足らない。
「なら、何度だって。やることは変わらないわ」
 更に遊具をぶつけては怪異の身体を傷つけ、呪いを重ねていく。今は遠い家族たちの笑顔を目印にして、ツィリはもう、迷うことはなかった。

狗狸塚・澄夜

 イルミネーションが輝く舞台で、とびきり甘い色のドレスを纏った怪異は払われた手に首をかしげる。こんなに楽しい夢を作り上げたというのに、どうしてこうも今晩はみな応えてくれないのか。そんな声が聞こえてきそうな仕草に、狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)は凪いだ水色の瞳を眇めた。
「醒めぬ夢、褪せぬ情景。それは持てる者には至福であり、持たざる者には拷苦であろうよ」
 怪異は彼の囁きを聞いても未だに佇んでいる。はっと思い出したように意識を向けて、己にふわりと手を差し伸べてくる怪異へ、澄夜は冷ややかなまなざしを送った。
「持たざる者たる私には蛇の毒に近しいが、貴殿はどちらであったのだろうな、姫君」
 ──当然、応えはない。しかし、澄夜は構わなかった。分からなければ中身を切り開き、その臓物を揃えて並べて確認すれば良いのだから。

 差し伸べた手を拒まれた怪異が、澄夜を夢に取り込もうと悪意を向ける。ドレスの裾がふわりと翻れば、中から漂うのは虹色の雲だ。ふわふわと立体感のある雲が怪異をやわらかく包み込み、また、澄夜の意識を浚おうと漂い始める。
「この眼を阻むか。ならば彼方より覗き見るのみ」
 しかし、澄夜も黙ってそれを受け入れることは無い。元々精神に作用する能力や呪詛への耐性が備わっている彼は、深い夢が自身の精神を蝕む前に動くことが出来た。空間を割き、すばやく別√に転移する。レイヤーを変えた世界の中で、怪異の姿はくっきりと澄夜の瞳に映っていた。
「呪われし我が瞳よ、永訣を告げよ」
 呪の籠められた瞳に縛られ、怪異の動きが一瞬で固まる。
「願いは純粋であったかも知れない。錆び付く記憶を嘆き、涙に暮れ眠っていたやも知れない」
 停止する怪異は見えない糸に吊られた操り人形のようだ。どこか哀れな姿に澄夜は一種の憐憫を抱く。しかし、銃を構える手に躊躇いはない。
「されど汝はもう夢を見るに能わぬ者、悪しき神秘そのものよ。その生は血に塗れ、無垢なる冠を戴くに能わぬ」
 それは冷たい裁きの宣告だ。怪奇を闇に葬る、その使命を澄夜は決して忘れない。揺るがない意志が、違わず怪異に向かって引き金を弾く。
 そして、呪いの籠められた”見えない”弾丸は、怪異の胸をただしく打ち抜いた。
 ふらりと怪異の姿が大きく揺らぐ。しかし、まだ悪夢は終わらない。
「ならば、幾度でも打ち抜いてやろう」
 澄夜は再び銃を構え直した。呪いが永訣の別れをその身に刻むまで、彼の指は止まらない。

物部・真宵
神花・天藍

 ふわりと舞台に降り立つ怪異は影を踏み潰した。声にならず、悲鳴もあげられずに宵闇に解けてしまう影を見つけ、物部・真宵は痛ましげに表情を曇らせる。この怪異は甘い言葉を嘯きながらも、少しも人の心を顧みようとしない。振舞いだけでそのことが分かった。
「『夢を与える』という言葉ほど残酷なものはないのでしょうね。それはまるで施しのよう」
 なんて傲慢で一方的な態度なのだろう。まさしく、姫君気取りの衣装に身を包む怪異がやりそうなことだ。胸を痛める真宵の隣で神花・天藍(白魔・h07001)は彼女の話を聞きながら、憂いの表情を浮かべていた。
「確かにな。故に、我に与えられる『夢』も無いのであろう」
「……天藍様?」
 普段とは違う、心なしか寂しげな天藍の声音に真宵は思わず天藍の方を見ようとした。しかし、敵意に反応した怪異が、同じタイミングで宵風にゆらりとドレスの裾を翻す。避けようにも避けがたく、視界が一瞬揺らいだ。気付けば目の前に居た人の姿に、真宵は心配も忘れてルール・ブルーの瞳を見開く。
「あなた、は……」
 しなやかな体つきの長身の男性。白い狐の尾が4本。真宵によく似た色合いを、言わずとも彼が誰だか、真宵はすぐに分かった。──父が、目の前に立っている。囚われていた母を助けた時と同じ、優しさを湛えた瞳をそのままに、真宵を見つめながら佇んでいた。

 目を見開いたまま固まる真宵を見て、天藍は息を吐いた。この怪異は望むままに幸福な夢を与える。しかし、否、やはりと言うべきか、天藍に『夢』が与えられることはないらしい。からころとオルゴールの音が空しく響く。天藍は小さく自嘲的な笑いを浮かべた。
(夢を見られるというのはそれだけで幸せなことなのだ)
 恐らく何らかの幻を見ているのであろう真宵の姿に、羨望の念がないかと言えば嘘になる。悪夢だとしても、『幸せ』を見ることができれば、それが許されるのであれば。凍てつく冬の身に、どんな温もりを与えてもらえるのか、天藍も知りたくはあった。
 ──とは言え、悪夢だとしてもな、虚構に委ねることはできぬが。
 今、真宵の目の前に在るものも所詮は虚像だ。惑わされるなよ、と言葉を掛けようとした唇を、天藍はそっと閉ざした。
 天藍は知っている。目の前の彼女が、嫋やかな見目以上に芯の強い女性であることを。
「生憎、真宵は弱い奴ではないからな」
 万が一に備えつつも、天藍は静かに見守ることを選んだ。

 天藍の見立て通り、父と相対しながらも、真宵の意志は強かった。──いや、そうではない。真宵はどこまでも父を信じていた。心優しい父が、例え怪異に都合の良い夢の中だとしても、己を傷つける筈がないと。
「わたしが見たい夢はあなたには無理ですよ、お嬢さん」
 夢幻のヴェールの向こうで、怪異はきっと佇んでいるのだろう。真宵は手にしていた蒼灯杖を掲げる。迸る青い火が夢幻を焼き、怪異の姿を青白く照らした。それと同時に、思考がすっと晴れていく。
「うむ、そうでなくてはな。よく自ら起きたな真宵」
 蒼い瞳に光が返ってきたのが見えて、天藍は真宵に声を掛けた。
「後で何か褒美に買ってやろう。例えば、食べ損ねたちゅろすとかな」
 すぐに耳に届いた馴染みある声に、自分が見守られていたことに気付き、真宵は表情を綻ばせる。
「ふふふ。そうですね、本日を締めくくるのに相応しいご褒美です」
 その時は気分も明るくなるだろう。天藍の言葉に嬉しそうに頷きながら、真宵は白狐を呼ぶ。四つの尾を持つその狐が一体何者なのか、きっと思いもよらない怪異が哀れに思えた。いつだって、父の思いは真宵の傍らにある。
(こんな親不孝な姿はもちろんですが、天藍様の前で情けない姿をさらしたくない)
 真宵の影が揺らぎ、伸びた狐尾が父親の夢幻を捕らえる。その横で、天藍は自らの身に宿した冬を呼ぶ。
「其処を動くことは許さぬ。此処は我の|世界《ふゆ》だ」
 降り積む白の情景を語れば、世界は白一色に染まる。天藍が宿した極限の冷気は、実体のない夢幻ごと怪異を凍てつかせた。怪異のドレスに霜が降り、夢食いバクのオルゴールも鳴り止む。
「断ち切れ、真宵」
「……ありがとうございます、天藍様」
 天藍の声に背を押され、真宵は姿勢を正した。
(この方の力をお借りして、負けるなんて絶対にいや)
 真宵が強く前を向く。応えるように、霽月が高らかに一度鳴いた。
「その曇りを切り開いてみせます!」
 霽月が駆け出し、一閃。大きく振るわれた刀は、父の夢幻ごと、奥に居る怪異をも断ち切った。

ベルナデッタ・ドラクロワ
廻里・りり

 夢の終わりを惜しむように光り輝く遊園地。そこに降り立つシュガー・ピンクのドレスの姫君が、可憐な声で夢の終わりを惜しんでいた。その場に居る客人たちに拒まれようとも、懸命に。──ああ、けれど、ベルナデッタ・ドラクロワ(今際無きパルロン・h03161)は気付いている。
「寂しさの連鎖で、この悪夢は出来ているのね」
 あの怪異は本当に夢の終わりなんて惜しんでいない。ひそやかに夢を見続ける廃遊園地とそこに集う人々をただ利用しているだけだ。己の欲望の赴くまま、悪戯に人を傷つけて絶望を呼び込む怪異は、ふわりふわりと素知らぬ顔で廃遊園地の景色に混ざり込んでいる。そのことが許しがたく、ベルナデッタは静かに瞳を伏せた。淡い薔薇色に憂いの影が落ちる。
「この場所のどれも、誰も、こんな未来は願ってはいなかったのに」
 脳裏に思い浮かぶのは、さ迷う人の影と、錆び付くまで愛されてきた遊具たち。「楽しい今日が終わらなければいい」なんて優しい夢を、こんなに深い悲しみに変えてしまったのは、目の前の怪異だ。
「喜びを提供することが生きる意味だったのに、壊したお前を許さないわ」
「はい。ベルちゃんの言う通りです」
 廻里・りり(綴・h01760)もまた、ベルナデッタの隣できゅっと拳を握りしめ、怪異を見上げていた。彼女の大きな青い瞳は、怪異の一挙一動を見逃さなかった。優雅に舞台へ降り立とうとした怪異が、目も向けずに踏みつけたものを。
「その|子《影》たちは、あなたが呼びとめた子たちなんじゃ、ないんですか」
 心からふつふつと沸く熱さに、小さな拳は少し震えた。それほどまでに、見逃せないものだった。
「お友だちとして、いっしょにあそぶためにここにいてもらったんじゃ、ないの?」
 少女の問いに、怪異はただ首をかしげる。悪夢の中へ飲み込んだものなど、端から見えていないのだろう。虚ろに誘いを口にする怪異の姿に、さっとりりの瞳に失望が走った。
「たのしい夢ならずっと続いてほしいって思ったけど……あなたのあたえる夢はみんなをかなしませる夢だったんですね」
 瑠璃色のガラスペンが、星を呼ぶ声を描く。
「ふみにじるなんて、ゆるせません。わるい子にはおしおき、です」
 りりの周りでいくつもの星々が灯り始める。その輝きを瞳に映しながら、ベルナデッタは宙に指先を踊らせ小さく囁いた。
「力を貸して、あなたたち」
 声に応えるように、ベルナデッタの手の中に弓矢が収まる。そして強い無念を感じて眉をひそめた。この廃遊園地もみな、純粋な願いを踏みにじられ、悪夢に変えられてしまったことを嘆いているのだ。
「ええ、そうね。あなたたちの恨みを教えてあげましょう」
「さあ、受け取って」
 放たれる影の矢に合わせてりりも星を放った。交わる二人の光と影は怪異の中心を穿つ。
 しかし怪異もまた、やられるだけでは終わらない。悪夢を拒む少女たちを取り込もうと、メリーゴーランドのバクがからころと音を立てながら牙を剥く。
「……! あ、イヴちゃん! 黄昏さん!」
 しかし、その牙が二人を傷つけることはなかった。差し込まれた影がバクの身体を飲み込もうと体を広げる。イヴと呼ばれたりりの影と黄昏と呼ばれたベルナデッタの影は、ふたり手を繋ぎながら懸命に体を広げてくれていた。ベルナデッタは影たちに微笑みを返す。
「ありがとう、ふたりとも」
「もしかして……にている子たちだから、ほうっておけないのかな」
 りりの疑問を肯定するように影が身じろぎした。なるほど、とベルナデッタもその態度に頷く。
「黄昏、イヴ、──ワタシたちの影たち。あなたたちもそうね。ずっと遊んでいたい気持ちは同じ。……分かるわ。放っては置けないわね」
「そういうことなら……イヴちゃん。じゃあ、黄昏さんといっしょに力をかしてくれますか?」
 もちろんだ、と言わんばかりに握りこぶしを作った影たちの姿に、りりとベルナデッタは一度互いの顔を見合わせた。どこか陽気な姿にこれまで張りつめていた緊張感や怒りがわずかに緩む。
「りり、もう一度ワタシに合わせて」
「はい! 行きましょう、ベルちゃんっ」
 ベルナデッタの弾く矢に合わせて、星々が尾を引きながら怪異の身体を打ち抜いていく。
「たのしいがいっぱいの場所なのに、思い出がかなしいもので終わらせたくありません」
 りりの言葉に応えるように、星々は浩々と燃え上がる。
「きれいね、りり。優しい光」
 それは怪異を打ち抜く為だけではない、この場で佇む影たちをも照らす星の光だ。その眩さと温かさに、ベルナデッタはそっと目を細めた。
「もう帰れないのなら、せめて──やさしい夢をみて」
 りりが囁き、更に星を放つ。二人の祈りに応えた星の光はとうとう怪異の身体を貫いた。夜空に散りばめた星屑と同じ光が、遊園地に蔓延る人影をも飲み込んでいく。そして光に燃やし尽くされ、怪異は宵闇に解けていくように壊れていく。
 同時に悪夢の舞台もまた、主の崩壊と共にパラパラと崩れていくのが分かった。ぱちん、ぱちんと音を立てて端から照明が消えていく。人影たちは手を振りながらここではないどこかへ去っていく。夢から醒めようと、その場にいる生者たちの意識が揺らぎ始めた。そうして、すべてが現実に戻っていく。
「──もし帰り道が分からなかったら、星をめざして」
 揺らいでいく意識の中、ベルナデッタは小さく祈った。悲劇に巻き込まれた無垢な人々の魂が、少しでも安寧に満たされるように。今度は楽しい夢の中で出会えるように。すべての人が自らの帰るべき場所へ行けると良い。そう願うベルナデッタの声は、優しさに満ちていた。
「……でも、ごめんなさい」
 最後の祈りは、ひと際か細い声だった。
「連れていかないで、この子は」
 夢が崩れていき、意識が遠くなっていく。その隣で、青い星が静かに見えなくなっていく。

 長い悪夢はこうして、幕引きを迎えたのだった。

●帰路
 能力者たちが再び目を覚ますと、そこは錆び付いた遊具が眠る廃遊園地であった。赤錆めいた身体に深い緑色をした蔦の装飾を塗したそれらは、もう随分と使われていないことが一目で分かる。さっきまであんなに普通に動いていたのに──さみしげな呟き声がぽつんと落ちる。明かりのない廃遊園地は、とても静かな場所だった。

 太陽が果てに沈んでいく。
 空にぽつぽつと浮かぶ星を眺めながら、帰ろう、と誰かが囁いた。

 少なくとも二度とここに悪夢が蘇ることはない。廃遊園地は安寧を得て、静かに眠り続けるだろう。ひと仕事を終えた能力者達の帰路を、いつしか丸い月が照らしている。
 それはこの夢の終わりを見届けた者達への、ささやかな祝福の光だった。

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