シナリオ

サマー・ナイト・アクアリウム

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●イン・ザ・マリン・ワールド
 まるで誰も知らない秘密の国、その入り口のようだった。
 遠く潮騒が耳をくすぐる青い夜の中、誘うように光るのは入場ゲートを灯す明かり。
 サマー・ナイト・アクアリウム。
 そんな催しが、√EDENのとある水族館で行われるのだという。
 海辺に作られた、マリン・ワールドという名のその施設は、シー・エッグと名付けられた巨大なドーム状の水族館をメインに、隣接する浜辺に張り巡らされたウッドデッキを渡れば様々なお土産物、フード店が軒を連ねるマリン・バザールが併設され、このイベント中はバザールも深夜まで営業する。

 だが、まず行くべきなのはやはりシー・エッグ。
 水槽以外は最低限の照明のみが照らす館内は、まず半球体の頂点がその入り口となる。
 壁沿いに設えられたスロープを下り、次々と出てくる水槽に泳ぐ水生生物たちの姿を楽しむ形だ。
 スロープはかなり広めの通路となっていて、緩やかな傾斜は足への負担も少なく、また途中には魚たちをゆっくり眺められるよう、壁に埋め込まれた水槽を向く形で2~4人掛けのソファが幾つも備えられている。

 スタートしてすぐのエリア、そこはアクア・リーンカーネーション。
 山頂から湧き出た清水が岩を伝い、苔を生み、小川となる。
 水の転生と名付けられた淡水コーナーは、山で生まれた水が海へと還るまでの流れを再現し、光るような緑に彩られた水に住む、大小様々な生き物の姿を楽しむことが出来る。

 ナイン・ジェリー・ライフはクラゲのみを扱った水槽群のエリア。
 ギヤマンクラゲ、コブエイレネクラゲ、ヒトモシクラゲ、アマクサクラゲ、スナイロクラゲ、タコクラゲ、ミズクラゲ、アメリカヤナギクラゲ、アカクラゲら九種のクラゲが、その生態の謎を解説してくれるディスプレイと共に、暗い館内の壁の中、白く淡く無音のダンスを踊る。

 ドームの半ばほどにあるのは、エメラルド・ブルー。
 熱帯のサンゴ礁と、そこに住む熱帯魚が鑑賞できるエリアだ。
 南国の明るいエメラルドグリーンの海に泳ぐ色とりどりの魚たち、ともすれば珍妙にも見えるその姿は思わず笑顔にしてくれること間違いなし。
 有名アニメ映画にも出て来たカクレクマノミから始まり、ナンヨウハギ、ツノダシ、ルリスズメダイ、アカククリ、ホンソメワケベラ、ルリスズメダイ、ブダイ、ウミガメらが賑やかにあなたを歓迎してくれる。

 そんなエメラルド・ブルーの傍にあるのは、レター・フォー・シー。
 それはドームの中央部分、空中に張り出すように作られた空中回廊の中心。
 円形のホールにある幅10mの巨大なスクリーンで、専用のディスプレイであなたが想いのままに魚を描けば、それが3D画像となり、スクリーン内で他の多種多様な魚たちの映像と共に泳ぎ出す。
 勿論、その色や形は自由自在。
 ある人は可愛らしかったり、綺麗な魚を。
 またある人はつたないながらも愛らしい魚で他の観客の目も楽しませてくれるだろう。
 時に、これは魚なのか?と思うような愉快な姿の仲間が、スクリーンの海に現れるかもしれない。
 中にはその体にメッセージの書かれた魚すら出現するかも?

 そしてそのホールにはソファや、チェアなどが備え付けられた休憩所ともなっており、天井に映し出された夜空と、エッグ内の水槽、その全景を見渡しながらゆったりとした時間を楽しむことが出来る。

 海を降りてゆくその道のりのちょうど中央。
 まるで卵にはめ込まれた、青い指輪のようなその水槽は、見上げるほどの高さを持ち、また左右の大きさは目を見張るも見渡すことは出来ない。
 何故ならその水槽は、360度、シー・エッグ中央を両断するようにあなたの背後の視界外、その向こうまで巡らされているのだから。
 その名はブルー・リング。
 シー・エッグを上下に分ける巨大な環状水槽に泳ぐのはまず、数えきれないほどのマイワシ、マアジ、アイゴ。
 大きな群れを作るそれら魚たちは水槽内を照らす照明に青銀の体を光らせ、まるで生ける嵐のようにダイナミックな泳ぎを見せてくれる。
 時折その魚群を横断するのはジンベエザメやマンタなどゆったりと泳ぐ魚たち、その巨体で見る者を圧倒する。
 他にもリングにはクロマグロ、シイラ、ロウニンアジ、さらにイサキ、カンパチ、キジハタなど素晴らしいスピードで観客を楽しませてくれる魚も居れば、スナメリやチンアナゴなどユニークな姿、行動で魅せてくれる生き物に目を楽しませて貰えば――…いつの間にか辿り着く場所は海の底。

 そこにあるのは大きいけれど、どこか殺風景な一つの水槽。
 ラスト・スノー。
 照明に照らされて、その中に映るのは……マリンスノー。
 何の生き物もいない暗い暗い海の底に、ただ静かに降り積もる雪のようなその光景は、なぜかずっと見つめていたい、そんな気持ちにさせる。

●アクアマリン・ナイト・バザール
 水族館を出て、すぐそばの階段を降りればそこは浜辺に続くウッドデッキの小路。
 潮風を受けながら足を進めれば、海に浮かんだバザールの広場が見えて来る。
 アクアマリン・ナイト・バザール。
 水面に光を反射させる、海の仲間たち――イルカやシャチ、イカやタコ、様々な動物たちのイルミネーションが煌めく中、青と白で飾られたテントが幾つも並び立つ。
 串に刺さったバーベキューはビーフ、ポーク、チキン。
 味はソルト、バーベキューソース、スパイシーカレーの三種から選んで、ジューシーなお肉をしっかりと。
 フライドポテトも定番だ、からっと揚がったポテトにソースをかけて召し上がれ。
 ソースはミート、チーズ、サワークリームの三種。
 ほくほくのポテトに絡んでどれもとても美味しい。
 こうなると飲み物も欲しいところ。
 ジュースパーラーには新鮮な野菜と果物がそれぞれ二十種類ほど用意されていて、2~3種を組み合わせてオリジナルの味を作って貰うことが可能。
 冷たく甘いジュースは、まだまだ熱の残るこの時期の夜に、一時の清涼感を齎してくれるだろう。
 もっとしっかりと甘味が欲しい?
 お任せあれ!もちろんあります、カキ氷にジェラート。
 定番から変わり種まで、真っ白できめの細かい氷に、シロップやトッピングをかけて召し上がれ。
 ジェラートはクリームベースのものからソルベまで、色とりどり、味も様々に楽しませてくれる。
 もちろんお土産ものも充実。
 海の仲間たちのカチューシャや肩に乗せられるマスコットにぬいぐるみ。
 イルカやシャチのキャップに、これもマスコットがついたリストバンド。
 バッグやタンブラー、キーホルダーやペンライト。
 水族館内をじっくり見れる映像ソフトやレターセットにハンカチ、タオル、パーカーやTシャツ等々。
 きっと誰かとシェアしたくなるものが見つかるはず。

 ――そして最後には花火が上がり。
 夏の夜の思い出に一瞬の花を添えてくれる。

 さあ、出かけよう。
 囁くような潮騒がそっと遠くなる今夜。
 遠く深く、いざないの声響く夏の夜へと潜ろう。
 あなたと共に、秘密の青の迷宮へ――。

マスターより

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第1章 冒険 『蒼の領域』


夕星・ツィリ

「何て素敵な催しなのかしら!」
 思わず少女は小さく叫んでしまった。
 |夕星・ツィリ《 ゆうづつ✱⃟۪۪۪͜ːु⟡ ⁺.⋆》(星屑の空・h08667)はさっそくお出かけの準備。
 そう、彼女はもう13歳。
 身支度だって一人で平気。
 だってこれもきっと、試練の内なのだから。

 水族館は大好きよ。
 お魚をみるのもそうだけど。
 なによりお母様を近くに感じられるようなんだもの。
 ガタゴトガタゴト。
 列車に揺られて、バスに乗って。
 入り口でお姉さんからパンフレットを受け取れば、ドキドキしながら館内へ。
 薄暗い、けれど青い照明に浮かび上がるスロープを下って、ツィリは少しだけ早歩きでお目当ての場所へと向かう。
 いいえ、本当に少しだけね?

「……わあ」
 そこはナイン・ジェリー・ライフ。
 ふわふわ。
 ひらひら。
 暗闇の中、青い水槽の中に静かに踊るクラゲたちは、まるで思い思いのドレスに身を包んだ淑女たちのよう。
 言葉もなく、暫しじっとその場に佇んで。
 まばたきも忘れて白と青のその世界に、見入る。
「……ふぅ」
 そうして優雅に踊る彼らを堪能した後に解説を読んでみれば、そこにもまた驚きがたくさん。
「クラゲってこんなに種類がいるのね……全然知らなかった」
 まだまだ知らないことが沢山あるのね。
 そんな学びを得て、ツィリはその場を離れる。
 また一つ、学びを与えてくれたクラゲたちへ、ひらり小さく手を振って。

 そうして次にツィリがやって来たのは巨大なスクリーンのある中空の広場。
「レター・フォー・シーっていうのね」
 パンフレットを眺めて頷く。
 ディスプレイに描いたものが3Dになるなんて面白い。
 折角だから何か描いてみましょうと、少女はディスプレイ前の行列へ。
 そうして順番が回ってくれば可愛らしい子を、と一生懸命に描いていく。
「これであとは縞々をかけば……完成!エンゼルフィッシュ!」
 その出来栄えに小さく喝采を上げてコンプリートボタンをタッチ。
 ひらりと身を翻して、ディスプレイから姿を消したエンゼルフィッシュがディスプレイに現れるのを、少し離れたところで待つ。
 ほしは何時も見守ってくれて。
 うみは何時も包んでくれる――そう、お母様みたいに。

 そうしてモニターの中。
 夜空の星たちの下、青く輝く仮想の海へ。
 数えきれないほどの魚影の中へ、元気に泳ぎ出した縞々模様の天使を少女は満足気に眺めた。

志藤・遙斗
西織・初

●ボーイズ・イン・ザ・サマー
 一般人は気づくことはないだろう。
 水族館を観覧して回る人達の中へ、ごく自然に紛れ込みながらも油断なく警戒の視線を向ける二人のことを。
 志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)と西織・初(戦場に響く歌声・h00515)。
 入館後、二人は暫しそうして周囲を観察していたが、暫しの後、どちらからともなく気配を緩める。
「ダンジョンと聞いていたので警戒していたんですけど、中は普通の水族館ですね」
 人混みの中、少し声を潜めて遙斗が問えば。
「ええ、この様子ならダンジョン化にはまだ時間がかかる様子ですね、ひとまず危険はなさそうでよかったです」
 初も抑えた声でそう返す。
「おそらく今回は、星詠みの方の予知が早めに働いたんでしょう。そういうことならせっかくですし、楽しんでいきましょうか」
「そうですね」
 絶滅危惧種もたくさんいるな。ここが安全なら穏やかに泳いでほしい。
 黒いマスクの下。
 一見冷徹に、しかしその胸には柔らかなものを抱くセイレーン憑きと、|警視庁異能捜査官《カミガリ》。
 同じ旅団に所属する二人の青年が、ゆっくりとスロープを下り、潜って行く。
 ぼんやりと暗い館内の中、時折暖色系の光で足元を照らすフットライトと青や白、眩い水槽の光を頼りに。
 きっと彼らの胸にも高揚感をもたらしてくれるだろう海の中へと。

 辿り着いたのはブルー・リング。
 巨大なシー・エッグ内壁をぐるりと取り囲むように作られた、高さ数メートルの環状水槽の光景はちょっとしたものだ。
 青い水の中、色とりどり、形も様々な魚群の中をジンベエザメやマンタ、他のサメ類が襲うことも無くゆったりと泳いでいく。
 鮫と呼ばれる刑事の小説なんてものがあるのと関係はないだろうが、なんとなく鮫には共感を覚えたのか遙斗はサメが多く見れるエリアで足を止め、サメの種類の豊富さやゆっくりと泳ぐジンベイザメを見て楽しむ。
 同じく、その泳ぐ様を見上げながら歩く初もまた、さすが世界最大の魚類と言われているだけのことはある、圧巻だ、なんて胸中に感想をもらす。
「そういえばサメって、水族館で飼育する際は共食いを防ぐために常に満腹にさせるらしいですね」
「へぇ。そうなんですか、詳しいですね志藤さん」
「いえ、ちょっとゴーモバで調べてみただけですよ。あ、そちらのプレートにも説明があるかも」
「本当だ。こういうの読むの、ちょっと楽しいですよね」

 さらに二人はクラゲのエリア、ナイン・ジェリー・ライフへも移動。
 通路よりもさらに暗いスペース内に、床から天井までの大きさの円柱型水槽へ収まったクラゲたちの姿を楽しむ。
「これは凄い。より暗いからクラゲの白さが際立ちますね」
「ええ。しかし、クラゲを見てると癒されると思いませんか?こう、海の中をただよってるのが良いですよね」
「本当に。人間は機械や装備なしでゆったりと泳ぐところを見ることは出来ないから、こういう場所はありがたいですよね――…写真は撮れるのかな?」
 ぽつりと呟いた初の言葉に、遙斗が周囲を見回せば。
「ああ、フラッシュは不可ですが、個人で楽しむ分には撮影OKだそうです」
「本当ですか?なら俺も撮っておこうかな」
「では俺は向こうから撮っていきます。後で妹に送ろうかなと」
「じゃあ俺はあちらから。お互い良いのが撮れたらシェアしましょうか」
 もし写真撮影が禁止だったら、ただ思い出の記憶に刻んでおこう、そう思っていた。
 けれども、撮れるとなれば話は別だ。
 果たすべき役目と、守るべき者を背負う、いつもはクールめ男子二人ははほんの少しだけ、少年に戻る。
 でもそれも当然のこと。
 だって今日は彼らの、ほんの一夜の夏休み。

 テンションが上がらないわけがないのだから!

見上・游
永月・楓

●ロケーションテスト
「私の名前の「游」って、水に漂って浮かぶって意味があるの」
 ひそやかに輝く青の中、見上・游(|D.E.P.A.S.《デパス》の護霊「佐保姫」・h01537)が微笑めば、隣の青年、永月・楓(万里一空・h05595)が「素敵ですね」なんて返す。
 人こそ多いけれど、囁くような声がさんざめく館内に、その言葉は静かに響いて游へと届く。
 青い水槽に白く咲くクラゲたちを前に、二人もまた、声を潜めながら会話に花を咲かす。
「名前がこうだから、海月さんには何となく親近感あるんだよね。良かった、今日のお目当てが見れて。そういえば、楓さんの名前もきれいだよね、由来あるの?」
「ウチの男子は植物由来の名前をつけることが多いんですよ。祖父ちゃんの名前は椚だったし、自然と共存しようっていう家風はあるかも」
 館内通路よりもさらに暗いナイン・ジェリー・ライフのスペース内、床から天井までを貫く円柱型水槽へ収まったクラゲたちが暗闇に舞い踊る姿を楽しみながら歩く二人もまた、少しクラゲの仲間になった気分。
「そうなんだ。なんか楓さんらしい、纏う空気が柔らかいっていうか。家族の由来も聞けて嬉しいな」
 游と楓が笑みを交す。
 そうして次に二人がやって来たのはアクア・リーンカーネーション。
 本物の清流がそのまま移されたかのような再現度に、二人は目を見張る。
 まるで夜の山中、暗い小道を彷徨った先に出会えた光り輝くせせらぎ。
 月光のように川に射し込む不思議な光が、透き通った水と翠の木々、草花、苔たちを美しく輝かせて。
 そして翠に抱かれた流れの中には、小さくともせいいっぱい命を謳歌する愛らしい生き物たちが肩を寄せ合う。
「……苔とか水の流れを見てるとノスタルジーみたいなのを感じて見入っちゃいますね。小学生の頃、自由研究でコケリウム作った時も楽しかったな」
「コケリウム。なにそれ?」
「ガラスや透明な容器の中に苔を生やして眺めるものなんです。スペースを取らない観葉植物っていうか」
「へえ……初めて知ったかも」
 山を下って二人は再びの海へ。
 続けて辿り着いたのは暖かな南国の海、エメラルド・ブルー。
「私、こういう熱帯魚も好き。いつかこういう海に旅行で行ってみたいと思う。楓さんは旅行したいところってある?」
「旅行か…そのうち屋久島には行ってみたいな。樹齢数千年の原生林を間近で感じてみたい」
「へぇ」
 緑が好きなんだな。
 なんとなく水槽の向こう、温暖な気候に思い切り枝葉を伸ばす緑たちを眺めながら、游は自然の中に佇む彼の姿を思う。
 すれば、それがあまりに”当たり前”で。
 今街中で隣にいてくれるのは、なんだか少し不思議な感じ。
「あ、そういえば海月って5億年前からいたらしいですね?そう考えると綺麗なだけじゃなくて、歴史的なロマンもありそう」
 ふと思いついたように楓が呟けば、夢想から目覚めた游は瞳を輝かせる。
「えっ、じゃあ昔の海はもっといろんなものがいたのかな?今よりずっと綺麗なのが居たりして」
「あり得ますね。もう少しナイン・ジェリー・ライフも見て回りましょうか」
 海中散歩は進むも戻るも自由自在。
 笑顔をお供に、今日の二人はきままなお魚さんなのだ。

 自信満々に「魚描こうよー」と游が云った。
 行きつ戻りつ辿り着いた海はレター・フォー・シー。
 いくつかある描き込み用ディスプレイの列に二人で並んで、まずは游から描き込みスタート!
「できた!」
 游が彼に見せたのは、鮮やかな赤い真四角のボディに――…小さな手と足がついた謎物体。
「カクレクマノミかわいいでしょ?じゃあ次は楓さんの番」
『そうか、游さんいわゆる画伯だったんだな……』
 思っていても、もちろん口に出したりはしない。
 タブレットペンを受け取った楓は「あ、はい」と、描き込みスタート。
 そして出来上がったそれを見ると、游は頬をぽりぽりとかきながら。
「それは?それ…?ごめん私図形詳しくないからなー」
「いえ、あの……マンボウを描こうとしたんだけど…なんか教科書の挿絵というか…写実的ではあるんだけど」
 それはあまりに細やかで繊細な線描、こちらはこちらで正統派画伯。
「……意外性や独自性という点で見上さんと真逆の出来上がりになった!?」
 さて、いざディスプレイから壁面スクリーンへ。
 それぞれのカクレクマノミとマンボウを放して、二人もまた、スクリーンを見守る中空広場の片隅で二匹の登場を待つ。
「……」
 PON!
 PON!
 ざわ……ざわ……。
 そうしてスクリーンの中、小さな手足を振り回し、海中を泳ぐというより勢いよく走り回る赤いナニカと、生き物図鑑から飛び出てきたようにリアルなマンボウがのんびりと泳ぎ出せば、周囲からあがるのはざわめき、混乱。
「ねー、ママあれなにー?」
「しっ!指さしちゃいけません!」
 なんだか周囲へ混沌属性の何かをばら撒いてしまった気がするけれど、これはこれで楽しい思い出だ。
「かのんさん連れて来る時は、ざわつかせないようにしないとね?」
 なんて游が問えば。
「……バレてました?」
 と、楓が答える。
「ふふふ。もしかして下見も兼ねてるのかなー、くらいには?」
「御慧眼、恐れ入ります」
「ちょっとだけですけど、お姉さんですから。大事な人のエスコートの時はリトライ楽しんでね」

 なんて云って。
 暖かな夜に咲く花は小さく笑った。

和田・辰巳
四之宮・榴

●琴瑟相和?
「榴から誘われてのお出かけなんて嬉しいな。お姫様、今日は僕がエスコートしますよ」
 なんて。
 いつもどおりの柔らかな微笑みで和田・辰巳(ただの人間・h02649)が云えば。
「…お、お姫様…じゃない、です。…その、1人は怖いのでお誘いをしただけで」
 彼のお姫様――四之宮・榴(虚ろな繭〈Frei Kokonファリィ ココーン〉・h01965)はちょっと早口でぽしょぽしょと。
「えー、そうなの?本当にそれだけ?」
 なんて。
 ちょっとだけ意地悪そうに聞く辰巳だけれど、理由はちゃあんと分かってる。
 それはこの催しの行われている場所が√EDENだから。
 常に誰かに狙われ、ストーカー行為の被害に合っていた世界だから。
 だから彼女が怖がらなくてすむように、自分が護衛も兼ねているのだ。
 ちょっと話をしただけだったのに、まるで自分も是非行きたかったと云うかのように、何故か辰巳がエスコートしてくれている。
 まだどこか現実味がなくて、隣に立つ彼の横顔を、確かめるように見つめてしまう。
「…でも、その…此処に…来たかったので…有難う、御座います…辰巳様」
「ううん。いいんだよ」
 そう云うと辰巳はそっと首を振った。
「今日は榴が主役なんだから、榴の行きたい所を中心に回っていこう」
「…その…見たいのは『ナイン・ジェリー・ライフ』です。…色んな水母…海月?…それを…見て視たい…です」
 そうしてお目当ての場所へと二人は移動。
 最近のクラゲブームのためか、ナイン・ジェリー・ライフは盛況だ。
 通路よりもさらに暗いスペース内に、床から天井までの大きさの、九本の円柱型水槽へ収まったクラゲたちは淡く白く、時にカラフルに光りながら闇の中、蠱惑的なダンスを踊る。
「榴はクラゲが好きなんだね。僕にも箱水母をプレゼントしてくれたもんね。じゃあ一緒に見て回ろうか」
 辰巳が榴へ「はい」と、手を差し出せば。
「……」
 可愛い猫ちゃんは大人しく手を差し出して、そっと繋ぐ。
 にこにこ笑顔の辰巳とうつむいて表情に乏しい榴という対照的な、しかし見た目にはわりと一般的な中学生カップルという具合の二人は他の観客たちに混ざり、クラゲの鑑賞を始める。
 少々ぎこちなく、しかしいざクラゲたちの海へと潜れば、榴の頬には笑みが浮かぶ。
「…綺麗、です。…僕のインビジブル達には…色がありませんから…こう謂うのは…嬉しい、です」
 なんて感想を告げる顔は、少しだけほころんで、年相応の少女の面影を暗中に移す。
 そんな榴の顔に辰巳はご満悦。
 ついてきた甲斐があった。
 なんてクラゲそっちのけ、榴の横顔を見て可愛いなぁとニコニコ顔。
「…辰巳様は、気に入ったクラゲは…居ました、か?」
 そんな辰巳へ不意の問いかけ。
 微笑んで、じっと見つめる可愛い彼女の瞳に映るのは、クラゲを眺める辰巳の横顔ではなく、何故かまっすぐ自分を見つめる瞳、いつもの優し気な表情。
「?」
「あ、うん、気に入ったクラゲだよね……」
 実はキミをずっと見ていた。
 なんて云えずに少し照れながら、辰巳は榴が長く見ていた子を指差して。
「うん、この子、かな」
 そう誤魔化した。
 ――榴との思い出。小さな事でも忘れないよ。
 そんな言葉を、胸の奥へと大切にしまいながら。

 ――どうしてこの人は自分に優しくしてくれるんだろう。
 自分の頭はそんなことばかりを考えて。
 胸のどきどきを、素直に認知してくれない。
 でもなんとなく。
 なんとなくさっきより、上手に手が繋げているような。
 そんな気がして笑みはそっと深くなる。
 二人で潜る、この海の深さのように。

月島・翡翠
月島・珊瑚

●水火既済
 その姿を見つけて彼女が躊躇うことはなかった。
「あれ?あそこにいるの榴じゃない?わー、すっごい偶然!おーい、ざく」
「…待って、珊瑚。…あれ」
「え?なによ翡翠。……ああ、榴、誰かと一緒、に……」
 こそこそ。
 すごすご。
 二人は無言でその場を離れて物陰へ。
「――え?なに?どういうこと?私なにも聞いて無いんだけど」
「それは私もだよ…でも、別に、そういうこと云わないといけないなんて話はないだろうし…」
「そ、そりゃそうだけどさ。あー、でもこういう場合どうしたらいいんだろうー?挨拶するべき?それとも見なかったことにするべき?ああ、アタシの経験値ではこの難題には太刀打ちできないよ……」
「そ、そんなの私だってわからないよ…でも、ここはきっと、ひとまずスルーが武士の情け、だよ」
「それ、使い方あってる?ま、まあでもいいや、これ以上考えるときっとアタシの脳がショートしちゃう……」
 ぷすぷす……。

 知り合いの
 そういうの見ると
 やけにもう
 恥ずかしい気がする
 水族館

 ――字余り。
 月島姉妹、2025年夏の歌。
 空調が効いた館内は外とは違ってとても快適。
 なのになんとなく頬が熱いのは、きっと気のせいじゃない。
 もちろん興味がないわけじゃないけれど、まだまだそういうことはよく分からない。
 月島姉妹はクールに去るぜ。
 ――…さて、気を取り直して!
 月島・珊瑚(憧れは水平線の彼方まで・h01461)と月島・翡翠(余燼の鉱石・h00337)。
 月島姉妹の二人はマリン・ワールドを見て回る。
 青く薄暗い館内を、他の観覧客に紛れて螺旋に海を潜っていく。
 もともと海は大好き、珊瑚である。
 あれやこれやと楽し気に語る姉の姿に、適度に相槌を打つ妹。 
 そうしていつしか二人はブルー・リングへ。
 そこは復階層の建物と同じくらいの高さを持つ水槽が、見わたす限りの360度続く回遊式の巨大水槽。
 海の卵が抱いた青い指輪。
「わあ……」
 リング状の水槽に泳ぐ数え切れない魚達に珊瑚は瞳を輝かせ、姉ほど興味はなくともこの光景はさすがに圧巻、翡翠もまた感嘆の吐息をもらす。
「さすがにすごいねぇ...あ。あのおっきいのは..」
 と、言ったが最後。間髪入れず始まるのは姉の蘊蓄語り。
 翡翠が指さした巨大な影を見るや、妹の肩を叩き。
「見て翡翠!あれがジンベイザメ!鮫の中で唯一のジンベイザメ科で、全ての魚類で最大の生物だよ!ふぁー…でっかー…」
 流れる様な解説、もうここまでで大分食傷気味の翡翠、正直ちょっとうざい。
「そうなんだぁ。おっきいねぇ」
 適当に聞き流せば、心なしか、ジンベイザメも苦笑してる気がする。
 続けてやって来たマンタの悠々と空でも飛ぶかのような羽ばたきに。
「…あれはなんていうんだっけ?」
 思わず呟いてしまう。
 さすれば再び始まるのは姉の蘊蓄語り。
 いや、正直、話が長くて覚えてられないんだよね...。
 楽しそうに話す珊瑚を見るのは、もちろん嫌いじゃないんだけど…。

 なんだかんだ云っても、仲の良い姉妹。
 二人楽しみながら進んで行けば、待っていたのは海の底。
 ラスト・スノー。
 縦三メートル、横五メートルという巨大なガラスの向こうには。
 ただただ、しんしんと降るのは、デトリタス。
 マリンスノーと呼ばれるそれらは、海洋の表層から深層へ沈降する有機物の総称。
 動物、植物プランクトンの死骸や排泄物や陸上の土砂など様々な有機粒子の集まり。
 水槽の前、大きなソファに二人並んで。
 最初は二人でここまでの思い出を語っていたけれど。
 少しずつ、少しずつ言葉少なになっていって。
「まるで、|インビジブル《すぐそばにある死》みたい」
 なんとなくそんなことを呟いて。
 闇の中降り積もるそれを、二人はじいっと見つめる。
 それは明らかな死でありながら、生物の食料源となり、大気を深海に運ぶ生物のポンプの役割も担っているという。
 生と死が、ただ延々と降り積もっていく。
「ふーん...海の底って、こんな景色なんだ」
 翡翠が呟く。
 珊瑚は黙っている。
 けれどなんとなく、何かを云わなければ、そんな気がして。
「また遊びにこようね」
 とだけ言葉にして。
「そうだね」
 そう翡翠が言葉を返してくれれば、何故か珊瑚は自分でも驚くほどにほっとして。
 ――その言葉は嘘じゃなかった。
 何もない海底は私の心の中みたい。
 本当に少しだけ、興味がわいていたからそう答えた。
 どこまでも茫洋と暗く、ただただ静かに灰が積もる場所。
 どこかで見たことがある景色。
 でも、私は。
 この静けさを望んでいるのだろうか、それとも揺らぎを。

「――じゃ、お腹もすいて来たし、次はバザールへいこっか!」
「……珊瑚はいつも、私を揺らしてくれる、よね」
「なによその、語尾にクソデカため息って付きそうな口調は」
「ううん、なんでもない。――ほら、行こう?|珊瑚《お姉ちゃん》」

椿之原・希
椿之原・一彦

●Falling rain in tha sea.
 彼女はいつも雨に打たれている。
 無力な僕らと冷たい空の間で。

「お兄ちゃんと一緒に水族館に行きたいと思います!」
 椿之原・希(慈雨の娘・h00248)が元気に叫んだ。
 そうして村の診療所。
 どちらかといえば控えめで大人しく、いつもいい子。
 そんな妹に、いつになく真剣にお願いされてしまっては、椿之原・一彦(椿之原・希のAnkerの兄・h01031)とて嫌も応も無かった。
 そう。
 命がけで村を守り、時に世界を駆ける。
 愛すべき妹たっての願いとあっては。

 かくしてピカピカに磨かれ、とっておきのオイルとガソリンも入れてもらって準備万端の撃墜王がマリン・ワールドの駐車場へと停車する。
「希、はぐれないように手を繋ごうね」
 先んじて一彦がバスから降り、白いYシャツにジーンズ姿で背後へ向けて手を差し出す。
 初めての水族館…!
 そしていつもの白衣姿ではない格好良いお兄ちゃんの姿……!
 いえ、白衣姿も格好良いのですけど、それはそれとして。
 ふんす!
 思わず両手を胸の前、ぎゅっと握った希の足取りは軽い。
 えいっと勢いよく、バスのタラップから降りようとして、差し出された手に動きを止めて。
 大きなおめめは潤むように光り輝いて。
「…はいっ!手を繋ぎたいのです」
 元気に大きくお返事を返す。
 そうして二人は手を繋ぐ。
 薄闇に輝く小さな花と。
 白く大きなともしびと。

「ふう。チケットを買うだけなのにドキドキしちゃったのです」
「そうかい?でも上手に出来ていたよ」
 ふと思いついた一彦はチケット購入の際、抱き上げた希に端末操作を任せ、購入体験をさせてあげていた。
 普段と違う場所、普段は出歩くことなどない夜。
 いつもと違う格好の兄、そして手を繋いでのお出かけ。
 楽しい!楽しい!楽しい!
 もうこれだけで、希の胸は一杯になってしまうくらいに。
 入場ゲートをくぐりぬける。
 水族館へ向けて、温かな光を灯す街灯がレンガを模した通路を照らし、遠く浜辺にはバザールのイルミネーションが眩く海面を照らす。
「えへへっ。お兄ちゃん知っていますか?√エデンでは子供の手はギュって握っていい法律があるのです、特に十歳までの子は抱っこもしないといけないのですよー」
「え?…√エデンという所ではずっと手をつなぐ…ふむふむ、そうなんだね。それじゃあずっと手を繋いでいようか」
 手をずっと繋いでいたい。
 抱っこだってしてほしい。
 でも素直に言ったらきっと子供だと思われてしまう。
 そんな複雑な妹心を知ってか知らずか、素直に頷くとお兄ちゃんはぎゅっと希の右手を握ってあげる。
 可愛い嘘にはそっと気付かないふりをして。
「きちんと動いている水族館に来るのは俺も初めてだから、楽しみだね」
「お兄ちゃんも初めての水族館なのですか!うふふっ嬉しいのですー」
 雑踏の中、内緒話のように兄妹は小さく語り合う。
 そうして青い夜を抜ければ、二人は白い海の卵へ。

「えっと…このアクア・リーンカーネーションという所に行きたいのです」
 そう希が云ったのは、慈雨村の近くを流れている川に何となく似ているから。
「アクア・リーンカーネーションか…確かに慈雨村の川に一番近い姿をしているね」
 それはまるで、本物の清流がそのまま移されたかのような光景。
 陽光が降り注ぐ、光り輝くせせらぎ。
 透き通った水と翠の木々、草花、苔たちを美しく輝かせて。
 川の源流エリアにはイワナにアマゴ、サツキマス。
 中流にサンショウウオにアユ、カワムツ。
 下流にはナマズにメダカ、ウナギ。
 そしてカエル、オタマジャクシにカニや小エビ類。
 翠に抱かれた流れの中には、大きなものから小さいものまで。
 せいいっぱい命を謳歌する愛らしい生き物たちが、肩を寄せ合う。
「……生きている生き物の数も種類も段違いに水族館の方が多い、本当ならこの位豊かなんだね」
「ふむふむ…あっ!この生き物見たことがあります!ピースみたいな手を持っていてちょこちょこって動いていたのです」
「え?この生き物を見たのかい?村の川で?か…に…サワガニ?」
「サワガニって言うのですね…不思議なのですー」
「へぇ、村にもこんな生き物がいるんだね。希は物知りだね」
 一彦が微笑み、そっと希の髪へと手をやれば。
「えへへ、褒められたのです!」
 川面に反射する光の中、小さな花はこれ以上ないくらいにほころんで。
「それじゃあ、村の川にも、探せばこんな生き物たちがいるのかな?……今度、一緒に探してみようか」
「本当ですか!?約束なのですよ、お兄ちゃん!」
 よりいっそう、花はぱあっと光輝く。
 微笑んで、頷いて。
 兄は妹の手を優しく繋ぎ、歩幅や視線も合わせてゆっくり、ゆっくりと歩いた。 

 彼女が望んだ雨宿り。
 その時間が少しでも長く続くようにと。

黒後家蜘蛛・やつで
白兎束・ましろ

●ハレルヤ!遅かりし夏の訪れ
「夏休みですよましろ!!!!」
 サマーバケーションモードの黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)が夜空に叫んだ。
 入場門を通った他のお客さんたちが思わず少女を振り返るが、まあ夏だもんなと納得した様子ですぐに視線を戻す。
 その元気すぎる声は、どちらかというとサマーバーサーカーモードと云っても良かったかもしれない。
 なにせ今年のやつでの夏はあまりに忙しすぎたのだ。
 詳しく語れば、ノベルの一本くらい出来てしまうかもしれないほどに。
「けれど、一族の重鎮たちに頼まれたお役目もひと段落!お仕事のついでに遊べる場所と家主様からご紹介いただいたのでさっそくましろを引き連れて現場へ急行しました!」
「急行されました!そうっすよお嬢様、まだましろちゃん達の夏休みは終了してないっす♪ほうほう、ここが現場の水族館っすか、てゆーか、なんかめっちゃ変わった形してるっすね!」
 やつでの言葉に同じく元気に応えるのは白兎束・ましろ(きらーん♪と|爆破《どっかーん》系メイド・h02900)。
 ましろがおでこに手をかざし、目を凝らすふりをして眺めるのは、マリン・ワールドの入場ゲートからすぐ見えるシー・エッグ。
 海近くの段差を利用して作られたマリン・ワールドは、入り口からゆったりとした下り坂で海へと向かう全体像を持っており、実は入場ゲートは崖を利用して海面から高い場所に位置している。
 そんなゲート近くに存在するシー・エッグは崖に埋まるように建てられ、天井付近の入り口から入館するのに高所へ昇る必要がないよう設計されているのだ。
 青い夜空の下、白く浮かび上がる海を包む卵へ。
 やつでとましろ、手を繋いでいざ!イン・ザ・ラストサマー!

「ましろ、あっちのサンゴ礁ならわんちゃんウミグモいるかもですよ!」
 薄暗い館内に、入場者たちのひそめた声がさざなみのように反響する。
 まるで白と黒の小さな魚のように、二人は不思議な卵の中、夜色の海へと飛び込めば、さっそくやつでのお目当ての生き物を探し始める。
 ウミグモ。
 名前と大まかな姿が似ているがゆえに、やつでが親近感を抱いているが蜘蛛ではない。
 その多くは胴体が小さく、体の大部分が脚という独特な姿をした海棲動物である。
「うーん、お嬢様と手分けして探したけど、見つからないっすねー」
「ううう……やっぱりですか……」
 お目当ての居そうな水槽はひとしきり探してしまった二人。
 今は水族館中央部、中空の広場のソファに座り、ひとやすみ。
「まあ……SF映画のモンスター感すごいウミグモは人気がないことを理解しているのです。可愛くないものの淘汰もまた必然……」
「さすがお嬢様、様々な経験をつんで可愛さへの理解が進みましたっすね!あ、泣くならハンカチあるっすよ?」
「泣きません!でもこの悲しみを癒すちょっとした甘味を希望します」
「しょうがないっすね。館内は基本、食べ物持ち込み禁止ですけど、のど飴的なものはOKと出来るメイドのましろちゃんは調べておいたっす!はい、飴ちゃん」
「さすがはましろなのです!ころころ」
 そうして頬で飴をころがして。
 青と白が影を彩る巨大なドームの中、二人はゆったりとした時を過ごす。
 そう、あまりに忙しなさ過ぎたこの夏に、遅ればせながら手に入れたかったのはまさにこんな、二人で過ごすなんでもない時間。
「ああ……クラゲはカラフル荘厳華美な進化を遂げて水族館の人気者なのですね……む、ウミウシ」
 視界に入った水槽の中、カラフルにして特徴的な触覚を持つウミウシになにか感じるところがあったようで、やつでがぴょんことソファから立ち上がれば、あっちです、とましろの手を取り、水槽前へ。
「ウミグモはいなかったけど海の兎ならいたっす!ゴマフビロードウミウシって名前みたいっすね♪」
「あのピコピコはバニーに通じるものがあります!
「思った以上にモフモフしてて可愛いっすね!」
 暗い海の中、青く照らされたお互いの顔を見て、少女たちがふふふと笑みをもらす。
 それはまるで、水の中にふと生まれた泡がぱちんと弾けるような。
「ましろの好きな海の生き物はなんですか?次はそれを見に行きましょう!」
「好きな海の生き物は蟹っすよ、蟹!茹でたての蟹とかめっちゃうまいっすよね~じゅるり」
「もう、ましろはムードがないのです!」
「あー、お腹空いてきたっす。お嬢様、次は外のバザールに向かうっすよ♪」
 今度はましろがやつでの手を取って、人波をかきわけ泳ぎ出す。

 二人の夏はまだ、はじまったばかり!














「……あれ?お嬢様、カニにまぎれてるアレ、ウミグモじゃないっすか?」
「えっ!うそ!?」
 そう。
 二人の夏はまだ――はじまったばかり!

如月・縁
橋本・凌充郎

●Beauty and the Beast.
 天上に居た時には知らなかったの。
 暗闇は怖いだけの場所じゃない。
 そこにあるのは恐怖と不安。
 けれど同じように静けさと安らぎを秘めているって。
 そう、このバケツ頭ののっぽさんみたいに。

「わ、わ!すごい…!水族館ですよ、凌充郎さん!」
 如月・縁(不眠的酒精女神・h06356)は生まれて初めての水族館に大興奮。
 今日のためのとっておき。
 夜空のように、海のように深い青色のワンピースの裾を翻して振り返れば、同行の彼へ満開の笑顔で呼びかけた。
「――――水族館、か。確かに、ここは俺も初めて訪れる施設だ。意義としては…普段は出会う事のない水生生物の展示、だったか」
 くぐもった低い声で応えたのは橋本・凌充郎(鏖殺連合代表・h00303)。
 長身を暗い色の服に包み、その頭部をバケツに包んでいる男。
 やけに声がくぐもっているのはそのせいだろう。
 二人は連れ立ち、ゆっくりとシー・エッグのスロープを下っていく。
 シー・エッグの水槽、ひとつひとつを覗き込み、ゆっくりと眺めながら――主に縁が。
 なにせ天上で生きてきて水中の生き物には慣れない。どれも不思議で興味深いのだ。
 凌充郎は薄暗く落ち着いた青の空間と、はしゃいでいる如月縁の姿を交互に眺めて。
「普段は見知りえぬ未知との遭遇。等というと毎度頭を悩ませる怪異共を彷彿とさせるが…ここはそうでもないようだ。成程、平和なものだ」
 そんなことを呟いている。
 螺旋のスロープを下りて、さらに深く。
 辿り着いたのはエメラルド・ブルー。
 水槽のあちら側に切り取られた温暖な世界の中には、思い切り枝葉を伸ばす緑と花々。
 エリア名とおりにエメラルドブルーの水の中には、その色に負けないくらいの色とりどりの魚たち。
 カクレクマノミから始まり、ナンヨウハギ、ツノダシ、ルリスズメダイ、アカククリ、ホンソメワケベラ、ルリスズメダイ、ブダイ、それにウミガメ。
 赤にオレンジ、黒と白のしましま、ぽっこりと飛び出したおでこの真っ青な魚にレモンイエローと蛍光ブルーの縞模様。
 さらには青銀に黄色と黒、紫から黒へのグラデーション。
 縁はかぶりつきで、水中に花開いた万華鏡に目をぱちくりさせる。
「――――熱帯魚、か?名前の通り、気温、および水温の高いところに生息する魚類か。確かのこのように色鮮やかであっては、天敵に見つかりやすいだろうに。それを気にすることもない環境、という事か。それはそれで、平穏だな」
「こんなに色鮮やかなお魚が水中にいるんですね…すごい、神秘です。凌充郎さんは、好きなお魚はいるんですか?……食べるではないですよ?」
 縁の問いかけに、バケツヘッドの怪人はたっぷりと勿体を付けたのちに。
「――――好きな魚か?―――――食べる以外でか。以外となると―――――すまんな、わからん。こうして眺めている分には、綺麗なものだとは思うのだが」
 案外と生真面目な答えを返す、なんとなく困ったような色が混じる声音に、縁は「いいえ、いいんです」と微笑んで。
 今度美味しいお魚料理を作ろう――白ワインに合うやつ、と心を固めた。
 次に辿り着いたのはブルーリング。
 見上げるほどの水槽が形作るのは、卵の内壁を青く飾る巨大なリング。
 数えきれないほどの群魚を見れば、女神はここでも酔ってしまったようにうっとりと瞳を蕩けさせる。
「すごい、人魚がいてもおかしくない世界です。こんなに楽しいところがあるんですね」
 その口元が我知らず、ほころんでいく。
 水槽越し。
 そっとほころんだ水中花を男は少し、見つめて。
「――――人魚か。クハハ、この深い蒼の世界に在っては、人魚と呼ぶに相応しい存在はまさに隣にいるがね」
 怪人が口にしたそんな言葉を耳にすれば、青い瞳が大きく見開かれる。
「…え、あ、人魚ってもしかして……えと、光栄ですけど、照れます…!」
 縁はうつむいて、ぼそぼそとそれだけを返して。
 振り返りたい。
 振り返れない。
 しばしの逡巡。
 ゆっくり、ゆっくり。
 なんとか振り返れたけれど、女神様は恥ずかしさに上目遣い。
 怪人を見る顔は、少し赤いかもしれない。
「結構ひとがおおいですね。あの、はぐれたくないので…繋いでもいいですか?」
「―――――あぁ、繋いでおけ。俺の姿など、目立ってはぐれようがないだろうが、な」
「ふふ。確かに目立ちますけど…これは言い訳なのです」

 まだ一緒に、この海を泳いでいて欲しい。
 この夜を二人で旅していたい、まだ知らない宝物を探して。
 ――指先に灯る熱は、まるで小さな宝石のようで。

御剣・峰
ルメル・グリザイユ

●Lady lion dancing with his shadow.
「わあ~すごい、夜の水族館なんて初めて来たなあ」
 シー・エッグの門を抜けエントランスホールへ降り立てば、彼は演技がかった様子で軽く腕を広げる。
 端正なルックスとは裏腹の、無邪気とすら云えそうな声音。
 ぬめるような長い漆黒の髪と人懐こい光を宿す、しかし鋭い瞳。細身の長身。
 ともすれば女性的な印象なのに、全身を包む黒色の中輝くシルバーアクセ、その大ぶりなデザインと腕に刻まれたタトゥーはこれ以上なく男を主張して居る。
 彼が纏うどこか危うい空気は、まるで夜に似合う麝香の匂い。
 その危険な香りを振りまくように、彼は隣の女性へ笑顔を浮かべる。
 こんな人がエスコートするお相手、一体どんな素敵な人なの?
 でもきっと、こんな彼なら連れの方はもうすっかりのぼせ上ってしまってるんじゃ。
 当然のように周囲の注目を浴びていた彼の、デート相手にも思わず視線が集まる。
「水族館自体は来たことはあるが、あれは仕事でだったからなぁ。夜の水族館は私も初めてだ」
 しかしながら、彼にそう応じる女性は、周囲の一般人観覧客たちが想像したような、背徳的とすら云える彼の香りにたやすく蕩けて、今にも胸に飛び込んでしまいそうな女性では無かった。
 燃えるような金茶の瞳。
 鮮やかに青い髪をショートカットにし、抜群のプロポーションをスタイリッシュな衣装に包んだその女性はきりりと凛々しい、まるでモデルか、宝塚の男役と云ってもいい麗人だった。
 まあ、実は本当にモデルの仕事もしているのだが、そんなことはもちろん、周囲の知るところではない。
 隙の無い雰囲気はオーラとなって彼女を包み、容易には人を近付けさせない。
 けれど洗練された雰囲気にはどこか上品さが香り、力強くも明るい笑顔は人を引き寄せる引力のようなものすら感じさせる。
 ルメル・グリザイユ(寂滅を抱く影・h01485)と、御剣・峰(蒼炎の獅子妃・h01206)。
 陰と陽。影と光。男と女。
 どこまでも対照的なのに、どこか同じ匂いを感じさせる二人。
 それは、この上半期に√汎神解剖機関の欧州において世界を揺るがす大事件となった天使化事変、その戦いをパートナーとして乗り越えた故のものだったかもしれない。
「今日は「天使化事変の慰安会」、ってことではあるけれども……ね、折角だし雰囲気ぐらいは楽しんじゃおうよ~。こんなにロマンチックなんだから」
「確かにな。では、エスコートは任せるよ」
 顔だけみれば一見女性とも見間違う彼が、しかし紳士然として恭しく手を差し出せば、峰も軽く笑みを返してた美しく整えられた指先を、そっとそれを重ねる。
 女性をエスコートするのに慣れているのだろう。
 余裕たっぷりのしぐさ、ごく自然に峰の歩幅へと自分の歩みを合わせて歩き出すルメルの様子は、まるで海の王国を往く黒騎士。さながら峰はちょっぴりお転婆な姫君というところか。
 ぼんやりと暗い館内に響くのは、静かなBGMと水泡が弾けるようなSE。
 覆いかぶさるような黒と青の空間に時折暖かく光るのは足元を照らすフットライト。
 青と白、二色に輝く水槽の光を頼りに、姫とお付きの騎士がまず向かったのはナイン・ジェリー・ライフ。
 スロープを一歩入れば一段階暗くなったスペース内に、九本の、床から天井までを貫く円柱型水槽が見えてくる。
「クラゲってどうしてこんなに癒やされるんだろうね~。ただ静かに、ひたすらに海中を漂って…まるで悲しいことなんて、何ひとつないみたいに」
 夢見るような瞳でルメルがそんな言葉を紡ぐ。
 まるで自分もそうありたいというかのように。
「ふむ。クラゲは群体だったかな?小さな生物が寄り集まってあの形になっている気がしたが、悲しいことがない生物などいないと私は思うぞ。野生の虎や鯱でさえ、子供を慈しみ、死ねば泣く心を持っているのだから」
 しかし、峰から返ってきたのはそんな言葉。
 男性はロマンチスト、女性はリアリスト、なんていうけれど。
 どんな生物だって悲しむ心は持っていると告げる彼女の言葉は、現実的でありながらもどこか、そうであって欲しいという願いが含まれているよう。
「我々人間には理解できないだけで、彼らは彼らだけに伝わる心を持っている。だから、クラゲだって今に繋がっているのではないかな」
 そう続ければ、燃えるような琥珀の瞳が水槽へと注がれる。
 そんな峰の横顔を、一瞬きょとんとした顔で眺めたのち、ルメルは蕾が開くように笑みをこぼして。
「……そうだね。「キミって悩みなんてなさそうだよね」、なあんて言われたら、誰だって普通にイラッとするもんね~。ふふっ、キミたちもごめんねえ」
「いや、私こそ変な話をしてしまったな。忘れてくれ」
 いいのいいの、なんて茶化すように笑って「さ、別の水槽もみよう?」と、ルメルは峰の手を引く。
「ミズクラゲのあの模様も可愛いよねえ。ふふ、いくらでも眺めてられるなあ」
 水槽の中のクラゲたちに謝りながらそっと、手を伸ばす。
 ガラス越し。届くはずのない彼らを撫でようとするかのように。

 ひとしきりクラゲを眺め、次に二人が向かったのはブルー・リング。
 見上げるほどの高さの青い青い水槽は、横へとこうべを巡らせても遠く卵の向こうまではとても見通せない大きさ。
「やはり、狭い世界とは言え、自由に泳いでいる姿はいい」
 しかし、これだけの大きさをもってしても峰の目には狭いと水槽は映る。
 古き家を飛び出し、世界という大海を知った獅子妃の物差しには人造の海などさもありなんというところ。
 けれど、それでも。
 計算されつくした設計という魔術様式が作り上げた陸上の海は、努力と歴史が作り上げた人の身が起こしうる小さな奇跡と云ってもいい。
 そのことを思い、またそこに泳ぐ数え切れないほどの魚と、ジンベエザメ。
 確かな命の躍動を感じて、峰は感嘆の声を上げる。
「大海原の厳しい自然と切り離され、安心と安全を担保に自由を失ってはいるが、それでもここに居る者達は自分達は今生きているんだと、自分達はここにいるんだと命の限り叫んでいる」
「うん……綺麗だ。まるで海の一部をスッと切り取ったみたい」
 どちらかというと理を以て語る峰と、感性を以て語るルメル。
 二人はその中身までもが対照的だ。
「命を切り売りすることをしていると、どうしてもそんな考えになってしまうが、私もそんな風に命を燃やして生きたいものだ」
「命…命かあ。……僕にとっては命なんてただの消耗品で、必要なら…その時それが一番の最善なら奪う。ただ、それだけだからなあ。…いや、「最善」って良い方はおかしいか~、ふふ。恨まれるのには、もう慣れっこだからねえ」
 背筋をぴんと伸ばし、まるで演説をする政治家のようにはきはきと語る峰と、スロープ脇の手すりに寄りかかってぼんやりと水槽を眺めるルメルは、しばらくの間そうして青い青い迷宮へと自身の心を解き放ち、あまりに激しかったあの戦いを思う。
「そういえば、お礼を言っていなかったな。天使化事変、付き合ってくれてありがとうルメル。刃以外で私について来れる奴がいるとは思いもしなかった。さすがは、刃が認めた男と言うところか」
 ふと峰がルメルを振り返り、かの戦いを経て思っていた心情を語る。
「兄妹揃って認めてもらえるだなんて光栄だな~。でも僕は、そんなに大したやつじゃないよ。付き合ってもらったのは、むしろ僕のほうだしね~。峰ちゃんが守ってくれてたから、心置きなく探索できたんだよお。僕の方こそ、どうもありがとお」
 その視線をルメルは柔らかく受け止める。
 そうしたのちに「よいしょ」と姿勢を正し、真直ぐに自分を見る峰の瞳を、まるで眩しいものでも見るかのように少し目を細めて見返した。
「何か返礼を考えさせてくれ。背中を預けた相手に何もしないと言うのは、私の自尊心が許さないのでな」
 青髪の、勇敢なる姫君はそう云うと、では次へ行こうかとでもいうように右手を差し出す。
「お礼だなんて…人気モデルさんに今日こうしてデートしてもらえただけで十分だよお、ふふっ」
 その手をそっと受け取って、影を纏う男もより深い海の中へ再び潜り始める。
「……こんなことで良いのか?まあ、お前が良いならそれでも良いが」
 繋がれた手が眼前まで持ち上げられる。
 寂滅を抱く黒衣の男が悪戯っぽく笑えば、蒼の妃獅子は一瞬不思議そうに、けれど柔らかく笑みを返す。

 海の王国を旅する姫と騎士。
 影も揺らめく海中の迷宮に刻まれるのは、戦の傷を癒す今宵一晩だけの旅路。
 薄く香るは夜の匂い。
 戦友というカクテルに、一滴落ちたのは甘いヴァニラ。
 だけど知ってる?
 甘い香りのヴァニラは、本当は舐めると少し、苦いってことを。

第2章 集団戦 『バロウミミック』


●アクアマリン・ナイト・バザール
 水族館を出る。
 館内の冷房に馴れた頬をそっと撫でるのは、優しく湿気を含んだ潮風。
 夏の夜の風も、冷えた肌にはその温かさが少し優しくも感じさせる。
、すぐそばの階段を降りればそこは浜辺に続くウッドデッキの小路。
 潮風を受けながら浮き立つよな歩みを進めれば、月光に輝く青い海に浮かぶのは、波に揺らめくやはりウッドデッキで作られた、まるで人造の島のような広場。

 アクアマリン・ナイト・バザール。
 空には煌めく星々と、中天に浮かぶ大きな月。
 広場の中央には水面に光を反射させる、海の仲間たち――イルカやシャチ、イカやタコ、様々な動物たちのイルミネーションが煌めき、フォトスポットとして賑わって、周辺には休憩用のパラソル付きテーブルとチェアが並び、時折祭りの熱気を冷ますように、広場は霧雨のような噴水とミストが清涼をお届け。
 夏の夜の霧はきっと、イルミネーションと月の光を反射して、まるで夢のように綺麗。
 ひょっとしたら、虹だって見えるかもしれない。
 そしてその広場を囲むように、夜に浮かび上がるのは、青と白で飾られた幾つものテント。
 串に刺さったバーベキューはビーフ、ポーク、チキン。
 味はソルト、バーベキューソース、スパイシーカレーの三種から選んで、ジューシーなお肉をしっかりと。
 フライドポテトも定番だ、からっと揚がったポテトにソースをかけて召し上がれ。
 ソースはミート、チーズ、サワークリームの三種。
 ほくほくのポテトに絡んでどれもとても美味しい。
 こうなると飲み物も欲しいところ。
 ジュースパーラーには新鮮な野菜と果物がそれぞれ二十種類ほど用意されていて、2~3種を組み合わせてオリジナルの味を作って貰うことが可能。
 冷たく甘いジュースは、まだまだ熱の残るこの時期の夜に、一時の清涼感を齎してくれるだろう。
 もっとしっかりと甘味が欲しい?
 お任せあれ!もちろんあります、カキ氷にジェラート。
 定番から変わり種まで、真っ白できめの細かい氷に、シロップやトッピングをかけて召し上がれ。
 ジェラートはクリームベースのものからソルベまで、色とりどり、味も様々に楽しませてくれる。
 ゲーム系を楽しみたい方にはこちら。
 ウォーターガンを使っての射的コーナーや輪投げゲーム。
 お土産物屋さんで扱っているマスコットやぬいぐるみなど景品は充実。
 もちろん濡れないように、可愛らしい海の仲間たちがプリントされた風船の中で、あなたがゲットするその時を待っている。
 そんなお土産ものも充実。
 海の仲間たちのカチューシャや肩に乗せられるマスコットにぬいぐるみ。
 イルカやシャチのキャップに、これもマスコットがついたリストバンド。
 バッグやタンブラー、キーホルダーやペンライト。
 さらにはシー・エッグをモチーフにしたテーブルランプがいろんなサイズで。
 つるりと白い卵の真ん中、ブルー・リングをイメージした金の縁取り付きの青いリングが目に鮮やかな、置物としても可愛いデザイン。
 程よい重さでぽんと触れれば、柔かな白い光が、まるでこの日の水族館のようにあなたの部屋を照らしてくれる。
 それに水族館内をじっくり見れる映像ソフトやレターセット、ハンカチ、タオル、パーカーやTシャツ等々。
 一緒に眺めるだけでもきっと楽しいひと時。
 そしてその誰かと、きっとシェアしたくなるものが見つかるはず。

 さあ、夜市へ繰り出そう。
 夜闇に縁どられたアクアマリン。
 その宝石のようなひと時は、今宵一晩だけ。
 のんびりしている|暇《いとま》なんてないのだから!

 ……でも、ひょっとして。
 異世界から迷い込んだ、手のひらサイズのやどかりさん、そんな影が広場のどこかで見かけるかもしれない。
 そうしたら、他の人には気付かれないよう、そっと近くの影を探してみて?
 きっとその子が抜け出してきた異界の穴が見つかるはず。
 悪さをしないよう、誰かを驚かせたりしないよう、どうぞそっと、もとの世界へもどしてあげて下さい。
 今日のこの、優しい潮騒のように。
四之宮・榴
和田・辰巳

●Blue&Black.
 少し強い潮風が肌に心地よい。
 見上げれば青い夜空に、白い月が輝いている。
 8月の終わり、浮かんでいるのは上弦の月――ハーフムーン。
 星々に囲まれて、けれど星の光を消してしまうほどではない優しく甘い月光が、暗闇の中、まるで幾重にも重なるフリルのようにさざ波を輝かせる。
 流れるBGMは潮騒、重なる人のざわめきも館内より少しだけ大きく、騒がしく。
 そう、だってここは海の上の夜市。
 そこは日常から切り離された、ちょっとした異世界、そのお祭りなのだから。

「こちらは売店などが並んでいるのですね。…お土産?」
 どうしよう。
 何か買って行ったほうがいいのでしょうか……。
 真剣な顔で悩んでいるのは四之宮・榴(虚ろな繭〈Frei Kokonファリィ ココーン〉・h01965)。
 でも、何を買ったらいいのか……そ、それに、あんなこちらのロゴ入りのお菓子なんて買って帰ったら、そ、それこそ珊瑚様たちに……ば、ばれ……さっき見たのはおそらく、そうだったと思うし……。
「あ…あの…いまいち、解らないので…げ、ゲームでも…しますか、辰巳様?」
 ひとまず置いておこう。
 誤魔化すように同行の彼――和田・辰巳(ただの人間・h02649)へ笑顔を向ける。
 けれど。
『珍しい続きだ。流されっぱなしの榴から誘ってくれるなんて。じーん。涙がほろり』
 せっかくの笑顔は、おや残念。
 なにかを噛み締めるように瞳を瞑り、ぐっと拳を握る辰巳の目には映っておらず。
「…あ、あの…辰巳様?」
 そっと榴が肩に触れると、はっと目覚めたかのように慌てて内的自意識を整える。
「あ、うん。ごめん、ゲームだね。榴はどんなゲームをやってみたい?」
「…射的、でも…いいですか?…多く取った方が、勝ち…で、良いでしょうか?」
「勿論。負けても泣かないでね」
 そうして二人がやって来たのはウォーター・ガンマンと銘打たれた射的コーナー。
 料金を支払い、三回分の水が注入されたウォーターガンで好みの景品を落とすというもの。
「……」
「……」
 二人はしばらく銃の重さや銃口の向き、銃身の歪み、照準の偏りなどを確かめると。
 ジャカッ!
 bang!bang!bang!
 beeow!beeow!beeow!
 人間計算機、ジェネラルレギオンの能力と、海神の化身、水使いとしてのチカラを遺憾なく発揮した二人は見事、百発百中。
 無事景品をゲットする。
「……え?今なにが起こったの?」
 周囲のギャラリーの歓声に係員のバイトのお兄さんの呟きは哀れ、かき消されて。
 榴の胸にはぬいぐるみ。
 可愛らしくディフォルメされたそれは、鯨、水クラゲ、龍宮の遣い。
 全部、辰巳が好きそうなモノ。
 辰巳の手にもまた、ぬいぐるみ。
 やはり可愛らしく整えられたデザインのそれは、デメニギス・羅鱶・水クラゲ。
 全部、榴が好きそうな物。
「……ええと」
「……あの」
 お互いの成果を確認した後、発生したのは無言の間。
 どういう意図で相手が、本気でそれを狙って取りに行ったのか。
 なにも云わなくとも、やはりそういうのは伝わってしまうもので。
 向き合う両者。
 赤面。
「…なんで…辰巳様が、僕の好きそうな物…持ってるんですか?」
「榴の方こそ、どうして僕の好きそうな物持ってるの?」
「…さ、差し上げたい…から、です」
『う”っ!可愛い……』
「…勝負は、ドロー、ですか?」
「だね。ええと、じゃあ交換しようか」
 辰巳と榴は景品を交換して、共に笑う――?
「ひぅ!?た、辰巳様、こっちへ……っ!」
 あれ?今、一瞬、榴に猫耳、猫尻尾が生えませんでした?
 疾風の如き速さでショップテントの裏へと引き込まれれば、この状況に辰巳も戸惑いを隠せない。
「ど、どうしたの榴、敵?」
「しっ、静かに…!」
 絶対に見つからないように隠れないと。
 そんな彼女の心境が伝わって来るかのように、ぎゅうぎゅうと小柄な体が辰巳に押し付けられる。
 あああ、そんなに押し付けたら、榴、その、なんていうか、小柄だし細いっていうのに、こう。
 一部分だけのボリュームがこう、大盛で……僕は、僕は……!
「ふう…もう、大丈夫…でしょうか」
「良かった……僕の理性がまだ無事で」
「え?な、なにかおっしゃいましたか?辰巳様」
 セルフコントロール。
「ううん、なんでも?それでどうしたの?」
「い、いえ…なんだか、知っている方々らしき人が見えたもので…つい…」
「……あー…そうなんだ。……恥ずかしくなっちゃったか」
「だって……いえ、気、気にしなくければいい、と判っているのですが…」
「……あはは、そうだね。――あ、ごめん、ちょっと待って」
 辰巳がふと目線を逸らす。
 ダンジョン化しつつあるこの空間へ迷い込んだモンスター…――けれど、まだまだ極小の世界の亀裂を通れる程度の、ごく小さい無害なもの――を見つけた辰巳は、ほんの少し榴から離れて、その子を空間の亀裂へと戻してあげる。
「ごめん、お待たせ。次は何処に行こうか――あ、でも、ひょっとしてもう帰りたい、かな?」
 いつもの穏やかな笑み。
 でも少し寂しいような笑み。
「……ぅ”」
 そこに隠された彼の気持ちをくみ取れば――榴の答えは決まっている。
 こういう時すべきことは判っている。
 そう、自分の気持ちなんて、殺せばいい。
「あの…いいえ。やっぱり、大丈夫…です」
「え!本当?いいの?榴」
「…はい。僕は大丈夫、ですから…」
 花が咲くような榴の笑顔に、辰巳のテンションは一気にトップギア。
「じゃあ次はジュースなんてどう?榴の好きな珈琲フレーバーなんてのもあるかもしれないし――」
 そうして二人は、再び手を繋いで、笑いあって。
 人波へと紛れた。

 ――ああ、神様。
 どうかいつか心から、この子が笑える日が来ますように。

夕星・ツィリ

●Ζωή στα αστέρια.
 広場の時計を確認して少女の頬に浮かんだのは、押さえ切れない笑み。
 いつもだったらとても出歩けない、今はそんな時間。
 でも今日は特別、夜市の日。
 海の上のナイトバザール、そんなシチュエーションに大人も子供も、もちろんイルミネーションやバルーンアートのお魚さんたちだって、みんな一杯の笑顔ではしゃいでる。
 そう、まるでここは舞踏会のダンスフロア。
 夜空の天蓋、海色の絨毯の真ん中。
 溢れる光のフロアに人波を泳ぐ足取りはほら、踊るよう。
 もちろん、小さなシンデレラの魔法が切れるのだって、まだ先のこと。

「こういうお店の香りって反則だと思うの」
 可愛らしく眉根を寄せて、|夕星・ツィリ《ゆうづつ✱⃟۪۪۪͜ːु⟡ ⁺.⋆》(星想・h08667)がお店のメニューを真剣に見つめる。
 魅惑の香りにつられて初めに向かったのは、フライドポテトのテント。
 だってフライの香りって、どうしても食欲を掻き立てられて、お腹が空いちゃう。
 彼女の目の前、夜風に乗って届くのは、カラリと揚がったフライドポテトと、あっつあつのお芋に絡むソースの香り。
 二種のフレーバーが混ざり合って彼女だけじゃない、バザールをゆくお客さんたちみんなの食欲を刺激してる。
 さりげなくお腹へ手をやって、はしたなく鳴いたりしないようにしながら。
 大人みたいにお澄まし笑顔で、ツィリは店員さんに注文を。
「ん~、美味しい!」
 ツィリが選んだソースはサワークリーム!
 コーン状に巻かれた容器の中、ほくほくポテトにとろりと絡むソースはさっぱりとした酸味が合っていて、いくらでも食べれてしまいそう。
 深い夜空と海の色の間、暖かな配色も優しい海の仲間たちのイルミネーションを見られるベンチは、まるでバザールの特等席。
 広場の中央。時折吹き上がるミストと噴水に歓声をあげるお客さんたちを眺めながら食べ進めると……ポテトはあっという間におなかの中へ。
「……ポテトのあとにはやっぱり甘いものよね」
 そんなセリフを呟いて、向かったのはジェラート屋さん。
 カップへ盛って貰ったのは、水族館らしいシーソルトに定番のバニラ。
「どちらか選べなくて両方にしちゃった」
 今度は食べながらバザールを見て回る。
 こういうことが出来るのも、お祭りならではの楽しさ。
「素敵……!」
 売店で一目惚れしたのはシー・エッグのテーブルランプ。
 つるりと柔らかな手触り、少しだけクリーム色が混ざった白に深い深い青のリング。
 ツィリは少し小さめのものと、両手で持てるくらいの2サイズを購入して、そのほどよい重さにウキウキ気分。
『1つは玄関に置こうかな』
 続けて見つけた可愛いイルカのレターセットは、家族へのお手紙用。
 やさしいマリンブルーの便箋の中、イルカのキャラクター達が波間に遊んでいる。
「せっかくだし……」
 すぐそばの筆記用具コーナーも物色。
 見つけたのはラピスラズリの名前がついた、深い青色が鮮やかなインク。
「思い出を綴るなら揃えたいものね」
 うん、と頷いて一つ手に取る。
 やさしいマリンブルーに、深い青色の文字が躍るのが見えるよう。
 きらきら。
 きらきら。
 輝く星の命からこぼれる光のような、今のこの気持ちを。
 きっと大切な家族に届けてくれる。

 逢の標はほら――ここにも。

白兎束・ましろ
黒後家蜘蛛・やつで

●うさかに合戦@くも
「ましろ、不出来なやつでを許して欲しいのです…!」
 黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)が、ごっつシリアスな顔で俯いていた。
 それはバザールへ着いて、しばし経ったのちのこと。
 さあ、食べよう!
 お目当てのものを食べよう!
 二人はルンルン気分だった。
 今日は夜のお出かけだったから晩御飯は早めだった、もうすっかりお腹が空いちゃった。
 今ならきっといつもの2倍、いや3倍は食べれそう!
 そんなウキウキ気分でイルミネーション輝く中、青と白の天幕で飾られたテント群を巡り始めた二人。
 なんていい匂い。
 なんて美味しそうな食べ物たち。
 これはきっと、お目当てのものも美味しく料理されているに違いない。
 ――そう思っていた時期もありました。
 けれど。
 歩めど、歩めど。
 探せど、探せど。

 ……無い?
 え?ひょっとして無いの?

 ……カニ、売ってないの?

 二人の笑顔はいつしか固く、背景は暗く。
 世界は深く海原へと沈んで、今やマリアナ海溝より深く。
 水深約10,983m、水圧は約108.6MPa。
 この過酷な環境にはさすがのやつで&ましろwithガーターベルトだって生きていけない。
 その頬にはいつしか大きな汗粒が流れ、焦燥はいつしか二人の足に10万トンの重しをぶら下げる。
 そして。
「――…ががーん!お嬢様(h02043)大変っす!どこにも蟹が売ってなかったっすよ!」
 白兎束・ましろ(きらーん♪と|爆破《どっかーん》系メイド・h02900)が叫んだ。
 たっぷりと間を作ったあげくに|世界《バザール》の中心で|哀《アイ》を叫んだ。
 助けてください!とは叫ばなかった。
 そんな|事情《ワケ》があっての冒頭の台詞であったのである。
「このバザールではカニは食べられないのです。水族館で見たお魚やカニに美味しそう!ってなって、外に出たらすぐに食べられる!っていうシステムは存在しませんでした……」
 がっくりと膝をついたのち、やはりたっぷりの間を作って芝居がかった仕草で、よよよとやつでは天を見上げる。
 YES、やつでさん、よく気付きました。
 よく見る水族館のコンセプトを眺めると、海の中に住む生き物のことを良く知ろう、みんな色々な生態をしているけれど同じ地球に住む仲間さ的博愛主義がそこには見え隠れする。
 実際の生物に親しみ、お友達めいた感情を抱くことで、帰りの売店で子供たちは親御さんに、イルカやシャチ、はてはカメやカニ、タコのぬいぐるみをねだってくれるのだ。
 で、あれば。
 あまりに海鮮美味しいね!と、お友達を食べる流れはあまり良くない。
 きっと。
 イメージ的に。
「そうなのです、あっても良い気がしますがあまりない気がします。何故でしょう?」
 むしゃむしゃ。
「みんな水族館でお魚を見ても食べたくはならないみたいっすね。捕食者系女子にはつらい世の中っすよ」
 もりもり。
 そんな不満をもらしつつも、しっかり買い求めたお肉――串に刺さったビーフ、ポーク、チキン三種をそれぞれが両手に持ち、ペコちゃんだったお腹をなだめながらそぞろ歩く二人。
 嗚呼、なんたる悲劇。
 青い夜の海の国。
 追い求めたのは|王子《カニ》の紅白タイツの逞しい脚。
 このまま少女たちの夢は海の藻屑と消えるのか。
 そんな結末があっていいのだろうか!
「って、見て回ってたらお嬢様が蟹を発見してくれたっす!」
 そう、なんで?どうして?と、二人が不思議に思いつつ、バザールをてくてく歩けば――捕食者たるやつでのやつでアイに映ったのは突然のカニであった!
 ババーン!
 集中線。
 それはウォーター・ガンマンと銘打たれた射的コーナーの景品、屹立する――立派なカニのぬいぐるみ。
 食べられはしない、けれどもカニだ。
 そう|夢《カニ》なのだ、ならばよかろうなのだ。
「ましろ、捕りますよ!」
「りょーかいっす!お嬢様とましろちゃんも、今日のところはアレで我慢してあげるっすよ♪」
 にやりと鋭い目つきで宣言するやつでとましろ。
 すでに気分は狩猟モード。
 ――だった、けど。
「えっ、ウォーターガン使うんですか?」
「はい、500円ね」
「あ、はい」
「お嬢様、二人の|夢《カニ》のためにガンバっす!」
「……」

 えいっ、えいっ、えいっ!
 ぴゅっ!ぴゅっ!びゅっ!

「はい、残念でしたー。これ、参加賞のポストカードね」
 係員のお兄さんのお情けを握りしめ、やつで撃沈。
 ヒーローは遅れてやって来る。
「しゃきーん!次はましろちゃんが挑戦っす!」
 お嬢様の仇!ましろちゃん、オンステージ!
 ウォーターガンを手にすれば、即座に働かせるのは爆破技能171レベル!
 えっ?銃器には関係ないんじゃないかって?
「ちちち、メイドはご主人様のためなら何でもできるっすよ♪」
 Bang!
 ただ、一発。
 ましろ、水鉄砲をくるくると回せば――ごとり、残弾構わずカウンターへ。
「ふっ、このましろちゃんにかかれば、一発で充分っしたね」
 彼女が告げるのとほぼ同時。
「ば、ばかな……!」
 バイトのお兄さんの目の前。
 カニぬいぐるみは舞うように、景品棚から落ちて行った。

「すごいのです!さすがはましろ……ん?」
 おとなしくギャラリっていたやつでが歓声をあげる。
 と、その視界に同じくウォーター・ガンマンに興じていた誰かの姿がちらりと。
 |狩人《蜘蛛》の真紅の瞳はその姿をしっかりと捉えて、そして目が合えば。
 おや、こんなところで。
 ちょっとした驚きに、やつではおめめをぱちくりと瞬き。
 するとあら不思議。
 間違いなく居たはずの見知った顔は、あっという間に掻き消えていて。
「あれ?どうしたっすか?お嬢様」
「いえ、今確かに……こほん。まあ、気にしなくて良いですね、やつでは大人のマナーというものを学んでいます、見て見ぬふりというやつです」
「そですか?じゃあはい、お嬢様、カニをどうぞっす!」
「うう、ありがとうなのです、ましろ」
 夜風の当たる頬が少し熱い。
 ダメダメな上にましろに逆に捕ってもらって、嬉しいやら悔しいやらのやつでなのでした――。

 なお。
 そんな二人が異世界から迷い込んだやどかりを見つければ。
「……これカニに似てるっすね」
「……ひょっとして味も似てるかもしれないですよ」
 なんて、つまみ上げるも。
「あっ、でも待って下さいお嬢様!これをちゃんと返してお仕事しましたよって云えば、巽ちゃんがカニを食べさせてくれるかも知れないっす!」
「ナイスアイディアなのです!さすがましろ!」
 なーんて話があったかもしれないのは。

 ここを見ているあなたと私たちだけの、秘密なのです。

西織・初
志藤・遙斗

●Nuit souvenir.
 水族館を出れば冷房で少し冷えてしまった体に、暖かい外気が逆に心地よく感じる。
 風の中、街灯に照らされたレンガ風の歩道を歩きながら、志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)は軽く伸びをして息を漏らした。
「すっかり普通に水族館を堪能してしまいましたね。一応仕事のはずだったんですけどね」
「まあ、何もなかったならよかったです。安全ならそれに越したことはありません」
 答えたのは西織・初(戦場に響く歌声・h00515)。
 人の流れに乗りながら館内で撮影した水槽の写真を眺め、表情こそ変わらないもののどれを妹に送ろうかと楽しげな雰囲気。
 そうして二人がやって来たのは海上の夜市、アクアマリン・ナイト・バザール。
 イルミネーションとバルーンアートで楽しげにデコレーションされた入場ゲートが見えてくれば、周囲の観客たちからは歓声が挙がる。
「さてと、一応館内は問題なかったですし、次はこちらも見て回りましょう」
 思っていた以上に水族館を堪能してしまったものの、仕事は仕事できっちりと。
 二人は談笑しながらも、気を緩めることなく会場を見て回る。
 バザール中央の広場、点在するフォトスポット。
 屋台のテント村、レストランエリアと見て回るが、ひとまずの異常は無さそうで。
 ならばと遥人は、ストラップ等が売ってる露店を見つけて足を止める。
「せっかくですし、何か買っていきません?俺は妹に何かお土産買いたいんですよね」
「ちょうどよかった、俺もお土産を買いたかったんです」
 妹という、守るべきものでありながら、時に己よりも強いというフクザツな存在を持つ者同士、こういう時にちょっとしたお土産は必須であると、男たちは理解していた。

 足を踏み入れた天幕中には普段、自分達とはあまり縁のない、カラフルで、ふわふわで、目がチカチカするくらいにファンシーなアイテムが盛りだくさん。
 目移りどころか、これこそダンジョンではないのかと迷ってしまうよなアイテム群の中、やはり小物類は嵩張らず、また買いやすいというもの。
 遥人は色とりどりのストラップと、真面目な顔でにらめっこ。
 以前、妹にそろそろブランド物のバッグでも欲しいかと聞いたところ「兄さんはもう少しお金を大切にしてください!」と言われてしまったのを思い出す。
「いやでもせっかくだし、これくらいなら問題ないはず」
 あれやこれやと選別して、これかというものを一つ、選び出す。
 しかしそれでも決め手に欠けると思ったか、遙人は初へと相談。
「このピンクのイルカのストラップ、女子高生に送るには少し子供っぽいですかね……西織さんはどう思います?」
 問われれば、初もまた妹を持つ兄。
 さて、ウチの妹ならばどうだろうかと、少し考えて。
「ピンクのイルカですか……俺はいいと思いますよ。志藤さんがしっかり選んだ物ならきっと喜んでくれます」
 そう云って、頷いてくれる。
「ですかね?なら折角ですし、こっちの水色のイルカも買ってお揃いにしておこうかな」
 ほっと安心した様子の遥人が呟きながら会計へ向かうのを見送り、初もまた妹へのお土産を見繕う。
 選んだのはイルカのぬいぐるみと、小さめのテーブルランプ。
 お揃いならぬいぐるみの色違いにしようと、別色の子も物色して。
 あとは自分が見たいから、水族館の写真集を探す。
 書物系は棚沿いかなと、探してみれば見事発見。
「良かった」
 写真は自分でも撮ったけれど、写真家が撮った物はやはり見事なもの。
 会計をすませ、再び遥人と合流すべく天幕の外へ。
「お待たせしました」
 能力の代償に失った表情こそ変わらないけれど、我知らずその足取りは軽やかなスタッカートを刻む。

 家族と、写真集を眺めながら思い出を語る。
 そんな穏やかな時間に、思いを馳せながら。

月島・翡翠
月島・珊瑚

⚫異世界の迷い子
「うっわー!きれーい!」
 水面を鮮やかに照らす海の仲間たちのイルミネーションに、少女は瞳を輝かせる。
 バザールの中央広場、輝くイルカを先頭に海の仲間たちが列を成す
 時間と共にマリン・ワールドのテーマが流れれば、イルミネーションは踊りだすように点滅。
 ジャンプ前、ジャンプ中、ジャンプ後の姿がややズレながら光ればそれはまるで本当にパレードを繰り広げているかのよう。
「これはうかうかしてられない!この刹那を切り取らなければ!」
 叫んだのは月島・珊瑚(憧れは水平線の彼方まで・h01461)。
 思わず刹那と云ったものの、スマホはしっかり録画を開始している。
「ようし、あとは手ブレしないようにゆっくり、ゆっくりー…」
 と、真剣すぎる珊瑚を横目に、のんびりとイルミネーションを眺めるのは珊瑚の妹、月島・翡翠(余燼の鉱石・h00337)。
 折角だから思い出作りしよう!
 という珊瑚の提案に翡翠も賛成し、二人まずはイルミネーションとフォトスポットを巡ることにしたのだ。

 パレードイベントを堪能したのち、バザール各所に作られたスポットを二人は巡っていく。
「うわー!助けてー!」
「この人、ノリノリだ…!」
 まず向かったのはシャチスポット。
 大きなシャチの尻尾の影に作られた階段を上れば、そこには寝っ転がれる透明な台。
 まるでシャチのテールバーストで跳ね上げられているかのような写真が撮れて、珊瑚は大変ご満悦。

「はい、笑ってー?」
「…でも、本当だったら、絶対笑えないシチュエーション、だよね…」
 クジラスポットではモンストロもかくや、大きすぎる口の中、ピノキオ気分を味わって。

「はい、そこで翡翠、刀を抜く!」
「こ、こんな人の多いところで刀袋から、出せないよ…」
 そんなワケでカニさんスポットでは柄だけをちょっと出して、居合のポーズを取った翡翠と巨大カニの対決写真をパシャリ。

 そんなスポットを巡りながら、珊瑚は自撮り棒を付けたスマホで一枚一枚、ごく真剣に撮った写真を吟味していく。
「ここは、この角度で?それとも…うーん、翡翠はどっちが良いと思う?」
「そんなにこだわる必要、あるの...?」
 一枚撮るごとにオブジェの前で角度を吟味し、あーでもないこーでもないと悩んでいる姉を眺める妹は、直感に従えばいいじゃん、と、淡白気味。
 写真を撮るのは好きだけど、基本的には記録用。
 細かいところには拘らないし、自分が撮られるとなると若干写真は苦手な翡翠なのである。
「やっぱり最初のスポット、シャチのカッコよさが撮り切れてない気がする!ワンモアいこう!」
「ええー…なんか…ごめんね?」
 珊瑚の拘りっぷりに、作り物のシャチも照れている気がする翡翠。
 こっそりと謝ったりして、でも楽しい時間は過ぎて行く。

 そして二人はスポットではない、けれどまるでスポットめいた不思議な光景に出くわす。 
「あ、ヤドカリだ」
 それはもう馴染んでしまった居世界の気配。
 思わず声を出せばそれは、カサカサと物陰へ。
 驚かせてしまったかもしれない。
 唇前に指を立て、顔を見合わせたのち、二人がそっとしげみを開いてみれば。
 灯りに照らし出された中には小さなヤドカリ達がたくさん。
「いたいた」
「ええと、じゃあ近くにきっと…」
 二人は手分けして周りを探す。
 そうすればほら見つかった、近くのベンチの椅子の下、小さな異界への穴。
「ほらほら、あなたたちも迷子にならない内におかえりー」
 今度は驚かさないよう、そっと持ち上げて。
 姉妹は迷い子たちを穴へと逃がしていく。
 帰れる場所がわかるなら、ちゃんと帰った方が、たぶんいい。
「これで一安心!」
「うん…そう、だね」
 やれやれ任務完了と、フードメニューをいくつか、フルーツパーラーでそれぞれの好みのジュースを買って来て、姉妹はお疲れ様、と小さな祝杯をあげる。
「「カンパイ」」

 帰れる迷子たちは元の世界へ。
 そして姉妹は今ここに。
 夢の彼方、眠るは記憶のラビリンス。
 二人の鍵はいまだその奥底へ、秘められたままで。

ルメル・グリザイユ
御剣・峰

●生者の特権
 陸からの夜風が、遠く海へと駆けていく。
 それがルメル・グリザイユ(寂滅を抱く影・h01485)の長い髪へじゃれつくように乱すのを、御剣・峰(蒼炎の獅子妃・h01206)は『そこらの女より綺麗な顔をしているな』なんて思いながら眺めた。
「館内も幻想的で綺麗だったけれども、このウッドデッキもとっても素敵だね~。ふふ、夜風が心地良い」
 そう云って髪を撫でつけるルメルと峰がやってきたのは、バザール奥に位置するビュッフェスタイルのお店。
 屋台で気ままに好きな物を、というお客さんも居れば、腰を落ち着けてせっかくの景色を楽しみながら、食事をしたいというお客さんもいる。
 こちらのフレンチ&イタリアンのお店も、そうした大人のお客さん向けのお店だ。

「さて、せっかくのビュッフェだ。色々と料理もあるようだし、さっそく食べるとしよう」
 何事にも旺盛という雰囲気の峰が云えば。
「あ、お先にどうぞ?荷物もあるし、僕は待ってるよ」
 ルメルはにっこり笑顔でレディファースト。
 優美なシェードのランプが灯る、海側の席へ腰掛ける。
 手を振り、峰を見送れば――そこはルメル。程なく隣席の女性二人から秋波が送られてくる。
 すれば、笑顔を返しながらもルメルは慣れた仕草で。
「ごめんね、今日はデートだから」
 と、柔らかく、けれど明確にお断りを。
「残念」「またどこかで会えたらきっとね?」
 そんな台詞を残して席を立つ女性たちと、入れ違い。
「ありがとうルメル、待たせたな」
 戻ってきた峰の皿にはボリューム満点の料理が見目よく盛りつけられている。
 見事な焼き目が食欲を唆るバーベキュー串はビーフ、ポーク、チキンの三本。
 付け合わせのマッシュポテトはチーズの香りが立っていて、クリーミーなのが食べる前から分かる品。
 さらに魚貝の出汁がばっちり効いたブイヤベースに、果たしてどこにあったのか、ほかほかの白米がどん!と、スープボウルぽい丼に山と盛られている。
 それぞれがそれぞれの存在感を余す所なく主張して、料理がテーブル上を占拠。
「いやあ、白米があって良かった。しかし、あの店員さん、用意するのに少々手間取っていたようだったが、余り頼む人がいないのかな?」
「そうなんだ?軽食で済ませる人が多いのかも知れないねえ」

 そう。
「すいません。こちらのお店、白米は置いていませんか?」
「……!?」
「?あの」
「しょ、少々お待ち下さい!」
 あまりに美人すぎた峰の頼みを無碍に出来ず、思わず賄い用のタッパーから白米を出して来たシェフの、ほんの微かなロマンスの香りなど、勿論彼女が知る由もない。

 そんな峰が戻って来れば、ごく当たり前という所作でルメルは立ち上がり。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 峰の椅子を引いて座らせると、二人は交代。
 今度はルメルが料理を探しにバザールへ。
 暫くすると、串焼き肉やガーリックシュリンプ、牡蠣のグリル、そして白ワインを手に戻ってくる。
「あれ、待っててくれたの?ごめんね、先に食べててくれてよかったのに」
「何を云う。私が料理を取りにいってくれている間、待っていてくれたのだから、当然だ。さあ、頂こう」
 月光を受けて黄金色に輝やく波間のフリルを眺めながら、ゲットしてきた大量の料理と共に、大盛りの白米をガツガツと、しかし作法に則った綺麗な所作で峰が食べはじめる。
 豪快なその姿に、ルメルは思わず目を瞬かせるが――…すぐに、ふっと柔らかく笑みを浮かべて感心するように眺める。
 峰ちゃんらしい。どこまでも対照的だな、なんて思いながら。
 そんなルメルはゆったりと、一口一口、食事を楽しむ。
 バーベキュー串も良いが、やはり魚貝にはこの白のワインがとてもよく合う。
 焼きすぎることなくジューシーに、プリプリの舌触りを残した牡蠣を一口、ワインで流し込む。
 健啖家の峰はご飯を何度かお代わりを。もちろんお代わり分も大盛りだ。
 今晩の店の賄いはパスタか、はたまたパンに切り替わることになるだろう、しかし満足そうな彼女の笑顔を前にして、シェフは己の決断に後悔は無い。
「ふう、食べた食べた。ごちそうさま」
 綺麗に食べきった峰はどうやら満足いったようで、思い出したように赤ワインへと手を伸ばす。
 グラスを揺らして香りを立てたのち、口内で味と合わせて味わえば、人心地。
 改めて、まじまじと自分へ向けられるルメルの視線に気づく。
「なんだ、レディの顔をそんなに見つめて。ぶしつけだぞ」
 見られることには慣れている峰、にやりと笑えばどうしてルメルが見ているか、分かった上でそんな前置き。
 すれば、ルメルも負けていない。
「ふふ、ごめんねえ。峰ちゃんがあんまり魅力的なもんだから」
 したり顔でそんな台詞を返す。
 いい夜だ、と思う。
「体が資本なんだ。しっかり食べないと良い体は作れないだろ?後は適度な運動と、美味い酒。健やかに生きるコツだ」
「ふふ、確かにそうだねえ。」
 ここからは酒を味わう時間。
 峰はうわばみだし、ルメルもアルコールにはかなり強い。

 二人はワインを味わい、漏れる吐息に交じる余韻を楽しみながら風景を眺める。
 峰が青い夜景をすかすように赤ワインを夜空へ掲げれば、生まれるのは赤と青が混じる高貴なる紫。
 古代より最も気品ある色とされ、癒しや、再生の効果もあると云われる神秘の色。
「この一杯のために、死地を駆け抜けたと思えば、味わい深い物だ」
「そうだね。…|キミのお兄さん《刃くん》との約束、ちゃんと守れて良かった」
 戦いを癒す夜宴のひとときに、ワインが生み出すのは交わされる笑みと思い出話。
 二人はしばし生者の特権と、夏の宵に浸っていた。

椿之原・一彦
椿之原・希

●|双魚《そうぎょ》、|水影《みずかげ》に蟹を得る
「そろそろ外に出てみようか」
 二人、水族館から出れば、頬に感じた風の心地よさに椿之原・一彦(椿之原・希のAnkerの兄・h01031)はそっと目を細めた。
「お兄ちゃんは楽しかったですか?すごくいっぱい見入っていたのです」
 そんな彼の腰のあたり。
 小学校低学年、ともすれば保育園通いといっても通じそうな幼い少女が声をかける。
「うん。俺は楽しかったよ。まだまだ知らない生き物が沢山いるんだね。希も楽しかったかい?」
 そう、妹であり、また自らが作り出したレプリノイドでもある椿之原・希(慈雨の娘・h00248)へ、一彦は微笑みかける。
「はい!ふわぁ…って声が出ちゃうくらい、水族館すごかったのです!」
 おどけるように希が云えば、お兄ちゃんは楽しそうに笑ってくれる。
 繋がれた手もずっとそのままで、こんなに長い間お兄ちゃんと手を繋いでいたことなんて、今までにあったかしら!なんて思うくらい。
「えへへ!」
 今日はなんて素敵な日。
 やっぱりお兄ちゃんを誘って良かった!なんて思いながら歩くものだから、希の足取りは自然とはしゃいで、スキップめいたものになってしまう。
 そうして兄と幼い妹はバザールへ向かう人波に乗り、ゆっくりゆっくりと次のお目当てへと向かう。
 きらめく海の夜市へ。

「わぁ!屋台が沢山…!」
 イルミネーションとバルーンアートで、楽しげにデコレーションされた入場ゲートを潜れば、今度は楽しい海の国の夜市の始まり。
 お客さんたちは歓声を挙げてバザール中央広場のイルミネーションや、涼を届けてくれる噴水やミスト。
 エリアに点在するフォトスポットへと散っていく。
 けれどもやはり、もっとも人が集まるのは美味しい食べ物や飲み物が集う場所、バザールのテント群だ。
「さて、希は何か食べたいものがあるかな?」
「ふんふん…いい匂いがするのです」
 可愛くお鼻を動かすふりをしながら、希が匂いのする方へとお兄ちゃんの手を引いていく。
 するとそこにあったのは――?
 輝き滴る肉汁!
 香ばしく焦げたソース!
 美しく焼けたお肉!
 そう、バーベキュー串のテント。
「バーベキューすごいのです!ぜひいただきましょう」
 一彦は希が選んだビーフのソルト味を注文、希に渡した後、飲み物でも飲もうと、それらしい売店を探してキョロキョロ。
「さて、ドリンクはどこに……」
 つんつん。
「ん?」
「もむもむ…お兄ちゃん、このお肉おいしいのです。お兄ちゃんも食べてくださいー」
 シャツの裾を引っ張って、まるでリスかウサギのようにお肉を頬張る妹が主張する。
「ふふっ、本当においしそうだ。って、ええ?希、全部食べていいんだよ?希くらいの年の子はたくさん食べて、大きくならなきゃいけない年頃なんだからね」
 けれど、そんな兄の言葉に頷くも、希の思うところは違うようで。
「ううん、お兄ちゃんと一緒に食べたいのです」
 そう云って、まるで自分が兄に食べさせてあげるのだとでもいうように、懸命に背伸びをしてお肉の串を差し出している。
 そう云われてしまえば、兄だって断る理由は無い。
「そっか……判った、じゃあ一口分けて貰おうかな」
 そうして差し出された串から一口分のお肉を噛み千切れば、有難うと兄は笑顔をお返しして噛み締める。
「…へぇ、本当の牛肉ってこういう味がするんだね。うん、おいしいよ」
「本当のお肉…そうですね、村では合成肉しかないですし。お兄ちゃんが本当のお肉の味を知って嬉しいのですー……ん?」
「なんというか、合成肉や培養肉じゃ味わえない野性味と歯ごたえが――…希?」
 不意に。
「ごめんなさいお兄ちゃん、ちょっと串を持っていて欲しいのです」
 突然、希からまだまだ残っているバーベキュー串を手渡された一彦。
 他のお客さんたちの行き来する雑踏を駆け抜けて、あっという間に小さな姿が見えなくなる。
「の、希?迷子になってしまうよ……!あ、すいません、ちょっと通して……」

「…もしもし、大丈夫ですか?」
 兄のそんな焦りは今だけ、ほんの少し後回し。
 希は屋台の影、殻の中に篭ったやどかり――バロウミミックへ声をかける。
 腕の中に抱き上げれば、殻の中から少しだけ顔を出す。
 モンスターながら、見るからにまだ幼体。これまでとは異なる世界と、見たことも無い生き物――人間たちの群れに、怯えているのかもしれない、そんなことを希は思う。
「大丈夫、大丈夫ですよ?すぐに元の世界に戻してあげますから」
 だから、この子がおびえなくて良いように、優しい声をかけてぎゅっとする。
 それに人がこのままこの子を離したら、誰かに踏まれてしまうかもしれない。
「でもお兄ちゃんは普通の人だから見たら怖がってしまうかも、どうしましょう…」
「希。急にどうしたんだい?それは何を抱っこ――」
「あ、お兄ちゃん!ああ、見ちゃったのです…」
 急ぎ追いかけて来てくれたらしい兄が、いつの間にか近くに。
「ええと…」
 どう説明したものかと戸惑う希に、けれど兄はきょとんとした様子で。
「えっと……確かこの形状は…やどかりだっけ…水槽から逃げた子かな?」
『あ、普通のやどかりさんだと思ってくれたのです!』
 こっそり心の中で喝采を上げる希。
 でも、勘違いさせたままなのは、なんだか嘘をついているようで。
 お肉食べるかい?なんて、実は希のおかわり用にもう一本バーベキュー串を買っていた兄。
 希の隣へしゃがみこんでやどかりへ差し出したりしている。
 ……この様子なら説明しても大丈夫かも。
 そう考えた希、意を決して説明を始める。
「お兄ちゃん、この子はどうやら別の世界から迷い込んだ子みたいなのです。でも、今はその、人に潰されたりしないように抱っこしててあげたくて…」
 ついさっきまではお兄ちゃんとの時間に夢中だった。
 けれど、こうして別√の関わる事件、そのニオイを感じれば希はちょっぴりお仕事モード。
 少し、兄の反応を心配しながら、上目遣いに様子を見る
 希の中には、なんだか可愛らしいこのやどかりさんを助けてあげたい気持ちが、むくむくと起き上がって来ていたのだ。
 でもあくまでモンスターはモンスター。
 見たことはなくとも、希が別世界で解決している事件のことも、モンスターが危険なことも聞いてはいる兄だ。
 危険だ、こんな沢山の人が居る中で――なんて云われてしまうかも。
 希の手に、少し力がこもる。
 ――けれど。
「あ、この世界の子じゃないんだね。それじゃあ返してあげないといけないね。……希、その時はちゃんとバイバイできるかな?」
 お兄ちゃんはいつも通りの、優しい顔でそう云ってくれて。
 ああ、やっぱり。
 やっぱりお兄ちゃんは、私のお兄ちゃんは優しい人なのです!
 って、凄く嬉しくなって、希の胸はぽかぽかとあったかくなって。
「はい、バイバイできるのです!」
 だから、こうしてとっても元気にお返事も出来る。
 ……知っていますか?お兄ちゃん。
 私が元気でいられるのも、幸せな気持ちになれるのも。
 いつでも、お兄ちゃんが私にくれるぽかぽかがあるからなんだって!
「今はちょっと人が多いから危ないけど、人通りが少なくなったら放してあげるのです」
「うん、今は確かに人が多いからこの子が蹴られちゃうかもしれないね」
「はい!」
 大きな手でそっと髪を撫でてもらえば、思わず希はぴょん!と立ち上がって。
「ちゃんと考えてていい子だね」
 そんな風に褒めて貰えばあんまり嬉しくて、自分のほっぺが赤くなっているのも判ってしまうくらい。
 ああ、今日は本当に、なんて素敵な日!
 村に帰っても、しばらく嬉しくて眠れないかもしれない…!なんて思う。
 こんなに喜んでしまうのは、ちょっぴり子供みたいだと恥ずかしい気持ちもあるけれど。
 でも、いいですよね?
 まだもう少しだけ、お兄ちゃんの前では子供でいても。

 ――…そうしてご満悦な希が、再びバーベキュー串を頬張るのを見ながら。
 まあ、あの一匹だけなら、希が充分対処できるだろうし。
 と、研究者らしく理性的な判断で妹の動物愛を肯定しながら。
『今度、希の機能補助AIに動物っぽい姿を与えてみるのもいいかも知れないな。小動物は情操教育にいいとも聞くし』
 思わずそんなことを考える、お兄ちゃんなのであった。

見上・游
永月・楓

●風に立つ、水に漂う
 このデッキを企画設計した人は海が好きなのだろう。
 デッキの端、海を眺めながら永月・楓(万里一空・h05595)はなんとなくそう思った。
 波と月光を活かしたこの空間。
 照らすのはイルミネーションとバザールの温かな光――自然に人の営みが調和するこんな景色は自分だって、いや、きっと誰だって、写真に残しておきたくなる。
「青の夜ってこんなに綺麗なんだね……すごく素敵」
 まるで海の上に立っているようなテラスの上。
 遠く遠く、水平線の彼方へと向かう陸風は柔らかくて、心地よくて。
 少し乱された髪へ指を通しながら見上・游(いちりんそう・h01537)は風の行く末を遠く見つめた。
「ね、楓さん。海の写真撮ろう、あとで幼馴染さんに送ろ?」
「あ、いいですね。じゃあ俺、見上さんの写真も撮りますよ」
「ほんと?じゃあ私も楓さんの写真撮ってあげよっかな」
 そうして二人は青く、そして温かく光る海を。
 バザール各所のフォトスポットをバックにしたそれぞれの写真も撮影。
 月光と地上の星に照らされた海と少しはしゃいだ二人の様子は、うん、カメラにばっちり保存完了。

 ふと気づけば、漂うのはカレーとソースの匂い。
 そして気づいてしまえば、その誘惑にはとても抗えない。
「あっ、楓さんみてみて、あそこだ!カレーの香りの屋台」
 もちろん游も、真っ先に指さしたのはご飯系屋台だ。
「お腹減っちゃったし、一緒にご飯食べよ」
「了解っす見上さん、屋台巡りお供させて頂きますよ」
 照明を受けて目に鮮やかな青と白のテント群。
 人の熱気を海風が冷ます夜の中、二人は立ち並ぶバザールテントたちをしばし物色。
「楓さん何が好きそう?」
「俺はあれを。ステーキ串とピーマンやシイタケ、パプリカが刺さった野菜串。栄養バランスは大事だからね…カロリーは凄いけど、今日は気にしない方向で!!」
「わ、お肉とお野菜選ぶなんてバランスいいね、さすが自炊もする男子」
 もちろんその大切さに気づくのは游も同じく料理をするから、いや、するからなんてものじゃない、バイト先ではもっぱらメインシェフだ。
「私は……サワークリームのポテト買おうかな、大きいの選ぶから、よかったら一緒に分けよ?」
 それから飲み物。
「俺はこの時期ならでは、シャインマスカットと梨のミックスで…」
「私はねえ……スイカとレモンのジュースがいいなぁ」
 そうしてパラソル付きの席をゲットして、テーブルの上に広がるのは背徳の香り漂う、ちょっぴりジャンクな夜の美食たち。
 スパイスが効いたお肉にカリッと焼き上がった野菜たち。
 サワークリームの風味でさっぱり食べられるポテトの、けれど口に残る熱々感を、冷たいジュースで流せば思わず吐息は潮風にこぼれる――笑顔と共に。
「んー、おいしー!」
「ポテトもおいしいですね、ごちそうさまです。……と、そうだ」
 ちょっと行って来ます、なんて楓が席を立てば何か買い逃したものがあるのかな?と見送る游。
「どうぞ、見上さん。ポテトシェアしてもらったので」
「わあ!」
 ミルクにピスタチオにマンゴー。
 ちょうどよく食べ終わる頃、訪れたのは思いがけないジェラートのデリバリー。
 先程まで舌を喜ばせてくれていた塩気を、今度は甘味が文字通りとろかせてくれる。
 そうしてジェラートでフルコースを終えれば、星の天幕に響く潮騒に、二人は身も心もリラックス。
 海上に僅かに残る夏の熱気が、心地よい気だるさと満足感を包んで、訪れるチルタイムをしばし満喫。

「あ、私ゆっくり見たいから、楓さんもじっくり見ててー」
 そんな口実をプレゼントに、二人は今度はお土産選び。
 楓さんにもぜひ、ゆっくり選んでほしいから。
「あ、これ可愛い、バイトで使えそ」
 小さな透明のクラゲがついたペンをひとつ。
 ――それと、秘密の品物を選んで。
 暫くの別行動のあと、合流した二人はいちりんそう――…バイト先へのお土産を選ぶことに。
「魚クッキーか海老煎餅か…いっそ両方にするか」
 やっぱり日持ちする焼き菓子が定番だろうなと、コーナーを見て回る。
「あ、その焼き菓子美味しそう!」
 楓のセレクトしたお菓子に游も賛同。
「緑茶かな、紅茶が合うかな?好きなの入れるね」
「ありがとうございます、じゃあ俺、会計して来るので」
 テントの外へと向かう游を見送り、会計の列に並ぶ楓の視界の端。
 もぞもぞと動く影は――。
「あ、いた」
 お土産の貝殻アクセサリに混じってじっとしてるけれど…間違いない、バロウミミックだ。
 しかしその視線を知ってか知らずか、見つめる楓の前、ミミックはシレっと影の中に消えていく。
「……ヤドカリにも個性ってあるんだな」

「…ん?」
 游の方にも小さな来訪者は登場。
 足元に小さなヤドカリを見つければ、そっと両手で拾い上げる。
「綺麗な殻」
 遊色の殻を持つそのヤドカリを、思わずじいっと游は見つめる。
 遊色、プレイオブカラー。
 それは宝石のオパールに同じく、内部の珪酸球の規則的な配列によって虹色に輝く光の現象。
 游の手の中。月光に、イルミネーションに、バザールの照明にキラキラと輝くその子は、まるで本当の宝石のようで。
「迷ったの?きみも私と同じ…方向音痴?」
 モンスター相手だけれど、思わず頬も緩んでしまう。
「お待たせしました、あ、游さんの方にも出ましたか」
 両手で抱えあげれば、戻って来た楓さんが声を掛けて来て。
「あ、楓さんも見つけた?ほら見て?綺麗な子」
「ほんとうだ」
 手の中の子を見せれば、彼もまた興味深げに覗き込む。
 そうして「俺の方に出たのはこんな感じの奴で――」「えー。ほんとに?」なんて、たわいない話を少し。
 波間も、水音すらも輝いて。
 海の上だけど、まるで本当の海の中にいるような穏やかな気持ちは久しぶりな気がして。
「ゆっくり帰りなね」
 そんな波間の影へ、迷子さんを逃がす。
「でもあんな宝物みたいな子を見つけたら、なんかいいことありそうじゃない?――楽しみだね、今日も明日も」

 風と水は夜に遊ぶ。
 月の光の中でそっと、静かに。

第3章 ボス戦 『白月の幻主』


●ナツノハナ
「皆様、本日はマリン・ワールドへのご来場、ありがとうございます――」
 花火の開始を告げるアナウンスが、夜の海の国に流れる。
 夢のようだったこの迷宮の。
 その門が閉ざされる時が少しづつ、少しづつ、近づいて来る。

 ド――…ン……!

 夏の終わりの空に大輪が咲く。
 一瞬、花に遅れて夜に轟く音は、大気を、全身を震わせて。
 いっそ魂打ち震わせ、目覚めを告げる神様からの天啓のような。
 この胸で鳴る、心臓の鼓動のような。

 胸を打つ大輪の割物は菊、牡丹、|冠《かむろ》、万華鏡。
 もう少しすれば目を楽しませてくれるだろう、秋桜や曼珠沙華を思わせる色とりどりの小花たちは、花雷。
 海からシー・エッグの頭上、夜空一面を飾る万雷はまるで眩く輝く光の拍手。
 海の国にあわせて、白、青が主である天空の花々の中、時折差し入れられる暖色の花が、その色をより一層、輝かせる。
 大きく広がり、極彩色の天鵞絨のような大きな柳はまるでナイアガラの大滝。
 火花がまるでオーロラのように、観客たちへと降りそそげば、その迫力と美しさに歓声が上がる。

 そして花火が中盤に差し掛かり、小割物を迎える頃。
 ひらり、空の花々から舞い散る花びらが降り注ぐ。
 それは、ちらりと視界を掠めて幻のような光景を思い起こさせる。
 ――花火の終わりに、彼女へこの指輪を。
 ――晩御飯に焼肉食べたい!
 ――この光景を最後にお別れを、けれどどうかこの人に新たな幸せが訪れますように。
 そんな、誰かの夢が、願いが。
 夢映しの花弁に乗って、見え隠れして。
 ひらひら、ひらひらと海へ沈んでいく。
 ちらり、周囲へ視線を飛ばせば、ああ、まだ大丈夫。一般人の人達にはこれは見えていない。
 現れた、と思う。
 振り返れば、花火と丁度真反対。
 ぽっかり浮かぶのは――満月。
 はて、今宵の月は上弦のそれだったはず――?

 さもあらん。
 白き|階《きざはし》を伴い、まさに今、海中の異界より魔性の月が昇り来る。
 白月の幻主。
 そは月へと願う人々の想いを糧とする、荘厳で幻想的な月の幻影。
 善悪の判断もなく、ただ願いを叶え消える魔力の塊の如きものと人の云う。

 ゆえに、その威容、荘厳さに気圧されはするも能力者達は安堵する。
 彼がダンジョンの主だと云うなら、もはやなんの問題もないことは確定したからだ。
 いっそ、何の対策を打たずとも、ただ誰かの願いを叶えたのち、朝を待たずにその姿は消えることだろう――…顕現しつつあったダンジョンと共に。
 もしも。もしも万が一。
 この胸の内のひそかな|夢《願い》が、そっと花びらに映し取られてしまったら……少しだけ、恥ずかしいなんて思うかも、しれないけれど。
 この願いを、きっと隣の人は笑ったりはしない。
 それは、願いにも似た確信。
 そしてもしかしたら――…その|夢《願い》は。
 この幻の月の主のチカラで、そっと実現してしまうかもしれない。

 ――ならば、最後の花火に酔いしれるも一興。

 この夜に、咲いて散るのは夏の花。
 空に、そして海に映る音と光の共演は、まるで本当に一夜の夢から覚めるかのようで、ほんの少し、胸に寂しさがこみ上げる。
 その刹那の美は、今宵一刻値千金。
 今年最後の夏の思い出に、文字通りの花を添えてくれる。
 さあ、思い残すことはない?
 そんな囁きは潮騒と共にいよいよ遠くなりゆく。
 風は吹いて。この温もりを遠く深く、夜の彼方へといざなってしまう。
 だから。
 さあ――潜ろう。
 あともうほんの少しだけ。

 あなたと共に、この秘密の青の迷宮を――。
夕星・ツィリ

●Last summer dream.
 さいごのはじまりは、いつも突然で。
「……ああ、楽しい時間は本当に」
 ……瞬きの間に終わってしまうんだ。
 きゅうっとなる胸の前で指を組んで、|夕星・ツィリ《ゆうづつ✱⃟۪۪۪͜ːु⟡ ⁺.⋆》(星想・h08667)はいよいよ始まってしまった、空を彩る花々の競演へ瞳をこらす。

 色とりどりの花々は、まるであの水槽の中の魚たちのよう。
 大きく咲く花。
 小さいけれど、まるで空にお花畑が出来たように咲く花々。
 そしてその花たちを隠すように広がる、空を覆い尽くすカーテンみたいな大滝。
 歓声が上がって、誰もが笑顔。
 一口に花火といってもたくさんの種類があって。
 見ていてとても楽しいし、飽きない。
 そして勿論――…思わず見惚れてしまうくらい美しい――…けれど。
「……これで」
 これで本当に、お終いなの?
 なんて考えてしまって。
 もう少しだけ、もう少しだけこの時間が続けばいいのになって、思ってしまう。
 そうしたら、不意に。
 視界に入った花びらに後ろを振りむけば。
「……まあ。今日はハーフムーンの出番なのに。少しせっかちなのね貴方」
 ちょっとお芝居みたいな台詞。
 ツィリは微笑んで指を立てた。
 でも、ありがとう。
 おかげでちょっとだけ、強がる元気が出たの。
 そういえば聞いたことがある。
 この白月の幻主は、願いを叶えて消える、戦いをしないモンスターだって。
 なら。
「あまり良い事ではないのかもしれないけれど……」
 少しだけなら良いよね?って、願いをかけようとして。
 ――…くいくいと、誰かが袖を引いているのに気づく。
 視線を落とせば、目が合う。
 それは小さな男の子。
 バザールの広場に集まって花火を眺める人たちの中、自分と同じように白月を見つめるその子は、きっと、あの月が見えている。
 あれなに?
 なんて、大きな瞳が伝えて来る感情は、とても素直で、強くて。
 これは上手にごまかすなんて、出来なさそう。
 そんなあどけない様子は、ちょっと故郷の弟たちを思い出して。
 秘密。
 声には出さずに唇に指をあてて、しーってする。
 だって、子供は秘密が大好きだから。
「ね、ほら、花火もすごいよ?」
 そう、反対側の空を指させば、その子も頷いて。 
 大きな目を驚きに、もっと大きく見開いて。
「お姉ちゃん、すごいね!はなびすごい!」
 なんて、見知らぬ自分に驚きを伝えてくれる。
 それだけのことなのに、なんだかとっても嬉しくなって。
「うん。花火すごいね!」
 ちょっとかがんで目線をあわせて。
 また上がった新たな大輪に、二人できゃー!なんてはしゃいでしまう。
 彼のそばに立つ、お母さんらしき女の人が「ごめんなさいね、ウチの子が」なんて云ってそうな優しい顔で微笑む表情が、花火の光に映し出されて。
 ――すごい。
 微笑みを返せば。叶うなら、もう少しだけこの時間が続きますように、なんて思っていた寂しい気持ちが、もうどこかへ飛んで行ってしまった!
 チカラを使ったわけじゃない。
 何かと戦ったわけでもない。
 でも。
 それでもきっと、隣ではしゃいでるこの子たちを守るということ。
 そのカケラくらいはきっと、担うことが出来たと思う。
 ――…だから、私は手紙を書こう、夢みたいに綺麗だったこの夜のことを。
 海色の便箋に、夜空色のインクで。
 夜空に咲いた花に、この胸を焼かれてしまったから。

 懐かしい故郷のみんなへ――…私は元気です、って。

志藤・遙斗
西織・初

●Night flight.
 風に紫煙が流れていく。
 陸を離れて遠く遠く、海のかなたへ向けて煙が消えていく。
 夜空に咲いた花、その香気に追いやられるようなそれを目で追えば、海上に浮かぶは白い月。
 バザールの隅っこの喫煙所、海を背にして手摺にもたれ、並んで花火を眺める二人の青年の姿がそこにあった。
「結局特に問題無かったですし、普通に水族館を堪能してしまいましたね」
 なんとなく煙草のパッケージを眺めれば、そういえばコイツもこんな、夜空みたいな色してたな、なんて思って空をふと見上げる。
 花に彩られた天幕は、どこまでもどこまでも広がっていて果ても無い。
 確かに無限めいて、高校を出てからのこの二年間の速さを思えば、手袋ごしに摘まむ煙草の感触にもすっかり慣れてしまったな、なんて考えて。
 志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)が煙と共に吐いたそんな言葉に、やや華奢な隣の青年も生真面目な様子で頷く。
「なんだか今日はいい休日になっちゃいましたね。でも――ダンジョンの主が、人を害す存在じゃなくてよかったですよ、大事にならなくて」
 西織・初(戦場に響く歌声・h00515)は心からそう思った。
 そう、何もない休日。
 そうであればいい。
 平和な日が、いつまでもずっと続くと良い。
 絶対にありえないと判っているからこそ、祈りにも似たこの願いを忘れずにいたいと初は思う。
 セイレーンに憑かれた自分が、もしも海へと消える時が来るなら、その瞬間まで。
「まったくです。主も無害そうですし、このままでも問題なさそうですね――引き上げますか」
 遙斗が灰皿に煙草をもみ消して、手摺から体を離す。
 ズレたマスクの位置を直しながら、初も倣って身を起こす。
「ずいぶんゆっくりしちゃいましたが――…また明日からもよろしくお願いしますね。西織さん」
「ええ、また頑張っていきましょうか、志藤さん」
 年も近い仕事の同僚。
 本当ならもっと気安い関係でもおかしくない二人だが、この堅苦しい感じがなぜか自分たちには似合っている気がして、なんだかちょっとおかしい。
「さてと」
 歩き出す遙斗が、思いついたようにモバイルのメモを眺めながら呟く。
 「そういえば特に問題なかったですけど、一応報告書書かないとですね。……入場料くらいは経費になるのかな?」
「調査の依頼でしたし入場料は経費でいいとは思いますよ」
 まだまだ祭りの喧騒やまぬバザールを抜け出して、今度は横手になった花火を見上げながら二人は歩く。

 お土産の入った袋ががさりと音を立てて、ふと、背中越し、初は満月を見上げる。
 幻の月が願いを映し取るなら、俺も家族や人々の幸せを祈ろうか。
 そんなことを思ったからだ、いや、ひょっとしたらまだもう少しだけ、この夜の中に居たかったのかもしれない。
 ――どの√も、このような景色を見てゆっくりと楽しめる平和な世界であるならいいが、そうとはいかないのも分かっている。
 これからも事件が起きれば全力で解決に当たろう。

 そして初と並んで、遙斗もまた坂道の途中、足を止めて異界の月を眺めた。
 今日は久しぶりにゆっくりできたし、明日からまた仕事を頑張らないとな。
 心からそう思う
 妹が安心して生活できるように俺にできることを精いっぱいやる。
 思えば、そう出来ることのなんと幸運なことか。
「――今はそれだけで十分だ」
「なにか云いましたか?」
「いえ、なんでも」

 そうして、夏の夢から覚めて。
 彼らはその翼で、再びの|日常《戦い》へ力強く飛び去ってゆく。
「今日は何もなかったよ」
 危険の中で生きる彼らのその言葉を、家族たちがどれだけ嬉しく思うか。
 そしてそんな報告が家族に出来ることの有難さを。
 心の中で強く、強く、噛み締めながら。

黒後家蜘蛛・やつで
白兎束・ましろ

●月の灯に影三つ
「いやー、お嬢様と一日めっちゃ遊んだっすよ~。満足満足♪……って、おっ、どかーんって花火の時間みたいっすね?」
「む、もうそんな時間でしたか。ましろ、移動しますよ!いっしょに花火を見ましょう!」
 仲良くベンチに座り、ジェラートを食べていた白兎束・ましろ(きらーん♪と|爆破《どっかーん》系メイド・h02900)と黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)が花火開始のアナウンスに気付く。
 食べていた、と云っても、実際に手を動かしていたのはましろだけ。
 やつではベンチに座り、両手にカニのぬいぐるみをしっかと抱きかかえて口中の甘露が無くなれば、ひな鳥の如くにあーんと可愛らしくお口を開ける。
 そうすれば、ましろがスプーンでジェラートを運んでくれるというわけである。
 せっかくましろがゲットしてくれたぬいぐるみ、そこいらに置くなんてもったいなくて出来ない。
 もちろんカニが汚れてしまわぬよう、ぬいぐるみの上にはハンカチを乗せて対策はバッチリ。
 もう今日は、おうちに帰りつくまでずっと抱っこしていようとやつでは心に決めていた。
 さて、そんな優雅なデザートタイムも花火の登場には勝てない。
 手早く食べ終え、ましろがカップを片付けると、ベンチで花火観覧を開始する。
 もっと人目が無ければ、やつでの糸で高い位置にハンモックでも作って、もっと見やすく、楽にすることも出来たけれど、このベンチもちょっと離れたところにあるせいで、周囲に立ち見の人も居ない、二人が並んで見るにはちょうどいい。

「手持ち花火もちょっとやりましたけど、でっかいのもいいですね」
「いやいやお嬢様、もっともっとどかーーーんってでっかい方が絶対楽しいっすよ!花火も爆破も思いっきり派手な方が!たーまやー!ってやつっす!」
 ほら、あんな風に!
 ましろが空を指させば、思い切り大きな割物が花開いて。
 ドーン……!
「ひゃっ…」
 思わずやつでが声を出す。
 けれど丁度、ましろがたーまやー!って、叫んでくれたからバレてはいない。
 大きな音は、やつでの中の原始の恐怖を煽る。
 そう、野生動物は刺激を嫌う。
 刺激を娯楽と楽しめるのは、身の危険を感じることも少なくなった人間ならではの感覚ともいえる。
 けれど、これを安心して楽しむ心のゆとりこそ、この√EDENの得難き宝石なのです。
 きりりとやつではおすまし顔、胸の動悸は知らぬふり。

「しかし、白月の幻主……願いを叶えて消える存在ですか」
 花火の合間、ふと異界の満月を見上げれば二人は少し、思案顔。
「んー…願いごと、ましろは何かありますか?あ、やつでの願いは今日一日なんにも考えずに、夏休みすること!でしたから――もう叶っているのです」
「こっちももお願い事叶ってるっすよ!ましろちゃんの願い事は、夏休みにお嬢様といっぱいいっぱい遊ぶっってことでしたからね!」
「じゃあお互い、あのお月さまに願うことはありませんね」

 やつでとましろは笑顔を交わす。
 夜闇を明るく照らす真白い月の下、それは二人共通の願い事。
 いや。
 ひょっとしたら、それは三人の。

「そうと決まれば!」
 やつでは立ち上がり、腕を組んで仁王立ち。
 花火に向かい、不敵な笑みを浮かべる。
「これでもう思い残すことはないので、夏休みとはお別れなのですよ。そして次の夏休みは、今年の倍! いえ、十倍ぐらい休むのです!!ましろ、その時はたっぷり付き合ってもらいますよ!」
 大きな声で宣言すれば、隣のましろも立ち上がり、全開笑顔でお嬢様へとサムズアップ。
「もちろんっす!来年の夏も、十倍どころか百倍くらい一緒に遊ぶっすから、覚悟しといてくださいねっ♪」
 そうして。
 友達という名の主従はどちらからともなく手を繋いで。
 ただ一夜の夏休み。
 今日という日の花火の終わりを、最高の笑顔で見送っていた。

『……』

『……』

『……?』

『んー、けど何か夏休みの最後にやらなきゃいけないことがあった気がするっすねー……まぁ、きっと大したことじゃないっすよね♪』

 ――次回、ましろVS宿題~ぼくらの7時間戦争~へ続く!

 ……かもしれない!

月島・翡翠
月島・珊瑚

⚫︎月下相花
「お、そろそろ花火が始まるみたい!」
 アナウンスを耳にすれば、ベンチで一息ついていた月島・珊瑚(憧れは水平線の彼方まで・h01461)は胸のエンジンに火をつける。
 そう、若さって振り向かないことなのさ。
「はい、翡翠これ食べちゃって!」
 残っていたジュースを一気に飲み干し、飲み食いしたゴミをさっとまとめてウェットティッシュでベンチに落ちたゴミを軽く清掃。
「よしOK!」
 あいかわらず、動くとなると速いなぁ…。
 あっけに取られながらも、残ったポテトを平らげて、ジュースをなんとか飲み終えた妹、月島・翡翠(余燼の鉱石・h00337)はハンカチで手を拭って「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
「えー、忘れ物は……うん、無し!ほら、翡翠!早く行こう!」
「あ、うん…って、ちょっと引っ張らなくても…!」
 指さし確認で問題なしと判断すれば、妹の手を握って駆け出す姉。
 突然手を掴まれた翡翠は、大きな瞳を丸くして少し慌てる。
 けれど日頃から鍛えているのは伊達じゃない。
 その足腰に物を言わせれば、すぐに姉のペースにも追い付いて。
 姉妹は揃って海上の夜市、その光の中へ、人波へと飛び込んでいく。

「さー、どこが花火を見るには絶好のスポットかなあ?」
「…えぇと…あっち、まだ空いてる、かも…?」
「おー!でかした翡翠。いってみよ!」
 そうしてシー・エッグを望むデッキの端。
 船の舳先をイメージしたそんな一角へと姉妹が陣取れば、ほら、ちょうどいいタイミング。
 闇の中に淡く浮かび上がる卵の頭上へ明るく、強く、花火たちが夜空を彩り始める。
「良かった、間に合った!…わぁ」
 二人は並び、手を離すのも忘れて明るく照らし出される夜を飾るその色彩に見惚れる。
 ドン……!!
 パラパラパラパラ……!
 闇を切り裂くような眩い花々の色を、打ち付けて来るような炸裂音を文字通り全身で受け止めて。
 夜空を飾る一瞬の光と音の交響曲に、暫し、酔いしれて。
「はぁ……綺麗」
 吐息混じり、思わずという感じに珊瑚が声をもらせば、その子供めいた素直過ぎる感想に翡翠はくすりと笑みを浮かべる。
 でも、もちろん翡翠だって、楽しみじゃなかったといったら噓になる。
「本当に、綺麗だね」
 そう、本当に。
 ひょっとして本物の本当、なんて存在に出会ったら、人間は素直な言葉しか出なくなってしまうのかもしれない、なんて思う。
 …そういえば、花火、写真にとれないかな?
 挑戦してみようと翡翠が空いている方の手でスマホのカメラ設定をいじっていると、空を照らす光がより一層眩く輝き、周囲の人の歓声もまた、大きく。
 ナイアガラの滝だ。
「来た!ナイアガラの滝!……すごーい、きれーい……」
 珊瑚もこれは特に楽しみにしていたらしい、呆けた、っていうのか、ぼんやりとして、ちょっと口が空いてる。
『云った方がいいかな…?…いや、でもこれも武士の情け、だね。どうせ暗いし』
 そうして片手でなんとかカメラの設定を終えると、翡翠は構えて花火を撮影。
 うん、なかなか上手に撮れたかな…?
「ねー、翡翠、やっぱり凄かったねー、ナイアガラの……おっと、ごめんごめん!」
 妹が片手でスマホをいじっているのを見て、はっと気が付く。
 しまった、手を握ったままだった、って。
 さぞかし操作がしにくかっただろうと、ついお詫びの言葉が珊瑚の口をつく。
「謝る必要、ないのに」
 けれど、ぽつり呟いた翡翠の言葉は、花火の音にかき消されて、珊瑚の耳には届いていないみたい。
 でも、それで構わないと翡翠は思う。
 だって、さっきの台詞は我ながら。
 なんだか、もっと手をつないで居たかった、なんて風にも聞こえてちょっと気恥ずかしい。
 珊瑚はただ夢中で花火を眺めて、自分は写真を撮る。
 これはこれでいい。

 ひらり、ひらり。
 火花に交ざって、月が降らせる花弁が海に散っていく。
 まるであのマリンスノーのようだ、なんて思う。
 人の想いを映して降り積もる、雪の花。
 夏の夜に降る、幻の雪だ。
 もう少しで花火も終わり。
 二人は花火から少しだけ目を逸らして空に浮かぶ、幻の満月を見る。
 ダンジョンの主、彼がいなくなれば今回の事件はおしまい、世はなべてことも無し。
「――アタシたちでなにかお願いしちゃおうか?」
「うん、それもいいね…でも、なにを?」
「そーだねー…」
 あの幻の月を見るのは今回で二回目。
 青白いその光は幻想的で、確かに何かを願いたくなる。
 でも、その何かがすぐには思いつかなくて、翡翠は珊瑚に応えを求めてしまう。

 ――願いなんて、きっと、なんでもいい。
 珊瑚は思う。
 そう、なんでもいい、きっとごく当たり前のことの組み合わせで世界が動いていくように。
 それはたとえば一緒に、花火を見る事だったり。
「あの形ってアイスっぽくない?帰りに美味しいの食べられるようにお願いしよっか」
 たとえば、こんなたわいも無い答えで、二人が笑えることだったりする。
 妹は虚を突かれたような顔で、一瞬きょとんとしてから。
「いいね、それ。採用」
 って。
 お姉ちゃんの言葉に笑った。

和田・辰巳
四之宮・榴

●繭no向こうno月
「どうせなら、最後は人気のない所でゆっくり見ない?」
 和田・辰巳(ただの人間・h02649)が突然告げた言葉に『ああ、綺麗だな。音も凄いけど…』なんて、少し花火に気圧されながら眺めていた四之宮・榴(虚ろな繭〈|Frei
Kokon《ファリィ ココーン》〉・h01965)は目をぱちくり。
 辰巳の背後でまた一つ、花火が空に咲くのをぼんやりと見る。
「…人気のない所、ですか?」
「うん。なんだか、視線を気にしてるみたいだからさ」
 どうかな、と、顔を覗き込んで来る辰巳の視線をなるべく避けようと、結果俯いて上目遣いとなった榴が、ぼそぼそと返答を返す。
「え?なに?聞こえない」
 辰巳が云う、無理もない音が凄いのだ。
「…ひ、人の視線と謂うか…何と謂うか…その…あの…」
 なんとか声を張って言葉を返そうとするけれど、まさしく何と云うかかんと云うか、返答になっていない。
 であれば、辰巳としては自分の思いつきを試さざるおえない。
 ふわり。
「こういう手段なんだけど……ふふ、どうかな」
 周囲へちらりと視線を向けてのち、精霊のヴェールで二人は透明化。
『これで榴の姿は独り占め!』
 ヴェールの中、くっついた辰巳はご満悦。
「…は、はい!?…何故、ヴェールを?」
「こうすれば見えないから」
「…は、はぁ…」
 榴、困惑。
 ……何故僕は今、辰巳様と一緒にヴェールを被っているのでしょう、意味が分かりません。
 とはいえ、怪訝な様子はそのままに肩を抱かれて辰巳と共に、お姫様はバザールの隅っこへと連行されて。
「どうせ見えないんだし、ちょっとだけ良いよね」
 なんて云って|怪盗《辰巳》が|榴《姫》を攫ったのは、海を望む鐘の吊り下がる骨組みという名の塔の上。
「ま、まあ僕たちなら落ちたところで平気ですし…で、でも、空は大変…美しいですが…音も凄い、です、ね」
 肩を並べてくっついて。
 夜空の下、誰にも見えない結界の中で二人きり。
「うん、この迫力も花火のいい所だよ。光を、音を、肌で感じられる」
 夜の空気を轟かす音が響けば、時々、榴の肩がぴくっと震えるのを、辰巳は己が掌のぬくもりで抑えて、しばし天空に開いては散る花々を見つめる。

 星の光を背に咲く花が散れば、舞い落ちるのは花びらたち。
 いや、違う。
 火花のそれではない、これは夢を映す花びらの気配。
 ああ、出たなと辰巳が振り返れば、そこに在るのは夢幻の如くに美しい満月。
「…辰巳様?……嗚呼、綺麗な……大きな満月……」
 辰巳の気配につられて振り返れば、そこにはあまりの美しさ故に、一種異様な気配すら現す盈月の姿。

 呆然とそれを見る榴のその横顔を――彼は見つめる。
 花火なんてそっちのけ。
 ヴェールを透けて差し込む色とりどりの花火の色彩が、白い白い彼女の肌を、染めていくのを眺める。
 榴のもとに帰ってくるという、一番大事な願いはもう叶えて、今、自分は幸せの中にいる。
 それでも願いがあるとすれば――…それは、彼女の心を解きほぐす事。
 一緒に思い出を作れば、この距離も縮まるのかな……。
 少年の瞳が、すうっと細められて。
 ……見えないからこそ美しい、なんて聞いたことがある。
 なら……今、僕の隣に居てくれる僕の半身、辰巳様は。
 命を賭けた戦いを越えて…此処に居る彼は、半分僕の見てる幻影なのかな?
 なんて、榴は思う。
 だって彼は、とても綺麗だ。
 だとしたら…それは、厭…。
 少女は視線を移す。
 ごく間近、この星と同じ色をしたその瞳へ。
 そっと服の端を掴む。
 消えてしまわないように、離れないように。
 少年と、少女の視線が。
 絡んで。

 思いがけず、強くしちゃったな。
 服の端を掴む小さな手を取って、抱き寄せたあとで辰巳は思う。
「…っ…!…た、辰巳様…っ!?」
「僕はここにいるよ。これからもずっと離さないよ」
「…は、は…離さないって…っ…あ、あの…!!」
「大きな声はバレちゃうから」
「…っ、っ…お、大声は…だ、出してないっ……っ……──!!!???」
 そうさ、こんなの言い訳だよ。
 でもしょうがない、だってキミの瞳が僕を惹き寄せるから。
 辰巳様の。
 お顔が。
 近づいて。
 上がったひときわ大きな花火が、二人だけの青い迷宮を白く白く照らし出す。
 瞬間、世界は。

 真、っ白、に――…。

「……」
 固まっている榴を見つめて辰巳が微笑む。
「幻でも夢でもないよ?」
 ほくそ笑む花盗人は小さな手を取り、服の裾なんかじゃなく、自分の頬へとそれを触れさせる。
「今日が終わってもまた明日。大変さも、楽しさもあるだろうけど、そんな日々を重ねていけたら良いと思うんだ」
「……!……”!???・・……・・!#LKJD#)(R#LOVE?」
 目の前の少年が宇宙語を話すのを、少女は聞く。
 いや、少女の方がよほど内心、宇宙語を話しているのだけれど。
「また来ようね」
 榴の百面相にぷっと吹き出しながら辰巳は云うけれど、もちろん彼女にはその意味が分からない。
 そして硬直状態の彼女の、その繭に。
 この夜静かに亀裂が入った――そんな気がした。

ルメル・グリザイユ
御剣・峰

●Sweet dreams for the shadow.
 アンティーク風のテーブルを覆うのは、純白のクロス。
 女の肌のようになめらかなその表面を、細い指先が撫でてゆく。
 古い映画館のスクリーンのように青白いクロスに花火の光が反射して、ワイングラスのステムを摘まむ指と、グラスの中の白ワインを輝かせた。
「こないだ旅団の皆で観たはぐれ花火も綺麗だったけれども。今日の花火は、より一層輝いて見えるなあ~」
 例えるなら闇と月。
 ルメル・グリザイユ(寂滅を抱く影・h01485)の、それぞれ違う色彩を映す双眸に、星と花火が映っては消えていく。
 かそけき星のさやかな光を背に、咲いては散る天の花。
 儚いそのさまは、まるで過去に見て来た命たちのようで。
「ふ。やっぱり峰ちゃんと一緒だからかなあとか云うんだろう?よく聞く口説き文句だ」
 茶化すようにそう返したのは、同席する御剣・峰(蒼炎の獅子妃・h01206)。
 ともすれば皮肉げにも聞こえる台詞だが、その口調は柔らかく、花火へ向かいながらもルメルへあわせた瞳は、楽し気な笑みに細められている。
「あら~?バレちゃった?」
 食事を終え、夜空を彩る花を肴にワインを楽しむ二人。
 こんな気の置けない会話もまた、こんな夜には似合いの肴だ。

 そんな二人のテーブルへ、ひらりと舞い落ちるのは幻の花びら。
 ふわりと届いてテーブルクロスに触れれば、それは澄んだ音を立てて弾けて消える。
 消える直前、光の中に見えるのは並んで立つ男女の影。
 ずっと隣に居られますように、そんな想いが二人へ伝わって。
「コレは……花びら?まるで誰かのお願い事みたいな…」
 思わずルメルが呟けば。
「ああ、聞いたことがあるな……白月の幻主。姿を現せば、周囲の生物の願いを映し取り、それを叶えて姿を消すという」
 背後の満月へ振り返りつつ、峰が現象の解説を入れる。
「へえ~さすが峰ちゃん、よく知ってるねえ」
「敵を知り、己を知ればなんとやらだ。……しかし、あの月も自己主張が強いな。今宵は上弦なのだから、あわせて出て来た方がばれないだろうに」
「いや~、きっとばれないようにしよう、なんて思ってもいないんじゃない?意識的なものもないって話でしょ?アレ」
「まあな。しかし、望みを写すか……私の望み、とは、一体なんだろうな」
 思わず峰は眉根を寄せて、腕を組み、真剣な面持ちで考え込む。
「武の道を歩むものとして強くありたい――いや、これは違う。それは武の道を歩く者が本能的に持っているもの……だとしたら私の願いは一体……」
 果たして、いい大人の女性が考える内容ではないが、成熟したその見た目に似合わぬ、少し世間ずれしたところもまた彼女の魅力。
「い、いかん。願いなどと言うものを持った試しがないから思いつかない。いや、過去に無かったわけではないが努力して手に入れてきたし、届かない様な荒唐無稽な願いはなかったし、うーむ。困った」
 しかし、願い事を持った例がない、それはつまり、努力して叶わなかったことが無いなと同義。
 彼女のポテンシャルの高さが伺えるなあ、と、ルメルは一人納得顔。
「ふふ。峰ちゃんのそれは自分でも思い描けないのなら、お月様も映しようがないみたいだね~」
 そして影はゆっくりワインを口へ運ぶ。
 ならば己はどうだろうか、と少し考える。
 例えるなら涙を流す佳人を、そっと抱きしめて慰める、そんなところだろう。
 誰かを癒し、与え、甘い糸で縛り上げて虜とする。
 それこそが自分の願い。
「……は……?」
 しかし、白き月の主は自身すら騙しうる彼の、偽りの薄絹を悪辣に剥ぎ取る。
 |魔眼《オッドアイ》に映るは、自身が認識するものとは異なる願い。
 顔の見えぬ誰かに後ろから抱き締められ、包みこまれて涙を流す――…そんな自分の姿。
 そこにあるのは。
 後悔。
 懺悔。
 欺瞞。
 韜晦。
 そして――…赦し。
 心臓が跳ねる。
 思わず立ち上がった彼の足元へ、その勢いに任せた動きに撥ねられた椅子が倒れる。
 表情一つ変えずに、ちらりと伺う峰の目の前。
 氷のようなまなざしで虚空を見つめる男の顔に浮かぶのは、一瞬の切迫。
 そして緩和からの、自嘲。
 いつもと同じ、けれどいつもと違う、笑み。
「…なに、これ……これが俺の願いだって…?……ッハ、……そんなわけ、…ないだろ……」
 我知らず、上げた手のひらで|顔《仮面》を覆い、口中にそう呟く。
 いったいどれほどの時間、閉じ込められていただろう。
 ほんの僅か解放された素の自分は、しかし峰の視線に気付けば、即座に穏やかな|仮面《僕》に囚われて。
「ごめんねえ峰ちゃん、椅子倒しちゃった。びっくりしたでしょ」
「なに、なんのことはない。この程度の物音に驚くような胆力はしていないさ」
 椅子へと座りなおして。急かされるようにグラスへワインを注げば、一息に煽る。
「えーと……今。僕の幻とか、見た?」
 笑顔。
 それはいつも通りの。麗らかな春の日差しと、その光がもたらす影を思わせるような。
「お前の?さて、知らんな。そもそも他人の願いを私が観れるものなのか?」
 素っ気ない彼女の返答にはいっそ、ほっとして。
「それもそうだね。あはは」
 虚ろな男は、やっと本来の自分を取り戻したようで、再び花火へと視線を向ける。
 そうして二人の間に静寂が降りて、しばしの後。

「これ、今日付き合ってくれたお礼〜」
 ルメルは亜空間アイテムボックスから、リボンで可愛らしく包装されたギフトバッグを取り出す。
「おや、悪いな?……開けてみても?」
「もちろん、どうぞ」
 包みを開くと、中から出てきたのは、丁度彼女が抱きしめるに丁度良さげなジンベエザメのぬいぐるみ。
「受け取ってくれると嬉しいな」
「デート終わりの贈り物とは流石だ。ありがたくもらっておこう――…これは、いい夢が見れそうだ」

 ――夢。
 未来がわかってしまうと人間は努力しなくなるものだ。
 だから、私の望みは何もない。未来はわからない方がいい。
 たとえ、ただ観るという形であれ、先は不確定だからこそ楽しい。
 見えてしまえば冷める興もあろう。
 だから、私の願いは何もない。
 青い夜空に花が咲く。
 咲いて散って、影を光で埋め尽くしてそして再び影を生む。
 その様子は、この夏、欧州で散った戦士たちの生き様のようで。
 目の前の、この男のあり様をも示しているかのようで。
 今私が、あえて願うとするならば。
 そう、強いてあげるなら――…隣の男がいつか羽を休められる、終の住処を見つけられますようにと。

 そう、願っておこうかな。

見上・游
永月・楓

●今はまだ海の果てで
 アナウンスを聞けば、ああ、この夜も終わりが近いんだなと、永月・楓(万里一空・h05595)は実感する。
 けれど、寂しさより今はまだ、今日は本当に楽しかった。
 そんな気持ちが先に立ち、頬は自然と笑みを刻む。
 それは隣に立つ人も同じなようで。
「最後は花火なんて夏のいいところ全部詰め込んだみたい。微かな火薬の香り、海の香り。楓さん、最高に気持ちいい夜だね」
 見上・游(|D.E.P.A.S.《デパス》の護霊「佐保姫」・h01537)が、そんな言葉で、まだまだ浮き立つお互いの気持ちに拍車をかける。
「子供の頃から花火大好きでよく手持ち花火で遊んでたんだ。楓さんはどんな花火が好きだった?」
 バザール端の手すりの側。
 ライトアップされたシー・エッグの頭上に上がり始めた花火を眺めながら、游が話しかければ、楓はそうですね――って少し考えて。
「花火は…手持ちならスタンダードな線香花火が好きだったかな」
 少年は、その実年齢より落ち着いた雰囲気通りの回答を、少女へと返す。
「山の中で、街頭とかぜんぜんなくて真っ暗で。そんな中で小さな灯が輝くのがなんか印象に残ってるんです」
「線香花火いいよね、真っ暗だからこそ特別綺麗に見えたのかな」
 わかるなー、なんて游が答えて。
 あ、あれちょっと線香花火みたいじゃない?って上がった花火を指指すのへ答えを返そうとして――…天に違和感を覚えた楓は、ちらりと視線を走らせる。
 出たか、と思う。
 念のために護霊――雷吼狼ホロを呼び出し、密かに游を守るよう指示。
 さすれば、ホロは楓だけに聞こえる声で了承の声を上げる。
 けれど、そこは游とて立派なEDEN―Endless Desire for Essential Nexus―の一人だ。
「…ねえ、空から花弁が降ってきてない?」
「……本当ですね、火花じゃないし何だろう……って、游さん。アレ」
「え?なに……ああ、月?綺麗だね。って、え、あれ敵なの?」
 可愛いおとぼけに思わずツッコミを入れる楓。
 その解説で現状を把握した游、先の花弁もかの幻月の能力であると知る。
「へぇ、願い事、かぁ…なんだか平和なモンスターもいるもんだね」
 なんて呟いて。
 はて。自分だったら、今、何を願うだろう、なんて考えると、漂う花びらに浮かびあがったのは、チョコパフェに白玉あんみつに、お月見団子。
「……ちょっと游さん?まだお腹減ってるんですか?」
 何かあれば、即、飛び出せるように身構えていた楓だけれど、ちらりと見えた食べ物たちの幻に肩の力が抜け、思わず笑いがこみ上げてしまう。
 緊張からの解放で、声を上げてクスクスと笑う楓の様子に、わーっ!と、手を振って幻をかき消そうと頑張る游だけど――…もちろんその手は幻をすり抜けるばかり。
 ほどなく消えた幻にほっとしつつも、こうなればもう開き直るしかないと、游は「なんかさ、帰りにファミレスとか寄りたいよね」って願いを暴露。
 そう素直にこられては、楓だって「そうですね」と、乗る他ない。
 だって本当にこの夜は楽しくて、きっと花火が終わってもそのまま解散なんて出来るわけがない。
 さて、そんな楓さんの願い事は――?
 なんて、おどけて笑いながら。游は花びらには映らなかった願い事を、そっと心の中に映し出す。
 もっと身体が丈夫になって、筋トレ沢山しても疲れなくなりたいな、と。
 そうしたらきっと、もっとカミガリの活動だって出来る。
 誰かの手助けだってもっともっと、出来るだろうから。

 そんな彼女の胸中はさておき。
 見えてしまった思いがけない游の願いの姿に、少し気持ちが和らぐのを感じながらも、思い浮かんだ自身の願いに、楓は苦笑を浮かべる。
「俺の願い…一番に願うことはちょっと物騒だからなぁ。戦う理由にもなっているし……」
 そう呟けば、やはり花びらは反応。
 現れ始める彼の心の幻影に、游は「あっ、見ないよ」と掌で自分の目を隠そうとする。
 けれど、そんな彼女の姿に楓は少し笑って大丈夫ですよと呼びかけた。
 だってほら、游の影響で楓の願いまでファミレスのデザート群になってしまっている。
 現れたのはプリンにパンケーキにアサイーボウル。
 これは、うん。珈琲も欲しいラインナップ……!
「ね」
「あはは、ほんとだ。でもね楓さん。もし教えてくれるなら……楓さんの本当の願い、叶えるの、お手伝いしたいよ。どんなものでも」
「ありがとうございます……じゃあ、いつか話せる時が来たら、ぜひ」
「うん」
 うん、いつか。
 いつかきっと、彼の願いが叶うといいと、游は思う。

「あー…、でもこれはもうこのあとファミレス行くしかないね?覚えたよ。プリンにパンケーキにアサイーボウル。楓さんはお洒落な甘いものが好き」
「お、お洒落なものは好きですが、甘くないサンドイッチ系も好きですぞー」
 花火の終わり。
 夜祭の終わり。
 そしてこの夏の終わりを告げる、夢の国の閉じる音が、園内放送から聞こえ始める。
 その放送が来園への感謝を述べ始めれば楓は逆に、真面目な顔でペコリと頭を下げて。
「こちらこそありがとうございました。さて……行きますかファミレス。深夜の背徳スイーツを満喫して、体重増加分はジムで一緒に筋トレでもしましょ」
「ちょっとー?食べる前に体重の事言うのはマナー違反ですよー?」
 なんてやりとりでひとしきり笑い合えば、淋しい空気もどこへやら。
 周囲の観覧客たちが帰途につきはじめるのを、見送りながら。
 そういえば、と、游は空の下の満月と自分の間、空中で警戒し続ける彼の姿へ目を向ける。
「ね、楓さん。あのモフモフさん、貴方の子でしょう?帰る前にちょっと挨拶できないかな?」
「……あ、忘れてた。もちろんいいですけど」
 楓が合図をすれば、宙を駆けて二人のそばへとやって来る白狼。
「雷吼狼のホロ。ウチの護霊です」
「凄い、カッコいい。守ってくれてありがとうホロ」
 撫でて大丈夫かな?って、言うが早いか撫で始めた游。
 護霊という、霊体であるホロだ、普通の毛皮ともただ素通しとも違うその手触りに、游は興味津々。
「すごいかわ……ごめんっ」
 思わず欲に負けてモフったら、とんでもない静電気が彼女を襲ってちょっと涙目。
「あっ!先に云っておけば良かった。すいません、雷属性だからどうしても静電気が……うーん、コレは本気で放電を制御する訓練しないとな……」
「あはは!いいのいいの!こっちこそごめんねホロ。急に抱きついたりして」
 最後にちょっぴり刺激が強かったけれど、これも含めて大事に至らず。
 ただただ平和に流れた時間が望ましいのは、もちろんのこと。
「本当に大丈夫ですか?」
「へいきへいき」
 それに、まだまだお楽しみは終わらない。
 二人には深夜のファミレスでお洒落スイーツを楽しむという使命が――…まだ残っているのだから!

 絆はここに。
 夢は、まだ心の奥底に。
 夜に散る花びらと共に、あの海の彼方で目覚める時を――きっと。

椿之原・希
椿之原・一彦

●迷宮金魚
 きっと、誰も隠したりはしなかったろう。
 秘密の迷宮、その奥へ。
 それが光り輝く、美しいだけのものであったなら――。

「…これはすごい。まるで夜に咲いた花だね」
 空に開いた大輪の花。
 二人はしっかりと手をつないで、眩くも美しい初めての花火に目を凝らす。
 そう、初めて。
 産まれた時には、すでに世界は戦争のただ中だった椿之原・一彦(椿之原・希のAnkerの兄・h01031)と椿之原・希(慈雨の娘・h00248)にとって、花火と云うものは見るものではなく聞くものだった。
 かつて人類はそうして夏の夜を楽しんだのだと、夢物語のように。
 話でしか知らなかったその存在に圧倒され、二人は全身でそれを感じ取る。
 花火とは瞬く間に咲いては散る、まるで命にも似た、とても美しいものだというものを。
「本当に……綺麗なのです」
 兄と手を握り、もう片手には保護したヤドカリをしっかりとだっこする希が、独り言のように呟く。
 微かに動いたヤドカリが落ちそうになって、夢見心地だった気持ちが戻ったのだ。
 そうしてヤドカリを抱え直せば、思い出したように靴を脱いだ足が靴下ごしにベンチの固さを希に伝えてくる。
 希の身長では花火が見ずらいだろうと、お兄ちゃんがベンチの上に立ったらいいと考えてくれたから。
 ひらり、ひらり。
 夜風に交ざって、月が降らせる花弁が幾重にも希の肩を撫でて、散っていく。
 人の想いを映して降り積もる、夏の花。
 夜を彩る夢幻の輝きが。
「これも…花火?」
 不思議なその光景に、希がこうべを巡らせる。
 発見したのは花火の反対、海の上に浮かんだ白い満月と――天に輝く上弦の月。
「すごくきれいなお月様なのです。あれ?あちらにもお月様が…あ、こちらはお月様だけどお月様じゃないのですね」
 ね?ヤドカリさん、と、胸のミミックに話しかける希に気づけば、一彦もどうしたのかと妹へ話しかける。
「ん?希、花火はそっちじゃ……え?」
「お兄ちゃん見てください、すごくきれいなお月様なのですーっ」
 かの存在がモンスターだとは、まだ気づいていないのだろう。
 希は指をさして、兄とヤドカリへ白月の幻主を見せようとしている。
 だが、一彦とすればそう気楽に構えては居られない、すぐに普通の月ではないと看破し、警戒態勢。
 しかし自分に何が出来るものでもなく、さらにそんな妹の無邪気な様子に毒気を抜かれてしまえば、しばしののち。緊張を解くしかない。
「…害意は、なさそうだね。えぇと希?月が二つあるわけがない。あれはもしかして、モンスターじゃないかい?」
「モンスター…あ!そういえばああいう姿のモンスターが出るって、皆さんが云ってた気がします!さすがお兄ちゃんなのです!」
 きらきらとおめめを輝かせる妹の視線に苦笑して、一彦は「ありがとう」と頭をぽんとする。
 だが、本当に気にしなくて良いのか。
 ヤドカリとお話をし始めた妹をこれ幸い。
 一彦は周囲を見回し、他の能力者たちに動きがないかと様子を伺う。
 しかし、辺りは平和そのもの。
 戦闘めいた動きを見せる人物は、誰一人としていない。
 そも、戦闘の可能性はとても低いからと、希も自分をここへ連れて来たのだ。
 これはどうやら、他の能力者たちもこの敵に問題はない、そう判断していると見ていいか――そう、一彦は結論ずける。
 しばしの瞑目。
 ならば、と一彦は深呼吸を一つ。
 意識してリラックス、気持ちを新たに視界を広げる。
 空に万雷、海に月。
 風は彼方へ、潮騒は耳に優しく。
 そして、雑踏を形作る人々はどこまでも平和そのもので、その視線にも表情にも、張り詰めたものは何もない。
 ――…いつもの己の世界、その過酷さを思えば複雑なものはある。
 けれど、はたしてこれまでの自分の人生で、こんなにもありのままに、何かを楽しむなんてしたことがあっただろうか。
 そんな空気を改めて味わっていれば、いつしか彼の心の硬いものもほぐれて、頬筋はほころび、頬が震えて勝手に笑顔を浮かべてしまう。
「……ははっ!今日の夜はずいぶんと華やかだね。花火に、月。――すごいね、希」
「……!」
 耐えきれず笑った兄の顔に、希は瞳を見開く。
 それはまるで、少年のような。
 けして手の届かない大人だと思っていた兄が、ふと階段を降りてきてくれたような、そんな笑顔。
 まるで夢みたい、と、希は思う。
 だって、こんなにも楽しそうなお兄ちゃんなんて見たことがない!
 誰かを安心させるためでも、何かを諦めるためのものでもない。
 ただ自然と楽しくて浮かんでしまう――…お兄ちゃんのそんな笑顔は、これまでに体験したどんなにことよりも嬉しくて、嬉しくて。
「……はいっ!とっても凄いのです!嬉しいものが見れたのです!」
 頬を染め、ぷるぷると震えながら、希はつい必要以上に大きな声でお返事してしまう。
 でも不思議。
 こんなに嬉しいのに、どうして涙が出るんでしょう?
 なんて思いながら。

「――…あ、そろそろヤドカリさんは帰らなくちゃいけないですね」
 そうして、花火も終わる閉園時間近く。
 兄妹はベンチの影へとヤドカリを下ろす。
「そうだね。……帰り道は分かるかな?」
 しゃがみこみ、まるで子供にするように問いかける一彦の隣、希は胸の前に手を組んで目をつぶる。
『…どうかヤドカリさんが無事にお家に帰って家族と再会できますように』
「…こういう時、希みたいに強くないのが悔しいね」
 呟くと、一彦もまた希の隣でそっと祈る。
 この子の帰り道が安全でありますようにと。
 月は願いを叶えてくれる、幼い頃聞いたそんな童話を思い出しながら。
 すると。
 その時、不思議なことがおこった!
 
「――…カメさん!?何でここに?」
 足をつつく何かの感触に希が振り返れば、そこにはリクガメサイズの黒い亀。
 なんだか甲羅に、蛇まで巻き付けている気がするのは気のせいだろうか。
「の、希?なんだかこの子…普通の亀とは違うみたいだけど…」
 一般人の兄もその異様さに気付いたようで、笑顔を浮かべつつも、頬へ汗を垂らして希へと問いかける。
「ええと……この亀さん、本当はもっともっと大きいはずなんですけど……」
「うん?……あの月が縁を繋いだのかな」
 妹の返答はいまいち要領を得なかったが、希が知っているということはこの亀もまた、彼女らが用いる超常能力の何かなのだろうと、彼は幻を呼ぶ異界の月を見上げる。
 はて、あのおとぎ話はまさか本当だったのだろうか。
「お月様が私たちのお願いを聞いてくれたのでしょうか――え?この子を甲羅に乗せろって……?」
 首と尻尾を揺らし、まるでそう云っているような仕草をする黒亀に、恐る恐る希はヤドカリをその背に乗せる。
 そうすれば黒亀は迷いなく、ぼちゃんと海へと飛び込んで。
 ゆっくり、ゆっくりと沖へと泳ぎだす。

「……バイバイなのですよ」
「……希?」
 闇に溶けてゆくその姿を見つめながら、自分の足へとすがりついてきた小さな妹の体は、小さく震えていて。
 その様子に言葉もなく、ゆっくりと滑らかな髪をしばし撫でていた一彦は、そうだ、と思い出す。
「……えっ?」
 そうして彼は、ひょいと希を抱き上げたのだ。

「……どうしたんだい希。云っていたろう?√EDENでは十歳までの子は抱っこもしないといけないって」
「え、でも……こんなの、小さな子供みたいで……」
 嬉しいのになんだか恥ずかしくて、希のお口はつい、そんな心にもないことをつい云ってしまう。
「ふふ、そっか……でも、俺がそうしたいんだよ。キチンとバイバイできた希が偉いから。……いやかい?」
 けれどお兄ちゃんは、私を抱いたまま、ゆっくり歩いてくれて。
「ううん!ううん!……全然イヤじゃないのです」
「そう。良かった――じゃあ俺たちも帰ろうね」
「……はい!」

 ――ねえ、お兄ちゃん?
 私、絶対に忘れません。
 歩いて海に潜れる、水族館のこと。
 手を繋いで歩いた、夜のお祭りのこと。
 青い夜に咲いた、大きな大きなお花のこと。
 もしもいつか。私が、新しい私になる時が来ても。
 私が、壊れていなくなってしまったとしても。

 ずっと憶えています。
 きっときっと、憶えています。

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